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2008年4月10日 (木)

源氏のゆかり(4)説明板16-大極殿跡

 京都市が『源氏物語』のゆかりの地に説明板を設置した、というニュースが報じられました。3月末までに、40カ所を予定していたものですが、すべて無事に終わったのでしょうか。

 説明板の設置が予定されているところは、次のサイトにまとめられています。参考までに紹介します。

http://www.gyoutai.com/kyoto/genji/sign.html

 その確認の意味も込めて、折を見て回ってみたいと思います。

 二条城を自転車で通りかかった時、うろ覚えの新聞記事を思い出し、最初に設置された説明板の場所に立ち寄ってみることにしました。

 近くに地下鉄の駅があったので教えてもらおうと思い、昔の内裏があった所に建てられた第1号の説明板の場所を駅員さんに尋ねました。すると、そのようなニュースは知らないとのことでした。駅長さんも同じ答えです。
 二条城の側だった、という記憶が揺らいだために、あきらめて帰ろうとした時、御所はもっと東の賀茂川寄りにあって、ここは昔から二条城があった、とおっしゃるのです。
 いや、昔はこの二条城のあたりに御所があったのですよ、と言っても、ここは昔から二条城があった所で、御所はずっと東に昔からある、と駅員さんは譲られないのです。
 そのような不毛なやりとりは時間がもったいないので、適当に話を打ち切って地上に出ました。

 賀茂川沿いにある現在の御所は、鎌倉時代の末期、光厳天皇以来のものです。けっして、あれが平安時代の内裏ではないのです。
 この説明は、京都の人にもわかってもらいにくいようです。たまたま、知らない駅員さんに出会った、ということにしておきましょう。
 また、現在の二条城は、徳川家康が慶長六年(1601)に西日本の諸大名に作らせたものです。これを昔といえばそうですが、御所との関係では、新しい城ということになりますね。

 それはともかく、説明板の第1号である「大蔵省跡大宿直跡」(上京区中立売通裏門西入ル・正親小学校)の名前と場所を思い出せないままの帰り道、ふと見ると「大極殿跡」があるのに気づきました。
 ここは、何度も来ていたので、景色で思い出したのです。


Huk3oxtd_sバス停



 小さな公園の中に入ると、何と説明板があるではないですか。目指す第1号ではなかったのですが、これ幸いと写真に撮りました。


_c2tslsg_s説明板



 前掲リストによると、「大極殿跡 上京区千本通丸太町上ル 天皇の玉座がある平安宮の正殿。物語では朱雀帝が斎宮の額に別れの御櫛を挿す」とある場所なのです。


1h0ruprb_s説明文



 説明文の下に、国宝の源氏絵が添えてありました。しかし、その注に「京都市立芸術大学芸術資料館所蔵」とあるのです。


1pt86eyj_s源氏絵



 なぜ、現在の所蔵者である「徳川美術館」ではないのか、疑問に思いました。権利関係のことから、このような模写で掲示したのだろうか、などなど、余計なことを考えてしまいました。後日わかったら報告します。

 帰り際に、舗道の縁石に昔の建物跡の所在を示す指標が取り付けてあるのに気づきました。

Zn_ehbsh_s舗道の埋め込み



 知らないと見過ごしてしまいます。ひっそりと、埋め込まれていますので、注意しないとわかりません。私は、三つ見つけました。周りを歩くと、もっとあるのでしょうか。

 最初に紹介したサイトのリストを今あらためて見ると、「内裏内郭回廊跡 上京区下立売通千本東入ル 内裏を囲む内側の回廊」というのがあります。どうやら、この埋め込みに関する説明板が、この近くにあるようです。
 またの機会に探してみます。




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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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