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2008年2月の31件の記事

2008年2月29日 (金)

『源氏物語の本文』が刊行される

 今週はじめに、『講座 源氏物語研究 第七巻 源氏物語の本文』(おうふう、2008.2)という本が刊行されました。
 私が編集した本なので、少し宣伝をさせていただきます。


Gr4lpzbs_s表紙



 これは、『源氏物語』の本文研究の現在を踏まえて、その問題点を10人で分担執筆したものを編集して出版したものです。

 中身がわかるように、目次をあげましょう。



監修のことば(伊井春樹)
本文研究を再検討する意義(室伏信肋)
表記からみた鎌倉期における本文の書承・流通(大内英範)
鎌倉時代の古註と本文−『紫明抄』引用本文を中心に−(田坂憲二)
古註釈書に引用された本文(松原志伸)
河円本の本文について−尾州家本の本文様態と「伝為家筆本」−(大内英範)
陽明文庫本源氏物語の待遇表現−別本とはどういう本文か−(中村一夫)
中世における源氏物語の本文−了俊筆伊予切「夕顔」巻の本文系統−(新美哲彦)
近世の源氏物語本文−古活字版源氏物語を中心に−(上野英子)
〈河内本群〉を指向した下田歌子の校訂本文―『源氏物語講義(桐壷)』の検討を通して−(伊藤鉄也)
転移する不審−本文研究における系統論の再検討−(中川照将)
本文関係論文一覧(大野祐子)
あとがき(伊藤鉄也)




 知人などで、『源氏物語』に興味を持っておられる方に、紹介してください。
 相当専門的な内容なので、そのつもりでお読みください。
 これが、現在の『源氏物語』の本文に関する研究の最先端です。

 予定よりも大分遅くの出版となりましたが、それだけに中身は新しい情報が満載です。特に「本文関係論文一覧」は、平成19年10月までのものを集成しています。どうぞ、ご活用ください。

 帯にあたる腰巻きには、次の文章を付けました。


停滞していた本文研究の再検討
〈いわゆる青表紙本〉は揺れているか
「本文関係論文一覧」を収載




 さらに宣伝の意味を込めて、「あとがき」を転載します。


 平成一九年七月より毎月一回、古代学協会がある京都文化博物館の一室で、『源氏物語 大島本』の詳細な調査研究を行なっている。六人が一日中、じっくりと大島本に向き合っている。藤本孝一先生のご理解とご協力のもとに実現したものである。
 先月(平成二〇年一月)、柏木巻の巻末部分に重要な痕跡を確認した。
 かねてより藤本先生は、柏木巻の巻末に削除痕があるという新事実と、そこには河内本の本文六八字分の文字が書かれていたのではないか、という推測を提示されていた(「大島本源氏物語の書誌的研究」、京都文化博物館紀要『朱雀 第四集』平成三年/『大島本 源氏物語 別巻』角川書店、平成九年)。削除の後に継がれた紙の境目、食い裂きといわれる部分に残る墨痕と朱句点から、本行に書かれていた本文が取り除かれたとされたのである。一般に手にしやすい『定家本源氏物語 冊子本の姿』(藤本孝一、至文堂、平成一七年)から、問題箇所についての見解を引こう。
 「この墨が本文の文字か墨汚れかは速断できないが、本文の可能性が大である。そうなると、切除された幅から推測して三行半の文字があった。すなわち、本文半葉一〇行、一行一七字前後で書写されている大島本には、約六〇字前後の文字があったことになる。」(五二頁)
 あくまでも慎重な問題提起であった。削除の時期は、「恐らく紙質からみて、江戸時代前期以降ではなかろうか。」とも言われた。これは、『源氏物語』の研究者にとっては衝撃的な報告であった。
 そして今、その削除された箇所の本行部分に、確かに本文があったことが、先月の双眼実体顕微鏡による精査によって確認できたのである。今は失われた本行に朱点が打たれていたことが、前丁に転写された朱の残存によってわかった。巻末本文の削除という推測は、さらに一歩進められることとなる。また、削除された箇所に残存する墨痕と朱点も、新たに見つかった。このことは、藤本先生をはじめとして、一緒に調査をしている、岡嶌偉久子氏・中村一夫氏・大内英範氏にも確認してもらった。これにより、現存大島本の柏木巻の巻末部には、最低でも二行以上の本文が続いていたことは確実である。そして、その分量からして、尾州家河内本などが伝える本文に類するものと見て間違いはないと思われる。
 これについての詳細な報告は機会を改めたい。今は新たな事実を、ここに報告するに留める。この事実を、我々はどう理解すべきかも、今後の問題である。
 『源氏物語』の本文について、近年は大島本をどう位置づけるべきかについて問題点が出され、さまざまな面から注目されるようになってきた。そして、ようやく議論が始まり出したところである。
 これまでの『源氏物語』の研究は、池田亀鑑氏の本文研究に大きく寄りかかっていた。基本的な文献と言うべき『源氏物語大成』(池田亀鑑編、中央公論社、昭和二八〜三一年)の底本となった大島本を信じて、それを中心とした本文が受容されて来た。しかし、池田氏が最善本とした大島本を筆頭とする〈いわゆる青表紙本〉なるものの理解が、阿部秋生氏の『源氏物語の本文』(岩波書店、昭和六一年)あたりから大きく揺れ出した。そして、その後の再検討により、様々な問題点が浮かび上がってきた。最近では、前述の藤本氏や、佐々木孝浩氏の「大島本源氏物語に関する書誌学的考察」(『斯道文庫論集 第四一輯』平成一九年)が、この問題に鋭い問題提起をしている。
 作品を読む土台である本文が問題とされ出した背景には、池田氏の本文研究とその結論を無批判に継承し、その検証を怠ってきたことがある。大島本の本文は徹底的に調査研究されては来なかった。もっとも、『源氏物語』は全五四巻、約九〇万字もの分量を持つ、世界に誇る長編物語である。そう易々と、そのテキストの整理に着手できるものではない。しかし、このような状況であるからこそ、『源氏物語』の諸伝本の本格的で徹底的な調査と研究は、今こそやらなければならないと言えよう。
 本巻編者の伊藤は、『源氏物語別本集成』(全一五巻、伊井春樹・伊藤鉄也・小林茂美編、おうふう、平成元〜一四年)と『源氏物語別本集成 続』(同、平成一七年より刊行中)を通して、物語本文の整理を行なって来た。『源氏物語別本集成』では一〇億字、『源氏物語別本集成 続』では三〇億字の翻字とその確認作業を進めている。『源氏物語』の足元を、文学のもっとも基本となる本文の問題に再検討を迫る意味でも、本文研究は『源氏物語』の地固めともいえる基盤研究をなすものである。
 なお、平成一九年度の科学研究費補助金・基盤研究(A)として、「源氏物語の研究支援体制の組織化と本文関係資料の再検討及び新提言のための共同研究」(國學院大學・豊島秀範
課題番号:19202009)がある。これは、河内本と呼ばれる一群の本文を中心とした、諸伝本相互の関係を研究し、新たな提言に結びつけようとするものである。本巻執筆者の中では、田坂憲二・中村一夫・大内英範・中川照将、そして伊藤が、研究分担者として参加している。情報交換を通して、研究者相互の連携をより一層深めていきたいものである。
 こうした潮流の中で、『源氏物語』の研究において今すぐに何かが変わる、ということはない。しかし、自分が読んでいる『源氏物語』の本文がどのような素性のものかということは、常に意識していたいものである。現代人のために校訂された本文を読みながら、それが平安時代に直結する本文として無批判に受容することは、厳に慎みたい。
 流布本としての本文が大島本に拠ったものだけであるという現在の状況に、改めて再検討を加える必要がある。〈いわゆる青表紙本〉が揺らぎ、〈河内本群〉や〈別本群〉(拙著『源氏物語本文の研究』おうふう、平成一四年)に少しでも視線が注がれる気配が感じられるようになったことは、これまで本文資料を整理してきた者としては、ようやくお役にたてる時期が到来した、という気持ちである。
 われわれは、大島本という唯一の基準本文を頼りに『源氏物語』を受容してきた。これからどこへ向かうのであろうか。大島本以外に、それに代わる新たな流布本はあるのか。私は次善の策として、天理大学付属図書館所蔵の池田本をも参看することを提案したい。これは、その一部が『源氏物語大成』の底本として採択されていたものである。そのためにも、池田本の校訂本文を提示する用意を進めている。
 これからの『源氏物語』の受容は、これまでの流布本と併存する形で池田本を、そして〈河内本群〉を代表するものとして天理大学付属図書館所蔵の河内本を、〈別本群〉を代表するものとして陽明文庫本を提供すべく、これも校訂本文の準備を進めている。陽明文庫本については、『源氏物語別本集成 続』に校訂本文を掲示している。本巻刊行時には、第二一巻の少女までが利用できるようになっている。
 そのような見通しのもとに、本巻で編まれた諸論稿を見ると、じつにさまざまな切り口から、『源氏物語』の本文に対するアプローチがなされている。そして、それぞれが刺激的である。
 『源氏物語』の本文については、今後はさらに多彩で大きな動きが予想される研究分野である。それだけ、研究が停滞していたということでもある。一人でも多くの方々の理解を得て、よりよい流布本のありようと姿を探し求め続けていきたいと思っている。それには、若い方々の参加が必要不可欠である。本文研究は、資料の整理に追われる時間が多く、なかなか成果が出ないと言われてきた。しかし、近年はさまざまな形で正確な本文が提供されている。本巻に収録した「本文関係論文一覧」も、大いに活用されたい。
 これまでの〈いわゆる青表紙本〉だけでは読み切れなかった『源氏物語』の世界を、異本をも含めて、新たな視点と感性で読み解いて行きたいものである。




 『源氏物語』の本文研究は、今後ともさらに進展すると思います。
 これからの若手の活躍を期待しています。




2008年2月28日 (木)

井上靖卒読(29)『群舞』

 開巻の言葉が「カルカッタ発のインド航空機は……」なので、非常に興味を持って読み出しました。
 気軽に読めるお話です。しかし、軽すぎて物足りなく思いました。

 雪男を写したと思われる大切なフイルムを不注意でダメにしたり、企業が大金を出して雪男の捜索隊を組むなど、非現実的なところが目に付きます。作者の意図がよくわかりません。

 私が楽しみにしている月光は、動物園で少し出ました。しかし、印象的なシンーにはなっていません。
 湖は出てきませんでした。

 後半で、雪男と雪女の恋愛について語るところは、人間との比較ともなり、おもしろい話でした。
 そのシーンを引いておきます。

(りつ子)「だって、幾ら雪男だって、愛情なしには、あんなヒマラヤの雪の中を歩かないでしょう。愛情あればこそだと思うわ」
(田之村)「雪女の方も愛していますか」
(りつ子)「そりゃ、愛していると思います。ヒマラヤの雪の斜面を歩いて来られたら、女なら誰だって参りますわ。相手の情熱に負けちゃいますものね。否応なしに好きになっちゃう」(角川文庫、264頁)


 自由に語っている、というところが、気の張らない小説になっているのです。
 もっとも、雪男探しの発端となる張本人が最後の方で明かされるのには、異論を唱えたいところです。
 これは、もっと早いほうが、話の軽さに失望しかかっていた読者に人間の心理のおもしろさを感じさせて、より効果的だったように思います。

 最後は、2組の男女が明るく締めくくられます。明日に向かって生きる人間を描く、井上靖らしいとじ方です。
 ただし、田之村はりつ子との将来を望んではいません。猪又と美津子とは異なる考えを、生きざまを見せます。このコントラストに戸惑いを覚えたので、この先が知りたくなりました。自分で想像すべきなのでしょうが、それには説明が足りないように思います。

 終始、雪男の話題なので、さらなる人間模様が描かれていたら、という気になりました。【2】



初出誌︰サンデー毎日
連載期間︰1959年4月5日号〜11月15日号
連載回数︰22回

角川文庫︰群舞
井上靖小説全集17︰群舞・傾ける海



2008年2月27日 (水)

立川での新生活がスタート

 今週から、東京の郊外にある立川へ通勤しています。
 江戸情緒のある戸越から、武蔵野の面影が感じられる立川へと、日本の風景を楽しんでいます。
 一昨日は、京都からの出勤で、4時間半かかりました。奈良から旧職場の品川までは5時間だったので、まあまあでしょう。東京の宿舎からは1時間50分です。東京駅から立川駅まで、中央線で45分なので、読書の時間が確保されたと思うことにしています。

 新しい部屋に表札を付けようと思い、先週、雪が舞う京都の平安神宮へ行った折に、北山杉に名前を彫ってもらいました。
 北山から来たおじさんが電気ドリルを使い、チョークで書いた名前をなぞりながら彫ってくれました。


Hovi5lvl_s表札作り



 そして、その表面を、丁寧に磨いてくれます。


2tunbmu__s磨く



 さて、立川から一駅だけモノレールに乗って高松駅に降り立つと、こんな風景が目の前に展開します。


Nmjfimix_s遠景



 正面左が、国立国語研究所です。ここは、先般の閣議決定で廃止となりました。松本清張の『砂の器』で、捜査員が全国の方言を調べる時に訪れたのが、ここに来る前の国立国語研究所でした。私にとっては思い出深いところですが、残念です。今後はどのようになるのか、他人事ではありません。

 正面右が、新しく建設されたばかりの、というよりも、まだ工事が進む国文学研究資料館です。写真でもわかる通り、手前側の半分しかできていません。


Bbdpea2x_s近景



 駅から一直線に歩いて7分程で、こんな姿が見えます。同じ建物が2列に並び、H字型をしています。
 中は、同じ作りなので、本当に迷路です。


06pn16wo_s正面



 工事が進んでいる正面玄関です。
 左側が国文学研究資料館、右側が国立極地研究所です。
 ホールには、南極観測船の宗谷や白瀬が展示されるそうです。
 南極の氷の下から、平安時代の『源氏物語』の写本が出てこないでしょうか。
 そして、最上階に統計数理研究所が入ります。
 まだ、国文学研究資料館だけしか移転して来ていませんので、寂しいものです。


Zvzrsecn_s通り



 中はこんな感じです。
 まだ、床や壁には、引っ越しのための養生がしてあります。
 そして、手前に、先日作った表札を付けた新居があります。
 また、たくさんの方々に来てもらうことになるので、ドアの真ん中には、目印としてアップルマークを貼りました。


窓側の荷物



 初めて入った時には、段ボールが積まれていました。


3xpo7qqe_s窓側の今



 ようやく、ここまで整理しました。


76v0fn61_s入口の荷物



 入口も、最初はこんな状態でした。


Wyqnrvvg_s入口の今



 今は、こうなっています。


K7oopllo_s入口の絵



 部屋に入った時には、こんな感じになります。


Kuozibhv_s正面玄関



 真下の、正面玄関は、まだまだ工事中です。


Oahwg_ia_s富士山



 私は北側にいますが、南側の建物に回ると、富士山がきれいに見えました。
 さすがに、米軍立川基地跡だけあって、だだっ広さは半端ではありません。
 この地に、さまざまな国の機関が移転してきます。しかし、ちょうどこの足下には、活断層が走ってるとか。その時はその時ですが。
 至るところで工事が進められているので、トラックが行き交います。
 お越しの切には、大型車に注意してください。




2008年2月26日 (火)

源氏千年(12)細見美術館の源氏絵

 平安神宮の西にある細見美術館で、春季特別展として「源氏絵と雅の系譜 −王朝の恋−」を開催中です。
 こぢんまりとした美術館ですが、源氏絵を中心としたもので、見せ方のうまい展示をしていました。短時間ではありますが、非常に上質な時間を堪能しました。

 今年の10月には、私の職場で『源氏物語』をテーマとした特別展を開催します。その担当をしている関係で、細かいところがいい勉強になりました。

 今回の細見美術館は、「扇面画」「屏風」「色紙帖」などを通して、源氏絵の系譜をたどるものでした。これでもか、という数で圧倒させるのではなくて、少ない展示品ながら、ゆっくりと見て回ることができました。説明も適度になされており、デザート感覚で見られる展覧会だと思いました。

 また、染織作家で人間国宝の志村ふくみ氏の、紬織りの作品も見ました。
 『源氏物語』から着想を得たものとのことでしたが、私にはよくわかりませんでした。しかし、なんとなく雰囲気のあるものであったことは確かです。紬織りに目が慣れたら、『源氏物語』との連想が働くかもしれません。
 興味を持ったので、4月にある「月で読み解く『源氏物語』」と題する講演会に申し込みました。

 細見美術館は、外にある階段で下の階へと移動します。
 これが、なかなかいいのです。


H0avk2oh_s細見美術館の階段



 前方正面が、美術館への入口です。


Aqvzdshx_sカフェ



 さらに下方に、レストランがあります。
 最近は、博物館や美術館に併設されたレストランが知られるようになりました。
 前千葉県立美術館館長で現長崎県美術館館長の米田先生は、こうした流れを仕掛けられた方です。先月まで、米田先生の講義を拝聴していたので、このレストランと博物館との連携の意義が、よくわかります。
 美しいものを見て充実した気分で食べる食事は、いつもとちがったものです。著名なシェフが作る食事も、そして喫茶も、心を豊かにしてくれます。
 見てから食べるか、食べてから見るか、いろいろな人がいると思います。
 そんな場所として、美術館や博物館を生活に取り入れるのも、楽しい日々の演出となることでしょう。

 ただし、この日の私は、細見美術館の中にあるイタリア料理よりも、入口の横にあった、おばんざいのバイキングの店に入りました。
 できることならば、その横に、気楽に入れる回転寿司の店をオープンしてほしいものです。




2008年2月25日 (月)

残念だった演劇「なりひらの恋」

 昨年の11月13日のブログで、演劇「なりひらの恋」を観に行くことを予告していました(http://blog.kansai.com/genjiito/98)。


 一昨日、それを見たので、その感想を記します。
 一言で表現すると、「熱意は感じられたが詰めの甘さが … 」というのが私の印象です。

 最近、目が少し弱くなったので、少し早めに行って、前から3列目の真ん中で観ました。
 表情がよくわかり、その熱演ぶりがよく伝わってきました。しかし、その意欲と出来がズレていたのが残念です。

 まず、会場となったプリズムホールのホームページより、今回の演劇の紹介を、少し長いものですが、引いておきます。


『ちはやぶる神代もきかず龍田川 唐紅に水くくるとは』
この百人一首の和歌や『伊勢物語』の「むかし、男ありけり」で知られる平安の歌人在原業平と高安ノ里に住む姫との恋の物語である。
天安2(858)年。藤原氏の勢力が増し新しい帝の御代になって、憂鬱な気分の業平は、都を離れ、大和に住んでいた。ある満月の夜。高安ノ里の池の畔でもの思いに耽っていた高安ノ姫は、大和の男と名乗る一人の男と出会う。
それから大和の男は、足繁く高安ノ姫の屋形に通うて来るようになったがある日・・・。都から人を捜して姫の屋形を訪れた初老の人がはからずも大和の男と出合ってしまう。その人こそが初老の人が、捜し求めていた尋ね人、歌人として知られた在原業平だったのである。初老の人は、業平の妻の父・紀ノ有常だった。
 娘のことを気遣う有常の心を無視してその後も高安に通い詰め、姫愛しの真情で迫る業平に、高安ノ姫はついに心を許し二人は結ばれる。
心穏やかではないはずの業平の妻はしかし、夫を高安に送り出した後、次のような和歌を詠む。
『風吹けば沖つ白波たつた山 夜半にや君がひとりこゆらむ』
――盗賊も出るという龍田山を真夜中にひとりで超えてゆくあなた。どうぞご無事で・・・
という稜威子の心情は真実なのか――?
ある日、高安ノ姫は思わぬ光景を業平に覗かれてしまう!
果たして高安ノ姫と業平の愛の結末は・・・?




 実は、私は始まってすぐに眠気を催しました。疲れていたこともありますが、その話の内容が、非常に間延びがして退屈だったからです。
 それは、在原業平と紀有常が、都の政治問題で身を大和に隠していることを、長々と説明するくだりでした。惟喬親王のことも出てきます。こうなると、平安時代の政争史の理解が必要となります。特に、惟喬親王を持ち出すと、『伊勢物語』は別の世界へ行くように思います。ここは、高安の女の物語に徹してほしい所でした。

 この説明の最後で、「高安ノ姫は思わぬ光景を業平に覗かれてしまう」とありますが、これが今回の演劇のキーポイントのはずです。
 ところが、肝心のその意図が、うまく表現されていなかったように思います。というか、観客に伝わらなかったと思います。


 そのことを確認するために、同じく「担当者からの見どころ聞きどころ」とある箇所を引用しておきます。


ここ八尾にある高安は高安の里として、伊勢物語の第23段「筒井筒(つついづつ)」に取り上げられ、在原業平と高安ノ姫の恋物語の舞台として描かれています。
ところが後の語り伝えの中で、「高安の女」ははしたない女性として誤解されてきましたが、今回この高安ノ姫の視点から演劇の舞台がつくられることになりました。




 つまり、高安の女は、自分でご飯を装ったということが雅ではなかったので、業平は通わなくなった、というのが本来なのに、後世は、手掴みでご飯を装ったとか食べた、とされていることに対して、その誤解を解くことが趣旨での演劇化だということです。
 実際、私はこの話の舞台である高安で育ちましたが、私も女が手掴みでご飯を装った、と聞いたように思います。

 当日手にしたパンフレットにも、〈高安の女〉が「手づかみで飯を食っていた」と変えられていることに対して、〈高安の女〉の”復権”を果たすことが、この舞台のスタートであったと記されています。
 そして脚本家は、「好きな男のためには禁忌をも厭わぬ女ごころ」を意識したと語っておられます。

 『河内どんこう No.83』(2007.10)を見ると、そこでも脚本家は、

なぜ「高安の女」は、そのような所業に及んだのか知りたい、という願いが強くあって今回の劇化・公演の計画となったのである。(2頁)


と言っておられます。

 演出家も同誌で、次のように語っておられます。


恋をしていたら、もし、本当にその人のことが好きだったら、女なら、人の手を煩わすことなく、自分でご飯をよそって食べてもらいたい、と思うのは、しごく当たり前のことではないか!?(3頁)



 それなのに、実際の舞台では、このような意図は観客に伝わらないままに、なぜ高安の女が自分の手で器にご飯を盛るのか理解できないままに、劇は終末へと向かいます。私は、そう思っています。
 ありのままの自分を業平に見てもらうためと語る女の言葉しか、私には聞き取れませんでした。

 そして、自分で茶わんに飯を盛る高安の女は、あろうことか、有間皇子の次の歌を大きな身振りで歌うのです。

  家にあれば笥(け)に盛る飯(いひ)を草枕
    旅にしあれば椎(しい)の葉に盛る (万葉集)

 笑止千万のお笑い芸でした。
 何が「〈高安の女〉の”復権”」だと言いたい。

 有間皇子は謀反の罪により、和歌山県海南市の藤白坂で処刑されました。狂人を装ったりしたのですが … 。19歳の若さでした。
 椎の葉に飯をのせる意味を考えても、とてもこの高安の女がこの場面で歌うものではありません。

 本公演の脚本家は、前記雑誌で、幻想なるものを記しておられました。妄想を語るのは結構です。しかし、日本の古典文学をまったく知らないことを露呈したことに、お気の毒ながら気付いておられないようです。
 脚本家という自由業者とはいえ、『伊勢物語』という作品のでたらめな解釈にもほどがあります。歴史や文学の受容史をまったく無視した、無知から来る勝手な解釈は、日本のよき伝統文化を破壊する行為です。日本のすばらしい文化を、あくまでも個人的な無知で壊さないでほしいものです。
 これでは、高安の人たちは、大きな迷惑を被ったことになります。
 とんでもない脚本を作った、と言って抗議してもいいのではないでしょうか。
 南高安小学校と南高安中学校を卒業した私にとっては、このような失望を受ける演劇には、正直言って耐えられませんでした。

 このような脚本をありがたく戴いて、それを演劇化したことの恥というものを、この公演後の総括の一つとしてもいいのではないでしょうか。
 無事ではないのですが、無事に終わって良しとするのではなくて、真摯に内容の吟味をするべきです。この公演には、バックに市民の大きな協力があったようです。勉強会もあったようです。それならば、なおさらのことです。この脚本を、公演の前に、丁寧に読みましたか。脚本家に任せきりではなかったのですか。『伊勢物語』の原作を、みんなで丁寧に読みましたか。長い歴史の中で、いろいろな解釈がなされたことを、勉強しましたか。
 もし、それがなかったのであれば、これを機会に、再度勉強会をするだけの意義はあります。
 少なくとも、高安で育った私としては、こんないい加減で出鱈目な演劇はしてほしくないと思います。
 高安で育った者への、無知から来る明らかな誹謗です。『伊勢物語』という古典作品を、もっと心を込めて読みませんか。

 可能ならば脚本家の反論を聞いてみたいのですが、こちらからの問い掛けは、大人げないのでやめておきましょう。会場へ、観劇後の感想でも送ろうかと思います。私は、自分が育った高安が大好きですから。そして、私の父母が眠る土地ですから。

 さらに残念なことに、最後の場面で大きなミスがありました。
 業平が通って来なくなった高安で、侍女が高安の女を慰め元気づける場面で、侍女が自分が言うべきセリフをすっかり忘れてしまったのです。それまでの侍女役の方の演技がうまかっただけに、これは残念でした。しばらく、白けた雰囲気となりました。

 舞台の2人は、顔を見合わせながら、仕方ないという表情で、高安の女役の女性は少し苦笑いをしながら、やがて出てくる村人たちの河内音頭の輪の中に佇みます。これも、何となく不自然な位置取りで、しかも中心の2人が、先ほどの閉じ目の決めぜりふが不発に終わったことが心残りで、どうしよう、と思案顔だったことが印象的でした。
 すると、この2人が突然、村人の踊りの輪の中から飛び出して、舞台の左側手前に立ち、先ほどできなかった場面の再演をされたのです。
 この異変に、会場の方々は気付かれたでしょうか。
 生の舞台では、こんなこともあるのですね。
 侍従役の方は、その後は、終始暗い顔をなさっていました。

 みなさん、熱演だったと思います。しかし、当初の意図は、みごとに外れた、というように、私は観ました。

 そこで提案です。
 昨年のブログで、私は原作である『伊勢物語』(第23段「筒井筒」) と『大和物語』(第149段「沖つ白波」)の話を例に引きました。
 その中で、『伊勢物語』の「手づから飯匙とりて、笥子のうつはものにもりける」と、『大和物語』の「手づから飯もりをりける」ということばがありました。この二つの文章の違いを丁寧に読み解くことで、この高安の女の話を進める台本を作ってもいいのではないでしょうか。
 その際には、『大和物語』にある次の文章は、しっかりと演技することです。


この女、うち泣きてふして、かなまりに水を入れて、胸になむすゑたりける。あやし、いかにするにかあらむとて、なほ見る。されば、この水、熱湯にたぎりぬれば、湯ふてつ。



 さらには、次の『伊勢物語』の文章も、高安の女の心情を深く掘り下げて演劇化したらどうでしょうか。


 さりければ、かの女、大和の方を見やりて、
  君があたり見つつを居らむ生駒山
    雲なかくしそ雨はふるとも
と言ひて見いだすに、からうじて大和人、
「来む」
と言へり。
 よろこびて待つに、たびたび過ぎぬれば、
  君来むといひし夜ごとに過ぎぬれば
    頼まぬものの恋ひつつぞ経る
と言ひけれど、男すまずなりにけり。




 こうしたネタで脚本を作ると、また別のおもしろい高安の女の物語ができます。
 そうすると、これも地元の人たちが大切に伝えて行く文化の一つとなるはずです。

 勝手なことを記しました。
 昨夏より準備をすすめてこられた皆様方に対して、失礼な物言いとなっていましたら、ご寛恕のほどをねがいます。





2008年2月24日 (日)

京洛逍遥(27)平安神宮でガマの油売り

 昨日から、京は雪が降っています。
 雪の中できれいなのは、金閣寺が筆頭でしょうか。
 かつて、立命館大学へ仕事で毎週通っていた時に、何度か雪の金閣に足を延ばしました。きれいでしたが、あまりにも絵になりすぎていて、それだけでした。

 その次は、平安神宮です。
 降りしきる雪の中で朧にかすむ朱色は、どんな感じでしょうか。
 ちょうど今日は、岡崎公園で京の朝市が開かれます。
 全国の物産や京野菜が手に入るので、早くから出かけました。

 小やみの雪の中を行ったつもりでしたが、時々吹雪くように降ります。そして、平安神宮の大鳥居は、紗がかかったように霞んで見えます。

 雪の中なので、岡崎公園での朝市は中止でした。しかし、神宮の前では、十数軒のお店が出ていました。最初に見つけたのは、私が生まれた島根県のテントでした。
 揚げたてのタマネギの天麩羅を、フーフー言いながら食べました。
 そして、雲丹の入った海苔と、名物のアゴノヤキ、さらには、私のおじいさんが茶人だったため、小さい頃から家でよく食べた、松江の不昧公で有名な茶菓「若草」を買いました。また、これまたお茶席でよく出され、両親が好きだった「山川」もありましたが、血糖値のことが気掛かりなので、それは諦めました。

 そうこうする内に、ちょうど平安神宮の正面で、何やら人だかりがしていました。大きな声も聞こえます。
 石段を上ると、なんとガマの油売りの大道芸をしていたのです。
 今回の朝市の出し物の一つのようです
 私は、これの本物はまだ見たことがなかったので、人ごみの中に混じり、その熱気を共にしました。


Kjvwa59w_s紙テープ



 なかなかみごとなパフォーマンスです。
 背景の、雪をいただいた平安神宮もいいですね。



Xnlim392_s日本刀の切れ味



 このおじさんは、なかなか言葉巧みに人を惹き付けて行きます。
 この紙も、音もさせずに切るはずが、うまく切れないのです。なかなかの芸達者ぶりでした。


4z5agjcs_s勇気ある子供



 自分で自分の腕を切って見せようとしたのですが、それも何とかかんとか言ってごまかします。そして、集まった聴衆の中でも、子供を誘うのです。横の男の子たちを脅している内に、反対側から見つけた男の子を呼び出し、無謀にも腕に刀の刃を這わせるのです。
 この子が、腹の据わった態度で、されるがままにジッとしていたので、あるいはサクラなのかもしれません。しかし、そんなことは微塵も感じさせずに刃を滑らせると、男の子の腕から本当に血が流れ出したのです。



_vxjboav_s出血




 商売道具のガマの油を塗ると、血が止まったようですが、その後も、横のトイレで傷口を洗った方がいい、などと言って、聴衆を笑わせていました。

 ガマガエルを見せるといっては、もったいぶって紫の風呂敷をめくるのですが、中にはハリボテのガマが見えて、またまた皆が笑います。

 思いがけず、降りしきる雪の中での平安神宮をバックにして、実に楽しい一時でした。






2008年2月23日 (土)

源氏千年(11)『源氏物語』と「都をどり」

 今年の「都をどり」は、『源氏物語』の千年紀がテーマです。
 昨日、芸舞妓さんたちの衣装合わせが、祇園甲部歌舞練場であったそうです。

 京都新聞に掲載されていた写真をお借りします。


722irdc4 京都新聞より



 今回は、第136回というのですから、伝統的な行事になりました。
 この都をどり」は、1871(明治4)年の京都博覧会がきっかけだったと言われています。東京遷都によって衰退しつつあった京都を何とかしよう、との思いからの開催だったのです。最初は人気がなかったようですが、今では、京都になくてはならないものとなっています。

 昨日の高島屋でのイベント会場でも、壁にはこんなポスターがありました。
 宮川町歌舞練場のものですが……。第59回というのも、なかなかのものです。


674dffwn_sポスター



 花街の踊りは、4月1日から始まる祇園甲部歌舞会(東山区)の「都をどり」(京舞井上流)が一番有名でしょうか。
 それに続いて、宮川町(同)の「京おどり」(若柳流)、上七軒(上京区)の「北野をどり」(花柳流)、先斗町(中京区)の「鴨川をどり」(尾上流)が、それぞれの歌舞練場で開かれます。祇園東(東山区)の「祇園をどり」(藤間流)だけが、秋に行われます。
 この京都の踊りについては、過日、本ブログに掲載した、水上勉の『京の川』が自然と思い浮かびます。

http://blog.kansai.com/genjiito/173

 最後の場面、「鴨川おどり」の舞台で「貴船川」を舞う静香の
「お父ちゃん、よう見ててや … 」
という言葉が、印象的でした。

 さて、今年の「都をどり」を、京都新聞は次のように報じています。

「都今源氏面影(みやこはいまげんじのおもかげ)」と題した全八景。源氏が美少女の若紫を見そめた鞍馬寺、正妻の葵上と六条御息所の激しい相克、雪の宇治川畔で浮舟をしのぶ光景などよりすぐりの名場面を、京舞と長唄で詩情豊かに表現する。(2008.2.23)



 記事の中の「よりすぐり」は「えりすぐり」の方が私はいいかと思いますが、それはさておき。

 衣装を見るだけでも、いろいろなことが勉強になります。
 見に行っての報告は、またにしましょう。

 折角ですから、ついでに宣伝もしておきます。

期間 4月1日〜30日(1日4回公演)
入場料 指定席4300円〜3800円、自由席1900円
連絡先 祇園甲部歌舞会 電話075(541)3391




2008年2月22日 (金)

源氏千年(10)文化を食べる

 京都四条の高島屋で、「第52回 京の味 ごちそう展」が開催されています。
 今回は、「源氏物語千年紀」にちなんだ企画も組まれ、京料理の文化レベルの高さが実感できます。
 食べたいと思うよりも、ジッと眺めているだけで満足しました。

 以下に、会場で撮影した、たくさんの写真を掲載します。


看板



 入口の料理は豪華です。まずは、華やぎから始まります。
 右上には、宇治市源氏物語ミュージアム所蔵の『伝土佐光則筆 源氏絵鑑帖』をパネルにして展示してあります。
 これには、短い説明がありますが、一般の人には、何が何やらわからない説明だと思いました。こういう説明は、非常にむつかしいですね。季節はいつで、誰と誰が何をしているのか、という割り切りが必要でしょう。


Ofagqfmr_sパネル



 今回は、6巻の源氏絵が展示されていました。
 08花宴、26常夏、32梅枝、43紅梅、49宿木、51浮舟です。
 いずれも、京料理との関わりで選択された巻のようですが、その選定の意図が、会場に来た人にわかったでしょうか。私には、よくわかりませんでした。
 展示会場に文字で説明するのは無粋なので、パンフレットでも用意してもよかったのではないでしょうか。展示の手法に、一考の余地があります。
 京料理と『源氏物語』を結びつけるのであれば、「千年紀」という要素に胡坐をかくだけではいけないと思います。これでは、文化が表面をなぞるだけで終わります。その深みと琴線に触れるものを、目指すべきでしょう。そのためには、通り過ぎて何となく文化の香りを感じただけで終わり、とするのではなくて、もう少し目で納得してもらえる仕掛けが必要です。
 その点の工夫が、私には感じられなくて、残念でした。

 とは言うものの、難しいことは抜きにして、とにかく楽しんで見て回りました。


0hwj6hfe_s源氏絵



 源氏絵の前に、有名な料亭の料理が並びます。食材のみならず、器や添え物の妙も楽しめます。


Kz8fhsuf_s49宿木



 源氏絵の左横には、簡単な説明がありました。

第49帖 宿木(やどりぎ)

帝、薫と碁を打ち、掛け物として菊を折らせ、二宮の降嫁の意をほのめかす。




 繰り返しになりますが、これでは、見ている人には、この料理とこの源氏絵との関係がさっぱりわかりません。
 さらに、せっかくの牛車が、料理とうまく調和していません。単なる、雰囲気作りの添え物です。もったいない構成です。もう一工夫してほしいと思わざるを得ません。
 これでは、料理が死んでいます。
 テーマが欠落しているからです。
 これを作ったのは、名のある店なのでしょう。しかし、表面的で駄作です。見る者との間に、文化が共有されない、独りよがりの蝋細工のサンプルの域を脱していません。
 作り手と鑑賞者の間に、何が共有されるのかは、食と文化のことを考える時に、大切な要素です。
 これなどは、見せ物としてはまだ出来のいい方なので、例としてあげました。他の多くは、目を覆うばかりのレプリカですが、そこはそれなりの企画だと思って、見るしかありません。街の和風小物屋さんに来たつもりで見た方が、結局は楽しめるようなので、以下、そうした視点で紹介しましょう。

 とにかく、文化との融合などということには拘らずに、先を急ぎましょう。


Xzogwqcp_s几帳と器



 これは、なかなか楽しめるものになっています。


Srl1_kix_s几帳



 まずは、右側にある、この几帳がいですね。


Ojfyf5jz_s器表



 そして、左側にある、器の周りの仮名文字が目を引きます。

 さらには、その裏側にも、何が書いてあるのだろう、と興味を掻き立てます。


G3mszcbl_s器裏






Agatuhxh_s源氏香と貝



 これも、ジッと見入ってしまいました。
 貝の表側に、源氏香図が描かれているのです。
 台といい、凝りに凝った逸品です。


0jyxnmat_s貝合わせ



 次も、つい唸ってしまう作品になっています。


Ucec8luf_s歌仙絵器と貝合わせ



 左側の四角い器には、歌仙絵が描かれていました。


Jsaxdekj_s歌仙絵器



 これは、「めぐりあひて……」で知られる紫式部の『百人一首』の和歌が描かれた器です。
 その右上が、小野小町、左上が伊勢です。
 もう、日本人で変体仮名が読める人は少ないのですから、やはりパンフレットで、日本人がかつて使っていた文字の説明をしておいてもよかったのではないでしょうか。
 悲しいことですが、日本人は日本の文化としての仮名文字を読めなくなってしまいました。それを、このように画像として展示するだけでは、文化の破壊の追従です。
 まだ日本には、このような仮名文字を読める人がいます。
 諦めてしまわずに、日本古来の仮名文字が読める人が増えるように、こうした機会を利用して、啓蒙的に意識を高める努力をしてもいいのではないでしょうか。
 このような展示会で、あえて日本の伝統文化を、遥か彼方のものとする必要はないのです。古典を憧れの対象にするのではなくて、昔はよかったとすることなく、現代に再生する道を、このような機会に模索すべきではないか、と思いました。


Fermxguc_s貝に源氏絵



 左側には、貝に扇面の源氏絵が描かれています。
 それぞれに、丹精込めて作られた料理が盛られていることを、つい忘れてしまいます。
 日本の文化の奥深さを体感しました。惜しむらくは、絵の場面と料理が関連しているとよかったのですが。もしそうであれば、少し説明があっても、と思いました。


Huggxxgn_s和菓子



 和菓子も、なかなか凝っています。
 可能であれば、巻名とお菓子の関係を知りたいと思いました。
 かつて、凮月堂が『源氏物語』をテーマにした和菓子をつくりました。その時には、明確に製作者の解釈が説明されていました。思いつきではなかったのです。
 また、虎屋も挑戦しました。それも、しっかりとした裏付けがあっての作品でした。
 今回のものは、京銘菓真味会「末富」の創作和菓子のようです。
 これも、今回きりの単発企画に終わらせず、継続していろいろな作品を提案してほしいと思います。そして、巻名に対する、色や形や味の根拠を明示してもらいたいものです。

 「源氏千年紀」を記念した京都伏見の地酒もありました。
 まずは、伏見の「玉の光」


Fznq8lfg_s源氏酒1



 続いて、伏見の「キンシ正宗」です。

Y1fbn18r_s源氏酒2



 このイベントは、日本の伝統的な食文化を、『源氏物語』を通して堪能できる場所となっています。適当に並べたという印象はぬぐえませんが、その意図はどうにか伝わりました。
 日本料理の粋を、このような機会だからこそ、シャワーのように浴びることが出来ました。次の世代へ文化を継承するためにも、このような場はたくさんあればあるほどいいと思います。
 出来はあまりいいとは思えませんが、何かを思わせてくれたという点では、得難い経験となりました。

 今回の企画全般に感じたことですが、有名とされるお店の底の浅さにがっかりです。
 こんなに日本の料亭は低レベルになってしまっていたのでしょうか。
 『源氏物語』という名前に乗っかっているだけです。どのように解釈した結果なのか、ということのヒントだけでも、見る者に示さないと、勝手な自己満足の世界に終わります。見た目のきれいさだけでは、正直言って、文化とは乖離していくだけです。
 安直にブームに乗って展示した、ということに留まるのでは、もったいないことです。見る者と共有するものがないのです。単に、私たちは、きれいに仕上げた料理を、見せてもらうだけです。そして、そこには作り手の『源氏物語』への理解の未熟さが露呈しています。
 私が、総じて作品のレベルが低くてがっかりしたのは、こうした点からのものです。

 さらなる努力を見せてほしいものです。





2008年2月21日 (木)

いつもは不調な機械なのに

 昨年末にガスストーブを購入しました。
 お決まりのように、何かと不具合がありました。
 購入してすぐに、ブーン ブーン という甲高い音がし出しました。
 金属が振動する時の異音です。
 古くなった蛍光灯などで、このような音がする時があります。安定器が発する音です。トランスの異常なのでしょう。

 使う内に音も小さくなるだろうと、様子を見ていたのですが、一向に収まる気配がありません。もう2ヶ月になろうとします。そろそろ決着をつけなくてはいけません。
 そこで、お客様センターに電話をして、点検に来てもらいました。
 ところがです。
 修理をしてもらう技術の方が来られると、途端にストーブはいい子になるのです。直前まで異音を発していたのに、何ともイヤミで気まぐれな機械です。


9qxy0iqx_sストーブさま



 コンピュータや、その周辺装置を購入して、たくさんの不具合に遭遇してきました。そして、これはまたまた欠陥商品だ、と思ってお店へ持って行くと、店員の前では、思うように悪いところを再現できないものです。が不具合が確認してもらえないので、スゴスゴと帰ったことが何回あったことか。
 今回も、恐れていたそれが起きているのです。

 しばらく技術者とガスストーブをジッと見つめながら、沈黙の時間が流れます。気まずさから、また症状が出たら連絡をしてください、と、さも気の毒そうにおっしゃいます。
 確かに、先ほどまでの異音がしないのです。手にしたドライバーでカバーを開けるわけにもいかない、とおっしゃるのももっともです。

 肝心な時に、異常が確認できない悔しさを胸に、修理センターの車を見送ることになりました。

 いやな顔を一つせずに、優しく対応して下ったリンナイの福永さま。
 ご苦労さまでした。遠いところから、わざわざ、ありがとうございました。
 今は静かに熱風を吐き出しています。
 昨日まで、あんなに騒いでたのは何だったのだ、とつぶやいてしまいます。
 明日から、またブーンと言い出したら、と思うと、気持ちが落ち着きません。

 機械も、人を見て動いているようです。
 機械といえども侮るなかれ。
 なかなかのヤツらです。



2008年2月20日 (水)

au携帯を見切る時期到来か

 我が家は、みんなau携帯を使っています。
 しかし、どうも電話料金が高いように思います。
 大分前から、NTTの電話回線を解約し、KDDIの回線にしています。そして、携帯電話もauにして料金の支払いを一括にしているのに、どうも腑に落ちないことが多いのです。

 今使っている携帯の本体の調子が悪いこともあり、近くのauショップへ行きました。そして、相談をしている内に、家族割が全員に適用されていないことがわかりました。
 つまり、家族の中で前の住所の奈良になっている者がいることがわかりました。また、その登録電話番号も、奈良で使っていた番号のままだというのです。
 引っ越しをしたことを連絡し、電話回線も京都のKDDIに引き続いて移行して変更し、携帯電話も同じように変更手続きをしたのに、全員が移行していなかったのです。

 家族全員が転居しているのに、全員の移動手続きがなされていなかったことになるのです。いかにも、私の方に落ち度があるかのように言われました。しかし、そんなことは契約を受けている会社がチェックすれば明らかなので、怠慢としか言いようがありません。まさに、社会保険庁並のいいかげんな理屈を聞きました。
 家族の住所も変わり、奈良の電話も廃止しているのに、家族の一部が前のままなのですから、お役所仕事もいいとこです。

 こんな調子で、このKKDIとかauは、今後ともやっていけるのでしょうか。

 iPhone が上陸してきたら、ひとたまりもなく壊滅することでしょう。

 携帯の調子が悪いと言うと、ちょうどキャンペーン中だとのことで、私が使用している機種は無料で移行できるそうです。
 最初の携帯は、大好きなSONY製を使っていたのですが、どうも調子が悪いのです。欠陥商品を手にするのは慣れっこです。交換してもらうことになったところ、東芝しかなかったので、仕方なくそれを使っていました。私は、電磁波被害を最小限に留めるためにも、極力携帯電話は使わないようにしています。だから、機種や機能は拘りませんでした。
 今回の機種変更では、SONY製品が選べたので、すぐにそれにしました。
 そうです、あのDVD戦争の敵同士です。東芝が撤退したように、偶然ではありますが、私の携帯電話は、東芝からSONYに転向することになりました。

 これまで使っていた携帯のデータを移してもらったところ、これまた奇妙なことが起きました。電話帳はうまく転送できていたのですが、メールが変なのです。それも、Cメールというものがでたらめでした。
 まず、受信メールの相手先名がすべて「非通知設定」となっているのです。つまり、だれから来たメールなのかが、まったくわからなくなっているのです。
 おまけに、受信時間も、すべてがデータを転送した、店頭での作業時間となっています。これでは、過去のメールが、誰から何時届いたものなのか、確認できません。
 何とかならないのか、と聞くと、どうしようもない、とのことでした。この前までは、メールの転送すらできなかったので、これでも改善された方だそうです。
 一般のメールは、今も転送できないようになっているのだとか。

 個人情報の移動なので、とか何とか仰っていましたが、何となく騙された感じです。これで通ると思って営業をしているのですから、言われるままに認めましたが、機会があればauはすぐに解約すると思います。面倒なので、契約を続けているだけなのですから。

 iPhone が今年の年末にでも日本で使えるようになるという情報が飛び交っています。私の大嫌いなNTTドコモが窓口になるようです。大嫌いなNTTですが、iPhone が使えるのならば、しばらくは妥協します。NTTには技術力がまったくないので、すぐに別の会社でiPhone が使えるようになることは、目に見えていますから。

 こんなことをauの方と雑談していたら、お店の人もあいまいに笑ってごまかしていました。彼らも、今はauを売っていますが、iPhone に飛びつくのに違いないのです。感触でわかりました。






2008年2月19日 (火)

仕事場との別れ

 職場が、品川から立川へ移ります。
 9年前に着任した時から、移転の話は聞いていました。閣議決定なので変更はない、といわれながら、どこまで本当なのかと半信半疑の9年間でした。


Awi_igau_s国文研の最後の桜



 3年前から、少しずつ本当に移転があるのだな、と思う反面、またいつもの調子で先延ばしになるのでは、と、さほど実感を持たずにきました。それが、やっと現実の話となり、私もとうとう自分の部屋を去る日が来ました。

 3vhfpdsw_s部屋の入口



 今は、部屋の前は段ボールの山です。部屋の前に置いておくと、業者の方が持っていってくれます。これは、最後の段ボールたちです。
 大量の本や資料はすでに搬出し、最後はコンピュータ関係の機械類が多いので、取り扱い注意の赤いシールをベタベタと貼りました。
 入口から見える印刷の出来るホワイトボードは、6年前から使用している私の秘密兵器でした。もっとも、十分に活かしきれなかったように思います。新天地はこれまでよりも広い部屋とのことなので、そこで活躍してもらいましょう。
 隣奥の倉庫はいつもは閉まっていますが、今日は収蔵品の搬出のために人の出入りがあります。


 洗い場へ行く通路も、各先生方の荷物で雑然としています。


Wuwmnfmj_s通路



 一昨年に取材を受けた時の写真が見つかったので、これも記念として残しておきます。


Kup0ui1d_s研究室で




 その私の机の周りの最後の日は、こんな状態です。

Y3jqtpqd_sバックアップ



 パソコンのデータをバックアップすることが、最後の仕事となりました。
 荷物がなくなり寂しくなった部屋にいるのは私だけです。まずは部屋に感謝して、ビールで乾杯しました。
 そして、1テラバイトのハードディスクを3台ほど積み重ねて、これまでに作り溜めてきたデータを保存します。これは、パソコンが移送中に壊れた場合を想定してのバックアップです。
 何日もかけてやっています。そして、今日が最後の作業です。約3時間かかりました。
 その間、部屋の片づけをします。
 時間は、夜の10時を過ぎた頃です。
 そういえば、何度もこの部屋に泊まり込んで、徹夜の仕事をしたものです。
 唯一の小さな窓から見える街燈も、今夜で見収めです。


S1fujchf_s最後の整理



 この部屋は、もともとは倉庫だったとかで、奥が狭くなる遠近法を実感できる場所でした。
 たくさんの方々が、私の仕事を手伝うために出入りしてもらった部屋でもあります。
 こんな狭い所に、四、五人の学生さんたちがいたこともあります。
 荷物がごった返す部屋で狭い思いをさせ、今思い返しても、本当に恐縮します。
 最初に手伝いに来てくれた内の2人は、海外の『源氏物語』情報の整理や、ケンブリッジ大学との共同研究の仕事で、今も強力な助っ人として全幅の信頼を置けるサポーターとなってくれています。
 学会情報が順調に更新されていて重宝がられるのも、仕事の合間に駆けつけてくれる助っ人がいるからです。
 縁もゆかりもない私を、長い期間にわたって手助けしてもらっているのは、もうボランティアとしか言いようのないものです。何といっても、交通費が出ないのですから。食事をまともにすると、赤字の手弁当という人もいます。国の文化行政の貧困さを痛感する9年間でした。
 何も報いてあげられないことに申し訳なく思いながら、あらためてこの部屋で皆に感謝をしました。

 たんさんの仕事をした研究室です。これまでに関わりを持ってくださった方々に、感謝の意味も込めて、壁の書架などがなくなった、ガランとした部屋を見てもらいたいと思い、こうして写真を掲載しています。
 実は、私もこんなに寂しくなった部屋を見るのは初めてです。


Oy21k_jm_sマッキントッシュ




 最近使っていたパソコンは、マッキントッシュの20インチのiMacでした。
 この6台とノートパソコンを駆使して、実にたくさんの仕事を並走させていました。
 30インチのモニタは、今年になって使い出したものです。これまでは、23インチと20インチの2台を連動させて、広い画面を確保していたのです。


Cpzrttth_s※出入り口



 奥から、入口を写してみました。こんなアングルで見るのも、何もなくなった最後だからです。


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 ポツンと一つ取り残されたこの机は、ここで処分してもらいます。

 感謝の気持ちを込めて、記念写真とします。





2008年2月18日 (月)

テルグ語訳とフィンランド語訳『源氏物語』

 今日は、海外で翻訳された『源氏物語』に縁のある日でした。

 まず、『家庭画報』の取材を受けました。5月号で『源氏物語』の特集があり、その資料提供と取材協力です。
 発行元である世界文化社の担当編集者とは、一昨日以来、電話やメールや街中で打ち合わせを持つなど、さまざまな形で情報交換をしました。
 ところが、いろいろな話をしているうちに、不思議と私が住んでいたところと縁のある方であることが、しだいにわかりました。
 今週末に「なりひらの恋」という演劇を観に行く、大阪府八尾市のプリズムホールは、その担当編集者が小さい時にピアノの発表会をしたところだとか。私は、八尾市高安の育ちです。妻は、この近くの学校で教員をしていた時があります。
 担当編集者が育ったと言われる所にあるヒバリヤ書店は、私が小さい時からよく通い、高校の時にはいつも途中下車をして本を読み漁った店です。
 また、高校と大学は京都だそうで、それも拙宅の近く。
 そして就職された先も近いのです。
 知り合いが平群にいると言われると、もう驚きを越して、「ヘー、アッソー」という無色透明で無臭に近い返事しか出なくなります。
 上京されての住まいも、私がいる深川の宿舎の近く、ということになると、さらに追い討ちをかけるような偶然尽くしです。
 家族のように、同じ生活圏で生きて来られたことに、改めて縁というものを感じます。こんなことがあるのです … 。

 さて、今日は、昨日私がお教えした国際交流基金の蔵書に関する報告を聞き、本当に驚きました。インドでテルグ語訳『源氏物語』が出ていたことを見つけてくださったのです。
 インドでは、従来は7種類の言語で『源氏物語』が翻訳されている、とされてきました。
 ヒンディー語、タミール語、テルグ語、マラヤラム語、ウルドゥー語、パンジャビ語、オリヤー語の7種類です。
 しかし、その翻訳事業の母体であるサヒタヤ・アカデミーの所長さんに伺った時も、またネルー大学の先生やその学生さんに調べてもらった時にも、ヒンディー語とタミール語の2種類しか出版されていない、とのことでした。
 ところが、もう一つ、テルグ語訳があったのです。
 国際交流基金のサイトから得た情報を転記します。

 書名 『Genji Gatha』
 作者 Murasaki Shikibu
 翻訳者 telugu tr. by N.V.R. Krishnamacharya
 出版 New Delhi : Sahitya Akademi, 1962
 刊年 1962
 形態 320 p. ; 19 cm
 出版国 インド
 標題言語 テルグ語 (tel)
 本文言語 テルグ語 (tel)
 著者情報 紫式部(987-1015) (ムラサキシキブ)
      Krishnamacharya, N. V. R.
 NCID BA45896272

 これで、インドでの『源氏物語』の翻訳は3種類の言語となりました。まだ私自身は確認していないのですが、国際交流基金にあることが確実のようなので、ここで修正します。
 つまり、過日のブログで書いたこと(http://blog.kansai.com/genjiito/176)を補正すると、次のように19言語となります。

アラビア語・イタリア語・英語・オランダ語・クロアチア語・スウェーデン語・スペイン語・タミール語・チェコ語・中国語・テルグ語・ドイツ語・ハングル・ヒンディー語・フィンランド語・フランス語・ポルトガル語・ロシア語・ウクライナ語(未確認)︰(2008年3月現在)

 このインドに関しては、もっと精査する必要がありそうです。残る4種類も、意外なところから見つかるような気がしてきました。

 また、『家庭画報』のために資料を整理したところ、拙編『海外における源氏物語』(平成15年刊)で掲載した翻訳書の、表紙だけが別のものになった異版を持っていることがわかりました。
 フランス語訳とドイツ語訳と英訳(サイデンステッカー)の3冊は、架蔵の本は新しい装丁になったものでした。
 翻訳本の調査収集は、本当に大変です。

 本日、職場の移転に伴う引っ越し荷物の送り出しを終えて、グッタリとして宿舎に帰ったところ、小包が来ていました。
 フィンランドへ留学に行っている仲間から、フィンランド語訳『源氏物語』を送ってくれたのです。
 京都府立大学のラリー・ウォーカーさんが、私のために探してくださったのです。ただし、全4巻のうち第1巻がまだ見つからないとのこと。
 ゆっくり探してください。感謝感謝です。


Cj6trvfs_sフィンランド語訳



 本当に、仲間はありがたいものです。
 このフィンランド語訳は、この時期の入手を諦めていた本です。
 実は、この翻訳をした人は、現在日本の参議院議員をしている人です。連絡先はわかっているので、取材に出かけようとしたのですが、公務員の国会議員との付き合いは慎重に、という通達が昨年末に出たこともあり、接触を控えていたのです。『源氏物語』の研究と、近く予想される衆議院選挙とは関係ないことです。しかし、当の本人が注目されている野党の方なので、話がややこしくならないように自粛していたのです。人は好きなことを言いますから。

 それにしても、必要に迫られて集中すると、さまざまな情報や物が、いろいろな形で飛び込んで来ます。
 日々コツコツと弛まぬ努力を重ねることです、と言うと陳腐な物言いですが、諦めることなく探し求め続けることは、どんな場合にも大事な心構えだ、ということを痛感しました。




2008年2月17日 (日)

負け組を指向する

 昨夜のニュースと今日の朝刊で、東芝がHD-DVDの事業から撤退することが大きく報じられていました。

 私は、今回の2つの規格が対立するDVDには関係がありませんでした。いつもなら早々に手を出していたはずです。しかし、どうしたわけか、購入するまでには至っていなかったのです。
 ビデオを見る、ということが生活の中にないからでしょう。映画は、映画館へ行きます。ゲームは、かのインベーダーにも興味が持てなかったので、まったくしませんでした。
 したがってこのDVDは、私にとっては、データのバックアップのためのものであり、今はハードディスクが重宝しているので、必要に駆られないのです。
 ただし、どちらかと言うとソニー好きの立場から、ブルーレイ(BD)の普及を待ってはいました。

 ブルーレイ陣営との間で規格競争をしていた東芝の判断は、企業としてはこれでいいのでしょう。後は、これまでにHD-DVDを購入した人々のアフターケアが重要です。
 この点では、ビデオデッキの方式で、VHSとベータ(β)方式の争いをして撤退したソニーの企業姿勢を模範とすべきでしょう。
 ベータを支持していた私は、この時のソニーの誠意を、高く評価しています。

 製品の規格の分裂は、利用者にとっては迷惑です。
 よく引き合いに出される、ビデオのVHSとベータの2つでは、私はソニーのベータ方式をよしとして使ってきました。子供の成長の記録は、すべてベータのテープに収録されています。
 このビデオの規格競争がなされたのは、つくば博があった1985年あたりだそうです。
 我が家の長女が生まれたのがちょうどその頃で、NECのPC−8001という8ビットのコンピュータが人気を博した時でした。
 その後、我が家に長男が生まれた頃には、このVHSとベータという2つの規格争いが展開していたのです。

 この時のベータ陣営には、ソニーを筆頭に、東芝、日本電気、三洋、ゼネラルなどが属していました。
 ここに東芝が入っていました。それが、今回はソニーと対立する先鋒となっていたのですから、企業の意地とはおもしろいものです。

 ソニーは、いつもマネシタ電気と言われた松下電器の数歩先を行っていました。そして、ソニーが開発したものを、松下が低価格高機能で製品化していたと、いくぶん僻みっぽく揶揄されて来ました。
 それが、今度は珍しく、ブルーレイで共闘していたのです。

 我が家のビデオテープは、昨春の奈良から京都への屋移りの際、段ボールの箱にして数十箱分もありました。ほとんどが、ベータで録画したものです。
 子どもたちの成長の記録という大切な映像は、これからのためを考えて、一応VHSのテープに写しておくことにしました。二十年ぶりに取り出したベータマックスのソニーのビデオテープレコーダーは、立派に映像を再生してくれました。感激の一瞬でした。
 フロントローディングのものなので、その前の口から、子どもたちがクレヨンなどを突っ込んで、ガラガラと回して遊んでいたものです。それを見つけると、すぐにソニーのお兄さんに家に来てもらい、機械の中をお掃除してもらいました。そんな手荒な扱いを受けてきたベータマックスが、元気に映像を再生してくれたのです。撫でてやりたくなります。

 昨年の複製作業の時には、その前に、大阪日本橋のソニーショップで、少しアドバイスをもらいました。
 ソニーの方は、ベータマックスの話になると、うれしそうに話し相手になってくださいました。
 撮り溜めたビデオの映像は、いつかまた、実際にはいつなのかはわかりませんが、デジタル化して子どもたちに渡したいと考えています。

 ニュースなどでは、東芝はベータに続いて2敗目だと言っています。しかし、東芝の撤退はまだあるのです。

 オーディオカセットが出始めた頃、1976年に東芝は雑音低減方式(ノイズリダクションシステム)として、アドレス(adres、Automatic Dynamic Range Expantion System)という方式を提案しました。
 当時の主流は、ドルビーB方式でした。しかし、それよりもアドレスの方が音がきれいに聞こえるというので、私は、このアドレス方式のテープデッキを購入し、それで音楽を録音し、聴いていました。そして、カセットケースには、「adres」というシールを1枚1枚貼って、楽しんでいました。

 ところが、ドルビーBの後継規格であるドルビーC方式が公開されると、たちまち主流はドルビー方式となりました。そして、東芝のアドレス方式はなくなっていったのです。

 その頃私は、ブルックナーの音楽に夢中でした。たくさんのレコードを買い、カセットテープに録音して聞いていました。
 ブルックナーの音楽には、異版といわれる、同じ曲でも演奏が異なるものが多いのです。それを聞き分けるのが楽しくて、その違いを考えるのがおもしろくて、いろいろな形で聞いていたのです。
 今、『源氏物語』の異本や異文のことを調べています。
 相も変わらず、飽きもせずに、その違いを知ろうとして、よく似たことをやっているものです。

 これまで私は、いつも少数民族に属していました。今、パソコンはマッキントッシュを使っているのも、その流れからのものなのでしょう。
 今回のDVDの規格に関しては、様子見をしながらソニーを応援していました。そして、ソニーが勝ち組となりました。
 私にとって、これは驚きです。勝ち組とは無縁だった私にとって、これは気をつけなければなりません。

 先日、iPod-touch を買いました。iPod は、初代から持っています。この携帯音楽プレーヤーは、ずっと勝ち組になっています。
 勝ち組とは一線を画していたはずなのに、いつの間にか、思いがけず大勢派にいるようです。

 これは、自分の生き様としては望むところではないのですが、好むと好まざるとにかかわらず、そうなってしまっていることに戸惑いを感じます。
 複雑な思いを抱きながら、慌ただしい日々に追われるだけの毎日です。自分が気に入ったものに触れる生活をする中で、何となく流されているように思えます。




2008年2月16日 (土)

アーサー・ウェイリー宅訪問記

 『源氏物語』を英訳したアーサー・ウェイリーの晩年の住まいを訪れたのは、今からちょうど7年前の2月のことです。
 もっともその訪問は、当初の予定にはなかったものでした。

 本当に偶然のことなのですが、大英図書館の知人を訪ねて行き、ウェイリーのことを話題にしたところ、何とウェイリーの曾孫さんが同じ職場にいらっしゃるとのことでした。
 これは幸運とばかりに連絡をとってもらったところ、その日は出勤なさっており、しかも快く会ってくださいました。


Pe4kfilk_sウェイリーの曾孫さん




 ウェイリーの曾孫さんは詩人でした。ウェイリーのお兄さんのお孫さんにあたられます。自作の詩をいただいたのですが、中近東のことばだったので反応に困った覚えがあります。
 ウェイリーのことは、ほとんど覚えておられませんでした。しかし、近くに晩年の住居が今も残っているとのことだったので、早速行ってみることにしました。
 ロンドンの郊外ですが、地下鉄ですぐの所でした。
 住宅地の小高いところに立つ、そうとう古い建物でした。


9bgwdzrn_s住居



 イギリスでは、著名な人が住んでいた家には、壁にプレートが埋め込まれています。
 ウェイリーの住居にも、ブルーのプレートが嵌め込まれていました。


C8q9gba9_sプレート



 家の入り口には蔦や楓が茂り、誰も住まなくなって久しいのか、廃屋の印象がありました。


Bhmy_aad_s玄関先



 裏庭に回ると、石のライオンがポツンと一人で、主なき館を守っているようでした。


Lvys3ott_s裏庭


 日本ではウェイリーは『源氏物語』の翻訳などで著名です。しかし、イギリスでは東洋の文学を紹介した男を、そんなに高く評価はしていないようです。

 ウェイリーについては、たくさんの思い出があります。

 初めてロンドンに行った時のことです。というか、飛行機に乗ることを拒否していた私が、生まれて初めて飛行機に乗り、それがしかも外国だった1994年、42歳の時のことです。
 最初に宿泊したホテルが、大英博物館のそばでロンドン大学の前にあるホテル・ラッセルでした。
 最初の晩は、初めての海外旅行ということで眠れないままに、スーツケースに入れて来ていた『源氏物語に魅せられた男 アーサー・ウェイリー伝』(宮本昭三郎、新潮社、1993)をパラパラと読んでいました。すると、何とこの本に、今自分がゴロンとしているここ、ホテル・ラッセルでウェイリーが『源氏物語』を翻訳をした、と書かれているではないですか。
 とにかく、その偶然に驚き、翌日は早速フロントで下手でシドロモドロな英語で交渉をし、ウェイリーがいたとされる上階に部屋を代えてもらいました。
 また、ホテルの前のラッセル・スクエアを朝晩に散策しました。その後も、この地域であるブルームズベリーは、私の散策場所になりました。そして、『ブルームズベリーの恋』(アリスン・ウェイリー、河出書房新社、1992)を読み、ウェイリーのロンドン時代を身近に感じたものです。

 偶然というものは、本当におもしろいものです。
 これからも、たくさんの偶然を楽しみながら、いろいろなものを見て、聞いて、語りたいと思います。






2008年2月15日 (金)

世界中で読まれている『源氏物語』

 『源氏物語』は世界中で読まれています。
 私は、『源氏物語』に関する文献の調査収集をしています。その中でも、海外での翻訳本は網羅的に集めています。
 そのせいもあってか、いろいろな問い合わせがあります。
 一番多いのが、「源氏物語は世界の何カ国で翻訳されていますか」という質問です。英語訳が各国で販売されている関係で、『源氏物語』が何カ国で、ということと、何種類の言語で訳されているか、ということは次元を異にする問題です。
 何カ国で、ということは一概には言えません。しかし、何種類の言語で、と聞かれると、「18種類の言語で翻訳されている。」と回答できます。

 その18種類の言語とは、次のものです。

アラビア語・イタリア語・英語・オランダ語・クロアチア語・スウェーデン語・スペイン語・タミール語・チェコ語・中国語・ドイツ語・ハングル・ヒンディー語・フィンランド語・フランス語・ポルトガル語・ロシア語・ウクライナ語(未確認)︰(2008年3月現在)

 この中で、ウクライナ語が未確認となっている事情を説明します。
 平成9年9月9日の読売新聞の記事に、ウクライナの元大学教授が完訳に挑戦している、という記事があります。しかし、実はその翻訳が完成したのかどうか、ということがわからなのです。
 『源氏物語』のロシア語訳をなさったタチアナ先生に、ロシアへ行って直接お話を伺った時も、そして最近メールで確認した時にも、その確証が得られなかったのです。
 『源氏物語』の完訳を目指しているとされた元ウクライナの大学の先生の奥さんと、タチアナ先生はお付き合いがあるとのことでした。しかし、奥さんからそのような話を伺ったことがなく、また最近は連絡をとっていないのでわからない、とのことでした。そのような事情で、ウクライナ語訳の本の存在は未確認です。
 また、最近モスクワ大学へ行った仲間にも問い合わせをしましたが、やはりその本の確認がとれませんでした。
 しかたがって、刊行されている『源氏物語』の翻訳言語の数は、正確に私の手元で確認できるのは17言語ということになります。

 また、『源氏物語』のフィンランド語訳もありますが、その翻訳者の一人が某政党の国会議員なので、選挙が云々される時節柄、聞き取り取材を控えています。これについては、今夏にもお目にかかって、さまざまな苦労話を聞くつもりです。

 私の手元にない『源氏物語』の翻訳本は、一つはクロアチア語訳であり、もう一つは2種類あるオランダ語訳です。特に、クロアチア語訳の『源氏物語』は、公的機関では京都外国語大学が唯一持っています。先日、京都外国語大学へ行き、この本の書誌を調査をしてきました。すばらしい装丁の本でした。
 このウクライナ語訳の『源氏物語』は、本年4月26日(土曜日)〜6月8日(日曜日)に京都文化博物館で開催される「源氏物語千年紀展」に展示されますので、ぜひ見てほしいと思います。非常に立派な装丁の本です。
 また、このイベントの図録の翻訳本の解説は私が執筆していますので、併せてご覧いただければ幸いです。
 今年は『源氏物語』の千年紀ということで、さまざまなイベントが組まれています。そして、『源氏物語』の外国語訳の展示も多いかと思います。
 これを機会に、日本の文化を代表するものの一つとしての『源氏物語』の理解を深め、日本の文化基盤のすばらしさとともに、文化行政の立ち後れを実感していただきたいと思います。

 国際文化交流の視点からも、今年の千年紀の盛り上がりの中で、『源氏物語』の果たす役割に期待したいと思います。

2008年2月14日 (木)

中国にあるか?『源氏物語』の古写本

 中国東北地方(旧満州)に、まだ『源氏物語』の古写本が残っているはずです。
 それも、鎌倉時代の貴重な写本が … 。

 第2次世界大戦後、中国東北地方で『源氏物語』の古写本が姿を消しました。
 それは、「従一位麗子本」と呼ばれる貴重なもので、鎌倉時代の末期の書写だと言われています。これは、『古文書の面白さ』(北小路健、昭和59年、新潮選書)に書かれている情報によるものです。
 すでに、同氏は、渡部栄の名前で『源氏物語従一位麗子本之研究』(昭和11年、大道社)を刊行され、その本文の異質さが論じられています。その本に引かれた本文を、現存の本文と比較すると、鎌倉時代の本文を伝える陽明文庫本や伝阿仏尼筆本に近い、研究上たいへん貴重な存在と言える写本なのです。

 しかし、その本を渡部氏以外は誰も見ていないのが問題です。
 氏の著書に、写真が数枚掲載されているだけです。 平安時代の『源氏物語』の写本はまだ確認されていません。すべて、鎌倉時代以降のものです。そして、鎌倉時代の『源氏物語』については、まだまだ研究されていないのです。特に、その本文が確認できれば、『源氏物語』の研究は大きく進展します。
 『古文書の面白さ』によれば、終戦時にロシアの進攻にともない、長春(戦時中の新京)の本屋さんに預けたことになっています。地名としては、四馬路、五馬路があがっていました。


Bxtyngyq_s四馬路標識



 長春に調査で行った折に、八十歳になられる呂元明先生(元東北師範大学教授)が、私の話に興味を持ってくださいました。そして、地元にお詳しい先生とご一緒に、それらしき所(四馬路や五馬路等)を訪ねました。地元の人にも聞いてくださいました。


Ygzxowy7_s呂先生聞き込み



 しかし、手がかりは何もありませんでした。

 この本の流転の話を吉林大学の先生方にしたところ、非常に興味を持ってくださいました。これまで、まったくこの本(従一位麗子本)のことをご存知なかったのです。
 今後は現地の方が意識して動かれるので、おもしろくなります。
 本は、探している者の元に現れる、と言いますから。







2008年2月13日 (水)

車のない生活へ

 今週末で、我が家から車がなくなります。
 一昨日、トヨタのイストの最後の姿を撮影してから上京しました。
 まだ、奈良ナンバーのままでした。 


Bg7629n2_sイストとの別れ



 拙宅が駅から近いことと、京都は交通の便がよいために、車が不要となったのです。

 私が車を初めて持ったのは、大和の平群という山の上に住むようになった時からでした。そして、それは第一子の誕生を控えた時でした。
 車は、スズキのセルボ。軽自動車でしたが、5ナンバーで卵のように丸っこいスタイルのハッチバック車でした。

 妻と2人の生活に1人増えるということで、大阪府八尾市の高安から転居したその日からのマイカーでした。

 そして、数日後の最初の遠出が、陣痛を訴える妻を横に乗せて、第2名阪から阪神高速に入り、天王寺にある大阪警察病院へ車を飛ばしたのです。

 私は、この病院の隣にある、谷崎潤一郎の『細雪』に出てくる高校の出身です。テニス部で、夜遅くまで練習をしていました。テニスコートは、この病院のすぐ横です。毎日、病室の窓を見ながら、練習に明け暮れていました。
 その病院で、待望の第一子が生まれたのです。

 しばらくして、2代目の車はマツダのファミリアにしました。
 子供を連れての旅で、行動範囲が広がったのと、父が亡くなり、西国三十三ヶ所巡りを始めたからです。
 このファミリアは、欠陥車でした。新車なのに、走行中にエンジンが止まるのです。高速道路上で突然エンジンが止まった時には、もう死ぬかと思いました。
 マツダの対応は、とにかくいい加減でした。五十万円もお金を取られ、新型車に乗り換えました。今から思っても、本当に詐欺です。ところが、その車も欠陥車で新聞に載りました。こちらから修理を催促しても、なかなかやってくれませんでした。
 このマツダという会社が今でも営業しているのが不思議です。

 次は、ニッサンのセドリックでした。ベンチシートのコラムシフトの車でした。まさに、タクシーです。この車の前のシートに、チャイルドシートをダブルで着けていたのを、懐かしく思い出されます。2人の子供を、前の席に座らせることができたのです。
 しかし、これも欠陥車でした。
 エンジンオイルを継ぎ足しながら走りました。
 駐車場で、ボンネットから白煙が上がりました。
 阪奈道路の上り口で、突然ラジエーターが破損し、水が漏れてエンジンが焼き付きました。またまた、死ぬ思いをしました。
 高い金を払って、エンジンを交換しました。人間で言えば、心臓手術です。その後も、エンジンの調子が悪いので、とうとう諦めました。
 そして、信じられないことに、このニッサンもまだ営業をしています。

 5代目は、トヨタのクラウンです。これは、なかなかいい車でした。これまた、コラムシフトのベンチシート車でした。そして、またまた、前の席にチャイルドシートを2つ並べて走っていました。
 ところが、これもエンジンの調子が悪くなりました。
 私は、乱暴な運転はしません。とにかく、当たりが悪いのです。
 コンピュータはもとより、私が手にする機器は、欠陥商品のオンパレードです。

 6代目が、今回処分することになった、トヨタのイストです。
 25年間に、6台の車に乗ったことになります。
 これは、本当にいい車でした。小回りが利き、重宝しました。
 奈良から京都への引っ越しの時は、フル回転で荷物を運んでくれました。

 それにしても、よく家族と車で出歩きました。
 たくさんの温泉に行ったことと、西国札所を4周したのが、いい思い出です。おばあちゃんを、子どもたちを、とにかく休みになると連れ歩いていました。
 私も運転が好きなので、どんな所へでも行きました。
 北は青森、西は島根が行動範囲でした。妻の実家が秋田県で、私の生まれが島根県なので、結局は2人の生地を行ったり来たりしていたのです。
 北海道と九州には、車では行かなかったのが心残りです。

 私は、ダ・ビンチ・コードに出ていた、スマートという小さな2人乗りの車が好きです。トヨタが、ヨーロッパで2人乗りのコンパクトな車を販売しています。今夏にも、日本で販売を開始するようです。
 その時に、また考えましょう。

 さてさて、車のない生活も、気楽なものとなりそうです。
 今後は、レンタカーの世話になりそうです。
 幸いに、京都の自宅の近くには、3つもレンタカー屋さんがあるのです。
 春の花見は、レンタカーで遠出を考えています。




2008年2月12日 (火)

読書雑記(7)水上勉『京の川』

 水上勉は、本名で読むと「みずかみつとむ」です。ペンネームが「みなかみつとむ」であることを、ある企画で講演をお願いしたときに知りました。ただし、その時は体力的に無理とのことで、実現はしませんでした。

 眼が不自由になられてからは、マッキントッシュのノート型パソコンで文字を大きくして入力されていたので、一層親近感を覚えたものです。

 水上氏は1961年(昭和36年)に『雁の寺』で第45回直木賞を受賞されました。その後は、『越前竹人形』『はなれ瞽女おりん』『五番町夕霧楼』などが印象に残っています。

 昨夏の引っ越しで雑然と押し込められていた書棚の中で見つけた『京の川』が、実はまだ読んでいない本であることに気付きました。そこで、何気なくページを繰っている内に、つい読んでしまったのです。
 新潮社から刊行された奥付が昭和40年なので、私が高校の頃に行きつけの天牛書店で購入したものです。天牛書店については、以下のブログで少し触れているので、そこに譲りましょう。興味がある方はどうぞ。

http://www.npo-genjimonogatari.org/blog/genjiito/index.php?categ=1&year=2006&month=9&id=1157817308

 さて、『京の川』でした。

 この小説は、きれいな京言葉で話が進んでいきます。
 川端康成の『古都』を読んだときに、その京言葉に違和感を覚えました。いかにも文字にした言葉だったからです。
 それが、この水上の小説では、自然に読める言葉として文字になっているのです。

 私は、作品に『源氏物語』のことが出ていると、すぐに反応してしまいます。
 この『京の川』では、二ヶ所に『源氏物語』に関することが出てきました。

 まず、こうあります。

この春、東京の脚本家に委嘱した新作物「源氏螢」に出場したが、静香は、「花の家」の豆六が演ずる光源氏について、笹をひろって舞う螢の精を踊っている。(66頁)


 私には、まだよく理解できない内容です。

 次は、秋の「鴨川踊り」の催し物についてのことです。

京都に在住する老作家の初期短編から舞踊化した「深草物語」と「京の川」である。「深草物語」は、源氏の一節で、例年どおり先輩格の豆六と久幸が、少将を演じ、見ばえのする役どころは、すべて古株の芸妓が占めた。静香はもうひとつの「京の川」で主役の一人をつとめることになった。(273頁)


 これも、深草少将の光源氏のつながりが、よくわかりません。

 後半は、鶴吉と美代子の親子の会話がとてもいいのです。
 人間の情感が、やわらかな流れるような言葉で記されていると思います。

 読後の余韻に浸れる作品でした。【4】





2008年2月11日 (月)

京洛逍遥(26)京都文化博物館の川端と東山展

 三条にある、京都文化博物館で開催中の「川端康成と東山魁夷 展 〜響きあう美の世界〜」に行ってきました。
 昨日は、大島本『源氏物語』の調査で同館へ行っていたので、連日足を運んだことになります。

 まず、図録に驚きました。
 図録らしくないのです。


3lmtdq60_s展覧会図録



 普通は、A4判の大きさで、色鮮やかな印刷を想像します。ところが、この「川端康成と東山魁夷展」の図録は、A4判の半分のA5判という書籍の大きさです。358頁という厚さも、まさに読むための図録です。挿し絵は多用されていますが、少なくとも、眺める図録ではありません。
 紛れもなく、書物です。手間のかかった編集です。
 真っ白な表紙に、東山の絵「冬華」が型押しされているのは、清潔感が漂っていて、いい雰囲気です。
 2年前の長野県信濃美術館を皮切りに、全国を巡回する展覧会のようです。

 会場は、川端と東山がやりとりした百通もの書簡の中から選りすぐりのもの、川端の写真と生原稿、東山の絵画などなど、ぜいたくな展覧会でした。
 私は、川端の『古都』の口絵ともなった「冬の花」の原画を、今回ここで初めて見ました。
 思ったよりも小さくて、意外でした。27センチ×35センチなのです。A4判の大きさです。
 この「冬の花」の緑系の色を雪色にした「北山初雪」があります。これは、「冬の花」の6年後に描いた同じ図様のもので、89センチ×130センチなのです。これと勘違いしていたようです。
 共に、北山の雰囲気が彷彿としています。
 「京洛逍遥(19)北山杉の里」(http://blog.kansai.com/genjiito/128)をご覧いただければ、納得してもらえるかと思います。

 井上靖が、川端と東山と一緒に並んで撮った写真もありました。信州の穂高でのものです。井上の『氷壁』を読んだばかりだったので、なおさらジーッと見入ってしまいました。

 私は、川端はあまり好きな作家ではありません。
 学生時代に、東京の大田区で新聞配達をしていた頃、私が配達するエリアではなかったのですが、隣の地区のマンションに川端が住んでいたのです。というよりも、部屋があったのです。ある選挙の時に、そこが選挙事務所になっていました。政治的な関わりを持っていたことも、個人的には好きになれない原因の一つです。
 それ以上に、私にはその作風が馴染めないのです。
 学校教育の中で、文豪というレッテルを有無を言わさず刷り込まれたのは、川端にとっても気の毒だったのではないかと思います。私のように出来れば避けたいと思う人間がいるのですから。必要に駆られて読んでいるだけなのですから。変な言い方ですが、同情します。
 その川端の横に立つ井上を見て、この2人の違いを改めて認識しました。井上の方に人間の深さを見るのですが、これは贔屓目だとしておきましょう。

 一巡して感じたことは、今回の展覧会は、コンセプトがシッカリしていることでした。
 入口のところに、要領よく書かれた説明通りに、素直に見て、読んで行けました。
 ただし、ケースに入っていた手紙を中心としたものは、のぞき込むようにして見る展示物となっていました。それが多かったので、もう少し傾斜をつけた台に陳列してほしかったと思います。
 そして、手紙などが中心だったので、ケースの上の空間が邪魔でした。もう少し上へ向く視線を隠したらどうだったのでしょうか。だだっ広いところに手紙が並べられている、という印象を薄めてもよかったのでは、とも思います。
 もっとも、展示においては専門的な方々が企画・陳列なさっているのでしょうから、それなりの理由があるかと思われます。そうした点を、いつか確認したいと思います。

 今、今年の10月から国文学研究資料館で開催する、源氏物語千年紀とともに立川移転をも記念する、〈源氏物語展〉の準備を進めています。
 この川端と東山の展覧会を観て、図録に始まり、展示の仕方や見せ方など、いろいろと学ぶものがありました。見る立場から、今度は見せる立場、見てもらう立場になるのです。
 視点が違うと、こうも見え方が異なってくるのかと、改めて展覧会の魅力を感じました。

 これからじっくりと、楽しい展覧会となるように、さまざまな創意工夫を考えていきたいと思っています。その前に、展示の基本の勉強が必要です。

 今年度は、学芸員の資格取得のために、1年間ほど大学に籍を置きました。受講した3科目で、欠席は1日だけだったので、おそらく単位は落としていないと思います。
 予定では、今年の4月には、おそらく学芸員になっていると思います。もちろん、学芸員の仕事は、知識ではなくて現場をどれだけ知っているか、だと思います。これから、博物館や美術館や資料館の仕事を、いろいろな見方で接近していきたいと思っています。
 しばらくは、文学の研究はお休みになっても仕方がないか、という心積もりです。
 私の周辺にいらっしゃる方々へ。
 しばらくは、『源氏物語』に関する原稿の依頼も催促もしないでください。
 『源氏物語』をいかに多くの人に見てもらうか、というテーマに集中したいと思っていますので。

 この川端と東山の特別展は、京都文化博物館の4階の特別展示室において開催されていました。その下の階の3階の美術工芸展示室では、「静かなる情感」という展示をしていました。
 京都府が所蔵するコレクションの展示でした。その中で私は、西村喜代氏の作品が気に入りました。丸みを帯びた、ふっくらとした造形に親しみを感じました。とくに、子供が跳び箱を跳ぶような仕種をしている人形が、とても印象的でした。

 さらにその下の2階は、歴史展示室です。ここの常設展には何回も来ているので、サーと回りました。
 出口のところで、コンパニオンによる展示案内が始まるところに出会いました。今年の秋の源氏物語展を担当していることもあったので、頭を真っ白にして、何も知らない観覧者として付いて回ることにしました。この展示案内は、毎日、午前11時・午後1時・午後3時の3回、行われているようです。

 案内役の女性は、聞き取りやすい声で、分かりやすく、要領よく、軽快なテンポで話しては次へと移られます。説明というよりも、語ってくださる感じでした。専門家のような癖がなくて、非常に爽やかな印象を持ちました。聞き手に媚もせず、かといって知識をひけらかすでもなく、私にとっても、ちょうどいい距離感で話しておられたので、好感を持って付いて行けました。
 今秋の源氏物語展でも、このような方による展示解説を導入したいと思うようになりました。
 今は、ギャラリートークという企画が考えられています。実は私が担当者ということもあり、こうした専門的な立場での説明も大事だと思います。しかし、今日のような一般の方にも聞きやすく、分かりやすい案内役の人も必要だと思いました。
 こうしたことを、いかに実現するのか。これは、この秋までの課題です。





2008年2月10日 (日)

京都大不満の会

 朝日新聞の正月25日版に、〈京文化「偽物」お断り〉という記事が掲載されました。

 記事を少し引用します。

 「本物」の京都を取り戻そう――。京の食や景観、観光、暮らしぶりについて率直に語り合おうと、随筆家や経営者、大学教授らが「京都大不満の会」を結成することになった。偽装ばやりの世の中、京からニセモノを追放するのが目的だ。
 提唱しているのは昨年末、新書本「京都大不満」(実業之日本社刊)を出したエッセイスト嵯峨徳子さん(45)=北区=だ。京都生まれで、企業の商品企画や出版編集顧問業などに携わってきたが、最近京都に関して「偽物」や誤った情報が氾濫(はんらん)しているのに不満を抱くようになった。
 「誰も知らない京都……」「秘密の……」などいわゆる京都本が大流行している。「でもほとんど審美眼も味もわからない人が書いています」と嵯峨さん。「私の知る限り、地道に研鑽(けんさん)している研究家や老練な書き手は職を失い、通ぶる好事家が書きまくっている感じです」
 一流出版社のガイド本にも「銀閣寺の銀沙灘(ぎんしゃだん)や向月台は東山文化の遺構として優れたもの」とあった。「でも銀沙灘と向月台は江戸時代の作品なのです」。さらに「京都・観光文化検定試験(京都検定)」の公式テキストブックにも74カ所の誤りがあった。
 京漬物もまずくなった。「調味液に漬けてつくられる昨今のものは甘みがゾッとするほど人工的」で、観光客や修学旅行生は名物と信じて、京都人が食べない粗悪品を買って帰ることになるという。
 都市景観については条例で規制するほど神経を使いながら、「市バスのデザインは何とかならないものでしょうか」とも指摘。京都に似合う色や車体をもっと論議するべきではという。
 「みんな自分で判断をせずに、他人任せなのです。京都を批評し、京都文化の偽装をなくすことが、結局は日本文化を見直すことになる」
 当面は知人の会社経営者や大学教授、会社員、主婦らに呼びかけ、定期的に集合。2月に行われる京都市長選など行政問題への不満も含めて、「言いたいことを言い合う会」を継続させたい意向だ。



 これを読んで、すぐに興味を持ったことを書いて、記事に掲載されていたアドレスにメールを送りました。

 律義な方のようで、すぐに、問い合わせが多いので、数日後に連絡をする、というものでした。たくさんの問い合わせがあったというのに、わざわざ私宛のアドレスに返信をくださったのです。私も、このような対応を心がけよう、と思いました。

 そして数日後、以下のメールをいただきました。これも、その一部を引用します。


 先週から風邪を引き寝込んでおりました。
問い合わせが殺到しているのに対応が追いつかず、お返事が遅れたことをお詫び申し上げます。

私たちは、企業家の経営の相談を受ける仕事を生業としております。
そのかたわら、日本の国の現状と未来について存分に語り合う場として「大不満の会」を主催しております。
その成立の事情と趣旨は以下のとおりでございます。
(中略)
社会の矛盾や問題点を指摘し、日本の文化の盲点を切り拓く。
大雑把にいえば、そういうことになりましょうか。それが「大不満の会」です。

そこでの話題は、日本の行政や経済のこと、世界の文化との比較など多岐に亘りますが、 この数年、巷にあふれる京都本に対する疑問が多く呈されるようになりました。
一冊に五千、一万という誤謬のある書籍に校閲資料と改善要求を付して、出版社に送るということを二十年ばかり続けてきております。その結果、昨今のものは多少、見られるようになってきました。
京都の地図も、東京主導で作られているため、見開き二ページで何百箇所もの間違いを抱えたものがございます。そうした改善策を出版社に要求することもしてきました。
このほか私共の仕事は多岐にわたり、以上はほんの一例に過ぎません。
様々な企業や団体に社会的な要望を伝えるのが使命と考えております。
そのための事務所を作る、お手伝いの人を雇うなど、多額の出費が必要ですが、それを会員の出資金の形で賄ってまいりました。ほとんど社会奉仕に近いものです。

近年、京都ブームとともに奇妙なスタイルの京都本が多く出版されています。
その制作事情の杜撰で無責任なことは比類ないもので、ほとんど一般に知られていません。
とりわけ京都に対するイメージが、特定の書き手によってだけ伝えられてゆくうちに、
奇妙な歪みが生じていくことに、会員一同は不信感と危機感を募らせておりました。
その問題は、京都本の著者が知識も経験もないままに書き連ねるところにあります。
その指摘と、学ぶべき方向性と達成レベルの要求書として、業界人に知らしめ、社会にその危険を報告する意味合いで出版したのが『京都大不満』でございます。
私共は数社の編集顧問を兼ね、数百人のライターを指導してきた実績と、その経験から、多くの心ある業界の方々の支持と後援を得た、満を持しての出版です。

会の設立は古くなりますが、この名称にしたのは昨年のこと。それもごく内輪のものです。
話し合ううち有意義な意見が多数集まり、かなりまとまった資料となりました。
つまり本の形で発表できる段階に入ったと判断いたしました。
『京都大不満』が第一号ですが、好評であれば第二号、第三号と続けてゆきたい所存です。

この活動の社会的な関わりは、出版や講演などによって情報を開示することにあります。
このたび中日新聞や朝日新聞、京都新聞などに掲載されたことで問い合わせが殺到し、内輪の会にとっては急な展開で、正直なところ戸惑っています。
形を整えるのに今しばらくの時間が必要です。
当面は内輪の会を不定期に催しますが、いずれ公のものにしたいので、
その折にはご協力をよろしくお願いいたします。

会の趣旨や方向性、考え方は『京都大不満』の本の中に書いてございますので、
お読みいただきたいと存じます。
今後ともよろしくご支援賜りますよう、お願い申し上げます。




 本当に丁寧な対応をしていただき、恐縮するばかりです。

 可能ならば、私も少しでもこの活動に協力したいとおもっています。

 久しぶりに、インパクトのある社会奉仕活動を知ることになりました。




2008年2月 9日 (土)

井上靖卒読(28)『氷壁』

 『氷壁』は、発表当時、社会的な問題となったことを覚えています。
 登山用のナイロン製ロープは、果たして容易に切れるのか、ということでした。
 登山にはあまり興味がなかったので、この作品を読むことはありませんでした。
 今回、初めて読んでみて、非常におもしろかった、という印象が残っています。
 魚津という青年の心の動きが、大変よく描けています。ただし、女性の描写が人工的でもの足りませんでしたが。

 以下、思いつくままのメモです。

 死者との対話が出てきます(新潮文庫、156頁)。親友小坂の死を思い出しての、自問自答です。残された者の、死者への置き所のない気持ちが、こうした対話によって鎮められていくのです。井上の作品によく出てくる場面です。ここも、効果的なものとなっています。こうした設定は、後(303頁)にも出てきます。
 なお、「神と二人だけで話したくなった」(520頁)ということと、死者との対話の違いが、まだ私にはわかりません。

 雪に埋もれていた小坂を見つけ出しての火葬は、星の美しい夜でした(413頁)。やがて、月が出ます。月光の中での焼香は、荘厳で厳粛です。焼き場を照らす月光も、美しい描写に支えられます。
 月光のもとでの故人を偲ぶ酒宴は、小坂を送る宴です。
 月光の中に立つ二人。魚津と、小坂の妹のかおる。そして、かおるが魚津に求婚をします。月光が、張りつめた雰囲気を包み込んでいます。緊張感を演出しています。月光の下では、自分の気持ちを素直に言えたかおるでしたが、部屋に入るときには、魚津と一緒には入れないという、微妙な恥じらいを見せます。
 独白を促す契機をなすものとして、人格を転換させる装置として、月光が大きな役割を果たしているようです。

 小説の終盤で、山を下りてこない魚津を探しにかおるが出かけたのは、月が出る少し前でした。月光の下で、かおると魚津とが出会うのでは、という期待をしました。しかし、話は意外な方向に展開します。「月光コウコウ」の中で、魚津は落石による遭難で失神し、出血多量で死んだのです。死の間際までの手記を残して。
 魚津は落石に遭うとき、引き返すべきか進むべきか逡巡します。そして、過去としての八代夫人を振り捨てるためにも、未来のかおるとの道を目指して進むことを決意します。この潔さに、共感を覚えました。これが井上の物語作法です。
 
 抑制の効いた物語展開で、ゆったりと読み進められるのは、いつもの井上文学です。しかし、少し不満もあります。
 残されたかおるを、その後のかをるを、もっと丁寧に描いてほしかったと思います。そして、八代夫人も、描きたりません。
 文庫本にして600頁を超えているので、さらに長編になるのを避けたのかもしれません。新聞小説という制約もあったのでしょう。しかし、それにしても、終わりを急ぎすぎたように感じられます。何となくですが……。
 結末があまりにもサッパリしているので、これが井上靖だ、と言えばそうなのですが。さらに盛り上げて欲しかったのは、この抑制が効きすぎた作品になっているせいだからでしょうか。

 なお、本作品は1959年に『1958年度芸術院賞』を受賞しています。【3】



初出紙︰朝日新聞
連載期間︰1956年11月24日〜1957年8月22日
連載回数︰270回

新潮文庫︰氷壁
井上靖小説全集13︰氷壁
井上靖全集11︰長篇4


映画の題名︰氷壁
制作︰大映
監督︰増村保造
封切年月︰1958年3月
主演俳優︰菅原謙二、山本富士子





満員の新幹線でのこと

 来週の月曜日は、建国記念の日で祝日です。そのせいでしょうか、今日の夕方の東京発新幹線は、溢れんばかりの人でした。

 私は、京都と東京間の通勤には、ひかり号を利用しています。30分おきに発車しています。1号車から5号車までが自由席です。
 仕事が終わってから東京駅に向かい、着いた時にホームに止まっている列車に飛び乗ります。ひかり号の自由席だからこそできることです。そして、乗ってから空いている席を探します。
 いつもは、発車のベルを聞きながら飛び乗っても、ひかり号の自由席は大丈夫です。普段ならそうですが、連休の場合は違います。今日がそうでした。

 ホームに溢れる人だらけの空間で、ボーッと次の列車を待つのも疲れるだけです。ひかり号は、名古屋駅までの間にいくつか止まります。静岡駅までには、座席が空くことが多いのです。そこで、しばらく立つことを覚悟で乗り込みました。車内は、通路までギュウギュウです。

 東京駅の次の品川駅で、さらに人が増えました。
 三島駅で何人か降りましたが、また乗り込む人がたくさんいました。

 狭い通路では、体を支えることができません。座席の背もたれの端に、腕か肘を当てて体重を預けます。座っている人は迷惑なことです。自分が座っている時に、横に立っている人の小刻みな動きが、気になることがあります。
 今日のような混み具合の時には、前後に人がいるので、同じ姿勢が続くと、体の重心を移動するのにも気を使います。

 冬場なので、スーツの上にコートを着ています。コートを脱いで、網棚の上に上げたいのですが、いつどこの席が空くのかわからないのです。かといって、手に持つよりも、いっそ着たままの方が楽です。しかし、重さが肩にのしかかります。特に私は昨年来、五十肩に悩まされているので、首筋から肩にかけて凝りが溜まります。

 トイレなどへ行く人が通るたびに、重たいカバンを足で動かすことになります。行儀が悪いのは承知です。体を曲げて下に手を伸ばせないのですから。そして、体を捩じって通り過ぎる人を交わします。さすがに、車内販売のカートは入ってきません。とにかく、立ちっぱなしも、なかなか体が休まる暇がありませんでした。

 すると、静岡駅に着く直前に、私が立っていた横の人が、降りるために立ち上がりました。周りの人が、スーと体をそのシートの方に向けましたが、真横にいた私に優先権がある、との気持ちがあるので、当然のごとくその人と体を交わして、滑り込むようにして席に着きました。
 それにしても、この優先権とは何なのかは説明できません。何となくの、暗黙の了解とやらでしょうか。

 ちょうど1時間少々、立っていたことになります。

 静岡駅でたくさんの人が降りたために、空席が目立つようになりました。しかし、すぐにドッと乗客が乗り込んで来たために、また車内にはたくさんの人が立つようになりました。

 名古屋駅からは、グッと乗客が減りました。
 今日の列車は、岐阜羽島駅を通過しました。しかし、いつも思います。この駅は何だろうかと。ある政治家が新幹線が止まるように作らせた、ということは有名です。それにしても、私から見れば、無駄な駅です。滋賀県にもう一つ新幹線の駅を造るということでもめていました。作らないことに決着して、本当によかったと思います。

 新幹線から見える京都は、非常に貧相です。昼でも夜でも、味気ない雰囲気があります。京都に着いた、という実感がないのです。車窓からの景色ばかりではなく、駅前に立ったときの印象も、雑然としています。京都の駅舎も、私は好きになれません。こんな思いは、多くの人がしているのではないでしょうか。とくに、あの駅ビルのデザインは、いただけません。機能性はあるのでしょうが、見た目がいけません。

 京都をなんとかしなくては、との思いが、少しずつ湧いています。そうしたこともあって、「京都大不満の会」の方と連絡をとるようになりました。
 このことは、また別の機会にしましょう。




2008年2月 8日 (金)

海外との連絡はメールで

 今、『源氏物語』が海外でどのように読まれているか、という情報をまとめた本を編集しています。
 これまでに知りあった方々に、情報提供をお願いしていました。そして、そのほとんどが揃ったので、とりまとめの編集に入っています。
 この仕事には、大学の後輩が精力的に協力してくれています。私が直接に教えた学生さんではないのですが、ありがたいことです。惚けが進行中の私にとっては、若い方の手助けは、本当に助かります。

 そこで、各国の方々との連絡の取り方などについて、参考までに少し記しておきましょう。
 ちなみに、私は英語は少しだけ読めますが、話したり書いたりはできません。
 日本語しか使えないので、相手先の方々の日本語能力に縋って、いわゆる国際的な仕事を何とかこなしています。人間には、努力を積み重ねても無理なことはあるものだ、という考え方を確信しています。というか、逃げ道にしています。
 英会話の本や、ヒンディー語の会話本、そしてイタリア語、中国語、ハングル、アラビア語、フランス語などなど、会話の本は枚挙に暇がないほど書棚に並んでいます。私は、猫に小判、豚に真珠の典型です。
 ということで、もちろんメールは日本語です。電話も、日本語の共通語を使います。
 メール環境が悪い時には、ローマ字でやりとりもしています。

 当然のことですが、私とのお付き合いに関係するので、人による違いはあります。相手はほとんどが懇意にしている方々なので、反応の早い遅いは、内容はもとより、その国の生活習慣や情報環境に依存しているように思われます。
 以下のメモは、あくまでも私の場合は、ということなので、独断と偏見によるものであることを、あらかじめご了承願います。
 総体的には、グーグルメールが一番汎用的な通信手段と言えましょう。アドレスを一つ取得しておくと、コミュニケーションをとる時に、何かと重宝すること請け合いです。


【イギリス】頻繁にメールをやり取りしています。日本と同じ感覚です。郵便も、頻繁にやりとりしています。
【フィンランド】大変丁寧で、そして早いので助かります。
【スゥェーデン】相手が学生さんのせいもありますが、反応は非常に早いです。
【オランダ】数少ない方々との事務的なことが多いので、少し遅いように思います。
【ドイツ】学生さんなので、非常に早いです。
【スペイン】非常に早くて、快適です。
【フランス】比較的のんびりしているように思います。ただし、丁寧で好感が持てます。
【イタリア】非常に早いと思います。日本語がシステムとして使えない方が多いので、添付ファイルでやりとりします。イタリアの方はノンビリしていると思っていたのですが、返信が早いので意外です。
【ポーランド】少し遅いように思います。しかし、相手が忙しいということもありますが。
【オーストリア】メールの反応は早い方です。
【ロシア】世界で一番返信が早い国のように思います。そして、雑談が楽しいですね。季節の話ができます。
【トルコ】何事もメールで十分です。反応は早い方です。
【サウジアラビア】メールでの連絡は快適です。資料のやりとりも快適です。
【シリア】通信環境がよくないので、ヤフーメールを使います。
【エジプト】メールを出すと、すぐに返事がもらえます。連絡には不便を感じません。
【パキスタン】メールでの反応は非常に早いと思います。政情から見て、意外です。
【インド】メールの返事は遅い方が多いようです。携帯電話をすると、すぐに出てくださるので、急用は電話でしています。日本語がシステムとして使えない方が多いので、添付ファイルでやりとりします。知人が多いので、いろいろとあります。郵便は配達が非常に不安定なので使いません。
【タイ】メールで、十分にコミュニケーションがとれます。
【オーストラリア】返信も早く、非常に快適です。
【中国】メールで十分です。反応は速い方です。
【台湾】連絡は快適で、すぐに返信が来ます。日本と同じ感覚です。
【韓国】メールで十分です。反応は、やや遅いように思います。
【カナダ】返信が早く、不便を感じません。
【アメリカ】皆さん忙しい方々なので、少し待つことが多いようです。西海岸よりも、東海岸からの返信が早いようです。
【日本】これは一言、人によります。内容と親疎の度合いによるようです。急ぎの依頼の時には、世界で一番早く助け船を出してもらえます。


 日本の仲間は、本当にすごい仲間たちです。この仲間たちが世界中に広がっているので、困った時には大いに助かります。各国大使館、国際交流基金、大学図書館などなど。力強い味方が世界中にいることは、非常に心強いことです。




2008年2月 7日 (木)

井上靖卒読(27)「銃声」「かしわんば」

(1)「銃声」

 これは、どうしても文章が頭に入りませんでした。読点が少ないせいでしょうか、いつもの井上靖の文章とは違って、わかりにくいものでした。文章に集中できなかったのです。
 止まった時間の中で、真っ白い雪の駅舎の中で、ゆっくりと2人の男の動静が語られています。思いにまかせぬ状況での、人間の心の中を、ゆったりとした時の流れの中で語られています。
 後半の回想される伊豆の風景が、モノトーンの語りの中での、唯一の色彩を感じさせます。
 最初は、何が言いたいのかわかりませんでした。しかし、後半になると、主人公の心の活動とともに、少しずつ物語性が感じられ、最後に物語が沸き立って終わりました。
 後半に調子が出た文章です。これも、作者にとっての実験だったのでしょうか。それとも、習作の域を出ないものなのか、今の私には判断できません。【2】
 


初出誌︰文学界
初出号数︰1951年1月号

文春文庫︰貧血と花と爆弾
井上靖小説全集3︰比良のシャクナゲ・霧の道
井上靖全集2︰短篇2




(2)「かしわんば」

 紀州の説話を用いて、女の心の動きを描き出す小説です。
 前作「猟銃」と共通する「魚の腹部」と「下田街道」ということばに引かれて、前作と比較してしまいます。
 これは、いつもの井上靖のように、書き出しからして、やわらかくて読みやすい表現をとっています。
 女にとって、女を理解しすぎる男はいやだ、という指摘はおもしろいと思いました。子供と大人の2つの世界をもとにして、女の心を透き通ったものとして描き出しています。

 この小説を読んでいて、「色彩というものを失くした魚の腹部のような白さで開いた眼に映りました。」(短編集 第二巻 33頁)というところで、前作の「猟銃」にもあった比喩と思い、10分以上も、4回も5回も流し読みしたりページを繰ったりしたのですが、どうしても見つかりません。後で気付いたのですが、先日読んだばかりの『愛』の中の「石庭」の最後に出ていた表現でした。思い違いが多い日々で、困ったことです。【3】



初出誌︰文芸
初出号数︰1951年3月号

集英社文庫︰夏花
井上靖小説全集3︰比良のシャクナゲ・霧の道
井上靖全集2︰短篇2



2008年2月 6日 (水)

銀座探訪(9)ハートラベルのワイン

 息子と、銀座のイタリア料理店で食事をした後、かねてより銀座で気になっていたワインショップへ行ってみました。


Yxactutj_sワインショップ



 場所は、銀座4丁目の交差点角で、三越と鳩居堂の向かいです。いつも通っているスポーツクラブは銀座3丁目なので、本当にすぐそばです。
 店頭のガラスケースには、ズラリと高級そうなワインが並んでいます。

 その中に、深川の宿舎にあるワインが、何と3万円近い値段で飾られていました。名前は「カロンセギュール」。息子いわく、これと同じワインが、今宿舎にある、とのこと。
 確認すべく、早速いささか敷居の高そうなお店に、勇気を出して入りました。
 お店の方は、いろいろと教えてくれました。しかし、説明にイマイチの感があり、百万円以上のワインが並ぶ店を早々に出て、宿舎に帰りました。
 ワインとチーズが大好きな息子は、名前しか知らないワインがたくさんあるので、もっと見てから帰ると言うので、一人で店を後にしました。

 宿舎に帰ってすぐにワイン入れを見ると、確かに店頭に飾られていたものと同じラベルのワインがありました。ハートラベルが特徴的です。

 印象が新鮮なうちにと思い、早速これを飲んでみることにしました。
 ボトルの口の覆いを剥がすと、「1999」という年号が刻印されていました。


Zi4ggoc4_sコルクの刻印



 ボトルを横から見ると、なかなか気品が感じられます。


S5xacvtw_sボトルとグラス



 横にあるワイングラスは、バカラのグラスだと言いたいところですが、ショップ99で買った100円のものです。この落差が、我ながら気に入りました。

 コルクを抜いてみて、またビックリ。
 その側面に、またまたハートマークと製造された「1999」という数字が刻まれていました。なかなか丁寧に作られたワインのようです。


E_ooebow_sコルク側面に注目



 私は、いろいろな機会にワインを飲みます。それも、赤ワインばかりです。血糖値を下げてくれる、という先入観をもっているせいでもあります。
 カロリーフリーのアサヒのスタイルフリーというビールも愛飲しています。しかし、やはり、赤ワインが一番です。

 このハートラベルのワインについて、ワインとチーズマニアの息子に講釈をしてもらいました。その要点は以下の通りです。


・ハートラベルが印象的なこのワインは、バレンタインデーやパートナーとの大切な日を彩ってくれる。

・ラフィット・ロートシルトとラトゥールは、言わずと知れたポイヤックの第1級シャトー。5大シャトーに数えられる中でも第1級シャトー。その2大第1級シャトーをかつて所有していたのが、かのセギュール公爵。

・そんな超一流のシャトーを所有していた彼だが、その中でもカロンセギュールは彼が最も愛したシャトーとして著名。

・ラベルにハートの絵が描かれるきっかけとなったのは、
 『われラフィットを造りしが、わが心にカロンあり。』
 というのが起こりとされている。

・彼のカロンセギュールに対する『愛』が、そのままラベルのハートマークとなった。

・味も薫り高く繊細なワイン。

・私が飲んでいるこの1999年産のワインは、普通の収穫の年のものなので、銀座の店頭のように2万円はしない、とのこと。(少し残念)


 私は、これまでに、ワインを口にした瞬間に、少し鼻をつくような薬品臭さと、ノドを少しヒリヒリさせる感触を、あまり好みませんでした。しかし、このワインは、そのようなことはまったくありません。それだけでも、私にとってはいいワインと言えます。

 そして、ワインを飲む時には、チーズが一番です。
 今日のこのワインに合わせて、息子が「コンテ」と「ミモレット」という、フランスのナチュラルチーズを買ってくれました。
 後で、フルボディーのワインに「コンテ」はどうだったかな、とのこと。結構、けっこう。


7ozlqe94_s2種類のチーズ



 まさに、フランス尽くしです。
 もっとも、私は海外の街の中で、パリはワースト3の中に入れています。
 食べ物が口に合わないことと、街が汚いからです。そして、娘が小学6年生の時に、進研ゼミでもらったカバンを盗まれた街でもあります。
 私は、血糖値を気にしながらカロリーコントロールの食事をしているので、バターでギトギトになったフランス料理は食べられません。あのエスカルゴは、在仏の方々との食事の時には、急いで飲み込む始末です。
 しかし、今日は、フランスのワインとチーズを堪能しました。このワインの一件で、少し減点を控えてもいいかな、と思うようになりました。ほんの少しですが … 。

 今日は、イタリア料理に続いてフランスのワインとチーズで、本当に優雅な一時となりました。

 追伸︰このボトルの裏側を見ると、何と私の娘が翻訳したラベルが貼ってあったのです。


Nwiouy3i_s裏ラベル



 こんな偶然は、そう滅多にあることではありません。
 そして、ようやく気付きました。このワインは、娘がプレゼントとして送ってくれたものの1本だったのです。そんなにいいワインとは知りませんでした。これからは、1本ずつ丁寧にラベルを見ながら飲むことにします。




2008年2月 5日 (火)

源氏絵柄の生湯葉丼

 北野天満宮の前に、「とようけ茶屋」があります。豆腐の店として知られています。
 小さな飲食店ですが、なかなか凝ったメニューと、雰囲気がいい所です。


K8rkycbj_s茶屋の店頭



 天神さんにお参りした帰りに立ち寄りました。豆腐料理を中心としたお店です。
 狭い店内です。10人も入ればいっぱいの店です。3階まで上がりました。そして、京都らしく、生湯葉丼を注文しました。
 運ばれてきた入れ物を見て驚きました。


Kt33w0wk_s生湯葉丼



 「浮舟」と書かれた周りに、何と、源氏絵が描かれていたのです。
 食べるにしたがい、お店の名前である「とようけ茶屋」という文字も出て来ました。


お店の名前が……



 食後は、丼を回しながら、側面の絵を楽しめます。思い通りの色を出すのに、陶工は苦心されたことでしょう。



Hut9f_rz_s側面



 お店の名前が入れてあるので、市販品ではないようです。お店の人に聞くと、源氏絵は4種類くらいあり、販売はしていないとのことでした。

 次には、また別の源氏絵の丼を食べよう、という、ささやかではありますが楽しみができました。

 日本の食文化は、たくさんの遊び心を取り入れているのです。世界に誇れる、レベルの高い文化の中で生きていられることに、大いに感謝しています。
 生み出すほうも、それを受け取るほうも、共に感性が豊かでなくては、楽しさを共有できません。京都は、ハイレベルなコミュニケーションがコラボレートする街です(無理をした英語ですが……)。
 歩けば文化に出くわす街です。
 ますます、出歩くのが楽しみになりました。




2008年2月 4日 (月)

京洛北山での初雪

 節分の明け方、拙宅の周りに雪が降りました。
 ぼたん雪がしきりと降りました。
 目の前に白い綿が舞い降ります。
 しかし、しだいにその早さが増してくるのです。
 雪が重くなってきたのでしょう。
 しばらくすると、氷雨になり、小雨となりました。
 あわてて、小さいながらもかわいい坪庭を、写真に撮りました。


Sznslja6_s冠雪



 廬山寺の節分会に出かけることにした頃には、もうすっかり雪は消えていました。


 

京洛逍遥(25)廬山寺の節分会に注文

 廬山寺は、京都御所の東隣にあり、紫式部が育ち『源氏物語』を執筆した邸宅址として知られています。角田文衛先生の考証になるものです。


Qp3iltr0_s式部邸宅址



 この寺の節分は、鬼法楽として有名です。正式には、「元三大師追儺式鬼法楽」と言うそうです。

 少し雨が残る昼過ぎに、ブラリと鬼追いの儀式を見に行きました。廬山寺は、拙宅から自転車で10分ほどの所です。しかし、天気がすっきりしないこともあり、地下鉄今出川駅を降り、ちょうど入学試験だった同志社大学の塀沿いに歩いて、今出川御門から御所の御苑に入りました。廬山寺は、砂利道を歩いて石薬師御門を出てすぐでした。お昼は、京都府立医大の前の中華屋さんで、いま世間を騒がせているギョウザを食べました。

 昨年の廬山寺は、入場制限があったとか聞いたので、早めに行きました。


Xmqfmvey_s廬山寺境内



 境内は、まだ人がまばらです。舞台の正面に陣取りました。ただし、あまりに前過ぎて、ばらまかれる福豆と福餅がもらえるか、という不安がよぎります。
 節分会には、いろいろな所に行きました。そして、いつも舞台の豆撒きの人は、遠くに投げようとするのです。東大寺の御水取りで有名な二月堂では、急斜面の坂の下で待つので、いつもたくさんの福豆をもらいました。しかし、ここは舞台が目の前なので、ポジションに戸惑いがありました。この予感は、数時間後に的中します。

 さて、2時ちょうどより、鬼の御加持が始まりました。まさに、秒針までジャストの開始でした。


Ppoygkyc_s鬼の加持で泣く子



 鬼が、体の悪いところなどを、撫でて直してくれるのです。そして、何人もの子供が、恐怖のあまりに号泣です。
 私も、島根県の出雲で育ち、小さいときにはお正月になると伯母が経営する出雲大社前の「ヘルンの宿 いなばや」で、「ばんない」という鬼に泣かされ続けました。本当に恐ろしかったのです。妻も秋田県の生まれなので、「なまはげ」を体験しているようです。子供にとっては、鬼は恐怖の存在です。今、目の前で、子どもたちが餌食となっています。つい、「泣け」と応援していました。


 これが、30分以上もありました。足下が少し冷えてきました。

 続いて、インドの舞踊の奉納です。


Prwhvsms_sインド舞踊



 この時、説明のマイク放送を聞いて驚きました。実は昨日、北野天満宮に行きました。そして、ブラリと大将軍の一条通を散策し、そこでインド舞踊研究所というところを見かけたのです。インドの踊りを教えてくれるスタジオでした。
 私は、毎年インドへ行っています。そして、日本人でインド舞踊を究めた女性に、パーティーやレセプションなどで、三人ほど紹介してもらったことがあります。インドの日本大使館でのパーティーでお目にかかった方は、まだインドを踊って回っているので、あの方ではないことはわかりました。
 参考までに、北野で見つけたスタジオの写真を添えます。


Ptuynwc0_sインド舞踊研究所



 このショーウインドウも見てください。


3hzhmekm_sショーウインドウ



 今、この画像を拡大して気付いたのですが、この一番下の「近日スケジュール」というところに、廬山寺でのパフォーマンスの案内が書いてあるのです。
 そんなこととはツユ知らず、今朝の気分で廬山寺に来たのですから、これも何かの縁なのでしょう。

 このインド舞踊は、非常に表情豊かで、動きのあるものでした。


D_prawew_sダイナミックな踊り



 インドで見たものは、いつもシタールなどの楽器奏者がすぐそばに座ってる状況での踊りでした。
 今日のものは、音楽をテープかCDで境内に流しての披露だったので、臨場感には欠けました。しかし、そんな贅沢な環境は求められないので、これはそれなりにいいものでした。それよりもなによりも、とにかく足下が寒かったのです。

 一つだけ、注意力が散漫になって見ていたことを記しておきます。
 上の二つの写真を見比べてください。
 胸の前の丸い金のアクセサリーの留め金が、途中で外れたのです。踊りながら手を首の後ろに回して、何とか留めようとなさっていたので、そこに気をとられてしまいました。演者の方には非常に申し訳ないのですが、そんな状況で見ていたのです。

 さて、予定の3時を過ぎてから、ようやく鬼さんたちの登場です。
 このあたりから、スケジュールが緩慢になっていました。会場には何も知らされないので、寒い中をジッと次の出し物を待ちます。それが、とてつもなく長く感じられるのです。舞台を囲む大多数の人が、イライラしていたと思います。

 鬼は、赤・緑・黒の3匹でした。松明を持ち、迫力ある演技で境内を沸かせていました。



_iwc46ip_s赤鬼



 この3匹の鬼は、読経僧の邪魔をしたということで退治され、フラフラになって出て行く、という筋立てでした。しかし、本堂内でのようすが境内で見ている者にはまったく知らされないので、長時間にわたり、どうなっているのか分からないままに待たされます。

 周りの人は、痺れを切らして帰る人がチラホラと目立ちました。

 私も帰ろうかと思いましたが、まだ福豆も福餅ももらっていないのです。いましばらくの辛抱です。

 やがて、というか、ようやくというか、鬼さんたちが帰るシーンとなりました。


86qijoca_s退散する鬼たち




 この演技もよかったのですが、あまりにも待たされ通しだったので、みんなは疲労困憊の状態での観覧でした。

 ようやく豆撒きとなりました。
 しかし、予想通り、舞台で豆を撒く人は、遠くに飛ばそうとします。そのために、早くから並んで舞台のそばに詰めていた我々には、まったくと言っていいほど、豆が降って来ないのです。

 この行事は、伝統と格式があるようです。しかし、参拝者を軽視した運営であることが気掛かりです。
 まずは、無為に時間が過ぎる状況が多すぎます。境内で見ている者としては、主催者側の衆生への思いやりが、まったく感じられません。自分たちのやりたいように、自分たちのペースで進めるのは結構です。しかし、今回のようにあまりにも間延びした進行では、もう2度と来ない人が圧倒的に多いと思いました。これは、自分を含めて、豆撒きを待たずに、早々に帰った人が多かったことだけでも言えることです。

 そして、もっと丁寧に説明することです。さらには、豆と餅は、境内に集まった人たちに、均等に配りましょう。特に、前列にいる参拝者は、早くから来ているのです。その人たちに失望感を与えてはいけないと思います。遠くに投げることで快感を覚えていてはいけません。

 仏教は、衆生の救済を第一とするはずです。その心を忘れた、この廬山寺の節分会の運営は、人々の支持を得られないものとなっていきます。

 紫式部の関係で、この寺の存在は語り継ぐつもりです。しかし、現在のお寺としてのありようには、大いに疑問に思いました。

 今度、角田文衛先生にお目にかかったら、このことをお話しようと思います。先生はまだまだお元気なので、分かってくださると思います。そして、廬山寺の方に、こんな意見がある、ということを伝えてもらおうと思います。

 寺院は、格式に胡坐をかいてはいけません。格式に、奢ってもいけません。




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2008年2月 3日 (日)

源氏千年(9)源氏物語朱印絵巻の紹介

 源氏物語千年紀ということで、新しい源氏物語絵巻が提案されています。
 参加型とでも言うのでしょうか。1枚の源氏絵の巻物を持って歩くスタンプラリー、といったほうが分かりやすいかもしれません。

 名付けて〈源氏物語朱印絵巻〉。

 西国札所巡りを繰り返している私は、これまでに、近畿三十六不動の赤不動と青不動、そして四国八十八箇所や新西国観音霊場巡り等々、現代版スタンプラリーを楽しんでいます。
 そこへ、〈源氏物語朱印絵巻〉という新たな企画の登場です。これはぜひとも参加しなくては、との思いから、持ち歩くための絵巻物を求めて、堀川商店街にある事務所に足を運びました。


Mbjpcoav_s堀川商店街内



 情報をもとに下立売上ルへ行ってみとる、そこは旅行会社でした。店頭も店内も、『源氏物語』一色です。
 店内の方に絵巻物がほしいことを伝えると、品切れで今はないとのことでした。
 そこで、しばし雑談を……。

 いただいた名刺を拝見すると、以前に私が勤務していたところの名前が刷り込まれていました。私がいたのはもう10年も前のことです。このお店の方は、その当時にはなかった「観光学研究所」というところの研究員をもなさっている方でした。人の出会いはおもしろいものです。

 絵巻物がなくなっていることを気の毒に思ってくださったのか、鞄の中からいろいろな資料を出して見せてくださいました。そして、写真を撮って知人に見せて宣伝してくれたらいい、とのことだったので、ここに紹介しましよう。

 まずは、この絵巻物の第一弾となった図案です。
 『源氏物語』の第10巻「賢木」の野宮の段を描いたものです。


Boqcfufu_s絵巻第一弾



 この企画は、源氏物語にゆかりのある京都市内の社寺を巡り、市民団体「匠と商人の会」が製作したオリジナル絵巻物に各社寺で朱印を押してもらう、というものです。
 当初は、野宮神社・清涼寺・廬山寺・清明神社・千本閻魔堂の5社寺だったのです。

 それが、最近になって上賀茂神社と神泉苑の2ヶ所が加わり、7社寺を巡るものになりました。これは、やはり古来の霊場巡りの伝統に則り、33ヶ所に拡大すべきです。


Dbkhlskj_s絵巻第二弾



 この新しい絵巻物は、紫式部が上賀茂神社を訪れる様子を描いたものです。
 上賀茂神社の片岡社については、本ブログの「源氏のゆかり(1)上賀茂神社の片岡社 平成20年元旦」(http://blog.kansai.com/genjiito/134)をご覧ください。


 各社寺を訪れたら、名前の下に朱印をもらうのです。社寺で捺してもらう朱印は、一つが300円です。西国札所巡りと同じです。写真は、7社寺すべてを回った時の完成版です。右横の袋は、この巻物が入っていたものです。

 この巻物は、1本4500円とのこと。西国巡りの掛け軸などは、3千円から数万円までといろいろあります。しかし、一般の方々にとって、これは非常に高価なものに思われることでしょう。そこで、新たに友禅染めの絵巻を3000円くらいで用意する準備をなさっているようです。

 さらに、製作が進んでいる『紫式部・源氏物語 ゆかりの地を訪ねて』という冊子の見本も見せてもらいました。


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 〈源氏物語朱印絵巻〉と一緒に持って回るためのものです。一冊200円なので、これは便利です。3月には完成するそうです。

 源氏物語千年紀は、せっかくの好機です。『源氏物語』のみならず、日本の古典文学への理解が深まることを期待したいものです。そのためにも、さまざまな取り組みがなされることを応援したいと思います。





2008年2月 2日 (土)

京洛逍遥(24)北野天神の歌仙絵と梅

 北野天満宮の梅が咲き初めたとのことなので、ブラリと散策してきました。

 境内に入ると、まずは、織物による三十六歌仙の額絵が目に付きました。
 これは、「西陣の日 事業協議会」が平成14年12月に奉納したものです。


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 私が持っている『探幽筆 三拾六哥仙』の粉本とは違う図様でした。しかし、なかなかの力作と見ました。

 本殿へ進むと、着物姿の女性をカメラマンが収録していました。舞子さんなのか芸子さんなのか、はたまた観光客の舞子体験なのか、いずれにしても撮影のための参拝のようです。


Qb_3hqoj_s舞子さん



 この日の北野の梅は、掲示されていた開花情報によると、「早咲 ちらほら」でした。確かに、ほんの一部に咲いているだけでした。


M6salbz8_s白梅



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 また、満開の頃に訪れようと思います。
 これは、2月初旬の、北野天満宮に関する情報です。


2008年2月 1日 (金)

井上靖卒読(26)『後白河院』

 第1部の男(範頼)の語りから第2部の女(健御前)への、語りの切り替わりがうまく行われています。男の語りと女の語りを意識し、外の世界と内の世界とを書き分けていると思います。出だしの二文を見るだけでわかります。

 第3部は、経房の語りです。平氏から源氏への時の移りを、院の近臣が語ります。政争の中心からの、しっかりとした文章となっています。

 第4部は、兼実が日々の記録の意義について語ることから始まります。院の考え方を語っていますが、ここは退屈でした。あまりにも固すぎるために、このあたりに女性の語り手を当てなかったのは、なぜでしょうか。
 院の最後を、女の口を通して語ったら、小説としてこの流れが定まったように思います。

 この小説も何度か読んでいます。今回が4回目でしょうか。しかし、どうしても印象が薄くて、いつも初めて読んだ感触が付き纏います。この時代は好きなところなのに、なぜか記憶に残らないのです。不思議です。
 実は、これは昨年の正月に読んだ時のメモによって記しました。読んですぐにブログに書こうとしなかったのは、1年以上も経ってから思い出しながら記したということには、それなりの原因があるはずです。井上靖の作品には、このようなものがいくつもあります。【2】



初出誌︰展望
連載期間︰1964年10月復刊号〜1965年11月号
連載回数︰6回
文庫/全集︰文庫本名/副題
新潮文庫︰後白河院
井上靖小説全集-29︰額田女王・後白河院
井上靖全集-16︰長篇9

NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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