« 2008年2月 | メイン | 2008年4月 »

2008年3月の35件の記事

2008年3月31日 (月)

井上靖卒読(34)「ある愛情」「斜面」

「ある愛情」
 「一度でいいからあの人の才能に花を付けてあげたい」と思って尽くす女。
 それは、三人の男を育て上げることに生き甲斐を持つ女であり、目的を達成すると、その男と分かれる女でもあります。
 何が幸せかを、一人の女を通して眺めやる物語です。【2】


初出誌:小説公園
初出号数:1951年9月号

角川文庫:霧の道
井上靖小説全集4:ある偽作家の生涯・暗い平原
井上靖全集3:短篇3




「斜面」
 猟師のとはずがたりです。
 井上は、昭和15・16年の、戦時というより少しのんきな時代を設定することが多いようです。そうした中で、物語は意外な展開を見せます。復讐というテーマの物語です。
 前半で、復讐に向かって引き金を引く、ということの意味が、具体的に語られます。
 結末に不満を感じました。しかし、これが短編の限界かもしれません。【2】


初出誌:別冊文藝春秋
初出号数:1951年7月22号

集英社文庫:楼門
角川文庫:霧の道
井上靖小説全集4:ある偽作家の生涯・暗い平原
井上靖全集2:短篇2


2008年3月30日 (日)

隣からの騒音への対処

 我が家の隣は、新築のオープンハウスとなっています。その家のエアコンが我が家との狭い隙間にあるため、その室外機のコンプレッサーの音が響いて困っている、ということを伝えに行きました。2月上旬のことでした。
 対応に出られた不動産屋の方と10分ほど話しました。
 こちらから話したことは、以下の通りです。



・家との狭い境目にあるエアコンの室外機が響いてうるさく思っていること。
・エアコンのスイッチが入るたびに、いわゆる町の工場のような音に包まれる。
 特に室外機がある周辺の、台所・洗面所・お風呂場・トイレ・2階の各部屋で。
・夏場からそうだったが、一冬越して様子を見てと思って今日まで来た。
・しかし、やはり我慢の限界だと思って、こうして実情を伝えにきた。
・家が売れて新しい居住者が入って来られると、夜もうるさくなる。
・今のうちに対策がないものかと、こうして理解を求めに来た。
・室外機を家の前か後ろに変更してもらうと、我が家への騒音は減るのではないか。
・快適な居住空間を求めて奈良から転居してきたので、よりよい環境で生活をしたい。
・我慢の日々を強いられたくはない。



 などなど、相手方に理解を求めて実情を伝えました。
 問題が微妙なことなので、言葉と表現には気を使いました。
 住宅地での騒音についてのトラブルは、難しい要素を抱えていることを知っていましたので。

 相手の不動産屋の男性は、次のような対応をなさいました。



・うるさくしようとして、音を出しているのではない。
・近所を見ればわかるように、京都の家は隣とが密集している。
・みんなそれなりにエアコンの音はする。
・特にお宅との境目は狭く、そこに室外機があるために、余計に響くのだろう。
・2階が特にうるさいのは、そのためかもしれない。
・メーカーが定めた基準値でエアコンが作られている。
・しっかりとした工事で設置しているので、動かすことはできない。
・動かすにしても、工事を伴い、費用がかかる。
・家の横に2台(後で1台と変更)の室外機が、そして裏に2台ある。
・お互い様なので、お宅が我慢するしかないのではないか。
・市なり町なりに相談に行けばいい。
・うちとしては、どうしようもない。
・普段ここにいるが、エアコンを使うのは極力控えている。
・寒いのでエアコンを使っているが、夕方には切って帰っている。
・決まりで、ガスがまだ使えないので、今はエアコンしか暖房がない。
・家が売れて新しい人が入ったら、ガスによる床暖房などを使うはずだ。
・そうすると、一日中うるさくなることはないはずだ。
・今日あなたの話は聞いたが、私には何もできない。
・とにかく、うるさくても、我慢してもらうしかない。



 これに対して、私からは、「エアコンの使用を控えるということと、その音がうるさくて迷惑を被っている」、というレベルの問題とは、それぞれを切り分けて考えるべきだと言いました。
 そして、



・我慢するしかない、とのことだが、我慢の限界はおのずとあるので、これ以上ややこしくなることを避けるためにも、今日こうして現状を伝えに来たものである。
・おそらく、我が家がお宅のエアコンの騒音で迷惑を被っている、ということをあなた方はご存知ないと思われるので 、まずはそのことを伝えたかった。
・何か対策を講じたいとの思いから、こうしてお知らせに来た。



ということを確認して、その日は帰りました。

 結局は、とにかく、先方としてはどうしようもないので、我慢してくれ、と言うしかない、とのことでした。
 私としては、何か対策を考えませんか、と、一応問題の対処を投げかける形で帰ってきました。


 それからひと月ほどした3月の中旬のことです。
 車を処分した後の駐車スペースを花壇にするために手入れをしていたところへ、隣の不動産屋さんがフラリと立ち話に来られました。そして、お宅との家の間に置いていた室外機を移動することになるはずだ、と言われました。
 確かに、午後に電気屋さんの車が止まっており、それ以来、隣からの騒音はなくなったように思われます。
 燐家からの指摘は無視できないと、会社側は思われたのでしょう。売れてしまってからのトラブルも避けたかったこともあるでしょう。とにかく、一件落着です。

 困っていたら、そのことをまずは相手に伝えることが大事だと思います。
 今回は、何とか対処してもらえました。しかし、いつもこうは行かないと思われます。
 一方的に迷惑を被る場合には、なおさら相手方は動いてくれないことが多いでしょう。今回の場合も、最初はそうだったのですから。
 相手方に痛みがない場合には、豊かな想像力がないと、自分が与えている苦痛の意味はわからないのです。

 自分が被害に遭っていることを相手に伝えるのは勇気がいります。
 しかし、我慢しつづけるのも、よくないのです。
 ハースバイケースですが、微妙な問題には、とにかく実情を理解してもらう努力は必要だと思います。
 ささやかですが、一例の報告です。




2008年3月29日 (土)

井上靖卒読(33)『わが母の記』

 『わが母の記』には、「花の下」「月の光」「雪の面」の三作品が収録されています。井上の年老いた母とその死後を綴ったものです。

 ■「花の下」
 母の頭の中が、壊れたレコード盤のようになっている、という描写が繰り返し出てくるのが印象的です。この作品を読むのは2度目です。このレコード盤という表現だけは、読み始めてすぐに思い出しました。
 老いた母の心の内を推測しながらの語り口には、さまざまなものを失くしていく、人間の根源的なものを問いかけてきます。
 特に最後の、満開の桜樹の下で母のことを思う作者には、読む者の情感に訴えてくるものがあります。
 これは、随筆・随想ではなくて、物語です。【4】


初出誌:群像
初出号数:1964年6月号

講談社文庫:月の光
講談社文庫:わが母の記
講談社文芸文庫:わが母の記
井上靖小説全集25:しろばんば・月の光
井上靖全集7:短篇7・戯曲・童話




 ■「月の光」
 「花の下」の5年後で、母は80歳になっています。
 母の過去を霧が埋めていくということが、丁寧に語られています。
 「白い月の光」を浴びて、母が赤ちゃんと化した息子「やすし」を探し歩いている姿は、惚けた母をみごとに描き出しています。
 60年という歳月を、月光が鋭く刺し貫くことによって、同じ場面に引き留めています。井上における、月光の特徴的な使われ方のように思います。【3】


初出誌:群像
初出号数:1969年8月号

講談社文庫:月の光
講談社文庫:わが母の記
講談社文芸文庫:わが母の記
井上靖小説全集25:しろばんば・月の光
井上靖全集7:短篇7・戯曲・童話




 ■「雪の面」
 前作「月の光」からは、さらに5年後の話です。母が亡くなるのです。
 井上は、これは随筆とも小説ともつかぬ文章だといいます。しかし、記憶が壊れた母に接する息子の姿がみごとに捉えられた物語となっています。
 後半の、雪が降っているという場面が印象的でした。
 総じて、井上は、物語の盛り上げ方がうまいと思います。
 最後の一文は、母を包み込み労う息子の思いが、しっかりと刻まれたものとなっています。【4】


初出誌:群像
初出号数:1974年5月号

新潮文庫:道・ローマの宿
講談社文庫:わが母の記
講談社文芸文庫:わが母の記
井上靖全集7:短篇7・戯曲・童話





 講談社文庫本には、もう一編の作品が収録されています。
 ■「墓地とえび芋」
 なぜこの作品がここに入っているのか、よくわかりません。
 私は、人の死にまつわる思い出語りとして読み終えました。
 これは、生まれ出づる者と死に行く者とが、交差しながら語られていきます。
 古印を求めるための30万円が、思いもよらぬ買い物へと転じていきます。
 京都の香りを背景に持つ、小さな作品です。しかし、印象深いものになっています。【4】



初出誌:別冊文藝春秋
初出号数:1964年12月90号

講談社文庫:月の光
講談社文庫:わが母の記
講談社文芸文庫:わが母の記
井上靖小説全集25:しろばんば・月の光
井上靖全集7:短篇7・戯曲・童話



2008年3月28日 (金)

源氏千年(18)女流六人展

 京都市中京区にある「染・清流館」で、「王朝絵巻 女流六人展」がありました。
 会場は、四条・烏丸駅の近くで、隣には京都芸術センターがあります。いい立地に加えて、建物も気に入りました。


Yxgnbml3_s六人展



 今回の展示は、源氏物語をテーマにしての女性美術工芸作家6人が競作、ということで、楽しみにして6階に上がりました。和室風の入り口で、上がり框が低い板材で、展示場も質素な畳なので、非常にいい雰囲気を醸していました。

 作品を見ていくうちに、『源氏物語』とか「王朝絵巻」というテーマが感じられない作品展であることに気づきました。

  源氏物語千年紀に合わせた企画展で、平安王朝にちなみ女性作家だけの展覧会にしたとのことですが、この作品の配列では、設定されたテーマに無理があります。

 『源氏物語』や「王朝絵巻」を意識して制作されたものは、唯一、染色の兼先恵子氏の「源氏物語」シリーズだけだと言っても過言ではありませんでした。その他は、「王朝絵巻」の雰囲気があるといえばそんな気がする、というものでした。

 私はこうした分野には素人なので、まったく的が外れた解釈をしているのかもしれません。しかし、もしそうでなければ、もっと親切な説明なりキャプションを付けてもよかったのではないでしょうか。

 兼先恵子氏の作品は、麻布を糊型染の着物仕立てにしてものに、『源氏物語』に出て来る6人の女性をイメージさせる絵を描いたものでした。これは、テーマに沿ったものでもあり、じっくりと見入ってしまいました。私は、『源氏物語』をテーマにした作品展だと思い込んで入ったのですから。

 (1)覗き見る女 空蝉の帖 1999年
 (2)紅いはな 末摘花の帖 1999年
 (3)涙灑ぐ海 須磨の帖  2003年
 (4)空蝉 関屋の帖    2005年
 (5)松風 松風の帖    2006年
 (6)朝顔の姫宮 朝顔の帖 2008年

 いずれも大胆な構図と色使いで、また改めて見る機会を得たいと思いました。

 それ以外は、これが『源氏物語』なり「王朝絵巻」というものとどう関わるのか、ということを考えながら見ました。そして、私にはどれも接点が見いだせませんでした。何かヒントでも提示されていればいいのですが、とにかく作品が投げ出してあるだけで、自分の美的鑑賞力で解釈せよ、というものでした。
 このような独りよがりな展示方法は、博物館なり美術館では今ではほとんどやりません。個展ならではの展示法といえるでしょうか。
 個展であるならば、自分たちの発表の場であるならば、入館料の300円というのはどうでしょうか。この程度のものでは、高いと思います。
 ただし、いい展示会場を見せてもらったので、それへの対価だと思えば、それで納得できるほど、いい雰囲気の展示スペースでした。

 テーマなりタイトルなりに引かれて来た者には、失望を与えるような、期待感をずらすような内容は、後味の悪いものです。広い心で、美というものを堪能すればいい、という方もおられるかと思います。
 しかし、素人の立場から言って、今回の内容は、何といっても観覧者に肩すかしを食わせるものだったと思います。
 お祭り騒ぎに便乗しての、寄せ集めの作品展となってしまったのは、見せられる者も見せる側も、共に意思の疎通を欠くものとなったのは残念です。

 あまり貶してもいけないと思いつつも、悪く言えば、源氏千年紀に悪のりした作品展に仕立て上げたものになっている、と書くと言い過ぎでしょうか。
 これは、制作者の方々の本意ではないでしょう。しかし、結果として、設定されたテーマから見れば、そう言う感想を私は持ちました。

 パンフレットで制作者の経歴を見ると、みなさんいろいろな賞をお取りになっている方々のようです。みなさん大学の先生のようです。多くの方々から評価をされているのでしょうが、それだけに、全体として設定されたテーマから見るとバラバラだったのが残念です。

 昨年亡くなられた截金(きりかね)の江里佐代子氏は人間国宝であったとか。知りませんでしたが、このテーマでなければ、別の視点で堪能できたと思います。

 いろいろな意味で、いい勉強になった展覧会でした。
 私も、今後の展示の企画を立てるときには、このような印象を与えないように気を配りたいと思います。




2008年3月27日 (木)

通勤電車内でライターを点火する女性

 今日の通勤途上での出来事です。
 東京駅から乗った、中央線の高雄行きの電車内でのことです。

 座って、立川までの50分の読書タイムを始めた時でした。向いの席に陣取った一人の女性が、やおらお化粧を始めました。その身振りなどが派手だったので、読んでいた本越しに、いやでも気になって見えるのです。

 見るからにブランド物のバッグの中を、ジャラジャラと掻き回していました。ガチャポンの中のプラスチックボールを混ぜ合わせるという表現がピッタリです。
 お化粧をするためには、いろいろな小道具があるのですね。取っ替え引っ替え、小物を取り出しては仕舞い、摘み出しては投げ込んでいるのです。

 かれこれ20分くらいしてからでしょうか、付けマツゲを取り出したかと思うと、やおら左手に100円ガスライターを持ち、何をするのかと思いきや、走行中の車中であるにもかかわらず点火したのです。
 ボッと、彼女の座席で小さいながらも火柱が上がりました。そして、その炎を見つめながら、周りの気配に頓着することもなく、付けマツゲを近づけて、それを焼き始めたのです。そして、焼いたマツゲを、自分のマブタに貼り付けているのです。
 化粧に詳しくないので、何をどうして焼いたのかはわかりません。
 私のマツゲは、長くて上に反り気味にカールしていて、マッチ棒が3本以上乗ります。目の前の女性のマツゲは、短いのでしょうか。黒々としたものが、目の縁に付けられました。
 何やら気持ちが悪くなったので、視線を意識して本に落としました。

 それにしても、通勤電車の中でライターを点火する神経が、もう私にはわかりません。
 こんなわからないことの多い社会で、何とか適応しようと思って生きていますが、これには正直言って、朝っぱらからドッと疲れました。

 世界中経巡っての個人的な感想は、とにかく日本は地球始まって以来の平和な国になっている、ということに尽きます。こんなに平和な国が、この地球上にあっていいのか、と思うほど、海外の国々の人々は疲れています。
 もっとも、日本に原爆を落として無差別大量殺人をしながらも、自分たちは正しいことをしたと言い張る脳天気なアメリカは、ある意味で地球最大の不幸と差別と貧困が渦巻く国と脱していますが……。

 それはさておき、日本が平和を謳歌している現状は、これでいいのでしょうか。平和平和とお題目のように唱えて、それを実現したことは偉大です。しかし、その結果として日常的に目にする若者の生態は、平和を目指した結果とすると、はなはだ疑問に思われる節もあるのではないでしょうか。

 最近私は思うのです。何も考えずに平和平和と唱えることが、果たして本当にいいことなのでしょうか。平和を唱えてさえいれば安心感を得られると言う心理には、何かごまかしがあるようにも思えます。平和の行き着く先に到達した感のある日本にいるからこその、贅沢な感想かも知れません。
 もちろん、苦しいことの多い国では、平和が望まれます。しかし、その平和も、行き過ぎると、何がいいのかがわからなくなる、というのが日本の現状が見せつけているように思います。

 何事も、度が過ぎるとよくないのです。
 ほどほどの平和な社会を改めて考えてもいいのでは、と思うようになりました。




2008年3月26日 (水)

わが父の記(1)感謝の念を伝える

 井上靖に『わが母の記』という作品があります。
 そのまねをして、折々に〈わが父の記〉を綴ってみたいと思います。

 息子にとって父親とは、元気な時には、あまりいい関係は保てないように思います。
 それは、私がそうだったというだけかもしれませんが……。一般的にはどうなんでしょうか。
 私の父が言うことは、いつも教訓じみていたので、自然と距離を置くようになっていました。
 とにかく、うるさいと思ったことが多いのです。ほっておいてほしかったのです。

 息子のことを気にかけて、心配してくれていたことは、痛いほどわかりました。感謝しながらも、しかし、態度としては冷ややかに接していたように思います。

 父が亡くなって25年が過ぎようとしています。今にして思うと、申し訳なかったと後悔しています。何とかして、「ありがとう」という気持ちを直接ことばで伝えればよかったのですが、それも叶わないままに見送ってしまいました。

 息子としてせめてもの感謝の念は、癌で余命いくばくもない時に、父が作り貯めていた川柳を『ひとつぶのむぎ』という1冊の句集にまとめて出版できたことに込めたと思っています。

V5ngrq6t_s句集作成中




7auqztag_s完成した句集




 燃え尽きる最後の最後まで、父は自分の生涯で唯一の本にサインをして、関係者に発送していました。こうしたことが最後にできるようにしたことが、せめてもの父への感謝だったと思うことにしています。

 そんな父との関わりを通して得たことを、今は息子に接するときに気を配っています。

 父との思い出は、思いの外たくさんあります。
 折りを見て少しずつ思い出しながら、父へ語りかけていくつもりです。



井上靖卒読(32)「流星」「梧桐の窓」

 「流星」「梧桐の窓」は、共に角川文庫『霧の道』に収録されている作品です。


(1)「流星」は、戦時中の満州での、2人の男の物語です。
 2人は、かつての夢が今もあるのか、と語り合います。人間は、生きるために努力すべきだと。
 若い時は、流星の終焉の清潔さを語っていたのですが、今は清潔な生命の終わり方はない、と言うのです。
 きれいな小品です。【3】



初出誌:小説と読書
初出号数:1950年7月号

文春文庫:断崖
角川文庫:霧の道
井上靖小説全集3:比良のシャクナゲ・霧の道
井上靖全集2:短篇2





(2)「梧桐の窓」

 主人公美也子の過去の恋人とのことが、少しもったいぶって明かされていきます。何があったのか、と思いながら読み進むことになります。

 月光の設定がありました。昔の恋人に逢いに行く船窓から見える月を、「三角波が白い月光に光っていた。」(147頁)とあります。
 時間の軸を切り替える役割を、この月光がしているように思います。

 美也子は、昔の恋人の今の生活を確認して、自分の今を見つめ直します。そして、明日に向かって、仕事に立ち向かいます。
 主人公の心の整理の過程が、丁寧に描かれています。
 常に前を見て生きる女を描く、いい作品です。

 これは、恋人の弟である雅彦が美也子に寄せる気持ちをもっと描き込むと、中編小説へと仕上がっていくように思いました。

 このメモを記していて、「梧桐」を「あおぎり」と読むことを知りました。自分の国語力にガックリの瞬間でした。【3】



初出誌:キング
初出号数:1951年11月号

角川文庫:霧の道
井上靖全集3:短篇3




2008年3月25日 (火)

京洛逍遥(30)西無車小路町

 京の地名には、おもしろいものがたくさんあります。
 そんな一つを。

 御所の中にある宮内庁京都事務所にほど近い乾御門から西へ350メートルほど行くと、「西無車小路町」という町名に出会いました。ちょうど烏丸通りと堀川通りの中間地点にあたり、北に徳大寺殿町、南に一条殿町があります。
 西南の一条戻橋には、小野小町の草紙洗いで有名な地がありますが、ここではあえて話題を外しましょう。

 武者小路千家の「官休庵」の前で撮ったのが、次の写真です。


Vvyplqd3_s町名



 通りかかった最初は、シャレで書かれた冗談かと思いました。茶人たちも粋なことを、と思いながら帰って調べると、なんと実際の町名なのです。
 住民の遊び心の体現なのでしょうか……。

 地図を見ると、道を隔てた通りが「武者小路通」で、隣の町名が「武者小路町」です。
 写真にも、手前の住居表示板に、「武者小路通新町西入 西無車小路町」と書かれているのが読めます。
 この町名表示の舞台裏を知りたくなりました。


「ねんきん特別便」を受け取って

 私には来ないだろうと思っていた「ねんきん特別便」が届きました。
 それも、今年の1月18日に作成したものが、2ヶ月以上もかけて届けられたのです。郵政公社(今はどういう資格で郵便業務をしているのでしたっけ?)も、のんびりしたものです。
 封筒の中には、こんな紙が入っていました。
 一見して仰天しました。何といいかげんなことか … 。



Uh3q9blm_s年金記録




 社会保険庁にあるこの私の記録では、2ヶ所で年金を支払っていたことになっています。
 この記録に関する限りは、間違いではありません。
 しかし、ここに記載されている2ヶ所の前に、もう1ヶ所で仕事をしていました。それが欠落しています。それも、14年半も勤めたところが、そっくり抜けているのです。
 これでは、私が年金として支払った14年半分の保険金は、社会保険庁の職員の方々の遊興娯楽費のために寄付しただけのことになります。彼らは、私のお金で遊んだことになります。正確には、私が支払ったお金を気分転換のために使ってしまった、ということなのでしょうが … 。

 私は、昭和53年4月から昭和62年3月まで、大阪府立の高等学校で正規(?)の教員をしていました。困難校と言われるところで、いろいろと苦労をしました。毎年、100人以上の生徒が退学していきました。毎日、家庭訪問に明け暮れていました。毎夜遅くまで、テニス部の指導をしていました。その勤務実績が無視されています。
 新設時の高校に9年間勤務し、引き続き、 昭和62年4月から平成 3年8月まで、もう一つの府立高校へ転勤して教壇に立っていました。その時の教え子の一人が、今は源氏絵を描いています。
 この14年半の仕事が、この年金記録ではスッポリと抜けているのです。事実を証明することは、私の場合には簡単だと思います。しかし、なぜこんなことが抜け落ちているのでしょうか。年金を支払っていたという事実確認よりも、それが問題です。
 社会保険庁は何をしていたのか、何をしているのか、ということです。

 公立高校の教員として在職していた期間に給料から天引きされて支払った年金は、今となっては無効だ、とでも言いたいのでしょうか。
 私が大阪府の教員に採用された時に、事務の方が私の年金の登録をし忘れていたのでしょうか。それとも、私が私立大学の教員として転出した平成 3年9月に、大阪府の担当職員が継続の手続きをしなかったのでしょうか。今でこそ大阪府は破産寸前ですが、大阪府立の高校はまだ倒産していません。私が2つ目に勤務した高校は、今は他校と合併しましたが、記録は残っているはずです。私の勤務実績は、調べればすぐにわかることでしょう。
 比較的確認しやすいと思われる公務員でも、こんな状況です。社会保険庁の資料では、こうしたことが消失していて確認できなかったとは、なんとも杜撰な記録に基づく加入確認作業だと言わざるをえません。

 会社などは、すでに倒産・廃業している所も多いと聞きます。そのようなところに身を置いていた方々は、もっと悲惨な確認書類を受け取っておられるのでしょうか。

 早速、社会保険庁に連絡をとりますが、勤務実態を証明するのは、私のすべきことなのでしょうか。
 私は物持ちがいいので、認定されていないあの頃の給与明細書や辞令は、すぐにいつのものでも提出できます。
 しかし、当面は社会保険庁に調べさせようと思います。
 自分たちがやった出鱈目な事務処理が発端なのですから。
 学校を卒業してすぐの年から平成 3年9月まで、私がどこでどんな仕事をし、保険金をどう支払っていたのかは、平成 3年9月に勤務を開始した職場に問い合わせれば、台帳がどうなっているのか判明すると思います。
 おそらく、私が転職したために、社会保険庁の書類が追跡不可能になったのではないでしょうか。
 社会保険庁のシステムが、「地方公務員共済→私学共済→国家公務員共済」と移動していることに対応できなかったようです。倒産・廃業の可能性の低い職種でこうなので、社会の変動に左右されやすい中小の企業に勤めておられた方々は、どのような記録になっているのか、暗澹たる思いがします。

 自分が年金記録の消失した5,000万件の内の一人だったことに、驚きとともに不信感を倍増させました。ニュースが、他人事ではなくなったからです。

 社会保険庁の職員は、廃止までの秒読み期間も、定年退職金の満額計算に終始せずに、少しは仕事をすべきだと思います。

 昨春、まだ奈良の平群にいた時、娘の年金のことで奈良の社会保険庁の方が、ノコノコと拙宅にお出でになりました。旧国営企業を定年退職してすぐに、何もわからないままに社会保険庁の奈良に雇用され、何も事情を調べずにトンチンカンな年金確認に来られた、あの方を思い出します。
 妻と共に対応した私たちは、娘の英国留学にともなう社会保険庁の対応の出鱈目さを、こちらが説明し、その時の訪問がそのことをまったく知らずになされたことを、厳しく非難しました。臆面もなく、ということばがピッタリの出来事でした。何も知らずに来て惨めな思いをされたあの方は、今は何をなさっているのでしょうか。
 きりがないので、このことは後日にしましょう。




2008年3月24日 (月)

源氏千年(17)楽しいグッズ作りのすすめ

 京都の二条城を北に上ったところに、堀川商店街があります。そこの有志による「匠と商人の会」では、『源氏物語』の千年紀にちなんだイベントを企画しておられます。

 過日、本ブログで散策スポットを取り上げたガイドブック『紫式部・源氏物語 ゆかりの地を訪ねて』を紹介しました。

http://blog.kansai.com/genjiito/161

 それがようやく完成し、250円で発行されました。
 入手ご希望の方は、下記の同会へ連絡をなさってください。

 京都市上京区西堀川通下立売上ル4町目51

  堀川商店街内 旧 サン・トラベラーズ

         現:京都観光プロデュース

          匠と商人の会 事務局

       電話 075−823−2110


 先日立ち寄った折には、現在試作中のグッズを見せてもらいました。
 こんな楽しい企画が進行中です。

 まずは、伝統工芸士の井村勲(完爾)氏の作品(小屏風)を何点か。


屏風1




屏風2




Dkcixquu_s屏風3





 こんな立派なものもあります。


Dzon5cg7_s小屏風





 同じく井村氏の傘に源氏絵です。いい雰囲気を出しています。
 これは、飾りたい方がたくさんいらっしゃると思います。



Slnwhsbr_s





 行灯もあります。
 西陣で使っている織り機の型紙を利用したものです。




Byxgm3xu_s行灯




 小物として、こんなものもあります。



B_7prtux_s壁掛け色紙




Rlvdwpbk_s色紙





 これらは、今後さらに磨きをかけたものとして、入手可能になると思います。
 イベントとしての楽しみが、こうして膨らんでいます。

 いろいろな形で、日本の古典文学を代表する『源氏物語』が親しまれるといいですね。
 あまり陳腐なモノが氾濫するのは困ります。しかし、こうした試行錯誤の中から、きっといいものが生まれることと思います。

 ご意見がありましたら、コメントをしてください。
 「匠と商人の会」の事務局長は気さくな方なので、楽しいアイデアには耳を傾けてくださいます。
 いっしょに楽しいグッズ作りに参加しませんか。





2008年3月23日 (日)

源氏千年(16)お香と源氏物語

 18世紀中頃に「奈良屋」の屋号で創業した呉服商の家「杉本家住宅」が、京都四条西洞院にあります。市の有形文化財に指定されています。


Mt5xx0qz_s杉本家



 この杉本家を会場として、
「源氏かおり抄の世界」展

が5日間にわたり開催されました。主催はお香で知られる松栄堂です。

 京町家の中の各部屋に、松栄堂の源氏のお香シリーズを置き、その雰囲気を味わうものでした。昔ながらの町家に、源氏のお香が置かれていて、貴族と町衆との文化の違和感を楽しみました。
 私にはその性格が違いすぎて、正直言って馴染めませんでしたが。

 もう一つのタイトルである、
京町家で愉しむ「源氏物語五十四帖のかおり」

という名称を前面に出した方が、その文化の違いがはっきりしてよかったのではないでしょうか。
 源氏物語の千年紀ということで『源氏物語』が前面に出たために、会場としての町家との間にズレが生じたと思います。

 中の一室で、お香についての説明がありました。実際にお香を聞きながら、お香の基礎知識を得ることができました。来月には、松栄堂さんが主催される聞香に参加することにしているので、よき予習になりました。

 さまざまな種類のお香を、今の日本の文化の中にどう位置づけるのか、検討する価値のあるもののように思います。日本の伝統文化を、海外の人たちに紹介するだけでなくて、実際に私たち日本に住む者が、それをどう現代に継承し、活かしているのかが、実は重要なことなのです。昔はこんないいものがあった、というだけに留まらない文化の伝承に、このお香は検討の価値があると思います。
 来月の聞香を体験して、また考えるつもりです。




2008年3月22日 (土)

京洛逍遥(29)京都御苑

 春を迎えつつある京都御苑を散策しました。


Qxab2ygd_s建礼門



 桃林や梅林や小川などなど、もうすぐ桜にバトンタッチです。



Aobeoecn_s桃林




Peuigbxb_s梅林




 この桃林や梅林があったところは、かつて藤原基経の枇杷殿があったといわれています。長保年間には、藤原道長と次女妍子の里邸でした。
 内裏が炎上した時には、一条天皇も1009年に里内裏とし、そこには紫式部や清少納言などがいたと思われます。


Kx47aqzn_s出水の小川



 この川は、御所の御溝水を導入して作ったものでしたが、御所の水道が閉鎖されてからは、地下水を循環させているそうです。

 ポカポカした日には、お弁当を持って来るといいですね。





2008年3月21日 (金)

東京駅でダイビング

 ディズニーランドへ東京駅から行った方はご存知のことだと思います。
 京葉線の東京駅というのは名ばかりで、実際には有楽町とか銀座の近くにあります。
 長い長い東京駅の乗り換えにうんざりした方は多いことでしょう。

 その京葉線を、先月から通勤で使っています。

 宿舎を出て徒歩5分で京葉線の電車に乗ります。そして、乗車5分で東京駅に着くのですが、そこからがエクササイズの開始となります。

 エスカレーターを5機、そして、ムービング・ウオークを3本乗り継いで、やっと中央線のホームに辿り着きます。
 最後のエスカレーターは、下から見上げると、脚が竦みます。高所恐怖症の私には、本当に不気味な移動手段としてのノリモノです。
 ロシアのモスクワの地下鉄は、地底まで降りるのかと思うほど深く潜っていました。それも、薄暗いのでなおさらです。
 東京の場合には、そこまでではありません。明るく照明もしてあるので、暗さは感じません。しかし、見上げても、到着地点が見えないので不気味なのです。

 京葉線から中央線への乗り継ぎに10分はかかりません。しかし、自然と脚は競歩の様相を呈してきます。早く一歩でも前に進んでおきたい、という気持ちが働くのです。みんな、黙々と歩いています。その様子を写真に撮りたいのですが、みなさん真剣なので憚られます。

 地底からビルの屋上へと、それこそ一気に駆け上がることになります。スキューバダイビングでいえば、体内の空気圧の調整をしながら、ゆっくりと上昇と下降をするところです。東京駅が水中ではなくて、空気の層なのでよかったと思います。耳の空気抜きをしなくてもいいのですから。

 ようやく中央線のホームに出ると、次は立川行きの電車に乗り込みます。始発なので必ず座れます。ここからが、私のプライベートタイムです。本を読んだりメモをしたり。最近は、iPod-touchに文章を入力しています。
 この東京から立川までの一時間ほどの充実した時は、京都と東京を往復する時と共に、私にとっての仕事の空間であり、くつろぎのひとときでもあります。
 立川からモノレールで1駅。そして歩いて10分弱で職場に到着です。
 これが私にとって平日の、2時間ほどの小旅行となっています。
 週末の新幹線の旅とともに、日々が電車の移動を軸にして進んでいるのです。

 中央線は、学生時代の思い出の駅駅があります。
 これからは途中下車をして、35年前との変化を楽しみたいと思います。




2008年3月20日 (木)

角屋本『源氏物語』と陽明文庫本

 陽明文庫本「末摘花」の本文を、〈陽明叢書〉の影印と調査時のメモで確認しました。
 角屋本「末摘花」のことを考える上での参考となる事柄を、思いつくままに認めます。

 ただし、まだ私は角屋本『源氏物語』の見開き半葉づつしか見ていないので、見た範囲からの想像で以下に記していることをお断りしておきます。


(1)「し(新)」の字母について
 〈陽明叢書〉の写真版では、角屋本にあった「新」ではなくて「之」でした。
 これは、先のブログで指摘した3箇所ともにそうでした。
 また、文字遣いは、全体的にもまったく違うといっていいようです。
 つまり、陽明文庫本と角屋本は、直接の書承関係はないようです。しかし、ともに共通する本文を持つ写本であることは確かです。親本は異なるにしても、その親本は相当近い本文を伝えていたものの流れに位置する、ということは言ってもいいのではないでしょうか。


(2)角屋本の意義
 「角屋もてなしの文化美術館」の展示で掲げられた解説文で、本文異同が指摘されていたところについては、〈陽明叢書〉の「解説(玉上琢彌)」では、「三本間の隔たりの大きい箇所である。」(86頁)とされている所に当たります。
 〈陽明叢書〉の「解説」によれば、陽明文庫本「末摘花」は、次のようにまとめられている写本です。


 結局、この末摘花の巻は、青表紙本に対しては独自の位置を保ち、河内本の成立に大きな役割を果たして居り、他の甲類表紙を持つ別本系二十七帖と共に、陽明文庫本の基幹をなすに相応しい内容を持った一帖ということになろう。
(86頁)


 ここで言われている「河内本の成立に大きな役割を果たして」いるかどうかは、今は措きましょう。
 しかし、今回発掘された角屋本「末摘花」が、陽明文庫本に近似する本文を伝える古写本だと思われることはほぼ確かなので、これまで他に類例がなかった重要な本文が見つかったことになります。鎌倉時代に伝存していた物語の本文が、それも、現行の流布本と異なる『源氏物語』が確かにあったことになり、これは慎重に対処すべき資料の出現です。


(3)陽明文庫本の重要性
 他の巻での陽明文庫本のありようからすると、まだ陽明文庫本に近似するこうした古写本の巻が見つかってもよさそうです。
 鎌倉時代には、今われわれが読まされている「大島本」のような本文ではない『源氏物語』が、もっといろいろな形で流布していたと考えられます。
 例えば、第1巻「桐壷」で言えば、室伏信助先生が記録してくださったおかげで確認できた「伝阿仏尼筆本」が、陽明文庫本とそっくりの本文を伝えるものでした。
 また、かつて玉鬘十帖とその前後の巻における諸本の相関関係を調べたところ、『源氏釈』の抄出本文が陽明文庫本に近似するものであることが確認できています。
 藤原伊行が著した『源氏釈』は、最古の『源氏物語』の注釈書なので、この事実は重いと言えましょう。
 陽明文庫本は、『源氏物語』の本文を考える時に、重要な位置を占める本なのです。そして、これまでは孤立していることが多かった陽明文庫本ですが、角屋本の出現で、陽明文庫本の存在意義を支援する資料が提示されたことになります。
 こうした問題については、拙著『源氏物語受容論序説』と『源氏物語本文の研究』で考察しています。ご参照いただければ幸いです。


(4)角屋本に関する追記
 これまでに確認できたこと以外にも、先日掲載した18種類の本文の校異を見ると、以下のような確認が追加できます。

●陽明文庫本と角屋本だけの一致箇所
 (両本が近似することの確認)


・いとをしうて[角]・・・・062545-000
・あはれけに・・・・062554-000
  あはれけに/△△&あは[角]
・して[角]・・・・062570-000
・かたくなしと[角]・・・・062599-000



●本文が2つのグループに分かれる
(角屋本が陽明文庫本のグループに含まれる)


しつ心[角平御高天阿]・・・・062587-000
 しつこゝろ[尾]
 ナシ[大池国肖善日伏穂保前]
なく[角平御尾高天阿]・・・・062588-000
 ナシ[大池国肖善日伏穂保前]
ありかはや[角平御尾高天阿]・・・・062589-000
 ナシ[大池国肖善日伏穂保前]



 ただし、次のような例もあるので、各写本が伝える本文の位相は複雑です。
 これは、陽明文庫本が〈河内本群〉に属さないで、本文が2つのグループに分かれるものです。



やうなる[御大池国肖善日伏穂保前]・・・・062595-000
 やうなりぬへき[角]
 やらるへき[平]
 やうなへき[尾天]
 やうなるへき[高阿]





 角屋本はいずれ、影印・写真版などで公開されると思います。その時には、みんなで検討したいと思います。
 『源氏物語』のことを考える楽しみが、これでまた一つ増えたことになります。

 なお、陽明文庫本「末摘花」については、陽明文庫長である名和修先生のご高配をいただき、平成17年3月に詳細な調査を終えています。その成果の一部が『源氏物語別本集成 続』の翻刻編です。私の力では読めなかった虫食いを含む26箇所は、△記号にして収録しています。
 今回の角屋本によって、それらの一部が解消できることは、本当にうれしい限りです。
 これを機会に、ぜひ『源氏物語』に興味を抱く若い人たちが、その本文について考える仲間に加わってもらいたいと思っています。70年近く停滞しているこの本文研究という分野は、それによってさらに進展することでしょう。
 今後の若者たちの努力と感性が、大いに期待され、楽しみになってきました。




2008年3月19日 (水)

誇るべき日本語「お役にたてなくて … 」

愛用の時計を修理に出しました。突然、止まったからです。
この時計は、7年半前にスイスで買ったものです。
昨年の夏(2007年7月12日)に止まった時には、ロフトで見てもらいました。その時の様子は、以下のブログで報告しました。

http://blog.kansai.com/genjiito/19

 息子とスイスへ行った時の、自分への土産として買った思いでの品です。CANDINOという無名の会社のものですが、とにかく不思議なほどに正確な時計でした。

 使い続けたいので修理をしてもらおうと思い、立川の伊勢丹へ持ち込みました。確りした時計店で、丁寧に見てもらいたかったからです。
 持参すると、いかにも経験豊富という年配の方が対応してくださり、すぐに方位磁石にかざし、磁石の針が大きく振れることを確認されました。こんなに針が触れる時計は見たことがない、とのことでした。まさに、時計が磁石と化していたのです。
 ということは、私の身体が磁気を発しているのでしょうか。それが溜まりに溜まって、こんなに磁気を帯びてしまったのでしょうか。

 そういえば、最近はドアに触れるたびに静電気が起きるので、除電する小物を身に付けて、金属を触る前に電気を逃がしています。私が触ると機器が狂う、と思われているのは、この辺りに原因があるのでは、と本当に思ってしまいます。ただし、私は電磁波測定器を持っていますが、それでは何も変化がありませんので、よくわかりません。

 時計売り場の担当の方には、とにかく修理の見積もりをしてもらうことにしました。最低でも1万5千円前後になるとのことでしたが、理由も知りたかったのでお願いしました。
 これまで、毎日正確に時を刻んでくれた時計に対する、感謝の気持ちからでもあります。

 2週間後に連絡があり、修理費用は1万7千円とのことでした。そして、中の部品が相当サビを生じていて、修理をしても防水機能は望み薄であることと、動かせても数年持つかどうか、ということでした。
 それを聞いて、私はすぐに新しい時計を京都の時計店で購入しました。

 今回の時計はシチズンの普通のものなので、特にどうということはないものです。しかし、とにかく軽いのと、ソーラーパネルで充電するタイプで、日付と曜日もわかるものなので、これにしました。文字盤が夜でも見られる蛍光板だったことも気に入りました。
 写真の左側がこれまでの時計で、右が今回新たに購入したものです。



Jzgfqjgc_s2つの時計




 今日、修理することを断念した時計を受け取りに行きました。そして担当の方は、いろいろと詳しく説明してくださいました。希望が持てない状況を伺った後、時計の管理についても教えてくださいました。
 車に車検という定期点検があるように、時計も3、4年毎に点検すべきだそうです。毎日頼りにするものなので、なるほどと思いながら、丁寧なアドバイスを伺いました。
 そして、見積もりにかかる費用は不要だとのことでした。
 ロフトといい、伊勢丹といい、利用者にとってはありがたい対応です。お店としての信頼を勝ち取る意味でも、いい方針だと思います。

 そしてお世話になったお礼を言って帰ろうとした時に、対応してくださった方は、

「お役にたてなくて申し訳ございませんでした。」

とおっしゃったのです。
 私は、この言葉の美しさに感激しました。なんと相手の気持ちを思いやった、すばらしい日本語ではないでしょうか。日本人として、このような人間関係を円滑にする言葉を、それも自然なコミュニケーションの流れの中で口にできる方がいらっしゃることを、誇りにしたいと思います。
 「お役にたてなくて … 」という言葉は、相手の失望や落胆を和らげる、暖みと思いやりと心配りのある表現です。このような日本語を、マニュアルにあるからではなくて、臨機応変にさりげなく上品に使っていきたいものです。



2008年3月18日 (火)

心身(12)運転免許を返納するタイミング

 新聞のニュースを見て、私もそうしよう、と思ったことについて。

 運転免許を返納した高齢者には、利用料や商品の割引サービスを4月1日から始める、というのです。これは、高齢者の運転による悲惨な事故を減らそうとの趣旨からのものです。

 その趣旨に賛同できても、運転免許はまだまだ身分証明書の役割を果たしています。今でも、証明するものとして、運転免許か保険証の提示を求められることがあります。高齢者となると、自分の身分を証明するものとして、これは貴重な1枚なのです。
 しかし、返納者に手渡される「経歴証明書」というものは、「免許証」と同じ各種証明書になるのだそうです。となると、この1枚の免許書にしがみつくこともなくなるのです。

 この制度は、平成10(1998)年に導入されました。そして、昨年の返納者は1294人だったようです。制度が理解されず、浸透していないのです。私も無理解者の一人でした。

 私は、今は自家用車を持っていません。過日もこのブログに書いたように、自分の車を処分したことで、非常に身も心も軽くなったことを自覚しています。
 車の運転が大好きだった私に、こんな日がこようとは思いませんでした。

 55歳を境に、自分の運転に疑問が生じました。
 それは、信号無視と一方通行を逆走することが、何度かあったからです。
 我ながら情けないことに、注意力が散漫になっていたのです。ヒヤリとする局面が、確かに多くなっていました。
 危なかった、と思って運転することが、近年は多くなっていたのです。
 幸いに、人身事故はこれまでに起こしていません。しかし、それは偶然のなせる態であり、幾度となく危険な思いはしました。よくぞ、人を跳ねたり、物を壊したりしなかったものだと、幸運に感謝して車を処分しました。

 最近まで、年間の交通事故による死者は、1時間に一人と言われていました。
 1時間に一人の人が死んでいるのであれば、1時間に一人が殺人者になっているのです。つまり、30分に一人が、被害者であったり加害者であったりしているのです。それも、無意識のうちに、被害者か加害者の立場にたつという、恐ろしいことでした。
 自分だけは事故をおこさない、自分だけは事故に遭わない、という思いがみんなにあります。それでいて、宝くじは当たるかも知れない、と期待するのです。

 この交通事故というのは、ロシアンルーレットに似ていると思います。いつ、どこで悲劇に遭遇するのか、誰にもわかりません。突然、その白羽の矢(?)が当たるのです。このロシアンルーレットに似た、恐ろしいことが、今も進行中なのです。そこから私は降りられたので、ホッとしているのです。私が交通事故で人を殺すことは、これでまずはなくなったのです。

 そろそろ免許証も処分しようと思っていたところ、新聞で返納の記事が組まれたのです。これも何かの縁なので、具体的な免許返納を検討します。
 次に私がもし車を運転するとしたら、我が家に孫ができたときだと思っています。しかし、それでも、人殺しの権利を持って生きることと天秤にかけたら、やはり運転はもうしないほうを取るのが賢明かと思います。

 奈良にいた時には、山の上に住んでいたことと、6人家族のうちで私だけが運転免許を持っていたので、非常に役立ったと思います。
 家族みんなで、よく旅行をしました。西国巡礼を3回以上もできたのも、みんな自家用車のおかげです。しかし、もうそのようなものは不幸を招来するだけの資格だと思うようになりました。

 仕事関係や地方に住んでいる場合には、さまざまな理由で車を運転することが重要な要素になることはあると思います。しかし、車と決別することが可能な環境に身を置いている人も、相当数おられると思います。
 これからは、環境問題などというよくわからないことではなくて、具体的に悲劇を起こさない、巻き込まれないために、車を運転することから遠ざかることによるメリットを、各自が自覚する時代に入ったのではないでしょうか。
 自動車保険には、長年支払ってきたことによる割引優遇処置があります。今回契約を打ち切った折に、この権利は保持したまま、次回の契約時に復活する手続きをしました。一時休止というものです。これは、固定電話にも、債券の保留があり、いつでも復活させられます。
 この制度を、運転免許に適用してはどうでしょうか。返納には抵抗がある人が多いと思われるので、一時的に免許証を預けるのです。警察でもいいし、いや警察があまり信用できないご時世でもあるので、銀行でもかまいません。手元にないだけで、運転する機会は減ると思います。
 むやみに悲劇を招かない社会を作るためにも、突然の人生の暗転を避けるためにも、検討していい事柄のように思いますが、いかがでしょうか。

 まずは、注意力が散漫になってくる高齢者から、そして精神的に不安定な若者が、お互いのために免許証を返納あるいは預託するのは、これからの社会作りにおいても、もっと顕彰されていいことだと思います。





2008年3月17日 (月)

秋の源氏物語展の準備

 今年の秋には、国文学研究資料館の開館を記念して、源氏物語特別展が開催されます。あと6ヶ月半となりました。
 いろいろな方々からアドバイスをもらいながら、記念展の準備を進めたいと思っています。

 現在の国文学研究資料館の正面玄関は、ここまで整備されました。入口の工事は、急ピッチです。


B5fw2daz_s正面玄関



 玄関を入ると、こんな感じです。床の緑の敷物は、工事期間中だけのものです。
 柱の陰になっていますが、左端のガラス戸が閲覧室と展示室への入口です。


Zc9xqooi_s閲覧と展示室の入口は左



 展示室にはすでに道具が運び入れられ、調整と清掃がおこなわれています。


Wwgrjyd2_s展示室奥



 縦に並ぶエアタイトケースは、国宝や重要文化財が展示できるものとなっています。この空間で、この秋に源氏展を開催するのです。

 この部屋をどう区切り、どのような流れで何をみてもらうか、いろいろと工夫を検討しているところです。

 この写真では、展示室の東側だけです。まだ、西側があります。展示担当者としては、この展示室があまりにも細長いので、その対策に追われることを怖れます。

 この部屋がどう変身するのかは、どうぞお楽しみに。




2008年3月16日 (日)

京洛逍遥(28)築150年の京町家カフェ

 マイカーに乗らない生活は快適です。
 車を処分してからは、バスと地下鉄、そして阪急と京阪電車を利用しています。京の町は、自分で車を運転する必要性を感じさせません。
 何となく肩の荷が下りたように思います。
 あんなに車の運転が大好きだったのに、こうして好きなように歩いて街に出られるのは、気分的にも楽です。こんな気持ちになれるのは、奈良の山の中の生活ではなくなったことと、子供が大きくなって手を離れたからです。

 車のない生活の楽しみ方が、新たにわかりました。
 今日は、2台目の中古のサイクリング用自転車を買いました。
 我が家から町中へは、あまり漕がなくても走れますが、帰りは北へ向かって必死に漕ぐことになります。そのこともあって、変速機は3段のものがついている自転車にしました。

 買ってから防犯登録を済ませると、そのまま丸太町の松栄堂へ聞香の用事で行きました。暖かくなったこともあり、風が心地よい町中のサイクリングです。
 通りの様子を、自転車のスピードで、自転車からの視線で見ながら行くと、これまで見ようともしなかったものが、自然と眩しいくらいに目に飛び込んで来ます。車からは見えなかったものが、どんどん網膜に押し寄せてきます。これは、非常におもしろい体験ができることに気づきました。

 平安時代と現代という、千年の時間と空間を彷徨う自分の中の思いを転がしながら、自分がこの平安京の真ん中を移動していることの快感が、自転車から身体への振動として伝わってきます。
 まさに、時空を楽しむことが、こんなに簡単にできるのです。大発見です。

 松栄堂のウインドーの中には、源氏物語のお香「少女」のそばに、あざやかな藤が活けてありました。玄関で焚かれていたのは「堀川」でした。

 二条城へ向かって漕ぎ出し、堀川通りに沿って縦に走る油小路通りの町屋を散策しました。
 途中で、突然見つけた歯医者さんは、なかなか雰囲気がありました。


M31bu6tf_s歯医者



 こんな歯医者で直してもらいたいものです。
 診察台は、どんな形をしているのでしょうか。
 リクライニングの椅子に座るのか、ベッドに横になるのか、それとも木の椅子なのか。電気ドリルはどんな形で、どんな音がするのか、いろいろと想像を刺激してくれます。

 油小路通りを北に向かって漕いでいる時に、『古書と茶房 ことばのはおと』が気になりました。場所は、御所と二条城の間と言った方がわかりやすいでしょうか。そこで、一休みしてお食事タイムです。


Sktzesz9_s古書茶房



 入口には、椅子に立て掛けたメニューの前に、コーヒーカップと、なぜか川端康成の『雪国』が置いてありました。それも、雨風に打たれた名残を色濃く留めた、クタクタになった新潮文庫です。


Goxil9yg_s『雪国』



 ここにおくなら『古都』でしょう、と突っ込みたくなりましたが、この意味不明なところが気に入りました。

 ここは、築150年の京町家をカフェにしたところだそうです。我が家も、もとはこんな作りだったのでは、と思わせるような天井や土壁の中の隠し階段がありました。

 中は、絵画関係の本が目に付きましたが、いろいろな本が壁際にありました。私の好きなちばてつやのマンガもありました。レトロ調の品揃えで、店内の雰囲気を作っています。

 私が座った真ん中の席から表を見ると、こんな様子です。


7owjreaw_s表の様子



 中から裏庭にかけては、こんな様子です。
 鉄瓶や火鉢がアクセントになっています。


Daqie5rb_s奥座敷



 食事は、豆腐のハンバーグにしました。あっさりしていて、いい味でした。みそ汁が、出しジャコのいい味が出ています。野菜もたっぷりです。カレー料理が人気の店のようですが、私はインドのイメージがあるので、一応避けておきました。

 さらに、なによりも気に入ったのは、帰りがけに、若いご主人と奥さんが黒い潜り戸を出てきて、丁寧に玄関口で挨拶をして見送ってくださるのです。一人一人の客人を大事にしておられることが伝わり、気持ちよく食事を終えて店を出ました。
 店内に半日いる人もいたそうです。ご主人が寡黙で気遣いをさせない人のようで、居心地のいい店でした。

 自転車でさらに北上し、宝鏡寺の人形展を見に行きました。このお寺は、皇女和宮が幼少の頃、ここの庭で遊ばれたとか。また、八代将軍義政の妻であった日野富子との縁のある寺でもあります。


4orag2pi_s宝鏡寺



 この寺には、昨年もこの時期に来ました。
 実は昨年、この寺の帰りにブラブラと植物園の方へ足を向けたことが、今の住まいを決める結果となったのです。京に住む縁となったお寺だけに、春には訪れたいところです。

 



2008年3月15日 (土)

角屋本『源氏物語』の疑問氷解・追記版

 今日から角屋本『源氏物語』の「末摘花」が一般公開されるので、早速「角屋もてなしの文化美術館」へ出かけました。JR丹波口駅から南へ歩いてすぐの所にあります。

 ここには何度も来ています。しかし、これまでは、近世の島原の揚屋の文化を見るためでした。ところが、今日は、鎌倉時代の書写にかかるとされる『源氏物語』の写本を見るためです。
 こんなことで島原に来るとは、思いもしませんでした。


Jcf5cfbx_s角屋



 入場料は千円です。自動販売機で購入し、チケットを渡して入りました。館内の解説があるとのことでしたが、今日は『源氏物語』だけを見て帰るつもりなので、そのまま展示場へ直行しました。

 島原文芸資料室という一室に、≪源氏物語コーナー≫がありました。
 入って右手のガラスケースに、『源氏物語』の写本が展示されています。
 手前に、江戸時代中期『源氏物語』が54巻揃って展示されていました。しかし、これはチラリと見ただけです。その奥に、目的の「末摘花」が一冊広げて置かれていました。今日は、これとの対面だけで来たのです。
 その写本の上には、見開きの拡大写真と解説がありました。写本は斜めの角度で見ることになり、また見づらいので、この配慮はありがたく思いました。近年、特に目が不自由になったので、こうした心配りには助かります。

 手には取れないのでよくはわかりませんでしたが、ガラス越しに対面した印象では、確かに鎌倉時代の書写のように見受けられます。

 写本とその書写年代を確認しに来たのではないので、すぐに開かれている見開き2頁分の文字を読み取りました。1頁10行書きで、1行には17文字前後書かれています。

 今回展示されていた見開き全文を読み取ったものを以下に示します。
 所蔵者の許可を得てはいませんが、展示された部分の紹介なので、学術的な引用としての掲載です。
 短時間の読み取りだったので、間違いがあるかもしません。ご寛恕のほどを。
 翻刻文にある中黒点(・)は、『源氏物語別本集成 続』(通番号 062539-000〜062611-000)で再確認しやすいように、文節に切った箇所の目印です。


(右頁 『源氏物語別本集成 続』062539-000〜062577-000)

と・のたまへと・たゝ・むゝと・うちわらひて・
くちをもけなるも・いとをしうて・
いて・たまひぬ・御くるま・ひきいれたる・ちう
もん・いと・いたう・よろほひて・あは(△△&あは)れけ
に・あれまとへるに・まつの・雪のみ・あた
たかけに・ふりつめり・よめにこそ・しる
きなからも・かくろふる・事・おほかりけ
れ・かたはらいたき・ことも・おほかり・やまさ
との・心地も・し(新)て
・かの・人/\の・いひし・
むくらの・かとは・かやうならん・ところならむ(ウラ丁)



(左頁 『源氏物語別本集成 続』062577-000〜062611-000)

かし(新)・けに・こゝろくるしう・らうたけ
ならむ・ひとを・こゝに・すへて・うしろめた
う・こひしと・おもひつゝ・しつ心・なく・
ありかはや・あるましき・ものおもひにや・
それに・まきれなんかしと・おもふ・やうな
りぬへき・すみかに・あらぬ・御ありさまを
と・かたくなし(新)と・おほしなから・我ならぬ・
ひとは・まして・みしのひなんや・わか・ゝう
まて・みそめけるは・ちゝみこの・うしろ
めたしと・おほしをきけん・たま(オモテ丁)


 ここで、赤で示した「御くるま」から「心地もして」までの箇所について説明します。

 これは、ガラスケースの中に掲示されていた解説文「角屋蔵『源氏物語』写本末摘花巻の学術的意義について 大阪大学大学院文学研究科准教授 加藤洋介」で、この写本が陽明文庫本と同一系統の本文を持ち、別本に分類される貴重な写本である例として、翻刻とともに例示された箇所です。

 この描写箇所は、末摘花の屋敷の様子を語っているところです。解説文で指摘された、「叙述の順序が逆」で「角屋本にしかない部分」とあるのが、陽明文庫本と一致することになるのです。
 つまり、この例示によって、角屋本が陽明文庫本と近似することが証明されたことになります。
 その詳細は、本ブログの後ろに掲載した「末摘花18本校異」で確認できますので、興味のある方は文字をたどりながらお楽しみください。
 この校異資料では、過日のブログでは収録しなかった「平瀬本」(重要文化財)と「角屋本」(今回の展示箇所で確認したもの)を、異文校合の資料に加えました。そのために、校合に用いた資料は、2本増えて18本となっています。
 なお、平瀬本を確認するに当たっては、豊島秀範先生のご協力とご高配をいただきました。昨夜来、京都と東京を電子情報が飛び交いました。文学の研究が様変わりしたことを、今さらながら実感しました。

 私は、先のブログ「島原での新出『源氏物語』への疑問」(http://blog.kansai.com/genjiito/205)で、次のように書きました。

私が作成している手元のデータベースによると、
「はいをくれたる“いろあひのいみしう”ふるめきたるに」
と報道されている箇所は、新聞記事で「別本」と言われている本文とは言えないのです。いわゆる河内本と言われる本文です。新聞にあげられた本文の箇所は、今回見つかった本が「別本」とされるものだ、という認定には不適当な例示です。



 そして、

今回見つかった本の本文が陽明文庫本と同じで、しかも別本だというのであれば、以下の箇所の確認をすれば一目瞭然です。


として、いくつかのチェック箇所を提案しました。
 この中で指摘した「062560-000」から「062567-000」までが、まさに今回のガラスケースの中の解説で例示されたものでした。

 先のブログでは、

今回の毎日新聞・読売新聞・京都新聞の記事による限りでは、不正確で曖昧な点が多いために、この写本に対する評価の当否を確認できません。


と書きました。特に、京都新聞が記事に引用した例文は、研究者の調査結果を混乱させる、まったく不適切なものでした。

あくまでも、以上に記したことは、この京都新聞に引かれた用例から言えることですが。


と断ったように、今回直接、展示された原本の一部を確認したことにより、加藤洋介氏をはじめとする調査が正しかったことがわかりました。

 私一人が、京都新聞の記事によって疑問を抱いただけだった、という結果になりました。

 なぜこのような不適切な例文が新聞に報道されたのかは、また別の問題なので触れません。
 こんなこともあるのだ、ということで、前回のブログは読み流してください。

 さて、折角ですから、上記引用本文から、いくつかの問題を記しておきたいと思います。


(1)右頁4行目下部に「あは(△△&あは)れけ」とあります。
 これは、下に書かれた2、3文字を削った上に「あは」と重ね書きしてあるものです。この下にかかれていた文字は、諸本が「いとあはれにさひしう」という語句を伝えているところですから、あるいは「いと」なのかもしれません。「さひしう」という語句に関連するものではない、と思われます。
 今回はガラス越しに、本当に中途半端なままで写本の文字を読み取ったので、上記の翻刻がそれらしい翻字の限界です。このなぞられた文字の下の文字は、とても読める状況ではありませんでした。このような削除文字が判明すると、この角屋本が書写された背景がわかってきます。ご教示を待ちたいと思います。
 写本を読む楽しさは、このように、書写した人の姿を思い浮かべることにもつながります。
 最近は、若い方で写本を読む人がメッキリ減りました。現代に受け入れやすい校訂された活字本だけで古典を読むことには、文学を理解する上での限界があります。
 これを機会に、ぜひ一人でも多くの方が、写本を読んでくださることを願っています。
 そして、『源氏物語』の写本はほとんど読まれていませんので、『源氏物語別本集成 続』の翻刻作業にも、お手伝いの協力を申し出てくださることを、お待ちしています。『源氏物語』の古写本を読む人が、一人でも多くほしいのが実情です。外国から来た方にも、『源氏物語』の写本を読んでもらっていることを、この場で告白しておきます。
 日本人としては非常に残念なことですが、これもいたしかたありません。というよりも、これからは、日本語を勉強している海外の方々に、積極的に『源氏物語』の写本を読んでもらおうと思っています。日本の中で、写本を読める人材が枯渇しつつあるので、苦肉の策ではありますが、海外の優秀な方々の援助に移行しようとしています。残念な思いを押し込めながら、これも国際化ということで納得しようとしています。


(2)上記の翻刻本文の中に、「(新)」という文字が3箇所あります。
 これは、角屋本『源氏物語』に書かれたひらがなの「し」の字母が、よく見かける「之」ではなくて「新」となっていることを明示したものです。
 陽明文庫本を読んでいて、この文字に何度も出くわしています。保坂本の第18巻「松風」以降の鎌倉時代の古写本にも、この「新」が見られます。
 私は、この「新」を用いたひらがなを、その写本の一つの識別記号として接しています。
 今回の角屋本にも、こうして「し」の字母として「新」が使われています。
 今、手もとに陽明文庫本がないので、これ以上この問題には立ち入れません。
 調べてみる価値のあることだと思います。


(3)結論として、私はこの角屋本『源氏物語』の本文は、《別本》とするのではなくて、後掲資料からわかるように、〈河内本群〉の中の一つとすべきだと思います。
 この「末摘花」については、まだ詳細な調査をしたわけではありません。
 今回、新資料が見つかったとのことなので、急遽、『源氏物語別本集成 続 第2巻』刊行以降の翻刻を確認整理し、後掲のような本文異同の資料を作成しました。急いでのものなので、その内容の検討はまだできていません。今回の角屋本も、展示された見開きしか翻字できていません。
 ただし、資料を作成する中で、おおよそ次のような見通しは得ています。

 〈河内本群〉=[陽角平御尾高天阿]
 〈別本群〉=[大池国肖善日伏穂保前]

 これまで検討を加えた巻々がそうであったように、この「末摘花」でも、本文の内容は2つに分けられます。そして、細かな異同を大雑把ですがとにかく収斂させると、上記の二つのグループに分別せざるを得ないと思います。
 これまでの池田亀鑑氏による〈写本の形態によるもの〉ではなく、〈本文の内容からの分別〉は2群に別れる、という私案は、この「末摘花」でも確認できそうです。
 ただし、その詳細は後日に、ということでご寛恕を。
 この〈河内本群〉と〈別本群〉という2群に分別する私案は、まだ大方の認知を受けていませんので、今後の課題としておきます。
 当面は、この2群の中をさらに内容に即して、より本文異同の実態に合ったグループに分ける、という検証を続けていくつもりです。



 その他、後掲の校異資料をもとに、いろいろと述べたいのですが、それは場所を改めてのことにしましょう。
 興味のある方は、複雑な資料ですが、謎解きだと思って眺めていただければ、と思っています。そして、何かお気付きになりましたら、お知らせください。
 さまざまに伝えられて来た『源氏物語』の本文について、一緒に考えていきましょう。

 この資料を通して、『源氏物語』の本文研究が、池田亀鑑が提唱した「青表紙本」「河内本」「別本」という系統論以来、実に70年もの長きにわたり停滞していたことを実感してほしいと思います。
 その間、池田氏ご推奨の大島本だけを、微に入り細に渡って読むことによって、『源氏物語』が受容されてきたのです。この異常さには、ほとんどの方が無自覚で来ました。
 陽明文庫本を底本とした『源氏物語別本集成』の意味が理解してもらえたのは、本当に最近です。それも、まだほんの一部の方々だけであることが残念です。ただし、今みんなで読んでいる大島本とは何なのか、という機運が近年生まれたのは、少なからず『源氏物語別本集成』の成果の一つだと思っています。
 これから『源氏物語』を読む方々には、写本に立ち戻って読みはじめませんか、と語りかけたいと思います。そして、その写本としては、大島本だけではなくて、陽明文庫本や池田本や天理河内本が対象となるべきです。いろいろな本文として伝えられた『源氏物語』を、さまざまな嗜好で選択して読む時代になってほしいものです。

 角屋本『源氏物語』を見た後、ブラブラと大門まで歩きました。
 その途中で、紙の束を軒先で売っているのを見かけました。


Qntwc2vq_s和紙



 おもしろい紙があったので、5束ほどいただきました。郵便受けにお金を入れるのがいいですね。

 そして、大門を見上げながら、江戸時代の賑わいを想像しようとしました。


M4iewcel_s大門



しかし、いかんせん、その想像の源である知識が皆無です。
 とにかく、ここがあの……、と思うフリをしながら壬生通りへ出て、島原口からバスで自宅に帰りました。






《参考資料》角屋本の展示箇所の校合資料
「末摘花」18本校異(2008.3.15作成)

陽明本(1)
 御物本(1)[御]
 尾州河内本(1)[尾]
 高松宮本(2)[高]
 天理河内本(2)[天]
 阿里莫(1)[阿]
 大島本(1)[大]
 池田本(2)[池]
 国冬本(2)[国]
 肖柏本(2)[肖]
 善本叢書(2)[善]
 日大三条西本(2)[日]
 伏見天皇本(2)[伏]
 穂久邇本(2)[穂]
 保坂本(2)[保]
 前田本(2)[前]
 平瀬本[平](角屋展示箇所のみ)
 角屋本[角](展示箇所確認のみ)


むすほゝるらん」と[平尾高天阿池国善日伏穂保前]・・・・062539-000
 むすほをるらむ」と[御]
 むすほゝるらむ」と[大肖]
 ■■■■■■■と/と〈改頁〉、■〈未確認〉[角]
 むすほゝるらん」と/ココカラ確認[平]
のたまへと[角御尾高天善伏穂保]・・・・062540-000
 の給へと[平阿大池国肖日前]
たゝ[角平御尾高天阿池国肖善日伏穂前]・・・・062541-000
 たた[大]
 ナシ[保]
むゝと[角平尾高天阿池国肖善日穂保前]・・・・062542-000
 うらと[御]
 むくと/く=む〈墨〉イ〈朱〉、傍〈削〉[大]
 むと[伏]
うちわらひて・・・・062543-000
くちをそけなる△・・・・062544-000
 くちをもけなるも[角]
 いとくちおそけなるも[御]
 くちをそけなるも[平尾高天阿]
 いとくちをもけなるも[大池善日伏前]
 いとくちおもけなるも[国肖穂保]
いとをしうて[角]・・・・062545-000
 いとおしけれは[御阿大肖保]
 いとおしけなれは[尾天]
 いとをしけなれは[平高]
 いとをしけれは[池国善日伏前]
 いとをしけれは/け〈改頁〉[穂]
いて[角平御尾高天大池国肖善日伏穂保前]・・・・062546-000
 出[阿]
給ぬ[平御尾高阿国肖善伏穂保]・・・・062547-000
 たまひぬ[角天]
 給ひぬ[大池日前]
御く△ま/く〈判読〉・・・・062548-000
 御くるま[平角御尾高天池国善日伏]
 御車[阿大肖穂保前]
ひきいれたる[角平尾高天]・・・・062549-000
 よせたる[御大池国肖日伏穂保前]
 いれたる[阿]
 よせたり[善]
中門の[国肖善穂]・・・・062550-000
 中もんの[御池日伏保]
 中門[平尾高天]
 ちうもん[角阿]
 中もむの[大前]
いと[角平御尾高天大肖善日伏穂保前]・・・・062551-000
 ナシ[阿]
 ナシ/+いと[池]
 いと/=△[国]
いたう[角]・・・・062552-000
 いたくゆかみ[平御尾高天阿穂]
 いたうゆかみ[大池国肖日伏保前]
 いたう/た〈改頁〉、う+ゆかみ[善]
よろほひて[角]・・・・062553-000
 よろほひてよめにこそよろつしるきなからもかくろえたることおほかりけれいと/前2よ〈改頁〉[平]
 よろほいてよめにこそしるきなからもよろつかくろへたるところおほかりいとかたはらいたき事おほかりいと[御]
 よろほひてよめにこそよろつしるきなからもかくろへたることおほかりけれいと[尾]
 よろほひてよめにこそよろつしるきなからもかくろへたることおほかりけれ[高]
 よろほひてよめにこそよろつのしるきなからもかくろへたることおほかりけれ/の〈改頁〉、の$[天]
 よろほひてよめにこそよろつしるきなからもかくろへたる事おほかりけれいと[阿]
 よろほひてよめにこそしるきなからもよろつかくろへたる事おほかりけれいと[大前]
 よろほいてよめにこそしるきなからもよろつかくろへたる事おほかりけれ/2よ〈改頁〉[池]
 よろほひてよめにこそしるきなからもよろつかくろへたる事おほかりけれ/れ=△[国]
 よろほひてよめにこそしるきなからもよろつかくろへたる事おほかりけれ[肖日]
 よろほひてよめにこそしるきなからもよろつかくろえたる事おほかりけれ[善]
 よろほひて夜めにこそしるきなからもよろつかくろへたる事おほかりけれ[伏]
 よろほひて夜めにこそしるきなからもよろつかころへたる事おほかりけれいと[穂]
 よろほいてよめにこそしるきなからもよろつかくろへたる事おほかりけれいと[保]
あはれけに・・・・062554-000
 あはれけに/△△&あは[角]
 あはれにさひしく[御大穂保前]
 あはれにさひしう[平尾]
 いとあはれにさひしう[高善]
 いとあわれにさひしう[天]
 哀にさひしく[阿]
 いとあはれにひさしく/ひ=さひイ、[池]
 いとあはれにさひしく/さ〈改頁〉[国]
 いと哀にさひしく[肖]
 いとあはれにひさしく/〈改頁〉[日]
 いとあはれにさひしく[伏]
あれまとへるに[角御大池国肖善日伏穂保前]・・・・062555-000
 あれまとへるかたはらいたき事おほかり/る±に[平]
 あれまとへるにかたはらいたきことおほかり[尾高天]
 あれまとれるにかたはらいたき事おほかり[阿]
まつの[角御尾高天大池日伏]・・・・062556-000
 松の[阿国肖善穂保]
 松の/「ふりつみてあたゝかけ△にもみゆる哉雪にも松の今△△りけれ」〈行間〉[前]
ゆきのみ[平御尾高天大池日]・・・・062557-000
 雪のみ[角阿国肖善穂保前]
 ゆきのみ/の〈改頁〉[伏]
あたゝかけに[平]・・・・062558-000
 あたたかけに[角]
ふりつめり[角平御尾高天]・・・・062559-000
 ふりつめる[阿大池国肖善日伏穂保前]
よめにこそ[角]・・・・062560-000
 ナシ[平御尾高天阿大池国肖善日伏穂保前]
しるきなからも[角]・・・・062561-000
 ナシ[平御尾高天阿大池国肖善日伏穂保前]
かくろふる[角]・・・・062562-000
 ナシ[平御尾高天阿大池国肖善日伏穂保前]
事[角]・・・・062563-000
 ナシ[平御尾高天阿大池国肖善日伏穂保前]
おほかりけれ[角]・・・・062564-000
 ナシ[平御尾高天阿大池国肖善日伏穂保前]
かたわらいたき・・・・062565-000
 かたはらいたき[角]
 ナシ[平御尾高天阿大池国肖善日伏穂保前]
事も・・・・062566-000
 ことも[角]
 ナシ[平御尾高天阿大池国肖善日伏穂保前]
おほかり[角]・・・・062567-000
 ナシ[平御尾高天阿大池国肖善日伏穂保前]
山さとの[阿大肖伏保]・・・・062568-000
 やまさとの[角平御尾高池日]
 山里の[天国善穂前]
心ちも/心〈判読〉・・・・062569-000
 心ちも[角]
 心ち[平御尾高天阿大池国肖善日伏穂保前]
して[角]・・・・062570-000
 してものあはれなるお[御]
 してものあはれなるを[平尾高大国善伏]
 して物あわれなるを[天]
 して物あはれなるを[阿池日穂保]
 して物哀なるを[肖]
 して物あはれなるを/物〈改頁〉[前]
かの・・・・062571-000
人々の[角平御尾高天阿大池国肖日伏穂保前]・・・・062572-000
 ひと/\の[善]
いひし・・・・062573-000
むくらの[角平御尾天阿大池国肖善日伏穂保]・・・・062574-000
 むくらの/〈改頁〉[高]
 むくらの/=△△△[前]
かとは[角平御尾高天大池肖善日伏穂保前]・・・・062575-000
 門は[阿国]
かやうなる[平御尾高天善伏穂]・・・・062576-000
 かやうならん[角]
 かやうならんかし[阿]
 かうやうなる[大池国肖日保前]
所ならむかし・・・・062577-000
 ところならむかし/か〈改頁〉[角]
 ところならむかし[御高]
 ところならんかし[平尾]
 所ならんかし[天]
 ナシ[阿]
 所なりけむかし[大池日穂]
 ところなりけんかし[国]
 所也けんかし[肖]
 所なりけんかし[善伏保前]
けに・・・・062578-000
こゝろくるしう[角]・・・・062579-000
 心くるしう[御善穂]
 心くるしく[平尾高天阿大池肖日伏保前]
 こゝろくるしき/き$く[国]
らうたけならん[尾高天阿大池国肖伏保前]・・・・062580-000
 らうたけならむ[角御善日]
 らうたけならむ/=ら、ら&前ら[平]
 らたけならむ[穂]
人を[平御尾高天阿大池日伏穂保前]・・・・062581-000
 ひとを[角国善]
 人を/を〈改頁〉[肖]
こゝに・・・・062582-000
すへて[角御天阿池国肖善日伏穂前]・・・・062583-000
 すゑて[平尾高大]
 すへて/〈改頁〉[保]
うしろめたう[角大池国肖善日伏保前]・・・・062584-000
 うしろめたく[平御尾高天阿穂]
こひしと[角御池肖善日保]・・・・062585-000
 ナシ[平尾高天阿]
 恋しと[大国前]
 恋しう[伏]
 こひしと/〈改頁〉[穂]
思ひつゝ・・・・062586-000
 おもひつゝ[角御尾天]
 思ひつゝ/つ〈改頁〉[平]
 思つゝ[高阿]
 おもはゝや[大池日伏穂保前]
 思はゝや[国]
 おもははや[肖]
 をもはゝや[善]
しつ心[角平御高天阿]・・・・062587-000
 しつこゝろ[尾]
 ナシ[大池国肖善日伏穂保前]
なく[角平御尾高天阿]・・・・062588-000
 ナシ[大池国肖善日伏穂保前]
ありかはや[角平御尾高天阿]・・・・062589-000
 ナシ[大池国肖善日伏穂保前]
あるましき[角平御尾高阿大池国善日伏穂保前]・・・・062590-000
 有ましき物[天]
 あるましき/=藤ツホ[肖]
思ひは/ひ〈改頁〉・・・・062591-000
 ものおもひにや[角]
 ものおもひは[平尾高大国伏]
 ものをもひは[御善]
 おもひは[尾高天]
 物おもひは[阿池日穂保]
 物思ひは[肖前]
それに[角御大池国肖善日伏穂保]・・・・062592-000
 ナシ[平尾高天阿]
 それに/=夕顔事[前]
まきれなんかしと[角平尾高天阿国善日伏前]・・・・062593-000
 まきれなむかしと[御大肖穂保]
 まきれなんかしと/か〈改頁〉[池]
思ふ[保]・・・・062594-000
 おもふ[角御尾高大池国日伏前]
 思[平天阿肖善穂]
やうなる[御大池国肖善日伏穂保前]・・・・062595-000
 やうなりぬへき[角]
 やらるへき[平]
 やうなへき[尾天]
 やうなるへき[高阿]
すみかに[角平尾高天阿大池国肖善日伏穂保前]・・・・062596-000
 すみかには[御]
あはぬ[御阿大池国善日伏前]・・・・062597-000
 あらぬ[角平尾高天穂]
 あはぬ/=スヘツム也[肖]
 ナシ[保]
御ありさまをと[角]・・・・062598-000
 御ありさまは[御大池善日保前]
 御ありさまを[平尾高天阿]
 御有様は[国]
 御有さまは[肖伏穂]
かたくなしと[角]・・・・062599-000
 とるへきかたなしと[御大池国善伏穂]
 とるかたなしと[平尾高]
 とるかたなしと/後と〈改頁〉[天]
 とる方なしと[阿]
 とるへき方なしと[肖日]
 とるへき所なしと[保]
 とるへきかたなしと/かた$ところ[前]
おほしなから[角平尾高天]・・・・062600-000
 おほすものから[御]
 おもほしなから[阿]
 思ひなから[大善伏前]
 おもひなから[池国日保]
 思なから[肖穂]
われならぬ[平御尾高天大池国伏]・・・・062601-000
 我ならぬ[角阿善穂保前]
 我ならぬ/=源[肖]
 われならぬ/〈改頁〉[日]
人は[平御尾高天阿大池肖日伏穂保前]・・・・062602-000
 ひとは[角国]
 ひとは/〈改頁〉[善]
まして[角平御尾高天大池国肖善日穂保前]・・・・062603-000
 まいて[阿]
 まして/〈改頁〉[伏]
みしのひなんや[角平天]・・・・062604-000
 みしのひなむやと/や△&なむ[御]
 見しのひなんや[尾高善]
 みしのはんや[阿]
 見しのひてむや[大]
 みしのひてんや[池穂]
 見忍ひてんや/や〈改頁〉[国]
 見しのひてんや[肖日伏保]
 みしのひてむや[前]
我[善]・・・・062605-000
 わか[角平御尾高天大池国肖日伏穂保前]
 われ[阿]
かうまて・・・・062606-000
 ゝうまて(かうまて)[角]
 ゝくまて(かくまて)[平御尾]
 かくまて[高天阿]
 かうて[大肖善日保前]
 ゝうて(かうて)[池国伏穂]
みそめけんは・・・・062607-000
 みそめけるは[角御]
 見なれそめけるは[尾高]
 みなれそめけるは[平天]
 見なれなめけるは[阿]
 見なれけるは[大池善日伏]
 みなれけるは[国肖穂前]
 みなれたるは[保]
ちゝみこの[角平尾天]・・・・062608-000
 こみやの[御]
 ちゝみこの/=常陸宮[高]
 父御子の[阿]
 こみこの[大池国肖善日伏穂保]
 こみこの/=ひたちの宮[前]
うしろめたしと/う&後し・・・・062609-000
 うしろめたしと[角平御尾高天阿大池国肖善日伏穂保前]
おほしをきけむ・・・・062610-000
 みをき給けむ[御]
 おほしをきけん[角平尾天]
 をほしをきけん[高]
 おもほしけん[阿]
 たくへをきたまひけむ[大日]
 たくへをきたまひけん[池]
 たくへをき給けん[国肖伏]
 たくえをき給けん[善]
 たくゑをき給けん[穂]
 たくへをき給ひけん[保前]
たましゐの[御天阿肖善保前]・・・・062611-000
 たま■■■/まマデ確認[角]
 たましひの[尾高大池国日伏]
 たましひの/ココマデ確認[平]
 たましいの[穂]





2008年3月14日 (金)

心身(11)トイレを間違える

 周章てて飛び込んだトイレで、しばし思考停止となりました。小便器がないのです。
 アレッと思って大急ぎで入口の表示を見ると、小さく女性の絵がありました。
 慌てて、隣の男性の絵がある所に入りました。

 以前、「トイレ表示 なぜ男は青、女は赤?」(2007年10月23日(火))と題して、次のような記事を書きました。

http://blog.kansai.com/genjiito/84

 トイレの色分けについてです。

 今日の間違いは、まったく同じ色調の入口で、手前が男性用が多いように思っていたことによるものです。後でよく見ると、男女の違いは、手前が女性用で小さな赤いプレートが入口に貼ってあり、奥が男性用で小さな黒い絵が貼ってあるだけでした。

 トイレの設置者に、ここでお願いがあります。
 室内の色調を、日本での常識となっている、女性用はピンク、男性用はブルー、にしてもらえませんでしょうか。

 たまたま中に何方もいらっしゃらなかったので、大きな問題にもならずに済んだのです。もし誰かがいらっしゃったら、と思うと、今でもヒヤリとします。
 ヤラセの痴漢被害ではないですが、通報されたら、たとえ単なる間違いであっても、女性に媚び諂う現代日本社会では、もう万事休すです。男と女の微妙な問題を抱え込むことになります。

 年とともに、注意力が散漫になって行くことを自覚する日々です。
 トイレは、家にいても外出しても、必ず身に関わることです。高齢化社会では、特に外では注意が必要です。

 こう書きつつ、以前書いたブログを思い出しました。

http://www.npo-genjimonogatari.org/blog/genjiito/index.php?categ=1&year=&month=9&id=1157808616


http://www.npo-genjimonogatari.org/blog/genjiito/index.php?categ=1&year=&month=12&id=1103309713


 男女の問題は、なかなか根が深いものです。

 男性にとっては、異人種の女性との共生は、なかなかつらいものがあると思っていますが、いかがでしょうか。





2008年3月13日 (木)

皆で使える無線LANの公開

 「FONコミュニティ」というものがあります。私は、これに最近参加しました。
 iPod-touchを使い出してから、街中で無線のアクセスポイントを探し回るようになりました。そして、無料で利用できるポイントが、なかなか見つからないのです。そんな時に、WiFiルーターのLa Foneraというものを知りました。

 FONというのは、世界最大級のWiFiコミュニティと言えるでしょう。FON はWiFiを世界中に無料で広げようとするコミュニティです。そのFONコミュニティのメンバーのことを、Fonero(フォネロ)と呼びます。このフォネロが世界各地で無線サーバーを立ち上げ、無線のアクセスポイントを至るところに設置できれば、無線はさらに便利になります。WiFi接続を世界中で可能にすることは、意義のあることです。

 現在はまだその登録ユーザーが少ないために、WiFi使用が可能な範囲は、まだまだです。しかし、地道に登録ユーザーが増えれば、無線の環境は飛躍的によくなります。

 このFONは、無線のLAN接続ポイントを、ユーザー同士で共有して利用すると所が画期的です。

 このユーザーになるためには、専用の無線LANルーター「ラ・フォネラ」というものを購入して設置することから始まります。


 http://maps.fon.com/index.php?lang=jpCa2o4rid_sフォネラ



 私は、この道具を、大阪駅北口にあるヨドバシカメラのさらに北にある、「ツクモ電気」で買いました。ここでは、定価1980円の「ラ・フォネラ」が、千円で買えるのです。

 早速、京都の自宅に設置しましたので、賀茂川を散策なさる折にでも、拙宅の無線LANをご自由にお使いください。私も、いろいろなユーザーが公開されているアクセスポイントを利用させていただきます。

 興味のある方は、以下のホームページをご覧ください。

http://www.fon.com/jp/info/whatsFon

 また、自分が住む街では、どこでアクセスポイントが公開されているかを、次のホームページで知ることができます。

http://maps.fon.com/?lang=jp

 実は、私の家にもこのアクセスポイントが設置されていることが、上記ホームページで確認できます。これはもう、みんなの助け合いなのです。

 一緒に、無線LANを利用しあう仲間になりませんか。
 自分の無線アクセスポイントを公開する代わりに、他人のアクセスポイントを貸してもらえるのです。皆で利用しあうネット接続のポイントだと思えばいいのです。

 プライベートな家庭内と、他のFONユーザーとの共有用のアクセスポイントが使い分けられるので、本当に便利です。

 みんなで便利な通信環境を確立するためには、営利企業に任せきりのままではいけないと思います。皆で、「FONコミュニティ」を、というところに、大きな魅力があるのです。



2008年3月12日 (水)

島原での新出『源氏物語』への疑問

 京都の遊郭として知られた島原で、鎌倉時代の古写本『源氏物語』の「末摘花」が確認されたとのニュースが報じられました。
 毎日新聞、読売新聞、京都新聞で記事を確認しましたが、一番詳しい京都新聞から引きます。


鎌倉後期の源氏物語写本か
下京・角屋所蔵の「末摘花」

鎌倉後期の貴重な別本であることが分かった源氏物語「末摘花」の写本(京都市下京区・角屋)
〈写真省略〉

 江戸時代以来の花街・島原の揚屋「角屋(すみや)」を管理する角屋保存会(京都市下京区、中川清生理事長)が所蔵している源氏物語「末摘花(すえつむはな)」写本が、鎌倉後期の書写とみられることが分かり、保存会が10日発表した。伝本の中でも、主流の「藤原定家本」などとは別系統の別本で、重文の陽明文庫本と類似し、関係者は「完本なら重文級」と驚いている。
 写本は16センチ四方で65ページ。表紙や前後数ページが失われていた。専門家が調査したところ、変体仮名の使用や墨の色などが、鎌倉後期の特徴を示していた。
 他の本と比べ、筋書きに大きな違いはないが、例えば、末摘花が光源氏への歌を書き付ける紙の描写が、定家本の「灰おくれ(色がさめ)古めいたるに」に対し、「はいをくれたる“いろあひのいみしう”ふるめきたるに」と詳しい表現になっているという(“”内は定家本にはない部分)。
 角屋に伝わったいきさつは不明だが、江戸時代に別本は現在ほど高く評価されておらず、文化人としても知られていた角屋当主が、宮家や貴族との交流の中で与えられた可能性が高いという。
 調査に携わった加藤洋介・大阪大文学研究科准教授(平安文学)は「定家以前の平安期の異本の可能性がある。陽明文庫本系統の本がもう一つ見つかったことで、当時かなり普及していた可能性がある」と話している。
 この写本は、15日から7月18日まで、角屋で一般公開される。月曜(祝日の場合は翌日)休館。入場料が必要。
 ■源氏物語別本
 伝本の中で主流の定家本(青表紙本)と源親行書写の「河内本」以外の諸本。「陽明文庫本」や京都御所の東山御文庫本など十数点が知られる。定家以前の本を伝える可能性があり、現存しない紫式部の原本を復元する上で貴重な資料とされる。
(2008年3月11日(火))



 この記事で、『源氏物語』の本文を3系統に分別する旧説によって説明されていることの妥当性は、今は措きましょう。一般の読者を想定しての新聞記事ですから、専門的な立場からの発言は控えます。
 ただし、ここで気になることがあるので、確認のためにも、私見を記しておきます。
 引用文において、赤で示した部分をご覧ください。

 「重文の陽明文庫本と類似」とあることです。
 私は現在『源氏物語』の古写本の調査を進めています。
 その詳細は、次の2つのブログでふれています。

http://blog.kansai.com/genjiito/73

http://blog.kansai.com/genjiito/90

 特に陽明文庫本については、現在刊行中の『源氏物語別本集成 続』全一五巻(伊井春樹・伊藤鉄也・小林茂美編、平成一七〜刊行中、おうふう)の底本でもあり、丹念に写本を確認しているところなので、大変興味を持って今回の記事を読みました。

 私が作成している手元のデータベースによると、
「はいをくれたる“いろあひのいみしう”ふるめきたるに」
と報道されている箇所は、新聞記事で「別本」と言われている本文とは言えないのです。いわゆる河内本と言われる本文です。新聞にあげられた本文の箇所は、今回見つかった本が「別本」とされるものだ、という認定には不適当な例示です。
 この部分の本文異同を示しましょう。


はゐをくれたる・・・・061829-000
 はいおくれたる[御]
 ゝひをくれたる(はひをくれたる)[尾]
 はひをくれたる[高天阿]
 はひをくれ[大肖善伏穂前]
 ゝひをくれ(はひをくれ)[池日]
 はひをくれ/れ±て[国]
 はいをくれ[保]
いろあひの[尾高天]・・・・061830-000
 いろあいの[御]
 色あひの[阿]
 ナシ[大池国肖善日伏穂保前]
いみしう[尾高天]・・・・061831-000
 いみしく[御阿]
 ナシ[大池国肖善日伏穂保前]
ふるめきたるに[御尾高天阿]・・・・061832-000
 ふるめいたるに[大池国肖善日伏穂保前]


 ここであげた[御]などの、漢字1文字の略号は、以下の写本の語句を示しています。

 陽明本(1) 今回の本文異同を示すにあたっての底本
 御物本(1)[御]
 尾州河内本(1)[尾]
 高松宮本(2)[高]
 天理河内本(2)[天]
 阿里莫(1)[阿]
 大島本(1)[大]
 池田本(2)[池]
 国冬本(2)[国]
 肖柏本(2)[肖]
 善本叢書(2)[善]
 日大三条西本(2)[日]
 伏見天皇本(2)[伏]
 穂久邇本(2)[穂]
 保坂本(2)[保]
 前田本(2)[前]

 ここで、(1)とあるのは『源氏物語別本集成』全一五巻(伊井春樹・伊藤鉄也・小林茂美編、平成元〜一四年、おうふう)で公開したものです。(2)とあるのは、前出の『源氏物語別本集成 続』で公開したものです。

 これは、陽明文庫本を底本とした16種類の各種伝本の本文の違いを、簡便に一覧できるようにしたものです。

 ここからわかることは、今回新聞にあげられた例文としての本文が、陽明文庫本と同じことはわかりますが、それは河内本と言われる本に共通するものであり、ことさら別本とすべきものではないのです。この例に関する限りは、何ということはない河内本です。つまり、私が提唱している〈河内本群〉に属する本文です。

 今回見つかった本の本文が陽明文庫本と同じで、しかも別本だというのであれば、以下の箇所の確認をすれば一目瞭然です。



文節通番号  陽明文庫本   御物本     尾州家本  大島本

060084-000 をり/\    ナシ      ナシ    ナシ
060085-000 あり      ナシ      ナシ    ナシ

060799-000 たえて     たへて/$こと ナシ    ナシ
060800-000 え       ナシ      ナシ    ナシ

061094-000 さ       ナシ      ナシ    ナシ
061095-000 ありしはかりに ナシ      ナシ    ナシ

062560-000 よめにこそ   ナシ      ナシ    ナシ
062561-000 しるきなからも ナシ      ナシ    ナシ
062562-000 かくろふる   ナシ      ナシ    ナシ
062563-000 事       ナシ      ナシ    ナシ
062564-000 おほかりけれ  ナシ      ナシ    ナシ
062565-000 かたわらいたき ナシ      ナシ    ナシ
062566-000 事も      ナシ      ナシ    ナシ
062567-000 おほかり    ナシ      ナシ    ナシ



 少し専門的になりますが、この「末摘花」の巻においても、本文は〈河内本群〉と〈別本群〉という2つに分別されるべきであり、陽明文庫本の本文は〈河内本群〉に属する、としたほうが、本文の実態に即したグルーピングとなります。
 定家本とか〈いわゆる青表紙本〉と言われているものをどう理解するかは、この巻でも問題を提起してきます。今回見つかったとされる古写本の本文の検討を通して、『源氏物語』の本文について、さらに議論を深める意義は、大いにあると言えましょう。

 今回の毎日新聞・読売新聞・京都新聞の記事による限りでは、不正確で曖昧な点が多いために、この写本に対する評価の当否を確認できません。
 時々刻々流動する時流を報じる、新聞の使命を達成するのも大変でしょう。しかし、可能ならば、正確な記事を発表してほしいものです。これでは、憶測で混乱させるだけの、興味本位の記事といわざるを得ません。
 記事に自信があるのならば、もっと正確な報道をすべきです。この記事から判断する限りでは、これは勇み足、と評する以外にないものです。正しい根拠が示されずに、あたかもこれまでになかった貴重な本文資料が見つかったかのような誤解を、一般の方々に与えるからです。
 あくまでも、以上に記したことは、この京都新聞に引かれた用例から言えることですが。

 もし、この記事が正確なものであるならば、関係者の方は、上記の本文の項目をチェックしていただきたいと思います。これがクリアできたならば、改めてこの写本の重要性が認められると思います。




2008年3月11日 (火)

春の美術展「白いろ黒展」

 源氏絵でがんばっている植村佳菜子さんが、仲間と作品展を開催します。
 題して「白いろ黒展」。

Shwuadqq_s案内状


 場所は、京都市役所の北にある「ギャラリー a」。
 期間は、今月の25日(火)から4月6日(日)までです。

 こんな作品のようです。

Qy5oz9_c_s作品



 抽象画ということで、私には何度見ても (?) ですが、よろしかったら立ち寄ってみてください。


源氏千年(15)アイデア市の源氏物語

 ショッピングセンターの催し物広場で開催されていたアイデア市で、源氏物語のコーナーがあるのを見つけました。

 今の京都は、至る所で源氏千年にあやかった催し物があります。


Nvgijmar_sアイデア市



 アイデア商品フェアというのは、いろいろな面白グッズがあり、日常生活の盲点を照らし出してくれる商品で楽しませてもらえます。私は、こんなイベントが大好きです。
 そのアイデア市で、『源氏物語』に関するグッズが並べられていました。


Z5guty5l_s源氏コーナー



 『源氏物語』も、こんな商品価値があるのですね。源氏絵を中心とした品物が並んでいます。
 しかし、絵は稚拙ですし、値段も高いように思います。ブームにあやかった企画としか言いようがありません。

 こんな所には、『源氏物語』は持ち出さないでほしいと思います。
 アイデア市のポリシーと、『源氏物語』というものが、あまりにも次元を異にするものだからです。
 『源氏物語』の文化としての価値は、それなりに保っておきたいものです。思いつきによる面白グッズとのコラボレーションは、かみ合うところがないものです。その商品価値は、このアイデア市とは、大きく隔たるものだと思います。

 『源氏物語』の普及・広報の意味は、こうしたイベントに負ってもらう必要はないと思われます。また、このアイデア市には馴染まないと思います。
 いくら源氏千年だからといって、あまり茶化さないでほしいし、便乗商法も控えてもらいたいものです。かえって軽薄な文化を牽引するものに脱してしまいはしないかと、そのことが心配です。



2008年3月10日 (月)

仮死状態のノートパソコン

 ウンともスンとも言わなくなったノートパソコン(MacBook Pro 17inch)を、アップルストアで見てもらいました。

Tobimtsc_sMacBook Pro


 しかし、対面窓口であるジーニアスバーのカウンターでは生き返らず、奥の部屋でメモリを外すなどをして蘇生を図ってもらうことになりました。しかし、それでもだめでした。

 理由は、ロジックボード(一般的にはマザーボード)が壊れているとのこと。
 これは、電子回路の基盤で、コンピュータの基幹部分です。これが壊れているために、電源からして入らないそうです。私が一体何をしたと言うのだ、と訴えたかったのですが、それも無意味なことです。何でも、壊れる時には壊れ、死ぬ時には死ぬのですから。
 打つ手は、と聞いても、ボードの交換しかないだろう、と。
 ハードディスクは壊れていないと思われるので、データは助けることができそうです。しかし、それでも10日ほどはかかるそうです。
 私がよくやる、分解して部品を取り出すことも考えたのですが、一度個人で分解すると、補償の対象から外れるそうです。ハードディスクだけでも取り出して、データを大至急吸い出したいのですが、とにかくボード交換という大手術以外に手はないので、後々のことを考えると、ここはジッと我慢のしどころのようです。技術的には、私の手で何とかできても、それでは後が面倒になるだけなのです。

 修理代金が5万円以上とのことなので、考え込んでしまいます。
 このノートパソコンは1年半前に購入したもので、メモリを2ギガバイト積んでおり、その他いろいろとオプションを着けているので、40万円ほどのハイスペックなマシンとなっています。その修理費が1割ほどなので、そんなものかとは思いますが、一度壊れたものはその癖をズッと引きずることが多いので、直すかどうかは思案のしどころです。

 人間もそうですが、パソコンもいつかは壊れるものなので、ハードウェアにあまり未練はありません。しかし、壊れる直前までに作成していた文書は、1日も早く取り出したいものです。

 めったにないと言われることが、またまた私の身に起こってしまったのです。
 本当に、機械運がわるいな、と納得の日でした。



2008年3月 9日 (日)

またパソコンが休眠

 パソコンとの付き合いも20年を超すと、突然のトラブルにも動じなくなります。

 京都の自宅で使っていたノートパソコンが、どうしたわけか死んだフリをしています。
 溜まりに溜まった仕事で、いろいろな文書を書いていた時のことでした。コーヒーを飲むために台所へ行き、そして戻ってきた時に、愛用のパソコンがスリープ状態になっていました。今日はやけに早く休んでいるな、と思い、スリープを解除しようとしたのですが、ウンともスンとも言いません。いろんなことをした揚げ句の果てに、どうしようもなくて諦め、パワーボタンを長押しして強制終了しました。
 そして、やおら再度電源を入れたのですが、ハードディスクにアクセスをしません。つまり、パソコンのシステムが起動しないのです。

 それ以降、何度も電源を入れるのですが、まったく動かないのです。

 半日かけていろいろなことをしましたが、永の眠りについていると判断する以外にありません。修理に出すことで、それ以上の対処は放棄しました。

 今日は幸運なことに、席を立つ前に、それまで作成していた文書を保存していたのです。
 これまでに幾度となく、作成途中の文書をパソコンの不調で復活できなかったことを、いやというほど体験しています。先週も、先々週も、大事な文書を、2度も失い、思い出しながら何とか作り直しました。
 あほらしい、という思いで書く文章なので、ないよりもまし、という程度のできであることは、自分が一番よくわかっています。

 その点だけでも、今日は被害がハードウェアだけだったのでよしとしましょう。

 急遽、もう使わなくなったパソコンを取り出して、こうしてブログを書いています。

 まだまだ完成していない情報文具を相手に、今後ともこうした臨機応変の対処を求められるのでしょう。
 パソコンのない生活は、というより社会は考えられないので、依存し過ぎないように心がけながら、適当に付き合っていくしかないようです。

 私は、数年前から意識的にパソコン離れをしているので、こうして被害と落胆をまともに食わないようになりました。
 パソコンは便利な情報文具なので、適度な距離をもって、有効に生活の中で使いこなしていきたいものです。



2008年3月 8日 (土)

源氏千年(14)京都国際マンガミュージアム

 松栄堂さんの前の烏丸通りを隔てた左側に、京都国際マンガミュージアムがあります。というよりも、地下鉄烏丸御池駅を出てすぐ、と言った方がわかりやすいでしょう。
 2006年11月に開館しました。
 

博物館



 まだ新しいので、知らない人が多いと思います。館長は、養老孟司氏です。
 ここは、元龍池小学校の建物と跡地を活用した施設です。中を歩くと、昔の小学校の教室や階段を思い出させてくれます。

 この博物館の収蔵資料が、今年度末までに30万点になるそうなので、世界一といえましょう。
 私は、マンガの立ち読みが目的でない方は、まずは地下の「研究展示ギャラリー」から見られることをお勧めします。
 収蔵庫に並ぶ漫画雑誌は圧巻です。マンガが文化を形成する一つになっていることが、このガラス越しの対面で実感できます。

 1階から3階までの壁面の本棚には、ぎっしりと[的場文庫]のマンガが詰め込まれています。どれでも自由に手に取って読めるので、昔読んだマンガに読み耽ることができます。とにかく多いので、コンピュータの端末で検索して探し当てるようになっています。

 昭和の時代の紙芝居の実物も、たくさん展示してあります。これも楽しいものです。
 今年は源氏千年ということもあり、実演紙芝居で新作の「らぶらぶら〜ぶ」(?)がありました。ただし、その内容は未確認です。

 京都新聞によると、こんな記事がありました。

源氏物語千年紀」にちなんで作ったオリジナル作品では、「平安時代の人はどのように求愛したか」、「紫式部は、なぜ式部というのか」などクイズ形式で紙芝居を進めていき、正解者にプレゼントを贈って会場を盛り上げた。( 2008年2月19日)


 紙芝居で『源氏物語』を知ってもらうのもいいですね。日本の古典文学や平安時代について、この紙芝居でやることによって、その裾野をひろげることが可能ですね。海外の方にも、とりあえずは『源氏物語』を、というときに便利なコミュニケーションの手段となりそうです。


 1階の特集コーナーで、「マンガで観る 源氏物語の世界」と題する企画が行われています。


6emxrebx_sマンガ源氏



 16種類の『源氏物語』をテーマとしたマンガ本が並べてあり、自由に読むことができます。
 先月出版された『芸術新潮』が、右下にあります。これは源氏絵の解説書とでも言うべきものなので、ないほうがテーマが統一できてよかったのではないでしょうか。

 私は、『月下の君』(嶋木あこ、小学館)と『源・氏・物・語』(にしおてつや、一橋出版)は読んでいなかったので、早速ネットで注文しました。ここにない本がいくつもあるので、さらに収集を続けてもらいたいと思います。



2008年3月 7日 (金)

お香と『源氏物語』

 京都の烏丸丸太町と烏丸御池の間に、お香でよく知られている松栄堂があります。

0ne7qxwg_s松栄堂本店


 そこで、かわいいお地蔵さんの香炉を求めました。
 渦巻型のお香を焚くと、お地蔵さんの背中からほのかな香りを立ちのぼらせます。

0fbgnqgo_s地蔵


 数日前に、かわいがっていたセキセイインコが亡くなりました。
 奈良から連れてきたのですが、老衰とも言える長寿を全うしました。
 早速、このお地蔵さんに供養をしてもらうことにします。

 松栄堂といえば、「源氏かをり抄」というお香のシリーズが有名です。
 ホームページから、その巻々を紹介します。

Dvuyef02_s源氏1



Fp62i7ec_s源氏2



Bphw_v5x_s源氏3



Hj4keove_s源氏4




 お香の価格はまちまちです。

■直接火をつけるタイプ
 賢木(1,000円)〜浮舟(5,000円)
■常温タイプ
 空蝉(300円)〜須磨(35,000円)
■温めるタイプ
 若菜下・紅梅(1,500円)〜真木柱(780,000円)
 蛍(要相談)


 いくつかは持っていますが、もったいなくて焚かないので、もう香りは薄くなっていることでしょう。

 ずいぶん前から電気香炉を探しています。松栄堂さんにもありますが、どうもデザインが好みではありません。
 東京では、銀座・人形町・表参道に店舗があるので、またブラリと散策してみましょう。





2008年3月 6日 (木)

心身(10)窓口での待ち時間

 東京と京都を往復する回数券がなくなったので、JTBへ買いに行きました。
 窓口には、先客が一人おられるだけだったので、番号カードを取って待っていました。2番目だったので、すぐだろうと思っていました。
 ところが、前の方がなかなか終わりそうにありません。
 することもないので、イスに座って、ボーッと前の方の後ろ姿を見ていたところ、どうやら言葉が不自由な方のようです。対応しておられる窓口担当者は、ゆっくりと大きな声で受け答えをしておられます。お客さんである女性は、身振りとほんの少しの言葉でコミュニケーションを取っておられました。オーバーアクションだったので、つい目がいったのです。筆談もあったのでしょう。

 窓口の担当者は、いくつかのコースを組んであげておられたようです。
 第一候補の場合、第二候補の場合、第三候補の場合と、それぞれの列車の乗り継ぎを、時刻表をひっくり返しながら調べてはメモをし、それを確認し、説明しておられます。担当者は、ハキハキと、親切で、丁寧な対応を心がけておられたので、好感をもって見るともなしに眺めていました。

 ふと我に返ると、もう私は25分も座って待っているのです。さすがに、何とかしてほしい、と思いました。しかし、先客の対応は、まだまだ終わりそうにありません。

 障害を持っておられる方に対して、このような懇切丁寧な対応はすばらしいことです。しかし、そうは言っても、待つ身の私には、つらいものがあります。20分以上も待たされると、さすがにイライラしてきます。対応に時間がかかることに理解はできるのですが、待つ方は一刻も早く終わってほしいと願うのも人情です。

 他にもたくさんのカウンターがありました。しかし、そこはいずれも人が列を作っていました。私が行ったのは、JRや航空機のチケットを買う窓口で、他の旅行相談を兼ねたところとは違う一角にあるのです。用紙に記入したものを渡して、その場でチケットをもらったり、予約していたチケットをもらう窓口です。回転の速い窓口のはずです。
 そこで、このような長時間の対応を続けられると、やはり後ろには長い列ができます。

 話の流れで、この窓口での対応となったのでしょう。それならば、別の場所でしてもらうと、後ろで待つ身としては助かります。
 20分以上たってから、別の職員がこの窓口に来られ、待っている客の対応に当たられました。停滞を見かねての応援、という感じです。ところが、次に呼ばれたのは、私ではなくて、隅の方でパンフレットを見ていた方でした。つまり、私が2番目というのは、目の前で長時間にわたって旅行計画を相談しておられる方を除いてのものだったのです。
 結局、30分以上待たされて、やっと私の順番となり、5分もしないうちに回数券を受け取ってそのJTBを出ました。
 帰り際に、ちょうど先ほどの方も終わったところだったので振り返ると、長時間対応しておられた職員の方は、大きな溜め息をついて、肩と首を回しておられました。お疲れさま、と声をかけてあげたくなりました。これが、誠心誠意対応した後の、正直な反応であることは、十分に理解できます。

 JTBの方は、本当に一生懸命に対応しておられました。しかし、その後ろで待つ者のことを考えたら、場所を変えて親身な相談に乗ってあげた方が、その窓口の2人にとっても、もちろん後ろに並んでいる者にとっても、気持ちの負担が軽くてすんだのでは、と思います。

 これからは、高齢者や障害を持つ方が、さまざまな場面で社会の前面に出てこられます。そのような共生の社会を目指しているのは賛成です。しかし、そうした方への対応は、自ずと時間と手間がかかります。場合によっては、臨機応変の対応をすべきではないか、と思いました。
 今回のJTBの場合は、窓口で立ったままで長時間の接客をするのではなくて、場所をテーブル席などに移して、別の対応に切り替える融通さがあればよかったと思います。会社の接客態勢が、まだまだ、これからさらに増え続ける高齢者や障害者に配慮したものとなっていない、と言わざるをえません。
 正確に、そして短時間に用件が終わるように、さらなる企業努力をしてほしいものです。

 自分が、最近とみに思い出せないことが多くなっていることに、よく出くわします。また、若いときほどには、体が自由に動かなくなっていることも、自覚せざるをえません。手にした物をよく落とすのは、しっかりと握っていないというよりも、神経が散漫になっているのでしょう。
 知らず知らずの内に、もたもたしていて、人様に迷惑をたくさんかけているであろうことが想像されます。
 文字を書くのも遅くなり、これまで以上に下手になりました。また、記入する欄も、自己嫌悪に陥るほど、よく間違えます。書類の訂正が、格段に多くなりました。窓口の方に書いてもらった方が、ずっと早く、きれいに、正確な書類ができあがります。
 それだからこそ、気楽に自分のペースに合わせた接客をしてほしいと望みます。

 私のように、スローでミスが目立つようになってきたことを痛感することが多くなった方は、おそらく多いと思います。こうした状況に立ち至っている人間に対する、配慮のある社会にすべきだと思います。その中には、当然、障害を持つ方も含まれます。程度の差こそあれ、健常者だけの視線での社会は、今は目指していないと思います。そのためにも、どうすればいわゆる不自由を抱える者と共生できる社会を作り上げるか、さまざまな事例報告をもとに、考えていきたいものです。これは、ひいては明日の自分のためでもあるのです。

 今回のJTBの窓口での対応を見て、ふがいなさを自覚する自分に置き換えながら、あれこれと考えることが多かったように思います。





2008年3月 5日 (水)

銀座探訪(10)信号機が少ない

 銀座を夜ごと散策していて思うこと。
 何と信号機が少ないことか … 。
 いかに信号機というものが邪魔者か … 。
 この解放感が、気持ちよく銀座をブラブラできる要因になっていると思います。

 私は、マロニエ通り、ガス灯通り、松屋通り、並木通りを歩きます。
 銀座通りや晴海通りや西銀座通り等の大通りへ出ない限りは、信号機に出くわすことはありません。信号待ちをさせられることなく、好き勝手に、思うがままに、快適に、キョロキョロしながら歩けるのです。
 通りに入ってくる車も、心なしか遠慮がちです。
 大通りに出て初めて、信号で立ち止まることの煩わしさに気付かされます。

 何も考えずに歩けるのは、今の日本では地方の田舎道とこの銀座ではないでしょうか。

 人が思いのままに歩き回りたいという習性を、信号機が無理やり押し留めているのです。知らず知らずのうちに、外を歩くとストレスを感じているようです。そのことに、銀座を歩くと、思いがけず気付かされます。

 ことばにすると大げさですが、信号機は人の自由を束縛しています。信号で待つことの不自然さを、銀座を通り過ぎてから痛感することになります。

 これからの街造りに、この信号機という人間に楯突くものをどう扱うかは、大きな問題となることでしょう。

 赤信号で立ち止まる、青(緑)信号で渡る、という常識を、時として不思議に思わせる銀座は、これはこれとして興味深い街です。

 海外の街では、まず信号は守られていません。
 その最たるものはインドですが、エジプトでも、トルコでも、またロシアでも、もちろん中国でも、信号を守るということは何なのかを考えさせられる瞬間があります。
 イギリスやフランスやイタリアも、程度の差こそあれ、それは同じです。

 道路の横断は自己責任でするもの、という思想は、日本が一番希薄ではないでしょうか。つまり、皆で決めたルールは守る、という精神が、日本は最も遵守される国だと思います。これは、ものすごいことです。すばらしいのですが、時には再考してもいい時があるようです。

 海外をいろいろと歩き回り、日本人と日本文化のすばらしさを痛感し、自分がこの国に生きていられることを誇りに思っています。しかし、そのハイレベルな社会での疑問点を、これからは見つめ直す段階にあると思います。幸せすぎる社会を作ったがための、自己点検の時代に突入していると考えるからです。
 日本が格差社会になりつつあることもそうですが、そのさらに基底にある、みんなで守っているものへの再検討が必要だと思います。

 電車で並ぶというモラルも、日本では確立されています。諸外国の人が、一番に驚くことです。その点では、関西はもっと人間的です。これは、関東よりも関西の方が文化レベルが格段に高いので、臨機応変というか、自分たちの物差しで生きているからだと思います。関東は、自分に自信がない人が多いし、地方からの移民で構成されている都会なので、集まった人たち相互に、いわゆる遠慮が働くのです。

 東京にいる人たちを見ていて、私はそう思っています。だからこそ、この銀座のありようが、不思議でしかたがないのです。そして、そこに快適さがあるから、なおさらです。

 古き良き日本の姿が、この銀座という都心に残っていた、ということでしょうか。




2008年3月 4日 (火)

源氏千年(13)マスコット「おおつ光ルくん」

 「源氏物語千年紀in湖都大津」のマスコットキャラクターが決まりました。
 名前は、「おおつ光ルくん」です。


Oswt2_ct おおつ光ルくん



 今月の18日から滋賀県大津市内で開幕する「源氏物語千年紀in湖都大津」は、京都に負けじとばかりに、石山寺の「源氏夢回廊」などを中心に、情報が活発に流されるようになりました。

 今回のキャラクターは、

紫色の狩衣に束帯姿の平安貴族風。ほんわかとした癒し系のいでたちながら、短歌をたしなみ、ローラースケートなどのスポーツもこなす「文武両道」の元気な男の子、という設定(京都新聞2008年2月29日)


だそうです。
 この衣装は、束帯と言えるのでしょうか。首から下は、そのポーズといい、柿本人麻呂の像に似ています。このキャラクターは、落ちぶれた光源氏にしか見えませんが … 。
 これでも、コンペで40点の中から選ばれたものだそうです。

 「彦根城築城400年祭」では、『ひこにゃん』が話題となりました。
 それに引き換え、今なにかと話題となっているのが、奈良の「平城遷都1300年祭」のためのマスコットキャラクターです。


Qwtc8bre 奈良のキャラ



 大仏さんの姿に鹿の角です。これは、21作品の中から選ばれたものだそうです。彫刻家として著名な薮内佐斗司氏のデザインです。
 これが、とにかく不評のようです。
 遊び心といえばそれまでですが、私も仏様を軽く見ているようで、あまり素直にかわいいとは思えません。いまさら変更もできないのでしょうが、スタートから躓いたのは明らかでしょう。

 さて、滋賀の「おおつ光ルくん」は、どんな反響があるのでしょうか。

 私はこの「おおつ光ルくん」を一目見て、『まろ、ん?―大掴源氏物語』(小泉 吉宏、幻冬舎)の物真似のような気がしました。


Ffnffcyo まろ、ん?



 雰囲気がそっくりです。とぼけたと言うべきか、癒し系とでも言うものなのでしょう。
 脱力系も、そこここで見せられると、もっと他にないの? という気がします。

 すべてが、女性のご機嫌をとって、催しを成功へ導こうとしている魂胆が見え透いています。
 好みの問題なので、受け入れるしかないのですが、どこかで流れを変えるのもいいと思います。






2008年3月 3日 (月)

井上靖卒読(31)全集で割愛された作品群

 昨日の「井上靖卒読(30)『霧の道』」でふれたように、『井上靖全集』に収録されていない作品があります。てっきり私は、井上の著作物のすべてが『全集』に収まっている、と思い込んでいたのです。

 これまで本ブログで扱った作品では、以下のものが『全集』に収録されていませんでした。

「春の嵐」「花と波濤」「若き怒濤」「春の海図」「夢見る沼」「ある落日」「群舞」

 思い込みには、本当に気をつけなければなりません。

 それでは、なぜそうなっているのでしょうか。
 その理由を、『全集』の解説で確認しました。

 『井上靖全集 第八巻』の解題によると、次のように書かれています。

既発表の井上靖の長篇は計74篇に及ぶ。本全集では枚数、巻数の都合上、詩・短篇・エッセイは網羅するかわりに、長篇の一部は割愛せざるを得なかった。(679頁)

以上74篇のうち、本全集収録分は43篇で、最下欄に記された各巻に収められる。(680頁)


 「枚数、巻数の都合上」という理由なので、商業出版という制約によるもののようです。特に意味があってのものではないので、安心しました。
 つまり、この解説にあげられた一覧表の最下欄に数字がないものが、『全集』から割愛された「長篇の一部」だということになります。
 この一覧表から、『全集』に未収録の長篇小説を抜き出したのが、次のリストです。自分がまた勘違いをしないように、確認の意味からもまとめておきます。

 ※印を付けたものは、すでに本ブログで扱ったものです。


・霧の道,1951年
 ※春の嵐,1952年
・緑の仲間,1952年
・座席は一つあいている,1952年
・風と雲と砦,1952年
 ※花と波濤,1953年
 ※若き怒濤,1953年
・戦国城砦群,1953年
・オリーブ地帯,1954年
 ※春の海図,1954年
 ※夢見る沼,1955年
・白い風赤い雲,1956年
・こんどは俺の番だ,1956年
・白い炎,1956年
・地図にない島,1957年
・揺れる耳飾り,1957年
・朱い門,1958年
・波濤,1958年
 ※ある落日,1958年
・兵鼓,1959年
・月光,1959年
・河口,1959年
 ※群舞,1959年
・傾ける海,1959年
・遠い海,1963年
・盛装,1963年
・燭台,1964年
・紅花,1964年
・花壇,1975年
・異国の星,1983年

 1951(昭和26)年は、私が生まれた年です。
 井上靖の作品は、まさに私が生きた時代を背景に書かれたものであることを、改めて実感します。
 丹念に、くまなく、残りの人生の中で読み終えたいとの思いを強くしました。




2008年3月 2日 (日)

源氏文論尚友(1)2008室伏「本文研究を再検討する意義」

 「読書尚友」ということばがあります。
 これは、書物を読むことによって古の賢人を友とする、という意味です。
 「尚友」の気持ちをもって、『源氏物語』の本文に関する研究成果をたどったいきたいと思います。
 これまでに私は、さまざまな研究論文を読み漁り、読み飛ばしてきました。
 これではもったいないとの気持ちから、何か形として残しておこうと思い立ち、このブログの1項目として「源氏文論尚友」を立てました。専門家に向けた研究論文が対象なので、一般的な内容ではありません。しかし、あくまでも私が読んだ痕跡を残すことも必要ではないかとの思いから、読後感などを思いつくままに記すものです。

 先日刊行したばかりの、私が編集者となっている本から始めるのが順当でしょう。
 その内容については、
http://blog.kansai.com/genjiito/191
を参照願います。

 いつも、さまざまな形で教えを受けている室伏信肋先生の巻頭論文、「本文研究を再検討する意義」(『講座 源氏物語研究 第七巻 源氏物語の本文』、おうふう、2008.2) からです。

 氏は、非常に禁欲的に『源氏物語』の本文と立ち向かわれます。
 それは、本論文末尾の次の言葉に集約されます。

源氏物語を正しく読む唯一の手段は、いま目の前にある一本、それのみである。しかも一本は無数にあるが、相互に比校して訂正すべきではなく解釈にすべてを注いで、伝本を伝えた古人の篤い心を理会してほしい。古典を読む道は、まずそこに始まる。(18頁)


 写本をあるがままに読んで解釈すべきで、新しい異本は決して作ってはいけない、という姿勢が鮮明に示されています。
 本論で例にあげられたのは、第5巻「若紫」における、「日もいと長きにつれづれなれば」と「人なくてつれづれなれば」です。教科書にもよく出てくる箇所なので、日本の高校で古典を教わった方は、ほとんどの方が見たことのある文であるはずです。しかし、学校で異文を教わることはありません。流布本の解釈で留まっているのです。これは、仕方のないこととはいえ、古典はことばが流動しているものだ、というおもしろさを、若い時に摘んでしまうことになっています。
 私は、かつて清水書院の教科書で『源氏物語』の教師用指導書を執筆したことがあります。その時には、異文の存在から古典のおもしろさを教えることを提唱しました。しかし、これは省みられることもなく、今も一つの流布本が全国の学校の教室で読まれています。残念です。

 さて、氏は、この「つれづれ」は「女性を求めて苛立つ光源氏の心理を見事に表現したすがた」だとされます。そして、次のように言われるのです。

「つれづれ」という古語に対する無理解が、本文校訂を誤らせる結果となったとすれば、本文研究の再検討は、諸本探求より以前に古語に対する十全な理会が前提であると思考されるのである。(12頁)


 これは、現在の流布本を読む時ばかりではなくて、異本や異文を読む上でも、大切な心構えであることを、改めて思い知らされることです。

読みやすく活字化されたテキストだけを見て論を立てる前に、せめて新大系本の「補訂の例と表の見方」を熟視してほしい。(14頁)


 これも、現在の『源氏物語』の研究において、手厳しい評言となっています。

 次の文章は、遅々として進まぬ私への批評であるとともに、少しは理解を示してくださったことばではないか、といい意味で捉えています。本書の編者への、ほんの少しばかりの労いの言葉だと、私は勝手に読んでいます。

 青表紙本(定家本)でもない、河内本でもない、それ以外の諸本を一括して呼称されるいわゆる別本も、近年の研究成果や新しい時代の要請によって、別本を底本とした画期的な集成が作成され、その第二次集成まで刊行中で、早くから別本に着目してその重要性を認識していた研究者にとっては、新時代の到来かと喜んだが、まだそのテキスト化は一部にとどまり、一般化するまでには到っていない。しかし、研究の新しい方向としては従来、諸本の中心的役割を担ってきた青表紙本が、本文の性格から、平安時代に伝来した別本の一つという、これまでとはまったく異なる本文の類別化が提唱され、それに賛同する研究者が、ことに本文研究を心がける人たちによって認識されるようになり、これに伴って、諸本を類同化せず、一本を見つめる傾向をたどり始めてきたことは、早くからその意見を推奨してきた筆者にとって、まことに喜ばしいことだと思っている。(16頁)


 このご意見を重く受け止め、現在作成を進めている陽明本・池田本・天理河内本の3本の校訂本文を、1日も早く先生にお目にかけたいと思っています。

 源氏物語は作者生前から、複数存在したという事実は、当時からこれを一元化する可能性が断たれていたことを示す。原形が単数でないところに、その原形を求めて文献を操作しても、その方法論は無効であることは、当時の本が、一本も残っていないという事実よりも重いといわなければならない。(17頁)


 これに対しては、何か私なりの意見が言えそうです。
 しかし、しばらくは反芻して考えたいと思っています。

 とにかく、氏の言葉は、一語一語が重くのしかかってくるものです。
 今一度、『源氏物語』の本文のありようを見つめ、新たな展望を求めて、資料の整理を進めていきたいと思います。

井上靖卒読(30)『霧の道』

 目の回りに痣のある少女の心の変化が、巧みに語られている小説です。

 三弥子は、成長するとともに、他の女の子とは違う自分の容貌に負い目を持つようになります。彼女を取り巻く家族の心遣いも、細やかに描かれます。しかし彼女は、女学校に入学してからは、自らとの闘いを課します。顔を上げて生きるのです。
 他の人との違いに敏感な年ごろの少女を、丹念につづります。そして、成人後、人を好きになってからも時折顔を覗かせる負い目が、最後まで物語を牽引していきます。

 私は、井上靖の作品を読む時に、いつも月と湖が背景に出るのを心待ちにしています。
 この作品では、小宮高介が三弥子にプロポーズした夜の漁港に、月が出るものと思っていました。しかし、月は出ていませんでした。
 というよりも、あえて月がでていない、としているのです。

空を仰いでも月は見えなかったが、仄明るい光線がどことなく辺り一面に漂っている感じだった。(角川文庫、36頁)


 私としては、ここで月を出してほしかったのに … 。なぜ出さなかったのでしょう。

 三弥子は、自分に対する憐れみの情と闘い続けます。

柏きぬ子の憐憫が自分にかけられてあると思うと堪まらなかった。正真正銘の自分の力で柏きぬ子と小宮の愛情を争いたかった。小宮高介の心を争いたかった。(45頁)


 ここには、自分の心に正直な三弥子がいます。
 この作品は、心に染み入る描写が鏤められた、人の情に突き刺さってくる表現が随所に見られる文章で紡がれています。

 ただし、作者が急ぎすぎたせいでしょうか。文脈に疑問を持ったところがあります。
 その文章を引きます。

物心がついてから今日まで、彼女の心を貫いているものは、誰からも憐れみを受けないこと、それから、絶対に自分を卑下しないこと、この二つだったが、これは小宮高介への愛情に対してもまた決して例外ではなかった。(47頁)


と、三弥子にとっての二つの信条が述べられています。
 しかし、最初の方にあった女学校時代の話では、次のように語られていたのです。

三弥子は三年になった春から日記をつけ始めたが、その日記の第一頁に「絶対に自分を卑下しないこと」「絶対に自分自身を忘れないこと」と言う二ケ条を、自分が学校生活に於て今後守るべき信条として書き記した。(15頁)


 「絶対に自分を卑下しないこと」は共通していますが、もう一つが微妙に異なるのです。
 最初に出てきた「絶対に自分自身を忘れないこと」と、次の「誰からも憐れみを受けないこと」の違いです。これは、日記に記した「絶対に自分自身を忘れないこと」を、わかりやすく言い直したのが「誰からも憐れみを受けないこと」だということになるのでしょうか。それには、大いに無理があります。説明が必要です。
 書き進むうちに、憐れみという感情を明示する必要からのものとすべきなのでしょう。
 井上靖の作品の中でのこうした例は、どのようなものがあるのか、今は思い浮かびません。
 小説がどのようにして生まれたのかを考える上では、興味のあるところです。

 また、これまた私の勝手な想像ですが、この『霧の道』は、第1章となっているところで、実際には一旦終わっていたのではないか、と思っています。
 そのことを、少し書きましょう。

 この作品は、第3章まであります。しかし、第1章がその約6割の分量を占めます。第2章は、そのすべてがきぬ子の話となり、第3章で、また三弥子に話が戻ります。この2つの章は、ほぼ同じ分量です。つまり、6対2対2の割合となっています。

 第2章以降のきぬ子は、三弥子に対峙する女性として前面に出てきます。しかし、私はこのきぬ子にどうも馴染めません。この女性の設定は、中途半端なままに終わってしまったように思えるのです。
 三弥子の扱いがよかっただけに、非常に残念です。

 作者の最初の構想では第1章だけだったのでは、という個人的な感想は、その第1章の最後の文章からも伺えます。

 「僕はいまのままの君が好きなんだ」
 小宮の言葉には三弥子だけに解る愛情が暖くこめられてあったが、三弥子はやはり自分が現在立っている道はこの霧のように見透しの利かない道のような気がした。それがまだまだ遠く続いていると思った。
(66頁)


 本作品の題名は、この末尾と呼応するものだとも言えるのではないでしょうか。
 調べれば、このことについて作者のことばなり、何か研究成果があるかもしれません。
 この作品は、『ニューエイジ』という雑誌に連載されました。私が生まれた年の4月号〜6月号と、それに続いて11月号から翌年の1月号という、2回に分けての掲載です。雑誌を見ればいいのですが、この1回目がどこまでだったかが、解決のヒントとなるかもしれません。
 調べもせずに、怠慢なメモで恐縮します。その確認は後日に、ということでご寛恕を … 。

 さらには、冒頭に「おませになったとか、おこしやになったとか」とあり、この「おこしや」の意味がわかりませんでした。
 そこで、最終版である『井上靖全集』で確認しようとしたところ、この『霧の道』は未収録作品であることがわかりました。『井上靖全集』は、井上の全作品が収録されていると思っていたので、意外でした。
 このことは、機会を改めて報告します。【3】




初出誌︰ニューエイジ
連載期間︰1951年4月号〜6月号、11月号〜1952年1月号
連載回数︰6回

文春文庫︰黯い潮・霧の道
角川文庫︰霧の道
井上靖小説全集3︰比良のシャクナゲ・霧の道



2008年3月 1日 (土)

立川の謎の回転寿司屋

 今週から立川へ通うようになりました。
 予想外に大きな街でした。
 駅前には、伊勢丹、高島屋、ビックカメラ、ダイエー、ルミネが林立し、おまけに駅の中にはデパートがあります。どこからこんなに、と思うほどに人が行き交っています。

 見知らぬ街に行った時に、私が最初にすることは、回転寿司屋を探すことです。これは、日本国内に限らず、世界各国でやっていることです。
 今週は月曜日から連日、駅の周辺を歩きました。あらかじめ地図を見たり、ネットで調べたりしないところがおもしろいのです。
 街をブラブラ歩くと、さまざまな発見があります。
 初めの4日間で、回転寿司屋を4軒見つけました。駅の北側に2つ、南側に2つです。そのうちの2軒に入りました。
 まだあるかもしれないと思い、ネットで調べました。すると、立川市に回転寿司屋は7軒あるようです。
 そのリストをもとに一つずつを地図で確認したところ、立川駅から少し離れたところが4つで、駅の周辺は3つです。

 あれっ?と思いました。
 一昨日の午後7時頃に私が入った回転寿司屋が、どうしてもネットの情報で見当たらないのです。

 駅の南側の路地の一角に、小さな回転寿司屋がありました。かつては普通の寿司屋だったことを思わせる店構えです。
 握ってくれるおやじさんは、いかにも寿司職人という風体です。
 客はだれもいません。レーンも止まっています。蝋細工のウニやイクラなどが乗った寿司皿が、止まったままのレーンの上にポツン・ポツンと置かれています。レーンは大括弧( ] )の型で、椅子は10個もない、狭い店内です。

 ほしいものを注文してくれ、とのことだったので、いくつか頼みました。そして、赤だしを注文すると、それはサービスで付くと、おばさんが耳元で大声で言ってくれました。あまりにも狭いので、距離感覚がマヒします。そんなに近くでしゃべらなくても … 。

 寿司はしっかりしたもので、ネタも回転寿司とは思えないほどの良品でした。下町の寿司屋です。何か事情があって、回転寿司屋に改装したのでしょう。
 値段は少し高めでしたが、いいお寿司を食べさせてもらいました。握ってくれるおじさんの姿が気に入りました。奥の仕込み場に、若い兄ちゃんがいました。この3人でやっているのでしょうか。明るくて元気な人たちのようです。

 結局、客は誰も来ませんでした。もっと遅くなると来るのでしょうか。心配になります。
 折を見て、また行こうと思います。
 これだけ客がいないのに、こんなに狭い店なのに、お店の人はまったく客に気を配っている様子がないにもかかわらず、客であるこちらは気楽に、あまり余計な気を遣わずに寿司が食べられるのです。
 不思議な雰囲気の店でした。

 ひょっとして、あのおやじさんは、かつては銀座の名の知れた店の腕の立つ人だったのかも知れません。『将太の寿司』の漫画のネタにできそうです。





NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

Powered by Six Apart
Member since 07/2008