2016年9月30日 (金)

一年ぶりに鳥取県の日南町に来ました

 昨年の第4回池田亀鑑賞授賞式は6月27日でした。
 例年初夏に開催しているこの授賞式を、今年は日南町美術館で池田亀鑑展があることから、それに合わせて明日10月1日に、第5回池田亀鑑賞授賞式が執り行なわれることになりました。
 秋にこの地に来るのは初めてです。

 東京から新幹線で岡山に出て、そこから特急やくもに乗り継いで、鳥取県の生山駅まで5時間半の長旅です。お昼過ぎに着きました。


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 出来たばかりの道の駅「にちなん日野川の郷」へ、日南町図書館の浅野康紀さんに案内していただきました。ここでお昼の食事をするためです。


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 レストランでは、めずらしいイノシシのチャーシューを乗せた丼をいただきました。癖のないおいしい肉でした。

 お土産売り場では、日南町公式キャラクターの「オッサンショウオ」がいました。
 店内はきれいにお土産物が並んでいます。東京銀座の伊東屋の文具類のコーナーがありました。伊東屋2代目社長が日南町出身という縁から、ここに小さな売り場を設けたのだそうです。木に囲まれる中で、文具が静かに語りかけてくれるしかけです。


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 店内の一角に、井上靖と松本清張のパンフレットがありました。


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 池田亀鑑は? と聞くと、まだ作られていないとのことでした。

 池田亀鑑展を先週からやっている日南町美術館で、増原町長とお話しをする機会がありました。そこで池田亀鑑のことをお聞きすると、現在そのパンフレットも作成中だとのことでした。楽しみに待つことにしましょう。


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 明日の池田亀鑑賞授賞式の会場となる、日南町役場の交流ホールへ行きました。
 いつもお世話になっている池田亀鑑文学碑を守る会の方々と、役場のみなさんが準備を進めておられるところでした。
 町内にある木をふんだんに活かした、天井の高い立派なホールです。
 この町には、木のぬくもりが至る所で感じられます。


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 いつもと会場が違うので、気分も一新されます。
 明日もまたすばらしい会となることでしょう。

 今夜も、いつもと同じふるさと日南邑に泊まります。
 2階の部屋から下を見ると、池田亀鑑の随筆の一節を写したパネルと、第3回池田亀鑑賞授賞式の時の写真パネルが、小雨に煙る中に立っていました。


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 この町で実施した事がこうして形になっていくのを見ると、少しずつ足跡が記録されているようで不思議な気持ちになります。住民の方々と一緒に、思い出を共有できることのすばらしさを感じる光景となっています。

 日南町の山々も、しだいに雨雲に包まれていきます。山陰特有の天候です。


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 明日がまたいい日となるように、今日はこれで一休みとします。
 多くの方が式に参加してくださることを願いながら。
 
 
 

2016年9月29日 (木)

読書雑記(181)船戸与一『灰塵の暦 満州国演義5』

 船戸与一の『灰塵の暦 満州国演義5』(新潮社、2009年1月)を読み終えました。
 本作も書き下ろしで、850枚という分量によって圧倒的な迫力で読ませてくれます。


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 前巻に続く昭和11年、12年の日中戦争、南京事件が物語の中心となります。
 これまで通り、敷島四兄弟のオムニバス形式で語られていきます。ただし、しだいに兄弟の距離が近づき、満州の地での接点が生まれてくるのでした。

 とにかく、想像を絶するスケールの大きな物語です。

 ハルビン郊外の防疫部のことは、かつて読んだ森村誠一の731部隊細菌兵器の話『悪魔の飽食』に記憶が結びつきます。ただし、この森村の本は内容に問題があるとの指摘がなされているものであり、それを作者船戸がどう扱っているかも今回読もうとしました。しかし、森村の虚偽捏造についての船戸の見解は読み解けませんでした。今後、このことがまた出てくれば、その時に再度深読みをしたいと思います。

 また、磯部浅一のことは、最近新聞で読んだ記事と合致します。
 近代史に疎い私は、断片的な知識を本作を読みながらつなぎ合わせて、歴史の躍動感を堪能しています。

 日本の政局と満州の変動が連動し、時局の話の間に食事のことなど細々とした日常生活が点描されます。それらがスムーズにつながっているので、昭和初期の日本と満州での雰囲気が生き生きと伝わって来ました。船戸氏の筆の力だと思います。

 岸信助の動向は、他の歴史的に著名な人々とは違い、この時代の歴史に疎い私にも現実感を持って読むことができました。同時代感を持てる人物かどうかが、読者として作中に入れるかどうかに関係しているのでしょうか。

 私は、学校の日本史で、近現代史を教わることのなかった世代です。そのためもあって、この物語は、歴史的な人物として名前だけ知っている人々が生き生きと活写されていることに惹かれます。
 近衛文麿・東条英機・石原莞爾・川島芳子・蒋介石・林彪などなど、枚挙に暇がありません。

 最終章で、戦場精神学とか戦争神経症への言及があります。興味深い話です。
 また、南京攻略から虐殺に関するくだりは、冷静かつ圧倒的な筆力で描かれ、語られています。作者の怒りに満ちた思いが籠もった一書です。【4】
 
 
 

2016年9月28日 (水)

整形外科で更年期障害と言われても……

 左足首を骨折してから通いだした整形外科へ、今日は左足の小指が赤く腫れて痛いので、診てもらいに行きました。
 左足で立とうとする時、小指に力がかかるとピピッと痛みが走るのです。しかたがないので、左足の親指側を踏ん張って立ち上がるようになりました。10日ほど前からでしょうか。

 過日の骨折に関連してのことかと思っていました。しかし、どうもそうではなさそうな気がしだしたので、思いきって診てもらうことにしたのです。

 今日の診察では、左足の小指の外側が赤く腫れ上がっていることもあり、レントゲンを撮ってその画像をモニタで見ながら説明してくださいました。左足の指の骨に異常はないようです。関節にも問題はなく、その周りが腫れているのです。また、先般の左足首の骨折とも関連はないそうです。

 先生いわく、こうした症状は女性に多くて、いわば更年期障害だ、とのことでした。
 私は男性で、もうすぐ65歳になります。

 このところ、何かあると医者から言われる「加齢」という言葉に、今度は「更年期障害」が加わりそうです。
 この言葉には、いかんともしがたい呪力があります。「ははーっ」と言って引き下がり、納得したふりをするしかありません。病院を出てから、何か他に治す方法はないのだろうか、と思いを巡らすことになります。

 最初に診察を受けた7月下旬には、左足と共に右手の人差し指が痛いことも伝えました。ペットボトルの蓋を捻ることができないことや、つまみを回せない状況にあることを説明しました。しかし、それは加齢によるものであり、関節が経年変化でギクシャクしているのだそうです。指の変形具合を、しばらく様子見することになったのです。

 今日もこの右指のことを聞くと、一月前に撮った右手人差し指のレントゲン画像を表示して、左足の小指が同じような状況であることを見せてくださいました。つまり、今は特に打つ手はないようです。骨にも関節にも異常はないのですから。

 右手人差し指のために、過日はインドメタシンの入った鎮痛の塗り薬をいただいていました。その薬を、左足の小指にも塗るように、という対処方法でした。次は、一ヶ月後に様子を見せに来るように、ということで終わりました。

 左足の骨折の影響か、足が腫れぼったくてむくむことと、時々熱を持つこともお話しました。これも、骨折は時間がかかるものなので、とにかくしばらく様子を見ることとなりました。

 命に別状のあることではなさそうなので、これでいいのかもしれません。しかし、常に不快感がある症状は、一日も早く何とかしたいものです。
 この文章をキーボードで打っている今も、左足は浮かしぎみにして、マウスは右手の中指でクリックしています。

 後日のためにも、忘れない内に現在の症状を記し残しておきます。
 
 
 

2016年9月27日 (火)

新刊紹介『もっと知りたい 池田亀鑑と『源氏物語』 第3集』〔160928_改版〕

 『もっと知りたい 池田亀鑑と『源氏物語』 第3集』(伊藤鉄也編、336頁、新典社、2016(平成28)年9月)を刊行しました。数日中に、全国の書店に並ぶことでしょう。

 今月末の30日(土)には、池田亀鑑の生誕の地である鳥取県日野郡日南町で、「第5回池田亀鑑賞授賞式」が開催されます。さらに、先週23日からは、日南町美術館で池田亀鑑の特別展が開催中です。
 おめでたいイベントにこの本が間に合い、ホッとしています。

 今回は、研究者・池田亀鑑ではなく、随筆家であり小説家としての池田亀鑑を浮き彫りにする編集を心がけました。


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 【目次】は以下のとおりです。
 『花を折る』は前後2回に分け、後篇は次集『もっと知りたい 池田亀鑑と『源氏物語』 第4集』に収録します。


  はじめに(伊藤 鉄也)
■復刻■
 『随筆集 花を折る』前篇(日野川のほとり~抒情の花籠)
■講演■
 池田亀鑑賞の意義(伊井 春樹)
 第二回池田亀鑑賞受賞作の紹介と選考理由(伊藤 鉄也)
 『林逸抄』―俗語で書かれた『源氏物語』注釈書―(岡嶌 偉久子)
  ◎もっと知りたい1 第二回 池田亀鑑賞授賞式と記念講演会◎(伊藤 鉄也)
 池田芙蓉(亀鑑)『馬賊の唄』について(杉尾 瞭子)
   ―その出典と時代背景を軸として―
  ◎もっと知りたい2 『馬賊の唄』の内容と満蒙の地名◎(伊藤 鉄也)
■連載■
 伯耆地方の古典文学(第二回 追憶雑感篇)(原 豊二)
 〈池田亀鑑の研究史〉(第三回 池田亀鑑と『紫式部日記』)(小川 陽子)
■コラム■
 池田亀鑑碑のこと(原 豊二)
 《仮名文字検定》を創設(伊藤 鉄也)
 「変体仮名翻字版」とは何か(伊藤 鉄也)
■資料■
 復刻・池田亀鑑著作選
  (美しく悲しい安養尼のお話 上・下/
   嵯峨の月/笄の渡/落城の前/咲けよ白百合)
 小説家・池田亀鑑の誕生―少女小説編―(上原 作和)
  ◎もっと知りたい3 池田亀鑑の小説デビュー作と米子◎(小川 陽子)
 アルバム・池田亀鑑(昭和四、五年頃)(伊藤 鉄也)
  おわりに(伊藤 鉄也)
  執筆者紹介

 今回も、多彩な内容となっています。
 読んでみようかと思っていただけたら、との思いから、「はじめに」を以下に引用します。
 書店等で、お目に留まり、お手に取っていただけたら幸いです。
 また現在、池田亀鑑のご子息である池田研二先生がお持ちの手紙類を整理する準備をしています。
 もし、池田亀鑑に関する資料や手紙等をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ご一報いただけると幸いです。


  はじめに

 『もっと知りたい 池田亀鑑と「源氏物語」』は、平成二三年五月に『第1集』を、その二年後の平成二五年八月に『第2集』を刊行した。本書は、三年を置いての『第3集』である。その後の本文研究と池田亀鑑に関する情報や資料を、こうした形で提供できたことにより、また『第4集』へとつなげることができる。
 本書では、『源氏物語』を中心とした本文や文献に関する内容と、その調査・収集・整理・研究に生涯をかけた池田亀鑑を取り上げている。これが、待ち望んでおられる方々にお届けできることは、編者としてありがたく嬉しいことでもある。
 『第1集』と『第2集』の間にあたる平成二四年春には、鳥取県の日南町と池田亀鑑文学碑を守る会のご尽力のもとに、めでたく池田亀鑑賞を創設した。その池田亀鑑賞の授賞式等でその出生地である日南町を訪れるたびに、池田亀鑑が書き残したさまざまな文章を長野甞一氏が中心となって編まれた『随筆集 花を折る』(中央公論社、昭和三四年一月)の復刊を、楽しみになさっている地元のみなさまの声を耳にした。池田亀鑑の望郷の念が語られ、その成した研究成果の背景から、池田亀鑑の実像が偲ばれるものだからである。
 池田亀鑑が亡くなったのは昭和三一年一二月であった。『随筆集 花を折る』の刊行は、その二年後のこととなる。それから五七年が経ち、入手が困難な書籍となったこともあり、今回その全文をありのままに復元することにした。『随筆集 花を折る』を、前編(「日野川のほとり」〜「抒情の花籠」)と後編(「忘れえぬ人々」〜「源氏を大衆の手に」)に分け、本書『第3集』には、その前編を収載している。後編は次に予定している『第4集』となる。今となっては、内容に差別的な言辞を含む文章もある。しかし、ここでは刊行時のままで復刻した。
 さらに本集では、第二回池田亀鑑賞の授賞式の報告と、小説家としての池田亀鑑の紹介と実作品を資料として掲載した。池田亀鑑賞については、その後、第三回から本年度の第五回までが決定し、以下の作品が受賞している。
  第三回受賞作 『狭衣物語 受容の研究』須藤 圭(新典社発行)
  第四回受賞作 『菅原道真論』滝川幸司(塙書房発行)
  第五回受賞作 『平安朝の文学と装束』畠山大二郎(新典社発行)
 これらの詳細は、『第4集』以降で順次公表していくことになる。今しばらくお待ちいただきたい。なお、本書に講演録として収載した「池田芙蓉(亀鑑)『馬賊の唄』について―その出典と時代背景を軸として―(杉尾瞭子)」は、第四回池田亀鑑賞授賞式及び記念講演会において、研究報告として口頭発表されたものである。本書後半のテーマである小説家池田亀鑑と密接に関連するものであることから、ここに掲載することにした。
 池田亀鑑とその仕事については、まだ知られていないことが多い。さまざまな切り口から、池田亀鑑を広く知っていただければ幸いである。

  平成二八年九月

                           伊藤鉄也


 
 
 

2016年9月26日 (月)

MRIによる頚動脈の精密検査を受けて

 中目黒の東京共済病院で、検査と診察を受けてきました。


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 今日は、首のMRIによる、頚動脈の精密検査が中心です。
 今夏7月末の人間ドックの結果を受けての再検査なのです。
 頭が重くて痛い時があるので、詳しく診てもらうことになりました。

 放射線科での頚部MRIは、8月末に京大病院で受けた腹部MRIとほぼ同じものです。
 クラッシック音楽が流れるヘッドホンをして、円筒の中に頭を突っ込みます。
 しかし、機器が作動すると工事現場のような、ドンドン・ガンガン・ドッドッドドという騒音もヘッドホンに混じり込み、せっかくの音楽が掻き消されます。この仕掛けは、一考の余地があります。

 検査が終わると、脳神経外科で診察です。
 先生は画面に映し出された私の頭部の3次元画像をマウスで回転させながら、血管の詰まり具合を説明してくださいます。詳しく聞けば聞くほど、よくわからなくなります。
 違う解釈もできるのでは、と思っても、画像解析の素人にはとても質問などできません。

 とにかく、今のところは問題なしということで終了です。
 結論を簡単に言えば、今回のMRIの画像を見る限りでは、脳血栓の狭窄は50%で、70%を越えたら考えましょう、ということでした。次は、2年後でいいそうです。ただし、毎年人間ドックで検査はするようにと。

 ひとまず、安心していいようです。
 また仕事に復帰します。
 
 
 

2016年9月25日 (日)

『源氏物語』の小見出しは池田本の校訂本文に合わせること

 現在、池田本の校訂本文を編集する中で、そこに挿入する小見出しを作っているところです。
 これまでに、「桐壺」「帚木」「若紫」の3巻分を終え、以下の通り本ブログで公開しています。

☆(1)「「桐壺」巻の小見出し試案(72項目版)」(担当者:伊藤鉄也)(2014年03月26日)

☆(2)「池田本の校訂本文用に作成した「帚木」巻の小見出し(132項目)」(担当者:高橋麻織)(2016年09月16日)

☆(3)「池田本の校訂本文用に作成した「若紫」巻の小見出し(108項目)」(担当者:淺川槙子)(2016年09月15日)

 この小見出しは、次のような特徴があります。


1 30字の簡潔な小見出し
2 校訂本文150字位(250字以下)に一つの小見出し
3 小見出し末尾に次の3種類を「/」で区切って明示
  ・『源氏物語大成』(中央公論社)の頁行数
  ・『源氏物語別本集成』『同 続』(おうふう)の分節番号
  ・『新編日本古典文学全集』(小学館)の頁数
 

 この小見出し作りを進めていて、その方針を明確にしておく必要が生じました。
 今後とも、お手伝いしてくださる方々と情報を共有しておくためにも、以下に問題点を整理して確認事項とします。

 一例を、「若紫」の場合であげましょう。
 国文学研究資料館蔵の橋本本「若紫」の小見出しを確認している時、早速2つ目の小見出しで中断となりました。

 上記「☆(3)」で、次のようにした小見出しです。

 ■2 聖は、峰が高い山に囲まれた奥深いところに籠り、修行をしている

 ここは、『新編日本古典文学全集』(小学館)では次のような校訂本文となっています。


~御供に睦ましき四五人ばかりして、まだ暁におはす。
 やや深う入る所なりけり。三月のつごもりなれば、京の花、盛りはみな過ぎにけり。~(119~200頁)

 これに小見出しを付けると、「まだ暁におはす。」の次に位置するところが適当です。

 それに対して、橋本本の校訂本文は次のようになります。赤字に注意してください。


〜御供に睦ましき四五人ばかりして、まだ暁におはするにやや深う入る所なりけり。
 三月つごもりなれば、京の花、盛りは過ぎにけり。〜(119〜200頁)

 大島本や池田本による流布本の校訂本文が「まだ暁におはす。」となっていたところが、この橋本本では、「まだ暁におはするに」となります(後掲の本文異同を参照願います)。文章はここで切れずに、「やや深う入る所なりけり。」へとつながっていくのです。

 そのため、上記「■2 聖は、~」という小見出しを橋本本に転用するにあたっては、「三月つごもりなれば、」の位置に付けることが最適な場所といえるでしょう。

 ここは、私案の本文二分別によると、〈甲類〉が「おはするに」であり、〈乙類〉が「おはす」となっているところです。
 池田本は〈乙類〉なので、ここに小見出しを入れるのは大島本のグループの一つなのでいいのです。
 これに対して橋本本は〈甲類〉なので、小見出しの位置が少し後にずれることになります。つまり、次の行の「三月」に対する小見出しとすることになるのです。

 これでは、校訂本文が他本に変わるたびに、小見出しの位置が前後に移動することになります。本文異同の多い巻や写本では、そのたびに小見出しの位置がずれたり、場合によってはなくなったりするのは煩雑です。
 今後は、写本ごとに校訂本文が自由に作成できるシステムを公開する予定なので、目まぐるしく諸本ごとに小見出しが変転しては、使い勝手も悪くなります。

 そこで、この小見出しを付ける場所については、あくまでも「池田本に合わせる」、という方針に決めたいと思います。

 なお、現在、この池田本の校訂本文のための小見出し作りを、ボランティアでお手伝いしてくださる方を求めています。
 『源氏物語』の本文を200字位で区切り、そこに30文字という制限で短文を作ることは、意外と呻吟するものです。一文字の加除に、何日も費やすことはざらにあります。
 池田本は大島本と大きく本文が異なることはないようなので、身の回りにある校訂本文で小見出し作りは出来ます。面倒なのは、小見出しの末尾に付ける3種類のテキストの頁数や番号だけです。

 手伝ってやろう、と思われる方は、遠慮なく本ブログのコメント欄等を使って連絡をください。
 すでに着手されているのがどの巻か、という情報の共有は、全54巻をやり終える上では重要です。効率的な取り組みを遂行するためには必須の情報であり、これは折々に本ブログを通して流していきたいと思っています。その際、担当者のお名前を巻名に併記することを、あらかじめご了承ください。

 ちなみに、現在私は第3巻「空蟬」に取り組んでいます。
 「12須磨」・「38鈴虫」・「52蜻蛉」も担当者はすでに決まっています。
 
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 参考までに、上記「若紫」の引用例の箇所における、諸本17本の本文異同をあげます。
 これらかも明らかなように、本文は2種類にしか分かれず、橋本本は〈甲類〉([橋尾中陽穂高天])に、池田本や大島本は〈乙類〉([大麦阿池御国肖日保伏])に分別できます。

 まだ「変体仮名翻字版」のデータベースが緒に就いたばかりなので、ここには旧来の平仮名を一文字に限定した、明治33年以来の用字法で翻字した本文の校合を揚げています。また、諸本名や書写状態に関する付加情報($はミセケチ等)も煩雑になるので、ここでは省略しています。


御ともに[橋=大中麦阿陽池御国肖日保伏高天]・・・・050063
 御ともに/と〈改頁〉[尾]
 御共に[穂]
むつましき[橋=全]・・・・050064
人[橋=尾中陽穂高天]・・・・050065
 ナシ[大麦阿池御国肖日保伏]
四五人はかりしてまた[橋=全]・・・・050066
あかつきに[橋=尾麦池日保伏高]・・・・050068
 あか月に[大中御国肖穂天]
 暁に[阿]
 あか月に/月〈改頁〉[陽]
おはするに/るに$[橋]・・・・050069
 おはするに[尾高天]
 おほするに[陽]
 をはします[中]
 おはする[穂]
 おはす[大麦阿池国肖日保伏]
 をはす[御]
やゝ[橋=大尾中麦阿陽池御国肖日保伏高]・・・・050070
 やゝ/う&ゝ[天]
 ナシ[穂]
ふかく[橋=尾中陽高天]・・・・050071
 ふかう[大麦阿池国肖日穂保伏]
 ふかう/△&ふ[御]
いる[橋=大尾陽池御肖日穂保伏高天]・・・・050072
 入[中麦阿国]
ところなりけり[橋=尾中陽高]・・・・050073
 所なりけり[大麦阿池御国日穂保伏天]
 所也けり[肖]
三月[橋=穂]・・・・050074
 三月の[大麦阿池御国日伏]
 やよひの[尾中陽肖保高天]
つこもりなれは[橋=大尾麦阿陽池御国肖日穂保伏高天]・・・・050075
 つこもりなりけれは[中]
京の[橋=大中麦阿陽池国肖日穂保伏高天]・・・・050076
 京の/〈朱合点〉[尾]
 きやうの[御]
花[橋=大麦阿陽池御国肖保伏天]・・・・050077
 はな[尾日穂高]
 はなみな[中]
さかりは/は+みな[橋]・・・・050078
 さかりはみな[大麦阿池御国肖日穂保伏]
 さかりは[尾陽高天]
 ナシ[中]
すきかたになりにけるを/かたになりにけるを$にけり[橋]・・・・050079
 すきにけり[大麦池御国日伏]
 過てけり[阿]
 すきに/に+けりイ[肖]
 すきけり[穂]
 すきにたるを[尾陽高天]
 ちりたるを[中]
 すきて[保]

 
 
 

2016年9月24日 (土)

再録(27)突然黒煙をあげるディスプレイの話〈2001.10.30〉

 この一連の「再録」は、〈大和まほろば発 へぐり通信〉の【ハイテク問はず語り】というコーナーから発信していた情報群の一部です。
 このサイトのデータが見られない状態が続いているので、オリジナルのデータから抜き出して再現したものです。

 私はデジタル用品をはじめとして、さまざまな製品でトラブルに遭っています。
 以下で取り上げるディスプレイのトラブルは、今から15年前の大和平群での出来事です。
 今では、ブラウン管タイプのモニタを見つめている人は、よほどの事情か環境に縛られている方でしょう。みなさん、液晶モニタなので、もうこのような体験はないと思います。
 もちろん、液晶モニタでも何台かは画面に亀裂が入り、ひび割れた箇所から液体が滲んだことがありました。壊れにくくなったといっても、私はやはりトラブルの中を生き抜いています。

 海外のメーカーが作った商品は、今でも数年経つと困った存在になります。
 形あるものは、いずれ壊れるからです。
 その時に、どこで対処してもらうか、という問題に突然直面することになるのです。
 このことは、今でも状況は同じではないでしょうか。
 
----------------- 以下、再録掲載 ---------------------
 

〔突然黒煙をあげるディスプレイの話〕


 〈2001.10.30〉
 
 先日、いつも使っているパソコンのディスプレイ(モニタ)の一つが、突然黒煙をあげだしました。
 真っ黒な煙が部屋中に充満し、危険を感じてすぐにモニタの電源を抜きました。

 私は、自宅でも職場でも、一台のパソコンに三台のモニタを接続し、広い画面いっぱいにファイルを並べて仕事をしています。その内の一台が、思いもかけないトラブルを起こしたのです。
 そのモニタの前兆としては、画面がユラユラと揺れることがありました。しかし、すぐに収まるので、とくに問題とは思っていなかったのです。あれが前触れだったのでしょうか。

 このモニタは、マグビュー社の製品「MXE17S」で、1995年の製造品です。
 トリニトロンのブラウン管が好きな私は、ソニーのモニタとともにマグの製品を愛用しています。このマグのモニタを、私は四台持っています。
 実は、以前にもこのマグ社のモニタで別のもの「MX17S」が火花を散らしてダウンし、修理してもらったことがあります。その時の修理依頼書には、次のような報告書を添付しました。


・突然焦げ臭いにおいが立ち上り、パチパチというスイッチが切り替わる音が頻繁におこりました。
・においは、ゴムが焦げた時や、ハンダのヤニが焦げた時のくささでした。
・数日前から、画面が左右に1センチ位フェイントのように横ズレしました。
・これが頻繁になり、時には画面の文字が読めない程に激しくブレだしました。
・最近は、ザラついた画面で使用していました。
・同時に横に並べて使用していた御社の「MXE17S」と較べて、最近は画面がボケだしていたように思えます。
(1996.2.5)

 この時は、火を噴いたモニタを東京都大田区東海にあるマグビュー株式会社サービスセンターに指示通りに宅急便で送り、素早い対応をしてもらいました。
 25キログラムもある大きなテレビですから、発送のための梱包に苦労しました。しかし、迅速に対応してもらったので、アフタケアに満足したことを覚えています。その時に受け取った修理報告書には、以下のように書かれていました。


電源部の可変抵抗部品を交換致しました。
交換後、連続稼働テストを実施し、障害の改善を確認致しました。
今回は無償で対応させていただきます。

 こんなことがあったので、今回も同サービスセンターに電話連絡をしました。すると、思っても見ない対応を受けることになりました。おおよそ、以下のような内容を電話口の女性はおっしゃるのです。


・その症状は修理不能である。
・モニタの寿命は3年から5年である。
・すでに製造を打ち切った製品であり、部品もない。
・おたくでそのモニタは処分してほしい。
・どうしてもということなら、こちらはあくまでもマグ社から委託されているサービスセンターなので、直接台湾の会社の担当者と話し合ってほしい。
・台湾の連絡先は、886-02-3233-2988で、アフターサービス担当のDennisi Chungに言ってほしい。
・ただし、彼は日本語を理解しない。
・この商品にリコールはなかった。

 何ともはや、冷たくあしらわれました。とりつくしまもないのです。

 外国で製造された製品を購入する場合は、日本にサービスセンターがあるからといって安心してはいけないようです。機械は、道具は、いつか必ず壊れます。それが、早いか遅いかの違いはあれ、とにかく使えなくなるときがくるのです。その時どのような目に遭うかを考えて、こうした商品は購入すべきであることを痛感しました。

 それにしても、火事に至らなくて幸いでした。そして、残った三台のマグ社のモニタをどうすべきか、今は思案中です。モニタは頻繁に電源を切り、順次ソニーのモニタに変えていこうと思っています。みなさんも、知らない内に火事という災難に巻き込まれないように、十分にご注意下さい。

 折しも今日の夕刊には、新宿歌舞伎町のビルで発生した火事の原因は、電気配線のショートではないかと報じられています。私も、すんでのところで住まいと家財一式を失うところでした。コンピュータ業界の一部には、あの悪徳会社Mに代表されるように、無責任極まりない対応がなされていることを身に染みて痛感しています。怖いことです。
 
----------------- 以上、再録掲載 ---------------------
 
 
 

2016年9月23日 (金)

京洛逍遥(375)京の居酒屋のお弁当

 慌ただしく上京です。
 京都で人気の居酒屋「まんざら亭」(烏丸佛光寺製)のおばんざいを盛った「京華弁当」を、新幹線の中でいただきました。


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 見た目は地味です。しかし、さっぱりとした、上品な味付けのおばんざいを満喫できました。

 若い方なら、あまりにも華やぎに欠けるので、蓋を開けたとたんに、がっかりかもしれません。
 季節感もいまいちです。しかし、一口入れると納得です。

 出汁の利いた、いい味がでています。
 ご飯に散らした白いちりめんじゃこが、しっかりと自己主張しています。
 淡白な出汁巻き、酢味噌をまとった麩、香り立つ肉じゃがが楽しめました。

 贅沢な家庭料理が、東海道を移動するだけの何げない一時を、豊かにしてくれました。
 
 
 

2016年9月22日 (木)

興福寺が監修した駅弁を新幹線車内でいただく

 急用で大阪へ行くことになり、東京駅で珍しい駅弁を手にしました。
 興福寺が監修した駅弁なのです。


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 ご丁寧に、お品書きもあり、食材の説明も記されています。懐石料理を意識したものとなっています。

 糖質を気にし、薄味がいい私には、量も少なめということもあり、これは絶好のお弁当です。
 なかでも、「蒲焼もどき」(折の右下から2段目の少し黒く写っているもの)が気に入りました。豆腐に海苔を貼り合わせて素揚げして、蒲焼風に仕上げたものです。
 「田楽味噌」は、興福寺秘伝のレシピを再現したものだそうです。
 ご飯には、五色幕をイメージした「精進ふりかけ」がかかっています。
 まさに、精進料理のお弁当です。
 10月10日までの期間限定の駅弁です。旅のお供にぜひどうぞ。

 用事を済ませてから、お彼岸でもあるので、八尾の高安へお墓参りに行きました。
 春と夏に行けなかったので、久しぶりです。

 近鉄高安駅から、信貴生駒連山を望みました。
 我が家のお墓は、この高安山の中腹にあります。
 あの、『伊勢物語』にある「筒井筒」の段で知られる高安の里です。


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 信貴霊園から望む淡路島の方は、雲が垂れ込めていました。


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 この近在の学校が統合された話を聞きました。
 今年の4月から、中高安小学校と北高安小学校を統合し、旧大阪府立清友高等学校と大阪府立八尾支援学校東校跡地へ移転したとのことです。八尾市で初めての施設一体型小・中学校となったのです。
 眼下左にある、私が通っていた南高安小・中学校は健在です。もっとも、私がいた小学校だけは、もっと手前にありましたが。

 生まれ故郷の島根県出雲市古志町にあった小学校は廃校となりました。
 来週、池田亀鑑賞の授賞式のために行く鳥取県の日南町も、学校の統廃合がなされた町でした。
 全国の学校が、こうして減少しているのです。
 時の流れと共に、学校が整理統合されていくことを聞くのは寂しいことです。
 学校の賑わいを取り戻すことはできないのでしょうか。
 そんなことを想いながら、四国から六甲山の方角をしばらく眺めやっていました。
 
 
 

2016年9月21日 (水)

『海外平安文学研究ジャーナル 第5号』を電子版で配布しています

 オンライン版として好評の内に刊行している『海外平安文学研究ジャーナル』(ISSN番号 2188ー8035)の最新号(第5号)が出来上がりました。全108頁の分量の電子版です。
 お読みいただき、ご意見等をお寄せいただけると幸いです。

 これは、次の趣旨のもとに、2014年11月より自由にダウンロードできる形で発行しています。


■趣 旨■
 日本文学は「日本の文学」に留まらず、「世界のなかの文学」に位置づけられる時代となりました。
 海外で平安文学に興味を持ち、研究をなさっている方々は、どのような背景や環境のもとで研究や翻訳に取り組んでおられるのでしょうか。
 常々、そのような問題意識を持ちながら、翻訳を含めた多言語に対応した平安文学研究の意義や成果等を、世界各国の人々と一緒に考えていきたいと思っていました。
 英語に偏重しない、さまざまな言語を取り上げるジャーナルを意識して編集するものです。
 このオンライン版の『海外平安文学研究ジャーナル』は、そうした思いを形にすることをめざして創刊しました。。
 世界各国のみなさまから、自由に投稿していただき、自由に読んでいただけるスタイルでの公開を実現しました。

 今号はもとより、バックナンバー4冊も、以下のサイトから自由にダウンロードしていただけます。当初設定していたパスワードは廃止しています。

「『海外平安文学研究ジャーナル』(ISSN番号 2188ー8035)」

 今回発行した第5号(全108頁)の目次は次の通りです。


【第5号目次】

あいさつ 伊藤鉄也
執筆要綱
●研究論文
 中譯本《源氏物語》試論-以光源氏的風流形象為例
   朱秋而(翻訳:庄婕淳)
 「忠こそ物語」と継子いじめ譚
   趙俊槐
●研究会拾遺
 ウォッシュバーン訳『源氏物語』の問題点
   緑川眞知子
 スペイン語版・英語版・フランス語版『伊勢物語』7 種における官職名の訳語対照表
   雨野弥生
●付録
 中国語訳『源氏物語』の書誌について
   淺川槙子
 各国語訳『源氏物語』「桐壺」翻訳データ(中国語)
執筆者一覧 
編集後記 
研究組織 

 また、現在、『海外平安文学研究ジャーナル 6.0』の原稿を募集しています。
 さまざまな視点からの原稿をお待ちしています。

・詳細は、本科研のHP「海外源氏情報」に掲載している、「『海外平安文学研究ジャーナル』応募執筆要綱」をご覧ください。
 トップページにある「研究と成果・報告書」から「ジャーナル」の項目へと進んでください。
・原稿の締め切り 2017年1月16日(月)
・刊行予定    2017年2月15日(水)
・ご注意 原稿執筆者は公開から1年以内に1度だけ、原稿を《改訂版》に差し替えることができます。
・重要なお願い
 『海外平安文学研究ジャーナル 第6号』は、本科研最後の報告書となります。
 そのため、締め切り厳守でお願いいたします。
 
 
 

2016年9月20日 (火)

台風情報を聴きながら賀茂川の氾濫を心配する

 また台風がやってきました。16号です。
 近年は、台風による災害が酷くなっています。
 山崩れや川の氾濫等々、かつてなかったほどの規模という気象異変が伝えられ、その経験したことのない暴風雨が自然災害をいや増しに引き起こしています。

 全国の山林や河川の防備は、これまでのモノサシによる経験値からではない、激甚を想定して再確認と再点検が必要でしょう。
 賀茂川については、万全の補修をしたと聞いています。しかし、それもこのところの想像を絶する規模の雨量を考えると、もう一度見直すことになるかと思われます。

 このところ、なかなか自宅に帰れずに東京に留まっている日々が続いているので、賀茂の河原が大丈夫か心配になります。
 この記事を書いているちょうど先ほど、台風16号が近畿地方を通過しました。
 昭和10年の台風では近くの賀茂川が氾濫し、自宅のすぐ南の道路が水没した写真を見たことがあるので、なおさら河川の氾濫が気になるのです。

 最近の賀茂川の大水のことは、以下の記事に書いています。

「京洛逍遥(290)賀茂川が氾濫注意水位に達したこと」(2013年09月16日)

「京洛逍遥(291)台風一過の賀茂川散歩」(2013年09月23日)

 その後も毎年のように、賀茂川は大水に見舞われています。

 そういえば、今年の大文字の送り火が大雨で見られませんでした。

 「京洛逍遥(420)大雨洪水警報の中での送り火 -2016-」(2016年08月16日)

 去年も「京洛逍遥(373)雨間に6万人が見上げた大文字 -2015-」(2015年08月16日)と雨でした。

 一昨年も「京洛逍遥(335)大雨の後の如意ヶ岳を焦がす大文字」(2014年08月16日)と、あいにくの雨でした。
 3年続きの雨だったのです。

 また、平安時代の賀茂川氾濫のことは、次の2作品に語られています。

「読書雑記(138)西野喬著『防鴨河使異聞』」(2015年07月29日)

「読書雑記(148)西野喬『壺切りの剣─続 防鴨河使異聞─』」(2015年12月11日)

 全国の山と川で起こる災害を食い止めるような、より安全な防備と施策が必要な時代となりました。まさに地球規模での天候異変なので、人災とならないような対策が急がれます。

 今回の16号が関東を通過するのは明朝とのことです。
 大事に至ることなく日本列島を抜けてくれることを祈るのみです。
 
 
 

2016年9月19日 (月)

時の流れを忘れていた涸沼からの帰り

 涸沼(ひぬま)温泉では、美人の湯とされる「いこいの村涸沼」に泊まりました。
 湖畔の心地よい、ゆったりとする宿でした。

 チェックアウトの時に、宿の方からお土産としてジャガイモを2袋いただきました。宿泊客のみなさま全員に配っておられるのです。思いがけないプレゼントです。嬉しくいただきました。

 涸沼駅までの送迎バスをお願いしたところ、予約が必要だったようです。それでも、すぐに手配をしてくださいました。
 運転手さんと話をしながら駅へ。
 涸沼駅に着いて大洗行きの電車はと見ると、あいにく出た後でした。次はちょうど1時間後とのことです。
 ぽつんと佇む駅で、どう時間を潰そうかと思っていた時でした。さきほどの運転手さんが様子を見に来られ、それではということで大洗駅まで送ってくださることになりました。ありがたいことです。

 また、車中でいろいろいなお話を伺いました。
 何かと問題となっている、東海村にある原子力発電所のことや、霞ヶ浦や大洗海岸での釣りの話など、楽しく話を伺いました。

 大洗駅からは、すぐに水戸行きの電車がありました。幸運続きです。
 昨日から聞いていた、この大洗の町おこしとなっているアニメ『ガールズ&パンツァー』のキャラクターに、親近感を持つようになりました。駅も電車も、このキャラクターに包まれているのです。


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 無事に水戸駅に着き、東京までの帰りは電車かバスか迷った末に、来た時と同じようにバスにしました。乗り換えが便利で、リクライニングシートで、しかも安いという高速バスのありがたさを知りました。

 今回の旅は、時刻表を見ていませんでした。日常の延長でした。日頃の移動では、電車を待つことはほとんどありません。次々と電車がくるのですから。しかし、それは都会での生活にどっぷりと漬かっているからであることに、あらためて気付かされました。

 ふらりと来た気儘な旅の中で、いつもの生活が時間の流れにうまく乗るように、待つことをしないように組まれていることに気付くこととなりました。
 
 
 

2016年9月18日 (日)

井上靖卒読(207)茨城県の大洗海岸で「大洗の月」に思いを馳せるも叶わず

 東京駅(八重洲口)は、バスターミナルが整備されています。


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 そこからバスに乗って高速道を北東に向かうと、2時間ほどで茨城県の水戸駅に着きました。
 意外と近いのに驚きました。
 目的地は、井上靖の短編小説「大洗の月」の舞台となった大洗海岸です。

 昨日の記事「井上靖卒読(206)小説全357作品で評価【4】としたもの」で、短編53作品の内の「井上靖卒読(36)「大洗の月」」の舞台となっている地なのです。
 いつか行ってみたいと思っていた大洗に、連休に入った今朝、颱風が関東に来る前にと、急遽行くことにしたのです。

 経由地の水戸で、偕楽園に立ち寄ることにしました。
 観光案内所で丁寧な説明を聞き、「水戸漫遊1日フリーきっぷ」を手にバスで移動しました。
 偕楽園は梅の景勝地です。しかし、小雨の園内もいいものです。

 義烈館で徳川光圀の『大日本史』などの資料を見ていると、展示されていた古文書の中に「徳河」と書かれている箇所に目が留まりました。自筆の文献で「徳河」と書かれているものを探していたので、実際に確認できて嬉しくなりました。

 徳川斉昭によって建てられた好文亭は、中に入るとなおさらその良さが実感できました。
 まさにお茶の世界です。


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 この3階から見下ろすと、千波湖が視界に入ってきます。
 今日予定されていた野点をはじめとするイベントは、雨のためにすべて中止されていることが、正面のブルーシートからわかります。


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 水戸駅から大洗へ行くために乗った鹿島臨海鉄道は、1両だけのかわいい電車でした。


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 大洗駅前にあった寿司屋さん「寿々翔」は、駅前にある唯一の食事処だったので、どうしようかと迷いながら入りました。ところが、千円という安さが信じられないくらいに、おいしいお寿司でした。おまけに、突き出しとしてモズクに蟹身が入ったものと、甘エビの味噌汁が付いてきたのです。おやじさんもおかみさんも、いい方でした。大洗に行かれたら、海岸にたくさんお店があっても、ここも選択の一つにされてはいかがでしょうか。


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 駅前から海岸まで出ているバスは、一時間に一本です。しかも、今日は大幅に遅れているのです。
 とにかく、大洗は多くの人を集めています。それは、『ガールズ&パンツァー』という、今や大人気のアニメの聖地となっていることが主な理由のようです。
 そんなことはまったく知らずに来たので、最初は何が何やらわからないままでした。そう言えば、寿司屋さんにも戦車の模型が並んでいました。

 バスで大洗磯崎神社前で降り、目的の大洗ホテルへ行きました。


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 ここは、井上靖の「大洗の月」に出てくるところであり、次のような語られています。


佐川は水戸までの乗車券を持っている。三時五十五分に上野を出たこの列車は、途中土浦だけに停車して、五時四十五分に水戸駅へ着く。佐川は水戸から自動車で大洗に行き、会社から連絡を取らせてある海岸の旅館へはいる予定である。別に用事はない。急に思い立って、大洗の海岸で、九月の満月を見ようというだけの話である。(『井上靖全集』第四巻、111頁)

 この佐川が泊まったのが、ここ大洗ホテルだということです。

 「大洗町・アーカイブ」
の中に、「大洗町を訪れた文人とその作品」があり、そこには、次のような説明文があります。


②宿泊したホテル・旅館はどこか?
 ⇒「大洗町史」に「戦後アメリカ軍が占領軍第一騎兵師団を水戸・日立・土浦・古河に昭和20年9月1日に分駐した。磯浜には情報収集のためC・I・Cが設置された。昭和20年11月1日のことである。大洗ホテルがアメリカ軍に接収され、第45CIC地区分遣隊が置かれた。通称”大洗情報部”と呼ばれ、これに類する分遣隊は都道府県の行政単位に見合う全国37地区に設置されたという。ここには常にアメリカ兵2,3人が常駐し、日系2世も通訳として情報活動をしていた。」(p735)とあります。
 これに続いて、「なぜCICが大洗に設置されたのかについては定かでない。情報活動は、戦争犯罪人、超国家主義者、共産主義者など、あらゆる情報の収集にあたった。…このような情報活動は昭和25年4月7日、大洗ホテルの接収解除が行われるまで続けられたと推測できる。」(p736)ともあります。
 ⇒以上から、主人公が投宿したのは「大洗ホテル」と分かります。大洗ゴルフ場には近いですし、すぐ下が海で大小の岩礁が沖合まで散らばっていますし、100m程の所に小さな灯台(左の写真)が立っていますので、これらの点も矛盾がありません。
 なお、当時の3階建ての建物は、昭和○年に取り壊され、現在の○階建てのホテルは○年に竣工したものです。
 ⇒ちなみに、占領軍のインテリジェンス(諜報)や検閲を扱う総本部はG?2と呼ばれ、ほぼ全時期を通じて総指揮官はC・A・ウィロビーでした。G?2の下に民事を扱うCIS(民間諜報部)と刑事を扱うCIC(対敵諜報部・Counter Intelligence Corps)が置かれていました。
③時代背景
 ⇒宿泊したホテルがこの間まで進駐軍に接収されていたこと、最近近くにゴルフ場が出来たこと、と書かれていますが、大洗ホテルの接収解除は昭和25年、ゴルフ場は昭和27年10月1日工事着工、昭和28年9月20日竣工式、10月25日オープンですので、(「この間まで」と「最近」をどの程度の期間幅で捉えるかが関係するのかもしれませんが、)ちょっと時間が合いません。
 「ゴルフ場ができた」に着目して、9月の満月をみようと書かれていること等から昭和28年9月13日のことと推測してよいかと思います。

 この大洗ホテルの喫茶スペースで、おいしいコーヒーをいただき、海岸に出てみました。


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 井上靖の「大洗の月」のことをフロントで聞いたところ、今は何も記録も資料も残っていないとのことでした。
 アニメで盛り上がっているこの町に、井上靖ではあるまいと思われたことでしょう。
 このホテルはみなさん親切で、大洗駅まで送迎バスで送ってくださいました。泊まり客でもないのに、恐縮しました。ご親切な対応に、感激しました。見どころも多いようです。折をみて、ゆっくりと来たいと思わせる大洗海岸でした。

 大洗駅から電車で一駅の涸沼(ひぬま)駅に向かいます。
 先頭の乗務員室の横から見る景色は、味わいのある懐かしいものでした。


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 今日の宿がある涸沼駅も、のどかさを味わう旅を実感させてくれるところでした。


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 ゆったりと温泉に浸かり、まだ腫れの引かない足を労っています。
 
 
 

2016年9月17日 (土)

井上靖卒読(206)小説全357作品で評価【4】としたもの

 2015年10月に、井上靖の357作品を9年がかりで読み了えました。
 各作品に対して、勝手な評価を5段階で付けていたので、それを整理すると以下のような結果となりました。

 評価5= 38作品
 評価4= 74作品
 評価3=123作品
 評価2=100作品
 評価1= 22作品

 この内、評価【5】とした38作品については、
「井上靖卒読(204)小説全357作品を気ままに評価」(2015年10月19日)
で公開し、評価【1】とした22作品については、
「井上靖卒読(205)小説全357作品で評価【1】としたもの」(2016年04月07日)
で報告しました。

 好き勝手に、きままに付けた個人的な評価なので、人さまには何の役にもたたないものだと思っています。しかし、他のものも…、というコメントをいただいていたので、【5】にしようか【3】にしようかと迷い、結局【4】にした作品を抜き出してみました。

 (評価4は74作品としています。しかし、2回にわたって記した記事もあり、それを整理すると以下の71作品となりました。)

 この【4】という評価は、読んだその時の気分などが、微妙に関係するものだと言えます。
 読後に、中途半端な迷いをもたらした作品でもあります。
 もう一度読むと、その評価が上下するものも多いことでしょう。
 そんな機会が、またあるとは思えません。
 しかし、手持ちぶさたな折に、この【4】とした作品を手に取ってみたい気もします。
 そんな遊び半分で記したメモを、整理してみました。
 
 
---------- 長編18作品(リンクあり) ------------------
「井上靖卒読(7)『雷雨』」(2007/11/21)
「井上靖卒読(9)『戦国無頼』」(2007/11/30)
「井上靖卒読(14)『真田軍記』(続)」(2007/9/5)
「井上靖卒読(21)『あした来る人』」(2008/1/12)
「井上靖卒読(33)『わが母の記』」(2008/3/29)
「井上靖卒読(39)『戦国城砦群』」(2008/5/29)
「井上靖卒読(45)『白い風赤い雲』」(2008/10/2)
「井上靖卒読(46)『白い炎』」(2008/11/14)
「井上靖卒読(56)『風と雲と砦』」(2009/1/21)
「井上靖卒読(57)『オリーブ地帯』」(2009/1/27)
「井上靖卒読(65)『兵鼓』」(2009/4/16)
「井上靖卒読(67)『地図にない島』」(2009/4/27)
「井上靖卒読(75)『蒼き狼』」(2009/6/10)
「井上靖卒読(97)『天平の甍』」(2009/10/20)
「井上靖卒読(196)『射程』」(2015年05月11日)
「井上靖卒読(199)『本覚坊遺文』」(2015年06月10日)
「井上靖卒読(200)『おろしや国酔夢譚』」(2015年06月11日)
「井上靖卒読(201)『額田王』」(2015年09月19日)

---------- 短編53作品(リンクなし) ------------------
井上靖卒読(1),「猟銃」,4
井上靖卒読(36),「大洗の月」,4
井上靖卒読(37),「蘆」,4
井上靖卒読(42),「初代権兵衛」,4
井上靖卒読(42),「頭蓋のある部屋」,4
井上靖卒読(50),「澄賢房覚書」,4
井上靖卒読(62),「伊那の白梅」,4
井上靖卒読(78),「三原山晴天」,4
井上靖卒読(87),「漆胡樽」,4
井上靖卒読(89),「岬の絵」,4
井上靖卒読(90),「補陀落渡海記」,4
井上靖卒読(90),「小磐梯」,4
井上靖卒読(96),「信康自刃」,4
井上靖卒読(98),「佐治与九郎覚書」,4
井上靖卒読(102),「明妃曲」,4
井上靖卒読(108),「二枚の招待状」,4
井上靖卒読(119),「七人の紳士」,4
井上靖卒読(122),「貧血と花と爆弾」,4
井上靖卒読(124),「少年」,4
井上靖卒読(125),「白い街道」,4
井上靖卒読(128),「眼」,4
井上靖卒読(130),「表彰」,4
井上靖卒読(132),「百日紅」,4
井上靖卒読(134),「贈りもの」,4
井上靖卒読(135),「青いボート」,4
井上靖卒読(140),「信松尼記」,4
井上靖卒読(141),「驟雨」,4
井上靖卒読(142),「昔の恩人」,4
井上靖卒読(142),「春の雑木林」,4
井上靖卒読(144),「殺意」,4
井上靖卒読(145),「風」,4
井上靖卒読(147),「篝火」,4
井上靖卒読(148),「石の面」,4
井上靖卒読(153),「故里の海」,4
井上靖卒読(153),「梅林」,4
井上靖卒読(154),「その人の名は言えない」,4
井上靖卒読(155),「騎手」,4
井上靖卒読(157),「洪水」,4
井上靖卒読(159),「暗い舞踏会」,4
井上靖卒読(162),「司戸若雄年譜」,4
井上靖卒読(163),「北国の春」,4
井上靖卒読(164),「晴着」,4
井上靖卒読(165),「菊」,4
井上靖卒読(167),「古い文字」,4
井上靖卒読(168),「見合の日」,4
井上靖卒読(168),「別れ」,4
井上靖卒読(170),「良夜」,4
井上靖卒読(172),「羅刹女国」,4
井上靖卒読(178),「冬の外套」,4
井上靖卒読(181),「四角な石」,4
井上靖卒読(184),「川村権七逐電」,4
井上靖卒読(188),「セキセイインコ」,4
井上靖卒読(190),「生きる」,4
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2016年9月16日 (金)

池田本の校訂本文用に作成した「帚木」巻の小見出し(132項目)

 昨日に続き、池田本の校訂本文で使用するための小見出しの、「帚木」巻ができあがりました。
 これは、高橋麻織さん(明治大学・兼任講師)と久保田由香さん(元・明治大学大学院生)の労作です。
 「桐壺」巻・「若紫」巻と同じように、30文字でできています。
 これまでの方針通り、物語本文を細かく分けることで、全132項目となっています。
 『新編日本古典文学全集』(小学館)は17項目、『新日本古典文学大系』(岩波書店)は34項目なので、これがいかに詳細なものであるかがおわかりいただけるかと思います。

 2014年3月26日に公開した「桐壺」巻の小見出しについては、「「桐壺」巻の小見出し試案(72項目版)」を参照してください。
 「若紫」巻は、昨日の「池田本の校訂本文用に作成した「若紫」巻の小見出し(108項目)」(2016年9月15日)を参照してください。

 今回公表したものは、まだ付加情報の整備ができていません。今は、『新編日本古典文学全集』(小学館)の頁行数だけを追記した状態であることを、あらかじめおことわりしておきます。

(1)通し番号 小見出し(30文字)
(2)『新編日本古典文学全集 源氏物語』(小学館、1994年初版)の頁行数

 より便利な小見出しとなるように、お気付きの点など、ご教示いただけると幸いです。
 
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 「帚木」巻の小見出し(『新編日本古典文学全集』(小学館)の頁行数)

■1 光源氏は好色者と噂されているが、本人は真面目に振る舞っている
                     (五三頁一行目〜七行目)

■2 通いが間遠なため左大臣家では光源氏の忍ぶ恋の相手の存在を疑う
                  (五三頁八行目〜五四頁二行目)

■3 左大臣家は物忌のために籠る婿を恨めしく思うが懸命に世話をする
                     (五四頁三行目〜八行目)

■4 光源氏と特に親しい頭中将もまた、北の方の元にはあまり通わない
            (五四頁八行目「宮腹の中将は」〜一一行目)

■5 光源氏と頭中将は夜昼同伴して、学問も遊びも共に行う親しい間柄
                 (五四頁十二行目〜五五頁二行目)

■6 五月雨の夜、宿直所に頭中将が訪れて光源氏宛ての恋文を見たがる
           (五五頁三行目〜八行目「ゆるしたまはねば」)

■7 頭中将は恋文を見ながら他人に見せられない恋文こそ見たいと発言
 (五五頁八行目「そのうちとけて」〜五六頁三行目「心やすきなるべし」)

■8 頭中将は拾い読みしながら差出人を推量するが光源氏は言葉を濁す
           (五六頁三行目「片はしづつ見るに」〜七行目)

■9 上辺だけ繕った中身のない女がいると、女の品定めを始める頭中将
     (五六頁八行目〜五七頁四行目「心を動かすこともあめり」)

■10 芸事の不得手な部分を後見人に隠された女は、付き合うと落胆する
   (五七頁四行目「容貌をかしく」〜一一行目「恥づかしげなれば)

■11 頭中将は女を上流、中流、下流に分け、中流が個性的でよいと説く
  (五七頁一一行目「いとなべては」〜五八頁六行目「ゆかしくて」)

■12 好色者と評判の左馬頭と藤式部丞が参上して、女の品定めに加わる
                    (五八頁七行目〜一四行目)

■13 頭中将は成り上がった者も高位から落ちぶれた者も共に中流とする
               (五九頁一行目〜七行目「おくべき」)

■14 生半可な上達部より非参議の四位の者の方が豊かな生活をしている
  (五九頁七行目「受領といひて」〜一二行目「いとかはらかなりや)

■15 階級は家柄、世評、財力で決まるが光源氏は財力重視かと揶揄する
           (五九頁一二行目「家の内に」〜六〇頁三行目)

■16 左馬頭は光源氏や頭中将の前で上流の女について意見するのを憚る
                    (六〇頁四行目〜一〇行目)

■17 左馬頭は荒廃した家の奥に芸事を嗜む女がいたら素晴らしいと語る
             (六〇頁一一行目〜六一頁五行目「とて」)

■18 姉妹を思い黙る藤式部丞と上流にも理想の女は珍しいと思う光源氏
           (六一頁五行目「式部を見やれば」〜一一行目)

■19 左馬頭は国の柱石を選ぶのと同様に、妻を決めるのも難しいと発言
         (六一頁一二行目〜六二頁五行目「ゆつろふらむ」)

■20 一家の主婦には欠けては困る条件が多いので、妻を選ぶのは難しい
        (六二頁五行目「狭き家の」〜一二行目「なるべし」)

■21 全て希望通りでなくても連れ添うのがよいが惹かれる夫婦はいない
         (六二頁一二行目「かならずしも」〜六三頁三行目)

■22 無口な女を女らしいと思って機嫌を取ると色めかしくなるのは難点
                    (六三頁四行目〜一〇行目)

■23 情趣を重んじすぎる妻も困るが美しさの欠片もない世話女房も困る
       (六三頁一一行目〜六四頁五行目「うちまねばむやは」)

■24 妻と語り合いたいが理解のない妻には外での話をする気にならない
            (六四頁五行目「近くて見む人」〜一一行目)

■25 従順な若い女を仕込むのも手だがやはり妻には頼れる女の方が良い
                 (六四頁一二行目〜六五頁六行目)

■26 身分や容貌より実直な事が妻には大事で、更に才能が伴えば儲け物
              (六五頁七行目〜一五行目「わざをや」)

■27 夫の浮気に耐えていたが急に我慢出来なくなって失踪する女がいる
    (六五頁一五行目「艶に」〜六六頁六行目「落としはべりし」)

■28 夫が浮気したからといって逃げ隠れしたり、尼になるのは、軽率だ
       (六六頁六行目「今思ふには」〜一三行目「思へらず」)

■29 知人が見舞に来たり、元夫が泣いたりすると、女は出家を後悔する
 (六六頁一三行目「いで、あな悲し」〜六七頁三行目「うちひそみぬかし」)

■30 還俗しても家出騒動の後では夫婦共に心からは信頼し合えなくなる
              (六七頁三行目「忍ぶれど」〜一〇行目)

■31 浮気されたら喧嘩したり好きにさせるより、怨言を仄めかすべきだ
                 (六七頁一一行目〜六八頁六行目)

■32 妹は信頼出来る妻だと頭中将が暗に言うが光源氏は居眠りしている
                    (六八頁七行目〜一四行目)

■33 格式ある調度は名人が作った物だと誰にでもわかると左馬頭は言う
                    (六九頁一行目〜一一行目)

■34 見たことのない物は空想で描けば良いので墨書きの優劣はつけ難い
        (六九頁一二行目〜七〇頁二行目「さてありぬべし」)

■35 唐絵と違って大和絵は見慣れた風景を描くので画師の技量が現れる
               (七〇頁二行目「世の常の」〜七行目)

■36 走り書きは一見洒落ているが本格的な筆法で書かれた書の方がよい
           (七〇頁八行目〜一三行目「かくこそはべれ」)

■37 僧のように説教する左馬頭と目を覚ます光源氏と真剣に聞く頭中将
        (七〇頁一三行目「まして人の心の」〜七一頁四行目)

■38 左馬頭は、美人ではないのに嫉妬ばかりする昔の恋人のことを語る
                    (七一頁五行目〜一五行目)

■39 女は左馬頭の為に努力し、尽くしたが、嫉妬深い癖は直せなかった
                    (七二頁一行目〜一〇行目)

■40 左馬頭は別れをちらつかせて、女の嫉妬深い性格を直そうと試みる
           (七二頁一一行目〜七三頁一行目「怨ずるに」)

■41 左馬頭は女に終生連れ添うつもりなら夫の浮気は我慢すべきと言う
     (七三頁一行目「かくおそましくは」〜八行目「はべるに」)

■42 離縁を承諾した女に左馬頭が悪口を言ったので女は夫の指を噛んだ
       (七三頁八行目「すこし」〜七四頁一行目「かこちて」)

■43 官位を貶められて傷ついた左馬頭は出家を仄めかして女の元を去る
             (七四頁一行目「かかる傷さへ」〜五行目)

■44 左馬頭が女の短所を責める和歌を詠むと、女は泣きながら返歌する
            (七四頁六行目〜一一行目「はべりしかど」)

■45 左馬頭は女と口論したが別れるつもりはなく、女と復縁したくなる
     (七四頁一一行目「まことには」〜一五行目「なかりけり」)

■46 左馬頭が行くと来訪を見越した準備がされていたが女は留守だった
  (七四頁一五行目「内裏わたりの」〜七五頁九行目「答へはべり」)

■47 女は嫌われたがっていた様子だが、左馬頭の衣装の世話はしている
              (七五頁九行目「艶なる歌」〜一五行目)

■48 見捨てられることはないと高を括っていたら女は心痛で亡くなった
            (七六頁一行目〜九行目「おぼえはべりし」)

■49 左馬頭は染物や裁縫に秀でた女こそ本妻に相応しかったと追慕する
      (七六頁九行目「ひとへに」〜一四行目「思ひ出でたり」)

■50 織姫の裁縫の腕よりも末長い夫婦仲にあやかれば良いと言う頭中将
             (七六頁一四行目「中将」〜七七頁四行目)

■51 左馬頭が同じ時に通った女は人柄がよく、歌も書も琴もうまかった
              (七七頁五行目〜一一行目「はべりき」)

■52 左馬頭は指喰いの女亡き後女の元に通い慣れたが女は浮気していた
           (七頁一一行目「この人亡せて後」〜一五行目)

■53 十月の月夜、左馬頭と相乗りした殿上人が行ったのは女の家だった
                     (七八頁一行目〜八行目)

■54 殿上人が縁に腰かけて笛を吹きながら謡うと、女は和琴で合奏した
          (七八頁九行目〜七八頁一五行目「あらずかし」)

■55 和琴の音が月に相応しいことに感嘆した殿上人は簾に寄って戯れる
    (七八頁一五行目「律の調べは」〜七九頁四行目「ねたます」)

■56 殿上人がもう一曲請うと女は笛を引き止めるだけの琴はないと詠む
           (七九頁四行目「菊を折りて」〜八〇頁四行目)

■57 二人の風流な応酬を見るに堪えないと感じた左馬頭は、女と別れた
         (七九頁一二行目「憎くなるをも」〜八〇頁四行目)

■58 左馬頭は信頼出来ない浮気な女より実直な指喰いの女がよいと言う
                  (八〇頁五行目〜八一頁一行目)

■59 頭中将は恨み言も言わず、自分を頼りにしていた恋人のことを話す
                 (八一頁二行目〜八一頁一二行目)

■60 親を亡くして貧する女は頭中将を頼みとするが彼の妻に脅迫される
                 (八一頁一三行目〜八二頁二行目)

■61 頭中将が放っておいたので幼い子を持つ女は撫子を添えた文を送る
                  (八二頁三行目〜八二頁六行目)

■62 文を読んだ頭中将が訪ねると女は彼を信じきった様子だが涙を流す
                 (八二頁七行目〜八二頁一三行目)

■63 頭中将は女を慰めたが訪れが間遠になると女は姿を消してしまった
                 (八二頁一四行目〜八三頁八行目)

■64 後悔する頭中将はかわいい幼子を探し出したいと思うが消息は不明
           (八三頁九行目〜八三頁一四行目「はべらね」)

■65 頭中将は女のことを、左馬頭の言う、頼りない部類の女だと断ずる
           (八三頁一四行目「これこそ」〜八四頁四行目)

■66 いくら完璧でも吉祥天女に懸想するのは、と頭中将が皆を笑わせる
                 (八四頁五行目〜八四頁一四行目)

■67 藤式部丞は身分柄謙遜するが、頭中将に急き立てられて体験を語る
            (八五頁一行目〜六行目「思ひめぐらすに」)

■68 藤式部丞は文章生だった時に、博士顔負けの学がある女と出会った
            (八五頁六行目「まだ文章生に」〜一〇行目)

■69 藤式部丞が学問の師である博士の娘に言い寄ると博士は杯で祝った
        (八五頁一一行目〜八五頁一五行目「はべりしかど」)

■70 女は寝所でも学問を語り、漢文の文を送って藤式部丞の師となった
   (八五頁一五行目「をさをさ」〜八六頁六行目「はべりしかば」)

■71 藤式部丞は女に感謝する一方で劣等感に苛まれ、自身の宿縁を嘲る
             (八六頁六行目「今に」〜八六頁一五行目)

■72 久しぶりに訪うと物越しの対面なので藤式部丞はやきもちかと訝る
          (八七頁一行目〜八七頁六行目「恨みざりけり」)

■73 女は嫉妬はしておらず、薬の悪臭を気にして物越しに対面していた
      (八七頁六行目「声も」〜八七頁一五行目「すべなくて」)

■74 蒜の臭いに耐えかねて逃げ出す藤式部丞に賢い女は素早く歌を詠む
      (八七頁一五行目「逃げ目を」〜八八頁七行目「申せば」)

■75 光源氏達は、作り話だ、どこにそんな女がいるものかと呆れて笑う
               (八八頁七行目「君たち」〜一三行目)

■76 左馬頭は女が三史五経を会得するのはかわいげがないことだと言う
                (八九頁一行目〜六行目「あらむ」)

■77 上流婦人もしがちだが、半分以上漢字で書いている女の文は残念だ
                (八九六行目「わざと」〜一二行目)

■78 一角の歌詠みを自任している人が所構わず詠みかけてくるのは嫌だ
        (八九頁一三行目〜九〇頁一行目「はしたなからむ」)

■79 時と場所を選ぶことが大事で、それが分からない歌詠みはよくない
           (九〇頁一行目「さるべき節会など」〜八行目)

■80 左馬頭の女性評を聞いた光源氏は藤壺の宮こそ理想的な人だと思う
                  (九〇頁九行目〜九一頁三行目)

■81 葵の上の元を訪れた光源氏は信頼出来る妻だが気づまりだと感じる
           (九一頁四行目〜一一行目「さうざうしくて」)

■82 寛いでいる時に左大臣が挨拶に来たので光源氏は有難迷惑だと思う
          (九一頁一一行目「中納言の君」〜九二頁二行目)

■83 夜、光源氏は方違えのために中川にある紀伊守邸へ赴くことにする
              (九二頁三行目〜一一行目「のたまふ」)

■84 紀伊守は父の家の女達が失礼をするのではないかと密かに心配する
  (九二頁一一行目「忍び忍びの」〜九三頁二行目「聞きたまひて」)

■85 光源氏は人近なのが有り難いと言い、内密に急いで紀伊守邸へ行く
                (九三頁二行目「その人」〜七行目)

■86 急な訪問を紀伊守は内心迷惑がるが光源氏の従者達は強引に居座る
              (九三頁八行目〜一三行目「植ゑたり」)

■87 光源氏は雨夜の品定めで良しとされた中の品はこの階層だと考える
          (九三頁一三行目「風涼しくて」〜九四頁四行目)

■88 光源氏は気位高いと聞いた伊予介の後妻空蝉目当てで母屋に近寄る
          (九四頁五行目〜一三行目「わが御上なるべし」)

■89 女達の噂を聞いた光源氏は藤壺の宮への恋が露見しなくて安堵する
          (九四頁一三行目「いといたう」〜九五頁七行目)

■90 光源氏は女の接待を所望するが紀伊守はわざと気づかぬふりをする
                    (九五頁八行目〜一三行目)

■91 故衛門督の末っ子である小君は空蝉と暮らしていると紀伊守が話す
            (九五頁一四行目〜九六頁七行目「と申す」)

■92 出仕予定の空蝉が伊予介の後妻となったことを光源氏は不憫と思う
     (九六頁七行目「あはれのことや」〜一二行目「のたまふ」)

■93 紀伊守は伊予介が空蝉を崇めていることに対し、好色だと非難する
       (九六頁一二行目「不意に」〜九七頁三行目「と申す」)

■94 光源氏は若い継母に相応しいと思っているらしい紀伊守を揶揄する
               (九七頁三行目「さりとも」〜八行目)

■95 眠れない光源氏は襖障子に寄って空蝉と小君の会話を立ち聞きする
               (九七頁九行目〜一五行目「言へば」)

■96 小君に似た声の女が空蝉だと察した光源氏は空蝉の位置を推し量る
   (九七頁一五行目「ここにぞ」〜九八頁五行目「みそかに言ふ」)

■97 心細い空蝉は中将の君を呼ぶが中将の君は湯浴みのため不在である
               (九八頁五行目「昼なら」〜一三行目)

■98 うとうとしている空蝉は中将の君が来たと思うが実は光源氏だった
            (九八頁一四行目〜九九頁四行目「思へり」)

■99 空蝉は怯えるが光源氏に恥をかかせることは出来ないので騒げない
                (九九頁四行目「中将」〜一二行目)

■100 光源氏が可憐な空蝉を愛しく思い、抱き上げると、中将の君が来る
          (九九頁一三行目〜一〇〇頁五行目「来あひたる」)

■101 中将の君は光源氏に気づいて驚くが、高貴な人だから引き離せない
        (一〇〇頁五行目「やや」〜一一行目「入りたまひぬ」)

■102 光源氏は言葉を尽くすが、空蝉は中将の君にどう思われたかと悩む
   (一〇〇頁一一行目「障子を」〜一〇一頁一行目「あさましきに」)

■103 光源氏から無体な仕打ちを受けた空蝉は低い身分ゆえかと非難する
        (一〇一頁一行目「現とも」〜六行目「けはひなれば」)

■104 光源氏は身分の違いをまだ弁えていないゆえの振る舞いだと訴える
      (一〇一頁六行目「その際々を」〜一一行目「のたまへど」)

■105 身分だけでなく容貌まで不釣り合いだと感じる空蝉は光源氏を拒む
       (一〇一頁一一行目「いとたぐひなき」〜一〇二頁一行目)

■106 光源氏はこれは前世からの因縁による契りだと、泣く空蝉を慰める
              (一〇二頁二行目〜八行目「恨みられて」)

■107 未婚なら逢瀬を喜んだかもしれないが今は人妻なのでと空蝉は嘆く
       (一〇二頁八行目「いとかくうき身のほどの」〜十四行目)

■108 光源氏は空蝉との再会も文のやりとりも難しいだろうと心を痛める
         (一〇二頁十五行目〜一〇三頁五行目「いと胸痛し」)

■109 光源氏は一旦は解放した空蝉を引き止めて泣きながら恋情を訴える
    (一〇三頁五行目「奥の中将も」〜十行目「いとなまめきたり」)

■110 空蝉は夫を愛していないが夫が自分の不貞を夢に見ることを恐れる
             (一〇三頁十行目「鶏も」〜一〇四頁一行目)

■111 明るくなり、二人は別れるが、襖が二人を隔てる関のように思える
                     (一〇四頁二行目〜六行目)

■112 光源氏は有明の月を見て後ろ髪引かれる思いで紀伊守邸を出立する
                    (一〇四頁七行目〜十五行目)

■113 光源氏は空蝉の苦しみを思いやりながら、中の品のよさを実感する
                     (一〇五頁一行目〜五行目)

■114 後日、光源氏は紀伊守を呼び出し、空蝉の弟を側で使いたいと話す
                    (一〇五頁六行目〜十二行目)

■115 空蝉の夫婦仲や容貌を知りたく思う光源氏は紀伊守に探りを入れる
                (一〇五頁十三行目〜一〇六頁六行目)

■116 五、六日後に参上した小君に、光源氏は空蝉のことを詳しく尋ねる
           (一〇六頁七行目〜十二行目「うち出でにくし」)

■117 光源氏は小君に、自分と空蝉がかつて恋仲だったと偽って文を託す
   (一〇六頁十二行目「されど」)〜一〇七頁一行目「ひろげたり」)

■118 光源氏の文を読んだ空蝉は泣き、思いがけない宿世を思って臥せる
              (一〇七頁一行目「いと多くて」〜六行目)

■119 翌日、小君が光源氏への返事を催促するが、空蝉は拒み、弟を叱る
                    (一〇七頁七行目〜十三行目)

■120 空蝉からの返事がないことを知った光源氏は落胆し、再度文を託す
        (一〇七頁十四行目〜一〇八頁五行目「またも賜へり」)

■121 光源氏は小君を側から放さず、世話をし、親代わりとして振る舞う
           (一〇八頁五行目「あこは知らじな」〜十三行目)

■122 空蝉は光源氏に心惹かれるが、身分不相応だと思い、返事はしない
                (一〇八頁十四行目〜一〇九頁五行目)

■123 光源氏は空蝉を始終恋しく思い、逢いたいが人目に触れたらと悩む
                     (一〇九頁六行目〜十行目)

■124 方違えのため光源氏は紀伊守邸へ赴き計略を伝えていた小君を呼ぶ
                (一〇九頁十一行目〜一一〇頁二行目)

■125 空蝉は光源氏からの文を読むが密会は出来ないので奥の部屋に移る
                     (一一〇頁三行目〜十行目)

■126 空蝉を捜し当てた小君は光源氏に頼りないと思われてしまうと泣く
              (一一〇頁十一行目〜十四行目「言へば」)

■127 空蝉は子供が恋の仲立ちをするのは慎むべきことだと小君を咎める
(一一〇頁十四行目「かくけしからぬ」〜一一一頁三行目「言ひ放ちて」)

■128 空蝉は独身ならばと思うが人妻なので情が強い女で通そうと決める
          (一一一頁三行目「心の中には」〜一一一頁十行目)

■129 不首尾の由を小君から聞いた光源氏は空蝉を帚木に例えた歌を詠む
         (一一一頁十一行目〜一一二頁三行目「のたまへり」)

■130 空蝉は光源氏のために奔走する小君が人に怪しまれないか心配する
                (一一二行目三行目「女も」〜九行目)

■131 光源氏は案内を頼むが姉はむさ苦しい場所にいるからと小君は断る
            (一一二頁十行目〜一一三頁一行目「聞こゆ」)

■132 光源氏は代償として小君を側に寝かせ、冷淡な姉よりも愛しく思う
              (一一三頁一行目「いとほしと」〜五行目)
 
 
 

2016年9月15日 (木)

池田本の校訂本文用に作成した「若紫」巻の小見出し(108項目)

 現在、池田本の校訂本文を作成中です。
 「桐壺」巻が完成に近づき、10月にはご希望の方に配布できるかと思います。

 引き続き「若紫」巻に着手しました。
 まずは、「桐壺」巻にならった詳細な小見出しができあがりました。
 これは、淺川槙子さん(国文学研究資料館・研究員)の労作です。

 この「若紫」巻の小見出しは、「桐壺」巻と同じように30文字に制限した文字数でできています。
 小刻みに物語を分割し、全108項目が並ぶものとなりました。
 参考までに、『新編日本古典文学全集』(小学館)は26項目、『新日本古典文学大系』(岩波書店)は38項目なので、これがいかに多いかがわかります。

 今回の公表にあたり、以下の3種類の情報を並べてみました。

(1)通し番号 小見出し(30文字)
(2)(池)池田本(旧翻字形式)※小見出しに対応する一部分を引用
(3)参照情報(池田本の丁数/大島本の丁数/小見出しが該当する最初の文節番号/『源氏物語大成』第1冊(中央公論社、1984年普及版初版)頁・行数/『源氏物語別本集成続 第2巻若紫〜花宴』(おうふう、2005年初版)/『新編日本古典文学全集 源氏物語』(小学館、1994年初版)

 より便利な小見出しとなるように、お気付きの点など、ご教示のほどをよろしくお願いします。

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「若紫」巻の小見出し(池田本の場合)

■1 瘧病をわずらった光源氏はすすめにより北山の聖のもとへでかける
(池)わらはやみにわつらひたまひて
(一オ/一オ/050001/151①/10/199)

■2 聖は、峰が高い山に囲まれた奥深いところに籠り、修行をしている
(池)やゝふかういるところなりけり
(一ウ/一ウ/050070/151⑦/12/199)

■3 光源氏は自分を誰とも知らせず、驚き騒ぐ聖から加持祈祷を受ける
(池)のほり給て
(二オ/二オ/050110/151⑪/13/200)

■4 光源氏は僧坊の中で見た目がきちんとしてきれいな僧坊を見つける
(池)すこしたちいてつゝ
(二ウ/二ウ/050162/152②/15/200)

■5 なにがし僧都の僧坊で、光源氏は若い女性と子どもたちの姿を見る
(池)きよけなるわらはなと
(三オ/三オ/050217/152⑧/17/201)

■6 供人たちは病を気にする光源氏を、気分転換のために外に連れ出す
(池)君はをこなひしたまひつゝ
(三ウ/三オ/050250/152⑪/17/201)

■7 光源氏は後ろの山から、遠くまでずっと霞がかかった景色を眺める
(池)はるかにかすみわたりて
(三ウ/三ウ/050273/152⑬/18/202)

■8 良清は、光源氏に官位を捨てて播磨で暮らす明石の入道の話をする
(池)ちかき所にははりまの
(四オ/四オ/050327/153⑤/20/202)

■9 光源氏は話を聞いて、誇り高いという明石の入道の娘に興味を持つ
(池)さいつころまかりくたりて
(五ウ/五オ/050420/154①/23/203)

■10 明石の入道は上昇志向が強く娘は容貌と気立てが良いとの話が出る
(池)けしうはあらす
(六オ/五オ/050478/154⑥/25/203)

■11 供人たちは明石の入道の娘を洗練されていない娘であると言い合う
(池)かくいふははりまのかみの
(六ウ/六オ/050529/154⑫/27/204)

■12 娘を気にする光源氏を、供人は風変わりを好む性質があると察する
(池)君なに心ありて
(七オ/六ウ/050589/155④/29/204)

■13 都へ帰ろうとした光源氏は大徳の言葉に従って明け方まで滞在する
(池)くれかゝりぬれと
(七ウ/六ウ/050615/155⑦/30/205)

■14 夕暮れ時に僧房をかいま見た光源氏は、気品のある尼君を見つける
(池)日もいとなかきに
(八オ/七オ/050653/155⑪/32/205)

■15 光源氏は二人の女房と女童たちの中に、可愛らしい少女を見いだす
(池)きよけなるおとなふたり
(八ウ/七ウ/050718/156④/34/206)

■16 幼い紫の上は、尼君に「雀の子を犬君が逃がした」と泣きじゃくる
(池)なにことそやわらはへと
(九オ/八オ/050753/156⑨/35/206)

■17 雀を逃がして残念そうな紫の上の様子に少納言の乳母が立ち上がる
(池)このゐたるおとな
(九ウ/八ウ/050778/156⑪/37/206)

■18 尼君は自らの余命の少なさを語りつつ雀を追っている紫の上を諭す
(池)あま君いてあなおさなや
(九ウ/九オ/050809/157①/38/207)

■19 光源氏は、思いを寄せる藤壺に紫の上が本当によく似ていると思う
(池)つらつき
(十オ/九オ/050836/157④/39/207)

■20 尼君は亡くなった娘の話をしつつ、少納言の乳母と歌を詠み交わす
(池)あま君かみを
(十ウ/九ウ/050871/157⑦/40/207)

■21 僧都から光源氏の訪れを聞いた尼君は、恥じて簾をおろしてしまう
(池)僧都あなたよりきて
(十一ウ/十オ/050951/158④/43/208)

■22 僧都は尼君に、世間で評判である光源氏の姿を見てみないかと誘う
(池)このよにのゝしり給ふ
(十二オ/十ウ/050992/158⑧/44/209)

■23 光源氏は紫の上に強く心を惹かれ、藤壺の身代わりにしたいと思う
(池)あはれなる人をみつるかな
(十二オ/十一オ/051024/158⑪/45/209)

■24 僧都の弟子は、光源氏が臥せるところにやってきて惟光を呼びだす
(池)うちふし給へるに
(十二ウ/十一ウ/051057/159①/47/210)

■25 僧都の弟子を通じて、光源氏はなにがしの僧都の招きを受け入れる
(池)いぬる十よ日の
(十三オ/十二オ/051097/159⑥/48/210)

■26 折り返し参上したなにがしの僧都とともに、光源氏は僧坊を訪れる
(池)すなはち僧都まいり給へり
(十三ウ/十二オ/051128/159⑨/49/210)

■27 光源氏を招くために僧坊にある南面の部屋はさっぱりと整っている
(池)けにいと心ことに
(十四オ/十二ウ/051173/160①/51/211)

■28 光源氏は夢にかこつけて、僧都に紫の上のことを聞き出そうとする
(池)僧都よのつねなき御ものかたり
(十四ウ/十三オ/051210/160⑤/52/211)

■29 僧都は光源氏に、妹の尼君が故按察使大納言の北の方であると語る
(池)うちわらひて
(十五オ/十三ウ/051265/160⑩/54/212)

■30 光源氏は僧都に故大納言と尼君の間に生まれた娘について質問する
(池)かの大納言のみむすめ
(十五ウ/十四オ/051309/161①/56/212)

■31 紫の上の素性を知った光源氏は、藤壺に似ていることに合点がいく
(池)さらはそのこなりけり
(十六オ/十四ウ/051383/161⑧/59/213)

■32 紫の上のことがいっそう気になった光源氏は、僧都に詳しく尋ねる
(池)いとあはれにものし給ふ
(十六ウ/十五オ/051412/161⑨/59/213)

■33 光源氏は僧都に幼い紫の上を後見することを尼君に話すように頼む
(池)あやしきことなれと
(十七オ/十五ウ/051449/162①/61/214)

■34 僧都は光源氏に、尼君に相談した上で返事をすると答えて堂に上る
(池)いとうれしかるへき
(十七ウ/十五ウ/051476/162④/62/214)

■35 光源氏は悩ましい気持ちになり、夜が更けても眠ることができない
(池)君は心ちもいとなやましきに
(十八オ/十六オ/051530/162⑩/64/215)

■36 奥の人が休んでいない気配を感じた光源氏は扇を鳴らして人を呼ぶ
(池)うちにも人の
(十八ウ/十六ウ/051569/162⑭/65/215)

■37 歌を詠んだ光源氏は女房に、尼君へ取り次いでもらうようにと頼む
(池)すこししそきて
(十九オ/十七オ/051606/163④/67/215)

■38 光源氏が紫の上にあてた歌を耳にした尼君は歌の内容を不審に思う
(池)あないまめかし
(十九ウ/十七ウ/051670/163⑫/69/216)

■39 歌を返した尼君に対し、光源氏は紫の上への切実な気持ちを訴える
(池)かうやうのつてなる
(二十オ/十八オ/051703/164③/70/217)

■40 困惑している尼君の気づまりな態度に光源氏は謙虚な言葉をかける
(池)うちつけにあさはかなりと
(二十ウ/十八ウ/051747/164⑧/72/217)

■41 光源氏は尼君に自分の体験を語りつつ、紫の上との結婚を申し出る
(池)あはれにうけ給はる
(二十一オ/十九オ/051773/164⑪/73/217)

■42 尼君は紫の上が幼く不似合いなことを理由に光源氏の申し出を断る
(池)いとうれしうおもひ
(二十一ウ/十九ウ/051814/165②/75/218)

■43 僧都がお勤めから帰ってきたことから光源氏は尼君の前を退出する
(池)僧都おはしぬれは
(二十二オ/051870/165⑨/77/218)

■44 明け方、深山の景色を見ながら、光源氏は僧都と和歌の贈答をする
(池)あかつきかたになりにけれは
(二十二ウ/二十オ/051880/165⑩/77/219)

■45 身動きできぬ聖は、光源氏のために護身の修法をして陀羅尼を読む
(池)ひしりうこきも
(二十三オ/二十ウ/051948/166③/79/219)

■46 光源氏は迎えの人からの祝いと僧都から酒などのもてなしを受ける
(池)御むかへの人々
(二十三オ/二十一オ/051967/166④/80/220)

■47 杯をいただいた聖は涙をこぼして光源氏を拝み、守りの独鈷を渡す
(池)ひしり御かはらけ
(二十四オ/二十一ウ/052052/166③/79/219)

■48 紫の上を引き取りたい光源氏に尼君は四五年先ならばと返事をする
(池)うちにそうついり給て
(二十五オ/二十二ウ/052124/167⑩/86/222)

■49 光源氏を迎えに頭中将や左中弁たちなどが大勢、都からやってくる
(池)御車にたてまつる程
(二十五ウ/二十三オ/052190/168②/88/222)

■50 頭中将は懐の横笛を出して吹き、弁の君は扇を鳴らし催馬楽を謡う
(池)頭中将ふところなりける
(二十六ウ/二十三ウ/052248/168⑧/90/222)

■51 僧都も自分から琴を持ち出して、光源氏に琴を弾いてほしいと頼む
(池)そうつきんを身つから
(二十七オ/二十四オ/052289/168⑬/92/223)

■52 光源氏の姿に法師と童べは感涙し、尼君たちや僧都は彼を絶賛する
(池)あかすくちおしと
(二十七オ/二十四ウ/052317/169①/93/224)

■53 幼心に光源氏に思いを寄せる紫の上は、人形に源氏の君と名付ける
(池)このわかきみおさな心ちに
(二十七ウ/二十五オ/052359/169⑥/94/224)

■54 帰京した光源氏は、宮中へあいさつに伺って父桐壺の帝と対面する
(池)きみはまつは内にまいり給て
(二十八オ/二十五オ/052399/169⑩/95/225)

■55 宮中を出た光源氏は、正妻葵の上の実家である左大臣邸へと向かう
(池)大殿まいりあひ給て
(二十八ウ/二十五ウ/052433/169⑭/97/225)

■56 光源氏は久しぶりに葵の上と対面するものの、二人の心は通わない
(池)殿にもおはしますらんと
(二十九オ/二十六オ/052482/170⑤/99/226)

■57 古い歌を引用して恨み言を述べる葵の上を光源氏は避けようとする
(池)からうしてとはぬは
(三十オ/二十七オ/052574/170⑭/102/226)

■58 光源氏は葵の上への不満と反対に紫の上への思いが強くなっていく
(池)かのわかくさのおひいてむ
(三十ウ/二十七ウ/052635/171⑩/104/227)

■59 帰京した翌日、光源氏は僧都や尼君など、北山の人へ消息をおくる
(池)又のひ御文たてまつれたまへり
(三十一オ/二十八オ/052682/171⑫/106/228)

■60 僧都からの返事を残念に思う光源氏は惟光を使者として遣わす
(池)僧都の御返もおなしさまなれは
(三十二ウ/二十九オ/052774/172⑩/109/229)

■61 惟光は少納言の乳母に面会するものの、周囲の人々から警戒される
(池)わさとかう御文あるを
(三十二ウ/二十九ウ/052806/172⑬/111/229)

■62 光源氏は王命婦の手引きで、病気で里邸に退出中の藤壺と密通する
(池)ふちつほの宮なやみたまふ
(三十三ウ/三十オ/052889/173⑧/113/230)

■63 光源氏は邸に帰った後、藤壺と密通したことを思い悩んで泣き臥す
(池)殿におはしてなきねにふしくらし
(三十五オ/三十一ウ/053016/174⑩/118/232)

■64 藤壺の懐妊という密通の結末を、王命婦はあまりに嘆かわしく思う
(池)宮も猶いと心うき身なりけりと
(三十五ウ/三十二オ/053047/174⑬/119/232)

■65 ただ事ではない異様な夢を見た光源氏はわが身に起こる運命を知る
(池)中将のきみもおとろ/\しう
(三十七オ/三十三オ/053160/175⑫/121/233)

■66 七月になって、宮中に帰参した藤壺へ桐壺の帝の寵愛は増す
(池)七月になりてそまいり給ひける
(三十七ウ/三十四オ/053233/176⑥/123/234)

■67 光源氏は六条京極から帰る途中に、帰京して療養中の尼君を見舞う
(池)かのやまてらの人は
(三十七ウ/三十四ウ/053288/176⑫/125/235)

■68 病床の尼君は、紫の上が成長した暁には光源氏に託すことを決める
(池)いとむつかしけに侍れと
(三十九ウ/三十五ウ/053416/177⑫/132/237)

■69 光源氏は紫の上の無邪気な声を聞き無垢な彼女にいっそうひかれる
(池)いとちかけれは心ほそけなる
(四十ウ/三十六ウ/053492/178⑥/135/238)

■70 翌日、光源氏は尼君への見舞いとともに紫の上へも結び文をおくる
(池)又のひもいとまめやかに
(四十二オ/三十七ウ/053620/179⑤/139/238)

■71 十月に朱雀院の行幸が予定され、舞人は練習など多忙な日々を送る
(池)十月にすさく院の行幸あるへし
(四十三オ/三十八ウ/053711/180①/143/239)

■72 尼君の死去という知らせが届き光源氏は母更衣との死別を思い出す
(池)やまさと人にも
(四十三オ/三十九オ/053744/180④/144/240)

■73 夜、光源氏は自分から、忌みの期間が終わった紫の上の邸を訪れる
(池)いみなとすきて京のとのに
(四十四オ/三十九ウ/053797/180⑩/146/240)

■74 光源氏は少納言の乳母に、紫の上への気持ちを伝え歌を詠み交わす
(池)なにかかう
(四十五オ/四十ウ/053894/181⑦/149/241)

■75 尼君を恋い慕って泣く紫の上は、訪問した光源氏を父と勘違いする
(池)きみはうへをこひきこえ給て
(四十五ウ/四十一オ/053959/182①/152/242)

■76 少納言の乳母は紫の上を年よりも幼い様子であると光源氏に伝える
(池)宮にはあらねと
(四十六オ/四十一ウ/053986/182④/153/242)

■77 幼い紫の上の手を強引にとらえる光源氏に少納言の乳母は困惑する
(池)てをとらへたまへれは
(四十六ウ/四十二オ/054049/182⑪/155/243)

■78 あられが降り風が激しく吹く夜、光源氏は紫の上の御帳の中に入る
(池)あられふりあれて
(四十七オ/四十二ウ/054106/183②/157/244)

■79 少納言の乳母がため息をつく中、光源氏は紫の上に一晩中寄り添う
(池)めのとはうしろめたなう
(四十七ウ/四十三オ/054149/183⑦/158/244)

■80 女房たちは、悪天候の中での光源氏の訪問が心細さを慰めたと話す
(池)夜ひとよ風ふきあるゝに
(四十八ウ/四十三ウ/054209/183⑭/160/245)

■81 尼君の四十九日後に、兵部卿宮は紫の上を邸に引き取る意向を示す
(池)宮も御むかへになと
(四十八ウ/四十四オ/054258/184⑤/162/245)

■82 紫の上と別れた後、光源氏はかつて通った女性の家の門を叩かせる
(池)いみしうきりわたれる
(四十九ウ/四十四ウ/054287/184⑨/163/246)

■83 光源氏は紫の上の可愛らしい面影が恋しくなり文を書いて絵を贈る
(池)おかしかりつる人の
(五十オ/四十五オ/054351/185④/166/247)

■84 父兵部卿宮は少納言の乳母に、紫の上を引き取ることをうち明ける
(池)かしこにはけふしも
(五十ウ/四十五ウ/054377/185⑥/167/247)

■85 紫の上の着物がしおれているのを目にした兵部卿宮は娘をあわれむ
(池)ちかうよひよせたてまつり
(五十一オ/四十六オ/054425/185⑪/168/248)

■86 少納言の乳母の言葉と紫の上の様子に兵部卿宮はもらい泣きをする
(池)よるひるきこゑ給に
(五十一ウ/四十六ウ/054484/186④/170/248)

■87 紫の上は幼いながらに、自分の身の上と今後の事を思って涙を流す
(池)ゆくさきのみの
(五十二オ/四十七オ/054542/186⑨/171/249)

■88 光源氏は宮中へ行く自分の代わりに、惟光を紫の上の屋敷に遣わす
(池)きみの御もとよりはこれみつを
(五十二ウ/四十七ウ/054588/186⑭/173/249)

■89 少納言の乳母は、屋敷を訪問した惟光へ自分の考えと不安を訴える
(池)少納言はこれみつに
(五十三オ/四十八オ/054632/187⑤/175/250)

■90 光源氏は惟光から父兵部卿宮が紫の上を引き取る予定であると聞く
(池)まいりてありさまなときこゑけれは
(五十四オ/四十八ウ/054698/187⑬/177/251)

■91 左大臣邸に来ている光源氏は惟光に紫の上を連れ出すことを命じる
(池)きみは大殿におはしけるに
(五十四ウ/四十九ウ/054757/188⑥/179/251)

■92 思案のあげく、光源氏は滞在中の左大臣邸から夜明け前に出かける
(池)きみいかにせまし
(五十五ウ/五十オ/054827/188⑬/182/252)

■93 少納言の乳母が応対に出るものの光源氏は制止も聞かずに奥へ入る
(池)かとうちたゝかせ給へは
(五十六オ/五十ウ/054889/189⑦/184/253)

■94 光源氏は父宮の使いであると嘘をついて、寝ている紫の上を起こす
(池)きみはなに心もなくね給へるを
(五十七オ/五十一ウ/054963/190①/187/254)

■95 二条院へ誰か来るようにと指示して、光源氏は紫の上を連れて行く
(池)きこゆこゝにはつねにも
(五十七ウ/五十二オ/055005/190⑤/189/254)

■96 少納言の乳母は困惑するものの紫の上のことを思って涙をこらえる
(池)二条院はちかけれは
(五十八ウ/五十二ウ/055081/190⑬/191/255)

■97 紫の上のために、光源氏は通常は使わない対屋に調度などを整える
(池)こなたはすみ給はぬたいなれは
(五十九オ/五十三オ/055147/191⑥/193/256)

■98 二条院へ連れてこられた紫の上は気味が悪くなりぶるぶると震える
(池)わかきみはいとむけつけう
(五十九ウ/五十三ウ/055173/191⑩/195/256)

■99 少納言の乳母は、輝くばかりの立派な二条院で間の悪い思いをする
(池)あけゆくまゝにみわたせは
(六十オ/五十四オ/055205/191⑬/196/256)

■100 かわいらしい女童を呼び寄せた光源氏は休んでいた紫の上を起こす
(池)御てうつ御かゆなと
(六十ウ/五十四ウ/055247/192④/197/257)

■101 紫の上の気をひこうと、光源氏は面白い絵などを見せて相手をする
(池)御かたちは
(六十一オ/五十五オ/055301/192⑨/199/257)

■102 紫の上は光源氏が留守にしている間に、二条院のあちこちを見回す
(池)ひんかしのたいにわたり給へるに
(六十一ウ/五十五オ/055341/192⑭/201/258)

■103 留守にする光源氏は紫の上のために手習いの手本などを残していく
(池)きみは二三日内へも
(六十一ウ/五十五ウ/055377/193③/202/258)

■104 光源氏は紫の上へ手習いを教え、人形などの家を作って一緒に遊ぶ
(池)いてきみもかいたまへとあれは
(六十二オ/五十六オ055428/193⑨/203/259)

■105 事情を知らぬ兵部卿宮は紫の上の失踪を嘆き、少納言の乳母を疑う
(池)かのとまりし人々は
(六十三オ/五十七オ/055505/194④/206/260)

■106 継母の北の方は、紫の上を意のままにできなくなったのを残念がる
(池)きたのかたも
(六十四オ/五十七ウ/055584/194⑫/209/260)

■107 紫の上は尼君を慕って泣くときがあるものの光源氏にもなれ親しむ
(池)やう/\人まいりあつまりぬ
(六十四オ/五十八オ/055597/194⑭/210/261)

■108 光源氏は、かわいらしい紫の上を「風変わりな秘蔵っ子」だと思う
(池)ものよりおはすれは
(六十四ウ/五十九オ/055646/195⑤/211/261)

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2016年9月14日 (水)

聞いてわかる科研の研究計画調書を公開

 昨年度より取り組んでいる科研「挑戦的萌芽研究」で公開しているホームページ「古写本『源氏物語』の触読研究」(http://genjiito.sakura.ne.jp/touchread/)で、新たな見出し項目を追加しました。

 これまでの項目に「聞いてわかる研究計画調書」が増えましたので、この場を借りて報告します。


160914_kitewakaru



 これで、ホームページの見出しタイトルは、以下の通り6項目となりました。
 さらに詳しい目次は、「サイトマップ」をご覧ください。


「古写本『源氏物語』の触読研究」(トップページ)
「計画」
「聞いてわかる研究計画調書」(新設)
「触読通信」
「研究会報告」
「サイトマップ」

 この「聞いてわかる研究計画調書」は、目に障害がある方がパソコンのスクリーンに表示された文章を読み上げさせることで、本科研の研究計画を耳で理解していただくために作成したものです。

 ウインドウズのユーザーは、OSに標準でインストールされている「ナレーター」というスクリーンリーダーで聞くことができます(私はマックユーザーなので、できるそうです、と言っておきます)。ただし、これはあまり完成度が高くないようで、「NVDA」や「PC Talker」を使っておられる方が多いかもしれません。「PC Talker」は私も使ってみました。多機能で使い勝手がいいと思いました。ただし、4万円もするので思案なさっている方が多いのではないでしょうか。

 マックをお使いの方は、アクセシビリティには長年の蓄積があるので「VoiceOver」で十分です。私はこの「VoiceOver」で確認しました。
 しかし、文章に手を入れて、わかりやすいものに改善すべき点は、まだまだあります。

 ウインドウズとマックには関係なく、聞いてみての感想を、本ブログのコメント欄を通してお寄せいただけると幸いです。

 なお、この取り組みは、科研運用補助員の関口祐未さんの労作です。
 今後とも、本科研のホームページの利用者のために、さらなる工夫を盛り込んでいくつもりです。

 変わらぬご支援のほどを、よろしくお願いいたします。
 
 
 

2016年9月13日 (火)

千代田図書館での古書販売目録の調査の方針変更

 朝から雨模様です。
 午前中は、九段坂病院で診察と治療を受けました。
 お昼に終わると、すぐ前に聳え立つ10階建ての千代田区役所へ移動です。
 今日は千代田図書館で、古書販売目録の調査をすることになっているのです。

 まず、その最上階にあるレストランで、昼食をいただきました。
 一人で外食をすると、突然ノドを通らなくなったり、腹痛に見舞われることがよくあります。そのため、外で一人の時は、安心安全な和定食にしています。

 展望ガラス越しに皇居を眺めました。清水門のまわりの緑と清水濠の水草の緑が小雨に煙っていて、微妙な色の深さと変化が印象的です。


160913_simizumon


 午後1時前に、1階のロビーに降りました。日比谷図書文化館での講座に参加しておられる4人の方と待ち合わせです。体験を兼ねたお手伝いに来てくださったのです。なかなか得難い体験ができると思い、お誘いしました。

 この古書販売目録の調査は、遅々として進んでいません。しかも、これまでに見終えたものは、全体の百分の一に過ぎません。

 中途半端なままで打ち切りとなることを避ける意味からも、今日の調査からは『源氏物語』に関する写真が掲載されているものだけに限定して採録し、その写真は画像として記録することにしました。
 これまでは悉皆調査をしていたので、目録に掲載されているすべての書目に目を通し、『源氏物語』に関係する情報を抜き出していました。
 実は、これが意外と脇道に逸れやすく、つい目的を忘れて膨大な書物の森に誘われてしまいます。いろいろなことに興味が拡散し、いつしか時の経つのも忘れていることが多かったのです。

 それを、『源氏物語』の写真が掲載されているものだけとなると、かかる時間も手間も入力作業も格段に減ります。

 この方針転換により、加速度的に調査が進捗しました。おまけに、今日は4人の助っ人がいらっしゃいます。

 今日の驚異的な作業により、「即売会1〜24」「展覧会1〜4」の2つのグループの収納ケースが終わりました。私1人が、これまでの方針で取り組んでいたら、今日のこの量をこなすのに3年以上はかかっていたことでしょう。

 ただし、写真掲載の情報だけを抜き出す方法にも、当然のことながら危ういとこがあります。
 例えば、次のような記事が見つかると、やはり写真がないからといってパスするわけにはいきません。


160913_geinjilist


 これは、昭和25年3月30日・31日に東京古書会館で開催された「古書即売展出品目録」(資料番号:5905、東京古典会)の一部です。

 これには追加目録もあります。


160914_tuika


 この追加目録に掲載されている次の上段末尾の記事は、またいつ出合えるかもしれないものなので、この謄写刷りの写真だけは撮っておきました。


15 源氏物語 室町時代書写 紹巴ノ本ヲ以テ句切朱点 箱入 五 一、八〇〇
  ○紅葉の賀○みをつくし○よもきふ○朝顔○ふちはかま
16 源氏物語紹巴抄 里村紹巴(紫源抄) 原装極上本 三〇 三、五〇〇

 しかし、こんなことがあるからといって、また悉皆調査の手法ですべてを見るのは、いくら時間があってもきりがないのです。やはり今後は、こうしたものは目に付いたら写真に残しておくことに留めます。

 今回は、手際よくどんどん付箋で目印をつけてもらい、それを私がパソコンに入力しては撮影しました。ただし、私のデータ記録が追いつかず、次はその入力をから始めることになります。
 しかし、この写真が掲載された『源氏物語』に関する情報を収集するだけでも、貴重なデータ群となります。

 確かに、DVDに収録されている別のデータベースで『源氏物語』だけを検索する方法もあります。しかし、やはり一冊ずつ目録を見ていくことの正確さは、比較にならないほどの意義があります。

 今後は、今日からの新しい方針で、ひたすら前に向かって進んでいくことにします。
 この調査に興味をもたれた方は、このコメント欄を通してお知らせください。
 次回の調査日時などをお知らせします。
 
 調査を終えてから、みなさんと一緒に九段下駅の近くのお店「ネバーランド カフェ」で、少しお酒を口にしながら楽しい一時を過ごしました。おつまみはチーズだけというシンプルなテーブルでした。しかし、古典から政治までと多彩な内容で、なかなか得難い時間を共にすることができました。遅くまで、ありがとうございました。そして、お疲れさまでした。

 さらには、このお店を教えてくださった千代田図書館の河合さんとコンシェルジュの方にも、お礼を申し添えます。いいお店でした。
 
 
 

2016年9月12日 (月)

国文研蔵「橋本本 若紫」〈その4〉傍記の削除と書写者

 橋本本「若紫」は、書写の過程や書写後に、丹念な削除による本文の補訂をしています。本行はもちろんのこと、傍記にもその跡が数多く確認できます。

 まず、1丁表の5行目にある例をあげます。


160912_mu0


 この行間で、一文字が擦り消されていることがわかります。
 ここは、「~き堂【山】なな尓可し~」と書写しているところです。
 この「る」にミセケチ記号である「=」を付け、その右に「む」かと思われる一文字が書かれていたようです。ここで、傍記が「む」であったのではないかと思うのは、紙面を削った跡の繊維を目で追うと、「む」のように見えるからです。

 この箇所を拡大鏡を取り付けたカメラで撮影すると、次のような画像が得られました。


160912_mu1


 残った墨痕と削られた繊維の流れから、ここに書かれていたのは確かに「む」であることがわかります。さらに、ミセケチ記号の「=」は削除していないこともわかります。

 参考までに、諸本と本文を較べてみました。
 確かに、「北山なる」と「北山になむ(ん)」の2種類の本文が伝わってきています。そして、橋本本は「北山なる」のグループに属する本文を伝承しているのです。私が〈甲類〉とするグループです。流布本として読まれている大島本とは異なるグループです。
(なおここでも、翻字は「変体仮名翻字版」が間に合わないので、復元性の低い従来の翻字で掲示します。)

 きた山なる[尾高尾]

 北山なる[天]

 きた山に[中]

 きた山になむ[大肖]

 きたやまになむ[保]

 北山になん[麦阿]

 きた山になん[陽御国穂]

 きたやまになん[池日伏]

 書写者あるいは校訂者は、「き堂【山】なる」と書き、その後、「る」をミセケチにして異文である「む」と傍記して「き堂【山】なむ」という本文に補訂したのです。しかし、どうしたことか、傍記の「む」を後で削除することになったのです。

 ここは、本文を書写した時点での本文訂正や校訂ではなくて、書写後に他本で本文を校訂したか、親本の書写状態をそのまま写し取ったけれども不要と判断したものかと思われます。書写者ではなく、校訂者の判断が入っている箇所です。
 また、削除した文字の一部が残っていることと、ミセケチ記号に削除の手が入っていないので、補訂が不徹底なままに放置されている例ともなっています。

 本書の削除は徹底的に削る傾向があります。書写し始めてすぐのことでもあり、後の人の手ではないかと思っています。

 次は、11丁裏の8行目にある例です。


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 これは、本行の「く」の右側に補入記号の「◦」を付した上で、傍記として「ものし給」と書かれているところです。
 ここをよく見ると、傍記の「給」の下に文字が削除されたかと思われる、紙面の乱れが認められます。

 拡大写真を撮ると、次のようになっていることがわかりました。


160912_koso2


 諸本の本文とも対照させると、ここで削られた文字は「こ楚」であることが判明します。そう思ってみると、確かに残っている墨痕と削られた繊維の流れから、そのような文字が浮かび上がります。ただし、私が現在までに確認した17本すべてに「こそ」があるので、橋本本がこの「こそ」を削除している意味は不明です。

 国文学研究資料館所蔵の橋本本「若紫」には、こうした本文を補訂するために紙面を削った痕跡が無数にあるのです。

 この写本がどのようにして書写され、どのような訂正の手が入ったものかを、こうしてなぞられた箇所から推測することを、これからも時間をかけて点検し確認していくつもりです。それによって、書写や校訂された現場の再現が可能になると思っています。

 写本が出来るその裏側で、その時代の人がどのように関わってきたのかは、非常に興味深い問題を提示してくれます。特に、なぞられた箇所は、書写者や校訂者の強い意思を伴った営為が読み取れるので、本が写された時代の人々のありようを探求する上で、貴重な情報や読み解く資料がもらえるのです。

 私はまだ、興味のおもむくままに写本の背景を想像して楽しんでいるレベルです。しかし、こうした訓練を続けていると、いつか書写者に、この写本で言えば鎌倉時代の人と気持ちが通じるのではないかと、それを楽しみにして読み続けています。

 物語の内容と共に、写本を書き写している人とも対話を楽しんでいるのです。
 
 
 

2016年9月11日 (日)

江戸漫歩(141)築地市場移転延期で話題の豊洲でお買い物

 築地市場が豊洲に移転することとなり、今秋11月7日が豊洲市場の開場日でした。このことは、「江戸漫歩(139)有明豊洲地域を見て五輪とマンションを想う」(2016年08月04日)に記した通りです。

 そこでは、「この地域の土壌汚染の問題は未解決で、移転反対の動きも解決していません。さて、新都知事の小池さんは、この問題にどう対処されるのでしょうか。」と書きました。

 その移転話に、暗雲が立ち込め出しました。さまざまな利権絡みで、強引な設計や工事などが行われていたことが、昨日のニュースによると明るみに出だしたようです。さらなる移転の見直しとなると、東京五輪のことにも関連して、ますますこの有明豊洲地域が注目されることでしょう。

 宿舎から近いこともあり、買い物がてらこの豊洲を散策しました。

 新橋駅からやって来る「ゆりかもめ」(東京臨海新交通臨海線)は、この豊洲駅が終点です。
 その駅前には、線路が地上で寸断された姿を見せています。2006年に開業したこの路線は、当初は延伸の予定だったそうです。しかし、今は対象外になっているとのことで、これからこの剥き出しの鉄路がどうなるのか、気になるところです。まさか、この無粋な景観のままで東京五輪を迎えることはないと思いますが。


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 宿舎がある西に目を転ずると、「越中島」「晴海」「銀座」という地名の表示が見えます。都心に向かう晴海通りです。この通りの下を、東京メトロ有楽町線が走っています。


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 ここから左手に、おしゃれな巨大ショッピングセンターの「ららぽーと豊洲」があります。その豊洲駅側は、広大な土地で工事が進んでいます。この次に来ると、この景観も様変わりしていることでしょう。


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 「ららぽーと立川立飛」が、昨年12月に職場の近くにできました。いつか行こうと思いながら、そこにはまだ行っていません。

 豊洲駅前の晴海通り角から豊洲運河を望むと、これからの東京五輪を見越してさらに町並みが変わりそうな気配を感じます。


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 この通りで、回転寿司屋さんを見つけました。


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 昨秋、屋号を変えてオープンしたのだそうです。築地市場の移転を意識した改名なのでしょうか。
 新しくなっていたことに気付かないままでした。自称回転寿司ウオッチャーとしては迂闊でした。血糖値のことを考えて糖質制限食を意識してからというもの、あれだけ好きだったお寿司を、確かにあまり食べなくなっていました。近所の回転寿司屋さんが閉店したことも一因です。
 最近主治医からは、もっとご飯を食べて身体を作ることを意識したらいい、と言われています。これからは、以前のように折を見てはお寿司を食べ歩こうかと思っています。

 このお店は、清潔なシステムでした。


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 レーンに流れているお寿司をいただくよりも、注文した方が楽しいのです。
 もっとも、目指すお寿司を、タッチパネルに表示されている文字列からイメージして辿り着くのは、なかなか面倒なことです。限られた画面を見て選ぶことをやってみて、写真の一覧から選ぶことの効率のよさを実感しました。

 この iPad の画面をタッチして注文すると、上のレーンにトレーが大急ぎで滑るようにして運んで来ます。その素早さが気持ちいいのです。下を流れるお寿司は、一度も手にしませんでした。


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 ただし、まだこのシステムは開発途中のようで、バラバラの感じがしました。

 上のレーンに注文したお寿司が飛んで来ます。しかし、その運ばれてきたトレイは、タッチパネルの返却というボタンを押さないと、戻ってくれないのです。押し忘れていると、店員の方が返却ボタンを押してくださいと、催促に来られます。

 また、タッチパネルなので、押したという感触がなくて、何度も同じボタンを押してしまいました。

 さらには、精算の時に、店員の方がiPhone を片手に皿の数を色別に入力して計算しておられます。せっかく iPad で注文しても、その iPad と店員さんが持つ精算用の iPhone が連動していないのです。別のお店のように、皿に仕掛けをしてもいいと思われます。

 とにかく導入してみました、というレベルであり、試行錯誤の段階のようです。

 さまざまな挑戦がなされている、世界に冠たる日本の回転寿司は、文化としてさらに発展していくことが期待できます。
 常に進化していると言われる回転寿司です。血糖値のことはそれとして、また少しずつ生活に取り入れていこうと思います。そのきっかけをもらえた、好感のもてるお店との出会いでした。
 
 
 

2016年9月10日 (土)

国文研蔵「橋本本 若紫」の破損個所〈その3〉

 国文研蔵「橋本本 若紫」の後半には、綴じ目から大きく破損した個所があります。
 その中でも、微かに読める部分は、最大限の方策を尽くして読み取るようにしています。

 国文学研究資料館からいただいた画像データで、61丁裏と62丁表の見開き下の部分を例にあげて確認します。


160910_musi2


 上掲画像の右側から左へと翻字すると、次のようになります。

~閑く八あ里

〜ん△△△□

——————

〜ふ可△△□

    さし

〜ひしよ里も

 右から2行目を無理やり読めば、「ん」の次が「よ」の頭らしく見えます。その次は「き」の右半分、その次は「れ」の右側のように見えます。
 欠けている文字の境界を確認すれば、さらにこの文字が推測しやすくなるはずです。
 この個所の破損状況がよくわかるようにするために、実見による調査の際、裏に白紙を差し入れて背景をなくして際立たせてみました。


160910_musi1


 これで、破損個所のありようが明らかになりました。そして、微かに残った文字の残存部分から、書かれていた文字がより正確に推測できるようになりました。
 さらに、この箇所での諸本の本文を確認することにより、それがさらに明確になります。
 昨日もそうであったように、まだ「変体仮名混合版」での翻字が進んでいないので、ここでは再現性に問題があるのを知りつつも従来の翻字で確認しています。

 手元の翻字本文資料で確認したところ、右から2行目下の諸本はすべて「よきなと」(陽明文庫本だけは「よきなんと」)となっています。
 橋本本のこの破損個所は、「よきなと」と書かれていたと思われます。

 次に、その左丁一行目下の諸本の異同は、次のようになっていました。

かほ△…△/ほ〈判読〉[橋]・・・・055301

 かほかたちは[尾中高天尾]

 御かたちは[大麦阿池御国日穂保伏]

 御かたちは/=ミ[肖]

 御かほかたちは[陽]

さしはなれて[橋=大中麦阿陽池御肖日穂保伏高天尾]・・・・055302

 さしはなれて/△〈削〉れ[尾]

 さしはなれて/は〈改頁〉[国]

 ここでも、「若紫」の本文は2つにしか分別できないことがわかります。
 そのことは今は措き、破損個所の推測をします。

 橋本本の破損個所は、同じグループ[尾中高天尾]が伝える「かほかたちは」だったと思われます。もう一つのグループ(現在の流布本となっている大島本等)の「御かたちは」ではない、ということです。ここからも、この橋本本は現在流布する大島本による本文とは異なることばを伝える写本だったことがわかります。

 行末の左側に「さし」が書き添えられています。これは、次に続く「さしはなれて」の語頭の部分を、親本通りに一行目に書写しようとしたために、左横にはみ出して書かれたものです。それだけ、この写本は親本に忠実に書写しようとする姿勢が見られるものだといえます。

 こうしたことを勘案すると、ここは、次のように書かれていたことが判明します。文字が欠脱していて推測する手だてがまったくない場合は、□を使って示します。
 


閑く八あ里

よき那(判読)

——————

ふ可本(判読)△□□□

   さし

ひしよ里も


 この箇所では、白紙を差し込むことで、新たに文字が読めるようになることはありませんでした。
 麦生本(天理図書館蔵)は膨大な虫食いがある写本であり、穴から下の文字が見えるために、写真資料だけでは線が重なって別の文字に読めたりしました。そこで、図書館の司書の方の手を煩わせて、薄様等を差し入れて読んだことを思い出します。

 麦生本などの翻字において、影印資料だけではとんでもない翻字をすることがある、という経験をしたので、この橋本本でも慎重に対処しました。幸いなことに、そうした微妙な判断を伴う例はなかったことに安堵しています。
 
 
 

2016年9月 9日 (金)

国文研蔵「橋本本 若紫」のナゾリ〈その2〉(本文2分別のこと)

 古写本『源氏物語』のなぞりに関して、国文研蔵「橋本本 若紫」の書写状態を確認しています。

 58丁表の6行目には、昨日取り上げた「多つねいて・堂万へらん」に続けて、「いと・春ゝろ尓(改行)」とあります。


160909_suzuroni1


 この行末の「春ゝろ尓」という箇所には、2つのなぞりが確認できます。

 まず、「春ゝろ尓」の「春」とある文字では、その文字の下に「そ」が隠れていることが精細な写真からもわかります。「そ」と書いた後、その上から「春」をなぞっています。


160909_su


 行末の「尓」にも、なぞりがあります。


160909_ni



 ここでは、「八志」と書いた文字を紙面から削り、その上に「尓」と書いています。

 つまり、ここでは「いと・そゝろ八志」と書いて改行する時に、「そ」の上に「春」をなぞって書き、「八志」という2文字については、削った後に大きく「尓」と書いているのです。
 こうして、最終的な文字は「春ゝろ尓」となります。

 このようになぞった原因としては、次の行が「者し多那可るへき」と続くことから、次の行頭の「者し多…」の「ha si」という音が書写者の意識に残っていたことが考えられます。

 古写本では、行末や丁末にケアレスミスが多発します。それは、親本を手で書き写しながら、目は次の行や次のページに移っているからです。書写する人の気持ちは、次へ次へと流れていっているので、改行や改丁という物理的な変化が、書写者のミスを誘発するのです。先を見る視線の移動と、筆で文字を書く手の動作とが、この行末や丁末でズレが生まれるのです。

 書かれている本文に立ち入って、もう少し詳しく説明します。

 私がこれまでに「若紫」で翻字した15本の写本の本文を較べると、次のような本文の異同が確認できます。まだ「変体仮名翻字版」のデータベースが出来ていないので、非常に不正確ながらも従来の現行ひらがなだけを使った翻字による校合結果を示します。(こんな問題を考える時には、変体仮名の使われ方がわかる「変体仮名翻字版」で校合できる日が待ち遠しく思われます。)

いと[橋=尾中陽高天]・・・・054849

 ナシ[大麦阿池御国肖日穂保伏]

すゝろに/そ&す、はし〈削〉に[橋]・・・・054850

 すゝろに[尾中陽高]

 はしたなう[大麦阿池御国肖日穂保伏]

 心に[天]

はしたなかるへきをと[橋=尾中陽高天]・・・・054851

 すゝろなるへきをと[大麦阿池御肖保伏]

 すゝろなへきをと[国日]

 そゝろなるへきおと[穂]

 「いと」を始めとして、この異文を見ると、橋本本と同じ本文を伝えるのは[橋尾中陽高天]の6本であることがわかります([天]は少し違いますが)。今、煩わしくなるので、諸本の略号の説明は省略します。
 そして、ここからだけでも、本文が2つにわかれることがわかります。

 池田亀鑑は、『源氏物語』の本文を、〈青表紙本・河内本・別本〉の三つに分類しました。しかし、この諸本分類の基準については、近年さまざまな形で問題点の指摘がなされ、今は再検討の時期に入っています。阿部秋生氏の『源氏物語の本文』(昭和61年、岩波書店)以来、『源氏物語』の本文はその足元がすでに不安定な状態になっていたのです。

 古典の中でもよく読まれる『源氏物語』において、その基礎的研究とでもいうべき本文研究は、非常に遅れています。80年もの長きにわたり、停滞ではなくて停止しているのです。
 大島本が微に入り細に渡って読まれ続けています。しかし、大島本には独自異文が多いこともよく知られているので、いったい今なにを読んでいるのかを自覚する必要があります。この大島本が現状では『源氏物語』を理解する唯一の本文なので、この研究環境は基本的なところから整備する必要を痛感しています。
 その背景には、池田亀鑑が成した仕事の大きさが横たわっています。私は、呪縛だと思っています。
 と言いながら、もう30年が過ぎようとしています。
 自分のためにも、本記事の末尾で一つの方向性を示すことにしました。

 さて、池田亀鑑は『源氏物語大成』の「校異源氏物語凡例」で、「原稿作成ノ都合上、昭和十三年以後ノ発見ニ係ル諸本ハ割愛シタ。」(五頁)と言っています。このことから、『源氏物語』の本文を〈青表紙本・河内本・別本〉の三つに分類できるのは、昭和13年までに確認された『源氏物語』の本文資料を整理した場合にのみ適用できることだといえるのです。

 昭和13年以降になると、さらに多くの写本が見つかり、さまざまな本文が紹介されています。今ここで取り扱っている国文研蔵本の橋本本「若紫」も、池田亀鑑は見ていないと思われます。
 昭和13年以前に池田亀鑑が確認した写本だけで『源氏物語』の本文のことを考えるのは、もうやめた方がいいと思います。今年は平成28年なので、80年前のモノサシで今の『源氏物語』の本文を考えるのは、とにかく生産的ではありません。
 〈青表紙本・河内本・別本〉という分別が、解説などで便利に使われています。しかし、これは見当違いなモノサシで『源氏物語』の本文を見ることなので、大いに問題だと思っています。

 私は、〈河内本群〉と〈別本群〉という2分別の私案を経て、現在は〈甲類〉と〈乙類〉という2分別の試案を提示しています(「源氏物語本文の伝流と受容に関する試論 —「須磨」における〈甲類〉と〈乙類〉の本文異同—」『源氏物語の新研究』横井孝・久下裕利編、新典社、2008・10、拙著『源氏物語本文の研究』平成14年、おうふう 所収)。簡単にいうと、従来の河内本は〈甲類〉の中心となることが多いようです。

 その視点で「若紫」を通覧すると、上記の例示だけでも、きれいに2つのグループに本文がわかれる様子が確認できます。

 ややこしい話は、これくらいにして、当面の橋本本「若紫」に書写された本文をみましょう。
 上記の本文異同から、書写されていた環境を考えます。

 「すゝろ」という言葉に対して、「そゝろ」ということばが穂久邇文庫本に書かれています。
 橋本本が最初に「そゝろ」と書いたのは、こうした本文が伝流していたことが関係しているかもしれません。親本にそうしたメモとしての注記があったことなどが想定できます。最初に書かれた「そゝろ」という文字列は、書写者の単純なミスとするのではなく、根拠のあるミスだと考えていいでしょう。

 また、「はしたなう」ということばが「すゝろ」よりも前に出ている、語句が転倒した本文を、橋本本とは別のもう一つのグループが伝えています。
 現在一般的に読まれているのは、大島本によって作られた校訂本文だけです。その大島本は、この橋本本とは対極にある、もう一つのグループに属しています。
 そして、「八志」と書いた文字を刃物を使って紙面から削り、その上に「尓」と書いているのです。これも、「はしたなう」に続く書写文字の影響があると考えられます。
 実際に、次の行頭のことばが、その直前の行末に先取りして書かれることはよくあります。目と手が異なる動きをすることによる、混乱から生じた書写ミスです。

 この「すゝろ」と「はしたなう」ということばが入れ替わっていることに関して、私は傍記の本行への混入によって異文が発生する、ということを考えています。
 このことは煩雑になるので、また別の機会にします。

 いずれにして、本文が2つにわかれる中でこの橋本本を読むということは、大島本とは異なることばが散見する橋本本という新たな『源氏物語』を読むことになります。これまでは、大島本の校訂本文しか提供されていなかったので、その大島本しか読めませんでした。というよりも、活字で公刊された大島本の校訂本文だけを、一般には読んでいました。
 しかし、こうして、また別の本文で語られる『源氏物語』を読む楽しみが出てきたのです。これは、文学の受容の問題としても、おもしろいことです。
 ここで取り上げた橋本本のなぞりを手掛かりにした本文異同の諸相は、興味深い問題を投げかけてくれます。

 何十年も前から、『源氏物語』の本文研究が数十年も停止している、と言ってきました。ここでも、同じことの繰り返しで恐縮しています。
 このことについては、何度も聞いた方は聞き流し、何度も読んだ方も読み飛ばしてください。

 なお、現在私は机の横で、『もっと知りたい 池田亀鑑と『源氏物語』 第3集』(新典社、336頁、平成28年9月30日 刊行予定)の最終校正を終えたところです。池田亀鑑の顕彰をしながら、こうして池田亀鑑の本文分別に異論を唱えているのです。
 学問というのは、対立するのではなくて共存する中で、さまざまな展開を見せるもののようです。
 異なるベクトルを我が身に抱え込んで、いろいろと試行錯誤を楽しんでいるところです。

 この機会に、もう少し宣伝をしておきます。

 今月から来月にかけて、『国文学研究資料館蔵 橋本本『源氏物語』「若紫」』(伊藤鉄也・淺川槙子編、新典社、平成28年10月初旬 予定)を刊行します。昨日と今日の記事は、その本文を確認している過程で気付いたことの報告です。
 これは、鎌倉時代の『源氏物語』を読む楽しさを味わっていただく資料の提供となるものです。さらには、明治33年に平仮名が一つに制限された下での従来の翻字が妥協の産物であることへ異を唱え、「変体仮名翻字版」という変体仮名の字母を交えた翻字の事例報告も兼ねるているものです。

 また、《NPO法人〈源氏物語電子資料館〉・伊藤鉃也・須藤圭 責任編集》『池田本『源氏物語』校訂本文「桐壺」』(試行第1版 平成28年10月1日、非売品)を、今月末あたりから簡易製本したものを配布する予定です。天理図書館と八木書店との打ち合わせ等を通して、お互いの権利関係を守る意味から、ネットでの公開ではなくて私家版としての印刷による配布、という形を選択しました。
 現在、池田本の校訂本文の最終チェックをしているところです。大島本に代わる『源氏物語』の流布本のテキストとして、新たに池田本の校訂本文を試験的に提供する中で、よりよい校訂本文に仕上げていくつもりです。

 《江戸時代の大島本『源氏物語』から、鎌倉時代の池田本『源氏物語』へ》、というキャッチフレーズで、印刷媒体による無料配布となります。
 詳細は、月末までに、また本ブログでお知らせします。
 これも、楽しみにお待ちください。
 
 
 

2016年9月 8日 (木)

国文研蔵「橋本本 若紫」のナゾリ〈その1〉

 国文学研究資料館が所蔵する橋本本「若紫」は、鎌倉時代の中期頃に書写された貴重な写本です。この写本の「変体仮名翻字版」を作成中なので、原本の確認をしているところです。
 これには、文字を削ったり、そのまま上からなぞっている箇所が無数に確認できます。
 なぞりの一例を紹介します。

 58丁表の6行目に、「多つねいて・堂万へらん」とあります。
 その「堂万へらん」という箇所は、国文学研究資料館が撮影した写真によると次のようになっています。


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 この「へ」は「ふ」のようにも見えるので、「堂万らん」かとも思われます。
 しかし、私が調査を終えた諸本16本の中に、「ふ」とする写本は一本もありません。
 実際にこの部分を接写して確認すると、次のようになっています。


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 この拡大写真は許可を得て、本日私が撮影したものです。
 よく見ると、横に引かれた線の「へ」は、その下に見える縦線二本の墨の濃淡とは明らかに差があります。料紙に墨が乗っている状態から見ても、後に書かれたものであり、なぞることによって書写した本文を訂正するものであることがわかります。

 ここは「堂万八ん」と書いた後、「八ん」を刃物等で削って、その上から「へら」とナゾリ、続けて「ん」を書いているのです。

 なお、ここで接写に用いた道具は、藤本孝一先生のご指導の下、大島本(重要文化財)の精細な調査をした時に大活躍した機材です。


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 影印本や写真ではよく見えない箇所でも、実際に原本を見て、さらにこうした道具を活用すると、書かれた文字の実態が明確になり、より正確な翻字ができます。

 今回の調査を通して、さまざまなことがわかりました。
 時間と手間のかかる工程を踏んで書写されている実態を確認するものでもあり、いつでもできることではありません。
 これを機会に、以下、何回かにわけて書かれた文字の状態を紹介します。
 翻字のスキルアップに役立てていただけると幸いです。
 
 
 

2016年9月 7日 (水)

アレッ! と思う時〈その3〉電車の中で

(1)都営地下鉄と東京メトロの改札口は間違いやすいのです。
 東京の地下鉄は乗り換えが複雑で、何線の改札かわからなくなります。しかも、この2つは料金体系が異なるので、両線での乗り換えは割高になります。間違えると痛手が大きいのです。

(2)混んでいる電車の中に立っている時、スマホをいじっている人が背中でごそごそしている時は困ります。振り向いて顔を突き合わせて注意するわけにもいかず、じっとくすぐったさを我慢するしかありません。どうやら、ゲームをしている人が多いようで、指の小刻みな動きに合わせて、スマホ本体も振動で揺れているのです。

(3)電車の中で、目の前に座っている女性が大股を広げて船を漕いでいる時はどうしたらいいのでしょうか。本を読んでいても視界に入るので困ってしまいます。混んでいる時ならまだしも、私は空いている時間帯に乗ることが多いので、対面の状態なのです。

(4)携帯電話の充電が切れる頃に乗った新幹線が旧車両だと、座席に電源コンセントがないのでがっかりです。同じ料金を払っているのに、とご丁寧にも検札に来た車掌さんに不満を言いたくなります。前と後ろのドアの壁面にはコンセントがあります。しかし、自由席の場合そこはいつも先に取られているのです。

(5)新幹線の自由席で、子供が大はしゃぎし出したので席を移動したところ、隣の人のイヤホンから大音量の音漏れがする時は困ります。見知らぬ人には、声をかけにくいものです。また、パソコンを取り出してキーボードをパチャパチャされるまはまだしも、映画を大音量で観はじめられたら、もう諦めるしかありません。ただし、そんな人は居眠りをすることが多いので、そっとまた別の席に移るようにしています。
 
 
 

2016年9月 6日 (火)

仕事帰りの電車で3回も熟睡する

 立川から帰りの中央線の電車で、座るやいなや睡魔に襲われました。
 読んでいた本を持つ手首が安定しません。
 同じ所を何度も、必死に読もうとしている自分に気づきました。
 しかし、目が先の文字を追っていません。

 眠くて意識のないままにしばらくして、突然、見覚えのある駅のホームが飛び込んで来ました。
 乗り換える中野駅かと思い、立ち上がろうかと思った時でした。
 社内放送が三鷹駅であることを告げています。
 相当時間が経っていると思ったのに、まだ中野までの半分も来ていません。

 安堵して、手から落ちそうになっていた本に目を落としました。
 それでも目に力が入らず、またすぐに深い眠りに落ちました。

 高円寺駅は覚えています。
 中野駅はもうすぐだな、と思っていたら新宿というアナウンスが聞こえました。

 中野に引き返すのも面倒なので、そのまま東京駅まで乗ることにしました。
 また、すぐに熟睡となり、東京駅の喧騒で目が覚めました。

 慌てて降りると、また骨折をしかねなません。
 みんなが降りてから乗るというルールが、終点の駅にはあります。
 それを守る方々には申し訳ないと思いながらも、慎重に電車から離れました。

 3回も熟睡したせいでしょうか、頭はすっきりしました。
 テーピングをした左足を庇い、人混みを掻き分けながら京葉線に向かいました。
 長い3本もの動く歩道と、5本のエスカレータを渡り歩きます。
 すると、やっとのことで京葉線のホームに着きます。

 その間、ディズニーランド帰りの、魂を抜かれた若者たちと擦れ違います。
 夢遊病者かと見紛うような、浮かれ者の群を尻目に、ひたすら歩きます。
 そして、自分は夢から抜け出ていることを確信しました。

 電車の中でだったとはいえ、いい骨休めになりました。
 片道2時間弱の通勤で、足の鬱血を気にしながら、そしてまだ残暑ということもあり、気の抜けない時の流れの中に身を置いています。
 そんな中で3回も車中で仮眠をとったのは、身体が求めていたからでしょう。

 無防備な我が身を人前に晒していたことは、日本が平和だという証明でもあります。
 外国では、車中でもあたりに細心の注意を払うので、けっしてこのようなことはありません。
 とはいうものの、どんな姿で寝ていたかを想像すると、とたんに気恥ずかしくなります。
 たまに、大きく左右に船を漕いでいる人を見かけます。
 たいがい女性の場合が多いようなので、目のやり場に困ることがあります。
 それでも、あの状態になる気持ちが、今日は痛いほどわかりました。

 まあ、車中での仮寝はほどほどに、ということにしておきましょう。
 
 
 

2016年9月 5日 (月)

読書雑記(180)『日南町ゆかりの文豪 井上靖』

 『日南町ゆかりの文豪 井上靖』(企画・編集:日南町教育委員会、24頁、平成28年3月10日)という冊子を入手しました。


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 岡山県との県境にある鳥取県の日南町には、井上靖と松本清張、そして池田亀鑑という、三人もの文学に縁のある人が顕彰されています。
 今回入手したのは、そのうちの井上靖に関するものです。

 これは、昨秋日南町美術館で開催された「企画展 日南町ゆかりの文学者たち Part2 井上靖」を受けて、町内で作成された冊子のようです。


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 写真を多用した親しみと温もりが溢れる編集と、総ルビ付きで子供たちにも優しい説明文で語りかける、日本で一番わかりやすい井上靖の入門書となっています。

 構成は、次の通りです。


はじめに
資料からわかる日南町と井上靖
まんが(注:日南町に疎開した井上一家)
井上靖の誕生井上靖の青年時代
作家・井上靖の誕生
新聞社時代の井上靖
  ~時代は戦争にむかって~
家族の疎開
  ~日南町福栄へ~
『闘牛』で芥川賞受賞
戦後の井上靖
日南町と井上靖
  ~思いを受けついでいくために~

 いい仕上がりです。
 ただし、日南町に関する記事が少ないのが残念でした。

 日南町に関することは、マンガで4頁、2つの記事で4頁なので、全体の3分の1となります。
 日南町と井上靖のことを知ってもらうためには、井上靖の若い頃のことはもっと端折っていいと思いました。井上靖の家族が日南町に疎開して来たこと(2頁分)は、マンガと重複しています。私がほしいと思うことは、その後に、日野郡福栄村が舞台となる小説『通夜の客』が書かれたことと、それに加えて、その作品を映画化した『わが愛』(1960年、松竹)に関しても、もっと全国の方々に知ってもらうといいと思います。小説に出てくる実際の家の前には、屋号を記した看板が出されています。この風景は、まさに小説『通夜の客』と日南町との接点です。このことを、次の改訂の際には盛り込んでいただけるようにお願いしたいと思います。こうした内容で、4頁はとってほしいと思いました。

 この冊子から伝わってくる基本的な姿勢は、自分の町を遠慮がちに紹介しているところです。全国の読者への配慮や、井上靖との接点への意識が強過ぎるように思います。心優しい町民のみなさまらしくて、これはこれでいいのかもしれません。しかし、完成度の高い冊子なので、さらに自己主張をした方が、読者への印象は強くていいと思います。
 つい駄弁を弄してしまいました。妄言多謝

 この冊子は、市販されているものではありません。
 手にしたい方は、「日南町教育委員会」に連絡をとってみたらいいと思います。
 たくさん制作されたものではなさそうなので、幸運を祈ります。

 なお、今月9月23日から10月16日まで、日南町美術館で「企画展 日南町ゆかりの文学者たち Part3 池田亀鑑」が始まります。池田亀鑑に関する冊子も発行されるようです。楽しみにしましょう。
 
 
 

2016年9月 4日 (日)

第5回池田亀鑑賞授賞式及び記念講演会のご案内

 例年初夏に実施していた池田亀鑑賞の授賞式を、今年は秋に開催することになっていました。
 これは、池田亀鑑生誕の地である日南町の美術館で、池田亀鑑に関する特別展が開催されることに連動したイベントとするためです。

 池田亀鑑の生誕120年、没後60年の特別展であり、貴重な品々が展示されることは、「池田研二先生のお宅で父亀鑑の遺品を確認」(2016年09月01日)で報告した通りです。
 
 第5回池田亀鑑賞授賞式及び記念講演会(2016年10月1日)に関するポスターが届きましたので、ここに紹介します。


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 今回の講演会は、今活躍中の若手研究者による興味深いものとなっています。
 特に、受賞者の畠山大二郎氏の講演では、実際にモデルに平安時代の装束を着装するというパフォーマンスが盛り込まれています。モデルが誰であるかは、当日のお楽しみです。

 このイベントに、一人でも多くの方々が参加してくださることを願っています。

 この日に合わせて、『もっと知りたい 池田亀鑑と「源氏物語」第3集』(新典社刊)を突貫工事で制作中です。いつもながら、時間に追われる日々の中で、間に合わせたい一心で校正を進めています。この書籍も、その内容共々、当日のお楽しみということにしておきます。
 
 
 

2016年9月 3日 (土)

読書雑記(179)高田郁『あきない世傳 金と銀 二 早瀬篇』

 『あきない世傳 金と銀 二 早瀬篇』(高田郁、ハルキ文庫-時代小説文庫、2016年8月)を一気に読みました。


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 元文3年(1738)、大坂天満にある呉服商五鈴屋の元旦から軽快に始まります。

 廓狂いで放蕩三昧の四代目徳兵衛をめぐり、14歳の主人公幸が女衆であった身から一転して後添いとなることに決まります。

 幸は、商いの戦国時代に、知恵を武器にして生きていくことになります。

 知識と知恵の哲学を、この巻で教わることになりました。
 次の治兵衛の言葉が記憶に残っています。


「知恵は、何もないとこからは生まれしまへん。知識、いう蓄えがあってこそ、絞りだせるんが知恵だすのや。商いの知恵だけやない、生き抜くためのどんな知恵も、そないして生まれる、と私は思うてます。せやさかい、盛大に知識を身につけなはれ」(133頁)

 幸が品定めされる場面で『商売往来』を暗誦する様は圧巻です。
 本を置く暇もないほどに、話は展開していきます。
 「店先現銀売り」は三井の商売です。そのこととイメージが重なり、京と江戸の違いにも思いが及びました。

 登場人物が、それぞれに活きています。
 それぞれが、考えながら生きています。

 最後の場面で、月夜に鈴虫の音が響いて綴じ目となります
 印象深い終わり方であり、この話の続きが待たれます。
 新しい物語のシリーズが期待通りに始まりました。【5】

 この前作については、「読書雑記(159)高田郁『あきない正傳 金と銀 源流篇』」(2016年03月11日)をご笑覧ください。

 なお、本作中で「四代目の後添いに迎えたなら、一生、ただ働きで済むよって、五鈴屋にしたらの字だすやろ」(66頁)とあるところの「恩」は「御」とすべき誤植です。この一点だけが、細やかながらも本書の傷だと言えるでしょう。
 
 
 

2016年9月 2日 (金)

日比谷図書文化館で歴博本『鈴虫』を読む

 池田研二先生のお宅で、池田亀鑑に関する遺品や資料を確認したその足で、地下鉄を乗り継いで霞が関に出て、日比谷公園に駆け込みました。日比谷公会堂周辺では、相変わらず「ポケモン GO」を楽しむ多くの人で賑わっていました。
 日比谷図書文化館で古写本を翻字する講座は、今回が第7期10回目となり最終回です。

 いつものように、最初はさまざまな情報をお伝えしました。

 千代田図書館の「古書販売目録」のパンフレットを配布し、独力で調査をしている話をしたところ、お二人が参加してみたい、との意志を示してくださいました。また、その後、もうお一方も参加希望の連絡をして来られたので、今のところ3人が参加ということになっています。

 この調査体験は、9月13日(火)に実施します。
 興味と関心をお持ちの方は、あらかじめ本ブログのコメント欄か私宛のメールで参加の意思を連絡していただき、午後1時に1階ロビーにあるパン屋さんの近くにお越しください。
 膨大な古書販売目録から、『源氏物語』の写本や版本に関する情報を抜き出しています。
 得難い体験ができるかと思います。

 さて、歴博本「鈴虫」は、ハイペースで翻字の確認をしました。これまでで最高最速の9頁分も進みました。どうにか、歴博本「鈴虫」の全丁を変体仮名に忠実に翻字と確認をすることができました。そして、翻字の誤りは1文字もなかったので安堵しています。

 古写本に書かれている文字を読む上で、注意しておくべき事例を記録として残しておきます。

 まず、歴博本「鈴虫」の17丁表の後半下部に見られる「おほ(す)」の仮名文字の書かれ方です。


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 右端を翻字すると「おほ春」、真ん中は「おほえ」、左端は「おほされ」です。
 この「おほ」に当たる仮名は、現行の平仮名「おほ(於保)」です。とは言うものの、この字形に慣れないと、すぐには「おほ」と読めません。パターンとして覚えておくしかありません。

 私がまだ学生だった頃、この「おほ」という文字の形に慣れていなかったこともあり、「覚」と翻字していました。まもなく、これが漢字ではなくて平仮名としてしか読めない字形であることがわかりました。

 この歴博本「鈴虫」の墨付き最終丁である18丁裏の冒頭にも「おほし」があります。


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 右側は「おほし」です。ただし、前出の3例とは「お」に該当する文字の字形が大きく異なります。
 左側が「お本し」です。これは、「本」という変体仮名を含むものの、すなおに翻字できる文字列となっています。

 古写本を読む時には、理屈なしに字形をパターン化して覚えておくべき場合があります。この「おほす」の「おほ」は、まさに反射的に「おほ」と読めるようになっていると、効率的にすばやく文字列を読み取ることができる例だといえるでしょう。
 
 
 

2016年9月 1日 (木)

池田研二先生のお宅で父亀鑑の遺品を確認

 10月1日(土)に予定している池田亀鑑賞授賞式と展覧会及び、現在編集を進めている『もっと知りたい 池田亀鑑と「源氏物語」第3集』(新典社刊)の打ち合わせのため、池田研二先生のお宅へ行って来ました。

 今日は、池田亀鑑賞と展覧会「日南町ゆかりの文学者たち(池田亀鑑)」の主催者側として、日南町からお越しの久代安敏さん(池田亀鑑文学碑を守る会事務局長)と浅野康紀さん(日南町図書館主任司書)もご一緒でした。

 研二先生は、私が地下鉄大江戸線の門前仲町駅から一本で行ける、便利なところにお住まいです。かつて父亀鑑が住んでいたご自宅です。

 余裕を持って出かけ過ぎたせいか、あらかじめ調べてあった時間ちょうどにホームに入ってきた電車に乗ったところ、何と反対方向に行く電車だったのです。同じ時間に上りと下りが入線することを知らず、時間通りに先に入ってきた電車に、無意識に乗ってしまったのです。

 東京の地下鉄は網の目のように張り巡らされています。引き返さずに、2つ先の森下駅と10駅ほど行った新宿駅で乗り換えることにしました。
 ところが運悪く、新宿で乗り換える電車が、車両点検のため大幅に遅れたのです。鳥取からおいでのみなさまとの駅での待ち合わせはキャンセルし、遅れて伺うことになりました。

 電車は時間通りに走っているものだ、という、平和過ぎる日本に安住している自分の感覚が、かくも麻痺していることを痛感しました。トラブルは自分が関知しないところで発生するものだと、平和ぼけしていたことにあらためて気付かされることとなりました。

 研二先生のお宅では、今回日南町で開催される池田亀鑑展で展示する、遺品や資料等の選定のお手伝いをしました。
 展覧会では、本邦初公開となる貴重な品々が並ぶことになります。9月23日(金)〜10月16日(日)に開催される日南町美術館で展示されますので、この期間にぜひとも日南町に足をお運びいただければと思います。

 その他、どなたもご存知の文豪(谷崎潤一郎等)からの手紙やハガキも、展覧会場に展示されます。
 今回確認できた、膨大な量の信書類をどうするかは、今後の課題です。

 何とかして、手紙類を時間の流れに沿って並べ直すことに、一日も早く着手したいものです。そして、内容を精査・解読して、池田亀鑑の研究や周辺の人々のつながりや流れを、明らかにしたいものです。

 書きかけや推敲の跡が随所に見られる原稿も、その数は数えきれないほど多いのです。これについては、すでに印刷刊行されたものとの照合も必要です。

 中でも、『花を折る』への収録を見送られた文字起こし原稿や資料が、百点近く確認できました。これらは根気強く整理した上で、『花を折る』の続編として多くの方に読んでいただけるようにしたいと思います。

 どのような形にするのかを思案中です。楽しみにお待ちください。
 
 
 

2016年8月31日 (水)

やっと足のギプスが外れました

 先月末から一ヶ月もの間、ずっと足に着けていたギプスを、本日やっと整形外科で外していただけました。
 締めつけられていた足が、その窮屈さから開放されたので、これで一安心です。
 ただし、今日撮影した足のレントゲン写真を見ながら、まだ骨は付いておらず、完治まであと2~3ヶ月はかかることを覚悟しておくように、とのことでした。
 それでも、ギプスがないだけで、行動の縛りがなくなるので助かります。

 足を庇い、不自然な歩き方をしていたので、身体の節々が悲鳴を上げていました。
 突然これまでと違って足首に何もなくなると、足のバランスが崩れるからということで、足首に包帯だけは巻かれています。
 また、足首の腫れがまだ完全には引いていないので、足の甲にかけての腫れぼったさは残っています。

 今後は、ウォーキングも大丈夫だそうです。
 足首の軽いストレッチを教えていただきました。
 痛くない程度であれば、正座の姿勢もリハビリにいいとか。
 お茶のお稽古ができるかと思いきや、まだ無理はしないようにと釘を刺されました。

 ふくら脛を中心として、足の筋肉が相当落ちています。
 これでは、お茶席で立ち上がる時に、ヨイショと大きな掛け声が出ることでしょう。
 そして、立ち上がるやいなや、よろけることも容易に想像できます。
 無理のない程度に外出をして、まずは足腰を鍛えたいと思います。

 足が思うようにいかなかったので、パソコンを使っての仕事が停滞していました。
 これも、9月を迎える明日から、またこれまで通りに再開したいと思います。
 ご迷惑をおかけしている方々には、これから遅れを取り戻しますので、いま少しお待ちください。

 今回の骨折は、その時の状況からしても突然のことであり、どうしたら避けられたのか、いまだによくわかりません。
 あの日のことを書いたブログ、「突然の左足首の捻挫で1日が止まる」(2016年07月27日)を読み返しても、骨折を防ぐ方策はどうしても見当たらないのです。不慮の事故としか思えないのです。

 今日は、右手人差し指の痺れについても相談しました。
 この一ヶ月の間、足の治療に専念していたこともあり、先生は「そうでしたね」という感じで、先月撮影したレントゲン写真を確認しておられました。

 この痛みは、「変形性関節症」というものだそうです。
 骨と骨の間にある軟骨が磨り減っており、摩擦による痛みが出ているのです。
 変形した骨が固まってしまわないように、指を動かして揉み解すことを勧められました。

 やはり、コンピュータで仕事をしていたことに直結する症状でした。右手人差し指は、マウスでクリックする時に使う指です。痛みがひどくなった春先から、中指でクリックするように、マウスのボタンの機能を変更して調整しました。

 いわゆる職業病の一種なのでしょう。しかし、先生は、老化によるものでしょう、とおっしゃいます。私はあくまでも、マウスを頻繁に使うことによる職業病だ、と確信しています。

 いずれにしても、足首と共に手の指の違和感とも闘う日々となりそうです。
 身体の不調や違和感を、加齢によって説明されることに不満を抱いています。
 避けることのできない老いが大きな原因となっていたにしても、そう思いたくないのが正直な気持ちです。

 どのように思おうと、目に見え、感じる症状に変わりはないとはいえ、それらを加齢によるものとして片づけられてたまるか、との思いをますます強くしています。
 加齢に伴って頑固になっている、と言われると、また反発してしまいそうです。
 まだ、従順に言われるままではいたくない、との思いを大事に心に秘めています。
 
 
 

2016年8月30日 (火)

再録(26)郵便局のズサンな転送業務〈2002.4.27〉

 この一連の「再録」は、〈大和まほろば発 へぐり通信〉の【ハイテク問はず語り】というコーナーから発信していた情報群の一部です。
 このサイトのデータが見られない状態が続いているので、オリジナルのデータから抜き出して再現しています。

 これまでに、宅配便のいいかげんな配送について、何度か書きました。
 そこで、郵便に関するトラブルも、再録記事として取り上げます。

 以下の記事は、自分の学位授与式に出席できなかったという、苦い思い出の一つともなっています。ただし、主査を務めてくださった伊井春樹先生から、後にあらためて個人的に、学位記を直接手で渡してくださいました。恐縮しました。ありがたいことです。
 郵便や宅配で品物や書類を受け取るタイミングを逸したことは、多くの方が経験されていることでしょう。こんなこともありました、ということで、記録として残しておきます。
 
----------------- 以下、再録掲載 ---------------------
 

〔郵便局のズサンな転送業務〕


 〈2002.4.27〉
 
 インドから帰国したのは3月20日。これは、週明けにあるはずの、私にとって30年間の研究活動の一区切りとなる式典に出席することを考えてのものであった。しかし、信頼できるはずの日本の郵便局の不手際から、それが叶わないままに終わってしまった。

 帰国後、実家に届いた郵便物をいくら調べても、関係する書類が見あたらない。
 どうなっているのか思案していると、式典の前日に伊井春樹先生から電話があり、書類が届いているかとのこと。数日前にも、一足先にインドからお帰りになった伊井先生から、案内状が届いているかと心配してくださったのである。まだであると答えると、それでは2ヶ月後にも授与式があるので、そちらの方に廻されたのだろうかとのことであった。

 そうこうする内に、心覚えにしていた25日も過ぎ、しかたがないので上京の準備をしている時に、横浜での留守をお願いしていた同僚の奥さんから、私の部屋に様子を見に入ってみたら、速達がドアのポストに投函されていたとのこと。差出人は大阪大学とあるそうである。


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 すぐに開封してもらうと、届いていたのは私が待っていた「学位授与について(通知)」と「博士学位記授与式のご案内」であった。発信の日付は、3月18日。私がインドを発った日に横浜に届いたものであることが分かった。

 私は、インドへ出張で出かけている間の横浜への郵便物は、すべてを奈良の実家へ転送してもらう手続きをしていた。帰国後、実家で多くの転送された郵便物を確認しているので、転送業務は正しく行われているのである。
 しかし、この書類だけは、どうしたわけか横浜の部屋のドアのポストに投げ入れられてしまっていたのだ。いくら奈良で待っていても、この案内状は手にできないはずである。そして、書類を確認したのは、すでに式典が終わった2日後だったことになる。

 早速、大阪大学に電話をし、学位記をもらう手続きを問い合わせた。すると、文学部の大学院事務室で預かっているので、いつでも渡せるとのことである。
 すぐに伊井先生にメールでことの次第を報告し、そのまま大阪大学へ出かけた。無事に事務の方から受け取り、その足で伊井先生の部屋に立ち寄ると、ちょうど待っていてくださった所であった。そして、先生は私が手にしていた学位記を確認し、その場で改めて手渡しでくださったのである。

 私は、30年間ひたすら後を追い続け、45歳を過ぎてから学生の身分を得て、改めて先生の教え子になって指導を受けてきたのである。一週間前に先生とはインドのデリーでお別れし、そしてこの日は、先生の研究室でご褒美とありがたい励ましをいただくことになった。
 人生50年目に、一区切りの忘れがたい日となった。

 帰りに妻と待ち合わせをし、食事をして記念品を買った。翌日は、妻への感謝の気持ちから、かねてより欲しがっていた食器棚をプレゼントした。妻からインドへ届いたメールにあったものでもある。インドから買って帰るには大きすぎるので、日本で買うことにしたのだ。

 それにしても、問題の書類はどうして実家に届かなかったのであろうか。横浜の金沢郵便局に電話をして問い合わせた。すると、責任者であるタシロさんから、速達は通常の配達人ではなくて、アルバイトのおばさんが届けているという説明があった。「いつもと違う者がやっているので、間違って配ってしまったようだ。」とのこと。そして、速達なのでドアのポストに入れてしまった、という言い訳が返ってきた。

 私が不在なので転送をお願いしているにもかかわらず、何ともいいかげんな配達業務である。この種のクレームは、郵政事業庁のお客様サービス係(045-320-xxxx)に電話をするのだそうである。

 さらに、月末の横浜市長選挙の連絡も届いていないことを尋ねると、投票に関する郵便物は転送しないことになっているそうである。投票の通知書がなくても投票できるということなので、投票時間に間に合うように上京した。

 横浜の部屋に入ると間もなく、偶然にも郵便局の第一集配営業課課長の田代さんがお出でになり、不始末のお詫びを言って帰られた。アルバイトの人がついうっかりと、ということである。転送は一年間有効なので、転送解除はせずにそのままにしておくことにした。今年の年末までは、郵便物はすべて奈良の実家に転送となる。

 インドでは、郵便局における郵便物からの抜き取りは日常茶飯事のことだと聞いた。郵便局の窓口が信用できないので、あえてポストに入れる人もいる。少しでも郵便局員の手を経ないようにするために、ポストから地域の中央局へ行った方が幾分かは安全だという考え方によるものである。一緒に暮らしていた中島岳志君も、4通の内の2通は届かずに行方不明となっていた。奨学金に関する大切な書類が届かなかったのである。

 日本は、郵便物は一応は届くことを前提に生活できるので、その点では安心である。しかし、このように転送業務がいいかげんであることは、今後とも注意しておくべきであろう。過信は禁物である。郵政の民営化が実現すれば、もう少し緊張感をもって配達に当たることになるはずである。競争することによる業務の見直しは、ひいては我々の生活における不安をいくらかでも解消することにつながるはずだ。そうした意味からも、一日も早い郵政の民営化を望むところである。

 そうこうする内に、またもや横浜の官舎のドアのポストに、アドビ社からのフォトショップのバージョンアップの案内通知郵便物が投げ入れられた。
 階下にある集合ポストに、郵便物は入れられることになっている。しかし、私は帰国後もこのポストをガムテープで封鎖してあるのだ。通常はこの集合ポストに郵便物は入れられることになっている。ただし、私がそのポストの入口を蓋しているので、そしてそこに「ドアポストにおねがいします。」と書いているので、しかたなく、それもご丁寧に私のドアまでわざわざ運んでくださったのである。

 転送依頼を解除していないし、奈良の実家に転送が続いている最中にである。どうも、郵便局の転送サービスは、苦情を言っても是正されず、相変わらず至極いいかげんなようである。もう苦情を伝えるのはやめにした。横浜の部屋に投げ込まれる郵便物を、これからは一つの楽しみにしよう。
 
----------------- 以上、再録掲載 ---------------------
 
 
 

2016年8月29日 (月)

血糖値は下がり、ガン治療は「卒業」から「終診」へ

 早朝より京大病院へ行きました。
 8時15分から受付開始です。ただし、その自動再来受付機での受付が早い者順なので、さらに30分前には行っておかないと、8時半からの採血がどんどん遅れます。採血の結果は1時間後に出て、それを受けて診察となるのです。
 まさに、逆算での行動を強いられます。

 今日は朝7時に家を出たので、先月よりも早めのパターンで検査と診察が受けられるはずでした。しかし、そうは問屋が卸しません。いろいろなことがあって、やはり午後までかかりました。

 おまけに、今日はいつもの糖尿内分泌栄養内科に加えて、消化管外科も入っています。さらには、栄養指導もあるので盛りだくさんです。

 尿と血液検査が終わると、すぐに放射線検査です。これは、6年前に胃ガンで消化管を全摘出の手術をした後の、再発などの検査です。5年目の昨夏、無事にガン治療は晴れて「卒業」と宣言されました。

「私のガン治療は今日で卒業となりました」(2015年08月13日)

 しかし、腹腔鏡手術の開発者で主治医だった岡部先生が大津の病院に転任されたこともあり、引き継がれた久森先生は、その後も半年毎の検査をして経過を観察してくださることになりました。その道の権威から受け渡されたこの身体を、納得ができる状態で終了にしたいと思われたのでしょうか。私が希望したこともあり、術後5年が経った後も、診ていただいているのです。

 今日は、胸部と腹部全部をCTスキャンしました。書類をPDFにするように、身体を画像化して点検するのです。
 先月は、東京共済病院の脳ドックで頭部のCTスキャンを受けました。今回は、造影剤を腕から注入しながらのスキャンです。この造影剤が入ると、身体がほくほくと熱くなります。

 両手をバンザイして、半円筒の中を行き来します。その私の姿は、「ウルトラマン」の気分というよりも、私が育った時代でいうと「ナショナルキッド」や「海底人ハヤブサ」です。ひ弱な私のことなので、「大魔神」や「マグマ大使」のような迫力はありません。

 今日の検査で使った造影剤は、「ムニパーク300注シリンジ100ml」だそうです。その薬のことを明記した説明書をいただきました。読んでも意味不明です。しかしこの病院は、丁寧な説明がなされるので、安心して任せられます。

 検査後は水分を十分に補給するように、とのことだったのでドリンクを飲んでいたところ、すぐに糖尿内科の診察の呼び出しが、手渡されていたリモコン端末に表示されました。ドリンクを飲んでいた途中で慌てて診察室に入ると、まだ血液検査の結果が来ていないのでしばらく待ち合いで待っていてください、とのことでした。

 今日は私が大好きなこの病院で一日を過ごすので、何も急ぐことはありません。
 いつものマイ・スタディ・エリアで、時間待ちを兼ねた仕事に没頭しました。
 この病院に来ると、安心感もあってか、仕事がはかどります。

 糖尿病内科では、主治医の長嶋先生から、開口一番、栄養管理が良いと褒められました。
 今日のヘモグロビン A1cは「6.9」。前回の「7.4」からグンと良くなっていました。しかも、骨折をすると血糖値は上がるそうなので、さらに驚きです。もし骨折していなかったらもっといい結果だったはずだ、と楽しそうにおっしゃいます。

 体重がこの夏場に1キロ以上も増えて51.5キロ前後になっていることも、体調管理が理想的になされているからだそうです。体重を維持するためにも、バランスのとれた今の食事を続けるといいそうです。先生が口癖の、「バランスのとれた豊かな食生活を」、ということです。

 毎回指摘されていた鉄分の欠乏症も、十分に取れているのでこれなら大丈夫だと言われました。
 これまでは2ヶ月毎の検査と診察でした。しかし、この調子なら3ヶ月毎にしましょう、とのことでした。嬉しいことです。

 次は11時から古御門先生の栄養指導でした。しかし、先週病院宛に私から送った最近の食事記録が、どうしたことか、今日病院の担当課に届いたのだそうです。そのため、提出された記録を確認し、計算をしてからにしましょう、とのことで、次の消化管外科を先に受診することになりました。

 病院内を目まぐるしく移動する一日です。

 消化管外科では、午前中に実施したCTスキャンの結果を踏まえて、ガンに関してはまったく問題はないとのことでした。
 全摘出手術から6年たち、そしてこの結果なので、もう「終診」にします、おめでとうございます、とのことばをいただきました。上記の通り、昨年は「卒業」でした。さらに念のために検査をしてくださった上で、「終診」となったのです。
 ありがたいことです。何かあったらいつでもどうぞ、ということで、この消化管外科に来るのは余程の時ということになります。

 消化管を切除したことに関連して、半年ごとにメチコバールを筋肉注射してもらっていました。これは、錠剤では吸収されにくいからということで、注射による対処となったものです。今日注射をしていただいたので、次は、来春に糖尿病内科で注射をしてもらいます。これだけは、今後も続くようです。

 予定よりも大幅に遅れて、最後に栄養指導を受けました。
 今も、食事では悪戦苦闘中です。食事途中で、しばしば腹痛に見舞われるのです。しかし、それは私が消化管を持たないためのことであって、どうしようもないのです。この身体に付き合っていくしかありません。

 あらかじめ提出しておいた食事の記録をもとにして、丁寧な説明をうかがいました。栄養指導という観点からは、この調子でいいそうです。

 私の最近の食事を点検し、計算してくださった結果、たんぱく質30%、脂質40%、炭水化物30%という比率でした。普通は、炭水化物が50~60%なので、私は極端に少ないのです。これは、私が糖質制限をしていた頃のイメージが今も残っているために、つい糖質を避けていることと、妻の配慮によるものです。
 もっと炭水化物を摂ってもいいということと、それとのバランスでタンパク質を減らしてもいいかな、というアドバイス等をいただきました。

 一日の摂取カロリーは、今回の私の数値は2,200キロカロリーでした。これまでの私に対する指導は、1,800キロカロリーだったので、大幅にアップしています。これは、妻との相談で、今夏は体重を1キロ増やそうという目標があり、血糖値のことはそれから考えることにしたことに原因があります。しかし、これが良好な結果につながったのです。

 栄養士の先生は、私にはこれくらいの高目のカロリーが合っているのかもしれないので、炭水化物のことも含めて、このまま続けてください、とのことでした。

 一日がかりの検査と診察と相談に終始しました。その結果は、非常に得るものが多かったので、満足して病院を後にしました。

 雨が降り出したので、タクシーを使って京都市役所へ行って所用を果たし、颱風が関東東北に上陸しないうちにと、大急ぎで新幹線で上京しました。

 以上、冗長ながらも、我が身を気遣ってもらっている関係者への、一区切りの朗報といえる報告です。もっとも、すべては妻の采配による結果ですが。
 
 
 

2016年8月28日 (日)

読書雑記(178)山本兼一『ジパング島発見記』

 『ジパング島発見記』(山本兼一、集英社文庫、2012年7月)を読みました。


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 『日本史』を著したポルトガル人のルイス・フロイスが語り手となっています。フロイスが書ききれなかった逸話を記す、という体裁で語る7編の聞書を編んだものです。異色の戦国物語となっています。語りの視点が新鮮です。

 キリスト教の布教者という立場からの目で見た日本や日本人が、斬新な切り口で描かれています。知性と礼節を重んじる日本を描きます。
 また、地名、人名等の固有名詞が、外国人からの呼び方となっているところにも、作者なりの工夫が凝らされています。

 ポルトガルと日本の行き来に関しては、その中継地としてインドのゴアが出てきます。インド好きの私にとって、当時のインドの役割がわかって楽しめました。
 ただし、ポルトガルから来た宣教師たちと日本人の交流が表面的なのは、その距離感が表現したかったというよりも、一話の短さからの制約に基づく結果のようです。著者が今世にあれば、各話をおもしろおかしく展開させたことでしょう。2014年2月13日に亡くなられたのが惜しまれます。

■「鉄砲を持ってきた男」
 1543年。ポルトガル人のフランシスコ・ゼイモトの話です。火薬の話は、自らの体験と実地調査を通して語ることができたテーマの一つです。そこに、海外からの視点を持ち込んだところが斬新です。【3】

初出誌:『小説すばる』2007年1月号
 
■「ホラ吹きピント」
 ポルトガル人の貿易商人であるメンデス・ピント(1544年来日)の話です。この後の生きざまが知りたくなりました。【3】

初出誌:『小説すばる』2007年8月号
 
■「ザビエルの耳鳴り」
 1541年にリスボンを出帆し、キリスト教の布教をしたフランシス・ザビエル(1549年来日)の話です。人柄が目に浮かぶように描かれています。【3】

初出誌:『小説すばる』2008年2月号
 
■「アルメイダの悪魔祓い」
 正一位の狐さまとイエスの神との戦いが描かれます。ポルトガル人のアルメイダ(1552年来日)をめぐる物語は、いかにもという作り話で終わっています。山本兼一らしさが感じられない作品となりました。【2】

初出誌:『小説すばる』2008年7月号
 
■「フロイスのインク壺」
 盲目の琵琶法師であるロレンソの存在は中途半端でした。日本の習俗と文化を、丹念に布教史として羽ペンで記すフロイス(ポルトガル、1563年来日)は、今で言えばレポーターです。【4】

初出誌:『小説すばる』2008年10月号
 
■「カブラルの赤ワイン」
 ポルトガルと日本の文化の違いが面白く語られます。まさに、比較文化論の素材が満載です。そして、孤独なカブラル(ポルトガル、1570年来日)という男を描ききります。【4】

初出誌:『小説すばる』2009年1月号
 
■「ヴァリニャーノの思惑」
 信長はフロイスに、友好使節をヨーロッパに派遣したいと語ります。それは形を変えて、実際には伊東マンショや千々石ミゲルなど4人がバチカンに行きました。ヴァリニャーノ(1579年来日)だけはイタリア人です。【3】

初出誌:『小説すばる』2009年3月号

※本書は、集英社から2009年7月に単行本として刊行されたものを文庫本にしたものです。
 
 
 

2016年8月27日 (土)

京洛逍遥(374)秋の気配の賀茂川散策と「Heian GO Genji」私案

 ギプスでぎこちなくしか歩けない足を庇いながら、夕方の賀茂川を散策しました。
 南を望むと、出雲路橋の向こうに京都大学あたりが見えます。
 堆積した土と草が中洲となり、川幅を狭めています。


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 鷺たちも夏の終わりを感じているのでしょうか。
 思い思いに夕食を探しています。


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 夕風に吹かれながら、気持ちよさそうな鷺と鴨がいます。


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 トントンと呼んでいる飛び石があるところから北を見やると、北山大橋から北山あたりが靄っています。


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 「ポケモンGo」で遊んでいた子どもが、賀茂川右岸の賀茂街道へとトントンを渡っています。鷺が「またおいで」と言って見送ってるところです。


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 川風がもう秋かと思われるほどに、涼しく感じられます。
 気温は26度です。
 今年は、早々とトンボが飛び交っています。

 河原では「ポケモンGo」をする人がたくさんいます。
 この「ポケモンGo」の影響か、賀茂川も少し雰囲気が違うようになってきました。ウォーキングやジョギングではなくて、半木の道や散策路に佇んでスマートフォンを操作する人がいたるところで見受けられるのです。

 私は「ポケモンGo」を、まだ京都では使っていません。何となく違和感があり、自分が「ポケモン」を探しているところを人に見られたくない、という心理が働いているのです。東京のような都会ならともかく、自然の中では無粋だと思っているからでしょうか。

 誰か、京都限定の「Heian GO Genji」を作ってくださいませんか。
 洛中洛外で、光源氏たちから和歌を書いた文や懐紙をもらい歩くのです。上級者になると、和歌懐紙を集めるだけでなく、相手と和歌をやりとりしてもいいですね。巧い下手は関係なく、それらしい単語をちりばめるのです。歴史地理と文学体験が、洛中散策と共に楽しめます。

 実在の人物よりも、物語に登場する人物がいいのです。そして、和歌の意味がわかったらポイントが上がります。唱和を楽しむ方も出てきてもいいでしょう。
 あまり古文の受験勉強にならないようにして、平安のトリビアをふんだんに盛り込むのです。

 さしあたっては、この記事の末尾にあげた「源氏のゆかり一覧」(45ヶ所)を歩くアプリはどうでしょうか。
 また、昨年NPO法人〈源氏物語電子資料館〉で実施した文学散歩も、大いに参考になることでしょう。

「京洛逍遥(378)京都で源氏を読む会の源氏散策(第1回目)」(2015年10月10日)

 この「Heian GO Genji」が実現したら、京洛がさらにおもしろい仮想空間になるはずです。観光客のために、スペイン語や英語のバージョンも必要です。
 まさに、物語を持ち歩いて京洛逍遥ができるのです。京都は行くところには事欠かないのですから。平安編ができたら、中世編、幕末編とシリーズ化できます。

 2020年の東京オリンピックの折には、海外から来たお客さんを京洛に引き寄せられます。文化庁も京都に来るので、これはおもしろい文化観光のアイテムにもなります。
 どなたか、このアイデアを形にしてくださいませんか。
 
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参考情報:ブログ「鷺水亭より」で公開した「説明版」のリスト
 
「源氏のゆかり(45)説明板40-大原野神社」(2010/5/8)

「源氏のゆかり(44)五条の夕顔町」(2009/8/25)

「源氏のゆかり(43)河原院跡」(2009/8/16)

「源氏のゆかり(42)説明板39-鳥辺野」(2009/8/13)

「源氏のゆかり(41)比叡山へのハイキング」(2009/5/10)

「源氏のゆかり(40)説明板35-大堰の邸候補地」(2009/4/25)

「源氏のゆかり(39)説明板34-野宮神社」(2009/4/23)

「源氏のゆかり(38)説明板33-棲霞観跡」(2009/4/19)

「源氏のゆかり(37)説明板 32-遍照寺境内」(2009/4/18)

「源氏のゆかり(36)説明板29-大雲寺旧境内」(2009/4/12)

「源氏のゆかり(35)説明板25-朱雀院」(2009/2/22)

「源氏のゆかり(34)説明板30-雲母坂」(2009/1/11)

「源氏のゆかり(33)説明板27-羅城門跡」(2008/12/23)

「源氏のゆかり(32)説明板26-西鴻臚館跡」(2008/12/22)

「源氏のゆかり(31)説明板24-斎宮邸跡」(2008/12/18)

「源氏のゆかり(30)説明板23-大学寮跡」(2008/12/17)

「源氏のゆかり(29)説明板22-二条院候補地」(2008/12/16)

「源氏のゆかり(28)説明板36-法成寺跡」(2008/10/7)

「源氏のゆかり(28)説明板38-梨木神社」(2008/8/23)

「源氏のゆかり(27)説明板37-廬山寺」(2008/8/22)

「源氏のゆかり(26)説明板21-一条院跡」(2008/8/15)

「源氏のゆかり(25)説明板20-平安京一条大路跡」(2008/8/14)

「源氏のゆかり(24)説明板15-平安宮大蔵省跡・大宿直跡」(2008/7/28)

「源氏のゆかり(23)説明板19-朝堂院昌福堂跡」(2008/7/27)

「源氏のゆかり(22)説明板18-豊楽殿跡」(2008/7/23)

「源氏のゆかり(21)説明板17-藻壁門跡左馬寮跡」(2008/7/22)

「源氏のゆかり(20)説明板1-平安宮内裏跡」(2008/7/11)

「源氏のゆかり(19)説明板13-建礼門跡」(2008/6/14)

「源氏のゆかり(18)説明板14-宜陽殿跡」(2008/6/10)

「源氏のゆかり(17)説明板8-紫宸殿跡」(2008/6/9)

「源氏のゆかり(16)説明板 6-蔵人町屋跡」(2008/6/5)

「源氏のゆかり(15)説明板 7-内裏内郭回廊跡」(2008/5/31)

「源氏のゆかり(14)説明板2-凝華・飛香舎跡」(2008/5/30)

「源氏のゆかり(13)説明板3-弘徽殿跡」(2008/5/30)

「源氏のゆかり(12)説明板4-清涼殿跡」(2008/5/25)

「源氏のゆかり(11)説明板5-承香殿跡」(2008/5/24)

「源氏のゆかり(10)説明板10-昭陽舎跡」(2008/5/20)

「源氏のゆかり(9)説明板11-温明殿跡」(2008/5/19)

「源氏のゆかり(8)説明板12-建春門跡」(2008/5/15)

「源氏のゆかり(7)説明板9-淑景舎(桐壺)跡」(2008/5/10)

「源氏のゆかり(6)説明板31-雲林院」(2008/5/6)

「源氏のゆかり(5)説明板28-鞍馬寺(2011/04/03補訂)」(2008/5/3)

「源氏のゆかり(4)説明板16-大極殿跡」(2008/4/10)

「源氏のゆかり(3)浮舟の石碑」(2008/1/26)

「源氏のゆかり(2)若紫がいた北山」(2008/1/5)

「源氏のゆかり(1)上賀茂神社の片岡社」(2008/1/1)
 
 
 

2016年8月26日 (金)

朴光華訳の第2弾『源氏物語—韓国語訳注—(夕顔巻)』刊行

 朴光華先生が、『源氏物語』の韓国語訳と注釈に挑んでおられます。
 これまでの成果を書籍にしてまとめられた第1弾が、昨秋の『源氏物語─韓国語訳注─(桐壺巻)』でした。

「朴光華著『源氏物語─韓国語訳注─(桐壺巻)』」(2015年09月06日)

 その第2弾となる『源氏物語—韓国語訳注—(夕顔巻)』が、今夏刊行されました。


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 この「夕顔」は、『文華 第五号』(2006年1月)という雑誌に掲載されたものに、大幅な手を入れて一書にまとめられたものです。

 韓国語に翻訳する上でのご苦心の一端が「後記」に記されています。


既刊の桐壺巻では、尊敬語尊敬補助動詞、謙譲語謙譲補助動詞、丁寧語・丁寧補助動詞などで苦労したが、この夕顔巻においては、助動詞「む・べし」、接続助詞「に・を」などで苦労した。

 また、このことに続いて、次のようなコメントも残しておられます。


桐壺、夕顔両巻の作業中において、一つのたのしみがある。それは、本書の訳と注釈に使った六書(『全書』『大系』『評釈』『全集』『集成』『新大系』)に、なにかあやまりはないのか、印刷ミスはないのか、と、それらを見つけることである。ここで、一々例を申しあげるには失敬なことと思ってさし控えるが、本書の中にはすべてを記して置いた。『評釈』には印刷ミスかどうか分からないものが目立つ。『全集』には初版に比べると、漢字やおくりがななどが、なにげなくすらりと変わったものが十数個所にわたって見える。『大系』にはあんまり見当たらないが。後世になって、韓国で、本書のあやまりなどを指摘する人があらわれたら幸いなことであるが、たぶん、おそらく、そのような人はあらわれないでしょう。本書にもあやまりがないわけでもないが。

 これは、活字による校訂本文とその注釈に頼って『源氏物語』を読み、研究する上での、貴重なご教示となっています。確かに、市販の校訂本文は版を重ねると、微妙に手が入っていきます。些細なことだからということもあって、その補訂の手を吟味することはありません。しかし、活字本に頼っている方には、この朴先生のことばは、そうした改訂の手が入ることがあたりまえである、ということをあらかじめ承知して活字本を利用する必要があることにつながります。

 この朴先生の大仕事は、これから14年という長い歳月をかけて刊行されます。
 翻訳にあたっての方針等は、上記ブログの記事に譲ります。
 次は「若紫巻」であり、以降、「須磨」「明石」「総角」「浮舟」と続くようです。

 朴先生からいただいた情報により、本書の書誌を整理してまとめておきます。


1)著者;朴光華(Park KwangHwa)
2)初版発行日;2016年7月1日
3)出版社;図書出版 香紙
 〒08801 韓国 SEOUL市 冠岳区 奉天洞 1688-12 金剛Building 4層
 Emai1;mind3253@daum.net
4)総頁;522頁
5)定価;W65、000
6)ISBN;978-89-94801-08-7
7)本書の構成;
 写真4枚(宮内庁書陵部蔵 青表紙本 夕顔、尾州家河内本 夕顔、廬山寺 等)
 序、凡例、夕顔巻の概要、登場人物系図、参考文献など;1-23頁
 夕顔巻(日本語本文、韓国語訳、韓国語注);24-501頁
 夕顔の宿(糸井通浩);502-514頁
 後記(日本語);515-516頁
 図録1-6;517-522頁

 韓国語に訳された『源氏物語』は、これまで信頼に足るものがありませんでした。それだけに、この朴訳が韓国における今後の『源氏物語』の研究に果たす役割は、ますます大きなものとなることでしょう。

 なお、私の科研(A)のホームページから公開している『海外平安文学研究ジャーナル Vol.3』(2015/09/30)で、この第1弾である『源氏物語─韓国語訳注─(桐壺巻)』に関する詳細な紹介を掲載しています。

 「新刊紹介:朴光華著『源氏物語―韓国語訳注―』(桐壺巻) 厳 教欽(東京大学大学院 博士課程)」(109~115頁)

 このジャーナルは自由にダウンロードしていただけますので、併せてお読みいただけると、朴光華先生の翻訳にあたっての姿勢と、『源氏物語─韓国語訳注─』の意義が明確になると思います。
 
 
 

2016年8月25日 (木)

座席を譲ってもらって思うこと

 電車で初めて席を譲られて困惑したことを書いたのは、今から8年前のことになります。あの時は、年よりも若作りをしていたつもりだったのに、年寄りと見られたことがショックでした。
 50代後半で、日々スポーツクラブに通っていたこともあり、体力年齢は18歳の頃でした。

「心身(15)初体験に困惑」(2008/6/25)

 今日の出来事も、私としてはショックでした。

 会議に出席するために、電車を乗り継いで2時間弱の立川に行きました。
 その途中、中野駅で乗り換えて中央特快に乗ってしばらくしてからでした。中野駅から三鷹駅までは止まらないこともあり、しばらく立ちっぱなしで行くか、と思っていたところ、目の前に座っていた若者が「どうぞ」と席を譲ってくれたのです。
 少し足先が鬱血しだした時でもあったので、ありがたく座らせていただきました。
 感じのいい若者でした。携帯電話ではなく、文庫本を読んでいました。

 立川駅前から、立川学術プラザという職場の前に止まるバスに乗りました。すると、発車して間もなく、私と同じか少し上かと思われるご婦人が、「どうぞ」と言って席を譲ろうとなさいます。「すぐに降りますから」、と言って辞退しました。
 その方は、「そうですか」と言って1度立ち上がった腰を、また座席に下ろされました。
 非常に感じのいい方でした。ごく自然体だったことが印象的でした。

 それにしても、通勤で2度も席を替わっていただくことは初めてです。よほど、私が疲れた表情をしていたのでしょうか。

 もともとが細身で、一見ひ弱そうな出で立ちなので、みなさんの同情を誘うのでしょうか。頼りなげな表情で吊り革を持っていたのでしょうか。人生に疲れた雰囲気を醸し出していることはないと思うので、私の姿は、哀れみや手を差し延べたくなる気分を漂わせていたのでしょうか。

 それにしても、これはよくないな、と思いました。
 かといって、今さら、どうしようもありません。

 父がよく言っていました。
 「人の世話にはなるものだ」と。
 人さまからの哀れみを受けながらの日々は、あまりありがたくはありません。
 しかし、これは自分でどうこうできるものではない、と諦めることにしました。
 人の好意はありがたく素直に受ける、ということを自分に言い聞かせようと思います。

 これも、齢を重ね、弱りつつある我が身を庇いつつ生きる立場になった者の、自らに言い聞かせる処世術の一つなのでしょう。
 寂しい気がします。しかし、これも一時でありたいと願いながら、とにかく臆せずに社会との関わりを持ちながら日々を過ごしたいと思います。

 たかが席を譲られたからと言って、あれことれと考えることではないようにも思え出しました。
 心優しい方の多い社会だな、との思いを強くしています。

 そんなことを思って帰路についていたら、帰りの電車が揺れた瞬間に前に立っていた方がよろけて、私の骨折した足のギプスの上に、思いっきり踵を落としてこられました。ギャーと叫びたいところをグッと我慢して、俯いて痛さを堪えました。

 いやはや、いろんなことがあるものです。
 そして、いろんな方がいらっしゃいます。
 
 
 

2016年8月24日 (水)

古都散策(60)移転7・古都散策(18)夏の奈良公園と浮御堂

 今夏は古都奈良を散策する予定でした。
 しかし、思わぬ骨折というトラブルに見舞われ、それが叶わなくなりました。
 過去の記事でクラッシュしたために読めなくなっているものから奈良の話を復元し、行った気分になることにしました。

 ここで取り上げている東大寺や浮御堂は、山田洋次監督の映画『男はつらいよ 第一作』(昭和44年8月封切)に出ていました。


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 そのことを、昨日たまたま観たホームビデオの映画で再確認したのです。そんなこんなで、今日はこの奈良公園周辺を取り上げます。

 映画では、旅に出た寅さんが、御前様(笠智衆)とその娘冬子(光本幸子)に奈良で出会います。浮御堂の前で記念写真を撮ってから奈良ホテルに入るシーンは、覚えておられる方も多いことでしょう。御前様が浮御堂を背景にして「チーズ」ではなくて「バター」と言うのも、懐かしい場面でした。
 
(※本記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)

********************** 以下、復元掲載 **********************
 
2006年9月10日公開分
 
副題「光の庭と池の静けさの中を彷徨う(8月8日)」
 
 東大寺の南大門から南の飛火野に向かって歩きながら、参道のすぐ左手にある若草山に目を転じると、小さな灯籠の絨毯に驚かされます。正面には、シルクロード国際交流館が聳え、その裏手の若草山には光の文字が刻まれています。この現世において、突如として幻想的な空間の中に身を置くことができます。

 ここには、自分の灯籠を置くこともできるので、無限の世界に自分も参加できるのです。自然の中の夜の闇に溶け込める体験は、おそらく貴重なものとなることでしょう。歴史と文化が横溢する、古都ならではの、ぜいたくな仕掛けです。


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 光の庭から飛火野に歩いていくと、奈良公園の浅茅が原に至ります。ここでも、これまた灯籠が無数に置いてあります。
 その脇道の通路には、竹筒の中でロウソクが燃えています。足下から視線の先が、柔らかで暖かい光の点でエスコートしてもらえます。

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 さらに南へ下ると、ライトアップされた円窓亭の真下に、浮御堂が見えてきます。薄暗い中で、不思議な雰囲気の休憩所となっています。その周りの池には、提灯を捧げた貸ボートに乗る2人連れが幾組か、静かな水面にユラユラと漕ぎ出しています。
 池の汀にも光の点が集まっていて、悠久の小宇宙を見せてくれます。

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 時間がいくらでも吸い取られるかのようなこの地を後にするのは、幾分ためらわれます。しかし、帰り道は満ち足りた思いで、ブラブラと夜の奈良公園を彷徨うことになりました。
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
 
 
 

2016年8月23日 (火)

《仮名文字検定》の公式サイト(仮)公開

 先月下旬に、「《仮名文字検定》2018年夏より実施のお知らせ」(2016年07月22日)を、本ブログに掲載しました。

 その《仮名文字検定》の公式サイトを、まだ完成型ではないものの、新たに公開しました。
 アドレスは、本ブログの「お知らせ」に記したものと、今後とも変更はありません。
 以下の通りですので、ブックマークやリーダーなどに登録していただけると幸いです。

  《http://www.kanakentei.com/》

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 多くの方々に「設立趣旨」や「検定概要」などを確認していただけるようにとの思いから、仮バージョンではあるものの公式サイトの立ち上げを急ぎました。

 今後は、「受付ページ」や「申込みページ」等の作り込みと共に、スマートフォン対応のページも用意します。

 お知り合いの方々に、《仮名文字検定》が動き出しているということを、ニュースとしてお知らせいただけると幸いです。

 公式テキストは、2017年12月末にできます。

 まずは、鎌倉時代に書写された仮名写本(『源氏物語』等)を使って、変体仮名を読むことから受験の準備をなさってはいかがでしょうか。
 その時には、仮名文字の字母に注意していただくと、着実に変体仮名を読む力がつくはずです。さらに注意していただきたいのは、変体仮名の「阿」を「あ(安)」に、「可」を「か(加)」にというように、変体仮名を現行の平仮名に置き換えて翻字しないで、字母のままに翻字する練習をしてください。それが、本検定試験の受験対策につながる近道となることでしょう。

 みなさまが《仮名文字検定》を受験するための準備として自習なさる際には、私が科研(A)の成果として公開しているホームページ「海外源氏情報」の中にある、「『源氏物語』原本データベース」が、有益な情報源の一つになるかと思います。


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 そこでは、『源氏物語』の写本の画像が閲覧できるサイトを、50件以上も紹介しています。
 また、刊行されている『源氏物語』の影印本についても、30件以上を紹介しています。
 これは『源氏物語』に限定してのものです(現在では入手困難な書籍も含んでいます)。
 こうした情報も、《仮名文字検定》を受験するための学習資料の一部として活用していただければ幸いです。

 なお、《仮名文字検定》の特徴の一つとして、視覚障害者が触読で受験することも可能としています。
 もし興味をお持ちの方がいらっしゃいましたら、本ブログのコメント欄を活用してお問い合わせください。
 立体コピーによる写本の触読に関して、現在お手伝いできることをお知らせします。

 変体仮名を触読することに関する情報源としては、私が科研の「挑戦的萌芽研究」で取り組んでいるホームページ「古写本『源氏物語』の触読研究」も、お役に立つかと思います。


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 古写本の触読については、その中の「触読通信」の記事が、具体的で実践的な参考情報となっています。ここもご覧いただいて、《仮名文字検定》を触読で受験する対策の一つとしてお役立てください。
 
 
 

2016年8月22日 (月)

読書雑記(177)中村久司歌集『流刑のソナタ 異端調』

 『流刑のソナタ 異端調』(中村久司、MyISBN - デザインエッグ社、オンデマンド (ペーパーバック)、2016/7/25、¥1,434)を読みました。


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 オンデマンド出版ということなので、アマゾンで本書の情報を確認しました。紹介を兼ねて、一部を引きます。


■内容紹介■
英国に30年間滞在し、世界20カ国の詩人と英語短歌を詠む活動を続けていた著者の、日本語による第一歌集。
新古今和歌集の抒情と西欧の「ポエム」のシンボリズムの融合を試みた異色の100首。

潮騒も 時の流れも 閉じ込めて 琥珀は眠る バルトの海に

北の海 カモメを鎮め 天を裂き くさび打ち込む 冬の稲妻

吾亦紅 枯れた後にも 立ち続け 死の薄化粧 初霜の朝

聖堂と ネオン街とを 分かつ川 行き交う男女 生ぬるい雨

ツル四羽 折った手の横 核コード 石に染み入る 八月の影

異色・異端の100首は、1973年にソ連船「バイカル号」で冬の横浜港からエルシノアへ旅立ち、その後、日本とヨーロッパの間を彷徨った一人の「異端者」のソウルの投影である。

■著者について■
1950年、岐阜県飛騨市生まれ。高校電気科卒業後、名古屋税関に入関。在職中にデンマークの国際カレッジへ無許可で短期留学。1975年に税関を辞めて渡英し、日英を往来の後、1988年からイギリスのヨーク市に永住。1994年、英国ブラッドフォード大学平和学部大学院で日本人初の平和学博士号を取得。在職中、英国の二つの大学で国際教育・交流プロジェクトを担当。英文学科・美術学科学生に、新古今和歌集を中心に古典短歌を教える。
2004年、世界20カ国の詩人と英語で短歌を詠む「日英短歌ソサエティー」を創立。2008年、日本国外務大臣表彰を受賞。
著作に、『イギリスで「平和学博士号」を取った日本人:英国の軍産学複合体に挑む』(高文研)、『観光コースでないロンドン』(高文研)、英語歌集『The Floating Bridge: Tanka Poems in English』(Sessions of York) など。

 これまでに刊行された著書について、私の勝手な読書雑記は次の通り3点があります。

(1)「英語の短歌を読む」(2008/11/13)

(2)「読書雑記(53)中村久司『イギリスで「平和学博士号」を取った日本人』」(2012年11月15日)

(3)「読書雑記(103)平和学博士のロンドン案内は辛口の英国論」(2014年07月12日)

 イギリスでは、ヨークとケンブリッジでお目にかかりました。妻と娘共々、お世話になりました。そんな関係からか、短歌の背景が私なりに想像できたので、透き通ったお人柄を思い起こしながら読みました。素人が勝手にキーワードを付けるならば、「ありし日」「月影」「ひとり」でしょうか。

 遠く隔たった自然や風景の時空を通して、影や音や色や香が、ことばの後ろから微かに伝わってきます。
 ことばを紡ぎながらも滲み出る作者の孤独が、モノクロの中で淡い色や鋭い光線として詠まれている歌集だと思いました。
 私と妻で、お互いが気に入った歌を何首か選びました。
 二人が選んだ同じ歌は今は措き、私が選んだ次の五首を紹介します。


手の中に 捕らえたホタル 息づけば 三つ児でさえも 指解き放つ

笹の葉の ひとひらの雪 押し落とす 群竹に射す 蒼い月影

 (風花を台所にいた母にも見せたいと思った遠い日を思い出し。)
見せたいと 連れ出した母 見上げれど 風花は消え 母は微笑む

一条の 香立ち上る 垂直に 雨音静か 暁の寺

直立し 北の裸木 そびえ立つ 靴紐結ぶ 冬の旅立ち


 
 
 

2016年8月21日 (日)

脳ドックで検査結果の説明を受ける

 先月25日に、中目黒の東京共済病院で、人間ドックと脳ドックに入りました。
 人間ドックでの健康診断結果は、郵送で送られて来ていました。

 今回初めて、血液検査で尿酸値が高いという結果が出ました。
 血液検査は、京大病院の糖尿病内科で一ヶ月おきにやっています。
 先月の検査では何もなかったので、これは今月末の検査の時に再確認します。

 ヘモグロビン A1cは7.0でした。これは、先月の京大病院での検査と同じです。
 この夏は特に食事に気をつけており、カロリーを意識して高めで摂っています。その成果とでも言えるのか、体重が50キロを上下していたところを、今は待ち望んでいた51キロ台になっています。
 そのことを思うと、意外にヘモグロビン A1cが上がっていないので、一安心です。

 6月下旬に、どうも目が霞むことが気になるので、宿舎の近くの評判のいい眼科に行きました。そして、いろいろな検査をしてもらった結果、白内障の症状が認められるとのことでした。9月に精密検査に行くことになっています。

 今回の人間ドックでも、左目に白内障の疑いがあるとの指摘がありました。
 来月は、忘れずに近所の眼科で精密検査をしてもらうことにします。

 さて、一昨日の脳ドックの検査結果です。
 認知機能検査は、年齢相応で問題なしでした。
 ボケ老人には、いましばらくはならないようです。
 また、脳梗塞の疑いもまったくありません。

 ただし、MRIの断層写真を見ながら、「白質病変(中等度)」と「頚動脈壁の肥厚」が認められる、ということでした。わずかな異常であり、支障はないものの、念のために来月、首の頚動脈のMRIの検査をすることになりました。

 帰りに、1枚のCDをいただきました。今回の検査画像が収録されているものです。
 以前、京大病院でももらった記憶があります。
 見てもわからないながら、これも何かの記念にと、画像を2枚抜き出しておきます。
 次の脳の断面図は、確か画像の中央右下に写っている浮き雲のようなものが「白質病変」だという説明を受けたように思います。


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 これが大きくならないようにするといいそうです。そのためには、運動をすることと、週末にはパソコンを使わない生活を心がけなさい、とのご託宣を受けました。運動はともかく、パソコンは難題です。

 また、脳の中の血管の画像も、おもしろい線を描いているので抜き出しました。
 何が何なのか、さっぱりわかりません。しかし、このような形で血管が自分の頭の中をクネクネと張り廻らされているのかと思うと、自分は一体何なのかと不思議に思い楽しくなります。


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 面談が終わってから、病院の10階にあるレストランで、この前と同じく鰻丼をいただきました。きれいなレストランです。
 眼下には、東京タワーが見えます。


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2016年8月20日 (土)

駅のホームドア設置と「ホーム縁端警告ブロック」

 一昨日は、日比谷図書文化館から尾崎さんと一緒に、地下鉄三田線で途中まで帰りました。
 先日の、地下鉄ホームから転落した方の悲劇を思い出し、そのことを話題にしました。白杖を持った尾崎さんと一緒に駅の構内を歩いていると、こちらも五官が研ぎ澄まされ、あたりにアンテナを張り廻らす自分を意識しました。

 尾崎さんも中学生の時、電車から降りたところを前から来た人に押されて、ホームから線路に転落したことがあるそうです。何人かの方に引き上げてもらったとか。

 これまでに私が出会った多くの全盲の方々は、そのすべての方がと言ってもいいほどに、ホームからの転落を経験しておられました。それが、民博の広瀬浩二郎さんの言葉を借りれば「通過儀礼」であるかのように、みなさんがその怖さを語ってくださいます。
 新聞やテレビなどでは、ホームからの転落は「37パーセント」としています。しかし、現実にはもっと多いと思われます。

 一昨日の三田線大手町駅のホームには、電車との接触や転落を防止するために、両開きのホームドアがありました。


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 宿舎に帰ってから見た毎日新聞(平成28年8月18日(木)朝刊14版)には、1面、3面、28面の都合4箇所で、この問題を大きく取り上げていました。電子版で見たところ、関西版も大きく扱っていました。


 既存の地下鉄駅で、全国で初めて可動式のホーム柵(ホームドア)が設置され運用が始まったのは2000年。東京都営地下鉄三田線の高島平駅(東京都板橋区)だった。毎日新聞が視覚障害者向けに発行する点字毎日の紙面は、当時「落ちない駅が実現」と紹介した。それから16年。ホームドアは着実に増えているとはいえ、まだ不十分だ。(3面、「クローズアップ2016 視覚障害者ホーム転落 周囲の声掛け命綱」)

 設置や補強費用のことと共に、列車のドアの数や位置が現状ではまちまちなので、その対処策と問題点は単純ではないようです。しかし、バーが上下する「昇降式ホーム柵」などの改良を進め、一駅でも多くのホームにドアや柵を設置してほしいと思います。

 また、点字ブロックについて、同紙には私がまったく知らなかった説明があったので以下に引いておきます。それは、次の図版の右側にある「ホーム縁端警告ブロック」に関するものです(3面より)。


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 点字ブロックについては、「警告ブロック」(図版左側)と「誘導ブロック」(図版中央)があることは知っていました。「社会福祉法人日本盲人会連合」のホームページでも、「点字ブロックについて」という項目にはこの2種類だけが取り上げられています。

 「ホーム縁端警告ブロック」というのは駅のホームにだけ使われているためか、その他のホームページでも「点字ブロック」の説明には見当たりません。「ウィキペディア」でもそうなので、このあたりの説明には、手を入れる必要があるのではないか、と思われます。
 この「ホーム縁端警告ブロック」については、次の2つの報告書が参考になります。ユニバーサルデザインの分野の問題でもあります。

「視覚障害者誘導用ブロックを効果的に配置する」(大野央人、鉄道総合技術研究所、RRR Vol.71 No.7 2014.7 16~19頁)

「鉄道技術来し方行く末 発展の系譜と今後の展望 第38回 視覚障害者誘導用ブロック」(大野央人、鉄道総合技術研究所、RRR Vol.72 No.6 2015.6 28〜31頁)

 点字ブロックは日本が開発したものであり、平成24年に国際規格として定められ、今や世界130カ国以上で採用されているそうです。

 インドでも、「警告ブロック」と「誘導ブロック」が使われていました。もっとも、その使われ方には疑問を抱きましたが。

「インド・デリーの点字ブロックなどには要注意」(2016年02月25日)

 日本でも、駅のホームにある柱との位置関係をどうするかには、課題があります。上記ブログで写真を掲載したように、インドで樹木やマンホールの蓋を避けて点字ブロックをカクカクと回り込ませているのは、どう見ても無理があります。

 「ホーム縁端警告ブロック」について、上記毎日新聞の説明では続けて次のように記されています。


 国土交通省によると、青山一丁目駅のホームで品田さんが転落した場所にあったのは、歩く方向を示す「誘導ブロック」ではなく、ホームの端が近くて危険だと示す「ホーム縁端警告ブロック」だった。
(中略)
 品田さんは両ブロックの接続する地点から離れた場所で転落した。同省担当者は「縁端警告ブロックの上を歩くことを想定していない」と指摘する。だが、混雑時には一般利用客が点字ブロックをふさぎ、機能しているとは言い難い状況も生まれる。実際、警告ブロックを頼りに移動する視覚障害者は少なくない。青山一丁目駅では、縁端警告ブロックの列を柱が遮るように建っている。
 国交省の指針ではホームに縁端警告ブロックを敷設する場合、途中に構造物があっても連続させるよう求めている。遠回りするよう敷くとかえって方向や位置が分からなくなるという視覚障害者の意見を反映させており、青山一丁目駅はこの指針に沿っている。

 点字ブロックに関して、検討すべき課題はいろいろとあるのです。
 これまでは、ブロックの上に立つ人や置かれた荷物に、注意喚起がなされていました。今は、スマートフォンのながら歩きが、目が見える見えないに関わらず問題になっています。

 尾崎さんに、歩きスマホの人とぶつかったことがあるかを聞きました。彼女の答えは、人にぶつかることは多いので、その相手が歩きスマホかかどうかは見えないのでわからない、とのことでした。
 目が見えない方々の実情を私がまだよく理解していないため、それが愚問であったことを教えられました。

 また、回りの方からの「大丈夫ですか?」という声掛けについても聞きました。
 彼女の返答は、通学などでよく通う道は熟知しているので、声を掛けていただくのはありがたいけれども、あまり続くといちいち対応するのに苛々することがある、とのことでした。ただし、通学路以外では、助かることが多いしありがたいと思うそうです。
 この件も、声掛けする方としては親切心からなので、相手のことを慮っての対応が微妙なこともあるようです。それはそれとして、やはり基本的には、押し付けにならない程度に声を掛けるのが自然なことだと思います。
 危険と隣り合わせの方には、原則として声をかける、という心構えを持ち続けたいと思います。
 
 
 

2016年8月19日 (金)

尾崎さんからすぐに届いた『源氏物語 鈴虫』を触読した感想文

 昨日、日比谷図書文化館で歴博本「鈴虫」を読んだ記事をアップした後、すぐに参加していた共立女子大学の尾崎さんから感想文が届きました。
 メールには、こんな言葉が添えてあります。


1年前に比べたら自分でも驚くほど読める文字が増えていて、だてに毎日変体仮名を読んでいないなとうれしくなりました。

 一人の若者が、ひたすら前を見て歩んでいることを実感させてくれる文章なので、ここに紹介します。
 目が見えない方でも、鎌倉時代に写された『源氏物語』などの古写本をこれから読んでみようと思われた方や、そうした方が身近にいらっしゃる方は、遠慮なくこのブログのコメント欄を使って連絡をください。
 
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「講座を終えて ~触読できる文字が増えた今 思うこと~」

 私は今回、伊藤先生にメールで送っていただいたデータを大学の助手さんに立体化していただき、それを持参して講座に参加させていただきました。
 助手さんの配慮で、私が触読しやすいようにと、変体仮名を拡大してから立体コピーしてくださったので、A3サイズの大きな紙で触読しました。

 卒業論文執筆のため、ここ最近は頻繁に変体仮名を触読していたせいか、講座には問題なくついていくことができました。分からない文字があった時は、お隣の席の受講者の方や、同行してくださった助手さんに、指を持って一緒に文字をなぞっていただき、形を把握しました。
 その後、書写できる文字は持参していたノートにサインペンで書き取り、形を記録しました。

 やはり、漢字は読めないものが多くありました。「侍」や「六条院」の「条院」などは字が細かいのか、完全に形を把握することができませんでした。

 触読のスタイルは、右手で紙を抑え、左手で先生の読みに合わせて文字を触読しました。私は主に左手で点字を読むので、そのせいか、変体仮名も左手が中心に触読しているようです。ただ、右手で触読することもあるので、左手でなければ読めないということではありません。
 左右で触読のスピードに差があるのか、今後検討していきたいと思います。

 昨年度の夏に、初めてハーバード本「須磨」と「蜻蛉」を触読した時は、これまで読んできた江戸時代の変体仮名と形が異なる文字が多いため、ほとんど触読することができませんでした。
 しかし、いま振り返ってみると、書かれた時代によって、字形が異なるとは言え、あの時は単に勉強不足で、変体仮名の字形の一部しか把握していなかったため、読めなかったのだと思います。

 見える見えないに関係なく、字形を知らなければ文字が読めないのは当たり前だと思います。触読以前に、いかに字形を記憶しているかが大きな焦点となるはずです。
 文字の記憶方法も、伊藤先生がおっしゃっていましたが、通常目から入ってくる形が、触読の場合指から入って来るだけで、形を記憶する大本のメカニズムのようなものは、目で読むのも触読するのも変わらないと思います。どちらも勉強すれば読めると言うことなのでしょう。

 また今回、書き癖を把握することで、スムーズに読めると言うことも実感しました。
 同じ文字でも、書き手によって若干異なります。始めのうちは戸惑っていた文字も、
「これがこの人の【な】なんだ」
「これがこの人の【ふ】なんだ」
というように、読みながら覚えていくことで、書き癖を把握できるだけでなく、読むスピードは上がるのだということを、あらためて実感しました。

 点字には版があり、フリーハンドで書くことはできません。そのため、書き手の癖のようなものが反映されることもありません。読みやすい文字を書くことはできますが、どうしても形は一定になってしまいます。

 それが変体仮名だと、書き癖をもろに感じることができるだけでなく、字母が何種類かあるので、その中からどの字母の文字なのかということも知ることができます。これは変体仮名の魅力だと思います。
 変体仮名を触読することで、書き手はもちろん、書かれた時代の文化にも触れることができます。

 今回の講座で変体仮名を触読したことによって、『源氏物語』の本体に触れられたようで、大変うれしく思います。伊藤先生やご参加のすべてのみなさまに、心より感謝もうしあげます。

 触読によって変体仮名を読むことで、目が見えなくても日本の文化や物語に直接触れることができるということを、多くの人々に広めるべく、伊藤先生と共に触読の方法をより確かなものにしていきたいと思っています。
 
 
 

2016年8月18日 (木)

日比谷図書文化館で歴博本「鈴虫」を読む

 朝からの大雨が、夕方には止んでいました。
 日比谷図書文化館の前では、今日も多くの方が「ポケモン・ゴー」に熱中しておられます。


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 今日読んだ歴博本「鈴虫」で、読みにくかった箇所の確認をしておきます。

 「御さ可りの」(13丁オ5行目)では、「さ可り」から「の」へと、流れるように筆が走っています。


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 この部分だけを見ていては、「さ可り」の「可」にあたる箇所が何という文字なのかがよくわかりません。ここは、文意を意識して見ていかないと、「さ八りの」とか「さとりの」あるいは「さ尓の」などと読んでしまいかねません。

 次は、行末の例です。
 古写本では、行末や丁末においては、書写者の意識が次の行や次の頁に向いているので、ケアレスミスが多発します。


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 これは、「やを」ではなくて、「やう/\」と読むところです。しかし、「う」は読みにくい字形をしている上に、その位置も左にずれています。前後の文意を考えないと判読に苦しみます。親本通りに書写しようとして、行末が詰まってしまった例です。

 こうした行や丁の末尾における判読が困難な文字は、書写者の集中力が途切れる場所であることを意識しておくと、さまざまな読みの可能性に思いを巡らしながら、候補となる文字が絞り込みやすくなるものです。

 今日は、大学生で全盲の尾崎さんにも参加してもらい、実際に講座に参加されている方々と一緒に、歴博本「鈴虫」を読んでもらいました。立体コピーを活用して、自由に触読の訓練をしてもらったのです。そして、尾崎さんが読み取りにくい文字は、みなさんが翻字をなさる時にも有効なポイントとなります。

 変体仮名を読むのが大好きだという尾崎さんは、今日も多くの文字を追いかけ、読み取っていました。漢字や線の多い変体仮名などには手を焼いていたようです。しかし、それでも持ち前の勘を働かせて、少しずつ仮名文字のパターンを習得していました。

 日頃は一人で翻字などをしているそうなので、もっと仲間と一緒に写本を触読する環境を整えてあげると、迷うことも少なくなり、早く読み取れるようになることでしょう。
 今後がますます楽しみになってきました。人間の可能性の豊かさを実感しています。
 今日の感想を文章にして送ってくれるとのことなので、明日には紹介できると思います。
 
 
 

2016年8月17日 (水)

読書雑記(176)大谷哲夫『永平の風 道元の生涯』

 お盆にお寺さんがいらっしゃることを気に留めながら、『永平の風 道元の生涯』(大谷哲夫、文芸社、2001.10初版、2002.4第4刷)を読み了えました。
 私は宗教心が薄いと思っています。しかし、両親がよく言っていた「只管打坐」という言葉が『正法眼蔵随聞記』に出てくることばであることは、ずっと後の大学生の頃に知りました。

 私の家と妻の家は、偶然にも共に禅宗の曹洞宗であり、本山も福井県にある永平寺です。お互いの両親は、永平寺へ何度か行っています。
 母を追善しての西国三十三所札所巡りの満願は、子供たちとみんなで行きました。


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 最近の仏事で床に飾っているのは、この時の朱印軸を表装したものではなく、その後に私がガンの手術を経て無事に生還した折に西国三十三所を巡った時のものです。

 曹洞宗は、私が選択したものではないにしても、両親が代々受け継いできた我が家の宗派ということで、それが何であるのかもわからないままに引き継いでいるのが、偽らざる実情です。
 
 今回読んだのは、箱に「駒澤大学学長就任記念特装版」と印刷されている、ずっしりと重い本でした。


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 参考までに、巻末にある著者のプロフィールを引きます。

 


著者 プロフィール
大谷哲夫(おおたに てつを)
昭和14(1939)年、東京に生まれる。
早稲田大学第一文学部(東洋哲学専修)、同大学院文研(東洋哲学専攻修士課程)修了。
駒澤大学大学院文研(仏教学専攻博士課程)満期退学。
曹洞宗宗学研究所所員・幹事・講師を経て、昭和52(1977)年、駒澤大学に奉職。
平成6(1994)年より学生部長、教務部長、副学長を歴任。現在、駒澤大学学長、仏教学部教授。著書に、『訓注 永平広録』(上下2巻・大蔵出版)、『和訳 従容録』(柏書房)、『祖山本 永平広録 考注集成』(上下2巻・一穂社)、『卍山本 永平広録 祖山本対校』(全1巻・一穂社)、『道元禅師 おりおりの法話』(曹洞宗宗務庁)など、論文多数。

 
 さて、本書のことをメモとして残しておきます。

 建久10年(1199)に、源頼朝は53歳で亡くなりました。
 その翌年、正治2年の正月2日に京の松殿別邸で生まれたのが、この物語の主人公である道元です。宇治の木幡にある元摂政藤原基房の別邸で生まれたのです。
 母伊子は基房の三女。父は、具平親王の流れの久我通親です。伊子は、その前は木曽義仲の妻でした。

 道元が生まれた年に、幕府は念仏宗を禁止しました。公暁が誕生した年でもあります。

 道元は、父通親の子、異母兄通具(新古今集和歌集の撰者の一人)が育父となって、久我荘で育ちます。
 時は、頼朝から妻政子の北条氏が実験を握るようになっていました。また、末法思想が広がっている時代であり、法然の浄土信仰が説かれていました。

 そのような中で、道元は母が亡くなる時の「政治の世界に生きるな」という言葉が頭を離れません。


 死期の迫っていた母が話していた言葉の意味をどうしても知りたいと思った。
 ― 人は何のために生まれてきたのか、生きるとはどういうことなのか、人は死んだらどうなるのか、浄土というものが本当にあるのだろうか……。(44頁)

 この母の言葉が道元の生き様を決めるのでした。

 ある夜、夢に現れた母の言葉のままに意を決し、比叡山延暦寺の良観法印(叔父)のもとに行きます。13歳の春でした。この道元が得度式をあげるのは、第69代の天台座主慈円の次の公円の時です。この時から、出家沙門「仏法房道元」が誕生したのです。

 この物語は、簡潔な文章でわかりやすく、きびきびとした語り口で進んでいきます。

 道元は、やがて政治の権力闘争に明け暮れる仏教界に嫌悪を抱きます。
 そして、栄西を偲んで中国の天台山へ行き、正師を求めて諸山巡錫の旅に出ます。仏教の本質、仏教の悟りを求めるための旅です。

 平成19年(2007)に、私は中国浙江省にある天台山に登り、国清寺や万年禅寺へ行きました。山内のことが、今も鮮明に思い出されます。この時は、伊井春樹先生とご一緒でした。


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 この万年禅寺でいただいた境内の石片は、今も仏壇の位牌の横に置いています。

 道元が正師と出会うことと、師とする明全が死にゆく場面、そして大悟した道元を正師である如浄禅師が認証する「第二章 ほととぎす」は圧巻です。

 道元が宋で修行していた1223年から1227年までの5年間は、北条氏の執権政治が行われていました。その間に、日本も変わっていたのです。

 道元の生涯が、歴史語りと共に活写されます。
 仏教の専門用語もわかりやすいことばで記されているので、難しい宗教的な背景もよくわかりました。
 本書は、道元の死までを静かに語ります。道元の生き様が印象的に描かれているので、禅というものを考える時に思い出すことになるでしょう。

 本書には、口絵として「道元画像 自賛」「如浄画像 自賛」「道元嗣書」の3点のカラー図版があり、本文中には、田中伸介氏が描いた28葉の挿し絵(モノクロ)が、見開き左側の頁にあります。
 517頁の書物なので、16頁に一葉の絵が置かれていることになり、物語絵巻の雰囲気があります。
 また、巻末には、詳細な「道元総年表」や「主要参考著書一覧」等もあり、道元を理解するための手引きとなっています。【4】

 私がチェックしたのは、以下の文章です。
 5箇所ほどを抜き出しておきます。
 


 道元は、ひたすらなる坐禅こそが、釈尊から達磨へ、そして如浄から自分へ正しく伝わった仏法を学ぶ唯一の正門であると宣言した。
 それは、道元が出家し、比叡山の修行時代から抱き続けていた疑問、
「人は生まれながらにして仏であるとしながら、なぜ修行しなければならないのか」
 という命題への明確なる解答の序章とも言えるものであった。(303頁)

 

仁治三年(一二四二)正月に、四条天皇がわずか十二歳で崩御したため、兄弟の宮もいない天皇の皇嗣として土御門上皇(一一九五~一二三一)の皇子邦仁王が天皇の位についた。すなわち後嵯峨天皇(一二二〇~一二七二)である。天皇は、道元の父通親の第一子である久我通宗の娘通子を母とするので、道元にとっては甥にあたる。これによって久我家は天皇の外戚としての権力を獲得することになったのである。特に、久我通宗のあとを継いだ通親の第四子定通は道元の異母兄にあたるが、その累進はめざましく、朝廷の実権を握り叙位除目をほしいままにする勢いであった。
 道元が、その正伝の仏法の教線を京にまで拡張しえたのは、道元自身の好むと好まざるとにかかわらず、そのような政治情勢の激変を”追い風"にすることができたことにもよる。(348~349頁)

 

 翌仁治四年(一二四三)一月十六日に「都機」を撰述し、三月十日に「空華」を示衆した。「都機」は、万葉仮名で「月」のことで、「月」を主題として説示しているが、この巻に示された「月」は単に虚空に浮かぶ美しい月をいうのではない。道元が「月」によって説き示したのは、仏祖たちがしばしば月に仮託して語った「諸法無我」、あるいは「諸行無常」といった言葉に集約される正伝の仏法の真実義なのである。つまり、道元は、「月」を説示しながら、背後には常に”都機”(仏法のすべてのはたらき)を詩的ひらめきを駆使して説いたのである。(369頁)

 

 道元は、まず五家を中心とした中国宋朝禅を、「密語」「無情説法」「仏教」「見仏」などの巻において徹底的に批判し、次に儒教・仏教・道教の三教一致説を「仏経」「諸法実相」などの巻において舌鋒鋭く否定して、自らが如浄より受け嗣いだ仏法の正統性を論理的に説き明かしたうえで、その全一性と純粋性を強調した。
 「仏道」の巻において、諸仏諸師の中に「禅宗」という宗派を唱えたものはないとして、禅宗という呼称を、また、「曹洞宗」という呼称についても、歴史的事実に照らして誤りであることを指摘し、徹底的に否定した。
 臨済、曹洞をはじめ、五家の宗名を立てることを徹底して道元が嫌った裏には、旧日本達磨宗の弟子たちが、臨済宗大慧派を中心とする禅風の弊害に陥る危険性を憂える気持ちが多分にあったからにほかならない。五家分派以前の古風禅を参究し、五家の宗派を超えた、これこそ道元が生涯をかけて主導した仏法であった。(408~409頁)

 

 それでは、山に帰ってきた感慨を言葉で、どのように表現したらよいであろうか。次のように言おう。
 私が山を離れての半年ばかり、鎌倉という俗世間にいた心境は、
 まるで孤独な月が虚空にかかるようであった。
 しかし、今日、山に帰ると、諸君ばかりでなく、
 山川草木すべて雲までが喜んでいて、
 私の山を愛する気持ちは、昨年、山を出たときよりもさらに深いものがある」
 道元はこの上堂で、自分の仏法は「明得・説得・信得・行得」、つまり、道元自身が、確実に明らかにさとり、充分に説明することができ、明らかに疑いもなく信じることを身につけ、さらにそれをきちんと行じてきた、それが"わが仏法"だと明言した。(463頁)

 
 
 

2016年8月16日 (火)

京洛逍遥(420)大雨洪水警報の中での送り火 -2016-

 昨年の大文字は、ちょうど雨が止んだ8時からの点灯でした。

「京洛逍遥(373)雨間に6万人が見上げた大文字 -2015-」(2015年08月16日)

 一昨年は大雨の中での送り火でした。

「京洛逍遥(335)大雨の後の如意ヶ岳を焦がす大文字」(2014年08月16日)

 今年は、京都市周辺に大雨洪水警報から出る中、午後8時点火の30分前に突然窓を叩く大粒の雨が襲来しました。
 昨日の夕刻にも大雨が降り、すぐに上がったことから、8時前には止むだろうと思って近くの出雲路橋に出かけることにしました。
 しかし、橋に行くまで一向に止む気配がないどころか、ますます酷い豪雨となってきました。骨折で不自由になっている足を運ぶ足元は、大水が道路を川のように流れて行きます。
 近所の方も、五山の送り火に出かけようとする人はほとんどいらっしゃいません。
 途中で数人の方に出会っただけです。

 痛めた足には、ギプスの上からビニール袋で防水をしています。しかし、あまりの水嵩のためにしだいに染み込んで来ます。河原も、泥水となっています。

 午後8時になっても、如意ヶ岳に火の手は上がりません。


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 出雲路橋では大勢の方が傘をさして、如意ヶ岳の大文字点火を待っておられます。
 雨足はもうあたりを水浸しにし、見物人もしだいに減っていきます。


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 20分ほど待って、帰ろうとした時でした。
 出雲路橋の上から上流の北大路橋を望むと、上賀茂のあたりに「船形」が見えました。昨年も、このあたりから見た船形です。


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 昨年は、ここから北東方向に、松ヶ崎の「妙」と「法」も見えました。
 しかし、今年はまったく見えません。点火できなかったのでしょうか。

 帰ろうとしていた時に、突然太いマイクが突き出され、「NHKの者ですが……」とインタビューの女性の顔が透明のビニール傘越しに現われました。横には、ビニールで覆ったビデオカメラが私に向けられようとしています。
 すぐに手を左右に振って、結構ですと言ってそそくさと立ち去りました。
 カメラが構える右側の袖は、もう雨でずぶ濡れです。びしょびしょに濡らしたギプスを映されたのでは、それこそ堪りません。

 船形一つだけでも見られたので、ご先祖様も無事にお帰りになったことにして家に入りました。するとすぐに娘から電話があり、テレビでは京都五山のすべてに点火したと言っている、とのことです。

 それなら如意ヶ岳の大文字は、今からなら北大路橋へ行けばまだ残り火が見られるかもしれないと期待して、すぐに傘をさして出かけました。

 北大路橋に着いても、如意ヶ岳に火は見えません。
 西詰めの広場で、お二人の年配の夫婦の方に出会いました。
 どちらからともなく、テレビで点火したとのことなので大急ぎで出直してきたことを話しながら、いつもはあのあたりに出るのにと言葉を交わしました。
 そのお二人も、この近くの方のようです。

 交通規制と警備を終えようとなさっている警察官の方に聞くと、先ほど如意ヶ岳も遅れて点火したようだが、すぐに消えてしまったようです、とのことでした。

 ということで、今年は一番の見ものの如意ヶ岳の大文字は見られませんでした。
 しかし、船形が見えたので、これで今年も無事に後半を過ごせることでしょう。

 浴衣姿の観光客の方が多かったように思います。
 これに懲りずに、また来年もお越しください、と声をかけたくなりました。

 さあ、今年の後半戦がスタートします。
 これまでと変わらず、常に前を向いて、さまざまなことにチャレンジしたいと思います。
 
 
 

2016年8月15日 (月)

今年も庵主さんをお迎えしてのお盆でした -2016-

 今年も、同志社大学の近くにある養林庵の庵主さんが、お昼前に我が家に来てくださいました。
 ご自分の足で玄関までいらっしゃいます。
 今年で95歳です。
 しっかりとした足取りで、お話もいつものように多彩です。

 両親が満州から大切に持ち帰った木魚は、軽快な音で読経を盛り上げています。


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 今年のお盆は、長男と娘夫婦、そして姉と甥っ子3人が集いました。
 読経の後の庵主さんとのお話は、いつもみんなが楽しみにしています。
 今日は、娘が点てたお薄がきれいな泡立ちで、味もすばらしいと絶賛してくださいました。
 庵主さんは、お茶の先生もなさっていた方です。
 やがて、裏千家と表千家のことや、庵主さんが最近読んだ本のことなど、和やかな会話がつづきました。
 車までお見送りした時も、また来年も元気で、と言葉を掛け合いました。

 お昼は、息子が作った本格的なイタリア料理を、仏壇の前で、わいわいがやがやと食べました。
 子どもたちが多いと、大皿に山盛りのいくつもの料理も、あっというまになくなります。
 私が小食なので、我が家では年に一度あるかないかの大食事会です。

 今年は、骨折した私の足の状態が思わしくないので、河内高安への墓参は長男一人に託しました。
 やがて、突然の大雨も、すぐに止みました。
 明日は京都五山の送り火です。
 ご先祖さまに守られながら、家族親族みんなが元気でいることに感謝する一日でした。
 
 
 

2016年8月14日 (日)

「海外源氏情報」では着実に情報を更新中です

 現在取り組んでいる科研「海外における源氏物語を中心とした平安文学及び各国語翻訳に関する総合的調査研究」は、4年目の本年が最終年度となります。

 私は本年度で定年なので、来年度の科研の申請ができません。この科研(A)と「挑戦的萌芽研究」は、さらなる成果が期待でき、膨大な情報が着実に収集整理できているので、研究環境と成果を拡大するためにも、この科研のテーマをどうしたら継続できるのかを検討しています。

 現状では継続が難しいので、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉に維持管理を移管して、少しずつでも内容を充実させて公開を続けていこうと思っています。

 来年4月以降は大きな展開が望めないので、最終年度の今の内に可能な限りの情報の増補と再構築をハイペースで進めているところです。

 最近の更新情報の一端を確認しておきます。
 更新した最新のものは、トップページの赤矢印①の「科研サイト更新&進捗情報」(2016/08/09現在)でおりおりに告知しています。


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 そして、赤矢印②③④が「翻訳史&論文データベース」の中でも特に貴重な情報の集積場となっています。

 現在のところ、赤矢印②「『源氏物語』翻訳史」には275件の情報があります。
 赤矢印③「平安文学翻訳史」には569件、赤矢印④「海外 - 源氏物語・平安文学論文検索」からは715件の情報を公開しています。

 さまざまな形で検索できるような仕掛けも設定していますので、ご自由に気になる情報を引き出してください。

 その他、メニューバーのプルダウンメニューから、適宜知りたい情報をご覧いただけます。

 このホームページに掲載していないことで、ご存知のことがありましたら、上部左の「情報提供」からお知らせいただけると幸いです。
 
 
 

2016年8月13日 (土)

アレッ! と思う時〈その2〉日本語あれこれ

(1)テレビのインタビュー等で、画面の下に表示される字幕が正しい日本語に直されているのは、親切心か余計なお世話か?(故事成語や「れる」「られる」等)
 
(2)テレビのCMで「糖尿病の予防薬、治療薬ではありません。」と表示されている、その読点(、)の紛らわしさ。(句点「。」や中黒点「・」との使い分け)
 
(3)スーパーなどで「小女子の佃煮」に「こうなご の つくだに」と振り仮名があった時の安堵感。(正しくは何と読むのか聞くに聞けなかった言葉との遭遇)
 
(4)京都市バスの車内放送では、日本語も英語もアクセントやイントネーションに全国の方が違和感を覚えるはず。
 
(5)バスや電車に乗った時、海外の方から「どうぞ」と日本語で声をかけられて席を譲っていただいた時の「ありがとう」と応える自分の言葉と心中に籠もる困惑。
 
 
 

2016年8月12日 (金)

京洛逍遥(419)河原を飛ぶ鳥たちとインドのカンナダ語のこと

 早朝の散歩では、涼風の心地よさに身を任せるトンボと鷺を見かけました。
 昨日の活動編とでも言うべき瞬間を、写真として切り取りました。


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 鴨は相変わらず、のんびりと朝食のようです。


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 午後から、京都大学の人文科学研究所研究員としてインドから来日中のRさんに、インドの情報をいろいろと伺いました。
 京町家で会ったので、いい雰囲気の中で自由に意見交換ができました。

 初めてお目にかかった方なのに、よく喋りました。特に、インドで使われているカンナダ語については、まったく知らなかった言語なので新たな発見がたくさんありました。

 日本の古典文学を通して、日本とインドとの交流はまだまだ拡がりそうです。それも若い方々とは、積極的に研究集会などで情報交換をしていく必要があることを、あらためて痛感しました。

 今日も、日本とインドはお互いが文化的に近いものを持っているので、対話と交流を継続すれば、その中から次世代の研究者が育ってくるはずであることを、しっかりと確認できました。若者たちに期待するだけではなくて、育っていくのを支援することも大事です。とにかく、直接相手の顔を見ながら語り合う、ということが学術交流の最初の一歩だといえるでしょう。

 その意味からも、今秋11月にニューデリーで開催する「第8回 インド国際日本文学研究集会」は、さまざまな役割を担った国際集会として位置づけることになりそうです。
 
 
 

NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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