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2008年6月の32件の記事

2008年6月30日 (月)

源氏千年(51)東西の温度差

 『源氏物語』の千年紀にあたる新年から、京都の自宅では、これまで購読していた朝日新聞に加えて、京都新聞も購読するようになりました。

 前半の半年を迎えた今日までに、新聞に記事となった『源氏物語』に関する情報を整理するつもりでした。しかし、何かと多忙で、なかなかまとめられません。また、その数量も半端ではありません。

 半年間の新聞記事を見ての印象を記しておきます。

 まず、『源氏物語』の千年紀に関する東西の温度差は、明らかなものとなっています。

 京都新聞などでは、毎日のように2、3件の『源氏物語』に関する情報が流されています。私は、可能な限り収集しています。それに比べて、朝日新聞は、感覚的には京都新聞の10分の1の情報しか流されていません。京都新聞が地方紙であり、『源氏物語』が京都との縁が深いことは承知しています。また、資料も多く残っています。
 それにしても、あまりにも新聞への掲載量が違いすぎます。

 東京版の朝日新聞となると、さらに少なくて、京都新聞の50分の1といったところでしょうか。

 これほどまでに『源氏物語』を取り扱う記事の量が違うのは、両文化圏の違いの反映でもあります。
 関東においては、『源氏物語』は他所様の日本古典文学作品です。知的な文化としての受容でしょう。
 それに引き換え関西では、内容が地元に連接することから、親しみとなじみの深い作品となっているのです。京都を歩けば、『源氏物語』の文化にぶつかるのですから。

 これが、ニュースになるかならないかの、大きな要因だと思います。

 古典を身近なモノとするためにも、ぜひとも東京での『源氏物語』の理解を広めることが必要だと思います。現状では、あまりにも表面的な受容に留まっているように見えるからです。

 今年は、年末までさまざまな情報が流されると思います。
 とにかく、収集を続けます。
 折をみてまとめて報告を、ということにしましょう。



2008年6月29日 (日)

宇治川での生と死の記事を見て

 『源氏物語』で、浮舟が身を投げようとした宇治川の流れは、結構早いのです。
 宇治川の動画があるので、紹介しておきます。


http://jp.youtube.com/watch?v=F4JcLOsiC4Q&feature=related



 今から30年ほど前のことですが、私は高校の遠足の付き添いで担任をするクラスの生徒たちを連れて、宇治川の上流で飯盒炊爨をしました。その時に、ボートで遊んでいた生徒の数人が、突然川中に流されたのです。流れが穏やかだったので、思っても見ない事態に、必死で河原を走って追いかけて捕まえ、何とか事なきを得ました。
 とにかく宇治川には、流れの急な所があるのです。

 今週の京都新聞の記事に、宇治川での生死を扱ったものがあったので、紹介します。
 不幸なことでもあるので、不謹慎かもしれません。しかし、興味本位ではなくて、宇治川の流れの怖さを書いておきたいのです。

 6月22日(日)に、「流れる携帯 転落女性流さず 増水の宇治川 市民4人が救助」という記事が掲載されました。
 21日のお昼前に、宇治の朝霧橋上流100メートルの宇治川右岸で、散歩中の近くの81歳の女性が、誤って川に落ちたということです。そして、10メートル下流に流された所で、助けられたそうです。男性3人がかりと、それに加えて宇治署員も手を貸して、25分後に救出されたとのことです。
 前夜の大雨の影響もあって、水位は、1メートル60センチにまで上昇していたのだそうです。

 不幸中の幸いと言えるでしょう。いい方々に、それも早く救出してもらえて、本当によかったと思います。

 翌週の26日(木)には、宇治川で不幸な出来事がありました。
 午後7時半ころ、宇治金井戸の白虹橋から、1人の女性が宇治川に飛び込んだのが目撃されました。
 2時間後に、4キロ下流で発見されましたが、搬送先の病院でお亡くなりになりました。
 翌日の京都新聞で、その身元が判明したことと、30歳の大阪の女性であったことが報じられました。

 誤って転落して10メートル流された所を救助された方と、いわゆる自殺と思われる理由で川に飛び込み、4キロ下流で2時間後に発見されたにもかかわらず亡くなられた方という、まさに対照的なニュースでした。

 身を投げた方にも、いろいろと理由があるのでしょう。お亡くなりになった方のご冥福をお祈りするとともに、宇治川が今も人の命を左右するほどの勢いを持った川であることを、いまさらのように思い知らされました。

 平安時代の宇治川の流れはどうだったのでしょうか。
 『平家物語』にも、この川の流れの激しさは語られています。
 『源氏物語』の作者は、この川の流れを、どのような気持ちで見たのでしょうか。少なくとも、その勢いを知っていたはずです。

 不幸なニュースからの連想で不謹慎かと思いつつも、改めて宇治川の流れを思い知り、認識を改めるためにも、記したしだいです。





2008年6月28日 (土)

200回目の研究会の熱気

 今から四半世紀前に、伊井春樹先生が「大阪大学 古代中世文学研究会」を立ち上げられました。
 その研究会が、今日でちょうど200回を迎えたことになり、一区切りとなる記念の例会が開催されました。

 伊井先生が退職された5年前からは、荒木浩先生がこの会を守り育てておられます。

 今日の研究会のメニューは、以下の通りです。

・「胡旋女」の寓意―光源氏と清盛と       大阪大学 荒木浩氏
・『続教訓抄』伝本考              神戸学院大学 中原香苗氏
・夢を見ることを忘れた頃にー安西法師の奇蹟ー  愛媛大学 福田安典氏
・大覚寺統における勅撰集下命をめぐって     大阪大学(院) 村山識氏 

 みなさん、日頃の成果を披露なさいました。質疑応答も、充実していました。

 本日の目玉は、福田氏の発表に合わせて、伊予寿永寺の小島泰雄住職による、御寺宝の掛幅絵を用いた「安西法師伝」の絵解きの実演でした。


Zpu_muik_s小島泰雄御住職



 緩急自在の口調での熱演で、お年を感じさせないお話と語りを拝聴しました。

 日頃は、研究発表において資料を見つめながら聴くことが多いのですが、こうした実演を交えた発表会は、非常に刺激的です。この試みは、今後ともさまざまな分野で取り組むべきだと思います。

 会場にはたくさんの人が詰めかけ、200回を記念するにふさわしい研究会となりました。

 私は、この研究会の機関誌である『詞林』の創刊号の印刷に関わって以来、何かと縁のある集まりです。100回目の時は、私が研究発表をしました。

 この研究会がこうして活動を続け、若い人たちを取り込んで育っていることは、本当にすばらしいことだと思います。
 伊井先生の後を引き継がれた荒木先生のご苦労が察せられますが、とにかく前進し続ける研究会に、声援を送ることを惜しみません。
 この会が次に300回を迎える時には、私は定年となっています。その時に、私がどのような立場で参加しているのか、それを考えるだけでも、今から楽しみです。





2008年6月27日 (金)

心身(16)病院で年金生活談義

 親戚の人のお見舞いに行きました。小さい頃からお世話になっていた人です。
 3週間前に、力の抜けた様子でベッドに横たわっている姿を見て、ショックというよりも、かわいがってもらったことに、お返しも何もできない自分がいるだけのことが、非常に申し訳なく感じました。

 突然倒れたため、その時はとにかく駆けつけました。ベッドに寝たきりで、会話などはできません。心もとない状態でした。これからどうなるのだろう、と不安になりました。
 それが、今日は私の名前もちゃんと覚えていて、小さいながらも、呼びかけてくれました。ベッドでも立て膝で座っていられるほどに、驚くばかりの回復でした。
 この前のことがあるので、さぞかし弱っているのでは、と思って行ったので大いに安堵しました。
 今日、初めてゼリー食べた、とのことでした。この調子ならば、リハビリに入れば回復はもっと加速することでしょう。70歳を超えているので、とにかく心配でした。記憶がおぼつかないようですが、これは時間が補ってくれることを期待したいと思います。

 今日行った時には、これまた定年後の年金生活をしている従兄弟がきていました。私の父が亡くなった時以来会っていなかったので、25年ぶりでした。そうこうするうちに、姉夫妻も来たために、年金組の勢揃いとなりました。みんなが私に対して、お前はいつ定年になる、との質問。あと十年もないです、と答えると、まだまだ若いな、と羨ましがられました。

 年金生活も、最初の一ヶ月はいいが、だんだんすることがなくなり、退屈だとのことでした。それでも、いろいろと趣味があるからいいものの、それもだんだん張り合いというものがなくなるようです。

 さて、これから年金生活に入ってからのことについて、いかに充実した人生の最終舞台を生き抜くか、改めて考えてしまいました。今さえ充実していればいい、ではなくて、60歳を過ぎてからの人生設計が大事になってきます。

 がむしゃらに突っ走るだけではなくて、60歳からの生き方をジックリと考える必要があります。
 自分なりに計画しているとはいうものの、現実に年金生活に入った3人のいわば先輩方のやりとりを聴きながら、そこが病室のベッドの横での会話であったせいか、印象的な言葉がスーと入ってきました。

 さて、これからは、こうした高齢者といわれる人たちの、社会での役割を配慮した社会にしなくてはなりません。そこに、近々私も加わるのです。もうすぐしたら、という思いが、確実に自覚できるようになりました。

 団塊の世代の人たちと、そこから少しズレたところに位置する私たちと、社会は複雑な動きの中に突入しました。
 今日の話からは、とにかく趣味と好奇心を大いに育てておくこと、ということがわかりました。
 今の自分には、それには対処できるようだとは思いますが、いざ定年を迎え、そして年金生活に入った時に、本当に平常心で生きて行けるのか、いささか心もとない思いがよぎります。

 世界中が体験したことのない社会が待ち受けています。
 そんな時代を生き抜くための意識トレーニングを始め出したんだ、という気持ちを強く持って、1人で病院を出て自宅に向かいました。

 電車の中は、若者を中心とする元気のいい人間が作る空間でした。先ほどの病室での感じとは異次元な空間です。しかし、どちらも事実なのです。
 これからは、こうした別次元の世界を目にし、身を置くことが多くなることでしょう。他者に依存しないで生きることが、何と理想的な生き方であるのかを、改めて実感しました。
 これも、まだ余裕があるから、そんな人ごとのように言えるのかもしれません。




2008年6月26日 (木)

パソコンのバッテリー無償交換

 過日、ノートパソコンのバッテリーが熱によって変形したことを報告しました。

http://blog.kansai.com/genjiito/318

 忙しくてなかなか行けなかったアップルストア銀座に、ようやく問題のバッテリーを持ち込みました。
 おかしいと気付いてから2週間が経過していました。

 最初は、こんな具合でした。パックの口が開いている、という程度でした。


Kjkulecd_s2週間前



 これが、2週間の間に、こんなに口を大きく開けたのです。


J5ueiilx_s膨張1




Wcdpl4y8_s膨張2



 中のパックが、急激に膨張したためと思われます。
 よくぞ、発火しなかったことだと思います。

 アップルストアでは、見て直ぐに無償交換という判断をしてくれました。
 それはそうでしょう。私には、何の落ち度もないのですから。
 あるとしたら、毎度毎度、こうした欠陥商品を手にしてしまう、という運命を背負っている、というだけです。

 在庫もあったので、もらって帰りました。
 このバッテリーを装着するパソコンは、3月末にロジックボードを交換したものです。臓器のほとんどを移植したことになるので、それが、このバッテリーのせいなのか、その点を対応してくださったジニアスバーの方に聞きました。

(1)バッテリーが原因で前回はロジックボードが破壊されたのか。
(2)取り換えた新しいロジックボードがバッテリーを破壊したのか。

 このうち、どちらが原因なのかを聞いたのですが、とにかく新しいバッテリーを使ってみてください、という説明だけでした。
 おそらく、バッテリーの欠陥ではないかと思っていますが、教えてはくれませんでした。何かあるのでしょうが、穿鑿は煩わしさが伴いますので、早々に引き下がりました。

 とにかく、道具なのでいろいろと不具合はあるものです。
 今回のバッテリーには問題がないことを祈って使うことにします。

 それにしても、火傷に留まらず、火災にならなくて良かったと思うことにします。世の中、何が起きてもおかしくないのですから。




2008年6月25日 (水)

心身(15)初体験に困惑

 通勤電車に飛び乗って、やや混みぎみの車内で吊り革を引き寄せました。
 しばらくして、車中で自分が立つポジションが決まり、やおら本を取り出して読もうとした時でした。
 目の前に座っていた、見るからに新入社員といった若者が、スーッと立って、どうぞ座ってください、と言うのです。
 スーツにネクタイをキッチリと締めた青年というよりも、少年といったほうがいいほどの男の子です。

 なぜ、あえて自分が立ってでも私に席を譲ってくれるのか、その意味がわかりませんでした。何があるのだろう、と少し訝しく思いながら、それでいて断っては彼の好意が無になるので、ありがとう、と言って座りました。

 若者に席を譲られるのは、これが初めての経験です。

 座ってから、正面を見ると、若者は降りるわけではなくて、自分の真新しいカバンを私の頭上の網棚に置きました。
 目を瞑って、この事態を考えました。
 どう考えても、一人の若者が、疲れ切った年寄りに席を譲った、という状況です。

 その日の朝は、血糖値も114と良好でした。また、そんなに疲労困憊の様子だったようには思えないのです。格好が、いかにも高齢者だったのでしょうか。いや、2週間前に妻が選んでくれた、ネクタイをしなくてもだらしなく見えないシャツに、夏らしいサラッとした水色のジャケットを着ていました。
 自分では、年よりも若作りをしていたつもりです。

 内心、大いにショックでした。本や新聞などで読んだ、若者に席を替わられた時の体験談などを思い出しました。意地をはって、申し出を断る人もいるそうです。しかし、それは善意に基づく若者の行為を無視することになります。ありがたく受けるのが礼儀です。
 その通りにしたのですが、やはり人から弱者に見られ、同情を誘ったことに対する、晴れない気持ちがモヤモヤと残っています。

 何といっても、私の体力年齢は18歳なのです。

 しかし、今回のことは、自分の中で年とともに老い衰えていくものを、如実に意識させる出来事でした。

 ついに、若者から見た分類では、高齢者の域に突入したのかと思うと、仕方ないとは思うものの、実際には困惑を通り越してショックです。

 こうして、現役から少しずつ枠外に追い出されるようにならないためには、今、何をすべきかを考えました。しかし、これは、なるようにしかならないのです。

 困惑と衝撃と諦念が複雑に去来する電車のシートに身を置きながら、おなじ線を20代の頃に利用していたことを、セピアカラーの映像として、懐かしく思い出したりしました。あの頃の電車は、座席のシートなどはない、ただの通学のための箱だったのです。私が思い出したシーンでは、座席はないのです。それが見えていなかったので、思い出しても、それがないのでしょう。
 35年前と今とが突然行き来し出したので、しばらくは目を瞑って、今昔のシーンを切り替えながら楽しんでいました。





2008年6月24日 (火)

源氏千年(50)朝日新聞の文化欄に

 本日24日(火)の朝日新聞(朝刊・文化欄)に、「写本研究に新潮流」と題する記事が掲載されています。

 昭和20年代以降に読まれてきた『源氏物語』の本文は、そのすべてが大島本による校訂本文でした。その流れが、今、見直しの時期に入っています。
 物語を読む上での基本となる本文については、『源氏物語』の千年紀というタイミングに、うまく問題提起できたようです。
 これまで、『源氏物語』の本文に関して無関心だった方々が、こうした問題を一緒に考える仲間として参加してくださることが期待できます。
 地味で目立たない世界に、ようやく、こうして光が当たり出しました。これも、行き詰まりを自覚する人が多くなったからでもありましょう。

 遅れに遅れている『源氏物語』の本文の研究も、これからが楽しみです。
 先入観のない若い方々の反応を知りたいと思います。

 今日の記事をまとめられた白石明彦さんは、多様な研究状況の中に混在する問題点を、みごとに切り取って示してくださいました。

 それにしても、このようにして『源氏物語』の本文に関する課題を公開されると、当然のことながら「それでは、どの本文を読めばいいの?」という問い掛けが帰ってくるはずです。

 流布本を見直すという機運が、こんなに早く来るとは思いませんでした。平成元年より、『源氏物語別本集成』の刊行を通して問題提起をしてきた者の一人として、この問題に対処する上での「モノ」を提示する義務があります。
 そこで、現在、3種類の本文が同時に通読できる形式の本を準備しています。『源氏物語別本集成』における巻の配分による第1巻を、10月の中古文学会の時に間に合うように、急ピッチで進めています。
 これには、陽明本(陽明文庫蔵)・池田本(天理図書館蔵)、河内本(天理図書館蔵)の3種類の校訂本文を、見比べて読み進められるようにするものです。また、簡単な語釈も付けます。

 昭和以降に刊行された『源氏物語』の流布本としては、
『定本源氏物語新解』(金子元臣、明治書院、大正14〜昭和5年)
『対校源氏物語新釈』(吉沢義則、平凡社、昭和12〜15年)
があります。
 これは共に、底本としての『湖月抄』を、河内本で校訂したものでした。

 その後、
『日本古典文学大系 源氏物語』(山岸徳平、岩波書店、昭和33〜38年)
は、三条西本を底本としていました。ただし、この新版である
『新 日本古典文学大系 源氏物語』(室伏ほか5名、岩波書店、平成5〜9年)
は、大島本だけで校訂本文を提供しています。

 そして戦後まもなくにもどりますが、
■『日本古典全書 源氏物語』(池田亀鑑、朝日新聞社、昭和21〜30年)
に始まり、
『源氏物語評釈』(玉上琢彌、角川書店、昭和39〜44年)
『日本古典文学全集 源氏物語』(阿部・秋山・今井、小学館、昭和45〜51年)
『新調日本古典集成 源氏物語』(石田穣二・清水好子、新潮社、昭和51〜55年)
が、大島本を中心とした本文で校訂本文を作成しています。
 それが、現在まで続いています。

 ということで、〈いわゆる青表紙本〉としての『湖月抄』や「大島本」以外の本文を校訂本文にして刊行しようという試みは、まさに『源氏物語』の近現代史上はじめて、ということになります。

 とにかく、『源氏物語』の本文がこうして新聞に取り上げられる時代になったことは、研究史上でも特筆すべきことです。
 しばらくは迷走するかもしれません。しかし、地味な分野だけに、時とともに実りある成果が生み出されるにちがいありません。

 思いつきに走らず、さまざまな本文を着実に読み解いていく流れができれば、おのずと確かな手応えが感じられるようになるはずです。

 「写本研究に新潮流」から「本文研究に新潮流」へと展開していくのも、時間の問題となってきました。
 ますます、若者の出番となります。
 元気のいい発言や提案を、期待したいと思います。

 なお、新聞記事の中で「別本系統」という言葉が気になりました。雑多な古写本群を指すものなので、「系統」という分類にはならないからです。しかし、このようなことは、今の流れの中では瑣末なことです。
 それよりも、池田亀鑑の提唱した、〈青表紙本〉〈河内本〉〈別本〉という分類名が不適当な状況において、新しい名称を提案すべきです。
 私は、〈河内本群〉と〈別本群〉という2分別私案を提示しています。ただし、もっといい名称を思案中です。
 先日、室伏信助先生とお話しをしていたら、先生は〈河内本群〉と〈その他群〉にしたら、というアドバイスをもらいました。
 さらによく考えてみます。





2008年6月23日 (月)

ちょうど1年経過したブログ

 このブログを始めたのは、昨年の6月24日(日) 午前 00:時58分でした。
 「京洛からのことあげ」と題して、こんなことを書きました。



 多くの方々に読んでいただけた「たたみこも平群の里から」の終了を承けて、このサイトを通して、装いも新たに京都からの「折々のよもやま話」をお届けします。

 平成19年5月に、23年間過ごした大和から京洛の地に住まいを移しました。我が人生の最終章を、平安の都で閉じたいとの思いからの決断でした。

 賀茂川畔を拠点として、さまざまな情報を思いつくままに記すことにより、私なりの存在証明の記録にしたいと思います。

 気分を一新してのスタートです。



 2回目の記事は、引っ越しの話です。
 いつ終わるとも知れぬ、連日の引っ越しでした。

 あれから1年。
 本年2月からは、毎日書くことを心掛けています。
 単なるメモではなくて、できるかぎりお話になるようにしています。
 お陰さまで、毎日400人以上の方々が読んでくださっているようです。
 予想外の多さに恐縮しています。しかし、妻や子供や知人に語りかけるつもりで、気楽に書き流すようにしています。
 私は、書いて投稿した後で、結構、文章に手をいれています。折を見て、過去のものもご覧ください。相当、内容が変わっているものがあるはずです。
 思いついたら手を入れているので、一々補訂したことを断っていませんので、悪しからず。

 私がインターネット上に初めて情報を流したのは、1995年8月11日の


「第5回紫式部文学賞は、吉本ばなな氏の「アムリタ」に決まる(朝日新聞1995.8)」


という記事でした。
 ホームページというものを開設してすぐのことです。今から13年前は、いろいろと苦労の中でも楽しかった思い出ばかりです。
 参考までに、アドレスを引いておきます。興味のある方は、タイムカプセルのような世界へどうぞ。

http://www.nijl.ac.jp/~t.ito/HTML/R3.1_Kabe/R3.1_Kabe_01_1995.html

 ついでに、私のコンピュータとの係わりもまとめておきます。

 私の初めてのコンピュータ体験は、1980年のマイコンキットNEC〈TK-80〉でした。
 1981年にPC-8001で半角カタカナによる『源氏物語』の本文データベースに着手。『源氏物語別本集成』(おうふう、全15巻)の原点です。
 1984年に、PC-9801F2と音響カプラによるコンピュータ通信を開始するが続かず。
 オリベッティ・NEC・富士通・EPSON・日本ゲートウェイを経て、アップルとソニーのコンピュータを使うようになりました。
 ウインドウズV1に失望して、アップルに移り、時たまソニーのバイオノートを触ります。

 初期のパソコン事情は、『新・文学資料整理術パソコン奮戦記』(桜楓社、昭和61年11月)にまとめました。そろそろ、インターネットが生まれてからの四半世紀を、私なりにまとめてもいい時期かも知れません。

 今、私の関心は、iPhone です。
 今後は、ワイヤレス・ネットワークとの係わりが、情報文具の展開に必須のものとなります。
 いつまでも、飽きさせない世界が広がっています。
 最前線のレポートはできなくなりましたが、今後とも、活用を通しての報告を続けていきたいと思います。

 恐らく、死ぬまで何らかの形で情報発信を続けるはずです。
 末長いお付き合いを、よろしくお願いします。




地縁への不思議な気持ち

 先週は、仕事の関係で東京にいました。
 久しぶりの東京での週末なのに、天気が悪かったことと仕事が忙しかったので、ほとんど建物や部屋の中にいました。
 それに、オランダ帰りの時差ボケが加わり、気だるさの中での緊張感のない日々でした。

 近所の深川のスーパーで、娘がかつて下宿していた京都のマンションの近くで作られた京菓子を見つけました。何気なく見た製造者が、「大将軍」という住所だったのです。
 娘と一緒に、マンション探しに行ったことを思い出しました。さらには、引っ越しのことを、妻と学生生活の様子を見に行ったことを、そして、私がその近くの大学で講師をしていた日々を、一気に頭の中を映像が駆け巡ったのです。
 こんな時には、理由もなく買ってしまいます。不思議な心理です。
 この気持ちは、いったい何なのでしょうか。
 かつての地縁に引かれる心理が、よくわかりません。とにかく、懐かしさなのか、これも縁だと思うのか、その品物が手放せなくなるのです。

 奈良の平群には、生姜で有名な製造所があります。お寿司が好きな私は、パックに入っている生姜が平群のものだと、もう嬉しくてもう一つ買いたくなります。
 海外で見つけたお寿司のパックに、この平群の生姜が入っていた時には、嬉しさのあまり、どんな人が買うのか、しばし近くで見張っていました。嬉しくて、しょうがなかったのです。

 どうしたわけか、自分がかつていた所が商品の生産地や製造地として記載されていると、要らないものでも、どうしても買わずにはいられません。
 自分との距離を縮めようとする心理の一種なのでしょうか。
 懐かしさと今の状況を、それで埋めようとするのでしょうか。

 よくわかりませんが、不思議な気持ちに包まれる一時です。




2008年6月22日 (日)

京洛逍遥(41)いつから「町家」か?

 「源氏のゆかり(18)説明板14-宜陽殿跡」と題する記事の中で、「町屋」という表記をしました。
 これに対して、次のご教示をいただきました。


書き間違いですか?

「町屋」ではなく「町家」ですね。
よく間違われます。




 わざわざのご指摘とご教示に感謝しています。

 これには、以前から引っ掛かりがあったので、この機会に少し手近な本を開いてみました。

 現代における、表記を一つに統一しようとする風潮から言うと、「町家」ということになります。それには異論はありません。
 しかし … 。

 10世紀から11世紀を中心とする平安時代を勉強している者の立場からの意識では、11世紀以降の商家や職人の住まいを指す「町家」には、あまりなじめません。
 国語政策に楯突くつもりはありませんが、「町家」という表記には違和感を持っています。

 明治時代の国語政策として、ひらがなを一つの字母の崩し文字に強制されました。そのように、用字を一つに統一することによる利点はわかりますが、自由に自分の感覚で漢字をつかえる余地も必要かという思いもあります。
 ひらがなを一つに統一したことにより、変体仮名が読めなくなり、古典籍が読めなくなったのです。『源氏物語』の古写本が読める日本人は、本当にすくなくなりました。
 貴重な日本文化を、教育普及というお題目の元に、切り捨てたことになります。

 馴染めない用字に縛られるのは、窮屈なので、いろいろな表記ができる日本語でありたいと思ったりします。
 もちろん、世の中の統制主義には一応は従いますが … 。

 手元にある『日本民俗事典』(大塚民俗学会編、弘文堂)では、「町屋」で立項されていました。「町家」はありませんでした。
 林屋辰三郎さんや原田伴彦さんのご著書が参考文献としてあげられていますので、機会があれば確認してみたいと思います。

 ついでに、『柳田国男全集』を見たところ、15ヶ所の表記はすべて「町屋」であって、柳田は「町家」とは書いていませんね。

 ウィキペディアでも「町屋」をとり、最後に「『町家』とも書く」としています。そのせいか、「町家」の項目はまだなされていないようです。

 ついでに、電子辞書も見ました。
 『広辞苑』と『ブリタニカ国際大百科』は「町家」だけを立項。
 『明鏡国語辞典』は「町家・町屋」というように併記していました。

 いつから「町家」に統一しようという機運が生まれたのか、どなたか教えてくださいませんか。おもしろそうです。

 京都の町中で配布されているパンフレットなどの表記は、「町家」を取っているものが多いようです。
 このあたりは、京の町衆がその根拠と意義を説いて、なんとかしないといけませんね。

 ブログにコメントをいただいたおかげで、おもしろい問題に気付かせてもらいました。



2008年6月21日 (土)

源氏の本文はおもしろい

 今日は、國學院大學の豊島秀範先生の所で、「源氏物語の本文資料に関する合同研究会」という集りがありました。

 毎度のことですが、この分野は研究が非常に遅れているために、刺激的な発表や意見交換がなされています。今日も、実りの多い会でした。
 一人でも多くの若い人たちが、この立ち後れている『源氏物語』の本文の調査や研究に係わってほしいものです。

 今日の発表内容で、私が特にいい勉強をさせてもらったのは、次の2つでした。

「大島本『源氏物語』の形容詞」 中村一夫

「『源氏物語』の官職呼称」   田坂憲二

 これは、これからの『源氏物語』の本文研究に、重要な問題提起をしていました。

 中村氏の発表では、本文を緻密に凝視しての成果が示されました。
 語彙という分野に留まらない、ことばを読解する上でのヒントが、たくさん鏤められていました。近く活字となって刊行されるようなので、是非読まれることをお勧めします。

 田坂氏の発表は、「左衛門督」という語句の異同を通して、巻をまたがっての考察に加えて、登場人物の年齢推定という興味深い問題にまで展開しました。
 語句の異同から、このように物語られる中身にまで切り込めるのですから、是非ともこれからの若手に取り組んでほしいものです。

 それにしても、まだまだ〈青表紙本〉とか〈大島本〉に対する姿勢が厳密でないことを痛感しました。〈青表紙本〉ということばで説明したことにする姿勢は、今後とも総括すべき問題です。
 この研究会のメンバーは、そうした問題点を十分に認識しているにも係わらず、つい〈青表紙本〉ということばで誤魔化してしまいます。気をつけたいことです。

 今回も感じました。こんな内容で発表ができる時代が来たのです。こんな質疑応答ができるようになったのです。私にとっては、夢のような環境に身を置くことができるようになったのです。
 30年前に『源氏物語』の本文の整理に着手し、このような討論ができる日が来るのを待ち望んでいた一人として、「意外に早く来た」という印象を持っています。
 予想外に早く『源氏物語』の本文に感心が集まるようになったのですから、後は若手がこうした問題に興味を持ち、育ってくれることを熱望しています。

 そのような場として豊島秀範先生の研究会が機能することを願い、今後とも背後からではありますが、お手伝いをしていきたいという思いを強くしました。



2008年6月20日 (金)

海外での食事の影響

 海外から帰ると、一週間は体にだるさが残ります。
 ヨーロッパの場合は、現地に入った時はいいのに、帰ってからが大変です。
 これも、時差ぼけなのでしょう。

 今回も、体がシャキッとしません。
 夜,銀座へ行って泳いできました。
 長時間、ヨーロッパの帰りの場合は11時間、狭いスペースでジッとしているので、体を動かすことがいいようです。
 銀座のスポーツクラブでは、無理をしない程度に体を動かし、ジャグジーで体をほぐし、スチームサウナで目や鼻や口などを洗うと、何となく気怠さはとれたように思えます。

 夜の11時前だったのですが、お腹が空いたので「銀座 兎屋」といううどん屋さんに入りました。
 この店は、以前から気になっていました。しかし、10時以降は食事をしない、ということで血糖値をコントロールをしているので、入る機会がなかったのです。

 今日は、時差ぼけを解消するのが最優先なので、食事は大目に見ることにしました。
 この「兎屋」のだしは,普段は避けているあの東京の醤油臭さのない、それでいてしっかりした味でした。
 今日は、あさりのうどんにしました。このサッパリ感がよかったのでしょうか。
 これなら、また帰りに寄れます。
 この近所に、というよりも、アルマーニの店のそばの立ち食いそば屋さんに、これまでに何度か行きました。そこが500円ほど、ここが千円弱なので、これなら気分で選べます。

 銀座四丁目を中心として、いろんな店に立ち寄ってみたいと思います。
 ただし、私の食費は千円以内なので,銀座といっても限定されますが。

 夜中に、少し高い赤ワインを飲みました。おつまみは、オランダから買って来たチーズです。
 血糖値が高くなっても、と開き直って夜中に飲み食いしたのですが、先ほど測ったところ、数値は127でした。空腹時血糖値を120前後にするように日夜努力している私としては、高くなってもいいか、と諦めていたのです。これはラッキーでした。
 夜中に、うどん・ワイン・チーズを食べたのに、この数値です。
 これで気をよくしてはいけませんが、どうしてこれで数値が上がらなかったのか、私にはよくわかりません。このような事例を体験していく中で、自分なりの食生活が決まって行くことでしょう。

 今回のオランダ行きでは、毎朝の血糖値は高めでした。

 出発の直前は127、そして現地入りしてからは、184−157−132−163、でした。
 オランダの食事では、連日、ライデン大学の先生方との会食だったので、私が好きなものが食べられませんでした。もちろん、お寿司も。

 カロリーコントロールは、私の場合は状況に左右されます。強い意志で断れないので、これはどうしようもありません。海外では、せいぜい和食で調整するしかないのです。
 今回は、調整失敗でしたが、そんなに外れる数値ではなかったし、今朝はちゃんと元の状態にもどっているので、一応は安心しています。

 私は、カロリー計算をしていません。できないのです。
 多分に我流ですが、食事を自己管理する中で、大いに楽しみたいと思っています。





2008年6月19日 (木)

またもやKLMに失望

 ライデンの最終日は、シーボルトハウスへ行きました。
 昨日の打ち上げ会で、講演をなさったシーボルトハウスの館長が、直々に展示品の解説をしてくださることになったのです。またとない機会なので、お言葉に甘えて、空港へ行く前に伺いました。

 フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796―1866)の偉大さを、その2万点のコレクションの一部ではありますが実態をこの目で見て、改めて実感しました。実際に自分の目で見る、ということの大切さを痛感しています。
 とにかく、シーボルトは、ありとあらゆるものをライデンに持ち帰っていたのです。持ち帰れないものは、ミニチュアとして作成してまでも……。
 その興味の広さと、収集の徹底ぶりには脱帽です。
 そのお陰で、江戸時代の末期の様子が、こうしてわかるのです。

 裏の庭園には、シーボルトの胸像と、彼が持ち帰った植物があります。


V3nl_41t_sシーボルト



 植物は、今も生きています。ライデン市内のいたるところに、この日本から持ち帰った植物が育っているそうです。

 なお、最上階では、「京都ドールズ」という写真展をやっていました。


0skpyrvg_sポスター



 これは、京の舞妓さんや、いかにも京都らしい写真を壁面にペタペタと貼っただけの催しでしたが、展示にいろいろと工夫があり、結構楽しめました。

 帰りの空港で、珍事がありました。

 仲間の1人が、スーツケースが4kgオーバーしているということで、中身を減らせというのです。何度か出し入れして、とにかく20キロプラス3キロにしたのですが、それでもダメだというので、また本等をとりだします。それでも20キロプラス2キロあります。本当はダメだけど、という顔をして、とにかく許してくれました。
 正式にはエコノミークラスは20キロまでです。ただし、10パーセントの許容はあるようですが、いつも大体のところで受け付けてもらえます。
 ところが、今日はやたら厳しいのです。私が大分軽かったので、2人で帳尻があっているということにしてくれたらいいのに、融通の利かないお姉さんでした。
 チェックインカウンターに着くとすぐに、私の荷物とともにカウンター横のベルトコンベアーに2つを乗せたのですが、彼の方を下ろせと言うのです。
 そんなに虐めなくても、と思いながらも、スーツケースを開け閉めする彼の姿を見ているしかありません。何か、スッキリしないままのチェックインでした。
 私は、KLM航空はどうも苦手です。

 実は、妻との銀行記念旅行で、もうコリゴリという体験をしています。どこかに書いたような記憶があるので,再掲載はしませんが……。
 KLMの飛行機で非常に不愉快な思いをし、到着ロビーで苦情を伝えた所、後日KLMからオランダ直送の花束が届きました。送りつける、というやりかたにも気分を害し、それを受け取り拒否したところ、今度は図書カードが来ました。もう大人げないので、それは貰っておきましたが、以来、私はKLMは意識的に利用しませんでした。最低の航空会社だと思っているからです。
 今回は、自分で差配できる状況での出張ではなかったので、しかたなくKLMに乗りました。
 ところが、この会社はほとんどその体質が変わっていないようです。

 機内で食事を運んでくれるお姉さんも、何やら不愛想です。
 これは、先入観からのものではありません。
 たまたま私がいたエリアの担当の方が、そのような態度を示される方だった、ということなのでしょうが……。
 私が飲み物のコップを床に置いていたら、危ないので置かないでくれと注意をされました。気をつけてほしい、という趣旨はわかります。しかし、その言い方が、語尾をピョンと上げる調子だったのです。非常に無礼なもの言いだと感じました。

 また、往路でも気になったのですが、到着直前に配られる軽食を乗せたトレーは、どう見ても飼育する動物の餌を乗せるものです。機内食用に使うには、もっと加工と工夫が必要でしょう。


09ozd_cu_s機内食のケース



 日本でも、卵をこれに収めて売っていることがあります。
 段ボールの再利用でしょうが、その紙質が屑物入れのイメージのままです。この質感は、お客に出すものではありません。
 往復でこのトレーに置かれたものを食べることになり、非常に不快な思いをしました。
 配膳されるアテンダントの方々にとっては、すし詰めのエコノミーの機内で、まさに鶏舎のケージに餌箱を置いて回る感覚なのでしょう。
 これは、失礼千万です。

 やはりKLMは、と、今回も思いました。レベルの低い航空会社です。

 不愉快なKLMのことは忘れましょう。
 そうそう、出発間際に、お昼を食べ損ねていたので、この時とばかりに、念願のお寿司を食べました。


Idfvbvcg_sスキポール空港の寿司



 ちなみに、メニューはこんな値段となっています。
 1ユーロが170円くらいとして、1,100円というところでしょうか。


Uqsow2ne_sメニューの値段



 とにかく、この内容でこの値段なので、大いに失望です。
 ご飯にも芯があり、あまりいいものではありませんでした。
 日本食の評価を守るためにも、これは業者任せにしないで、何とか対策を考えるべきです。これでは、「やはり海外でお寿司は食べるものではない」、ということになってしまいます。
 少し高くてもいいと思います。空港等の一画は、世界中の人に寿司の理解を深めてもらう格好の場です。
 どうせ海外だから、で終わるのではなくて、日本らしさを好感を持って感じてもらうメニューの1つに、今後はしてもらいたいと思いました。



2008年6月18日 (水)

ヘレンという男

 トイレに「Heren(ヘレン)」と「Dames(ダームス)」という、2つのプレートが貼られていました。絵文字は、私が行った店では、あまりありませんでした。

 さて、どちらが男か迷った末に、私は「ダームス」の方を選択しました。吉本の漫才師で、もと参議院議員の西川きよしの奥さんは、「ヘレン」さんです。
 したがって、「ヘレン」は「姫」で、「ダームス」が「殿」にあたるはずです。

 その後も、「ダームス」のトイレを利用していました。ところが、どうも様子が違うのです。そこで、お酒の席で話題が砕けていたので、このことを確認したところ、何とまったく逆だったのです。
 「ヘレン」が男で、「ダームス」が女だそうです。みなさん、優しく微笑んでくださいました。

 とんでもない間違いというものはあるのです。
 私がトイレに入っている時、幸運なことに女性が来なかったので問題にならずにすみました。オランダの町で、大学で、恥ずかしい思いをするところでした。

 せめて、男女の別を絵で示してあったら、こんな間違いはしなかったのです。そう思っていると、絵があるトイレもありました。ところが、そんな所に限って、オランダ語が書かれていないのです。

 いやはや、ひとしきり、みなさんの失笑をかってしまいました。

 海外でトイレに飛び込む時には、十分に注意しましょう。
 あの、男女を表現した絵のアイコンは、貴重な識別記号です。
 国外退去にならずに帰国できることに、とにかく感謝しています。

2008年6月17日 (火)

ライデンの市街にある日本

 オランダのライデン大学国際会館で、2日間にわたって研究交流集会が開催されました。
 テーマは「オランダと日本 ―文化的〈対話〉の軌跡―」でした。


H1askhfp_s国際会館



 私は、イフォ・スミッツ先生の「譬喩画と司馬江漢:イソップ寓話の変容」と題する研究発表のコメンテーターとしての役割りがありました。


Psmgykom_sコメント中



 左端に、イフォ先生がおられます。
 活発な質疑応答が行われました。

 午前中は、4人の方の研究発表があり、午後はライデン市内の見学でした。


Q_fewwmo_s日本学研究所



 まずは、ライデン大学の日本学研究所から貴重書を保管する図書館へ。説明をしてくださったのは、今日で停年退職を迎えられる先生で、これが最後の案内になるとおっしゃっていました。


Dsgj_zi4_s図書館



 非常に博識の先生で、所蔵書の中から、日本に関する江戸時代の本を中心にして説明してくださいました。
 書棚の上の「火の鳥」が印象的でした。

 町中には、平成天皇がライデンにお出でになった時、窓越しに学生たちと会話をなさった時の写真が、その壁に取り付けられていました。こんな感じのところです。
 このコンクリートのポールに手をかけて話しかけられたのです。


Eqpy9yly_s天皇の写真



 民家の建物の中の四角い空間は、こんな庭になっています。
 妻が大好きなイングリッシュ・ガーデンでした。


B1zx1vxp_s英国庭園



 ライデン市内には、日本に関するさまざまなものが目に飛び込んできます。
 そのいくつかを。旅先からの報告なので、説明は省きます。

 まずは、菅原道真の和歌が、壁に書かれているものから。
 「こちふかばにほひおこせよ梅の花……」


Bcwr94ny_sこちふかば



 次は、芭蕉の「荒海や……」の句です。
 町中で突然こんな壁に出くわすと、その状況に戸惑います。


Hnfzu7ii_s芭蕉



 次は、「川」と「州」という文字で書かれたアーツです。


Gp7bjpkx_s芸術?



 ウーン、おもしろい芸術です。でも、リアクションが難しいものです。

 最後は、私が海外でいつも探す寿司屋さんです。


Wlza6uvk_s寿司屋



 これは、泊まっているホテルの数件横にありました。この隣が中華料理屋さんなので、ここでの味がどうなのか、非常に興味があります。もっとも、今回この店で食事をする余裕がないのが残念です。



2008年6月16日 (月)

ライデンの月光

日曜日のライデンの街は、お店がすべてお休みです。
お寿司屋さんを駅前の通りで見つけました。


Jabwy00a_s寿司屋



お店の中は、こんな感じです。

Xoekyamw_s店内



招き猫や布袋さんが見えます。
中華の感じがします。今回の滞在中に入れたらいいのですが、何かと仕事が忙しいので、難しそうです。

夕方から、ライデン大学の先生方と、明日の国際集会の打ち合わせと懇談会がありました。

Ofkzylud_s懇談会



写真の右下で歓談後、その左のレストランで食事をしながらの懇談です。
さまざまな分野の研究者との話は、知らないことがたくさん聞けて楽しいものです。
私の隣の席の方は2週間後に来日し、国文学研究資料館で半年間ほど研究するとのことでした。これからお付き合いが始まるだけに、楽しみが増えました。

その後、すぐそばの古城跡に登り、ライデンの街を見下ろしました。

Uj1yko6l_s市街



午後9時ごろなのに、こんな明るさです。

ホテルに着いた時には、空には月が出ていました。

Ccyeaoyz_sライデンの月



ライデンの月は、非常にさわやかな顔で、私たちを空から見ているようでした。




2008年6月15日 (日)

夜でも明るいライデン

Yisb4_w0  ライデンの2日目は、明け方に雨が降りましたが、すぐにやみました。

 昨日は、アムステルダムの空港から電車で10数分のライデン中央駅に着きました。近代的な明るい駅舎です。まわりがレンガ色なので、その新しさが目立ちます。


Uplyw3re_sライデン中央駅



 ここは、自転車だらけです。
 駅前の地下は一大駐輪場となっています。
 通りには、ぎっしりと自転車が止めてあります。

 十分も歩かないうちに、今回宿泊するホテルに着きました。

F_1e0jj8_sホテル



 私は、裏の3階の部屋に入りました。ところが、先ほどフロントで無線のインターネットがつながったのに、部屋では無線のアクセスポイントは認識するのに、つながりません。
 フロントの女性に聞いたのですが、どうやら部屋の面倒までは見られない、という感じの対応です。ことばが通じればいいのですが、うまく窮状を訴えられません。
 ということで、前回の第一報は、フロント前のテーブルからアップしたものでした。

 夕食前に、町を少し散策しました。
 すぐ前の川岸に停めてある船で、何人かの人が食事をしています。


T4ah_p0n_s食事



 その船端には、数羽の白鳥が泳ぎ群れています。
 海鳥も、空を舞っています。

 この文章を書いている明け方の部屋では、カモメかウミネコらしい鳴き声が聞こえます。
 窓の前に、一羽の鳥が朝日を浴びていました。


Xyxaybz__s海鳥



 海の中にある町、ということが実感できます。

 昨夜は、夜の十時頃に日が落ちました。東京から12時間かかってアムステルダムに夕方着いたので、長い1日でした。海外に来ると、時間を得したのか損をしたのか、いつもその差し引きを考えてしまいます。

 今日は日曜日なので、お休みのところが多いようです。
 明日の準備もあることなので、持参した仕事を1つでも多くこなすことにします。





2008年6月14日 (土)

オランダのライデンから第一報

 先ほど、オランダのライデンに着きました。
 日本の地震のニュースに驚いています。

 時差は7時間です。
 少し肌寒いので、日本の3月初旬の気候でしょうか。

 ホテルの無線LANを使っていますが、私の部屋ではつながらず、フロント前のテーブルでこれを書いています。

 これには、数日苦労しそうです。


源氏のゆかり(19)説明板13-建礼門跡

 建礼門は、内裏の外側の正門です。
 前回の宜陽殿から南へ真っ直ぐ下ると、二条城北小学校の校門の前に、説明板があります。
 写真の左端にあるのが、それです。


Wkx_zqdh_s説明板



 平安宮内裏南限と建礼門跡

とあります。


 Omtlhyno_s説明板



 この説明板に、内裏の図がありますので、再度引きます。
 

Blwthchb_s内裏図



 この建礼門跡から、元来た下立売通りを臨むと、こんな感じで見えます。


Br1e6_pl_sもと来た道を振り返る



 この内裏の一画は、範囲が狭いので説明板も簡単に見つけられそうですが,実際に歩くと、説明不足ということもあり、なかなか見つかりません。
 案内書が出たら、再確認したいと思っています。




2008年6月13日 (金)

京洛逍遥(40)紫式部が火の用心

 街中の至る所に、市の広報板があります。そこには、地区のお知らせ等が掲示物として貼られています。
 京都市を散策していると、いろいろなお知らせの掲示を目にします。
 そして、やはり、ありました。
 紫式部からのメッセージが……。


Tvcuoafp_sポスター





紫式部からのメッセージ
 「火危し」
  〜源氏物語より〜
源氏物語千年紀
  今も昔も「火の用心」
       上京消防署




 この背景となっている絵は、宇治市源氏物語ミュージアムが持っている『源氏物語画帖』の第41巻「幻」です。

 この絵の場所は、六条院の東南(春)の町です。季節は冬で、光源氏が52歳のときのことです。
 年末に出家を決意した光源氏は、これまでに女君たちから受け取った思い出深い数々の手紙を、親しい女房たちと一緒に焼却するのです。須磨に流謫していた時に貰った紫の上からの手紙も、惜しまずに燃やして、愛執の念を断ち切るのです。

 この絵では、光源氏が中央上に座していて、女房たちが囲炉裏に手紙を投げ入れて燃やしています。

 この絵と同じ場面を描いた源氏絵には、浄土寺蔵『源氏物語扇面散屏風』や京都国立博物館蔵土佐光吉筆『源氏物語画帖』、そして京都民芸館蔵『源氏物語色紙絵』や個人蔵の土佐光起筆『源氏物語画帖』などがあります。
 いろいろな画帖によく似た絵柄があるということは、パターン化していたことを意味します。この絵を見ると、火に手紙を投げ入れるシーンを想起し、火に気をつけようという注意力を喚起する意味合いがある、と見ました。

 なかなか、うまい絵の選定です。
 源氏絵が現代の生活の注意力を喚起するのですから、源氏文化の底力を見る思いがします。

 偶然でしょうが、その左横には、藤原紀香のポスターが貼られています。
 絵柄といい、その隣のポスターといい、よく出来たポスターの掲示だと思います。



2008年6月12日 (木)

井上靖卒読(40)『夏草冬濤』

 『夏草冬濤』は、井上靖の中学時代を語る自伝的小説です。この作品の前にあたる幼少時代を語るのが、『しろばんば』です。そして、高等学校に入るまでは、『北の海』に描かれています。

 この小説は、中学3年生の洪作が、飛び込み台で味わった恐怖体験から始まります。
 誰にでもある気持ちが語られるので、つい読み進んでいく仕掛けになっています。

 この作品は、一章から十三章までで構成されています。各章に見出しがないので、私は見出しの言葉をつけながら読み進みました。
 私がつけた小見出しを、ここに記しておきます。

 一章 飛び込み台 /二章 カバンの盗難 /三章 成績で呼び出し /四章 将来の夢 /五章 二人の少女 /六章 女学生の列/七章 伯父/八章 子供たちと正月/九章 柔道と詩/十章 友情と愛情/十一章 フランス料理/十二章 お寺の娘/十三章 伊豆への船旅


 『夏草冬濤』は、純朴な人間が、お互いに関わりを持ちながら生きています。みんなが1人だけで生きてはいない社会が描かれています。そこが、現代の日本の社会から見ると,かえって羨ましくなります。
 現代人が切り捨てて来た煩わしさが、この作品の中では、かえって、人が生きていく上での推進力となっています。これは、戦後、急速に欧米化した過程で、削ぎ落としたものです。なくしたものの中にある、日本文化を産んだ核は、この作品の読み直しをする過程で、再評価すべきではないでしょうか。

 慎ましさと荒々しさは、大切なものだったと、改めて認識を深めました。

 最後の海のシーンで、白い雲と青い空が、非常に印象的でした。
 私が注目している月光の場面の設定は、この作品では4カ所に認められました。しかし、とくに意味を持たせたものではありませんでした。【3】




初出紙:産経新聞
連載期間:1964年9月27日〜1965年9月13日
連載回数:350回

新潮文庫:夏草冬濤
新潮文庫:夏草冬濤
井上靖小説全集26:夏草冬濤
井上靖全集16:長篇9


参照書誌データ:井上靖作品館
  http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/


2008年6月11日 (水)

江戸漫歩(8)東京エキナカ

 最近、駅の中のショッピングセンターが話題です。
 品川駅や立川駅は、入場切符を買ってでも買い物客が訪れています。それだけ、魅力的な店が入っているのでしょう。
 私には、この社会現象がよくわかりません。

 それはともかく、東京駅にもエキナカと呼ばれるゾーンがあります。
 東京駅の場合は、改札の中だけではなくて、外の構内にもたくさんのお店があります。

 今日の夕食は、東京駅の改札を出た八重洲北口にある、キッチン・ストリートで食べました。
 それも、あの「アルポルト」で。


Tsc5fb8g_sドン・アルポルト



 息子は、イタリアンシェフを目指しています。そして、片岡護さんを尊敬しているようです。
 数年前に、家族で西麻布にある「アルポルト」へ行きました。そして、片岡さん直々に料理の説明をしてもらいました。そして、一緒に写真も撮りました。この片岡さんには、息子も料理学校で直接教わったそうです。


Et_hepqk_sアルポルト正面



 その「アルポルト」が、東京駅の中にあるのです。それも、直営店とのことです。これは、行かない手はありません。

 私は、ボロネーゼ(930円)とハウスワインの赤(530円)を注文しました。本当は、評判の「カルボナーラDON」を食べたかったのですが,メニューを見て、カロリーが高そうなので、パスタにしました。

 パスタの味はよかったですね。歯ごたえも、切れのいいものでした。また、ハウスワインも癖がなくて気に入りました。

 私は血糖値のコントロールをしているので、あまり食べ歩きはできません。1日1500キロカロリーと、女性の摂取カロリーの生活をしているのです。しかし、たまには好きなものを食べて罰はあたらないと思っています。


2008年6月10日 (火)

源氏のゆかり(18)説明板14-宜陽殿跡

 紫宸殿跡からさらに東へ30メートルほど行くと、十字路の北方すぐに宜陽殿跡があります。


Uhubutix_s下立売通りから



 これは、通りからは見えないので、つい見過ごしてしまいます。喫茶店の案内標識が目印です。


T5mf247n_s宜陽殿跡



 宜陽殿跡は、本当に見過ごしてしまいそうな場所に、ひっそりと建っています。


Jzfpophp_s説明板



 この宜陽殿には、累代の書物や御物を納めていました。光源氏の四十賀の時に、蛍宮が演奏した琴は、この宜陽殿にあったものだといいます。

 ここからさらに北へ行くと、源氏物語ゆかりの地として今回制定されたものではありませんが、綾綺殿跡というものがあります。


Imkvmzrw_s綾綺殿跡



 ここの説明は、次のような表札で示されています。
 綾綺殿は、宮中の舞などが行なわれたり御物などが納められていました。


7kdf1ig5_s旧説明板



 この綾綺殿跡は、今は喫茶店になっています。


Nkjhr56d_s喫茶室



 町屋風の、なかなか雰囲気のいい店になっています。

 この中には,昔の台所の設備がそのままに置かれています。
 ここでのコーヒーは、気持ちを過去へ誘ってくれます。


Jn_ki6jr_s町屋の台所



 こんな空間に身を置くことのできる環境に、そして文化の継承に、感謝の念が湧いて来ました。




2008年6月 9日 (月)

源氏のゆかり(17)説明板8-紫宸殿跡

 蔵人町屋跡からまっすぐ東へ歩いて100メートルも行かない所に、紫宸殿跡の説明板があります。
 まずは、小路の右側の幟の右横に、かつての石碑と説明標識があります。
 そして、その真向かいの、通りの左側の酒屋さんの自動販売機の横の壁面に、『源氏物語』のゆかりの地としての新設された説明板があります。写真では、かすかに見えているものです。


Czxxlfrv_s紫宸殿跡へ



 もっとも、これも壁に取り付けられたものなので、注意していないと見過ごしてしまいます。総体に、この内裏の区域の説明板は、非常に見つけにくい状態で設置されているので、注意が必要です。
 ここの場合は、「菊正宗」の標識の真下にある、というのが目印です。


Qlrzhicg_s酒屋の壁に



 ちょうど、1人の旅人が写真を撮っておられました。少し高い位置に設置されているので,紛らわしい所になります。


Y9ayzezw_s説明板



 紫宸殿は内裏の正殿で、『源氏物語』では朱雀帝の元服が行われた所です。「南殿」とも呼ばれます。これに対して、朱雀帝の弟である光源氏は、清涼殿で元服をしました。
 紫宸殿の正面には、18段の階段があり、その左右に左近の桜、右近の橘が植えられていました。現在の京都御所の紫宸殿にも、この桜と橘はあります。京都御所の一般参賀の折等に、ご覧になった方も多いかと思います。

 有名な話ですが、この紫宸殿である南殿には、昔から鬼が出ると言われていました。『大鏡』の忠平伝のエピソードが、よく知られています。『源氏物語』でも、光源氏が夕顔を某の院へ連れて行き、そこで物の怪が現れた時、この忠平の話を思い出しています。

 この説明板の前に立っても、まわりが民家なので、内裏の中心にいることが実感としては湧きません。
 とにかく、内裏の中の殿舎の位置関係がよくわかる、という意味で、ここは歩いてみる価値のある一帯です。




 

2008年6月 8日 (日)

ノートパソコンのバッテリが変形

 外で研究発表やデモンストレーションをしたり、旅先で情報を整理・入力する時に使うノートパソコンである、MacBook Proのバッテリーが、変形しているのに気づきました。

 どうもキーボードがグラグラして安定しないので、裏返してみて驚きました。


Ylapc92p_s裏側



 バッテリーが盛り上がっているのです。
 自分の目を疑うほど、バッテリーの渕が反り返っているのです。

 バッテリーパックを取り外してみると、こんな状態でした。


Cddfr_kx_s正面



Apjraots_s側面



 これは、普通ではありません。
 アップルのホームページを見たのですが、バッテリーの交換対象になっているのかどうか、よくわかりません。

 また、アップルストアへ行ってみます。
 このパソコンは、今年の3月に、ロジックボードの交換をしてもらったものです。
 同じマシンで、今度はまたまたトラブルです。

 今後の展開については、また報告します。
 とにかく、第1報ということにしておきます。




2008年6月 7日 (土)

源氏千年(49)京文博で記念シンポジウム

 京都文化博物館の別館で、『源氏物語』の千年紀を記念するシンポジウムが開催されました。
 これは、中古文学会関西部会の例会が、特別イベントとして開催したものでした。
 東京からもたくさんの研究者の方々が参加しておられました。
 大盛況のシンポジウムでした。

 「大島本源氏物語の再検討」というテーマのもとに、熱のこもった研究発表がなされ、多くの知的な刺激を受けました。
 私も、最近は大島本の調査を通して、この本について関心を持ち出したところです。
 私は、陽明文庫本を大事にして来ました。その意味では、大島本は無視していました。しかし、いろいろな関わりから、私にとっては無視できない本になったのです。そして、大島本が持つ問題点と、その評価について、いろいろと思いをめぐらさざるをえない状況になってきました。

 そんな時だったので、大いに期待して会場で聞き入りました。
 しかし、あまりにも期待し過ぎて参加したせいか、私にとっては思ったほどの収穫がなかったのが残念でした。

 やはり、パネルディスカッションというのは、難しいものですね。
 パネラーの先生方は、よく資料を博索し、よく調べておられたので、最近とみに記憶力と根気がなくなった私は、感心しながら聴いていました。
 それでも、多くの資料からの推測がシャープ過ぎて、私にはよくわからないことが多かったのです。
 私も年のせいか、くるくる考えることができなくなりました。若い方々の論理展開とその見通しに、もうついていけなくなった、と言った方がいいでしょうか。

 とにかく今日の討論は、私の期待を大いに裏切るものだったので、自転車での帰り道は、ペダルが重たく感じられました。
 パネラーは元気だったし、歯切れもよかったし、説得力を持って語っておられました。それにもかかわらず、どうしたわけか、私にはそのことばに重みが感じられなかったのです。
 発表者に対しては、こんな印象や感想で申し訳ないのですが……。

 特に、大島本の用例検討にあたり、傍記や修正やナゾリを取り込んだ最終本文が資料の基礎となっていたことが、この研究分野のレベルがまだまだ低いことを痛感させられました。
 『源氏物語別本集成』で提示した大島本の本文が、本行の本文をもとにしている意味が、まだまだ一般には理解されていないようです。
 本日も発表者のみなさんが、基本文献とされる『源氏物語大成』を批判的に扱いながら、あの資料編の呪縛から逃れられないのはどこに問題があるのか……。会場の椅子に座ったままで、耳では言葉を聞きながら、心の中では、目の前で展開される少し聞き飽きた退屈な論理の意味を反芻していました。

 最後に、司会の片桐洋一先生が、こんなことばでまとめておられました。

「今までの国文学界が、大島本を持ち上げ過ぎた。」

「『源氏物語』の本文研究は遅れている。」

 そして、「池田亀鑑先生を度外視できない」という研究状況を、痛烈に批判しておられたように聴きました。

 私も、『源氏物語』の本文に齧り付いている1人として、こうした批評には自分なりの答えを用意しています。それが、『源氏物語別本集成』であり『源氏物語別本集成 続』を土台とするものなのですが、これを答えとするには、まだまだ時間がかかります。

 今は、残す所あと10冊となった『源氏物語別本集成 続 全15巻』の完結にむけて、ひたすら作業をするしかありません。その後で、本日のような論争に参加できればいいな、と思っています。

 今日のイベントで私が一番よかったのは、シンポジウムが始まる前に、舞台の横で実演された、和紙と和紙を水と糊とで着ける、「喰いさき」と言われる技法の紹介でした。


Wyw3zvmz_s喰いさきの実演



Q9i401bg_s実演2



 このことは、藤本先生から何度も説明を聞き、実際に目の前でやってくださったのですが、いかにも職人という方の実演を見て、改めて古写本のありように目が向くようになりました。

 開会前のプレゼンテーションが一番よかった、というのは主催者の皆様に失礼ですが、私にとっては確かなメッセージが伝わってきたデモンストレーションでした。





2008年6月 6日 (金)

iPod の文字入力の問題点

 職場への通勤時間が片道1時間50分となり、電車の中での読書とテキスト入力の時間が増えました。
 
 本はよく読むようになりました。しかし、30分もすると、目が疲れてきます。電車の振動による影響だと思われます。

 目が疲れたら、しばらく休んだ後に、iPod touch にメモを入力します。これが、非常に役に立つのです。通信機能でパソコンにメモをおくり、それをパソコンで編集しながら仕上げます。また、データベースの基礎データは、無線でパソコンに転送した後に、すぐにデータベースなどに取り込めます。

 最近気づいたのですが、文字の入力ミスが目立つようになりました。特に、「A」と「S」の間違いが頻繁です。これは、左端にあって、よく使う文字だからだと思われます。


Nueow57z_sキーボード



 私は、多数の方々がなさっているローマ字入力ではなくて、カナ入力をしています。パソコンの草創期の仲間は、カナ入力派が多いのです。
 かつてはコンピュータのプログラムもやっていたので、アルファベット入力はできますが、考えながら入力する時には、やはりカナ入力です。特に、資料を見たり捲ったりしながら文章を入力する際には、片手で入力できるかな入力は非常に便利です。

 ところが、iPodは、ローマ字入力しかありません。
 私は、右手の人差し指でタッチパネルの文字を押していますが、しょせんはガラス面をタッチするので、押している感覚はありません。また、固い板のツルツルの表面を押しているので、文字を入力しているという感覚は伴いません。そのせいか、左端の文字が、よくズレルのです。

 この原因は、タッチ部分が小さいことに尽きます。もう少し幅があると、指からターゲットとなる文字を外すことはなくなるでしょう。

 今年の年末までには、iPhoneが日本でも使えるようになるようです。私も、その日を1日も早くならないかと待っている1人です。

 そのiPhoneの入力も、iPodと同じだそうです。
 今後とも、文字入力画面の検討を期待したいと思います。
 ことばを入力するのは、情報化社会では避けては通れません。そうであるならば、世界でも特殊な日本語の入力について、さらなる研究開発を進めていただきたいものです。




2008年6月 5日 (木)

源氏のゆかり(16)説明板6-蔵人町屋跡

 回廊跡の次は,すぐ東にある「蔵人町屋跡」です。
 前回の回廊跡の説明板があった金網は、次の写真の左端の電信柱の左側になります。

Tywyl9ps_s通りの様子



 そして、この写真の右端の壁面に、「蔵人町屋跡」の説明板が設置されています。
 ここは、和食屋さんの入り口のそばです。
 説明板は、こんな感じで書かれています。


Kqzugx85_s説明板




Vb2brsgp_s復元図



 説明板の中にある、内裏の復元図を拡大しましょう。
 おおよそ、ここがどのようなところかがわかると思います。
 ついでに、内裏の中のどのような所を移動しているかがわかる図も、拡大して掲載しましょう。


Iaa5chfu_s内裏図



 今、自分が内裏の中を歩いているのだ、ということが実感できるかと思います。

 この説明板のある和食屋さんのメニューケースの下には,「蔵人町屋」という石碑があります。


Dccwlnq9_s和食屋



 この『源氏物語』のゆかりの地の説明板は、こうした皆さんの理解と協力のもとに設置されているのです。
 感謝の念が湧いて来ます。



2008年6月 4日 (水)

江戸漫歩(7)内藤新宿

 息子と、新宿の歌舞伎町にある回転寿司屋へ行きました。
 学生時代から、妻と一緒によく行っていた店です。と言っても、もう30年以上も前のことですが……。
 あのころよりも、新宿には回転寿司屋が増えました。

 私はいつも、5皿しか食べません。と言うか、胃を切除している私は、5皿しかお腹に入らないのです。

 そして、一人で外食をするときは、お酒は飲みません。
 何かあった時に、自分の身を守れないと思うからです。
 外でお酒を飲むのは、誰かと一緒に行った時だけです。
 今日は息子がいるので、これは安心して飲めます。

 息子はシェフを目指しているので、ワインなどのテイスティングはしてくれますが、自分で進んで飲むことはあまりしません。一緒に飲むことも、あまりないのです。ほとんど、私だけが飲み、息子はいろいろなものを食べています。

 お寿司と一緒にビールというのは、やはり夏だけです。普段は焼酎のお湯割りに梅干しを入れます。これがお寿司に合うのです。

 今日は、息子と喋りながら食べていたせいでしょうか?  なんと8皿も食べていました。
 息子は14皿でした……。若者は、よく食べ、よく眠るようです。

 食後、アルタの前で、急に学生時代に妻とよく行っていた一杯飲み屋に行きたくなりました。30年ぶりになります。

 学生当時、お金がなかったこともあり、安くてお腹が一杯になる店に行っていました。新宿西口の線路際にある、今の「思い出横町」と言う所は、かつては「しょんべん横町」と呼んでいました。
 私と妻は同級生で、大学の帰りによく渋谷や新宿で飲んでいました。もちろん、秋田生まれの妻の方が酒豪でしたが……。
 そして、新宿では「岐阜屋」という所に、よく行っていました。そこへ、急に息子と行きたくなったのです。

 30年前と同じように店は営業していました。当時のままです。


Iximr1yg_s思い出通り



 違いと言えば、外国の人が多くなっていたことです。
 意外や意外、お客さんの半分は海外からの方々でした。


Znftqhsl_sずらりと外国の人が



 たまたま、隣に座っていた人が、私に何か喋りたそうにしていたので、しばらく話をしました。どうやら、旅行ガイドブックにこの一帯が紹介されているそうで、それを見て海外からの観光客が来るようです。我が青春の思い出の地も、海外からのお客さんに占領される時代となったのです。

 値段も、最近20円ほどあがったそうです。しかし、他の店と比べると、断然安いのは変わりません。

  当時、コップにお酒をナミナミと注いでくれていたおじいさんは、もういません。その息子さんらしき人が、カウンターの中でがんばっていました。おじいさんと同じ帽子を冠っていました。

 若かったころと同じ店で、こうして気楽に飲めることの楽しさを満喫しました。それも、息子と一緒なので、なおさら楽しく飲めました。中華料理が中心の店なのですが、飲むだけで楽しくなります。
 私は、当時と同じ「モツ煮」を食べました。


Oyssvj2d_sもつ煮



 年のせいでもありますが、懐かしさに惹かれてということもあり、この店にまた通うことにします。
 気持ちの若さを取り戻すためにも。
 最近は、相当疲れ気味でもあるので。



2008年6月 3日 (火)

井上靖卒読・再述(10)『愛』

 この本を読むのは、もう4回目になります。
 この前は、昨年の2月6日に「卒読(10)」として、旧ブログの「たたみこも平群の里から」に掲載しました。
 しかし、それが昨年のサーバーのクラッシュにより、すべてのデータが消失し、復元できなかったので、今回再度読み直してここに記すことにしました。前回書いたことをまったく思い出せませんので、新たに書き直すことにします。

■「結婚記念日」
 これは、何回読んでも、前に読んだはずなのに話の展開が思い出せないままに、引かれるように読み進んでしまいます。心の中が巧みに描かれているせいでしょうか。
 結婚記念日の予定を変更するエピソードは、よくあることです。
 お互いの心の動きを合わせようとする中で出した結論が、結局は一周して元に戻っているということも、よくあることです。
 そうしたことが、いかにもありそうな話として描かれています。
 地味ですが、心安らぐ終わり方に、読者としては安堵します。【3】



初出誌:小説公園
初出号数:1951年2月号

角川文庫:愛
潮文庫:桜門
井上靖小説全集3:比良のシャクナゲ・霧の道
井上靖全集2:短篇2



■「石庭」
 主人公の魚見二郎は、龍安寺の庭で決断を迫られます。まずは、親友から。そして愛人から。
 新婚旅行で龍安寺に行きます。そこで、新妻に変化が起きます。「妥協」ということばがキーワードとなっています。
 過去の出来事を引きずって生きる人間を描いた、井上靖の秀作だと思います。【4】



初出誌:サンデー毎日
初出号数:1950年10月中秋特別号

角川文庫:愛
井上靖小説全集3:比良のシャクナゲ・霧の道
井上靖全集2:短篇2



■「死と恋と波と」
 死に行く2人の話です。
 「生きてみようかな」と翻意するまでの心の葛藤とその過程が、みごとに描かれています。
 女の描かれ方が、少し優しすぎるように思います。もっと、心の内を語らせたらよかった、と思われます。
 最後に、女が男に己のすべてを預けたことは、この作品を小さくしてしまったのではないでしょうか。【3】



初出誌:オール読物
初出号数:1950年10月号

角川文庫:愛
井上靖小説全集3:比良のシャクナゲ・霧の道
井上靖全集2:短篇2










2008年6月 2日 (月)

またもや欠陥品だったMac Book Air

 相変わらず、家電製品の初期不良に出くわしています。
 もうおなじみの、購入したら欠陥商品だった、という話です。

 今回は、超薄型のノートパソコンであるMac Book Airです。

 私のもとには、まともな商品が届くとは思っていません。特にパソコンは、もう20数年にわたって、入手する製品が次から次へと不具合のあるものが渡されるのです。
 嘘みたいな、本当の話です。
 最初からまともな商品を使える人が、正直言ってうらやましく思っています。
 またかという思いに、もう麻痺していますが、一応、またでしたよ、という報告です。

 購入して一週間あたりから、キーボードの上部あたりで異音がするのに気付きました。
 間歇的にチリチリと音がするのです。夜などは、相当気になります。

 ちょうど、キーボードの最上部にあるファンクションキーと呼ばれている所の,[F8]と[F9]あたりから、耳障りな異音が聞こえるのです。


Kt8oie7l_s初期不良だったMac Book Air



 またか、という感覚なので、すぐにいつも行く銀座のスポーツクラブの前にあるアップルストア銀座に、ネットで予約をして持っていきました。

 対応にあたってくださったジニアスバーの担当者は、起動後にすぐに発する異音を確認されました。そして、電話でその場所が冷却ファンがある所だということを、専門部署で確認しておられました。そして、結論は、購入した業者に返品交換してもらうか、ここで修理に出すか、ということでした。

 アップルストア銀座に修理に出すと、この製品を直すとのこと。ただし、業者に新品と交換してもらった方が……、というアドバイスをもらいました。

 そういえば、一ヶ月ほど前に、Mac Book Pro のロジックボード交換という、人間で言えば心臓移植手術に匹敵する修理をしてもらいました。もちろん無料で。

 現在リンナイのガスストーブが、異音を発生させるために、またまた修理に出ています。
 またまた、というのは、このストーブは,異音がするので一度見に来てもらい、その後また異音が出るので修理に出したのです。ところが、症状が確認できないとのことで、そっくりそのまま返送されて来ました。それも、あきれるほどいい加減な梱包で……。
 そして、我が家でテストとして電源を入れると,またまた大きな異音が発生します。いったい一ヶ月間も何をチェックしたのでしょうか。リンナイのいいかげんさには、ほとほと愛想がつきます。
 新品ですが、異音を発するガスストーブを捨てるわけにもいかず、またまた修理に出しました。あれからさらに一ヶ月が経過しています。リンナイからは、ウンともスンとも言って来ません。あちらで勝手に処分されていたら……、と思うくらいです。

 そしてアップルです。大好きな会社なので、というより、ウインドウズを使う気の全くない私にとっては、こうしていつも不良品を渡してくれるアップルには、早くまともな商品を渡してほしいと熱望しています。
 大多数の方々には、まともに動く商品が渡されているのでしょうが、こうして私にはいつも問題のある不良品が届きます。

 機械ものですから、粗製濫造とは言いませんが、何パーセントかは商品としては落第のものも混じることは理解できます。しかし、それが毎回私に届くことに、大いに不満を覚えていることは確かです。これまでに、初期不良ではなかった製品は、皆無に近いのです。

 いつも、新製品が発売されると、すぐに注文してしまうので、未完成品を手にすることの確率が高いのでしょう。そのこともあり、最近は、半年ぐらいしてから買うことにしています。それでも、私の所に届く製品は、いつも必ず不具合のあるものです。本当に不思議です。
 宝くじには当たらないのに、こうして欠陥商品にはほぼ確実に当たります。
 今回も、まともに動く商品であることを、必死に願っていたのですが、期待を裏切らずに、いつも通りの出来損ないでした。

 溜め息をつきながら、この薄いノートパソコンを、業者に返品しようと思い、これから連絡をします。

 私は、人との出会いには恵まれています。しかし、商品との出会いは、ハズレものばかり掴まされます。
 そんな運命のもとに生きているのでしょう。

 こんど、不具合のないまともな商品を手にしたら,それこそ一大事だと報告しましょう。



2008年6月 1日 (日)

「ヒラギノ」フォントは京都の地名から

 月末になると、かならずパソコンの雑誌を買います。私は『Mac Fan』を、もう10年以上も読み続けています。バックナンバーは、ほとんど揃えています。

 今月号に、パソコンの文字の話が載っていました。
 ウインドウズは明朝体を基本とし、マッキントッシュはゴシック体が基本だそうです。これは、ウィンドウズが印刷の美しさを、マッキントッシュが画面に表示された時の美しさを考えての違いだそうです。

 また、ウィンドウズ・ビスタの新しいフォント「メイリオMeiryo」は、日本語の「明瞭」という音の響きのよさからの命名だとか。
 これに対して、マッキントッシュで一般的に使う「ヒラギノ」フォントは、京都市北区の柊野という地名からきているそうです。我が家の近くにある所ではないですか。
 「ヒラギノ」フォントは、平安時代のひらがなを意識したものだとも。
 マッキントッシュでは、「OSAKA」というフォントをはじめとして、関西が好きなようですね。

 ついでに色についても。
 画像ファイルをモニタに表示した時、ウインドウズとマッキントッシュでは同じものでも色が微妙に違います。これは、ガンマという、モニタのコントラストの設定の問題です。
 ウインドウズのガンマ値は「2.2」、マッキントッシュは「1.8」となっているそうです。これは、パソコンやモニタを購入した時に、マッキントッシュではかならず色調整をするので、よく知っていることです。
 色調整をしていない状態でのモニタの表示は、数値の大きなウインドウズではマッキントッシュに比べて、コントラストが強く,色が濃く、そして暗めに表示されるようです。色調整をする時に、この違いをいつも見ているので、改めてやはりそうだったのだ、と思いました。

 こうした違いを知ると,ますますウインドウズとマッキントッシュの背景に横たわっている文化の違いが見えて来ます。

NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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