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2008年5月 6日 (火)

源氏のゆかり(6)説明板31-雲林院

 雲林院というと、『大鏡』の菩提講の席での語りを思い出します。
「先つ頃、雲林院の菩提講に詣でてはべりしかば、……」と始まる『大鏡』の文章を、高校の古典の時間に教わった方が多いことでしょう。
 ここを舞台として、昔語りがなされていくのです。

 その雲林院は、かつては広大な寺院だったようですが、今は大徳寺の塔頭として江戸時代に建てられた小さなお寺を構えています。


Kbyph99f_s雲林院



 説明板によると、雲林院には「うんりんいん」と振りがながふられていました。
 私は、これまでは「うりんいん」と言っていました。どちらでもいいのでしょうが、ここで「うんりんいん」とあるのですから、今後はこのように呼ぶことにしましょう。


Pvnwvjiw_s説明板



 最初は「紫野院」と言われ、「雲林亭」の後に今の「雲林院」となりました。
 葵祭で、斎王が上賀茂神社の神館を出て斎院に帰るのを「祭のかへさ」(還立の儀)と言っています。『枕草子』に語られています。
 この「祭のかへさ」を見物する場所として、雲林院は格好の地点だったようです。

 この雲林院は、六歌仙の一人である僧正遍昭が大きな役割を担っています。
 境内にも、遍昭の和歌が歌碑としてありました。


8e8ew6ip_s遍昭の歌碑



 天つ風雲のかよ比
 千ふき登ち餘
 をと免の姿しは
 しとゝめ無
  (正確な字母は後日確認します)


 雲林院と『源氏物語』との関係について触れておきましょう。
 「仁明天皇・常康親王・遍照」という史実のありようが、『源氏物語』においては「桐壺帝・光源氏・律師」という設定として物語の背景にある、と小山利彦先生(「雲林院と紫野斎院」角田文衞・加納重文編『源氏物語の地理』思文閣出版、1999年)は指摘しておられます。
 小山先生とは、先月の京都文化博物館での『源氏物語展』の開会式でご一緒しました。大学の先輩でもあるので、いつもいろいろと教えていただいています。
 その日も、帰りに四条川端通りのおでん屋でお酒を飲みながら、いろいろな話を伺いました。
 この雲林院のことについて、聞くのを忘れていました。機会があったら、さらに詳しいことを聞くことにしましょう。

 『源氏物語』を読む時に、歴史とどう関わらせて読むかは、おもしろい問題です。
 当時の読者に近い立場で読む場合には、これは非常に大事なことだと思います。
 この雲林院も、『源氏物語』を読む上では、貴重な情報を与えてくれます。

 なお、雲林院跡の発掘成果が、この雲林院から2本ほど道を東へ行ったところにあるマンションの壁面に、説明板にして残されています。


Pcfww0aj_sマンションの壁面



Skch10ow_s壁面の説明板



 現在とかつてのたたずまいの違いが、この説明によって実感として得られることは貴重です。
 お勧めのスポットです。




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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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