2-源氏物語

2010年3月19日 (金曜日)

小川陽子さん「紫式部学術賞」おめでとう

 先週、鳥取県の日南町で、池田亀鑑を再評価するための講演会を開催したことは、すでにこのブログで報告しました。

 「小さな町を揺るがした池田亀鑑の1日」(2010年3月13日)

 あの日、トップバッターとしてすばらしい講演をした小川陽子さんが、このたび「紫式部学術賞」を受賞、との知らせを受け取りました。

 一緒に研究する仲間の1人として、祝杯をあげたいと思います。

 詳細は、笠間書院の下記のブログをご覧ください。

第11回紫式部学術賞、小川陽子氏『『源氏物語』享受史の研究』(笠間書院)に決定


 この著書に関しては、ちょうど1年前になりますが、私のブログで「『源氏物語』享受史の好著」(2009年3月25日)として紹介しました。

 私も、まだ人を見る目があるようです。
 耄碌していないことが確認できました。
 よかった、よかった。

 実は、私もこの賞には、かつてノミネートされたことがありましたが、残念な結果でした。
 それだけに、この賞の重みを知っています。

 小川さんのますますの活躍が楽しみです。

 なお、紫式部学術賞については、下記のサイトをご覧下さい。

紫式部学術賞


2010年3月18日 (木曜日)

国語研で開催される研究会のお誘い

 来週のことです。

 3月24日(水)午後2時から、東京・立川の国立国語研究所で、以下の研究会が開催されます。

   共同研究プロジェクト(C)
「仮名写本による文字・表記の史的研究」
     第3回研究会

日時:平成22年3月24日(水)14:00〜17:00

場所:国立国語研究所・多目的室

発表題目︰

1.源氏物語諸写本における文字認定と解釈
   —助動詞「つ」「り」をとおして—
           家入博徳(國學院大學)

2.「香紙切」を用いた古筆研究の方法論
           高城弘一(大東文化大学)

3.新出・鎌倉時代『源氏物語(若菜上)』残巻に関する一考察
           伊藤鉄也(国文学研究資料館)



 私は、先週、雪の中国山地で調査した、鎌倉時代の『源氏物語』の古写本に関する発表をします。

 「鎌倉期の源氏の写本を読む」(2010年3月 8日)

 このブログでは書けなかったことなどを、さらに詳しく研究成果として報告するつもりです。

 国立国語研究所は国文学研究資料館と隣接する敷地にあるので、資料を閲覧なさるついでにお立ち寄りいただければと思い、ご案内するしだいです。
 
 
 

2010年3月13日 (土曜日)

小さな町を揺るがした池田亀鑑の1日

 鳥取県の日南町総合文化センターの多目的ホールで開催された講演会は、大盛会のうちに終わりました。
 閉会後の関係者の方々との交流を兼ねた懇親会でも、大成功だったなー、という言葉が乱れ飛んでいました。
 
 
 
100313minnade
 
 
 
 日南町は、人口5000人ほどの町です。町の面積は、鳥取県の一割だとのことでした。しかし、住民の数は年々激減の一途です。果たして何人来て下さるのか、ドキドキの開催でした。
 
 
 
100313kanban
 
 
 
 そんな町で、今日会場に集まった方は、なんと120人をはるかに越えて、改めて集計すれば150人に届こうかという大入りだったのです。とにかく用意された会場はギッシリと埋まりました。開始直後から、補助椅子を何脚も出しておられました。それだけ、人が集まったのです。
 
 
 
100313hatati
 
 
 
 私が、エジプトのカイロで『源氏物語』に関するイベントを開催したとき、主催者側の国際交流基金は30人も集まれば、という読みでした。しかし、その予想は大きく外れ、なんと100人以上が会場に集まったために、急遽会場を広くして椅子を運びと、大変なことになりました。それだけ、『源氏物語』は人の気を惹きます。気になるのです。そして、何よりも日本を知りたいという気持ちに誘います。

 そうは言っても、今回は『源氏物語』と言うよりも、池田亀鑑という、実はよくわからない人間を前面に出しています。本当に、何人集まってもらえるのか、数の読めないイベントでした。
 今は、安堵しています。しかし、関係者は気が気ではなかったことでしょう。何しろ、こんな学術的なイベントは、町始まって以来なのですから。これは、全国的にも、自治体レベルでこんな催しは例がないはずです。

 今回、たくさんの方々が集まられた理由は、いくつか考えられます。

 日南町は、井上靖と松本清張にゆかりの地として宣伝なさっていました。しかし、池田亀鑑がいることを、軽く思っておられたようです。それが、昨年の11月3日に、顕彰碑を建てられたことにより、少しずつ見直しの機運にあったのでしょう。
 そこへ、久代安敏町議と気のあった私が今回のようなイベントを提案したことが、町民のみなさんが気にはなりながらも知りたいと思っておられたことと、その想いが一致したのではないでしょうか。それ以上に、「池田亀鑑文学碑を守る会」の方々の思いも、町民の方々の潜在意識に訴えかけたのではないでしょうか。
 それよりも何よりも、池田亀鑑は22歳まで、鳥取県を出なかったのです。よそ者ではないのです。そんな池田亀鑑を、生まれ故郷の日南町が再評価せずに、どこがするのでしょうか。
 今回のイベントを終え、そうした思いは、町民の方々をはじめとして、開催に尽力された方々にも実感として感じられたようです。これからが、大いに楽しみな町です。

 さて、本会は「池田亀鑑文学碑を守る会」の会長の開会のことばのあと、町長の挨拶から始まりました。
 
 
 

100313tyotyou
 
 
 
 一番バッターは小川陽子さんです。
 
 
 
100313ogawaup
 
 
 
 タイトルは「池田亀鑑と後継者たち」ということで、北見志保子、大江賢次、小松茂美、そして恩師の師匠である稲賀敬二を例にして、会場の皆さんの涙を誘うような感動的な話が展開されました。
 
 
 
100313ogawa
 
 
 
 人間の生きざまというものに迫る、熱のこもった内容でした。
 後で聞くと、涙が出そうで周りを見回した、という方が何人もおられました。

 続く原豊二さんは、「池田亀鑑の資料収集」と題して、『源氏物語』の研究者としての実像に迫る話でした。
 
 
 
100313haraup
 
 
 
 折しも、今日の日本海新聞に原さんのことが記事として取り上げられていたので、参加者のみなさんも原さんの立場をよく理解されたようです。この日の新聞に載るという、タイムリーな出来事が、この催しを後押しした形でした。
 
 
 
100313hara
 
 
 
 会場の皆さんは、池田亀鑑がやり遂げた仕事の意味について、改めて認識を改められたかと思います。

 最後に私が、「若き日の池田亀鑑」題して、若い頃の足跡をもとにしてその実像についてお話しました。
 
 
 
100313itoup
 
 
 
 師範卒で検定上がりということで、東大の中で晩年まで苦労の連続だった原因などを、年譜をたどりながら説明しました。経歴と派閥の中で苦悩した池田亀鑑という人間を、何とか理解してもらおうとの思いから、町民の方々に語りかけました。
 
 
 

100313ito
 
 
 
恵まれた環境が決して幸せに結びつかないように、劣悪な環境でも、それを克服しようとする気持ちが尊いことを力説したつもりです。

 みなさん、熱心に聞いて下さいました。
 『源氏物語』に関する講演会というと、女性が圧倒的に多いのです。しかし、今日は8割以上が男性でした。これも、珍しいことです。
 『源氏物語』の内容の話はまったくなかったので、次はそんな講演にしてほしい、という要望が寄せられました。
 今回の参会者の興味の中心は、あくまでも池田亀鑑という男は一体何者なのだ、ということにあったと思われます。『源氏物語』そのものについて知りたい、ということではなかったのです。地元出身の池田亀鑑という男を理解していく中で、それではその男が命をかけた『源氏物語』とはなんなのだろう、という流れで、つぎの集まりを考えて行きたいと思います。

 本当に稀有な内容の講演会でした。
 そして、ほとんどの方が、池田亀鑑の知られざる一面を聞き、改めて1人の男に対する認識を深められたようです。

 会場からの質問は、『源氏物語』の本文に関するものから、池田亀鑑の生き様に関するものまで、みなさんが熱心に聞いて下さっていたことがわかるものでした。『源氏物語』の本文に関する質問では、「別本」というものをよく理解してのものだったので、私も真剣にお答えしました。ありがたいことです。
 
 
 
100313situmon
 
 
 
 講演会後の懇談会で、私は2つの提案をしました。

(1)図書館の中に、池田亀鑑のコーナーを作ってほしいこと。
  現在、井上靖と松本清張のコーナーが、L字型に作られています。
  そこへ、池田亀鑑のコーナーも作ってコの字型にしてほしいことを、お願いしました。

(2)「池田亀鑑賞」を制定し、40歳以下の若手中堅の研究者から、池田亀鑑に関する伝記・評論などと、池田亀鑑と『源氏物語』をテーマにした研究論文を募り、優秀な論文には町から表彰する、というものです。
 若手研究者は、個人研究の成果を公表する場を探し求めています。
 20万円の懸賞金をつけて、1人でも多くの若手研究者を支援する場所に、日南町は名乗りをあげるべき時が、今やっときたのです。全国に呼びかければ、きっと大きな反響があるはずです。
 日本の古典文学から遠ざかりつつある若者たちを、これを機会に刺激してほしいと願っていることを提言しました。検討する、とのことだったので、いい方向で取り組まれることを期待したいと思います。

 今回のイベントは、大成功だったことはなみさん思っておられます。
 実際に、たくさんの方々が、熱心に聞いておられたのですから。

 後片付けの愉しかったこと。
 
 
 
100313taremaku
 
 
 
 私は、話の中で、町内にある「池田亀鑑誕生地」という石碑のあることを紹介しました。
 講演会終了後、そこへ行ったことがない、とおっしゃる方とその石碑の場所へ数人で行ったところ、先ほど話を聞いたので見てみようと思って来ました、という女性と出くわしました。
 
 
 
100313seitan
 
 
 
 昨日までの雪が溶けて、いい顔をした碑が建っていました。
 「ありがとう」という声が聞こえそうでした。

 この池田亀鑑のことは、日南町内での話なのです。知らなかったら、それって何、との思いから見てみたくなるのは当たり前です。そうした思いには、町としても応えるべきです。そして、町外の方々にも、自信をもって誇るべきです。とくかく、池田亀鑑は日南町で産声を上げたのですから。

 こうした取り組みは、3回までは続きます。しかし、4回目が開催できるか、というのが問題です。
 ぜひとも、10回までは続けてほしいものです。規模は小さくてもいいのです。続けることが大事だと思います。
 今日まで準備に当たられた「池田亀鑑文学碑を守る会」のみなさまを始め、たくさんの方々に、改めてお礼を申し上げます。
 また来年おあいしましょう。

 久代さん。知り合って3ヶ月しか経たないのに、こんなに愉しいイベントが、それも成功裏に終わったことに感謝し、感激しています。出会いのすばらしさを噛みしめています。お疲れさまでした。ありがとうございました。
 いろいろな課題を預けたままですが、みなさんと解決していけたら、と思います。
 ますますのご活躍を祈っています。
 
 
 
 

2010年3月11日 (木曜日)

研究資料としての録音テープ120本

 小山敦子先生は、10年以上も生涯教育に情熱を傾けて来られました。
 東京でなさっていた「生涯大学集中講座 たのしい源氏物語」の記録のすべてが残っています。
 
 
 
100910oyama4
 
 
 
 この冊子は、『源氏物語』全54巻を語った時のテキストです。約30冊あります。このテキストに書かれていることを中心にして、さまざまな時事問題などを織り交ぜて、縦横に『源氏物語』が語られています。
 今回、私もその活き活きとした声を再生し、『源氏物語』を読解する上でのいくつものヒントをいただきました。

 また、これまで発表なさった自説をまとめた、テーマ別の別冊があります。
 
 
 
100910oyama3
 
 
 
「生涯大学集中講座 歴史で迫る源氏物語の周辺 総集編」
「生涯大学集中講座 伊勢物語との関係 たのしい源氏物語 総集編一」
「生涯大学集中講座 歴史で迫る源氏物語の真相 総集編二」
「生涯大学集中講座 歴史で迫る源氏物語の真相 安和ノ変」

 ハードカバーの本もあります。これは、上記テーマをさらに簡潔にまとめた本です。
 人物系図は、色別に図解したものです。「弘徽殿悪后」となっているのには、苦笑しました。
 
 
 
100910oyama5
 
 
 
「小山敦子著作集一 歴史でせまる源氏物語」
「小山敦子著作集別帖 源氏物語人物系図」

 さらには、講座の各回2時間の録音テープが、120本すべて残っています。
 
 
 
100311caseto
 
 
 
 1人の源氏語りが、ここから蘇ってきます。
 今回の面談の後、この資料すべてを自由に活用してほしいとのことで、複製本と複製テープを拝借することができました。1人の研究者が『源氏物語』全巻を通して語った内容は、『源氏物語』の研究史であり、また受容史ともなっています。女性論という視点からも、これらの資料は取り組めることでしょう。
 これは、十分に研究対象になりうるものだと思い、お借りすることにしました。
 こうした資料を研究対象として活用することに興味のある方は、どうぞ連絡をください。利用目的によっては、お貸ししてもいいと思います。詳しいことをお知りになりたい方は、メールや手紙ではなくて、直接、東京・立川の私の研究室にお越し下さい。
 とにかく、膨大な資料です。私にはとても扱いきれませんので、この場を借りて、報告するしだいです。

 私の恩師の小林茂美先生も、社会人講座で『伊勢物語』と『源氏物語』を語っておられました。大学生だった私は、カセットテープレコーダーを持って、可能な限り通って録音しました。また、各種公開講座のお話も、録音しました。
 そうしたテープが、数百本残っています。貴重なものなので、いつか何とかしようと思いながら、いまだに果たせずにいます。

 こうした資料は、根気がなければ扱いきれないのです。その意味では、若い方にしか利用できないものだ、とも言えましょう。
 録音資料・音声資料は、それなりの研究手法をもって当たれば、有意義な成果をもたらす素材です。
 宝の持ち腐れとならないようにしなければ、と思っているところです。
 
 
 

2010年3月 8日 (月曜日)

鎌倉期の源氏の写本を読む

鎌倉時代の末期に写されたと思われる源氏物語の古写本を調査しています。
 鎌倉の源氏の写本は少ないので、書かれた本文をひたすら翻字しています。

 今、目の前にある本は、残念ながら、第34巻「若菜上」の一巻だけの残巻です。
 表紙は、天理図書館にある池田本とソックリのうち曇りです。ただし、改装されています。
 見返しも後補です。
 
 
 
100308genji3
 
 
 
 表紙の中央上部には、剥がし跡の残った上に「わかな 上」と銀地に書かれた後補の題簽が貼られています。

 本文は、前半と末尾がありません。
 『源氏物語別本集成』の文節番号で言うと、11975文節ある内の、5256から10948までが残っています。
 折で言うと、6折あったはずの内、第1、2、6折がない状態で、ここにあります。
 
 
 
100308genji4
 
 
 
 さらに詳しく書いておくと、「若菜上」は、約49000字ほどあります。その内、23000字が、ここに残っていることになります。
 鎌倉時代の源氏の写本なので、これだけでも貴重な資料となります。

 本書の巻頭部は、こうなっています。
 
 
 
 100308genji1
 
 
 
 巻尾は、こんな感じです。
 
 
 
100308genji2
 
 
 
  この巻末の最終紙に「月明荘」の印があるので、弘文荘の反町氏の元にあったことがわかります。この印は、晩年に扱ったものと思われます。

 列帖装の糸は、新しいものです。

 書いてある内容について、少しだけ記しておきます。

 本文は、大島本、保坂本、尾州家本、国冬本と一致します。このことは、後日、詳しく報告します。

 具体例を少しだけあげます。
阿里莫本、中京大本が「藤の花の」とあり、それ以外の本が「藤の」とするところを、この本は「花の」となっています。これまでになかった文です。
 これは、私が提唱している、異文は傍記が本行に混入して発生する、と言う考えを補強してくれる例となるものです。
 阿里莫本、中京大本が「藤の花の」とあるのは、この本の親本に傍記として「藤の」か「花の」があり、それが前後に混入したと考えられるからです。
 もし、傍記されていた「藤の」が「花の」の前に入り込んだとすると、それは、私の二分別試案で言うところの<乙類>です。そうではなくて、傍記されていた「花の」が「藤の」の後ろに入り込んだとすると、それは、<甲類>と言うことになります。

 今回調べている写本に書かれている本文は、いろいろな問題を解決する上で、有効な資料となります。

 いい本と出会えたことを、喜んでいます。

 とにかく、詳細は後日ということにします。 


2010年2月25日 (木曜日)

池田亀鑑に関する講演会のお知らせ

 鳥取県日野郡日南町で、池田亀鑑に関する講演会が開催されます。
 このことが、「日南町ホームページ」の「本日のお知らせ」(2010年2月25日)で報知されました。

テーマ︰もっと知りたい 池田亀鑑と「源氏物語」

日 時:3月13日(土)13:30~16:00

場 所:日南町総合文化センター 多目的ホール

 参考までに、案内のチラシ(PDF)を添付します。

チラシをダウンロード

 日南町は池田亀鑑生誕の地です。
 昨年11月に顕彰碑が建ったという知らせを受け、12月に訪問して以来地元の方と懇意になり、このような集まりを持つことが実現しました。

 その経緯は、本ブログの以下の記事で述べた通りです。

「日南町議の久代氏と思わず握手」

「池田亀鑑ゆかりの日南町」

「池田亀鑑ゆかりの石碑と資料」

 今回を第1回目として、可能ならば、今後とも継続していきたいと思っています。
 このイベントは、これを機縁に近在のみなさまが、我々日本古典文学研究者との情報交換を通して、池田亀鑑という研究者を理解する場となれば、と思っての企画立案です。

 島根県と鳥取県という山陰地方における源氏物語研究に留まらず、日本古典文学研究を盛り上げるためにも、たくさんの方にお越しいただけたら幸いです。

 このような動きが始まったことを1人でも多くの方に知っていただければ、と思っています。
 
 
 

2010年2月22日 (月曜日)

国語研究所における研究会のご案内

 来週の平成22年3月2日(火)に、先般実施した米国議会図書館蔵古写本『源氏物語』の調査について、研究報告会がおこなわれます。

 これは、「仮名写本による文字・表記の史的研究」の 第2回研究会です。
 報告と発表内容は、以下の通りです。

《報 告》
  斎藤 達哉(国立国語研究所)
《研究発表(1)》
  海を渡った『源氏物語』たち
     伊藤 鉄也(国文学研究資料館)
《研究発表(2)》
   アメリカ議会図書館本『源氏物語』本文の特質
     豊島 秀範(國學院大學)

 国立国語研究所は、立川の国文学研究資料館に隣接する敷地にあります。
 多数の方のご参加をお待ちしています。
 
 
 
 
 
 
100222kokkenpro2


2010年2月21日 (日曜日)

神野藤昭夫先生の晶子がたり

 今日の午後は、堺市立文化館・与謝野晶子文芸館主催の講演会に行きました。
 いつもお世話になっている神野藤昭夫先生の「与謝野晶子の源氏物語翻訳 ―自筆原稿がものがたる『新新訳源氏物語』誕生の現場」と題する講演があったからです。
 
 
 
100221akiko1
 
 
 
 与謝野晶子の『新新訳源氏物語』の自筆原稿(草稿)を、一昨日、国文学研究資料館で画像データベースとして公開しました。また、今回の講演会を国文学研究資料館が後援したこともあり、宣伝を兼ねて少しご挨拶もさせていただくという、仕事を兼ねての参加でした。

 まずは、今回の画像データベースのキーマンとも言うべき、堺市役所文化課の足立さんの開会の辞から始まりました。 
 
 
 
100221akiko2
 
 
 
 神野藤先生のお話は、非常にわかりやすく、またたくさんの新知見をいただきました。
 内容は、樋口一葉から晶子の知的風土を確認し、晶子の生き様の中からその『源氏物語』の訳業を炙り出すというものでした。堺市所蔵の与謝野晶子自筆原稿「新新訳源氏物語」を読み解きながら、『新新訳源氏物語』の誕生の背景と、その魅力を縦横に語ってくださいました。
 
 
 
100221akiko3
 
 
 
 晶子が11、2歳頃から読み親しんだ本が鞍馬寺蔵の絵入源氏物語小本と思われることや、幻の『源氏物語講義』など、興味深いお話が2時間にわたって続きました。贅沢な時間に身を置くことができ、充実した1日となりました。

 私としては、新訳から新新訳への流れが、今日のお話でつながってきました。また、『源氏物語講義』と『新訳源氏物語』の時期的な重複の意味づけも、全訳と大胆な訳という差別化を図った晶子なりの『源氏物語』への対処の仕方だということも、頷けるところでした。

 今回公開された堺市所蔵の自筆原稿をもとにしたお話も、会場のみんなが、その自筆原稿を読んでみたくなるほどの興味を掻き立てる展開となっていました。紫式部に変身して書いた晶子の源氏訳の中でも、今回公開された草稿に溢れる晶子の『源氏物語』に対する魂の軌跡が、この自筆原稿から読み取れる、という指摘は、今後の新しい研究にスポットライトを当てるものでした。

 また、鞍馬寺に残る「東屋」の原稿一枚に触れて、中断した晶子訳のその後のものと思われるので、さらに探して欲しいという提案もなさいました。

 会場には、若い方が少なかったのですが、晶子訳の和歌に注目して、原文の和歌がどう変わっているのかを、調べて欲しいとの問題提起もなさいました。

 晶子の源氏訳については、ほとんど研究がなされていませんでした。これを機会に、堺市を中心とした機運の盛り上がりが期待されます。

 画像データベースを公開したことを機に、与謝野源氏がさらに深く読まれ、研究されていくことを期待したいと思います。その意味からも、鞍馬寺と堺市の自筆原稿の画像データベースは、1人でも多くの方に利用していただきたいものです。

 このデータベースの公開に関わったものの1人として、さらなる活用がなされることを楽しみにしています。
 
 
 

2010年2月20日 (土曜日)

与謝野晶子の『新新訳源氏物語』自筆原稿画像データベース公開

 昨日2月18日(金)の『毎日新聞』社会面「雑記帳」に、与謝野晶子が『源氏物語』の現代語訳をした時の自筆原稿を画像データベースにしたことに関する記事が、大阪版の新聞に掲載されています。
 これは、19日から国文学研究資料館のホームページで公開される「近代書誌・近代画像データベース(統合検索)」の中の、堺市(堺市立文化館与謝野晶子文芸館)蔵「与謝野晶子自筆原稿『新新訳源氏物語』」を画像公開することを取り上げたものです。
 その新聞記事を、以下に引用します。

 ◇作家、与謝野晶子(1878〜1942)の出身地・堺市所蔵の晶子の自筆原稿=写真・堺市提供=が19日、東京都立川市の国文学研究資料館のホームページ(HP)で公開される。
 ◇著書「新新訳源氏物語」の原稿用紙522枚分。「桐壺」や「若紫」の巻を現代語訳した際の推敲の跡が多数残る。書籍と表現が若干違い、下書きとみられている。
 ◇堺市文化課は「生々しい創作の様子が垣間見える。晶子の息づかいまで聞こえてきそう」。資料館HP(http://www.nijl.ac.jp)【山田英之】

 国文学研究資料館では、昨年9月に私が立ち会って調査収集を終えた与謝野晶子の自筆原稿のデジタル画像を、本日19日(金)からホームページを通して一般に公開します。

 2008年10月には、鞍馬寺に所蔵されている与謝野晶子の自筆原稿の画像データベースを公開しました。

「鞍馬寺にある晶子の源氏訳自筆原稿」

与謝野晶子と『源氏物語』

「与謝野晶子の自筆原稿画像の試験公開」


 この公開によって、今度は堺市と与謝野晶子のご遺族の方々の理解が得られ、鞍馬寺の自筆原稿(69枚)を補完するデータベースの公開が実現したのです。


「近代書誌・近代画像データベース(与謝野晶子)」


 この画像データベースでは、「桐壺」「帚木」「若紫」「末摘花」「紅葉賀」「花宴」「葵」「賢木」「花散里」「蓬生」「絵合」「松風」「玉鬘」「胡蝶」「常夏」「真木柱」「梅枝」「藤裏葉」「若菜上」「若菜下」「夕霧」の522枚が、精細画像で見られるようになっています。

 明日、堺市立文化館与謝野晶子文芸館で、「与謝野晶子の源氏物語翻訳」と題する神野藤昭夫先生の講演会があります。
 私も、講演会に先立って、データベースの発信元の立場から挨拶をすることになっています。
 詳細は、明日また報告します。
 
 
 

2010年2月 2日 (火曜日)

散らし書き風(?)の和歌

 今回の議会図書館本『源氏物語』の調査では、たくさんの興味深いことがわかりました。また、わからないことも、さらにそれ以上ありました。

 議会図書館側から、今回の状況説明・調査報告会も兼ねて、スタッフとともに懇談の場(ブリーフィング)を持ちたいとのことでした。たくさんの成果があったこともあり、最終日の午後、司書のみなさんと2時間ほどの会合を持ちました。

 調査報告は、伊藤、齋藤、神田の3人で行ないました。
 以下、その場で私から報告したことの一部を忘れないうちに記しておきます。

 まず、今回の議会図書館本『源氏物語』について、和歌が散らし書き風に書かれていることについてです。このような和歌の書写について、私は他の事例を知りません。
 研究仲間にも、この件をすぐにメールで問い合わせました。しかし、見たことがない、との返信でした。

 議会図書館側からの了解を得ましたので、調査研究の一環として今回撮影した画像の中から一枚を掲載します。

The Japan Team, Asian Division, Library of Congress permits Dr. Tetsuya Ito to include the following digital image in his blog Kamo Kaido kara 2 at http://genjiito.blog.eonet.jp/.
 
 
 
100125waka2gyou
 
 
 

“Image: Courtesy of Asian Division, Library of Congress.

Call Number: PL788.4 .G4 1537 Japan Cage.”

Image from Genji monogatari. 源氏物語
Japanese Rare Book Collection (Library of Congress)
LC Control No.: 2008427768
LCCN Permalink: http://lccn.loc.gov/2008427768
Description: manuscript. 54 v. ; 25 cm.

 
 
 
 これは、第24巻「胡蝶」の一部です。
 このような、割り注のように散らして和歌が書かれているのは、以下の13巻です。

12須磨・13明石・14澪標・20朝顔・22玉鬘・24胡蝶・25蛍・28野分・29行幸・44竹河・45橋姫・51浮舟・52蜻蛉

 議会図書館本『源氏物語』の全54巻にわたって、このような書式で和歌が書かれているのではありません。
 また、同じ巻に、この書き方と、1行から2行にわたる普通の書き方が混在しています。

 こうした和歌の書き方について、ご教示をいただけると幸いです。

 また、議会図書館本『源氏物語』は、だいたい10行で書写されています。しかし、02帚木には、8行で書かれた丁、9行で書かれた丁、10行で書かれた丁と、1頁に書かれる行数が異なります。
 これについては、「桐壺」で8行と9行「常夏」は10行と11行「横笛」は10行と11行と12行、というように、さまざまなパターンがあります。
 特に、議会図書館本『源氏物語』の後半部分は、この傾向が顕著です。

 これは、どのように考えたらいいのでしょうか。

 私は今のところ、書写する紙の節約ということが、その背景にあるように思います。これは、列帖装の本の最後の括りの最後の紙に書写して終わっている巻がほとんどだからです。

 この件についても、ご存じであれば、ご教示を乞いたいところです。

 なお、今回は以下の項目を設定して、全54巻の書写実態を調査しました。

巻名・丁数・遊紙・括り・本文行数・和歌分書・書入・校訂・傍記・異文注記・朱書・鉛筆書・摺消・ナゾリ・濁点・聞書・巻末注記・調査担当者・その他

 その詳細は、後日公表する報告書をご覧ください。

 以下、私が議会図書館でのブリーフィングで報告した内容の一部を、メモとしてここに記しておきます。
 これは、この件での広範なご教示をいただきたい、との思いを込めて掲載するものです。
 
 
 
【米国議会図書館本『源氏物語』の様態(平成22年1月27日・暫定版)】

■調査日 2010年1月25日(月)〜27日(水)
■調査メンバー 豊島秀範(國學院大學)・伊藤鉄也(国文学研究資料館)
        斎藤達哉(国立国語研究所)・高田智和(国立国語研究所)
        菅原郁子(国文学研究資料館)・神田久義(國學院大學)
■全54冊
■装丁 列帖装(虫少々、塗り箱入り)
■題簽 柿渋色
■寸法 約25センチ×17センチ
■用紙 鳥の子
■表紙 濃青色(後補による改装か?)
■題簽 極めは五辻諸仲(1487-1540)筆、外題 三条西実隆 古筆了仲極め札
                         (正徳元年5月下旬)
■本文 今後さまざまな分野から検討が加えられるはずである。
   今は、伊藤分別試案〈乙類〉とする。従来の〈別本群〉に近いものである。

■報告
 【伊藤メモ】(資料「議会図書館本『源氏物語』の調査報告(暫定版 2010/01/27)」より)

(1)和歌は4字下げ
 第2句と第3句、第4句と第5句などが、割り注のように 2行書きとなっていて、一見散らし書きのように書かれている。これは、非常にめずらしい例である。従来知られていない装飾的な書き方と思われる。

(2)毎半葉、8行から12行書きと、書写行数にバラツキ
 巻の中で9行から10行書きになったり、9行から8行になったりしている。古写本で書写行数にむらがあるものは時たまある。しかし、それでも精々1〜2行程度である。この本のような例はめずらしい。

(3)遊紙がない巻が多い
 ほとんどの巻で、最終丁のオモテかウラに文字が書かれている。改装によって失っている訳でもない。何かの事情で、紙を節約する必要があったのではないか。少なくとも、人への献呈本ではなさそうである。

(4)表紙左端4ミリの位置に、縦にヘラで押しつけて引いた線の跡が、全巻にわたってある
 古い冊子本には、まれに、巻子本の押さえ竹(一番端に取り付けてある竹で、捲れるのを防ぐためのもの。八双とも)と同じものを持つものがある。尾州家河内本にも、その跡かと思われる痕跡がる。ただし、それはかなり時代が遡るもの。非常にめずらしい例となり、今後のさらなる調査がまたれる。

(5)全巻にわたって、見返しの右端に糊の跡と、剥がされた和紙の一部が残っている
 改装された跡だと思われる。補修前の原表紙を推測する手掛かりとなる。

(6)傍記混入の例
 第23巻「初音」の第1丁ウラ9行目に「御かた/\にの」と書かれている。ここは、物語本文に「タつ方、御方々の参座したまはんとて、」とあるところなので、助詞の「に」か「の」のいずれかが傍記されていたものと推測される。それが、本行に傍記混入したものではなかろうか。
 現在、麦生本と阿里莫本に「御かた/\へ」とある以外、私が確認している他の古写本17種類には、「御かた/\の」とある。この議会図書館本のように「御かた/\にの」という文は、初めての例となる。
 おそらく、「御かた/\の」の「の」の右に異文注記として「に」が書かれており、その「に」が「の」の前に混入したと思われる。これは、議会図書館が伊藤分別試案〈乙類〉とした場合、〈乙類〉の傍記は本行の前に混入する、という傾向の実際例ということにもなろう。
 なお、「桐壺」における傍記混入の実際については、私の後の神田氏の報告で詳細になされた。

(7)本書の書写者には、文節意識がある
 今回私が詳細に調査した「初音」巻を例にする。
 この巻の改頁箇所は、以下のようになっている。


文節で改頁 12例
単語で改頁  6例
語中で改頁  1例


 頁を跨る書写において、切れ目のいい語句のところで書き終えて頁を改めていることがわかる。
 これは、書写者に、無意識ながらも語句の切れ目に関する認識があったと言えよう。
 なお、この問題については、拙文「古写本における書写者の心理を読む」(豊島秀範氏の科研研究成果報告書『源氏物語本文の再検討と新提言 第3号』2010年3月)を参照願いたい。

(8)「初音」巻のウラ見返し一面に、半丁9行分の文章が映っている
 これは、丹念にその紙面が削られているので、判読に時間を要する。
 また、その紙の裏面にも、半丁9行分の文章が微かに判読できる。
 これらが、どこの巻のどの部分なのか、または別作品なのか、今のところは不明である。後日の調査とする。
 
 
 
 このように、非常に成果の多い、充実した調査となりました。
 議会図書館本『源氏物語』を対象とした今後の『源氏物語』の研究が楽しみです。

 以下、調査とは別に非常に個人的なことも、ここに。
 この調査最終日に、私は一食しか口にできませんでした。
 まず、前夜はこの報告資料を作成するために、ほぼ徹夜です。そして、小型プリンターを持参していたので、早朝にホテルの自室で、パソコンで作成したエクセルの表や文章を印刷しました。しかし、よくあることで、なかなかうまく印刷できません。何とかきれいに印刷ができましたが、そのおかげで、朝食を摂る暇さえない慌ただしい朝となりました。
 そして昼食は、調査の継続と写真撮影と午後の報告用の資料作成のために、食べる時間が吹っ飛んでしまいました。
 そのおかげもあって、最終日の夜は充実した思いで、最後のワシントンの食事を楽しみました。
 もっとも、この時ばかりは、お寿司ではありませんでした。これは、参加なさったみなさまへの、ささやかな配慮ということにしておきます。毎晩お寿司では申し訳ない、との気持ちからです。
 
 今回の調査でご高配をたまわった米国議会図書館アジア部日本チームのみなさん、そして調査に参加されたみなさん、本当にお疲れ様でした。

 さらなる研究に向けて、この議会図書館本『源氏物語』を、みんなで有効に活用していきたいと思います。
 
 
 

 

2010年1月13日 (水曜日)

モンゴル語訳『源氏物語』の話

 モンゴル語訳の翻訳者であるジャルガルサイハンさんとの面談では、たくさんの情報がもらえました。2日間にわたり、たくさんのお話ができました。
 
 
 
100112jargal
 
 
  
 ジャルガルサイハンさんは、モンゴル国大統領府の要職にある方です。
 昨年、『源氏物語』のモンゴル語訳の第1巻を刊行されました。これには、「桐壺」から「末摘花」まで6巻分の翻訳が収録されています。
 今年は第2巻目が刊行されるはずでした。しかし、公務多忙の中での翻訳のお仕事でもあり、少し遅れているようです。

 ジャルガルサイハンさんが『源氏物語』のモンゴル語訳に取り組まれたのは、前エヘバヤル大統領による「世界の傑作撰集50巻」の企画に発しています。
 1998年から大統領府に籍を置き、社会教育部長などをなさっていたジャルガルサイハンに、大統領から『源氏物語』を翻訳するようにという依頼が来たのです。それまでの、福沢諭吉、夏目漱石、司馬遼太郎などの作品をモンゴル語訳していた実績が評価されてのことでした。
 ジャルガルサイハンさんは、日本の東京学芸大学で修士課程を修了しておられます。
 現在は、教育・保険・宗教担当の大統領補佐官として、激務の中におられます。

 日本の古典文学との関わりがなかったこともあり、恩師の鯉渕信一先生(亜細亜大学)に相談され、谷崎潤一郎訳の『源氏物語』をもとにして翻訳することを決断されたのです。
 昭和40年版の10巻本谷崎源氏を鯉渕先生が用意され、奥様がモンゴルに届けに来られたのです。ちょうど今日のように、寒い冬のことだったそうです。

 翻訳にあたっては、与謝野晶子と瀬戸内寂聴の源氏訳も、併せて確認しながらの作業です。
 また、『源氏物語事典』(秋山虔・室伏信助編、角川書店)を参考にしながらの、未知の領域への挑戦が続いています。

 そもそも『源氏物語』のことを初めて知ったのは、司馬遼太郎の「義務について」という一文からでした。アーサー・ウェイリーや紫式部のことに関連して、『源氏物語』に触れたものです。とにかく、難しいものだとの認識があったそうです。しかし、国の企画でもあり、さらには大統領からの指名ということで、栄誉ある仕事として取り組んでおられます。
 モンゴルはアジアにあり、仏教と関わりの深い国なので、日本の『源氏物語』とのつながりが多いことを実感されてくれるそうです。

 2009年に選ばれた、モンゴルで訳された世界文学作品の最高5作品は、次のものでした。

(1)アイルランド「ウイリス」
(2)日本「源氏物語」
(3)フランス語「酔っぱらっている船」
(4)ロシア「詩 ESENIN」
(5)ハンガリーの作品

 ジャルガルサイハンさんの『源氏物語』が、第2番目に選ばれたのです。

 翻訳にあたって、鯉渕先生からは原文が抜けていてもいいと言われているそうです。わかりにくいところは訳さなくてもいい、ということのようです。しかし、今は全部を訳したいと思うようになったそうです。
 和歌の訳については、モンゴル詩の特徴である韻を踏んでいます。
 ジャルガルサイハンさんの訳は、鯉渕先生と奥様に見てもらっておられます。1982年に国立モンゴル大学で日本語の勉強を始め、1985年に客員教授として来られた鯉渕先生に教わったときから、先生とのつながりができたのです。

 しかし、モンゴルで日本の古典文学がわかる方はおられません。

 『源氏物語』を訳していく上で、植物や衣服などについては、日本人との関心の違いから、いつも苦労するとのことでした。

 例えば、「桐」というものについて、ロシア語で「ウナギの~」とあることから、モンゴル語では「ウナギの腎臓の木」として訳したのだそうです。モンゴルの読者への理解を大切にしての翻訳です。

 モンゴルでは、虫は人の悲しみを伝える時によく使うとか。人の心を表す意味で虫を使うようです。これは、詩においても同じです。
 「桐壺」巻で、桐壺更衣亡き後の靫負命婦の歌で、「鈴虫の声の限りをつくしても~」や「いとどしく虫の音しげき浅茅生の~」の和歌の部分に関して、時間を忘れて、しばらく意見交換をしました。

 蓮についても、西の方にあると聞いている程度で、見たことはないそうです。仏教に関連する花なので、ご存知と思っていたので意外でした。
 このようなことが、たくさんあるようです。異文化理解のすれ違い、とも言えそうです。

 また、花について、モンゴルでは、日本のようにさまざまな名前をつけて区別してはいないのです。色で花を区別することが多いので、「菊」は「黄色い花」ということになります。

 「夕顔」は「お月様の花」とするといわれると、その理由がわかりません。すると、夕顔は見たこともないので、辞書で調べると、夕方咲いて明け方に萎むことから、「お月様の花」と言うことにしたのだ、とか。

 ロシア語とモンゴル語の辞典で調べ、その意味を考えることが多いそうです。
 ロシア語を調べ、国際的な名称を調べて訳文に活かすことにしておられるのです。

 翻訳を通してわかる異文化理解は、ざざまな問題に気づかせてくれます。

 最近、第1巻がハードカバーだったので、安価なペーパーバックの軽装本にして刊行されました。
 
 
 
100111gbook
 
 
 
 中は一緒で、表紙と装丁だけが変わっています。
 一人でも多くの方に読んでもらいたい、との思いから自費出版です。
 1日も早く全10巻が完結することを祈っています。
 
 
 

2009年12月21日 (月曜日)

名古屋で『源氏物語』の研究会

 週末の19日と20日は、名古屋の中京大学で『源氏物語』に関する研究会がありました。
 國學院大學の豊島秀範先生が主宰なさっている会で、第3年目の今回は第15回を数えるほどに、地道に研究成果を挙げている科研の研究会です。
 
 
 
091219nagoya1
 
 
 
 今回は、こんなプログラムでした。


第14回 「源氏物語の本文資料に関する共同研究会」
 
日時︰12月19日(土)13:00~
場所︰中京大学 名古屋キャンパス 5号館 572教室
内容
開会の辞         豊島秀範(國學院大學)
第1部 招待講演(13:00~)  司会 伊藤鉄也(国文学研究資料館)
 岡嶌偉久子氏(天理大学附属天理図書館)
    「尾州家河内本源氏物語の書誌学的考察」
第2部 研究・報告1(15:20~)       司会 菅原郁子
「河内本の翻刻・刊行とデータ処理の方法」
                     豊島秀範(國學院大學)
「河内本の翻刻と利用」         遠藤和夫(國學院大學)
「大島本「源氏物語」テキストデータベース化について」
                     渋谷栄一(高千穂大学)
「早蕨巻の本文と表現」         中村一夫(国士舘大学)
第3部 研究・報告2 (16:50~)      司会 神田久義
「池田本手習巻とその本文」    大内英範(国文学研究資料館)
「河内方の二系統」       田坂憲二(群馬県立女子大学)
「大島本に関する報告」       伊藤鉄也(国文学研究資料館)
閉会の辞                 原 國人(中京大学)

 
 
 私は、次のような資料を配付し、「大島本に関する報告 —「初音」巻における傍記異文注記の本行本文への混入—」と題する発表をしました。

 その内容は、以下の通りです。

(1)『源氏物語』の本文は2種類に分別できること
(2)異文は、傍記が本行に混入することによって生じたものが多い。
(3)大島本は、傍記が混入している本文を伝えている。


◇資料(1) 『校異源氏物語』(昭和十七年、中央公論社)の「凡例」(『源氏物語大成』も同じ)
 一 本巻ノ大島本(飛鳥井雅康筆)ハ青表紙本デナク別本デアカラ、之ヲ底本トセズ、池田本ヲ底本トシタ。
  (中略)
 一 別本ノ大島本、七七三頁六行なむ一本おもふ(○○○○○)たのむとトアリ、七七五頁九行よはなれ一本かうさしのいともよはなれ(○○○○○○○○○○○○○○)たる
   トアル箇所ノ一本おもふ(○○○○○)及ビ一本かうさしのいともよはなれ(○○○○○○○○○○○○○○)ハ、大島本ノ書本ノ行間ニ存シタ書入ヲ、ソノ書写ニ当ツテ
   本行ニ混入シタモノト考ヘラレルガ、ココデハスベテ原本ノママトシタ。
   (注・校異には簡略を旨とする別本欄ということもあり、ミセケチやナゾリに関する記載はない。)
◇資料(2)
 参照資料 カラー図版(十三オ・十五ウ)
○該当箇所の翻字
 A 十三オ 「一本おもふたのむと」
   3行目 「一本」(ミセケチ〈朱〉、抹消〈墨〉)
       「ふ」(右下に「と」(朱・補入記号あり))
       「たのむと」(ミセケチ〈朱墨〉)
  【『日本古典文学全集 三』(小学館)】 底本・陽明文庫蔵後柏原院等筆写本
   ……あらじやはとなむ思ふ」とのたまふ。(一五〇頁)
  【『新編日本古典文学全集 3』(小学館)】 底本・天理大学付属天理図書館蔵池田本
   ……あらじやはとなん思ふ」とのたまふ。(一五七頁)
  『源氏物語別本集成 第六巻』231259-000
   ◆大島本 あらしやはとなむ一本おもふたのむとのたまふ
   ◆陽明本 あらしやはとの給
   ◆保坂本 あらしやはとなんたのんとのたまふ
   ◆東大本 あらしはやとなむたのむとの給ふ/は$、や+は、たのむ$おもふ
 B 十五ウ 「一本かうさしのいともよはなれ」
   6行目 「一本かうさしのいともよはなれ」(ミセケチ〈朱〉)
  【『日本古典文学全集 三』(小学館)】
   ……高巾子の世離れたるさま、(一五三頁)
  【『新編日本古典文学全集 3』(小学館)】
   ……高巾子の世離れたるさま、(一五九頁)
  『源氏物語別本集成 第六巻』231521-000
   ◆大島本  かうこむしのよはなれ一本かうさしのいともよはなれたる
   ◆陽明本  かうこしのよはなれたる
   ◆穂久邇本 かゝらむこの世はなれたる
   ◆前田本  かうこしの世はなれたる/こ$さ、の=いともイ、傍いともイ$

 
 
 わかりやすかったとの反応があったので、近いうちにまとめたいと思います。


 2日目は会議室で、今後の研究会のあり方と、平成22年度の活動について、具体的な話し合いをしました。

 その後、熱田神宮へ参拝しに行きました。
 
 
 
091219nagoya2
 
 
 
091219nagoya3
 
 
 
091219nagoya4
 
 
 
 さらには、名古屋大学の先生のご自宅にお邪魔して、貴重な古典籍や屏風などを拝見しました。
 逸品揃いを堪能しました。

 2日目も、ハードな研究会となりました。しかし、充足感のある疲れなので、非常に気持ちのいいものです。

 さて、また明日から、書類作成と連絡に追われる、仕事仕事の日々となります。
 年末まで、ひた走りに走るしかありません。

2009年12月18日 (金曜日)

手銭記念館の源氏絵屏風で教示を乞う

 今回の出雲行きは源氏絵を確認するためで、小雨の中を手銭記念館へ行きました。
 手銭記念館は、出雲大社から歩いて8分のところにあります。

 神門通りから神迎えの道へ左折して西に歩いてすぐのところに、我が家の親戚で「ヘルンの宿 いなばや旅館」があります。というよりも、今回はありました、ということになります。
 「いなばや旅館」は、当主であり私のふたいとこの勝ちゃんが病気をしたこともあり、近年廃業したのです。このことは、後で書きます。
 神迎えの道をさらに西に行くと、手銭記念館があります。
 
 
 
091212tezeni
 
 
 
 手銭記念館は、江戸時代の初めから今に至る11代の現当主まで、漢詩・俳句・茶道・華道を嗜む中で、たくさんの美術工芸品を守り伝えてきた家です。手銭家は、貴重な品々を保存・管理・公開するために、平成5年に美術館を開館なさいました。
 現在は、館長の手銭さんと奥様、そして学芸員の佐々木さんが協力して、2つの展示室で企画展などをなさっています。

 お茶をいだきながらの雑談のうち、手銭さんが「いなばや旅館」の勝ちゃんの小・中・高校の同級生だったことがわかりました。手銭さんは県会議員を、勝ちゃんは町会議員をしていました。また、奥様は我が家の親戚筋である佐草家の縁続きであることもわかりました。なんとも、奇遇が偶数倍に重なって、私の身を縛り付けてゆきます。親類縁者の網に絡め取られていく思いの中に置かれました。

 調査の前に、屏風が立てかけられた部屋の横で、こんな風に親族の話で盛り上がったのです。

 午前中は、白描の源氏絵が12枚貼られた屏風と、奈良絵本の烏帽子折草子が張り込まれた屏風、そして小振りの彩色源氏絵が描かれた屏風を調査しました。
 白描の源氏絵は、巻の特定に苦しむものがいくつかありました。
 手銭家のご了解を得ましたので、ここにその絵の中でもどのような場面かがわからなかったものを掲載します。少しでも何かがわかり、みなさんの研究や勉強のお役に立つのなら、という手銭さんのご厚意に甘えることにします。いずれも、左隻のものです。
 
 
 
091212genjie1不明1
 
 
 
091212genjie2不明2
 
 
 
091212genjie3不明3
 
 
 
 奈良絵を貼った屏風は、同行の米子高専の原さんと、松江高専の小川さんが翻刻をはじめとする具体的な調査をすることになりました。この2人なら、きっとすばらしい報告をし、有益な成果を公表してくれるにちがいありません。
 私も、親類縁者の温かい気持ちを背景に、2人に協力していきたいと思います。
 と、このように書くことで、この若い学徒にプレッシャーを与えておきましょう。

 昼食は、一風変わった出雲蕎麦屋へ行きました。
 
 
 
091212soba
 
 
 
 外からの客は取らず、配達だけのソバ屋さんです。しかし、時には、食べられるようで、手銭さんが電話をして機会を作ってくださいました。
 確かに、変わったお店でした。ソバの注文の仕方から、食べ方に至るまで、念のいった解説付きでした。香りのいい、美味しいソバでした。

 午後は、屏風絵を確認しながら写真撮影をしました。
 ちょうど、学芸員の佐々木さんもお出でになったので、屏風の移動などを助けてもらいながら、撮影は順調に終わりました。
 その後、2種類の手鑑を拝見しました。ともに、由緒正しいお公家さんたちの名前が鑑定されて貼り込まれている、短冊や古筆を拝見しました。

 私は、『源氏物語』の第30巻「藤袴」の丁オモテ一葉に興味を持ちました。
 すでに原さんが著書『源氏物語と王朝文化誌史』(勉誠出版、2006年3月)で報告しておられます。私もこれを鎌倉時代の写しの断簡と見ました。同席の方々には、私なりの根拠を説明しました。しかし、こればかりは断定できません。その可能性が高いことを、文字の特徴や墨の色、そして丁末の文字の終わり方などから私見を聞いてもらいました。どなたかご覧になる機会がありましたら、ご教示いただければ幸いです。
 
 

2009年10月31日 (土曜日)

『源氏物語』では「標準本」と言うより「基準本」がいい

昨日10月30日の朝日新聞(朝刊)に、『源氏物語』の「大澤本」に関する記事があります(今日その一部の訂正がありました)。
その記事の中で、アレッと思うことばがありました。「標準本」というものです。
これは、現在一般に読まれている流布本のことをいい、〈いわゆる青表紙本〉のことを言い換えたことばとして使われています。
記事の中のカラー図解した部分では、「標準本では」とする標目の下に「(鎌倉時代前期 藤原定家校訂)」という補記があります。

通行の流布本のことを、マスコミなどが「標準本」と呼ぶのは、これが初めてです。
これまでは、「青表紙本」とか「大島本」とか「定家本」と言っていました。私は、これらについては、あえて〈いわゆる青表紙本〉とか〈活字校訂本〉と言い張ってきました。
今日の記事に端的に表れているように、「青表紙本」ということばを避けようとするのは、『源氏物語』の本文研究の成果の表れと言うべき現象で、歓迎すべきことです。
ただし、みんなで読む本を「標準本」というのはどうでしょうか。

私は、これまで通行の流布本を「基準本」と呼んできました。
『総研大ジャーナル』(2009年3月刊)に掲載された「『源氏物語』研究の新時代」などがそうです。
比較して考える上での拠り所であり、平均的な水準を満たした共通の本及び本文、という意味で「基準本」を使ってきました。「標準」ということばに、私は強い違和感を持つからです。

学生時代に、方言の研究で著名な平山輝男先生は、授業中に日本語について「標準語」ではなくて「共通語」ということばの方がいい、と仰っていました。「標準」ということばには価値判断が入っており、それ以外はよくないもの、という意味合いが引き出されるからだ、とのことでした。確かに「標準語」という言い方は、地方の言葉を低く見下した物言いになりかねません。「標準」には、「お手本」という意味が強く、理想的なものを求める感じがつきまとうことばです。
その意味では、「標準語」よりも「共通語」の方が、みんなの伝達手段としての言語を指す表現だと思います。

さて、みんなが読む『源氏物語』の本文を何と呼べばいいのでしょうか。
「標準本」には、規範的なニュアンスが強すぎます。それ以外を排斥する意味合いが含まれます。
といって、「共通本」では、何となく普通すぎます。

私は共通の『源氏物語』の本文を、「基準本」と呼んできました。
補助金などの申請書類には、4年前から「基準本」ということばを使って作成しています。みんなが読む上での「基準」にする本、という意味です。
これなら、立場によって自分が読む『源氏物語』の本文は何でもいいのです。「大島本」だとか、「陽明本」だとか、「池田本」だと言えばいいのです。そして、あくまでもみんなで共通に読むものとして、「基準本」を何にするかを確認しておけばいいのです。
その意味では、「大島本」を底本にして作成された校訂本文が、昭和から平成にかけての「基準本」だといえるでしょう。

『源氏物語』の本文に対する意識が、昨年から大きく揺れ動き出しました。『源氏物語別本集成』と『源氏物語別本集成 続』を20年以上にわたって刊行し続けてきた効果が、こうしてようやく見えだしたのではないかと、私は自分に都合のいいように理解しています。
昨日、「標準本」ということばを目にして、やっと「青表紙本」という理解の一端が崩れだしたことに快哉を叫びました。

さて、次は、「大島本」の校訂本文に続く「池田本」の校訂本文を提供することを、急がなくてはいけません。
『源氏物語』の「基準本」となるような「池田本」の整定です。
責任重大で、ますます忙しくなりそうです。と、本人だけでしょうが決意を新たにしているところです。
 
 

2009年10月23日 (金曜日)

再録(1)電脳で源氏を解析?!〈1998.9.18〉

 私が最初にインターネット上に情報を発信したのは、1995年9月30日でした。当時住んでいた奈良から、東京のプロバイダーのサーバーを通しての発信でした。自分のホームページには〈源氏物語電子資料館〉という名前を付けました。
 そして、最初に流した情報は、以下のものでした。

◎(1)95.8.11 第5回紫式部文学賞は、吉本ばなな氏の「アムリタ」に決まる(朝日新聞95.8.12)

 以来、ネット上に情報を発信し続けています。しかし、通信環境の事情もあり、サーバーがいろいろと移りました。そのため、発信した情報も分散してしまいました。
 自分でも、どこにどんなことを書いたのかわからなくなりましたので、記憶の確かな内に、可能な限り1箇所に集めることにします。

 当時は、今のブログなどはありませんでした。ホームページの中で、日々のつぶやきを「ハイテク問はず語り」として記していました。もちろん、どうでもいいことを書いていたのですが、中には、本当に稀ですが、今でも参考になる記事もあります。
 そんなものを、少しずつ「再録」として拾ってみようと思います。

 ただし、当時はいろいろな制約から、小さな画像を使っていました。見苦しいものが混入していますが、10年以上前の記事ということでお許しください。

 まずは、『源氏物語』に関するものからです。
(出所︰「大和まほろば発 へぐり通信」→「新・奮戦記」→「ハイテク問はず語り」→「(3年目/1997.10.1~1998.9.30)」)


電脳で源氏を解析?!〈1998.9.18〉

 一昨日の朝日新聞に、興味深い記事がありました。まずは、ヘッドラインをあげます。

  源氏のナゾに電脳で“光”
  22巻「玉鬘」書いたのは39巻「夕霧」の後?!
  38万語解析 カギは助動詞

 “光”は“光源氏”をちらつかせているのでしょう。冒頭の要約文によると、一昨日の日本行動計量学会で『源氏物語』の文体をコンピュータで研究しているグループが発表なさる内容の速報のようです。結論としては、「物語は巻の順序で書かれたのではなく、後に挿入されて完成した可能性が高まった」ということです。データ解析にあたっては、古典作品で使用頻度の高い「ず」「たり」など22種類の助動詞の使用率に着目されたものです。助動詞の使われ方が似ているグループを、あらかじめ四分類した巻々で総和を求められたようです。新聞に取り上げられた情報からだけではありますが、簡単に言えば、

  第一部若紫系 -> 第二部 -> 第一部玉鬘系 -> 第三部

ということでしょうか。

 記事末尾の識者のコメントは瀬戸内寂聴さんで、「ごくろうさまでしたね。」の一言でした。

 この問題は、私も大いに興味があります。『源氏物語』は、四百字詰原稿用紙2400枚もの長編物語なので、その文章を解析するのは、まさにコンピュータの出番です。ただし、気を付けなければならないのは、対象とする基礎データがどういう性格のものであるか、ということです。これは、大量の情報を処理する際には、一番大事なことだと思います。

 今回のデータ処理の基礎資料は、『源氏物語大成 校異篇』のはずです。ところが、その翻刻本文には、誤読・誤植以外にも、以下に記すように、いろいろと問題があります。また、『源氏物語大成 索引篇』における各語の品詞の認定は、それを子細に点検すると誰もが驚くことですが、知る人ぞ知るというものです。『源氏物語大成』は、緻密な解析に耐えうるものではありません。今回の研究発表・報告にあたって、この点がどうクリアーされ、データをどのように修訂されているのか、後日くわしく見てみたいと思っています。

 『源氏物語大成』に寄りかかる研究の危うさを、手元の資料を用いて、一二具体的にあげてみましょう。
 
 
 
Osima23_watarijpg23巻「初音」16丁オ
 
 
 
Osima05_naramujpg5巻「若紫」53丁ウ
 
 
 
 上の画像は、近年『源氏物語』の基準本文として定着した、大島本の写本の一部です(『大島本 源氏物語』平成八年五月、角川書店)。この大島本が、『源氏物語大成』の底本です。ただし、その『源氏物語大成』の凡例には「桐壷・夢浮橋ノ二帖ハ大島本ガ補写デアリ、初音ハ大島本ガ別本系統ノ本文デアリ、浮舟ハ大島本ガ之ヲ欠イデヰルカラ、コレラノ諸帖ハ大島本ニ次グベキ地位ヲ有スル池田本ヲ用ヰタ。」(五頁)とあるように、五十四巻中四巻は、別の本文で補われた混成本です。つまり、『源氏物語大成』の本文によるというのは、混成本による研究ということになります。

 上左図「初音」は、本行に「かへり給はすおとゝ」とあり、「り給」の間に朱丸の記号を付して、その右横に「わたり」と朱書しています。さらに、「給は」の間に朱丸があり、「はす」を朱の縦線でミセケチにして、その右横に朱で「ひぬ」と書いています。つまり、この朱で訂正された大島本の文章は、「かへりわたり給ひぬおとゝ」となります。

 『源氏物語大成』の「初音」では、底本が池田本で、大島本は別本に分類されています。その『源氏物語大成』の本文である池田本は、大島本の朱書訂正本文と同じ「かへりわたり給ぬ」です。『源氏物語大成』には、青表紙本の異文として慈鎮本の「かへりわたり給はす」があるだけです。『源氏物語別本集成』をみると、保坂本と東大本が、大島本本行本文と同じものを伝えています。
 これをまとめると、いわゆる青表紙本の中からは、次の三つの本文の内、どれを取るか、ということになります。とくに、大島本本行本文の「す」は打ち消しの助動詞「ず」と思われるので、助動詞をキーワードにして解析する場合には、その検討と集計に影響します。
  1-「かへりわたり給ぬ」池田本・大島本朱書訂正本文
  2-「かへり給はす」大島本本行本文
  3-「かへりわたり給はす」慈鎮本

 さて、『源氏物語』の「初音」のこの部分の本文はどうすべきでしょうか。
 現在流布する活字テキストは、すべて「かへりわたり給ぬ」です。大島本で通して校注を施した岩波の『新大系』も、「初音」の底本は大島本ですが、ここは朱書き訂正本文を採用しています。とにかく、『源氏物語大成』以来、大島本を翻刻するときは、朱書・墨書の訂正された本文を採用することになっているのです。
 では、その訂正はいつ行われたものでしょうか。藤本孝一氏の調査によると、「全帖本文に見える大部分の校訂は永禄七年以降になる。」(「大島本源氏物語の書誌的研究」『大島本 源氏物語 別巻』五九頁、平成九年四月、角川書店)ということです。大島本は文明十三年(一四八一)に飛鳥井雅康が書写したものです。それから八十三年後の永禄七年(一五六四)以降に、その本文に墨や朱で訂正や書き入れが施され始めました。それは、江戸時代全期間まで続きます。つまり、現在の流布本がそうであるように、写本に書き込まれた墨や朱の訂正を取り込みながら大島本『源氏物語』を読むということは、江戸時代に書き込まれた言葉も受容することになるのです。そのような本文を、コンピュータを活用して精密に解析し、そして平安時代の『源氏物語』がどのような順番で書かれたかを、それも助動詞をキーワードにして調べるためには、対象となる資料に対して相当慎重な考察が事前に必要であり、それはまだまだ研究不足、というより、ほとんど行われていないのが実状です。大島本の影印本が一昨年刊行され、ようやくその必要性が感じられ出したというのが現状なのです。

 上右図に移りましょう。これは「若紫」の一部です。
 大島本の本行本文は「する事なむと」です。そして、白黒の画像ではありますが、原本には「なむ」の間に補入記号としての朱の点が打たれ、その右横に朱で「ら」と書かれています。そして、『源氏物語大成』をはじめとして各活字テキストはすべてが「する事ならむと」として本文をたてています。つまり、大島本本行本文の「なむ」という一つの助詞が、現在流布するテキストでは「なら」と「む」という二つの助動詞になっているのです。本文解析の「カギは助動詞」といっても、使用する写本の校訂の仕方によって、その使用数も活用形も異なってきます。なお、陽明本は「いかなるにかと」という、流布本とは異なる文章になっています。

 数量で何かを考える場合に、そのもとになっているデータがどのようなものであったのか、どのように加工され変形させたものであるかを知っておく必要があります。今回、新聞に掲載された研究成果は、その点をクリアーしてのものと思いますが、私はその調査結果よりも、上記の問題点がどのように処置されたデータにもとづいて解析されたかに興味があります。

 いずれにしても、大島本を共通テキストとして利用するにあたっては、越えなければならない関門が陸続としています。

 若い方々の『源氏物語』の本文研究への参加を熱望するところです。

2009年10月17日 (土曜日)

異分野の方に『源氏物語』の写本を語る

 国文学研究資料館は総合研究大学院大学(略称は総研大)に所属しています。
 昨年、総研大の学科の一つである高エネルギー加速器研究機構名誉教授の小林誠先生が、栄えあるノーベル賞をおとりになったので、少しはこんな大学院があったんだ、と思われたくらいでしたが、今なおほとんど知られていません。
 しかも、大学院の博士後期課程だけの大学で、前期の修士課程を持たないので、なおさら馴染みがないようです。
 しかし、総研大の学生たちはみんな立派な成果を上げて、博士号を取得して卒業しています。
 国文学研究資料館も総研大の一員となって6年で、すでに4人の博士(文学)を生み出しました。私も、そのうちの3人に関わったので、みんなの今後が楽しみです。

 さて、国文学研究資料館が所属するこの大学院大学の中の文化科学研究科が、今年で20周年を迎えました。それを記念して、例年開催されている学術交流フォーラムも、いつもよりも賑やかに行われました。会場は、吹田の万博記念公園の中にあり総研大のメンバーである国立民族学博物館です。

 昨年の12月に、「万博公園の太陽の塔」について書きました。


 1年ぶりにここを訪れました。今日はドンヨリした天気のため、前回よりも顔が曇り気味でした。
 
 
 
091017banpaku1太陽の塔
 
 
 
 そして、後ろ姿を見て、ゴジラを思い出しました。
 
 
 
091017banpaku2ゴジラ?
 
 
 
 前からこんな姿だったのか、思い出せません。

 さて、今回の学術交流フォーラムでは、私にもポスター発表という出番があり、小さな研究発表をしました。
 
 
 
091018posterタイトル
 
 
 
091017banpaku3ポスター発表
 
 
 
 一緒に発表される先生方がマスコミなどでご活躍の面々なので、私が他の方の発表を聞きたかったくらいですが、みんなが同時にパネルの前で話し始める形式なので、聞きに行くわけにもいきません。

 3つのグループに分かれてのイベントで、私は最初のグループとしての発表でした。
 集まってくださった方々に、『源氏物語』の写本で各ページの最後と次のページの最初にかけては、ことばがちょうど文節や単語で切れていることがほとんどであり、単語が泣き別れして書写されていることが少ないことを説明しました。写本を作る人に、どれだけの文節意識や単語意識があったのか、新たな問題になると思われます。

 日頃は、このようなことを調べているのではないのですが、こうして人前で説明するときには、図やグラフを使った方がわかってもらいやすいのです。そのために、今日もこうした説明しやすい内容で臨んだのです。

 このポスターセッションが終わると、今回、民族学博物館でなさっている特別展「自然のこえ 命のかたち」を主催者側の博物館の方が案内してくださいました。
 カナダの先住民がテーマの展示でした。
 今回はじめて、イヌイット語があることを知りました。イヌイット文字の原形は、19世紀の後半に布教をしていた宣教師が、英語の速記文字を参考にして発明したものだそうです。母音が3つで構成される言葉なので、ハワイの言葉に近いように思いました。

 会場の最後のコーナーに、人間の動きに合わせて動物に変身できるという巨大なモニタがありました。
 おもしろそうなので体験しました。

 最初は雛鳥に変身です。
 
 
 
091017banpaku4雛鳥
 
 
 
 次のポーズでは、シロクマが出てきました。
 
 
 
091017banpaku5シロクマ
 
 
 
 その後はクジラです。
 
 
 
091017banpaku6クジラ
 
 
 
 そのクジラも、ダイナミックに消えていきます。
 
 
 
091017banpaku7クジラ退場
 
 
 
 とても楽しい企画でした。
 こんなことが、私の文学の分野ではやれないのです。
 発想の転換をして、知恵を絞ってみます。

 懇親会に出た後の帰り道、ライトアップされた太陽の塔は、昨年と同じ顔を見せてくれました。
 
 
 
091017banpaku8太陽の塔のライトアップ
 
 
 
 いろいろな所へ行き、いろいろな人と会い、いろいろなイベントに参加すると、たくさんの勉強ができます。
 これからも機会を見つけては、どこへでも行き、誰とでも話し、何でも見てこようと思います。


2009年10月13日 (火曜日)

夜空に映える宇治の源氏絵巻

 宇治橋の周辺で開催されていた「京都 宇治灯り絵巻」は、夜と光を巧みに演出したすばらしいイベントでした。
 タイトルは「源氏の里に雅なる世界、ふたたび」と、昨年の源氏千年紀をうまく意識させるものです。
 『源氏物語』を観光資源とすることに成功した宇治市ならではの企画といえましょう。

 京阪宇治駅に来ると必ず行くのが、回転寿司「函館市場」です。このチェーン店は、奈良にいたときから各地にある店を食べ歩きました。この宇治橋の袂にある店も、なかなか活気があって好きな所です。
 
 
 
091011uji_hakodate
 
 
 
 まずは、大澤本を特別公開する宇治市源氏物語ミュージアムは欠かせません。
 入口は、宇治上神社からの方が雰囲気はいいのですが、駅に近いということで大通りから入りました。
 源氏絵巻灯籠がお迎えをしてくれました。
 
 
 
091011uji_gm1
 
 
 
 大澤本については、過日書きましたので省略します。
 ただし、展示室の入口と説明のパンフレットに、次の文言があったことが印象的でした。
 大澤本を展示する場所にふさわしいことばだと思いました。

池田亀鑑が青表紙本をより純良な本文と判断して以来、その代表である大島本(古代学協会所蔵)を中心とした本文が広く読まれてきましたが、近年、青表紙本については必ずしも良質ではないとする見方もなされています。昨年、大澤本は国文学界で注目を集める別本が半数以上を占めることで話題となりました。

 (中略)別本研究、いや源氏物語研究がより深まりをみせる、そのための一つの基礎的な作業として本展が受け入れられれば幸いです。

 ミュージアムから、さわらびの道を通って宇治上神社へ出ました。
 世界遺産のこの神社も、ライトアップの準備がなされていました。夜間の拝観があるとのことです。時間の都合で行けませんでしたが。

 宇治川の途中で、こんなコートを羽織ったボランティア・スタッフの方々をたくさん見かけました。
 
 
 
091011uji_cohto
 
 
 
 昨年の源氏千年紀で、ますますスタッフも充実してきたようです。

 宇治川にかかる朝霧橋にも、灯籠がたくさん置いてあります。約400基の源氏絵巻灯籠が、今回は宇治川沿い一帯に置かれているそうです。
 橋と、その向こうの中の島に揚がる巨大な風船は、後で掲載する帰りの夜景と比べてご覧ください。
 
 
 
091011uji_bloon1
 
 
 
091011ujibaloon2
 
 
 
 中の島から塔の島の喜撰橋を渡って、灯籠が並ぶあじろぎの道に沿う宇治川派川では、市民コンサートとして弦楽四重奏が始まっていました。
 ちょうど、観光の屋形船「てらない」が通りかかったところです。
 
 
 
091011uji_gengaku
 
 
 
 日が落ちた頃から、宇治川派川に浮かぶ舞台舟「紫のゆかり」の船上では、六嶋由美子さんの『ひとりものがたり 源氏の縁・宇治』が始まりました。
 左でオカリナを演奏しているのが鈴江先子さんです。
 鈴江さんは、本ブログの2009年5月6日に書いた「源氏千年(84)紫式部千年ライブ」で紹介しました。
 いつ聴いても、透き通ったすばらしい音色です。
 中央が、白拍子舞の井上由理子さん。
 そして右が源氏語りの六嶋さんです。
 
 
 
091011uji_mai0
 
 
 
 なかなかよく出来た台本だったと思います。しかし、この場所での内容としては、少し長すぎたのではないでしょうか。
 現に、私のすぐ横では、大阪のおばちゃんが待ち合わせをしている友達をこの場に案内するため、携帯電話にガンガンがなり立てる声が耳元に飛び込んで来ます。やがてやってきたお友達なるおばちゃんも、とにかく大声で笑ってはしゃべったり、という始末です。
 自由に見られる野外の舞台なので、いろんな人が集まります。それも、お行儀のいい関東ではないのです。
 内容は、宇治十帖をわかりやすく語っています。舞も優美です。ちょうどこの宇治川に浮舟が、と言われると、つい自分が物語の中にいるような錯覚に陥ります。うまいなあ、と思って聴いていました。
 それでも、見ている人が飽きないためにも、もう少しコンパクトにした方がよかったのでは、と思いました。

 この源氏語りが進んでいるうちに、中の島では気球に源氏絵巻が映し出されました。
 なかなか壮観です。
 
 
 
091011uji_mai2
 
 
 
091011uji_baloon2
 
 
 
091011uji_baloon4
 
 
 
 帰り道、朝霧橋から中の島を振り返りました。
 
 
 
091011uji_baloon5
 
 
 
 橋の袂の宇治十帖のモニュメントからは、こんな背景をなしていました。
 
 
 
091011uji_baloon6
 
 
 
 「京都 宇治灯り絵巻」のイベントは大成功です。

2009年10月12日 (月曜日)

校本『源氏物語』に挑む若者たち

 奈良に近い京田辺市に、同志社大学の京田辺キャンパスがあります。ここには、理科系が中心の学部が集まっています。
 京都御所の北側にある今出川キャンパスは、文学部をはじめとする文化系の学部が集まっています。
 今日はこの京田辺にある、文化情報学部へ行きました。ここで、「校本の会」という研究会が立ち上がったということなので、応援する意味で訪問しました。
 私なりの試行錯誤のこれまでを、学生さんたちに直接語り伝えたかったので、「校本の会」のとりまとめをしておられる福田智子先生の研究室に行ったのです。

 学生さんたちは、ほんとうに純粋に『源氏物語』の写本に体当たりをしていました。
 『源氏物語』の本文をコンピュータで処理するプログラムを開発している学生は、話をしているだけで、その熱意が伝わってきました。実際に足を運んできてよかった、という実感を持ちました。
 他の学生さんたちも、素直なのでこれからが本当に楽しみです。
 なまじ『源氏物語』に精通していないことが、かえっていい問題意識と成果をあげているようです。言い方がむつかしいのですが、知らない者の強みとは、このことを言うのでしょう。『源氏物語』の研究者が写本を見向きもせずに、ひたすら活字化された流布本で研究をしてきた70年という停滞した研究史に、今こうした若者が風穴を開けてくれそうです。そのことに期待が持てそうです。これは、本当に嬉しいことです。本来の研究が、文学部ではないところから立ち上がっていくところに、学問のおもしろさを感じます。

 全国に『源氏物語』に興味をもつ学生さんは多いと思います。しかし、みんな活字の流布本を読んで終わりです。大島本を元にして作られた、活字で組まれた『新編日本古典文学全集』(小学館)などを読んで終わりなのです。

 しかし今、流れが変わりつつあります。
 一体今、自分たちは何を読んでいるのだろう、という問いかけがなされる時代になりました。こんな時こそ、活字の校訂本文ではなくて、原点に立ち返って写本に書かれた文字を追いかけるべきです。
 書かれている言葉の意味は、今わからなくてもいいのです。『源氏物語』の作品論などは、まだ先でいいのです。
 とにかく、たくさんの写本が読まれないままに放置されていることを認識し、それを整理し、何を読むべきかを見定め、それから本文の内容を理解すればいいのではないでしょうか。
 その意味でも、まだ『源氏物語』の研究は、本文の整理の段階です。この時期だからこそ、異分野の方々とのコラボレーションで、研究を進めるべきです。文学青年や文学少女の出番は、まだまだのようです。

 『源氏物語』というと、すでに研究はやりつくされていると思われています。しかし、それは活字になった校訂本文による研究の話に留まります。そのことに、早く気づくべきなのです。
 その意味では、情報資源としての『源氏物語』をコンピュータなどを駆使したアプローチをする学生がいることは、私にとっても嬉しいニュースです。
 東京から出かけてでも、ぜひともこうした若者たちに逢いたくなったのは、こうした寂しい『源氏物語』の研究環境を日々目にしているからです。
 期待を裏切らない学生たちに逢えて、今、ホッとしています。

 一緒に話をし、その後は一緒にお酒を飲みながらどうでもいいことなどを語りながら、この若者たちの頼もしさを感じ、今、京都の自宅に帰りました。

 私が『源氏物語』を情報処理の対象としたのは、20代の後半でした。30年も前のことです。
 今日逢った学生さんたちは、20代になったばかりです。
 コンピュータやソフトウェアは、格段の進歩を遂げました。
 そうした道具を容易に手に出来る今の世代の若者たちに、ますます、これからが楽しみに思われます。
 声援を送るしかできない立場になっていますが、それでも出来る限りの応援をしたいと思います。

 とにかく、続けることが大事です。そして、誰もやならいことをしているんだ、ということを自分に言い聞かせ、失敗を恐れずにひたすら前を見て進んでもらいたいものです。

 今回、彼等の姿を直接見たので、また、折を見て話をしに行きたいと思います。
 楽しみが増えました。

2009年10月 5日 (月曜日)

展示解説書『幻の写本 大澤本源氏物語』

 2008年は『源氏物語』の千年紀でした。その中のニュースとして、大澤本『源氏物語』に関するものは、多くの人に新鮮な驚きを与えました。その本の伝来がドラマチックであったこと、そして何よりも、その本文が特異な表現を持つことなどで。

 この大澤本の姿が実際に自分の目で確認できる展覧会がスタートしました。
 宇治市源氏物語ミュージアムで、今月1日より来月末までの2ヶ月間、話題の大澤本が展示されます。

 そして、待望の解説書『幻の写本 大澤本源氏物語』も完成しました。
 
 
 
091005ohsawa展示解説書
 
 
 
 A4版で63頁の冊子です。中身の濃い冊子です。
 まずは、その目次をあげます。

目次

ごあいさつ

大澤本源氏物語の伝来

 一 小杉※邨(すぎむら、※は「木」へんに「囚」+「皿」)

 二 池田亀鑑の大澤家本調査

 三 大澤本の伝来

 コラム 大澤本源氏物語の魅力 秋山虔

 四 大澤本の鑑定書類

 五 『錦上花』の編集

 コラム 浮舟は宇治橋を渡って行った 後藤 祥子

大澤本源氏物語本文の性格

 一 大澤本の本文と伝称筆者

 二 本文の系統

 三 大澤本の性格

 四 夕霧の中年の悲哀

 コラム 別本幻想 池田和臣

大澤本源氏物語の世界 —資料編—

 【一】小杉※邨(すぎむら、※は「木」へんに「囚」+「皿」)鑑定書

 【二】前田香雪「各筆源氏物語筆者目録」

 【三】大澤本源氏物語本文

 【四】大澤本源氏物語古筆了栄・了仲・前田香雪鑑定書


凡例

◆本書は、平成二十一年十月一日から十一月二十九日までを会期として宇治市源氏物語ミュージアムで開催する同名展覧会の解説書である。

◆コラム以外は、すべて伊井春樹氏(前国文学研究資料館長・逸翁美術館理事)による執筆である。

◆掲載図版のうち、所蔵者を明記しない源氏物語の写本は大澤本である。



 この種の展覧会の図録としては、非常にレベルの高いものとなっています。
 それだけに、非常に面白い話に満ちています。

 大澤本については、本ブログでは、過去に2回取り上げました。

(1)「大沢本『源氏物語』の切り抜き帖・追補」(2008年7月21日)


(2)「源氏文論尚友(2)大澤本『源氏物語』の書誌報告」(2009年8月 6日)


 そして、今回が3回目です。

 (2)では、「幻の大澤本源氏物語」(伊井春樹、『百舌鳥国文』第二十号、p15〜31、2009.3)を紹介しました。
 その後、「大沢本源氏物語本文の性格」(伊井春樹、『中古文学』第八十三号、p1〜17、2009.6)でも、視点を変えて紹介されています。

 今回の展覧会に合わせて刊行された展示解説書は、上記2編の研究論文をわかりやすくまとめたものとなっています。解説書が出色なのは、図版が豊富に使われていることです。
 鑑定書のほとんどが写真で確認できます。そして何よりも、写本の巻頭や問題のある箇所などが、24点もカラー写真で掲載されています。いずれは、全巻の写真が公開されることでしょう。その日が一日も早く来ることを願っています。

 今回、伊井春樹先生は、この54巻を次のように分類されました(数字は巻順)。

(1)青表紙本(十五帖)

02帚木、03空蝉、04夕顔、05若紫、06末摘花、07紅葉賀、25蛍、28野分、31真木柱、34若菜上、40御法、41幻、49宿木、50東屋、51浮舟

(2)河内本(一帖)
09葵

(3)別本(三十八帖)
01桐壷、08花宴、10賢木、11花散里、12須磨、13明石、14澪標、15蓬生、16関屋、17絵合、18松風、19薄雲、20朝顔、21少女、22玉鬘、23初音、24胡蝶、26常夏、27篝火、29行幸、30藤袴、32梅枝、33藤裏葉、35若菜下、36柏木、37横笛、38鈴虫、39夕霧、42匂宮、43紅梅、44竹河、45橋姫、46椎本、47総角、48早蕨、52蜻蛉、53手習、54夢浮橋

 私は、『源氏物語』の本文は、これまでの池田亀鑑による3分類(〈いわゆる青表紙本〉〈河内本〉〈別本〉)ではなくて、〈甲類〉〈乙類〉の2分別すべきだと思っています。その私案から大澤本の本文を詳しく分別した結果は、いつか公表したいと思っています。
 陽明文庫本や保坂本などに匹敵する大澤本の本文は、さらに注目すべきものとなるはずです。
 一日も早く、すべての本文がみんなで共有して研究対象にできる日が来ることを、首を長くして待っています。
 この公開により、『源氏物語』の異文に注目が集まり、若い方々が活字本だけではなく、こうした写本をも活用した研究に着手してくれる日の来ることが待ち遠しく思われます。

 それにしても、楽しみの多い、いい時代が到来したものです。

2009年9月10日 (木曜日)

点字本『源氏物語』(全3冊)

 今から5年前、2004年12月18日のブログの記事で、点訳本『源氏物語』を取り上げました。
 これは、その2ヶ月前の10月05日に「ミクシィ」にブログとして掲載したものを、場所を改めての再掲載でした。
 今では、共に読めないものとなっています。
 前項を補足するものとして、ここに3度目の掲載をすることにしました。
 以下、公開したときのままでの再現です。
 
 
 
 西国第6番札所の南法華寺(壷阪寺、奈良県高市郡高取町)は、インド政府からの寄贈物が多く、また盲人のための施設でもよく知られている寺です。その八角円堂の本尊の背後にガラスケースがあり、その中にたくさんの点字本が入っていました。
 司馬遼太郎の本が多い中で、『源氏物語』が3冊あるのに気づきました。
 
 
 
1103310079_1点訳本3冊
 
 
 
 住職にお願いしたところ、ガラスケースから取り出して見せてくださいました。
 点字がまったく読めない私には、背中に「源氏物語 田辺幸男」、表紙に「日本ライトハウス」とある文字しかわかりません。
 少し時間があったので、各巻の頁数を確認しました。
 第1巻87頁、第2巻82頁、第3巻82頁でした。
 
 
 
1103310079_2巻頭
 
 
 
 これまで納めてあった点字本の読書室が工事中とかで、今はこのような状態で置いてあるとのことでした。
 どなたか、この本のみならず、『源氏物語』に関する点字資料に関してご教示願えませんでしょうか。

2009年9月 9日 (水曜日)

点字本『源氏物語』(その後)

 今から5年前、点字本『源氏物語』についてブログに書きました。
 しかし、そのサイトが今夏、消滅しましたので、それを再掲する前に、現状の報告をしておきます。

 『源氏物語』の翻訳本を追い続けている中で、目の不自由な方々のための点訳本にたどり着きました。

 昨年は『源氏物語』の千年紀ということで、さまざまな源氏情報が氾濫しました。その中で、地味でしたが『源氏物語』の英訳を点字にした方々がおられました(2008年8月25日  読売新聞)。

 東京のボランティアグループ「紫会」では、5年がかりでサイデンステッカー訳『源氏物語』を点訳なさったのです。英語に点訳された本は、全39巻、4400頁もの大部です。「紫会」の平均年齢が71歳というのですから、すばらしい集まりのようです。

 これは、海外の視覚障害者のみならず、日本でも点字で読みたい人は多いことでしょう。
 米国ワシントンにある議会図書館に寄贈され、日本点字図書館(東京都新宿区)に点訳データが贈られ、インターネットでも公開されました。

 目の不自由な方は、点字や朗読によって作品を受容できます。その中でも、点字は自分のペースで読み進められるので、大切なメディアだといえるでしょう。

 インターネット上では、点訳『源氏物語』について、以下のような情報が得られました。
 まだまだあると思います。ひとまず、3点ほど。

 ご教示を得ながら、少しずつリストに追加していきたいと思います。


(1)「みずほ点訳」



『源氏物語』(全10巻) 紫式部著 瀬戸内寂聴訳 講談社 全43巻
 わが国が誇る古典文学の傑作『源氏物語』。瀬戸内寂聴による現代語訳全10巻の点訳版(全43巻)です。
 
巻一(桐壺・帚木・空蝉・夕顔・若紫)1996年12月11日第1刷 全4巻
巻二(末摘花・紅葉賀・花宴・葵・賢木・花散里)1997年2月25日第1刷 全4巻
巻三(須磨・明石・澪標・蓬生・関屋・絵合・松風)1997年4月25日第1刷 全4巻
巻四(薄雲・朝顔・乙女・玉鬘・初音・胡蝶)1997年5月24日第1刷 全4巻
巻五(蛍・常夏・篝火・野分・行幸・藤袴・真木柱・梅枝・藤裏葉)1997年7月10日第1刷 全4巻
巻六(若菜上・若菜下)1997年9月3日第1刷  全4巻
巻七(柏木・横笛・鈴虫・夕霧・御法・幻・雲隠・匂宮・紅梅)1997年10月30日第1刷 全5巻
巻八(竹河・橋姫・椎本・総角)1997年12月19日第1刷 全5巻
巻九(早蕨・宿木・東屋)1998年2月27日第1刷 全4巻
巻十(浮舟・蜻蛉・手習・夢浮橋)1998年4月2日第1刷 全5巻


(2)社会福祉法人 東京ヘレン・ケラー協会



12910 瀬戸内 寂聴 訳
 源氏物語 巻1  5冊  講談社1996年
12920 瀬戸内 寂聴 訳
 源氏物語 巻2  5冊  講談社1997年
12930 瀬戸内 寂聴 訳
 源氏物語 巻3  5冊  講談社1997年
12940 瀬戸内 寂聴 訳
 源氏物語 巻4  5冊  講談社1997年
12950 瀬戸内 寂聴 訳
 源氏物語 巻5  5冊  講談社1997年
12960 瀬戸内 寂聴 訳
 源氏物語 巻6  5冊  講談社1997年
12970 瀬戸内 寂聴 訳
 源氏物語 巻7  6冊  講談社1997年
12980 瀬戸内 寂聴 訳
 源氏物語 巻8  6冊  講談社1997年
12990 瀬戸内 寂聴 訳
 源氏物語 巻9  5冊  講談社1998年
13000 瀬戸内 寂聴 訳
 源氏物語 巻10 6冊  講談社1998年

殺人源氏物語 斎藤栄 著 5時間55分 光文社 1995年 日本点字図書館 製作


(3)点字サークル 芽の字会



『ちかみち源氏物語』全3巻 橋本千恵 学習研究社

千年の時を経て愛される『源氏物語』は、どんな切り口で読んでもさまざまな魅力をたたえている。読みたいのはやまやまだけれど「授業で習ったきりで・・・」「漫画は読んだけど・・・」とその長さや難しさから、つい手に取れずにいた人も多いはず。『源氏のげの字も知らなかった』と自らを振り返る著者が、日本の誇る大ロングセラー作品を、時代背景の基礎知識もまじえ解説する、超かんたん早わかり『源氏物語読本』の最新版。


2009年8月25日 (火曜日)

源氏のゆかり(44)五条の夕顔町

 『源氏物語』の第4巻「夕顔」に出てくる女性夕顔の話はよく知られています。
 その夕顔の宿の想定地は、現在、夕顔町と呼ばれる一角にあります。

 五条大橋のある五条通りから堺町通りを上がっていくと、高辻通りの手前に夕顔町があります。
 
 
 
090811yugao2夕顔町
 
 
 
 前方を左右に走るのが高辻通りです。
 この高辻通りを左に曲がると、すぐに仏光寺が、そしてその隣にホテル日航プリンセス京都があります。
 高辻通りの3本北が、四条通りです。
 夕顔町は、鴨川の西で、四条と五条の間にあるのです。
 
 
 一軒の民家の前に、「夕顔之墳」と記した石柱が建っています。昭和4年1月に京都史蹟会が建てた碑だそうです。
 40年前に、ここを訪れて写真を撮ったはずです。その頃は、ひっそりと佇む石碑だったと思います。
 今は、こんなに立派な柵の中にあります。
 
 
 
090811yugao3夕顔之墳
 
 
 
 このお宅の中庭には、江戸時代に造られた小塔が大切に守られているそうです。
 ただし、一般には公開されていません。私も、まだ実際には見たことがありません。
 拝見したいという思いを持ち続けていると、いつか叶うものなので、いずれその機会が来ることでしょう。

 この石碑のある家の隣は、「シェリー・夕顔」という高級マンションです。
 
 
 
090811yugao1高級マンション
 
 
 
 上の写真にもあるように、ここに高級外車が駐まっていることに、隔世の感を抱きます。
 光源氏が身をやつして訪れた時の車とは、あまりにも違いすぎます。
 
 
 
090811yugao0
 
 
 
 『源氏物語』の本文(陽明文庫本)には、「御車も、いといたう、やつしたまへり。」とありました。「六条わたりの御忍び歩きのころ」なので、この時の車は、網代車だったと思われます。
 源氏絵では、扇に載せた夕顔の花を受け取る場面として、よく描かれています。

 今は亡き夕顔がこの地を訪れたら、自分がいた住まいのこの環境の激変に、さぞかし驚くことでしょう。
 自分を記念する碑を見ながら、なんと言うでしょうか。
 「ここはどこ?」
 と言った後のことばを考えるだけでも、楽しくなります。
 さしずめ私なら、「このお車は、どなたの?」と彼女に言わせます。
 そして、夕顔は運転手の惟光を呼び寄せて、この隣のマンションに住まう女性たちの素性と、光源氏の今の様子をそれとなく、遠慮がちに、遠回しに聞き出そうとするのです。

 実はこのマンションに、六条御息所がひっそりと一室をもらっていたのです。
 自分に取り憑いた六条御息所に、今度は夕顔が罠をしかけます。
 蘇った夕顔には、自分でも思い及ばぬ復讐心があったのです。

 千年後の「夕顔」という物語ができそうです。


2009年8月16日 (日曜日)

源氏のゆかり(43)河原院跡

 河原院は、第4巻「夕顔」や第33巻「藤裏葉」の背景を理解するのに重要な場所です。

 「源氏のゆかり(38)説明板33-棲霞観跡」で触れたように、嵯峨天皇皇子である源融の山荘が、嵯峨野の北にある清涼寺(嵯峨釈迦堂)と縁がありました。

 
 源融は、宇治の平等院のそばにも、別荘をもっていました。

 六条院は、この河原院の敷地として読んでいいようです。

 ここは、『源氏物語』にとっては縁の深い場所なのです。
 
 
 
090810kawaranoin1高瀬川の傍
 
 
 
090810kawaranoin2
 
 
 
 源氏のゆかりの説明版が設置されてもよかったと思います。
 現在は、次の説明板が建っています。
 
 
 
090810kawaranoin3説明
 
 
 
 源融は、さまざまな意味で、『源氏物語』と関係の深い人物です。
 京洛を逍遙しながら、この源融が日本文学の背景に見え隠れする意味は、想像以上に大きなものがありそうです。

2009年8月13日 (木曜日)

源氏のゆかり(42)説明板39-鳥辺野

 鳥辺野は、夕顔や葵の上、紫の上が荼毘に付された葬送の地です。
 史実では、中宮定子や藤原道長とその息子頼通親子などが、ここで荼毘に付されています。
 第4巻「夕顔」での、亡骸を移す場面は、色彩的にもその描写は印象的です。

 この鳥辺野の説明版は、『源氏物語』に描写されていた場面のイメージから、清水寺の下か音羽の滝あたりにあるものと想像していました。ところが、意外にも東山七条の交差点の近くにありました。ここは、京都国立博物館を出て左に少し歩いたところです。
 次の写真の、バスが右折するところが東山七条です。その向こうの森が、博物館です。
 
 
 
090810toribeno1市街を臨む
 
 
 
 この交差点から京都女子大学を見上げると、こんな様子です。
 ちょうど、京都女子高校の学生さんが下ってくる所でした。
 
 
 
090810toribeno2京都女子大を臨む
 
 
 
 説明版は、ひっそりと妙法院の南側の塀に沿って置かれています。
 しかし、ほとんどの説明版が狭苦しいところにあったことを思うと、ここは一番いい場所だったかも知れません。
 
 
 
090810toribeno3説明版
 
 
 
 2008年3月に、源氏物語の千年紀を記念して40箇所に設置された説明版を尋ねることも、後1箇所で満願(?)です。
 ただし、大原野神社なので、なかなか行く機会が見つかりません。

 秋には、花を見るついでに行きたいものです。

2009年8月11日 (火曜日)

学問とは無縁な茶番が再び新聞に

 朝日新聞の関西版(2009年8月8日夕刊)に、平等院の鳳凰堂に奉納された『源氏物語』の新写本の話が掲載されました。
 これは、東京では2009年7月2日(夕刊)に掲載されたものです。1ヶ月の時を経て、ほぼ同じ文が掲載されました。
 ただし、鳳凰堂の阿弥陀如来座像の前に新写本を積み上げて法要を営むという、狂態を演じたカラー写真は、関西版には掲載されていません。
 これで、この記事は、関東と関西で読まれることとなりました。
 その記事を書いた記者のレベルの低さに、おーい、朝日新聞よ、と嘆いても仕方がないので、あらためてその意味を問題提起します。

 勝手に物語の新たな異本を垂れ流すのは、それが学問的な背景を装っているかのごとくなされているだけに、罪が深いと言えます。

 この記事については、すでに1ヶ月前の本ブログで、「新写本『源氏物語』を平等院に奉納する愚行」と題して批判的な記事を寄せました。

 そこでは、

『源氏物語』の受容史から見ると、あまりにも愚かな行為であり、報道のされ方に、信じられない思いでいます。

と記しました。この書写行為は『源氏物語』の研究史に残る烏滸(おこ)の沙汰です。
 それを無批判に大きく取り上げた朝日新聞の記事は、これまた興味深い『源氏物語』の恥ずべき受容資料となるのです。

 活字で印刷された『源氏物語』の校訂本文を書かせた方も書かせた方なら、それをご丁寧に東西の紙面で記事にする記者も記者です。

 人間の愚かさを嘆いていても始まりません。

 これは、学問的にも貴重な受容資料となるものです。もっとも、低級な受容資料ではありますが、ここは客観的な姿勢で、東西の記事の本文の異同を確認しておきます。あくまでも今後は、学問的な態度で対します。

 まず、関東版(2009年7月2日夕刊)を揚げ、そして矢印の右側に関西版(2009年8月8日夕刊)の本文異同を明示します。その変更の意味は、ここでは一々言及しません。

 まずは、この記事のタイトルの異同です。

・「源氏物語」平成の写本 平等院に奉納「宝に」→源氏五十四帖写本 平等院に奉納

 昨春、『源氏物語』の千年紀ということで、「千年の源氏物語」という「ニッポン人脈記」が朝日新聞に連載されました。
 本ブログでも、その13回すべての記事にコメントを付けました。

 「源氏千年(27)朝日新聞「人脈記」1」
  ……
 「源氏千年(46)朝日「人脈記」13」

 記者の白石さんは非常に勉強家で、よく調べてお書きになっていました。私も取り上げていただいたので、いろいろと教えていただく機会に恵まれました。
 その中でいただいたご教示に、タイトルは東西の編集部でつける、ということがありました。

 「源氏千年(35)朝日の「みだし」への疑問解消!」

 このことから推して、このタイトルの違いは、東西の編集部によるものだと考えればいいのでしょうか。

 以下、記事に関する本文異同です。

・6月20日→ナシ
・「宇治十帖」ゆかりの平等院→平等院
・この30年ほど→40年以上の書歴あり、この30年ほど
・紙の製作を依頼。→紙の製作を依頼した。
・料紙は模様や色、表裏も異なるので→料紙は模様や色などすべて異なり、表裏も異なるので
・1年かけ、→1年かけて、
・写した。→写しきった。
・製本。→製本している。
・こんな本だったか→あるいはこんな本だったか

 この本文の変更については、記者のO氏が説明されたら一番いいのですが、そんなことはなさらないでしょう。
 本人の同意が得られれば、この記事の意義と、本文の異同の意味について、共に考えるとおもしろいかとも思います。しかし、そんなことが実現するとも思えません。
 時期を見計らって、いつか私のほうで解説をすることになるのでしょう。ただし、私は、特にこうした異同に、問題点を見いだせませんでした。担当記者の納得の問題なのでしょう。

 それにしても、岩波の古典大系本をもとにして書写されたことについては、まったくそのままの記事となっています。
 『旧大系』なのか『新大系』なのか、その明示すらありません。
 『旧大系』ならば、その底本は、宮内庁書陵部の「三条西家本」です。
 『新大系』ならば、古代学協会の「大島本」です。
 巻によっては、その本文は大きく異なります。

 例えば、第36巻「柏木」の最後が、

秋つかたになれば、この君は、這ひゐざりなど(し給ふさまの、言ふよしなくをかしげなれば、 人目のみにもあらず、まことに、かなしと思ひきこえ給(ひ)、常に抱き、もてあそび聞え給ふ)。

となっていれば、『旧大系』です。
 『新大系』ならば、

秋つかたになれば、この君はひゐざりなど。

となっています。

 機会があれば、平等院に奉納された新写本『源氏物語』の「柏木」の巻末を拝見したいものです。

 それはともかく、関東で掲載されて1ヶ月経っても、活字校訂本文を書写するというその意味するところの滑稽さに、担当記者はお気づきにならなかったようです。

 これは、記者を批判するものに留まってはいけません。
 その背景にある、『源氏物語』を代表とする古典籍に対する研究者の意識に、問題の根幹があるといえるでしょう。
 活字の校訂本文を書写させるということに。

 新しい異本をつくり、それを権威付けするという、学問とは無縁な茶番が行われたのです。

2009年8月 8日 (土曜日)

源氏文論尚友(3)近衞基熈の『源氏物語』書写

 「近衞基熈の『源氏物語』書写—陽明文庫蔵基熈自筆本をめぐって—」
 (川崎佐知子、大阪大学古代中世文学研究会編『皇統迭立と文学形成』、研究叢書391、和泉書院、2009年7月)
が発表されました(以下、「熈」の正字はニスイですが、これで代用します)。

 「近衛関白家第二〇代基熈(一六四八−一七二二)は生涯に多数の書物を写した。」とはじまるように、近衛家における書写活動について、ここでは『源氏物語』との接点を確認する好論文です。
 陽明文庫に伝わる多くの資料を読み解くことにより、調査に基づく客観的な立場からの研究成果を展開します。
 巷に溢れる、読書感想文のような論考とは一線を画す、手堅い実証的な研究です。

 基熈の一筆書写にかかる『源氏物語』54帖は、昨年の国文学研究資料館における源氏展「千年のかがやき」でも、その一部を展示しました。「源氏物語書写校合日数目録」は、書写と校合に要した日数を具体的に記したものであり、『源氏物語』が写された実態がわかる、数少ない資料となるものです。

 昨年の展示目録である『源氏物語 千年のかがやき』では、「日数目録」の写真と解説としての拙文を掲載しました(106頁)。非常に簡単なものでした。しかし、その詳細が、川崎さんの論文で確認できます。特に、「日数目録」を翻字して表にまとめてもらえたのは、うれしい限りです。
 こうして見やすく整理されたことにより、「日数目録」は、より多くの方々に利用してもらえる資料となりました。
 基熈が、書写校合後も、再度の校合をしようとしていたことの指摘なども、『源氏物語』に対する受容者側の意識を知る上で、貴重なことだと思います。

 『源氏物語』が活字の校訂本文によって受容されることが多い中、こうした『源氏物語』を伝えた人の足跡の確認も大切な仕事です。問題意識がないと、興味がわかない分野かと思います。しかし、そのおもしろさを掘り起こすのも、これからの課題です。

 思いつきに終わらない、後で検証が可能な資料に語らせる文学研究も、今後とも注目し、紹介していきたいと思います。

2009年8月 3日 (月曜日)

コミック源氏(1)『わたしたちの古典 源氏物語』

『コミックストーリー 5・6  源氏物語 (一)(二)』(監修︰長谷川孝士・マンガ︰まるやま佳・シナリオ︰柳川創造、学校図書、1989,1990、改訂版1999,2000)
 
 
 
090802comicg
 
 
 
このコミックには、空蝉・朧月夜・末摘花は登場しませんでした。
また、絵合の場面などは、あってもいいと思いました。華やかに、視覚化された文学の場が描けるのですから。
雨夜の品定めはともかく、玉鬘が九州から上京するところもほしいですね。

しかし、このコミックの編集者たちは、読者である子どもをよく知っています。子どもたちへの教育を意識して、ストーリーが組まれ、展開していきます。
何よりも、シナリオがしっかりしています。原文に忠実であることも、好感が持てました。

ただし、雀の子が逃げたと言って泣く若紫の場面は、一コマではいけません。子どもたちには印象的な場面となるところなので、また学校の教科書にもよく取り上げられる場面なので、もっと丁寧に描いてほしいと思いました。
また、突然押しかけてきた光源氏に対する藤壺の間抜け顔には、興ざめがしました。マンガとはいえ、これはやりすぎでした。

それでも、短いストーリー展開の中でも、ほんの少しですが原文の紹介と、和歌が手際よく配されています。和歌は、第1巻には7首。第2巻には11首あります。
現代語訳も、スッキリしています。
「平安時代の貴族の結婚」などのコラムも、気が利いています。

そして、脇役もキッチリと描かれています。
『源氏物語』のエッセンスが詰まった、すばらしい構成です。

さらには、巻末の解説も、簡潔でわかりやすいものとなっています。

この2冊だけで『源氏物語』が楽しめるような本ではありません。しかし、『源氏物語』を読んでみたくなる本ではあります。

中学生までと、海外の方々にお薦めできる、『源氏物語』の入門書です。

2009年8月 2日 (日曜日)

『源氏物語』の影印・複製本

 「現在出版されている『源氏物語』の影印本はどのくらいあるのでしょうか」

という質問を受けました。

 これは、私が情報をとりまとめておくべきものでした。

 〈源氏物語電子資料館〉という私のホームページがあります。

 日本で、古典文学に関するホームページとしては、最初のものだったと思います。
 しかし、このホームページは、もう4年もストップしたままです。

 1995年から10年間は、がんばって書いていました。しかし、最近はブログのみでの情報発信となっています。
 忙しさにかまけて、簡単にアップできるブログを使うようになってしまいました。

 その〈源氏物語電子資料館〉の【本文関係資料情報】というコーナーに、7種類の影印本を取り上げて詳細に紹介しています。

1968年 書陵部本源氏物語

1977年 尾州家河内本

1979年 穂久迩文庫本源氏物語

1986年 各筆源氏

1994年 日本大学蔵源氏物語

1995年 保坂本源氏物語

1996年 大島本源氏物語


 また、【源氏物語・刊行書籍一覧】というコーナーでは、明治17年から平成6年までに刊行された書物のリストがあります。

 そこにも、影印本の情報がありますが、いずれも中途半端に終わっています。

 そろそろ、この〈源氏物語電子資料館〉を再開しなければ、と思っていた矢先に、冒頭の質問でした。
 今はとりあえずラフなリストでも公開することで、ホームページでの情報発信を再開するきっかけとしたいと思います。
 以下、思いつくままのメモです。ホームページに掲載するまでの、質問へのお答えとしての暫定版です。

 なお、ウエブ上には、大正大学本や京大本の写真が見られます。
 こうした情報は、まだ未整理なので、これも後日ホームページで、ということにしておきます。


『源氏物語』本文資料リスト



【影印・複製】

1964
源氏物語断簡 / 田中重太郎編著 東風社
コロタイプ印刷 複製本
解説・釈文 田中重太郎著

1971-1972
源氏物語 : 若紫・末摘花・絵合・行幸・柏木・鈴虫・幻 / ; 若紫 - 別冊3.日本古典文学刊,(複刻日本古典文学館 / 日本古典文学会編 ; 第1期)
内容 (若紫・末摘花),(絵合・行幸・柏木),(鈴虫・幻)ごとに箱入
発売:図書月販, 制作:ほるぷ出版
解題 / 池田利夫著
中山輔親氏蔵本(鎌倉期書写,列帖装,7帖)の複製

1973-1978
源氏物語諸本集 ; 1, 2.天理大学出版部,(天理図書館善本叢書和書之部 / 天理図書館善本叢書和書之部編集委員会編 ; 第14,30巻)
1: 帚木 / 傳藤原爲家筆・末摘花 / 冷泉爲相筆・蓬生 / 傳藤原爲家筆・薄雲 / 傳二條爲氏筆・朝顔 / 傳二條爲氏筆・乙女 / 傳二條院讃岐筆
2: 野分 / 傳藤原定家筆・藤袴 / 傳慈鎭筆・眞木柱 / (?)・柏木 / 傳源頼政筆・鈴虫 / 傳藤原俊成筆・夕霧 / (?)・竹河 / 傳西行筆
複製

1974
高松宮本源氏物語.限定版.臨川書店,(源氏物語 : 高松宮御蔵河内本 / ; 12)
長享2年(1488)の複製

1975
源氏物語 : 伝冷泉為相他筆鎌倉期古写本 / ; 上, 下.青葉図書,(愛媛大学古典叢刊 ; 23-24)
刊行: 愛媛大学古典叢刊刊行会
解説 / 伊井春樹
河野信一記念文化館蔵の複製

1978
源氏物語(青表紙本) / ; 前田育徳会尊経閣文庫編 ; 花ちるさと, かしは木, 解題.前田育徳会尊経閣,(原装影印古典籍覆製叢刊)
尊経閣文庫蔵・伝藤原定家写本の影印
解題: 太田晶二郎
別冊: 源氏物語(青表紙本)使用上の注意 / 太田晶二郎著

1979
桐壺・夢の浮橋.日本大学総合図,(日本大学総合図書館影印叢刊 ; 3 . 源氏物語)
日本大学図書館蔵の複製、昭和41年12月1日影印

1982
源氏物語 / ; 今川了俊筆 ; 空蝉巻, 解題.限定版.専修大学出版局,(専修大学図書館蔵古典籍影印叢刊)
専修大学図書館所蔵(蜂須賀家旧蔵)の複製
解題 中田武司

1982
源氏物語, 複製篇, 翻刻・解説篇.思文閣出版,(陽明叢書 / 陽明文庫編 ; 国書篇 第16輯 . { 源氏物語 / ; 陽明文庫編)
『新源氏物語別本集成』・『源氏物語別本集成 続』の底本

1983
源氏物語古本集 / .貴重本刊行会,(日本古典文学影印叢刊 ; 18)
松風・竹河・総角・浮舟
解説:池田利夫
名古屋市立蓬左文庫蔵鎌倉時代古鈔本の複製

1990
源氏物語 (明融本) / ; 東海大学桃園文庫影印刊行委員会編 ; 1, 2.東海大学出版会,(東海大学蔵桃園文庫影印叢書 ; 第1,2巻)
東海大学付属図書館・桃園文庫蔵写本の影印

1991
源氏物語(宿木巻)・源氏物語系図 / [紫式部著 ; 伝二条為氏ほか筆] ; 東海大学桃園文庫影印刊行委員会編.東海大学出版会,(東海大学蔵桃園文庫影印叢書 ; 第7巻)
解題:石田穣二

1991-1995
源氏物語 : 伏見天皇本影印 / ; 吉田幸一編 ; 1 - 14(完).古典文庫,(古典文庫 ; 第530, 533, 537, 539, 542, 544, 547, 550, 553, 556, 562, 566, 570, 578冊)
1:桐壷.帚木.空蝉.夕顔. 2:若紫.末摘花.紅葉賀.花宴. 3:葵.賢木.花散里.須磨. 4:明石.澪標.蓬生.関屋.絵合.松風. 5:薄雲.朝顔.少女.玉鬘. 6:初音.胡蝶.蛍.常夏.篝火.野分. 7:行幸.藤袴(蘭).真木柱(披柱).梅枝.藤裏葉. 8:若菜上.若菜下. 9:柏木.横笛.鈴虫.夕霧. 10:御法.幻.匂兵部卿(匂宮).紅梅.竹河. 11:橋姫.椎本.総角.早蕨. 12:宿木.東屋. 13:浮舟.蜻蛉. 14(完):手習.夢の浮橋
吉田幸一蔵古写本の影印

1996
鎌倉期諸本集 ; 1, 2.八木書店,(日本大学蔵源氏物語 / ; 第12,13巻)
1:紅葉賀. 松風(2種). 藤裏葉. 柏木. 鈴虫. 2:夕霧. 宿木
原本所蔵: 日本大学総合学術情報センター

1998/2000
松山本源氏物語 : 桐壺・帚木・空蝉 / [紫式部原著] ; 伊藤颯夫編著.おうふう,
松山本源氏物語 : 夕顔・若紫 / [紫式部原著] ; 伊藤颯夫編著.おうふう,
松山宗平氏蔵・藤原季有筆本「松山本源氏物語」(54巻揃い・青表紙本系統)のうち,「桐壺」・「はゝき木」・「うつせみ」・「夕かほ」・「若紫」の5巻を影印・翻刻

1999
物語 / 国立歴史民俗博物館館蔵史料編集会編 ; : セット - 4.臨川書店,(貴重典籍叢書 : 国立歴史民俗博物館蔵 / 国立歴史民俗博物館館蔵史料編集会編 ; 文学篇 ; 第16-19巻)
2: 源氏物語古写本六帖、3: 源氏物語帚木・源氏物語手習
影印・解題: 各巻末

2000
源氏物語断簡集成 / 久曽神昇編.汲古書院,
原本所蔵: 久曽神昇 影印と翻刻

2008
阿仏尼本はゝき木 : 東洋大学附属図書館蔵 / [紫式部原著] ; [阿仏尼筆] ; 河地修, 古田正幸解説・翻刻.勉誠出版,
「伝阿仏尼筆紀州徳川家旧蔵本源氏物語帚木」 (東洋大学附属図書館所蔵) の影印と翻刻

飯島本源氏物語 / ; 池田和臣編・解説 ; 1 - 4.笠間書院, 2008
書芸文化院春敬記念書道文庫蔵・飯島本『源氏物語』の写真版複製
1: 桐壺, 帚木, 空蝉, 夕顔, 若紫. 解題 (p665-751)
2: 末摘花, 紅葉賀, 花宴, 葵, 賢木, 花散里. 解題 (p617-656)
3: 須磨, 明石, 澪標, 蓬生, 関屋, 絵合, 松風. 解題 (p633-675)
4: 薄雲, 朝顔, 少女, 玉鬘, 初音, 胡蝶, 蛍. 解題 (p663-703)



源氏物語 : 真木柱 / .私製), 19--
平瀬家蔵『源氏物語』の複製(青焼き)
書名は『初雁文庫主要書目解題』(国文学研究資料館, 1981)による
原本の識語: 本云校合了(中略)建長三年暮秋下旬以細草子後本重校合了殊勝
原本の識語: 河州以秘本書寫之(中略)應長元年六月 日
仮綴


【翻刻】

1977
源氏物語 : 尾州家河内本 / ; 秋山虔, 池田利夫編 ; 第1巻 - 第5巻.武蔵野書院,
翻刻

1999
CD-ROM角川古典大観源氏物語 / 伊井春樹編.角川書店,
内容 翻刻本文︰大島本・陽明文庫・保坂本・尾州家河内本

2001 2001
翻刻松榮家所蔵本源氏物語 / [紫式部原著] ; 坂口昭一著 ; [1] - 10.ゆほびか,
1: 桐壺 帚木 空蝉 夕顔 若紫
2: 末摘花 紅葉賀 花宴 葵 賢木 花散里 須磨
3: 明石 澪標 蓬生 関屋 絵合 松風 薄雲
4: 朝かほ 乙女 玉かつら 初音 こてふ ほたる 常夏
5: かゝりひ 野分 行幸 藤はかま 真木柱 梅か枝 藤裏葉
6: わかな 上, わかな 下
7: 柏木 よこ笛 すゝむし 夕霧 みのり まほろし
8: 匂宮 紅梅 竹川 橋ひめ 椎本 あけまき
9: 早蕨 やとりき 東屋
10: 浮舟 かけろふ 手ならひ 夢浮橋
6-10の発行者: 坂口昭一

2009年7月26日 (日曜日)

源氏研究のリング化を回避するために

 活字になった校訂本文を書店で購入し、それだけで『源氏物語』を読んでいる方々を意識して書きます。
 もっと具体的に言うと、『新編日本古典文学全集 源氏物語』(小学館)だけで『源氏物語』を受容している若者への伝言です。

 今、『源氏物語』の研究は、ドーナッツ状態と言うよりも、さらに薄くて硬い、リング化された状況の中でなされています。
 毎年、数百本の研究論文が大量生産されているので、『源氏物語』の研究は相変わらず盛んだといえましょう。昨年の、『源氏物語』の千年紀は、火に油を注いだ感があります。
 しかし、その実態を知ると、唖然とします。基礎的な研究と言うべき本文について、70年以上も進展がないのですから。
 作品を読む基本となる本文に対する意識と、その確認とが疎かなままに、活字の校訂本文での自由論文が量産されているのです。
 そのことへの警鐘が、少数意見ということもあり、無視されつづけています。

 リングの中心にあるべきはずの、基礎的な資料の確認とそのための調査研究が放置されたままで、空洞の状態で、その周りに膨大な活字校訂本文による論考が衛星状態で密集しています。

 このままではいけない、という認識を共有する有志で、科学研究費による研究プロジェクトが立ち上がりました。3年前のことです。

 昨日は、そのプロジェクトの母体であるメンバーが、「第11回  源氏物語の本文資料に関する共同研究会」と銘打って、國學院大学で本文に関する研究会を持ちました。
 その報告がてら、現在の源氏研究における問題点、特に隆盛の背後にある貧困な状態を記しておきます。

 昨日の研究会では、まず、若手の研究成果が発表されました。
 よくある読書感想文に留まらない、原点に立ち戻っての資料に立脚した手堅い研究成果が披露されました。
 現状を打破するためには、こうした地道な成果の積み重ねしかありません。派手さはありません。しかし、重さはあります。

研究・報告(1) 司会・菅原郁子

明融臨模本「柏木」の書き入れ注   神田久義
朱雀院と梅壺女御
  -「院の殿上にさぶらふ左近中将」を起点として- 嘉陽安之
七毫源氏「須磨」巻の本文について  太田美知子


研究・報告(2)
 司会・神田久義

平瀬本「野分」巻の表現世界     菅原郁子
陽明文庫本源氏物語の動詞       中村一夫


 この研究会に参加して毎回思うことに、20人足らずの者で聴くにはもったいない内容だな、ということがあります。
 年度末に、このプロジェクトを取り仕切っておられる國學院大學の豊島秀範先生が、科研の報告書としてこうした成果を掬い上げておられます。
 しかし、やはりこうした活きのいい新鮮な発表は、リアルタイムに共有するところに意義があります。
 今回も、参加者が少なかったのは、その発表の質が高かっただけに、もったいない、の一言が脳裏を過ぎりました。

 つづくフリーディスカッションでは、問題提起と問題点の共有をめざした活発なやりとりが展開しました。




源氏物語本文に関する共同討議
 司会・伊藤鉄也

  豊島秀範/遠藤和夫/渋谷栄一/伊藤鉄也/上野英子/中村一夫/大内英範/斎藤達哉


 ここでの内容も、『源氏物語』の本文研究の急所を突いた、鋭さと前代未聞の意見が飛び交いました。このような内容が、かつて話題になったことがあるでしょうか。
 その場にいた者には、話の流れから素直に入って行けたと思います。しかし、改めて思い直すと、ここで交わされたやりとりは、きわめて基本的なことです。そうであるからこそ、現状に飽き足らない基礎研究の停滞に痺れを切らしての発言が主でした。

 ここでのやりとりのポイントは、『源氏物語』の本文データを共有するためにはどうするか、ということに尽きます。

 大島本の評価、写本に書かれた変体仮名の字母、写本の画像の公開と提供、公開データのフォーマット、検索システムの検討、などなど。
 そして、何のためのデータベースの公開か、そのための目的を確認しておくことの大切さなどが、参加者の共通した課題として残りました。
 そのためにも、若い方々が『源氏物語』の本文について、そのおもしろさを実感してもらうことが急務です。
 その努力を、このプロジェクトは怠ってはいけないのです。
 これからの研究者を視野に置いて、実り多い成果を公開していきたいものです。

 その意味からも、本文研究の台風の目となっている國學院大学の存在を、改めて実感しました。
 このテーマに真正面から取り組んでいる組織は、今、どこにもないのですから。

 次回の研究会は、来る10月10日に開催されます。
 下記ホームページをご覧いただき、1人でも多くの若者が脚を運んでくれることを願っています。


「源氏物語の研究支援体制の組織化と本文関係資料の再検討及び新提言のための共同研究」


 ホームページをご覧いただければお分かりになると思いますが、着実に研究成果が実を結んでいます。

 『源氏物語』を活字の校訂本文だけではなくて、古写本レベルで読み、考える仲間が育っていくことを期待しています。

 最近は、『飯島本 源氏物語』(笠間書院、昨年より刊行中)をはじめとして、私などが古写本を読もうとした35年前に比べると、その研究環境には隔世の感があります。
 古写本が、影印版や写真版で確認できる環境が、驚くほどに整備されているのです。それなのに、古写本に書かれた墨跡を読もうとする若者が少ないと言うことは、古典文学研究の危機と言わざるを得ません。

 今、それらを活用しない手はありません。
 何をどうしたらいいのかわからない方は、『飯島本 源氏物語』の写真を眺め、そして読み出してみてはどうでしょうか。
 手元に『新編日本古典文学全集 源氏物語』があれば、その本文との違いに思いを馳せることになるはずです。
 それが、『源氏物語』の本文の問題に目覚めるスタートになるでしょう。後は、のめり込むはずです。
 飯島本は、今もっとも旬な『源氏物語』の情報の宝庫です。

 上記プロジェクトでは、平瀬本や中京大学本、さらには七亳源氏などの翻刻本文を提供する準備を進めています。
 恵まれた環境を最大限に活かした研究世界に、1人でも多くの若者が集ってくれることを楽しみにしています。


2009年7月 8日 (水曜日)

新写本『源氏物語』を平等院に奉納する愚行

 朝日新聞の7月2日(木)付け夕刊に



「源氏物語」平成の写本

  平等院に奉納「宝に」


という記事が掲載されました。

 『源氏物語』の受容史から見ると、あまりにも愚かな行為であり、報道のされ方に、信じられない思いでいます。

 このことに関して、貴重な事実の記録として、以下に認めておきます。

 平成の『源氏物語』と朝日新聞が呼ぶこの新写本54冊が、このたび書写を終え、宇治の平等院に奉納されたということです。
 それを受けて、6月20日に鳳凰堂の国宝・阿弥陀如来坐像の前で、法要が行われたのだそうです。
 新聞には、その法要の折の写真が掲載されており、阿弥陀如来の前に桐箱が見えています。

 ことの経緯は、古筆学者が、「紙、筆法ともこれだけ見事な写本は、どこかに残さねば」と高く評価して、平等院への仲立ちをしたことに始まるようです。

 書家は、この古筆学者に師事して平安の古筆を学んだ方です。
 4年前に思い立ち、1年で54冊を書き終えたそうです。

 この写本は、その料紙がすばらしいとのこと。
 古筆学者の指導で、料紙作家が、継ぎ紙、色紙、金銀の切箔・砂子など、平安以来の技を駆使した写経料紙1100枚を、1年半で作りあげたのです。
 また、筆は、十五世藤野雲平作の紙巻筆を150本、墨は30~40年前に作られた国産の油煙墨を用意した、とのことです。
 写本の装丁も、「粘葉装」(「綴葉装」の間違いでは?)による製本です。

 とにかく、書写される冊子の姿形は本格的なものです。実物は、実際にみごとなのでしょう。

 それなのに、問題だと言えるのは、そこに書き写された『源氏物語』の文章が、以下のようなものだということだからです。

岩波書店の日本古典文学大系をテキストにし、漢字はなるべく仮名に置き換えた。


 なぜ、それまでは用意周到にしておいて、最後にその紙に写す文章が、現代の活字で刊行されている流布本なのでしょうか。
 おまけに、漢字で印刷された部分は、なるべくひらがなで書くようにした、とのこと。
 大系本の校訂本文では、当てた漢字にふりがなを付すことによって、底本である大島本の元の表記に戻れるように工夫されています。「仮名に置き換えた」というのは、このふりがなの部分を採用した、ということなのでしょうか。

 それにしても、今回書写された『源氏物語』の文章は、一体何なのでしょうか。
 後世に、ここに書かれた文章を研究対象とし、平安時代の『源氏物語』の本文の有り様を論じる人は、おそらく生まれないとは思いますが、これをあまりに有り難がっていると、それこそ笑い話ではすまない事態が出来しかねません。

 平等院の住職の談話は、次のようになっています。

単に千年前をトレースするのではなく、新しい『源氏』が生まれたととらえている。次の千年のため、平等院がある限り、寺の宝物として残したい

 愚かな書写者と古筆学者と住職さんたちは、みなさん善人だと思います。
 それだけに、知らなかったこととはいえ、後世に顰蹙をかい、そして知らない人を混乱させる事態を引き起こすことが明らかな愚行を、今、何とかできるものならば取り繕ってはいかがでしょうか。

 最低限、この写本の54帖の各冊に、

岩波書店の日本古典文学大系をテキストにし、漢字はなるべく仮名に置き換えた。


という識語を、大きく明記しておくのが、せめてもの誠意ではないでしょうか。

 恐れていた新たな異本を、いとも簡単に、こうして善男善女が作ってしまいました。

 このテキストとは、おそらく大島本を忠実に復元しようとした『新 日本古典文学大系』だと思われます。旧大系本は、宮内庁書陵部蔵の三条西家本が底本です。それよりも、新大系の方がいいと思います。しかし、この活字本を新写本の親本にするとは、あまりにも現代的な無知さに、恥ずかしくなります。
 せめて、大島本の複製版を臨書していたら、少しはその意味がなくもないと言えます。陽明文庫本の複製版なら、もっとよかったと思います。すくなくとも、古写本の影印本を親本にすべきだったのではないでしょうか。
 そうでないからこそ、漫画的な展開になっているのです。

 新大系の校訂本文を作成なさった室伏信助先生は、同じ新大系本でも、再版になると本文に手が入っているので、引用するときには自分が第何版の本文を用いたかを明示すべきだ、とおっしゃっていました。

 今回の新写本の親本が、この新大系本だとすると、識語には第何版の活字本を用いたのかも、明確にしておかれたらいいかと思います。そうでないと、後世、書写誤りがある、と指摘されかねません。もう、落語です。

 最後に、この記事を書いた朝日新聞の記者の方へ。
 いつか、この記事の取り上げ方を、『源氏物語』の受容史という視点から再検証なさることを期待しています。
 そうでないと、『源氏物語』の受容史において、この記事が笑い話として伝承されていく可能性が多分にあるのですから。

 署名入りの記事だからこそ、執筆者は記者としての責任を持つべきだと思います。

2009年7月 6日 (月曜日)

古写本で文字を訂正する時の記号

 『源氏物語』の古写本の中でも、一番いい本だと評価の高い大島本(古代学協会蔵)で、一度書いた文字を訂正する時の記号に興味を持ちました。
 第19巻「薄雲」で、「ん」という文字を「も」と訂正する場合がそうです。

 現在われわれが使う平仮名の「も」の元の漢字(いわゆる字母)は「毛」です。学校で教わったことですが、漢字が崩れて平仮名ができているのです。
 しかし、かつては「无」を崩した「ん」も、「も」という文字の一つとして使っていました。平仮名は、今のように1つではなくて、何種類もありました。変体仮名と言われるものです。

 ややこしいことに、「む」の字母は「武」です。しかし、この「む」に「无」の崩しである「ん」を使うこともありました。
 「む」を「ん」と表記することは、推測しやすいものでしょう。助動詞の「らむ」を「らん」と読んだりしますから。

 それに比べて、「も」を「ん」と表記することは、現代の用字からみると、素直に類推できない人が多いかと思われますが……。

 さて、大島本の「薄雲」には、この「ん」と書いた後に「も」と訂正する例が7例あります。
 それも、いずれもが朱筆による訂正です。

・「ことん」→「ことも」 3例
・「ねとん」→「ねとも」 2例
・「なとん」→「なとも」 1例
・「とんの」→「ともの」 1例

 この内、古写本でよく見られる「ヒ」(または「〝」は「止」から生まれた訂正記号)を使うのは、次の「ことん」だけです(以下、掲載写真はDVDで刊行されている画像を加工しているため、少し不自然になっています)。
 
 
 
090704mo3普通の訂正
 
 
 
 これ以外の6例は、「ヒ」( 〝 )ではなくて、次のような「×」印の訂正記号を使っているのです。
 現代人が使う「×」印に近い記号となっています。
 
 
 

090704mo1「×」印(1)
 
 
 

090704mo2「×」印(2)
 
 
 
 この「×」の記号は、いつごろから使われているのでしょうか。
 乏しい経験ではありますが、私はこれまでに訂正記号としての「×」を見た記憶がありません。
 というよりも、大島本はこれまでにも何度か通覧しているのですが、このような訂正文字については注意が向いていませんでした。今回、改めて疑問に思ったしだいです。
 あるいは、他の写本にも「×」印があったかもしれませんが、今は思い出せません。

 上の2枚の「×」印の写真を見ていると、3つのことに気づきます。

 まず、「×」の記号でも、右上から左下へと筆を下ろすものと、左下から右上に跳ね上げるものがあることです。

 次に、朱で書かれた修正文字としての「も」が、最初に掲示した「も」と、文字の形が違うことです。
 最初の「も」の方が、字母である「毛」に近い形をしています。

 さらには、朱の色が幾分異なります。

 こうしたことから、朱で「×」印を付けた後その右横に「も」と書く訂正は、他の朱の訂正などとは時間的にも、また書いた人も違うようです。

 この「×」印を用いた最初の例は、いったいいつの時代なのでしょうか。

 まったくの想像ですが、この大島本の「×」印は、比較的新しい時代の訂正なのでは、と私は思っています。

 一昨日の本ブログ「幻の『校本源氏物語』には改訂版があった?」で確認したように、こうした手が入ったのは昭和7年以前のことであることは明らかです。
 具体的には、室町時代から大正時代の間のいつか、ということになります。

 どなたか、ご教示をいただければ幸いです。

 とにかく、大島本には膨大な訂正が書き込まれています。
 さらには、文字の削除も頻繁です。胡粉で塗りつぶしたり、刃物で削り取ったりと、その修正にかける執念には凄まじいものがあります。

 現在一般に流布する『源氏物語』のテキストは、この大島本を基にした本文に依っています。というよりも、この大島本による流布本しかありません。
 大島本に施された膨大な補訂の跡を取り込んで作成された『源氏物語』の本文を、われわれは校訂本文として読んでいます。
 ただし、その至る所に見られる補訂については、いつ、誰が、どのようにして加えられたものなのか、ほとんどわかっていません。とにかく、今は江戸時代までに多くの人が訂正した後の本文を、歴史的仮名遣いに統一して、漢字を当て、句読点を施した上で、活字に組んだもので読んでいるのです。

 今後とも、大島本を根気強く調べることにより、今読まれている本文の素性がどういうものなのかを、明らかにしていく必要があります。
 これには、ぜひとも若い方々の参加が大事です。
 和紙に書かれた文字を調べて読むことは、非常に地味な作業の連続です。
 しかし、1人でも多くの若者の参加を得て、『源氏物語』の基礎的な本文の問題を、1つでも解決していきたいと願っています。

2009年7月 4日 (土曜日)

幻の『校本源氏物語』には改訂版があった?

 本日、京都文化博物館で、古代学協会ご所蔵の『源氏物語』「大島本」の原本調査を実施しました。
 これは、2年前から毎月継続して行っている、原本の精密な調査研究です。
 その折、調査者5人で『源氏物語』の「河内本」について意見交換をすることがありました。そして、以下のことが話題となり、今日のところは一応、次のような意見で一致したのです。

 そこで、私なりの表現でひとまずとりまとめ、多くの方々にご批判をいただこうと思っているしだいです。

 現在も『源氏物語』の研究における基本的な文献とされる『源氏物語大成』については、その制作過程をはじめとして、わからないことがたくさんあります。

 昭和28年(1953)6月より刊行された『源氏物語大成』(底本「大島本」)の前身は、昭和17年(1942)10月に刊行された『校異源氏物語』(底本「大島本」)でした。
 その『校異源氏物語』の前には、昭和7年(1932)11月に稿本が完成していた未刊の『校異源氏物語』(底本「河内本」、以下『校本源氏物語』と言う)があります。

 『校本源氏物語』については、『源氏物語事典』(昭和35年、東京堂)所収の「源氏物語年表」の記述が参考になります。

昭和七年(一九三二)十一月、芳賀博士記念会の事業、池田亀鑑の「校異源氏物語」の稿本が完成したので、蒐集した資料の一部を東京大学で展観した、本文資料は青表紙系統六十二種、河内本系統三十四種、別本系統二十四種を算した

 つまり、昭和7年には『校本源氏物語』の稿本が完成していた、ということです。
 ただし、その実態については、何もわかっていません。幻の校本です。

 そして、この資料の展示については、その時の冊子である『源氏物語に関する展観書目録』に記録があり、そこには

一二二 校本源氏物語底本 河内本(禁裏御本転写) (室町時代)写

と記されています。
 諸本の校合の底本は「河内本」である、と明記されているのです。

 同じ時期に池田亀鑑は、天理大学附属図書館現蔵「河内本」に、次のような識語を書き残しています。

(前略)

本書は学会の重宝として貴重す

へき希有の珍本にしてよろしく校本源

氏物語の底本として学界に弘布す

へきものなり

昭和七年十一月 識之

(『天理図書館 稀書目録三』における翻字より、昭和32年)

 こうしたことから、池田亀鑑が昭和7年に完成させた『校本源氏物語』は、天理図書館現蔵の「河内本」を基準本文とし、多数の『源氏物語』の諸本の本文異同を整理したものだった、ということができます。
 それがその後、〈いわゆる青表紙本〉を代表する「大島本」が佐渡から出現したことにより、昭和17年に刊行された『校異源氏物語』では、底本が「河内本」から〈いわゆる青表紙本〉の「大島本」に一大変更となり、校本が作り直されました。
 その間の詳しい事情は、今もって不明のままです。
 この『校異源氏物語』には、天理大学現蔵「河内本」は校合本文から外されています。

 そして今、巷に溢れる『源氏物語』の校訂本文は、そのすべてが「大島本」によるものと言っても過言ではありません。

 そうした歴史的事実をもとにして、天理大学附属天理図書館が所蔵する「河内本」と呼ばれる本に関する次の池田亀鑑の解説は、どう読めばいいのでしょうか。


桃園文庫蔵源氏物語
 五十四帖。この本は袋綴、小型の楮紙。ほぼ同筆で書かれてゐる。室町中期の写本で、系統は大島本に一致する河内本。虫損が甚だしく、所々読み得ない文字もあるが、朱の句点・声点など河内本の特色を具へてゐる。大島本が出現するまで河内本の底本として校異源氏物語に採用されたが、戦争中不幸にして佚亡のやむなきに至つたものである。
(『源氏物語大成 巻7 研究資料篇』、昭和31年、中央公論社)

 ここには、「大島本」ということばが2箇所に見えます。
 まず、「大島本に一致する河内本」の「大島本」とは、〈いわゆる青表紙本〉の代表としてよく知られている「大島本」(古代学協会蔵)ではなくて、『源氏物語大成』に「河内本」グループの中で「大島本」として掲出されている、中京大学現蔵『源氏物語』のことだと理解すべきでしょう。確かに、中京本「河内本」の本文は、天理本「河内本」とよく似ています。
 そして、後半の「大島本」も中京本の「河内本」ということになります。

 この記述は、戦後のものです。
 池田亀鑑が「戦争中不幸にして佚亡のやむなきに至つた」と言う写本は、この「河内本」以外に「麦生本」と「阿里莫本」があります。もっとも、共に天理図書館現蔵です。
 したがって、この最後の記述の再検証が必要です。しかし、その前の部分については、おそらく戦前の、それも昭和17年に〈いわゆる青表紙本〉の「大島本」を底本とした『校異源氏物語』を刊行する前に記されたものではないか、と私は思っています。
 「大島本」というものに対して、この文章を記した筆者に、特別の思い入れが感じられないからです。
 佐渡から写本(後の「大島本」)が見つかる以前の文章なので、このような文脈で「大島本」という言葉が見られるのではないでしょうか。

 「大島本が出現するまで」は「天理の河内本」が『校異源氏物語』の底本だったことは明らかなので、あるいは、ここでの「大島本」は〈いわゆる青表紙本〉のものだったと理解もできます。すると、最初の「大島本」が「天理の河内本」であることから、区別の曖昧な、まぎらわしい表現になっていることになります。池田亀鑑らしくありません。

 中京大学現蔵「河内本」がいつ出現したのか、今は私にはわかりません。
 しかし、やはりここは、〈いわゆる青表紙本〉が佐渡から出現したことを言っているのではない、と理解すべきところではないでしょうか。

 すると、未刊に終わった『校本源氏物語』の底本は、昭和7年の最初は天理大学の「河内本」だったのですが、その後、中京大学の「河内本」が出現してからは、中京本を底本にした『校本源氏物語』があった、いや、そこまで言わないまでも、中京本を底本にした『校本源氏物語』が手がけられていたのではないか、ということも想定できるのではないでしょうか。

 ただし、この「河内本」を底本とする校本は、〈いわゆる青表紙本〉の最善本とされる「大島本」の出現により、昭和17年にはそのすべてが作り直され、〈いわゆる青表紙本〉全盛の今に至っているのです。


 以上の推測を交えた試案について、ご批判やご意見をいただけると幸いです。


 なお、この中京本の「河内本」は、現在翻字作業が進められています。その成果の公開は近いと言えましょう。

 また、天理本の「河内本」は、現在刊行中の『源氏物語別本集成 続』に翻刻本文を収録しています。

 さらに天理本の「河内本」は、校訂本文の1つとして、私のブログで「桐壺」と「空蝉」を公開しています。

(1)3本対照「桐壺」校訂本文の試作版(2008年10月 4日)


(2)3本対照「空蝉」校訂本文の試作版(25.May.2009補訂版)

 参考のために、昭和7年から昭和28年にかけての本文研究に関する事項を、「源氏物語年表」(『源氏物語事典』、昭和35年、東京堂)から摘記しておきます。




昭和七年(一九三二)
十一月、芳賀博士記念会の事業、池田亀鑑の「校異源氏物語」の稿本が完成したので、蒐集した資料の一部を東京大学で展観した、本文資料は青表紙系統六十二種、河内本系統三十四種、別本系統二十四種を算した

昭和九年(一九三四)
六月、「尾州家河内本源氏物語」を金属版で複製刊行した、正嘉二年(一二五八)に北条実時が親行の本を写させたものである

昭和十年(一九三五)
十二月、山岸徳平の「尾州家河内本源氏物語開題」刊行、同十一年二月「河内本源氏物語研究序説」と改題刊行

昭和十二年(一九三七)
二月、東京大学国文学科で、芳賀博士十周年の忌辰に、源氏物語古写本、古注釈書三十余部を展観した

六月、吉沢義則の「対校源氏物語新釈」第一冊刊行、同十五年八月第六冊刊行完結、後同二十二年十六冊本再刊、二十七年には索引二冊を加えて八冊本刊行、湖月抄を底本とし、これに尾州家河内本を対校し、傍注頭注を加えた

昭和十七年(一九四二)
十月、池田亀鑑の「校異源氏物語」全五冊刊行、青表紙源本三帖、飛鳥井雅康筆本四十八帖、池田本三帖を底本とし、これに青表紙古写本二十三種、河内本二十種、青表紙河内本に属しない別本十六種の異文を欄外に挙げた、大正十五年(一九二六)以来の研究の一部を公刊したのである

昭和二十八年(一九五三)
六月、池田亀鑑の「源氏物語大成」第一巻刊行、三十一年十二月にわたって八巻完結、定価二万四千六百円、空前の大出版である。本文は前の校異源氏物語五冊を校異篇三巻にあて、索引は一般語彙、助詞助動詞、項目一覧の三巻に分ち、研究資料篇には古写本の伝流を概観し、青表紙、河内本、別本に分って現存重要諸本を解説し、本文研究に最も関係の深い資料として源氏釈、奥入、隆能源氏絵詞、古系図三種、弘安源氏論義、原中最秘抄、仙源抄を翻刻し、図録篇は、源氏物語に現われる生活様相を理解せしめるものを主として、原色版三葉、写真版大小約六百面を収めた

2009年6月11日 (木曜日)

「薄雲」の断簡が一堂に

 実践女子大学の香雪記念資料館で開催中の、文芸資料研究所創立30周年記念展覧会「源氏物語 薄雲の世界 —新出資料を中心に—」を見てきました。

090525jissenポスター


 この展示は、『源氏物語』の第19巻である「薄雲」の古写本のなかでも、河内本と呼ばれる本の断簡(冊子がバラバラに解体された状態で現存するもの)を中心とするものです。
 現在の所、20枚ほどが確認されています。それらのほとんどが、数枚のパネル写真を含めて一堂に会しています。圧巻です。

 今回は写真で展示されていますが、国文学研究資料館が所蔵する巻名歌のある丁1枚は、古書籍商の所へ脚を運び、現物の確認をして購入してもらったものです。あの時は、インドから客員研究員としてお呼びしていたアニタ先生と大内英範君を同道したことを思い出します。

 今回の展覧会の着眼点は、非常に興味深いものです。
 一人でも多くの方に、この空間を共有してもらいたいと思います。

 入口で配布されている『実践女子大学所蔵優品録一 実践女子大学所蔵 源氏物語関係古典籍図録1』という冊子(86頁)は、写真と翻刻と解題による構成で、目配りの利いた労作です。


090611jissen2解説図録

 上の図版は、スキャナで取り込んだ際にモアレが目立ってしまいました。
 現物は、きれいな若草色です。
 後日、図版を入れ替えます。しばらくは、これでお許しください。

 また、展覧会の手引きとも言える6頁のリーフレット「源氏物語 薄雲の世界を みるために」も、わかりやすくてよくできています。


090611jissen3リーフレット

 この2種類の資料をもらうだけでも、脚を運んだ価値は十分にあります。
 6月21日(日)まで開催されています。あと10日ほどです。

 河内本という本は、一体何なのでしょうか。
 改めて、考えさせられました。
 私は、『源氏物語』の本文は2種類に分別されると思っています。
 それを昨年から、〈甲類〉〈乙類〉と呼ぶことにしています。
 この〈甲類〉というのは、これまで〈河内本〉と言っていたものを中心とするグループに該当します。
 これまで、〈いわゆる青表紙本〉や〈別本〉と呼んでいたものが〈乙類〉と言えばいいでしょうか。
 そんなに簡単に分けられませんが、池田亀鑑の〈いわゆる青表紙本〉〈河内本〉〈別本〉という3種類に本文を系統分類する70年以上の呪縛から一度解放するためにも、あえて名称を〈甲類〉と〈乙類〉に分別する私案を提示したしだいです。『源氏物語』の本文研究をリセットすることを提唱しているところです。

 それにしても、〈河内本〉と呼ばれている一群の本文群については、さらなる解明が急務です。
 國學院大學の豊島秀範先生の元で、平瀬本を中心とした〈河内本〉の総合研究が進んでいます。
 中京大学の〈河内本〉とされる本文群や、七亳源氏と呼ばれる本など、尾州家本や高松宮本に加えて、検討すべき本はたくさんあります。
 一人でも多くの若い学徒の参加を得て、さらなる研究が進展することを願うのみです。

 その意味からも、今回の実践女子大学の展覧会は、『源氏物語』の本文についての問題意識を共有するためにも、ぜひとも見ておくべき貴重な本文資料の公開です。

 本展示を実現なさった、実践の横井孝先生と上野英子先生の展示準備のためのご苦労を察しつつ、改めて感謝しながら展示屋を後にしました。

2009年5月26日 (火曜日)

源氏千年(85)源氏物語車争図屏風

 このところ、いろいろと書いておくことが多かったために、時期が前後する記事となります。

 先週の5月17日(日)で終わりましたが、京都市歴史資料館で「特別展 回顧源氏物語千年紀特別公開」と題する展示がありました。

090531kyorekisikan正面入口

 そこには、京都歴史資料館所蔵の『源氏物語車争図屏風』が展示されていました。
 これは、昨年度の源氏物語千年紀を回顧して「源氏物語車争図屏風」を特別展示したものだそうです。
 折しも葵祭の時期にぶつけた企画のため、たくさんの方が見に来ておられました。

090515byoubu_2パンフレットから


 この屏風は、昨年の千年紀事業では、京都文化博物館と京都アスニーで展示されました。
 昨年の葵祭では、この屏風の複製パネルが上賀茂神社の境内に飾られました。幅17メートル、高さ5メートルもの、巨大なものでした。
 この上賀茂神社に置かれた屏風は、先般公開された映画『鴨川ホルモー』の一シーンにも出てきました。あの映画の上賀茂での撮影が、昨年の5月であることを、この屏風が証明してくれることとなりました。

 この屏風が、今回は京都歴史資料館で、ユニークな説明と共に展示されていたのです。
 屏風の側の壁面には、写真パネルによって、描かれた内容が紹介されていました。その紹介文が、ビールが飲みたいだの、ありがたやありがたやという民衆の声を吹き出しにして、楽しい画面説明となっていました。
 担当された学芸員の方は、楽しくことばを選ばれたことでしょう。
 この説明は、またいつかどこかで拝見したいと思います。

 実物をジッと見ていて、そして精細な拡大写真も見ていて、この屏風では誰も葵を身に付けていないことに気づきました。
 いつから、お祭りで葵を付けるようになったのでしょうか。
 調べてみたいと思います。

 この『源氏物語車争図屏風』を展示した京都歴史資料館は、京都御所の東側・寺町通り沿いに隣接する施設です。
 1982年に開館しました。
 しかし、京都市は2011年度をめどに、その閉館を検討しているものなのです。
 市としては、その跡地を売却して財源不足を補う方針だそうです。
 ただし、その最終決定は来年度中とのことなので、今後の動きが注目されます。

 京都の文化施設がなくなるのは寂しいことです。
 貴重な資料が1箇所に集中するのは、その保存や保管の観点からは利点があります。しかし、資料館が散在することにより、さまざまな切り口で資料を集め、研究し、展示することにつながり、利用者としてはいい面もたくさんあります。ただし、財政上の問題を理由にされると、なかなか異論の差し挟みにくいことになります。

 京都の魅力を伝え、残していく施設については、改めて検討するのもいいと思います。
 ただし、統廃合を念頭におくのではなくて、特定非営利活動法人(NPO)や民間のボランティア団体も交えての、話し合いの場での知恵の出し合いをするのが大事だと思っています。

 この京都歴史資料館の存続については、今後、動きがあれば報告します。

2009年5月22日 (金曜日)

3本対照「空蝉」校訂本文の試作版(25.May.2009補訂版)

 昨秋、東京学芸大学(東京)で開催された中古文学会に合わせて、大島本以外の校訂本文3種類による対照資料を作成し、学会会場で適宜配布しました。
 それは、本ブログでも以下の記事の中でダウンロードできるようにして、公開したものです。


3本対照「桐壺」校訂本文の試作版(2008年10月 4日)


 現在我々が手にできるものは、大島本による校訂本文しかありません。
 この大島本を相対化するためにも、そして、大島本以外の本文の実態を知るべく、校訂本文の形に整理して試験的に提案したものです。
 池田本、陽明本、天理河内本の3本を対照できるようにしました。

 その意義や位置づけなどについては、上記ブログの説明をご覧ください。

 あれから半年が経過しました。

 明日から2日間、国士舘大学(東京)を会場校として春の中古文学会が開催されます。
 今回は、第3巻「空蝉」を取り上げ、その後の改良などを加えた、新たな校訂本文の試作版を提案します。

 池田本を底本にしたものと、陽明本を底本にした、2種類を作成してみました。
 小見出しを付けたり、網掛けをしたりと、いろいろな工夫をしています。


【3本対照「空蝉」校訂本文の試作版(補訂版)】をダウンロード

 今回も、南里一郎氏、福田智子氏、川﨑廣吉氏の協力を得ました。
 非常に面倒な作業を経て形にしていただき、ありがとうございます。
 これからも、よろしくお願いします。

 まだまだ、不備が多いことと思います。こうして試案を提示する中で、少しでも使い勝手のよいものにしていきたいと思います。

 お気づきの点などがございましたら、何なりとご教示いただければ幸いです。

 また、明日からの学会会場には、この校訂本文を印刷したものを持参します。
 お入り用の方は、お声をお掛けいただければお渡しいたします。
 会場内をウロウロしていますので、見つけてください。


2009年5月10日 (日曜日)

源氏のゆかり(41)比叡山へのハイキング

 今年の1月11日に、比叡山への登り口にあたる「雲母坂」のことを書きました。

「源氏のゆかり(34)説明板30-雲母坂」


 暖かくなったら登ろうと思っていました。
 昨日は、初夏のちょうどいい天気だったので、過日の雲母坂までは自転車で行き、そこから歩いて比叡山を目指しました。ちょうど、修学院離宮の裏道を歩くことになります。

090509hiei1雲母橋

 登りはじめは、狭くて急な石道が続きます。
 落ち葉の絨毯を踏みしめながら、この先どうなるのか少し不安になります。

090509hiei2狭隘な山道

 この道は、最澄、法然、親鸞、日蓮、道元などが登った道です。
 『源氏物語』の浮舟や薫も、この道を登ったことになります。
 『源氏物語』の作者も、この道を登ったことがあるに違いありません。
 もっとも、着物姿で登るとなると、写真でわかる通り、女性には困難が伴います。
 はたして、女性はどのような姿で登ったのか、非常に気になります。
 30年以上も前に、滋賀県の坂本から歩いて比叡に登ったことがあります。向こうからなら、着物でも登れるかも知れません。

 1時間弱で、こんななだらかな道になりました。
 まさに、森林浴のハイキングコースです。

090509hiei3森林浴


 途中で、京都国際会館から岩倉あたりが眼下に広がりました。


090509hiei4京都国際会館から岩倉あたり

 写真の左端中央の円形の建物が、昨秋、天皇皇后両陛下をお迎えして「古典の日」の宣言がなされた国際会館です。
 手前には、藤の花が満開です。


 山登りの中程に、ケーブル比叡駅とロープ比叡駅があります。
 休憩にはちょうどいいところです。

090509hiei5ロープ比叡駅


 後半の道は、道幅も広くなり険しさはなくなります。

090509hiei6木立の山道


 自宅をでてから約3時間がかりで、目的の延暦寺・根本中堂に着きました。

090509hiei7根本中堂


 のんびりとお弁当を食べながらの、リフレッシュを兼ねた山登りでした。

 帰りは、雲母坂まで休憩することなく、1時間強で下りました。
 今回の山道で、下り道で苔生した岩の間を擦り抜けるようにして通ったところが、一番印象に残っています。 


090509hiei8下り道で

 ふかふかの落ち葉の絨毯を踏みしめながら、苔に気をつけながらの下山は、なかなか楽しいものとなりました。

 さて、『源氏物語』の登場人物たちは、どのようにして登ったのか、ますます知りたくなりました。
 どなたかがお書きになっているのかも知れません。
 自分が歩いたからこそ、同じ道を千年前の人たちも同じ思いで登ったのかどうか、気になるところです。道は同じはずなので、自分の体感を共有したくなります。

 これが、気ままに京洛を散策する楽しみとなっています。
 この次は、根本中堂から横川まで、脚を延ばしてみたいと思います。

2009年5月 6日 (水曜日)

源氏千年(84)紫式部千年ライブ

 京都駅に近いところ、大宮通とJR山陰本線(嵯峨野線)が交わるところに、梅小路公園があります。
 「グリーンフェア2009春」が開催されていました。
 園内では、子どもたちの遊び場として解放されており、植物の販売や手作り市も賑やかに行われています。
 一番奥の「緑の館」の中に「朱雀の庭」があり、そこで庭園コンサートが催されました。

 「源氏物語/紫式部千年ライブ」というイベントです。
 私は、午前の部の庭園の舞台でのライブに参加しました。午後は、館内のイベント室です。

 庭園はみごとなもので、野外イベントには最適です。
 この日のコンサートは、「源氏物語千年、紫式部の和歌が時空を超え、朱雀の庭に響く」というテーマでのものです。
 200円の入場料を払って会場に入ると、すでに始まったばかりのところでした。

 池に突き出した四角い舞台から、ギターとオカリナの音色が聞こえてきました。

090504umeg1朱雀の庭


 この日のコンサートは、2008年に京都で結成された音楽ユニット、新伝統派「しき」のお二人の演奏です。
 阿武野逢世さんがギターによる和歌の弾き語りを、鈴江先子さんがオカリナの演奏です。

 入口でいただいたちらしは、簡単なものでした。

 
090503gliveprintちらし


 ここに書かれているものを、記録として掲載します。

   「源氏物語/紫式部千年ライブ」

① 午前十一時〜朱雀の庭  ②午後二時〜イベント室

やどりせし 人のかたみか藤袴 わすれがたき香に においつつ
             「古今和裁集」紀貫之
 (演奏・和歌)・・・
   木 霊 (こだま)(作︰鈴江先子 舞︰Uーko)
☆ 『源氏千年紀』テーマ曲
  紫のかがやく花と日の光 思い合わざることわりもなし 『桐壺』与謝野晶子

☆空蝉の身をかへてける木のもとに なほ人がらのなつかしきかな 『空蝉』
   空蝉の羽におく露の木がくれて しのびしのびにぬるる袖かな 紫式部

☆心あてにそれかとぞ見る白露の 光そへたる夕顔の花   『夕顔』
   寄りてこそそれかとも見めたそかれに ほのぼの見つる花の夕顔

☆・・・ 演奏曲 『若 紫』(作‥鈴江先子)

☆橘の香をなつかしみほととぎす 花ちる里をたずねてぞとふ 『花散里』

☆たちぱなの小島の色は変らじを この浮舟ぞゆくへしられぬ 『浮舟』

☆ありとみて手にはとられず見ればまた ゆくへもしらず消えし蜻蛉 『蜻蛉』

☆・・・ 演奏曲 『夢浮橋』(作‥鈴江先子)

※  めぐりあひて見しやそれともわかぬ間に
              雲がくれにし夜半の月かな 『百人一首』紫 式部

 【演奏】
     阿武野逢世(あぶの おうせ)︰和歌弾き謳い
     鈴江 先子(ずずえ さきこ):オカリナ演奏

 なお、このうち「蜻蛉」と『百人一首』の歌は、時間の都合からか省略されました。

090504umeg2庭園ライブ


 ギターの弾き語りは、私には少し違和感を覚えました。和歌の原文を生かしながら作曲されたということですが、そのメロディーに馴染めなかったためかと思います。
 初めて聞く曲なので、次に聞くとまた違った印象をもつかもしれません。
 ただし、お話の内容があまりに俗っぽかったので、残念でした。和歌の内容とかけ離れすぎていました。
 これは、モットーである「日本古来より伝承された古き良きものの感動にテーマを求め、自由な発想・新しい感覚での表現を目指し」た成果と、落差のありすぎるものです。

 オカリナは、非常に澄んだ音色で、庭園に響きわたっていました。
 写真でも、上空に鳥が写っています。
 この音色に鳥が集まってくるのだそうです。
 オカリナの曲は、演奏者である鈴江さんが作曲されたものです。
 これは、まとめてCDなどで出されていれば、手にする価値のあるものだと思いました。

 オカリナの鈴江さんは、昨年の源氏物語千年紀のイベントでも、幅広く活躍の場があった方のようです。
 今後が楽しみな方です。情報を集めてみましょう。


 コンサートの後は、庭園内の東屋でお茶をいただきました。
 同志社大学表流茶道同好会志清会の方が淹れてくださいました。
 和菓子もおいしくいだきました。血糖値をコントロールしている身なので、欠片を少しだけ口にしただけでしたが。

 200円の入場料でこんなにもてなしてもらい、充実したひとときを恵んでいただきました。
 イベントの関係者のみなさまに感謝します。お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。


 

2009年4月25日 (土曜日)

源氏のゆかり(40)説明板35-大堰の邸候補地

 高校時代に遠足で、大阪から京都の清滝へ、飯盒炊爨をしに行きました。
 嵯峨野一帯の細道を保津川沿いに遡り、清滝の河原でカレーやすき焼きなどを作って楽しみました。

 高校の教員になってからは、生徒たちを連れて、嵐山を散策した後、嵯峨野から清滝へ何度か行きました。
 嵯峨野と保津川周辺は、私にとっては勝手知ったる所、ということになります。

 嵐山地域を流れる川は、桂川と言うのが正式なようです。しかし、その上流を保津川と呼び、保津川下りの終点である渡月橋の手前あたりの嵐山周辺は大堰川とか大井川と言い、それからは下流を桂川とするのが、私にとっては感覚的に理解しやすい地名です。

 そんな理解をしていたので、『源氏物語』で「桂」とあることばに引かれて、私は明石の御方が移り住んでいたのは、渡月橋よりも南の桂川のあたりだと思い込んでいました。
 今回このあたりを散策して、それが思い違いであることを知りました。

 保津川下りは、まだ体験していません。
 いつか、と思いながら、いつでもできるとの思いから、いまだに果たせずにいます。
 さぞかし、気持ちがいいことでしょう。傍目に見ても、すばらしい景観の中を下るのですから。
 そして、終点の嵐山のなだらかな流れは、ホッとさせるものがあることでしょう。


090418ooi1保津川下り

 川下りの終点から、さらに南の渡月橋を臨むと、1000年前の景色と重ね合わせになる思いがします。


090418ooi2渡月橋を臨む

 私の思い違いはともかく、このあたりに、明石の君の邸があったとされています。
 その推定地に、源氏物語千年紀を記念して、説明板が昨年3月に設置されました。
 これまた勘違いで、私はこの川沿いに説明板があると思っていました。車折神社嵐山頓宮と小督塚の近くにあるとばかり思っていました。ところが、川沿いの道を往ったり来たりしても、それらしきものが見あたりません。
 またまた、iPhoneのお世話になり、ウエブで検索して、自分の思い違いを再確認しました。

 『小倉百人一首』をテーマにした展示館である「時雨殿」の向かいに、目的の説明板はありました。
 この写真の向こう正面に、大井川があります。

090418ooi3時雨殿の前

090418ooi4説明板

 最近、とみに、思い込みによる当て外れが多くなりました。
 独りで散策している内はいいのですが、ひとさまには迷惑をかけないように注意しなくてはいけません。


2009年4月23日 (木曜日)

源氏のゆかり(39)説明板34-野宮神社

 嵯峨野は、いつもたくさんの人が集まる観光地です。


090418nonomiya0竹林の小道

 その中にある野宮は、伊勢斎宮が潔斎のために住んだ場所です。
 現在は野宮神社として、黒木の鳥居と小柴垣によって当時が偲べるようになっています。

090418nonomiya1黒木の鳥居

 『源氏物語』では、六条御息所の娘である秋好中宮が伊勢に下向することに関して、「賢木」巻で語られています。
 また、六条御息所を尋ねた光源氏が榊を御簾越しに差し出す所は、源氏絵としてもよく取り上げられる場面となっています。

 この野宮神社は、特に縁結びに御利益があるということで、たくさんの女性が訪れるところでもあります。
 その付近には、いつも人力車の客引きが目立ちます。

 境内は、こんな感じです。


090418nonomiya2境内


 目に付くところに、説明板があります。

090418nonomiya3説明板


 なお、参拝記念のお守りなどを売っている所で、こんなクイズの掲示を見かけました。
 本の宣伝も兼ねたものなのですが、質問がおもしろいので紹介しておきます。

090418nonomiya4クイズ


2009年4月19日 (日曜日)

源氏のゆかり(38)説明板33-棲霞観跡

 光源氏のモデルの1人とされる源融(嵯峨天皇皇子)の山荘が、嵯峨野の北にある清涼寺(嵯峨釈迦堂)に面影を残しています。


090418seikakan1嵯峨釈迦堂本堂

 今も、本堂の右に阿弥陀堂(旧棲霞寺)があり、本尊の阿弥陀三尊は、源融の供養のために造立したものとされています。

 『源氏物語』の第18巻「松風」に、光源氏が大覚寺の南に「嵯峨の御堂」を建立したと語られています。
 まさに、この地にあたります。

 京都駅の北東にある枳殻邸(渉成園)は、源融の河原院の面影を残しています。そして、その河原院は、『源氏物語』の六条院のモデルだとされています。

 源融は、『源氏物語』と深い関わりがあるようです。


090418seikakan2阿弥陀堂


 この阿弥陀堂の前に、説明版がありました。


090418seikakan3説明版


 街中の説明版は見つけるのが大変です。
 境内にある説明版は、安心して探せます。


 阿弥陀堂の横にある霊宝館には、国宝阿弥陀三尊像があり、これは「源氏物語 光源氏のうつし顔」だと言われています。 


090418seikakan5光源氏うつし顔

 機会があれば、その尊顔を拝したいと思います。
 源融の墓所では、シャッターを切るのを忘れていました。

 いずれも、この次の機会にしましょう。

2009年4月18日 (土曜日)

源氏のゆかり(37)説明板32-遍照寺境内

 好天に恵まれた一日、愛用の自転車で嵐山方面へ出かけました。
 一条通をひたすら西に走ります。

 遍照寺は、嵯峨野の北東に位置します。
 大覚寺に大沢池があるように、遍照寺には広沢池があります。
 自宅からは、のんびりと漕いで50分ほどかかりました。


090418hirosawa広沢池


 ここは、月見の名所として知られています。

 かつては池に臨む名勝だったようです。しかし、現在は池の南にお寺は移っています
 山門を潜ると、小さいながらもよく手入れされた庭が、目に飛び込んできます。


090418henjyoji1遍照寺の庭


 本堂も、ひっそりと佇んでいます。


090418henjyoji2本堂

 この遍照寺は、具平親王とその愛人だった大顔にまつわる話で有名です。
 2人が遍照寺で月見をしている時、突然大顔が亡くなったのです。このことが、『源氏物語』で夕顔が急死する話の下敷きとなっている、とも言われています。
 モデル論は証明が難しいところがあります。しかし、これはあり得る話と言えるでしょう。
 こうしたショッキングな話は、物語のネタとして、人の興味を惹くのにいいのです。
 物語を創作する上で、作者は身辺の材料として、こうした話を利用したと思われます。


 本堂の右横に、説明版がありました。


090418henjyoji3説明版


 これは、目に付きやすいところにあるので、探すことはありません。

 遍照寺は、小綺麗なお寺です。大沢池から少し南に入ったところにあるので、意外と気づきません。
 大覚寺からもう少し脚を延ばして、千年前の様子に思いを馳せるのも一興です。

2009年4月12日 (日曜日)

源氏のゆかり(36)説明板29-大雲寺旧境内

 自転車で、洛北岩倉の大雲寺を目指しました。
 北へ上がれば、桜はまだ見られると思ったのですが、すでに散り始めていました。

 国立京都国際会館の前を通り、岩倉川沿いの桜並木を北上しました。

090412iwakura岩倉川

 何度も来た大雲寺ですが、相変わらず整備がなされていません。
 『源氏物語』の「若紫」巻で、光源氏が紫の上との出会いの場としての「北山のなにがし寺」がここだというのは、角田文衛先生の説です。鞍馬山だという説もあります。

 これについての私の考えは、本ブログの「源氏のゆかり(2)若紫がいた北山」に書きましたので、ご参照ください。

 いずれにしても、とにかく大雲寺は話題性のあるお寺のはずです。


090412daiunji1大雲寺


 大雲寺境内の入口には、こんな簡単な標識があります。


090412daiunji0標識


 ここには、「紫式部の『源氏物語』や『太平記』井原西鶴の『好色一代女』等に当寺が舞台として登場する。」とあるだけです。
 もっと宣伝をすればいいのに、といつも思っています。
 境内も、雑然としていて、お寺らしくありません。

 さて、『源氏物語』に関する説明板を探したのですが、どうしても見つかりません。
 左上に上って、すぐ隣の石座神社の境内もみたのですが、そこにもありません。
 周囲を散策しても、それらしきものがないのです。
 諦めて返ろうとして、たまたまiPhoneでインターネットにつなげて大雲寺と説明板という組み合わせで検索すると、詳しい情報が得られました。 それによると、説明板は、北山病院の敷地内にある、とのことです。

 大雲寺から西に歩き、病院の敷地内を探しましたが、それでも見つかりません。
 どんどん病院の奥に入っていったところ、たくさん駐車してある自動車に隠れるようにして、説明板が見つかりました。

090412daiunji2北山病院敷地内

 これでは、見つけられないはずです。


090412daiunji3説明板

 かつては、この地に大雲寺があったとしても、これだけ離れた場所に説明板を設置するなら、大雲寺の境内にその説明がほしいものです。それよりも何よりも、なぜ大雲寺の敷地内に説明板は置かれなかったのでしょうか。
 この病院の敷地の奥まで入って行くには、それなりの強い意志が必要です。

 あえてこの病院の中に設置するにあたっては、大雲寺側の何らかの考え方や事情があったからでしょうか。
 内実はわかりませんが、ここを訪れる方は、その説明板が今の大雲寺にはないことを、承知して行かれた方がいいかと思います。

 今日で、桜の季節も最後です。
 岩倉からの帰路、山々の緑はきれいなグラデーションを描き出しているのが確認できました。

 初夏にかけて、新緑の季節となります。
 京の山々も、また新たな色を見せてくれます。

 夜になってから、賀茂川・中木の道の通り抜けに行ってみました。
 桜を惜しむ人が、たくさん訪れていました。

090412yozakuraライトアップの夜桜

 今年は、たくさんの桜を見ました。
 これからしばらくは、緑を差した葉桜を楽しむことにします。
 満開のみごとさは格別ですが、この散り初めた葉桜の淡い色も好きです。

2009年3月30日 (月曜日)

『総研大ジャーナル No.15』刊行される

 総合研究大学院大学の定期刊行誌である『総研大ジャーナル 15号』(2009(平成21)年春)が刊行されました。

090330journal0表紙(右)と裏表紙(左)


 近日中に、総合研究大学院大学ホームページの電子ジャーナルとしてPDF公開されますので、ご覧いただければと思います。


 今号には、『源氏物語』の本文研究の現状について、拙稿「『源氏物語』本文研究の新しい時代」が掲載されています。
 公開されるまでのつなぎとして、一部を紹介します。


090330journal1記事冒頭部

 掲載された8頁分の最後の2頁には、『源氏物語』の翻訳状況と、さまざまな『源氏物語』の翻訳本の中から、中国語・ハングル・英語・フランス語・スペイン語・イタリア語・ドイツ語・ロシア語・フィンランド語・チェコ語・クロアチア語・ヒンディー語・タミール語・パンジャビ語の「桐壺」巻の冒頭部分を一覧できるようになっています。


090330journal2翻訳本のいろいろ

 こうした各言語による『源氏物語』の翻訳が、日本と諸外国との文化理解の一助となり、文化交流を盛んにする役割を果たせたらいいと思います。
 『源氏物語』の古写本の読解と共に、若者が日本古典文学を通しての、こうした異文化交流にも参加してくれることを待ち望んでいます。

 なお、前号の『総研大ジャーナル特別号(2008(平成20)年12月刊行)』では、昨年ノーベル賞を受賞なさった小林誠先生の特集号です。
 これは、すべての記事が電子ジャーナルとしてのPDFで読めます。

 今号も、私の記事の後が小林先生なので、文科系が露払いをしている、という形となりました。

 総合研究大学院大学は、理科系が主体の大学院大学ですが、文化科学研究科としては、以下の基盤機関が所属しています。

 国立民族学博物館
 国際日本文化研究センター
 国立歴史民俗博物館
 メディア教育開発センター
 国文学研究資料館

 文科系は、少ない予算にもかかわらず、元気に研究活動を展開しています。
 このような大学が日本にあることを、一人でも多くの方に理解してもらえたらと思っています。

2009年3月26日 (木曜日)

『源氏物語』の翻訳状況(2009.3.25版)

 3月24日の朝日新聞で、一頁全面を使って『源氏物語』をとりあげていました。
 その中に、「世界の「源氏」二十数カ国語に翻訳」というコラムがありました。
 そこに、気になる情報があったので、ここで確認しておきます。

 翻訳は英・独・仏語からアラビア語、オランダ語、クロアチア語、ヒンディー語など世界二十数カ国語に及び、タイ語やミャンマー(ビルマ)語などでも進行中だ。

 ここに、「タイ語やミャンマー(ビルマ)語などでも進行中」とあります。ミャンマー語は、確かに筑波大学のワインさんが翻訳を進めておられます。しかし、タイ語に関しては、本ブログの次の記事で報告したように、『源氏物語』の翻訳は私の知る限りではどなたもなさっていません。ただし、仲間のAさんが、『おさな源氏』の翻訳に手を着けようとしています。


タイ語訳『源氏物語』がないこと

 近年、さまざまな取材を受けますが、電話によるものは、後で思い出さないことが多くなりました。
 この記事が、電話取材を受けたものなのか思い出せないのです。
 私は、いつも手元に何か資料を取り出して取材に対応するので、タイ語訳の『源氏物語』を進行中と答えることはありません。とくに、タイは仲間が直接の関係者なので、確かな情報のはずです。

 上掲の新聞記事の情報源が私ではないのかも知れませんが、念のために正しい情報を提示して、再確認しておきます。

 ここには、今月初めにニューデリーのネルー大学図書館で見つけたウルドゥー語訳を、刊行されたものにして整理しています。

 私の元での最新情報です。
 さらに補訂すべき情報をお持ちの方は、ご教示いただけると助かります。



『源氏物語』の翻訳言語情報(2009.3.25版)

◆刊行されたもの 24種類◆
アラビア語・イタリア語・ウルドゥー語・英語・オランダ語・クロアチア語・スウェーデン語・スペイン語・セルビア語・タミール語・チェコ語・中国語(簡体字)・中国語(繁体字)・テルグ語・ドイツ語・日本語・ハンガリー語・ハングル・パンジャビ語・ヒンディー語 ・フィンランド語・フランス語・モンゴル語・ロシア語

◆現在進行中のもの 4種類◆
ウクライナ語(中断)・トルコ語(出版待ち)・エスペラント(作成中)・ミャンマー語(作成中)

◆未確認(あるらしい、というもの) 6種類◆
アッサム語・オリヤー語・スロベニア語・ハンガリー語・ヘブライ語・ポルトガル語・マラヤラム語

◆再挑戦が進むもの
イタリア語(中断)・英語(未確認)・オランダ語・フィンランド語(宇治十帖)


2009年3月25日 (水曜日)

『源氏物語』享受史の好著

 『『源氏物語』享受史の研究 付『山路の露』『雲隠六帖』校本』(小川陽子、笠間書院、2009.2、15,500円)が刊行されました。
 


090325ogawa小川さんの本

 私は、このような研究が好きです。
 本ブログでは、あまり研究書は取り上げないのですが、これは新鮮な研究成果が盛られているので、紹介します。

 まず、帯に記された内容紹介の文を引いておきます。


〈あるべき『源氏物語』の姿〉を追求するにあたって、〈創作〉という形をとった、『源氏』享受資料中特異な存在である『山路の露』と『雲隠六帖』。
『源氏』の続編とも言うべきこの二作品を、伝本の問題を中心に解読する。
また近世期『源氏物語』はすでに五十四帖という枠組みが出来ていたにもかかわらず、なぜこの二作品で、それを打ち崩すような出版が行われていたかなど、『源氏』享受史のなかの続編二作品の位置付けを目指す書。


 著者の小川さんとは、これまでにも国文学研究資料館で何度もお目にかかっています。研究員として在籍されていたのです。
 同じ研究会でご一緒し、お話もしています。
 また、書かれたものも、いくつか読ませていただいていました。
 しかし、こうした研究については、まったく話をしませんでした。
 今は、松江におられます。
 身近におられた時に、もっと教えてもらうんだった、と、少し悔しい思いをしています。

 小川さんの研究手法が、私の本文研究と通ずるものがあるのです。
 私よりも扱うものも、扱い方も違って、もっとしっかりとした研究ですが、それでも何となく親近感を覚える研究です。

 『源氏物語』の本文研究も、今でこそ話題にしてもらえますが、数年前までは見向きもされない研究テーマでした。
 小川さんも、いろいろと苦労があるのだろうな、と思いながら、頁を繰っています(本当にパラパラですが)。

 私は、資料を大事にする人に親近感を持ちます。この本は、659頁の大冊の半分は資料編(校本)です。これが、不動の価値をもたらしているように思います。

 小川さんはまだまだ若いので、これからが本当に楽しみです。

 こうして、これまでに書いてこられた論考を本にしてもらい、やっとその意義がわかるとは、私も自分の研究しか考えていなかったのだ、と恥ずかしい思いでいます。

 こうした地道な研究は、あまりなされていないようです。
 私にはわからないなりにでも、何とか理解してコメントがつけられるように、もう少し読みながら勉強させてもらいます。

 本当にいい本が生まれました。

 参考までに、目次を掲載します。




【研究編】

序章

第一章 『山路の露』論
 第一節 伝本二類の相互関係
 第二節 二類本の派生とその性格
 第三節 小君と右近の造型
 第四節 浮舟の造型と物語構成

第二章 『雲隠六帖』論
 第一節 伝本二類の相互関係
 第二節 二類本の伝流と享受
 第三節 伝本二類各本文の特色
 第四節 成立の背景と物語の性格

第三章 続編二作品の流布と享受
 第一節 中世『源氏物語』享受資料における続編
 第二節 近世『源氏物語』享受資料における続編
 第三節 版本『雲隠六帖』付載注釈書の性格
 第四節 近世における『山路の露』享受の一様相

結 章

【資料編】

『山路の露』校本
『雲隠六帖』校本

2009年3月22日 (日曜日)

風呂で源氏

 お風呂で使える受験参考書として知られる『風呂で覚える……』シリーズ(教学社編集部 編)は、多くの方がお持ちかと思います。

 我が家にも、何冊も揃えてあり、子どもたちが勉強用にお風呂で使っていました。
 手持ちのこのシリーズを列記しておきます。

『風呂で覚える古文文法』
『風呂で覚える古文単語』
『風呂で覚える百人一首』
『風呂で覚える漢字』
『風呂で覚える日本史』
『風呂で覚える世界史』
『風呂で覚える旅行英会話』
『風呂で覚える基礎英単語』
『風呂で覚える英語構文』


 私も、お風呂に入りながら、合間にこれらの本を読んでいました。
 これ以外にも、まだ他の科目が刊行されています。

 さらには、 風呂で読むシリーズ(世界思想社刊)として、『風呂で読む万葉旅情』『風呂で読む万葉花歌』『風呂で読む万葉挽歌』『風呂で読む 万葉の四季』『風呂で読む西行』『風呂で読む近代の名歌』『風呂で読む 続唐詩選』などもあります。

 こうした本を揃えると、お風呂はもう勉学の空間となります。


 そんな中に、『風呂で覚える入試源氏物語(イラスト付人物別学習)』というのがあります。

090321furogふろ源氏

 なかなかよく出来た本です。
 頭のリフレッシュに役立ちます。

 そんな時に、また別のお風呂で読む本を見つけました。
 〈風呂で読める日本古典文学選〉というものです。フロンティア文庫の中のシリーズです。
 以下のウエブサイトで、そのラインナップが確認できます。

 風呂で読める本


 この中に、『源氏物語 紫式部 与謝野晶子 訳文庫判』(価格 各525円(税込))というものがあります。


090318furog1

 平成17年に、この与謝野源氏全14巻が刊行されました。
 今回、実際にその本を手にして、とにかく驚いています。

 第14巻は「手習」と「夢の浮橋」を収録したものです。
 こんな感じで、本文が組まれています

090318furog5手習の本文

 しっかりとした印刷です。
 それも、お風呂でも読めるような配慮がなされているのです。

 さらに驚いたのは、この第14巻の後半には、『紫式部日記』を収載しているのです。


090318furog4『紫式部日記』


 古文のままですが、これは編集部が天和本を元にして作成した校訂本文のようです。

 こうしたテキストについては、巻末に次のように記されています。

090318furog3底本の明示


 与謝野源氏は、青空文庫のテキストを活用したものだということです。

 こうした出版がなされていることを知り、この情報の共有がなされていないことを残念に思います。

 ザッと見たところ、これはなかなか意義深い本のように思います。
 ただし、この本文がどのようにして作成されたものなのか、まだ疑念が残りますが。

 特に、『紫式部日記』の校訂方針が明記されていません。また、与謝野源氏の本文も、改変がないのか、気がかりです。

 いずれにしても、このようなテキストがみんなで共有できれば、日本の古典文学の理解と普及に有用なメディアとなります。

 さまざまな試行錯誤がなされていることは、まだまだ日本の文化が広まる要素がたくさん残されている、ということになります。

 少なくとも、『源氏物語』をみんなが読みやすいテキストで読める環境を作ることは、1日も早く実現したいものです。

 その意味では、お風呂という場所も、その利用価値は大きいと言えるでしょう。

2009年2月22日 (日曜日)

源氏のゆかり(35)説明板25-朱雀院

 四条通りと山陰線(嵯峨野線)が交わるところに、日本写真印刷があります。その広大な敷地の南側、四条通り側に、朱雀院跡の説明版があります。


090221suzaku1四条通


 塀の一部が透明なアクリルパネルになっており、そこから覗くと、こんな感じで説明版が見られます。

090221suzaku2朱雀院跡


090221suzaku3説明版


 そばにバス停「四条中新道」があるので、わかりやすいと思います。

 朱雀院は、平安京のメインストリートである朱雀大路の西側にありました。三条から四条の間にあり、八町もの敷地を占める上皇方の御所でした。この広さは、神泉苑と同じです。平安京では、平安宮を除くと、もっとも広い場所です。

 『源氏物語』では、桐壺帝の父・一院と、息子の朱雀院が、ここを御所としています。
 物語の中では、第7巻「紅葉賀」で、桐壷帝が朱雀院に行幸する場面があります。その折、光源氏と頭中将が青海波を見事に舞うシーンがあります。源氏絵などでは、よく取り上げられるので、有名な場面となっています。

 こうして歩くと、物語が浮かび上がります。
 だいたいは、現地を訪れると、その場所の確認にはなっても、その雰囲気が虚実の落差を実感させ、イメージの邪魔をすることが多いように思います。
 ただし、この朱雀院跡は、日本写真印刷の敷地内にあるせいか、まだ救われている方でしょう。
 会社の建物の良さと、大通りの開放感が、平安時代の雰囲気を少しは感じさせてくれるように思いました。
 (やや、無理をしていますが…)

2009年1月30日 (金曜日)

『錦絵で楽しむ源氏絵物語』の勧め

 『源氏物語』の内容をわかりやすくまとめた本として、『錦絵で楽しむ源氏絵物語』(岩坪健編、和泉書院、2009.1)が刊行されました。これは、非常によくできた本です。


090131iwatubo

 見開きの左頁に、江戸時代(19世紀中頃)に出版された多色刷りの木版画(錦絵)を配し、右頁に各巻の内容を千字以内で、わかりやすくまとめています。
 取り上げられた錦絵は、歌川豊国(国貞)筆の『源氏絵物語』で、東京都立中央図書館加賀文庫のものを、すべてカラー写真で掲載されています。

 本書には、初心者のためのいろいろな工夫があります。
 まず、ルビが多いことに好感を持ちました。これなら、これから『源氏物語』を読もうとする人も、固有名詞や有職故実などの、日頃あまり目にしない文字にたじろぐことなく、安心してお話に耳を傾けられます。
 あらすじの文章は、なるべく人名を使わない方針で書かれています。とはいうものの、たくさんの人名で解説せざるをえません。それでも、そのほとんどに、固有名詞などにはていねいにルビが付けられているので、余計なことに神経を使わずに読み進められるのです。
 この配慮は、意外と一般の方々には受け入れられるのではないでしょうか。

 巻の解説も、要領よくまとまっています。一つの巻に千字弱の字数なので、十分に説明がなされています。あらすじとか梗概というものは、帯に短し襷に長し、という例が多かったように思います。本書のように千字弱というのは、普通に読んで2分位なので、なかなかいい長さです。

 そして、本書の説明文がわかりやすいのは、具体的に読む人の助けになる情報が盛り込まれているからだと思います。
 例をあげてみましよう。

 第13巻「明石」の説明で、「須磨から明石へは、約八キロメートルしかありません。」(34頁)とあります。
 また、第22巻「玉葛」では、長谷寺までは「京都から七十二キロメートルもありますが、信心深さを示すため、歩いて行くことにしました。」(52頁)という説明になっています。また、その左頁の錦絵の下にある絵の説明にも、「本堂へは、約四百の石段を登る。」とあって、そのありようがよくわかる表現がなされています。

 本書は、とにかく初心者のためには、たいへんよくできた『源氏物語』のお話を理解するための案内書です。
 ただし、一つだけ私の感想として物足りない点があります。
 それは、絵の上部に書かれた和歌を、左右頁の真ん中に翻字し、その意味をわかりやすく解いてあるのですが、ここはもう一歩踏み込んで、変体がなで書かれた和歌の翻字を、書かれたかなの字母を生かした表記になっていたら、もっとよかったのでは、ということです。つまり、ここで正確な翻字を示されていると、かつての人たちが書き継いで来たかな文字を読む練習ができるからです。
 せっかく目の前の錦絵の中に、昔のかな文字が書かれているのです。
 ここで、変体がなを読む機会が提供されていてもよかったのでは、というのが、このよくできた本に対する唯一の私の要望です。

 もし改訂版を出されることがあれば、ぜひとも和歌を正確な翻字にされることを熱望します。


 


2009年1月20日 (火曜日)

胡蝶掌本『谷崎源氏逍遥(一)』

 とてもかわいい豆本があります。胡蝶掌本と名付けられています。

 書名は、『谷崎源氏逍遥(一)』。

 フロッピーディスクのプラスチックケースに入っていて、縦横9センチほどの大きさで77頁の本です。


090120qsaka1豆本


 これは、本好きな仲間が刊行したもので、『源氏物語』と谷崎に対する思いが詰まっています。
 谷崎潤一郎の源氏訳に関する内容ですが、書誌的な情報が中心なので、読み物ではありません。しかし、大事な情報がギッシリと入っています。頁を繰る内に、書籍としての谷崎源氏が目の前に立ち現れて来ます。

 谷崎の旧訳源氏の付録(月報)に、興味深い記事のあることが紹介されています。
 その第11号と13号から、池田亀鑑の『校異源氏物語』は昭和15年の時点では索引が計画されていた、ということがわかるというのです。
 実際には、さらに15年の時日を経た『源氏物語大成』で実現します。しかし、こうした裏面史は、心を躍らせてくれます。1つの大きな仕事の背景にある「諸般の事情」というものに、さまざまな人の思惑や動きが見えてきます。想像を逞しくさせてくれます。

 この本は、すべてが手作りです。
 奥付はこうなっています。


090120tasaka奥付


 ただし、これは「個人配布はない」という限定版なのです。
 限られた人にしか手にできないのは、あまりにももったいないので、著者である田坂さんとの話の中から、国文学研究資料館に献本してもらえることになりました。
 これで、みなさんにこの本を見てもらえます。
 今しばらく、お待ちください。

 なお、この胡蝶掌本のことは、次のブログに記事があります。

田中栞日記


 昨秋、ハーバード大学での国際集会でも、本が大好きだという方の本に関する研究発表がありました。それも、懲りに凝った本の数々を会場に回覧しながら。たくさんの心温まる装丁の本を手にして、贅沢な思いに浸ることができました。
 本は、永遠に人の心を捉える魅力がありますね。

 ここで紹介した『谷崎源氏逍遥(一)』も、昨年の源氏千年紀の収穫の一つと言えるでしょう。


2009年1月16日 (金曜日)

アニメ『源氏物語』が深夜TVでスタート

 今朝、それも早朝というよりも深夜(2009年1月16日金曜日0時45分)から、連続テレビアニメ『源氏物語千年紀 Genji』が、フジテレビ「ノイタミナ」で始まりました。
 「ノイタミナ」ということばは聞き慣れないものです。当番組のホームページによると、

アニメーションのスペル(Animation)を逆読みしたもので、「アニメの常識を覆したい」という制作スタッフの想いに由来する。

とありました。

 このアニメの詳細な情報は、上記ホームページをご覧ください。

 このアニメは、当初は大和和紀の『あさきゆめみし』のアニメ化だったとか。
 どのような事情があったのかわかりませんが、昨秋オリジナルなものに変更されたのだそうです。

 深夜なので、かえって見忘れることがないので安心です。
 第1話は「光る君」でした。
 30分の連続番組で、11回が予定されています。
 まずは、オープニングのテーマ曲である「日和姫」が、明るくて若々しさを感じました。
 作詞・作曲が椎名林檎で、歌はPUFFYでした。
 エンディングのテーマ曲の「恋」も、中孝介の歌でじっくりと聞けました。

 アニメの中で、藤壷が光源氏に絵巻物を見せるところで、鳥獣戯画が画面を横断するように繙かれたのには、アレッと思いました。こうしたアレッと思うところは、随所にありました。しかし、楽しく見られるアニメなので、そのことで評価を下げる必要はないでしょう。

 藤壷のために光源氏が花の枝を取ろうとして、池に落ちてしまうシーンがありました。
 これは、なかなかいい場面となっていました。原作にどのように書かれているかは、細かく詮索する必要はないのです。

 アニメとして、脚本は楽しいものになっていると思いました。おそらく、作り上げていく過程で、おもしろくなってさまざまな手を入れたらこうなった、というのが実情かと推測しています。

 ただし、肝心の絵が、私にはシックリときませんでした。
 若い人たちに向けてのものなのでしょう。いかにもアニメ、というタッチなのです。

 1987年に朝日新聞社が制作したアニメ映画は、ピアスをした光源氏でした。
 京本政樹風の光源氏で、私は好きでした。

 今日のアニメで欲を言えば、もうすこし画面を動かしたら、退屈さが軽減したのではないかと思います。藤壷とのことで苦悩する光源氏を表現する上で、思い悩む心の中をストップモーションの画面で表現したかったのでしょうか。しかし、最初から動きが少ないので、予算の関係かな、と思ってしまいます。さらには、アニメの技術も、イマイチのように感じました。
 高いレベルの技術を駆使し、明確なポリシーでこうしたのでしたらいいのですが…。私には、そのようには見受けられませんでした。
 作っていく内に、当初の『あさきゆめみし』とは乖離し、しだいに独自な世界を作り上げざるをえなくなった、という舞台裏を想像してしまいました。何分にも素人のコメントなので、的外れでしたらご寛恕のほどを。

 今回のアニメは、まだ1回目なので、今後を楽しみにしています。
 

2009年1月15日 (木曜日)

『源氏物語』の本文は2種類ある

 昨年の秋にハーバード大学でおこなった研究発表では、『源氏物語』の本文の分別試案として〈甲類〉と〈乙類〉というものを提案しました。


本文分別試案の研究発表


 また、その試案については、同じく昨秋、「源氏物語本文の伝流と受容に関する試論―「須磨」における〈甲類〉と〈乙類〉の本文異同―」(『源氏物語の新研究 —本文と表現を考える』平成20年11月、横井孝・久下裕利編、新典社)でも公表しました。これは、「海を渡った古写本『源氏物語』の本文 ―ハーバード大学蔵「須磨」の場合―」(伊井春樹編『日本文学研究ジャーナル 第2号』、平成20年3月)と題して発表したものの続編であり、本文分別に関して新たな分類名を付けた最初のものとなります。

 この〈甲類〉と〈乙類〉という分別試案については、その後、何人かの方から質問を受けました。この2分別については、今後とも巻々の検討を重ねる中で確認していくしかありません。その間は、右へ左へと揺れることでしょう。その評価の揺れる巻が、当面の研究対象の一つとなることは明らかです。

 『源氏物語』を読むことについては、今はすべての人が大島本だけを読んでいるのが実情です。しかし、今後の研究者は、それぞれに自分がよしとする本文を読むのではないでしょうか。
 例えば、これまで通りに大島本を、いや陽明本を、あるいはハーバード大学本を、ということも想定されます。ただし、ハーバード大学本は「須磨」と「蜻蛉」の2冊しかないので、『源氏物語』の全体は読めません。
 そのためにも、大島本に代わる共通の校訂本文としてのテキストが、いずれは必要になることでしょう。
 これについては、私は天理図書館にある池田本を、第2の流布本にしたらいいとの考えから、校訂本文の公開の準備を始めています。


3本対照校訂本文試案


 陽明本の校訂本文は、『源氏物語別本集成 続』全15巻(伊井春樹・伊藤鉄也・小林茂美編、平成17〜刊行中、おうふう)で公開しています。
 こうした本文の提供は、今後の大きな課題でもあります。

2009年1月11日 (日曜日)

源氏のゆかり(34)説明板30-雲母坂

 比叡山は、うっすらと雪をいただいています。


090111hiei比叡山


 かつて都から比叡山へ往き来した登り口に、雲母坂があります。そこに『源氏物語』のゆかりの地としての説明板が設置されたのは、千年紀として盛り上がった昨年3月でした。
 行ってみようと思いながら、郊外であることと山中ということで、延ばし延ばしにしていました。

 寒い中でしたが、自転車を漕いで身体を温めながら行ってみました。
 説明板の前から元来た道を見下ろすと、洛北の一角が見えます。


090111kirara1洛北を望む


 街中では、ちょうど第27回全国都道府県対抗女子駅伝がスタートする瞬間を待っている時です。この坂の下の白河通りは、折り返し地点である国立京都国際会館に続くコースになっています。この山道に来るとき、警備車両や関係者とボランティアの方々が、沿道の準備をしておられました。

 さて、坂を登って突き当たりにある説明板は、関西セミナーハウスの敷地沿いに建っています。左下が雲母坂へ、右手前が曼殊院へと続いています。


090111kirara2関西セミナーハウス前


090111kirara3説明板


 この説明板の中の付近見取図は、この辺りの位置関係がわかりやすいので、少しピンボケですが掲載しておきましょう。


090111kirara4見取図


 雲母坂の方へ行ってみました。


090111kirara5雲母橋


 音羽川に雲母橋が架かっており、そこから右上へと山道が登っています。
 この道は、比叡山の山法師が日吉神社の御輿を担いで都に強訴に押し掛けた、とか、南北朝の戦乱ではこの坂が戦場となり血に染まった、との説明が、雲母橋のたもとの標識に書かれていました。
 ただし、この雲母橋という名は、つい最近命名された橋のようです。平安時代からのものでないようです。
 途中にあった案内図で、この辺りの位置関係がよくわかります。

090111kirara6案内図


 この雲母坂は、平安時代から都人が比叡山へと登る、主要な道でした。
 この音羽川から京の市街を振り返ると、かすかに洛北が見えます。


090111kirara7京の市街


 道標によると、ここは勅使をはじめとして、最澄、法然、親鸞、日蓮、道元などもこの道を歩いて比叡に往き来した、とあります。

090111kirara8雲母坂の道標


 もう少し暖かくなってから、この雲母坂を比叡へと登ってみましょう。
 『源氏物語』の終半になると、浮舟や薫など、この坂を登る人が出てくるのですから、是非とも登ることにします。
 今日は、このあたりから見上げるだけで、引き返しました。


090111kirara9


 ちょうど、修学院離宮の真後ろにあたります。宮内庁の管轄である標識が、境界の柵越しに確認できました。

 山を下りたところに、今日の駅伝で優勝候補とされている京都チームが泊まっている宿がありました。
 予定通りに優勝したので、これも記念として掲載しておきます。


090111ekiden


2009年1月 3日 (土曜日)

源氏千年(83)上賀茂神社の紫式部歌碑

 上賀茂神社の2つ目の鳥居を潜った神域に、円錐のような形をしたおみくじを結び付ける道具が並んでいました。正確には八角錐ですが。

090103kamigamo1鳥居

 これは、去年まではなかったものだと思います。
 細殿の前にある円錐形の2つの「立砂」と対照的で、なかなかいいアイデアです。
 結び付けられたおみくじの紙片が幣帛のように見え、また円錐全体が依り代にも見えます。これは、神社のご神体である背後の神山の姿を意識したものだと思われます。

 さらに奥の本殿の楼門からすぐ前の御手洗川のほとりに、片岡社(片山御子神社)があります。ここは、紫式部にまつわる縁結びの摂社として知られています。
 京都北ライオンズクラブの結成45周年を記念して、紫式部歌碑が奉納された、というニュースが昨年の10月にあったことを思い出しました。
 そこで、その歌碑を探したのですが、片岡社の周りにはどこをどう探しても見つかりません。

 思い違いをしていたのかと諦めて帰ろうとしたとき、奈良(楢)の小川のそばの舞殿の少し先に、3人のご婦人が立ち話をしておられました。これではわからないよね、という言葉を耳にしたので、私もそこへ歩みを寄せました。


090103kamigamo2奈良の小川のほとり


 確かに、紫式部歌碑です。境内の散策路から外れているので、これに気づく人はほとんどいません。

090103kamigamo3歌碑


 灯籠の柱にプリンターで急遽印刷したと思われる説明書きには、こうあります。
 ただし、歌碑の文字を正確に翻字していなかったので、刻まれたままの文字で示します。

ほとゝきす聲

万つ本とは

片岡の杜の

  しつくに

  立ちや

  ぬれま

     し


揮毫 後藤西香
石材 鞍馬石
奉納 京都北ライオンズクラブ

 最近では、こうした変体仮名の崩し字を読める人は少なくなっているので、日本文化のすばらしさをさらに正しく継承する意味からも、用字に忠実に翻字しておいたほうがいいと思います。

 この歌碑を見て振り向くと、1本の記念木柱が建っていました。よく見ると、「源氏物語千年紀 紫式部歌碑建立記念植樹」とあります。背面の日時は、平成二十年十月十八日となっていました。


090103kamigamo4記念標柱


 散策路からも見えません。
 奈良の小川の向こう岸からみると、こんな位置になります。
 左手前に舞殿があり、その奥の朱塗りの建物が楼門です。


090103kamigamo5奈良の小川から

 ただし、この対岸は少し行き難いところになります。
 この記念植樹の標柱も、場所がよくないように思いました。
 前の石碑との関係が記されていないので、ほとんどの人には関係がわからないままで通り過ぎてしまわれます。

 この小川は、小倉百人一首に入集された藤原家隆の歌に、
 「風そよぐならの小川の夕ぐれは みそぎぞ夏のしるしなりける」
とあることで有名です。
 少し下流に石碑と説明文があります。

 紫式部歌碑はいいところに設置されました。
 もっと知られるようになってほしいと願っています。


2009年1月 1日 (木曜日)

源氏千年(82)下鴨神社の源氏絵屏風

 昨年の初詣は上賀茂神社だったので、今年は下鴨神社へ行きました。
 いずれも、ご近所の氏神さんです。


090101simogamo1下鴨神社


 御手洗川は、この神社の目玉です。

君がため御手洗川を若水に
  むすぶや千代の初めなるらむ(式子内親王)

 ここでは、「足つけ神事」「矢取の神事」「斎王代の禊の儀」などの儀式がおこなわれます。
 「みたらし団子」は、この水が湧き出る様子からの命名なのだそうです。

 この川に架かる橋を「輪橋(そりはし)」といい、辺りの梅を尾形光琳が屏風に描いたことから、「光琳の梅」とも言われています。

 輪橋の前では、平山郁夫の特別展開催を報せる看板が用意されているところでした。今日からだそうです。
 大好きな画家なので、拝見することにしました。


090101simogamo2御手洗川

 会場は「鴨社直会殿泉聲(かもしゃなおらいでんせんせい)」です。
 平成27年に下鴨の式年遷宮があり、その一環としてこの殿舎が再興されました。平安時代以来、遷宮ごとに直会殿を造営していたのです。
 また、ここの庭は「紫式部の庭」として復元されたものです。
 今は、庭にたくさんの紫珠(紫式部)が植栽されていました。

090101simogamo3紫式部の庭


 平山郁夫が描いた下鴨神社のスケッチを10枚ほど並べた後に、源氏物語屏風絵と洛中洛外図屏風がありました。
 『源氏物語』の方は、「源氏物語図屏風」と名付けられており、六曲一双のものです。
 説明文によると、右隻 右上から左下へ「梅枝」「篝火」「澪標」「明石」の4図、左隻は同じく「須磨」「葵 」「帚木」「末摘花」の4図でした。

 ジッと見ていて、右隻右上の「梅枝」とされている絵は、碁盤の上に紫の上が乗っている図様です。
 源氏絵で碁盤の上に姫君が乗っている図は、「葵」のはずです。すぐに iPhone で調べたところ、やはり「梅枝」にそのような場面は見当たりません。

 写真が撮れないので、後で確認するために、ラフですがスケッチをしました。

090101simogamo5屏風の構図


 会場で看視に当たってる方に聞いたところ、この屏風は、今回信者さんから寄進されたものだそうです。
 神社の図録などにもまだ写真や説明はなく、屏風の前に置かれている解説は今回のために書かかれものだ、とのことでした。

 詳細は後日として、この場面はその認定に問題があるように思いました。

 新年早々、おもしろい作品を見る機会に恵まれました。

 帰り道、大炊殿の葵の庭の前に寒桜が咲いていました。


090101simogamo4寒桜

 先日の北野天満宮の紅梅の早咲きに加えて、早々におめでたいものを見ました。

 今年も、いい年にしたいものです。

2008年12月30日 (火曜日)

源氏千年(81)千本閻魔堂の紫式部像

 千本閻魔堂(引接寺)で紫式部のブロンズ像を作成しているとのことだったので、過般、心ばかりの寄付をしました。
 先日、その像が完成して安置された、とのニュースに接したので、自転車で見に行ってきました。

 しかし、どこにあるのかわかりません。

 受付で聞くと、精霊堂(開山堂)にあるとのことです。
 ただし、一般公開は来春からだそうです。

 四角い小さなガラス窓からしか見られないので、精霊堂は覗いたのですが、気付きませんでした。


081229sikibu1閻魔堂の紫式部


 巻物を手から垂らした、十二単の立ち姿の紫式部像です。高さは1メートルほどです。
 正面からも見たのですが、薄暗いこともあり、お姿は判然としません。


081229sikibu2素顔が楽しみ

 来春、一般に公開されるとのことなので、お姿はその時にじっくりと拝見できることを楽しみにしましょう。


2008年12月29日 (月曜日)

源氏千年(80)北野天満宮の光源氏

 北野天神の梅の花は、もう数輪が咲いています。
 本殿前の梅林に、紅梅がこんな感じで咲いているのです。
 年の内に春は来にけり、ならぬ、梅は咲きけり、という珍しさです。


081229kitano1ume梅林の紅梅


 さて、北野の天神さんの楼門に至る参道は、もう正月の初詣客を見越した出店や屋台が、急ピッチで組まれつつあります。


081229kitanoromon


 楼門の境内側に、千年紀にちなんでの西陣織の糸人形が、昨日より飾られました。
 左側は、桐壷帝と藤壷です。


081229kitanomikado帝と藤壷

 この糸人形は、明治8年に西陣笹屋街一帯で疫病退散を願って、地蔵盆のための供養として作られたのが起源です。
 昭和43年に途絶えてしまいました。それが、こうして復活したのです。
 西陣織の帯・着尺・絹糸などで造られる糸人形は、ハサミを使わず、針だけで止めた豪華なものです。

 楼門内側の右は、光源氏と頭中将が青海波を舞う姿です。

081229kitanogenji青海波

 『源氏物語』の第7巻「紅葉賀」の場面です。左の帝と藤壷は、この2人の舞を見ている、という想定のようです。
 すばらしい出来です。
 『源氏物語』に通じていない方々のためにも、もう少し説明を加えてあってもいいように思いました。

 なお、この糸人形の公開は、新年6日までです。

 帰り道の参道で、先般、心無い人によって壊された牛が、新たに奉納されていることに気付きました。
 天神さんの乗り物である牛が、無残にも壊されたことがニュースとなっていました。
 それが、こんな形で再生していたのです。


081229kitanousi神牛


 山本さんの奉納になるものでした。
 日時が「平成二十一年一月」となっていたので、早々と新年の福をいただいたような気持になりました。
 末長く、みなさんに撫でられて、大いに親しまれることでしょう。

2008年12月27日 (土曜日)

源氏千年(79)千点の新聞記事

 今年は千年紀ということもあり、『源氏物語』に関する新聞記事が目に付きました。

 京都新聞に「数字で見る京 '08」という記事がありました。
 12月15日現在ではありますが、『源氏物語』に関する記事の本数が報告されています。

 この1年間に、京都新聞に『源氏物語』の記事が掲載されたのは984本だったそうです。
 1日に3本の『源氏物語』に関する情報が流れたのですから、これは大変なことです。

 また、源氏物語千年紀委員会が公認したイベントは、これまた15日現在で1206件だそうです。
 毎日4件はどこかで『源氏物語』の催し物がスタートしていたことになります。それぞれのイベントは、数日間から数ヶ月開催されるのが普通なので、京都のいたるところで『源氏物語』があふれかえっていたことになります。

 千年紀の事業は来年の3月末まで続くそうなので、これはさらに数値が増えるものです。

 以上は、京都新聞に関する情報です。

 これに対して、東京はどうだったのかと思うと、これは十分の一以下だと思います。
 具体的に数値を出したのではありません。
 しかし、東京で見ている新聞には、時たま『源氏物語』に関する情報が掲載されるだけでした。

 今年の東西における『源氏物語』に関する温度差は、極端に違っていたことは明らかだといえましょう。

 この1年間、京都と東京を往き来していて、身をもって実感したことです。

 京都新聞の『源氏物語』関係の記事と、ネットに公開された情報は、この1年間のそのほとんどを切り抜きました。
 なかなか整理する暇がありませんが、折を見て確認したいと思います。

2008年12月23日 (火曜日)

源氏のゆかり(33)説明板27-羅城門跡

 東寺の南門から九条通りを西へ500メートルも行かないところに、羅城門跡があります。

081221rajyo1東寺から西へ


081221rajyo2児童公園


 ここは、かつての平安京のメインストリートである朱雀大路の南の玄関口でした。

 羅城門は何度か大風で倒壊したそうなので、どんな構造だったのか興味を覚えます。
 10世紀以降はなかったということです。『源氏物語』の時代には、この門はなかったということです。

 芥川龍之介の『羅生門』は、この門を背景にしているようです。
 奈良の平城京には、朱雀門が立派に復元されています。
 京都でも、ぜひこの羅城門を復元してほしいものです。

 通りから北に入ると、児童公園の中に石碑とともに説明板があります。


081221rajyo3公園の中


081221rajyo4説明板


 周りが民家なので、復元と言っても難しい問題があることはわかります。
 小さくてもいいので、模型でも置いてほしいものです。
 とにかく、日本人は『羅生門』でそのイメージをしっかりと持っているのですから。


2008年12月22日 (月曜日)

源氏のゆかり(32)説明板26-西鴻臚館跡

 外国から来た使節を接待したり宿泊させる、いわば今の迎賓館にあたる鴻臚館が、平安時代には朱雀大路を挟んで東西にありました。
 今、西鴻臚館跡の説明板は、次の写真の位置にあります。


081221kourokan1東鴻臚館跡

 東向きに目の前を、JR山陰本線の嵯峨野線が南北に走っています。
 この嵯峨野線の向こう側に、東鴻臚館があったのです。
 東鴻臚館は9世紀には廃止され、その東鴻臚館跡の石碑は、今は少し北へ行ったJR丹波口駅に近い「角屋」にあります。
 この「角屋」から今年の3月に、「末摘花」巻だけでしたが陽明文庫本と近似する本文を持つ、鎌倉時代の古写本が見つかりました。これには驚きました。もちろん、たまたま「角屋」にあった、というだけのことのようですが。

 さて、12世紀には西鴻臚館も機能を停止していました。これは、渤海国が滅亡したためです。

081221kourokan2説明板

 『源氏物語』では、「桐壷」巻で光源氏が素性を隠して高麗の人相見の元に行き、准太上天皇になるという将来の予言をしてもらっています。

 今この辺りは、『源氏物語』の語られた雰囲気は微塵も感じさせない地域となっています。
 時の移り変わりを実感しました。


2008年12月18日 (木曜日)

源氏のゆかり(31)説明板24-斎宮邸跡

 地下鉄東西線の西大路御池駅の真上に、西京高校・中学校があります。


081214saigu1


 なかなかオシャレなたたずまいの学校です。
 その校門の左に、斎宮邸跡の説明板が設置されています。


081214saigu2説明板

 ここは、平安時代中期の伊勢斎宮の邸宅があったところです。

 『源氏物語』で斎宮というと、六条御息所の娘の秋好中宮が思い出されます。
 秋好中宮は、後に光源氏の養女となり、冷泉帝の妃になってからは斎宮女御と呼ばれるようになりました。
 斎宮が伊勢へ下向するにあたり、潔斎をしたところが、後に紹介する嵯峨野にある野宮神社です。


2008年12月17日 (水曜日)

源氏のゆかり(30)説明板23-大学寮跡

 大学寮は、現在で言えば国立の大学にあたるものです。
 いわば、官吏養成機関だと思えばいいと思います。
 『源氏物語』では、光源氏の息子の夕霧が、この大学寮に通っています。それも、四位からではなくて、六位からのスタートを光源氏は強いたのでした。

 千本通から押小路通を東に入ったところに、京都市立中京中学校があります。

081214daigaku1大学寮跡


そのグランド脇の金網沿いに説明板があります。

081214daigaku2説明板


 ここは学校がある所なので、似ているといえますが、イメージが脹らみにくい環境にあります。

 かつての大学寮は、治承元(1177)年の大火で焼失したそうです。
 

2008年12月16日 (火曜日)

源氏のゆかり(29)説明板22-二条院候補地

 二条城の北東に冷泉院跡があります。
 その横を南北に走る堀川通から東に向かって延びる夷川通りを少し歩くと、二条院候補地(陽成院跡)が夷川児童公園の中にあります。
 この夷川通りには、家具屋さんが店を並べているので有名です。大阪で言えば、難波の西にある堀江・立花通りに当たります。
 我が家の座卓も、ここで買いました。もっとも、今は古道具屋で買った座卓を愛用していますが。

 公園から二条城(かつて御所があった所)を振り返ると、こんな景色として眼に映ります。


081214nijyoin1かつての御所を臨む

 児童公園では、子どもたちが遊んでいました。

 ここは、『源氏物語』では桐壷更衣の実家があったところと想定されています。
 光源氏も、このあたりで遊んだことでしょう。
 そして、光源氏は紫の上をここに住まわせたのです。


081214nijyoin2今は公園


 説明板は、こんな感じで建っています。


081214nijyoin3説明板


 この公園は、二条院の北側に当たります。
 その南半分は、今は建物がひしめいています。


081214nijyoin4二条院南半分


 公園を走り回る少女は、若紫だと思ってシャッターを切りました。

 それにしても、『源氏物語』の舞台であったことを、まったく感じさせない空間です。
 しかし、この地に足を留めることによって、物語における地理的な位置関係が意識されます。

 千年の時空を超えてのイメージを脹らませるためにも、一度佇んでみる価値のある場所です。


2008年12月 6日 (土曜日)

源氏千年(78)我が家でも版木発見

 今朝の新聞に、「源氏物語の注釈書 初の版木」という記事が掲載されていました。

 『源語梯』の版木2枚が、奈良大学で見つかったというものです。この本は、『源氏物語』に関してイロハ順に項目を分類した江戸時代の辞書です。

 江戸時代に刊行された『源氏物語』関連の書籍としては、この版木は初めて見つかったものだそうです。

 印刷された本は全国に10部残っているそうなので、この版木によって新しいことがわかるというものではありません。しかし、版本として印刷された出版物の版下となった版木は、江戸時代の本のイメージを形成する上では意義があります。本というものに対するイマジネーションを刺激する上で有益なものだからです。

 もっとも、こんなことがニュースになるのですから、『源氏物語』というものの日本文化に対する意義は、もはや不動のものになったことが実感できます。今年だけでしょうが、『源氏物語』のことなら何でもあり、というのはもうこの辺にしたらどうでしょうか。
 マスコミ関係者には、そろそろ来年のネタ集めを急がれることを熱望します。

 さて、突然ですが、私の手元にも版木があったことを思い出しました。

 そこで、自宅の押し入れをゴソゴソしているうちに、やっと見つかりました。


081206hangi1版木オモテ


 柱に記された書名によると、これは『略解 ○古訓古事記巻中』です。
 版木のオモテとウラの両面に文字が彫られています。

 第四十八丁とある面には、


さねさし相模の小野に …

とか、

にひばりつくばをすぎて …

という歌が確認できます。


また、その裏面の第四十九丁に当たる部分には、


かがなべてよにはここのよ …

とか、

ひさかたのあめのかくやま…

という歌が確認できます。


081206hangi2版木ウラ


 この版木は、私が大学生の頃に、三鷹の路上で風呂敷を広げて売っていたガラクタの中から見つけたものです。
 この版木と一緒に、表面だけ彫ったもので、裏面にはその所蔵元が墨書きで記されたものもありました。たしか、京都の蔵の住所が記されていたように思います。
 よくわからないままに、両面に彫り付けてある方がお買い得だと思い、これを買ったことを覚えています。
 今にして思えば、裏に所蔵元が書かれたものの方が価値があったのでは、と思い返しています。
 やはり、知らないということや、知識の乏しい物に対する判断の甘さです。
 こんな愚かなことを繰り返して生きているのです。あの時の版木は、今はどこにあるのでしょうか。もう、処分されたのかもしれませんね。

 30数年前に、私が学生時代のお小遣いで買えたのですから、大したものだとは思いません。しかし、これも、人によっては貴重なものなのかもしれません。

 もし、この版木について情報がありましたら、ご教示の程を、お願いします。


2008年12月 1日 (月曜日)

源氏千年(77)京都駅前の『源氏物語』の人形展

 京都駅北右側にあるメルパルクの1階に、「源氏物語情報館」があります。
 そこで、森小夜子さんの人形展が開催されていました。


081130ginfo1人形展

 手前は、「葵」巻の車争いの場面です。
 そして、向こうには、「若紫」の雀が逃げた場面です。
 この雀の場面には、伏せ籠の中の雀が再現されていて、非常に興味深い作品となっていました。
 右端奥には、ちゃんと閼伽棚も作ってあります。
 なかなか、芸の細かいところが伺われます。
 本文に忠実に再現しようという心意気が感じられて、幼い表情ながらも『源氏物語』の雰囲気を伝えている作品だと思いました。

081130ginfo2若紫

 この展示のフロアーには、こんな看板もありました。


081130ginfo3メニュー


 今や『源氏物語』は、こうしたメニューにまで、多大な影響を与えています。

2008年11月30日 (日曜日)

源氏千年(76)エスペラント語訳『源氏物語』

 『La Movado』(第687号、2008.5)という関西エスペラント連盟が発行する機関誌に、藤本達生さんが『源氏物語』のエスペラント語訳の連載を開始されました。

 九州のAさんから情報をいただき、やっと藤本さんにお会いすることができました。
 銀閣寺道の喫茶店で、いろいろと楽しい話をお聞きすることができました。

 藤本さんは、18歳の時にエスペラント語をはじめ、以来5年間ずっとエスペラント語に関わって来られた方です。

 今年が『源氏物語』の千年紀であることに端を発し、エスペラント語訳を思い立たれたのです。
 中井和子さんの『現代京ことば訳 源氏物語』を参考にして、「桐壷」を終えられたところです。ますます意欲を燃やしておられる方です。

 お父さんが『源氏物語』の講義を寺子屋形式でなさっていたそうです。本文を手で写したものを配って、購読をなさっていたのです。「末摘花」の購読用の印刷物を拝見しました。平成4年のものなのですが、活字印刷されたものではなくて手書きの本文資料を作成なさっていたところに、そのこだわりが感じられます。

 そんなお父さんの環境なので、藤本さんが『源氏物語』をエスペラント語訳なさるのは必然のことだったように思われます。
 エスペラント語のベテランだけあって、2、3時間で原稿用紙5枚は訳しておられるようです。この世界では、相当早い方だ、とのことでした。

 これまでに、『源氏物語』のエスペラント語訳に挑まれた方は2人いらっしゃるようです。

 まず、田村復之助さん、2人目が大越啓司さん、そして3人目が藤本さん、ということになります。
 これまでのお2人の源氏訳の詳細はわかりません。しかし、大越さんの源氏訳は、「桐壷」だけだそうです。これは、サイデンステッカーの英訳を参考にしておられるようだ、とのことでした。

 現在、エスペラント学会の会員は、1300人いらっしゃるそうです。
 今後とも、エスペラント語訳『源氏物語』の情報を収集したいと思います。
 この件についてご存知のことがありましたら、ご教示の程をお願いします。

2008年11月16日 (日曜日)

源氏千年(75)京都御所の一般公開

今秋の京都御所公開は、『源氏物語』がテーマでした。
それも、「いづれの御時にか … 」です。
『源氏物語』の千年紀ならではの趣向のようです。

まず、諸大夫の間に、光源氏と玉鬘が和琴を演奏する場面が再現されていました。


081116gosyo0和琴


パネルの説明は、次のように書かれていました。

和琴 日本が起源の弦楽器です。日本古来の歌謡である国風歌舞などの演奏に用いられます。『源氏物語』二十六帖では、源氏が玉鬘に琴を教えています。


説明が短いので、ほとんどの方にはこれがどのような状況なのかはわからなかったと思います。
せっかく、『源氏物語』の千年紀で『源氏物語』の理解者が圧倒的に増えた昨今、この程度の説明ではみなさん不満に思われたことでしょう。『源氏物語』の第26帖が「常夏」の巻であることも、明記してよかったと思います。

この右には、伝狩野尚信の「源氏の図」がありました。
源氏展のための図録で、さまざまな源氏絵を調査したせいか、一場面一場面が目に浮びました。

081116gosyo1源氏の図

紫宸殿の裏に回ったところにある清涼殿では、弘徽殿の上の御局に扇を持った立ち姿の女性がいます。
説明はありませんでしたが、朧月夜のようです。
この極めのポーズは、源氏ファンならどなたも気づかれたことでしょう。


081116gosyo2朧月夜

小御所では、絵合の場面を再現していました。
なかなかの力作です。
臨場感があり、イメージ作りに役立ちます。


081116gosyo3絵合


中央に藤壷がいます。
この絵合の場面の再現は、製作者の拘りが伝わってきて、本当にすばらしいできだったと思います。

さらに進んで、御常御殿には、囲碁をする女性がいました。
空蝉と軒端荻をイメージしたものでしょう。
ここにも、説明はありません。


081116gosyo4囲碁


全般的に、御所の一般参観では、説明が少ないように思います。
特に今回は、『源氏物語』をテーマにしているので、もうすこし場面の説明があってもよかったのではないでしょうか。


たくさんの人を掻き分けながら、一条通を北西に向かって自転車を漕ぎ、人形の寺として知られる宝鏡寺へ足を向けました。


081116gosyo5宝鏡寺


今回は、「秋の人形展 —源氏物語千年紀によせて— 御所の女性たち」が開かれていました。
歴代の内親王や和宮の生活や文化が紹介されていました。
『源氏物語』に関する遊技具や調度品を、ゆったりと見ることができました。

賀茂川を散策しながらの帰り道で、鴨がたくさん集まっていました。
ちょうど、夕方でもあり、これから琵琶湖へ向かって飛び立つところだったのです。


081116gosyo6鴨たち


一羽づつ、下流に向かって飛び立ち、低空飛行で比叡山を目指しているように見えました。
みんなで、一斉に飛ぶのではないのですね。
実際の飛行コースはわかりませんが、みんなは北大路橋を目がけて飛んで行きました。

また明日おいで、と声をかけたくなりました。

2008年11月15日 (土曜日)

源氏千年(74)源氏をテーマにした細工寿司

 新聞を整理していたら、「源氏物語をテーマにした細工寿司」の記事を見つけました。

 今月9日の京都新聞の「京日記」のコーナーです。

 記事によると、今月8日と9日に、京都市伏見区のパルスプラザで「第28回 京都ものづくりフェア2008」がありました。その中で、『源氏物語』に関するお寿司が展示されたようです。

 毎日1食はお寿司の生活を送る私としては、どうしても無視できない情報です。
 また、『源氏物語』の受容史を研究テーマとする者としては、これは初耳です。

 詳細をご存知の方は、どのようなものだったのか、教えてくださいませんでしょうか。


 

2008年11月10日 (月曜日)

ポルトガル・へブライ・セルビア語訳『源氏物語』の事

 現在、『源氏物語』の外国語訳について、情報を整理しています。

 その過程で、ポルトガル語訳・へブライ語訳・セルビア語訳の『源氏物語』に関する情報が不正確なままです。

 へブライ語訳については、国際交流基金のデータベースに「Maase Genji (源氏物語)Hebrew[HEB](ヘブライ語)1971」とあるのですが、現物が確認できません。

 どなたか、この3冊に関してご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教示いただけませんでしょうか。

2008年11月 7日 (金曜日)

源氏千年(73)文化財返却の旅-源氏展を終えて

美術品運搬専用車に乗って、源氏展のためにお借りした展示資料を返しに行きました。

京都の西にある陽明文庫に始まり、北の京都府立総合資料館、三条にある京都文化博物館と古代学協会、そして奈良の天理図書館と、9月にお借りした時と同じくトラックでの移動でした。

とにかく、無事に『源氏物語』の展覧会を終えることができたので、お預かりした貴重な文化財を返し終えて、ひとまずホッとしています。

貴重な資料をお借りして展示するということの意味と、信頼関係という目に見えない糸によって展覧会が実現するということを、改めて教えていただきました。

これまでは、資料に書かれている内容を読み取ることしか考えていませんでした。
それが、展示というものを通して、資料のありように目がいくようになりました。

資料という物の貸し借りと管理についても、知らなかったことをたくさん勉強しました。

今年は、得難い経験をたくさんしました。
今後に活かしていきたいと思います。

2008年11月 4日 (火曜日)

源氏千年(72)京都の源氏漬け最終日

連日の源氏フォーラムも、ついに3日目となりました。
みなさまお疲れのようですが、それでも会場は熱気に満ちていました。

今日は、海外からの報告や研究成果がたくさん発表されました。
アメリカ、中国、トルコ、韓国、オランダ、フィンランドと、実に多彩な顔ぶれでした。
後でチャッカリと、現在編集中の『源氏物語【翻訳】事典』の原稿などを、何人かの先生にお願いしました。

今日の発表者の中では、カリフォルニア大学のエメリックさんが光っていました。
今回の参加者では最年少の若者です。
実は、エメリックさんは国文学研究資料館で2年間勉強しておられたので、個人的には知っていました。しかし、今日の発表ぶりは、実にみごとでした。
発表の構成がよく練られていました。さらに、ユーモアを交えて、会場を包み込んでの話でした。
末松謙澄の再評価には、まったく同感です。
この発表に対する質疑応答も、充実していました。
今後のエメリックさんの活躍が、ますます楽しみになりました。

後半には、金剛流の能「玉葛」が舞われました。
会場が能楽堂だっただけに、みごとな企画であり、見事な舞いでした。

ただし、私は一つだけ気になったことがあります。
それは、場内を我が物顔で写真を撮るカメラマンのシャッター音です。
参加者には撮影が禁じられていたので、おそらく会場側が手配した写真屋さんなのでしょう。しかし、私が最後列にいたせいもありますが、耳元でカメラの連写音が立て続けに響きます。また、頭上でも、パシャ、パシャ、パシャ、パシャと、休む暇なくシャッター音が鳴り響きます。ゆうに数千回を超していたと思います。
とにかく、お能を鑑賞するなどという状況ではありませんでした。気が散って、とても見続けられなかったのです。
連日の疲れが溜まり、機械的な音の連続に神経が苛立ったのかもしれません。
よほど、耳元や頭上で構えられたカメラを叩き落とそうかと思いましたが、場内の雰囲気を壊してもいけないので、ジッと我慢しました。

もう、公害に等しいシャッター音でした。
続くパネルディスカッションでも、一人の発言者を数百回もシャッターを切るのです。千に近い数百です。それを、10人のパネラーの一人ずつに対して、もう気が狂ったかと思わんばかりに、連写のボタンを押し続けておられました。

これさえなければ、このフォーラムは素晴らしく盛会で終わったことでしょう。
この一事だけが、私にとっては非常に残念でした。

最後に、秋山虔先生が挨拶なさいました。
全日参加されたのです。そして、若返ったと思う、とおっしゃっていました。

夜の交流会も、大盛会でした。
司会者の話では、今回は15カ国、40人の方が参加されたとのことでした。
『源氏物語』の海外での注目度が、これだけでわかります。

『源氏物語』のミャンマー語訳にチャレンジしだした方は、以前一度お目にかかった筑波大学を卒業なさった方でした。
さまざまな言語で『源氏物語』を翻訳しようとなさってる方々とお話ができて、本当に充実した4日間でした。

最後に、こんな表彰状が、参加者全員に渡されました。
なかなか粋な配慮です。


081104syoujyo表彰状

明日は、お客様を京都にご案内する予定です。
秋の京都を、しばし満喫したいと思います。


2008年11月 3日 (月曜日)

源氏千年(71)京都の源氏漬け2日目

今日の源氏物語フォーラムでは、12人の発表がありました。
会場は、昨日の国立京都国際会館から金剛能楽堂に移りました。

昨日が、基調講演を含めて10人のお話を聞いたので、源氏漬けも満腹です。
みなさん、そろそろお疲れのようです。
しかし、それでも熱のこもったお話に、興味深い質問が続きました。
『源氏物語』のさまざまな切り口を堪能しています。

私が今日のプログラムの中で一番おもしろかったのは、お香の松栄堂の社長である畑正高さんの「源氏物語と薫り」でした。

畑さんには、今年の初夏に、聞香の席でお目にかかりました。
詳細は、次のブログで報告した通りです。

聞香の体験報告

さて、本日のお香の話では、日本の四季とお香の関係のおもしろさが印象的でした。
焚香文化は世界的にあるそうですが、日本の場合には、四季との結びつきで、さまざまな組み合わせがあります。
また、衣服に革を使わなかったことから、臭いを誤魔化す必要がなく、純粋に薫りを楽しめたのでしょう。
会場からの質問が、ツベタナ先生と河添先生からありました。専門的でありながら非常に興味深い質問だったので、興味深く聞くことができました。

日本のお香の特徴として、その組み合わせの妙にあることに及んだときに、「1年中シャネルの5番は最悪」という発言が印象的でした。
薫りは、季節や雰囲気によって、さまざまに変わるのです。

この話題が盛り上がったのは、日本での我々の生活に身近な文化だからではないでしょうか。

ものの見方を変えて楽しむことのおもしろさを、存分に味わうことのできた一時でした。

さて、明日は3日目の最終日です。
海外の先生方の翻訳に関する発表が多いので、現在『源氏物語【翻訳】事典』を編集中なので、いい情報収集の機会となりそうです。

2008年11月 2日 (日曜日)

源氏千年(70)京都の源氏漬け初日

 今日から、源氏物語国際フォーラムが3日間開催されます。
 源氏物語にどっぷりと浸かる日々となります。

 初日は、昨日記念式典が行われた京都国際会館と同じ会場です。
 朝の10時から夜の8時半まで、本当に長丁場でした。

 最初の挨拶で秋山虔先生が、「もし源氏物語を読まなかったら人生どれだけ損をしたことか。」とおっしゃたことを、後の講演者の方々がいろいろな形で触れておられました。
 また、秋山先生をして、『源氏物語』はいまだに自分から遠いところにあるものである、と言わしめる『源氏物語』の魅力を、じっくりと噛みしめて見ました。

 休憩時間に、秋山先生からお声をかけていただき、国文学研究資料館の源氏展はすばらしかったとのお褒めのことばをいただきました。また、図録もよかったと。言い知れぬ苦労をしたことが、先生のお言葉をいただいたことによって、自分の中で包み込まれる感じになりました。ありがたいお言葉として、私にとっての勲章にしたいと思います。

 以下、本日の講演と研究発表から、記憶に鮮明に残っていることをいくつか記します。

(1)平川裕弘先生の「ウェイリー源氏の衝撃」という講演は、非常に刺激的なものでした。
 ウェイリーの『源氏物語』の英訳は、20世紀の英語芸術作品である、とのことでした。
 そうなのです。イギリスの文学史の中にも、立派な芸術作品として君臨するものなのです。


(2)タチアナ先生のお話の中で、「源氏物語によって豊かな人生となった。」とのことばは、非常に印象的でした。
 また、『源氏物語』をロシア語訳していた時には、よく源氏絵巻を見ていた、とのことでした。やはり、絵巻はイメージ作りに欠かせないものです。
 早朝、会場でタチアナ先生を見かけてすぐにご挨拶に行くと、「うれしい! お久しぶり」といって、握手をする間もなく私の腕を強く握られました。一昨年にモスクワで数日をともに過ごして以来でしたが、いつも若々しくて表現が素直で、とてもさわやかな先生です。


(3)ツベタナ先生の「月の影」の話は、ユーモアを交えたいつもの語りの調子で、会場を楽しく話題に巻き込んでいました。パワフルな発表でした。
 『源氏物語』には、「限り」はあるが「けじめ」がないとか、『源氏物語』で汗を流すのは女性ばかりだとか … 。とにかく楽しくて説得力のあるお話でした。

 交流会では、海外からお越しのたくさんの先生方とお話ができました。
 それにしても、日本の平安文学を研究している仲間の数が少なかったのが残念でした。
 海外からの先生方と、一般参加の方々の集まりとなっていました。
 日本の先生方も、このような機会を有効に利用して、海外の先生方との親睦を計るべきではないでしょうか。
 折角のチャンスなのに、もったいないことだという感想を持ちました。


2008年11月 1日 (土曜日)

源氏千年(69)「古典の日」宣言を両陛下の前で

 今日11月1日を「古典の日」にしよう、ということで、京都では大きなイベントがありました。

 そもそも源氏物語の千年紀とは、『紫式部日記』の寛弘5年(1008)11月1日の記事に、紫式部が家庭教師役として仕えた藤原道長の娘彰子が敦成親王を生んだ五十日の祝いの席で、藤原公任が「このわたりに若紫やさぶらふ」と言ったことが記載されていることによるものです。

 このことから、『源氏物語』に関する記録の最古のものとして、今年の今日を記念しようということになったのです。

 ちょうど千年前の今日、ということで、京都は大いに盛り上がっています。

 今日は国立京都国際会館で、「源氏物語千年紀記念式典」が開催されました。

 天皇、皇后両陛下もご出席になるということで、会場は満員でした。
 別会場では、モニタで式典の様子を中継していました。
 出席者は、2400人とか2800人ということなので、一大イベントです。

 今日の式典では、源氏物語千年紀のイメージキャラクターを務めている女優の柴本幸さんが、十二単姿で「古典の日」宣言を読み上げました。
 しっかりと力強く、引き締まった宣言でした。

 両陛下が同じ壇上においでの場面でもあり、今日の11月1日を「古典の日」にしようということで法制化を望んでいる人々には、効果的な演出ともなっていました。
 つまり、国民の祝日にしよう、というものです。
 文化勲章を受章されたばかりのドナルド・キーン先生の講演や、塩谷文部科学大臣の来賓挨拶などがあったので、祝日法案に乗せる準備は整ったといえましょう。

 11月1日を古典に親しむ「古典の日」にしよう、という趣旨の宣言がなされたわけですが、その宣言文がネットに見当たりません。
 しかたがないので、本日会場でいただいた資料をもとに入力してみました。




「古典の日」宣言

 『源氏物語』は日本の古典であり、世界の古典である。
 一千年前、山紫水明の平安の都に生まれたこの作品は、文学はもとより美術、工藝、またさまざまの藝能に深い影響を及ぼし、日本人の美意識の絶えることない源泉となってきた。一九三〇年代に英訳されて以来、近年では二十余の外国語に翻訳されて、世界各地の人々に愛読され、感銘を与えている。
 この物語について『紫式部日記』に記された日から数えて一千年。この源氏物語千年紀を言祝いで、私たちは、今後十一月一日を「古典の日」と呼ぼう。
 古典とは何か。
 風土と歴史に根ざしながら、時と所をこえてひろく享受されるもの。人間の叡智の結晶であり、人間性洞察の力とその表現の美しさによって、私たちの想いを深くし、心の豊かにしてくれるもの。いまも私たちの魂をゆさぶり、「人間とは何か、生きるとは何か」との永遠の問いに立ち返らせてくれるもの。それが古典である。
 揺れ動く世界のうちにあるからこそ、私たちは、いま古典を学び、これをしっかりと心に抱き、これを私たちのよりどころとして、世界の人々とさらに深く心を通わせよう。
 そのための新たな一歩を踏みだすことを、源氏物語千年紀にあたって、私たちはここに決意する。
 紫のゆかり、ふたたび。
 平成二十年(二〇〇八年)十一月一日
              源氏物語千年紀よびかけ人
              源氏物語千年紀委員会


 なかなか力強い宣言文です。
 日本は、歴史と伝統のある、文化国家です。
 その中で、「古典とは何か」という問い掛けは、非常に大事なことです。

 新聞各社とも、「揺れ動く世界のうちにあるからこそ、私たちは、いま古典を学び、これをしっかりと心に抱き、これを私たちのよりどころとして、世界の人々とさらに深く心を通わせよう。」というフレーズを引用した記事を書いていました。

 日本のことが理解できず、日本のことが説明できないのに、国際化と言って英語教育を最優先課題とする考え方に、私は反対しています。まずは、日本語の運用能力を高め、日本文化をしっかりと学ぶべきでしょう。

 その意味からも、この「古典の日」はぜひ国民の祝日として、みんなで伝統や文化について考える日にしたいものです。

 ただし、この宣言文の中には、一点だけですが、私には理解できないことが書かれています。
 それは、「一九三〇年代に英訳されて以来、近年では二十余の外国語に翻訳されて、世界各地の人々に愛読され、感銘を与えている。」という箇所です。

 『源氏物語』が英訳されたのが「一九三〇年代」ということは、これは誰のどの翻訳を指しているのでしょうか。

 『源氏物語』の翻訳史をまとめておきます。
 1930年代というと、以下の翻訳書が確認できます。

1930 昭和5 【オランダ語】Ellen Forest(Arthur Waley訳)『HET VERHAAL VAN PRINS GENJI』Van Holkema and Warendorf

1932 昭和7 【英語】Arthur Waley『源氏物語(The lady of the boat)』「匂宮〜宿木前半」

1933 昭和8 【英語】Arthur Waley『源氏物語(The bridge of dreams)』「宿木後半〜夢浮橋」

1935 昭和10 【英語】 Arthur Waley The tale of Genji George Allen & Unwin / Random House


 これはすべてアーサー・ウェイリーの翻訳書です。この宣言文が言う「一九三〇年代に英訳されて以来」というのは、アーサー・ウェイリーの英訳のことを言っているようです。しかし、翻訳史を見ると、それまでにもいろいろなものがありました。



1882 明治15 【英語】末松謙澄『源氏物語』「桐壺〜絵合」

1911 明治44 【ドイツ語】(Suematsu)(Inada, H. I., Bibliography of translations from the Japanese into Western languages from the 16th century to 1912. Tokyo: Sophia University Press, c1971による)

1925 大正14 【英語】Arthur Waley『源氏物語(The tale of Genji)』「桐壺〜葵」

1926 大正15/昭和元 【英語】Arthur Waley『源氏物語(The sacred tree)』「賢木〜松風」

1927 昭和2 【英語】Arthur Waley『源氏物語(A Wreath of cloud)』「薄雲〜野分」

1928 昭和3 【英語】Arthur Waley『源氏物語(Blue trousers)』「行幸〜幻」

       【フランス語】Kiku Yamata『源氏物語』「桐壺〜葵」

       【スウェーデン語】 Alkman, Annastina (Waley) Genjis roman Bokforlaget Natur och Kultur


 アーサー・ウェイリーの英訳の完成は1933年ですが、その前から順次刊行されていました。

 それよりも何よりも、末松謙澄の『源氏物語』の翻訳が明治15年(1882)であることを忘れてはいけません。
 もちろん、末松訳は全訳ではなくて、第17巻「絵合」までです。
 しかし、『源氏物語』の外国語への翻訳という場合には、この明治15年(1882)の末松謙澄の例をあげるのがもっとも適切ではないかと、私は思います。

 別会場では、書籍販売のコーナーがありました。
 そこでは、『源氏物語』をテーマにしたマンガや雑誌が多数並べられていました。
 国文学研究資料館の特別展示図録である『源氏物語 千年のかがやき』も、平積みされていました。
 嬉しくなり、手に取って見ました。格別の手応えがありました。

 私の目を惹いたのは、フランス語版の大型本(3冊セット)でした。重さが10キロもする本です。定価は、今日のレートで36,855円でした。
 また、徳川美術館の光則画帖も箱入りで1点だけあり、値段は367,500円でした。

 明日からは、3日連続で「源氏物語国際フォーラム」が組まれています。
 全日参加しますので、また様子を報告します。

2008年10月31日 (金曜日)

源氏千年(68)源氏展閉幕—4千人以上の方々に感謝

 本日午後4時半に、10月4日から約1ヶ月にわたって開催してきた『源氏物語 千年のかがやき』が閉幕となりました。


081031rightside右側


081031leftside左側


 無事に最終日を迎えることができて感激です。
 ありがとうございました。

 4千人以上の方々が、この源氏展に足を運んでくださいました。
 図録は、千人以上の方々が手にして帰られました。
 25パーセントの入場者の方が、この展示図録を求められたことになります。
 もちろん、正確な数字ではありませんが、おおよそこんなところです。

 この、4人に1人が、展示室を出る時に図録を購入してくださったということは、想像を絶する比率だといえるでしょう。
 ささやかな展覧会にしては、内容の濃い図録になっています。それがよかったのでしょうか。
 少し高目の展示品のレベルと図録の説明との連携が、うまく機能し、補完したのではないか、と思っています。

 この図録は、思文閣出版で刊行してもらったものなので、書店でも販売しています。
 新宿のジュンク堂などでは、平積みになっており、結構売れているそうです。

 今回の国文学研究資料館での源氏展は、もっと『源氏物語』について知りたい、という方々を立川の地に呼ぶことができたように思います。
 来館者の方々の分析は後日としても、みなさんが『源氏物語』をどのように思っておられるのか、いろいろと考えさせられる展覧会でした。
 土日も返上で毎日毎日、何度も展示室に足を運び、展示物を観ておられる方々の間を縫って、展示ケースの中に設置した温湿度計の数値を確認していました。

 また、【見どころ案内】というパンフレットを作成し、この開催中に4千部以上を印刷し、毎日展示室に運びました。ご覧になっている方々の意見などを参考にして改訂を繰り返し、最終的には第7版まで作りました。
 明日からは、もう毎日印刷して製本することもないのか、と思うと、少し寂しくなります。

 こうして、1日に何度も出入りするうちに、いろいろな会話やつぶやきを聞くことになりました。
 やはり、『源氏物語団扇画帖』は大人気でした。
 次は、豆本だったように思います。
 もちろん、海外の『源氏物語』の翻訳本も、その表紙のおもしろさに、眼を釘付けにしておられました。
 陽明本や大島本をジッと見入っておられたのは、研究者や大学院生の方々でした。
 書道関係の方も、多かったように思います。

 昨日は、近所の高校生の一団に、ギャラリートークとして展示品の解説を1時間ほどしました。
 書道を勉強している生徒さんたちだったので、今回の古写本はいい教材になっていたと思います。
 鎌倉時代の写本がたくさんあるので、贅沢な空間だったはずです。
 みんなの目は真剣でした。

 展覧会は、たくさんの方々との出会いの場でした。
 春先から、この源氏展に掛かり切りでした。
 忘れかけていた研究というものを、また思い出すことにしましょう。

 早速、来週末は國學院大學で源氏絵に関する発表です。
 翌週は、大阪で海外の翻訳本について話します。
 下旬には、ハーバード大学で発表です。

 口頭発表が続きますが、これも研究成果の公表ということで、研究活動の一環ともいえるでしょう。

 こうした機会を活かして、徐々にこれまでの生活に戻ることにします。

2008年10月30日 (木曜日)

源氏千年(67)源氏写本発見というエセ新聞報道に異議あり

 大学が記者発表として流した情報を、よく確認もしないですべてのマスコミがそれを鵜呑みにして報道する、ということに直面しました。
 マスコミの限界と存在意義を疑うようになりました。

 朝日新聞だけは、鍵を握る人物に電話取材をする、という、いいところまで追いかけたのですが、それが記事にはまったく反映していませんでした。惜しいところで転んでしまいました。あと一歩で事実を報道できたのに、お気の毒なことでした。

 さて、昨日の夕刻、突然、神戸新聞の記者から私のところに電話取材がきました。

 それは、甲南女子大学で「梅枝」巻の古写本が発見されたので、記者発表を受けてのコメントをもらえないか、というものでした。
 取材内容は、今回見つかった「梅枝」巻は、保坂本とどうちがうのか、ということでした。

 私は、甲南女子大学の「梅枝」巻と聞いて、すぐに3年前にその本を調査したことを思い出しました。
 しかし、どうやら記者発表では新発見としてなされたようなのです。
 この写本の調査については、私が指導を担当していた大学院生が論文にしてまとめ、出版社から公表しています。それなのに、3年も経った今ごろ、何を騒いでいるのだろうと訝しく思い、電話取材には適当にとぼけました。手元に資料がないのでわからない、ということにして。
 すると、電話口の記者は、後でまた別の者が話を聞くかも知れない、と言って電話を切られました。コメントを入手するのにお急ぎのようでした。他の先生への取材をして、思わしいコメントが得られなかったらまた頼む、ということのようです。
 いつまで研究室にいるかと聞かれ、おおよその時間を伝えました。しかし、その時間になっても連絡はなかったので、いつものようにお客さんと一緒に夜の食事に出かけました。

 とにかく、無礼な電話取材でした。質問がくだらないのです。
 それにしても、変な話だな、と思いました。
 こちらとしては、3年前に調査報告書としての成果を公表しているのですから。

 そして昨夜、ネットのニュースを見て、仰天しました。
 ほとんどの新聞社が、次の内容の報道をしていたのです。

源氏物語の鎌倉時代中期の写本が発見される=29日、神戸市東灘区の甲南女子大〔共同〕(「NIKKEI NET」の写本の写真に付けられたキャプション)

 この本については、総合研究大学院大学文化科学研究科日本文学研究専攻・国文学研究資料館の博士後期課程の大学院生であった大内英範君(現在は研究員)が、3年も前に原本を甲南女子大学の図書館で調査をした後に、詳細な考察を加えた論文にまとめ、「伝為家筆梅枝巻とその本文」(『古代中世文学論考 第14集』、平成17年5月17日発行、新典社)と題して公表しています。
 この論文を掲載した本は、平成17年6月21日に、2冊を甲南女子大学付属図書館に寄贈しています。写本の調査を許可していただき、写真掲載等に高配をたまわったお礼としての献本です。

 また、私も3年前に同図書館で本書を調査し、大内英範君の論考を追認しています。図書館への献本は、この時のことです。
 また、「梅枝」巻の本文は、大内君の博士論文において翻刻されています。この博士論文は公刊されていませんが、要望があればいつでも公開できる準備は整っています。もし、これから当該「梅枝」の本文を翻字しようとしておられる方がいらっしるのであれば、大内君に連絡をすれば配慮してもらえることでしょう。
 さらには、現在刊行を続けている『源氏物語別本集成 続』全15巻(伊井春樹・伊藤鉄也・小林茂美編、平成一七~刊行中、おうふう)の第7巻に、この「梅枝」は校合本文の一つとして入ることになっています。
 1年ほどお待ちになると、他の20種類の「梅枝」の本文との違いを、容易に見比べられるようになります。現在は、第6巻の編集中なので、しばらくお待ちください。


 その「梅枝」巻が、なぜ今ごろ新発見ニュースとなっているのか、わけがわかりませんでした。
 
 十数社のネットニュースを確認しました。
 その中で、代表的なものとして「毎日新聞(ネット版)」の一部を引きます。

甲南女子大(神戸市)は29日、所蔵する源氏物語54帖(じょう)の一つ「梅枝巻(うめがえのまき)」の「別本」系統の写本が、鎌倉時代中期のものと確認されたと発表した。梅枝巻としては、東京国立博物館所蔵の写本と同時期で、現存するものでは最古。他の写本にはない表現があり、紫式部が書いた原文を知る手がかりになる可能性もあるという。  1973年に古書店から購入したもので、縦15.4センチ、横15.6センチ。「斐紙(ひし)」と呼ばれる紙に書かれ、文字を記した「墨付」は65ページあった。Y教授(日本文学)が「源氏物語千年紀」を記念した書展を開くため、書庫で保管されていた梅枝巻を確認。T教授(同)に鑑定を依頼し、書体や紙質などから、鎌倉中期の1240~80年ごろの写本と確認した。

 この記事を読み、「「別本」系統の写本」という物言いが引っかかりました。
 また、なぜ東京国立博物館所蔵の写本(「保坂本」)を引き合いにだされたのでしょうか。古いものとしての参考なのでしょうが、その意図がよくわかりません。大内英範君の論文を読めば、ますますこの小細工が見え透いてしまいます。
 さらに、「書庫で保管されていた梅枝巻を確認」とありますが、我々は3年前にホームページでその存在を知って閲覧を許可してもらいました。今も、ホームページに堂々と貴重書として紹介されています。申請すれば、いまでも誰でも、調査研究目的であれば閲覧できるはずです。

 この記事には、2人の識者のコメントが添えられています。しかし、偶然だとは思いますが、核心をうまく外したものとなっています。このかわし方は、なかなかうまいと思います。

▽伊井春樹・国文学研究資料館館長の話 古ければ古いほど紫式部の原文に近いとは単純には言えないが、「青表紙本」により固定化された世界観とは違う新しい源氏物語が見えてくる。

▽加藤洋介・大阪大准教授の話 鎌倉時代にどのような形の源氏物語が読まれていたのかを考える手がかりになるだろう。

 次の朝日新聞の記事は、本文に関しては正確な説明です。「別本」は系統ではないのですから。
 しかし、千年紀に対する理解が浅いようです。なお、産経新聞も「別本系」という表現をしています。

〈源氏物語〉 紫式部が創作した平安貴族の恋愛物語。紫式部日記の内容から、1008年11月までに書かれたとされる。原本は残っておらず、これまでに見つかった写本では鎌倉初期の4冊が最も古い。鎌倉時代前期に藤原定家がまとめた「青表紙本」、同時期に源光行らがまとめた「河内本」の2系統と、それ以外の様々な「別本」に分類される。


『源氏物語』は、1008年11月までに書かれたのではなくて、この時には『源氏物語』が存在していたことが確認できる、というのが正しいのです。

 産経新聞は、伊井館長のコメントを、少し長く引いています。

 国文学研究資料館の伊井春樹館長の話 「源氏物語は藤原定家が編纂した『青表紙本』が一般的になってしまったので、これまで『別本』と呼ばれるほかの写本にあまり注目が集まらなかった。鎌倉時代中期と古く、表現の異なる部分がある写本が出たことで、青表紙本とどういう違いがあるかなど、さまざまな研究が進む史料になると思う。今までと違う源氏物語の世界を読み取ることができるのではないか。そういう意味で、別本に光が当たるのはいいことだと思う」

今、『源氏物語別本集成 続』を刊行している時なので、この援護射撃はありがたいものです。


 私に取材をしようとした神戸新聞は、Y教授の談話として「所蔵本は紫式部の原文に近い可能性があり、従来の注釈が書き換えられるかもしれない」と話しているとします。
 「おいおい」、と言いたくなります。もっと、『源氏物語』の本文研究の現状を知ってほしいものです。
 マスコミ相手とは言え、思いつくままに発言するのは、無責任すぎると思います。

 ここで、大内英範君と私の、本書との係わりを整理しておきましょう。




2004.10 大内英範君が2日間にわたって甲南女子大学で原本調査。
     当初は、伊藤も閲覧調査申請をだしていたが、
     母の急死により、大内君だけが調査を実施。

2004.12 調査の成果を甲南女子大学の紀要か論集に投稿することを
     大学側に問い合わせる。
     ただし、結果的には、学外者という掲載条件の関係で、
     掲載許可が下りなかった。

2005.05 『古代中世文学論考 14』に大内論文が掲載刊行される。

2005.06 伊藤が甲南女子大図書館で当該書を調査。
    その折、大内論文掲載書2冊を甲南女子大図書館に寄贈する。

2006  大内英範君の博士論文に当該資料の翻刻を掲載する
     許可を得る。

2007.3 大内君が「源氏物語 鎌倉期本文の研究」で学位を取得する。

2008.10 甲南女子大から鎌倉中期の古写本発見という記者発表がある。


今回の報道の内容に関して、大内君にコメントを求めましたので、受け取ったものを以下に引用しておきます。

すでに甲南女子大学図書館のwebページから、

 ・伝為家筆の鎌倉期の書写本であること、

 ・勝海舟の蔵書印が捺してあること

などは発信されていましたし、

私の論文中には

 「非常に特異な本文を有する」

 「他本との異同がはなはだしく」

 「大島本等よりは陽明本等に近い傾向をみせつつ、独自異文も多く有する」

 「平安時代の本文の姿の一つを伝える貴重な写本ではないか」

とあって、要するに異文の具体例を除けば、今回の記者発表には何も新見がなかったといえる気がします。

ということでした。
 また、大内英範君の所には、昨日、朝日新聞から電話取材があったようです。
 彼は、調査の経緯や論文として成果を公表していることを、記者に電話口で言ったそうです。
 しかし、記事ではそのことはまったく現れていないのです。
 折角、3年前に当該原本を調査した者に辿り着いていたのに、それが朝日新聞の記事には反映されなかったことになります。
 なぜ、こんな不正確に記事になってしまったのでしょうか。
 いいところまで追い込んだ朝日新聞には、もう一押しが足りなかった、ということに尽きるようです。

 なお、産経新聞の記事に、以下のようにあります。

「「これだけ古い別本が出てくることは、今後ほとんどないでしょう」と話すのは、同大文学部のY教授(53)。同大の「梅枝の巻」の写本は、主流である「河内本」とされていたため、長年保管庫に保存され顧みられることはなかった。が、千年紀を機に再読していたY教授はこれまでの写本と異なる記述があることに気づいた。(略)Y教授は「まさか別本では」と胸が高鳴ったという。」

 よく言うよ、という印象しか書けません。
 若き学徒とともに、着実に『源氏物語』の諸本を精査することを続けています。『源氏物語別本集成 続』をご覧になれば、それがどれだけ気の遠くなる作業を伴うものであるか、実感していただけると思います。
 そのような地道な調査と研究を積み上げている一方で、所蔵者側はこんな能天気な発言をしているのですから、学問や研究が軽視される一端をかいま見た思いがします。
 『源氏物語』の諸本研究は、遅々とした歩みではありますが、着実に前に向かって進んでいます。

 さらには、青表紙本とか河内本とか別本ということばが、最近のマスコミで再度ばらまかれていることに、私は心を痛めています。
 時代が変わろうとしている時に、時計を逆に戻すような役割をマスコミがしていることに、私は憤慨しています。
 このことは、また日を改めて述べることにしましょう。

 さて、こうした一連の記事を見ると、3年前に甲南女子大学のホームページで当該書に興味を持ち、調査を実施して論文にまとめて報告したことの意義が、まったく生きていないことを悲しく思います。
 繰り返しますが、一人の若き学徒が、真剣に原本調査をした結果を、3年前に論文集に収録して公表しました。今も市販されている本です。
 しかし、それが、今回の報道発表の経緯の中で、まったく評価されていません。知らなかった、では通らないことは、上記の経過説明で十分でしょう。

 学問の成果の公表が、大学の場で軽視されていることを、非常に残念に思います。
 これでは、若者たちは調査をして研究をする意欲を無くします。

 今回問題となっている「梅枝」は、同大学図書館のホームページでは、今も「源氏物語 梅ヶ枝 河内本伝藤原為家筆」として写真入りで紹介されています。あのような報道発表がなされたのですから、少なくとも「河内本」を「別本」と書き換えたほうがいいのでは、と思いますが……。
 


 公開された研究成果は、正しい評価を受けて、そのいい所を共通の情報として継承すべきです。
 大内論文は、当該「梅枝」の本文の内容を詳細に検討しています。
 冷静沈着に、写本に書かれた本文を例に引きながら、詳細な考察をくわえています。
 今回は、それが、所蔵先ではまったく顧慮されなかった、ということです。
 私は、大内君というこの若き学徒がまとめた報告書としての論文の意義を、それも3年前に公表されたものであるということを関係者はよく認識し、それを踏まえた資料の有効活用を目指すべきだと思います。

 たった一冊の『源氏物語』の古写本を、大学入試を控えた時期に、世間の注目を集めるための道具として利用することに疑念を持ちます。
 それよりも、若き学徒が調査してこんな研究成果を【出している】古写本である、という形での公表が、本来あるべきものであり、学生たちへの学習・研究意欲の喚起に役立つはずだと思います。

 貴重な写本を、学問の世界を無視して、源氏ブームに便乗した人集めのために転用してはいけないと思います。
 少なくとも、大内英範君が成した成果を踏まえた公開にすべきでした。
 研究成果を無視したり、踏みにじってはいけないと思います。


2008年10月29日 (水曜日)

源氏千年(66)朝日のニッポン人脈記が文庫本になる

 本年の朝日新聞「ニッポン人脈記」(4月21日〜5月12日)に連載された「千年の源氏物語」の記事が、その前後の連載記事とともに一冊の文庫本に収録されて刊行されました。

 『千年の源氏物語』と題する朝日文庫がそれです。


081029asahi文庫本


 この本には、本ブログで詳細に報じた『源氏物語』に関する記事の他に、「風薫る飛鳥」「笑う門には福でっせ」「ピアノが見た夢」「わが町で本を出す」「絵本 きらめく」も収録されています。

 私は、『源氏物語』に関する連載は丁寧に読みましたが、その他は気ままに読み飛ばしていました。
 それが、こうしてまとまったのを機に読んでみると、それぞれが面白い記事だったことに気付かされました。

 タイムリーな刊行だと思います。

 私を紹介して下さって白石さんの解説は、本当によく勉強して取材なさっていたことがわかり、改めて敬意を表したいと思います。

 ますますのご活躍を楽しみにしています。


2008年10月23日 (木曜日)

源氏千年(65)源氏展図録が24%も売れている意味

 国文学研究資料館の特別展『源氏物語 千年のかがやき』は、今日で会期の3分の2を経過しました。

 毎日 130人以上の方々が鑑賞に来てくださっています。3000人になろうとしているので、予想以上の方々に観てもらっていることになります。

 それよりもなによりも、来館者が図録を購入される比率が、何と 24%を超えています。
 これには、館内でのイベントの際に、書店が受け付けテーブルに本を並べて売ったものは入っていません。
 たとえば、5回の連続講演として室伏信助先生にお願いしている『源氏物語』の講演の際、講演会場の受付横で外部の書店が図録などを販売しています。源氏展を観てから講演会場にいらっしゃった方々も、この受付で図録を購入なさっています。しかし、上記の数値には、この数は入っていません。
 つまり、純粋に展示室の入口カウンターで購入されたものが、来館者の24%なのです。

 展示終了後に、館内で業者が販売した図録の数も加算しますので、この24%という数値は跳ね上がることでしょう。

 京都文化博物館の図録は10%の購入率だったそうです。それが驚異だといわれています。
 一般的に、博物館や美術館での展覧会での図録の販売は、3%から7%くらいだとのことでした。もちろん、その根拠は知りませんが。

 この国文学研究資料館における図録の売れ行きは、どう評価したらいいのでしょうか。
 観に行く、という動機が明確な方々がいらっしゃったから、ということは確かにあります。
 しかし、それだけではないように思うのです。

 品川から立川に移転して、都心を離れたことにより、交通の便は悪くなりました。
 遠くなったという心理的影響は、足を向けてもらうことにおいては、大きいと思います。

 それでも、たくさんの方々がいらっしゃっています。

 これは、地元の方への宣伝がうまくいったのではなくて、いい評判がうまく広がったからでは、と私は考えています。
 宣伝は、呆れるほど下手でした。愚直なまでに、動きませんでした。
 マスコミ対策も、悔しい思いを抱いての日々です。
 反省しきりなのですが、それだけの余裕がなかったのと、すべてが初めてのこと、ということに甘えていたように思います。
 あくまでも、個人的なブログに書くことなので、このことはこれくらいにしておきます。


 今回は、終始一貫、展示のレベルを他の施設における『源氏物語展』よりも、2から3ランクは高めに設定しています。

 これが、もっと知りたいと思っている方々を呼び込んだ可能性が、少なからずあることでしょう。
 展示品のレベルを保ちながら、パネルなどの説明は字数をはじめとして平易を心掛けました。
 会場の入口には、「見どころ案内」という、展示品のコラム集のような20頁の冊子を置き、自由に取ってもらえるようにしました。
 現在、改訂第6版を配っています。
 これが、わかりやすいと評判です。ただし、その内容を見ることもなく、手にしたままでお帰りになる方が多いことが、時間を割いて作成した者としては残念です。
 あのガイドのパンフレットを片手にして回ると、もっと面白く観られるのに、と、つい耳元でささやきたくなりますが、それができないのが歯がゆいところです。
 それでも、「見どころ案内」の新しいものだけを取りに来られる方がおられるのは、説明文を書き、印刷し、入口にセットしている者としては、嬉しい限りです。手作りのコミュニケーションが伝わった時の喜びを、少しではありますが感じられる瞬間です。
 今日印刷した改訂第6版で、この発行部数は2250部となっています。
 無くなると印刷する、という嬉しい手作業の日々です。
 本当に個人的な営為を続けているのですが、一般の方々に分かってもらえることを願って、作り続けるつもりです。

 それと呼応するように、図録の内容は、学問的なレベルでの評価にも耐えられるようになっています。
 文字を多く、コラムの内容を硬軟とりまぜ、絵引き索引を充実させました。

 そして、色遣いには、細心の注意と時間を贅沢に注ぎ込みました。京都の鷺草デザイン事務所には、何度も通いました。カラー印刷の出来は、格段にいいはずです。
 これで、1995円なのです。
 思文閣出版の刊行なので、書店でも購入できます。

 こうしたことが理解されて、一度来た方が再度来てくださる要因になっているのかも知れません。

 展示品も、資料性の高い、『源氏物語』に関する一級資料を中心としています。
 『源氏物語』の資料とされる中で、重要文化財と重要美術品は漏れなく押さえています。
 選定にも、『源氏物語』の専門家をうならせているはずです。
 さらには、観てもらう巻や、開いている頁や、表紙の演示などにも、これからの研究に資するところを意識して展示するように配慮しました。
 大島本などは、研究の現状をご存知の方は、ニヤリとなさったことだろう、と自負しています。
 今、我々が読んでいる『源氏物語』の本文が一体どんなものなのか、我々は何を読んでいるのか、という問い掛けは、問題意識を持っていただくための展示装置としては、これで成功したのではないか、と勝手に思っています。
 さりげなく池田本を並べていますが、この意図も何人かの方には通じたようです。私からの提言のいくつかの内の1つなのです。

 これは、図録の写真にも言えます。
 今後とも、研究論文などで言及される図版となることを意識して図録に収載したものが、ここにはいくつもあります。
 研究会や大学のゼミでも使えるように構成し、記述されるようにしてあるので、いくつかのゼミで採択していただけることを知り、編集の意図を理解していただけたことを嬉しく思っています。

 いずれにしても、こうした意図で作成した図録が高い比率で手にしていただけるのは、そこに国文学研究資料館という組織が背負う性格が反映しているからに他なりません。

 今、24%という数値を示していることは、現在の『源氏物語』の研究状況が停滞している実情を知る上で、非常に参考になる物差しではないでしょうか。
 とにかく、『源氏物語』の本文研究は、70年も止まっていたのです。それが、この『源氏物語』の千年紀を起爆剤として、今、少しずつ動き出したのです。国文学研究資料館がこの分野で果たす役割も、おぼろげながら見えてきます。

 この分析は、会期終了後に、あらためてしたいと思います。

 源氏展の会期は、あと10日です。
 最終週は、招待券などをお持ちで、まだいらっしゃっていない方々が来られます。
 来場者は増え続けることでしょう。しかし、その方々が、図録を購入される方々なのかどうかは、今はわかりません。

 これからのラストスパートで、図録がどのくらい伸びるのか、それとも伸びないのか、大いに楽しみです。


2008年10月21日 (火曜日)

源氏千年(64)PDAを使った鑑賞ナビゲー ションの実験

 現在開催中の国文学研究資料館の特別展『源氏物語 千年のかがやき』では、メディア教育開発センターとの共同研究として、手のひらサイズのPDA(ヒューレット・パッカード製)を使った鑑賞ナビゲー ションの実験を行っています。

081022pdaPDA

 これは、展示についてのさまざまな参考情報を得るため、調査研究として取り組んでいるものです。

 総合研究大学院大学メディア社会文化専攻では、『源氏物語 千年のかがやき』のための展示学習教材を開発しました。
 この教材は、自宅で事前に展示について学習してもらい、事前鑑賞の内容にそって、展示室をナビゲーションするというシステムです。

 鑑賞ナビゲー ションは、一般来館者を対象にしたもので、パソコンであらかじめ予習してから展覧会場をPDA片手に巡覧してもらうものです。
 もちろん、PDAだけで展覧会を観てもらうことも可能です。
 展示作品の前で、音声による説明を聞くものとは、大いに異なる性格のものです。
 
 25日(土)の午前中と、26日(日)に実施します。
 一人でも多くの方に参加していただき、今後の貴重な参考情報とさせていただきたいと思います。

 この実験の詳細と内容(PDA用教材)については、以下のホームページで確認していただけます。

事前学習HP

 「自宅で事前に学習」とありますが、国文学研究資料館のビデオルームで、この事前学習をしていただくこともできます。

081018pdatest1ビデオルーム

081018pdatest2事前学習中

 今回の展示内容の概要も、このホームページを通覧することによって自宅で確認できます。
 上記ホームページの左下にある「事前鑑賞ウェブページを見る」というボタンをクリックしてみてください。

 実験に参加して協力してくださる方は、展示室の入口前の受付に、遠慮なくお申し出ください。

 なお、ビデオルームでは、古系図や歌合絵巻、そして与謝野晶子の自筆原稿画像データベースなどのデジタル展示も開催しています。

 こちらにも、ぜひ足を運んでみてください。

081018pdatest3デジタル展示


2008年10月20日 (月曜日)

源氏千年(63)『源氏物語』講演会の報告

 今日は、「たちかわ市民交流大学市民企画講演会」というイベントが、国文学研究資料館の2階大会議室でありました。

 テーマは「源氏物語千年紀の意味するもの」ということで、伊井春樹館長が「源氏物語 —読み継がれる不思議な魅力— 千年の享受史〜大沢本発見まで」と題する講演がありました。

081020ii講演会


 会場は、200名の方々で埋め尽くされました。

 いつもの、滑らかな語り口の伊井節でした。

 「若紫」の雀を逃がした場面からはじまり、中世・近世の『源氏物語』が読み継がれた歴史に及びました。
 時々おもしろいエピソードを交えて、会場を沸かせての語り口です。
 加賀美幸子さんとのラジオ放送の話なども、みなさん聞き入っておられました。

 大沢本については、「夕霧」の例をあげての説明でした。
 今後は、大沢本に描かれた人間像や人物像を明らかにしていくつもりだ、とおっしゃって、90分の講演が終わりました。

 最後に、質問の時間がありました。

(1)「匂宮」は「におうのみや」と読んでいることについて、なぜ「の」が入るのか? と。
 多分に読み癖なのだが、ラジオの朗読でも、リハーサルで読み方についてはいつも困っているとか。

(2)紫式部は男だったということについて。
 軽妙に、会場を沸かせながら、事実を踏まえて答えておられました。

(3)「松風」巻の右大将と左大将に関して、山岸先生と玉上先生の解釈の違いについて。
 これには、丁寧にお答えになっていました。そして、玉上説の方が妥当だと思われるが、と。

 なかなか盛り上がった講演会でした。
 参加者の、知りたいという気持ちが伝わってきました。
 素晴らしい企画だったと思います。

 終了後、たくさんの方が、1階展示室で開催中の『源氏物語展』にも、足を運んでくださいました。
 ありがたいことです。


2008年10月17日 (金曜日)

源氏千年(62)源氏展の展示替え

 国文学研究資料館の『源氏物語展』は、今日は展示替えのために休室でした。

 前期の入場者数は2000名弱なので、立川という地を考えるとなかなかの入りです。
 図録は、観覧者の25パーセントの方々が購入されました。これは、驚異的な数字です。後期の推移が楽しみです。
 10パーセントの方が購入されたという、今春の京都文化博物館が異例の多さだったそうなので、これは大変な数字です。

 展示の姿勢と、展示品のラインナップが、こうした成果につながっているのでしょう。解説などのレベルを少し上げ、文字が多い中でもわかりやすい文を目指したことも、評価されているようです。
 それよりも何よりも、色の美しさに神経を配ったことも、受け入れてもらえた要因の1つでしょう。

 さて、明日からの後期を控え、今日はいくつかの作品を入れ替えました。

(1)国文学研究資料館蔵『源氏物語団扇画帖』は、第1図「東屋」から第15図「蓬生」までをしまい、第24図「御法」から第37図「横笛」までを展示しました。
 次回は、10月25日から最後までの15枚を展示します。

(2)天理図書館の『源氏物語絵巻』をしまい、奈良絵表紙『源氏物語』「絵合」を出しました。

(3)池田本(天理図書館蔵)、国冬本(天理図書館蔵)、三条西本(宮内庁書陵部蔵)、大島本(古代学協会蔵)の展示する巻を入れ替えました。
 大島本は、「若紫」の最終丁を広げています。俊成風の書風をお楽しみください。

(4)国文学研究資料館蔵の『源氏物語』断簡を入れ替えました。

(5)天理図書館蔵の周桂本『源氏物語』を入れ替えました。


 明18日(土)は、午後2時から私がギャラリートークをします。
 明日観覧を予定されている方は、よろしかったらお聞きいただければ幸いです。


2008年10月15日 (水曜日)

一本を見つめて読むこと

 昨日行われた、室伏信助先生の『源氏物語』に関する連続講演の報告です。

 第2回目のタイトルは、「人なくてつれ/\なれば —一本を見つめるということ—」でした。

 これは、「若紫」巻の有名な本文異同を対象にしたものです。
 つまり、大島本と伏見天皇本だけが「人なくてつれ/\なれば……」と書かれているところを、他の本はすべて「日もいと長く……」としていることを取り上げてのお話です。

 この本文の違いについて、一本を見つめるという立場から、あくまでも大島本で読み通そう、ということを強調なさいました。それは、岩波の『新大系 源氏物語』で示された、校訂本文のありように通じるものです。いろいろな本文から、いいと思われるものを選んで読むのではなくて、一本を読み通す、ということです。

 そして話は、伊井春樹先生がなさった、先日の中古文学会での講演に及びました。
 伊井先生が紹介なさった大沢本について、新聞記事と「夢浮橋」の本文異同を例にして、室伏先生なりの読みを示してくださいました。

 伊井先生が講演で例示されたものに、「夢浮橋」の「谷の軒ばより」という箇所があります。
 ここを、大沢本は、「たきのきは」としているのです。まったく異なった表現です。

 室伏先生は、大島本のまま「谷の軒ばより」で解釈できないか、という視点から、句読点の切り方で読めるとされます。そして、「谷の、軒ばより」として、「の」を中止法となさるのです。
 そして、「私がやった『新大系』では「谷の軒ばより」としたが、これは恥ずかしいことだった。」とおっしゃり、「谷の、軒ばより」としたい、と明言なさいました。
 これは、大沢本の異文を受けての提言です。

 講演会だったのですが、非常にわかりやすい話でした。

 「一本を見つめるということ」の実践例を拝聴することができ、有意義な時間となりました。

 次回は、10月28日(火)の3時から、「竹取物語からうつほ物語へ —源氏物語の承けたもの〈その一〉—」と題しての講演です。


2008年10月13日 (月曜日)

源氏千年(61)『源氏物語』への熱気

 今日は、有楽町駅前にある朝日ホールで、『源氏物語』に関する講演会とシンポジウムがありました。

 主催は国文学研究資料館です。

 タイトルは、「源氏物語一千年紀記念 国際源氏物語研究集会 源氏物語の魅力」と題するものです。

 講師としてお招きしたのは、以下の方々です。

 第1部 基調講演【源氏物語の魅力】
  ハルオ・シラネ(コロンビア大学教授)
  カレル・フィアラ(福井県立大学教授)
  平野啓子(語り部・大阪芸術大学教授)
  竹西寛子(作家)
 第2部 シンポジウム【源氏物語の世界を語る】
  パネラー ハルオ・シラネ
       カレル・フィアラ
       平野啓子
       スティーブン・G・ネルソン(法政大学教授)
       ツベタナ・クリステワ(国際基督教大学教授)
  司  会 伊井春樹(国文学研究資料館長)

 会場は、早くから参加者が詰めかけておられました。
 開会時には、600人を超えていたと思います。
 およそ、800人による一大イベントとなりました。

 『源氏物語』には、とにかく人が集ります。
 その魅力を、この研究集会でも再確認できました。

 シラネ先生は、いつものようにわかりやすく、「物語」と「和歌」が持つ働きについて語ってくださいました。
 カレル先生は、自分の体験に根ざした考えや思いを、文学的な表現で語ってくださいました。
 平野先生は、『源氏物語』の「若菜」などの原文を、情感を込めて朗読なさいました。
 竹西先生は、作家としての立場から『源氏物語』への思いを語ってくださいました。

 『源氏物語』に対する姿勢の違いについて、この講演でさらに多様であることが明らかになりました。
 『源氏物語』の切り口や接し方が、いかに多面的であるかが、こうした機会に実感させられます。

 『源氏物語』に関する集会は、男女を問わず、年齢も幅広く、とにかく、さまざまな人々が集ります。
 それに加えて、何よりも熱心です。

 このような古典文学作品を持つことに、日本人として誇りに思います。
 この『源氏物語』について、海外で活躍中の、そして海外からいらっしゃった先生方が、今日は語ってくださいました。
 すばらしいことです。

 この文化を、これからの若い方たちが受け継いでくれることを、大いに楽しみにしています。

 そのためにも、私は資料の整理屋に徹して、『源氏物語別本集成 続』の完結に向けて、さらに作業を進展させていきたいと思います。
 とにかく、私は、『源氏物語』の本文の整理をすることが、自分に課せられた仕事だと思っています。
 そして、みんなで読むのに相応しい本文の提供をしたいと願っています。


2008年10月 7日 (火曜日)

源氏のゆかり(28)説明板36-法成寺跡

 かつてのグループサウンズでタイガースを知っている人は多いと思います。
 そのリードボーカルだったジュリーこと沢田研二の出身校は、京都御所の東に隣接する鴨沂(おおき)高等学校です。
 その高校の道を隔てた北側にあるグラウンドの南側塀沿いに、藤原道長が建立した法成寺跡があります。

 ただし、この説明板はなかなか見つけにくい所に埋め込まれています。


080921houjyuuji1南塀


 写真の左には、京都御所が見えます。このグランドの北側には、紫式部の住まいとされる廬山寺があります。

 この説明板を正面から見ると、こんな感じです。


080921houjyuuji2正面

 ここは、今では法成寺の面影はまったくありません。しかし、鴨川の西で、この地しかないのは明白です。

 これといってなにもない、殺風景な所ですが、廬山寺と梨木神社に立ち寄った帰りに、足を向けるといい場所です。


080921houjyuuji3説明板


 この説明板を読むだけで、当時の様子がイメージできることでしょう。

2008年10月 6日 (月曜日)

源氏千年(60)加賀美さんの朗読

 国文学研究資料館が所蔵する『源氏物語団扇画帖』が、記念切手の背景画に選定されたことは、すでに本ブログ「記念切手の背景画になった国文研の源氏絵」(208.7.24)で、ご紹介した通りです。

 その初刷り切手の贈呈式が、本日おこなわれました。

 そして、それに引き続き、朗読など古典文学の紹介でお馴染の加賀美幸子さんの、『源氏物語』の朗読と講演が開催されました。

 会場は、事前に申し込まれた200人の方々で埋まりました。

 加賀美さんの講演は、「さわやか」ということばのお話から始まり、ご自分の『源氏物語』に対する思いを語りながら、『源氏物語』の「桐壺」巻冒頭から朗読が始まりました。

 場内は、その読み方の巧みさに、うっとりと聞き惚れる、という感じに包まれました。

 加賀美さんには、昨年の9月に立川で開催された国文学研究資料館の講演会でも、その源氏語りを披露してくださいました。
 これも、本ブログで、「源氏千年(1)講演会 in 立川」と題して紹介しました。

 いつ聞いても、すばらしい朗読です。また、優しい語り口も、ファンの多い理由でしょう。

 その後、国文学研究資料館の伊井春樹館長との対談がありました。
 加賀美さんと伊井館長は、ラジオやテレビで購読や朗読を続けておられるので、お聞きになった方も多いことかと思います。

 本日も、息の合った掛け合いで、会場の笑いを誘いながらの名対談でした。


081006kagami対談


 公的なイベントの写真は、こうした私的なブログに掲載するにあたっては、ご本人の許可が必要です。
 大変不躾で失礼ながら、私のあくまでも個人的なブログではありますが、本日の対談の様子を撮影した写真を掲載していいのかを、直接お尋ねしました。
 すると、快くご許可をいただけました。お役にたつのでしたらどうぞ、とありがたいことばもいただきました。
 
 ということで、上の写真は、そのような事情のもとに掲載するものです。

 会場の一番後ろから撮影したものなのですが、雰囲気を感じ取っていただければ幸いです。

 その後、立川のケーブルテレビの取材が入りました。

 お借りしている貴重な作品は写らないようにする、という条件のもと、今回の源氏展を紹介する取材がなされました。

 前回の源氏展の紹介では、掲載しなかった角度での風景なので、改めて第二部以降の展示空間をご紹介します。


081006tvテレビ取材

 本日も、たくさんの方々に展覧会を見ていただきました。
 そして、お出でになった半数以上の方々が、図録を手にしてお帰りです。
 みなさまの『源氏物語』に対する興味と理解が、よりいっそう深まることを、喜んでいます。

 場内で、たくさんの質問を受けます。
 みなさま、よく『源氏物語』のことをご存知なので、こちらも真剣に答えるようにしています。

 特に今回は、美術館や博物館で開催される展覧会よりも内容の濃さを高目に設定しているのですが、みなさまの知的好奇心を刺激したのか、熱心にご覧になっています。
 それが、図録をお求めになる方の数に影響しているのではないでしょうか。

 とにかく、いろいろなことを考えさせられる展覧会となっています。

2008年10月 4日 (土曜日)

3本対照「桐壺」校訂本文の試作版

 源氏物語を読むというと、第二次大戦以後は、大島本をもとにした活字の校訂本文を、私たちは読んで来ました。

 それが、近年は本文に対する意識が高まり、

「今、私たちが読んでいる本文はいったい何なのか? 」

という疑念が持たれるようになり、そこから、

「大島本とは何なのか? 」

という問題が議論されるまでになりました。

 現在編集刊行を続けている『源氏物語別本集成 続』の意義が、少しずつではありますが認識をされだしたことは、それに関わる者の一人として、責任の重さを感じています。

 大島本について考えるにしても、私たちの手元には、大島本で作成されたテキストしか共通の資料がありません。
 『源氏物語別本集成 続』は、あくまでも研究者のための本文資料集です。

 大島本の活字校訂本文だけを机上に置いて、大島本についての論議をするのは変です。これでは、源氏物語の本文については、いつまでたっても進展しません。
 大島本を相対化するものがないのですから。

 大島本以外の信頼すべき古写本で作成した校訂本文が、強く求められていました。
 いつもお世話になっている室伏信助先生からも、河内本だけでもいいので、本文を校訂して、みんなが読めるようにしてほしい、と言われてきました。

 すでに、陽明文庫本については、『源氏物語別本集成 続』で、その校訂本文を提示してきました。
 そこで、大島本に替わるものとして「池田本」(天理図書館蔵)を、「尾州家河内本」に替わるものとして「天理河内本」(天理図書館蔵)の校訂本文を作成し、陽明文庫本と合わせた3本を対比できるようなテキストを作成することにしました。

 校訂本文については、南里一郎氏と福田智子氏の協力を得ました。
 そして、3種類の校訂本文を見やすく整形するプログラムは、川﨑廣吉氏の援助を受け、ひとまずは「桐壺」の試作版を作成しました。


 いろいろな方に見てもらい、よりよいものにしていきたいと思います。
 まずは以下のPDFファイルをご覧いただき、ご意見をいただければ幸いです。

 「三本対照校訂本文『源氏物語』桐壺(試作・第一版)」は、産声をあげたばかりのものです。

 不備が多いことと思います。
 注記や語釈も必要でしょう。
 すべてが、今後の問題です。

 とりあえず、試作版の提供とさせいてただきます。


「三本対照校訂本文『源氏物語』桐壺(試作・第一版)」

2008年10月 3日 (金曜日)

源氏千年(59)源氏展の内覧会

 本日、国文学研究資料館において無事に、「立川移転記念特別展 源氏物語 千年のかがやき」の内覧会をおこないました。

081003hall展示室前


 開場前の室内はこんな感じでした。

081003entrance入口


 これは、今回の目玉である『源氏物語団扇画帖』から抜き出した登場人物が、バナーとなってお出迎えです。


 展示室に入ってすぐ右が、【第一部 描かれた名場面】です。

081003naka01第1部の通り

081003naka2団扇絵

 『源氏物語団扇画帖』を展示する10メートルのウォールケースには、17図しか広げられません。
 これは、3回に分けて展示します。ぜひ、3度足を運んでいただき、すべてを見ていただきたいと思います。

 もちろん、展示図録には、54枚の絵をすべて収録し、一枚一枚に丁寧な解説を付けています。


081003book図録表紙

 この『源氏物語団扇画帖』については、国文学研究資料館の基幹研究プロジェクトとして「『源氏物語』再生のための原典資料研究」を発足させ、2年間の研究成果を解題に盛り込んだものです。
 また、この源氏絵の事物索引も、図録の巻末に収録しています。

 なお、9月22日に発行された特殊切手「『源氏物語』一千年紀」のシートの背景画像にも、この『源氏物語団扇画帖』が採用されています。


 この王道を、内覧会が始まると、たくさんの方々で埋まりました。

081003naka11内覧中

 とにかく、さまざまな仕掛けに驚かれたようです。


 この通りの反対側には、『源氏物語』の古写本などが姿を見せます。

 【第二部 どのように書写されたか】

 【第三部 どのように鑑賞されたか】

 重要文化財の中山本や陽明本、そして大島本と、『源氏物語』に関する主要な写本はほとんど展示しています。
 鎌倉時代から江戸時代にかけて、『源氏物語』が伝えられてきたありようが一望できるという、贅沢な空間です。


 与謝野晶子の自筆原稿も必見です。
 鞍馬寺のご理解により実現した画像データベースは、ビデオルームでご覧ください。

 紹介したいものが目白押しですが、それは会場で……、ということに留めます。


 最終コーナーは、海外の翻訳本です。


 【第四部 世界文学としての『源氏物語』】

081003kaigai翻訳本


 ここは、意外な空間となっていることもあり、みなさん立ち止まって翻訳本の表紙に見入っておられました。

 解説は少ないかもしれません。
 しかし、「見どころ案内」という12頁のパンフレットを作成し、入り口に置いてあります。
 ぜひ、このパンフレットを手に、展示作品をじっくりとご覧いただきたいと思います。

 一人でも多くの方に見てもらうためにも、とにかく立川に足を向けていただけるよう、可能な限りの情報を提供していきたいと思います。

 明日は、東京学芸大学で中古文学会が開催されます。
 招待券をお配りしているので、たくさんの方々で会場が埋まることでしょう。

 さて、どのような反応があり、どのような評価が下されるのか、心配であり、楽しみでもあります。

 展覧会としては、その内容のレベルを少し高く設定しています。
 そのため、ぜひ展示図録(1,995円)は手にしてほしいと思います。

 図録は、入場者の5パーセント位しか購入されないそうです。
 今春の京都文化博物館での源氏展は、13万人の入場者のうち一割の方が、図録を購入されました。
 これは、驚異の数字なのだそうです。
 さて、国文学研究資料館の展示図録は、どのような評価を受けるのでしょうか。

 本図録は、『源氏物語 千年のかがやき』と題して、思文閣出版から刊行されています。
 全頁フルカラーの豪華な印刷をしましたが、定価は、1,995円です。
 お近くの書店で注文しても、入手できます。
 展示を見られない方は、是非この図録で雰囲気を体感してください。
 期待を裏切らない図録に仕上がっています。 … いるはずです … 。


2008年9月17日 (水曜日)

与謝野晶子の自筆原稿画像の試験公開

 国文学研究資料館のウエブサイトから、与謝野晶子の『新新訳源氏物語』の自筆原稿が、画像データベースとして公開されます。
 現在、試験的に一部が見られるようになっています。

 これは、京都の鞍馬寺のご理解とご協力をいただいて実現したものです。


晶子源氏自筆画像


 まだ、用語をはじめとして、いろいろと問題があろうかと思います。

 とりあえずはご覧いただき、そこからのご教示を得ながら、よりよいものにしてから、一般に正式公開としていきたいと思います。

 国文学研究資料館の『源氏物語展』の開催(10月4日から1ヶ月間)に合わせて、調整をしているところです。

 お気付きの点などをお知らせいただけると幸いです。

2008年9月 6日 (土曜日)

与謝野晶子と『源氏物語』

 あまりの忙しさに、昨日はこのブログを書くだけの余力がありませんでした。
 今年の2月2日から途切れることなく、毎日毎日書き綴って来たブログでしたが、7ヶ月目にして休息が入りました。
 出版社とデザイン事務所での打ち合わせと校正の仕事で、とにかく疲労困憊のまま、深夜の睡魔を迎えたのです。

 残念という思いよりも、体を守るためにはやむをえないと思っています。

 さて、今日は、堺市の中央図書館で、「与謝野晶子と『源氏物語』」と題する講演会がありました。

 節々の痛みと目の重さを引きずりながら、まずは堺市駅へ向かいました。
 市役所のAさんのお世話で、与謝野晶子文芸館で開催中の企画展「晶子さんの1日」を拝見しました。
 ユニークな着眼点で、楽しい展覧会でした。
 中でも、晶子の源氏物語訳の自筆原稿は、鞍馬寺のものを来月から国文学研究資料館で展示することもあり、大変興味を持って拝見しました。とくに、Aさんが翻字や解説をなさっている当事者なので、有益な話を伺えました。至れり尽くせりの資料を作成しておられたので、貴重な情報をいただけたことに感謝したいと思います。

 この企画展は、今月の15日までなので、お早めにどうぞお出かけください。

 文芸館から電車を使って百舌鳥駅まで移動し、仁徳天皇陵の向かいの大仙公演の中にある、堺市立中央図書館へ行きました。
 図書館の前には、生誕百年を記念した歌碑があります。


080906yasano1晶子歌碑


 中央図書館は、木立の中に佇んでいました。


080906yasano2中央図書館


 講演会場は意外に狭く、80人の参加者を予定しておられるものでした。


080906yasano3講演会場


 講師は、平子恭子さんです。

 来賓として、与謝野晶子の末娘である森藤子さんと、お孫さんにあたる浅野脩子さんがおいでになっていました。

 まずは、森さんと浅野さんの紹介がありました。
 森さんは、まさに晶子を彷彿とさせるツバ広の帽子で、大変清楚な方でした。お年が89歳と聞いて驚きました。お若いのです。マイクを握られても、お元気そのものでした。とにかく、すてきなおばあさま、ということばしか思いつきません。
 写真で紹介したいのですが、そういうわけにもいきません。
 何かの折にでも、この日のお姿をご確認ください。

 1時間半ほどの講演終了後は、ロビーでの展示解説がありました。


080906yasano6ロビー展示


 図書館のTさんのわかりやすい解説で、楽しく拝見できました。

 また、晶子の自筆原稿については、Aさんが資料をもとにして、詳しく説明してくださいました。
 『源氏物語』の本文で「ことなりぬ」(行事が始まった)とあるところを、晶子が「見えてきた」と訳していることを例にして、晶子の源氏訳の特徴をわかりやすく、そして情熱的に語ってくださいました。
 これだけでも、立派な研究成果の報告です。

 この自筆原稿は、鞍馬寺の自筆原稿を来月から国文学研究資料館のウエブサイトから公開することもあり、共同で調査研究して行く価値が大いにあるものです。この問題は、神野藤昭夫先生が着手なさったばかりのものです。『解釈と鑑賞』の最新号をごらんください。鞍馬寺がお持ちの自筆原稿を例にして、詳細に論じておられます。私も、先生とご一緒に鞍馬寺で読んだものなので、つい内容の面白さに惹かれてしまいました。

 全国の研究者をはじめとして、地元である堺において晶子を愛する方々とともに、残されている源氏訳の自筆原稿を読み解くプロジェクトが組めたら、本当にすばらしいことだと思います。

 与謝野晶子と古典文学との接点を求めるテーマが、具体的に浮上して来ました。
 検討する価値は十分にある、魅力的なテーマです。
 あせらずに、じっくりと取り組んで行きたいものです。


 なお、鞍馬寺が所蔵なさっている晶子自筆の源氏訳原稿については、すでに報告しました。
 興味のある方は、これもご覧いただければ、と思います。
鞍馬寺にある晶子の源氏訳自筆原稿

2008年8月29日 (金曜日)

源氏千年(58)横浜美術館・源氏展の内覧会

 横浜美術館の「特別展 源氏物語の1000年 ―あこがれの王朝ロマン―」が、明日から開催されます。
 8月30日から11月3日までの長期間です。
 それに先立って、関係者を集めた内覧会が、本日催されました。

 立川から館長とともに電車で行きました。立川から横浜までは、各駅停車の電車で行きます。意外に早く、90分ほどで到着です。
 東急東横線のみなとみらい駅を出ると、目の前に美術館があります。
 ここは、これで3度目です。外観が周りの環境に馴染んでいるので、近代的な建物です。しかし、これから見る『源氏物語』という古典文学とは、大きな落差を感じました。明るすぎるように思ったのです。

 横浜美術館館長、中田横浜市長、NHK会長などのオープニングのお祝いのスピーチは、適度な長さで続きました。もちろん、社交辞令の言葉なので、聞き流せるものでした。おそらく、『源氏物語』などほとんど読んだことのない方々です。褒め言葉にも、何となく作文の匂いを感じるのは、致し方ないところでしょう。


080829yokohamag開会式


 とくに会場を沸かすスピーチもありません。『源氏物語』がテーマでは、自分とも、日常の話題ともかけ離れているので、惚けるわけにもいかないのです。なかなか難しいスピーチを要求される場です。

 一通りの挨拶が終わると、来賓の高円宮妃とお嬢さんのテープカットがありました。
 私は、前の方からiPhoneで写真を数枚撮りました。すると、会場の整理係の女性が私の前にやってきて、プレス以外の方は写真撮影はご遠慮ください、と言われるのです。
 なんということもない状況なのに … 。対象が皇室関係者だからでしょうか。肖像権の問題なのでしょうか。
 公人が公的な行事に参加しているのを撮影するのは、何がいけないのでしょうか。
 報道関係者は、事前に書類を出しているからいいのでしょうか。よくわかりませんが、とにかく、すぐにiPhoneを引っ込めました。
 ということで、ここには高円宮妃のテープカットのシーンは省略します。

 今回の楽しみは図録です。現在、私は源氏展の図録を作成中なので、とにかく早く見たかったのです。


080829yokohamag2図録


 内容は、京都文化博物館の方が充実していました。しかし、この図録は、近代の絵画が多いので、これも貴重な情報です。
 会場内は、加賀美幸子さんのナレーションを聞きながら回りました。ヘッドホンタイプのハンディーな機械を首からぶら下げて歩きました。
 分かりやすい解説でした。加賀美さんの声は、本当に古典の解説に向いています。やさしく語りかける口調がいいですね。作品を見ながらでも、じゃまになりません。

 私は、『源氏物語』の古写本の展示が一番気になりました。

 陽明文庫本の説明では、「主に別本系」の写本だと言っておられました。台本の作者は不明ですが、「別本系」は不適切です。ライターの方は、古い本を見て原稿を作成されたようです。
 大島本については、藤原定家が「手を加え整えた」写本だと言っておられました。「手を加え」というならば、さらに「言葉を削った」ということにも触れるべきだったと思います。そして、どちらかというと、定家は言葉を積極的に削ったと、私は思っています。削ることも、確かに手を加えることです。それにしても、大島本に関してこのような説明が流れるのは、『源氏物語』の本文研究が着実に進んでいることを示していると思います。

 本日の展示は、次の巻々がケースの中にありました。

 ・陽明文庫本(10/1まで)12須磨 14澪標 15蓬生 19薄雲
 ・大島本(9/17まで)  45橋姫 46椎本 47総角
 ・尾州家本(10/1まで) 32梅枝・33藤裏葉 34若菜上 

 これが、後半(10/3〜11/3まで)には、次の巻に入れ替わります。
 見たい巻がある方は、お気をつけください。
 ただし、尾州家本の34若菜上は、後半のはずが、本日は展示されていました。
 なお、大島本は3期にわかれています。

 ・陽明文庫本(11/3まで) 9葵 21少女 22玉鬘 28野分
 ・大島本(9/19〜10/11まで)48早蕨 43紅梅 50東屋   
 ・尾州家本(11/3まで)  34若菜上

 ・大島本(10/12〜11/3まで)44竹河 52蜻蛉 53手習   


 今回は、源氏絵も楽しみでした。

 ・出光-源氏物語画帖(9/17まで) 22玉鬘以下8枚
 ・徳川-源氏物語画帖(10/1まで) 5若紫 30藤袴 50東屋 53手習


 源氏絵は、これでもか、というほど出品されていました。

 会場の後半は、近世以降の注釈書や近現代の源氏絵ばかりで、サーッと流して見ました。
 私にとっては、前半がよかったので、後半は雑然とした感じがしました。
 新しいところが好きな方には、この後半がいいのでしょう。

 この源氏展は、一般の方々が対象であることもあり、やや統一がとれていないように感じました。京都文化博物館の方が、圧倒する力がありました。
 また、展示も図録も、説明が不親切なように感じました。
 図録には、国文学研究資料館館長のミニコラムが、何と5本も掲載されています。
 巻頭にある54巻の物語内容のダイジェストは、館長の書き下ろしです。
 それでも、各出品作品の情報が少ないのです。
 また、なぜその巻が、その部分が展示されているのか、意図がわからないものが多くありました。このあたりの説明が、どこかでなされていたら、見る人々はもっと充実感を持つことになったように思います。

 さて、10月からの国文学研究資料館の展示は、どのような評価がもらえるのか、今から気になり出しました。


 なお、9月3日から2ヶ月開催される宇治市源氏物語ミュージアムの「源氏物語千年紀特別展 写し伝える美―陽明文庫の源氏物語―」が、数日後にスタートします。
 今年は、『源氏物語』にとっては幸運な年です。
 たまたま自分がその仕掛ける側にいるために、その中に浸って楽しめないことが、一番の心残りです。
 それでも、少しでも多くの『源氏物語』に接してみたいと思います。

2008年8月24日 (日曜日)

源氏千年(57)源氏物語をテーマにした大壁画

 京都市役所と本能寺の間の御池通りの地下は、ゼスト御池というショッピングセンターになっています。


080800hekiga1地下街


 そこの、市役所前広場の大壁画に、京都芸術デザイン専門学校の学生である山梶千明さんが、「源氏物語千年紀」をテーマにした壁画「運命」を完成させています。

080800hekiga2市役所前広場


 歩いていると、柱の陰で目立ちません。しかし、近づくとなかなかの迫力があります。

 埋め込まれたプレートには、こう書いてあります。


080800hekiga6プレート


 これは、5月29日から7月10日にかけて、1ヶ月半の日時を要して制作されたものです。7月11日に完成し、来年の3月まで展示されることになっています。

 壁画の前には柱の列がある関係で、おのずと横から全体を見ることになります。そして、横長の絵は見る角度によって雰囲気が違う、ということに気づきました。
 そこで、左右から、その見え方の違いを確認しました。
 まずは、右から。


080800hekiga3壁画・右から

 そして、左から。


080800hekiga4壁画・左から


 真っ正面から見ることができないことから、意外な視点で見る面白さを見つけたことになります。

 これも、絵を見る楽しみの発見と言えるでしょう。

2008年8月22日 (金曜日)

源氏のゆかり(27)説明板37-廬山寺

今年は新春早々、盧山寺と縁がありました。


080800rozanji1廬山寺

2月に、節分会の鬼法楽に行った時のことでした。
翌日の新聞に、妻の姿が写っていたのです。
それも一面にカラーで。
鬼法楽のことは、その時のブログを参照してください。

京洛逍遥(24)廬山寺の節分会に注文


その廬山寺の境内に、


080800rozanji2境内

源氏物語千年紀を記念して、説明板が設置されました。


080800rozanji4説明板


ここが紫式部のいたところとされています。
その根拠は、『河海抄』ですが、もっとも詳細な考証をなさったのが角田文衛先生です。

学生時代から、この廬山寺には何度も足を運いでいます。
事実かどうかは別として、この廬山寺は、平安時代を、紫式部を、ぐっと身近にしてくれた所であることは事実です。
学問の成果が史跡を産んだ、いい例と言えるでしょう。

来月早々には、〈NPO法人 平安文学〉が発足します。
「もっと身近に平安文学」を合い言葉にしてのスタートです。
このNPOが主催する文学散歩などを、今から楽しみにしています。

また、新しいことにチャレンジする若者たちの手助けをしたいと思います。


2008年8月17日 (日曜日)

源氏千年(56)紫式部追善法要の記念品

 今春4月12日に、紫式部をしのんでの追善法要がおこなわれました。
 角田文衞先生が会長をなさっていた紫式部顕彰会が、紫野にある紫式部の墓所で、源氏物語の千年紀を迎えたことから執り行われたものでした。


 当日の新聞報道によると、平安時代に宮中で春と秋に行われていた、大般若経転読の法会に倣った法要が営まれたようです。

 京都には古道具屋さんや骨董屋さんが、街を歩くと至る所で目に付きます。
 たまたま散策していたら、町家で骨董市をやっていました。
 フラリと立ち寄り、お茶道具などを見ていたら、部屋の片隅にこんな箱がありました。


080816tuizen1記念品箱


 段ボールのフタには、こう書いてあります。




紫式部追善法要
源氏物語千年紀
特別記念詰合せ

 中を開けると、こんなものが入っていました。

080816tuizen2記念品


 法要で使われたものなのでしょうか。少し汚れがあります。


 もう少し拡大します。


080816tuizen3表札

 儀式の中で、これがどのような役割を持ったのか、私にはわかりません。
 どなたか、ご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教示をお願いします。

 いらなくなったので処分されたものなのでしょう。
 しかし、とにかく、これも何かの縁だと思い、買い求めました。


2008年8月15日 (金曜日)

源氏のゆかり(26)説明板21-一条院跡

 この名和児童公園の地は、紫式部がお仕えした、中宮彰子が住んでいた場所です。
 ここは、一条天皇の里内裏だったのです。

 東三条院詮子は、息子の一条天皇のためにここを用意しました。
 長保元年(999)に内裏が焼けた後、寛弘8年(1011)に一条天皇が崩御されるまでの里内裏として利用されました。


080814itijyoin1一条院

 現在ここは、名和長年の遺跡として知られています。

080814itijyoin2名和長年遺跡

 その公園の前に、説明板があります。写真の左端です。


080814itijyoin3説明板


 『紫式部日記』の中に出てくる内裏は、この一条院を指します。
 紫式部はこのあたりで、中宮彰子の家庭教師役をしていたのです。
 ここが、当時の女房階級を中心とした知的文化圏だったのです。
 そう思って周囲を歩いてみました。しかし、今はそのようなイメージを掻き立てるものは、何もありません。
 この児童公園の隣にあるアンティークショップが、タイムスリップの手伝いを、少しだけですがしてくれます。ただし、昭和初期までしか連れていってくれませんが……。


 説明板の中の、平安時代の一条院周辺の位置図を拡大しておきます。


080814itijyoin4位置図


 こうした図は、平安京の雰囲気を想像するのに役立ちます。
 もう少し、説明がほしいところです。

2008年8月14日 (木曜日)

源氏のゆかり(25)説明板20-平安京一条大路跡

 平安京の最も北に位置する一条大路は、30メートルもの道幅があったとも言われています。
 現在の一条通りの狭さからは、想像できないものです。今は、軽自動車が通るのがやっと、という狭い道です。


080814itijyo1一条大路跡


 この一条通りを大宮通りから東向きに、現在の御所の方角を見たところが、上の写真です。
 この左の家のポスターを貼った壁の陰に、「一条大路跡」の説明板があります。

080814itijyo2


080814itijyo3説明板


 一条大路は、葵祭の行列が通った所です。
 『源氏物語』の「葵」巻に、光源氏の晴れ姿を見ようとする六条御息所と葵の上の車争いが描かれています。それが、この一条大路です。

 現在の通りの姿からは、千年前の賑わいを想像することはできません。
 平安時代の京都を求めて歩き回ると、当時と同じ場所が今も残っています。しかし、そこは当時とは相当縮小された光景であることが多いのです。現状から平安時代を実感するには、相当な想像力を要求されます。
 そうだからこそ、京の街を歩き回る楽しみがあるのです。

 古都・京都は、想像力をかき立てる街です。


2008年8月10日 (日曜日)

五条坂陶器まつりと源氏絵陶器

 五条通りに沿って、五条大橋東詰から東山の東大路通りまでの間で、五条坂陶器まつりが開催されました。連日の真夏日の中を、約430店が歩道を埋め尽くしました。

 観光客よりも、地元の京都の人が多かったように見受けられました。

080802toki1_2


 私は、こうした巻物の陶器が気に入りました。
 使うというよりも、何かを乗せて飾って置くのにいいからです。


080802toki2巻物


 お店の中では、団扇型の陶器に源氏絵を焼いた物もありました。
 現在、秋の『源氏物語展』の準備をしていますが、今回の目玉は『源氏物語団扇画帖』です。その意味からも、この形式の図様に興味を持ちました。
 額入りなので、ガラスに光が反射して、あまりうまく撮影できませんでした。
 おおよその感じを伝える、記録としての写真です。

080802toki3源氏団扇絵1

080802toki42

080802toki53

080802toki64

080802toki75


 また、角皿に源氏絵を焼いたものもありました。
 この形式はよく見かけます。ただし、巻物のような雰囲気を出しているものは、なかなかいいと思います。

080802toki8角皿1

080802toki92

080802toki103

080802toki124


 別のお店の前では、ショーウインドウの中に飾ってあった源氏絵皿を見かけました。
 スナップとして撮影したものです。後日、確認が得られたらきれいに撮りたいと思います。

080802toki13額絵皿1

080802toki142

080802toki153

080802toki164


 とある店で、百人一首のシリーズとして作製された、小振りの角絵皿を見つけました。たまたま紫式部の歌を描いたものがあったので、これは記念にと買いました。


080802toki17紫式部


 字も絵も、きれいにでているものです。

 また別のお店で、茶わんに源氏絵を描いたものを見つけました。
 ばらばらで並べてありましたが、空蝉・若紫・紅梅・総角・浮舟の5客1組にして買いました。

 この絵は、本年2月5日の下記のブログで紹介した、北野天満宮の前にある「とようけ茶屋」の丼の絵柄とよく似ています。

「源氏絵柄の生湯葉丼」


 ひょんなことから手に入ったので、しばらくは飾って楽しみたいと思います。
 この茶わんは、がんばって安くしてもらいました。
 稚拙な絵ですが、掌でころがして楽しめます。


080802toki18茶わん1

080802toki19茶わん2


2008年8月 6日 (水曜日)

宇治の源氏グッズ(1)

 宇治にも、たくさんの源氏グッズがありました。

 宇治十帖ゆかりの地だけに、浮舟にまつわるものが多いように思いました。

 まずは、JR宇治駅の横にある、宇治市観光案内所にあったものから。

080806ujigoods11観光案内所


 この案内所の前に、ドリンクの自動販売機があります。
 その中に、宇治のお茶のデザイン画が、『源氏物語』の絵になっているものが入っていました。

 近寄ってみると、こんなペットボトルでした。

080806ujigoods12源氏絵のペットボトル


 案内所の中には、たくさんの源氏ボトルが冷やされていました。


080806ujigoods13店内のボトル


 店の奥には、たくさんのグッズが並べられています。

 目に付く限りのグッズを紹介します。

 今回も、お店の責任者に撮影の許可をとってから、写したものです。

080806ujigoods2

080806ujigoods3

080806ujigoods4

080806ujigoods5

080806ujigoods5_2

080806ujigoods6

080806ujigoods7

080806ujigoods8

080806ujigoods9

080806ujigoods10

080806ujigoods11_3


080806ujigoods12_2


080806ujigoods13_2


080806ujigoods14


080806ujigoods15

080806ujigoods16

080806ujigoods17

080806ujigoods18

080806ujigoods19

080806ujigoods20

080806ujigoods21

080806ujigoods22

080806ujigoods23

080806ujigoods24

080806ujigoods26

080806ujigoods27


 とにかく、宇治でもたくさんの源氏グッズが販売されています。

 これには驚きました。

 宇治の続編としては、商店街の中の和装のお店でみかけた源氏グッズを紹介しましょう。

2008年8月 2日 (土曜日)

『源氏物語』の別本とは何?

 本日(8月2日)の朝日新聞の朝刊に、
 「「源氏物語」全54帖の写本 発見相次ぐ」
と題する記事が、文化欄に掲載されました。

 このところ、飯島本や大沢本という『源氏物語』の古写本の存在が、マスコミ各社のニュースとなっています。それも、その54巻のセットの中には、池田亀鑑の分類による「別本」と思われるものがたくさんあるらしい、ということから、70年もの長きにわたり停滞していた『源氏物語』の本文研究の重要性を改めて問いかけるものとなっています。

 しかし、そもそも「別本」とはなんでしょうか。

 それが曖昧なままに、新聞記事がどんどん書かれています。
 池田亀鑑が言った「別本」であれば、それは『源氏物語』の古写本の形態的特徴から分類されたときの「その他」の写本です。それを、『源氏物語』の内容にまで敷衍して、拡大解釈によって認定した「別本」が見つかった、としています。伝えられて来た「物の形」で分類した物差しによって、その「物の内容」をも計る尺度にしようとしているのです。そもそも、計測する用途が違う物差しが、物語の本文を評価するときに使われています。
 こんなことがまかり通っていること自体が、『源氏物語』の本文研究がいかに遅れているのかを教えてくれます。

 『源氏物語』の古写本や、ましてやその内容である本文が新聞等に報道されるのは、今年が『源氏物語』の千年紀であることに起因します。しかし、そればかりではないのです。
 これまで、我々が読むテキストが、大島本一辺倒であったことへの揺り戻しが作用していると思われます。これは、これまでに絶対視されていた写本への信頼が揺らぎ出したことが伏流しています。

 もっとも、この問題は、早急に解決できるものではありません。

 マスコミは、学者へのインタビューを通して、やたらと「別本」の研究や解明をあおります。しかし、その本文研究のための資料や情報を持っている人が、いったい何人いるのでしょうか。片手があれば足りるほど、数人しか本文データや情報を持っていません。
 本文研究を何とかしようにも、どうにもならない状況です。

 今回の一連の騒動で、『源氏物語』の本文研究がいかに遅れていたか、ということをマスコミが吹聴してくれたことに対して、大いに感謝したいと思います。
 しかし、新聞記事の中には、どこまでが実際に語られた発言かが不明なものが掲載されていることがあります。その責任が、発言者にあるのか、記事を執筆した記者にあるのかは不明でな場合のことです。

 例えば、次の例はどうでしょうか。

平安時代の物語の本文は写した人が好きなように手直ししたと考えられる。その結果、多様な本文が生まれ、現在の混沌(こんとん)とした本文状況を作り出している。

 「写した人が好きなように手直しした」という本文とは、どのような例をさしているのか、また、その事実はどのようにして証明されたものなのか。

 私はこうした例をまったく知りません。たくさんの古写本を見て来ましたが、まだ一例もこうしたものに出会っていません。
 古写本の書写という過程で、本文を「好きなように手直し」することが可能でしょうか。
 どの例がそうなのか、一例でもいいので、具体例を提示してほしいと思います。
 提示された資料をもとにして、みんなでこの問題を考えていけばいいと思います。
 論評を加えるのが先ではなくて、まずは事例の検討をしていきたいと思います。

 せっかく、『源氏物語』の本文が抱える現状と問題を解決する糸口となりうる資料が発見・公表された段階なので、推測での評論は加えるべきではないと思います。
 素直に資料の出現を歓迎し、今後の問題点の検討にたくさんの人が参加するような機運を育むための環境作りに、こうした報道が支援するような流れになってほしいと願っています。
 書写した人が、どのような形で本文の内容の異同に関わったのかは、今はまったく不明だというのが、遅れている本文研究の現状なのです。そうした未熟なままの研究分野の活性化に、マスコミの後押しがあるといいですね。そんな記事を見て、若者たちがやる気を起こして参加する、ということになればいいですね。

 とにかく、『源氏物語』の本文に関して結論をだすのには、まだまだ時間がかかります。

 『源氏物語』の大島本だけで受容されている研究状況に異議を唱え、『源氏物語別本集成』と『源氏物語別本集成 続』で具体的に検討する資料を提供し出して、やっと20年が過ぎました。そして、ようやく大島本の本文に対する疑問が議論されるようになり、また「別本」と言われるものの存在に目が向けられるようになってきました。
 この70年の停滞を思うと、それだけで一大進歩です。
 ここまで辿り着くのに、とにかく20数年を要したのです。
 資料が一つや二つ増えたからと言って、軽々にその意義と見通しを口にするのは早過ぎます。
 まだ、こうした資料を論ずるには、あまりにも手元に情報が少な過ぎます。

 私は、『源氏物語別本集成』を作成している側にいるので、本文に関するデータは幾分多く持っている方だと思います。それでも、わからないことだらけです。なぜこんなに違う文章が伝流しているのか。いつも疑問を抱えながら、『源氏物語』の諸本の本文に向き合っています。軽はずみに「好きなように手直し」している、などとは、私はとても怖くて言えません。一番データを持っているはずの者がこんなお寒い現状なのです。

 新たな資料が加わるということなので、これでまた考えるネタが増えます。資料が増えることは、とにかく大歓迎です。新資料を丁寧に慎重に読み解いて、わからなかったことを明らかにしていきたいと思います。

 思いつくままに記しました。
 妄言多謝。

2008年7月28日 (月曜日)

源氏のゆかり(24)説明板15-平安宮大蔵省跡・大宿直跡

 仲立売通りに面した正親小学校の正門脇に、この大蔵省跡・大宿直跡があります。


08050615tonoi1正親小学校

 ここは、わかりやすくて、すぐに見つかります。
 

08050615tonoi2正門脇

 説明板に書かれていることを何度か読んだのですが、この場所と『源氏物語』との接点が見つかりません。
 平安京の中なので、『源氏物語』と無縁ではないはずです。しかし、なぜ今、ここが『源氏物語』のゆかりの地なのか、もう少し説明がほしいところです。

08050615tonoi3説明板

 とにかく、『源氏物語』のゆかりの地、ということで、また一つ確認をしたという安堵感だけが残りました。
 この説明板をめぐる人たちのために、何か楽しいことを加味した工夫が必要だと思われます。
 これでは、単に『源氏物語』と関係する場所に説明板を設置した、ということで終わってしまいます。

 手っ取り早くは、家に帰ってからインターネットで当該地をさらに詳しく知ることができるとか、仲間とのコミュニティーを用意するとか、いろいろな仕掛けをすべきです。そうでないと、『源氏物語』の千年紀が終わると、訪れる人も稀な地点になってしまいかねません。今年は、何とか人が足を運ぶと思います。しかし、来年はまだこの熱気が残っていればいいのですが、そうでなければポツンと説明板が立っているだけの場所になりかねません。

 京都市の、作りっぱなしではない文化行政に期待したいと思います。

2008年7月27日 (日曜日)

源氏のゆかり(23)説明板19-朝堂院昌福堂跡

 朝堂院は、今の国会議事堂にあたるものです。
 また、昌福堂には、太政大臣や左右大臣の座が設けられていました。
 『源氏物語』の第21巻「少女」によると、光源氏は33歳の時に太政大臣になっています。光源氏も、この昌福堂で儀式に参加していたことでしょう。

 いつものことですが、この場所を探すのに、今回も大変苦労しました。
 京都市からの情報では、ここの「説明板建立場所の住所」として「上・千本通丸太町下る東入主税町(民家)」が公開されています。
 これだけでわかると思って行ったところ、それがなかなか見つからないのです。

 酒屋さんで聴きました。すると、奥さんが旦那さんの方が詳しいと言って、わざわざ呼んでくださいました。お二人とも、歴史散策地図や大内裏図などを持ち出して、親切に探してくださいました。しかし、そんなものが設置されたことは知らないので、とお互いに困った表情をされます。恐縮して、少しこのへんを歩いてみます、といってブラブラと辺りをうろつきました。

 これまでもそうだったのですが、地元の人は、この説明板があることを、意外とご存知ないのです。かえって、旅行者に尋ねた方が早いのかもしれませんね。

 諦めずに、今度はクリーニング屋さんに入りました。
 知らないとのことでしたが、今年の3月下旬に設置された説明板だと言うと、そういえばその道を右に入ってすぐの駐車場のそばで、そんな工事のようなことをしていたような、ということでした。

 暑いのにわざわざ外へ出てくださり、その道を丁寧に教えてくださいました。言われるがままに角を曲がると、すぐ駐車場があります。その駐車場の中のコンクリートブロックを点検しましたが、そのスペースには何もありません。隣の家で尋ねようかと思って玄関先に向かうと、何と説明板が足下にあるではないですか。


08072619tyoudouin1民家に

 低い位置に埋め込まれているので気づきませんでした。


08072619tyoudouin2説明板

 まだ、この説明板を探し当てるコツを会得していません。
 いろいろと、京の街中をウロウロしながら、迷いながら辿り着いています。しかし、それがまた楽しいとも言えましょう。

 今は、40箇所にある説明板の内、半数を確認したことになります。
 今年の4月から始めて4ヶ月もかかっているので、ややスローペースです。この調子でいくと、年末までにはすべてを踏破できると思われます。

 京を散策する楽しみの一つとして、急がずに折を見てブラブラとする、こんな遊びもおもしろいものです。

2008年7月24日 (木曜日)

記念切手の背景画になった国文研の源氏絵

 日本郵便のホームページに、特殊切手「『源氏物語』一千年紀」等の発行に関するお知らせが掲載されました。

http://www.post.japanpost.jp/kitte_hagaki/stamp/tokusyu/2008/h200922_t.html

 その説明は、以下のように記されています。




郵便事業株式会社(東京都千代田区、代表取締役CEO 北村憲雄)は、寛弘五年(1008年)、「紫式部日記」に「源氏物語」に関する記述が、歴史上、初めて記録されてから、本年(2008年)で一千年目にあたることを記念して、特殊切手「『源氏物語』一千年紀」及び「通常版切手帳(「源氏物語」一千年紀)」を発行します。
デザインには、国宝及び重要文化財である「源氏物語絵巻」、「紫式部日記絵巻」より、また、新出、未公開の「源氏物語団扇画帖」を取り上げています。


 この説明文の最後にある

新出、未公開の「源氏物語団扇画帖」

というのは、国文学研究資料館が新たに収蔵したものです。

 今秋10月4日から1ヶ月間、国文学研究資料館が立川に移転した記念展でもある

特別展 源氏物語 千年のかがやき

では、この「源氏物語団扇画帖」を目玉として展示します。
 図録には、54枚すべての絵に詳細な解説をつけて、みなさまにお届けします。

 この切手の背景デザインについて、日本郵便のホームページでは、「源氏物語団扇画帖」に関しては以下のように説明されています。



・「源氏物語団扇画帖」(背景)
「源氏物語団扇画帖」は、「源氏物語」の様々な場面から五十四枚の団扇(うちわ)型の源氏絵が貼られた手鑑帖で、江戸時代前期に描かれたと推定されています。五十四枚の団扇画の中から、源氏絵として古来最も頻繁に絵画化される名場面の一つ、第5図「若紫」を切手シートデザインとしています。
また、この団扇画は、保存状態が良い新出、未公開のものです。
(中略)
「源氏物語団扇画帖」(国文学研究資料館)


 なお、今回の国文学研究資料館の特別展では、4点の重要文化財『源氏物語』(陽明文庫・古代学協会・歴史民俗博物館)と、1点の重要美術品『源氏物語絵巻』(天理図書館)などなど、趣向を凝らした展示を準備しています。

 どうぞ、楽しみにしていてください。
 そして、どうぞ、鑑賞に来てください。

2008年7月23日 (水曜日)

源氏のゆかり(22)説明板18-豊楽殿跡

 丸太町七本松から一本南の道を東に少し歩くと、豊楽殿跡が右側の金網の中に見えます。


08072318buraku1車の横に説明板が

 ちょうど車が止まっている所の、金網越しに説明板が建っています。

08072318buraku2金網越しの説明板

 この前に紹介した藻壁門跡左馬寮跡が、小学校の金網の中にありました。そこと同じように、ここも説明板があるのはいいのですが、とにかく場所が悪いので、文章を読むのに難儀します。

 とにかく、さまざまな条件の元に設置された説明板なので、徐々に整備されていくことでしょう。


08072318buraku3読みにくい説明文

 この豊楽殿は、平城京や長岡京にはなかったものです。平安京では、国家的な饗宴が行われた場所です。
 ただし、時代とともに儀式はこの豊楽殿から紫宸殿へと移り、11世紀半ばに消失してからは再建されることもなく廃絶してしまったようです。

 豊楽殿では、正月七日に白馬節会(あおうまのせちえ)が行われました。
 「白馬」と書いて「あおうま」と読むのは、この馬が白色と黒色の毛の入り交じった馬だったからだそうです。この白馬を見ると、1年の邪気を祓うという中国の信仰からくるとか。
 村上天皇の頃から「白馬」と書くようになり、そのまま今に至っています。

 『源氏物語』では、10賢木で、藤壷の三条宮へ白馬が引き回されて来ます。
 21少女では、太政大臣となった光源氏が、二条院で白馬節会を催しています。
 ただし、当時は貴族が私邸で白馬節会をしたのかどうか、よくわかっていません。『源氏物語』のフィクションかもしれません。


 後日、たまたまこの場所を通りかかった時に、こんな光景に出くわしました。

08072318buraku4遺跡を塞ぐ車

 なんと、軽ワゴン車が、この説明板を塞いでいたのです。

 運転手にとっては、そこがどんな所なのか、関係ないのでしょう。
 遠路はるばるこの地を楽しみにして訪れた方にとっては、これでは説明を読むこともできません。写真もとれません。
 残念な思いをなさることでしょう。

 京都という地は、文化が至るところに眠っています。
 そこに住む人や、そこを訪れる人は、その文化をみんなで守り伝える義務があると思います。

 興味のない方々に理解を求めるのは大変なことです。しかし、あたりまえすぎることばではありますが、少しずつでも文化や景観や環境を大切にする気持ちを持つようにしたいものです。

2008年7月22日 (火曜日)

源氏のゆかり(21)説明板17-藻壁門跡左馬寮跡

 丸太町通りの西ノ京にある丸太町御前の信号角に、朱雀第二小学校があります。


08072217samaryu1左馬寮跡


 実は、ここを探すのに苦労しました。もっと南の一角をさまよったのです。
 ただし、地元の方に、この辺りには馬小屋が多かった、という話を聞いたのは収穫でした。

 さて、丸太町通り南側に、金網の中にですが、説明板があります。これは、なかなか見つかりにくいし、金網が邪魔で、説明も読みにくいものとなっています。


08072217samaryou2説明板

 どのような事情でか、なぜかこんな条件の悪いところに建っています。

 ここが、平安宮の西の端になります。
 説明は読みにくいのですが、拡大しておきます。


08072217samaryu3拡大図

 『源氏物語』の第2巻「帚木」の〈雨夜の品定〉のところで、光源氏をはじめとする4人の男の女性談義で、左馬頭が登場します。彼は、宮中の馬の飼育や調教をはじめとして、馬具や地方の牧を管理する役所の長官なのです。

 あまり目立たない登場人物ですが、彼が仕事をしていたのはここということになります。
 『源氏物語』を読む上では、何の足しにもなりませんが、とにかく、そんな場所です。

2008年7月21日 (月曜日)

大沢本『源氏物語』の切り抜き帖・追補

 今日は、汗が次から次へと噴き出すほどの暑い1日でした。
 そして、大阪府立大学であった「幻の大沢家本源氏物語」という伊井春樹先生の講演も、熱気に包まれた会場で行なわれました。

 お話は、大沢家本の伝来とその鑑定、そして各巻の伝称筆者と大沢家本の本文の性格へと展開しました。

 具体的な話として、第39巻「夕霧」の本文を現在の流布本である大島本と比較した後、巻末に記された大沢家本だけが持つ「なにはの浦に」という言葉の意味する所に及びました。

080721osawag「なにはの浦に」


 会場は、マスコミ関係者を含めて満席の状態でした。
 私は、新聞社の方と最前列にいたところ、東京からお越しの先生も隣に座られました。
 これでは、伊井先生は話しにくいだろうなぁと思いながら、いつもの流れるような語り口に耳を傾けました。
 おそらく、会場の方々も、優しい口調だったので理解できたと思われます。

 帰りの道すがら、お2人の新聞社の方と話していると、中国でバスが爆発したとのニュースが入りました。

 今日の大沢家本のことが、明日の朝刊の一面を飾ることになっていたはずなのに、これでは紙面の中央を中国のネタが占めることになりそうです。
 あらかじめ国文学研究資料館における記者会見で情報が提供されており、記者の方々も準備万端であっただけに、少し残念そうな様子でした。
 もっとも、明日の紙面を見ないと、結果はわかりませんが。

 今回の件は今後のこともあるので、ネットで拾った記事を以下に集成してみたいと思います。
 学術的な引用としての収集整理が眼目の資料集なので、諸権利とどう関わるのか、よくわかりません。
 新聞記事の引用には問題もあるかと思いますが、各社の紙面構成とニュースの内容の微妙な差異がわかるので、あえて掲載してみたいと思います。
 もし問題があるとのご指摘を具体的にいただければ、ただちに掲載を見合わせるつもりです。

 この記事を通覧して、産經新聞が一番詳しく解説していると思われます。
 (補記・7月22日の新聞紙面を見る限りでは、京都新聞が最も充実した情報を整理して提供していますね。)
 ただし、私は『源氏物語』の本文の研究をしている関係上、どうしても「青表紙本」「河内本」「別本」ということばがどのような文脈で使われているのか、ということに神経が行ってしまいます。

 そのような視点から見ると、この3分類が池田亀鑑によるものであることを明示して解説しているのは、朝日新聞だけでした。それ以外は、現在の学会がこの3分類に疑問を投げかけている現状をまったく意識しないで書かれているように読めます。『源氏物語』を研究している専門家でも、この本文の分別の問題はむつかしいのです。にわか勉強の記者の方々に酷な要求かも知れません。また、研究者の中にも、この問題を軽視しておられる方もおられます。不用意な「青表紙本」「河内本」「別本」という用語が飛び交う記事や、研究論文にしばしば出くわすのも事実です。

 とにかく、この「青表紙本」「河内本」「別本」という専門用語の使われ方を確認しておく上でも、以下の新聞記事は通読する価値があります。

 そして、改めて、この本文を分別する問題で、その分類基準と用語をしっかりと提示する努力を、自分の問題として強く意識しています。
 『源氏物語』の本文について、「青表紙本」「河内本」「別本」という、私の中ではすでに過去の用語がこのような使われ方をしている実態を確認し、改めて研究者としての責務を痛感しているところです。

 『源氏物語別本集成』と『源氏物語別本集成 続』を刊行していることと、書かれた内容を分別整理しての〈河内本群〉と〈別本群〉という2分別私案を提案している立場からも、何とか多くの方々に理解してもらえる本文研究の成果を提示できるように努力していきたいと、あらためて放置されたままの問題点について再検討を呼びかけていきたいと思います。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
注、・写真は割愛してあります。
  ・文字の大小や強調などは共通のスタイルにしました。
  ・実際の記事は各ウエブサイトでご確認ください。
  ・並び順は時系列ではなくて私が採集した順です。


■朝日新聞
http://www.asahi.com/culture/update/0721/TKY200807210222.html

鎌倉中期作?「源氏物語」写本を発見 未整理の本文多数
2008年7月21日19時23分

「大沢本源氏物語」

「大沢本源氏物語」の「夕霧」の巻末。ほかの写本にはない「なにはの浦に」という6文字がある=いずれも伊井春樹さん提供

 鎌倉時代中期のものとみられる、「源氏物語」の全54帖(じょう)がそろった写本「大沢本」の存在が21日、明らかになった。藤原定家らの校訂を経ていない、別本(べっぽん)と呼ばれる未整理の本文を多く含んでおり、現在読まれている「源氏物語」より古い姿を残している可能性がある。研究者は「重要文化財級」とみている。
 大沢本の存在を確認した国文学研究資料館の伊井春樹館長によると、戦前までは奈良県内の大沢家が所蔵していたが、その後約70年間、行方がわからなかった。大沢家の先祖が豊臣秀吉から拝領したという伝承があり、筆者として西行や寂蓮(じゃくれん)、後醍醐天皇らの名前も伝わるが、証拠はない。現在の所蔵者は明らかにされていない。
 各帖はほぼ縦横16センチ。木箱は失われ、段ボール箱で保管されていた。虫食いの跡はなく保存状態もよい。一部の失われた帖を室町時代に補ったとみられる。
 別本は28帖にのぼり、ほかの別本とも異なる独特の表現が多く含まれている。たとえば光源氏の息子夕霧について語られる「夕霧」の巻末に、「なにはの浦に」の6文字が確認された。
 伊井さんは平安中期の和歌集「古今和歌六帖」の歌「おしてるやなにはのうらに焼くしほのからくもわれはおいにけるかな」からの一句ではないかとみている。この引歌(ひきうた)によって「自分も年をとったなあ」という夕霧の心情を表現した可能性がある。
 所蔵者からの依頼を受けた伊井さんが調査に着手、21日に堺市の大阪府立大で「幻の大沢本源氏物語」と題して講演し、これまでの結果を報告した。
 伊井さんは「重要文化財級の貴重な写本だと思う。『大沢本』を精査すれば、定家によって表現が洗練される以前の、平安時代の『源氏物語』に一歩でも近づけるのではないか」という。(編集委員・白石明彦)
    ◇
 〈「源氏物語」の写本〉 江戸時代に版本が普及するまで筆と墨で書き写された。平安時代に書かれた紫式部の自筆本は現存しない。鎌倉時代前期に藤原定家が写した「前田本」などが最も古い。国文学者池田亀鑑(きかん)の分類によると、定家が校訂した青表紙本、同時期に源光行らが校訂した河内本の2系統と、それ以外の雑多な別本がある。現在読まれている本文はほとんど青表紙本系統の「大島本」(室町時代)がもとになっている。

■毎日新聞
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20080722k0000m040091000c.html

<源氏物語>全巻写本「大沢本」を発見 鎌倉中期の古い巻も
7月21日21時9分配信 毎日新聞

大沢本「源氏物語」夕霧巻の表紙=国文学研究資料館提供

 「大沢本」として存在は知られながら70年近く行方不明だった「源氏物語」全巻の写本が個人宅に所蔵されていたことが分かった。所有者の調査依頼を受けた国文学研究資料館の伊井春樹館長が大沢本と確認し、21日に大阪府立大で開かれた講演会で発表した。中には鎌倉中期の写しと推測される古い巻もあるといい、伊井さんは「重要文化財級の貴重な資料」としている。

【関連】源氏物語:「飯島本」を初公開 全54帖室町時代写本--毎日書道展

 大沢本は、大沢という人物が豊臣秀吉より拝領したと伝えられ、明治以降度々の鑑定を受けたが、太平洋戦争前後にこつ然と姿を消した。

 大沢本を最初に鑑定したのは、明治期の古典研究家、小杉※邨(すぎむら)。小杉の覚書「鑑定雑記」を調べている伊井さんは、1907年11月に「大沢氏の子孫が持ち込んだ『源氏』写本を鑑定」という記述を発見し、かねて興味を抱いていた。また、源氏学者の池田亀鑑は40年ごろに大沢氏蔵の写本を見たが「十分な調査が出来ないまま、大戦をはさんで行方不明になった」と書き残している。今回、「源氏」本文と共に小杉らの鑑定書も見つかり、「鑑定雑記」の記述と一致することから大沢本と認められた。

 大沢本は全54帖がそろっているが、一度に写されたものではなく、不足分をかき集めた「取り合わせ本」。鎌倉中期の写本も含め、室町末期に体裁が整えられたらしい。

 「源氏」は原典が残っておらず、写本には藤原定家校訂の「青表紙本」、「河内本」の2系統と、どちらにも属さない「別本」がある。大沢本は約半数を別本が占め、例えば「夕霧」巻の末尾は「なにはの浦に」となっているが、この文言が付いた本文は、ほかに例がない。「詳細な研究はこれからだが、流布している『源氏』とは違う世界が見えてくるかもしれない」と伊井さんは期待する。現在の所有者は、大沢氏とは無縁の個人。現段階で公開の予定はない。

 異本に詳しい加藤洋介・大阪大准教授は「『源氏』が記録に現れて千年たつのを機に、写本の存在が相次いで確認されているのは喜ばしい。大沢本は質量ともに、近年まれに見る出物。室町期にどんな系統の本が読まれていたかを推測する手がかりになる」と話している。

【斉藤希史子、手塚さや香】

 ※は「木」へんに「囚」+「皿」

■時事通信
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2008072100437

源氏物語の写本見つかる=鎌倉中期と見られる大沢家本
7月21日21時50分配信 時事通信

 「源氏物語」の全54帖(じょう)がそろった写本「大沢家本」が奈良県の旧家で見つかり、調査した伊井春樹国文学研究資料館長が21日、大阪府堺市内で開いた講演会で実物と確認できたことを明らかにした。現在読まれている源氏物語にない表現もあり、貴重な資料という。
 同本は、鎌倉時代中期のものと見られ、各帖縦横約16センチ。室町時代末期に整えられた。大沢家の先祖が豊臣秀吉から拝領したという伝承があり、1940年ごろまで同家が所蔵していたが、その後約70年間所在不明になっていた。 

■産經新聞(1)
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/080721/acd0807211758009-n1.htm

大沢家所蔵の「源氏物語」写本が出現 「重文級の新資料」と専門家評価 (1/2ページ)
2008.7.21 17:55

見つかった源氏物語の「大沢本」
   
 古くは鎌倉時代までさかのぼる「源氏物語」全54帖がそろった新たな写本が確認され21日、国文学研究資料館(東京都立川市)の伊井春樹館長が大阪府立大の講演で明らかにした。昭和初期に国文学者の池田亀(き)鑑(かん)が報告して以降、所在不明となっていた「大沢本」と呼ばれる写本で、鎌倉中期から室町時代の筆写とみられる。独特の記述を持つ巻もあり、専門家は「『源氏物語』の成立に迫る重要文化財級の新資料」と評価している。
 「大沢本」は、奈良にあった旧家・大沢家に伝わった源氏物語で、明治40年、古典学者の小杉榲邨(すぎむら)が美術品として鑑定し、学界に紹介した。昭和14、15年には国文学者の池田亀(き)鑑(かん)が調査・報告したが、以後行方不明となり“幻の写本”となっていた。
 体裁は縦、横が約16センチの四角い升形(ますがた)本。各帖の布表紙は緑地の金襴(きんらん)緞(どん)子(す)で装丁され、本文(ほんもん)は料紙に筆写されている。

このニュースの写真

関連ニュース
「大沢本」源氏物語発見 【視点】源氏物語研究に一大画期
大沢家所蔵の「源氏物語」写本が出現 「重文級の新資料」と専門家評価


大沢家所蔵の「源氏物語」写本が出現 「重文級の新資料」と専門家評価 (2/2ページ)
2008.7.21 17:55

見つかった源氏物語の「大沢本」   

 書写された時期は各帖まちまちだが、「葵」の巻は字体などからも鎌倉時代までさかのぼるとみられる。江戸時代の鑑定家らによる鑑定文(極め)が付属している。大沢家には「豊臣秀吉から拝領」と伝わり、筆者には西行法師、後醍醐天皇らの名が挙げられているが、伝承や筆者についての学術的根拠はない。
 「大沢本」は源氏物語の2大写本とされる「青表紙本」「河内本」の両方を含むが、半数以上の28帖は別系統の写本。物語の筋が違うほどではないものの、「夕霧」の巻末など微妙に異なる記述もある。伊井館長は「大沢本は独自の物語世界を持っている。(現存しない)紫式部の原文を復元するための有力な資料で、細かく調べるのが楽しみ」と話している。

 加藤洋介・大阪大准教授(平安文学)の話「54帖がそろい、別系統の写本がこれだけ含まれているという点で質、量ともに非常に貴重な研究資料。鎌倉から室町にかけて多様な写本が流通していたことがうかがえ、平安時代の写本にさかのぼる材料があるかもしれない」

 源氏物語 光源氏を主人公とする紫式部の長編小説。日本文学史上の最高傑作とされる。「桐壺」から「夢浮橋」までの54帖からなる。谷崎潤一郎、瀬戸内寂聴ら有名作家による現代語訳のほか、外国語訳も多数。「紫式部日記」には、「寛弘5(1008)年11月1日、藤原公任から『このあたりに若紫さんはいませんか』とたわむれかけられた」とする記述があり、このころまでに宮中で広く読まれていたと考えられる。その1000年後にあたる今年は「千年紀」事業が京都などゆかりの地で行われている。

関連ニュース
「大沢本」源氏物語発見 【視点】源氏物語研究に一大画期
大沢家所蔵の「源氏物語」写本が出現 「重文級の新資料」と専門家評価

■産經新聞(2)
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/080721/acd0807211800010-n1.htm

【視点】「大沢本」発見 源氏物語研究に一大画期
2008.7.21 18:01

見つかった源氏物語の「大沢本」

 源氏物語千年紀の今年、姿を現した「大沢本」は、源氏物語研究に新たな道筋を開く可能性に満ちている。何より国文学者たちが注目するのは、これまでの研究では非主流だった「別本」と呼ばれる写本が54帖中、28帖もあることだ。
 日本を代表する古典として有名な源氏物語だが、紫式部の自筆原稿(原本)は残っていない。必要に応じ、書き写すことにより読み継がれてきた。だから、筆写を重ねるうちに相違点も積み重なっていく。
 紫式部から約200年後の鎌倉初期、歌人の藤原定家が、さまざまな写本の中から54帖をまとめたのが表紙の色からそう呼ばれる「青表紙本」で、4帖が現存する。私たちが目にする源氏物語の多くは青表紙本系統の「大島本」をもとにしている。
 また、鎌倉中期に源光行父子が校訂した「河内本」も室町中期まで広く読まれたが、定家の名声の高まりとともに廃れた。
 一方、大島、河内の両系統に属さず、これまで「別本」と呼ばれてきた写本群がある。代表は「陽明文庫本」。源氏物語の最古の注釈書「源氏釈(しやく)」(平安末期)と近似し、古い表現が残り、平安期の源氏物語に迫る手がかりとなるという。
 “定家以前”の別本研究は最近、新発見が相次ぐ状況にある。そのタイミングで今回、54帖そろった大沢本が出現した意味は大きい。大沢本の系統別内訳は、青表紙本系統が22帖、河内本系統4帖、別本28帖となっている。
 池田和臣・中央大学教授は「源氏物語の研究は、これまでの概念にとらわれず、文献学に基づいて本文を読み込み、洗いざらい初めからやり直さなければならない時期に来ている」と話す。大沢本の公開が、その画期となることは間違いない。(牛田久美)

関連ニュース
「大沢本」源氏物語発見 【視点】源氏物語研究に一大画期
大沢家所蔵の「源氏物語」写本が出現 「重文級の新資料」と専門家評価

■共同通信
http://www.47news.jp/CN/200807/CN2008072101000468.html

 発見された源氏物語「大沢家本」(伊井春樹・国文学研究資料館長提供)
幻の源氏物語写本を発見  独自の文を含む重要資料

 源氏物語の写本の一つで約70年行方が分からず幻の存在だった「大沢家本」とみられる写本が見つかり、国文学研究資料館(東京都)の伊井春樹館長が実物と断定したことが21日、分かった。同日、大阪府立大での講演で明らかにした。
 54帖がすべてそろい、他の写本にない独自の文を含むほか、明治時代の国学者小杉榲邨(すぎむら)による1907年の鑑定書なども添えられている重要な資料だという。源氏物語1000年紀の年の発見として話題を集めそうだ。
 大沢家本は小杉が07年の日記にその存在を記録。平安文学研究の権威池田亀鑑も40年ごろ調査していたとみられるが、以降所在が分からなかった。
 伊井さんは3年前に所有者から依頼され調査。各帖の本文の伝承筆者として「伝西行筆」「伝後醍醐天皇筆」などと記され、池田が「源氏物語大成」研究資料編に記していた筆者名と一致した。
 紫式部が平安時代に書いた源氏物語は、江戸時代に版本が普及するまでは書き写すことで伝えられてきた。大沢家本は別々に筆写された54帖を集め、室町時代に装丁されたとみられる。
2008/07/21 19:06   【共同通信】

■読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20080721-OYT1T00525.htm?from=main1

源氏物語全54帖の写本「大沢本」見つかる、重文級の価値

 鎌倉中期から室町期にかけて作られたとみられる「源氏物語」全54帖(じょう)そろいの写本が、新たに見つかったことを、国文学研究資料館(東京)の伊井春樹館長が21日、大阪府内で行われた講演で明らかにした。

 先に東京都内で確認された室町中期の54帖より古く、伊井館長は「重文級の美術的、学術的価値がある」としている。
 今年の源氏千年紀を機に、研究者が写本研究に力を入れたことが、相次ぐ発見につながった。今回の写本は、奈良の旧家、大沢家が豊臣秀吉から拝領したとの言い伝えが明治期の調査記録に残る、「大沢本」と呼ばれるものとみられる。戦後、行方不明になっており、伊井館長は所有者などは非公表とした。
 縦14~15センチ、横15~16センチ。全帖とも金糸を使った金襴緞子(きんらんどんす)の表紙がついており、保存状態は極めて良い。
 平安から鎌倉期の僧侶の西行や寂蓮、鎌倉末期の後醍醐天皇ら、名高い人物が書写したとする、江戸期と明治期の鑑定書が添えられていた。本人か、筆跡をまねた別の人物が写したかは分からないという。
 54帖のうち28帖は、鎌倉初期に藤原定家が写した「青表紙本」と、同時期に源光行らが校訂した「河内本」の2大系統に属さない「別本」だった。別本には、定家より以前に写されたものが含まれている可能性があるという。『夕霧』帖の巻末は、他の写本にはみられない「なにはの浦に」という和歌の言葉を引用しており、中年を迎えた光源氏の息子、夕霧の感慨をにじませている。伊井館長は「戦後の研究は、定家の写本がもとになって現代語訳などが行われてきた。しかし、大沢本の出現で、今は失われた紫式部の原典の世界に近づいていけるのではないか」としている。
(2008年7月21日22時19分  読売新聞)

■京都新聞
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2008072200030&genre=M1&area=K00

Kyoto Shimbun 2008年7月22日(火)
大沢本源氏物語を発見
池田亀鑑の調査後、70年不明

54帖がすべてそろい、見つかった幻の「大沢本源氏物語」(伊井春樹館長提供)
 源氏物語研究の権威で昭和初期の国文学者・池田亀鑑(きかん)が戦前、調査しながら所在不明になっていた幻の「大沢本源氏物語」が見つかったことが21日、分かった。国文学研究資料館(東京)の伊井春樹館長が大阪府立大(堺市)の講演で発表した。豊臣秀吉が所蔵し家来に与えたものと伝えられ、京都の「陽明文庫本」に匹敵する「重文級の古写本」という。
 「大沢本」は、五十四帖(じょう)すべてそろい、縦横約16センチの写本。表紙は金襴緞子(きんらんどんす)の装丁で統一されている。
 全体の3分の二は鎌倉時代の写本。源氏物語の写本は青表紙本(あおびょうしぼん)と河内本(かわちぼん)の系統があるが、大沢本は平安時代の源氏物語の本文の状況を伝えるとされる別本が二十八帖もあった。
 また夕霧の巻の末文には、他の写本にはない「なにはの浦に」との和歌が引用されるなど全く新しい個所も見つかり、源氏物語の本文が多様に変化していたことがあらためて分かった。
 鎌倉時代の別本を多く含む写本は、重文の「陽明文庫本」と「保坂本」(東京国立博物館蔵)が知られ、「それらに匹敵するか、それ以上の価値がある」(伊井館長)という。
 「大沢本」にはまた、明治期の美術鑑定の権威・前田香雪や古典学者・小杉榲邨(すぎむら)が1907年に書いた鑑定書が添えられていた。秀吉が大沢護久に下賜した伝承を記すほか、題字は公家の近衛信伊(のぶただ)、金泥の下絵は狩野山楽が書き、写本の筆者は西行や寂蓮(じゃくれん)、後醍醐天皇らとしている。
 大沢本は個人蔵といい、伊井館長は3年前に仲介者から調査を依頼された。

 ■原本に迫る手掛かり
 幻の「大沢本源氏物語」が、明治の学者が鑑定してから100年、池田亀鑑の調査が未了のままになってから70年ぶりに見つかった。近年、学界で注目を集めている別本が半数を占める重文級の写本で、源氏物語研究に大きな刺激となる大発見となりそうだ。
 源氏物語は紫式部の自筆本は現存せず、鎌倉初期に藤原定家が校訂した青表紙本と、河内守(かわちのかみ)源光行・親行親子が校訂した河内本を書写した二系統の写本、この二系統に含まれない別本の写本が伝えられる。池田亀鑑が青表紙本をより純良な本文と判断して以来、その忠実な写本とされる古代学協会(京都市中京区)所蔵の「大島本」を中心とした本文が広く読まれている。
 しかし、青表紙本の「大島本」は室町後期の写本である上、どうさかのぼっても定家が手を入れた源氏物語でしかなく、紫式部による原本の源氏物語ではない。印刷技術のなかった時代、書籍は書写するしかなく、誤りや脱落、書き込みが起こりやすく、平安末期の源氏物語はさまざまに違った本文になっていたとみられている。
 鎌倉時代の別本を含む「大沢本」は、定家の校訂前の多様な本文を伝えている可能性が高い。今後、別本の研究が進めば、紫式部の源氏物語に近づいていくかもしれない。それだけに、「大沢本」の発見の意義は大きい。

 ▽大沢本源氏物語 池田亀鑑(1896-1956)が1940年ごろに調査し、戦後刊行した「源氏物語大成」に「大沢家蔵源氏物語」と紹介した古写本。池田は調査途中で中止せざるを得なくなり、全てを調べられないまま、「戦火は免れたと思はれるが、今その行方を知らない」と記録している。

◆参考 NHK
http://www.nhk.or.jp/news/k10013028061000.html#

7月21日19時27分

今からちょうど1000年前に紫式部が書いた「源氏物語」で、これまでに見つかったものとは多くの表現が異なる古い時期の写本が見つかり、研究者は「平安時代の源氏物語の姿を探るうえで重要な存在だ」と話しています。
この写本は、昭和初期まで奈良県内に伝わり、その後行方がわからなくなっていたもので、21日、大阪・堺市で開かれた国文学の講演会で発表されました。写本はおよそ15センチ四方の冊子で、全54巻とされる源氏物語がすべてそろっており、このうちの半分以上は、現存する写本としては比較的古い鎌倉時代に書かれたものだということです。源氏物語は、平安時代に紫式部が書いた原本は見つかっておらず、鎌倉時代に藤原定家がまとめた写本を基にしたものが広く伝えられています。しかし、今回見つかった写本は、半分以上がこれとは異なる「別本」と呼ばれる種類にあたり、中でも光源氏の息子について書いた「夕霧」の巻の最後に「なにはの浦に」ということばがあるなど、これまで見つかった写本にはない部分もあるということです。発表を行った国文学研究資料館の伊井春樹館長は「藤原定家がまとめる前の源氏物語の姿を探るうえで貴重な写本だ。ほかの写本と比較調査をするなど分析を進めていきたい」と話しています。


2008年7月19日 (土曜日)

OSKの「源氏千年夢絵巻」を観て

 猛暑の中を女房と2人で自転車を並べて、四条南座へと漕ぎ出しました。
 笠間書院からいただいたチケットを手にして……。

 あまりの暑さに、出町柳でギブアップ。そこから京阪に乗り換えて四条駅へ行きました。
 駅の真上が南座です。お昼からの開演なので、正面にはすでに人の波でした。


 080719minamiza南座前の人人人

 約4時間の公演は、印象深いレビューでした。

 OSK日本歌劇団の「レビュー in KYOTO2」は、「源氏千年夢絵巻 輪舞曲(ロンド) 薫と浮舟」と題するものです。

 今回は、桜花昇ぼる(おうかのぼる)と言う人のトップ披露公演ということで、みなさん心のこもった熱演でした。

 「と言う」と言うのは、実は私はOSKは初めてです。
 と言うよりも、宝塚すら行ったことがありません。歌舞伎ならいざしらず、女性だけの劇には、何となく気恥ずかしさが先に出ます。
 しかし、今回はチケットがあることと、『源氏物語』に関するものなので、これを観ない手はありません。

 南座は、大昔に親に連れられて来たように思います。しかし、まったく記憶にありません。

 中が、意外に狭いと思いました。観客は、もちろんほとんどが年齢層の高い女性群です。
 右側の花道のそばだったので、なかなかいい席でした。冷房が効き過ぎでした。長袖を持ってくるんでした。

 お話は、「宇治十帖」の三角関係です。
 感心したのは、スーツ姿の公卿たちのダンスで、薫の仕事が忙しいことを表現したり、匂宮と中の君の婚礼をサンバのカーニバル仕立てにしたり、という工夫です。
 現代と千年前を、うまく切り替えながらの舞台進行でした。

 それにも増して、上原まりさん(元宝塚のトップスター)が紫式部役で存在感を示したことは、この公演の出来上がりについては、特筆すべきことでしょう。この上原さんの特別出演は、この公演を成功に導く原動力と言えるでしょう。
 語り手としての存在を、強烈にアピールする中で、話が華麗に進展していきます。

 また、大君と浮舟の死の場面に登場する「死神」は、このレビューを殊の外鮮烈に訴えてきます。すばらしい演出でした。
 その役をこなした桐生麻耶(きりゅうあさや)さんは、その容貌からもはまり役と言ってもいいでしょう。
 あまりの巧さに、第2部の「ミレニアム・ドリーム」での踊りと歌では、この「死神」の実像が楽しめました。
 「死神」が演じたエルビスプレスリーは、出色のパフォーマンスでした。

 こまかな演出で感心したことをメモとして……。
 匂宮が宇治を訪れる時に、馬の蹄の音の背後に、自動車の騒音を混ぜていました。
 それに気づいた時に、憎いな、と思いました。

 第2部の「ミレニアム・ドリーム」では、京都にちなんだ曲のメドレーがありました。
 「京都の恋」「京都慕情」「祇園小唄」などなど。京都公演ならではの選曲です。
 ただし、少し要望を。「女ひとり」がなかったのが残念でした。

 全体として、役者さんが花道から観客に話しかける場面があったり、平場に降りて歌ったりと、舞台の役者と会場の観客が一体感を作るように心がけていた点が、関西の観客を意識したものとなっていることを実感しました。
 これは、関東では嫌われかねない演出ではないでしょうか。

 あまり褒めてばかりでは進歩がありません。
 一つだけ苦言を。
 それは、肝心の『源氏物語』のストーリーに関するものです。

 最後に、浮舟は死んでいきます。
 その原因は、薫が浮舟と別れる選択をしたことにある、とするのです。
 このことは、パンフレットでは、次のように書かれていました。



薫は浮舟と分かれる決意をする。本当に愛してくれる薫を無くした浮舟は、宇治川に入水する……。


 これで終わっては、実際の『源氏物語』の話と違い過ぎます。

 日本人は、この千年紀という体験を通して、多くの人が『源氏物語』に精通するようになりました。また、『源氏物語』を解説した膨大な本が、書店に並んでいます。特に関西では、『源氏物語』に関する熱気は尋常ではありません。

 このレビューの結末には、観客の相当数の方々が、

 それで……、
 どうして……、
 どうなったというの……、
 原作はそんな展開ではないのに……、

と思われたに違いありません。

 もっとも、こうしたモヤモヤは、歌劇団のみなさんの熱演で表面には現れなかったように思われます。
 桜花昇ぼるというスターの、演技力・歌唱力・表現力などなど多彩な才能が、台本のラストの不首尾を救ってフィナーレへと導いた、と私は観ました。

 なお、昨秋上演された『源氏千年夢絵巻』では、「雨夜の品定め」「夕顔」「若紫」「車争い」などが取り上げられたようです。
 観に行けなかったので、何とかして録画等で観たいと思います。
 そんな期待をさせる、今日のOSKの好演でした。

 今回が第2弾で「宇治十帖」でした。
 最後の挨拶で桜花昇ぼるさんが言っていたように、来年は第3弾があるようです。
 その時には、「玉鬘十帖」か「柏木と女三宮」をテーマにしたものにしてもらいたいと思います。

 これで、また、楽しみが一つ増えました。

【メモ】
第1部 「源氏千年夢絵巻 輪舞曲(ロンド)薫と浮舟」
作・演出/水口 一夫
演出・振付/花柳 錦之輔
特別出演/上原 まり
薫の君/桜花 昇ぼる
匂宮/高世 麻央
浮舟/朝香 櫻子
死神/桐生 麻耶
中の君/牧名 ことり
大君/折原 有佐

第2部 ミレニアム・ドリーム
作・演出/山村 若



2008年7月12日 (土曜日)

新出の『源氏物語』

 12日の読売新聞に、室町時代の『源氏物語』の古写本が東京で確認された、というニュースが掲載されました。

 今回の54巻の半数が、これまでの〈いわゆる青表紙本〉とは異なる〈別本〉だそうです。何を称して〈別本〉なのかはおいておきます。

 とにかく、新たな『源氏物語』の本文関係資料が公開されることは歓迎すべきです。これまで、この『源氏物語』の本文研究は、大変遅れていたのですから。一本でも多く本文が確認できることは、『源氏物語』の本文の整理をする上では、何と言っても急務です。

 この本文の内容の解明が待たれます。

 全国には、まだまだ、こうした『源氏物語』の古写本が残っていると思われます。『源氏物語』の千年紀でもありますから、どんどん公開していただきたいものです。


2008年7月11日 (金曜日)

源氏のゆかり(20)説明板1-平安宮内裏跡

 「説明板13-建礼門跡」から北へ少し戻り、『源氏物語』の説明板が道々に立ち並んでいた下立売通を右に折れると、80メートルほどの所に「平安宮内裏跡」があります。


F6hbuxty_s山中油店前



 左に、江戸時代の文政年間からの商家・山中油店という、創業以来200年の油の老舗があるので、すぐにわかります。
 そのお店の向かいに、目指す説明板がありました。


0djcvhnl_s平安宮内裏跡



 ここの説明板は立派です。


Bxgfdhxz_s説明板



 平安時代にここは、天皇の住まいである内裏の東側だったところです。
 以前に訪れた、「源氏のゆかり(8)説明板12-平安宮内裏東限と建春門跡」(http://blog.kansai.com/genjiito/286)の真南にあたります。

 さらにこの説明板の右手には、「上京歴史探訪館(京・町家文化館)」があります。ここに来たら、ぜひ入るべきです。京の町家の中でも、立派なお家の雰囲気がわかります。

 帰りがけに絵はがきを買おうとしたら、たまたまその時に売ってくださった方が、もしお時間があるようでしたら、オープンしたばかりの隣の家を案内させていただきますが、とのことでした。
 ありまにも突然だったのですが、よくわからないままに見せていただけるのならと思って、お言葉に甘えてその女性に付いて行きました。


Qh2yym7u_s平安宮



 入り口には、「京まちや 平安宮」とあります。
 昨日オープニングのイベントがあったばかりで散らかっていますが、ということでしたが、案内されて入って仰天しました。なんと、昔の町家のままを復元というよりも、手をかけて修復したものだったのです。

 そして、この案内してくださっている女性が、山中恵美子さんでした。お姿などから、どこかで見たことのある方だと思っていたのですが、お名前を聞いて、昨日の京都新聞に載っていた方であることに気づきました。今日はセンスのいい洋服姿でしたが、新聞の写真では上品な着物でした。この方は山中油店のお嬢さんで、ご自分の広大な敷地の中でも、この屋敷をみなさんに解放することにしたのだそうです。昨日は、同志社女子大学の朧谷寿先生の講演があったのです。そのことが新聞に掲載されていたことを思い出し、お尋ねすると、まさにそのとおりでした。私も少し平安時代の歴史のことは知っているので、話が合いました。また、現在、二つ目のNPOの認可待ちをしているところなので、社会奉仕活動やボランティア活動についても話題が噛み合いました。偶然にこのような出会いがあったのですが、不思議な縁の巡り合わせだと思います。

 山中さんは、見ず知らずの何者かもわからない私を、ご丁寧にも家の中を隅々まで案内してくださいました。お話ぶりといい、その志といい、すばらしい方でした。

 2階から玄関の前を見下ろした所を、写真に撮りました。


Qdzu8fev_s御書所



 これは、「平安宮一本御書所跡」で、平安時代の中期に流布していた書籍を、それぞれ一部ずつ書き写して保管・管理していたところです。侍従所の南に当たり、長官は公卿別当でした。その下に、預や書手などがいたそうです。今で言えば、アーカイブズセンターに相当するものでしょう。

 突然のことでしたが、時代を肌身で感じさせる家を見て、日本の家屋のすばらしさを知り、そして人との出会いの楽しさを味わいました。

 丁寧にお礼を言い、ますますのご活躍を願って玄関を後にしました。
 町を歩くと、いろいろなことに出くわすものです。
 思いがけない、貴重な体験をしました。





2008年7月10日 (木曜日)

源氏千年(55)期待できない江戸の落語

 源氏千年紀の今年は、なんでもありの記念年です。
 『源氏物語』を、なんと落語でやるというのです。

 銀座 博品館劇場『源氏物語』一千年紀祭特別公演
 「まるごと源氏物語」

というイベントが、10月29日から11月24日まで開催されます。

 その中に、落語版『源氏物語』というのがあります。
 その内容は、次のようになっています。

〈第一席〉立川談春   「柏木」 10/30
〈第二席〉柳家喬太郎  「空蝉」 10/31
〈第三席〉橘家文左衛門 「明石」 11/1
〈第四席〉入舟亭扇辰  「葵」  11/2
〈第五席〉三遊亭歌之介 「末摘花」11/3

 宣伝のパンフレットによると、この落語は、次のように紹介されています。



落語版『源氏物語』
新作/落語版 平安絵巻『源氏物語』の誕生!?
当代実力・人気の花形噺家5名による落語版『源氏物語』公演を5日間連続独演会形式でお届けします。




 先般、講談の『源氏物語』を聞きに行き、意外におもしろいと思いました。

「源氏千年(21)女流講談を堪能」
http://blog.kansai.com/genjiito/235

 落語も、意外とおもしろいかもしれません。
 もっとも、台本しだいですが。
 それよりも、落語も漫才も、江戸のものは芸術だということを前面に押し出しての、お客を小ばかにしての演芸なので、私はいつもしらけてしまいます。
 かたや、上方の落語や漫才は、おもしろさが勝負の芸能なので、これは大好きです。

 そんな先入観を私は持っているので、今回演じられる落語にはまったく期待していません。
 関西であれば、喜んで聞きに行きます。銀座に出入りしている私ですが、わざわざ江戸の落語を聞きに行くことはないと思います。
 もし情報が入れば、また報告する程度に終わることでしょう。

 まあ、東京ではこんなことが行われている、という小ネタです。

 それにしても、関西の熱気に引き換え、関東は無理をしての源氏ブームのおこぼれを、という悲惨な状況です。この温度差は、この両地域を毎週往復する私にとっては、肌身で感じているものです。
 そうであればこそ、10月から始まる国文学研究資料館での源氏物語特別展の位置づけに、日夜苦しんでいます。関西でやるのとは、わけが違うのです。東京は、ノリが悪くて、理屈っぽいのです。文学には不適当な土地柄なのです。

 関東での源氏ネタは、カルチャーセンター通いの奥様方以外には、なかなか受け入れてもらえないのではないでしょうか。それも、小奇麗にラッピングした『源氏物語』でないと、関東では賞味期限切れの『源氏物語』となります。
 関東の文化には、『源氏物語』というよりも、王朝文化・平安文化は根付いていないのです。あくまでも、知的世界における『源氏物語』でしかないのです。
 関東の文化的には、『源氏物語』は他人事なのです。

 『源氏物語』の受容も、関西と関東では、雲泥の差があります。
 このことは、少しずつわかってもらえるように、今後とも両文化圏の状況を報告したいと思っています。




2008年7月 7日 (月曜日)

源氏絵の木の名前がわからない

 源氏絵をジッと見つめる日が続いています。
 画面に何が描かれているのか、一つ一つ名前をつけて書き出しています。

 これは、今秋10月から国文学研究資料館で開催される、特別展「源氏物語展」の図録を作成しているために、その基礎資料となるものです。
 見ているのは、国文学研究資料館が一昨年に収蔵した、『源氏物語団扇画帖』と言う、新出資料です。今回の源氏展の目玉となるものです。
 江戸時代に、土佐派の絵師によって作成されたものです。

 全54枚の絵を見ていると、たくさんの植物が描かれていることに注意が向きます。
 その中で、何気なく「松」としていたものが、よくよく見ると、葉や枝が違うのです。

 次の木は、「松」です。
 普通のものと、雪を冠したものをあげます。


Ktwbf_gs_s野分の松




Zatzvuc__s行幸の松と雪



 問題は、次の樹木の名前です。
 枝振りや葉が、「松」とは異なります。
 いろいろと調べたのですが、よくわかりません。



Iq4wwitn_s賢木の名前不明の木




Qi8rlnip_s朝顔の名前不明の木




 不明の木には雪を冠しているので、常緑の樹木であることは確かです。

 この木の名前をご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教示をお願いします。




2008年7月 6日 (日曜日)

源氏千年(54)500点のグッズ(3)

 「ギャラリー源氏」で展示販売されている、56社の千年紀関連の記念商品500点の紹介の、これが最終回です。


Rgcerhsh_sお香と色紙





Xk5tcxnk_s色紙





Nk_u40qs_s手ぬぐい・ハンカチ





L1f_jcd9_sキャンドルとハンカチ





Vfzhqylx_s小物





Rus28dci_s財布





_j1c4x26_s源氏絵





Yc5vbyu__s書写用品





0ifz_f04_s反物





J5gbtbjw_s扇子





_krcshyf_s象嵌小物





3sxifbrn_s色糸





Hsdz9mqc_s帯地





Ejslr9rj_s文具小物





9cixbxcz_s絵小皿





Qzpq_uk8_s白描源氏絵



 他のイベントで展示された『源氏物語』に関連するグッズは、まだまだあります。
 手元には、グッズ画像があと数百枚はあるので、折を見てアップしましょう。


源氏千年(53)500点のグッズ(2)

 「ギャラリー源氏」で展示販売されている、56社の千年紀関連の記念商品500点の紹介です。

 ネットの速度を考慮して、三分割して掲載します。
 これは、第2回目です。



3cbc2aav_sお茶





Ux51w14y_sお菓子





Itm4jmc6_s漬け物





Ozzhyury_sしば漬け





Asljnm7i_sたけのこ





Yn6palir_sせんべい





La1_uuwm_sお酒





Hzmpy2sr_sお菓子





Indsvnkk_s源氏本1





Iare02x2_s源氏本2





3qy3nejw_sキャンドル





Ubqkag8z_s文具小物





Gyd6jb8b_sネクタイ





5rfsrik0_s風呂敷・小箱





1wx3fti8_s風呂敷





Itojkylm_s風呂敷





Zixc3jm5_sお香





Iaftda0u_sバッグ





Nyzyyuj8_s扇子小物





Fvf3uv46_s花飾り




2008年7月 5日 (土曜日)

源氏千年(52)500点のグッズ(1)

 京都文化博物館の前の高倉通りを南に100メートルほど下がると、右側に「WAZA GU」というビルがあります。
 次の写真は、ビルの南側から来た道沿いを見たものです。写真の奥に茶色の古代学協会の建物(旧平安博物館)が見え、その隣に京都文化博物館があります。


Kcpclr8h_s全景



 「WAZA GU」の1階に、源氏物語千年紀委員会と京都国際工芸センターが、公式ギャラリー「源氏」をオーブンしました。


U_sdbiz9_sギャラリー源氏



56社の千年紀関連の記念商品が、なんと500点あまりも展示販売されています。


Otxctgym_s店内奥



 店内の奥には、所狭しとグッズが並んでいます。

 奥から入り口を見ると、こんな感じです。入り口から真ん中までは、源氏物語グッズではありません。


Wzigknky_s入り口を見る



 お店の方から了解が取れましたので、本日並んでいた商品のすべてを写真でご覧ください。
 ただし、数が多いので、数回に分けてアップします。

 とにかく、いろいろなものが開発されています。これ以外にも、各所で売られているので、この一年間でどれだけの関連グッズが店頭に並ぶのか、受容史などといってはいられないほどの熱気に包まれています。

 商魂というものを通り越して、源氏文化の噴火というべきでしょう。

 以下、カタログ代わりに、写真を列挙します。



2hidoxxh_s風呂敷





R533ul_l_sお菓子





Yhge7gq9_s扇子





Yznqircy_sおもちゃ





Aslpklxk_sお酒





4zb4wzhq_sお酒





730uaomh_s小物入れ





Bah0az7x_sクッキー





Mivozru5_sお酒





5kpqif2e_sお酒





Jftbetra_s源氏絵掛け軸





Qzygxhzt_s食品





Xhvsorxc_s食品





Ytj2g4qp_sお茶





Cbkskf5v_sお酒




2008年6月30日 (月曜日)

源氏千年(51)東西の温度差

 『源氏物語』の千年紀にあたる新年から、京都の自宅では、これまで購読していた朝日新聞に加えて、京都新聞も購読するようになりました。

 前半の半年を迎えた今日までに、新聞に記事となった『源氏物語』に関する情報を整理するつもりでした。しかし、何かと多忙で、なかなかまとめられません。また、その数量も半端ではありません。

 半年間の新聞記事を見ての印象を記しておきます。

 まず、『源氏物語』の千年紀に関する東西の温度差は、明らかなものとなっています。

 京都新聞などでは、毎日のように2、3件の『源氏物語』に関する情報が流されています。私は、可能な限り収集しています。それに比べて、朝日新聞は、感覚的には京都新聞の10分の1の情報しか流されていません。京都新聞が地方紙であり、『源氏物語』が京都との縁が深いことは承知しています。また、資料も多く残っています。
 それにしても、あまりにも新聞への掲載量が違いすぎます。

 東京版の朝日新聞となると、さらに少なくて、京都新聞の50分の1といったところでしょうか。

 これほどまでに『源氏物語』を取り扱う記事の量が違うのは、両文化圏の違いの反映でもあります。
 関東においては、『源氏物語』は他所様の日本古典文学作品です。知的な文化としての受容でしょう。
 それに引き換え関西では、内容が地元に連接することから、親しみとなじみの深い作品となっているのです。京都を歩けば、『源氏物語』の文化にぶつかるのですから。

 これが、ニュースになるかならないかの、大きな要因だと思います。

 古典を身近なモノとするためにも、ぜひとも東京での『源氏物語』の理解を広めることが必要だと思います。現状では、あまりにも表面的な受容に留まっているように見えるからです。

 今年は、年末までさまざまな情報が流されると思います。
 とにかく、収集を続けます。
 折をみてまとめて報告を、ということにしましょう。



2008年6月29日 (日曜日)

宇治川での生と死の記事を見て

 『源氏物語』で、浮舟が身を投げようとした宇治川の流れは、結構早いのです。
 宇治川の動画があるので、紹介しておきます。


http://jp.youtube.com/watch?v=F4JcLOsiC4Q&feature=related



 今から30年ほど前のことですが、私は高校の遠足の付き添いで担任をするクラスの生徒たちを連れて、宇治川の上流で飯盒炊爨をしました。その時に、ボートで遊んでいた生徒の数人が、突然川中に流されたのです。流れが穏やかだったので、思っても見ない事態に、必死で河原を走って追いかけて捕まえ、何とか事なきを得ました。
 とにかく宇治川には、流れの急な所があるのです。

 今週の京都新聞の記事に、宇治川での生死を扱ったものがあったので、紹介します。
 不幸なことでもあるので、不謹慎かもしれません。しかし、興味本位ではなくて、宇治川の流れの怖さを書いておきたいのです。

 6月22日(日)に、「流れる携帯 転落女性流さず 増水の宇治川 市民4人が救助」という記事が掲載されました。
 21日のお昼前に、宇治の朝霧橋上流100メートルの宇治川右岸で、散歩中の近くの81歳の女性が、誤って川に落ちたということです。そして、10メートル下流に流された所で、助けられたそうです。男性3人がかりと、それに加えて宇治署員も手を貸して、25分後に救出されたとのことです。
 前夜の大雨の影響もあって、水位は、1メートル60センチにまで上昇していたのだそうです。

 不幸中の幸いと言えるでしょう。いい方々に、それも早く救出してもらえて、本当によかったと思います。

 翌週の26日(木)には、宇治川で不幸な出来事がありました。
 午後7時半ころ、宇治金井戸の白虹橋から、1人の女性が宇治川に飛び込んだのが目撃されました。
 2時間後に、4キロ下流で発見されましたが、搬送先の病院でお亡くなりになりました。
 翌日の京都新聞で、その身元が判明したことと、30歳の大阪の女性であったことが報じられました。

 誤って転落して10メートル流された所を救助された方と、いわゆる自殺と思われる理由で川に飛び込み、4キロ下流で2時間後に発見されたにもかかわらず亡くなられた方という、まさに対照的なニュースでした。

 身を投げた方にも、いろいろと理由があるのでしょう。お亡くなりになった方のご冥福をお祈りするとともに、宇治川が今も人の命を左右するほどの勢いを持った川であることを、いまさらのように思い知らされました。

 平安時代の宇治川の流れはどうだったのでしょうか。
 『平家物語』にも、この川の流れの激しさは語られています。
 『源氏物語』の作者は、この川の流れを、どのような気持ちで見たのでしょうか。少なくとも、その勢いを知っていたはずです。

 不幸なニュースからの連想で不謹慎かと思いつつも、改めて宇治川の流れを思い知り、認識を改めるためにも、記したしだいです。





2008年6月24日 (火曜日)

源氏千年(50)朝日新聞の文化欄に

 本日24日(火)の朝日新聞(朝刊・文化欄)に、「写本研究に新潮流」と題する記事が掲載されています。

 昭和20年代以降に読まれてきた『源氏物語』の本文は、そのすべてが大島本による校訂本文でした。その流れが、今、見直しの時期に入っています。
 物語を読む上での基本となる本文については、『源氏物語』の千年紀というタイミングに、うまく問題提起できたようです。
 これまで、『源氏物語』の本文に関して無関心だった方々が、こうした問題を一緒に考える仲間として参加してくださることが期待できます。
 地味で目立たない世界に、ようやく、こうして光が当たり出しました。これも、行き詰まりを自覚する人が多くなったからでもありましょう。

 遅れに遅れている『源氏物語』の本文の研究も、これからが楽しみです。
 先入観のない若い方々の反応を知りたいと思います。

 今日の記事をまとめられた白石明彦さんは、多様な研究状況の中に混在する問題点を、みごとに切り取って示してくださいました。

 それにしても、このようにして『源氏物語』の本文に関する課題を公開されると、当然のことながら「それでは、どの本文を読めばいいの?」という問い掛けが帰ってくるはずです。

 流布本を見直すという機運が、こんなに早く来るとは思いませんでした。平成元年より、『源氏物語別本集成』の刊行を通して問題提起をしてきた者の一人として、この問題に対処する上での「モノ」を提示する義務があります。
 そこで、現在、3種類の本文が同時に通読できる形式の本を準備しています。『源氏物語別本集成』における巻の配分による第1巻を、10月の中古文学会の時に間に合うように、急ピッチで進めています。
 これには、陽明本(陽明文庫蔵)・池田本(天理図書館蔵)、河内本(天理図書館蔵)の3種類の校訂本文を、見比べて読み進められるようにするものです。また、簡単な語釈も付けます。

 昭和以降に刊行された『源氏物語』の流布本としては、
『定本源氏物語新解』(金子元臣、明治書院、大正14〜昭和5年)
『対校源氏物語新釈』(吉沢義則、平凡社、昭和12〜15年)
があります。
 これは共に、底本としての『湖月抄』を、河内本で校訂したものでした。

 その後、
『日本古典文学大系 源氏物語』(山岸徳平、岩波書店、昭和33〜38年)
は、三条西本を底本としていました。ただし、この新版である
『新 日本古典文学大系 源氏物語』(室伏ほか5名、岩波書店、平成5〜9年)
は、大島本だけで校訂本文を提供しています。

 そして戦後まもなくにもどりますが、
■『日本古典全書 源氏物語』(池田亀鑑、朝日新聞社、昭和21〜30年)
に始まり、
『源氏物語評釈』(玉上琢彌、角川書店、昭和39〜44年)
『日本古典文学全集 源氏物語』(阿部・秋山・今井、小学館、昭和45〜51年)
『新調日本古典集成 源氏物語』(石田穣二・清水好子、新潮社、昭和51〜55年)
が、大島本を中心とした本文で校訂本文を作成しています。
 それが、現在まで続いています。

 ということで、〈いわゆる青表紙本〉としての『湖月抄』や「大島本」以外の本文を校訂本文にして刊行しようという試みは、まさに『源氏物語』の近現代史上はじめて、ということになります。

 とにかく、『源氏物語』の本文がこうして新聞に取り上げられる時代になったことは、研究史上でも特筆すべきことです。
 しばらくは迷走するかもしれません。しかし、地味な分野だけに、時とともに実りある成果が生み出されるにちがいありません。

 思いつきに走らず、さまざまな本文を着実に読み解いていく流れができれば、おのずと確かな手応えが感じられるようになるはずです。

 「写本研究に新潮流」から「本文研究に新潮流」へと展開していくのも、時間の問題となってきました。
 ますます、若者の出番となります。
 元気のいい発言や提案を、期待したいと思います。

 なお、新聞記事の中で「別本系統」という言葉が気になりました。雑多な古写本群を指すものなので、「系統」という分類にはならないからです。しかし、このようなことは、今の流れの中では瑣末なことです。
 それよりも、池田亀鑑の提唱した、〈青表紙本〉〈河内本〉〈別本〉という分類名が不適当な状況において、新しい名称を提案すべきです。
 私は、〈河内本群〉と〈別本群〉という2分別私案を提示しています。ただし、もっといい名称を思案中です。
 先日、室伏信助先生とお話しをしていたら、先生は〈河内本群〉と〈その他群〉にしたら、というアドバイスをもらいました。
 さらによく考えてみます。





2008年6月21日 (土曜日)

源氏の本文はおもしろい

 今日は、國學院大學の豊島秀範先生の所で、「源氏物語の本文資料に関する合同研究会」という集りがありました。

 毎度のことですが、この分野は研究が非常に遅れているために、刺激的な発表や意見交換がなされています。今日も、実りの多い会でした。
 一人でも多くの若い人たちが、この立ち後れている『源氏物語』の本文の調査や研究に係わってほしいものです。

 今日の発表内容で、私が特にいい勉強をさせてもらったのは、次の2つでした。

「大島本『源氏物語』の形容詞」 中村一夫

「『源氏物語』の官職呼称」   田坂憲二

 これは、これからの『源氏物語』の本文研究に、重要な問題提起をしていました。

 中村氏の発表では、本文を緻密に凝視しての成果が示されました。
 語彙という分野に留まらない、ことばを読解する上でのヒントが、たくさん鏤められていました。近く活字となって刊行されるようなので、是非読まれることをお勧めします。

 田坂氏の発表は、「左衛門督」という語句の異同を通して、巻をまたがっての考察に加えて、登場人物の年齢推定という興味深い問題にまで展開しました。
 語句の異同から、このように物語られる中身にまで切り込めるのですから、是非ともこれからの若手に取り組んでほしいものです。

 それにしても、まだまだ〈青表紙本〉とか〈大島本〉に対する姿勢が厳密でないことを痛感しました。〈青表紙本〉ということばで説明したことにする姿勢は、今後とも総括すべき問題です。
 この研究会のメンバーは、そうした問題点を十分に認識しているにも係わらず、つい〈青表紙本〉ということばで誤魔化してしまいます。気をつけたいことです。

 今回も感じました。こんな内容で発表ができる時代が来たのです。こんな質疑応答ができるようになったのです。私にとっては、夢のような環境に身を置くことができるようになったのです。
 30年前に『源氏物語』の本文の整理に着手し、このような討論ができる日が来るのを待ち望んでいた一人として、「意外に早く来た」という印象を持っています。
 予想外に早く『源氏物語』の本文に感心が集まるようになったのですから、後は若手がこうした問題に興味を持ち、育ってくれることを熱望しています。

 そのような場として豊島秀範先生の研究会が機能することを願い、今後とも背後からではありますが、お手伝いをしていきたいという思いを強くしました。



2008年6月14日 (土曜日)

源氏のゆかり(19)説明板13-建礼門跡

 建礼門は、内裏の外側の正門です。
 前回の宜陽殿から南へ真っ直ぐ下ると、二条城北小学校の校門の前に、説明板があります。
 写真の左端にあるのが、それです。


Wkx_zqdh_s説明板



 平安宮内裏南限と建礼門跡

とあります。


 Omtlhyno_s説明板



 この説明板に、内裏の図がありますので、再度引きます。
 

Blwthchb_s内裏図



 この建礼門跡から、元来た下立売通りを臨むと、こんな感じで見えます。


Br1e6_pl_sもと来た道を振り返る



 この内裏の一画は、範囲が狭いので説明板も簡単に見つけられそうですが,実際に歩くと、説明不足ということもあり、なかなか見つかりません。
 案内書が出たら、再確認したいと思っています。




2008年6月10日 (火曜日)

源氏のゆかり(18)説明板14-宜陽殿跡

 紫宸殿跡からさらに東へ30メートルほど行くと、十字路の北方すぐに宜陽殿跡があります。


Uhubutix_s下立売通りから



 これは、通りからは見えないので、つい見過ごしてしまいます。喫茶店の案内標識が目印です。


T5mf247n_s宜陽殿跡



 宜陽殿跡は、本当に見過ごしてしまいそうな場所に、ひっそりと建っています。


Jzfpophp_s説明板



 この宜陽殿には、累代の書物や御物を納めていました。光源氏の四十賀の時に、蛍宮が演奏した琴は、この宜陽殿にあったものだといいます。

 ここからさらに北へ行くと、源氏物語ゆかりの地として今回制定されたものではありませんが、綾綺殿跡というものがあります。


Imkvmzrw_s綾綺殿跡



 ここの説明は、次のような表札で示されています。
 綾綺殿は、宮中の舞などが行なわれたり御物などが納められていました。


7kdf1ig5_s旧説明板



 この綾綺殿跡は、今は喫茶店になっています。


Nkjhr56d_s喫茶室



 町屋風の、なかなか雰囲気のいい店になっています。

 この中には,昔の台所の設備がそのままに置かれています。
 ここでのコーヒーは、気持ちを過去へ誘ってくれます。


Jn_ki6jr_s町屋の台所



 こんな空間に身を置くことのできる環境に、そして文化の継承に、感謝の念が湧いて来ました。




2008年6月 9日 (月曜日)

源氏のゆかり(17)説明板8-紫宸殿跡

 蔵人町屋跡からまっすぐ東へ歩いて100メートルも行かない所に、紫宸殿跡の説明板があります。
 まずは、小路の右側の幟の右横に、かつての石碑と説明標識があります。
 そして、その真向かいの、通りの左側の酒屋さんの自動販売機の横の壁面に、『源氏物語』のゆかりの地としての新設された説明板があります。写真では、かすかに見えているものです。


Czxxlfrv_s紫宸殿跡へ



 もっとも、これも壁に取り付けられたものなので、注意していないと見過ごしてしまいます。総体に、この内裏の区域の説明板は、非常に見つけにくい状態で設置されているので、注意が必要です。
 ここの場合は、「菊正宗」の標識の真下にある、というのが目印です。


Qlrzhicg_s酒屋の壁に



 ちょうど、1人の旅人が写真を撮っておられました。少し高い位置に設置されているので,紛らわしい所になります。


Y9ayzezw_s説明板



 紫宸殿は内裏の正殿で、『源氏物語』では朱雀帝の元服が行われた所です。「南殿」とも呼ばれます。これに対して、朱雀帝の弟である光源氏は、清涼殿で元服をしました。
 紫宸殿の正面には、18段の階段があり、その左右に左近の桜、右近の橘が植えられていました。現在の京都御所の紫宸殿にも、この桜と橘はあります。京都御所の一般参賀の折等に、ご覧になった方も多いかと思います。

 有名な話ですが、この紫宸殿である南殿には、昔から鬼が出ると言われていました。『大鏡』の忠平伝のエピソードが、よく知られています。『源氏物語』でも、光源氏が夕顔を某の院へ連れて行き、そこで物の怪が現れた時、この忠平の話を思い出しています。

 この説明板の前に立っても、まわりが民家なので、内裏の中心にいることが実感としては湧きません。
 とにかく、内裏の中の殿舎の位置関係がよくわかる、という意味で、ここは歩いてみる価値のある一帯です。




 

2008年6月 7日 (土曜日)

源氏千年(49)京文博で記念シンポジウム

 京都文化博物館の別館で、『源氏物語』の千年紀を記念するシンポジウムが開催されました。
 これは、中古文学会関西部会の例会が、特別イベントとして開催したものでした。
 東京からもたくさんの研究者の方々が参加しておられました。
 大盛況のシンポジウムでした。

 「大島本源氏物語の再検討」というテーマのもとに、熱のこもった研究発表がなされ、多くの知的な刺激を受けました。
 私も、最近は大島本の調査を通して、この本について関心を持ち出したところです。
 私は、陽明文庫本を大事にして来ました。その意味では、大島本は無視していました。しかし、いろいろな関わりから、私にとっては無視できない本になったのです。そして、大島本が持つ問題点と、その評価について、いろいろと思いをめぐらさざるをえない状況になってきました。

 そんな時だったので、大いに期待して会場で聞き入りました。
 しかし、あまりにも期待し過ぎて参加したせいか、私にとっては思ったほどの収穫がなかったのが残念でした。

 やはり、パネルディスカッションというのは、難しいものですね。
 パネラーの先生方は、よく資料を博索し、よく調べておられたので、最近とみに記憶力と根気がなくなった私は、感心しながら聴いていました。
 それでも、多くの資料からの推測がシャープ過ぎて、私にはよくわからないことが多かったのです。
 私も年のせいか、くるくる考えることができなくなりました。若い方々の論理展開とその見通しに、もうついていけなくなった、と言った方がいいでしょうか。

 とにかく今日の討論は、私の期待を大いに裏切るものだったので、自転車での帰り道は、ペダルが重たく感じられました。
 パネラーは元気だったし、歯切れもよかったし、説得力を持って語っておられました。それにもかかわらず、どうしたわけか、私にはそのことばに重みが感じられなかったのです。
 発表者に対しては、こんな印象や感想で申し訳ないのですが……。

 特に、大島本の用例検討にあたり、傍記や修正やナゾリを取り込んだ最終本文が資料の基礎となっていたことが、この研究分野のレベルがまだまだ低いことを痛感させられました。
 『源氏物語別本集成』で提示した大島本の本文が、本行の本文をもとにしている意味が、まだまだ一般には理解されていないようです。
 本日も発表者のみなさんが、基本文献とされる『源氏物語大成』を批判的に扱いながら、あの資料編の呪縛から逃れられないのはどこに問題があるのか……。会場の椅子に座ったままで、耳では言葉を聞きながら、心の中では、目の前で展開される少し聞き飽きた退屈な論理の意味を反芻していました。

 最後に、司会の片桐洋一先生が、こんなことばでまとめておられました。

「今までの国文学界が、大島本を持ち上げ過ぎた。」

「『源氏物語』の本文研究は遅れている。」

 そして、「池田亀鑑先生を度外視できない」という研究状況を、痛烈に批判しておられたように聴きました。

 私も、『源氏物語』の本文に齧り付いている1人として、こうした批評には自分なりの答えを用意しています。それが、『源氏物語別本集成』であり『源氏物語別本集成 続』を土台とするものなのですが、これを答えとするには、まだまだ時間がかかります。

 今は、残す所あと10冊となった『源氏物語別本集成 続 全15巻』の完結にむけて、ひたすら作業をするしかありません。その後で、本日のような論争に参加できればいいな、と思っています。

 今日のイベントで私が一番よかったのは、シンポジウムが始まる前に、舞台の横で実演された、和紙と和紙を水と糊とで着ける、「喰いさき」と言われる技法の紹介でした。


Wyw3zvmz_s喰いさきの実演



Q9i401bg_s実演2



 このことは、藤本先生から何度も説明を聞き、実際に目の前でやってくださったのですが、いかにも職人という方の実演を見て、改めて古写本のありように目が向くようになりました。

 開会前のプレゼンテーションが一番よかった、というのは主催者の皆様に失礼ですが、私にとっては確かなメッセージが伝わってきたデモンストレーションでした。





2008年6月 5日 (木曜日)

源氏のゆかり(16)説明板6-蔵人町屋跡

 回廊跡の次は,すぐ東にある「蔵人町屋跡」です。
 前回の回廊跡の説明板があった金網は、次の写真の左端の電信柱の左側になります。

Tywyl9ps_s通りの様子



 そして、この写真の右端の壁面に、「蔵人町屋跡」の説明板が設置されています。
 ここは、和食屋さんの入り口のそばです。
 説明板は、こんな感じで書かれています。


Kqzugx85_s説明板




Vb2brsgp_s復元図



 説明板の中にある、内裏の復元図を拡大しましょう。
 おおよそ、ここがどのようなところかがわかると思います。
 ついでに、内裏の中のどのような所を移動しているかがわかる図も、拡大して掲載しましょう。


Iaa5chfu_s内裏図



 今、自分が内裏の中を歩いているのだ、ということが実感できるかと思います。

 この説明板のある和食屋さんのメニューケースの下には,「蔵人町屋」という石碑があります。


Dccwlnq9_s和食屋



 この『源氏物語』のゆかりの地の説明板は、こうした皆さんの理解と協力のもとに設置されているのです。
 感謝の念が湧いて来ます。



2008年5月31日 (土曜日)

源氏のゆかり(15)説明板7-内裏内郭回廊跡

 弘徽殿があった出水通から一本南に下った通りを散策します。
 千本通から下立売通へ入って、東向きに歩いていきます。
 二条城の左上の一画になります。
 下立売通は、真っ直ぐ堀川通に延びています。


0nagzfud_s千本通から下立売通りに入る



 オートバイが止まっているすぐ右の、金網のフェンスが窪んでいる所に,「平安宮内裏内郭回廊跡」という石柱が建っています。その後ろに,説明もあります。


手前の石碑



 この左のフェンス沿いに、説明板があります。
 金網に取り付けられているので、なんとなく間に合わせのように見えます。


Cu5ufcpu_s説明板



 この場所の真向かいには、露天風呂屋さんがあります。
 これを目印にすると、わかりやすいと思います。


Ikmanznn_s前の風呂屋



 それでは、これから内裏の南側を歩いてみましょう。

 それにしても、京の下を掘ることによる新しい知見は、平安時代をイメージする上では、非常に意義のあることが実感できます。
 一口に掘ると言っても、難しい問題があることでしょう。
 気長に、可能な所から調査することによって、かつての平安京の実態を教えてほしいものです。



2008年5月30日 (金曜日)

源氏のゆかり(14)説明板2-凝華・飛香舎跡

 弘徽殿跡の地点から北の方を見ると,こんな感じの通りです。


Buydmczx_s土屋町通を望む



 このすぐ北の左に立つ狸の場所に、凝華舎と飛香舎の跡があります。
 今は、染め物工場がある所です。

Qg7sus0m_s玄関に



 凝華舎とは、梅壷と言ったほうがわかりやすいと思います。
 弘徽殿女御は、弘徽殿を朧月夜に譲った後は,この梅壷を局としました(「賢木」巻)。

 また、光源氏の養女で冷泉帝に入内した六条御息所の娘の秋好中宮は、ここに住んでいたために梅壷女御と呼ばれました(「絵合」巻)。

 飛香舎は、藤壷という名前で知られています。
 光源氏が想いを寄せた藤壷女御がいた所です(「桐壷」巻)。


5p0kslpp_s説明板



 この説明にもあるように、『源氏物語』が執筆された当時の藤壷女御は、道長の娘で紫式部がお仕えした彰子中宮です。
 『源氏物語』における藤壷の重要性がわかります。



源氏のゆかり(13)説明板3-弘徽殿跡

 出水通りを東に見通す所からの、小路の様子です。
 手前右に、前回紹介した清涼殿跡の説明板があります。
 その真向かいである左端に見える石柱と説明板が、弘徽殿跡になります。
 ビンクの花と、鉢植えが置かれたお宅の前です。


Pfuxb86c_s左が東神明町



 説明板は、本当に民家の外壁に取り付けられています。


Pcm8yhus_s弘徽殿跡



 ここは、光源氏の政敵であった弘徽殿女御のいた所です(「桐壷」巻)。弘徽殿女御は朱雀院の母であり、朧月夜は妹です。
 光源氏と朧月夜が出会ったのは弘徽殿の西廂で、細殿と呼ばれる所でした。そして、この弘徽殿の北側にあった塗籠で、光源氏と朧月夜は一夜を共にしたのです(「花宴」巻)。その後も、アバンチュールはつづきます(「賢木」巻)。
 そしてこのことが、光源氏の須磨退去の原因となります。
 今、物語が書かれて千年後の、この平成の世に、その場所に立てるのです。それも、フラリと自転車に乗って来て……。
 日本文学の楽しみは、こうして実感を持って追認できることにもあります。

 
 現場に来てみると、実際の後宮の位置関係と距離感がわかります。現実の世界は,民家が密集していて、道も狭い小路になっています。しかし、千年前のイメージは、これだけでも湧いて来ます。
 とにかく、物語で光源氏などがいたのは、本当にここなのですから。
 この現実認識は、読書から得られるものを圧倒します。


Aen_qepb_s説明板




2008年5月25日 (日曜日)

源氏のゆかり(12)説明板4-清涼殿跡

 承香殿跡から30メートルほど西に、二つの説明板が向かい合っています。
 まずは、清涼殿跡から。


0pjhzmd0_sさらに西へ



 写真左端の、電信柱と自動車の間に、その説明板がかすかに見えています。
 回り込んで見ると、こんな感じで見えます。



Se4cjj8h_s清涼殿跡



 民家の窓際に建っているので、家の中が少し暗くなったのでは、とお気の毒に思ってしまいます。

説明板には、こう書いてあります。


Ycwujdcw_s説明板



 清涼殿は、天皇の日常の生活と政治の場でした。
 光源氏の元服は、清涼殿の東庇で執り行われました。

 ここから真後ろに振り返ると、次の弘徽殿跡になります。



2008年5月24日 (土曜日)

源氏のゆかり(11)説明板5-承香殿跡

 昭陽舎(梨壷)から西へさらに50メートルの位置に、承香殿跡があります。
 写真の右端に、石碑が建っているところです。


3ubcdwak_sさらに西へ



 石碑と説明板を正面から見たところです。
 民家の格子戸の横に設置されています。


Ijcqahhw_s正面から見る





Ule_wgsx_s説明板



 承香殿は弘徽殿に次いで格式が高く、ここで古今集が編纂されています。
 承香殿を賜った人としては、徽子女王(村上天皇女御、斎宮女御)、藤原胤子(宇多天皇女御、藤原高藤女)、藤原元子(一条天皇女御、藤原顕光女)などが知られています。
 徽子女王は、六条御息所のモデルだと言われています。

 この承香殿跡から、来た道を振り返ると、こんな様子です。


Yp586nxa_s振り返ると



 狭い道路の左側前方に、梨壷や内侍所の跡がありました。

 内裏が意外と小さく感じられます。





2008年5月22日 (木曜日)

源氏千年(48)東京で和菓子展

 東京にある和菓子の「虎屋ギャラリー」で、「源氏物語と和菓子展」が開催されています。地下鉄の赤坂見附駅から青山通りを渋谷方面に少し歩くと、豊川稲荷の向かいにあります。


Ksfkdix3_sとらや



 ギャラリーへの入り口は、駐車場からとなっています。


Yzggxppm_s入り口



 入り口で、「源氏物語と和菓子展」という冊子を貰えます。
 これはぜひ手に入れたいものです。
 この展覧会も、源氏物語千年紀委員会がサポートしています。

 京都は『源氏物語』で盛り上がっています。東京も京都ほどではありませんが、こうした催しがあるのです。

 今回の和菓子展では、片野孝志氏の料紙の装飾は、会場を盛り上げていました。
 お菓子を置いた台の意匠は、とても凝っていてお菓子を引き立てていました。
 私が一番気に入ったのは、「明石」をテーマにしたお菓子でした。
 金と銀の青海波の文様のデザインの下絵の上に、お菓子が置かれていたのです。
 展示場の説明は、こうありました。

源氏は教養深く美しい明石の君と出会い、結ばれる。明石の君が琴の名手だと聞いた源氏は、波の音に合わせてその琴の音を聞きたいと、父親の明石入道に語る。


 別室でのこのお菓子の説明は、こうなっていました。



羊羹製 波 白餡入

都を退いた源氏は、
教養深く美しい明石の君と出会い、
結ばれます。(十二帖明石)
羊羹製『波』は、源氏が、
波の音にあわせて明石の君の琴の音を
聞きたいと語る場面を思わせます。




 ただし、お菓子のデザインと物語内容とのつながりを、もっと説明してほしいと思いました。
  幸い,作品が売られていたので,早速買いました。
 本当は1つだけでよかったのですが、気の弱い私は、1つだけとはどうしても言えず、2つも買ってしまいました。血糖値を気にしているので,1つだけでも多いのに……。
 1つだけを買うことに抵抗があるのは、やはり日本的な文化を背負っているからでしょうか。

 私が宿舎で愛用している角皿に、展示されていた雰囲気を再現してみました。
 皿も、そしてそれを置く台も違いますが、なんとなく雰囲気を出してみました。


Tmuadbvy_s明石1



 とらやの和菓子展を見ていて、神戸凮月堂が昭和52年に創業80周年記念として「源氏菓子」を写真本としてまとめた『源氏の由可里』を思い出しました。
 この「明石」を、家にあったまた別の小皿に盛りつけてみました。明石の雰囲気を出すために,漆塗りのフォークを添えてみました。


Tzr8syl0_s家で



 お菓子で、こんなに遊べるのです。新しい楽しみを発見しました。

 この「明石」は、凮月堂の作品で言うと,次の「帚木」と「真木柱」を合体させたようなものだと思いました。


Uqw2vmxs_s帚木



 こうした創作物は、類想が似通ってくるものです。
 無意識にでも,いろいろとイメージは似通ってくるのでしょうか。


Bnlnv2l4_s真木柱



 『源氏物語』のイメージをお菓子で表現するとは,まさに柔軟な日本文化の一分野と言えましょう。



2008年5月21日 (水曜日)

源氏絵巻のメガネ拭き

 朝日新聞の5月20日版に、「時めきたまふ眼鏡ふき」という記事がありました。
 石山寺が所蔵する源氏物語絵巻をプリントした眼鏡拭きを、昨年10月に東レと開発したところ、それが約5万枚も売れたというのです。

 素材は、超極細糸を使用したものです。
 絵のないものは私も活用していますが、源氏絵が描かれたものが人気とは……。
 これも源氏千年紀の効果でしょうか。

 これを手に入れようと思っていたところ、偶然にも新聞記事を見たその日に、ある方からいただきました。


Wrlg7iwl_s眼鏡拭き



 これは、石山寺の源氏絵巻ではなくて、徳川美術館が所蔵する土佐光則筆『源氏物語画帖』の「初音」の絵です。
 この写真は、私が持っている皿の上に広げて撮影したものです。現物は、写真の白い部分がないものです。

 同じことなら、絵のあるものの方が楽しいので、これを今後は使うことにします。

 いろいろな源氏グッズがあるので、今後ともこうした報告もしたいと思います。
 『源氏物語』の受容史を研究テーマにしていることですので。




2008年5月20日 (火曜日)

源氏のゆかり(10)説明板10-昭陽舎跡

 温明殿からさらに西の方に少し歩きます。


Y9lipihv_s昭陽舎の跡



 昭陽舎は東宮などが住んだところです。中庭に梨が植えてあったので、梨壷とも言います。
 後撰和歌集が編纂された所としても知られています。


Xkr9yifn_s正面から



 『源氏物語』では、冷泉院が東宮の頃に住んでいました。この昭陽舎の北に、光源氏のいた淑景舎(桐壺)があります。

 来た方向を振り返った様子です。すぐ右端の青い鉄柱の所に温明殿跡が、その先に建春門跡が、そして左方向に淑景舎があったのですが、頭の中で再現できますでしょうか。


Masozfih_s来た道を振り返る



 とにかく、今は民家の密集する地域なので、かつての姿は想像するしかありません。

2008年5月19日 (月曜日)

源氏のゆかり(9)説明板11-温明殿跡

 建春門跡から西にまっすぐ進むと、カギ型に左に折れた所の鉄格子に、温明殿跡の説明板が取り付けられています。


Zzkwzumw_s温明殿跡



 説明板が仮止めのような形なので、つい見過ごしてしまいがちです。
 この通りは、いくつもの説明板がなにげない形で取り付けられています。
 左右をよく見て歩きましょう。


F1ijttys_s11の説明板



 この温明殿の南側の内侍所(賢所)には、三種の神器の1つである神鏡が安置されていました。
 『源氏物語』の第7巻「紅葉賀」では、光源氏がこの温明殿の辺りを歩いていて、琵琶を弾く源典侍と出会います。

 この温明殿跡から、今来た建春門跡の方角を見ると、こんな風景になっています。

Cnupsis4_s建春門の方角を見る



 これでは、かえって内裏の様子を想像しにくくなるかもしれません。
 今では民家の密集する地域なので、これも仕方のないことです。当時の面影らしきものはまったくないので、建物の位置と殿舎同士の距離感がわかることが大事です。

 次は、ここから10メートルも行かない右側に移動しましょう。
 この一番上の写真で、見学者が自転車を止めている所です。



2008年5月18日 (日曜日)

源氏千年(47)音楽で『源氏物語』

 俳優の関(観世)弘子さんが、今月の11日にお亡くなりになりました。
 78歳だったそうです。

 阿部秋生先生がお作りになった『源氏物語』の校訂本文(小学館版)を、情感を込めてその全文を朗読されました。自主制作されたCD―ROMは、何と百枚にもなるものでした。
 制作費の一部を支援するという趣旨での送金をすると、出来次第に四五枚のCD―ROMが入った小箱が届きました。したがって、市販されてはいません。公共図書館などに行けばあると思います。
 大分まえのことになりますが、その完成を記念するパーティーが東京であった時に、私もお祝いに行きました。
 今も、必要に応じて、CD―ROMを聞くことがあります。
 日本文化にとって、これは貴重な財産です。

 CD―ROMで思い出しました。
 『源氏物語』の千年紀を記念する一環として、音楽CDが応援グッズとして出ています。


Kujdxele_s2枚のCD



 上が、リンの『源氏ノスタルジー』です。DVDも付いているので、映像でも楽しめます。
 3人の女性が琴・琵琶を奏で、そして歌います。
 収録曲は、「紫のゆかり、ふたたび」「GENJI」「千年の虹」「乱華」「名もなき花」「浅キ夢見シ」です。最初の2曲には歌はありません。
 好みはあるでしょうが、和の雰囲気は出ています。
 「千年の虹」は、耳になじみやすい感じがします。

 下は、服部浩子の『むらさき日記』です。
 演歌です。収録された2曲の内、もうひとつは「松竹梅」という祝い歌で、これは『源氏物語』とは関係ありません。
 これの好き嫌いは、人によっていろいろでしょう。

 私はiPodに入れているので、シャッフルされた曲の一つとして、何かの拍子にこれらを聞くことがあります。最初は何回か聴いていました。しかし、今は自分で選曲して聞くことはなくなりました。

 この2種類のCDは、マァ難しく言えば、『源氏物語』に関する受容資料の一つとして、という位置づけです。

 朝日新聞の京都版(4月29日)によると、『むらさき日記』は今年の1月に発売されて以来、邦楽シングルランキングで17位まで記録した人気曲だそうです。もっとも、源氏物語千年紀委員会が応援歌としているようなので、そのあたりに何か特別な背景があるのかもしれません。あくまでも推測ですが。
 このCDは、『万葉集』と『小倉百人一首』に続く第3弾とのことです。
 日本文学シリーズとして企画を進めていかれたら、それはおもしろいものにまとまることでしょう。

 それよりも、私はリンの方の今後の活動が楽しみです。いい雰囲気があるので、曲に恵まれるといいですね。
 今回のCDには、ケースの上に源氏物語千年紀委員会の認定シールが貼られていました。『むらさき日記』は、ジャケットに印刷されていました。
 ロゴ使用について、認定のタイミングがあったのでしょうか。




2008年5月15日 (木曜日)

源氏のゆかり(8)説明板12-建春門跡

 『源氏物語』の「ゆかりの地 説明板」をめぐる散策です。
 前回の「説明板9-淑景舎(桐壺)跡」から時計回りに、内裏の主だったところを歩きましょう。

 桐壺跡から50メートルほど東に行き、南北に走る裏門通りを南へ30メートルほど下ると、T字路に松林寺の山門があります。


Nlmixgsi_s松林寺



 そのお寺の山門の左横に、建春門跡の碑と説明板があります。
 ちょうど、緑の自動車がある所です。


Urvdx51r_s建春門跡



 この説明板には、「平安宮内裏東限と建春門跡」として、説明があります。
 縦型のものなので、目立ちません。つい通り過ぎてしまいそうです。



I6ezm8l8_s説明板



 すぐ北に桐壺跡があるのですから、内裏の東の端であることが実感できます。
 お手元に、事典などの巻末付録にある「内裏図」を置かれると、この位置関係がわかりやすいと思います。

 この建春門跡から西の方を向くと、狭い道がまっすぐに延びているのがわかります。


I7eolrmg_s西に走る道



 これから、この出水通りの一本南側のこの道を、西に向かって歩きます。
 この通りには、説明板が6カ所も設置されているのです。

 次回は、ここから突き当たりに見える、「山中」と書いてある家の前の、カギ型に曲がった左側にある、内侍所跡にご案内します。

 この内裏の散策には、自動車は邪魔です。
 ご覧の通り、狭い日常の生活道路なのです。車は入れないので、自転車の威力が発揮されます。
 ここを歩かれる方は、ぜひレンタサイクルをご利用になった方がいいと思います。



2008年5月12日 (月曜日)

源氏千年(46)朝日「人脈記」13

 「千年の源氏物語」のシリーズも、今日で最終回です。
 第13回目のタイトルは、「たずねよう 日本語の花」(関東版)/「探り出す日本語の粋」(関西版)です。
 正直言って、このタイトルは共に、私にはあまりしっくりときません。どうしたんだろう、という想いで読み始めました。

 今日は、大野晋先生と丸谷才一氏の2人です。
 大野先生は、国語学者として知られています。そして、タミル語の研究に情熱を傾けておられます。
 今、私の手元に、タミル語訳の『源氏物語』があります。これを、大野先生はどう現代語に訳されるのでしょう。ヒンディー語等とともに、おそらくアーサー・ウェイリーの英訳をタミル語に翻訳したものと思われるので、訳そのものはそんなに難しくはないと思われます。
 現在、ヒンディー語訳『源氏物語』を日本語に訳し戻す作業を進めています。インドのネルー大学から来ている留学生K君を預かっているので、彼と日本の大学院生たちとともに、勉強会をやっているのです。彼もヒンディー語はわかっても、タミル語は皆目わからないと言います。このタミル語は、まだ私の周りに日本語訳できる人がいません。
 どなかた、紹介してくださいませんでしょうか。

 タミル語訳『源氏物語』から、日本の文学や文化をどう訳しているのかを探り、そこから大野先生の言われる日本語とタミル語の近さに迫ることも可能かもしれません。
 これからの人たちに期待しましょう。

 今回、大野先生にこのタミル語訳『源氏物語』を見てもらったら、おそらく話は止まらなかったのではないでしょうか。次のインタビューの機会がたのしみです。

 作家である丸谷氏は、昨年9月に、立川市で開催した国文学研究資料館のシンポジウムで『源氏物語』に関する講演をしてくださいました。非常に楽しい話を伺いました。

「源氏千年(1)講演会 in 立川」
http://blog.kansai.com/genjiito/67

 丸谷氏の『輝く日の宮』は私も読みましたが、あまり印象に残っていません。想像力を働かせるにしても何かと制約が多くて、大胆な展開とはならなかったことが惜しまれます。その構想の背景には、大野先生との対談があったようです。
 なかなか実証しにくいことを、小説という分野から切り込もうとされました。その意欲に敬意を表します。しかし、読み手が何をおもしろく思うかが、絞りきれなかったのではないでしょうか。さらなる挑戦を、続編という形でしていただきたいものです。

 4月21日に始まったこの「人脈記」は、今日までの22日間というもの、私は毎日、新聞が配達されるのを心待ちにして読みました。あっという間の13回の連載でした。

 これまでを少し振り返ってみましょう。
 このシリーズは人という接点がポイントです。
 そこで、年代と性別で整理してみました。
 いろいろな形で人名と年齢が記されているので、今は写真が掲載された方を対象にしました。
 男性は 22人、女性は 16人です。



   30代 40代 50代 60代 70代 80代 90代

男性  1   2   2   10   1   5   1

女性  0   6   3    0   3  4  0   


 ここで気づくことは、30〜40代に男性が少ないのに、60代は圧倒的に男性が多いことです。これは、現在の『源氏物語』の受容は、60代の男性が背負っている、という傾向を示しているのでしょう。それに対して、女性は40代の方々が中心となっているとも言えるでしょうか。

 最初の私の予想では、演劇や漫画や音楽がもっと取り上げられると思っていました。しかし、終わってみると、『源氏物語』にま正面から向かっている人々を対象としたストーリーになっていたように思われます。これは、筆者である白石明彦さんの1つの見識なのでしょう。紳士的なきれいなまとめ方、と言えます。
 写真を担当された八重樫信之さんも、人々の表情から、その人柄を引き出そうとしておられるのが感じられます。38人のさまざまな表情を、たっぷりと楽しませていただきました。
 取材にあたられた白石さんと八重樫さんの、お2人のお人柄が、文章と写真から伺えたようにも思えます。

 『源氏物語』という一作品だけで、これだけの情報が提供されたことは、まさに驚異というべきでしょう。それだけ、奥の深い作品だ、とも言えるのです。

 源氏千年という節目の年に、こんなにすばらしい企画をまとめあげられた白石さん、そしてそれをサポートされた八重樫さんに、改めて労いの気持ちと、お礼と感謝の言葉を贈りたいと思います。
 お疲れさまでした。そして、ありがとうございました。
 大いに楽しませていただきました。



2008年5月10日 (土曜日)

源氏のゆかり(7)説明板9-淑景舎(桐壺)跡

 二条城の北西の端から500メートルほど北に上ると、田村備前町があります。その一角に、淑景舎(桐壺)跡があり、源氏千年紀の記念の説明板が建っているとのことなので、早速でかけました。
 この日も自転車ででかけました。京都を散策するには、自転車が一番です。
 何よりも、ゆっくりと漕ぐ早さが、まわりの様子を見ながら進むのに最適です。

 この田村備前町とその左隣の東神明町には、源氏ゆかりの説明板が8基も建てられています。民家が建ち並ぶ地域ですが、点々と説明板があるので、歩くだけで当時の内裏にあった殿舎と殿舎との距離感がつかめます。
 そして、ここにあの人がいたのか、ここであの人が彼と……などなど、タイムスリップを楽しめるのです。

 最初の目的地である淑景舎(桐壺)跡は、上京区出水通浄福寺東入ルになります。
 光源氏の母、桐壺更衣が帝のもとへ通ったのが、ここからでした。光源氏が雨夜の品定めをしたところでもあります。
 南北に通る浄福寺通りから東西に走る出水通りに入り、まっすぐに東向きに自転車を走らせたのですが、どこまで行っても説明板が見つかりません。


Juxgd6aq_s桐壷跡がみつからない



 どんどん行って、智恵光院通を突っ切ってしまったのに、それでもないのです。
 しかたがないので、引き返してきたところ、何と先ほど通り過ぎた所の壁の裏側に、「ゆかりの地」の説明板が取り付けられていたのです。
 これでは、見つからないはずです。


Mbfepvld_s説明板発見



 ローソク屋さんが目印です。
 そばまで来ると、こういう形で見えます。


Db71i2lp_sローソク屋さんの前



 説明板の文面は、こうなっています。


F5afji4b_s説明板



 この中央にある内裏図の中の赤い点が、説明板のある場所を示しています。これを頼りに、この一角を回ると、効率よく回れそうです。

 次回から、この桐壺の跡を起点にして、時計周りでこの内裏の建物跡を確認していきましょう。



2008年5月 9日 (金曜日)

源氏千年(45)朝日「人脈記」12

 第12回目のタイトルは、「モテ男 タイムスリップ」(関東版)/「現代作家 奇想天外の発想」(関西版)です。

 『源氏物語』をもとにしたエンターテインメントとしての現代文学作品として、清水義範氏の『読み違え源氏物語』の紹介から始まります。
 ただし、私は以下のブログで、この清水氏の作品を酷評しました。

読書雑記(6)清水義範『読み違え源氏物語』
http://blog.kansai.com/genjiito/159

 この作品が大きく取り上げられたことに、私としては不満です。小説は好みもあるので、その評価は千差万別ですが、作者の知名度からとりあげられたのかな、と思いました。

 私なら、次の二つを俎上にのせて、その話の展開の意外性に触れたことでしょう。

(1)井沢元彦『猿丸幻視行』(講談社、1980年)
    第26回江戸川乱歩賞受賞作
(2)長尾誠夫『源氏物語人殺し絵巻』(文芸春秋、1986年)
    第4回サントリーミステリー大賞読者賞受賞作品

 2人目の柴田よしきさんは、私はまったく知りませんでした。ここで紹介されてる『小袖日記』は、早急に読んでみるつもりです。

 3人目の森谷明子さんの『千年の黙』は、鮎川哲也賞を受けたものです。私も読みました。ただし、あまり印象に残っていません。なんとなく中途半端な印象が拭えませんでした。決して悪くはなかったのですが。
 その続編が、今年発表されるとのこと。次作は期待できると思います。

 本記事の筆者である白石さんの文章について、私は最後のとじめの言葉が好きです。簡潔明瞭にその回の内容を踏まえた寸言が、記事をキリリと絞めています。


『源氏』はいまも作家たちの想像力を刺激してやまない。


 『源氏物語』の二次的受容資料としての現代作品は、なかなかいいものが多いと思います。
 確かに『源氏物語』は、作家の想像力を刺激する作品なのでしょう。平安時代にできて以来、ずっとさまざまな形で受容されたのです。

 読み継がれる中で、受容を経ての再生産される『源氏物語』は、まさに生き続ける古典です。
 一人でも多くの方に、この千年紀を奇縁として、通読していただきたいと思います。

 なお、「人脈記」は、残す所あと1回となりました。
 来週の月曜日の最終回は、どのような内容なのか、今から待ち遠しい気持ちです。

2008年5月 8日 (木曜日)

源氏千年(44)朝日「人脈記」11

 第11回目は、「反権力で読む王朝絵巻」(関東版)/「学生運動の熱気 研究に」(関西版)です。

 現在の『源氏物語』の研究について、私は停滞期にあると思っています。
 好き勝手に読んできた結果、今、自分たちが読んでいる『源氏物語』の本文が一体何なのか、という、足下を見つめ直そうとし出した時期になっていると認識しています。
 池田亀鑑に対する神話を崩せた、ということも要因の一つでしょう。
 『源氏物語別本集成』恐るべし、と思っているのは私だけでしょうか。
 この点については、明日ご一緒に鞍馬寺所蔵の与謝野晶子訳『源氏物語』の自筆原稿を調査する神野藤昭夫先生の力強い支援があるので、身贔屓だけではないように思っています。

 その意味では、今日のタイトルで、関西版の「学生運動の熱気 研究に」が、あの熱き時代と現状との落差が伺えて、絶妙の見出しだと思いました。関東版はきれいすぎます。スルメを齧りながらの評論家の姿勢でのネーミングとなっているのが惜しまれます。

 今日の「人脈記」の話は、東大安田講堂事件から始まります。藤井貞和先生です。「バリケード」という言葉が、今の若い方々にどう伝わるのでしょうか。
 その時、私は高校2年生でした。
 私が通う高校も、バリケード封鎖がありました。実は、私もその封鎖に加担していました。デモにも参加していました。
 高校の文芸誌に、デモに参加したときの思いを「隆司の場合」という短編の小説にして発表したのが、今でも鮮明に思い出されます。もっとも、私が書いた作品のタイトルは「ある日のデモ」でしたが、文芸部の先生の配慮からか、勝手に変えられていたのですが……。添付した資料も、学生運動に関するものだったせいか、途中でカットされていました。あの頃は、そんな時代でした。

 高校3年の時には、授業の前に黒板に、授業が何なのか、今やっている授業の内容はどのような意味があるのか、という文章を、黒板の全面に必死になって書きました。また私は、日本史と物理の先生に質問攻めにする役割を果たしていました。その物理の先生が、秋には転勤されたので、申し訳ないことをしたとの思いが今でもあります。高校生ではありましたが、社会の問題と連携した意識でいられた時代でした。

 「国家権力」ということばも、いまではそのパワーを失速させているように思えます。当時は、もっと自分という存在との対決姿勢が鮮明なことばでした。

 古典を読む、それも『源氏物語』を読む、ということは、軟弱な象徴だったように思います。私は、谷崎潤一郎の小説が好きだったことから『源氏物語』に興味を持ちました。大学に入ってからです。当時は、作家か新聞記者になりたかったのです。

 それはさておき。

 この導入部分を、若い方々がどのように読まれたのか、知りたいと思います。書かれている意味が、どの程度理解できたか、という意味からです。社会情勢が違いすぎるので、『源氏物語』の研究史的には、説明がもっといるのではないでしょうか。
 この確認作業は、『源氏物語』を読むことや、研究する意味を問いかけてきます。
 今回の記事を契機として、その当時から今への流れを追跡をしてほしいものです。

 藤井先生から長谷川政春先生へとバタンが渡ります。
 長谷川先生は大学の先輩でもあり、お書きになったものをよく読みました。折口信夫を背景にした『源氏物語』の研究に話が展開しなかったので、私にとっては少し物足りなさを感じました。
 話を物語研究会へ導くためであることはわかりますが、長谷川先生のつなぎ役が中途半端な印象を受けました。これも、限られた紙面からくる筆者の苦しさが伺えるところです。
 後の安藤徹先生も同じです。もっとも、ご本人は今、今週末の中古文学会の会場校として奔走なさってる頃でしょうが……。

 生前の三谷邦明先生の話し振りや書きっぷりには、ただただ圧倒されました。エネルギッシュな先生でした。
 ある席で、三谷先生から、『源氏物語別本集成』は使いにくくてだめだ、と、いつもの大きなお声で叱責されました。私は、自分が読む本文を探すための資料集だという点から説明したのですが、その時に、もうそのくらいにして、と横から話の流れを変えてくださったのが、三田村雅子先生でした。まわりの雰囲気を読み取って、思いやりのある対応をしてくださる方だと思いました。

 私自身は、物語研究会には距離を置いていました。自由に読む前に、大島本だけで『源氏物語』を読むことに疑問を持ち続けていたからです。一冊でも多くの写本を翻刻することに没頭していたのです。

 今日の「人脈記」には、少なからず違和感を持ちました。
 最後のまとめが、次のようになっています。


 『源氏』研究をリードする学者が輩出した物研の発表会は、4月で350回をかぞえた。会員約250人。学生運動の熱さが生んだ自由な気風をいまも受け継いでいる。


 今回ブログの冒頭に記したように、物研の始発時の精神は、今はどう受け継がれているのか、時代認識に隔世の感がある現代において、この研究会という組織はどのような存在意義を持ち得ているのか、会員ではない立場からは見えないだけに、気がかりです。

 物研の果たした役割は認めますが、今の役割は、という点がわからないので、このような失礼ともいえる感想を記してしまいました。
 私は、この40年で時代は変わったと思います。
 今は、論理を振り回すのではなくて、足下を、本文をじっくりと見定める時代だ、と思っています。
 少し乱暴な意見を記しています。このことで論争をする気はまったくないので、反論をお持ちの方々には申し訳ありませんが、放言としてご寛恕のほどを。

 今回の記事は、いい問題提起をしてもらえたと、高く評価をしています。

 ただし、論客であった三谷邦明先生の急死ということもあり、記事の文章に筆者である白石さんの感情が出ていたように思えます。これまでにはなかった書きぶりのように感じたのです。話題に感情移入があったために、雰囲気がこれまでとは異なっているのでしょうか……。

 この記事の筆者よりも、物研を遠くから見ていた者としての私の方が、客観的に書かれている内容を読み取った、と言えるのかもしれません。
 生意気なものいいですみません。妄言多謝。




2008年5月 7日 (水曜日)

源氏千年(43)朝日「人脈記」10

 第10回のタイトルは、「これぞ傑作! 翻訳の至福」(関東版)/「世界に響く 人間描写」(関西版)です。

 『源氏物語』は世界中で読まれています。現在私が確認した所では、20種類の言語で翻訳されています。
 黄金週間で中断していた「人脈記」では、今回は海外での翻訳状況を踏まえた話となっています。

 フィアラ先生は、何かと連絡をくださいます。非常に細やかな心配りのできる方です。お願いした約束は、キッチリと果たしてくださいます。今日の記事にあるように、「なめらかな日本語」で話されます。
 今年、チェコ語訳が完成しました。近刊の『源氏物語【翻訳】事典』でも、先生直々の原稿をいただきました。

 2人目のエルキン先生は、今年の1月まで職場でご一緒でした。トルコ語への翻訳の苦労話を、たくさん伺いました。今日の新聞を見ると、トルコ語訳『源氏物語』は、今秋刊行とのことです。しばらく連絡がとれなかったので、心配していました。お元気のようで、安堵しました。

 サイデンステッカー訳の『源氏物語』を凌駕する英訳を果たされたタイラー先生も、『源氏物語【翻訳】事典』に寄稿してくださいました。いろいろなイベントでお世話になっています。飾らない語り口が、多くの方々の信頼を得ていると思います。もっともっと、翻訳の裏話を聞きたいものです。

 今回登場の3人の先生は、みなさん日本の文学を熟知しておられます。このような先生方が、海外にはたくさんいらっしゃいます。そして、その教え子である学生さんたちも、海外にもかかわらず『源氏物語』と真剣に取り組んでいるのです。
 日本人よりも熱心に『源氏物語』を読んでいる方が多いので、海外に行くたびに、日本の研究が遅々として進まないことに焦燥感を覚えます。

 日本の文学作品は、海外では非常に注目されています。書店に入るとわかります。近現代の文学の翻訳が多いのですが、古典も予想外に健闘しています。
 たくさんの日本の文学作品が、さまざまな言語に置き換えられて、たくさんの海外の方々に読み続けられています。

 まさに、『源氏物語』は世界文学の中の一大金字塔なのです。




源氏千年(42)新聞誤報で「車争図」見られず

 上賀茂神社では、5月4日に「御禊の儀」がありました。
 これは、今月15日に行なわれる葵祭のヒロインである斎王代が、身を清める儀式です。御手洗川に手をつける所作が、写真で報じられていました。
 この「御禊の儀」は、上賀茂神社と下鴨神社とが隔年交代で行なっています。

 5月5日の朝日新聞(関西版、朝刊)は、このニュースを次のように記していました。



 源氏物語千年紀の今年は禊の儀の場所取りを描いた「車争い」の巨大なバネルも登場、儀式に彩りを添えた。
 パネルは高さ5メートル、幅17メートル。禊の儀で行列に参加する光源氏を見ようと、光源氏を愛する六条御息所と光源氏の妻葵の上が牛車を止める所を争う場面を描く「源氏物語車争図屏風」を引き伸ばした。
 今年新調された十二ひとえに身を包んだ斎王代の村田紫帆(25)さんには今回初めて地元の小学生が育てたフタバアオイが飾り付けられた。パネルは6日までと14〜17日に見られる。



 ここで言う「源氏物語車争図屏風」は、掲載されていた写真から、京都文化博物館の源氏展で展示中の「車争い図屏風」(土佐光茂作、六曲一双、江戸時代、京都市歴史資料館蔵)だと思われます。

 この巨大パネルを見たかったので、5日に行くつもりでした。しかし、当日はお昼頃から小雨となりました。朝日新聞には「6日までと14〜17日に見られる」とあったので、雨が上がる6日に行くことにしました。
 そして今日6日、朝日新聞の朝刊に、こんな訂正記事が掲載されました。


 5日付「源氏屏風さながら 葵祭」の記事で、「車争い」のパネルが見られるのが「6日までと14〜17日」とあるのは、「5日までと15日」の誤りでした。訂正します。


 巨大パネルを見に行こうとしていただけに、見られるのが昨日までと15日だけだとわかり、ガッカリでした。18日は京都で調査なので、前日の土曜日に見る機会も奪われた形です。

 またいつか公開されることを願って、今回は諦めます。

 昨日が雨でなければ、と思うと、この誤報の被害にあわれた方は多いのでは、と推測します。
 新聞の訂正欄では、人名や顔写真の間違いなどはよく見かけます。しかし、自分の行動予定を狂わすものに直面したのは初めてです。
 報道の正確さの重要性を再認識しました。




2008年5月 6日 (火曜日)

源氏のゆかり(6)説明板31-雲林院

 雲林院というと、『大鏡』の菩提講の席での語りを思い出します。
「先つ頃、雲林院の菩提講に詣でてはべりしかば、……」と始まる『大鏡』の文章を、高校の古典の時間に教わった方が多いことでしょう。
 ここを舞台として、昔語りがなされていくのです。

 その雲林院は、かつては広大な寺院だったようですが、今は大徳寺の塔頭として江戸時代に建てられた小さなお寺を構えています。


Kbyph99f_s雲林院



 説明板によると、雲林院には「うんりんいん」と振りがながふられていました。
 私は、これまでは「うりんいん」と言っていました。どちらでもいいのでしょうが、ここで「うんりんいん」とあるのですから、今後はこのように呼ぶことにしましょう。


Pvnwvjiw_s説明板



 最初は「紫野院」と言われ、「雲林亭」の後に今の「雲林院」となりました。
 葵祭で、斎王が上賀茂神社の神館を出て斎院に帰るのを「祭のかへさ」(還立の儀)と言っています。『枕草子』に語られています。
 この「祭のかへさ」を見物する場所として、雲林院は格好の地点だったようです。

 この雲林院は、六歌仙の一人である僧正遍昭が大きな役割を担っています。
 境内にも、遍昭の和歌が歌碑としてありました。


8e8ew6ip_s遍昭の歌碑



 天つ風雲のかよ比
 千ふき登ち餘
 をと免の姿しは
 しとゝめ無
  (正確な字母は後日確認します)


 雲林院と『源氏物語』との関係について触れておきましょう。
 「仁明天皇・常康親王・遍照」という史実のありようが、『源氏物語』においては「桐壺帝・光源氏・律師」という設定として物語の背景にある、と小山利彦先生(「雲林院と紫野斎院」角田文衞・加納重文編『源氏物語の地理』思文閣出版、1999年)は指摘しておられます。
 小山先生とは、先月の京都文化博物館での『源氏物語展』の開会式でご一緒しました。大学の先輩でもあるので、いつもいろいろと教えていただいています。
 その日も、帰りに四条川端通りのおでん屋でお酒を飲みながら、いろいろな話を伺いました。
 この雲林院のことについて、聞くのを忘れていました。機会があったら、さらに詳しいことを聞くことにしましょう。

 『源氏物語』を読む時に、歴史とどう関わらせて読むかは、おもしろい問題です。
 当時の読者に近い立場で読む場合には、これは非常に大事なことだと思います。
 この雲林院も、『源氏物語』を読む上では、貴重な情報を与えてくれます。

 なお、雲林院跡の発掘成果が、この雲林院から2本ほど道を東へ行ったところにあるマンションの壁面に、説明板にして残されています。


Pcfww0aj_sマンションの壁面



Skch10ow_s壁面の説明板



 現在とかつてのたたずまいの違いが、この説明によって実感として得られることは貴重です。
 お勧めのスポットです。




2008年5月 3日 (土曜日)

源氏のゆかり(5)説明板28-鞍馬寺

 鞍馬寺については、本ブログ2007年9月23日の「京洛逍遥(16)鞍馬寺」(http://blog.kansai.com/genjiito/69)で紹介しました。
 また、1週間ほど前の4月28日の「鞍馬寺にある晶子の源氏訳自筆原稿」(http://blog.kansai.com/genjiito/265)でも、その様子を記しました。
 今回で、鞍馬寺のことは3回目となります。

 鞍馬寺から歩いて下る途中に、由岐神社があります。
 そこからさらに下ると、道端の石垣の陰にひっそりと説明板が建っています。
 これは、昨年にはなかったものです。先週は、ケーブルカーで降りたので、わかりませんでした。
 どこかにあるはずだと思っていましたが、こんな形でありました。


U7dmsdv7_s道端に



 この説明板は、鞍馬寺が『源氏物語』の「若紫」にでてくる「北山のなにがし寺」の候補地であることを記しています。説明の最後で、岩倉の大雲寺も、その候補の一つであることに言及しています。

Pgaicwkg_s説明板



 初めてここにきた人は、この説明板の場所がわからないと思います。
 もう少し案内の標識を置いてもいいと思いました。
 私も、偶然ここにあるのを見つけました。あるとは知っていても、こんなところに、というのが実感です。

 ここから来た道を振り返り、由岐神社の方を見ると、木の立て札が目に留まります。


由岐神社を臨む



 この札は、『源氏物語』の「若紫」にある歌に関するものだとわかります。


F2aq0lhc_s涙の滝



 吹きまよふ深山おろしに夢さめて
  涙もよほす滝の音かな
   (『源氏物語』若紫の巻)


 ただし、この歌がどんな意味をもち、「若紫」の中でもどのような場面に関係するのか、何も説明がありません。
 近くの説明板にも、このことには触れていません。
 この札の前に佇んでいると、水の音が心地よく響いてきます。
 先の説明板といい、この立て札といい、いかにも唐突に、鞍馬と『源氏物語』の接点を突きつけられた感じになります。

 『源氏物語』との関係を物語る、丁寧な説明が必要です。
 来週も鞍馬寺へ行く予定をしているので、お寺の方に、このことについてお話ししようと思っています。




源氏千年(41)『源氏物語を読み解く100問』

 連休の書店に『源氏物語を読み解く100問』(伊井春樹、NHK出版 生活人新書254)というおもしろい本が並んでいます。


Z50pvyry_s新書



 これは、『源氏物語』に関するクイズ100問を収録したものです。

 第1問は、「源氏物語はいつの時代に書かれましたか。」とあり、4つの時代区分から答えるようになっています。
 次のページに答えがあります。『紫式部日記』の寛弘5年(1008)11月1日のことが説明され、答えの根拠が示されます。

 実にさまざまな問題が出されています。
 そして、問題を解くうちに、やさしい解説を通して、自然と物語の内容が理解でき、『源氏物語』の周辺が見えてきます。まさに、源氏文化が学べる本となっています。本書の腰巻きにもあるように、

 豪華絢爛な平安ワールドへ
 千年紀だから、
 「源氏力」を
 つけよう!

ということです。
 「源氏力」とは、また新しいことばが生み出されました。

 第100問は「大和和紀の十三冊からなる源氏物語のタイトルは( )という。」です。
 これは4択問題です。

 これからもわかるように、全体を通しても、難しい質問はあまりありません。自分が知っていることを確認し、解説を読んで楽しむ本です。

 連休中のひと時に、連休疲れの息抜きに、ハンディーな一冊です。



2008年5月 2日 (金曜日)

源氏千年(40)朝日「人脈記」9

 第9回のタイトルは、「写本に息づく古人の執念」(関東版)/「2千数百枚 執念の写本」(関西版)です。

 現在一般に読まれている流布本は、大島本と呼ばれる写本をもとにした活字の校訂本文です。これは、室町時代以降の膨大な手が入ったもので、江戸時代にまでわたって加えられた修正の跡をたどって作成されています。『新編日本古典文学全集』(小学館)などがそれです。しかし、この本文はどういうものなのか、今われわれは何を読んでいるのか、ということが問われだしました。

 この大島本に対する評価の再検討が叫ばれている機運を背景に、藤本孝一先生のご指導をいただきながら私と数人のグループで、現在この大島本を精密に調査しています。その実地調査の様子を、本日の記事では写真付きで紹介してもらえました。
 重要文化財である大島本の調査に使用している拡大装置とカメラは、ニコン製のものです。70倍に拡大して、問題箇所をデジタル撮影しています。
 貴重な資料を扱う時には、写本を傷めないようにするために、金属類やボタンなどは身につけません。藤本先生も私も軽装なのは、そのためです。背広のボタンやネクタイや時計などが、資料を傷めるからです。

 今回のように新聞という媒体を通して、少しでも多くの方々に実際に調査研究している現場を見ていただけたのは、本当にいい機会でした。地味な研究分野なので、若い研究者がなかなか育ちません。
 古写本という原典資料を扱う研究は、短時間には成果が見えません。しかし、着実に前に進んでいけます。これからの世代の方々が、こうした分野に一人でも多く参加してもらえることを願っています。

 次にバトンを渡された、私の恩師である伊井春樹先生は、いつも楽しい話で夢を与えてくださいます。初めてお目にかかった時に、今から30年も前のことになりますが、「本は探している者にお出でお出でをしてくれるもの」と話してくださったことを、今でも覚えています。
 自筆の『源氏物語』の話は、いかにもありそうなことです。古筆家による鑑定書は、おもしろいものです。人の鑑定をあてにせずに、自分の目だけで実物を見る目が肝要です。これは、修行を要する世界です。

 続いて登場の豊島秀範先生は、私の先輩であり、学生時代からお世話になってきました。今は、豊島先生の平瀬本の調査のお手伝いをしています。河内本と呼ばれている本なのですが、まだその実態が解明されていません。このグループの研究は、多いに期待できる成果を問うものとなることでしょう。

 この記事をお書きになっている白石さんは、難解な事柄を非常にわかりやすくまとめてくださっています。何かと難しい言葉で説明される専門的な内容を、じっくりとお聞きになりながら、それを理解なさるのは大変だったかと思います。
 緻密で複雑な古写本と物語本文の世界を、このようにやさしく紹介していただき、ありがたく思います。
 最後のことばは、「写本研究者たちの見果てぬ夢だ。」となっています。
 さまざまな問題があることを、十二分に理解なさった上でのこのことばです。
 このメッセージが、これから『源氏物語』を研究しようとする方々に伝わることを願っています。



2008年5月 1日 (木曜日)

源氏千年(39)朝日「人脈記」8

 第8回は、「読み手の人生織り込んで」(関東版)/「映し込む読み手の人生」(関西版)です。

 最初は、伊吹和子さん。これまでにも、いろいろなエッセイを読ませていただきました。確か、谷崎潤一郎は『源氏物語』があまり好きではなかった、とどこかに書いておられたように記憶しています。
 川端康成の方が、「谷崎より深く『源氏』を読んでいたのではないか」と言われることに、私は興味を持ちました。逆のように思うからです。私は、川端は『源氏物語』とは遠い作家だと認識しています。谷崎の方が、『源氏物語』の世界に憧れていたのではないでしょうか。ただし、その現代語訳に取りかかってから、『源氏物語』の扱いにくさという点で、あまりのめり込めなくなったのではないでしょうか。山田孝雄の検閲を必要としたことも、思うに任せぬいらだちを引き起こしたようにも思われます。

 伊吹さんの「紫花の会」のつながりで、人間国宝の志村ふくみさんへとバトンが渡ります。
 志村さんについては、本ブログでも取り上げました。

 「源氏千年(24)月で読み解けるか」
 http://blog.kansai.com/genjiito/238

 志村さんと娘さんとのレクチャーに参加した時の報告です。

 志村さんのレクチャーでも「月」が話題として取り上げられていました。
 今回の記事でも、伊吹さんが「月」を話題としておられたことが書かれています。
 「月」というのは、日本の文学を語る時に、重要なテーマとなるようです。私も、井上靖の小説『星と祭』のテーマの延長上に「月」を考えているので、なおさらです。
 改めて、「日本文学と月」について、問題意識を持つことにします。

 3番バッターの堀文子さんは日本画家です。雌カマキリの話は印象深いものでした。

 今回登場の3人は、いずれも80歳の女性ということで、『源氏物語』と人生についての接点で結ばれていました。

 『源氏物語』の多面的な受容相が浮き彫りになり、この作品を読んでみようか、と思うようになられた方も多いのではないでしょうか。
 古文の原文に始まり、現代語訳や外国語訳、そして漫画にアニメに映画と、さまざまな形で『源氏物語』を受容できる環境が提供されています。

 『源氏物語』は本当に恵まれた作品だと、つくづくと思わされます。



2008年4月30日 (水曜日)

源氏千年(38)朝日「人脈記」7

 「ニッポン人脈記 千年の源氏物語」の第7回は「絵師の技 デジタルで読む」(関東版)/「デジタルで見る絵師の心」(関西版)です。

 今日は、国宝源氏物語絵巻の話題に終始します。
 絵巻の科学的調査を推進された徳川義崇氏のことから始まります。IT業界におられただけに、デジタルの手法を導入した解明に果たされた役割は大きかったようです。

 その成果を負いながら進められた、対するアナログ派も大健闘しました。
 復元模写という手法です。
 林功氏からはじまり、その教え子や後輩による支援があって、絵巻の19図すべての復元模写が完成しました。
 私も、その成果は、テレビや図版・著書などで見ました。また、徳川美術館で、その一部も拝見しました。

 昨日、本ブログ「源氏千年(37)錦織の源氏絵巻に驚嘆」で、錦織による源氏絵のすばらしさを報告しました。それ以上に、この復元模写も、すばらしい成果です。
 錦絵は、山口氏の解釈による復元でした。対する画家による復元は、いかに正確に精巧に復元するか、という禁欲的な世界の中で行われたのです。
 手法は異なりますが、こうした2つ源氏絵に対する姿勢に敬服しています。

 『源氏物語』の背景でこのような世界があり、このような人々が動いていることを、今日の「人脈記」も教えてくれました。
 『源氏物語』には、さまざまな人が、さまざまな角度から関わっているのです。このことが今回の企画の中で、このような形の記事として紹介されるのは、日本の古典文学の理解を広げ、深めるためにも、重要な役割を果たしている、と言えるでしょう。

 このシリーズを担当なさっている白石さんの、ますますの健筆を願っています。




2008年4月29日 (火曜日)

源氏千年(37)錦織の源氏絵巻に驚嘆

 相国寺にある承天閣美術館へ行きました。
 先週から始まった、「山口伊太郎遺作展 源氏物語錦絵絵巻」を見るためです。


Qfgamgj1_s承天閣美術館



 織物で国宝の源氏絵巻を織ったもの、ということで、百聞は一見にしかずと、早速でかけたのです。
 見て驚きました。とにかく、言いようのないほどにすごいものを直に見て来た、というのが実感です。
 人間のすることはすごいものだと、大きなエネルギーをもらって来ました。

 山口伊太郎さんは、京都西陣を代表する織物作家でした。それが、昨年6月に105歳で亡くなられたのです。
 その山口さんが、37年かけて「源氏物語錦織絵巻」を完成させたのです。
 実は、最終巻の第4巻は、山口さんの没後も職人さんたちが織り続け、先月やっと織り上がったのでした。田村邦夫さんは、第1巻からずっと織り手を務めて来られたのだそうです。
 この第4巻は、幅33センチ、長さ約12メートルもの大作です。
 極限まで織物の可能性に挑んだ山口さんの意思が、こうして源氏千年紀の春に結実したのです。
 絵巻の詞書も忠実に織ってあるのですから、見ているだけで織物の不思議な世界に引き込まれます。

 今回は、第4巻が完成したことによる、全4巻の展覧でした。しかし、すでにこれまでにも、第3巻までは、何度か展示されていたようです。
 私は、今回はじめて拝見しました。ただただ目をみはって見つめるだけでした。
 緻密な織物に感激して帰って来ました。日本人が伝えて来た技術に脱帽です。その伝統を、このように形として残す職人さんと、それを包み込む芸術家の集団の快挙でしょう。
 国宝の源氏絵巻の複製と思っていた私は、とんでもない思い違いをしていました。

 今回の展示パネルに、こんな説明文がありました。
 「柏木(一)」で、朱雀院が女三宮を前にして苦悩する場面についてです。


伊太郎はある日、月参りに訪れた鷹ヵ峯源光庵のお坊さんに、いろいろとポーズをとってもらって、衣がどのように重なって、下のものがどんなふうに透けて、どこに影ができるか、克明に研究し、図中の院の衣を織り上げました。「鈴虫(一)」で侍女の衣が透けているように浮かして織っていますが、これも白い下着に対して、墨染めの上着は浮かせて二重構造で着せています。


 これだけでも、この錦絵が単なる模写ではないことがわかります。

 この錦絵は、実際に自分の目で見て、見る角度によって色が変化し、立体的に見えるところを堪能すべき作品だと確信しました。写真や図録もありますが、それは単なる平面的な、その場限りの映像にしかすぎません。

 自分の目で見ることの意味を、改めて痛感させられました。
 展覧会は、今年の7月6日まで、同志社大学の北隣にある、相国寺の美術館でやっています。





2008年4月28日 (月曜日)

源氏千年(36)朝日「人脈記」6

 「ニッポン人脈記 千年の源氏物語」の第6回は「王朝の香り あくなき探求」(関東版)/「王朝の香りに酔いしれて」(関西版)です。

 先般、私は松栄堂で催された聞香の会に参加したばかりでした。

「『源氏物語』のお香と、初めての聞香」
http://blog.kansai.com/genjiito/249

 興味を持ち出したばかりでもあり、まったく知らなかった世界が身近に感じられます。

 過日の「源氏千年(30)朝日「人脈記」4」でも触れたことですが、河添房江先生の『光源氏が愛した王朝ブランド品』(角川選書、2008.3)に薫物の章があり、藤原範兼が鳥羽上皇の命で編纂した『薫集類抄』のことも引かれていました。
 またまた、薫物に関する章の見出しだけですが紹介しておきます。

「八 平安のフレグランス その一 『うつほ物語』と『枕草子』」
 ・シャネルの五番
 ・日本の香文化の源流
 ・儀式に使われる薫物
 ・ギフトとしての薫物
 ・『うつほ物語』と『枕草子』の不思議
 ・『このついで』の美学
「九 平安のフレグランス その二 『源氏物語』の世界」
 ・梅枝巻の薫物合の世界
 ・蛍宮の八方美人ぶり
 ・薫物と四季の美意識
 ・鈴虫巻の持仏開眼供養の香り
 ・香りがまじりあう効果

 お香の世界が、ぐっと日常レベルに近づいてきました。

 鳥毛逸平氏はもちろん、建築家の安原盛彦氏についても、今回の記事で初めて知ることが多くありました。『源氏物語』が幅広い分野の研究対象になっていることがわかります。

 村上征勝先生の計量文献学の成果については、先生が統計数理研究所においでの頃からお話を伺っていた話です。それだけに、あの結果を先生ご自身が現在はどのように評価なさっているのか、もう少し突っ込んでもらえたら、と思いながら読みました。

 それにしても、掲載スペースと字数の制限の厳しさを思わざるを得ません。残念です。
 今回の取材にあたって、膨大な情報が白石さんの元に集まっていると思われます。そうした資料と情報を、ぜひとも再構成して、『源氏物語』の現在について一書にまとめていただくことを熱望します。
 源氏千年の年だからこその、『源氏物語』の受容史を総括する、意義深い成果となることでしょう。

 今日の記事が「こんな『源氏』の読み方もある。」と締めくくられており、多くの方々が「なるほど、『源氏物語』は奥が深いものだ」と思われたことでしょう。

 明日の夕刊はお休み、とのことです。
 夕刊を手にする楽しみが一日延びたのは、残念なようで嬉しいものです。


鞍馬寺にある晶子の源氏訳自筆原稿

 洛北鞍馬の鞍馬寺に、与謝野晶子が『新新訳源氏物語』を著した時の自筆原稿があります。
 すべてではありませんが、「乙女」「玉鬘」「東屋」が大切に保管されています。

 なぜ鞍馬寺に晶子の自筆資料が、と思いますが、これは、鞍馬弘教を開宗した先代住職の信楽香雲氏が、与謝野門下の歌人であったことに起因します。
 お寺に隣接する霊宝殿(鞍馬山博物館)の2階には、与謝野鉄幹と晶子の遺品を展示した与謝野記念室があります。また、霊宝殿の前には、昭和5年に建てられた与謝野晶子の書斎「冬柏亭」(東京の荻窪にあったもの)が移築されています。
 これまた、与謝野の門下生であった岩野氏と信楽香雲氏の縁があってのことですが、詳細はまたいずれ記します。

 この晶子の自筆原稿を、今秋開催する国文学研究資料館の「源氏展」で展覧するために、事前の打ち合わせを先月来おこなっていました。そして、過日の打ち合わせの折に、原稿の文字が徐々に消えていっているのだが、という相談を受けました。
 ブルーブラックの万年筆で書かれているために、退色が進んでいるようです。
 早速その問題を持ち帰り、内部で相談したところ、とにかく光を当てることを最小限にする以外にはなく、デジタル撮影による資料収集をして、画像データベースとして公開することで、更なる被害を食い止める方向で了解がとれました。

 また、鞍馬寺からもデジタル保存による対処に理解と同意がいただけましたので、昨日、具体的な方針の説明と撮影等の打ち合わせをするために、鞍馬寺を訪問しました。

 ケーブルカーで上がってすぐに聳える多宝塔のまわりは、八重桜が満開でした。


Wq_0zvo0_s多宝塔と満開の八重桜



 京の町はもう桜は散っていますが、まだ鞍馬の山桜は咲いています。
 本殿金堂から寺務所を望むと、ここにも八重桜がみごとに満開でした。


Xuouss2o_s本殿金堂



 広報担当のS氏は非常に熱意と理解のある方で、今後の対処についてスムーズに打ち合わせることができました。
 展示資料としてお借りすることから始まり、さらにデジタル保存の実現へと、大切な資料が最良の方法で公開できるようになり、交渉担当者としてはホッとしています。
 この晶子の原稿については、神野藤昭夫先生のご教示と、先生の事前調査に負うところの大きいものでした。連係プレーが実を結んだ、ということになります。

 早速、さまざまな手配を施しますが、秋には与謝野晶子の『新新訳源氏物語』の自筆原稿がネットを通して確認してもらえるように、出来る限りのお手伝いをさせていただきます。

 この自筆原稿の紹介等は、国文学研究資料館の特別展である『源氏物語展』の展示図録(思文閣出版)で、神野藤昭夫先生にご執筆いただいていますので、詳細はしばらくお待ちください。




2008年4月27日 (日曜日)

源氏千年(35)朝日の「みだし」への疑問解消!

 今朝、というよりも深夜に
「源氏千年(33)朝日「人脈記」の表題が東西で違う 」
という記事を書きました。

 そして、素朴な疑問、関西と関東で表題が異なることを、執筆者である白石さんに直接お尋ねしました。

 すると、これまた早朝にもかかわらず、ご丁寧な返信をいただき、ご教示いただきました。
 私が聞いただけではもったいないので、正解を共有すべく、ここに報告します。




お尋ねの件ですが、
「東西の編集部で独自にタイトルをつける」が正解です。
正しくは「タイトル」ではなく、「みだし」といいます。
記事をレイアウトしたり、みだしをつけたりする専門の記者がいまして、
東京と大阪ではそれぞれ別の記者がみだしをつけます、
一面や社会面の記事はすべてそうです。




 ヘーッ、と感心してしまいました。
 新聞記事は、たくさんの方々の手と目を通して出来ているのですね。そうだからこそ、偏った内容にならないのでしょう。
 それにしても、関西と関東で、別の記者が「みだし」をつけるとは。
 かつて、私は朝日新聞の記者になりたかったので、この情報は「お宝」です。
 インスタントラーメンの味付けが、関西と関東で違うと聞いたことがあります。東西の文化は、こんなところにもうかがえるようです。
 
 昨日と今日は、連載も一休みです。また明日からはじまるので、どんなことが話題になるのか、心待ちにしています。私のまわりでも、多くの方が楽しみにして読み、話題にしています。
 ネットでも、チラホラと話題になっているようです。

 まだまだ連載が続く大変な時期にもかかわらず、素人の些細な質問に即座にお答えいただいた白石さん、本当にありがとうございました。



源氏千年(34)低次元の朝日新聞の記事に溜め息

 朝日新聞に、「源氏物語の千年紀」をテーマにした連載があります。
 2008年4月26日の朝刊(関西版)の、「屏風が描く恋模様 今日から千年紀展」という記事の中に、気になる表現を見かけました。
 それは、京都文化博物館が開催する源氏展の取材に関するものです。


 25日にあった内覧会には、中国や韓国などの新聞社、テレビ局など計8社の特派員9人も取材に訪れた。特派員らは同展の担当者らに「日本は不倫に寛容な印象を受ける。源氏物語の影響なのですか」などと質問していた。
(高木友絵、村瀬成幸)



 ここで、特派員が日本の「不倫」と『源氏物語』との関係について質問した、とのことを敢えて取り上げた意味は何でしょうか。

 私は、これは担当記者の中国と韓国のへ偏見があるのでは、と読みました。どう見ても、中国と韓国の特派員のおバカさ加減を強調したものいいです。
 また、外国人に『源氏物語』が理解できるのか?、という先入観の表出でもあるかと思われます。

 この記事は、ジェンダーに関わる国際的な文化理解についての、いい教材です。

 もしも、これが本当に特派員の質問であったのであれば、中国と韓国の特派員が持つ文化レベルの低さを露呈したものとなります。
 『源氏物語』という作品が、いかに理解されていないか、文学の評価がいかに低いか、という事例でもあります。

 いずれにしても、低次元の新聞記事に、溜め息が出ました。




源氏千年(33)朝日「人脈記」の表題が東西で違う

 京都文化博物館の内覧会に出席するために、今週の木曜日に東京から京都へ移動しました。そして、京都の自宅にあった朝日新聞の夕刊第1面を見て、連載中の「ニッポン 人脈記」を追いかける文章を、木曜日と金曜日にも本ブログに載せました。

 先ほど、何気なく京都でも購読している朝日新聞を見ていて、この連載のタイトルが微妙に違うことに気づきました。

 深夜にもかかわらず、すぐに東京にいる息子に連絡をして、私が京都へ来てからの木曜日と金曜日の新聞記事を確認してもらいました。
 その結果、以下のような違いがわかりました。

第1回 2008.4.21(月)
・関東「抑留を耐えた宇治十帖」
・関西「耐え抜いた運命の1冊」
第2回 2008.4.22(火)
・関東「よみがえれ平安の恋歌」
・関西「平安のロマン 私の言葉で」
第3回 2008.4.23(水)
・関東「紫の君 素顔を見せて」
・関西「紫式部の面影求めて」
第4回 2008.4.24(木)
・関東「小猫がたぐる運命の糸」
・関西「運命 招き寄せた小猫」
第5回 2008.4.25(金)
・関東「命がけの筆 愛の煉獄」
・関西「煉獄の世界に命をかけて」

 同じ朝日新聞でも、関西と関東とで記事が異なることは承知していました。東京で読んだ記事を奈良や京都で読み、その逆のこともしばしばあったからです。しかし、表題が異なることには、今まで気づきませんでした。
 ということは、この表題は、記事を執筆した方、今回の場合は白石さんが2つの見出しを考えられるのか、それとも東西の編集部で独自にタイトルをつけられるのか、いろいろなことが想定されます。

 些細なことではありますが、気になり出したら眠れない性分なので、実際のところを知りたくなりました。



2008年4月26日 (土曜日)

源氏千年(32)源氏物語千年紀展スタート

 京都文化博物館で「源氏物語千年紀展 ~恋、千年の時空をこえて~」が始まるのを控えて、開会式と内覧会がありました。昨日のブログで、少しそのことを書きました。もう少し、展示会の内容を紹介したいと思います。

 開会式には、新聞発表では700人が招待されたとあります。確かに、別館のホールは人で埋まっていました。

Fzzjna7j_sテープカット



 テープカットの後、特別鑑賞会となり、オープン直前の展示会場へ向かいました。
 会場では、国宝や重文が約40点、すべてで157点ものすばらしい作品が展示されていました。今年の10月から、国文学研究資料館でも源氏展をするので、私は展示する側の者としての視点で見てまわりました。

 ハーバード大学美術館が所蔵する三条西実隆と土佐光信の手になる「源氏物語画帖」は、アメリカからの里帰りということになります。
 ちょうどこの展示コーナーの近くで、ハーバード大学美術館で司書をしておられる、アン・ローズ・キタガワさんにお会いしました。アンさんには、一昨年の2月にハーバード大学へ伺い、美術館が所蔵されている『源氏物語』の鎌倉時代の古写本を見せてもらったときにお世話になりました。今年の11月にも、ハーバード大学で国際集会を開くので、その時に私の発表内容があの『源氏物語』の古写本なので、それを展示してもらうことになっています。偶然にお目にかかり、懐かしさから展示会場であることを忘れて、つい大きな声でお話をしてしまいました。
 ハーバード大学所蔵の『源氏物語』については、先月に「海を渡った古写本『源氏物語』の本文 ―ハーバード大学蔵「須磨」の場合―」(伊井春樹編『日本文学研究ジャーナル 第2号』、平成二〇年三月)と題して発表しました。また、今秋に刊行される論集に、「源氏物語本文の伝流と受容に関する試論―「須磨」における〈河内本群〉と〈別本群〉の本文異同―」と題するものを寄稿しています。
 このハーバード大学の『源氏物語』は、いつかは日本に運んで、里帰り展をしたいと思っています。思い続けていると、いつかは実現するものだと信じています。どうぞ、お楽しみに。

 今回の展覧会の図録は、こんなに見事なものでした。280頁の、ズッシリと重い本です。

Haj4njfn_s図録



 この図録の「第四章 源氏物語の楽しみ 享受の歴史」の「第四節 現代の源氏物語・世界の源氏物語」で、「源氏物語の外国語訳」と題する拙文を寄せています。


Lzji20nh_s拙文



 3頁ほどのスペースですが、『源氏物語』が海外でどのような状況にあるのか、最新情報をもとにして書きました。その一部は、会場のパネルにも引かれていますので、お目に留まれば幸いです。

 図録では、翻訳本をこんな状態で並べて紹介していました。これも、おもしろい手法だと思います。


Cu39mjwp_s海外の源氏



 この中では、クロアチア語訳の『源氏物語』は、ぜひごらんください。日本では、なかなか見られない本です。また、昨年刊行されたハングル訳の最新版があります。これは、私も初めて見るものです。
 こうした本の集積を見ると、『源氏物語』が本当に世界中で訳され、刊行され、読まれていることを実感できます。

 仲間に渡すために、さらに2冊の図録を求めました。その際、こんなトートバッグがあったので、これも買いました。なかなかセンスのいいバッグです。黒地と白地の2種類がありましたが、私はコントラストのはっきりした黒地のものをもらいました。

Uywrqscy_sトートバッグ表



Edrchbmh_sトートバッグ裏



 展覧会の帰りには、こうしたグッズを見るのも楽しいですね。
 今年は、『源氏物語』に関するグッズがあふれていますので、見て歩くだけで飽きません。



2008年4月25日 (金曜日)

源氏千年(31)朝日「人脈記」5

 第5回のタイトルは「煉獄の世界に命をかけて」です。
 今回は、瀬戸内寂聴さんの話に終始しています。
 平成の『源氏物語』を語る時には、瀬戸内源氏は無視できません。現在の源氏ブームは、この瀬戸内訳の『源氏物語』が大きな働きをしていると言えましょう。
 もっとも、私はまだこの現代語訳を読んでいないので、何も言えませんが … 。

 瀬戸内源氏の朗読が、いくつもなされているようです。
 幸田弘子さん、白石加代子さん、名取祐子さん。

 耳で聞くのが物語本来の姿でしょうから、たくさんの朗読が聞けるのはありがたいことです。
 私は、関弘子さんが阿部秋生先生の校訂本文を朗読されているものと、同じく関弘子さんが谷崎潤一郎の源氏訳を読んでおられるものを持っています。
 朗読を聞くたびに思うのですが、すぐに眠くなるのはどうしてでしょうか。『源氏物語』だからなのか、私が朗読のリズムに合わせられないのか、よくわかりません。

 今日の記事では、人形師のホリ・ヒロシさんの話も取り上げられています。ホリさんについては、ちょうど10年前の『アサヒグラフ』(1998.11.13号)で特集が組まれていて、先ほどそれを取り出して写真等を見ていました。宇治市源氏物語ミュージアムで上映されている篠田正浩監督作品の「浮舟」は、ホリさんの人形でした。人を惹き付ける人形ですね。
 人形師と言えば辻村寿三郎さんのことに触れなければなりませんが、それはまた近いうちにしましょう。
 今日の記事では、このホリさんと瀬戸内さんとの接点が最後に示されます。人と人のつながりはおもしろいものだと感心しました。

 今日は夕刻より、明日から一般公開となる京都文化博物館の「源氏物語千年紀展」の、開会式と特別鑑賞会がありました。
 縁あって私も招待を受けましたので、楽しみにして出席してきました。
 知事や館長の挨拶の後、瀬戸内さんの挨拶がありました。

瀬戸内


 自分の作品はダメだが、源氏物語の現代語訳は売れ続けている、と会場を沸かせながらのお話でした。

 会場を後にして、帰宅して新聞を見たら、さきほどお目にかかった瀬戸内さんをめぐる「人脈記」の内容で驚きました。偶然とはいえ、世の中は本当におもしろいものです。




2008年4月24日 (木曜日)

源氏千年(30)朝日「人脈記」4

 第4回のタイトルは「運命 招き寄せた小猫」です。

 猫を巡っての話でまとまっています。
 白石さんの幅広い取材活動のすばらしい成果です。
 よくもこれだけの情報を収集し、それをこのようにうまくまとめられるものだと、一読して感心しました。

 出久根達郎さんから始まるのが、意外で楽しめました。そして、昨夏お亡くなりになったサイデンステッカー先生へと移るのも絶妙です。
 さらには、田中貴子さんを挟んで、河添房江先生へと続きます。
 河添先生のところで紹介されている『光源氏が愛した王朝ブランド品』(角川選書、2008.3)は、誰でも読める好著です。『源氏物語』をネタにしたもので、こんなに楽しく読んだ本はありません。語りかける口調が柔らかで、内容も意外な視点で読む『源氏物語』となっていて、多くの方にお薦めしたい本です。
 今回の記事で紹介されている唐猫に関して言うと、最終章である「十四 舶来ペットの功罪」は、ぜひ立ち読みでもいいのでどうぞ(すみません、よくないですね、ご購入を)。
 小見出しだけでも紹介しましょう。

・『あさきゆめみし』の黒猫
・『枕草子』の「命婦のおとど」
・昌子内親王と選ばれた唐猫
・女三宮の身代わりとしての唐猫
・『狭衣物語』と『更級日記』のロマネスク
・『古今著聞集』の不気味な唐猫

 実は、ちょうど私がこの本を読んでいた時に、河添先生から電話をいただきました。読んでいた本を置いて受話器を取ると、何と今読んでいる本の著者だった、という滅多にない出来事でした。意外な、おもしろいことがあるものです。
 先生の用件は、教え子の一人を国文学研究資料館の特別共同利用研究員として受け入れてもらえないか、ということでした。国文学研究資料館は大学共同利用機関なので、全国の大学院生の研究指導のお手伝いをするのも仕事なのです。その時に電話を少し代わってもらい、本人と話をしました。また後日、『河海抄』を研究テーマとするM君に会い、いろいろと話を聞きました。テーマに取り組む姿勢が真摯で、きちんと研究指導を受けた、なかなかの好青年だったので申請を了解し、その後の審査を経て、無事に受理されました。
 M君の今年度の成果は、下記のホームページで公開されることになります。

http://www.nijl.ac.jp/~t.ito/kinoshita/index.html

 『源氏物語』の古注釈を調べることのある方は、しばらくお休みしていたデータベースが再開されますので、お楽しみに。そして、この『湖月抄』のデータベースを一日も早く完成させるためにも、全国の大学院で勉強している学生の方々の積極的な参加を待ち望んでいます。遠方の方でも、遠慮なく問い合わせてください。平成の『湖月抄』を作成するプロジェクトに、若い方々の協力を期待しています。

 駄弁ばかりで恐縮します。

 とにかく、今日の「人脈記」は、非常によくまとまっていたと思います。またまた、欲を言わせていただくと、河添先生の話をもう少し読みたいと思いました。字数の限られた連載なので、毎度のことながら無理を承知の勝手な注文ですが … 。



源氏千年(29)朝日「人脈記」3

 「千年の源氏物語3」のタイトルは、「紫の君 素顔を見せて」です。

 なぜ今年が源氏千年紀なのか、ということの根拠が、『紫式部日記』の寛弘5年(1008)11月1日の記事であることの確認から始まります。

 もっとも、私は『源氏物語』の作者を紫式部という1人の女性に限定していません。紫式部は1つの長編物語の総監修者として関わった女性であり、その編集著作物を後に『源氏物語』と読んでいるのだと理解しています。多くの人たちの協力によって、今ある『源氏物語』はできている、という見方をしています。
 したがって、私は『源氏物語』のことを書く時には、固有名詞としての紫式部という名前は意識して使いません。「物語作者」と言ってきました。しかし、『源氏物語』に関する記事が寛弘5年という時間軸で確認できることに異論はありません。その意味では、源氏千年紀は意義のあることだと思います。

 さて、今日の朝日新聞の「人脈記」においては、角田文衛先生の発案から源氏物語千年紀委員会の立ち上げへと発展したことが跡づけられています。『源氏物語』の具体的なイメージ作りには、角田先生の功績は確かに多大だったと思います。
 昨年の4月に、角田先生のご自宅に伺いました。古代学協会が所蔵なさっている『源氏物語』の「大島本」を、2008年10月に開催する国文学研究資料館の「源氏展」に展示させていただきたいことの了承をいただくための訪問でした。
 玄関で迎えてくださった先生は、足がご不自由だったことと、少し耳が遠くなっておいででしたが、お話になることは非常に明瞭でした。私の説明も、よく理解してくださいました。先生のお話も、よくわかる内容でした。昨年は94歳でしたので、お歳からは想像できないほどのエネルギーをいただいたように思います。
 ご自宅の玄関を入ると、壁面の両側は洋書と外国語の研究誌でギッシリと埋め尽くされていました。入り口近くには、ロシア語で書かれた研究雑誌が並んでいました。私は、角田先生は日本の平安時代の研究者だと思っていたので、考古学をはじめとする世界の歴史学を専門になさっていることを知り、とにかく驚きました。応接室にあった先生のご著書も、私にとっては意外な分野のものばかりで、大きな勘違いをしていたことに気づかされました。

 今日の新聞記事にも、角田先生のご著書である『紫式部伝』の紹介がありますが、これは先生にとっては研究の一端に過ぎないのです。
 私は、学生時代に山岸徳平先生の教えを受け、陽明文庫本などの紹介をしていただきました。暗くなってからお帰りになる時、渋谷の駅までお供したこともあります。道々お話しいただいた山岸先生の碩学ぶりを目の当たりにして、驚嘆した記憶があります。角田先生にも、同じ思いを持ちました。人生の中で、このような泰斗に親しくお話を伺うことができたのは、本当に幸運に恵まれたことだと思います。

 そんな角田先生の発案による源氏千年紀が、こうして軌道に乗ってますます盛んになっていることは喜ぶべきことです。微力ながらも、応援する側の1人として、いろいろなことに関わっていきたいと思っています。

 今日の新聞記事に返りましょう。

 本日の内容は、後半にいくにしたがって、徐々に拡散していったように思えます。紫式部という1人の女性像をなぞる話題にもっていきたかったかと思われます。しかし、それが詰め切れないままに字数がオーバーしたのでは、という印象が残っています。

 すみません。勝手なものいいをしています。この記事の筆者である白石さんが想定しておられる読者が、私にはよく見えなかったということでしょうか。「人脈記」として、角田先生を受けて、竹西寛子さん、山本淳子さんとつないだ流れが、私には読み切れなかったのです。

 もっとも、最後に話を『紫式部日記』にもどし、日記作者の機知を賞賛して筆を閣く終わり方は、少し強引の気はありますが、うまいまとめ方だと感心しました。


2008年4月23日 (水曜日)

源氏千年(28)朝日「人脈記」2

 朝日新聞夕刊の連載記事である「千年の源氏物語2」のタイトルは「よみがえれ平安の恋歌」です。
 『源氏物語』と和歌とのつながりから、現代文学や新訳へと話は展開します。現代における『源氏物語』の受容を経て生まれる、現代人の感覚による作品の生成へと、話題が流れていきます。
 第2回の話題となり、掲載されている写真は、俵万智さん、田辺聖子さん、大塚ひかりさんです。
 昨日の2人の源氏学者とは打って変わって、著名な女性の源氏読みの登場です。
 昨日は、80代半ばの男性、今日は80と40代半ばの女性です。『源氏物語』を担う世代のバランスがうまく配された構成です。

 まずは、俵万智さん。
 冒頭で紹介されている『サラダ記念日』は、和歌とは無縁であっても、万智ちゃんの短歌を知らない人はいないくらいに、とにかく親しまれている歌人です。
 私も、高校や大学で、これを教材にしておもしろい授業を組み立てたものです。さらには、『サラダ記念日』をデータベース化しました。それをもとにして、「データベースを活用した国語教育」(『国語教師のパソコン』1989年、エデュカ)と題する拙文を発表したりもしました。

 それはさておき、万智ちゃんが魅せられたという田辺聖子の『新源氏物語』へとバトンが渡ります。そしてさらに、今秋より刊行が開始される、大塚ひかりの新訳へとつながります。田辺聖子さんが言われるように、「その時代の文章で訳せばいい。」とされる『源氏物語』は、本当に幸せな作品だと思います。
 ただし最後は、万智ちゃんに全訳への意向を尋ねます。それに対して「『源氏』って奥深いから」と言ってやんわりとかわされて終わるところが、この記事の執筆者である白石さんのまとめ方のうまさだと思います。

 1つ不満を記すならば、取り上げられた話題が少しインパクトに欠けるのでは、ということでしょうか。源氏礼賛に逆らう受容者が登場してもよかったのではないでしょうか。

 さて、明日は誰が登場するのでしょうか。
 毎日が楽しみになりました。



2008年4月22日 (火曜日)

源氏千年(27)朝日新聞「人脈記」1

 朝日新聞の夕刊第一面に連載中の「ニッポン 人脈記」のシリーズが、今日から「千年の源氏物語」と題してスタートしました。15回の連載となるはずです。
 文章は白石明彦さん、写真は八重樫信之さんです。

 第1回目だけは、以下から読むことができます。

http://www.asahi.com/jinmyakuki/TKY200804210166.html


Qrnvs46v_s第一面



 昨冬より白石さんからお話は伺っていたので、いよいよ開始かと、ワクワクして読み始めました。

 白石さんは、非常に物腰の柔らかな方です。何度かお話をし、またメールの交換をしていますが、安心して話ができる点と、よく勉強をしておられることに好感が持てます。私とほぼ同年ということもあって、親近感も覚える方です。
 今回の記事を拝読し、優しいお人柄とお書きになる文章の歯切れのよさとの間に、少しだけですがギャップを感じました。もっとも、それは心地よいものです。文学が専門ではない、とおっしゃっていたので、それが対象から距離を置いて語れる秘訣なのでしょう。
 取材対象との適度な車間距離で始動したようです。

 今日の初回の記事は、


『源氏』とともに生きる人たちの物語をひもとく。


と結ばれています。
 テンポよく進んでいく気配なので、これからがますます楽しみになりました。

 第1回目のタイトルは「抑留を耐えた宇治十帖」です。

 秋山虔先生がトップバッターとなられることは予想していました。しかし、冒頭から6割方は藤村潔先生のシベリア抑留と軍隊での話だったので、これには意外の感を抱きました。
 お年の順なのかな、などと、余計なことも考えました。

 シリーズのスタートにあたり、いろいろと思案なさったことでしょう。察せられます。そして、この記事になったのです。白石さんは、読み物であることを重視されたようです。「人」が前面に出ています。
 そう思うと、シベリアから『源氏物語』へつなげるのは、おもしろい語り出しです。その生きざまにスポットを当て、研究者としての内実に深入りしないのは、一般の読者を想定した本シリーズとしては、着眼点がよかったと思いました。

 好き勝手なことを言わせてもらうと、秋山先生がやや固く描かれたように思えます。もちろん、限られた字数での記事なので、これは致し方のないこと、と了解しての無い物ねだりです。秋山先生の気配りが語られても、と、何かとお世話になっている立場からは、少し不満が残ります。もっとも、秋山先生はいろいろなところにお出になっているので、ここでも……、という配慮は適度になされていると思われます。

 『源氏物語』の千年紀については、ぜひとも今回の取材メモを活用して、研究者としての人間の生きざまと仕事の内容についてまとめてほしいものです。とにかく、厚い研究者を擁する研究分野ですので。

 明日から、どのように『源氏物語』というバトンを受け渡して連載をつなげていかれるのか、新聞が届けられるのが待ち遠しい気持ちでいます。
 


2008年4月20日 (日曜日)

インドの源氏訳は何種類ある?

 『源氏物語』がインドでは何種類の言語に翻訳されているのか、まだ確定していません。
 現時点での情報を整理しておきます。

 デリー大学のウニタ・サッチダナンド先生の2004年までの調査によると、インドでは7種類の言語で『源氏物語』が翻訳されている、とのことでした。
 ウルドゥー語、オリヤー語、タミール語、テルグ語、パンジャビ語、ヒンディー語、マラヤラム語、の7種類です。
 もちろん、全訳ではありません。
 このことは、「インド日本文学会」主催の「インド国際日本文学研究集会」(2004年10月)の時に、会場となったサヒタヤ・アカデミー(ニューデリー)の所長の所にご挨拶に伺った折にも、直接お話の中で確認したことです。サヒタヤ・アカデミーが資金を提供して実施したプロジェクトの一環による成果である、との説明を受けました。
 その際、書庫に案内していただき、さまざまな書籍を拝見しました。しかし、この『源氏物語』のインド訳の本は、そこでは1冊も見ることができませんでした。翻訳事業の母体であるサヒタヤ・アカデミーの書庫でしたが、書籍がまだ十分には整理されておらず、所在が不明とのことでした。
 その後、ネルー大学のアニタ・カンナ先生から、ヒンディー語とタミール語の2種類の『源氏物語』の寄贈を受けました。ちょうど、国文学研究資料館の外来研究員としてお越しいただいたことでもあり、2冊の解題を書いてもらいました。ただし、タミール語はまったくわからない、とのことで、簡単なものでした。
 昨秋より、ネルー大学のクマール君が国費留学生として私のところに来ています。彼に確認してもらったのですが、結果は同じでした。

 ところが、もう一つ、テルグ語訳が赤坂にある国際交流基金の図書室にあったのです。 国際交流基金が新宿に移転するために、今はその本を確認できませんが、1962年に刊行された『Genji Gatha』と題するテルグ語訳の『源氏物語』が、日本に存在することは確かです。

 さらにまだ、アッサム語(ASSAMESE)訳の本もあるようです。
 1983年に刊行された『Genji Konvarar Sadhu』がそのようです。これは、インドにおける第8番目のものです。サヒタヤ・アカデミーの翻訳事業とは別のもののようです。

 ということで、インドでの『源氏物語』の翻訳は4種類の言語となりました。もっと精査をすれば、残る4種類もどこかで見つかるような気がします。

 この件について、何か情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ご連絡をいただければ幸いです。
 自分の目で確認できしだいに、また報告します。



2008年4月18日 (金曜日)

『源氏物語』のお香と、初めての聞香

 日本でのお香の始まりは、仏教伝来まで遡るそうです。『日本書紀』の推古天皇3年(595)の記事が古いものでしょうか。
 『源氏物語』には、第32巻の「梅枝」に薫物のことが語られています。
 その他、『源氏物語』でお香に関することが語られている場面を、玉上琢彌編『源氏物語評釈』(角川書店)の「事項索引」から引いてみました。ただし、未整理のデータなので、入力ミスが多いことをご了解ください。


D83 香

○ 一般
源氏を迎える末摘花、着物は叔母からの貰い物だが、香は宮家のもの
蓬生3 四二七上
香は人の存在を知る手がかり
乙女4 三六七下
当時の人は香を大切にした
初音5 一七三下
玉葛の室内に匂っている香もこの場にふさわしく素晴らしいもの
蛍5 三一三上
源氏は香を得意とする
蛍5 三一三上
大弐献上の香、昔の舶来の香に怠る
梅枝6 三〇八下
空気の湿ってるとき薫物は強く臭う
梅枝6 三二三上
貴婦人方は香を合わすのに苦心する
梅枝6 三一〇上
香合わせに参加する夫人達の心理
御法9 五〇上
柏木の部屋に香がたかれていて病人特有の臭気がない
柏木8 九二上
匂宮は香るに熱心である
 早蕨11  三二〈二〉

○ 着物に香るをたきしめる
衣には自家製の香るをtきしめる
空蝉1 三三一上
柚にたきしめた香が涙にねれて強くなる
夕顔1 三五三(九)
源氏が柚を目元にちかずけると香が部屋一杯匂う
夕顔1 三五四下
匂ってくる香に藤壷、ふりむかなくても源氏とわかる
賢木2 五五一上
源氏が着物にたきしめた香の匂い
須磨3 四六(二)
匂いでの源氏の訪れを知る
須磨3 四七上
源氏は朝顔に会いに行く時香るをたきしめる
朝顔4 二七一下
大井を訪問、香るにも気を配る
薄雲4 一六九下
春の御方のたく香は梅の香るにも怠らない
初音5 一五七上
すでに焚きしめてある着物にさらに焚きしめさす
真木6 二二五上
大将、着物を着た後、更に自ら小さな香炉を手に柚の中をたきしめる
真木6 二二七上
大工の君、北の方のかわりに大将の着物に香をたく
真木6 二三四下
源氏の香るの匂い
わかな上7 一一一上・一一八下
柚口に香をたきしめる
わかな下7 三四五上
女房の裳にたきしめた香る
横笛8 一八三下
落葉宮の衣の香
夕顔1 三一三下
花もはずかしく思う程の匂い宮の香る
梅枝6 二七五上
宇治への手引をする薫、匂宮の匂いに気を使う
総角10 三八二下
匂宮、えもいえぬ匂いと共に現れる
総角10 四一六上
死んだ姫宮の髪に、いつもの香が
総角10 五一一上

○ 追い風
光源氏の追い風に女方は気を使う
若紫2 五四上
明石御方の入り口の戸を開けると、香のにおいが風に乗ってくる
初音5 一七三下
秋好中宮の芳香が風に乗って匂ってくる
野分5 四六五下
春風が梅の香るを運び婦人方夕霧などの一緒になる
わかな下7 三四五下

○ 体臭
薫の体臭の香りの高さ
匂宮9 二二五・二二六上・二二八上
薫は幼児の時、体臭を持ってない
匂い宮9 二二六上
薫の体臭が彼の行動を束縛するので品行方正にならざるをえない
匂宮9 二二七上・宿木11 二七二上
薫り高き木草も薫るがさらわればさらによい香りになるという
匂宮9 二二七下
姫君訪問の際の薫の芳香り
橋姫10 一〇一下
薫の[この世のほかのにほひにや]と思われるかおり
橋姫10 一〇三上
薫、いつもは体臭だけだが、今日は念入りに焚き染める
宿木11 一七三上
薫の匂いを田舎人はききわけられない
宿木11 二九八上
薫の香りはすばらしいと浮舟母
東屋11 三四七下
薫の香りを姫は言わず女房がさわぐ
東屋11 三七五下
湿気で強くなった香りに、弁は薫ときずく
東屋11 四四八上
薫の香り[やみはあやなし]
浮舟12 一〇一上
匂い宮、薫の体臭に似せた香りをつける
浮舟12 一〇六下

○ 扇の香り
扇に香りをたきしめたため色ずいている
夕顔1 三四六3
扇にたきしめた香り
夕顔1 三五五上

○ 手紙に香りをたきしめる
大夫監、玉喝へのラブレターによい香りをたきしめる
玉葛5 四二上
玉葛へのラブレター
胡蝶5 二五〇下・蛍5 三一六上
薫から浮雲への手紙にたきしめられた香
  浮夢12  五八〇上

○ 匂いのちがい
薫の天然の体臭と、人工の極致の匂い宮の香り
匂い宮9 二三九上
浮舟は薫と匂い宮の匂いの違いを知らない
東屋11 三八八下
薫と匂い宮の香りは自ずから匂いがちがうはず
浮舟12 五九上・手習12 五一九下

○ 移り香り
父宮、源氏の移り香りと知らず姫の香りをほめる
若紫2 一三五下
源氏の衣の香りがたとう紙に移る
澪標3 三二八下
男の形見の衣の移り香り
明石3 二四三下
琴に落ち葉宮の移り香
横笛8 一八五下
匂宮の移り香りが若君にしみる
紅梅9 二八〇上
姉宮に移る香りに琴を察する中の宮
総角10 三四二下
上■の移り香
橋姫10 一二二上
中の宮、匂宮の移り香を楽しむ 総角10 425上
薫の移り香が中の宮の衣についていたのを匂宮不審に思う 宿木11 189上
匂宮のにおいが浮舟にまだ匂う 東屋11 431下

○ そらだきもの
僧都の僧房にそらだきものが漂う 若紫2 52(8)
そらだきものがけむたく香る右大臣邸 花宴2 357(4)
玉葛の部屋に匂う 蛍5 295(7)
女三宮方の女房、富士の煙よりもひどく空薫物をたく 鈴虫8 230上
 いろいろの香 梅枝6 313上
えびの香 末摘2 198(3)・199上・初音5 174下
荷葉、花散里 梅枝6 331上
からのたき物 行幸6 101(2)・102上
薫衣香 絵合4 20(5)・鈴虫8 225上
黒方 賢木2 593下・梅枝6 327上
侍従 初音5 174上・梅枝6 329上
浅香 絵合4 50(9)・わかな上7 84(3)・わかな下7 312(2)
梅花・紫上 梅枝6 329上
百歩香 絵合4 20(6)・匂宮9 225(3)・橋姫10 81下
丁子香 鈴虫8 236上
沈香 絵合4 47(6)・わかな下7 312(2)
名香 賢木2 593(3)・下、鈴虫8 224(2)
牛頭旃檀の香 中の宮の女房、薫をいう 東屋11 375上
 香の製法 梅枝6 308上・310(5)・314下・326上

○ 香壷 
賜り物には普通一箱に四壷入れる 蓬生3 411上
合わせた香物は香壷に入れる 梅枝6 314 上
香壷の箱は厨子の置き物の一つ 梅枝6 314下



 折を見て、これらの内容を確認をしたいと思っていますが、なかなか叶いません。

 さて、京都の松栄堂で聞香の会があったので、初めての体験をしてきました。
 人気のあるイベントのようで、第二希望の日で予約が取れました。
 場所は、松栄堂の京都本店にある香席「弄清」でした。ここは、銀閣寺の弄清亭を写して作られたものです。
 2階にある香席は、10畳の部屋に赤い毛氈が敷いてあります。


Uigltarr_s香席



 奥に座る方は、少しは自信があるからでしょうか。開始を待つ間の落ち着いた様子でわかりました。
 その日の亭主は、書籍や雑誌などでよく見かける畑正高社長でした。

 事前に配られた紙には、こう書かれていました。




 香 道
  ―香で表現された世界を鑑賞する―

香道は一定の作法のもとに香木を炷き、たちのぼる香気の異同によって
古典的な詩歌や故事・情景を鑑賞する、文学性・精神性の高い芸道です。
茶道と華道と共に日本三芸道と呼ばれ、それぞれに深く影響しあっています。
香道では香りを「かぐ」といわず「聞く」と表現します。
現代の香道は、和歌や物語文学の世界を主題にした〈組香〉が主流です。
そこでは、いくつかの香木が炷かれ、香りを聞き分けあいますが
優劣を競うものでなく、あくまで、香りで表現された主題を鑑賞し、
その世界に遊ぶのが目的です。
他の香りや風をきらうなど独特のことわりのもと、
雅な雰囲気のうちにすすめられます。




 まずは、聞香について、畑社長の丁寧な説明がありました。
 これも、あらかじめ配られた紙には、こう書かれていました。




 志野流香席組香解説書

 ○宇治山香(内十組)

香五種
 我庵は として二包 有試
 都のたつみ として 右同断
 しかそすむ として 右同断
 世を宇治山と として 右同断
 人はいふなり として 右同断

出香は、五包を打ち交ぜ
内一包を取り出し、香りを聞きます

我庵は都のたつみしかそすむ
   世を宇治山と人はいふなり
       (古今集 喜撰法師)

と き 平成二十年四月十二日
ところ 香老舗 松栄堂 弄清席




 要は、喜撰法師の歌を利用した遊びです。
 この「宇治山香」は、季節感なく5種類が楽しめるものなので、よく行われるそうです。

 参加者一人一人の前に、硯と墨と筆が入った硯箱が回されました。
 そして、回って来た記紙をその箱の中に置きます。

 2人の方が入って来られました。
 1人は記録係の男性でした。もう1人の女性は、お香を出す役です。
 「ごあんざ」と言う張りつめた声で始まりました。
 この言葉を、皆が隣の人に順次伝えて行きます。茶道のように、前の人に挨拶はしません。
 5種類の香が、次々と回って来ます。
 湯飲茶碗のような形をした聞香炉の灰の中には、香炭団が埋められています。山形の灰の上に、雲母の板である銀葉が乗っています。その上に、小さく割られた香木が乗っています。その聞香炉を水平に持ち、手のひらで覆って香りを聞きます。

 松栄堂のパンフレットから、聞香の様子を引きます。


Mvkrrnil_sパンフから



 最後に、「出香」と言って出される香が、それまでに出された何番目のものと同じかを当てるのです。
 1つ目が来ると、次の方へは「我庵は」と言って2人の間に置きます。
 2つ目が来ると、次の方へは「都のたつみ」と言って間に置きます。
 そして、最後の5つ目が来ると、次の方へは「人はいふなり」と言って間に置きます。

 5つが回り出すと、「しゅっこう」と言って、問題となる香が回されます。これが、それまでの5つの内のどれと同じ香りかを当てるのです。

 シッカリと香りを嗅ぐと、手元の硯箱の墨を擦り、最初に配られた和紙に名前を書きます。この記紙は、4つに折られていて、上が少し折り曲げてあります。
 名前の書き方にも作法があり、男性は漢字で、女性はひらがなで書きます。ただし、濁点と「子」は省きます。
 つまり、「順子」さんの場合は「しゅん」、「太郎」さんの場合は「太郎」となります。
 答えの書き方にも作法があります。4つに折られた記紙を開き、右から三列目に答えを書くのです。

 この日の参加者は16名でした。
 みなさん、首を傾げながら思案しておられました。
 私は、最初か最後の香りが答えだと思いました。そして、最初の香りはみんなが忘れているのはずなので、初心者相手の香席ということから、最後である5番目の「人はいふなり」と筆で書きました。

 やがて正解が披露され、私の答えが正しかったことがわかりました。
 正解者は、16人中3人でした。初心者では私だけでした。
 記録は、上座の方が貰えるとのことでした。上には経験豊富な方がおいででした。その記録は、次のようなものでした。


Bwak8kal_s聞香記録



 もう1組のグループがありましたが、そこからは正解者は出ませんでした。

 その後、社長からいろいろな話が聞けました。
 私たちは午後の席でしたが、午前中の席の答えも、五番目の「人はいふなり」だったとか。社長は、2度も同じ答えになることに迷いが生じたが、あれこれと考えずに、とにかく最初に感じたもので答えた、とおっしゃっていました。
 これは、レベルの高い遊びです。日本ならではのものなので、何とかして多くの方に体験していただきたいと思いました。
 ヨーロッパで、香水を用いたこうした遊びがあるのでしょうか。
 気をつけてみたいと思います。

 とにかく、楽しい聞香の会でした。 




2008年4月15日 (火曜日)

源氏千年(26)源氏物語と和菓子展

 関西で和菓子のお店といえば、それこそいくつでも言えます。過日の『源氏物語』のお菓子をテーマにした記事も、京ならではのことです。

「源氏千年(20)京菓子饗宴」
http://blog.kansai.com/genjiito/234

 そして関東で和菓子といえば、まずは虎屋でしょう。
 私は、学生時代にお金がなかったことでもあり、舟和の「芋ようかん」を渋谷の東横のれん街でよく買いました。今でも、ときたま懐かしくて、渋谷駅や東京駅で買います。
 そこへいくと、虎屋は高級すぎて、私にとっては人様へのお土産として買うものとなっています。自分が食べたことは、恥ずかしながら一度もないように思います。

 その虎屋が、『源氏物語』に関する展覧会を開催します。

Bpm9bcsa_s案内状



 数年前にもありました。
 その時のパンフレットがあるのですが、職場の移転後の荷物の整理がまだなので、うまく探し出せませんでした。

 東京での「和菓子で描く『源氏物語』」は、どんな展覧会になるでしょうか。
 今年の秋には、国文学研究資料館の〈源氏物語展〉を開催するので、そのイメージ作りのためにも、今から虎屋の源氏展が楽しみです。



2008年4月10日 (木曜日)

源氏のゆかり(4)説明板16-大極殿跡

 京都市が『源氏物語』のゆかりの地に説明板を設置した、というニュースが報じられました。3月末までに、40カ所を予定していたものですが、すべて無事に終わったのでしょうか。

 説明板の設置が予定されているところは、次のサイトにまとめられています。参考までに紹介します。

http://www.gyoutai.com/kyoto/genji/sign.html

 その確認の意味も込めて、折を見て回ってみたいと思います。

 二条城を自転車で通りかかった時、うろ覚えの新聞記事を思い出し、最初に設置された説明板の場所に立ち寄ってみることにしました。

 近くに地下鉄の駅があったので教えてもらおうと思い、昔の内裏があった所に建てられた第1号の説明板の場所を駅員さんに尋ねました。すると、そのようなニュースは知らないとのことでした。駅長さんも同じ答えです。
 二条城の側だった、という記憶が揺らいだために、あきらめて帰ろうとした時、御所はもっと東の賀茂川寄りにあって、ここは昔から二条城があった、とおっしゃるのです。
 いや、昔はこの二条城のあたりに御所があったのですよ、と言っても、ここは昔から二条城があった所で、御所はずっと東に昔からある、と駅員さんは譲られないのです。
 そのような不毛なやりとりは時間がもったいないので、適当に話を打ち切って地上に出ました。

 賀茂川沿いにある現在の御所は、鎌倉時代の末期、光厳天皇以来のものです。けっして、あれが平安時代の内裏ではないのです。
 この説明は、京都の人にもわかってもらいにくいようです。たまたま、知らない駅員さんに出会った、ということにしておきましょう。
 また、現在の二条城は、徳川家康が慶長六年(1601)に西日本の諸大名に作らせたものです。これを昔といえばそうですが、御所との関係では、新しい城ということになりますね。

 それはともかく、説明板の第1号である「大蔵省跡大宿直跡」(上京区中立売通裏門西入ル・正親小学校)の名前と場所を思い出せないままの帰り道、ふと見ると「大極殿跡」があるのに気づきました。
 ここは、何度も来ていたので、景色で思い出したのです。


Huk3oxtd_sバス停



 小さな公園の中に入ると、何と説明板があるではないですか。目指す第1号ではなかったのですが、これ幸いと写真に撮りました。


_c2tslsg_s説明板



 前掲リストによると、「大極殿跡 上京区千本通丸太町上ル 天皇の玉座がある平安宮の正殿。物語では朱雀帝が斎宮の額に別れの御櫛を挿す」とある場所なのです。


1h0ruprb_s説明文



 説明文の下に、国宝の源氏絵が添えてありました。しかし、その注に「京都市立芸術大学芸術資料館所蔵」とあるのです。


1pt86eyj_s源氏絵



 なぜ、現在の所蔵者である「徳川美術館」ではないのか、疑問に思いました。権利関係のことから、このような模写で掲示したのだろうか、などなど、余計なことを考えてしまいました。後日わかったら報告します。

 帰り際に、舗道の縁石に昔の建物跡の所在を示す指標が取り付けてあるのに気づきました。

Zn_ehbsh_s舗道の埋め込み



 知らないと見過ごしてしまいます。ひっそりと、埋め込まれていますので、注意しないとわかりません。私は、三つ見つけました。周りを歩くと、もっとあるのでしょうか。

 最初に紹介したサイトのリストを今あらためて見ると、「内裏内郭回廊跡 上京区下立売通千本東入ル 内裏を囲む内側の回廊」というのがあります。どうやら、この埋め込みに関する説明板が、この近くにあるようです。
 またの機会に探してみます。




2008年4月 9日 (水曜日)

源氏千年(25)源氏物語を歩く

 4月より、「京都 宇治 大津 源氏物語を歩く」という冊子が、京都市内の観光案内所などで配布されています。


Gltbhg89_s冊子の表紙



 作製したのは源氏物語千年紀委員会です。文学散歩をする時に、これは大いに役立ちます。無料なので、京都駅に降り立ったら、すぐにもらったらいいと思います。
 10万部作成したとのことなので、しばらくは大丈夫でしょう。
 A4判で16ページです。

 『源氏物語』のゆかりの地を散策するのに、お勧めのコースが10種類紹介されています。

(1)愛した女性を追慕
   (京都駅〜清水寺)
(2)式部と「源氏」解け合う道
   (大徳寺〜二条駅)
(3)うたかたの人生、終焉の舞台
   (御室仁和寺〜嵐山)
(4)面影にたつ恋の通い道
   (大原)
(5)冷泉帝の大原野行幸をしのぶ
   (大原野)
(6)都を離れ安息の土地へ
   (醍醐〜宇治)
(7)別業の道、宇治十帖
   (宇治)
(8)人妻・空蝉とのせつない再会の途
   (逢坂の関〜三井寺)
(9)「源氏物語」の生誕の地へ
   (山科〜石山寺)
(10)葵祭の舞台を巡る
   (京都御所〜上賀茂神社)

 1コースは、だいたい2時間から3時間半で組まれていますので、京都の半日をこれで楽しんではいかがでしょうか。

 見所の簡単な説明と、わかりやすい地図があるので、これ1冊で一人歩きもできます。

 最後のコースは、拙宅のそばを通るものでした。

Pzccne0j_sコース10


昨日紹介した、半木の道も、このコースに入っています。

 京都の自然を満喫してください。



2008年4月 7日 (月曜日)

源氏千年(24)月で読み解けるか

 細見美術館のイベントである「第26回アートキューブレクチャー」は、志村ふくみ氏(人間国宝・染織作家)と志村洋子氏(染織作家)が語り合う、という趣向の講義形式の催し物でした。タイトルは「月で読み解く『源氏物語』」です。

 会場である京都市勧業館(みやこめっせ)の入り口(西側広場)には、『源氏物語』の主人公の石像がありました。

5narwa7d_s石像


 この石像について、「みやこめっせ」のホームページでは、おおよそ次のように説明していました。
 京都府石材業協同組合石青会が京都市に寄贈したもので、第12巻「須磨」における、光源氏と紫の上とが和歌を交わして別れを惜しんだ場面を題材としている、と。

 石碑には頭に、



源氏物語が世に出て一千年
源氏ゆかりの地「京都」へ



と記してあり、その下に次の二首が刻まれています。


身はかくてさすらへぬとも君があたり去らぬ鏡の影は離れじ(源氏の君)


別れても影だにとまるものならば鏡を見てもなぐさめてまし(紫の上)



この石碑について、同ホームページの文章を引きます。


世界平和への願いと「あなた一人ではなくいつもあなたの事を考え見てくれている人が傍にいますよ」というメッセージが込められています。
見る角度や天候により、変化する表情も楽しんでいただけます。



 この説明による限りでは、世界平和と『源氏物語』における二人の惜別の情とがどう結びつくのか、私にはよくわかりません。

 少し詳しくなりますが、この和歌の前後の文章をあげます。


女君、涙ひと目浮けて見おこせたまへる、いと忍びがたし。
  身はかくてさすらへぬとも君があたり
    去らぬ鏡の影は離れじ
  (わたし自身はこうして遠くへ流浪していこうとも、
   心はあなたのそばを離れない鏡みたいに、
   あなたからかけ離れはしないでしょう)
と聞こえたまへば、
  別れても影だにとまるものならば
    鏡を見てもなぐさめてまし
  (お別れしましても、
   せめてあなたの影だけでも鏡にとどまるものなら、
   それをみて心を慰めることもできましょうけれど)
柱隠れにゐ隠れて、涙をまぎらはしたまへるさま、なほここら見るなかにたぐひなかりけり、とおぼし知らるる人の御ありさまなり。
(『新編日本古典文学全集』(小学館)一七三頁)


 
 紫の上は、須磨へ退去する光源氏との別れに堪え難く、涙を見せまいとしています。
 唱和の後、紫の上は柱の陰に隠れて座っているのですが、このような別れには不吉な涙を必死にこらえています。別れを惜しむ光源氏と、ひたすら耐えることになる紫の上が描かれています。
 また、『新編日本古典文学全集』の頭注には、「姿を映した人の魂は鏡に留まるという民俗信仰があったものか。」とあります。いろいろと、興味深い場面です。
 さらには、この部分には異文があります。
 〈河内本群〉では、この和歌の後を、「いふともなくまきらはして、はしらかくれにそひふして、うしろむきてなき給へる」という表現で伝えています。
 〈河内本群〉の本文は、紫の上が柱の陰で後ろ向きに泣くさまを語るのです。現在流布する〈別本群〉が、涙を見せまいとして悲しさを紛らわそうとする紫の上を描くのとは、また違った読み取りができる場面となっています。特に、歌の直後に見える〈河内本群〉の「いふともなくまきらはして」という一文は、〈別本群〉にはまったくない語句です。紫の上の様子を、その心情に立ち入って情景描写を意識した語りになっている点に、〈河内本群〉の性格が読み取れるでしょう。

 話が専門的になってきました。とにかく、それは措くことにしましょう。千年紀の記念のモニュメントなのですから。
 ただし、この和歌を石碑に刻んだ意図は、『源氏物語』の書かれた内容からは離れたものであることは確かです。二人のおかれている状況を無視した、物語の中の歌だけを切り出してきてものなのです。よりによって都を去る別れの場面を選ばなくても、というのは勝手な個人的な感想ですが……。
 日本語の高度な働きが理解できず、ほんの表面的な意味からの選択としか思えません。このような陰鬱な場面ではなくても、『源氏物語』にはもっと明るいものがたくさんあるので、次の機会にはことばの意味をよく考えて選定されることを望みます。

 また、みやこめっせの入り口には、お土産コーナーが外にまで出て来ていました。


Fzuwvure_s匂袋



Lhfejodv_sお香



これは、地下にある「京都伝統産業ふれあい館」の「ふれあいしょっぷ」の特別販売コーナーです。お香や匂袋が、一際めにつきました。

 さて、志村親子のレクチャーは、地下1階の大会議室でありました。百人以上が集まっていたと思います。事前の申し込みによるものです。

 今回、志村ふくみ氏がお話に来られたのは、細見美術館の春季特別展「源氏絵と雅の系譜 ―王朝の恋―」に、「花散里」「須磨」「明石」「朝顔」「蛍」「若菜」など、『源氏物語』から想を得た紬織りの作品を出品なさっていたことによるもののようでした。これは、以前に展覧会で拝見していたので、後半の作品の話では、思い出しながら聞きました。
 ただし、スライドによる説明だったので、せっかくご本人がお出でなので、作品を目の前にしてのお話だったら、もっとよくわかったのに、と思いました。

 ご一緒のお嬢さん洋子氏も染織作家で、「都機工房」を主宰されているとか。
 このお二人が、染め織りの制作においても重要な役割をもつという神秘の「月」をキーワードに、華麗な王朝文学の世界を語り合う、というものでした。

 2時間の内の最初の1時間は、源氏絵をスライドで映しながら、お二人が適宜コメントを付ける、という流れでした。源氏絵のことや、登場人物の女性のことなど、多方面にわたっていました。それだけに、散漫であり、作家の立場から『源氏物語』の作品そのものを語るのは、無理があったように思いました。

 お話の内容を少しだけ。
 ふくみ氏は、『源氏物語』は与謝野晶子訳で最初は読み、次に谷崎訳を読んだそうです。そして、月の光と紫色が補色の関係なので … とか、男は月なしには女のもとへ徘徊できない … とも。話がだんだん飛躍していきました。
 洋子氏は、今回初めて、それもこの3ヶ月で谷崎訳で読んだそうです。女性の描かれ方に、理不尽な思いで腹がたった、とおっしゃっていました。月の光が藍瓶に入ることによっていい色になるのは、科学的実証のできないことだそうです。
 お二人とも何となく、お題に合わせるのに苦労しておられるようでした。

 全体的に、「月」と『源氏物語』という取り合わせが、うまく噛み合っていなかったように思いました。お二人には、難しい注文だったようです。もっと自分の作品に即した話を中心にして、その作品と『源氏物語』との接点に触れる、という程度でよかったのではないでしょうか。『源氏物語』を正面に据えると、いろいろと無理が生じますから。

 これは、主催者側の問題です。司会進行役の方は、よく『源氏物語』と源氏絵について勉強なさっているようでした。事前に、進行の打ち合わせがあったようですが、講師のお二人にはきつい進行だったようにお見受けしました。
 次回は、もっと自由に染色と古典文学の接点について語っていただきたいものです。

 お二人がお帰りになる時の会場の参加者の様子を見て、お弟子さん筋の方々が集まっていらっしゃることに気付きました。私のように、一般参加の者はどれくらいいたのでしょうか。それも、タイトルの『源氏物語』に引かれて来た者は … 。
 お二人を見送りながら、これからもいい作品を作り続けられることと、たくさん語っていただくことを楽しみしよう、と思いました。特にふくみ氏は、エッセイストクラブ賞をお取りになっているので、そのご著書を読んでみることにします。



源氏千年(23)ミニチュアの世界

 出町柳と百万遍の間に、思文閣美術館があります。
 2月から開催されていた展覧会に、最終日にやっと行くことができました。今年の京都は、さまざまなイベントが組まれているので、行くタイミングがむつかしいという、贅沢な悩みを抱えることとなりました。

 さて、今回は「愛でたきもの 雛とミニチュアのお道具展 ―ミニチュアで織りなす『源氏物語』の世界―」というテーマです。


03adzvxf_s思文閣



 小さくてかわいいお雛様や小道具などがありましたが、ここでは『源氏物語』に関するものだけをリストで紹介します。

 出品されていたのは、緻密で精彩な以下のものです。


・雛飾り(書棚などに『源氏物語』の場面が描かれている)
・初音蒔絵硯箱
・豆本
・源氏物語図雛屏風(石山寺蔵)
・源氏物語図蒔絵印籠(石山寺蔵)
・源氏物語図色紙貼付風炉先屏風(石山寺蔵)
・源氏物語図押絵貼屏風(石山寺蔵)
・源氏物語意匠小筥
・源氏物語入子式蒔絵香合
・白描源氏物語画帖(伝土佐光則筆)
・絵入源氏物語(山本春正編)
・紫式部源氏かるた(二代国貞)


 日本人の手先の器用さが実感できました。
 私は、豆本が特に気に入りました。
 こうして『源氏物語』を意匠化した小物を見ていると、文学が文化として受け入れられた実態が見えてきます。
 この源氏千年という区切り目に直面し、さまざまなイベントを通して『源氏物語』の受容の諸相を追体験できることは、本当に稀有なことです。
 今後とも、一つでも多くのイベントを自分の目で見て、その意味を確認したいと思っています。



源氏千年(22)新作試作グッズ

  堀川商店街内の「匠と商人の会」(075−823−2110) に立ち寄り、最近の新作を見せてもらいました。

 いろいろなグッズが考えられています。おもしろいので、また以下に紹介します。

 まずは、源氏絵を配した着物です。


Moxvfp0j_s着物



 これは、3分間で着られるのが特徴だそうです。
 来週の火曜日に読売テレビで紹介されるとのことでした。
 この着物に描かれた絵を拡大します。


K_qgr8ze_s源氏絵



 以下、順不同に掲載します。


Yrxueugf_s




9wws1_gd_s絵皿



Xow4p1es_sすだれ




O_zcippy_s鈴虫



2008年4月 6日 (日曜日)

源氏千年(21)女流講談を堪能

 連日、大丸京都店へ足を運んでいます。いろいろと楽しいイベントが組まれているからです。
 『源氏物語』が読まれて来た歴史に興味を持っている私は、今現在の受容についても情報を収集しています。

 今日は、現在大活躍中(という)女流講談師の神田紫氏が出番です。講談の世界はまったく知らない私には、神田氏がテレビやラジオでお馴染みと言われても、人ごとです。どんなものか、という好奇心だけで行ってみました。

 会場となっている大丸の1階案内所前の特設ステージは、こんな所でした。会場の担当者に写真撮影のことを聞くと、自由に撮って構わない、とのことでしたので、以下に掲載します。


Jwihfuft_s講談会場



 こじんまりとした所で、いささか拍子抜けがしました。30人も座れません。そして、デパートの1階入り口近くなので、落ち着かない中途半端な場所でした。
 客の人目を引くための催しであることはわかりますが、今回はじめて講談を目の前で聞いた者としては、もっと落ち着いて聞きたかったと思います。神田氏は、非常に熱のこもった身振り手振りの語り口で、想像以上に聞き惚れました。ひとえに、場所が貧弱だったことが惜しまれます。主催者側の、このイベントに対する意識の軽さに、大いに不満を抱いて帰りました。

 さて、当の講談は、このような劣悪な環境にもかかわらず、まさにプロの芸で熱演でした。30分間がアッという間でした。
 演題は「源氏物語・六条御息所」です。


Xfpt26go_s神田師



 神田氏は神戸市が出身で、現在は日本講談協会会長をなさっているとのことでした。声がきれいで歯切れがいいので、非常に聞きやすかったのです。テンポもいいし、ストーリーもいい構成でした。強いて気になったところをあげれば、「近衛大将」を「このえのたいしょう」と語られたところだけです。「たいしょう」では、寿司屋の大将という感じになります。ここは正しくは、「だいしょう」です。最近は、学校でも「たいしょう」と教えているようです。私は、学生時代に厳しく「だいしょう」と叩き込まれました。

 それはさておき、神田氏の講談です。
 私は前から2列目の真ん中で聞いていました。
 葵祭の時の車争いの場面で、神田氏は突然立ち上がり、葵の上側と六条御息所側とのやりとりを、それこそ凄まじいばかりの迫力で演じ分けられました。


Adokbwx5_s車争い



 すぐ前にいたので、その気迫が直接伝わってきました。これは、並々ならぬ芸の力です。
 なによりも、台詞を何も見ずに30分間。よどみなく、感情の起伏を巧みに織り交ぜて、完璧に語っておられたのです。台本はどなたが書かれたのかわかりません。『源氏物語』をよく読んでのものであることが、ことばの端々でわかります。たくさんの人名も、的確におっしゃっていました。まさしく、話芸です。小沢昭一を思い浮かべました。

 最後は、六条御息所の語りでした。その時、これまた驚いたことに、般若の面を捧げながら、鬼となった六条御息所の台詞が迫真の口調で語られました。


Xwrnct_i_s鬼の面



 『源氏物語』が講談でどうなるのか、興味を持って聞きました。それは、予想外の収穫でした。場面が六条御息所に関する、動きのある内容だったからでもあるのでしょう。しかし、この講談という語りのスタイルは、『源氏物語』を語るのに有効な道具となることを教えられました。それも、神田氏という女性の力が多大な効果をあげていると思われますが … 。

 機会があれば、また聞きたいと思っています。




2008年4月 5日 (土曜日)

源氏千年(20)京菓子饗宴

 四条にある大丸京都店の「源氏物語千年紀特集」で、商品化されたさまざまな記念品が見られます。こんな時にしか作られない、見られないものがたくさんありそうなので、足を運んでみました。

 まずは、『源氏物語』にちなんだ和菓子から。
 これは、今回の企画限定の生菓子だということでした。まずは店頭で写真撮影の許可をとり、そしてこれらをすべて購入して帰りました。だいたい、1個300円から500円ほどです。
 ただし、私は糖尿病のカロリーコントロールしている身なので、私は自宅で写真撮影をするだけで、お菓子はすべて家族が食べました。
 趣味と実益を兼ねた取材です。

 最初は、京都鶴屋の「藤壷」です。


Pmvkf17f_s鶴屋・藤壷



 説明板には、「鮮やかな緑の蒸ようかんに、藤色のかるかんをのせて、かろやかに」とあります。あっさりとした味なのでしょう。藤壷の人柄などとは関係なく、色彩からのイメージで作られたもののようです。



 2つ目は、俵屋吉富の「源氏物語絵合」です。


Smgb1r1b_s俵屋・絵合



 右の細長い箱には、写真中央の丸い麩焼煎餅が9枚入っています。これには、源氏香図の「絵合」の焼き印が捺されています。
 中央の四角い箱には、男女の金太郎飴と鞠飴が入っています。顔は幾分歪んでいました。しかし、眺めているだけでも楽しい趣向です。
 左端の上の饅頭は「絵合」の香図の焼き印が捺されています。



 3つ目は、老松の「若紫」です。


O0fxpp2a_s老松・若紫



 短冊状のういろうの端が紫色で、上には金箔が載せられているのが雰囲気を醸し出しています。



 4つ目は、亀屋清永の「若紫」と「夢浮橋」です。


Ubqo_ys__s亀屋・若紫+夢浮橋



 白あんを白と紫のういろうで包み、それを着物に見立てたドラ焼きで覆っています。なかなかのアイデアですが、ドラ焼きが上品さを削いでいるように思いました。



 5つ目は、湖月の「御紫」です。これは、宣伝になかったものです。

Cm0ah1qm_s湖月・御紫



 もう少し工夫があれば、と思いました。



 6つ目は、笹屋伊織の「藤壺」「桜の宴」「かほり」です。


Ivhvo29w_s笹屋・藤壺+桜の宴



 左右の饅頭と干菓子は措いて、真ん中の「藤壷」は色合いが出色です。

 これらを持ち帰り、自宅で大皿に並べてみました。これは、一つずつ器にのせると映えるのですが、今はそのすべてを見るために、こんな盛り合わせにしました。


Jm6hy5pb_s盛り合わせ



 お菓子で文化を感じながら遊ぶのも、日本のすばらしさだと思います。ぜひ、こうした遊び心は忘れないで伝えていきたいものです。
 かつて、神戸風月堂が『源氏物語』をテーマとした和菓子を作成しました。それは、写真集となっています。また、虎屋も『源氏物語』をテーマとしたお菓子を作りました。
 いずれ、こうした資料を紹介しようと思います。
 たくさんのお店が、たくさんの職人さんが、こうした文化的遺産としての『源氏物語』というものを通して、創作の場で挑戦しつづけてもらいたいと思います。

 大丸側が作成した簡単なチラシには、湖月のお菓子は紹介されていませんでした。しかし、実際に会場を回ると、これも源氏物語の記念菓子でした。
 せっかく、このように各菓子職人が創意工夫で作ったものなので、もう少し情報を整理して流してもよかったのではないでしょうか。

 この6軒の内、お菓子の説明を書いたチラシを作っていたのは、鶴屋吉富だけでした。それも、ファイリングされていたものを無理を言って頼んで、1枚だけ貰いました。こうしたものは、イベントを盛り上げ、その場限りのものとしないためにも必要だと思います。たとえば、それぞれのコンセプトやお菓子の素材・材料などを記したパンフレットは作るべきでしょう。
 2週間限定の催しとは言え、今後のためにも、資料は残したほうがいいと思います。

 また会場も、いつもの地階和菓子売り場ではなくて、別に特設したら、もっと競い合うイベントになったことでしょう。
 主催者側の『源氏物語』をめぐる文化の扱いについて、理解不足だったのが残念でした。
 源氏物語千年紀は、まだまだ続きます。秋にでも、企画を練り直して再度チャレンジしてほしいものです。

 以前、本ブログ「源氏千年(10)文化を食べる」(http://blog.kansai.com/genjiito/184)で、高島屋の企画にこんなコメントを付けました。


 今回の企画全般に感じたことですが、有名とされるお店の底の浅さにがっかりです。
 こんなに日本の料亭は低レベルになってしまっていたのでしょうか。
 『源氏物語』という名前に乗っかっているだけです。どのように解釈した結果なのか、ということのヒントだけでも、見る者に示さないと、勝手な自己満足の世界に終わります。見た目のきれいさだけでは、正直言って、文化とは乖離していくだけです。
 安直にブームに乗って展示した、ということに留まるのでは、もったいないことです。見る者と共有するものがないのです。単に、私たちは、きれいに仕上げた料理を、見せてもらうだけです。そして、そこには作り手の『源氏物語』への理解の未熟さが露呈しています。
 私が、総じて作品のレベルが低くてがっかりしたのは、こうした点からのものです。



 今回の和菓子は、日本料理ほど酷くはなかっただけに、もう少し説明がほしいと思いました。企画に参加しただけというのではなくて、積極的にアピールする場にしてもらいたいものです。分厚い日本文化の下地はあるのですから。




2008年4月 1日 (火曜日)

源氏千年(19)『家庭画報』5月号

 『家庭画報』(世界文化社)の5月号で、源氏物語千年紀記念の特集として、「源氏物語ふたたび」が組まれています。
 その中の、海外の翻訳本の紹介記事の中で、私のコメントが掲載されています。また、その頁の翻訳本の写真は、私のコレクションです。


Nl6kvkik_s翻訳本



 翻訳本の表紙は、実に多彩なものがあります。
 いろいろな言語は、見てもわからないものが多いので、表紙を楽しんでください。

 なお、記事の中で国文学研究資料館の立川移転について告知してもらい、さらには、来月刊行予定の拙編著『源氏物語【翻訳】事典』(笠間書院)の宣伝もしてもらいました。

 非常にタイムリーな時に記事にしてもらうことができ、編集に協力してよかったと思っています。



2008年3月28日 (金曜日)

源氏千年(18)女流六人展

 京都市中京区にある「染・清流館」で、「王朝絵巻 女流六人展」がありました。
 会場は、四条・烏丸駅の近くで、隣には京都芸術センターがあります。いい立地に加えて、建物も気に入りました。


Yxgnbml3_s六人展



 今回の展示は、源氏物語をテーマにしての女性美術工芸作家6人が競作、ということで、楽しみにして6階に上がりました。和室風の入り口で、上がり框が低い板材で、展示場も質素な畳なので、非常にいい雰囲気を醸していました。

 作品を見ていくうちに、『源氏物語』とか「王朝絵巻」というテーマが感じられない作品展であることに気づきました。

  源氏物語千年紀に合わせた企画展で、平安王朝にちなみ女性作家だけの展覧会にしたとのことですが、この作品の配列では、設定されたテーマに無理があります。

 『源氏物語』や「王朝絵巻」を意識して制作されたものは、唯一、染色の兼先恵子氏の「源氏物語」シリーズだけだと言っても過言ではありませんでした。その他は、「王朝絵巻」の雰囲気があるといえばそんな気がする、というものでした。

 私はこうした分野には素人なので、まったく的が外れた解釈をしているのかもしれません。しかし、もしそうでなければ、もっと親切な説明なりキャプションを付けてもよかったのではないでしょうか。

 兼先恵子氏の作品は、麻布を糊型染の着物仕立てにしてものに、『源氏物語』に出て来る6人の女性をイメージさせる絵を描いたものでした。これは、テーマに沿ったものでもあり、じっくりと見入ってしまいました。私は、『源氏物語』をテーマにした作品展だと思い込んで入ったのですから。

 (1)覗き見る女 空蝉の帖 1999年
 (2)紅いはな 末摘花の帖 1999年
 (3)涙灑ぐ海 須磨の帖  2003年
 (4)空蝉 関屋の帖    2005年
 (5)松風 松風の帖    2006年
 (6)朝顔の姫宮 朝顔の帖 2008年

 いずれも大胆な構図と色使いで、また改めて見る機会を得たいと思いました。

 それ以外は、これが『源氏物語』なり「王朝絵巻」というものとどう関わるのか、ということを考えながら見ました。そして、私にはどれも接点が見いだせませんでした。何かヒントでも提示されていればいいのですが、とにかく作品が投げ出してあるだけで、自分の美的鑑賞力で解釈せよ、というものでした。
 このような独りよがりな展示方法は、博物館なり美術館では今ではほとんどやりません。個展ならではの展示法といえるでしょうか。
 個展であるならば、自分たちの発表の場であるならば、入館料の300円というのはどうでしょうか。この程度のものでは、高いと思います。
 ただし、いい展示会場を見せてもらったので、それへの対価だと思えば、それで納得できるほど、いい雰囲気の展示スペースでした。

 テーマなりタイトルなりに引かれて来た者には、失望を与えるような、期待感をずらすような内容は、後味の悪いものです。広い心で、美というものを堪能すればいい、という方もおられるかと思います。
 しかし、素人の立場から言って、今回の内容は、何といっても観覧者に肩すかしを食わせるものだったと思います。
 お祭り騒ぎに便乗しての、寄せ集めの作品展となってしまったのは、見せられる者も見せる側も、共に意思の疎通を欠くものとなったのは残念です。

 あまり貶してもいけないと思いつつも、悪く言えば、源氏千年紀に悪のりした作品展に仕立て上げたものになっている、と書くと言い過ぎでしょうか。
 これは、制作者の方々の本意ではないでしょう。しかし、結果として、設定されたテーマから見れば、そう言う感想を私は持ちました。

 パンフレットで制作者の経歴を見ると、みなさんいろいろな賞をお取りになっている方々のようです。みなさん大学の先生のようです。多くの方々から評価をされているのでしょうが、それだけに、全体として設定されたテーマから見るとバラバラだったのが残念です。

 昨年亡くなられた截金(きりかね)の江里佐代子氏は人間国宝であったとか。知りませんでしたが、このテーマでなければ、別の視点で堪能できたと思います。

 いろいろな意味で、いい勉強になった展覧会でした。
 私も、今後の展示の企画を立てるときには、このような印象を与えないように気を配りたいと思います。




2008年3月24日 (月曜日)

源氏千年(17)楽しいグッズ作りのすすめ

 京都の二条城を北に上ったところに、堀川商店街があります。そこの有志による「匠と商人の会」では、『源氏物語』の千年紀にちなんだイベントを企画しておられます。

 過日、本ブログで散策スポットを取り上げたガイドブック『紫式部・源氏物語 ゆかりの地を訪ねて』を紹介しました。

http://blog.kansai.com/genjiito/161

 それがようやく完成し、250円で発行されました。
 入手ご希望の方は、下記の同会へ連絡をなさってください。

 京都市上京区西堀川通下立売上ル4町目51

  堀川商店街内 旧 サン・トラベラーズ

         現:京都観光プロデュース

          匠と商人の会 事務局

       電話 075−823−2110


 先日立ち寄った折には、現在試作中のグッズを見せてもらいました。
 こんな楽しい企画が進行中です。

 まずは、伝統工芸士の井村勲(完爾)氏の作品(小屏風)を何点か。


屏風1




屏風2




Dkcixquu_s屏風3





 こんな立派なものもあります。


Dzon5cg7_s小屏風





 同じく井村氏の傘に源氏絵です。いい雰囲気を出しています。
 これは、飾りたい方がたくさんいらっしゃると思います。



Slnwhsbr_s





 行灯もあります。
 西陣で使っている織り機の型紙を利用したものです。




Byxgm3xu_s行灯




 小物として、こんなものもあります。



B_7prtux_s壁掛け色紙




Rlvdwpbk_s色紙





 これらは、今後さらに磨きをかけたものとして、入手可能になると思います。
 イベントとしての楽しみが、こうして膨らんでいます。

 いろいろな形で、日本の古典文学を代表する『源氏物語』が親しまれるといいですね。
 あまり陳腐なモノが氾濫するのは困ります。しかし、こうした試行錯誤の中から、きっといいものが生まれることと思います。

 ご意見がありましたら、コメントをしてください。
 「匠と商人の会」の事務局長は気さくな方なので、楽しいアイデアには耳を傾けてくださいます。
 いっしょに楽しいグッズ作りに参加しませんか。





2008年3月23日 (日曜日)

源氏千年(16)お香と源氏物語

 18世紀中頃に「奈良屋」の屋号で創業した呉服商の家「杉本家住宅」が、京都四条西洞院にあります。市の有形文化財に指定されています。


Mt5xx0qz_s杉本家



 この杉本家を会場として、
「源氏かおり抄の世界」展

が5日間にわたり開催されました。主催はお香で知られる松栄堂です。

 京町家の中の各部屋に、松栄堂の源氏のお香シリーズを置き、その雰囲気を味わうものでした。昔ながらの町家に、源氏のお香が置かれていて、貴族と町衆との文化の違和感を楽しみました。
 私にはその性格が違いすぎて、正直言って馴染めませんでしたが。

 もう一つのタイトルである、
京町家で愉しむ「源氏物語五十四帖のかおり」

という名称を前面に出した方が、その文化の違いがはっきりしてよかったのではないでしょうか。
 源氏物語の千年紀ということで『源氏物語』が前面に出たために、会場としての町家との間にズレが生じたと思います。

 中の一室で、お香についての説明がありました。実際にお香を聞きながら、お香の基礎知識を得ることができました。来月には、松栄堂さんが主催される聞香に参加することにしているので、よき予習になりました。

 さまざまな種類のお香を、今の日本の文化の中にどう位置づけるのか、検討する価値のあるもののように思います。日本の伝統文化を、海外の人たちに紹介するだけでなくて、実際に私たち日本に住む者が、それをどう現代に継承し、活かしているのかが、実は重要なことなのです。昔はこんないいものがあった、というだけに留まらない文化の伝承に、このお香は検討の価値があると思います。
 来月の聞香を体験して、また考えるつもりです。




2008年3月20日 (木曜日)

角屋本『源氏物語』と陽明文庫本

 陽明文庫本「末摘花」の本文を、〈陽明叢書〉の影印と調査時のメモで確認しました。
 角屋本「末摘花」のことを考える上での参考となる事柄を、思いつくままに認めます。

 ただし、まだ私は角屋本『源氏物語』の見開き半葉づつしか見ていないので、見た範囲からの想像で以下に記していることをお断りしておきます。


(1)「し(新)」の字母について
 〈陽明叢書〉の写真版では、角屋本にあった「新」ではなくて「之」でした。
 これは、先のブログで指摘した3箇所ともにそうでした。
 また、文字遣いは、全体的にもまったく違うといっていいようです。
 つまり、陽明文庫本と角屋本は、直接の書承関係はないようです。しかし、ともに共通する本文を持つ写本であることは確かです。親本は異なるにしても、その親本は相当近い本文を伝えていたものの流れに位置する、ということは言ってもいいのではないでしょうか。


(2)角屋本の意義
 「角屋もてなしの文化美術館」の展示で掲げられた解説文で、本文異同が指摘されていたところについては、〈陽明叢書〉の「解説(玉上琢彌)」では、「三本間の隔たりの大きい箇所である。」(86頁)とされている所に当たります。
 〈陽明叢書〉の「解説」によれば、陽明文庫本「末摘花」は、次のようにまとめられている写本です。


 結局、この末摘花の巻は、青表紙本に対しては独自の位置を保ち、河内本の成立に大きな役割を果たして居り、他の甲類表紙を持つ別本系二十七帖と共に、陽明文庫本の基幹をなすに相応しい内容を持った一帖ということになろう。
(86頁)


 ここで言われている「河内本の成立に大きな役割を果たして」いるかどうかは、今は措きましょう。
 しかし、今回発掘された角屋本「末摘花」が、陽明文庫本に近似する本文を伝える古写本だと思われることはほぼ確かなので、これまで他に類例がなかった重要な本文が見つかったことになります。鎌倉時代に伝存していた物語の本文が、それも、現行の流布本と異なる『源氏物語』が確かにあったことになり、これは慎重に対処すべき資料の出現です。


(3)陽明文庫本の重要性
 他の巻での陽明文庫本のありようからすると、まだ陽明文庫本に近似するこうした古写本の巻が見つかってもよさそうです。
 鎌倉時代には、今われわれが読まされている「大島本」のような本文ではない『源氏物語』が、もっといろいろな形で流布していたと考えられます。
 例えば、第1巻「桐壷」で言えば、室伏信助先生が記録してくださったおかげで確認できた「伝阿仏尼筆本」が、陽明文庫本とそっくりの本文を伝えるものでした。
 また、かつて玉鬘十帖とその前後の巻における諸本の相関関係を調べたところ、『源氏釈』の抄出本文が陽明文庫本に近似するものであることが確認できています。
 藤原伊行が著した『源氏釈』は、最古の『源氏物語』の注釈書なので、この事実は重いと言えましょう。
 陽明文庫本は、『源氏物語』の本文を考える時に、重要な位置を占める本なのです。そして、これまでは孤立していることが多かった陽明文庫本ですが、角屋本の出現で、陽明文庫本の存在意義を支援する資料が提示されたことになります。
 こうした問題については、拙著『源氏物語受容論序説』と『源氏物語本文の研究』で考察しています。ご参照いただければ幸いです。


(4)角屋本に関する追記
 これまでに確認できたこと以外にも、先日掲載した18種類の本文の校異を見ると、以下のような確認が追加できます。

●陽明文庫本と角屋本だけの一致箇所
 (両本が近似することの確認)


・いとをしうて[角]・・・・062545-000
・あはれけに・・・・062554-000
  あはれけに/△△&あは[角]
・して[角]・・・・062570-000
・かたくなしと[角]・・・・062599-000



●本文が2つのグループに分かれる
(角屋本が陽明文庫本のグループに含まれる)


しつ心[角平御高天阿]・・・・062587-000
 しつこゝろ[尾]
 ナシ[大池国肖善日伏穂保前]
なく[角平御尾高天阿]・・・・062588-000
 ナシ[大池国肖善日伏穂保前]
ありかはや[角平御尾高天阿]・・・・062589-000
 ナシ[大池国肖善日伏穂保前]



 ただし、次のような例もあるので、各写本が伝える本文の位相は複雑です。
 これは、陽明文庫本が〈河内本群〉に属さないで、本文が2つのグループに分かれるものです。



やうなる[御大池国肖善日伏穂保前]・・・・062595-000
 やうなりぬへき[角]
 やらるへき[平]
 やうなへき[尾天]
 やうなるへき[高阿]





 角屋本はいずれ、影印・写真版などで公開されると思います。その時には、みんなで検討したいと思います。
 『源氏物語』のことを考える楽しみが、これでまた一つ増えたことになります。

 なお、陽明文庫本「末摘花」については、陽明文庫長である名和修先生のご高配をいただき、平成17年3月に詳細な調査を終えています。その成果の一部が『源氏物語別本集成 続』の翻刻編です。私の力では読めなかった虫食いを含む26箇所は、△記号にして収録しています。
 今回の角屋本によって、それらの一部が解消できることは、本当にうれしい限りです。
 これを機会に、ぜひ『源氏物語』に興味を抱く若い人たちが、その本文について考える仲間に加わってもらいたいと思っています。70年近く停滞しているこの本文研究という分野は、それによってさらに進展することでしょう。
 今後の若者たちの努力と感性が、大いに期待され、楽しみになってきました。




2008年3月17日 (月曜日)

秋の源氏物語展の準備

 今年の秋には、国文学研究資料館の開館を記念して、源氏物語特別展が開催されます。あと6ヶ月半となりました。
 いろいろな方々からアドバイスをもらいながら、記念展の準備を進めたいと思っています。

 現在の国文学研究資料館の正面玄関は、ここまで整備されました。入口の工事は、急ピッチです。


B5fw2daz_s正面玄関



 玄関を入ると、こんな感じです。床の緑の敷物は、工事期間中だけのものです。
 柱の陰になっていますが、左端のガラス戸が閲覧室と展示室への入口です。


Zc9xqooi_s閲覧と展示室の入口は左



 展示室にはすでに道具が運び入れられ、調整と清掃がおこなわれています。


Wwgrjyd2_s展示室奥



 縦に並ぶエアタイトケースは、国宝や重要文化財が展示できるものとなっています。この空間で、この秋に源氏展を開催するのです。

 この部屋をどう区切り、どのような流れで何をみてもらうか、いろいろと工夫を検討しているところです。

 この写真では、展示室の東側だけです。まだ、西側があります。展示担当者としては、この展示室があまりにも細長いので、その対策に追われることを怖れます。

 この部屋がどう変身するのかは、どうぞお楽しみに。




2008年3月15日 (土曜日)

角屋本『源氏物語』の疑問氷解・追記版

 今日から角屋本『源氏物語』の「末摘花」が一般公開されるので、早速「角屋もてなしの文化美術館」へ出かけました。JR丹波口駅から南へ歩いてすぐの所にあります。

 ここには何度も来ています。しかし、これまでは、近世の島原の揚屋の文化を見るためでした。ところが、今日は、鎌倉時代の書写にかかるとされる『源氏物語』の写本を見るためです。
 こんなことで島原に来るとは、思いもしませんでした。


Jcf5cfbx_s角屋



 入場料は千円です。自動販売機で購入し、チケットを渡して入りました。館内の解説があるとのことでしたが、今日は『源氏物語』だけを見て帰るつもりなので、そのまま展示場へ直行しました。

 島原文芸資料室という一室に、≪源氏物語コーナー≫がありました。
 入って右手のガラスケースに、『源氏物語』の写本が展示されています。
 手前に、江戸時代中期『源氏物語』が54巻揃って展示されていました。しかし、これはチラリと見ただけです。その奥に、目的の「末摘花」が一冊広げて置かれていました。今日は、これとの対面だけで来たのです。
 その写本の上には、見開きの拡大写真と解説がありました。写本は斜めの角度で見ることになり、また見づらいので、この配慮はありがたく思いました。近年、特に目が不自由になったので、こうした心配りには助かります。

 手には取れないのでよくはわかりませんでしたが、ガラス越しに対面した印象では、確かに鎌倉時代の書写のように見受けられます。

 写本とその書写年代を確認しに来たのではないので、すぐに開かれている見開き2頁分の文字を読み取りました。1頁10行書きで、1行には17文字前後書かれています。

 今回展示されていた見開き全文を読み取ったものを以下に示します。
 所蔵者の許可を得てはいませんが、展示された部分の紹介なので、学術的な引用としての掲載です。
 短時間の読み取りだったので、間違いがあるかもしません。ご寛恕のほどを。
 翻刻文にある中黒点(・)は、『源氏物語別本集成 続』(通番号 062539-000〜062611-000)で再確認しやすいように、文節に切った箇所の目印です。


(右頁 『源氏物語別本集成 続』062539-000〜062577-000)

と・のたまへと・たゝ・むゝと・うちわらひて・
くちをもけなるも・いとをしうて・
いて・たまひぬ・御くるま・ひきいれたる・ちう
もん・いと・いたう・よろほひて・あは(△△&あは)れけ
に・あれまとへるに・まつの・雪のみ・あた
たかけに・ふりつめり・よめにこそ・しる
きなからも・かくろふる・事・おほかりけ
れ・かたはらいたき・ことも・おほかり・やまさ
との・心地も・し(新)て
・かの・人/\の・いひし・
むくらの・かとは・かやうならん・ところならむ(ウラ丁)



(左頁 『源氏物語別本集成 続』062577-000〜062611-000)

かし(新)・けに・こゝろくるしう・らうたけ
ならむ・ひとを・こゝに・すへて・うしろめた
う・こひしと・おもひつゝ・しつ心・なく・
ありかはや・あるましき・ものおもひにや・
それに・まきれなんかしと・おもふ・やうな
りぬへき・すみかに・あらぬ・御ありさまを
と・かたくなし(新)と・おほしなから・我ならぬ・
ひとは・まして・みしのひなんや・わか・ゝう
まて・みそめけるは・ちゝみこの・うしろ
めたしと・おほしをきけん・たま(オモテ丁)


 ここで、赤で示した「御くるま」から「心地もして」までの箇所について説明します。

 これは、ガラスケースの中に掲示されていた解説文「角屋蔵『源氏物語』写本末摘花巻の学術的意義について 大阪大学大学院文学研究科准教授 加藤洋介」で、この写本が陽明文庫本と同一系統の本文を持ち、別本に分類される貴重な写本である例として、翻刻とともに例示された箇所です。

 この描写箇所は、末摘花の屋敷の様子を語っているところです。解説文で指摘された、「叙述の順序が逆」で「角屋本にしかない部分」とあるのが、陽明文庫本と一致することになるのです。
 つまり、この例示によって、角屋本が陽明文庫本と近似することが証明されたことになります。
 その詳細は、本ブログの後ろに掲載した「末摘花18本校異」で確認できますので、興味のある方は文字をたどりながらお楽しみください。
 この校異資料では、過日のブログでは収録しなかった「平瀬本」(重要文化財)と「角屋本」(今回の展示箇所で確認したもの)を、異文校合の資料に加えました。そのために、校合に用いた資料は、2本増えて18本となっています。
 なお、平瀬本を確認するに当たっては、豊島秀範先生のご協力とご高配をいただきました。昨夜来、京都と東京を電子情報が飛び交いました。文学の研究が様変わりしたことを、今さらながら実感しました。

 私は、先のブログ「島原での新出『源氏物語』への疑問」(http://blog.kansai.com/genjiito/205)で、次のように書きました。