『十帖源氏』の翻刻と現代語訳を、若手の有志と一緒に進めています。
『十帖源氏』は、野々口立圃(1595-1669)が承応3年に著した『源氏物語』の梗概書(ダイジェスト)です。
今回翻刻に使用したのは、古典文庫版の『十帖源氏 上・下』(平成元年)に収録された自筆版下本です。
書誌などの詳細は、古典文庫巻末の吉田幸一氏の解題をご参照ください。
ここに公開するものは、海外の方々に『源氏物語』のおもしろさを知っていただくために、10種類ほどの多言語に翻訳するプロジェクトにおける、基礎的な資料とするものです。
その詳細は後日おしらせします。
今は、とりあえず、出来上がった資料を、興味と関心をお持ちの方々のために、順次公開することにしました。
また、これを翻訳してくださる方には、ここで公開する資料をもとに、各自の言語で翻訳していもらいたいと思います。
また、この場所が、翻訳をして行く上で生まれた、問題点や疑問点の情報を交換する場所になることも期待しています。
これも、共同研究と共同作業の1つのありようとして、ありのままに公開する次第です。
なお、ここに提示する情報は、あくまでも、『十帖源氏』を外国語に翻訳する方々のことを配慮しての現代語訳です。現代語を自由にあやつる日本人の方々のための現代語訳ではないことを、あらかじめお断りしておきます。
こうした取り組みと、提示する資料に関するご意見などを、お気軽にお寄せいただけると幸いです。
なお、『十帖源氏』の影印画像は、早稲田大学の古典籍総合データベースで公開されています。
ぜひ、原本を確認しながら、この翻刻と現代語訳をご利用ください。
【 凡 例 】
『十帖源氏』の凡例(メモ) [平成22年7月15日現在]
◆翻刻について
・訳に合わせて句読点、濁点を打つ。
・会話文には鉤括弧をつける。心内表現に鉤括弧をつけるかは、各担当者にまかせる。
(例)「〜」と、おほせらる。 ※「と」の後に読点を打つ。
・和歌は句の切れ目にスペースを入れる。
・踊り字「/\」の濁点は、「/゛\」と表記する。
◆訳について
・海外の人が理解できるよう、平易な文で訳すことを旨とする。
・公立高校入試を控える中学三年生くらいのレベルで現代語訳を作っていく。
・「です」「ます」体に統一する。
・主語を明確にする。
・できるだけ理解しやすいように言い換える。
・文はできるだけ切る。
・敬語にはこだわらず、忠実でなくともよい。
・敬語は帝につける程度でよい。
・「何とか」といった抽象的な語はさける。
・「方」は、「女性」「男性」「人」などの語に置き換える。
・「もの心細げ」の「もの」は、心細い「感じがする」といったように訳出する。
・訳文は一文が長くならないようにする。一文は五〇字くらいまでの長さが好ましい。
・「そば」という言葉を用いるときは、平仮名表記。
◆注について
・注はつけない。
・まず現代語訳を作り、訳者から注の依頼を受ける、という形にする。
・現在保留。公開時にどうするか検討。
◆絵について
・絵は場面の説明をつける。説明は、5W1H(Who(誰が) What(何を) When(いつ) Where(どこで) Why(どうして)How(どのように))を書く。
・絵のキーワードを現代語訳の中から5つ選び、訳に《 》をつける。
・絵のキーワードは、ネット公開時に色をつけるか。
◆括弧の使い方
・( )(丸括弧)…①人物呼称の補足 (例)若君(光源氏)のことを…
②その他、補足や補文等 (例)(桐壺)
・「 」(鉤括弧)…①人物呼称 (例)「桐壺の更衣」は、…
②会話文・心内語 (例)「…だろうか」と、言いました。
・『 』(二重鉤括弧)…①作品名 (例)『源氏物語』は、…
②会話文中の会話 (例)「ある人のいふやう『…』」とて、…
・〔 〕(亀甲括弧)…①傍記 (例)おもしろきにあそひ〔傍・あ/管絃〕をそ
②割注 (例)あつしく成ゆき〔割・をもき/病也〕
*/は改行。訳も〔 〕内に入れる。
・〈 〉(山括弧)…①和歌の詠者 (例)翻刻→〈御〉たつねゆく…
訳→ 〈帝〉
*訳の場合、詠者は たつねゆく… 1行扱いにする。
②挿絵 (例)〈絵100〉 光源氏が…
・《 》(二重山括弧)…①絵のキーワード
(例)《紫式部》は、《石山寺》に籠もって…
*訳にのみ使用。
◆登場人物表記一覧(五〇音順)
・葵の上
・右大臣
・空蝉
・桐壺帝
・桐壺の更衣
・弘徽殿の女御
・小君
・左大臣
・四の君
・光源氏
・紫の上
/////////////////
【 翻刻・現代語訳 】
『十帖源氏』巻一「きりつほ」
担当 畠山大二郎(國學院大學大学院博士後期課程)
〔1・ウ〕
【翻刻本文】
光源氏物語は、村上天皇女十宮大斎院
より、一条院の后上東門院へ「めづらかなる草子
や侍る」と、御所望の時、式部をめして「何にても
あたらしく作りてまいらせよかし」と、おほせらる。
式部、石山寺にこもりて、此事を祈り申す。折
しも、八月十五夜の月、湖水にうつりて、物語
の風情空にうかびけれは、先、須磨の巻より
書たると也。巻の数は天台六十巻、題号は四諦
の法門「有門空門亦有亦空門非有非空門」也。
一には詞をとり、二には歌をとり、三には詞と歌とを取、
【現代語訳】
『源氏物語』は、村上天皇の十番目のお姫さまである大斎院(選子内親王)
から、一条院の后である上東門院(藤原彰子)へ「新作物語
はありませんか」と、お望みのとき、彰子が、《紫式部》を呼んで「がんばって
《物語》を新しく作ってきてください」と、おっしゃいました。
《紫式部》は、《石山寺》におまいりして、この事を祈りました。すると、
《八月十五夜の満月》が、《琵琶湖》の水面に映って、物語
の風情が頭に浮かんだので、まず、須磨の巻から
書いたそうです。巻の数は天台の教典六十巻をもとにして、巻名は四諦
の法門、「有門、空門、亦有亦空門、非有非空門」という文を参考にして名付けました。
第一には詞から、第二には歌から、第三には詞と歌とから、
〔2・オ〕
【翻刻本文】
四には歌にも詞にもなき事也。始は「藤式部」といひ
しを、此物語一部の内むらさきの上の事を勝れ
ておもしろく書たるゆへ、「紫式部」といひかへらるゝ也。
観音ノ化身ト云々。檀那院僧正天台一心三観
血脉許可也。
堤中納言兼輔—惟正〔傍・=因幡守〕—為時〔傍・=越前守〕—女〔傍・=紫式部〕
母は為信〔傍・為=摂津守〕女 堅子
【現代語訳】
第四には歌にも詞にもないところから、巻の名前を決めました。もともと「藤式部」と呼ば
ていましたのを、この物語の一部で紫の上のことをとても
すばらしく書いていたことから、「紫式部」と呼び名が変えられたのです。
紫式部は、観音の化身だとか。檀那院僧正に天台一心三観の
血脈を許されたのです。
紫式部の系図
堤中納言兼輔—因幡守惟正—越前守為時—女(紫式部)
母は摂津守為信女、娘に堅子がいます。
〔2・ウ〕
〈絵1〉 八月十五日の夜、石山寺で、紫式部が、『源氏物語』を書きはじめた場面
〔3・オ〕
【翻刻本文】
いづれの御時にか、女御かうゐ、あまたさぶらひ給ける
中に、いとやんごとなきゝはにはあらぬが、すぐれてとき
めき給ふありけり。〔割・いづれの御時とは、醍醐天皇をさしていへり。/時めき給ふとは、「きりつぼの更衣」の事也。〕
梨壺、照陽舎 桐壺、淑景舎 藤壺、飛香舎
梅壺、凝花舎 雷鳴壺、襲芳舎
此きりつぼにすみ給ふかうゐを、御てうあひあれば、
きりつぼのみかどゝも申也。あまたの女御かうゐそね
みて、あさゆふの御みやづかへにつけても、心をのみうご
かし、うらみををふつもりにや、あつしく成ゆき、〔割・をもき/病也〕
物心ほそげに、里がちなるを、みかど、いよ/\あはれに
【現代語訳】
(桐壺)
いつの時代のことでしょうか、女御とか更衣とか、お后が大勢いらした
中に、特に高貴な身分ではなくて、帝にとても愛されて
いらっしゃる女性がいました。〔「いつの時代」とは、醍醐天皇の時代のことです。
「帝に愛されていらっしゃった女性」というのは、「桐壺の更衣」です。〕
梨壺は照陽舎、桐壺は淑景舎、藤壺は飛香舎、
梅壺は凝花舎、雷鳴壺は襲芳舎ともいいます。
この桐壺に住んでいる更衣を愛されたので、
この時の帝のことを「桐壺の帝」ともいうのです。大勢の女御や更衣たちはくやしがって、
毎日「桐壺の更衣」が帝の近くにいることに、嫉妬をして
ばかりいました。そうやって、他の后たちの恨みをたくさん作った結果でしょうか、体が弱くなっていきました。〔重い病気です〕
心細い感じがして、自宅に帰っていることが多い「桐壺の更衣」のことを、帝は、これまで以上にたまらなく
〔3・ウ〕
【翻刻本文】
おぼして、人のそしりをも、えはゞからせ給はず。「もろ
こしにもかゝる事のおこりにこそ、世もみだれ、あしかり
けれ」と、あぢきなう、人のもてなやみぐさになりて、
楊貴妃のためしもひき出つべう成ぬ。此かうゐの父
はなくなり、母北方、いにしへのよしあるにて、御かた/゛\
にもをとり給はねど、事とある時は、より所なく、心ぼ
そげ也。さきの世にも御契りやふかゝりけん、きよら
なる玉のをのこみこさへ生れ給ぬ。〔割・其を光君と/いふ也〕一の
みこは、右大臣の女御の御はらにて、うたがひなきまう
けの君と、かしづき聞ゆれど、此君の御にほひには、
ならび給ふべくもあらず。此みこ生れ給て後は、みかど
【現代語訳】
お思いで、誰が何とけなしても、世間体を考えることもおできになりません。
中国でもこういう恋愛関係が原因となって、世も乱れ、とんでもないことにも
なったと、世間の人もおもしろくない気がして、人々の悩みの種にもなって
玄宗皇帝を虜にした楊貴妃に例えられそうになりました。この「桐壺の更衣」の父
はすでに死んでいて、母親の「北の方」は、由緒のある家柄出身であり、昔気質の人なので、他のお后たち
にも負けないようにしていますが、何か大事なことがある時には、頼るところがなく、心細い
様子です。前世にも約束が深かったのでしょうか、美しい
玉のような皇子までも生まれました。〔この人を「光る君」(光源氏)といいます。〕第一
皇子は、「右大臣の女御」が生んだ子供なので、間違いなく東宮に
なるだろうと、世間の人々も大切にしているのですが、この若君(光源氏)の美しさには、
とうてい勝てることができません。この若君(光源氏)が生まれてからというもの、帝は
〔4・オ〕
【翻刻本文】
御心ことにをきてたれば、坊にもゐ給ふべきなめりと、
一のみこの女御は、おぼしうたがへり。あまたの御かた/゛\を
過させ給ひ、ひまなき御前わたりに、人の心をつく
し給ふも、ことはり也。あまりうちしきりまうのぼり
給ふおり/\は、うちはしわた殿、こゝかしこの道にあや
しきわざをして、御をくりむかへの人のきぬのすそ、
たへがたう、まさなき事ともあり、又ある時は、えさら
ぬめだうの戸をさしこめ、こなたかなた心をあはせ、
はしたなめわづらはせ給ふ時もおほかり。みかどいとゞ
あはれと御らんじて、後涼殿にもとよりさぶらひ給ふ
かうゐを、ほかにうつし、此かうゐのうへつぼねに給はる。
【現代語訳】
この若君(光源氏)をとても大切にしていらっしゃいましたので、この若君(光源氏)が、東宮になるのではないかと、
第一皇子の母である后は、心の中で心配しています。帝が、たくさんの后たちの部屋の前を
素通りして、何度も何度もお通いになることに、他の后たちが嫉妬して
いるのも、もっともなことです。あまりにも「桐壺の更衣」が帝に呼び寄せられる
回数が多いときには、打橋や渡殿といった宮殿の廊下、「桐壺の更衣」が通る、あちらこちらの道にいたずら
をして、見送りや出迎えの女房の着物の裾が、
まったく我慢できなくなるような、とんでもないことなどがあり、またある時は、「桐壺の更衣」が、絶対
通らなければならない中廊下の扉を閉めて、こちらとあちらで協力し、
「桐壺の更衣」を閉じ込めて、ひどい目にあわせたり困らせたりすることも多いのです。帝はますます
「桐壺の更衣」をかわいそうに思って、後涼殿という所に前から部屋をもらっていた
身分が低い后を、他の場所へ移し、「桐壺の更衣」のもう一つの部屋としました。
〔4・ウ〕
【翻刻本文】
そのうらみ、ましてやらんかたなし。みこ、みつに成給ふ
とし、御はかまぎの事、一の宮のにもをとらず。御かたち
心ばへ、ありがたくめづらしきまで見え給へば、此君をば
人々もえそねみあへず。其年の夏、御母御休所
〔割・更衣の/事也〕、わづらひて里へまかでんとし給へど、つねのあつ
しさに、御めなれて、いとまさらにゆるさせ給はず。日々
にをもり給て、いとよはうなれば、更衣の母、なく/\
そうして、みこをはとゞめさせ、みやす所ばかりまかで
給ふ。うつくしき人の、おもやせあるかなきかにきえ入
ものし給ふを御覧じて、きしかたゆくすゑ、よろづ
の事を契りの給へと、御いらへもきこえず。まゆもたゆげ
【現代語訳】
部屋を他に移された后の恨みは、とうてい晴らすことができません。若君(光源氏)は、三歳になった
年、袴着の儀式をしました。その様子は、第一皇子がこの儀式をしたときにも負けないほどです。見た目や
性格が、めったにないほど素晴らしいので、この若君(光源氏)を
他の后たちも憎むことができません。その年の夏、母の御息所
〔「桐壺の更衣」のことです。〕は、病気になって自宅へ帰ろうとしますが、「桐壺の更衣」がいつも体が弱い
ことに、帝は慣れてしまい、帰ることを絶対に許しませんでした。日に日
に病気が重くなってきて、ひどく衰弱したので、「桐壺の更衣」の母は、泣きながら
お願いして、若君(光源氏)を宮中に残したまま、御息所(桐壺の更衣)だけ帰る
ことになりました。帝は、かわいらしい「桐壺の更衣」が、やつれて意識がはっきりしない様子
を御覧になって、今までのことや将来のこと、いろいろな
ことを約束したりするけれども、「桐壺の更衣」は、返事をすることもできません。つらそうな顔
〔5・オ〕
【翻刻本文】
にて、われかの気しき也。かぎりあらんみちにも、を
くれさきだゝじとちぎらせ給けるを、打すてゝはえ
ゆきやらじと、の給はするを、女も、いみじと見奉りて、
かぎりとて わかるゝみちの かなしきに
いかまほしきは いのちなりけり
てくるまのせんじなどの給はせて、まかで給ふ。みかど、御
むねふたがり、御使の行かふ程もなきに、夜なかすぐる
程に、たえはて給ふ、きこしめす。御心まどひ、何事
もおぼしわかれず。みこをばかくても御らんぜまほし
けれど、れいなき事なれば、まかでさせ給ふ。みこも
何事ともおぼさず。人々のなきまどひ、うへも御涙の
【現代語訳】
をして、危篤状態です。帝が「死への旅にも、共に
行こうと約束しましたのに、私を残しては
いけませんよ」と、おっしゃるのを、女(桐壺の更衣)も、とても嬉しく思いました。
(そして、帝は次のように和歌を詠みました。)
かぎりとて わかるゝみちの かなしきに
いかまほしきは いのちなりけり
帝は、「桐壺の更衣」に輦車に乗ることを許し、「桐壺の更衣」は自宅に帰りました。帝は、
胸がつまって、お見舞いのお使が行って帰って来るほどの時間もたっていないほどに、「夜中を過ぎる
ころに、「桐壺の更衣」が息を引き取りになりました」と、お聞きになります。帝は、気も動転して、もう何の
分別もつきません。帝は、若君(光源氏)をこんな時でも御覧になりたいと思う
けれど、喪中に宮殿にいることは前例にないので、光源氏を母君の自宅に帰らせました。若君(光源氏)も
何が起きたのかもわかりません。「光源氏」は、周りの女房たちが泣きわめき、帝も涙が
〔5・ウ〕
【翻刻本文】
ひまなくなかれおはしますを、あやしと見奉給ふ。
かぎりあれば、をたぎといふ所にて、けぶりになし奉る。
母君も、おなじ煙にと、なきこがれ、御をくりの女ばう
の車に、したひのりて出給ふ。内より御使ありて、三位
のくらゐをくり給ふ。みかどは、一の宮を見給ふにも、わか
宮の御恋しさのみおぼし出つゝ、女ばう、めのとなどを
つかはし、ありさまきこしめす。野分たちはた寒き夕
ぐれ、ゆげいの命婦をつかはさる。 勅書の歌
みやぎ野の 露ふきむすぶ 風のをとに
小萩がもとを おもひこそやれ
命婦、かうゐの母にあひて、
【現代語訳】
とまらなくなっていらっしゃるのを、何だか変だと見ています。
きまり通り、愛宕という所で、葬儀を行いました。
母君も、「桐壺の更衣」と同じように、火葬の煙となって消えてしまいたいと、泣いて、見送りの女房
の車に、追いつくようにして乗ってでかけました。帝から使者があって、三位
の位をお贈りになりました。帝は、第一皇子を御覧になっても、若
宮(光源氏)を恋しく思い出してばかりいて、女房や乳母などを
つかって、「光源氏」の様子をお聞きになります。風が強くて肌寒い夕
暮れに、「靫負の命婦」という女房を「桐壺の更衣」の母の所へ行かせました。帝からの手紙に書いてあった和歌です。
みやぎ野の 露ふきむすぶ 風のをとに
小萩がもとを おもひこそやれ
「靫負の命婦」が、〔桐壺の更衣〕の母に会って詠んだ和歌です。
〔6・オ〕
【翻刻本文】
すゞむしの こゑのかぎりを つくしても
ながき夜あかず ふるなみだかな
〈うは君〉いとゞしく 虫のねしげき あさぢふに
露をきそふる 雲のうへ人
をくり物あるべきおりにもあらねばとて、かうゐの
残しをき給へる御さうぞく御くしあげのてうど、そへ
給ふ。みかどはふけてもおほとのごもらず、せんざいの花
御覧ずるやうにて、女ばう四五人さぶらはせて、御物語
せさせ給へり 。御返し奉るうば君の歌。
あらき風 ふせぎしかげの かれしより
こはぎがうへぞ しづごゝろなき
【現代語訳】
すゞむしの こゑのかぎりを つくしても
ながき夜あかず ふるなみだかな
(「靫負の命婦」が詠んだ和歌に対して、祖母君(「桐壺の更衣」の母)は次のように和歌を詠みました。)
〈祖母君〉
いとゞしく 虫のねしげき あさぢふに
露をきそふる 雲のうへ人
良い土産物などありませんので、「桐壺の更衣」が
残した着物や装飾品を、手紙にそえて
あげました。帝は夜更けになってもおやすみにならず、庭先に植えてある花を
眺めながら、女房を四、五人そばに控えさせて、お話を
していらっしゃる。帝の手紙に対して詠んだ、「桐壺の更衣」の母の歌です。
あらき風 ふせぎしかげの かれしより
こはぎがうへぞ しづごゝろなき
〔6・ウ〕
【翻刻本文】
うば君の物語わか君の事などそうして、をくり
もの御らんぜさすれば、
〈御〉たづねゆく まぼろしもがな つてにても
玉のありかを そことしるべく
一の宮の御母、弘徽殿は、久しくうへの御つぼねに参り
給はず、月のおもしろきにあそび〔傍・あ=管絃〕をぞし給ふ。人々
かたはらいたしと、きゝけり。みかど、うば君のもとをおぼして、
雲のうへも なみだにくるゝ 秋の月
いかですむらん あさぢふのやど
月日へて、わか君参り給ぬ。きよらにおよずけ給へば、
いとゆゝしうおぼしたり。あくる年の春、一の宮春宮に
【現代語訳】
祖母君(「桐壺の更衣」の母)の話や若君(光源氏)のことなどを話して、贈物を
見せると、帝は次のように和歌を詠みました。
〈帝〉
たづねゆく まぼろしもがな つてにても
玉のありかを そことしるべく
第一皇子の母、「弘徽殿女御」は、ここしばらく帝の側に呼ばれ
ないので、月の美しい夜に合奏をして遊んでいます。殿上人や女房たちは、
「具合の悪いことだ」と、その合奏の音を聞いています。帝は、祖母君(「桐壺の更衣」の母)の生活を心配して、次のように和歌を詠みました。
雲のうへも なみだにくるゝ 秋の月
いかですむらん あさぢふのやど
月日が過ぎて、若君(光源氏)が宮殿にやってきました。美しく成長したので、
神につれていかれたりしないかと大変不安に思われました。翌年の春、第一皇子が東宮に
〔7・オ〕
【翻刻本文】
さだまり給ふにも、此君をひきこさまほしうおぼせど、
世のうけひくまじき事を、はゞかり給て、色にもいで
させ給はず。彼うば君、なぐさむかたなきゆへにや、うせ
給ぬれば、又これを、かなしびおぼす。若君七つに
成給へば、文はじめせさせ給て、御がくもんはさる物にて、
琴笛のねにも、雲井をひゞかし給へり。其比こまう
どのさうにん奉りて、此君のざえかしこく、かたちの
きよらなるにめで奉りて、ひかる君とつけ奉り、を
くり物ともさゝげけり。此君をたゞ人にはあたら
しけれど、源氏になしたてまつるべくおぼしをき
てたり。
【現代語訳】
決まったときも、帝は、「光源氏」に第一皇子を越えさせたいと思いましたが、
世間が納得しないことだと、遠慮して、表情にも
出しません。あの祖母君(「桐壺の更衣」の母)は、心を慰めることもなかったからでしょうか、亡くなって
しまいましたので、またしても帝は、悲しいことだとお思いになります。若君(《光源氏》)は《七歳》に
なりましたので、読書始めの儀式をして、勉強はいうまでもなく、
琴や笛といった楽器もよくできて、宮殿の人々を驚かせました。そのころ《高麗
人の相人》がやってきて、この若君(《光源氏》)の学問の才能がすぐれていて、《容姿も
美しい》のをほめたたえて、「光る君」と名付け、
贈物などを差し上げました。帝は、この「光る君」(光源氏)を皇族から外すのは惜しい
けれど、源氏の名字をつけて、臣下にするように決め
ました。
〔7・ウ〕
〈絵2〉 光源氏七歳のときに、迎賓館で、光源氏が高麗の相人に占いをしてもらっているところ
〔8・オ〕
【翻刻本文】
年月にそへて、御休所の御事わすれさせ給はず、
御心なぐさむかたなし。先帝の四の君、御かたちすぐ
れ給へる事を、ないしのすけ、そうして奉らせ給へり。
〔割・其を藤つぼと/申也〕昔の御休所によく似給て、人のきは
もまさり給へば、をのづから御心うつりにけり。源氏
の君は、みかどの御あたりさり給はねば、藤つぼにも
しげくわたり給ふ。光君に立ならび、御おぼえもとり
/゛\なれば、かゞやく日の宮ときこゆ。源氏の君、十二
にてげんぶくし給ひ、ひきいれの大臣の、みこばら
の姫君を、そひぶしにとさだめ給ふ。〔割・其あふひの上也〕
【現代語訳】
年月が過ぎても、帝は、「御息所」(桐壺の更衣)のことを忘れることがなく、
心をなぐさめることもできません。前の天皇の四番目のお姫さまで、見た目がとても美しい
ということを、「典侍」という女官が、主人である帝に伝えました。
〔その人を、「藤壺」といいます。〕昔の「御息所」(桐壺の更衣)によく似ていて、身分
も高いので、帝は、「藤壺」に自然と気持ちが移っていきました。源氏
の君(光源氏)は、帝の近くから離れないので、「藤壺」のところにも
《帝》と一緒によくついていきます。光る君(光源氏)と「藤壺」は、《帝》にそれ
ぞれにとても愛されているので、「藤壺」のことを「光る君」に対して「輝く日の宮」とも呼びました。源氏の君(《光源氏》)は、《十二歳》
で《元服》と呼ばれる成人式をして、「《引き入れの大臣》」(《左大臣》)の娘で、皇女の母親をもつ
お姫さまを、妻にすることが決定しました。〔その妻が「葵の上」です。〕
〔8・ウ〕
〈絵3〉 光源氏十二歳のときに、宮殿で光源氏が元服の儀式をした場面
〔9・オ〕
【翻刻本文】
〈御〉いときなき はつもとゆひに ながきよを
ちぎるこゝろは むすびこめつや
左大臣御返し。
むすびつる 心もふかき もとゆひに
こきむらさきの いろしあせずは
左のつかさの御馬、蔵人所の鷹すへて、給り給ふ。
みはしのもとに、上達部みこたちつらねて、ろく
どもしな/゛\に給り給ふ。その夜、おとゞの御里に
源氏の君まかでさせ給ふ。〔割・源は十二才/あふひは十六也〕おとゞの子蔵人
少将には、右大臣殿の四の君をあはせ給へり。源氏
の君は、うへのつねにめしまつはさせ給へば、心やすく
【現代語訳】
〈帝〉
いときなき はつもとゆひに ながきよを
ちぎるこゝろは むすびこめつや
「左大臣」は返事として次のように歌を詠みました。
むすびつる 心もふかき もとゆひに
こきむらさきの いろしあせずは
左馬寮という役所が所有する馬に、蔵人所という役所が所有する鷹を添えて、「左大臣」にあげました。
宮殿の階段のところに、上級の貴族や親王たちが立ち並んで、引出物
などを位に応じて帝からもらいます。その夜、「左大臣」の自宅に
源氏の君(光源氏)は行きました。〔「源氏の君」(光源氏)は十二歳、「葵の上」は十六歳です。〕大臣(左大臣)の息子の「蔵人
少将」は、「右大臣」の四番目のお姫さまと結婚することになりました。源氏
の君(光源氏)は、帝がいつも自分の側近くにいさせるので、ゆっくりと
〔9・ウ〕
【翻刻本文】
里ずみもし給はず。藤つぼの御ありさまをたぐ
ひなしとおぼし、さやうならん人をこそ見め、にる
ものなくもおはしけるかなとおぼせば、おほいどのゝ
君には心もつかず。おとなになり給てのちは、有
しやうにみすの内にもいれ給はず。御あそびの
おり/\、ことふえのねにきゝかよひ、ほのかなる御
こゑなぐさめにて、内ずみのみこのましうおぼえ給ふ。
【現代語訳】
「左大臣」の家に落ち着くことができません。「光源氏」は、「藤壺」のことを世の中に
めったにないものと思って、「藤壺」のような女性と結婚したい、「藤壺」と似ている
女性もいないなあと思うので、「大殿の
君」(葵の上)とはあまり親しく思いません。大人になってからは、子供
の時のように「藤壺」と同じ御簾の中にも入れません。合奏をする
時々に、琴や笛の音色に気持ちをこめ、かすかにもれてくる「藤壺」の
声を慰めにして、「光源氏」は宮中でばかり過ごしています。