« 2007年10月 | メイン | 2007年12月 »

2007年11月の26件の記事

2007年11月30日 (金)

【復元】井上靖卒読(9)『戦国無頼』

(※本記事は、本年3月に消失した分を復元したものです)

☆2007年1月14日

ヒロインの誕生


 2007年の正月より、NHKの大河ドラマ『風林火山』が始まりました。この原作は、井上靖です。
 今年は、井上靖生誕100周年にあたります。さまざまなイベントが企画されているようです。
 井上靖の記念の年とは知らずに、このブログに卒読をスタートさせてしまいました。これも、何かの縁なのでしょう。ブームに惑わされることなく、マイペースで書いていくことにします。

 『戦国無頼』は、戦の中で死を意識した日々を生きる戦国武士たちの、その一人一人が活写されています。

 女性は、井上靖流の理想化された、加乃とおりょうが登場します。特におりょうは活動的です。

 人間の生きることへの執着が、ものすごい迫力で語られます。戦乱の世ならではの、みごとな設定です。

 「夢なんてあってたまるか」(角川文庫、189頁)

と、主人公の疾風之介が思うシーンは、とても印象的でした。

 三好兵衛の最後のことばである、

「貴いことだ、生きることは」(324頁)

は、本作のテーマと言えるでしょう。

 話の舞台は、琵琶湖です。大好きな『星と祭』の下地は、すでにここにあります。

 月光が、舞台のスポットライトのような役割を果たしています。山中で、琵琶湖で、そして終盤の山田の田んぼで。

 最後に、生きようとする疾風之介とおりょうの姿が描かれます。嵐の湖の中を漕ぐのは、おりょうなのです。これはまさに、井上文学におけるヒロインの誕生と言えるでしょう。【4】

 この作品は、私が生まれた昭和26年のものです。『サンデー毎日』の8月26日号〜1952年3月9日号に、27回にわたって連載されました。
 この年に、井上靖は毎日新聞の記者を辞めています。大阪・丹波・琵琶湖へ頻繁に旅をしています。この年には、何と38編もの小説が発表されました。

 映画化に関する情報も付加しておきます。


映画の題名:戦国無頼
制作:東宝
監督:稲垣浩
封切年月:1952年5月
主演俳優:三船敏郎、山ロ淑子
  『旭川市・井上靖記念館ホームページ』より


 本作は、角川文庫『戦国無頼』、『井上靖小説全集5』、『井上靖全集8』に収録されています。

2007年11月29日 (木)

銀座探訪(7)ブルガリと回転寿司

 ブルガリという店が明日オープンします。
 といっても、実は、この名前は、昨日のニュースで知りました。
 私とはエンもユカリもない店ですが、興味本位で開店前夜の店へ脚を運びました。

 まともに撮ったのではおもしろくないので、いつもよく立ち寄る吉野家の軒先からの写真です。


Pexkvonz_s(1)吉野家前から



 次の地図を見ながら、写真の番号と参照してご覧いただければと思います。
 地図の中に記入した下手な文字や記号は、手書きなのでお許しください。
 番号と矢印は、撮影した角度を示しています。


7ysj5kie 銀座二丁目地図



 地図の左端に、聖地アップルストアがあります。
 そのすぐ上に、私が通うスポーツクラブがあります。
 ファッションと無縁の私がこんな高級店の立ち並ぶ地帯をうろつくのは、汗を流してのお風呂帰りに通りかかるからです。


 それはともかく、写真(1)の中央が開店前のブルガリです。まだ、白い幕が下ろされています。
 ブルガリの右横に、ルイ・ヴィトン。左横に、私がよく行く、文房具の伊東屋。その左隣に、ティファニーがあります。

 これまで、日本の一等地という称号は、和光前の銀座四丁目でした。それが、ブルガリのオープン、カルチェの改装などにより、ブランドの四角地帯である銀座二丁目が、近日中に一等地という称号を譲り受けることは確実視されています。

 そんな一角の地下で、私は泳いだり踊ったりしているのですから、何ともおもしろいものです。


Dzqo65n9_s(2)ブルガリ



 (2)は、銀座二丁目の交差点からのブルガリです。
 夕刻なのに、女性が多いことに注目してください。昼間は、もっと多いそうです。
 銀座は、女性の街です。
 私が日々観察するところでは、銀座で見かける6割は女性です。


Pq9h66mp_s(3)回転寿司の標識



 スポーツクラブからの帰りがけに、ブルガリの横を通りかかると、お店の白い幕が上げられ、ショーウインドウの飾り付けが見えました。
 明日が開店日だからでしょうか。中では正装をした人たちが、ミーティングや打ち合わせをしていました。
 入口では、ガードマンらしき人が見張っています。内も外も緊張感が漂っていました。

 そんなことよりも、私には、ブルガリの角に立てられた回転寿司の「105円」という看板の方に注意が集中しました。
 この店は、かねてから行こうと思っていたところです。夜食にちょうどいい時間なので、ブルガリの開店を祝して(?)、1人で回転寿司を食べることにしました。


Ahq58ql6_s(4)寿司屋入口



 お店の入口は、こんな感じです。
 狭い階段を下りて入ります。

 店内は、関西を思わせる陽気さがありました。これは、お客さんであるおばちゃんたちが、大声でしゃべっていたからですが……。後から来たピンクの衣装のおばちゃんは、吉本の関係者かと思わせる方でした。
 それに加えて、テレビの音が異様に大きかったのには、閉口しました。

 雰囲気は、いかにも銀座という風ではなくていいのですが、握ってくれるおじさんには困りました。
 耳が遠いのでしょう。おばちゃんたちがウルサイせいだけではないようです。注文をしても、耳に手を当てて、何度も聞き返すのです。注文する方が疲れます。
 また、注文したものを忘れているので、また大きな声で確認することになります。
 ネタと酢飯も、ややモチモチしていました。
 今度、また寄ってみます。

 お寿司は、ありがたがって食べるよりも、気軽に、それも値段のことを心配せずに食べるのが一番です。
 寿司を回すという、まさに日本が生み出した文化との融合の所産については、また後日に。

 近くに、最近ミシュランの仲間入りをした、三つ星の和食屋さんや寿司屋さんがあるそうです。シェフを目指す息子曰く、回転寿司とは味が違うと。一度は行ってみたいとは思いますが、それとこれとは別です。
 お寿司を毎日、それも楽しく食べるためには、回転寿司か持ち帰りの寿司になるでしょう。
 銀座には、あと数件、回転寿司屋さんがあります。
 一通り回ってから、報告しようと思っています。

 それにしても、過日のアルマーニといい、このブルガリといい、この銀座に進出している外国からのお店の多いことは、文化的にはどんな意味を持つのでしょうか。

 私は、学生時代の一時期、銀座にほど近い、有楽町寄りにある、数寄屋橋のステーキハウスでアルバイトをしていたことがあります。
 当時の著名な俳優やスポーツマンが、頻繁に来る店でした。私は、ワインサービスなどをしていました。コックさんは、お客の目の前で、包丁を振り回して、肉を調理するショーをしていました。
 あの頃は、夕刻以降の数寄屋橋や銀座は、お金持ちのおじさんたちがウロウロしていた街だったと思います。おじさんたちが女性のためにお金を使い、そこに男と女はそれぞれに満足感を得ていたと思います。

 それが今は、世界の有名店での買い物をめぐって、男と女はそれぞれに満足感を得ているのでしょうか?。
 女性が自分のお金で自分のために買い物をする、というのが、かつてはなかったことのように思えます。

 学生たちが生意気にも銀座でコンパをした後に、小路でかたまって談笑している場面に、よく出くわします。
 この街は、若者が気軽に出入りできる地域になっていることは確実です。

 銀座で飲む、ということの文化的な意味は、小説における状況描写を追っていくと、その時代時代のありようが浮き彫りになるのではないでしょうか。

 銀座をさまよう人の移り変わりを、しばらく見ていきたいと思います。

2007年11月28日 (水)

ささやかな紅葉を楽しむ

 今年の紅葉は1月遅れ、といわれています。
 確かに、遅いようです。

 東京にいる時にも、出歩くエリアが限られているせいか、きれいな紅葉には、まだ出くわしていません。

 宿舎のベランダから外を見ると、目の前の木が紅葉していることに気づきました。

Sqz1j19x_s紅葉


 敷地の庭の大通り側に、ポツンと紅葉した木があったのです。よく見ると、2本の木が重なっているために、枝の厚みが増して、さまざまな色のグラデーションが楽しめます。

 若葉色から紅色まで、優しい温かさが感じられます。回りの木が常緑のため、この木だけが目立っています。少し不自然なたたずまいですが、ささやかな存在で、目を楽しませてくれます。

 散り敷く落ち葉の絨毯も、他に何もない平らな庭なので、これもきれいです。
 印象派の絵は、光を色の点で表現しています。その効果が、こうして目の前で確認できるのです。1枚1枚の葉が、筆の先で押された色の点なのです。
 私の部屋の窓から見られる光景は、まさに、切り取られた絵の教材だとも言えましょう。

 どのような経緯でこの木だけが紅葉しているのかはわかりませんが、新しく見つけた楽しみの1つになっています。

2007年11月27日 (火)

【復元】井上靖卒読(8)『紅荘の悪魔たち』

(※本記事は、本年3月に消失した分を復元したものです)

☆2007年1月7日

舞台で演じるとおもしろい劇になる



 「紅荘の悪魔たち」は、作家井上靖が誕生する前の作品です。それだけに、非常に興味深いものとなっています。
 推理小説のスタイルを執るところに、詩、脚本などの創作から新たな展望を求めていたことが想像できます。

 さて、登場人物は6人、男4人と女2人です。後の井上靖の小説によく見られるパターンです。それぞれの人間関係とさまざまな事件を経巡ることによって、物語が展開していきます。
 テーマがそうであるように、深刻で暗いイメージの中で物語られます。

 作者は冒頭で、こうして発表するための手記を認めている主人公を、冬木荒之介(ふゆきこうのすけ)だとします。


 言い忘れましたが、私はヴァン・ダインまがいの探偵小説を二、三発表して、新進作家として相当認められている者なのです。冬木荒之介―斯う言いましたら、ああ彼奴かと、頷く方もあろうかと思います。(『井上靖小説全集1』432頁)


 冬木という人名は、井上靖にとっては意味があります。
 3年前の昭和7年3月に、『新青年 1月号』に掲載された平林初之輔の遺稿である探偵小説「謎の女」が未完であったために、その続編が公募されました。
 井上靖は、冬木荒之介というペンネームで投稿し、それが当選し、『新青年 3月号』に掲載されたのです。
 また4月には、「江戸川乱歩全集 別冊付録 探偵趣味」(平凡社)が募集した小説に、冬木荒之介のペンネームで「夜靄」を投稿し、これまた入選して7月刊行の「江戸川乱歩全集 第12号 別冊付録 探偵趣味」に掲載されています。

 さて、小説の舞台となっている紅荘は「夕陽ケ丘」にあったそうです。
 私は、大阪府立夕陽ケ丘高校の出身なので、つい大阪の天王寺の北に位置する上町台地にある邸宅を想像します。
 この小説には、谷崎潤一郎の小説「夏草」の女主人公のことが引かれています(438頁)。谷崎の『細雪』には、島之内高等女学校(現・夕陽ケ丘高校)が出てきます。何となく私の中でつなげているのは、単なるこじつけでしょうか。
 夕陽ケ丘という地名は、『新古今和歌集』の撰者で鎌倉時代の歌人の藤原家隆が、晩年ここに住んでいたことによります。天王寺区夕陽ケ丘町には、藤原家隆の塚があります。
 この時期、井上靖は京都の等持院のアパートに住んでいました。結婚前です。まだ調べていないのでよくわかりませんが、本作品の舞台の昭和10年ごろの夕陽ケ丘を、私は大阪の地として勝手に想像しています。

 「夏草」に出てくるヒロインを思わせる御冬について、作中では3度もモナ・リザに似ているとされています。昭和初年にモナ・リザが女性の美しさを代弁するものとして持ち出されていることに、少し驚きました。
 まだ、井上靖は毎日新聞の記者として美術を担当してはいません。早くから、美術に関して興味があったことの証なのでしょう。

 物語が始まってすぐに、「この手記をものしてから、冷い拳銃を自らの顳?(こめかみ)にあてる筆者自身」(431頁)と語るので、この物語の結末は想像できます。しかし、読み進む内にそのことを忘れてしまい、終盤になってそうなることに気付きます。それだけ、物語の展開がうまいために、つい読んでしまうのです。

 この小説は、ミステリー仕立てとなっていて、迫力のある劇になっています。

 この時期の井上靖は、シナリオライターでもありました。昭和8年に「三原山晴天」が大阪角座で上演され、昭和9年には新興キネマの脚本部に勤務しています。昭和10年6月には、戯曲「明治の月」が『新劇壇』(創刊号)に載り、直ぐ後に「紅荘の悪魔たち」が発表されると同時に、その10月に新橋演舞場で「明治の月」が上演されています。
 「紅荘の悪魔たち」を読むと舞台劇を観る思いがしたのは、こうした背景があるからなのだと思われます。

 また、私はこの作品を読みながら、谷崎潤一郎の悪魔主義を想起しました。このことは、またにしましょう。

 登場する6人が全員死ぬという内容には、その因果関係がスッキリしない思いが残りました。これまた、またの機会にします。【3】

 「紅荘の悪魔たち」は、井上靖28歳の作品です。
 芥川賞受賞作「闘牛」に先立つこと15年も前、昭和10年の『サンデー毎日』(10月27日号)に掲載されました。
 この作品は、『サンデー毎日』の懸賞小説に井上靖の本名で応募した推理小説で、入選を果たしたために同誌に掲載されたのです。

 この作品の発表された前後は、井上靖を知る上で非常に興味深いものがあります。
 この年の11月に、京都帝国大学名誉教授足立文太郎の長女ふみと結婚します。
 翌春、二・ニ六事件が起き、3月に京都大学を29歳で卒業、という足跡の上に本作品を置くと、作家として自立する直前の井上靖の若き姿が垣間見えます。

 本作品は文庫本には収載されておらず、『井上靖小説全集1』と『井上靖全集1』で読むことができます。

2007年11月26日 (月)

命にかかわる緊急事態のための講習

 先ほどまで、3時間にわたって、エマージェンシー・ファースト・レスポンスの講習を受け、今帰ってきました。

97ooek2e_s心肺蘇生法


 何をしてるんだ、暇だな、やることを一杯積み残しているだろう、早く原稿を書いて送ってくれ、書類がまだ提出されていないけど……、メールの返事をまだ出していないって?、報告書は……、企画書は……、会議資料は……、原稿依頼の結果は……、ゲラを早く見て返送してください……、とまぁ、日々催促に追われる中にもかかわらず、マネキン人形を相手に、人命救助の認定講習に行ってきました。

 この世に生まれ、多くの人に助けられながら生きてきたからには、死ぬまでに1人の命は助けてあげる義務がある、と思ってきました。

 地球上での一匹のお邪魔虫にすぎなかった、ということにならないためにも、救命救急のお手伝いなら、死ぬまでに一度はお役にたてるのでは、と、かねてより思っていました。

 それも、私は人様のお役に立つような仕事をしているわけではないので、なおさら何かを、という思いを強く持っています。突然の非常事態に遭遇した時に、「市民の救助者」の1人にはなれるのです。

 そんなこんなの思いから、やっとエマージェンシー・レスポンダーになることができるようになりました。

 エマージェンシー・レスポンダーというのは、まだまだ認知されていないと思います。
 これは、医療処置が必要な非常事態の現場で、プロの救急隊が到着して専門的な医療行為が開始されるまでの間に、一市民の立場で緊急援助の手を差し伸べる人のことを指します。
 心得だけに留まらず、実践の技能を身につけることを目標とするものです。
 一生の内に一度でもいいので、人命にかかわる何かの時に、人様のお役に立てれば、という思いから、この講習を受けたのです。

 そもそものきっかけは、スキューバー・ダイビングをやり出したからです。その延長線上の、スキルの1つとしてのものでもあります。

 私はまだ、生命にかかわる緊急事態に直面したことがありません。私自身は、これまでに何度か死に直面しました。しかし、第3者として、そのような場面に遭遇したことはないのです。

 突然意識を失った人がいた時などに、専門的な訓練を受けていなかったこともあり、一命は取り留めたものの、意識を回復させるまでには至らなかった、という話はよく聞きます。これは、致し方ないことです。人命救助の心得の必要性を痛感する時だそうです。
 生命にかかわる緊急事態に直面した時に、その状態に対応できる手順と技術は、持っていて損はありません。邪魔にならないものならば、持っていればいいのです。

 今日の講習で、最初に感心したのは、心肺停止状態の人には、手を貸さないと事態は悪くなるばかりだけれど、何かしてあげれば事態は良くなる可能性がある、ということでした。
 何もしないよりも、何かをした方がいい、というのは、確かに正論です。特に、命に関する場合には。
 そのためには、勇気が必要です。問題は、この勇気だけだといえるでしょう。そのためにも、手助けの心得と技術の習得は、やって無駄ではないことです。

 さらに驚いたのは、救急処置が必要な人を発見した時に、優しく「大丈夫ですか」という声をかけることと、自分が手助けをしていいのかを、一応相手に確認する、という手続きに関することでした。
 実際には、
「どうしました? 私は、エマージェンシー・ファースト・レスポンダーの○○です。お手伝いすることはありますか? 」
 と、患者に救助してもいいかどうかの許可を得ることから始まるのです。意識がある人に対しては、許可が必要なのです。自分がトレーニングの受講者であることを伝え、相手の不安を取り除くことが肝心のようです。
 もちろん、相手が意識を失っている場合には、ほとんどの法令では、暗黙の内に許可されたものとして緊急ケアに移れるのだそうです。緊急ケアを、その人に強要してはいけないとのことです。

 救急車が来るまでの、心臓を蘇生させるための実習では、
こんな人形を使いました。

6jivxutv_sマネキンの内部


 心肺停止を確認するまでの手順を経て、心肺蘇生法としての胸部圧迫となります。心臓から動脈へ、強制的に血液を送り出すための支援をすることになります。

 これまでは、胸部を押さえることを15回行なってから2回息を吹き込む、とされていました。しかし、昨年からは、30回の胸部圧迫の後に2回の息の吹き込みと変更されたのだそうです。蘇生の効果からの変更のようです。

 もっとも、手による胸部圧迫では、通常の血流の3分の1しか送り出せないそうです。救急隊が到着するまでの、回復のチャンスを増やすためでもあり、回復の確率を高めるための時間稼ぎでもあるのです。

 今日は、その他に、包帯の仕方や、三角巾の使い方などの後、今話題のAED(自動体外式除細動器)の使い方も学びました。
 AEDは、呼吸をしていない人に対して、自動的に電気ショックを与えるための道具です。最近は、駅や公共施設で、または街角で見かけることが多くなりました。

 とっさの場合に、勇気と自信をもって対処できるような心構えと技能を持っていることは、これからの共存社会では必要なものだと言えるでしょう。

 今日の講習を通して、ないに越したことはありませんが、身につけていて邪魔にはならないものとして、このエマージェンシー・ファースト・レスポンスの習得は価値あるものだ、と実感しました。

2007年11月25日 (日)

江戸漫歩(2)鶴屋南北住居跡

 江戸時代の人や出来事に関して、私はほとんど知りません。
 しかし、深川という下町にいるので、宿舎のまわりを散策してみました。

 単語だけは知っていたけど、という程度の、不確かで心もとない情報に引きずられてのお散歩です。頼りない限りです。しかし、地縁から現地情報を手繰ることにより、未知のことに興味を広げたいと思います。

 まずは、すぐ近くにあった、鶴屋南北の住居跡。

 鶴屋南北と言われても、すぐに「東海道四谷怪談」を書いた人だとは結びつかず、とにかく有名な人だった、というレベルでの訪問です。

Ywsukbk8_s黒船稲荷神社



 清澄通りから少し中に入ったところにある、と江東区でもらった地図にありました。そこで、買い物のついでに立ち寄ることにしました。
 しかし、通りから内に1本目ではなくて、3本目の中ほどに、本当に目立たないところにありました。通りには矢印などもないので、知らないと無縁なままです。

 この黒船稲荷神社のすぐ右横の壁際に、ひっそりと解説パネルがありました。狭いながらも境内は、派手な幟がズラッと並んでいます。

Igfcskrq_s南北の説明


 説明を読んで、はじめて鶴屋南北という人のことがわかりました。断片的なことばを繋ぎ合わせながらではありますが、なんとなくわかったつもりになりました。

 ようは、鶴屋南北とは、


・江戸の戯作者として第一人者だった
・日本橋(中央区)に生まれる
・家業の紺屋を捨てて狂言作者になる
・文化8年(1811)に4世鶴屋南北を襲名
・代表作は「東海道四谷怪談」
・文政12年(1829)に黒船稲荷地内の自宅で死去
・75歳の生涯だった


ということです。

 家業である紺屋の型付職人から作家の道へ、というところに、この人の人生のポイントがあるように思われます。
 あくまでも想像ですが、親兄弟や親戚一同の反対があったことでしょう。そんな逆風を克服して、南北は、やがて大作家になったのです。
 もっとも、これは私が勝手に考えた、月並みではありますが、よく語られる1人の男の背景です……。

 「東海道四谷怪談」の中に、深川などが出てくるそうです。
 私は、まだこれを読んだことがないので、機会を得て確認してみましょう。

 南北のお墓は、春慶寺(墨田区業平2丁目)にあるそうです。
 業平という地名が、『伊勢物語』の東下りへと誘います。ここにも、脚を向ける日があることでしょう。

 鶴屋南北について少し調べました。もっとも、最近流行の、ネットで検索して得た情報にしか過ぎませんが。

 まず、「狂言作者」というのは、「歌舞伎の脚本を作る人」、ということのようです。
 舞台の台本を作る人だ、としておきます。

 また、鶴屋南北は、一世から三世までが「道化方役者」で、四世と五世が「狂言作者」だそうです。
 何代目何々、というところなのでしょう。ただし、この人が一番著名だからでしょうか、「大南北」とも呼ばれているようです。

 ほんの少しですが、江戸時代の文学の入口に立った気持ちになりました。
 地元を散策する中で、江戸を体感してみたいと思います。

2007年11月24日 (土)

【復元】デタラメで強引な警察の捜査

(※本記事は、本年3月に消失した分を復元したものです)

☆2007年1月24日

免罪事件の背景にあるもの


 富山県警が誤認逮捕し、その結果7年も服役した男性に謝罪したというニュースを見て、懲りない面々についての私の体験を記します。
 警察の捜査のデタラメさについて、私が知っている範囲で報告しましょう。

 今から三十数年前のことです。

 私が大学1年生の冬でした。当時は新聞配達店に住み込みで生活をしていました。ちょうど私の成人式のある数日前の出来事です。

 早朝、住み込みの新聞配達店から出火し、全焼しました。

 夜明け方のことでした。自分の3畳の部屋に白い煙が充満しているので目覚めました。今ごろ誰がゴキブリ駆除のバルサンを焚いているのだろう、と思って戸を開けたところ、突然真っ赤な炎と熱風が部屋に押し寄せてきました。

 2階にいたので、慌てて反対側の窓から飛び降りました。苦しさのあまり、何も考えずに窓から飛んだのですが、たまたま目の前に電信柱があったために、それにしがみつく格好で下に降りることができました。
 ただし、その下にガラスなどのワレモノがあったために、手や足は血だらけになりました。
 あいにくの雨の中を、足から血を滴らせながら安全なところに退避して、燃え盛る新聞配達店を見つめるしかありませんでした。

 すぐに朝刊を配達する時間となり、血だらけの足と手で、寒さに震えながら400部以上の新聞を配り終えました。
 血のついた新聞を配ったことについては、今でも申し訳ないことをしたと思っています。何を着て新聞を配ったのか、まったく記憶がありません。ただ、むしょうに涙が止まらず、泣きながら配ったことは鮮明に覚えています。

 今にして思えば、その新聞には、井上靖の『星と祭』が連載されていたのです。そうであるからこそ、井上靖は私にとっては無縁な人ではないのです。

 それはさておき、出火の直後は近くの神社に仮の退避場所を確保してもらい、区から支給された毛布にくるまって休んでいた時です。消防署と警察署から事情聴取に呼ばれました。

 私は、自分の成人式のイベントとしてのマラソン大会に、脚力と持久力に自信があったこともあり、エントリーしていたのです。しかし、この数日にわたる消防署と警察署の執拗な呼び出しのために、成人式祝賀のマラソンの出走は断念しました。

 それ以後、消防署と警察署には、何度も呼び出されました。そして、いつも同じことを聞かれました。
 出火の前の晩に、新聞配達員の仲間と飲みに行っていたことを根拠に、帰りに駅で火をつけたタバコを、店の前でポイ捨てしただろう、ということが、事情聴取の眼目のようでした。その線で、出火の原因をでっちあげたい意向のようでした。

 私はタバコを吸いませんし、たとえ駅で火をつけても、販売店につくまでに火は消える距離だということを言いました。しかし、聴取は執拗でした。

 あまりにも非常識なことばかりを言われるので、私が駅から販売店まで、実際にタバコに火を付けて持って歩いて、その途中で火が消えることを実証しました。それでも、彼らは、火災の原因をタバコのポイ捨てにしたいようでした。
 私はあまりにも消防署と警察署の人の知的レベルの低さに呆れて、適当に対応している内に、私への容疑はなくなったようで、1週間後には呼び出されなくなりました。

 反対に、仲間の一人に攻撃が集中するようになりました。どうしても犯人を仕立て上げたいようです。標的にされた彼は、ヘビースモーカーでした。とにかく毎日、ため息と愚痴が止まらないほどに、これでもかこれでもかと呼び出されました。
 そして、その人は私に、あまりに執拗な尋問に耐えかねて、もう自分がやりました、と言った方がずっと楽になる、と言い出したのです。私は、出火の前まで彼と一緒に行動していたので、絶対に彼が犯人ではないことを消防署と警察署に言いに行ったのですが、その後も執念深く仲間である彼を、失火の張本人にしたてあげようとしたのです。

 疑われた仲間には、とにかく無実であることを主張しつづけるしかないことを。また、追求の苦しさから逃れるために自分がした、ということを言わないように念押しをして、とにかく何とか擦りつけられる汚名を被らないようにしなければ、ということを言いつづけました。

 結果としては、失火原因は不明となったと思いますが、実際の書類処理はどうなったのか、あの時の捜査官の様子では、どうなったのか、わかったもではありません。あの時の権力者側の対応は、本当にひどいものでした。

 今回の富山県のニュースを見て、なぜあの人は服役したのか、疑問に思われる人が多いと思います。
 しかし、私は自分の体験から、少しでも厳しい追求から逃れて気持ちの上でも楽になりたくなる、疑われた人の気持ちがよくわかります。

 正しいことを主張しても、それがいつも通るのではない社会であることは、今も変わらないようです。

 警察も消防も、多くの方は、真剣にみんなのために仕事をしておられると思うのです。しかしながら、そうではない人もおられることは事実のようです。
 犯人の検挙率を優先した捜査は、無実の人を犯人に仕立てる場合もあることを、よくよく知っておくべきではないでしょうか。

 疑われたら、とにかく妥協せずに、事実を誠意を持って訴え続けるしか、自分を助ける道はないようです。

 残念なことですが。

2007年11月23日 (金)

【復元】欠陥ハードディスクケース

(※本記事は、本年3月に消失した分を復元したものです)

☆2007年1月13日

またまた動かない商品でした

 昨年末の12月15日に「即日返品したハードディスクケース ー開封後すぐにわかった不良品ー」という拙文を書きました(http://www.npo-genjimonogatari.org/blog/genjiito/index.php?categ=1&year=2006&month=12&id=1166194000)。欠陥品である「ニコイチ SATA」(センチュリー製)に関するものでした。


Rh4j8fz1_sケースの箱



 年末年始の忙しさから、送り返されてきた新品は、開封せずにいました。ようやく少し落ちついたので、使うことにしました。
 まずは、ケースに入れる2台のハードディスクを念のために初期化しました。そして、慎重に取り付けました。
 ところが期待に反して、やはりこのケースもダメでした。


Evmxcbmd_sケースの中身



 2台のハードディスクの内、1台分しか認識しないのです。いろいろとやってもダメなので、またサポート係へ電話をしました。
 電話口でイロイロと言われるままに操作をしてもダメです。この「ニコイチ SATA」に取り付けたハードディスクは、その初期化すらできません。
 担当者は、それを再度送り返してくれと言うのです。それも、私が組み込んだハードディスクも、2台とも送ってくれと。私が使おうとしているハードディスクは、バッファローのキチンとした単品販売の商品です。バルク品ではないのです。別のボックスに取り付けると、正常に使えるものです。私はセンチュリーのテスターではないことを伝え、このハードディスクを手放すことは拒否しました。またやりとりに日数がかかり、梱包などの手間のかかることでもあるので、私は返送を断りました。そちらがきちんと動くものを送るべきだと言いました。
 そのような例がない、などと言っていましたが、とにかく1日も早くバックアップ作業をしたいことを伝え、新品が翌日に私の元へ届くように手配してもらいました。

 翌日届いた「ニコイチ SATA」は、これで3台目になります。今度も、またまた初期化し直したハードディスク2台を取り付けたのですが、やはり2台目のハードディスクを認識しません。
 また、サポート係に電話です。今度も言われるままに作業をさせられました。やはりダメです。ただし、イロイロとやっている内に、今度は「ニコイチ SATA」で初期化はできるようです。1台ずつ初期化をし、そして2台をつかえるように切り換えると、ようやく使えるものになりました。

 サポート担当者の話では、「ニコイチ SATA」で初期化しないといけない原因があるようだ、とのことでした。詳しいことはわかりません。初期化をする機械が限定されるなど、そんなに特殊な商品なのでしょうか。

 何はともあれ、これでバックアップ用として使えるようになりました。来週にでも、部屋の片隅に置かれた不具合のある「ニコイチ SATA」を、センチュリーに返送します。面倒な作業ですが。

 私は、辛抱強くサポート担当者とやりとりをしました。諦めないことですね。

 欠陥商品が氾濫しています。
 コンピュータを使って仕事をする際に、少しでも使いこなし出すと、8割はコンピュータの機嫌伺いに費やされ、実際の仕事は2割の時間で片づけている、というのが持論です。
 これは巡り合わせの問題でもあると思われます。私の場合は、ということにしておきましょう。

2007年11月22日 (木)

藤田宜永通読(3)『戦力外通告』

 藤田宜永の『戦力外通告』(講談社、2007.5.30)は、小説にしては、少し変わった書名です。

Xjpiaaic_s戦力外通告


 しかし、これにはそれなりの理由があります。今に視点を当て、時事問題も背景に取り込みながら、今どきの会社人間や夫婦や親子や友情をとりあげた小説です。

 活力あるハードボイルド小説から、甘酸っぱい恋愛小説へと移行した藤田宜永の小説が、この作品を境にして、今後はその作風を変えていくように思われます。現実を直視したいわゆる中年の世代をテーマとして、これからは作者にとっての等身大の生きざまを描いていくのではないでしょうか。これはあくまでも、私の勝手な推測に過ぎませんが。

 本の帯には、次のように書かれています。



55歳 リストラされた。
新しい人生は、そこから始まった。
戦う男たちを救うのは、
仕事?妻?恋?子供?友情?

リストラの恐怖、夫婦の危機、家族の崩壊、肉体の衰え……。悩みは山ほどあるが、まだ未来は開けているはずだ。転換期を迎えた男たちの、心の惑いを描く、渾身の長編小説。



 この『戦力外通告』の主人公は、作者よりも2つ歳下の55歳です。私は、今月ちょうど56歳になったばかりなので、まさに私と同じ世代の男の話として読みました。そして、それも他人事ではない、という気持ちで、自分の日常生活とダブらせながら、リアルタイムのテーマを題材にしたものとして、一気に読み終えました。

 人と人のつながり、というものを、改めて考えさせてくれる作品です。

 最近の藤田がよく使う手法ですが、作品の背後に、同世代の者にとっては懐かしい、オールデイズの音楽が流れています。
 最初は、「そよ風の誘惑」が、そしてカラオケでは加山雄三やピンクレディーにはじまり、「マイウェイ」「スーダラ節」「また逢う日まで」「空に星があるように」「居酒屋」等々、さらに終盤では、「神様お願い」「花の首飾り」やカーペンターズなどと、1960年代を思い出させる仕掛けが随所にちりばめられています。

 内容に触れておきましょう。

 
 夫婦というものは、恋人同士と違って、自然に手垢がついてゆく関係である。それがいい具合に出ると、新品の家具よりも味が出て、愛おしさが増してくる。しかし、膠でくっつけたようなところもある。うまく行かなくなり、膠を剥がそうとすれば、互いにかなりのダメージを覚悟しなければならない。それが嫌なら、お互い見て見ぬふりをして暮らす他ない。
(93頁)


 夫婦の関係を家具に喩えるところは、なかなか巧いと思います。


お節介を焼いている暇がお前にはあるのか。もうひとりの私が問うてきた。
(145頁)


 ここで、ウン? と思いました。
 藤田の作品で、もうひとりの自分が、これまでにいたのだろうかと。あったのかもしれませんが、改めて思ったことがありません。今後は、このような描写にも気をつけたいと思います。


天野、お前は奥さんのカウンセラー役をやっていればいいんだ。彼女は全部、受け止めてくれる人間がほしいんじゃないかって思ったよ。彼女が話したい時に、話を聞く。余計なコメントや、夫婦というものはああだこうだ、とか、俺はどうするんだ、なんてことは一切口にしないことだ。
(243頁)



ともかく、絆を取り戻そうとか、より関係を前進させようとか、絶対に思うな。表面的に付き合っていればいい。さらさらと付き合ってやれば、彼女はほっとするはずだ。
(244頁)


 結婚生活を、円満に長く続けるためには、このような心構えが必要なのかも知れません。
 私は、女性は男性とは人種が違う、と思っているので、なおさらこのような指摘が気に止まりました。

 女性が経済力を獲得したことにより、恋愛に対する状況も大きく変わり出しました。そして、現代の若者たちの恋愛観にも、女性の重みが増した価値観がウエイトを占め出したように思います。
 藤田も、次のように語っています。


団塊世代は、恋愛に対する幻想が強い、と誰かが言っていたが、当たっているように思う。恋愛という言葉を初めて使ったのは北村透谷だそうだが、明治に開花した近代的恋愛が、私の青年期辺りに大輪を咲かせたということかもしれない。しかし、完全なる合一を求め合う恋愛は、実際の場面では、悲しい結果をもたらすことの方が多い。そのことに、若者たちが気づき、恋愛に対して警戒心を抱くようになったのだろう。
(315頁)


 難しい問題ですが、恋愛観が変わりつつあることは事実だと思います。恋愛関係のみならず、社会における女性の比重が、想像を絶するほど重みを増していることは、最近の顕著な傾向と言えるでしょう。
 私は、こうした傾向に、男たちは戸惑っている、と見ています。

 生きて行く上での道半ばという状態での我ら中年世代は、これからどのように生きて行くべきか、という重たいテーマに本作はつき進んでいきます。今後の藤田の作品は、こうした問題が掘り下げられていくのではないでしょうか。
 
 熟年離婚の問題を展開する中で、藤田は次のように言います。


 夫婦をやるのは本当に難しい。たとえ元の鞘におさまったとしても、すぐには元の形には戻れないだろう。どちらかが病気にでもなるまで、ぎくしゃくしたものが残るかもしれない。
 五十五歳。何もかも忘れ諦め、寄り添うのには若すぎる。
(458頁)


 『源氏物語』以来の問題も、こんなふうに女性の口を借りて語られています。


若い頃の話だけど、私、ふたりの男と同時進行で付き合ってたことがありました。ひとりは心の相性はぴったりだったけど、あっちの方は淡泊すぎるくらいに淡泊だった。もうひとりは、性格的には合わないのに、あっちの方は私の好みだった。随分、悩みましたけど、この矛盾を解決する方法は見つからなかった
(461頁)


 これは、まさに『源氏物語』の第3部における、浮舟の視点からの、薫と匂宮のありように直結するテーマです。

 なお、主人公の愛人である晶子のことばの中で、「繰り返しになるけど」(128頁)というものがあります。
 晶子は、非常に論理的な言い方をします。しかし、このような表現を、女性はするでしょうか。少なくとも、私はまだ出会っていません。これは、作者の男としてのレベルでの文章になっている箇所だと思います。

 最後に、主人公の置かれた立場からのまとめのことばとして、こう語られます。

 
 五十五歳。人生に嵐が襲ってくる歳なのかもしれない。ゴールが見えていそうで見えない。まだ山ふたつばかり越えないと、晩年を迎えることはできないのだと改めて思った。
 翳りがさしてきたとはいえ、まだまだ元気なのだ。その元気をもてあましている歳だとも言えるだろう。本当の戦力外通告を受けるのはもっと先のことである。
(513頁)


 もっとも、作者である藤田の最終結論は、本作品の最後に語られることとなる、次のことばです。


家庭よりも恋よりも、仕事が大事と思いたい。
(513頁)


 しかし私は、中年世代のこれからの生きざまに思いを致す時に、これは少しズレているように思います。
 仕事に没頭することは、さまざまな煩わしさを一時的に忘れる上では、有効な解決手段です。しかし、夫婦関係、親子関係、社会との関係を思う時、これは違うように思います。というよりも、これは先祖返りの結論ではないでしょうか。
 今に則した、藤田の視点からの結論を、これからの作品で期待したいと思います。

 この小説の内容は、藤田にとっては、今後とも、さまざまな展開が予想されます。
 特に、夫婦や親子をはじめとする人間関係に切り込むテーマが、ますます取り上げられることでしょう。
 藤田宜永の次の作品が楽しみです。

2007年11月21日 (水)

【復元】井上靖卒読(7)『雷雨』

(※本記事は、本年3月に消失した分を復元したものです)

☆2007年1月6日

結末のみごとさ

 「波紋」に続いて、井上靖初期の短編です。
 この物語は印象深かったので、かつて読んだものであることを、よく覚えていました。
 一人の男の数日間にわたる心情の移り変わりが、丁寧に、わかりやすく語られています。結末が秀逸だと思います。

 功成し遂げた学者が帰郷します。一人の男は、その幼なじみの友をめぐって、心の葛藤劇を演じます。テンポよく進んでいきます。よく練られた、磨かれたことばで、丁寧に時を追って描写されます。
 そして、その男の心が、友への「反撥的感情」から徐々に「憎しみの感情」へと移り変わっていくのです。

 村人たちが、友をチヤホヤすればするほど、その思いは募ります。
 そんな時に、友の娘の美しさに接します。この娘が間に入ることにより、男は友(娘の父)との面会を期待します。しかし、それも叶いません。しだいに男は、「途方もない淋しさ」に包まれていくことに気付きます。

 それでも、友の娘の心臓病のために、「おおばこの葉」を採って来て与えようとするのです。心の温かな男の一面が、とても感動的に描かれています。結末にいたるくだりは、人間のすばらしさに共感し、救われる思いにさせられました。

 悲劇で幕が下りることになります。しかし、男の純真な心が巧みに描写されたことにより、表現は不適切かもしれませんが、爽やかな思いが後味として残りました。

 人間だれも善人なのだ、という井上靖の人物描写と物語展開が、みごとに結実した掌編でした。

本作品は、以下の本に収録されていますが、私は『補陀落渡海記』(講談社文芸文庫)に所載のもので読みました。 【4】


初出誌:中央公論
初出号数:1950年11月文芸特輯号

角川文庫:黯い潮
旺文社文庫:滝へ降りる道
井上靖小説全集3:比良のシャクナゲ・霧の道
井上靖全集2:短篇2

2007年11月20日 (火)

トルコ製カーペットの怪

 東京の住まいでも、冬の訪れとともに寒さを感じるようになりました。

 京都の我が家は古い町屋を改造したものだけに、隙間だらけです。これからますます厳しくなる冬の寒さが、今から思いやられます。

 その点、東京の宿舎はマンション形式なので、アルミサッシで密閉性が高く、天気のいい日はホカホカと暖かいので助かります。
 もっとも、エアコンのない生活なので、初めての今年の夏の日中は、扇風機だけでは我慢の限界があり、おのずと部屋が少しでも熱気の冷めたころに、遅い時間帯に帰る日々でした。

 コンクリートの箱の中は保温性があるとは言っても、フローリングの床は、少しヒンヤリと感じます。暖房器具はささやかなストーブが1つという生活なので、冬の寒さに備えて、床だけでも温もりがあるようにしようと思い、カーペットを買ってきました。

 近所のホームセンターへ行くと、トルコのカーペットが大処分となっていました。予想外に安くなっており、さらに千円引きとのことなので、すぐに買いました。

 数年前にトルコへ行った時に、大きめのマットを買って帰りました。デザインが気に入ったので、少しかさばりましたが、トルコを思い出させるもので、いい買い物でした。

 さて、帰ってからカーペットを敷いてみると、思ったよりも小さかったので、すぐにもう1本を買いに行きました。
 ところが、さきほど10本近くは立て掛けてあったカーペットの丸太が、1つもないのです。売り場から撤去されており、ベルギー製のものはまだありました。
 店員に聞くと、ハッキリしない返事です。

 先ほどの領収書を見せて、同じものがほしいと言うと、倉庫に残っていたという1本を渡してくれました。
 先ほどは、私が買ったものと同じ柄のものがまだもう1本あったのに、もうないとのことです。そんなに短時間に、このカーペットが売り切れるはずはないので、とにかく変な話ではありますが、先ほどはパスした柄のものを、とにかく買って帰りました。
 もっとも、先ほどと同じように千円引きにしてもらうのに、少し手間取りましたが……。

 2枚のカーペットを部屋に並べて敷くと、なかなかいい雰囲気になりました。

K9xrn3e9_s2枚のカーペット



 それにしても、変な話だな、と思いながら、カーペットの裏を見ると、こんな品質表示と取り扱いの注意を書いたものが貼り付けてありました。


7c6ijyg0_s製品表示



 左側の赤地の方に、今回のホームセンターの名前があります。輸入の関係なのでしょうか、このシールに販売店の名前がある意味がよくわかりません。
 それはともかく、右側のシールをよく見ると、文字が裏表逆になっています。
 はてな、と思って端を少しめくってみると、裏は真っ白で、そこに糊をつけて貼ってあるのです。
 なぜ、取り扱い説明文の文字が、わざわざ反対に印字されているのでしょうか。日本の文字がわからない外国で印刷されたものなので、こんな変なものになったのでしょうか。
 しかし、よく見ると、これは日本で印刷されたもののようです。

 何がどうなって今回こうして私のところに来たのかは、今は判然としません。しかし、私はこのカーペットが気に入っているので、詮索はやめておきましょう。

 あのお店の倉庫のどこかに、突然引き上げられたトルコのカーペットが、何本も積まれているはずです。何か、お店の事情があるのでしょう……。

 何となくミステリーです。

2007年11月19日 (月)

【復元】井上靖卒読(6)『波紋』

(※本記事は、本年3月に消失した分を復元したものです)

☆2007年1月5日

純粋な人間の魅力


 井上靖の初期の作品に興味があります。
 しばらくは、昭和30年までのものを中心に読んで行きます。

 『波紋』は、とても清潔な物語です。
 青年船木が、流星として物語の舞台から去って行く語り口は、本当にうまいと思いました。

 汚れのない純真な心の美しさに、女性というものは魅かれるとか。その一点に集中して、物語は進みます。3人の女性が、次々と、澄み切った青年の心の虜となるのです。
 少年のような清潔さが、男の魅力であることを、意外性のある展開の中で、きれいな物語にして見せてくれます。

 この作品を読むのは2回目のはずなのに、この前に読んだことをまったく覚えていません。
 これが、私にとっての井上靖の小説なのです。【3】

 この小説は、昭和25年11月に、『小説新潮』に掲載されました。この年の2月に、井上靖は芥川賞を受賞しています。ストーリーテーラーとしての資質が十分に感得できる作品です。


文春文庫:断崖
講談社文芸文庫:補陀落渡海記
井上靖小説全集3:比良のシャクナゲ・霧の道
井上靖全集2:短篇2


2007年11月18日 (日)

つもり違い十カ条

 長崎県美術館(http://www.nagasaki-museum.jp)の米田耕司館長から、3種類のカードをいただきました。
 おもしろいので、紹介します。

 まずは、高尾山薬王院の「つもり違い十カ条」というものです。



高いもつりで低いのは 教養
低いつもりで高いのは 気位
深いつもりで浅いのは 知識
浅いつもりで深いのは 欲
厚いつもりで薄いのは 人情
薄いつもりで厚いのは 面の皮
強いつもりで弱いのは 根性
弱いつもりで強いのは 我
多いつもりで少ないのは 分別
少ないつもりで多いのは 無駄




 併せて、こんな詞も教えてもらいました。


「福不可量」(ふくふかりょう)



 これは、「幸せは計算できない」、という意味で、江戸時代の算盤に墨書きされている詞だということです。



 さらに、回文も教えてもらいました。



悲しい世にも 友は良し 夜半も共に 酔いし仲
(かなしいよにもともはよしよはもともによいしなか)



 フッと目に留めたその時には、うまく言ったものだと感心しても、すぐに忘れてしまいます。
 これは、私にとっての備忘録です。

2007年11月17日 (土)

お寿司をポン酢で

 毎日食べているお寿司ですが、最近は醤油ではなくて、ポン酢で食べています。
 醤油の味が強く感じるようになったからです。

 ポン酢にしたら、酢飯の味がやや甘くなるように思います。
 寿司ネタにポン酢をつけないようにして、ご飯に少しつけます。ご飯が崩れやすくなりますが、そこは箸でつまんでサッと口に入れます。

 マグロもハマチも、今は何でもポン酢で遊んでいます。飽きたネタから、順番に醤油にもどすつもりです。

 さて、どんな順番でポン酢から離れて行くのか、今後の展開が楽しみです。

2007年11月16日 (金)

トルコ語訳『源氏物語』のこと

 トルコ・アンカラ大学のエルキン先生が、客員研究員として来日中です。
 エルキン先生は、日本近世史の対外関係がご専門です。しかし、日本文学作品をたくさんトルコ語に翻訳なさっている方でもあります。
 『砂の女』『鼻』『人間失格』『古都』『コインロッカー・ベイビーズ』『葉隠』などなど。
 日本とトルコの文化交流において、果たされている功績は多大なものがあります。

 そのエルキン先生が、来年には『源氏物語』のトルコ語訳を出版されます。古文から直接トルコ語に翻訳されたものです。千数百ページにも及ぶ大著となるようです。

 先生から伺ったお話の中で、いくつか興味深いことがありましたので、ご紹介します。

 『源氏物語』の全54巻を翻訳するのに、まず第1回目としては、何と1年半という驚異的な短期間でなさったのです。
 これには、何頁あるかということが、出版できるかどうかという点で重要な要素となるために、シリーズの中に入れてもらえた機会を逃すまい、という一念で、猛スピードで成し遂げられたのだそうです。
 それにしても、すごいことです。
 現在は、その初訳を確認中です。

 日本語とトルコ語は語順が一緒で、文の構造が変わらない、とのことです。しかし、日本の古語をトルコ語に翻訳するには、想像を絶する苦労があるかと思います。
 一例を挙げれば、「夕顔」という花の名をそのままトルコ語に置き換えると、「夜遊び、夕方の寛ぎ」という意味の花名になってしまうのだそうです。
 語順が一緒でも、言葉を置き換えていけばいい、というものではないようです。

 『源氏物語』の中に出てくる和歌は、現在一般的に読まれている本で数えると、795首あります。その『源氏物語』の作中和歌を、エルキン先生は最後に訳されたようです。

 『源氏物語』のロシア語訳を完成なさったタチアナ先生は、和歌から先に訳した、と、昨年モスクワを訪問した折に話してくださいました。

 翻訳者によって、いろいろな挑み方があるようです。

 エルキン先生のトルコ語訳『源氏物語』は、着手から6年目の2008年に完成です。
 私はトルコ語はかいもくわかりません。しかし、その本を手にする日が来るのを、心待ちにしています。

2007年11月15日 (木)

源氏千年(3)【復元】本年元旦の朝日に掲載

(※本記事は、本年3月に消失した分を復元したものです)

☆2007年1月1日

 海外の『源氏物語』の翻訳本のこと

 元旦の朝刊に、私が最近取り組んでいる『海外における源氏物語』に関する記事が掲載されました。


V_1agty7_s朝日新聞記事



 朝日新聞の京都支局が作成した【京都版】に掲載されたために、その他の地区では見ることが出来ないものでした。
 昨年末に、電話で取材を受けたものです。

 この『源氏物語』の特集は、見開き2頁にわたるものです。上記の記事は、中央上段にあり、私への取材記事は左半分というほんの一部にしか過ぎません。
 このページは、京都らしく、なかなか楽しい記事で構成されています。機会を見つけて、ぜひ全文をご覧ください。

 2008年の源氏物語千年紀を来年に控え、新聞、雑誌などでは、さまざまな企画が進行中です。
 昨年末には、京都新聞など、他にも2社の取材を受けました。
 どのような企画が進行中なのか、少しずつ明らかになるのが楽しいところです。

 『源氏物語』に関するニュースは、今後ますます眼が離せません。

2007年11月14日 (水)

3月にクラッシュした題目

 3月にクラッシュした私のブログは、復活できるものは以下のアドレスで公開しています。

http://www.npo-genjimonogatari.org/blog/genjiito/index.php

 ただし、画像はまだ表示されませんが……。
 いずれ、何らかの形で復元します。

 手元に資料があるので、上記のブログで再現できていないものの題目だけでも、以下にあげます。
 すべて、今年の正月以降のものです。

 この中から、復元できるものは、今後とも適宜このブログの中で紹介しましょう。

**************************************************

西冷印社の印鑑 ( 3-文房四宝 ) / 07-03-10 21:58
  ―街中と空港の価格差は4倍?
最澄・成尋が登った天台山へ ( 9-身辺雑記 ) / 07-03-09 11:03
  ―出発前に他界した義父を偲ぶ?
中国・杭州の回転寿司 ( 7-お寿司 ) / 07-03-08 23:43
  ―日本と同じ感覚で食す?
中国で聞いたお琴の調べ ( 9-身辺雑記 ) / 07-03-07 00:55
  ―茶屋での実演を聞きました?
『源氏物語』の外国語訳 ( 1-古典文学 ) / 07-03-06 02:29
  ―中国での本との出会い?
出国前に食べたお寿司に感謝 ( 6-不可解 ) / 07-03-06 02:23
  ―こんな機内食もあるのです?
盛会だった国際集会 ( 2-国際交流 ) / 07-03-06 01:29
  ―実りある1日でした?
早春のデリーに響く琴の音 ( 2-国際交流 ) / 07-03-03 12:49
  ―第3回インド日本文学会を開催して?
微熱のデリー ( 2-国際交流 ) / 07-02-27 15:56
  ―来てから少し体調が良くなりました?
お寿司のない食生活 ( 7-お寿司 ) / 07-02-23 03:18
  ―高熱とノドとの戦い?
井上靖卒読(11)風林火山 ( 5-読書雑記 ) / 07-02-19 23:55
  ―NHK大河ドラマに失望しました?
ロンドンの回転寿司 ( 7-お寿司 ) / 07-02-18 23:50
  ―やはり贅沢な食事??
機内で観た3本の映画 ( 9-身辺雑記 ) / 07-02-15 22:56
  ―小雨のロンドンから晴れのケンブリッジへ?
3月に国際学会を開催します ( 1-古典文学 ) / 07-02-12 01:14
  ―『源氏物語』を中心とした国際会議?
続・やぶ医者の薬 ( 4-健康生活 ) / 07-02-11 23:49
  ―30日分は間違いだったとか?
やぶ医者の薬 ( 4-健康生活 ) / 07-02-10 23:52
  ―何を血迷ったか30日分の投薬?
回転寿司に関する最新情報 ( 7-お寿司 ) / 07-02-09 01:43
  ―まさに日本を代表する文化です?
井上靖卒読(10)愛 ( 5-読書雑記 ) / 07-02-06 23:47
  ―男と女の間に生ずる情について?
米子の井上靖記念館 ( 9-身辺雑記 ) / 07-01-29 23:49
  ―井上靖の応接室と書斎を見る?
鳥取でも鰰が捕れる ( 7-お寿司 ) / 07-01-29 00:14
  ―秋田だけではなかったのです?
古都散策(27)かぐや姫ゆかりの地 ( 1-古典文学 ) / 07-01-28 07:46
  ―突然古代にスリップする?
息子が作ったお弁当 ( 4-健康生活 ) / 07-01-26 23:22
  ―血糖値をコントロールする日々の中で?
デタラメで強引な警察の捜査 ( 9-身辺雑記 ) / 07-01-24 23:34
  ―免罪事件の背景にあるもの?
井上靖卒読(9)戦国無頼 ( 5-読書雑記 ) / 07-01-14 23:42
  ―ヒロインの誕生?
欠陥ハードディスクケース ( 3-文房四宝 ) / 07-01-13 23:31
  ―またまた動かない商品でした?
井上靖卒読(8)紅荘の悪魔たち ( 5-読書雑記 ) / 07-01-07 12:28
  ―舞台で演じるとおもしろい劇になる?
井上靖卒読(7)雷雨 ( 5-読書雑記 ) / 07-01-06 11:18
  ―結末のみごとさ?
本年元旦の朝日新聞に掲載される ( 1-古典文学 ) / 07-01-05 23:40
  ―海外の『源氏物語』の翻訳本のこと?
井上靖卒読(6)波紋 ( 5-読書雑記 ) / 07-01-05 22:34
  ―純粋な人間の魅力?
古都散策(26)広瀬神社へ初詣 ( 9-身辺雑記 ) / 07-01-04 23:41
  ―奈良じゅうの川が集まる所?
古都散策(25)信貴山朝護孫子寺へ初詣 ( 9-身辺雑記 ) / 07-01-03 00:06
  ―山伏さんに頭と肩へ祈祷をしてもらう?
古都散策(24)龍田大社へ初詣 ( 9-身辺雑記 ) / 07-01-01 18:52
  ―人出の多い元日の龍田越え?


2007年11月13日 (火)

演劇「なりひらの恋」

 『伊勢物語』の第23段は「筒井筒」として有名です。
 高校の古文の授業で教わった方も多いと思います。
 この舞台は、河内の高安の里です。現在の大阪府八尾市の東部山側にあたります。

 私は、この高安の里の小学校と中学校で育ちました。正確に言うと、小学校の6年生から高校3年までです。そのためもあって、『伊勢物語』の第23段には思い入れがあるのです。我が家のお墓は、この高安山の麓にあります。

 さて、この高安を舞台とする演劇が、年明けに上演されるそうです。


Yb2jjusn_sパンフレット表




 どのような脚本なのか、今から楽しみです。
 配役は、以下の通りです。



0cjbjnbf_sパンフレット裏




 参考のために、私がこの話に関連して書いた文章を、以下に引いておきます。
 「雨―歌物語における男と女」と題して、『〈水〉の平安文学史』(国文学研究資料館編、平成17年2月)に掲載したものです。

 少し固苦しくて長い文ですが、この冊子を手にすることが難しいので、関係する部分を引用します。



 次は、有名な「筒井筒」の段である。

【第二三段】「筒井筒」(全文は〈資料1〉参照)
 (前略)
 まれまれかの高安に来て見れば、はじめこそ心にくもつくりけれ、いまはうちとけて、手づから飯匙とりて、笥子のうつはものにもりけるを見て、心憂がりて、行かずなりにけり。
 さりければ、かの女、大和の方を見やりて、
  君があたり見つつを居らむ生駒山
    雲なかくしそ雨はふるとも
と言ひて見いだすに、からうじて大和人、
「来む」
と言へり。
 よろこびて待つに、たびたび過ぎぬれば、
  君来むといひし夜ごとに過ぎぬれば
    頼まぬものの恋ひつつぞ経る
と言ひけれど、男すまずなりにけり。


 「君があたり……」と女が男を想って詠む歌は、後に掲げる第六七段を考慮すると、およそ二、三月頃の季節を想定できよう。
 この歌は『万葉集』(巻一二)では

  君があたり見つつも居らむ生駒山
    雲なたなびき雨はふるとも

となっているものである。

 『伊勢物語全釈』(森本茂、昭和五六年七月、大学堂書店)では、
「雨が降れば生駒山は見えないはずなのに、雨は降ってもよいがというのは、理にはずれていて、そこが女のあわれさをさそう所でもある。」

とある。
 また、
「その裏には何か雨乞いの民俗信仰にもとづくものが含まれているのかもしれない。民謡的な匂いのする歌である。」(一七五頁)

ともいう。
 民俗信仰は今は不明である。この雲と雨の矛盾する点については、次のように解釈すると理解が届くのではなかろうか。
 女は、雨は降ってもよいと思っている。つまり、男は来なくてもよいのだ。雨によって男の誠意を忖度する意味を認めていないのである。しかし、男の住む、男がやって来る方角を遮るように屹立する生駒山は、いつも眺めていたい。

 『伊勢物語全評釈』(竹岡正夫、昭和六二年四月、右文書院)がいう、
「生駒山は、君の象徴なのだ。大和と河内との境にある生駒山は、万葉では正に恋の通い路であった。」(五〇八頁)

ということが参考になる。

 とにかく、女は長雨を機会に、男への諦めと同時に自分の恋愛世界を楽しむことを選択したのではないか。
 みやびの世界を体現する男が私のところへ通っていたことを、いつまでも確認したいのである。
 その後、男から来訪の知らせがある。
 しかし、喜びはするものの肩すかしの連続に、もうあてにしなくなる。
 そして、また生駒山を眺め、男の姿を追うことを楽しみとする。
 雨によって、男の本意はわかった。雨の中を来る男ではないのである。
 「頼まぬものの恋ひつつぞ経る」という想念の世界で遊ぶことのできる女である。

 折口信夫氏には、「みつゝをゝらむ」を「見つつ送らん」だろう、という意見がある(前掲書、一五三頁)。女が男を見送るという想定もおもしろい。
 しかし、『万葉集』には「見つつも居らむ」とあることから考えて、無理があるように思われる。
 平田喜信氏は、「風吹けば沖つ白波」(『月刊国語教育』一九八九年四月)で、
「教科書類に(三)の箇所が省かれる最大の理由は、ここに粗野で無教養な高安の女が登場するからではなく、実はその後の「君があたり」と「君来むと」という彼女の、男を想う二首の取り扱いがはなはだ困難であったからではあるまいか。」(一三六頁)

といわれる。
 また、
「(三)の後半は、必ずしも教材向きではないかもしれないが、男と女の愛情の表裏を描いた大人のための読み物として、十分に鑑賞に堪える内容であるということができよう。」(一三七頁)

とも。

 ここでいう二首について、平田氏の理解は、男の決断と女の不如意を文末の余白で伝えようとしていることに留まっている。
 ここは、私案のように解釈して読めば、これもまた物語としておもしろく読めるものとなるはずである。
 また、『大和物語』はこの高安の女の歌のことは一切言わない。女の男を想う心情が欠落しているのである(資料2〉参照)。

 『大和物語』の本文に異同があるので、少し詳しくふれておく。
 女の歌の直前のことば「見やりて」が、書陵部蔵阿波国文庫旧蔵本、書陵部蔵谷森善臣旧蔵本、神宮文庫本の三本が「ながめやりと」となっている。高安の地域では雨が降っており、女も男のことを想っての物想いの歌なので、ここは「ながむ」のほうがよいと思われる。
 しかし、この段の三話を一つにする際、第二話の「風吹けば……」の歌の直前が「うちながめて」であったこととの重複を避ける意味で、本文編集上の理由でここは「見やりて」と改変されたものと考えたい。

 同語の反復については、石田穣二氏も
「ややさしさわるきらいもあろう。」(『伊勢物語注釈稿』三二一頁、二〇〇四年五月、竹林舎)

といわれた。
 私はそれを、さらに積極的に手が入った箇所としたいのである。

 なお、由良琢郎氏は『伊勢物語講説 上巻』で、
「地理的にいって、高安は生駒山脈の中にあり、そこから生駒山を、この歌のようにはるかに見ることは不可能である。」(一八二頁、昭和六〇年六月、明治書院))

といわれる。
 しかし、この高安の地に育った私は、生駒山を見ながら遊んでいたこともあり、異を唱えたい。高安の地から、生駒山・高安山・信貴山の山々は臨めるのである。

 また、『万葉集』(巻二〇)には次の歌がある。

  難波門を漕ぎ出でて見れば神さぶる
    生駒高嶺に雲ぞたなびく

 生駒山に雲がたなびくのは、古代にあっては常の景色であったようである。上代においては、生駒山の麓から難波の上町台地にかけては湖であった。生駒山に雲がかかるのは、こうした地勢と関係するのかもしれない。
 『伊勢物語』の六七段にも、和泉の国の方角からではあるが、生駒山に雲のかかるさまが描かれている。



 この「筒井筒」の話が原文ではどうなっているのか、『新編日本古典文学全集』から参考までに以下に引いておきます。
 これは、いつでも確認できる記録として、何かの時に便利なものになると思うからです。
 古文なので、苦手な方は以下は読み飛ばしてください。
 最初は、〈資料1〉として、『伊勢物語』の第23段の「筒井筒」を。
 続いて〈資料2〉として、『大和物語』【第149段】の「沖つ白波」の二つです。



〈資料1〉『伊勢物語』【第二三段】「筒井筒」

 昔、ゐなかわたらひしける人の子ども、井のもとにいでて遊びけるを、おとなになりにければ、男も女もはぢかはしてありけれど、男はこの女をこそ得めと思ふ。女はこの男をと思ひつつ、親のあはすれども聞かでなむありける。さて、このとなりの男のもとより、かくなむ、
  筒井つの井筒にかけしまろがたけ
    過ぎにけらしな妹見ざるまに
女、返し、
  くらべこしふりわけ髪も肩すぎぬ
    君ならずしてたれかあぐべき
など言ひ言ひて、つひに本意のごとくあひにけり。
 さて年ごろふるほどに、女、親なく、頼りなくなるままに、もろともにいふかひなくてあらむやはとて、河内の国、高安の郡に、行き通ふ所いできにけり。さりけれど、このもとの女、あしと思へるけしきもなくて、いだしやりければ、男、こと心ありてかかるにやあらむと思ひうたがひて、前栽のなかにかくれゐて、河内へいぬるかほにて見れば、この女、いとよう化粧じて、うちながめて、
  風吹けば沖つしら浪たつた山
    夜半にや君がひとりこゆらむ
とよみけるを聞きて、かぎりなくかなしと思ひて、河内へも行かずなりにけり。
 まれまれかの高安に来て見れば、はじめこそ心にくもつくりけれ、いまはうちとけて、手づから飯匙とりて、笥子のうつはものにもりけるを見て、心憂がりて、行かずなりにけり。さりければ、かの女、大和の方を見やりて、
  君があたり見つつを居らむ生駒山
    雲なかくしそ雨はふるとも
と言ひて見いだすに、からうじて大和人、「来む」と言へり。よろこびて待つに、たびたび過ぎぬれば、
  君来むといひし夜ごとに過ぎぬれば
    頼まぬものの恋ひつつぞ経る
と言ひけれど、男すまずなりにけり。




〈資料2〉『大和物語』【第一四九段】「沖つ白波」

 昔、大和の国、葛城の郡にすむ男女ありけり。この女、顔かたちいと清らなり。年ごろ思ひかはしてすむに、この女、いとわろくなりにければ、思ひわづらひて、かぎりなく思ひながら妻をまうけてけり。この今の妻は、富みたる女になむありける。ことに思はねど、いけばいみじういたはり、身の装束もいと清らにせさせけり。かくにぎははしき所にならひて、来たれば、この女、いとわろげにてゐて、かくほかにありけど、さらにねたげにも見えずなどあれば、いとあはれと思ひけり。心地にはかぎりなくねたく心憂く思ふを、しのぶるになむありける。とどまりなむと思ふ夜も、なほ「いね」といひければ、わがかく歩きするをねたまで、ことわざするにやあらむ。さるわざせずは、恨むることもありなむなど、心のうちに思ひけり。
 さて、いでていくと見えて、前栽の中に隠れて、男や来ると見れば、はしにいでゐて、月のいといみじうおもしろきに、かしらかいけづりなどしてをり。夜ふくるまで寝ず、いといたううち嘆きてながめければ、「人待つなめり」と見るに、使ふ人の前なりけるにいひける。
  風吹けば沖つしらなみたつた山
    夜半にや君がひとりこゆらむ
とよみければ、わがうへを思ふなりけりと思ふに、いと悲しうなりぬ。
 この今の妻の家は、龍田山こえていく道になむありける。かくてなほ見をりければ、この女、うち泣きてふして、かなまりに水を入れて、胸になむすゑたりける。あやし、いかにするにかあらむとて、なほ見る。されば、この水、熱湯にたぎりぬれば、湯ふてつ。また水を入る。見るにいと悲しくて、走りいでて、「いかなる心地し給へば、かくはし給ふぞ」といひて、かき抱きてなむ寝にける。かくてほかへもさらにいかで、つとゐにけり。
 かくて月日おほく経て思ひやるやう、つれなき顔なれど、女の思ふこと、いといみじきことなりけるを、かくいかぬをいかに思ふらむと思ひいでて、ありし女のがりいきたりけり。久しくいかざりければ、つつましくて立てりける。さてかいまめば、われにはよくて見えしかど、いとあやしきさまなる衣を着て、大櫛を面櫛にさしかけてをり、手づから飯もりをりける。いといみじと思ひて、来にけるままに、いかずなりにけり。この男はおほきみなりけり。

2007年11月12日 (月)

やる気のないアルバイト店員

 地下鉄戸越駅のそばに、和食ファーストフードチェーン店の「なか卯」があります。
 時間がない時などに、手軽に食べられるので利用します。

 その店で、とんでもないアルバイト店員にであいました。

 まず、大きな荷物を持っていた私は、4人掛けのテーブルに着席しました。
 2つの椅子に荷物を置いた時です。店員の女性が、1人か? と聞くのです。そうです、と答えると、カウンター席に移動してくれ、とのことでした。
 重たい荷物を下ろして、やっと座ったと思ったところでしたが、その言い方が尋常ではなかったので、逆らうこともないかと思い、やおら重たい荷物を狭いカウンター席の隙間に置いて、カウンターの丸イスに座りました。
 混んでもいない店内だったので、変な人だな、と思いました。

 しばらくすると、カウンターの向かいに座っていた人が、大声で、注文を取ってくれangry、と叫び出しました。
 私よりも前に座っていた人なので、ずっと待っていたのでしょう。

 アルバイトの女性は、私よりも後に来たことが明らかな人に注文の品を渡してから、その大声をあげた人の注文を取って行きました。

 そうこうする内に、私の隣の人が苦情を言い出しました。さっきくれたこのお茶は、前のお客のだろうangry、と怒っているのです。どうやら、前の客が飲み残した湯飲み茶碗を、下げるやいなや、そのままそれを客に出したようです。もっとも、それでもなかなか持ってこないので、その人は自分で奥に直接お茶をくれ、と言いに行っていました。

 ようやく私の注文品が来ました。

 すると、後ろの4人のお客さんが、イライラした口調で、注文はいつ取りに来てくれるのだangry、と叫んでいます。

 調理場には作る人が1人、そして店にはやる気のない若いアルバイトの娘が1人です。しかたなく、奥にいた調理係らしい男性も、店のお客の対応をはじめました。ということは、注文品を作る人がいなくなったのです。

 私もそうですが、この時に店内にいた人は、もう2度とこの店には脚を運ばないでしょう。

 1人のいいかげんなアルバイトを雇ったばかりに、この「なか卯 戸越店」は何人かのお客を失ったことになります。

 噂は広がるものなので、ここは、近々閉店ではないか、と思っています。それだけ、ひどいアルバイト店員でした。

2007年11月11日 (日)

銀座探訪(6)銀座共同溝

 地下鉄銀座駅から松屋デパートへ入る、地下からの入口横に、小さな覗き窓があります。
 「銀座共同溝」というもので、誰でもが、銀座通りの1丁目から8丁目までの2キロメートルにわたる歩道下にある地下設備を、いつでも自由に見ることができます。

Yobzq6bj_s銀座共同溝の覗き窓


 何ということはないのですが、こんな覗き窓があることが気になりました。

 覗いてみると、すでに映画やテレビでこうした地下の映像は見ているので、特に珍しいものではありません。

Yo8pb8am_s地下溝


 しかし、こうしたものが、デパートの入口に、それもわざわざ手すりなどを付けて、どうぞ見てください、と言っていることに、興味を持ちました。

 横のプレートの説明文は、松屋の署名があるものです。
 狭苦しい階段の横なので、見る人はいません。しかし、都市の仕組みを子どもたちに見せる時には、いい展示だといえます。自分たちが歩いている歩道の下が、このようにして見られるのですから。

 日常では見られないものが、こうして見られるようにしておくことは、自分たちが生きている背景を知ることになり、ものの見方に、少しだけではありますが刺激をもらえます。

2007年11月10日 (土)

映画『続・三丁目の夕日』

 前作の『三丁目の夕日』は、公開されてすぐに見ました。今年の2月に、それもインドへ行く飛行機の中で見たのです。
 その時に書いた感想は、インドからネット経由でブログに掲載しました。しかし、それも3月にサーバーがクラッシュしたために、一連の文章は吹っ飛んでしまいました。今年の前半のものが復活できないままに今に至り、映画の内容もスッカリ忘れてしまいました。

 先日、テレビで『三丁目の夕日』を放映していたので、もう一度見ました。
 また、新たな感動を覚えました。いい映画でした。

 ただし、話の前半については、淳之介という子供に対する、芥川賞を目指す作家の茶川さんの、その態度や演技が不自然で気になりました。これは、はじめて見た時にも感じたことです。
 しかし、鈴木オートを中心とした後半は話がうまく盛り上がり、感動的な作品に仕上がっていました。六ちゃんがよかったと思います。

 ノスタルジーに寄りかかり過ぎない、抑制した物語展開がいいですね。高度成長期に、日本人が忘れ去った感のある、人と人とのつながりを、改めて再評価しようとする姿勢が感じられました。

 このテレビ放映を見て、その翌日から封切られた続編を見たくなり、早速足を運びました。

 続編は、茶川さんを中心にした擬似親子を取り巻く話で、町内の人たちを生き生きと描いたものでした。
 物語は、実によくできていました。台本が、よく練られていたからでしょう。ただし、茶川さん役の俳優さんの演技が、今回も気になりました。もっと癖のない人がいいように思うのですが……。

 子役たちの演技は、今回も秀逸でした。

 この映画は、原作のマンガを離れて、独自の世界を作っていけばいいと思います。

 六ちゃんは、マンガでは男ですが、映画では女です。
 その六ちゃんの恋を、次はおもしろく展開してほしいものです。この第2作で彼氏が登場したのですから、準備は整っています。

 『三丁目の夕日』は次の3作目で終わりにし、第4作などは考えずに、同じ西岸良平の『たんぽぽさんの詩』を映画化してほしいと思っています。
 西岸良平のマンガの中でも、さわやかなものが私は好きなので……。
 西岸良平のマンガを、私は昭和50年ごろから読みだし、今も読み続けています。私の世代にとっては、忘れかけた世界を思い出させてくれます。

 いずれにしても、「回想法」という、昔のものに接して脳を活性化させるという性質の、映画や音楽や小説は、今後ともますます作られることでしょう。
 今は、昭和30年代から40年代が、このようにして取り上げられています。ちょうど、私が小学生から中学生の時代に相当します。

 こうした時代の流れは、大歓迎です。
 そして、次にどのようなものが見られるのか、大いに楽しみにしています。

2007年11月 9日 (金)

銀座探訪(5)手帳を探す

 文房具を探す時間は、非常にぜいたくな時の流れだと思います。
 自分の生活の中で、文房具を使う状況を考えながら、それにふさわしい物を、あったらいいな、というものを物色するのですから、これほど至福の時はありません。

 最近は、来年用の手帳を見て回っています。
 今は、手帳・財布・カード入れ、の3点をポケットに入れて持ち歩いています。これを2つにするための手帳がほしいのです。財布はどうしても必要なので、手帳とカード入れを1つにすることになります。それと、今のものが黒を基調とするものなので、少し気分転換をしたい思いもあります。
 いろいろな手帳をはじめとする文房具を、その年の気分で使い分けて来ました。次はどうしよう、今年と一緒でもいいが、違うものにしてもいいな、などなど、一人であれこれと考えながら、文房具売り場を散策するのです。
 人が見たら、間抜けな顔で、ウロウロとしていることでしょう。しかし、本人はいたって真剣なのです。

 銀座をブラブラすると、いつも新しい発見があります。
 特に、最近の銀座は、新しい店のオープンが続いています。そして、その対象は、決まって女性です。
 今、銀座を歩くと、昼でも夜でも、小綺麗な若い女性の二三人連れか、無理をしていい服を着込んだおばさんたちで、とにかく溢れ返っています。最近の銀座は、男の居場所がないのです。
 社用族など、今は昔の話です。そんな人たちは、ホンの一握りでしょうし、その気で銀座に脚を向けている人たちも、意地とプライドだけだと思われます。あの人たちは、すでに時代遅れの、企業の羽振りの良かった頃の回顧族にしか過ぎません。いずれにしても、高級車グループは、今でも生息していますが、あくまでも少数派です。
 銀座を歩くと、女性の勢いを痛感させられます。男の居場所は、ほとんどありません。強いて言えば、数少ない料亭や、会員制のクラブや高級バーが、かろうじて残されている、というのが実情のようです。
 これはこれで、新しい時代に銀座が生き抜こうとしている、街が持つ生命力なのでしょう。

 書店に行くと、今どきの洗練された銀座をテーマにした雑誌や本が、至る所で目に付きます。銀座が変わりつつあるので、それだけ最新情報が求められている表れでしょう。

 さて、来年の手帳は、ここ数年使ってきた、差し込みタイプのものではなくて、小型のシステム手帳にすることにしました。ただし、夏場に持ち歩くのに不便なので、聖書サイズは最初に外します。
 すると、ミニの6穴と、ミニミニの5穴の2種類となります。3穴もやめておきます。いずれも、かつて使っていたのですが、一長一短のものでした。

 さんざん悩んだ末に、入れ替えるリフィルと呼ばれる紙の種類が豊富な、ミニ6穴のシステム手帳に決めました。
 大きさが決まると、後は手帳のデザインと革の感触です。

 気に入るものを求めて、渋谷、川崎、京都と歩き回りました。しかし、いい出会いがありません。

 それでは、やはり毎日うろつく銀座にしようと決めて、文房具では有名な伊東屋に行きましたが、これまた、いいめぐり逢いはありませんでした。
 デパートはどうだろうと思って、銀座三越に行きました。ところが、ここには文房具売り場はなくて、筆記具やグリーティングカードしかないのです。このデパートで売っているのは、女性の洋服を中心としたものでした。
 デパートも変わったものだと思い、隣の松屋に行きました。すると、ここも文房具売り場はないのです。
 そんな、と思って、三越の反対側にある松坂屋に行きました。何と、ここにも文房具売り場はなくて、簡単な事務用品しかないのは、他の店と同じです。

 松坂屋のエレベータの中に、こんな椅子が箱の奥の左右にありました。体調の悪い人などが座れるような配慮なのでしょうか。これまで気づかなかったので、ついシャッターを切りました。

Af6cyorb_s松坂屋の椅子


 他のところにもあるかもしれませんが、今日、私ははじめて出会ったので、記念に残しておきます。

 手帳探しのことです。
 どこも扱っていないとなると、百貨店と呼ばれていた時代が、むしょうに懐かしく思われます。

 銀座4丁目の交差点角にある鳩居堂に立ち寄りました。和風の手帳がないか、と思ったからですが、場違いなビジネス手帳だけでした。
 店内では、外国からきた男性が、しきりに店内に並べられている商品を、写真に撮っておられました。和風の味わいに、おのずとシャッターを切らせるのでしょう。日本の良さを自慢できる瞬間です。あなたたちは、こんな文化を持っていますか、と。

 ブラブラしていても仕方がないので、一番品揃えの良い伊東屋に舞い戻り、ここで、と決めて探しました。
 その気になってみると、いろいろと良いものが候補にあがります。4点を選び出し、最終的には、私が大好きなノックスブレイン社の6穴システム手帳にしました。
 手持ちのリフィルなどを入れて、まずは使える状態にすると、こんな外見になりました。

Rqzk9e1a_sシステム手帳


 これまでは、黒かブラウンだけでした。今回、赤の入ったものにしたのは、ケンブリッジ大学のピーター先生からいただいたアドバイスを意識したからです。

 来年に向けて、この手帳でスケジュールを管理し、思いついたことをメモしていきたいと思います。

 来る年が、今から楽しみになりました。


2007年11月 8日 (木)

銀座探訪(4)アルマーニ オープン

 銀座の中心地である4丁目のそばに、ジョルジオ・アルマーニの店が昨日オープンしました。

Edeeul4l_sアルマーニ


 上の写真は、4丁目の交差点から撮ったものです。
 写真中央 Dior の右横の、光が縦縞になっているノッポビルが、アルマーニの店です。

 昨日のテレビのニュースでは、アルマーニ自身が来日し、お客を出迎えていました。
 そして2日目の今日、ブラリと冷やかしに行ってきました。革カバーの手帳を探しに、という名目を作って。

 実は、私は、エンポリオ・アルマーニのシステム手帳と財布を使っています。革の肌触りがいいので、愛用の一品です。そこで、ジョルジオの手帳はどうかという気持ちから、銀座の地下にあるスポーツクラブで汗を流した後に、脚を運びました。

 入口には3人の白手袋をした男性が立っていました。入ってすぐ横の、どうしたわけか、いつも右横の方へ向かうのですが、店員に革カバーの手帳はどこにあるのかを、少し緊張して聞きました。すると、担当者を案内しますと言って、蝶ネクタイに白手袋の人に引き渡されました。

 手帳のことを尋ねると、手帳はまだイタリアから届いていないとのことです。もうすぐしたら店頭に並べられるので、しばらくお待ちください、と丁寧な対応です。
 そして、男性の小物はまだ揃っていないと、恐縮しておっしゃいます。このビルのターゲットが、女性であることは明らかです。
 カタログを渡すので、それを見て、何かあれば注文してほしいとのことで、ズッシリと重い冊子を数冊、立派なバッグに入れて渡されました。

Awrm7wsd_sアルマーニのカタログ


 何も買わなかったのですが、カタログを貰っただけで、何か得をしたような気分で帰りました。
 気持ちの問題ですが、堅苦しさと男は関係ない、という雰囲気はありました。入りやすい店でした。

 帰り際に、上に男性のスーツもありますよ、とおっしゃっていましたが、昨日のニュースによると、数十万円以上のものばかりのようなので、丁重に遠慮して帰りました。

 銀座は、なかなかおもしろい所です。

古都散策(26)興福寺の秘仏

 7dsbpxra_sパンフレット


 興福寺では、今月の下旬まで「秘仏特別公開」がなされています。
 国宝館で「国宝・八部衆像」がすべて公開されていたので、早速、見に行きました。

Cw5pk_at_s拝観券


 私は、阿修羅像が大好きなので、じっくりと見ました。
 この手のバランスが、何とも言えず好きです。
 そして、胸の前で合わす両手の微妙な隙間も、目が釘付けになります。
 顔が3面ありますが、私は正面がいいと思います。

 八部衆がみんな見られたのも、感動しました。写真集などで、1つ1つはよく見ていたのですが、自分の目で八部衆のみんなをジッと見つめると、また違った味わいがあります。

 鎌倉時代の製作になる、国宝・千手観音像にも魅入りました。
 中国の耳の不自由な方々が演じられる千手観音の動きが、目の前に像を置くと、その手が今にも動きそうに思われました。
 今春、中国の天台山に行った時に、このパフォーマンスのCD―ROMを買ってきました。本当にすばらしい演技です。ずっと、演じつづけてもらいたいと思っています。

2007年11月 4日 (日)

古都散策(25)正倉院展

 芸術の秋、とはよく言ったもので、芸術・文化に接する機会が多い季節です。

 この時期には、京都文化博物館で「トプカプ宮殿の至宝展」が開催されています。しかし、先般、京都文化博物館へ行ったにもかかわらず、今回も見る時間のないままに、古写本の調査という仕事だけで帰りました。
 トルコへ行った時には、ジックリとは見られなかったものが来ているのです。次回、ここに来た時には、きっと見たいと思っています。

 先日行った天理図書館では、2階で「中国の絵入本」という特別展をしていました。


Xrfd3hes_s中国の絵入本



 私は、漢籍のことはさっぱりわかりません。しかし、わからないなりにも、絵本ということでもあり、楽しく貴重な本の数々を見て来ました。

 天理からの帰りに、奈良市の中心部にある、奈良国立博物館で、正倉院展も見て来ました。


8jhev1kc_s正倉院展



 正倉院展は、ほぼ毎年見ています。
 現在、博物館の学芸員の資格を取るために、大学へ通って勉強しているせいか、展示されているものだけでなく、展示の仕方や、会場のセッティングに注意が向きました。

 御物には小さなものが多いせいか、展示ケースに油膜がたくさん着いていました。じっくりと見たいために、顔をガラスケースに近づけるからでしょう。観覧者の額や鼻や掌のアブラが、ガラスに着いているのです。
 ところが、それを布巾で拭き取る、アルバイトと思しき青年が活躍しているのが、目に留まりました。
 これは、展示方法を考えなければなりません。来場者が、どのようにして展示物を見るのか、もっと研究が必要です。

 そして、もう一つ、展示物で気になるものがありました。それは、「紅布衫」(べにぬののさん)です。これは、袍などの中に着る肌着です。
 その背面の裾に、墨で「刑部小君」と書かれています。展示解説の表示板によると、これは着ていた人の名前だとあります。そして、そこに「おさかべのおぎみ」と読み仮名が振ってありました。
 「小君」を「おぎみ」と読ませていたのです。
 『源氏物語』でいうと、第3巻「空蝉」や第54巻「夢浮橋」にでてくる「「小君」は、一般には「こぎみ」と読んでいます。「おぎみ」という読み方の、その根拠が知りたくなりました。
 今回の展覧会の図録の解説では、この「小君」には振り仮名がありませんでした。会場の説明板にあった振り仮名が、どうして図録にはないのでしょうか。
 手元の『源氏物語』の本文に関するデータベースで調べたところ、古写本のすべてが「こきみ」「こ君」「小君」となっていて、「おぎみ」は一例もありませんでした。
 これは、さらに調べることにします。

 博物館のある春日大社の広大な境内を散策していると、こんなものがありました。


Yemjft6u_s御神竹



 木の中から、竹が生えているのです。
 これは、非常に珍しいものに出会えました。
 秋の一日、充実した時間を持つことができました。

2007年11月 3日 (土)

『源氏物語』の古写本を調べる

 先週は、京都文化博物館に寄託されている、古代学協会ご所蔵の『源氏物語 大島本』の調査をしていました。

 最近は、古代学協会に毎月足を運んで、書き込みだらけのこの『源氏物語 大島本』の写本を、拡大鏡などを使って調べています。
 実は、この大島本が、現在読まれている『源氏物語』の唯一の底本となっています。この本を元にした本文だけが読まれていることの問題点は、またいずれ……。

 原本に書かれている文字の状態を見ると、今読まれている『源氏物語』の本文について、改めて疑問が生まれます。我々は、一体何を読んでいるのだろうか、と。

 よく利用されている『新編日本古典文学全集』の中の『源氏物語』の本文は、どのような位置づけになるのでしょうか。
 今後の研究史の中では、江戸時代から明治時代にかけて読まれた『湖月抄』のような評価がなされるのでは、と私は思っています。

 いずれにしても、遠く平安時代に書かれたと思われる『源氏物語』の文章を想像しながら、こうした活字化された本文を読むしか、今は仕方がないのです。
 それでは、どのような本文を読んだらいいのか、という問題になりますが、それはさておき……。


 今週は、勝手知ったる奈良の地での調査に行っていました。
 天理大学附属図書館に所蔵されている『源氏物語』の写本の中でも、河内本とされている数冊を、丁寧に読んできました。

 現在の『源氏物語』の研究では、昭和28年(1953)6月に刊行された池田亀鑑編『源氏物語大成』を、基本文献の中でも重要な一つとしています。
 この『源氏物語大成』は、昭和17年(1942)10月に『校異源氏物語』として刊行されたものを、さらに利用しやすくしたものです。

 ただし、これにはさらに前史があります。
 それは、昭和7年(1932)11月に、池田亀鑑が完成させたばかりの『校異源氏物語』の稿本が、東京大学で展観されたのです。この時には、蒐集した資料の一部として展示されたのですが、それがどのようなものであったのかは、今もってわかりません。
 ただし、その稿本において諸本の本文を比較する上での基準となる底本は、何と、河内本と言われるものだったのです。
 昭和7年時点での底本・河内本が、次の昭和17年の『校異源氏物語』では、佐渡から見つかったばかりの大島本に一大変更されたのです。
 河内本から大島本に変えるという、その変更作業たるや、想像を絶するものがあります。この実態も、よくわかりません。
 そして、昭和17年の『校異源氏物語』以来、私たちは、この大島本で『源氏物語』を読むことになりました。
 〈大島本信仰〉の始まりです。もちろん、無意識の内に読まされてきた、と言った方が正確ですが。

 今回、天理図書館で調査した河内本とされる『源氏物語』は、実は池田亀鑑が最初の稿本で底本にしたと思われるものです。
 この53冊(第23巻「初音」欠帖)の写本の本文は、『校異源氏物語』にも『源氏物語大成』にも、まったく資料として採択されていないのです。
 最初の段階で、校異の底本にしていたのならば、その後の改版の中で、これも校異資料として取り上げるのが普通のはずです。しかし、池田亀鑑は、この本はなきものとして処理したことになります。

 それでは、この写本の本文は、どのような内容になっているのでしょうか。
 現在刊行中の『源氏物語別本集成 続』では、この本の本文を翻刻して、他の本文と比較できるようにしています。
 現在のところ、『源氏物語別本集成 続』は第4巻まで刊行し、今まさに第五巻(18松風〜21少女)を作成中です。
 今回、天理図書館へ行ったのは、この「少女」以降の巻の本文を確認するためでした。
 この本は、非常に読みにくい、というよりも癖のある文字で書かれています。室町時代に書写された写本なのですが、読み解くには馴れが必要です。
 ひらがなの「そ」「に」「は」「も」は、なかなか悩ましい字形をしています。

 この本の全容は、まだまだ分かりません。
 根気強く、一文字ずつ読み解く中で、この写本の意味するところを明らかにしていきたいものです。

 『源氏物語』は膨大な分量の物語なので、写本を確認するだけでも、コツコツと作業を進める以外には、方法がないのです。翻刻をしてから、他の本に書かれている内容と比較検討することになります。
 こうしたことは、文学の研究の中では、あまり好まれません。なかなか成果があがらないので、若い人たちも、手を延ばしません。また、その指導に当たられる先生方も、業績をあげるためにも、このようなテーマに取り組ませることは避けておられる、というのも実情のようです。

 何とも説明のしようもない、こんな気の長いことをしています。
 難しくてややこしい研究ではなくて、墨で書かれた文字を読むことに対して興味のある方は、ぜひこうした作業に参加してくださいませんか。
 ボランティア募集中です。
 その窓口は、〈NPO法人 源氏物語の会〉となっています。
 もっとも、今年の3月にレンタルしていたサーバーがクラッシュしたために、〈NPO法人 源氏物語の会〉のホームページは、現在まだ再構築中です。もうしばらくお待ちください。
 私のプログも、以前は「たたみこも平群の里から」と題して、NPOのサーバーから発信していました。それが、今年の3月にNPOのホームページと共に、一瞬の内に頓挫したのです。
 なんとか復元可能なものは、以下のアドレスで確認できるようにしてもらいました。

http://www.npo-genjimonogatari.org/blog/genjiito/index.php

 本ブログ「賀茂街道から」は、それ以降のものです。
 「賀茂街道から」以前のものは、不完全ですが、上記のアドレスからご笑覧のほどを。

NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

Powered by Six Apart
Member since 07/2008