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2017年2月13日 (月)

『源氏物語』の池田本と国冬本に関する渋谷氏の問題提起

 渋谷栄一氏の「楽生庵日誌(2月11日)」で、以下の報告がありました。


【2月10日(金)】
越野優子『国冬本源氏物語論』と伊藤鉄也「池田本『源氏物語』本文校訂「桐壺」(第一版)」を読みながら「源氏物語」の本文研究について考える。文学の根源が言語藝術としての感動にあるならば、別本は通行本文では窺い知ることのできない「源氏物語」の豊かな表現と叙述をもったテキストの一つとして興味深い。通行の定家本原本とその臨模本そしてその系統の最善本である大島本を底本とした校訂本と同じ定家校訂本系統とされる池田本の校訂本と違いのあることは分かるが、なぜ違うのか、そして定家校訂本系統としてどちらがよりすぐれた表現世界をもったテキストなのか、そこが知りたい。

 この「大島本」と「池田本」とに本文の違いがあることについて、なぜそのような違いが生まれたのか、その表現世界の違いは何か、それぞれがどのように読まれてきたのか、などなど、問題は山積しています。この意味を考えることは、『源氏物語』の研究において今後とも重要な研究課題だと言えるでしょう。
 これからの若手研究者が、その新鮮で柔軟な感性によって、この問題に果敢に挑んでいただきたいと思っています。

 渋谷氏の記事にある「池田本『源氏物語』本文校訂「桐壺」(第一版)」とは、先月末に私家版として試験的に印刷して配布し始めた冊子を指しています。


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 この池田本「桐壺」の校訂本文を手元に置いて確認したい方は、本ブログのコメント欄を使って、郵便番号・住所・氏名をお知らせください。「桐壺」巻の校訂本文は無料でお渡しするものなので、折り返しお届けする手順(郵送の種別と送料等)をお知らせします。

 なお、この池田本の校訂本文を作成している背景や経緯については、「NPO法人〈源氏物語電子資料館〉のホームページ」をご覧ください。
 
 
 

2017年2月 5日 (日)

京都府立京都学・歴彩館で開催された陽明文庫の源氏講座

 昨年末に一部がオープンした京都府立京都学・歴彩館の大ホールで、オープニング事業として「陽明文庫講座」が開催されました。


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 掲げられたテーマは「陽明文庫所蔵『源氏物語』をめぐって」です。
 講演は次の2題でした。


「近衛家の『源氏物語』諸本について」
  名和修(公益財団法人陽明文庫常任理事・文庫長)

「陽明文庫本重要文化財『源氏物語』の読みの楽しみ」
  伊井春樹(大阪大学名誉教授・阪急文化財団理事・館長)

 名和先生は、陽明文庫蔵『源氏物語』10種類を、スライドを使って丁寧に解説してくださいました。
 配布された「近衛家の『源氏物語』諸本について」という資料に掲載されていたリストを、記録として引きます。


《陽明文庫に現存する写本》

①重要文化財・陽明文庫本

 五十四帖・筆者目録ほか
 鎌倉中期写の三十三帖を基幹に、鎌倉後期写本、さらに近世前期補写本を加えた五十四帖からなる。列帖装。縦一五・二〜一六・五糎、横一四・八〜一五・九糎。一面八〜一三行書。表紙中央に巻名を打付書。付属の筆者目録は冷泉為綱(一六六四~一七二二)の筆跡鑑定書。

②後柏原院他寄合書本

 五十二帖(早蕨・夢浮橋欠)・筆者目録一通
 室町中期写。列帖装。茶褐色表紙。縦一七・○糎、横一七・五糎。表紙中央に打付書外題「きりつほ(巻名)」。一面一〇行書。扉紙右上に各巻筆者の札を押す。花宴巻末に「件本以京極黄門 定家卿 自筆校合畢云々」とある。昭和二十一年九月に二帖欠巻が発見された。

③筆者不明寄合書本

 〈近・82・1〉五十四帖
 室町中期写。袋綴冊子本。浅葱色表紙。表紙中央に白色題簽「きりつほ(巻名)一」(巻序を示す漢数字は後筆)。外題題簽は三条西実隆(一四五五〜一五三七)筆。縦二一・五糎、横一九・○糎。一面九行書。一部の巻末に花押がある。行間の書き入れの一部は、近衛信尹・近衛信尋筆。

④近衛信尹他寄合書本

 五十四帖・筆者目録一通
 慶長元年(一五九六)から同十三年(一六〇八)にかけての写。列帖装。胡粉塗白鼠色雲母刷り波千鳥文表紙。縦二三・七糎、横一七・六糎。表紙中央に白題簽を押し、巻名を墨書。外題は八条宮智仁親王(一五七九〜一六二九)。一面一〇行書。筆者目録の題と巻名は近衛信尹筆。

⑤近衛尚嗣筆本

 〈近・97・1〉三十三帖(帚木〜若菜上)
 近世前期写。列帖装を装訂する前の仮綴。縦一七・七糎、横一九・六糎。各巻を楮紙で包み、それぞれの書写の開始と終了の年月日を書く。包紙上書と本文は近衛尚嗣筆。

⑥近衛基凞筆本

 五十四帖・付属文書一帖
 近世前期写。列帖装。縦一八・○糎、横一八・○糎。白茶厚手斐紙に金銀泥で草花等描の表紙。表紙中央に金砂子蒔紋題簽を押し、巻名を墨書。外題、本文は近衛基凞筆。手習巻末の識語から、後西院御本を院近臣の平松時量(一六二七~一七〇四)が写した本を近衛基凞が転写したとわかる。後西院御本の親本は、三条西家証本(日本大学蔵、岩波古典大系の底本)の転写である後陽成天皇本(宮内庁書陵部蔵)。「源氏物語書写校合日数目録」一冊が付属する。

⑦伝鷲尾隆量筆本

 五十四帖
 近世前期写。列帖装。縹色表紙。縦二五・○糎、横一八・○糎。表紙中央に金泥紋題簽を押し、巻名を墨書。一面一〇行書。鷲尾隆量(一六〇六~一六六二)筆とする天保七年(一八三六)初春の古筆了伴極めがある。

⑧伝宗昏筆本

 五十四帖・系図一帖
 近世前期写。列帖装。薄縹色表紙。縦二三・七糎、横一七・五糎。一面一〇行書。表紙中央に金泥描紋題簽を押し、巻名を墨書。南都連歌師宮村宗昏筆と伝えるが、寄合書。系図巻末に「寛永拾六年(一六三九)己卯 林鐘(六月)仲旬 稲墻休也書之」とある。

⑨法橋常知筆本

 五十四帖
 近世前期写。列帖装。縦一五・六糎、横一六・三糎。色変わりの無地表紙。表紙中央に淡青色地金泥縞文様題簽を押し、巻名を墨書。一面一〇行書。夢浮橋巻末に「寛文十三年(一六七三)丑三月日 八拾五歳筆法橋常知」と書く。

⑩伝大炊御門経孝筆本

 五十四帖・系図一帖
 近世前期写。列帖装。縦二二・一糎、横一七・三糎。緑色地網目花菱文鍛子裂表紙。表紙中央に金銀砂子蒔題簽を押し、巻名を墨書。一面一〇行書。大炊御門経孝(一六一三~一六八二)筆とする天明七年(一七八七)初秋の古筆了意の極めがある。

※このほか、室町中期頃書写の零本(花宴・紅葉賀・松風・夕霧・御法)、慶長年間刊古活字版(五十七冊)、寛永元年(一六三四)刊古活字版(五十四冊)がある。

 古典籍に対する慈しみの思いが溢れた、わかりやすいお話でした。

 休憩を挟んでの伊井先生のお話は、『源氏物語』の本文についての説明の後、大島本と陽明文庫本の本文を引いて読み比べることで、異本・異文を読む楽しみを展開してくださいました。
 陽明文庫本の本文は、登場人物に寄り添って語っており、大島本は客観的な語り口になっている傾向がある、というご指摘です。また、陽明文庫本は詠嘆的な表現が見られ、大島本は情緒的なものを切り捨てているのではないか、ともおっしゃいました。
 いつもの伊井語りが会場を包み込んでいました。

 本日は400人もの人が会場を埋める、大盛会でした。

 陽明文庫の協力を得て、東京大学史料編纂所と京都府との提携により、京都府立京都学・歴彩館で陽明文庫所蔵近衛家伝来資料のデジタルデータの閲覧が今春より順次公開されるそうです。楽しみが増えました。

 空き時間に、名和先生と伊井先生に、今後の『源氏物語』に関する取り組みについてお話をすることができました。詳細は、またあらためてご説明するつもりです。

 閉会後、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉で理事をしておられる石田弥寿子さんと、会場でおめにかかった女房語りの山下智子さんを、会場から歩いて8分の我が家にお招きしました。
 私がお気に入りの豆を挽いて淹れたコーヒーと京菓子で、いろいろな楽しいお話をしました。時の経つのも忘れて、なんと2時間も話し込んでしまいました。
 山下さんは、京ことばで『源氏物語』を読んでおられます。来月3月12日(日)の午後2時から、粟田口にある国際交流会館和風別館で「花宴」を語られます。
 今回も私は参加できません。よろしかったら予定に入れてみてください。

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「京ことば 源氏物語 花宴」

 NPO活動のことなどを含めて、今後とも山下さんとは可能であればご一緒にイベント活動をしたいと思っています。実現しましたら、またお知らせします。
 
 
 

2017年1月28日 (土)

平仮名「て(天)」と変体仮名「弖・氐」について(その2)

 明治33年に平仮名の字体が一文字に統制されました。小学校令の改正を受けた小学校施行規則によるものです。その時、「TE」については、「天」を字母とする「て」が選定されました。その事情について、今はまだ私にはよくわかりません。しかし、鎌倉時代からの仮名文字で表記された古写本を読み続けている感触からは、妥当な結論だったように思っています。

 その平仮名の「て」に関して、字母をどうするかで、いまだに迷いがあります。
 「く」のように見える「弖」や「氐」を「て」として翻字して来ていたからです。これまでに私は、「天・弖・氐」の草書体について識別基準をもっていなかったので、「く」のように見える文字も、その字母はほとんどを「て(天)」としてきました。

 先週の研究会で、関西大学の乾善彦先生から、第一画の線の長短によって見分けられる、とのご教示を得ました。つまり、第一画が長ければ「天」であり、短ければ「弖」だということです。いま、「氐」のことはおきます。

「ひらがな「て」の字母とされている「天」と「弖」の区別について」(2017年01月23日)

 そうであれば、そうした判断基準を設定することは可能です。しかし、そう単純に識別できない例にしばしば出くわしていたことから、これまで私は割り切ることができないでいたのです。

 そんなことを考えていた時、鎌倉時代に書写された国文学研究資料館蔵(橋本本)『源氏物語「若紫」』の中に、次の例があったことを思いだしました。「給て」(38オ8行目)とあるところです。

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 この「て」下に書かれている文字が「弖・氐」であることは、その直前の丁末の行頭にある「や可弖(氐)」(37ウ)からも明らかです。


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 昨日、日比谷図書文化館の講座に参加しておられる方々が、橋本本『源氏物語』の原本を実見するために国文学研究資料館にいらっしゃいました。午前と午後に7名ずつに分かれて、橋本本『源氏物語』を実際に閲覧していただき、いろいろとお話をしながら説明をしました。

 その際、上記の問題を再度確認しました。確かに、「弖・氐」と書かれた文字を削った上に「て」と書かれていました。

 つまり、最初に書写された「弖・氐」を削って、その上から「て」を書いたということは、書写者に字母に関して識別する意識があったということが確認できるのです。
 そうであれば、なぞられた「て」は現行の平仮名の「て」なので、その下に書かれていた文字は「弖」か「氐」だったことになります。これは、翻字する際に書写された文字の字母を意識して対処する上では、この字母の識別を明確にすべきです。下に書かれた文字を「て」としたのでは、正確な翻字とはなりません。

 となると、最初に書かれた下の文字は「弖」とすべきか「氐」とすべきか、ということになります。このことは、次回にします。

 平仮名が約50個に絞り込まれた経緯を、ずっと追い続けていることに関連して、しばらく、この件で調べたことを何度かに分けて報告します。
 
 
 

2017年1月22日 (日)

岩佐又兵衛の源氏絵を出光美術館で見る

 昨年末に、「洛中洛外図屏風」の現地探訪をしました。
「京洛逍遥(379)フォーラム2日目は『洛中洛外図屏風』を歩く」(2016年12月13日)

 それ以来、岩佐又兵衛が描いた「東京国立博物館所蔵「洛中洛外図屏風(舟木本)」(2016年に国宝指定)」のことが気になっていました。

 ちょうどいい機会なので、出光美術館で開催中の「開館50周年記念 岩佐又兵衛と源氏絵― 〈古典〉への挑戦」(2017年1月8日(日)〜2月5日(日))を見てきました。

 出光美術館のホームページに掲載されている「展示概要」には、次の説明がなされています。これは、展覧会図録の「ごあいさつ」にもあるものです。

 私は、ここに記された、又兵衛が江戸に移ってからの、梗概書の挿絵への影響に興味を持ちました。


2017年は、それまで京都と福井で絵筆をふるっていた又兵衛が、活動の拠点を江戸に移してから380年の記念の年にもあたります。そこで、〈浮世絵の開祖〉とも称された又兵衛の絵画が、江戸の浮世絵師たちにどのような刺激を与えたのかを考えるために、『絵入源氏物語』や『十帖源氏』、菱川師宣(ひしかわもろのぶ ?-1694)が江戸版の挿絵を担当したとされる『おさな源氏』など、歌人・俳人で古典学者の松永貞徳(まつながていとく 1571-1653)の流れをくむ文化人たちが携わり、版行された梗概書(こうがいしょ)(『源氏物語』のダイジェスト)を取り上げつつ、又兵衛との関係を探ります。

 また、同じくホームページには、「第6章 江戸への展開 —又兵衛が浮世絵師に残したもの」で、次のように書いてあります。


京都から福井へ移って20年あまり。60歳を過ぎた又兵衛は、1637年2月、福井を発ち、江戸へと向かいました。又兵衛は生前から〈うきよ又兵衛〉と異名を取ったと伝わり、浮世絵の成立に重要な役割を果たしたと考えられますが、江戸における又兵衛の仕事は浮世絵師たちに何をもたらしたのでしょうか。この章では、歌人・俳人で古典学者の松永貞徳(まつながていとく 1571-1653)の流れをくむ文化人たちが刊行にたずさわった『源氏物語』の梗概書などを手がかりに、江戸の浮世絵師との接点を探ります。

 この章に関して、展示図録の説明を引きます。


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又兵衛工房の実態と所在

 又兵衛の制作活動は、数名の有能な弟子たちによって支えられていたことがほぼ確実である。特に、大きな屏風絵や長い絵巻を手がけるときには、最初の設計図というべき「小下絵」を注文者に見せて許しを得たのちに、関与の度合いはさまざまであったにせよ棟梁の指揮のもとで弟子たちが分担して仕上げる—室町時代末期の元信以来、狩野派の隆盛をもたらした集団制作の手法は、又兵衛にも採用されていたと思われる。
 又兵衛の場合、京都・福井・江戸を遍歴しているだけに、主宰者の移動は工房の消長に大きくかかわる。とはいえ、又兵衛の転居がただちに工房の解散や弟子たちの廃業につながったとは考えにくい。棟梁が去ったあとも工房(絵屋)に留まって経営を続け、又兵衛のスタイルを踏襲しながら絵を描き続けた絵師は少なからずいただろう。たとえば、又兵衛の子・源兵衛勝重、さらにはその子・陽雲以雲は、福井の地で藩の画事をこなしている(戸田浩之「福井と又兵衛」、『岩佐又兵衛全集』、藝華書院、二〇一三年)。同じように、又兵衛は京都にも工房を残して福井へと発ったに違いない。又兵衛による源氏絵の影響を、挿絵入りの版本によって伝えた山本春正と野々口立圃が、いずれも京都の人物であることがそう信じさせる。彼らは、京都在住時代の又兵衛が生み出し、又兵衛の福井移住後も京都で活動を続けた弟子によって描き継がれた象徴的な源氏絵の図様に触れたのだろう(挿図1〜3)。
 端的にいって、又兵衛とその工房作について、表現の微妙な違いを見分け、それを細かく分類すること自体、それほど意味のある作業ではない。個々の作品の相違よりも相似を重視した上で、一目見てそれと分かる特徴的な表現によって画面をまとめ上げる組織の統制の力、そして、又兵衛の新鮮な表現を支持し、強く所望した江戸時代前期の人々の熱量のようなものを正当に評価するべきである。(136頁)

 狩野派や土佐派の源氏絵を見ていただけの私にとって、又兵衛の源氏絵にも注意が向いたことは大きな収穫となりました。しかも、それが江戸時代の梗概書である『絵入源氏物語』・『十帖源氏』・『おさな源氏』などの挿絵にも展開するものだったので、今回の出光美術館の企画はありがたいものとなりました。
 
 
 

2017年1月19日 (木)

日比谷図書文化館で橋本本「若紫」の異文を確認

 夜の日比谷図書文化館で、橋本本「若紫」を変体仮名を確認しながら読み進んでいます。

 今日は、ちょうど大島本が特異な本文を伝えていることで知られる場面からでした。
 以下では、諸本の文異同を見るために、従来の翻字方法で作成した資料をあげます。これは、まだ「変体仮名翻字版」の翻字本文が揃っていないための、暫定的なものです。


日も[橋=中麦阿陽池肖日保高]・・・・050653
 ひも[尾御天]
 日[穂]
 人[大国伏]
いと[橋=尾中麦阿陽池御肖日穂保高天]・・・・050654
 ナシ[大国伏]
なかきに[橋=麦阿陽池御肖日保]・・・・050655
 なかく[尾高天]
 なかう[中穂]
 なくて[大国伏]

 現在一般的に読むことのできる活字の校訂本文は、すべて大島本によるものです。その大島本は、国冬本と伏見天皇本とともに、「人なくて」となっています。それ以外は、「日もいとなかきに」という本文です。
 そうであるのに、大島本に依って作成された『新編全集』(小学館)の本文は、「日もいと長きに」です。同じ大島本を底本とする『新大系』(岩波書店)は、底本通りに「人なくて」です。
 ともに大島本による校訂本文でありながら、その本文が違うのはどういうことなのでしょうか。
 日比谷図書文化館で読んでいる『国文研蔵 橋本本『源氏物語』「若紫」』は、「日もいとなかきに」です。

 この違いを考えるために、室伏信助先生がお書きになった「人なくてつれづれなれば —『源氏物語』の本文と享受—」(『王朝日記物語論叢』笠間書院、2014.10)という文章を配布して、その背景を確認しました。

 『源氏物語』を読むということは、何本を読むということよりも、誰が校訂した本文を読むか、ということに尽きるようです。今自分がどのような校訂本文を読んでいるのか、何も考えずに『新編日本古典文学全集』だけで『源氏物語』を読むことがいかに無謀な読書であるかを、常日ごろから強調しています。
 このことは、この日比谷図書文化館では毎回のように言っていることなので、みなさんすでに承知のことです。しかし、こうして具体的な例で説明すると、実感としてわかっていただけます。

 次に、橋本本の独自異文にも触れました。


おもては/おもて$かほ[橋]・・・・050748
 かほは[大尾麦阿陽御国肖穂保伏高天尾]
 かほを[中]
 かをは[池日]
いと[橋=全]・・・・050749
あかく[橋=大尾麦阿陽池御国肖日穂保伏高天尾]・・・・050750
 あかう[中]
すりあかめて/あかめて$なして[橋]・・・・050751
 すりなして[大尾麦阿陽池御国肖穂保伏高天尾]
 なして[中]
 すりなして/り〈改頁〉[日]

 諸本が「顔はいと赤くすりなして」とあるところを、今読んでいる橋本本だけは「おもてはいと赤くすり赤めて」となっているのです。こうしたところに、橋本本の独自性が見てとれます。

 鎌倉時代には、いろいろな本文が流布していたのです。今と違う本文もいろいろとあったのです。そうした、大島本とは異なる本文を伝える『源氏物語』を読む楽しさを、こうして毎回、「変体仮名翻字版」で読みながら語り伝えています。
 
 
 


2017年1月12日 (木)

渋谷氏による『源氏釈』の研究資料が全面改訂へ

 渋谷栄一氏が作成中の『源氏釈』の研究資料に関して、以下のような全面改訂の方針が示されました。これは、ご自身の「楽生庵日誌(1月11日)」で表明されたものです。
(http://www.sainet.or.jp/~eshibuya/rakuseian.html#551277658d71862cec8cf1cf6089e)
 


【1月11日(水)】
「源氏釈」の全面改訂について、
第1は本文資料を漢字仮名字母による翻字法に切り替えたこと、
第2は対校写本を平安・鎌倉・南北朝期頃までの写本の写真影印資料等に拠り、青表紙・河内本・別本の枠組みを外したこと、
第3には後世の仮託偽書は除外したこと。
平安末期の藤原伊行の源氏物語の本文と注釈について考究していくことを目的とした。

 大賛成です。こうあってほしいと願っていたことなので、今後の進捗がますます楽しみになりました。

 この『源氏釈』の改訂版と、私が構築しつつある『源氏物語』の本文に関する「変体仮名翻字版」のデータベースがリンクする日が来ることを思うと、今からワクワクして来ます。
 これが実現すると、『源氏物語』の本文研究史と注釈史の研究が、格段に精緻なものへと変わっていくことでしょう。

 これまでの研究資料は、明治33年に施行された、現行ひらがな書体という制約から出ないままのものがほとんどでした。つまり、簡略化された翻字や翻刻による研究がなされていました。それが、注釈書の原本に書写されているままの文字列で研究ができるようになると、より正確な翻字資料で考えることができるようになるのです。簡略版による翻字資料での研究には、やはり限界があり、学際的な研究には至らなかったのです。

 これで、研究環境が各段に向上します。後は、一点でも多く変体仮名を用いた翻字資料が増えることを待てばいいのです。
 『源氏物語』の本文の翻字は、着実に進展しています。
 これに加えて、『源氏物語』の注釈書の翻字も、「変体仮名翻字版」で展開することを考えたいと思います。

 昨日の、本文分別に関する渋谷氏の記事に引き続き、これも新年早々うれしい知らせとなりました。
 少しずつではあるものの、『源氏物語』の研究環境は着実に進化しています。
 若い方々がこうした資料を活用し、新しい視点での研究成果を公表される日が来ることが期待されます。
 この問題に興味をお持ちになった方からの、質問や連絡をお待ちしています。
 
 
 

2017年1月11日 (水)

源氏物語本文の2分別私案に関する初めての賛同者

 渋谷栄一氏の「楽生庵日誌(1月9日)」で、以下の報告がありました。
 私が提唱する2分別私案(〈甲類・乙類〉)について、初めて支持を表明する方が正式に確認できたのです。


「午前中、源氏物語の本文分類について、伊藤鉄也氏が指摘するとおり、河内本群(甲類)と別本・青表紙本群(乙類)に2分類されることを、さる12月24日の豊島秀範科研研究集会における発表者(豊島秀範・太田美知子氏)の「紅葉賀」と「蓬生」の各諸本本文対照資料で確認する。
(http://www.sainet.or.jp/~eshibuya/rakuseian.html#551277658d71862cec8cf1cf6089e4876085858e)

 『源氏物語』の本文は、池田亀鑑が提唱した〈青表紙本・河内本・別本〉という3分類ではないことは、これまでに私は自編著や本ブログなど各所で言及してきました。このことが、今回初めて研究者によって確認されたのです。『源氏物語』の本文研究史において、重要な確認事項だと言えるでしょう。

 昭和13年までに池田亀鑑氏が確認した本文資料をもとにしての〈青表紙本・河内本・別本〉という物語本文の3分類は、あくまでも昭和13年までの資料に限定しての仮説でした(本記事末尾の引用文を参照)。それ以降、多くの『源氏物語』の写本が紹介され、確認されているのですから、『源氏物語』の本文の分別については昭和13年以降の資料も交えて考えるべき問題です。しかし、以来80年もの長きにわたり、この池田亀鑑の3分類を重宝で便利なモノサシとして、解説などに言及されてきました。
 私の手元には、昭和13年以降の本文を翻字した資料やデータが数多くあります。それらを通覧しても、〈青表紙本・河内本・別本〉の3分別ではなくて、〈甲類〉〈乙類〉の2分別にしかなりません。

 『源氏物語』の本文は2つにしか分別できないということに関して、さらに多くの方からの私見に対する確認の報告を楽しみにしています。また、反論も大いにお寄せください。これも楽しみにしています。

 少なくとも『源氏物語』の本文のことを、活字による校訂本文をもとにして発言するのは控えてほしいと思います。さらには、不正確な『源氏物語大成』による本文考察は、問題の性質がまったく異なる方向に展開することになるのですから。
 そして、若手研究者は自身が読む『源氏物語』の本文がどのような経緯で提示されたものであるのかを、充分に確認した上で本文を読み解く心構えが求められる時代になっていくことを知っていただきたいと思います。

 以下、取り急ぎ参考までに、そして確認の意味で、『源氏物語』の本文が2つに分別できることを書いた最近の文章を引用しておきます。
 これは、昨年12月24日(土)に豊島秀範先生が主宰される「第3回 源氏物語の本文資料に関する共同研究会」で発表した資料からの抜粋です。


■本文の二分別と傍記混入■

 池田亀鑑は『源氏物語』の本文に関して、その形態上の特徴から〈青表紙本・河内本・別本〉の三種類に分類した(『校異源氏物語』昭和一七年)。その物指しが、約八〇年経った今も通行している。朝日古典全書(昭和二一年)が『校異源氏物語』の底本となった大島本をもとにして成ったことは、今も流布本に受けつがれている。このことへの疑問を三〇年以上も抱き続け、『源氏物語別本集成 全一五巻』と『源氏物語別本集成 続 全一五巻』(七巻で中断)を経て、今ようやく新しく池田本で読むためのテキストを提供できるようになった。スローガンとして来た「江戸期の源氏から鎌倉期の源氏へ」が、現実にスタートしたところである。本日配布した『池田本『源氏物語』校訂本文「桐壺」』(第1.0版 平成二八年一二月二一日)が、まさにできたばかりの具体的な成果である。
 池田亀鑑は『源氏物語大成』の「校異源氏物語凡例」で、「原稿作成ノ都合上、昭和十三年以後ノ発見ニ係ル諸本ハ割愛シタ。」(五頁)と言っている。このことから、『源氏物語』の本文を〈青表紙本・河内本・別本〉の三つに分類できるのは、昭和一三年までに確認された『源氏物語』の本文資料を整理する場合にのみ適用できることだといえる。昭和一三年以降になると、さらに多くの写本が見つかり、さまざまな本文が紹介されている。昭和一三年以前に池田亀鑑が確認した写本だけで『源氏物語』の本文のことを考えるのは、もうやめた方がいい。しかも、池田亀鑑の諸本整理と『校異源氏物語』の作成の背景には、さまざまな恣意がしだいに明らかになってきている。今年は平成二八年なので、八〇年前のモノサシで今の『源氏物語』の本文を考えるのは、とにかく生産的ではない。〈青表紙本・河内本・別本〉という分別が、解説などでいまだに便利に使われている。しかし、これは見当違いなモノサシであり、その視点で『源氏物語』の本文を見ることには大いに問題があると思っている。
 私は、『源氏物語』の本文は諸本間で八割が一致し、異文というべき本文異同は二割の範囲で生じていることを検証してきた。また、物語本文はその内容から〈河内本群〉を中心とした〈甲類〉と、〈いわゆる青表紙本〉を中心とした〈乙類〉の二分別することができる、という私案を提唱してきた(拙著『源氏物語本文の研究』平成一四年、おうふう)。
 『源氏物語』の本文を二分別する試案としての〈甲類・乙類〉を提示したのは、口頭発表では「ハーバード大学所蔵『源氏物語』の本文」(INTERNATIONAL SYMPOSIUM THE ARTIFACT OF LITERATURE(ハーバード大学)、平成二〇年一一月二一日)であり、活字論文では「「源氏物語本文の伝流と受容に関する試論 —「須磨」における〈甲類〉と〈乙類〉の本文異同—」(横井孝・久下裕利編『源氏物語の新研究』新典社、平成二〇年一一月)が最初であった。それまでは、〈河内本群〉と〈別本群〉という名称をつけていた。


 
 
 

2017年1月 7日 (土)

久しぶりの大阪駅で『源氏物語』の翻字の打ち合わせ

 大阪駅に行ったのは、本当に久しぶりです。
 駅ナカのホテルのラウンジで、『源氏物語』の古写本を翻字してくださる方とお話をしてきました。

 かつて私と同僚だった方の今の同僚で、翻字に興味を持ってくださった方がいらっしゃるとのことで、直接お目にかかって説明をしました。顔を合わせてお話をする、ということを大事にしているからです。
 尾州家河内本『源氏物語』をお願いしようと思います。

 明治33年に策定された、現行のひらがな約50種で作成した翻字データは、すでに私の手元に相当数あります。約30万レコードのデータベースとなっています。それを、書写された文字の字母に忠実な、「変体仮名翻字版」と言っている正確な翻字をお願いし続けているのです。

 「安」も「阿」も、これまでは「あ」という一文字のひらがなで翻字をしてきました。しかし、それは不正確であり、写本に書かれている文字の姿から翻字に戻れないものです。次の世代に嘘の翻字データを引き渡すわけにはいかないので、「安」は「あ」に、「阿」は「阿」で翻字をしていただくのです。今からちょうど2年前に決断した、新しい方針です。

 国文研蔵橋本本「若紫」の冒頭部分の例をあげます。


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 これを翻字する場合、これまでは次の写真の左側列のように、「わらはやみに」としていました。明治33年に一文字に限定されたひらがなで済ませていたのです。しかし、これを「変体仮名翻字版」で翻字をすると、右側列のようになります。


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 「変体仮名翻字版」の列にある、「八」「三」「尓」が、字母を混在させた、写本に戻れる翻字です。左右の列の文字の違いを見ると、今までの左側の翻字の不正確さが明らかでしょう。

 「変体仮名翻字版」であれば、写本に書かれている文字がほぼ正確にデータ化できます。もちろん、崩し字は一様ではないので、字母である漢字に近い形であったり、明治33年に国策として一字体に決められた現行のひらがなの字体であったりと、その間でさまざまな変化があり、揺れがあります。そこまで厳密な違いを文字データベースで再現することは困難なので、写真に依ることにしています。今はひとまず、嘘のひらがなによる翻字ではなくて、字母レベルに一元化しての翻字に移行しているところです。
 これで、これまでよりも少しでもましな「変体仮名翻字版」によるデータが出来上がります。

 翻字をお願いする、と言うと、何やら難しい特殊な能力を求められるかのように思っておられる方が大半です。しかし、私がお願いするのは、写本の影印資料と、すでに完成している現行ひらがなによるテキストデータを渡し、データをパソコンで「変体仮名翻字版」にしてもらうのです。つまり、写本はすでに正確に読まれており、そこに用いられた平仮名を変体仮名に置き換えてもらう作業になるのです。ややこしいいことと言えば、データベース化にともなう、写本が書かれている現状を記述した付加情報でしょうか。しかし、これは2人目の別の方が確認するので、特に神経質になっていただく必要はありません。
 とにかく、後ろを振り向かず、ひたすら前を見て進んでください、と言ってお願いしています。

 私は特に翻字の進捗具合を催促はしないようにしているので、気長に続けていただければ、と願っています。
 『源氏物語』の写本の分量は膨大なので、90年を一応のメドとして取り組んでいます。私一代ではできないプロジェクトなので、特定非営利活動法人〈源氏物語電子資料館〉を設立して取り組んでいるところです。
 NPO活動の一環なので、ほんの少しですが謝金をお渡ししています。翻字作業をお願いする方には、NPO組織の支援会員になってもらうことを原則としています。しかし、その会費は謝金ですぐに相殺されるように配慮がなされています。

 今日も、こうした取り組みに興味を持っていただけたことは、ありがたいことでした。
 東京では、日比谷図書文化館での講座を通して、少しずつ翻字を手伝ってくださる方が増えています。今後は、関西での支援者が一人でも増えるように、意識していろいろな方に語りかけ、呼びかけて行きたいと思っています。

 帰りに、JRで京都方面行きのホームにあがったところ、事故か何かで電車が遅れていました。
 なかなか来そうにないので、いったん改札の外に出て、阪急で帰ることにしました。

 久しぶりに訪れた大阪駅の北側の外観は開放的でした。


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 北向きに見下ろすと、スケートリンクが出来ていました。
 みなさん楽しそうに滑っておられます。


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 この大阪駅の北側地域は、今後はさらに開発が進みそうです。
 新しい大阪駅が、ますます楽しみになりました。
 
 
 

2017年1月 4日 (水)

エスペラント訳『源氏物語』の最新情報を更新

 やましたとしひろ氏が取り組んでおられるエスペラント訳『源氏物語』に関して、以下の最新情報をご本人からいただきました。
 昨年末までに、「若菜上」「若菜下」「幻」の3帖を追補なさったのです。


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 なお、やました氏は本日(2017年1月4日)、「サイデンスティッカー英訳とエス訳比較」と題する記事の冒頭で、次のようにおっしゃっています。


Waleyに較べて、Seidenstickerの英訳がすぐれていると聞いていたので、
たまたま拙訳(エスペラント)と比較してみて驚きました。
サイデンスティッカーは、細かい描写を省略して訳してしまっているではないか!
これでは正しい英訳とは言えないと思います。
日本的な内容が消えてしまっていると感じます。


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 これはまた、興味深い問題点が新たに提示されました。
 今後の展開が楽しみです。
 エスペラントに精通なさっている方からのご意見をお聞きしたいと思います。

 早速、現在鋭意公開中の、ホームページ「海外源氏情報」の中の【『源氏物語』翻訳史】を更新しました。
 この翻訳史に関する情報は、本日までに285件が一覧できるようになっています。
 今回のエスペラント訳『源氏物語』については、その年表の最後に追記したものなので、左上の表示件数を「100件表示」にしてスクロールしていただくか、右上の検索窓に「エスペラント」と入力して確認してください。

 お陰さまで、この【『源氏物語』翻訳史】も、着実に公開件数を増やしています。
 ここで公開している記述内容の補正や追加などにお気付きの方は、「お問い合わせ及びご教示」の通信欄を利用してお知らせいただけると幸いです。


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 みなさまからの変わらぬご理解とご支援を励みに、さらなる成果の公開を続けて行きたいと思います。
 本年も、どうぞよろしくお願いいたします。 
 
 
 

2016年12月24日 (土)

豊島科研の本文資料に関する研究会の最終回

 豊島秀範先生が主宰なさっている「源氏物語の本文資料に関する共同研究会」は、10年目となる今回が最後となりました。
 会場は、國學院大學120周年記念2号館2103教室です。


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 今日は以下の発表があり、充実した時間が流れました。


河内本の本文の特徴 ―「紅葉賀」を中心に―
     豊島秀範(國學院大學)

『源氏物語』蓬生巻の末摘花像の違いについて
     太田美知子(國學院大學)

三条西家本源氏物語の形成過程に関する一考察
     上野英子(実践女子大学)

大島本『源氏物語』の本文史と註釈史再考
     上原作和(桃源文庫日本学研究所)

明融臨模本の和歌書写様式
     神田久義(田園調布学園大学)

『源氏釈』古筆切拾遺
     田坂憲二(慶應義塾大学)

本文と外部徴表の相関性
     中村一夫(国士舘大学)

国文研 蔵橋本本「絵合」「松風」「藤袴」について
     伊藤鉄也(国文学研究資料館)

 今回の発表は、これまでにも増して充実したものでした。
 贅沢な時間の中に身を置き、『源氏物語』の本文に関して貴重な時間を研究仲間と共有することができました。
 現在、このような研究会はどこにもありません。これからどうしたらいいのか、ということを思いながら聴き入っていました。

 この日の研究会を通して感じたことで、個人的な思いを記しておきます。
 あまり意義深いことばかりを語っていても、前進がないと思うからです。

 今日の発表や質問でも、〈青表紙本〉〈河内本〉〈別本〉という言葉がごく普通に交わされていました。これに私は、違和感をもっています。
 10年にわたるこの研究会で、私は池田亀鑑の3分類案を見直し、それを崩した上で、新たな分別試案を構築しようと思っていました。今日もそのことを話題にしました。しかし、それは叶いませんでした。
 私が提示している2分別案には、今日も渋谷栄一氏をはじめとして、その主旨には賛同してもらえました。それでも、その議論は深まってはいません。これは、またの機会に、ということにします。

 私の立場からは、翻字において変体仮名を導入する提案をしたのが、本研究会で新たに投げかけた唯一のものでした。
 それに加えて、今日は池田本「桐壺」巻の校訂本文を配布し、作製にあたっての背景や予想される今後の研究環境のことを語りました。意見や情報の収集のためです。この取り組みは、理解が得られたと思っています。

 いずれにしても、この研究会が10年の長きにわたり、『源氏物語』の本文研究の問題提起の場となったことは特筆すべきことです。
 そして、この課題をどのように次へとつなげていくのかが、新たに取り組むべき問題となりました。

 メンバーのみなさんは、各々の職場で中心的な存在であり、これまでのようにはなかなか集まれない状況にあります。
 何とかしたい、との思いを抱きながらも、私は所用があるために懇親会は遠慮して新幹線へと急ぎました。

 一つの研究会が幕を閉じました。
 思い残すことはたくさんあります。しかし、充実感はあります。
 再起を期して、またこうした集まりを立ち上げられるように、今後ともみんなで相談したいと思います。

 今回の研究会の最後に、私が閉会の挨拶をするように、という豊島先生からの指示がありました。時間が圧していたこともあり、豊島先生の下支えをして来られたお手伝いのみなさまの労力に、感謝の気持ちを伝えました。
 そして、とりまとめをしてくださった豊島先生には、みなさんにお願いして拍手で感謝の気持ちを伝えることにしました。
 豊島先生、ありがとうございました。
 
 
 

2016年12月21日 (水)

総研大・日本文学研究専攻の最終講義を終えて

 最終講義と言われても、実感のないままに日頃から思っていることを資料を使って1時間お話しました。


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 あらかじめ用意していた講義用のレジメの冒頭には、次のように記しました。


 私が約三五年間にわたって研究してきたことを振り返り、問題意識を確認し、最近の研究課題としていることや今後の展開について述べたい。
 さらには、研究の基本としている『源氏物語』の本文の諸相に関連して、現在取り組んでいる国文学研究資料館蔵 橋本本『源氏物語』を取り上げ、今後の見通しを提示できれば、と思っている。
 池田亀鑑は『源氏物語』の本文に関して、その形態上の特徴から〈青表紙本・河内本・別本〉の三種類に分類した(『校異源氏物語』昭和一七年)。その物指しが、約八〇年経った今も通行している。朝日古典全書(昭和二一年)が『校異源氏物語』の底本となった大島本をもとにして成ったことは、今も流布本に受けつがれている。
 このことへの疑問を三〇年以上も抱き続け、『源氏物語別本集成 全一五巻』と『源氏物語別本集成 続 全一五巻』(七巻で中断)を経て、今ようやく新しく池田本で読むためのテキストを試作版として提供できるようになった。
 スローガンとしてきた「江戸期の源氏から鎌倉期の源氏へ」が、現実にスタートしたところである。本日配布した『池田本『源氏物語』「桐壺」校訂本文』が、まさにできたばかりの具体的な成果である。

 私の中では、今日は『源氏物語』の本文の研究史において、記念すべき日となりました。大島本に代わる校訂本文として、池田本の姿を初めて見てもらうことができたからです。
 まだまだ試作版であり、私家版であり、実験材料です。『源氏物語』を読むための、ささやかな資料の1つにしかすぎません。しかし、試案としての物語本文が、実際に検討材料として、見て確認してもらえるテキストとして手に取ってもらえたのです。

 今日が今後の始発点となったことは、私にとっても得難い機会に身を置くこととなりました。

 今日の会場は、『源氏物語』を専門とする研究者ばかりの場ではありません。しかし、文学の研究に身を置く研究者の方々にその意義をお話しできたことは、『源氏物語』が置かれている物語本文の現状を理解していただく、貴重な時間を共有できたことでもあり、ありがたいことでした。

 これまで自分が取り組んできた研究をあらためて振り返る機会となり、私にとって一区切りとなる意義深い日となりました。

 ご清聴いただいたみなさま、ありがとうございました。
 
 
 

2016年12月19日 (月)

国文研で開催される12月21日(水)の最終講義

 直前の連絡となりました。
 明後日、12月21日(水)の午後、総合研究大学院大学文化科学研究科日本文学研究専攻では、「平成28年度第2回 特別講義」が開催されます。

 これは、今年度で定年退職する、寺島恒世先生と私との最終講義となるものです。

 私は、これまでに研究してきた成果の報告と、現在取り組んでいる国文研蔵「橋本本」についてお話します。また、池田本『源氏物語』「桐壺」の校訂本文の試行版を、発表資料の一部として配布します。
 今回お話する内容は、後日冊子にして配布される予定です。

 興味と関心をお持ちの方のご参加をお待ちしています。
(どなたでもご参加いただけます。事前申込み不要です。)


■総研大 日本文学研究専攻
 平成28年度第2回 特別講義

日時:平成28年12月21日(水)
   13:30〜17:00(開場 13:00)

場所:2階オリエンテーション室

プログラム:
 13:30〜13:40 開会挨拶
 13:40〜15:10 講義①伊藤鉄也
         「国文研蔵橋本本『源氏物語』の実態」
 15:10〜15:25 休憩
 15:25〜16:55 講義②寺島恒世
         「百人一首と歌仙絵」


 
 
 

2016年12月15日 (木)

日比谷で従一位麗子本のことを話す

 ロシアからプーチン大統領が来日中です。今日は山口、明日は東京ということで、今夜の霞ヶ関周辺は厳重な警戒態勢となっていました。

 丸ノ内線の霞が関駅から地上に上がると、警察車両の隙間から、東京タワーが見えました。いつもと違う緊迫した雰囲気だと、こんな光景にも目が留まります。


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 日比谷図書文化館で鎌倉時代の源氏写本を読む中で、従一位麗子本のことが話題になりました。
 満州でその写本が消えていることや、その本文が特異なものであったと思われることなど、北小路健氏の『古文書の面白さ』(新潮選書、昭和59年、新潮社)を紹介しながら話しました。終戦後、長春にロシア兵が侵入してきた時に、持っていた古写本を古本屋に渡したという記事なども確認しました。

 また、私もその本を探し求めて長春を歩き回ったことも、お話しました。
 参考までに、私のブログを引きます。ご笑覧いただければと思います。

■従一位麗子本と満州のブログ記事 2種類

「中国にあるか?『源氏物語』の古写本」(2008/2/14)

「【復元】母子の絆の不可思議さ」(2010/4/29)

 本を求めての旅は、終わることがありません。
 橋本本「若紫」を読んでいると、諸本との本文の異同が多彩なので、話が尽きません。

 来週、この話を2箇所でしますので、詳細は後日まとめます。
 
 
 

2016年12月14日 (水)

豊島科研の研究会で『池田本「桐壺」校訂本文』を配布します

 歳の瀬の押し詰まったクリスマスイブに、豊島秀範先生が進めておられる科研の研究会が開催されます。


 科学研究費補助金「基盤研究C」︰研究代表者 豊島秀範
[源氏物語の新たな本文関係資料の整理とデータ化及び新提言に向けての共同研究]

第3回 源氏物語の本文資料に関する共同研究会


 これは、10年前にスタートした〔基盤研究A〕の時から数えて、通算23回目の研究会です。
 そして、今回が最後の研究会となります。


日時:2016年12月24日(土)13:00〜18:00
場所:國學院大學120周年記念2号館1階 2103教室

 プログラムは下記の通りです。
 『源氏物語』の本文を取り上げる多彩な発表が並んでいます。
 興味と関心のある方は、どうぞご参加ください。

 なお、私はこの場で、できたばかりの冊子『池田本「桐壺」校訂本文』(第1版)を配布する予定です。
 この冊子については、「池田本校訂本文レポート〈0〉(伊藤)」(2016年11月27日)で報告した通りの、大島本にかわる『源氏物語』のテキストです。
 クリスマスプレゼントとしてお持ち帰りいただき、後日感想やアドバイスをいただけると幸いです。

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河内本の本文の特徴 ―「紅葉賀」を中心に―
     豊島秀範(國學院大學)

『源氏物語』蓬生巻の末摘花像の違いについて ―一四の伝本から―
     太田美知子(國學院大學)

三条西家本源氏物語の形成過程に関する一考察
     上野英子(実践女子大学)

大島本『源氏物語』の本文史と註釈史再考
     上原作和(桃源文庫日本学研究所)

明融臨模本の和歌書写様式
     神田久義(田園調布学園大学)

『源氏釈』古筆切拾遺
     田坂憲二(慶應義塾大学)

本文と外部徴表の相関性
     中村一夫(国士舘大学)

国文研 蔵橋本本「絵合」「松風」「藤袴」について
     伊藤鉄也(国文学研究資料館)

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2016年12月 1日 (木)

日比谷で橋本本を読む前に伊井先生の新著を紹介し大島本と池田本に及ぶ

 日比谷図書文化館で、橋本本「若紫」を読み進めています。

 今夜は、伊井春樹先生が最近出版なさった『大沢本源氏物語の伝来と本文の読みの世界』(おうふう、2016年10月10日)の第一章に置かれた、「5 大島本の本文の性格」の節を取り上げて、長く流布本として不動の地位を獲得している大島本が抱える問題点を確認しました。


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 現在、『源氏物語』を読む時には、大島本が基準本文として広く読まれています。そのことの問題を、伊井先生は独自の視点で批判的に提示しておられます。

 そこで、今日はまず、私が先日、本ブログに書いた「池田本校訂本文レポート〈0〉(伊藤)」(2016年11月27日)を確認した後、伊井先生の文章を紹介しました。これが実は、私が提案しようとしている池田本の意義を支援してくださる内容となっているのです。

 今回私が読み上げた箇所を引用し、先生のお考えを確認しておきます。


 飛鳥井雅康が依拠したのが定家筆本であったとすれば、杜撰な態度でない限りもっとも信頼し得る青表紙本が出現していたはずである。それを後人が本文を正そうと、他の青表紙本を用いて次々と塗抹とか別の本文の書き込みをしていき、手が加えられるにともない正統な本文に変貌していったというのは、にわかに信じがたい。大体、室町から江戸期にかけて流布した青表紙本の存在そのものに信頼性が薄く、しかも同一伝本だけを用いての校訂というのであればまだしも、次々と江戸中期にいたるまで青表紙本と称される本文で校合されたとなると、大島本はもはや各本を吸収して成り立った不純な存在といえなくもない。(35頁)
 
 今日の大島本の本文は定家本に依拠しており、しかも後世の校訂によってさらに青表紙本の特色を持つにいたるとともに、定家本の親本は俊成本であり、さかのぼると藤原行成、紫式部の原本に近いとも評価されるが、それは幻想でしかない。
 繰り返すように、定家は一本だけを用いて本文作りをしたわけではなく、多くの本文から取捨選択して架蔵本を作成したのであり、しかも書写するたびに依拠本は異なりを示していた。定家本が周防国に流れ、飛鳥井雅康が書写し、後に大島本と称されるようになったにしても、この系譜にはかなり危なっかしさを覚える。それはすべて捨象しても、大島本になされた室町から江戸期にかけての無数の本文訂正の痕跡は、別に存在した純正な青表紙本を用いて幾度も確認しながらなされたわけでもない。当時流布した青表紙本と称される本文との違いを見て、思い思いに識者が所持本で書き込み、人々の手に渡っていった結果にしかすぎない。(36頁)
 
 大島本は手が加えられたことにより、共通する青表紙本の諸本からはかえって離れてし(ママ)った例は多く、一見洗練された表現が出現したとはいえ、内実は河内本や別本を取り込んでいるだけに、定家本という評価とは相いれないのではないかと思う。(42頁)
 
 純正な青表紙本を求めながら、現実には河内本の本文を読む結果になってしまったというほかはない。(42頁)
 
 「定家本」と書いてありながら無視し、行間に傍記とか削除した結果をそのまま採用してできあがっているのが「源氏物語大成」の本文であり、それを現在のテキストを含む注釈書でも、注記することなく継承して利用しているというのが実態である。統一をとるのは困難をともなうとはいえ、現状の大島本の底本のままでは誤脱、誤写があり、数次にわたる後人の訂正を無批判に採用して本文を確定してよいものかどうか、さまざまな問題が派生するのは確かであろう。
 大島本にはすでに指摘してきたように、削除、補入等によって本文の訂正をするとともに、行間には多数の語釈もなされる。当然のことながら語釈は採用しないのだが、右の「定家本」に「波」とわざわざ指摘しながら用いないのは、語釈と同一の注記と判断してのことであろうか。(43頁)
 
 もうこれ以上例を示すまでもなく、雅康が書写に用いたのは定家本ではあり得なく、また江戸中期まで数次にわたる書き入れや抹消などに用いられたのも、素性のよい本文ではなかった。そのために大島本は青表紙群からは孤立した独自異文を持つにいたるとか、逆に河内本に書き改められ、それを採用するという現象も生じてしまう。雅康が書写した当初の、いわゆる訂正される以前のうぶな姿を復元したところで、それが標準的なテキストとしては成り立たないだけに、複雑な抹消や書き入れの痕跡はより正しい青表紙本作りのためになされたと評価し、一部には不都合な校訂は無視しているとはいえ、方針としては大半を取り入れての本文作りをしていったのが「大成本」や「新大系」の成果である。ただそれではあまりにも不審が多いこともあり、過去の注釈書類は、大島本に依拠しながらも一部の巻は他の伝本を採用するという妥協策もとってきた。最有力の伝本が出現しない今日にあっては、大島本が定家本の流れを継承していると信じ、書き入れも取り込んで新たに作り出した本文は、結果として混態本になってしまっている、というのがいつわらざるところであろう。
 中世から伝統として育まれて来た定家崇拝の呪縛からいまだに抜け出ることができず、紫式部の原典というよりも、時代とともに変貌して来た本文を読んでいるのが実情かもしれない。それと、『源氏物語』はこうあるべきだとの観念が形成され、理想とする定家本を継承しているという共同幻想にとらわれ過ぎているのではないだろうか。このようなことを述べると、本文作りは絶望的になってしまうが、私としてはあまりにも大島本への偏重過多に陥ってはいけないという自戒を込めての言であることを諒とされたい。
 今日では大島本で『源氏物語』を読むのが当然視され、それ以外の伝本は排斥されて読む機会すらなくなりつつある。しかもそれは活字にするために校訂を経て生まれた新しい本文であることを忘れ、そこから語彙や文章表現を分析し、微妙なことばづかいに触れながら作品論にまで及ぶとなると、大勢としては仕方がないとはいえ、研究の世界からすると違和感を覚えてしまう。個人的には大島本が今日では最善本というのは理解できるにしても、その底本は書き入れを含めてまだ十全に読めていないのではないか、他の伝本も徹底的に読む必要があるのではないかとも思量する。かなり早くから本文研究は終息したように思われてきた嫌いがありはするが、とりあわせ本であってもそれなりに読まれてきた歴史的な意義を持ち、河内本であろうが、別本とされようが、一つ一つに精緻に向き合うことが、今後の長期にわたる『源氏物語』の研究には資するはずである。そのような思いから、以下大沢本と称された本文を、伝来してきた姿とともに考察しようとするのが本書の目的でもある。(45~46頁)

 
 
 

2016年11月27日 (日)

池田本校訂本文レポート〈0〉(伊藤)

 池田本の校訂本文がほぼできあがり、当初の予定では、インドへ旅立つ前に関係者に配布する予定でした。


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 しかし、大島本で擦り消されている箇所に関して、カメラ付きの拡大装置を使った調査の成果が、出来上がっていた池田本校訂本文に盛り込まれていないことがわかりました。

 藤本孝一先生のご指導を受けながら、岡嶌偉久子さんなどと一緒に京都市文化博物館の地下の一室で大島本の精細な調査をしたのは、2007年から2年間でした。「桐壺」巻は2007年10月27日と2008年7月12日だったことが、手元の記録に残っています。

 その時の調査結果が、今回の池田本の校訂本文の注記に、まったく反映していないことがわかったのです。
 そこで今日、最後の確認と補訂を、立命館大学の須藤圭君と一緒に、京都で4時間半をかけて行ないました。

 大島本の傍記で削り取られた異文注記に、あの幻の写本とされる従一位麗子本が伝える本文が新たに確認できたことは、今日の補訂作業での一番の収穫です。

 また、大島本で削り取られた傍記には、池田本の異文注記と思われるものも含まれていることなどが確認できました。池田本の校訂本文を作成する過程で、その注記に大島本の書写様態を記述することにした副産物は、予想外に大きなものであることがわかったのです。これまで確認されていなかった大島本の削除箇所の本文が、精査した時の資料を再確認する中でいくつも追補することができたことは、編者にとっても僥倖でした。

 その詳細は、共同編集者である須藤君に、「池田本校訂本文レポート〈1〉~〈?〉(須藤)」として連載でまとめてもらうことになりました。私の元に届き次第、本ブログに掲載しますので、楽しみにお待ちください。

 今回の新しい池田本の校訂本文は、「江戸の源氏から鎌倉の源氏へ」というスローガンで推進しているものです。
 いつ終わるとも知れない、気の遠くなるプロジェクトです。ご意見をいただくことで、より使い勝手の良い校訂本文に仕上げていくつもりです。ご支援のほどを、よろしくお願いします。

 岡山を発つ時に小降りだった雨が、京都では本降りとなっていました。雨と一緒に京都入りです。

 今日も大仕事を終えました。
 ぐっすりと眠れそうです。
 
 
 

2016年11月26日 (土)

岡山の就実大学で「世界中の33言語で読める源氏物語」という話をしました

 岡山の就実大学<表現文化学会>の2016年度公開学術講演会に呼ばれて、海外の『源氏物語』の翻訳状況についてお話してきました。

 大学はきれいで、特にパリのルーブル美術館にあるガラスのピラミッドを模したオブジェが、一際注意を惹きました。下には食堂があるそうです。
 (以下の3枚は帰りに撮ったものです。)


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 さて、今回のテーマの話だけでは印象に残らないと思い、私の翻訳本コレクションから私の手元にしかないと思われる本を中心に31冊を選書して、会場に持参しました。
 終わってから、学生さんを始めとする参会者のみなさまに、実際に翻訳本の現物を触っていただきました。中身がわからなくても、表紙の絵柄や、本の手触りを実感していただくことができたと思います。

 私の話はともかく、一生触ることのない本を通して、異国の地でそれが読まれていることを想像するだけでも、心が世界に拡がるはずです。そして、日本で育った文化の結晶としての『源氏物語』が持つ意義に思いをいたしてもらえたら、それだけで私の役目を果たしたことになります。それが、国際交流の原点となるはずです。

 誇れるものを持つ文化に対する理解を、これを機会に深めてもらえるという感触を、本日の会場みなさまの表情から感じとることができました。
 お集まりのみなさま方が、興味と好奇の心をもって、私の拙い、とりとめもない話を聴いてくださったことに感謝しています。

 今回配布したプリントの冒頭に、次の文章を掲げました。


 『源氏物語』は、33種類の言語で翻訳されています(2016年11月26日現在)。
 本日は、その翻訳本の表紙と中身および収集の来歴を紹介し、そこから見えてくる今後の新しい研究テーマをお話ししたいと思います。
 私がこれまでに確認し、収集した『源氏物語』の翻訳本は、次の通りです。

【『源氏物語』が翻訳されている33種類の言語】
アッサム語・アラビア語・イタリア語・ウルドゥー語・英語・エスペラント・オランダ語・オディア語・クロアチア語・スウェーデン語・スペイン語・スロベニア語・セルビア語・タミール語・チェコ語・中国語(簡体字)・中国語(繁体字)・テルグ語・ドイツ語・トルコ語・現代日本語・ハンガリー語・韓国語・パンジャービー語・ヒンディー語・フィンランド語・フランス語・ベトナム語・ポルトガル語・マラヤーラム語・モンゴル語・リトアニア語・ロシア語

■インドで翻訳を進めている10言語■
【アッサム語・ウルドゥー語・オディア語・タミール語・テルグ 語・パンジャービー語・
 ベンガル語・ヒンディー語・マラーティー語・マラヤーラム語】(カンナダ語)
  (インドの言語は約870種類以上、連邦憲法では22の指定言語、紙幣には17言語)

 本日はこの中から、翻訳本『源氏物語』の表紙デザインの多彩さを楽しんでいただける31冊を選書して持参しました。

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 また、最新の翻訳情報をA4版で26ページ分にまとめ、長く手元に置いていただける資料集を配布しました。
 (1)「インド8言語訳『源氏物語』の書誌」
 (2)「就実大学での展示一覧」
 (3)「源氏物語翻訳史年表」
 いつか、何かの折にでも、そういえば『源氏物語』の翻訳が、と思われた時に参考になる、情報満載のプリントにしたつもりです。
 この資料集のデータは、「海外源氏情報」(http://genjiito.org)で公開しているものを中心に編集しました。いつか、何かのお役に立てば幸いです。

 この配布物のうち、(2)「就実大学での展示一覧」は、今回のために選書した翻訳本のリストなので、記録としてその一部の情報を以下に引いておきます。


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アッサム語
Atul chandra Hszarika
(アトゥール・チャンドラ・ハジャリカ)
Genjikonvarar Sadhu
Sahitya Akademi
2005
青地にサヒタヤ・アカデミーのマークがついている。
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アラビア語
Ahmed Mosta FATHY
(アハマド・モスタファ•ファテヒ)
Syrẗ ạlạmyr gẖynjy
(源氏王子の物語)
メリット出版社
2004
アラビア語と日本語の文字
--------------------------------------
イタリア語
Adriana Motti
(アドリアナ・モッティ)
STORIA DI GENJI
Giulio Einaudi editore
2006
三代歌川豊国の「風流げんじ須磨」
--------------------------------------
イタリア語
Maria Tresa Orsi
(マリア・テレサ・オルシ)
LA STORIA DI GENJI
Giulio Einaudi editore
2012
表紙と箱は国宝『源氏物語絵巻』「鈴虫」・「関屋」巻を、山口伊太郎氏が西陣織にしたもの。作品名は『源氏物語錦織絵巻』作者は山口伊太郎氏。同氏の遺作。
--------------------------------------
英語
Arthur Waley
THE TALE OF GENJI
George. Allen & Unwin
1935
表紙は赤い地に、金字で『源氏物語』と書いてある。背表紙も金字。
--------------------------------------
英語
Dennis Washburn
The Tale of Genji
W W Norton & Co Inc
2015
五島美術館所蔵 国宝 『源氏物語絵巻』 39帖「夕霧」(刺繍)で、夕霧の手紙をとろうとする雲居雁
--------------------------------------
英語
Edward G. Seindensticker
THE TALE OF GENJI
Charles E.Tuttle Company
1979
(3版)
表紙と外箱は、円山応挙『藤花図』(重文・根津美術館蔵、1776年)
--------------------------------------
英語
Royall Tyler
THE TALE OF GENJI
Penguin Books
2001
外箱の表は舞楽図『五常楽』裏は右を向いた女性、本の表紙は赤い地に絵巻を参考にした人の顔の輪郭を黒い線で描いている。1巻は男性で、2巻は横向きの女性である。
--------------------------------------
英語
末松謙澄
GENJI MONOGATARI
丸屋
(現:丸善)
1894
赤地に金色で源氏香の図が描かれている。薄い紙のカバーがかかっている。
--------------------------------------
オランダ語
Jos Vos
(ヨス・フォス)
Het verhaal van Genji
Athenaeum
2013
バーク・コレクションのひとつ、1巻は土佐光起筆『源氏物語画帖』「花宴」
--------------------------------------
クロアチア語
Nikica Petrak
(ニキツァ・ペトラク)
Pripovijest o Genjiju
Naklada Ljevak
2004
『源氏物語絵巻』「鈴虫」巻(二)。夕霧が笛を吹いている場面。
--------------------------------------
スペイン語(ペルー版)
HIROKO IZUMI SIMONO
(下野泉)•IVAN AUGUSTO PINTO ROMAN
(イヴァン・アウグスト・ピント・ロマン)
EL RELATO DE GENJI
ペルー日系人協会(APJ)
2013
國學院大學蔵「久我家嫁入本『源氏物語』初音」巻
--------------------------------------
スロヴェニア語
Silvester SKERL
(シルベスター・スカル)
PRINC IN DVORNE GOSPE
Državna založba
1968
浮世絵(女性の絵)
--------------------------------------
タイ語
あさきゆめみし
1980
『あさきゆめみし』
--------------------------------------
タミル語
K.Appadurai
(アッパドライ)
Genji Katai
Sahitya Akademi
2002(新版)
金閣寺の前で近世風の男女が並んでいる絵
--------------------------------------
中国語
康景成
(kāng jǐng chéng)
源氏物語
陕西师范大学出版社
2012
徳川美術館蔵『源氏物語絵巻』「柏木三」(復元図)で、光源氏が生まれたばかりの薫を抱いている場面。
--------------------------------------
中国語
林文月
( LIN Wen Yueh)
源氏物語
訳林出版社
2011
全3冊共に薄い紫色
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ドイツ語
Herbert E. Herlitschka
(ヘルベルト・E・ヘルリチュカ)
DIE GECHICHTE VOM PRINZEN GENJI
Insel Veriag
1995
江戸時代の役者絵
--------------------------------------
ハンガリー語
Horvàth Làszlo
(ホルバート・ラースロー)
Gebdzsi szerelmei
Európa Könyvkiadó
2009
1巻の表紙はインディアナ大学美術館蔵『源氏物語図屏風』「若紫」、2巻はフリーア美術館蔵の土佐光吉筆『若菜・帚木図屏風』のうち「若菜上」、3巻は京都国立博物館蔵の伝・土佐光元筆『源氏物語図』「蜻蛉」。
--------------------------------------
ハングル
전욤신
(田溶新•チョン•ヨン•ハク)
겐지이야기
(源氏物語)
ZMANZ社
2008
表紙は植村佳菜子画・伊藤鉄也所蔵の源氏絵を無断で改変。
--------------------------------------
パンジャービー語
Jagjit Singh Ahand
(ジャジット・シン・アナンド)
Genji dī Kahānī
Sahitya Akademi
2001
一楽亭栄水作『美人五節句・扇屋内さかき わかは』を加工したもの。
--------------------------------------
ヒンディ-語
Chavinath Pandey
(C.パンディ)
Genji dī Kahānī
Sahitya Akademi
2000
『枕草子絵詞』第一段で中宮定子と対面する、妹の藤原原子(淑景舎)の姿をモデルに加工したもの。
--------------------------------------
フランス語
YAMATA KIKOU
(山田菊)
LE ROMAN DE GENJI
PLON
1952
文字のみ
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ポルトガル語
(1巻)Lígia Malheiro(リヒア・マリェイロ)
(2巻)Elisabete Calha REIA(エリザベート・カーリ・レイア)"
O Romance de Genji
Exodus
2007
立松脩氏デザインの首飾りをしている黒髪の女性の絵
--------------------------------------
ポルトガル語
Carlos Correia Monteiro de Oliveira
(カルロス・コレイア・モンテイロ・デ・オリベイラ)
O ROMANCE DO GENJI
Relogio D'agua
2008
1巻の表紙は、月岡芳年『月百姿』のうち『忍岡月 玉淵斎』(1889年)、2巻はハーバード大学美術館蔵の土佐光信筆『源氏物語画帖』「椎本」巻を題材に、どちらもカルロス・セザールがデザインしたものである。
--------------------------------------
マラヤラム語
P.K.Eapan
(イッパン)
Genjiyude Katha
Sahitya Akademi
2008
国際聚像館(広島県福山市の坂本デニム株式会社が創設した美術館)が所蔵する、『源氏物語挿絵貼屏風』(六曲一双)「初音」巻と類似した絵
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モンゴル語
ジャルガルサイハン•オチルフー
ГЭНЖИЙН ТУУЛЬС 
ADMON
2009
石山寺蔵 狩野孝信筆『紫式部図』(部分)
--------------------------------------

 さて、お話した内容は、多岐にわたるものだったので、それは省略します。
 これまでに海外で出会った『源氏物語』とのエピソードを中心にしました。

 いろいろな体験談を含めてお話した中で、一番興味をもっていただけたのは、イタリアの本屋で「ゲンジモノガタリプリーズ」と言ってイタリア語訳『源氏物語』を手に入れたことだったように思います。
 これは、私のブログの、「ヴェネツィアから(7)イタリア本」(2008/9/14)に書いたことなので、ご笑覧いただければと思います。

 ないはずのウルドゥ語訳『源氏物語』があったこと、しかもそれが偶然に見つかった話にも興味を示されたようです。これも、次の記事を書いています。
 「ウルドゥー語訳『源氏物語』をインドで発見」(2009/3/5)
 「「ウルドゥー語訳『源氏物語』の完本発見」((2016/2/19)
 先年刊行されたオランダ語訳『源氏物語』の、ネット上での本の分類が「horror」(ホラー・恐怖)となっていることは、後で学生さんからの質問にも出たので、意外だったようです。

 『源氏物語』の翻訳本を「訳し戻し」することによって、日本文化が海外にどのように伝わっているのかをみんなで考えよう、というテーマは、これからの若い方々を意識して話題を提供しました。
 「各国語翻訳を日本語に一元化したものを通して、日本文化が変容して伝えられていく諸相と実態を確認し、研究者等との共同研究で考察していきませんか。」という趣旨の、コラボレーションを基にした提案です。

 さて、こうした物の見方が、若い方々にどのように伝わったのか、気になるところです。

 その後の別室での自由討論も、先生方のお人柄も感じられて、温かい雰囲気の中で話が盛り上がりました。
 さらにそれは、外に出ての懇親会でも引き続き楽しい話題が飛び交うこととなりました。
 久しぶりに、こんなに和やかで楽しい会に参加させていただきました。若い先生方のお考えもたくさん伺えたので、すばらしい情報交換となりました。そして、私と同世代の方々とは、若き日々の懐かしいテレビ等の話題で、若返った気持ちになりました。

 今回の仕掛け人は、大学時代に同級生だった岡部由文君です。
 その縁で、就実大学の先生方と気持ちを通わせる機会をいただけました。
 みなさまに、あらためて感謝しています。

 散会した頃には、小雨が降り出していました。

 岡山駅前のホテルに入ったところ、サイドテーブルに『古事記』の現代語訳(竹田恒泰訳、竹田研究財団古事記普及委員会、平成24年1月)が、お決まりの聖書と並んで置いてありました。


161126_kojiki


 その巻頭に、次の言葉が印刷されています。


「古事記を全国のホテルに置こう!」プロジェクトについて

本書は『古事記』完成千三百年にあたり、古事記普及委員会が立案した古事記普及事業に基づいて行われた「古事記を全国のホテルに置こう!」プロジェクトにより、ホテル等に無償にて配布されたものです。このプロジェクトは日本の将来を憂う全国の有志の募金によってまかなわれています。プロジェクトへの支援をご希望なさる方は、巻末に記載した「発行所」の古事記普及委員会へご連絡ください。(6頁)

 こうした本を始めて見たので、非常に興味を持ちました。
 これがありなら、日本人のみならず、海外からお越しの方々にも日本の文化理解に資するものとして、『源氏物語』の現代語訳もありでしょう。
 きっと、日本を知っていただくのに、お役に立つはずです。
 NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の議題にしてみましょう。

 そんなことを思いながら、岡山の一夜を満喫しています。
 
 
 

2016年11月23日 (水)

橋本本「若紫」の原本で削除されている文字を確認して気付いたこと

 日比谷図書文化館の「古文書塾てらこや」で、鎌倉時代の古写本『源氏物語』を読み続けています。

 今秋から、『国文学研究資料館蔵 橋本本『源氏物語』「若紫」』(伊藤鉄也・淺川槙子編、新典社、2016.10)をテキストにして、みなさんと一緒に本文を翻字する時の注意点を考えています。

 せっかく国文学研究資料館が所蔵している写本をテキストにしているので、その原本を直接見ていただくことにしました。今から700年前に書き写された写本を、直接見て確認してもらおうというものです。

 昨日は、午前と午後の2回にわけて、4人ずつにたっぷりと2時間、詳細なところまで見てもらうことができました。鎌倉時代の写本ということで、みなさんにとっても、なかなか得難い体験ができたかと思います。

 この写本の特徴的な書きざまが見られる箇所や、私が説明し切れない箇所を、以下に紹介します。

(1)本行の文字が削られ傍記だけが残っている
(1丁ウラ)

161123_1ura


 1行目の本行には、「【侍】越と□こそ」と書かれています。
 ここで、削られて空白となっている4文字目は、その下に「く」と書かれており、それが小刀で削り取られていることがわかります。ただし、傍記の「く」だけはそのまま残っています。
 おそらく、「とく」と書いた時の「く」が「久」の崩しとしてはあまりにも漢字に近いものであり違和感を覚えた人が、あらためて「く」を傍記したものかと思われます。この字母である「久」に近い「く」は、他にも各所に見られます。
 さらには、この本行の「く」にはミセケチ記号としての「˵」があったと考えられます。この「く」が削られているので、そこまでは原本で痕跡が確認できませんが。
 この箇所で「く」が削られて空白となっているのは、この写本が書写された後の仕業であることを示していると思われます。本行の「く」を削った後に、その上に「く」を書いていないことと、傍記の「く」が残ったままであることからそう想定していいと思われます。

 また、上掲写真の4行目7文字目の「まう□□たれ盤」も、同じような状況を考えていいと思います。
 削られた文字は「さ勢」です。そしてその直前の「う」の右下に小さな補入記号である「○」を添え、その右に補入文字としての「し」が書き加えられています。
 最初は「まうさ勢たれ盤」と書き写されました。しかし、「さ勢」をミセケチにしてその右横に異本との校合によって「し」を書いたのでしょう。ここでも「さ勢」が削られているので、ミセケチ記号の痕跡は確認できません。しかし、後に下に書かれていた「さ勢」が削られていることと、補入文字としての「し」が残っているので、そのように考えていいと思います。
 ただし、こう説明しても、ここになぜ補入記号があるのかは、今説明ができません。

 この橋本本「若紫」の写本には、後に写本に手を入れたと思われる、さまざまな人の手が確認できます。ここに示した2例は、書写されている文字に対して、他本との校合をしたにもかかわらず、その上に文字をなぞって書けなかった事情が推測できるものです。
 こうした判別を続けて行くと、写本が受容され、そこに加えられた手の歴史が確認できます。書写後に写本が経巡ってきた背景が少しずつわかると、さらにおもしろい受容史が見えてくることでしょう。
 
(2)同じ文字を左横に傍記
(14丁オモテ)

161123_14omote


 最終行と後ろから2行目の間の行末に、「よし堂ゝ」という少し小さな文字が傍記されています。この傍記は、その右の本行本文である「よし堂ゝ」に関係するものです。
 普通は、異文注記などは本行本文の右側に傍記されます。しかし、ここは左側にあるのです。もっとも、行末においては、こうした左傍記はよくあることです。
 そのことに加えて、この左傍記の文字は、本行本文と字母のレベルまでがまったく同じ文字列です。もし「四志多ゝ」などと、親本と字母が異なるための注記としての傍記であるなら、あえてここに記されたことの意味は理解できます。しかし、ここにはまったく同じ文字が記されているのです。
 その前の2行分の行末に、「盤」と「尓」が隙間に挟み込まれるように小さく書写されていることからもわかるように、この写本は親本の書写状態を忠実に書き写しています。勝手に改行して書写したりはしていないようです。
 そのことと併せて考えると、この行間に記された「よし堂ゝ」という文字も、親本に記されていたのかもしれません。ただし、この行間に記された文字の「堂」は、本行の本文に書かれている「堂」とはその字形が異なることをどう説明したらいいのか、今私は解決策を持っていません。
 
(3)和歌の直前で削除された「僧都」
(26丁オモテ)

161123_26omote


 これは、丁末に「僧都」と書かれていたところで、その「僧都」が削られているものです。この次の丁の最初は、僧都の「優曇華の」という和歌で始まります。削られた「僧都」は、次の歌を詠んだ人を明示しているのです。
 この箇所の諸本を確認すると、次のようになっています(諸本の略号は今は省略します)。


僧都/〈削〉[橋]・・・・052034
 そうつ[尾国高]
 僧都[中陽天]
 ナシ[大麦阿池御肖日穂保伏]

 つまり、橋本本をはじめとして[尾国高中陽天]のグループ(私が〈甲類〉とするもの)は、この和歌の直前に「僧都」という文字を伝えています。現在一般に読まれている大島本(〈乙類〉)を始めとする流布本には、この「僧都」がないことがわかります。
 「若紫」の本文は〈甲類〉と〈乙類〉の2つにわかれる、ということは煩雑になるので今はおきます。
 橋本本「若紫」は、現在の流布本となっている大島本のような本文で校合され、本文が異なる箇所には削除などの手が入っていることが、この例からも言えます。

 参考までに、その直前にある和歌についての確認もしておきます。

(25丁オモテ)

161123_25omote


 この箇所の諸本の本文を調べると、次のようになっています。


僧都/〈改頁〉[橋]・・・・051904
 僧都[中陽穂天]
 そうつ[尾御国高]
 そうつ/〈朱合点〉、=イ[肖]
 ナシ[大麦阿池保伏]
 ナシ/+僧都イ無本[日]

 橋本本をはじめとする[尾国高中陽天]の〈甲類〉の諸本は、和歌を詠んだ者が「僧都」であることを明示しています。しかし、それ以外の現行流布本である〈乙類〉としての大島本などは、この「僧都」を文字を持っていないのです。
 このことから、橋本本の「僧都」を削除しているかと思うと、ここでは削除していないことが明らかになったのです。前例との違いは、丁末にあるか丁始めにあるか、という違いです。
 この違いについて、私は今はまだ説明できません。校合の手が不十分のままに今に伝わっている、と考えられること以外に。

 ここでは、具体的な問題箇所を提示しただけに留まっています。
 こうした点について、ご教示をいただけると幸いです。
 
 
 

2016年11月22日 (火)

忘れていた「国文研版・旧〈源氏物語電子資料館〉」のこと

 いつしか読めなくなっていた、国文学研究資料館のサイトから公開していた私のホームページ旧〈源氏物語電子資料館〉を、本年4月に再構築してもらい、再スタートしました。
 そのことは、「読めなくなっていたホームページを再建」(2016年04月26日)という記事にまとめ、復活させたことを報告しました。

 しかし、そのことをすっかり忘れてしまい、ブログのサイドバーなどからもリンクが途切れたままになっていました。

 問い合わせを受けても、再建していたにも関わらず、「科研の報告書」や「源氏絵」の公開情報は壊れたままです、と答えていました。

 今日、この「国文研版・旧〈源氏物語電子資料館〉」が復活していることを指摘され、慌てて確認しました。
 私の科研で補佐員として支援していただいている加々良さんの尽力で、『源氏物語』の貴重なデータが多いこのホームページを、現在のメインサイトとしている「さくらネット」の中に生き返らせていただいていたのです。
 それを忘れていたとは、まったくお恥ずかしい限りです。ずっと、何とか蘇らせなくては、と思っていたのですから。

 本日、本ブログの右側にあるサイドバーの後半にある「↓関連ホームページ↓」に、この「★国文研版・旧〈源氏物語電子資料館〉」を追記しました。ご確認ください。
 スマホ用の表示画面の末尾は、まだ未調整のままです。

 NPO法人〈源氏物語電子資料館〉のホームページと名前が紛らわしいので、「国文研版・旧〈源氏物語電子資料館〉」は今後は整理する方向で考えています。

 なお、もう一つの私のメイン・ホームページだった「大和まほろば発〈へぐり通信〉」は、まだ壊れたままで放置しています。これも、年内に再建したいと思っています。

 いずれも、1995年9月からスタートした、いろいろな意味での記念碑的なホームページだという、身に余る評価をいただいているものです。

 バタバタするばかりの日々の中で、すっぽりと抜け落ちた部分が自分の中にあったことを、あらためて知ることとなりました。

 前ばかり見て進んでいる私の生活の中で、こうした過去のものも大切に維持管理して、守り続けることにも心がけるように、との思いを、この件を契機に強くしているところです。
 
 
 

2016年11月16日 (水)

多言語翻訳について白熱した議論が展開した研究集会の2日目

 研究集会2日目の朝、宿舎の前に拡がるマーケットのATMには、こんな掲示がなされていました。


161112_atm


 インドの高額紙幣はもとより、インドルピーという現金は、当分手に入りそうにありません。
 今日も、お金の心配をしながらの1日となりそうです。

 国際交流基金へ行くために宿にしているお寺の前に出たところ、右隣の銀行は長蛇の列でした。今日は、銀行が開いているようです。しかし、いつ順番が回ってくるのかわからない、気の遠くなるような行列となっているのです。


161112_bank1


 お寺の左側にも銀行があり、そこの様子はさらに大混乱です。しかし、不思議と暴動にはならず、みなさんルールを守って順番を待っておられます。理知的なインドの人々の姿を見た思いです。


161112_bank2


 さて、昨日の初日に続き、「第8回 インド国際日本文学研究集会」の2日目も大きな成果が得られました。

 昨日も記したように、今回の研究集会の内容は、来年2月に発行を予定している電子版『海外平安文学研究ジャーナル』の特集号として公開します。そのため、発表と討議された内容についての詳細は省略し、ここでは記録としての列記とメモに留めます。

 今日も、司会進行役は入口敦志先生です。
 昨日に続き、今日も写真撮影は高田智和先生です。


(1)挨拶 伊藤鉄也
(2)基調講演 伊藤鉄也
  「〈海外源氏情報〉を科研の成果から見る」
(3)講演 須藤圭(立命館大学)
  「『源氏物語』の英訳について」
 
--------------------------------------
(4)問題提起
  リーマ・シン(Ph.D candidate, University of Delhi)
  「パンジャービー語訳の問題点」
  (インド・アーリア諸語の中央語群)

  タリク・シェーク(English and Foreign Languages University)
  「ベンガル語訳の問題点」
  (インド・アーリア諸語の東部語群)

  ナビン・パンダ(Delhi University)
  「オディア語訳の問題点」
  (インド・アーリア諸語の東部語群)

 昼食の後は、須藤圭先生の提案による楽しいイベントタイムとなりました。

■「青海波」の鑑賞■
 ・「青海波」の紹介(須藤先生の解説)
 ・『十帖源氏』の挿し絵を提示(入口先生が準備)
 ・雅楽「青海波」の映像
 ・源氏物語の映画に出てくる青海波を舞う場面

 インドのニューデリーに流れる楽の音は、なかなか優雅なものでした。

 以降、前日同様に、麻田先生が取りまとめと進行役で、各言語の問題点に関する発表へのコメントを踏まえて、全体でのディスカッションへと移りました。


161112_sympo


【シンポジウム】
テーマ:(2)
 『十帖源氏』を多言語翻訳するための方法と課題
   司会・進行 伊藤鉄也
   コメンテータ アニタ・カンナー
          麻田豊
 
 このシンポジウムは、白熱したこともあり3時間たっぷりと行なわれました。
 興味深い内容で、時を忘れて討議討論を交わすことができたので、みなさん充実感を持っての散会となりました。
 来秋には、ハイデラバードにある外国語大学で研究集会ができないかと、その実現に向けての検討に入りました。

 私がメモをしたことを二三拾い出しておきます。

・インドの各種言語をどう呼ぶかということについて、統一的な表記の方針が決まりました。
 「ウルドゥー語」「オディア語」「パンジャービー語」「ヒンディー語」「ベンガル語」「マラーティー語」「マラヤーラム語」

・インドのみなさまの氏名をどう表記するかということに関して、基本的には「名+姓」とする方針が決まりました。日本人は「姓+名」の順に表記します。

・1つの国の中で複数の言語に翻訳された『源氏物語』を見比べることの楽しさとおもしろさは、ネイティブスピーカーと一緒の話し合いの場ならではの臨場感と迫力がありました。とにかく、さまざまな意見がでるのです。自分の言語について語るのですから、熱を帯びるのは当然のことです。

・ベンガル語で『源氏物語』という書名は、「上半身に着る下着の物語」と訳すことになるそうです。これはみんなに笑われた、という話は示唆に富む逸話です。これは、『十帖源氏』をどう訳すか、ということに直結します。『源氏物語』にこだわらず、『紫の物語』『紫のゆかり』『紫文』も含めて、各言語で工夫することになりました。

・脚注をどうするかということが問題になり、私はこれはなくしたいとの思いを強く持ちました。

 これ以外にも、多くの刺激的な意見や、翻訳とは何かということを考える上での有意義な提案をいただきました。
 これらの質疑応答のすべては、来年2月の『海外平安文学研究ジャーナル』の特別号をお読みください、ということでまとめておきます。

 以下に、今回の研究集会で確認したことを整理した「須藤メモ」を転記します。
 今後の討議に向けての確認事項として、貴重な記録となっています。


(1)全体で情報を共有するため、翻訳担当者、関係者が参加するメーリングリストを作ることになりました。

(2)今回のインド国際集会の報告書には、報告原稿とは別に、取り扱う全ての言語の音声を収録することになりました。
 ・収録する音声データは、原則、「桐壺」巻の冒頭、現代語訳「いつの時代のことでしょうか、女御や更衣などといったお后が大勢いらした中に、特に高貴な身分ではなく、帝にとても愛されていらっしゃる女性がいました。」に該当する部分とする。
 ・ただし、その後の文章も一文にして訳している場合、区切りのよいところまで音声データにする。
 ・各言語の音声データは、発表担当者に依頼する。
 ・古文本文、現代日本語訳本文は、須藤が担当する。

(3)今後のインド国際集会では、以下の約束事を設けることになりました。
 ・発表や報告書の原稿でインドの言語を引用する際は、どの言語であっても、必ずローマ字表記を併記する。

(4)翻訳データに関して、ウルドゥー語に限り、(1)ウルドゥー語表記版、(2)ヒンディー語表記版の、2つのバージョンを準備してもらうことになりました。
 これに伴って、翻訳データの多言語比較資料も、この2つのバージョンをともに公開することになりました。
 なお、報告書の原稿には、2つのバージョンを併記してもよいし、しなくてもよいことになりました。

(5)インド6言語の翻訳データについて、以下の点を確認、依頼することになりました。
 ・期日は厳守。
 ・セクション(小見出し)ごとに分割した現代語訳に従って、翻訳したものを区切ってもらう。
 ・和歌の翻訳は可能な限り行なってもらう。ただし、期日に間に合わなくなる場合は、行わなくてもよい。

(6)今回の発表原稿を整理したものと、担当言語の翻訳原稿は、今月11月末までに提出することになりました。それを元にして作成した版下を、12月中旬から本格的な編集に入り、年末年始に校正を回します。

(7)インド関係者が日本以外で公開した日本文学に関する研究論文のリストを、今回あらためて作成することになりました。これは、すでに伊藤が100件弱の情報を整理したものがあり、それを増補することで実現するものです。これまでに整理したものは、国文学研究資料館が公開しているデータベースの中で、「日本文学国際共同研究データアーカイブ」の中のリスト最下段にある、「日本学研究DB〔インド〕Bibliography India-Japan Literature」の項目からリストデータが入手できます。
 今後は、国際交流基金の主導の元、インドの日本文学研究者の協力を得ながら展開させる予定です。


 
 
 

2016年11月15日 (火)

インド言語の討議が盛り上がった研究集会の初日

 第8回目となった今回の研究集会は、「『源氏物語』をインド7言語に翻訳するためのシンポジウム」と題して開催しました。副題には、「ダイジェスト版『十帖源氏』を世界33言語で翻訳するプロジェクト」というテーマを掲げています。

 インドで印刷製本した討議資料集も、立派な冊子として完成しました。ご配慮いただいた国際交流基金ニューデリー事務所の宮本薫所長と野口晃佑氏に、あらためてお礼申し上げます。


161111_haifubutsu


 上の写真の右側にある、白い表紙に国際交流基金の建物を配したものが今回のレジメです。左側の黄色い表紙は、第7回までの記録を収録した『インド国際日本文学研究集会の記録』です。

 なお、この完成版は66頁あります。ただし、渡航前に試作版として作成した50頁のレジメは、本ブログの「来週インドで開催する日本文学研究集会のレジメ(試作版)を公開」(2016年11月04日)で事前にネット上に配布して、参加できないみなさまに対して情報提供を求めて公開しました。しばらくは、それをご覧になりながら以下の記事をお読みいただけると、研究集会の展開がわかりやすいかと思います。

 会場である国際交流基金・日本文化センターには早めに入り、プロジェクターのチェックや資料のセッティングをしました。


161111_hall


161111_table


161111_stanby


 今回の研究集会を開催するにあたり、私から発表と討論に参加なさるみなさまには、以下の確認事項を要望としてお伝えしました。


1)今回の集会での使用言語は日本語です。
2)画像をスクリーンに映写しての発表ができます。
3)講演と発表者の1人の持ち時間は【25分】です。
4)各言語担当者からいただいた問題点をリストアップした資料は、討議用の資料として伊藤の下で編集に着手しています。
5)講演及び発表者は、各自のプレゼンスタイルで行なってください。その際に必要となるレジメ等は、11月6日(日)の夜までに伊藤と淺川宛に印刷データを添付ファイルとして送っていただければ、8日(火)にデリーに到着してから現地で印刷します。
6)今回の研究集会の内容は『海外平安文学研究ジャーナル』の特集号として公刊します。これまでの第1号から第5号は、以下のサイトから確認及びダウンロードできます。
http://genjiito.org/journals/
7)伊藤の科研は2017年3月で終了します。
 そのため、以下のスケジュールでジャーナルの編集を進めます。
 *電子版のため、原稿の分量や図版・画像の数量に制限はありません。
 *資料として、動画像や音声ファイルも問題はありません。
  各言語における具体例などを提示する箇所での挿入を、お勧めします。
 *表組みは各執筆者でお願いし、完全版のワード文書で提出をお願いします。
  人手と経費がないので、もろもろのご協力をお願いします。
 電子版のため、印刷と製本の工程がないので、報告書の刊行は迅速です。
 ・2016年11月末 講演と担当言語に関する原稿〆切り
 ・2016年12月中 討議・討論の録音から文字起こし—業者納品
 ・2016年12月中〜2017年1月中 ジャーナルの版下編集
 ・2017年1月中〜末 執筆者に初校を回覧後、国文研への戻り〆切り
 ・2017年2月中 執筆者からの再校の国文研への戻り〆切り
 ・2017年2月末 HP「海外源氏情報」(http://genjiito.org)に公開

 10時から開会式と講演が始まりました。
 司会進行役は、入口敦志先生です。

 予定通りのプログラムで進行しました。これは、テーマが魅力的であったこともあり、とにかく限られた時間を有効に使おうという、参加者全員の思いがあったからだと思っています。特にインドでの研究集会としては、これまでにないほどに順調にプログラムが進行しました。

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 なお、今回の研究集会は、上記の通り来年2月に電子版の『海外平安文学研究ジャーナル』の特集号として公開します。そのため、ここでは内容についての詳細は省略し、記録としての列記とメモに留めます。


(1)挨拶 宮本 薫(国際交流基金ニューデリー事務所長)


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※宮本さんには、私がエジプトのカイロにある2つの大学院の図書選定に行った時に、大変お世話になりました。今回、インドでもこの研究集会を支えてくださいました。そのご縁に感激すると共に感謝しています。

 ・自己紹介(アニタ・カンナー、麻田豊)

(2)趣旨説明 伊藤鉄也(国文学研究資料館)

(3)基調講演 高田智和(国立国語研究所)
 「変体仮名の国際標準化について」

(4)講演 伊藤鉄也(国文学研究資料館)
 「インド8言語訳『源氏物語』の書誌」
 ※実際には高田先生の講演の意義について時間を費やしました。

 休憩を挟んで、お昼からは……


(5)講演 入口敦志(国文学研究資料館)
 「江戸時代のダイジェスト版『十帖源氏』について」

(6)問題提起
 アルン・シャーム(English and Foreign Languages University)
 「マラヤーラム語訳の問題点」
 (ドラヴィダ語族)

 菊池智子(翻訳家)
 「ヒンディー語訳の問題点」
 (インド・アーリア諸語の中央語群西部ヒンディー語)

 村上明香(University of Allahabad)
 「ウルドゥー語訳の問題点」
 (インド・アーリア諸語の中央語群西部ヒンディー語)

◇昼食◇

【パネルディスカッション】
テーマ:(1)
 『十帖源氏』を多言語翻訳するための問題点

 コメンテータ
 麻田豊(元東京外国語大学)
 アニタ・カンナー(ネルー大学)

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《各言語の朗読(各2回ずつ読む)》
 ※この企画は、麻田豊先生の発案を須藤圭先生が実現することにより可能となったものです。

1 平安時代の読み方を復元した朗読(音声再生)
 ・源氏物語「若紫」巻から
 ・朗読本文をパワーポイントで提示
 ・違いのあるところを赤字で映写

2 現代の読み方による古文朗読(音声再生)
 ・「桐壺」巻冒頭部分

3 現代日本語訳の朗読(須藤)

4 英語(音声再生)

5 マラヤーラム語(1日目の対象言語)

6 ヒンディー語(1日目の対象言語)

7 ウルドゥー語(1日目の対象言語)

8 パンジャービー語(2日目の対象言語)

9 ベンガル語(2日目の対象言語)

10 オディア語(2日目の対象言語)

※この朗読に関しては、来年2月に発行する電子版『海外平安文学研究ジャーナル』の特別号に、付録として音声データを収録することになっています。
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 この後、麻田先生に取りまとめと進行役をしていただき、コメントやディスカッションが展開しました。予定した2時間45分が、あっという間に過ぎるほどに、さまざまな意見が飛び交いました。この問題でここまで盛り上がるとは、企画をした私が一番驚いています。
 ぜひ、電子版の特別号のテープ起こしを通して、この時の臨場感と迫力をたっぷりと味わってください。翻訳するということは何なのか、という討議も含めて中身も濃いのです。

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 初日の大盛会を祝して、関係者一同で記念撮影をしました。
 みなさん、準備の段階からいろいろとご協力いただき、ありがとうございました。
 とにかく、初日は大盛り上がりのうちに終了しました。


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2016年11月 4日 (金)

来週インドで開催する日本文学研究集会のレジメ(試作版)を公開

 来週11日(金)と12日(土)の2日間にわたって、インドのニューデリーで「第8回 インド国際日本文学研究集会」を開催します。

 今回の国際研究集会の趣旨やプログラムは、先月末の本ブログで、「「第8回 インド国際日本文学研究集会」開催のお知らせ」(2016年10月31日)として掲載したとおりです。

 来週8日(火)に成田空港から出発する日を控え、その準備をドタバタと走り回りながら進めているところです。

 本日、その集会において配布し、参加者のみなさまと討議するための資料集が、試作版(全50頁)ながら完成しました。完成版はデリーで3名の資料を追加して、印刷製本する予定です。


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 日本国内に留まらず海外の方々からも、今回の研究集会にコメントを寄せていただけないかと思い、ここにその内容がわかるレジメを公開することにしました。
 次のPDFは、大きなファイルとなっています。ダウンロード完了までに時間がかかることをご了承ください。

「第8回 インド国際日本文学研究集会」のレジメ(74メガバイト)をダウンロード

 これはまだ試作版です。しかし、この資料集だけでも、おおよその内容は判読していただけるのではないか、と思っての公開です。
 日本に居ながらにして、インドでの討議に参加している気分に浸っていただけるかと思います。

 また、お知り合いの方に、このレジメのことをお知らせいただけると幸いです。
 このレジメを通覧していただき、お気付きのことやご教示を、自由にコメントとしていただけると幸いです。
 ご意見やコメントは、本ブログのコメント欄を利用してください。

 いただいたコメントは、研究集会当日に会場で紹介し、『海外平安文学研究ジャーナル』の特集号として「海外源氏情報」を通じて公刊することがある、ということをご了承ください。もちろん、掲載する前に、確認のメールを差し上げます。
 明年2月に、第6号に前後して発行する予定です。

 『海外平安文学研究ジャーナル』(ISSN番号 2188ー8035)の既刊分5冊は、上記サイトから自由にダウンロードしていただけるオープンデータとなっています。

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2016年10月26日 (水)

橋本本「若紫」の翻字の補訂(1)

 先週、「『国文学研究資料館蔵 橋本本『源氏物語』「若紫」』ができました」(2016年10月20日)という記事を書きました。

 その橋本本「若紫」の翻字で、早々と1箇所にミスを見つけたので報告します。

 それは、第1丁表4行目の行末にある「万う」に、ミセケチ記号が付いていたことです。次の写真の赤矢印の箇所に、小さな黒い点があります。


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 それを、刊行した書籍の翻字には、当該箇所にそのミセケチ記号「˵」がありませんでした。
 お手元に本書がある方は、4行目の行末の「万う」の左横に、ミセケチ記号「˵」を2つ付けてください。お手数をおかけして申し訳ありません。


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 手元の翻字データベースでは、ミセケチ扱いでデータが出来ています。


万う春/$

 この表記は、「万う春」の3文字がミセケチとなっていることを、「$」の記号で示しています。

 翻字データベースのデータを元にして版下を作成する段階で、「万う」の左横にミセケチ記号「˵」を付け忘れたようです。

 細心の注意をはらって、何度も翻字を見直したはずでした。
 しかも、あろうことか、開巻早々のミスで恐縮しています。

 また何か見つかりましたら、ここで報告いたします。
 ないことを祈りながら。
 
 
 

2016年10月24日 (月)

京洛逍遥(377)スバコのお弁当と源氏絵のお茶

 慌ただしくUターンして上京です。
 JR京都駅の西改札口前に、「スバコ・ジェイアール京都伊勢丹」があります。ここのフードコーナーには、京都で行ってみたいお店が作る、工夫を凝らしたお弁当が並んでいます。しかも、私が選ぶ基準である、少量で安くて上品という、ありがたいお弁当も並んでいるのです。京都駅の中のコンコースにあるお弁当コーナーよりも、スバコにあるお弁当たちの方をお薦めします。
 新幹線に乗る前に、ぜひここのお弁当を手にして、さらにもう一つの京の味わいを楽しんでください。

 今日は、「季節限定 35品目 秋のごほうびロール弁当」(KAWAKATSU(CAMER))をいただきました。茶そばの巻き寿司が気に入っています。


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 手前のお茶は、京都府茶共同組合のペットボトルです。2008年の源氏千年紀から、今も人気のお茶です。この源氏絵に惹かれて、海外の方も手が伸びるようです。

 ペットボトルの胴回りに配されているのは、宇治市源氏物語ミュージアム所蔵の『源氏絵鑑帖』から第45巻「橋姫」の一場面です。国宝の源氏絵にも、この場面が描かれています。

 右側の、撥で月を招いているのは、大君でしょうか。それとも、中君なのでしょうか。
 左側には、琴を弾く女性がいます。どちらが誰なのかは、決めがたいものであることでよく知られている図様です。
 この場面は、源氏物語ミュージアムの展示室でも、人形を使って再現されています。

 源氏絵を掌に包んで転がしながら、お茶とお弁当をいただけるのです。なんとも贅沢なことです。

 後ろの席で、子供が騒ぎ出しました。
 これから私の読書タイムなので、隣りの車輌に移動します。
 いつも新幹線は、自由席で行き来しています。指定席は当たり外れがあるので、道中なにもできないことがあります。指定席も自由席も、料金は同じです。しかし、自由席には、一緒にいたくない方がいらっしゃった時には、別の場所に自由に移動できるという、ありがたい権利が与えられています。

 もうすぐ名古屋。ここで降りるふりをして、周りの喧騒から逃げ出すことにします。
 
 
 

2016年10月23日 (日)

池袋経由で帰洛し一仕事にめどをつける

 久しぶりに池袋で、ひと仕事をすませました。
 立ち寄った西武百貨店の7階で、昔懐かしい郵便ポストを見かけました。こんな場所に置かれたポストも、戸惑っていることでしょう。


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 もっとも、私が立ち寄ったのは、レターパックを送るためだったので、このポストの口は狭すぎて入りません。赤い茶筒のポストを横目に、カウンター越しに郵便物を渡すことになりました。

 池袋から帰洛のために、Uターンして東京駅に急ぎました。

 新幹線の乗り換え口では、ものすごい人だかりでした。旅行客や団体ではなさそうな人々が、列をなして並んでおられます。何事かと思いながら、いつものように芸能人が通るのだろうくらいに思いながら、乗り換え口から新幹線に乗り込みました。それにしても、ガードマンが多いので、よほど有名な人なのかな、と思っていました。

 いつものように自由席に座って本を取り出したところへ、乗り換え口まで一緒に来ていた妻から連絡が入りました。
 さきほどの人垣は、天皇皇后両陛下が新幹線にお乗りになるためだった、とのことです。そして、一番前だったので手を振っところ、にっこりしてくださったのだそうです。
 手を組んでお通りになる姿がすてきだったとも。さらには、天皇さまは濃いグレーのスーツで、美智子さまもグレー。きれいで嬉しそうな笑顔で……。周りの人はみんなスマホで撮っていたけれども、SPは何も注意なしでニコニコだったとのことです。

 さらには、天皇皇后両陛下は、これから京都へ向かわれるとの情報も入りました。上賀茂神社や下鴨神社にお越しになるそうなので、我が家の近くまでいらっしゃるのです。

 ちょうど1年前には、皇太子さまと新幹線がご一緒でした。

「皇太子さまとご一緒の新幹線で京都へ」(2015年10月23日)

 いろいろと楽しいことの多い日々です。

 京都でもひと仕事をすませました。夜までかかって、とにかく懸案の仕事のメドをつけることができました。
 この成果は、近日中にお知らせできるはずです。
 
 
 

2016年10月20日 (木)

『国文学研究資料館蔵 橋本本『源氏物語』「若紫」』ができました

 国文学研究資料館が所蔵する鎌倉中期の書写と思われる『源氏物語』「若紫」を「変体仮名翻字版」で刊行しました。

『国文学研究資料館蔵 橋本本『源氏物語』「若紫」』(伊藤鉄也・淺川槙子編、新典社、2016.10、¥1,400)


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 本書の写本としての特徴は、「解説」に書いたとおりです。
 懐中電灯で紙面をくまなくスキャンして精査し、〈墨ヨゴレ〉・〈付箋跡〉・〈剥落〉などの付加情報を丹念に記録しました。また、顕微鏡やカメラを用いて80倍に拡大し、削られた箇所で下に書かれている文字を推読したり、破損個所の判読も充分な時間をかけて読み取りました。
 こうした調査結果を、本書の本文の右横に注記として添えています。

 この次に本書を調査なさる方は、さらに精巧な機器を用いて翻字と付加情報を補訂してくださることを望みます。一応、現在可能な限りの手法で「変体仮名翻字版」を作成したことになります。

 本書を刊行した背景については、巻末の「編集後記」に記しました。
 その全文を、以下に引きます。


編集後記

 本書は、『ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「須磨」』(平成二五年)、『ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「蜻蛉」』(平成二六年)、『国立歴史民俗博物館蔵『源氏物語』「鈴虫」』(平成二七年)に続く、鎌倉期古写本の影印資料シリーズの四冊目となるものである。いずれも、写本を読む楽しさを共有できるテキストになれば、との思いから編集し続けているものである。
 本書との出会いは、国文学研究資料館に収蔵されてすぐの平成一六年に、室伏信助先生(跡見学園女子大学名誉教授)とご一緒に閲覧した時である。この「若紫」は、一時期は室伏先生のお手元にあったため、数十年ぶりのご対面の場となったのである。先生は、この本が棚にあった時には『源氏物語』の本文に興味や関心がなかったので、と当時を振り返りながら感慨深げに話してくださったことが思い出される。こうして身近にあるのだから、君もじっくりと本文を調べて、あらためて報告してください、とおっしゃったことばが忘れられずにここまで来た。あれから十数年が経過した今、遅ればせながら室伏先生に影印本としてではあっても、直接本書をお手渡しできることを嬉しく思っている。
 変体仮名を字母に忠実な翻字で表記する、自称「変体仮名翻字版」という形式で刊行するのは、前著『国立歴史民俗博物館蔵『源氏物語』「鈴虫」』に次いで二冊目となる。この翻字のよさは、今後の利活用によって認められるものだと確信している。手元の三五万レコードの翻字データベースも、この「変体仮名翻字版」に置き換えつつある。正確な『源氏物語』の本文データベースを次世代に手渡すことを一義に、臆することなく山を移す覚悟で取り組んでいるところである。
 本書の翻字資料作成と編集にあたっては、国文学研究資料館の淺川槙子プロジェクト研究員による的確な対処に負うところが多い。すでに構築したデータベースを元にした作業とはいえ、「変体仮名翻字版」への再構築は思いのほか手間と時間を要するものとなった。いつものことながら、字母に正確な翻字を行うことは、気力と体力が求められるものであることを実感している。
 引き続き、橋本本として残っている「絵合」「松風」「藤袴」の残欠三巻の編集に入っている。本書の姉妹編ともなるものであり、併せて有効な活用がなされることを楽しみにしている。
 影印画像と原本の熟覧にあたっては、国文学研究資料館の担当部署の方々のご理解とご協力をたまわった。あらためてお礼申し上げる。
    平成二八年一〇月一日
              編者を代表して 伊藤鉄也

 国文学研究資料館が所蔵する鎌倉期に書写された写本は、この橋本本の他の残欠本三冊と、「若菜上」の零本があります。近日中に、これらもこの影印本シリーズの一つとして刊行する準備をすすめています。

 現在私は、鎌倉時代に書写された『源氏物語』の写本が読める環境を、こうして構築しているところです。これまでは、江戸時代の人が書き込んだ文字を取り込んだ本文を、平安時代の物語として精緻に読み込んでいました。そうした読みの意義はそれとして、それに並行して、平安時代とは言わないまでも鎌倉時代に書写された『源氏物語』を読むことも、新しい『源氏物語』の読み方になると思っています。その意義を痛感して、鎌倉時代の写本による、こうした正確な翻字を目指した作業をしています。

 本書のよううな資料を作ることは地味ではあっても、いつかは、誰かがしなければならない、必要な研究基盤の整備だと思います。そして、『源氏物語』の研究の本文という根本のところが脆弱であったことを知り、写本に書き写された本文に向き合うことから再出発する若者の出現を心待ちにしています。

 今市販されている活字の校訂本文で『源氏物語』を読むことと共に、こうした鎌倉時代の『源氏物語』の本文を読む楽しみも、新しい〈源氏読み〉として体験していただきたいと思っています。
 
 
 

2016年10月13日 (木)

変体仮名の練習用シートを試作中

 仕事帰りの電車が遅れていました。
 立川駅で、特急が遅れていたために、その特急の待ち合わせをせずに、私が乗った快速が先に発車しました。
 中野駅で乗り換えて地下鉄に乗ったところ、途中の駅で電車が止まりました。線路内に人が立ち入ったために点検をしているとのことです。
 相変わらず、電車は時刻通りには走ってくれません。
 よく考えると、あの時間に厳格に走っていたのは無理があり、こうして多少の誤差があることが普通だと思う方が自然なのでしょう。

 さて、今日から、国文学研究資料館が所蔵する橋本本「若紫」を、日比谷図書文化館で読み始めました。
 ただし、テキストが間に合わなかったので、プリントで進めました。みなさまには、本当に申し訳ないことです。来週の19日には書店に並びますので、もうしばらくお待ちください。

 今日は、効率のよい学習に役立つのではと思い、こんなプリントを作ってみました。


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 【原案】では、変体仮名の部分が空欄になっています。影印画像を見ながら、この空欄に変体仮名の字母を書いていくのです。
 たとえば、次のようになります。


わら〔〕や〔〕〔〕~

 このシートを埋める方式で進めていたところ、どうも反応がよくありません。
 後で感想や意見を聞けたので、次のように改訂案を作ってみました。


わら〔  ha〕や〔  mi〕〔  ni〕~

 この改訂案の方のシートに変体仮名の字母を記入していくと、次のようになります。
 変体仮名の読みがわかるので、ことばの意味なども確認でき、理解しながら進むことができます。


わら〔八 ha〕や〔三 mi〕〔尓 ni〕~

 さて、このシートは、変体仮名が読めるようになるために、有効なものなのでしょうか。
 どのような方針で改良したり取り組んだらいいのか、このところ思案しています。
 もちろん、初心者、中級者、上級者の区別があるかもしれません。しかし、変体仮名は多くの文字を読んで慣れることで、めきめきと上達します。上達ということばが不適切なら、自在に読めるようになると言い代えましょう。

 改訂案のほうで数ページを読んだら、後はそのまま読み進めることが可能だ、とも思われます。

 変体仮名の指導をなさっている方や、かつてやっていたという方からの、体験談や実践例をお聞きできないかと思い、あえてこんな話題を記しました。
 ご教示をいただけると幸いです。

 今日は、参加者から非常にいいことばを教えていただきました。
 昨日も国文学研究資料館のくずし字講座に参加されていた方で、京都での古写本を読む会にもお越しになったYさんが、『目習い』『手習い』『耳習い』ということばを口にされたのです。
 よくお聞きすると、それは稽古事等で言われることばで、特に『目習い』は、質の高いものを観て目を養うことを言うそうです。きれいなことばだと思います。これは、変体仮名などを学ぶ時にも当てはまるものです。今後とも、『目習い』ということばを大いに使わせていただきます。
 
 
 

2016年10月 6日 (木)

過日公開した「若紫」の小見出しを【補訂2版】としたこと

 2016年9月15日に、「池田本の校訂本文用に作成した「若紫」巻の小見出し(108項目)」と題する記事を公開しました。
 その後の見直しを経て、同じアドレスで内容を入れ替えたものを、【補訂2版】として本日アップしました。

「【補訂2版】池田本の校訂本文「若紫」巻の小見出し(108項目)」(2016年9月15日)

 初版とは、小見出しの文言のみならず、参照情報にも手が入っています。
 項目数は、108件のままです。
 「若紫」に関する小見出しは、この【補訂2版】を活用してください。
 
 
 

2016年10月 5日 (水)

鎌倉期の橋本本「若紫」の字母が見せる2つの疑問

 国文学研究資料館蔵の『源氏物語』の古写本である橋本本「若紫」を、詳しく見ています。
 第1丁表4行目に、「おこ里・【給】気れは」と書かれている箇所について、まだ思いつきながら疑問点を記しておきます。


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 ここで「【給】気れ」と書かれた文字については、この下の文字が小刀で完全に削られており、その後に上から書かれているものです。下に何が書かれていたのかは、いろいろと道具を使って読み取ろうとしました。しかし、まったく一文字も読めませんでした。
(今、その直前の「おこ里」も、削除された上に書かれていることについては触れません)

 そこで、こんなことを考えてみました。
 この箇所の異文を調べると、次のようになっています。
 まだ「変体仮名翻字版」でのデータが揃っていないので、従来の通行の平仮名を使った翻字で校異をあげます。
 記号などについては、煩雑になるので省略します。


給けれは/△△△〈削〉給けれ[橋]・・・・050013
 給けれは[池大麦阿御国肖日伏]
 たまひけれは[穂]
 給ひけれは[保]
 たまへは[尾高天]
 給へは[中陽]

 この17種類の諸本の本文異同は、私が〈甲類〉とする[尾高天尾中陽]は「たまへは(給へは)」であり、〈乙類〉とする[池大麦阿御国肖日伏穂保]は「給けれは」となっています。

 私の自説である、『源氏物語』の本文は〈甲類〉と〈乙類〉の2つにわかれる、という傾向をここでも見せています。

 それはさておき、〈甲類〉に属する性格を色濃く見せる橋本本が、ここでは「給けれは」なので、〈乙類〉ということになるのです。しかし、それはなぞられた文字で読むとそうだということです。もし、最初に書写された、ここでは下に書かれて削られた文字がわかると、また別のことがわかるかもしれません。これは、探る価値があります。

 橋本本が〈甲類〉の本文を持っていたとすると、この下に書かれていた文字は「給へは」である可能性がありそうです。
 そこで試しに、前の行頭にあった「堂まへ」という三文字をここに複写して貼り付けてみました。


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 するとどうでしょう。ぴったりと収まったのです。
 これは実証的でも何でもなくて、力技で、ただ思いつきの切り貼りをしただけです。しかし、これも可能性の追及ということで、やってみる意味はあった、と言ってもいいでしょう。

 橋本本において、本行の本文を削った上に書写されている文字は、意外に対立する本文(異文)なのかもしれません。後の人が、橋本本で異文となっている箇所を、流布本で校訂したのが、この削除してなぞり書きをしているものかもしれません。

 これは、学問的ではなく、一例を取り上げての単なる思いつきの段階です。

 本文を削除して、その上からなぞるという本文の修正は、この橋本本には無数にあります。今、手元の「変体仮名翻字版」による翻字本文で調べると、削除後になぞり書きされているのは、114箇所に見られます。この削除された114箇所に書かれた本文を、時間を見つけて、一つずつ調べてみようと思っています。根気のいることですが……

 もう一つは、鎌倉期の写本で「気」という字がどのように使われているか、ということです。

 ハーバード本「須磨」と「蜻蛉」、そして歴博本「鈴虫」には、「気」はまったく見られません。しかし、橋本本「若紫」には、63例も使われています。これはどういうことを意味するのでしょうか。

 ほとんどが、上掲の例のように「【給】気れ」と助動詞などで使われています。
 そこで、この「気」を漢字の意味を持たせて使われている例を抜き出してみました。
 私の基準で漢字と認定したのは、以下の18例です。


きよ【気】なるや(3オL5)
きよ【気】な累(3ウL3)
を閑し【気】なる(3ウL9)
【御】ものゝ【気】(8ウL1)
ゆ可し【気】那累(11ウL2)
い者【気】なき(19ウL4)
すこ【気】に(20ウL1)
【気】はひ(20ウL5)
つゆ【気】さ(22オL8)
【御気】しきの(34オL3)
【御気】しなるもの可ら(37オL2)
【御気】しきも(39オL1)
【御】ものゝ【気】能(39オL6)
【御気】しきも(39オL7)
【気】しきの(40ウL6)
堂のもし【気】那く(42オL3)
すこし可た【気】にて(44ウL7)
春こ【気】尓(46オL8)

 これらの語句の「気」について考えるには、まだ翻字した写本の数が少ないので何とも言えません。しかし、今後のために、こうした用例が確認できた、ということを記録に留めておきます。
 
 
 

2016年9月25日 (日)

『源氏物語』の小見出しは池田本の校訂本文に合わせること

 現在、池田本の校訂本文を編集する中で、そこに挿入する小見出しを作っているところです。
 これまでに、「桐壺」「帚木」「若紫」の3巻分を終え、以下の通り本ブログで公開しています。

☆(1)「「桐壺」巻の小見出し試案(72項目版)」(担当者:伊藤鉄也)(2014年03月26日)

☆(2)「池田本の校訂本文用に作成した「帚木」巻の小見出し(132項目)」(担当者:高橋麻織)(2016年09月16日)

☆(3)「池田本の校訂本文用に作成した「若紫」巻の小見出し(108項目)」(担当者:淺川槙子)(2016年09月15日)

 この小見出しは、次のような特徴があります。


1 30字の簡潔な小見出し
2 校訂本文150字位(250字以下)に一つの小見出し
3 小見出し末尾に次の3種類を「/」で区切って明示
  ・『源氏物語大成』(中央公論社)の頁行数
  ・『源氏物語別本集成』『同 続』(おうふう)の分節番号
  ・『新編日本古典文学全集』(小学館)の頁数
 

 この小見出し作りを進めていて、その方針を明確にしておく必要が生じました。
 今後とも、お手伝いしてくださる方々と情報を共有しておくためにも、以下に問題点を整理して確認事項とします。

 一例を、「若紫」の場合であげましょう。
 国文学研究資料館蔵の橋本本「若紫」の小見出しを確認している時、早速2つ目の小見出しで中断となりました。

 上記「☆(3)」で、次のようにした小見出しです。

 ■2 聖は、峰が高い山に囲まれた奥深いところに籠り、修行をしている

 ここは、『新編日本古典文学全集』(小学館)では次のような校訂本文となっています。


~御供に睦ましき四五人ばかりして、まだ暁におはす。
 やや深う入る所なりけり。三月のつごもりなれば、京の花、盛りはみな過ぎにけり。~(119~200頁)

 これに小見出しを付けると、「まだ暁におはす。」の次に位置するところが適当です。

 それに対して、橋本本の校訂本文は次のようになります。赤字に注意してください。


〜御供に睦ましき四五人ばかりして、まだ暁におはするにやや深う入る所なりけり。
 三月つごもりなれば、京の花、盛りは過ぎにけり。〜(119〜200頁)

 大島本や池田本による流布本の校訂本文が「まだ暁におはす。」となっていたところが、この橋本本では、「まだ暁におはするに」となります(後掲の本文異同を参照願います)。文章はここで切れずに、「やや深う入る所なりけり。」へとつながっていくのです。

 そのため、上記「■2 聖は、~」という小見出しを橋本本に転用するにあたっては、「三月つごもりなれば、」の位置に付けることが最適な場所といえるでしょう。

 ここは、私案の本文二分別によると、〈甲類〉が「おはするに」であり、〈乙類〉が「おはす」となっているところです。
 池田本は〈乙類〉なので、ここに小見出しを入れるのは大島本のグループの一つなのでいいのです。
 これに対して橋本本は〈甲類〉なので、小見出しの位置が少し後にずれることになります。つまり、次の行の「三月」に対する小見出しとすることになるのです。

 これでは、校訂本文が他本に変わるたびに、小見出しの位置が前後に移動することになります。本文異同の多い巻や写本では、そのたびに小見出しの位置がずれたり、場合によってはなくなったりするのは煩雑です。
 今後は、写本ごとに校訂本文が自由に作成できるシステムを公開する予定なので、目まぐるしく諸本ごとに小見出しが変転しては、使い勝手も悪くなります。

 そこで、この小見出しを付ける場所については、あくまでも「池田本に合わせる」、という方針に決めたいと思います。

 なお、現在、この池田本の校訂本文のための小見出し作りを、ボランティアでお手伝いしてくださる方を求めています。
 『源氏物語』の本文を200字位で区切り、そこに30文字という制限で短文を作ることは、意外と呻吟するものです。一文字の加除に、何日も費やすことはざらにあります。
 池田本は大島本と大きく本文が異なることはないようなので、身の回りにある校訂本文で小見出し作りは出来ます。面倒なのは、小見出しの末尾に付ける3種類のテキストの頁数や番号だけです。

 手伝ってやろう、と思われる方は、遠慮なく本ブログのコメント欄等を使って連絡をください。
 すでに着手されているのがどの巻か、という情報の共有は、全54巻をやり終える上では重要です。効率的な取り組みを遂行するためには必須の情報であり、これは折々に本ブログを通して流していきたいと思っています。その際、担当者のお名前を巻名に併記することを、あらかじめご了承ください。

 ちなみに、現在私は第3巻「空蟬」に取り組んでいます。
 「12須磨」・「38鈴虫」・「52蜻蛉」も担当者はすでに決まっています。
 
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 参考までに、上記「若紫」の引用例の箇所における、諸本17本の本文異同をあげます。
 これらかも明らかなように、本文は2種類にしか分かれず、橋本本は〈甲類〉([橋尾中陽穂高天])に、池田本や大島本は〈乙類〉([大麦阿池御国肖日保伏])に分別できます。

 まだ「変体仮名翻字版」のデータベースが緒に就いたばかりなので、ここには旧来の平仮名を一文字に限定した、明治33年以来の用字法で翻字した本文の校合を揚げています。また、諸本名や書写状態に関する付加情報($はミセケチ等)も煩雑になるので、ここでは省略しています。


御ともに[橋=大中麦阿陽池御国肖日保伏高天]・・・・050063
 御ともに/と〈改頁〉[尾]
 御共に[穂]
むつましき[橋=全]・・・・050064
人[橋=尾中陽穂高天]・・・・050065
 ナシ[大麦阿池御国肖日保伏]
四五人はかりしてまた[橋=全]・・・・050066
あかつきに[橋=尾麦池日保伏高]・・・・050068
 あか月に[大中御国肖穂天]
 暁に[阿]
 あか月に/月〈改頁〉[陽]
おはするに/るに$[橋]・・・・050069
 おはするに[尾高天]
 おほするに[陽]
 をはします[中]
 おはする[穂]
 おはす[大麦阿池国肖日保伏]
 をはす[御]
やゝ[橋=大尾中麦阿陽池御国肖日保伏高]・・・・050070
 やゝ/う&ゝ[天]
 ナシ[穂]
ふかく[橋=尾中陽高天]・・・・050071
 ふかう[大麦阿池国肖日穂保伏]
 ふかう/△&ふ[御]
いる[橋=大尾陽池御肖日穂保伏高天]・・・・050072
 入[中麦阿国]
ところなりけり[橋=尾中陽高]・・・・050073
 所なりけり[大麦阿池御国日穂保伏天]
 所也けり[肖]
三月[橋=穂]・・・・050074
 三月の[大麦阿池御国日伏]
 やよひの[尾中陽肖保高天]
つこもりなれは[橋=大尾麦阿陽池御国肖日穂保伏高天]・・・・050075
 つこもりなりけれは[中]
京の[橋=大中麦阿陽池国肖日穂保伏高天]・・・・050076
 京の/〈朱合点〉[尾]
 きやうの[御]
花[橋=大麦阿陽池御国肖保伏天]・・・・050077
 はな[尾日穂高]
 はなみな[中]
さかりは/は+みな[橋]・・・・050078
 さかりはみな[大麦阿池御国肖日穂保伏]
 さかりは[尾陽高天]
 ナシ[中]
すきかたになりにけるを/かたになりにけるを$にけり[橋]・・・・050079
 すきにけり[大麦池御国日伏]
 過てけり[阿]
 すきに/に+けりイ[肖]
 すきけり[穂]
 すきにたるを[尾陽高天]
 ちりたるを[中]
 すきて[保]

 
 
 

2016年9月16日 (金)

池田本の校訂本文用に作成した「帚木」巻の小見出し(132項目)

 昨日に続き、池田本の校訂本文で使用するための小見出しの、「帚木」巻ができあがりました。
 これは、高橋麻織さん(明治大学・兼任講師)と久保田由香さん(元・明治大学大学院生)の労作です。
 「桐壺」巻・「若紫」巻と同じように、30文字でできています。
 これまでの方針通り、物語本文を細かく分けることで、全132項目となっています。
 『新編日本古典文学全集』(小学館)は17項目、『新日本古典文学大系』(岩波書店)は34項目なので、これがいかに詳細なものであるかがおわかりいただけるかと思います。

 2014年3月26日に公開した「桐壺」巻の小見出しについては、「「桐壺」巻の小見出し試案(72項目版)」を参照してください。
 「若紫」巻は、昨日の「池田本の校訂本文用に作成した「若紫」巻の小見出し(108項目)」(2016年9月15日)を参照してください。

 今回公表したものは、まだ付加情報の整備ができていません。今は、『新編日本古典文学全集』(小学館)の頁行数だけを追記した状態であることを、あらかじめおことわりしておきます。

(1)通し番号 小見出し(30文字)
(2)『新編日本古典文学全集 源氏物語』(小学館、1994年初版)の頁行数

 より便利な小見出しとなるように、お気付きの点など、ご教示いただけると幸いです。
 
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 「帚木」巻の小見出し(『新編日本古典文学全集』(小学館)の頁行数)

■1 光源氏は好色者と噂されているが、本人は真面目に振る舞っている
                     (五三頁一行目〜七行目)

■2 通いが間遠なため左大臣家では光源氏の忍ぶ恋の相手の存在を疑う
                  (五三頁八行目〜五四頁二行目)

■3 左大臣家は物忌のために籠る婿を恨めしく思うが懸命に世話をする
                     (五四頁三行目〜八行目)

■4 光源氏と特に親しい頭中将もまた、北の方の元にはあまり通わない
            (五四頁八行目「宮腹の中将は」〜一一行目)

■5 光源氏と頭中将は夜昼同伴して、学問も遊びも共に行う親しい間柄
                 (五四頁十二行目〜五五頁二行目)

■6 五月雨の夜、宿直所に頭中将が訪れて光源氏宛ての恋文を見たがる
           (五五頁三行目〜八行目「ゆるしたまはねば」)

■7 頭中将は恋文を見ながら他人に見せられない恋文こそ見たいと発言
 (五五頁八行目「そのうちとけて」〜五六頁三行目「心やすきなるべし」)

■8 頭中将は拾い読みしながら差出人を推量するが光源氏は言葉を濁す
           (五六頁三行目「片はしづつ見るに」〜七行目)

■9 上辺だけ繕った中身のない女がいると、女の品定めを始める頭中将
     (五六頁八行目〜五七頁四行目「心を動かすこともあめり」)

■10 芸事の不得手な部分を後見人に隠された女は、付き合うと落胆する
   (五七頁四行目「容貌をかしく」〜一一行目「恥づかしげなれば)

■11 頭中将は女を上流、中流、下流に分け、中流が個性的でよいと説く
  (五七頁一一行目「いとなべては」〜五八頁六行目「ゆかしくて」)

■12 好色者と評判の左馬頭と藤式部丞が参上して、女の品定めに加わる
                    (五八頁七行目〜一四行目)

■13 頭中将は成り上がった者も高位から落ちぶれた者も共に中流とする
               (五九頁一行目〜七行目「おくべき」)

■14 生半可な上達部より非参議の四位の者の方が豊かな生活をしている
  (五九頁七行目「受領といひて」〜一二行目「いとかはらかなりや)

■15 階級は家柄、世評、財力で決まるが光源氏は財力重視かと揶揄する
           (五九頁一二行目「家の内に」〜六〇頁三行目)

■16 左馬頭は光源氏や頭中将の前で上流の女について意見するのを憚る
                    (六〇頁四行目〜一〇行目)

■17 左馬頭は荒廃した家の奥に芸事を嗜む女がいたら素晴らしいと語る
             (六〇頁一一行目〜六一頁五行目「とて」)

■18 姉妹を思い黙る藤式部丞と上流にも理想の女は珍しいと思う光源氏
           (六一頁五行目「式部を見やれば」〜一一行目)

■19 左馬頭は国の柱石を選ぶのと同様に、妻を決めるのも難しいと発言
         (六一頁一二行目〜六二頁五行目「ゆつろふらむ」)

■20 一家の主婦には欠けては困る条件が多いので、妻を選ぶのは難しい
        (六二頁五行目「狭き家の」〜一二行目「なるべし」)

■21 全て希望通りでなくても連れ添うのがよいが惹かれる夫婦はいない
         (六二頁一二行目「かならずしも」〜六三頁三行目)

■22 無口な女を女らしいと思って機嫌を取ると色めかしくなるのは難点
                    (六三頁四行目〜一〇行目)

■23 情趣を重んじすぎる妻も困るが美しさの欠片もない世話女房も困る
       (六三頁一一行目〜六四頁五行目「うちまねばむやは」)

■24 妻と語り合いたいが理解のない妻には外での話をする気にならない
            (六四頁五行目「近くて見む人」〜一一行目)

■25 従順な若い女を仕込むのも手だがやはり妻には頼れる女の方が良い
                 (六四頁一二行目〜六五頁六行目)

■26 身分や容貌より実直な事が妻には大事で、更に才能が伴えば儲け物
              (六五頁七行目〜一五行目「わざをや」)

■27 夫の浮気に耐えていたが急に我慢出来なくなって失踪する女がいる
    (六五頁一五行目「艶に」〜六六頁六行目「落としはべりし」)

■28 夫が浮気したからといって逃げ隠れしたり、尼になるのは、軽率だ
       (六六頁六行目「今思ふには」〜一三行目「思へらず」)

■29 知人が見舞に来たり、元夫が泣いたりすると、女は出家を後悔する
 (六六頁一三行目「いで、あな悲し」〜六七頁三行目「うちひそみぬかし」)

■30 還俗しても家出騒動の後では夫婦共に心からは信頼し合えなくなる
              (六七頁三行目「忍ぶれど」〜一〇行目)

■31 浮気されたら喧嘩したり好きにさせるより、怨言を仄めかすべきだ
                 (六七頁一一行目〜六八頁六行目)

■32 妹は信頼出来る妻だと頭中将が暗に言うが光源氏は居眠りしている
                    (六八頁七行目〜一四行目)

■33 格式ある調度は名人が作った物だと誰にでもわかると左馬頭は言う
                    (六九頁一行目〜一一行目)

■34 見たことのない物は空想で描けば良いので墨書きの優劣はつけ難い
        (六九頁一二行目〜七〇頁二行目「さてありぬべし」)

■35 唐絵と違って大和絵は見慣れた風景を描くので画師の技量が現れる
               (七〇頁二行目「世の常の」〜七行目)

■36 走り書きは一見洒落ているが本格的な筆法で書かれた書の方がよい
           (七〇頁八行目〜一三行目「かくこそはべれ」)

■37 僧のように説教する左馬頭と目を覚ます光源氏と真剣に聞く頭中将
        (七〇頁一三行目「まして人の心の」〜七一頁四行目)

■38 左馬頭は、美人ではないのに嫉妬ばかりする昔の恋人のことを語る
                    (七一頁五行目〜一五行目)

■39 女は左馬頭の為に努力し、尽くしたが、嫉妬深い癖は直せなかった
                    (七二頁一行目〜一〇行目)

■40 左馬頭は別れをちらつかせて、女の嫉妬深い性格を直そうと試みる
           (七二頁一一行目〜七三頁一行目「怨ずるに」)

■41 左馬頭は女に終生連れ添うつもりなら夫の浮気は我慢すべきと言う
     (七三頁一行目「かくおそましくは」〜八行目「はべるに」)

■42 離縁を承諾した女に左馬頭が悪口を言ったので女は夫の指を噛んだ
       (七三頁八行目「すこし」〜七四頁一行目「かこちて」)

■43 官位を貶められて傷ついた左馬頭は出家を仄めかして女の元を去る
             (七四頁一行目「かかる傷さへ」〜五行目)

■44 左馬頭が女の短所を責める和歌を詠むと、女は泣きながら返歌する
            (七四頁六行目〜一一行目「はべりしかど」)

■45 左馬頭は女と口論したが別れるつもりはなく、女と復縁したくなる
     (七四頁一一行目「まことには」〜一五行目「なかりけり」)

■46 左馬頭が行くと来訪を見越した準備がされていたが女は留守だった
  (七四頁一五行目「内裏わたりの」〜七五頁九行目「答へはべり」)

■47 女は嫌われたがっていた様子だが、左馬頭の衣装の世話はしている
              (七五頁九行目「艶なる歌」〜一五行目)

■48 見捨てられることはないと高を括っていたら女は心痛で亡くなった
            (七六頁一行目〜九行目「おぼえはべりし」)

■49 左馬頭は染物や裁縫に秀でた女こそ本妻に相応しかったと追慕する
      (七六頁九行目「ひとへに」〜一四行目「思ひ出でたり」)

■50 織姫の裁縫の腕よりも末長い夫婦仲にあやかれば良いと言う頭中将
             (七六頁一四行目「中将」〜七七頁四行目)

■51 左馬頭が同じ時に通った女は人柄がよく、歌も書も琴もうまかった
              (七七頁五行目〜一一行目「はべりき」)

■52 左馬頭は指喰いの女亡き後女の元に通い慣れたが女は浮気していた
           (七頁一一行目「この人亡せて後」〜一五行目)

■53 十月の月夜、左馬頭と相乗りした殿上人が行ったのは女の家だった
                     (七八頁一行目〜八行目)

■54 殿上人が縁に腰かけて笛を吹きながら謡うと、女は和琴で合奏した
          (七八頁九行目〜七八頁一五行目「あらずかし」)

■55 和琴の音が月に相応しいことに感嘆した殿上人は簾に寄って戯れる
    (七八頁一五行目「律の調べは」〜七九頁四行目「ねたます」)

■56 殿上人がもう一曲請うと女は笛を引き止めるだけの琴はないと詠む
           (七九頁四行目「菊を折りて」〜八〇頁四行目)

■57 二人の風流な応酬を見るに堪えないと感じた左馬頭は、女と別れた
         (七九頁一二行目「憎くなるをも」〜八〇頁四行目)

■58 左馬頭は信頼出来ない浮気な女より実直な指喰いの女がよいと言う
                  (八〇頁五行目〜八一頁一行目)

■59 頭中将は恨み言も言わず、自分を頼りにしていた恋人のことを話す
                 (八一頁二行目〜八一頁一二行目)

■60 親を亡くして貧する女は頭中将を頼みとするが彼の妻に脅迫される
                 (八一頁一三行目〜八二頁二行目)

■61 頭中将が放っておいたので幼い子を持つ女は撫子を添えた文を送る
                  (八二頁三行目〜八二頁六行目)

■62 文を読んだ頭中将が訪ねると女は彼を信じきった様子だが涙を流す
                 (八二頁七行目〜八二頁一三行目)

■63 頭中将は女を慰めたが訪れが間遠になると女は姿を消してしまった
                 (八二頁一四行目〜八三頁八行目)

■64 後悔する頭中将はかわいい幼子を探し出したいと思うが消息は不明
           (八三頁九行目〜八三頁一四行目「はべらね」)

■65 頭中将は女のことを、左馬頭の言う、頼りない部類の女だと断ずる
           (八三頁一四行目「これこそ」〜八四頁四行目)

■66 いくら完璧でも吉祥天女に懸想するのは、と頭中将が皆を笑わせる
                 (八四頁五行目〜八四頁一四行目)

■67 藤式部丞は身分柄謙遜するが、頭中将に急き立てられて体験を語る
            (八五頁一行目〜六行目「思ひめぐらすに」)

■68 藤式部丞は文章生だった時に、博士顔負けの学がある女と出会った
            (八五頁六行目「まだ文章生に」〜一〇行目)

■69 藤式部丞が学問の師である博士の娘に言い寄ると博士は杯で祝った
        (八五頁一一行目〜八五頁一五行目「はべりしかど」)

■70 女は寝所でも学問を語り、漢文の文を送って藤式部丞の師となった
   (八五頁一五行目「をさをさ」〜八六頁六行目「はべりしかば」)

■71 藤式部丞は女に感謝する一方で劣等感に苛まれ、自身の宿縁を嘲る
             (八六頁六行目「今に」〜八六頁一五行目)

■72 久しぶりに訪うと物越しの対面なので藤式部丞はやきもちかと訝る
          (八七頁一行目〜八七頁六行目「恨みざりけり」)

■73 女は嫉妬はしておらず、薬の悪臭を気にして物越しに対面していた
      (八七頁六行目「声も」〜八七頁一五行目「すべなくて」)

■74 蒜の臭いに耐えかねて逃げ出す藤式部丞に賢い女は素早く歌を詠む
      (八七頁一五行目「逃げ目を」〜八八頁七行目「申せば」)

■75 光源氏達は、作り話だ、どこにそんな女がいるものかと呆れて笑う
               (八八頁七行目「君たち」〜一三行目)

■76 左馬頭は女が三史五経を会得するのはかわいげがないことだと言う
                (八九頁一行目〜六行目「あらむ」)

■77 上流婦人もしがちだが、半分以上漢字で書いている女の文は残念だ
                (八九六行目「わざと」〜一二行目)

■78 一角の歌詠みを自任している人が所構わず詠みかけてくるのは嫌だ
        (八九頁一三行目〜九〇頁一行目「はしたなからむ」)

■79 時と場所を選ぶことが大事で、それが分からない歌詠みはよくない
           (九〇頁一行目「さるべき節会など」〜八行目)

■80 左馬頭の女性評を聞いた光源氏は藤壺の宮こそ理想的な人だと思う
                  (九〇頁九行目〜九一頁三行目)

■81 葵の上の元を訪れた光源氏は信頼出来る妻だが気づまりだと感じる
           (九一頁四行目〜一一行目「さうざうしくて」)

■82 寛いでいる時に左大臣が挨拶に来たので光源氏は有難迷惑だと思う
          (九一頁一一行目「中納言の君」〜九二頁二行目)

■83 夜、光源氏は方違えのために中川にある紀伊守邸へ赴くことにする
              (九二頁三行目〜一一行目「のたまふ」)

■84 紀伊守は父の家の女達が失礼をするのではないかと密かに心配する
  (九二頁一一行目「忍び忍びの」〜九三頁二行目「聞きたまひて」)

■85 光源氏は人近なのが有り難いと言い、内密に急いで紀伊守邸へ行く
                (九三頁二行目「その人」〜七行目)

■86 急な訪問を紀伊守は内心迷惑がるが光源氏の従者達は強引に居座る
              (九三頁八行目〜一三行目「植ゑたり」)

■87 光源氏は雨夜の品定めで良しとされた中の品はこの階層だと考える
          (九三頁一三行目「風涼しくて」〜九四頁四行目)

■88 光源氏は気位高いと聞いた伊予介の後妻空蝉目当てで母屋に近寄る
          (九四頁五行目〜一三行目「わが御上なるべし」)

■89 女達の噂を聞いた光源氏は藤壺の宮への恋が露見しなくて安堵する
          (九四頁一三行目「いといたう」〜九五頁七行目)

■90 光源氏は女の接待を所望するが紀伊守はわざと気づかぬふりをする
                    (九五頁八行目〜一三行目)

■91 故衛門督の末っ子である小君は空蝉と暮らしていると紀伊守が話す
            (九五頁一四行目〜九六頁七行目「と申す」)

■92 出仕予定の空蝉が伊予介の後妻となったことを光源氏は不憫と思う
     (九六頁七行目「あはれのことや」〜一二行目「のたまふ」)

■93 紀伊守は伊予介が空蝉を崇めていることに対し、好色だと非難する
       (九六頁一二行目「不意に」〜九七頁三行目「と申す」)

■94 光源氏は若い継母に相応しいと思っているらしい紀伊守を揶揄する
               (九七頁三行目「さりとも」〜八行目)

■95 眠れない光源氏は襖障子に寄って空蝉と小君の会話を立ち聞きする
               (九七頁九行目〜一五行目「言へば」)

■96 小君に似た声の女が空蝉だと察した光源氏は空蝉の位置を推し量る
   (九七頁一五行目「ここにぞ」〜九八頁五行目「みそかに言ふ」)

■97 心細い空蝉は中将の君を呼ぶが中将の君は湯浴みのため不在である
               (九八頁五行目「昼なら」〜一三行目)

■98 うとうとしている空蝉は中将の君が来たと思うが実は光源氏だった
            (九八頁一四行目〜九九頁四行目「思へり」)

■99 空蝉は怯えるが光源氏に恥をかかせることは出来ないので騒げない
                (九九頁四行目「中将」〜一二行目)

■100 光源氏が可憐な空蝉を愛しく思い、抱き上げると、中将の君が来る
          (九九頁一三行目〜一〇〇頁五行目「来あひたる」)

■101 中将の君は光源氏に気づいて驚くが、高貴な人だから引き離せない
        (一〇〇頁五行目「やや」〜一一行目「入りたまひぬ」)

■102 光源氏は言葉を尽くすが、空蝉は中将の君にどう思われたかと悩む
   (一〇〇頁一一行目「障子を」〜一〇一頁一行目「あさましきに」)

■103 光源氏から無体な仕打ちを受けた空蝉は低い身分ゆえかと非難する
        (一〇一頁一行目「現とも」〜六行目「けはひなれば」)

■104 光源氏は身分の違いをまだ弁えていないゆえの振る舞いだと訴える
      (一〇一頁六行目「その際々を」〜一一行目「のたまへど」)

■105 身分だけでなく容貌まで不釣り合いだと感じる空蝉は光源氏を拒む
       (一〇一頁一一行目「いとたぐひなき」〜一〇二頁一行目)

■106 光源氏はこれは前世からの因縁による契りだと、泣く空蝉を慰める
              (一〇二頁二行目〜八行目「恨みられて」)

■107 未婚なら逢瀬を喜んだかもしれないが今は人妻なのでと空蝉は嘆く
       (一〇二頁八行目「いとかくうき身のほどの」〜十四行目)

■108 光源氏は空蝉との再会も文のやりとりも難しいだろうと心を痛める
         (一〇二頁十五行目〜一〇三頁五行目「いと胸痛し」)

■109 光源氏は一旦は解放した空蝉を引き止めて泣きながら恋情を訴える
    (一〇三頁五行目「奥の中将も」〜十行目「いとなまめきたり」)

■110 空蝉は夫を愛していないが夫が自分の不貞を夢に見ることを恐れる
             (一〇三頁十行目「鶏も」〜一〇四頁一行目)

■111 明るくなり、二人は別れるが、襖が二人を隔てる関のように思える
                     (一〇四頁二行目〜六行目)

■112 光源氏は有明の月を見て後ろ髪引かれる思いで紀伊守邸を出立する
                    (一〇四頁七行目〜十五行目)

■113 光源氏は空蝉の苦しみを思いやりながら、中の品のよさを実感する
                     (一〇五頁一行目〜五行目)

■114 後日、光源氏は紀伊守を呼び出し、空蝉の弟を側で使いたいと話す
                    (一〇五頁六行目〜十二行目)

■115 空蝉の夫婦仲や容貌を知りたく思う光源氏は紀伊守に探りを入れる
                (一〇五頁十三行目〜一〇六頁六行目)

■116 五、六日後に参上した小君に、光源氏は空蝉のことを詳しく尋ねる
           (一〇六頁七行目〜十二行目「うち出でにくし」)

■117 光源氏は小君に、自分と空蝉がかつて恋仲だったと偽って文を託す
   (一〇六頁十二行目「されど」)〜一〇七頁一行目「ひろげたり」)

■118 光源氏の文を読んだ空蝉は泣き、思いがけない宿世を思って臥せる
              (一〇七頁一行目「いと多くて」〜六行目)

■119 翌日、小君が光源氏への返事を催促するが、空蝉は拒み、弟を叱る
                    (一〇七頁七行目〜十三行目)

■120 空蝉からの返事がないことを知った光源氏は落胆し、再度文を託す
        (一〇七頁十四行目〜一〇八頁五行目「またも賜へり」)

■121 光源氏は小君を側から放さず、世話をし、親代わりとして振る舞う
           (一〇八頁五行目「あこは知らじな」〜十三行目)

■122 空蝉は光源氏に心惹かれるが、身分不相応だと思い、返事はしない
                (一〇八頁十四行目〜一〇九頁五行目)

■123 光源氏は空蝉を始終恋しく思い、逢いたいが人目に触れたらと悩む
                     (一〇九頁六行目〜十行目)

■124 方違えのため光源氏は紀伊守邸へ赴き計略を伝えていた小君を呼ぶ
                (一〇九頁十一行目〜一一〇頁二行目)

■125 空蝉は光源氏からの文を読むが密会は出来ないので奥の部屋に移る
                     (一一〇頁三行目〜十行目)

■126 空蝉を捜し当てた小君は光源氏に頼りないと思われてしまうと泣く
              (一一〇頁十一行目〜十四行目「言へば」)

■127 空蝉は子供が恋の仲立ちをするのは慎むべきことだと小君を咎める
(一一〇頁十四行目「かくけしからぬ」〜一一一頁三行目「言ひ放ちて」)

■128 空蝉は独身ならばと思うが人妻なので情が強い女で通そうと決める
          (一一一頁三行目「心の中には」〜一一一頁十行目)

■129 不首尾の由を小君から聞いた光源氏は空蝉を帚木に例えた歌を詠む
         (一一一頁十一行目〜一一二頁三行目「のたまへり」)

■130 空蝉は光源氏のために奔走する小君が人に怪しまれないか心配する
                (一一二行目三行目「女も」〜九行目)

■131 光源氏は案内を頼むが姉はむさ苦しい場所にいるからと小君は断る
            (一一二頁十行目〜一一三頁一行目「聞こゆ」)

■132 光源氏は代償として小君を側に寝かせ、冷淡な姉よりも愛しく思う
              (一一三頁一行目「いとほしと」〜五行目)
 
 
 

2016年9月15日 (木)

【補訂2版】池田本の校訂本文「若紫」巻の小見出し(108項目)

 現在、池田本の校訂本文を作成中です。
 「桐壺」巻が完成に近づき、11月にはご希望の方に配布できるかと思います。

 引き続き「若紫」巻に着手しました。
 まずは、「桐壺」巻にならった詳細な小見出しができあがりました。
 これは、淺川槙子さん(国文学研究資料館・研究員)の労作に、私が手を入れたものです。

 この「若紫」巻の小見出しは、「桐壺」巻と同じように30文字に制限した文字数でできています。
 小刻みに物語を分割し、全108項目が並ぶものとなりました。
 参考までに、『新編日本古典文学全集』(小学館)は26項目、『新日本古典文学大系』(岩波書店)は38項目なので、これがいかに多いかがわかります。

 今回の公表にあたり、以下の3種類の情報を並べてみました。

(1)通し番号 小見出し(30文字)
(2)(池)池田本(旧翻字形式)※小見出しに対応する一部分を引用
(3)参照情報(池田本の丁数/大島本の丁数/小見出しが該当する最初の文節番号/『源氏物語大成』第1冊(中央公論社、1984年普及版初版)頁・行数/『源氏物語別本集成続 第2巻若紫〜花宴』(おうふう、2005年初版)/『新編日本古典文学全集 源氏物語』(小学館、1994年初版)

 より便利な小見出しとなるように、お気付きの点など、ご教示のほどをよろしくお願いします。

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【補訂2版】
「若紫」巻の小見出し(池田本の場合)

1 瘧病をわずらった光源氏はすすめにより北山の聖のもとへ出かける
  (池)わらはやみにわつらひたまひて
  (一オ/一オ/050001/151①/10/199)

2 聖は、峰が高い山に囲まれた奥深いところに籠り、修行をしている
  (池)三月のつごもりなれば
  (一ウ/一ウ/050074/151⑦/12/199)

3 光源氏は自分を誰とも知らせず、驚き騒ぐ聖から加持祈祷を受ける
  (池)のほり給て
  (二オ/二オ/050110/151⑪/13/200)

4 光源氏は高い所から見た目がきちんとしてきれいな僧坊を見つける
  (池)すこしたちいてつゝ
  (二ウ/二ウ/050162/152②/15/200)

5 なにがし僧都の僧坊で、光源氏は若い女性と子どもたちの姿を見る
  (池)きよけなるわらはなと
  (三オ/三オ/050217/152⑧/17/201)

6 供人たちは病を気にする光源氏を、気分転換のために外へ連れ出す
  (池)君はをこなひしたまひつゝ
  (三ウ/三オ/050250/152⑪/17/201)

7 光源氏は後ろの山から、遠くまでずっと霞がかかった景色を眺める
  (池)はるかにかすみわたりて
  (三ウ/三ウ/050273/152⑬/18/202)

8 良清は、光源氏に官位を捨てて播磨で暮らす明石の入道の話をする
  (池)ちかき所にははりまの
  (四オ/四オ/050327/153⑤/20/202)

9 光源氏は話を聞いて、誇り高いという明石の入道の娘に興味を持つ
  (池)さいつころまかりくたりて
  (五ウ/五オ/050420/154①/23/203)

10 明石の入道は上昇志向が強く娘は容貌と気立てが良いとの話が出る
  (池)けしうはあらす
  (六オ/五オ/050478/154⑥/25/203)

11 供人たちは明石の入道の娘を洗練されていない娘であると言い合う
  (池)かくいふははりまのかみの
  (六ウ/六オ/050529/154⑫/27/204)

12 娘を気にする光源氏を、供人は風変わりを好む性質があると察する
  (池)君なに心ありて
  (七オ/六ウ/050589/155④/29/204)

13 都へ帰ろうとした光源氏は大徳の言葉に従って明け方まで滞在する
  (池)くれかゝりぬれと
  (七ウ/六ウ/050615/155⑦/30/205)

14 夕暮れ時に僧房をかいま見た光源氏は、気品のある尼君を見つける
  (池)日もいとなかきに
  (八オ/七オ/050653/155⑪/32/205)

15 光源氏は二人の女房と女童たちの中にかわいらしい少女を見い出す
  (池)きよけなるおとなふたり
  (八ウ/七ウ/050718/156④/34/206)

16 幼い紫の上は、尼君に「雀の子を犬君が逃がした」と泣いて訴える
  (池)なにことそやわらはへと
  (九オ/八オ/050753/156⑨/35/206)

17 雀を逃がして残念そうな紫の上の様子に少納言の乳母が立ち上がる
  (池)このゐたるおとな
  (九ウ/八ウ/050778/156⑪/37/206)

18 尼君は自らの余命の少なさを語りつつ雀を追っている紫の上を諭す
  (池)あま君いてあなおさなや
  (九ウ/九オ/050809/157①/38/207)

19 光源氏は、思いを寄せる藤壺に紫の上が本当によく似ていると思う
  (池)つらつき
  (十オ/九オ/050836/157④/39/207)

20 尼君は亡くなった娘の話をしつつ、少納言の乳母と歌を詠み交わす
  (池)あま君かみを
  (十ウ/九ウ/050871/157⑦/40/207)

21 僧都から光源氏の訪れを聞いた尼君は、恥じて簾をおろしてしまう
  (池)僧都あなたよりきて
  (十一ウ/十オ/050951/158④/43/208)

22 僧都は尼君に、世間で評判である光源氏の姿を見てみないかと誘う
  (池)このよにのゝしり給ふ
  (十二オ/十ウ/050992/158⑧/44/209)

23 光源氏は紫の上に強く心をひかれ、藤壺の身代わりにしたいと思う
  (池)あはれなる人をみつるかな
  (十二オ/十一オ/051024/158⑪/45/209)

24 僧都の弟子は、光源氏が臥せるところにやって来て惟光を呼び出す
  (池)うちふし給へるに
  (十二ウ/十一ウ/051057/159①/47/210)

25 僧都の弟子を通じて、光源氏はなにがしの僧都の招きを受け入れる
  (池)いぬる十よ日の
  (十三オ/十二オ/051097/159⑥/48/210)

26 折り返し参上したなにがしの僧都とともに、光源氏は僧坊を訪れる
  (池)すなはち僧都まいり給へり
  (十三ウ/十二オ/051128/159⑨/49/210)

27 光源氏を招くため、僧坊にある南面の部屋はさっぱりと整っている
  (池)けにいと心ことに
  (十四オ/十二ウ/051173/160①/51/211)

28 光源氏は夢にかこつけて僧都から紫の上のことを聞き出そうとする
  (池)僧都よのつねなき御ものかたり
  (十四ウ/十三オ/051210/160⑤/52/211)

29 僧都は光源氏に、妹の尼君が故按察使大納言の北の方であると語る
  (池)うちわらひて
  (十五オ/十三ウ/051265/160⑩/54/212)

30 光源氏は僧都に故大納言と尼君の間に生まれた娘について質問する
  (池)かの大納言のみむすめ
  (十五ウ/十四オ/051309/161①/56/212)

31 紫の上の素性を知った光源氏は、藤壺に似ていることに合点がいく
  (池)さらはそのこなりけり
  (十六オ/十四ウ/051383/161⑧/59/213)

32 紫の上のことがいっそう気になった光源氏は、僧都に詳しく尋ねる
  (池)いとあはれにものし給ふ
  (十六ウ/十五オ/051412/161⑨/59/213)

33 光源氏は僧都に幼い紫の上を後見することを尼君に話すように頼む
  (池)あやしきことなれと
  (十七オ/十五ウ/051449/162①/61/214)

34 僧都は光源氏に、尼君に相談した上で返事をすると答えて堂に上る
  (池)いとうれしかるへき
  (十七ウ/十五ウ/051476/162④/62/214)

35 光源氏は悩ましい気持ちになり、夜が更けても眠ることができない
  (池)君は心ちもいとなやましきに
  (十八オ/十六オ/051530/162⑩/64/215)

36 奥の人が休んでいない気配を感じた光源氏は扇を鳴らして人を呼ぶ
  (池)うちにも人の
  (十八ウ/十六ウ/051569/162⑭/65/215)

37 歌を詠んだ光源氏は、女房に尼君へ取り次いでもらうようにと頼む
  (池)すこししそきて
  (十九オ/十七オ/051606/163④/67/215)

38 光源氏が紫の上にあてた歌を耳にした尼君は歌の内容を不審に思う
  (池)あないまめかし
  (十九ウ/十七ウ/051670/163⑫/69/216)

39 歌を返した尼君に対し、光源氏は紫の上への切実な気持ちを訴える
  (池)かうやうのつてなる
  (二十オ/十八オ/051703/164③/70/217)

40 困惑している尼君の気づまりな態度に光源氏は謙虚な言葉をかける
  (池)うちつけにあさはかなりと
  (二十ウ/十八ウ/051747/164⑧/72/217)

41 光源氏は尼君に自分の体験を語りつつ、紫の上との結婚を申し出る
  (池)あはれにうけ給はる
  (二十一オ/十九オ/051773/164⑪/73/217)

42 尼君は紫の上が幼く不似合いなことを理由に光源氏の申し出を断る
  (池)いとうれしうおもひ
  (二十一ウ/十九ウ/051814/165②/75/218)

43 僧都がお勤めから帰って来られたので光源氏は尼君の前を退出する
  (池)僧都おはしぬれは
  (二十二オ/051870/165⑨/77/218)

44 明け方、深山の景色を見ながら、光源氏は僧都と和歌の贈答をする
  (池)あかつきかたになりにけれは
  (二十二ウ/二十オ/051880/165⑩/77/219)

45 身動きできぬ聖は、光源氏のために護身の修法をして陀羅尼を読む
  (池)ひしりうこきも
  (二十三オ/二十ウ/051948/166③/79/219)

46 光源氏は迎えの人からの祝いと僧都から酒などのもてなしを受ける
  (池)御むかへの人々
  (二十三オ/二十一オ/051967/166④/80/220)

47 杯をいただいた聖は涙をこぼして光源氏を拝み、守りの独鈷を渡す
  (池)ひしり御かはらけ
  (二十四オ/二十一ウ/052052/166③/83/219)

48 紫の上を引き取りたい光源氏に尼君は四五年先ならばと返事をする
  (池)うちにそうついり給て
  (二十五オ/二十二ウ/052124/167⑩/86/222)

49 光源氏を迎えに頭中将や左中弁たちなどの公達が都からやって来る
  (池)御車にたてまつる程
  (二十五ウ/二十三オ/052190/168②/88/222)

50 頭中将は懐の横笛を出して吹き、弁の君は扇を鳴らし催馬楽を謡う
  (池)頭中将ふところなりける
  (二十六ウ/二十三ウ/052248/168⑧/90/222)

51 僧都も自分から琴を持ち出して、光源氏に琴を弾いてほしいと頼む
  (池)そうつきんを身つから
  (二十七オ/二十四オ/052289/168⑬/92/223)

52 光源氏の姿に法師と童べは感涙し、尼君たちや僧都は彼を絶賛する
  (池)あかすくちおしと
  (二十七オ/二十四ウ/052317/169①/93/224)

53 幼心に光源氏に思いを寄せる紫の上は、人形に源氏の君と名付ける
  (池)このわかきみおさな心ちに
  (二十七ウ/二十五オ/052359/169⑥/94/224)

54 帰京した光源氏は、宮中へあいさつに伺って父桐壺の帝と対面する
  (池)きみはまつは内にまいり給て
  (二十八オ/二十五オ/052399/169⑩/95/225)

55 宮中を出た光源氏は、正妻葵の上の実家である左大臣邸へと向かう
  (池)大殿まいりあひ給て
  (二十八ウ/二十五ウ/052433/169⑭/97/225)

56 光源氏は久しぶりに葵の上と対面するものの、二人の心は通わない
  (池)殿にもおはしますらんと
  (二十九オ/二十六オ/052482/170⑤/99/226)

57 古い歌を引用して恨み言を述べる葵の上を光源氏は避けようとする
  (池)からうしてとはぬは
  (三十オ/二十七オ/052574/170⑭/102/226)

58 光源氏は葵の上への不満と反対に紫の上への思いが強くなっていく
  (池)かのわかくさのおひいてむ
  (三十ウ/二十七ウ/052635/171⑩/104/227)

59 帰京した翌日、光源氏は僧都や尼君などがいる北山へ消息をおくる
  (池)又のひ御文たてまつれたまへり
  (三十一オ/二十八オ/052682/171⑫/106/228)

60 僧都からの返事を残念に思った光源氏は、惟光を使者として遣わす
  (池)僧都の御返もおなしさまなれは
  (三十二ウ/二十九オ/052774/172⑩/109/229)

61 惟光は少納言の乳母に面会するものの、周囲の人々から警戒される
  (池)わさとかう御文あるを
  (三十二ウ/二十九ウ/052806/172⑬/111/229)

62 光源氏は王命婦の手引きで、病気で里邸に退出中の藤壺と密通する
  (池)ふちつほの宮なやみたまふ
  (三十三ウ/三十オ/052889/173⑧/113/230)

63 光源氏は邸に帰った後、藤壺と密通したことを思い悩んで泣き臥す
  (池)殿におはしてなきねにふしくらし
  (三十五オ/三十一ウ/053016/174⑩/118/232)

64 藤壺の懐妊という密通の結末を、王命婦はあまりに嘆かわしく思う
  (池)宮も猶いと心うき身なりけりと
  (三十五ウ/三十二オ/053047/174⑬/119/232)

65 ただ事ではない異様な夢を見た光源氏はわが身に起こる運命を知る
  (池)中将のきみもおとろ/\しう
  (三十七オ/三十三オ/053160/175⑫/123/233)

66 七月になり、宮中に帰参した藤壺へ桐壺の帝の寵愛はいっそう増す
  (池)七月になりてそまいり給ひける
  (三十七ウ/三十四オ/053233/176⑥/125/234)

67 光源氏は六条京極から帰る途中に、帰京して療養中の尼君を見舞う
  (池)かのやまてらの人は
  (三十七ウ/三十四ウ/053288/176⑫/127/235)

68 病床の尼君は、紫の上が成長した暁には光源氏に託すことを決める
  (池)いとむつかしけに侍れと
  (三十九ウ/三十五ウ/053416/177⑫/132/237)

69 光源氏は紫の上の無邪気な声を聞き清純な彼女にいっそうひかれる
  (池)いとちかけれは心ほそけなる
  (四十ウ/三十六ウ/053492/178⑥/135/238)

70 翌日、光源氏は尼君への見舞いとともに紫の上へも結び文をおくる
  (池)又のひもいとまめやかに
  (四十二オ/三十七ウ/053620/179⑤/139/238)

71 十月に朱雀院の行幸が予定され、舞人は練習など多忙な日々を送る
  (池)十月にすさく院の行幸あるへし
  (四十三オ/三十八ウ/053711/180①/143/239)

72 尼君の死去という知らせが届き光源氏は母更衣との死別を思い出す
  (池)やまさと人にも
  (四十三オ/三十九オ/053744/180④/144/240)

73 夜、光源氏は自分から、忌みの期間が終わった紫の上の邸を訪れる
  (池)いみなとすきて京のとのに
  (四十四オ/三十九ウ/053797/180⑩/146/240)

74 光源氏は少納言の乳母に紫の上への気持ちを伝えて歌を詠み交わす
  (池)なにかかう
  (四十五オ/四十ウ/053894/181⑦/149/241)

75 尼君を恋い慕って泣く紫の上は、訪問した光源氏を父と勘違いする
  (池)きみはうへをこひきこえ給て
  (四十五ウ/四十一オ/053959/182①/152/242)

76 少納言の乳母は紫の上を年よりも幼い様子であると光源氏に伝える
  (池)宮にはあらねと
  (四十六オ/四十一ウ/053986/182④/153/242)

77 幼い紫の上の手を強引にとらえる光源氏に少納言の乳母は困惑する
  (池)てをとらへたまへれは
  (四十六ウ/四十二オ/054049/182⑪/155/243)

78 あられが降り風が激しく吹く夜、光源氏は紫の上の御帳の中に入る
  (池)あられふりあれて
  (四十七オ/四十二ウ/054106/183②/157/244)

79 少納言の乳母がため息をつく中、光源氏は紫の上に一晩中寄り添う
  (池)めのとはうしろめたなう
  (四十七ウ/四十三オ/054149/183⑦/158/244)

80 女房たちは、悪天候の中での光源氏の訪問が心細さを慰めたと話す
  (池)夜ひとよ風ふきあるゝに
  (四十八ウ/四十三ウ/054209/183⑭/160/245)

81 尼君の四十九日後に、兵部卿宮は紫の上を邸に引き取る意向を示す
  (池)宮も御むかへになと
  (四十八ウ/四十四オ/054258/184⑤/162/245)

82 紫の上と別れた後、光源氏はかつて通った女性の家の門を叩かせる
  (池)いみしうきりわたれる
  (四十九ウ/四十四ウ/054287/184⑨/163/246)

83 光源氏は紫の上のかわいらしい面影が恋しくて文を書き絵をおくる
  (池)おかしかりつる人の
  (五十オ/四十五オ/054351/185④/166/247)

84 父兵部卿宮は少納言の乳母に、紫の上を引き取ることをうち明ける
  (池)かしこにはけふしも
  (五十ウ/四十五ウ/054377/185⑥/167/247)

85 紫の上の着物がしおれているのを目にした兵部卿宮は、娘を憐れむ
  (池)ちかうよひよせたてまつり
  (五十一オ/四十六オ/054425/185⑪/168/248)

86 少納言の乳母の言葉と紫の上の様子に兵部卿宮はもらい泣きをする
  (池)よるひるきこゑ給に
  (五十一ウ/四十六ウ/054484/186④/170/248)

87 紫の上は幼いながらも、自分の身の上と今後の事を思って涙を流す
  (池)ゆくさきのみの
  (五十二オ/四十七オ/054542/186⑨/171/249)

88 光源氏は宮中へ行く自分の代わりに、惟光を紫の上の屋敷に遣わす
  (池)きみの御もとよりはこれみつを
  (五十二ウ/四十七ウ/054588/186⑭/173/249)

89 少納言の乳母は、屋敷を訪問した惟光へ自分の考えと不安を訴える
  (池)少納言はこれみつに
  (五十三オ/四十八オ/054632/187⑤/175/250)

90 光源氏は惟光から父兵部卿宮が紫の上を引き取る予定であると聞く
  (池)まいりてありさまなときこゑけれは
  (五十四オ/四十八ウ/054698/187⑬/177/251)

91 左大臣邸に来ている光源氏は惟光に紫の上を連れ出すことを命じる
  (池)きみは大殿におはしけるに
  (五十四ウ/四十九ウ/054757/188⑥/179/251)

92 思案のあげく、光源氏は滞在中の左大臣邸から夜明け前に出かける
  (池)きみいかにせまし
  (五十五ウ/五十オ/054827/188⑬/182/252)

93 少納言の乳母が応対に出るものの光源氏は制止も聞かずに奥へ入る
  (池)かとうちたゝかせ給へは
  (五十六オ/五十ウ/054889/189⑦/184/253)

94 光源氏は父宮の使いであると嘘をついて、寝ている紫の上を起こす
  (池)きみはなに心もなくね給へるを
  (五十七オ/五十一ウ/054963/190①/187/254)

95 二条院へ誰か来るようにと指示して、光源氏は紫の上を連れて行く
  (池)きこゆこゝにはつねにも
  (五十七ウ/五十二オ/055006/190⑤/189/254)

96 少納言の乳母は困惑するものの紫の上のことを思って涙をこらえる
  (池)二条院はちかけれは
  (五十八ウ/五十二ウ/055081/190⑬/191/255)

97 紫の上のために、光源氏は通常は使わない対屋に調度などを整える
  (池)こなたはすみ給はぬたいなれは
  (五十九オ/五十三オ/055147/191⑥/193/256)

98 二条院へ連れてこられた紫の上は、気味が悪くなり体をふるわせる
  (池)わかきみはいとむけつけう
  (五十九ウ/五十三ウ/055173/191⑩/195/256)

99 少納言の乳母は、輝くばかりの立派な二条院で間の悪い思いをする
  (池)あけゆくまゝにみわたせは
  (六十オ/五十四オ/055205/191⑬/196/256)

100 かわいらしい女童を呼び寄せた光源氏は休んでいた紫の上を起こす
  (池)御てうつ御かゆなと
  (六十ウ/五十四ウ/055247/192④/197/257)

101 紫の上の気をひこうと、光源氏は面白い絵などを見せて相手をする
  (池)御かたちは
  (六十一オ/五十五オ/055301/192⑨/199/257)

102 紫の上は光源氏が留守にしている間に、二条院のあちこちを見回す
  (池)ひんかしのたいにわたり給へるに
  (六十一ウ/五十五オ/055341/192⑭/201/258)

103 留守にする光源氏は紫の上のために手習いの手本などを残していく
  (池)きみは二三日内へも
  (六十一ウ/五十五ウ/055377/193③/202/258)

104 光源氏は紫の上へ手習いを教え、人形などの家を作って一緒に遊ぶ
  (池)いてきみもかいたまへとあれは
  (六十二オ/五十六オ055428/193⑨/203/259)

105 事情を知らぬ兵部卿宮は紫の上の失踪を嘆き、少納言の乳母を疑う
  (池)かのとまりし人々は
  (六十三オ/五十七オ/055505/194④/206/260)

106 継母の北の方は、紫の上を意のままにできなくなったのを残念がる
  (池)きたのかたも
  (六十四オ/五十七ウ/055584/194⑫/209/260)

107 紫の上は尼君を慕って泣く時があるものの、光源氏にもなれ親しむ
  (池)やう/\人まいりあつまりぬ
  (六十四オ/五十八オ/055597/194⑭/210/261)

108 光源氏は、かわいらしい紫の上を「風変わりな秘蔵っ子」だと思う
  (池)ものよりおはすれは
  (六十四ウ/五十九オ/055646/195⑤/211/261)
 
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2016年9月13日 (火)

千代田図書館での古書販売目録の調査の方針変更

 朝から雨模様です。
 午前中は、九段坂病院で診察と治療を受けました。
 お昼に終わると、すぐ前に聳え立つ10階建ての千代田区役所へ移動です。
 今日は千代田図書館で、古書販売目録の調査をすることになっているのです。

 まず、その最上階にあるレストランで、昼食をいただきました。
 一人で外食をすると、突然ノドを通らなくなったり、腹痛に見舞われることがよくあります。そのため、外で一人の時は、安心安全な和定食にしています。

 展望ガラス越しに皇居を眺めました。清水門のまわりの緑と清水濠の水草の緑が小雨に煙っていて、微妙な色の深さと変化が印象的です。


160913_simizumon


 午後1時前に、1階のロビーに降りました。日比谷図書文化館での講座に参加しておられる4人の方と待ち合わせです。体験を兼ねたお手伝いに来てくださったのです。なかなか得難い体験ができると思い、お誘いしました。

 この古書販売目録の調査は、遅々として進んでいません。しかも、これまでに見終えたものは、全体の百分の一に過ぎません。

 中途半端なままで打ち切りとなることを避ける意味からも、今日の調査からは『源氏物語』に関する写真が掲載されているものだけに限定して採録し、その写真は画像として記録することにしました。
 これまでは悉皆調査をしていたので、目録に掲載されているすべての書目に目を通し、『源氏物語』に関係する情報を抜き出していました。
 実は、これが意外と脇道に逸れやすく、つい目的を忘れて膨大な書物の森に誘われてしまいます。いろいろなことに興味が拡散し、いつしか時の経つのも忘れていることが多かったのです。

 それを、『源氏物語』の写真が掲載されているものだけとなると、かかる時間も手間も入力作業も格段に減ります。

 この方針転換により、加速度的に調査が進捗しました。おまけに、今日は4人の助っ人がいらっしゃいます。

 今日の驚異的な作業により、「即売会1〜24」「展覧会1〜4」の2つのグループの収納ケースが終わりました。私1人が、これまでの方針で取り組んでいたら、今日のこの量をこなすのに3年以上はかかっていたことでしょう。

 ただし、写真掲載の情報だけを抜き出す方法にも、当然のことながら危ういとこがあります。
 例えば、次のような記事が見つかると、やはり写真がないからといってパスするわけにはいきません。


160913_geinjilist


 これは、昭和25年3月30日・31日に東京古書会館で開催された「古書即売展出品目録」(資料番号:5905、東京古典会)の一部です。

 これには追加目録もあります。


160914_tuika


 この追加目録に掲載されている次の上段末尾の記事は、またいつ出合えるかもしれないものなので、この謄写刷りの写真だけは撮っておきました。


15 源氏物語 室町時代書写 紹巴ノ本ヲ以テ句切朱点 箱入 五 一、八〇〇
  ○紅葉の賀○みをつくし○よもきふ○朝顔○ふちはかま
16 源氏物語紹巴抄 里村紹巴(紫源抄) 原装極上本 三〇 三、五〇〇

 しかし、こんなことがあるからといって、また悉皆調査の手法ですべてを見るのは、いくら時間があってもきりがないのです。やはり今後は、こうしたものは目に付いたら写真に残しておくことに留めます。

 今回は、手際よくどんどん付箋で目印をつけてもらい、それを私がパソコンに入力しては撮影しました。ただし、私のデータ記録が追いつかず、次はその入力をから始めることになります。
 しかし、この写真が掲載された『源氏物語』に関する情報を収集するだけでも、貴重なデータ群となります。

 確かに、DVDに収録されている別のデータベースで『源氏物語』だけを検索する方法もあります。しかし、やはり一冊ずつ目録を見ていくことの正確さは、比較にならないほどの意義があります。

 今後は、今日からの新しい方針で、ひたすら前に向かって進んでいくことにします。
 この調査に興味をもたれた方は、このコメント欄を通してお知らせください。
 次回の調査日時などをお知らせします。
 
 調査を終えてから、みなさんと一緒に九段下駅の近くのお店「ネバーランド カフェ」で、少しお酒を口にしながら楽しい一時を過ごしました。おつまみはチーズだけというシンプルなテーブルでした。しかし、古典から政治までと多彩な内容で、なかなか得難い時間を共にすることができました。遅くまで、ありがとうございました。そして、お疲れさまでした。

 さらには、このお店を教えてくださった千代田図書館の河合さんとコンシェルジュの方にも、お礼を申し添えます。いいお店でした。
 
 
 

2016年9月12日 (月)

国文研蔵「橋本本 若紫」〈その4〉傍記の削除と書写者

 橋本本「若紫」は、書写の過程や書写後に、丹念な削除による本文の補訂をしています。本行はもちろんのこと、傍記にもその跡が数多く確認できます。

 まず、1丁表の5行目にある例をあげます。


160912_mu0


 この行間で、一文字が擦り消されていることがわかります。
 ここは、「~き堂【山】なな尓可し~」と書写しているところです。
 この「る」にミセケチ記号である「=」を付け、その右に「む」かと思われる一文字が書かれていたようです。ここで、傍記が「む」であったのではないかと思うのは、紙面を削った跡の繊維を目で追うと、「む」のように見えるからです。

 この箇所を拡大鏡を取り付けたカメラで撮影すると、次のような画像が得られました。


160912_mu1


 残った墨痕と削られた繊維の流れから、ここに書かれていたのは確かに「む」であることがわかります。さらに、ミセケチ記号の「=」は削除していないこともわかります。

 参考までに、諸本と本文を較べてみました。
 確かに、「北山なる」と「北山になむ(ん)」の2種類の本文が伝わってきています。そして、橋本本は「北山なる」のグループに属する本文を伝承しているのです。私が〈甲類〉とするグループです。流布本として読まれている大島本とは異なるグループです。
(なおここでも、翻字は「変体仮名翻字版」が間に合わないので、復元性の低い従来の翻字で掲示します。)

 きた山なる[尾高尾]

 北山なる[天]

 きた山に[中]

 きた山になむ[大肖]

 きたやまになむ[保]

 北山になん[麦阿]

 きた山になん[陽御国穂]

 きたやまになん[池日伏]

 書写者あるいは校訂者は、「き堂【山】なる」と書き、その後、「る」をミセケチにして異文である「む」と傍記して「き堂【山】なむ」という本文に補訂したのです。しかし、どうしたことか、傍記の「む」を後で削除することになったのです。

 ここは、本文を書写した時点での本文訂正や校訂ではなくて、書写後に他本で本文を校訂したか、親本の書写状態をそのまま写し取ったけれども不要と判断したものかと思われます。書写者ではなく、校訂者の判断が入っている箇所です。
 また、削除した文字の一部が残っていることと、ミセケチ記号に削除の手が入っていないので、補訂が不徹底なままに放置されている例ともなっています。

 本書の削除は徹底的に削る傾向があります。書写し始めてすぐのことでもあり、後の人の手ではないかと思っています。

 次は、11丁裏の8行目にある例です。


160912_koso0


 これは、本行の「く」の右側に補入記号の「◦」を付した上で、傍記として「ものし給」と書かれているところです。
 ここをよく見ると、傍記の「給」の下に文字が削除されたかと思われる、紙面の乱れが認められます。

 拡大写真を撮ると、次のようになっていることがわかりました。


160912_koso2


 諸本の本文とも対照させると、ここで削られた文字は「こ楚」であることが判明します。そう思ってみると、確かに残っている墨痕と削られた繊維の流れから、そのような文字が浮かび上がります。ただし、私が現在までに確認した17本すべてに「こそ」があるので、橋本本がこの「こそ」を削除している意味は不明です。

 国文学研究資料館所蔵の橋本本「若紫」には、こうした本文を補訂するために紙面を削った痕跡が無数にあるのです。

 この写本がどのようにして書写され、どのような訂正の手が入ったものかを、こうしてなぞられた箇所から推測することを、これからも時間をかけて点検し確認していくつもりです。それによって、書写や校訂された現場の再現が可能になると思っています。

 写本が出来るその裏側で、その時代の人がどのように関わってきたのかは、非常に興味深い問題を提示してくれます。特に、なぞられた箇所は、書写者や校訂者の強い意思を伴った営為が読み取れるので、本が写された時代の人々のありようを探求する上で、貴重な情報や読み解く資料がもらえるのです。

 私はまだ、興味のおもむくままに写本の背景を想像して楽しんでいるレベルです。しかし、こうした訓練を続けていると、いつか書写者に、この写本で言えば鎌倉時代の人と気持ちが通じるのではないかと、それを楽しみにして読み続けています。

 物語の内容と共に、写本を書き写している人とも対話を楽しんでいるのです。
 
 
 

2016年9月10日 (土)

国文研蔵「橋本本 若紫」の破損個所〈その3〉

 国文研蔵「橋本本 若紫」の後半には、綴じ目から大きく破損した個所があります。
 その中でも、微かに読める部分は、最大限の方策を尽くして読み取るようにしています。

 国文学研究資料館からいただいた画像データで、61丁裏と62丁表の見開き下の部分を例にあげて確認します。


160910_musi2


 上掲画像の右側から左へと翻字すると、次のようになります。

~閑く八あ里

〜ん△△△□

——————

〜ふ可△△□

    さし

〜ひしよ里も

 右から2行目を無理やり読めば、「ん」の次が「よ」の頭らしく見えます。その次は「き」の右半分、その次は「れ」の右側のように見えます。
 欠けている文字の境界を確認すれば、さらにこの文字が推測しやすくなるはずです。
 この個所の破損状況がよくわかるようにするために、実見による調査の際、裏に白紙を差し入れて背景をなくして際立たせてみました。


160910_musi1


 これで、破損個所のありようが明らかになりました。そして、微かに残った文字の残存部分から、書かれていた文字がより正確に推測できるようになりました。
 さらに、この箇所での諸本の本文を確認することにより、それがさらに明確になります。
 昨日もそうであったように、まだ「変体仮名混合版」での翻字が進んでいないので、ここでは再現性に問題があるのを知りつつも従来の翻字で確認しています。

 手元の翻字本文資料で確認したところ、右から2行目下の諸本はすべて「よきなと」(陽明文庫本だけは「よきなんと」)となっています。
 橋本本のこの破損個所は、「よきなと」と書かれていたと思われます。

 次に、その左丁一行目下の諸本の異同は、次のようになっていました。

かほ△…△/ほ〈判読〉[橋]・・・・055301

 かほかたちは[尾中高天尾]

 御かたちは[大麦阿池御国日穂保伏]

 御かたちは/=ミ[肖]

 御かほかたちは[陽]

さしはなれて[橋=大中麦阿陽池御肖日穂保伏高天尾]・・・・055302

 さしはなれて/△〈削〉れ[尾]

 さしはなれて/は〈改頁〉[国]

 ここでも、「若紫」の本文は2つにしか分別できないことがわかります。
 そのことは今は措き、破損個所の推測をします。

 橋本本の破損個所は、同じグループ[尾中高天尾]が伝える「かほかたちは」だったと思われます。もう一つのグループ(現在の流布本となっている大島本等)の「御かたちは」ではない、ということです。ここからも、この橋本本は現在流布する大島本による本文とは異なることばを伝える写本だったことがわかります。

 行末の左側に「さし」が書き添えられています。これは、次に続く「さしはなれて」の語頭の部分を、親本通りに一行目に書写しようとしたために、左横にはみ出して書かれたものです。それだけ、この写本は親本に忠実に書写しようとする姿勢が見られるものだといえます。

 こうしたことを勘案すると、ここは、次のように書かれていたことが判明します。文字が欠脱していて推測する手だてがまったくない場合は、□を使って示します。
 


閑く八あ里

よき那(判読)

——————

ふ可本(判読)△□□□

   さし

ひしよ里も


 この箇所では、白紙を差し込むことで、新たに文字が読めるようになることはありませんでした。
 麦生本(天理図書館蔵)は膨大な虫食いがある写本であり、穴から下の文字が見えるために、写真資料だけでは線が重なって別の文字に読めたりしました。そこで、図書館の司書の方の手を煩わせて、薄様等を差し入れて読んだことを思い出します。

 麦生本などの翻字において、影印資料だけではとんでもない翻字をすることがある、という経験をしたので、この橋本本でも慎重に対処しました。幸いなことに、そうした微妙な判断を伴う例はなかったことに安堵しています。
 
 
 

2016年9月 9日 (金)

国文研蔵「橋本本 若紫」のナゾリ〈その2〉(本文2分別のこと)

 古写本『源氏物語』のなぞりに関して、国文研蔵「橋本本 若紫」の書写状態を確認しています。

 58丁表の6行目には、昨日取り上げた「多つねいて・堂万へらん」に続けて、「いと・春ゝろ尓(改行)」とあります。


160909_suzuroni1


 この行末の「春ゝろ尓」という箇所には、2つのなぞりが確認できます。

 まず、「春ゝろ尓」の「春」とある文字では、その文字の下に「そ」が隠れていることが精細な写真からもわかります。「そ」と書いた後、その上から「春」をなぞっています。


160909_su


 行末の「尓」にも、なぞりがあります。


160909_ni



 ここでは、「八志」と書いた文字を紙面から削り、その上に「尓」と書いています。

 つまり、ここでは「いと・そゝろ八志」と書いて改行する時に、「そ」の上に「春」をなぞって書き、「八志」という2文字については、削った後に大きく「尓」と書いているのです。
 こうして、最終的な文字は「春ゝろ尓」となります。

 このようになぞった原因としては、次の行が「者し多那可るへき」と続くことから、次の行頭の「者し多…」の「ha si」という音が書写者の意識に残っていたことが考えられます。

 古写本では、行末や丁末にケアレスミスが多発します。それは、親本を手で書き写しながら、目は次の行や次のページに移っているからです。書写する人の気持ちは、次へ次へと流れていっているので、改行や改丁という物理的な変化が、書写者のミスを誘発するのです。先を見る視線の移動と、筆で文字を書く手の動作とが、この行末や丁末でズレが生まれるのです。

 書かれている本文に立ち入って、もう少し詳しく説明します。

 私がこれまでに「若紫」で翻字した15本の写本の本文を較べると、次のような本文の異同が確認できます。まだ「変体仮名翻字版」のデータベースが出来ていないので、非常に不正確ながらも従来の現行ひらがなだけを使った翻字による校合結果を示します。(こんな問題を考える時には、変体仮名の使われ方がわかる「変体仮名翻字版」で校合できる日が待ち遠しく思われます。)

いと[橋=尾中陽高天]・・・・054849

 ナシ[大麦阿池御国肖日穂保伏]

すゝろに/そ&す、はし〈削〉に[橋]・・・・054850

 すゝろに[尾中陽高]

 はしたなう[大麦阿池御国肖日穂保伏]

 心に[天]

はしたなかるへきをと[橋=尾中陽高天]・・・・054851

 すゝろなるへきをと[大麦阿池御肖保伏]

 すゝろなへきをと[国日]

 そゝろなるへきおと[穂]

 「いと」を始めとして、この異文を見ると、橋本本と同じ本文を伝えるのは[橋尾中陽高天]の6本であることがわかります([天]は少し違いますが)。今、煩わしくなるので、諸本の略号の説明は省略します。
 そして、ここからだけでも、本文が2つにわかれることがわかります。

 池田亀鑑は、『源氏物語』の本文を、〈青表紙本・河内本・別本〉の三つに分類しました。しかし、この諸本分類の基準については、近年さまざまな形で問題点の指摘がなされ、今は再検討の時期に入っています。阿部秋生氏の『源氏物語の本文』(昭和61年、岩波書店)以来、『源氏物語』の本文はその足元がすでに不安定な状態になっていたのです。

 古典の中でもよく読まれる『源氏物語』において、その基礎的研究とでもいうべき本文研究は、非常に遅れています。80年もの長きにわたり、停滞ではなくて停止しているのです。
 大島本が微に入り細に渡って読まれ続けています。しかし、大島本には独自異文が多いこともよく知られているので、いったい今なにを読んでいるのかを自覚する必要があります。この大島本が現状では『源氏物語』を理解する唯一の本文なので、この研究環境は基本的なところから整備する必要を痛感しています。
 その背景には、池田亀鑑が成した仕事の大きさが横たわっています。私は、呪縛だと思っています。
 と言いながら、もう30年が過ぎようとしています。
 自分のためにも、本記事の末尾で一つの方向性を示すことにしました。

 さて、池田亀鑑は『源氏物語大成』の「校異源氏物語凡例」で、「原稿作成ノ都合上、昭和十三年以後ノ発見ニ係ル諸本ハ割愛シタ。」(五頁)と言っています。このことから、『源氏物語』の本文を〈青表紙本・河内本・別本〉の三つに分類できるのは、昭和13年までに確認された『源氏物語』の本文資料を整理した場合にのみ適用できることだといえるのです。

 昭和13年以降になると、さらに多くの写本が見つかり、さまざまな本文が紹介されています。今ここで取り扱っている国文研蔵本の橋本本「若紫」も、池田亀鑑は見ていないと思われます。
 昭和13年以前に池田亀鑑が確認した写本だけで『源氏物語』の本文のことを考えるのは、もうやめた方がいいと思います。今年は平成28年なので、80年前のモノサシで今の『源氏物語』の本文を考えるのは、とにかく生産的ではありません。
 〈青表紙本・河内本・別本〉という分別が、解説などで便利に使われています。しかし、これは見当違いなモノサシで『源氏物語』の本文を見ることなので、大いに問題だと思っています。

 私は、〈河内本群〉と〈別本群〉という2分別の私案を経て、現在は〈甲類〉と〈乙類〉という2分別の試案を提示しています(「源氏物語本文の伝流と受容に関する試論 —「須磨」における〈甲類〉と〈乙類〉の本文異同—」『源氏物語の新研究』横井孝・久下裕利編、新典社、2008・10、拙著『源氏物語本文の研究』平成14年、おうふう 所収)。簡単にいうと、従来の河内本は〈甲類〉の中心となることが多いようです。

 その視点で「若紫」を通覧すると、上記の例示だけでも、きれいに2つのグループに本文がわかれる様子が確認できます。

 ややこしい話は、これくらいにして、当面の橋本本「若紫」に書写された本文をみましょう。
 上記の本文異同から、書写されていた環境を考えます。

 「すゝろ」という言葉に対して、「そゝろ」ということばが穂久邇文庫本に書かれています。
 橋本本が最初に「そゝろ」と書いたのは、こうした本文が伝流していたことが関係しているかもしれません。親本にそうしたメモとしての注記があったことなどが想定できます。最初に書かれた「そゝろ」という文字列は、書写者の単純なミスとするのではなく、根拠のあるミスだと考えていいでしょう。

 また、「はしたなう」ということばが「すゝろ」よりも前に出ている、語句が転倒した本文を、橋本本とは別のもう一つのグループが伝えています。
 現在一般的に読まれているのは、大島本によって作られた校訂本文だけです。その大島本は、この橋本本とは対極にある、もう一つのグループに属しています。
 そして、「八志」と書いた文字を刃物を使って紙面から削り、その上に「尓」と書いているのです。これも、「はしたなう」に続く書写文字の影響があると考えられます。
 実際に、次の行頭のことばが、その直前の行末に先取りして書かれることはよくあります。目と手が異なる動きをすることによる、混乱から生じた書写ミスです。

 この「すゝろ」と「はしたなう」ということばが入れ替わっていることに関して、私は傍記の本行への混入によって異文が発生する、ということを考えています。
 このことは煩雑になるので、また別の機会にします。

 いずれにして、本文が2つにわかれる中でこの橋本本を読むということは、大島本とは異なることばが散見する橋本本という新たな『源氏物語』を読むことになります。これまでは、大島本の校訂本文しか提供されていなかったので、その大島本しか読めませんでした。というよりも、活字で公刊された大島本の校訂本文だけを、一般には読んでいました。
 しかし、こうして、また別の本文で語られる『源氏物語』を読む楽しみが出てきたのです。これは、文学の受容の問題としても、おもしろいことです。
 ここで取り上げた橋本本のなぞりを手掛かりにした本文異同の諸相は、興味深い問題を投げかけてくれます。

 何十年も前から、『源氏物語』の本文研究が数十年も停止している、と言ってきました。ここでも、同じことの繰り返しで恐縮しています。
 このことについては、何度も聞いた方は聞き流し、何度も読んだ方も読み飛ばしてください。

 なお、現在私は机の横で、『もっと知りたい 池田亀鑑と『源氏物語』 第3集』(新典社、336頁、平成28年9月30日 刊行予定)の最終校正を終えたところです。池田亀鑑の顕彰をしながら、こうして池田亀鑑の本文分別に異論を唱えているのです。
 学問というのは、対立するのではなくて共存する中で、さまざまな展開を見せるもののようです。
 異なるベクトルを我が身に抱え込んで、いろいろと試行錯誤を楽しんでいるところです。

 この機会に、もう少し宣伝をしておきます。

 今月から来月にかけて、『国文学研究資料館蔵 橋本本『源氏物語』「若紫」』(伊藤鉄也・淺川槙子編、新典社、平成28年10月初旬 予定)を刊行します。昨日と今日の記事は、その本文を確認している過程で気付いたことの報告です。
 これは、鎌倉時代の『源氏物語』を読む楽しさを味わっていただく資料の提供となるものです。さらには、明治33年に平仮名が一つに制限された下での従来の翻字が妥協の産物であることへ異を唱え、「変体仮名翻字版」という変体仮名の字母を交えた翻字の事例報告も兼ねるているものです。

 また、《NPO法人〈源氏物語電子資料館〉・伊藤鉃也・須藤圭 責任編集》『池田本『源氏物語』校訂本文「桐壺」』(試行第1版 平成28年10月1日、非売品)を、今月末あたりから簡易製本したものを配布する予定です。天理図書館と八木書店との打ち合わせ等を通して、お互いの権利関係を守る意味から、ネットでの公開ではなくて私家版としての印刷による配布、という形を選択しました。
 現在、池田本の校訂本文の最終チェックをしているところです。大島本に代わる『源氏物語』の流布本のテキストとして、新たに池田本の校訂本文を試験的に提供する中で、よりよい校訂本文に仕上げていくつもりです。

 《江戸時代の大島本『源氏物語』から、鎌倉時代の池田本『源氏物語』へ》、というキャッチフレーズで、印刷媒体による無料配布となります。
 詳細は、月末までに、また本ブログでお知らせします。
 これも、楽しみにお待ちください。
 
 
 

2016年9月 8日 (木)

国文研蔵「橋本本 若紫」のナゾリ〈その1〉

 国文学研究資料館が所蔵する橋本本「若紫」は、鎌倉時代の中期頃に書写された貴重な写本です。この写本の「変体仮名翻字版」を作成中なので、原本の確認をしているところです。
 これには、文字を削ったり、そのまま上からなぞっている箇所が無数に確認できます。
 なぞりの一例を紹介します。

 58丁表の6行目に、「多つねいて・堂万へらん」とあります。
 その「堂万へらん」という箇所は、国文学研究資料館が撮影した写真によると次のようになっています。


160908_tamaheran1


 この「へ」は「ふ」のようにも見えるので、「堂万らん」かとも思われます。
 しかし、私が調査を終えた諸本16本の中に、「ふ」とする写本は一本もありません。
 実際にこの部分を接写して確認すると、次のようになっています。


160908_he


 この拡大写真は許可を得て、本日私が撮影したものです。
 よく見ると、横に引かれた線の「へ」は、その下に見える縦線二本の墨の濃淡とは明らかに差があります。料紙に墨が乗っている状態から見ても、後に書かれたものであり、なぞることによって書写した本文を訂正するものであることがわかります。

 ここは「堂万八ん」と書いた後、「八ん」を刃物等で削って、その上から「へら」とナゾリ、続けて「ん」を書いているのです。

 なお、ここで接写に用いた道具は、藤本孝一先生のご指導の下、大島本(重要文化財)の精細な調査をした時に大活躍した機材です。


160908_nikon


 影印本や写真ではよく見えない箇所でも、実際に原本を見て、さらにこうした道具を活用すると、書かれた文字の実態が明確になり、より正確な翻字ができます。

 今回の調査を通して、さまざまなことがわかりました。
 時間と手間のかかる工程を踏んで書写されている実態を確認するものでもあり、いつでもできることではありません。
 これを機会に、以下、何回かにわけて書かれた文字の状態を紹介します。
 翻字のスキルアップに役立てていただけると幸いです。
 
 
 

2016年9月 2日 (金)

日比谷図書文化館で歴博本『鈴虫』を読む

 池田研二先生のお宅で、池田亀鑑に関する遺品や資料を確認したその足で、地下鉄を乗り継いで霞が関に出て、日比谷公園に駆け込みました。日比谷公会堂周辺では、相変わらず「ポケモン GO」を楽しむ多くの人で賑わっていました。
 日比谷図書文化館で古写本を翻字する講座は、今回が第7期10回目となり最終回です。

 いつものように、最初はさまざまな情報をお伝えしました。

 千代田図書館の「古書販売目録」のパンフレットを配布し、独力で調査をしている話をしたところ、お二人が参加してみたい、との意志を示してくださいました。また、その後、もうお一方も参加希望の連絡をして来られたので、今のところ3人が参加ということになっています。

 この調査体験は、9月13日(火)に実施します。
 興味と関心をお持ちの方は、あらかじめ本ブログのコメント欄か私宛のメールで参加の意思を連絡していただき、午後1時に1階ロビーにあるパン屋さんの近くにお越しください。
 膨大な古書販売目録から、『源氏物語』の写本や版本に関する情報を抜き出しています。
 得難い体験ができるかと思います。

 さて、歴博本「鈴虫」は、ハイペースで翻字の確認をしました。これまでで最高最速の9頁分も進みました。どうにか、歴博本「鈴虫」の全丁を変体仮名に忠実に翻字と確認をすることができました。そして、翻字の誤りは1文字もなかったので安堵しています。

 古写本に書かれている文字を読む上で、注意しておくべき事例を記録として残しておきます。

 まず、歴博本「鈴虫」の17丁表の後半下部に見られる「おほ(す)」の仮名文字の書かれ方です。


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 右端を翻字すると「おほ春」、真ん中は「おほえ」、左端は「おほされ」です。
 この「おほ」に当たる仮名は、現行の平仮名「おほ(於保)」です。とは言うものの、この字形に慣れないと、すぐには「おほ」と読めません。パターンとして覚えておくしかありません。

 私がまだ学生だった頃、この「おほ」という文字の形に慣れていなかったこともあり、「覚」と翻字していました。まもなく、これが漢字ではなくて平仮名としてしか読めない字形であることがわかりました。

 この歴博本「鈴虫」の墨付き最終丁である18丁裏の冒頭にも「おほし」があります。


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 右側は「おほし」です。ただし、前出の3例とは「お」に該当する文字の字形が大きく異なります。
 左側が「お本し」です。これは、「本」という変体仮名を含むものの、すなおに翻字できる文字列となっています。

 古写本を読む時には、理屈なしに字形をパターン化して覚えておくべき場合があります。この「おほす」の「おほ」は、まさに反射的に「おほ」と読めるようになっていると、効率的にすばやく文字列を読み取ることができる例だといえるでしょう。
 
 
 

2016年8月27日 (土)

京洛逍遥(374)秋の気配の賀茂川散策と「Heian GO Genji」私案

 ギプスでぎこちなくしか歩けない足を庇いながら、夕方の賀茂川を散策しました。
 南を望むと、出雲路橋の向こうに京都大学あたりが見えます。
 堆積した土と草が中洲となり、川幅を狭めています。


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 鷺たちも夏の終わりを感じているのでしょうか。
 思い思いに夕食を探しています。


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 夕風に吹かれながら、気持ちよさそうな鷺と鴨がいます。


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 トントンと呼んでいる飛び石があるところから北を見やると、北山大橋から北山あたりが靄っています。


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 「ポケモンGo」で遊んでいた子どもが、賀茂川右岸の賀茂街道へとトントンを渡っています。鷺が「またおいで」と言って見送ってるところです。


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 川風がもう秋かと思われるほどに、涼しく感じられます。
 気温は26度です。
 今年は、早々とトンボが飛び交っています。

 河原では「ポケモンGo」をする人がたくさんいます。
 この「ポケモンGo」の影響か、賀茂川も少し雰囲気が違うようになってきました。ウォーキングやジョギングではなくて、半木の道や散策路に佇んでスマートフォンを操作する人がいたるところで見受けられるのです。

 私は「ポケモンGo」を、まだ京都では使っていません。何となく違和感があり、自分が「ポケモン」を探しているところを人に見られたくない、という心理が働いているのです。東京のような都会ならともかく、自然の中では無粋だと思っているからでしょうか。

 誰か、京都限定の「Heian GO Genji」を作ってくださいませんか。
 洛中洛外で、光源氏たちから和歌を書いた文や懐紙をもらい歩くのです。上級者になると、和歌懐紙を集めるだけでなく、相手と和歌をやりとりしてもいいですね。巧い下手は関係なく、それらしい単語をちりばめるのです。歴史地理と文学体験が、洛中散策と共に楽しめます。

 実在の人物よりも、物語に登場する人物がいいのです。そして、和歌の意味がわかったらポイントが上がります。唱和を楽しむ方も出てきてもいいでしょう。
 あまり古文の受験勉強にならないようにして、平安のトリビアをふんだんに盛り込むのです。

 さしあたっては、この記事の末尾にあげた「源氏のゆかり一覧」(45ヶ所)を歩くアプリはどうでしょうか。
 また、昨年NPO法人〈源氏物語電子資料館〉で実施した文学散歩も、大いに参考になることでしょう。

「京洛逍遥(378)京都で源氏を読む会の源氏散策(第1回目)」(2015年10月10日)

 この「Heian GO Genji」が実現したら、京洛がさらにおもしろい仮想空間になるはずです。観光客のために、スペイン語や英語のバージョンも必要です。
 まさに、物語を持ち歩いて京洛逍遥ができるのです。京都は行くところには事欠かないのですから。平安編ができたら、中世編、幕末編とシリーズ化できます。

 2020年の東京オリンピックの折には、海外から来たお客さんを京洛に引き寄せられます。文化庁も京都に来るので、これはおもしろい文化観光のアイテムにもなります。
 どなたか、このアイデアを形にしてくださいませんか。
 
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参考情報:ブログ「鷺水亭より」で公開した「説明版」のリスト
 
「源氏のゆかり(45)説明板40-大原野神社」(2010/5/8)

「源氏のゆかり(44)五条の夕顔町」(2009/8/25)

「源氏のゆかり(43)河原院跡」(2009/8/16)

「源氏のゆかり(42)説明板39-鳥辺野」(2009/8/13)

「源氏のゆかり(41)比叡山へのハイキング」(2009/5/10)

「源氏のゆかり(40)説明板35-大堰の邸候補地」(2009/4/25)

「源氏のゆかり(39)説明板34-野宮神社」(2009/4/23)

「源氏のゆかり(38)説明板33-棲霞観跡」(2009/4/19)

「源氏のゆかり(37)説明板 32-遍照寺境内」(2009/4/18)

「源氏のゆかり(36)説明板29-大雲寺旧境内」(2009/4/12)

「源氏のゆかり(35)説明板25-朱雀院」(2009/2/22)

「源氏のゆかり(34)説明板30-雲母坂」(2009/1/11)

「源氏のゆかり(33)説明板27-羅城門跡」(2008/12/23)

「源氏のゆかり(32)説明板26-西鴻臚館跡」(2008/12/22)

「源氏のゆかり(31)説明板24-斎宮邸跡」(2008/12/18)

「源氏のゆかり(30)説明板23-大学寮跡」(2008/12/17)

「源氏のゆかり(29)説明板22-二条院候補地」(2008/12/16)

「源氏のゆかり(28)説明板36-法成寺跡」(2008/10/7)

「源氏のゆかり(28)説明板38-梨木神社」(2008/8/23)

「源氏のゆかり(27)説明板37-廬山寺」(2008/8/22)

「源氏のゆかり(26)説明板21-一条院跡」(2008/8/15)

「源氏のゆかり(25)説明板20-平安京一条大路跡」(2008/8/14)

「源氏のゆかり(24)説明板15-平安宮大蔵省跡・大宿直跡」(2008/7/28)

「源氏のゆかり(23)説明板19-朝堂院昌福堂跡」(2008/7/27)

「源氏のゆかり(22)説明板18-豊楽殿跡」(2008/7/23)

「源氏のゆかり(21)説明板17-藻壁門跡左馬寮跡」(2008/7/22)

「源氏のゆかり(20)説明板1-平安宮内裏跡」(2008/7/11)

「源氏のゆかり(19)説明板13-建礼門跡」(2008/6/14)

「源氏のゆかり(18)説明板14-宜陽殿跡」(2008/6/10)

「源氏のゆかり(17)説明板8-紫宸殿跡」(2008/6/9)

「源氏のゆかり(16)説明板 6-蔵人町屋跡」(2008/6/5)

「源氏のゆかり(15)説明板 7-内裏内郭回廊跡」(2008/5/31)

「源氏のゆかり(14)説明板2-凝華・飛香舎跡」(2008/5/30)

「源氏のゆかり(13)説明板3-弘徽殿跡」(2008/5/30)

「源氏のゆかり(12)説明板4-清涼殿跡」(2008/5/25)

「源氏のゆかり(11)説明板5-承香殿跡」(2008/5/24)

「源氏のゆかり(10)説明板10-昭陽舎跡」(2008/5/20)

「源氏のゆかり(9)説明板11-温明殿跡」(2008/5/19)

「源氏のゆかり(8)説明板12-建春門跡」(2008/5/15)

「源氏のゆかり(7)説明板9-淑景舎(桐壺)跡」(2008/5/10)

「源氏のゆかり(6)説明板31-雲林院」(2008/5/6)

「源氏のゆかり(5)説明板28-鞍馬寺(2011/04/03補訂)」(2008/5/3)

「源氏のゆかり(4)説明板16-大極殿跡」(2008/4/10)

「源氏のゆかり(3)浮舟の石碑」(2008/1/26)

「源氏のゆかり(2)若紫がいた北山」(2008/1/5)

「源氏のゆかり(1)上賀茂神社の片岡社」(2008/1/1)
 
 
 

2016年8月26日 (金)

朴光華訳の第2弾『源氏物語—韓国語訳注—(夕顔巻)』刊行

 朴光華先生が、『源氏物語』の韓国語訳と注釈に挑んでおられます。
 これまでの成果を書籍にしてまとめられた第1弾が、昨秋の『源氏物語─韓国語訳注─(桐壺巻)』でした。

「朴光華著『源氏物語─韓国語訳注─(桐壺巻)』」(2015年09月06日)

 その第2弾となる『源氏物語—韓国語訳注—(夕顔巻)』が、今夏刊行されました。


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 この「夕顔」は、『文華 第五号』(2006年1月)という雑誌に掲載されたものに、大幅な手を入れて一書にまとめられたものです。

 韓国語に翻訳する上でのご苦心の一端が「後記」に記されています。


既刊の桐壺巻では、尊敬語尊敬補助動詞、謙譲語謙譲補助動詞、丁寧語・丁寧補助動詞などで苦労したが、この夕顔巻においては、助動詞「む・べし」、接続助詞「に・を」などで苦労した。

 また、このことに続いて、次のようなコメントも残しておられます。


桐壺、夕顔両巻の作業中において、一つのたのしみがある。それは、本書の訳と注釈に使った六書(『全書』『大系』『評釈』『全集』『集成』『新大系』)に、なにかあやまりはないのか、印刷ミスはないのか、と、それらを見つけることである。ここで、一々例を申しあげるには失敬なことと思ってさし控えるが、本書の中にはすべてを記して置いた。『評釈』には印刷ミスかどうか分からないものが目立つ。『全集』には初版に比べると、漢字やおくりがななどが、なにげなくすらりと変わったものが十数個所にわたって見える。『大系』にはあんまり見当たらないが。後世になって、韓国で、本書のあやまりなどを指摘する人があらわれたら幸いなことであるが、たぶん、おそらく、そのような人はあらわれないでしょう。本書にもあやまりがないわけでもないが。

 これは、活字による校訂本文とその注釈に頼って『源氏物語』を読み、研究する上での、貴重なご教示となっています。確かに、市販の校訂本文は版を重ねると、微妙に手が入っていきます。些細なことだからということもあって、その補訂の手を吟味することはありません。しかし、活字本に頼っている方には、この朴先生のことばは、そうした改訂の手が入ることがあたりまえである、ということをあらかじめ承知して活字本を利用する必要があることにつながります。

 この朴先生の大仕事は、これから14年という長い歳月をかけて刊行されます。
 翻訳にあたっての方針等は、上記ブログの記事に譲ります。
 次は「若紫巻」であり、以降、「須磨」「明石」「総角」「浮舟」と続くようです。

 朴先生からいただいた情報により、本書の書誌を整理してまとめておきます。


1)著者;朴光華(Park KwangHwa)
2)初版発行日;2016年7月1日
3)出版社;図書出版 香紙
 〒08801 韓国 SEOUL市 冠岳区 奉天洞 1688-12 金剛Building 4層
 Emai1;mind3253@daum.net
4)総頁;522頁
5)定価;W65、000
6)ISBN;978-89-94801-08-7
7)本書の構成;
 写真4枚(宮内庁書陵部蔵 青表紙本 夕顔、尾州家河内本 夕顔、廬山寺 等)
 序、凡例、夕顔巻の概要、登場人物系図、参考文献など;1-23頁
 夕顔巻(日本語本文、韓国語訳、韓国語注);24-501頁
 夕顔の宿(糸井通浩);502-514頁
 後記(日本語);515-516頁
 図録1-6;517-522頁

 韓国語に訳された『源氏物語』は、これまで信頼に足るものがありませんでした。それだけに、この朴訳が韓国における今後の『源氏物語』の研究に果たす役割は、ますます大きなものとなることでしょう。

 なお、私の科研(A)のホームページから公開している『海外平安文学研究ジャーナル Vol.3』(2015/09/30)で、この第1弾である『源氏物語─韓国語訳注─(桐壺巻)』に関する詳細な紹介を掲載しています。

 「新刊紹介:朴光華著『源氏物語―韓国語訳注―』(桐壺巻) 厳 教欽(東京大学大学院 博士課程)」(109~115頁)

 このジャーナルは自由にダウンロードしていただけますので、併せてお読みいただけると、朴光華先生の翻訳にあたっての姿勢と、『源氏物語─韓国語訳注─』の意義が明確になると思います。
 
 
 

2016年8月23日 (火)

《仮名文字検定》の公式サイト(仮)公開

 先月下旬に、「《仮名文字検定》2018年夏より実施のお知らせ」(2016年07月22日)を、本ブログに掲載しました。

 その《仮名文字検定》の公式サイトを、まだ完成型ではないものの、新たに公開しました。
 アドレスは、本ブログの「お知らせ」に記したものと、今後とも変更はありません。
 以下の通りですので、ブックマークやリーダーなどに登録していただけると幸いです。

  《http://www.kanakentei.com/》

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 多くの方々に「設立趣旨」や「検定概要」などを確認していただけるようにとの思いから、仮バージョンではあるものの公式サイトの立ち上げを急ぎました。

 今後は、「受付ページ」や「申込みページ」等の作り込みと共に、スマートフォン対応のページも用意します。

 お知り合いの方々に、《仮名文字検定》が動き出しているということを、ニュースとしてお知らせいただけると幸いです。

 公式テキストは、2017年12月末にできます。

 まずは、鎌倉時代に書写された仮名写本(『源氏物語』等)を使って、変体仮名を読むことから受験の準備をなさってはいかがでしょうか。
 その時には、仮名文字の字母に注意していただくと、着実に変体仮名を読む力がつくはずです。さらに注意していただきたいのは、変体仮名の「阿」を「あ(安)」に、「可」を「か(加)」にというように、変体仮名を現行の平仮名に置き換えて翻字しないで、字母のままに翻字する練習をしてください。それが、本検定試験の受験対策につながる近道となることでしょう。

 みなさまが《仮名文字検定》を受験するための準備として自習なさる際には、私が科研(A)の成果として公開しているホームページ「海外源氏情報」の中にある、「『源氏物語』原本データベース」が、有益な情報源の一つになるかと思います。


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 そこでは、『源氏物語』の写本の画像が閲覧できるサイトを、50件以上も紹介しています。
 また、刊行されている『源氏物語』の影印本についても、30件以上を紹介しています。
 これは『源氏物語』に限定してのものです(現在では入手困難な書籍も含んでいます)。
 こうした情報も、《仮名文字検定》を受験するための学習資料の一部として活用していただければ幸いです。

 なお、《仮名文字検定》の特徴の一つとして、視覚障害者が触読で受験することも可能としています。
 もし興味をお持ちの方がいらっしゃいましたら、本ブログのコメント欄を活用してお問い合わせください。
 立体コピーによる写本の触読に関して、現在お手伝いできることをお知らせします。

 変体仮名を触読することに関する情報源としては、私が科研の「挑戦的萌芽研究」で取り組んでいるホームページ「古写本『源氏物語』の触読研究」も、お役に立つかと思います。


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 古写本の触読については、その中の「触読通信」の記事が、具体的で実践的な参考情報となっています。ここもご覧いただいて、《仮名文字検定》を触読で受験する対策の一つとしてお役立てください。
 
 
 

2016年8月19日 (金)

尾崎さんからすぐに届いた『源氏物語 鈴虫』を触読した感想文

 昨日、日比谷図書文化館で歴博本「鈴虫」を読んだ記事をアップした後、すぐに参加していた共立女子大学の尾崎さんから感想文が届きました。
 メールには、こんな言葉が添えてあります。


1年前に比べたら自分でも驚くほど読める文字が増えていて、だてに毎日変体仮名を読んでいないなとうれしくなりました。

 一人の若者が、ひたすら前を見て歩んでいることを実感させてくれる文章なので、ここに紹介します。
 目が見えない方でも、鎌倉時代に写された『源氏物語』などの古写本をこれから読んでみようと思われた方や、そうした方が身近にいらっしゃる方は、遠慮なくこのブログのコメント欄を使って連絡をください。
 
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「講座を終えて ~触読できる文字が増えた今 思うこと~」

 私は今回、伊藤先生にメールで送っていただいたデータを大学の助手さんに立体化していただき、それを持参して講座に参加させていただきました。
 助手さんの配慮で、私が触読しやすいようにと、変体仮名を拡大してから立体コピーしてくださったので、A3サイズの大きな紙で触読しました。

 卒業論文執筆のため、ここ最近は頻繁に変体仮名を触読していたせいか、講座には問題なくついていくことができました。分からない文字があった時は、お隣の席の受講者の方や、同行してくださった助手さんに、指を持って一緒に文字をなぞっていただき、形を把握しました。
 その後、書写できる文字は持参していたノートにサインペンで書き取り、形を記録しました。

 やはり、漢字は読めないものが多くありました。「侍」や「六条院」の「条院」などは字が細かいのか、完全に形を把握することができませんでした。

 触読のスタイルは、右手で紙を抑え、左手で先生の読みに合わせて文字を触読しました。私は主に左手で点字を読むので、そのせいか、変体仮名も左手が中心に触読しているようです。ただ、右手で触読することもあるので、左手でなければ読めないということではありません。
 左右で触読のスピードに差があるのか、今後検討していきたいと思います。

 昨年度の夏に、初めてハーバード本「須磨」と「蜻蛉」を触読した時は、これまで読んできた江戸時代の変体仮名と形が異なる文字が多いため、ほとんど触読することができませんでした。
 しかし、いま振り返ってみると、書かれた時代によって、字形が異なるとは言え、あの時は単に勉強不足で、変体仮名の字形の一部しか把握していなかったため、読めなかったのだと思います。

 見える見えないに関係なく、字形を知らなければ文字が読めないのは当たり前だと思います。触読以前に、いかに字形を記憶しているかが大きな焦点となるはずです。
 文字の記憶方法も、伊藤先生がおっしゃっていましたが、通常目から入ってくる形が、触読の場合指から入って来るだけで、形を記憶する大本のメカニズムのようなものは、目で読むのも触読するのも変わらないと思います。どちらも勉強すれば読めると言うことなのでしょう。

 また今回、書き癖を把握することで、スムーズに読めると言うことも実感しました。
 同じ文字でも、書き手によって若干異なります。始めのうちは戸惑っていた文字も、
「これがこの人の【な】なんだ」
「これがこの人の【ふ】なんだ」
というように、読みながら覚えていくことで、書き癖を把握できるだけでなく、読むスピードは上がるのだということを、あらためて実感しました。

 点字には版があり、フリーハンドで書くことはできません。そのため、書き手の癖のようなものが反映されることもありません。読みやすい文字を書くことはできますが、どうしても形は一定になってしまいます。

 それが変体仮名だと、書き癖をもろに感じることができるだけでなく、字母が何種類かあるので、その中からどの字母の文字なのかということも知ることができます。これは変体仮名の魅力だと思います。
 変体仮名を触読することで、書き手はもちろん、書かれた時代の文化にも触れることができます。

 今回の講座で変体仮名を触読したことによって、『源氏物語』の本体に触れられたようで、大変うれしく思います。伊藤先生やご参加のすべてのみなさまに、心より感謝もうしあげます。

 触読によって変体仮名を読むことで、目が見えなくても日本の文化や物語に直接触れることができるということを、多くの人々に広めるべく、伊藤先生と共に触読の方法をより確かなものにしていきたいと思っています。
 
 
 

2016年8月18日 (木)

日比谷図書文化館で歴博本「鈴虫」を読む

 朝からの大雨が、夕方には止んでいました。
 日比谷図書文化館の前では、今日も多くの方が「ポケモン・ゴー」に熱中しておられます。


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 今日読んだ歴博本「鈴虫」で、読みにくかった箇所の確認をしておきます。

 「御さ可りの」(13丁オ5行目)では、「さ可り」から「の」へと、流れるように筆が走っています。


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 この部分だけを見ていては、「さ可り」の「可」にあたる箇所が何という文字なのかがよくわかりません。ここは、文意を意識して見ていかないと、「さ八りの」とか「さとりの」あるいは「さ尓の」などと読んでしまいかねません。

 次は、行末の例です。
 古写本では、行末や丁末においては、書写者の意識が次の行や次の頁に向いているので、ケアレスミスが多発します。


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 これは、「やを」ではなくて、「やう/\」と読むところです。しかし、「う」は読みにくい字形をしている上に、その位置も左にずれています。前後の文意を考えないと判読に苦しみます。親本通りに書写しようとして、行末が詰まってしまった例です。

 こうした行や丁の末尾における判読が困難な文字は、書写者の集中力が途切れる場所であることを意識しておくと、さまざまな読みの可能性に思いを巡らしながら、候補となる文字が絞り込みやすくなるものです。

 今日は、大学生で全盲の尾崎さんにも参加してもらい、実際に講座に参加されている方々と一緒に、歴博本「鈴虫」を読んでもらいました。立体コピーを活用して、自由に触読の訓練をしてもらったのです。そして、尾崎さんが読み取りにくい文字は、みなさんが翻字をなさる時にも有効なポイントとなります。

 変体仮名を読むのが大好きだという尾崎さんは、今日も多くの文字を追いかけ、読み取っていました。漢字や線の多い変体仮名などには手を焼いていたようです。しかし、それでも持ち前の勘を働かせて、少しずつ仮名文字のパターンを習得していました。

 日頃は一人で翻字などをしているそうなので、もっと仲間と一緒に写本を触読する環境を整えてあげると、迷うことも少なくなり、早く読み取れるようになることでしょう。
 今後がますます楽しみになってきました。人間の可能性の豊かさを実感しています。
 今日の感想を文章にして送ってくれるとのことなので、明日には紹介できると思います。
 
 
 

2016年8月14日 (日)

「海外源氏情報」では着実に情報を更新中です

 現在取り組んでいる科研「海外における源氏物語を中心とした平安文学及び各国語翻訳に関する総合的調査研究」は、4年目の本年が最終年度となります。

 私は本年度で定年なので、来年度の科研の申請ができません。この科研(A)と「挑戦的萌芽研究」は、さらなる成果が期待でき、膨大な情報が着実に収集整理できているので、研究環境と成果を拡大するためにも、この科研のテーマをどうしたら継続できるのかを検討しています。

 現状では継続が難しいので、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉に維持管理を移管して、少しずつでも内容を充実させて公開を続けていこうと思っています。

 来年4月以降は大きな展開が望めないので、最終年度の今の内に可能な限りの情報の増補と再構築をハイペースで進めているところです。

 最近の更新情報の一端を確認しておきます。
 更新した最新のものは、トップページの赤矢印①の「科研サイト更新&進捗情報」(2016/08/09現在)でおりおりに告知しています。


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 そして、赤矢印②③④が「翻訳史&論文データベース」の中でも特に貴重な情報の集積場となっています。

 現在のところ、赤矢印②「『源氏物語』翻訳史」には275件の情報があります。
 赤矢印③「平安文学翻訳史」には569件、赤矢印④「海外 - 源氏物語・平安文学論文検索」からは715件の情報を公開しています。

 さまざまな形で検索できるような仕掛けも設定していますので、ご自由に気になる情報を引き出してください。

 その他、メニューバーのプルダウンメニューから、適宜知りたい情報をご覧いただけます。

 このホームページに掲載していないことで、ご存知のことがありましたら、上部左の「情報提供」からお知らせいただけると幸いです。
 
 
 

2016年8月 8日 (月)

インドの「オリヤー語」を「オディア語」と言い替えること

 現在、今秋11月にインド・ニューデリーで開催する「第8回 インド国際日本文学研究集会」に関して、現地の若手研究者の方々と情報交換をしています。その研究集会の詳細は、もう少しお待ちください。

 その準備中において、これまで「オリヤー語」と言っていた言語が、これからは「オディア語」と言うことになるらしい、という情報が入ってきました。

 デリー大学のナビン・パンダさんからのメールに「オディア語」とあったことから、この件について問い合わせることで最新情報が得られたのです。

 パンダさんからのご教示をまとめると、次のような状況にあることがわかりました。

 最近、インドの「Orissa 州」は「Odisha 州」になり、それに伴って「Oriya 語」は「Odia 語」として使われるようになってきている、ということです。そのために、パンダさんは私へのメールで、「オディア語」という単語を使って連絡をくださったのです。

 ただし、日本の国際交流基金などでは、現在がそうであるように、「オリヤー語」という通称の単語がしばらくは使われることでしょう。

 かつて「ボンベイ」と言われた地名が今は「ムンバイ」に、「カルカッタ」は「コルカタ」に、「マドラス」は「チェンナイ」に、「バンガロール」が「ベンガルール」と呼ばれるようになっています。

 直近の例でいえば、ニューデリーの近郊都市である「グルガオン」が、今年の4月に「グルグラム」に変わりました。
 私は2002年にインドで3ヶ月間、客員として滞在しました。その時、同じ宿で得難い濃密な日々を共にした中島岳志君に、買い物や古本屋巡りで「グルガオン」へ何度も連れて行ってもらいました。その後も、何度か行きました。
 また、日本の若者たちが滞在できる場所として、「グルガオン」にマンションを共同購入しようか、などと言い合って、モデルルームを見ながら不動産物件を探したこともありました。その「グルガオン」が「グルグラム」になったと急に言われても、それがあの「グルガオン」だとは、すぐには思い至りません。

 これらは、インドがイギリスの植民地だった時代の英語読みを、最近になって現地の発音に戻そうという運動によるものだと聞いています。

 そもそも、インドには2000もの言語があります。そしてさらにややこしいことに、公用語はヒンディー語、補助公用語は英語、憲法で公認された公用語がさらに17言語もあるのです。インドのお札を見ると、たくさんの言語で数字が書いてあることは有名です。

 地名に関して言えば、最初は新旧両方が混在していました。しかし、次第に「ムンバイ」や「コルカタ」や「チェンナイ」に固定しています。まもなく「グルグラム」も定着するのでしょう。

 そうした例を見ると、「オリヤー語」についても同じことが展開しそうです。そうであるならば、現時点での呼称は「オディア語(オリヤー語)」と表記することで、これから作成する資料等を末長く使っていただけるように対処した方がいいと思うようになりました。
 「オディア語」ということばが普及したら、カッコ付きの「オリヤー語」の部分を取り外せばいいのです。

 独断ですみません。
 従来の「オリヤー語」について、今後は「オディア語(オリヤー語)」と表記することにします。
 これによって、現在確認している『源氏物語』の多言語翻訳の言語数は、「エスペラント訳『源氏物語』は33種類目の言語による翻訳」(2016年06月12日)で報告した33言語の内、「オディア語(オリヤー語)」だけを補訂した33言語となります。


【『源氏物語』が翻訳されている33種類の言語】
    (2016年08月08日 現在)
アッサム語(印度)・アラビア語・イタリア語・ウルドゥー語(印度)・英語・エスペラント・オランダ語・オディア語(オリヤー語・印度)・クロアチア語・スウェーデン語・スペイン語・スロベニア語・セルビア語・タミル語(印度)・チェコ語・中国語(簡体字)・中国語(繁体字)・テルグ語(印度)・ドイツ語・トルコ語・現代日本語・ハンガリー語・韓国語・パンジャビ語(印度)・ヒンディー語(印度)・フィンランド語・フランス語・ベトナム語・ポルトガル語・マラヤラム語(印度)・モンゴル語・リトアニア語・ロシア語

 このことに関してのご意見を、ご自由に本記事のコメント欄を使ってお寄せいただけると幸いです。
 
 
 

2016年8月 3日 (水)

国冬本「鈴虫」の長文異同(その5-仮名文字表記)

 日録として本ブログに書くことがいろいろとあったために、古写本に書写された文字を見つめての私見が途絶えてしまいました。

 これまでの「その1」から「その4」までは、国冬本「鈴虫」に見られる長文異同の内、漢字の表記に注目して、その出現する様相を見てきました。
 私が注目しているのは、長文異同があった箇所で、物語があらためて書き継がれた痕跡が見いだせないか、ということです。

「『源氏物語』国冬本「鈴虫」の長文異同(その1-問題点)」(2016年07月19日)

「国冬本「鈴虫」の長文異同(その2-【御】と【心】)」(2016年07月20日)

「国冬本「鈴虫」の長文異同(その3-【給】と【侍】)」(2016年07月21日)

「国冬本「鈴虫」の長文異同(その4-【人】と【見】)」(2016年07月26日)

 最後にここでは、仮名で表記された例について、気になっているものを見ます。


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 長文異同となっている箇所に、「あはれ」という語が集中しています。
 「をかし」は、その後に見られます。
 「たてまつる」ということばが、長文異同がある箇所の前後で、その用いられる頻度が異なっています。
 「のたまふ」という語が、長文異同の後に見られます。

 以上、5回にわけて、長文異同がある国冬本を例にして、それが現在の物語にはまったく痕跡すら残っていない箇所の前後における、文字や語句の使われ方に何か変化がないかを見てきました。

 今回は、国冬本における特定の範囲に限定しての私見を記しました。
 限られた場面ではあっても、本文異同の様子から、539文字もの長文の異文が破棄された背景には、物語の生成発展という舞台裏が想定できそうだ、ということをあれこれと記しました。

 そう断定するためには、さらに厳密な調査と分析が必要であることは承知しています。

 もし、この不可思議な『源氏物語』の本文異同に興味を持たれたら、頭の体操をしてみてください。考える資料は『源氏物語の異本を読む—「鈴虫」の場合—』(臨川書店、240頁、2001年)にすべて掲載しています。私の仮説はともかく、これまでの研究成果に囚われない、若手の方からの意見を聞きたいと思っています。
 
 
 

2016年7月26日 (火)

国冬本「鈴虫」の長文異同(その4-【人】と【見】)

 『源氏物語』の長文異文に関するこの一連の記事では、拙著『源氏物語の異本を読む—「鈴虫」の場合—』で提起した仮説、長文の独自異文が廃棄された後に、二千円札の図様に採択された国宝源氏物語絵巻詞書にある「十五夜の夕暮に〜」が書き継がれたのではないか、ということを再確認しています。

 国冬本「鈴虫」巻には、諸本にはない539文字もの長文の異文があります。その箇所(後掲表中の「長文異同(539字)」)の前後に、どのような文字列が使われているのかを確認することで、外観上からの物理的な切れ続きの一端が確認できないか、と思って見ています。
 もちろん、文字遣いは語られる内容に規制されるので、あくまでも現象の確認にすぎないことを、あらかじめ意識しての検証であることをお断わりしておきます。

 今回は、「人」と「見」という漢字の使われ方を確認します。
 この漢字を平仮名で「ひと」「み」等と表記したものは、今回対照とする範囲内にはありませんでした。


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 この2種類の例からも、「異同後(537字)」がそれまでの文字使いの傾向とは異なることが容易に確認できます。
 特に、長文異同(539字)に「人」が多く使われているのは、そこに登場する人物に関係すると思われます。拙著『源氏物語の異本を読む—「鈴虫」の場合—』で、次のように記したことに関連する事象かもしれません。


 この異文の特徴は、文字数において長いばかりでなく、また話題転換部分である以外に、この異文の中に七人もの人物が登場することです。そこには、女三宮・薫・光源氏・小侍従君・柏木・夕霧・一条御息所の動静が語られるのです。
(中略)
 第二十一巻「少女」や第三十三巻「藤裏葉」において、登場人物の多くが呼び出されていたことに思いを致すからです。(157〜158頁)

 「見」について、今は説明できません。
 「異同後(537字)」で、「人」と同じように「見」も使われていないことについては、ここで検討対象としている部分の内容を解釈していくと明らかになることでしょう。

 この検討はさらに続きます。
 
 
 

2016年7月21日 (木)

国冬本「鈴虫」の長文異同(その3-【給】と【侍】)

 国冬本「鈴虫」巻において、諸本にはない539文字もの長文の異文がある箇所の前後に、どのような文字が使われているのかを確認しています。
 特に、二千円札で有名になった「十五夜の夕暮に〜」の直前にある長文の異文は、どのような意味を持つのかを考えようとするものです。

 なお、昨日書き忘れたことを補っておきます。
 ここで抜き出した3箇所の文章は、「長文異同(539字)」とほぼ同じ分量でその前後にあり、意味の上からも切れのいい箇所を取り出したものです。そして、「異同前(539字)」の文字数が539文字なのは、偶然に「長文異同(539字)」と一致したものです。

 今日は、【給】について見ます。併せて【侍】についても触れます。


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 ここで検討対象とする3箇所で語られている内容については、今は吟味をしていません。物語の内容と用字は密接に関連するものなので、当然それを語る用字に話の内容が強く関係します。また、語学的な視点での解明も必要です。しかし、ここでは書写された文字の違いという現象にだけ注目し、その外形的な違いを確認しているところです。

 ここで【給】については、「異同前(539字)」で15例、それに続く「長文異同(539字)」で7例、「異同後(537字)」で6例見られます。「15—7—」です。
 さらに細かく見ると、「【給】て」が「異同前(539字)」で4例、それに続く「長文異同(539字)」で0例、「異同後(537字)」で2例見られます。「4—0—」です。
 その他でも、「給」に続く文字を見ていくと、さまざまなことを考えさせてくれます。「長文異同(539字)」にある「【給】えり个り」の「え」という語尾の表記も気になります。
 なお、この「給」を平仮名で表記した例は、今回切り出した3箇所には1例もありませんでした。
 さらには、今回抜き出した中で「異同後(537字)」に1例だけ見られる「【侍】へ連と」も、「給」と一緒にその使われ方を考える際に参考となるものです。

 国冬本「鈴虫」におけるこうした文字使いを見ていると、私が仮説として提示したことが、外形的な様態からも可能性が高いのではないかと思われます。
 昨日記した私見を、ここに再度引きます。


物語が、上記表の真ん中に位置する「長文異同(539字)」を破棄した後に、それを挟むようにして存在する旧「異同前(539字)」と新「異同後(537字)」をつなげることで、現行の「鈴虫」が構築されているという拙著『源氏物語の異本を読む—「鈴虫」の場合—』で述べた仮説は、ここでの用語例の出現傾向から見て、決して的外れなものではありません。

 この検討は、さらに続きます。
 
 
 

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2016年7月20日 (水)

国冬本「鈴虫」の長文異同(その2-【御】と【心】)

 昨日の記事で提示した、国冬本「鈴虫」における539文字もの長い異文は、中秋十五夜の遊宴の場面の直前にある独自異文です。
 これは、二千円札に印刷されたことで広く知られるようになった、国宝源氏物語絵巻詞書の「十五夜の夕暮に〜」という文言の場面に当たります。

 なお、この二千円札の詞書は、二種類伝わる「鈴虫」の絵と詞の内の第一場面のものであり、二千円札の左上の絵とセットのものではありません。二千円札に採択された絵は第二場面です。第一場面の絵巻詞書の冒頭にある、タイトルとしての「すゝむし」という文字列がほしかったがための選択かと思われます。(拙著『源氏物語の異本を読む—「鈴虫」の場合—』29頁に詳説)

 さて、国冬本に長文異同がある箇所の前後に関して、その字数に近い分量の500文字程を切り出して、使われている語句を字母レベルで較べてみましょう。

 これは、私の仮説である、「十五夜の夕暮に〜」の直前でこの「鈴虫」巻は当初は終わっており、その長文を破棄した後に「十五夜の夕暮に〜」を書き足したのではないか、という提言の可能性を考えるヒントを得るためにも有益な検討となるものです。

 ここでは、「御」と「心」に関する用例を見ます。

 次の表で、左端の「異同前(539字)」は539文字もの長い異文の前にある文章の一群から抜き出したものです。
 右端の「異同後(537字)」とある列は、539文字もの長い異文の後の「十五夜の夕暮に〜」以降の文章の部分からの抜き出しです。


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 漢字「御」で始まる語句については、「異同前(539字)」に7例、「長文異同(539字)」に2例、「異同後(537字)」に3例見られます。「7—2—」です。
 さらに、「御心」については、「3—0—」です。

 このことは、「心」という漢字の出現数からも似た傾向がうかがえます。
 「異同前(539字)」では3例、「長文異同(539字)」では8例、「異同後(537字)」では3例なので、「3—8—」となります。

 この「御」と「心」の出現傾向から、「異同後(537字)」の「十五夜の夕暮に〜」は、その前とは異なった本文の様態を見せているといえます。

 この事例から、「鈴虫」の物語は、「異同前(539字)」と「長文異同(539字)」で一旦は終わっていたと想定する私見の妥当性は否定されないと言えるでしょう。
 物語が、上記表の真ん中に位置する「長文異同(539字)」を破棄した後に、それを挟むようにして存在する旧「異同前(539字)」と新「異同後(537字)」をつなげることで、現行の「鈴虫」が構築されているという拙著『源氏物語の異本を読む—「鈴虫」の場合—』で述べた仮説は、ここでの用語例の出現傾向から見て、決して的外れなものではありません。

 また、「異同後(537字)」には「へ多て【心】」という、その前にはない形の使用例もあります。

 今、ここではそれぞれの文章の意味は考慮せずに、あくまでも切り出した範囲内で使われている語句の様態と用例数からの分析に留めています。

 こうした検討は、さらに用例を広げて見ていくことで、より説得力を持った結論へ導かれるものだと考えています。

 以下、「その3」に続きます。
 
 
 

2016年7月19日 (火)

『源氏物語』国冬本「鈴虫」の長文異同(その1-問題点)

 天理大学付属天理図書館が所蔵する国冬本『源氏物語』の「鈴虫」巻は、鎌倉時代末期の写本です。それは、長大な異文が散在する貴重な写本です。

 藤原定家が書写した〈いわゆる青表紙本〉などと較べると、377文字もの異文が挿入されていたり、これまでの写本にはない539文字もの長い本文があったりします。539文字のものは、源氏物語絵巻詞書の直前にあるものです。この絵巻詞書の冒頭の文章は、二千円札の裏面に印刷されています。

 池田亀鑑はこの国冬本「鈴虫」巻の本文を、『源氏物語大成』に収録しませんでした。他の巻は校合に用いているのに、この国冬本「鈴虫」は外されたのです。
 そこで、私は『源氏物語別本集成』の第十巻に、この国冬本「鈴虫」の正確な翻字を収載しました。

 その後、二千円札が出回り始めた頃に、『源氏物語の異本を読む—「鈴虫」の場合—』(臨川書店、2001年)を刊行しました。


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 そこでは、次のような仮説を提示しました。
 特に、二千円札に印刷された絵巻詞書の直前にある539文字もの文章に関する私見には、まだどなたからも反論や評価をいただいていません。ここに一部を再掲して、問題点の所在を確認しておきます。
 
《その1》


 この異文の特徴は、文字数において長いばかりでなく、また話題転換部分である以外に、この異文の中に七人もの人物が登場することです。そこには、女三宮・薫・光源氏・小侍従君・柏木・夕霧・一条御息所の動静が語られるのです。特に、柏木の乳母の姪で、柏木を女三宮のもとに手引きした小侍従君は、流布本本文では、第三十四巻「若菜上」・第三十五巻「若菜下」・第三十六巻「柏木」の後、第四十五巻「橋姫」に登場する人物です。また一条御息所は、朱雀院の更衣で落葉の宮の母親です。婿柏木の早逝に娘の薄幸を嘆き、さらには夕霧と娘の仲を苦慮し、夕霧の誠意を確かめるために消息を送るのですが返事がない中で、夕霧の冷淡さを恨みながら死去するのです。流布本によれば、第三十四巻「若菜上」・第三十五巻「若菜下」・第三十六巻「柏木」・第三十七巻「横笛」の後、第三十八巻「鈴虫」を飛び越して第三十九巻「夕霧」、そして第五十三巻「手習」に登場します。こうした人物の「鈴虫」のこの場面での登場は、どのような意味を持つのでしょうか。私は、物語作者が、ここでひとまず筆を擱いた時の本文の姿を伝える異文ではないか、と思っています。第二十一巻「少女」や第三十三巻「藤裏葉」において、登場人物の多くが呼び出されていたことに思いを致すからです。この国冬本の長文異文が、「鈴虫」の後半から次巻「夕霧」が執筆される以前に存在したと思われる本文の断片と見るのは、空想に過ぎないのでしょうか。(157~158頁)

 
《その2》

破棄された本文の再活用という事例の確証は、いまのところは得られていません。しかし、今後とも注目したいパターンの異文であることに変わりはありません。
 こうした異文の例は、「輝く日の宮」巻を廃棄した後の再利用の可能性などと関連する問題として、いろいろと想像を掻き立ててくれるものです。今後とも、さまざまな視点で読み解いていきたいものです。(161頁)

 
《その3》

言経本が、国冬本の異文の冒頭と末尾だけを伝えていることの意味は何なのか。私は、これも先にお話したように、貼紙形式で貼付されていた異文表記があまりに長文であるがために、その首尾だけ残して伝えられたために生じたものと考えています。いわゆる、「〜」「……」という省略記号による手法の一つではなかろうかと。いずれにしても、言経本が伝えようとした本文は国冬本と同種のものであることは明らかです。(162頁)

 
 今回、この国冬本「鈴虫」巻を「変体仮名翻字版」で翻字したものを確認しながら、これまでの翻字方法ではわからなかったことを何回かに分けて整理して報告します。
 不定期ながらも続きますので、気長にお付き合いください。
 
 
 

NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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