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2008年7月の34件の記事

2008年7月31日 (木)

生みの苦しみ

 7月も終わりです。
 楽しみですが気の重い、8月と9月が迫って来ました。

 とにかく、10月に開催される『源氏物語展』が無事に実施できるように、日々準備を進めています。

 展示をするために、大切なものをお借りして来ます。その手配に払う神経は、想像を絶するものがあります。
 また、展示のための図録作りにも、さまざまな方々の力を借りる訳ですから、これまた気の休まる時がありません。
 そして、この二つが、順調に進めばいいのですが、なかなかそうはいきません。

 そして、ともに、出来・不出来の評価がくだされます。

 今日も、京都の思文閣出版と鷺草デザイン事務所で、図録の資料の受け渡しや、打ち合わせをしました。

 目の回るような時間が、自分の周りを行き交っているのを実感します。夢遊病者のように、揃えたデータを持って、走り回るのです。慣れないことに加えて、細かな作業が多いので、余計な神経を使っていることは承知です。とにかく、ものを持ち回って、体を動かすことによって、一歩ずつではありますが、作業を進めています。

 そして、その間に、携帯電話を駆使して、展示品についての交渉や打ち合わせも平行して進めます。

 場数を踏んだ学芸員の方々から見れば、およそ計画的とは縁遠い手法でしょう。しかし、前に進むしかない状況においては、一つずつを確実に進める以外にないのです。そして、己の段取りの悪さに呆れながらも、平身低頭のお詫びとお願いを繰り返します。

 毎日毎日、人に直接合い、そして電話で、メールでは数知れず、お願いの隙間でお詫びをするだけの日々が、もう何ヶ月続いていることでしょう。10月には、こんな生活から解放されることは確実なので、ひたすら忍従・忍耐の日を送っています。

 おかげで、フッと気づくと、睡魔が襲っています。
 お酒なしには一日を終えられないので、血糖値のコントロールもままなりません。

 今日は、頭の痛かったことの一つに、少し光がさしました。
 これから、膨大な書類を作成して、実現のために努力したいと思います。
 可能性が出て来たのですから、なんとしてでもしがみつきたい、という気持ちです。

 できあがってみると、何でもない図録のように見えることでしょう。しかし、その背景には、さまざまな問題が生起しており、それを一つずつ解決したからこそ到達できたものが、目の前に置かれることになるのです。

 物の背後には、本当にたくさんの見えない出来事が、無数に仕舞い込まれているのですね。
 膨大な時間とエネルギーを投入して解決したことや、その甲斐もなくできなかったことも、この図録が完成すれば忘れてしまうことでしょう。
 しかし、物事の背景には想像を絶するものがあることを、こうした機会に体験できていることは、自分にとってはいい勉強になります。
 人さまの仕事を評価する時に、きっとこの苦しみから見えた視点が、いい意味で生きることでしょう。

 もうしばらく、ジッとこうした作業に専念します。自分が『源氏物語』の研究をしていたことがある、ということが、あろうことか人ごとのように感じられます。あと数年で、これまでの仕事とは縁を切ることになります。その時に、今回の体験が今後に生かせるように、我がこととして取り組んでいるところです。

 それにしても、論文を書いたり本を書いたりする方が、すべてが自分だけの責任で遂行できることなので、気が楽なように思えます。そう単純なものではないので、比較すること自体が無意味ですが、自分以外の物事に払う注意の度合いは、そうとう違うように思えます。

 没頭できる、ということは、そこに知的な満足感があり、少なくとも楽しさがあるようです。
 スポーツ選手のコメントではないですが、楽しんでやり遂げたいという気持ちが強くなっています。

2008年7月30日 (水)

心身(21)血糖値の測定方法を変える

 私が単身赴任で東京に通うようになって、今年で9年目となりました。

 最初は、5年くらいで関西に戻ってくるはずでした。
 しかし、世の中の様子が変わり、また私がだんだん高齢となり、定年が見えてくるとともに関西に帰ることの難しさが痛感されるようになったのです。
 今は、定年まではこのままで単身赴任生活を続けざるをえないことを、自分に納得させています。
 そのためにも、それなりに、残された最後の仕事をしっかりとし終えようと決意しています。

 1999年の4月に東京に出て来て、最初の12月に初めて人間ドックに入りました。そこで、血糖値が高いという指摘を、生まれて初めて受けました。
 最初は、その意味がよくわかりませんでした。
 東京に出て、毎日が外食の日々となり、食生活が激変したことが原因でした。
 それまでは、毎日妻が作ってくれる朝食と、お弁当と、晩ご飯を食べていたのです。胃のない私のために、いろいろと配慮をしてくれていたのです。
 それが、独り身の生活となり、食事に気をつける習慣のなかった私は、とにかく好きなものを食べていたのです。

 糖尿病との診断を受けてから、食事に気を使うようになりました。しかし、やはりうまくいきません。いろいろな事情があったこともあり、毎週毎週自宅に帰るようにしたのは、単身生活を初めて2年目からです。週末は妻に食生活をまかせることで、糖尿病の生活へ突入することを防いで来ました。

 薬漬けの生活はしたくないので、本で知った血糖値を測定する装置を購入しました。
 それからは毎日、朝起きたらすぐに針と測定チップをセットして、ほとんど毎朝プチンと計測するようになりました。

 120という数値を前後する日々になりました。
 これを下回ると、体重が極端に減ります。一時は、体重が50キロを切りそうになり、あわてて少し多めに食べるようにして、今はまた安定期に入っています。

 自分では、そう思っていました。
 しかし、今月の人間ドックの結果を、近くの行きやすいお医者さんに見せると、完全に糖尿病だというドックらかのコメントを、一緒に解釈してくださいました。
 その結論が、血糖値を測定するのを、早朝の空腹時ではなくて、食後2時間に変更したらどうだろうか、という提案でした。ヘモグロビンA1Cが6.9というのは、やはりよくないそうです。毎朝の測定で安全圏内でも、この数値は過去3ヶ月の平均値なので、早朝だけで判断する自己管理の生活の見直しを迫られたのです。
 自分なりに、毎日の食事を朝の数値によって調整しているつもりでした。カロリーコントロールをうまくやっているつもりでした。
 しかし、どうも楽観的にしてはいられない状況にあるようです。

 ということで、先週あたりから、食後2時間の血糖値を測定しています。そのために、もう1つ装置を購入しました。1セットは1万7千円します。消耗品が、毎月5千円ほどかかります。これは、1日でも長く生きるための投資と思っています。

 現在の状況は、食後2時間後はだいたい210位を示します。これは、予想外に高いのです。驚いています。
 昼間の生活時間に、血糖値の高い状態で生活をしてるのです。いくら夕方からカロリーコントロールをうまくして、1日の調整をしても、やはり食後の高い状態のままは、よくないようです。

 さて、また明日から、自分の体にあった血糖値のコントロールにチャレンジしていきます。
 胃がないために、お医者さんも、私の場合にどうしたらいいのか、実際の所はよくわからないようです。そうであるからこそ、自分で数値を管理するしかないのです。

 自分の体を使っての、一生かけての人体実験です。
 楽しみながら、安定した血糖値の自己管理を目指して、さまざまな取り組みをしたいと思っています。

2008年7月29日 (火)

ハーバード大学での国際研究集会

 今秋、2008年11月21日と22日の2日間にわたって、アメリカのハーバード大学で国際研究集会が開催されます。
 主催は国文学研究資料館とハーバード大学です。


「文学の創造物 -日本の書籍、文書、絵巻物-」

(THE ARTIFACT OF LITERATURE:
 JAPANESE BOOKS, MANUSCRIPTS, AND ILLUSTRATED SCROLLS )

 ホームページが完成しましたので、紹介します。

ハーバード大学国際研究集会


 内容は以下の通りです。

 私は第一パネルの一番手で、ハーバード大学所蔵の古写本『源氏物語』について研究発表します。

 各人の発表内容は、上記ホームページの「Papers」をご覧ください。

 最初は、小さな企画でしたが、しだいに大きなものになりました。
 うまく行く時は、こんなものなのでしょう。

 2年半前の春に、『源氏物語』の写本の調査と情報収集に行きました。
 その時にお世話になった司書の方のことは、今春のブログに書きました。


賀茂街道から


 今回も、たくさんの収穫があると思います。
 今から、大いに楽しみにしています。

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Nov. 21 (Friday)

9:00 AM: Welcoming Remarks
エドウィン・クランストン (Edwin CRANSTON) ハーバード大学
メリッサ・マコーミック (Melissa MCCORMICK) ハーバード大学

9:15 AM: Keynote Address
伊井春樹 (II Haruki) 国文学研究資料館

9:45 AM:
第1パネル 「和歌、物語、翻訳」 The Materiality of Classical Literature

伊藤鉄也 (ITŌ Tetsuya) 国文学研究資料館
「ハーバード大学所蔵『源氏物語』の本文」“The Harvard Genji Manuscript”

ポール・アトキンス (Paul ATKINS) ワシントン大学
「ハーバード大学所蔵『明月記』について」“Teika’s Record of the Clear Moon in the Sackler Collection”

海野圭介 (UNNO Keisuke) ノートルダム清心女子大学
「ハーバード大学所蔵『八雲御抄』について」“An Imperial Poetic Treatise, the Yakumo mishō”

迫村知子 (Tomoko SAKOMURA) スウォースモア大学
「和歌の絵画性」“The Pictoriality of Waka: Harvard-Yenching Library’s Book of Fans”

Discussant: エドワード・ケイメンズ (Edward KAMENS) エール大学

12:00 PM: Lunch
  
1:30 - 5 PM: 美術館所蔵品特別観覧
Art Object Study Session


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NOV. 22 (Saturday)

9:00 AM: Greeting
鈴木淳 (SUZUKI Jun) 国文学研究資料館

9:15 AM:
第2 パネル 「宗教と説話」Religion and Pictorial Narratives

荒木浩(ARAKI Hiroshi) 大阪大学
「夢の形象、物語のかたち―「清盛の斬首の夢」を端緒に」

楊暁捷 (X. Jie YANG) カルガリー大学
「『白鼠弥兵衛物語』に中世の幻想を読む」

ケラー・キンブロー (Keller KIMBROUGH)
「『為世の草子絵巻』について」“Extinguishing the Flame: Cycles of Suicide in ‘The Courtier Tameyo’ (Sackler Museum)”

小峯和明 (KOMINE Kazuaki) 立教大学
「須弥山世界の図像と言説を読む」

Discussant: 徳田和夫 (TOKUDA Kazuo) 学習院女子大学

1:30 PM:
第3 パネル 「もの」としての本 The Book as Object

鈴木淳 (SUZUKI Jun) 国文学研究資料館
「美術意匠としての絵本」 “Illustrated Books as Artistic Design”

入口敦志 (IRIGUCHI Atsushi) 国文学研究資料館
「本と飾り」 “Book as Decoration”

Text and Paratext in the kanpon sakuhin of Takei Takeo 武井武雄 (1894-1983)
Rachel SAUNDERS (Harvard University)

ジョン・ソルト (John SOLT), Independent Scholar
「二十世紀の前衛本のデザイン」 “Twentieth-century Avant-garde Book Design”

Discussant: ハルオ・シラネ (Haruo SHIRANE) コロンビア大学

4:00 PM: Break

4:15 – 5:00 PM: Closing Discussion
Moderators:  石川透 (ISHIKAWA Tōru) 慶応義塾大学
神作研一 (KANSAKU Ken’ichi) 金城学院大学


2008年7月28日 (月)

源氏のゆかり(24)説明板15-平安宮大蔵省跡・大宿直跡

 仲立売通りに面した正親小学校の正門脇に、この大蔵省跡・大宿直跡があります。


08050615tonoi1正親小学校

 ここは、わかりやすくて、すぐに見つかります。
 

08050615tonoi2正門脇

 説明板に書かれていることを何度か読んだのですが、この場所と『源氏物語』との接点が見つかりません。
 平安京の中なので、『源氏物語』と無縁ではないはずです。しかし、なぜ今、ここが『源氏物語』のゆかりの地なのか、もう少し説明がほしいところです。

08050615tonoi3説明板

 とにかく、『源氏物語』のゆかりの地、ということで、また一つ確認をしたという安堵感だけが残りました。
 この説明板をめぐる人たちのために、何か楽しいことを加味した工夫が必要だと思われます。
 これでは、単に『源氏物語』と関係する場所に説明板を設置した、ということで終わってしまいます。

 手っ取り早くは、家に帰ってからインターネットで当該地をさらに詳しく知ることができるとか、仲間とのコミュニティーを用意するとか、いろいろな仕掛けをすべきです。そうでないと、『源氏物語』の千年紀が終わると、訪れる人も稀な地点になってしまいかねません。今年は、何とか人が足を運ぶと思います。しかし、来年はまだこの熱気が残っていればいいのですが、そうでなければポツンと説明板が立っているだけの場所になりかねません。

 京都市の、作りっぱなしではない文化行政に期待したいと思います。

2008年7月27日 (日)

源氏のゆかり(23)説明板19-朝堂院昌福堂跡

 朝堂院は、今の国会議事堂にあたるものです。
 また、昌福堂には、太政大臣や左右大臣の座が設けられていました。
 『源氏物語』の第21巻「少女」によると、光源氏は33歳の時に太政大臣になっています。光源氏も、この昌福堂で儀式に参加していたことでしょう。

 いつものことですが、この場所を探すのに、今回も大変苦労しました。
 京都市からの情報では、ここの「説明板建立場所の住所」として「上・千本通丸太町下る東入主税町(民家)」が公開されています。
 これだけでわかると思って行ったところ、それがなかなか見つからないのです。

 酒屋さんで聴きました。すると、奥さんが旦那さんの方が詳しいと言って、わざわざ呼んでくださいました。お二人とも、歴史散策地図や大内裏図などを持ち出して、親切に探してくださいました。しかし、そんなものが設置されたことは知らないので、とお互いに困った表情をされます。恐縮して、少しこのへんを歩いてみます、といってブラブラと辺りをうろつきました。

 これまでもそうだったのですが、地元の人は、この説明板があることを、意外とご存知ないのです。かえって、旅行者に尋ねた方が早いのかもしれませんね。

 諦めずに、今度はクリーニング屋さんに入りました。
 知らないとのことでしたが、今年の3月下旬に設置された説明板だと言うと、そういえばその道を右に入ってすぐの駐車場のそばで、そんな工事のようなことをしていたような、ということでした。

 暑いのにわざわざ外へ出てくださり、その道を丁寧に教えてくださいました。言われるがままに角を曲がると、すぐ駐車場があります。その駐車場の中のコンクリートブロックを点検しましたが、そのスペースには何もありません。隣の家で尋ねようかと思って玄関先に向かうと、何と説明板が足下にあるではないですか。


08072619tyoudouin1民家に

 低い位置に埋め込まれているので気づきませんでした。


08072619tyoudouin2説明板

 まだ、この説明板を探し当てるコツを会得していません。
 いろいろと、京の街中をウロウロしながら、迷いながら辿り着いています。しかし、それがまた楽しいとも言えましょう。

 今は、40箇所にある説明板の内、半数を確認したことになります。
 今年の4月から始めて4ヶ月もかかっているので、ややスローペースです。この調子でいくと、年末までにはすべてを踏破できると思われます。

 京を散策する楽しみの一つとして、急がずに折を見てブラブラとする、こんな遊びもおもしろいものです。

2008年7月26日 (土)

心身(20)緑内障の疑い

 過日の人間ドックの結果により、私は緑内障の疑いがある、とのコメントをもらいました。
 生まれて初めての宣告です。

 目のこととなると、手術ともなれば何かと家族の世話になるので、京都の自宅の近くにある眼科へ行きました。

 2週間つづけて検査を受けました。
 パラボラのような円形ドームの中心に、小さな赤いランプがあります。それを見つめながら、その周辺に散らばっている小さなランプが点くと、ボタンを押して合図をするのです。
 まさに、プラネタリウムを横に覗く感じです。

 単純な検査ですが、ジッと前を見続けることは容易ではありません。つい、光った方に目が行きます。ジッと中心ばかりを注視していると、だんだん赤いランプが滲んでボケて来ます。

 それでも、周辺にランプが付くたびに、手元のボタンを押します。
 長く感じましたが、5分くらいでしょうか。

 先週も今週も、検査の結果は良好で、視野は十分に確保されているそうです。

 ということで、疑いは晴れたことになります。
 ただし、糖尿病の対処があるために、今後とも注意をするように、とのアドバイスをもらいました。
 年に一度は目の検査を、と言われたので、これは本当に問題がなかったのだということを実感しました。

 今回の人間ドックの結果は、何かと緊張させるものでした。

 緑内障の他には、耳鼻咽喉科と糖尿病が問題です。ともに、あらたな病院に通院を開始しましたので、そのうちここに書くことになるでしょう。
 その他に、歯の調子が悪いのと、春先にエスカレーターで転んだ時の指が、まだ痛くて腫れています。指の曲げ伸ばしに、苦痛をともないます。とくに朝の寝起きには、指がなかなか動きません。

 いろいろと体に不具合を感じるようになりました。
 逃れようがないことなので、丁寧に付き合って行きたいと思っています。

2008年7月25日 (金)

グッタリと入洛

 今年の夏は、今秋開催する特別展「源氏物語 千年のかがやき」のことにかかりきりです。
 今日も電話・FAX・メールを休む間もなく受発信して、何とか連絡・交渉・質問・依頼・回答・相談・問い合わせ・指示・報告をし、階下の事務担当者のもとに何度も足を運び、様々な資料を複写し、膨大な書類を作成・提出・送付しました。
 その間に、会議や来客や別件の仕事の打ち合わせなどにも対処するのですから、まさに全身フル回転で秒を刻んでいました。

 これがインドだったら、まさに50人がかりで取り組むのではないでしょうか。
 インドでは、1人が何役もこなすと仕事がみんなに行き渡らないので、一つ一つの仕事が分業化されていることが多いからです。

 日本人は働き過ぎだと言われています。そうだと思います。
 しかし、それを前提で社会が出来上がっているのですから、部外者から無責任なことを言われても、それは文化の違いだ、と自分に言い聞かせています。

 明日中に、展示図録のネガと組版の試作版を、京都のデザイン事務所に渡すことになりました。
 宅配便や郵送で済ませられるという、そんな計画的で悠長な仕事をしていないので、自分が動くことになります。そのほうが、かえって楽なのです。
 常に、余裕のない状況での仕事に追われている毎日なので、目の前の案件をひとつずつこなして行きます。
 そのためにも、自分が動くことが、確実に仕事を進めることに直結するのです。
 その結果、営業マンよろしく、自分の体を動かすことになります。
 体調を崩したり、病気になると、多大な迷惑を職場にかけることは、重々承知の対処です。

 色々な資料を鞄にギッシリ詰め込んで、立川駅まで自転車を飛ばし、快速電車に飛び乗りました。
 1時間半で東京駅に着きます。
 金曜日の夜ということもあり、新幹線は長蛇の列です。
 次の列車にしようかと思いました。しかし、30分も立ったままで次を待つだけの気力がなかったので、とにかく目の前の列車に乗り込めばなんとかなる、と思って、いつものひかりに乗り込んだのです。
 ところが、悪いことに満席です。
 やがて通路からデッキまで人で埋まりました。
 後の列車にしても遅くなるだけなので、そのまま立ちっぱなしで京都に向かうことにしました。
 名古屋まで立てば何とかなるさ、と思っていたら、1時間ほどしたら静岡で席が空きました。
 やっと晩ご飯が食べられます。というより、実際は夜食です。
 いつもの崎陽軒のシュウマイに、今日はビールではなくて日本茶の濃い味です。

 これは、まさにサービス残業に類するものではないでしょうか。
 自費で自宅に帰り、帰ったついでに業務をする、というパターンです。
 よくないのですが、何かと面倒なことを避けるためにも、自分の中で割り切ってやっています。
 実際には、毎週自宅に帰った時に、関西でのさまざまな仕事をこなしています。
 それではあまりに不自然なので、時たま書類を提出して、出張扱いにしてもらっています。何かあったときには、公務災害に該当するように配慮はしています。

 1日も早く正規の仕事に戻したいのですが、なかなかそうもいきません。
 当分は、こんな不規則な生活を送ることになります。

2008年7月24日 (木)

記念切手の背景画になった国文研の源氏絵

 日本郵便のホームページに、特殊切手「『源氏物語』一千年紀」等の発行に関するお知らせが掲載されました。

http://www.post.japanpost.jp/kitte_hagaki/stamp/tokusyu/2008/h200922_t.html

 その説明は、以下のように記されています。




郵便事業株式会社(東京都千代田区、代表取締役CEO 北村憲雄)は、寛弘五年(1008年)、「紫式部日記」に「源氏物語」に関する記述が、歴史上、初めて記録されてから、本年(2008年)で一千年目にあたることを記念して、特殊切手「『源氏物語』一千年紀」及び「通常版切手帳(「源氏物語」一千年紀)」を発行します。
デザインには、国宝及び重要文化財である「源氏物語絵巻」、「紫式部日記絵巻」より、また、新出、未公開の「源氏物語団扇画帖」を取り上げています。


 この説明文の最後にある

新出、未公開の「源氏物語団扇画帖」

というのは、国文学研究資料館が新たに収蔵したものです。

 今秋10月4日から1ヶ月間、国文学研究資料館が立川に移転した記念展でもある

特別展 源氏物語 千年のかがやき

では、この「源氏物語団扇画帖」を目玉として展示します。
 図録には、54枚すべての絵に詳細な解説をつけて、みなさまにお届けします。

 この切手の背景デザインについて、日本郵便のホームページでは、「源氏物語団扇画帖」に関しては以下のように説明されています。



・「源氏物語団扇画帖」(背景)
「源氏物語団扇画帖」は、「源氏物語」の様々な場面から五十四枚の団扇(うちわ)型の源氏絵が貼られた手鑑帖で、江戸時代前期に描かれたと推定されています。五十四枚の団扇画の中から、源氏絵として古来最も頻繁に絵画化される名場面の一つ、第5図「若紫」を切手シートデザインとしています。
また、この団扇画は、保存状態が良い新出、未公開のものです。
(中略)
「源氏物語団扇画帖」(国文学研究資料館)


 なお、今回の国文学研究資料館の特別展では、4点の重要文化財『源氏物語』(陽明文庫・古代学協会・歴史民俗博物館)と、1点の重要美術品『源氏物語絵巻』(天理図書館)などなど、趣向を凝らした展示を準備しています。

 どうぞ、楽しみにしていてください。
 そして、どうぞ、鑑賞に来てください。

2008年7月23日 (水)

源氏のゆかり(22)説明板18-豊楽殿跡

 丸太町七本松から一本南の道を東に少し歩くと、豊楽殿跡が右側の金網の中に見えます。


08072318buraku1車の横に説明板が

 ちょうど車が止まっている所の、金網越しに説明板が建っています。

08072318buraku2金網越しの説明板

 この前に紹介した藻壁門跡左馬寮跡が、小学校の金網の中にありました。そこと同じように、ここも説明板があるのはいいのですが、とにかく場所が悪いので、文章を読むのに難儀します。

 とにかく、さまざまな条件の元に設置された説明板なので、徐々に整備されていくことでしょう。


08072318buraku3読みにくい説明文

 この豊楽殿は、平城京や長岡京にはなかったものです。平安京では、国家的な饗宴が行われた場所です。
 ただし、時代とともに儀式はこの豊楽殿から紫宸殿へと移り、11世紀半ばに消失してからは再建されることもなく廃絶してしまったようです。

 豊楽殿では、正月七日に白馬節会(あおうまのせちえ)が行われました。
 「白馬」と書いて「あおうま」と読むのは、この馬が白色と黒色の毛の入り交じった馬だったからだそうです。この白馬を見ると、1年の邪気を祓うという中国の信仰からくるとか。
 村上天皇の頃から「白馬」と書くようになり、そのまま今に至っています。

 『源氏物語』では、10賢木で、藤壷の三条宮へ白馬が引き回されて来ます。
 21少女では、太政大臣となった光源氏が、二条院で白馬節会を催しています。
 ただし、当時は貴族が私邸で白馬節会をしたのかどうか、よくわかっていません。『源氏物語』のフィクションかもしれません。


 後日、たまたまこの場所を通りかかった時に、こんな光景に出くわしました。

08072318buraku4遺跡を塞ぐ車

 なんと、軽ワゴン車が、この説明板を塞いでいたのです。

 運転手にとっては、そこがどんな所なのか、関係ないのでしょう。
 遠路はるばるこの地を楽しみにして訪れた方にとっては、これでは説明を読むこともできません。写真もとれません。
 残念な思いをなさることでしょう。

 京都という地は、文化が至るところに眠っています。
 そこに住む人や、そこを訪れる人は、その文化をみんなで守り伝える義務があると思います。

 興味のない方々に理解を求めるのは大変なことです。しかし、あたりまえすぎることばではありますが、少しずつでも文化や景観や環境を大切にする気持ちを持つようにしたいものです。

2008年7月22日 (火)

源氏のゆかり(21)説明板17-藻壁門跡左馬寮跡

 丸太町通りの西ノ京にある丸太町御前の信号角に、朱雀第二小学校があります。


08072217samaryu1左馬寮跡


 実は、ここを探すのに苦労しました。もっと南の一角をさまよったのです。
 ただし、地元の方に、この辺りには馬小屋が多かった、という話を聞いたのは収穫でした。

 さて、丸太町通り南側に、金網の中にですが、説明板があります。これは、なかなか見つかりにくいし、金網が邪魔で、説明も読みにくいものとなっています。


08072217samaryou2説明板

 どのような事情でか、なぜかこんな条件の悪いところに建っています。

 ここが、平安宮の西の端になります。
 説明は読みにくいのですが、拡大しておきます。


08072217samaryu3拡大図

 『源氏物語』の第2巻「帚木」の〈雨夜の品定〉のところで、光源氏をはじめとする4人の男の女性談義で、左馬頭が登場します。彼は、宮中の馬の飼育や調教をはじめとして、馬具や地方の牧を管理する役所の長官なのです。

 あまり目立たない登場人物ですが、彼が仕事をしていたのはここということになります。
 『源氏物語』を読む上では、何の足しにもなりませんが、とにかく、そんな場所です。

2008年7月21日 (月)

大沢本『源氏物語』の切り抜き帖・追補

 今日は、汗が次から次へと噴き出すほどの暑い1日でした。
 そして、大阪府立大学であった「幻の大沢家本源氏物語」という伊井春樹先生の講演も、熱気に包まれた会場で行なわれました。

 お話は、大沢家本の伝来とその鑑定、そして各巻の伝称筆者と大沢家本の本文の性格へと展開しました。

 具体的な話として、第39巻「夕霧」の本文を現在の流布本である大島本と比較した後、巻末に記された大沢家本だけが持つ「なにはの浦に」という言葉の意味する所に及びました。

080721osawag「なにはの浦に」


 会場は、マスコミ関係者を含めて満席の状態でした。
 私は、新聞社の方と最前列にいたところ、東京からお越しの先生も隣に座られました。
 これでは、伊井先生は話しにくいだろうなぁと思いながら、いつもの流れるような語り口に耳を傾けました。
 おそらく、会場の方々も、優しい口調だったので理解できたと思われます。

 帰りの道すがら、お2人の新聞社の方と話していると、中国でバスが爆発したとのニュースが入りました。

 今日の大沢家本のことが、明日の朝刊の一面を飾ることになっていたはずなのに、これでは紙面の中央を中国のネタが占めることになりそうです。
 あらかじめ国文学研究資料館における記者会見で情報が提供されており、記者の方々も準備万端であっただけに、少し残念そうな様子でした。
 もっとも、明日の紙面を見ないと、結果はわかりませんが。

 今回の件は今後のこともあるので、ネットで拾った記事を以下に集成してみたいと思います。
 学術的な引用としての収集整理が眼目の資料集なので、諸権利とどう関わるのか、よくわかりません。
 新聞記事の引用には問題もあるかと思いますが、各社の紙面構成とニュースの内容の微妙な差異がわかるので、あえて掲載してみたいと思います。
 もし問題があるとのご指摘を具体的にいただければ、ただちに掲載を見合わせるつもりです。

 この記事を通覧して、産經新聞が一番詳しく解説していると思われます。
 (補記・7月22日の新聞紙面を見る限りでは、京都新聞が最も充実した情報を整理して提供していますね。)
 ただし、私は『源氏物語』の本文の研究をしている関係上、どうしても「青表紙本」「河内本」「別本」ということばがどのような文脈で使われているのか、ということに神経が行ってしまいます。

 そのような視点から見ると、この3分類が池田亀鑑によるものであることを明示して解説しているのは、朝日新聞だけでした。それ以外は、現在の学会がこの3分類に疑問を投げかけている現状をまったく意識しないで書かれているように読めます。『源氏物語』を研究している専門家でも、この本文の分別の問題はむつかしいのです。にわか勉強の記者の方々に酷な要求かも知れません。また、研究者の中にも、この問題を軽視しておられる方もおられます。不用意な「青表紙本」「河内本」「別本」という用語が飛び交う記事や、研究論文にしばしば出くわすのも事実です。

 とにかく、この「青表紙本」「河内本」「別本」という専門用語の使われ方を確認しておく上でも、以下の新聞記事は通読する価値があります。

 そして、改めて、この本文を分別する問題で、その分類基準と用語をしっかりと提示する努力を、自分の問題として強く意識しています。
 『源氏物語』の本文について、「青表紙本」「河内本」「別本」という、私の中ではすでに過去の用語がこのような使われ方をしている実態を確認し、改めて研究者としての責務を痛感しているところです。

 『源氏物語別本集成』と『源氏物語別本集成 続』を刊行していることと、書かれた内容を分別整理しての〈河内本群〉と〈別本群〉という2分別私案を提案している立場からも、何とか多くの方々に理解してもらえる本文研究の成果を提示できるように努力していきたいと、あらためて放置されたままの問題点について再検討を呼びかけていきたいと思います。

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注、・写真は割愛してあります。
  ・文字の大小や強調などは共通のスタイルにしました。
  ・実際の記事は各ウエブサイトでご確認ください。
  ・並び順は時系列ではなくて私が採集した順です。


■朝日新聞
http://www.asahi.com/culture/update/0721/TKY200807210222.html

鎌倉中期作?「源氏物語」写本を発見 未整理の本文多数
2008年7月21日19時23分

「大沢本源氏物語」

「大沢本源氏物語」の「夕霧」の巻末。ほかの写本にはない「なにはの浦に」という6文字がある=いずれも伊井春樹さん提供

 鎌倉時代中期のものとみられる、「源氏物語」の全54帖(じょう)がそろった写本「大沢本」の存在が21日、明らかになった。藤原定家らの校訂を経ていない、別本(べっぽん)と呼ばれる未整理の本文を多く含んでおり、現在読まれている「源氏物語」より古い姿を残している可能性がある。研究者は「重要文化財級」とみている。
 大沢本の存在を確認した国文学研究資料館の伊井春樹館長によると、戦前までは奈良県内の大沢家が所蔵していたが、その後約70年間、行方がわからなかった。大沢家の先祖が豊臣秀吉から拝領したという伝承があり、筆者として西行や寂蓮(じゃくれん)、後醍醐天皇らの名前も伝わるが、証拠はない。現在の所蔵者は明らかにされていない。
 各帖はほぼ縦横16センチ。木箱は失われ、段ボール箱で保管されていた。虫食いの跡はなく保存状態もよい。一部の失われた帖を室町時代に補ったとみられる。
 別本は28帖にのぼり、ほかの別本とも異なる独特の表現が多く含まれている。たとえば光源氏の息子夕霧について語られる「夕霧」の巻末に、「なにはの浦に」の6文字が確認された。
 伊井さんは平安中期の和歌集「古今和歌六帖」の歌「おしてるやなにはのうらに焼くしほのからくもわれはおいにけるかな」からの一句ではないかとみている。この引歌(ひきうた)によって「自分も年をとったなあ」という夕霧の心情を表現した可能性がある。
 所蔵者からの依頼を受けた伊井さんが調査に着手、21日に堺市の大阪府立大で「幻の大沢本源氏物語」と題して講演し、これまでの結果を報告した。
 伊井さんは「重要文化財級の貴重な写本だと思う。『大沢本』を精査すれば、定家によって表現が洗練される以前の、平安時代の『源氏物語』に一歩でも近づけるのではないか」という。(編集委員・白石明彦)
    ◇
 〈「源氏物語」の写本〉 江戸時代に版本が普及するまで筆と墨で書き写された。平安時代に書かれた紫式部の自筆本は現存しない。鎌倉時代前期に藤原定家が写した「前田本」などが最も古い。国文学者池田亀鑑(きかん)の分類によると、定家が校訂した青表紙本、同時期に源光行らが校訂した河内本の2系統と、それ以外の雑多な別本がある。現在読まれている本文はほとんど青表紙本系統の「大島本」(室町時代)がもとになっている。

■毎日新聞
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20080722k0000m040091000c.html

<源氏物語>全巻写本「大沢本」を発見 鎌倉中期の古い巻も
7月21日21時9分配信 毎日新聞

大沢本「源氏物語」夕霧巻の表紙=国文学研究資料館提供

 「大沢本」として存在は知られながら70年近く行方不明だった「源氏物語」全巻の写本が個人宅に所蔵されていたことが分かった。所有者の調査依頼を受けた国文学研究資料館の伊井春樹館長が大沢本と確認し、21日に大阪府立大で開かれた講演会で発表した。中には鎌倉中期の写しと推測される古い巻もあるといい、伊井さんは「重要文化財級の貴重な資料」としている。

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 大沢本は、大沢という人物が豊臣秀吉より拝領したと伝えられ、明治以降度々の鑑定を受けたが、太平洋戦争前後にこつ然と姿を消した。

 大沢本を最初に鑑定したのは、明治期の古典研究家、小杉※邨(すぎむら)。小杉の覚書「鑑定雑記」を調べている伊井さんは、1907年11月に「大沢氏の子孫が持ち込んだ『源氏』写本を鑑定」という記述を発見し、かねて興味を抱いていた。また、源氏学者の池田亀鑑は40年ごろに大沢氏蔵の写本を見たが「十分な調査が出来ないまま、大戦をはさんで行方不明になった」と書き残している。今回、「源氏」本文と共に小杉らの鑑定書も見つかり、「鑑定雑記」の記述と一致することから大沢本と認められた。

 大沢本は全54帖がそろっているが、一度に写されたものではなく、不足分をかき集めた「取り合わせ本」。鎌倉中期の写本も含め、室町末期に体裁が整えられたらしい。

 「源氏」は原典が残っておらず、写本には藤原定家校訂の「青表紙本」、「河内本」の2系統と、どちらにも属さない「別本」がある。大沢本は約半数を別本が占め、例えば「夕霧」巻の末尾は「なにはの浦に」となっているが、この文言が付いた本文は、ほかに例がない。「詳細な研究はこれからだが、流布している『源氏』とは違う世界が見えてくるかもしれない」と伊井さんは期待する。現在の所有者は、大沢氏とは無縁の個人。現段階で公開の予定はない。

 異本に詳しい加藤洋介・大阪大准教授は「『源氏』が記録に現れて千年たつのを機に、写本の存在が相次いで確認されているのは喜ばしい。大沢本は質量ともに、近年まれに見る出物。室町期にどんな系統の本が読まれていたかを推測する手がかりになる」と話している。

【斉藤希史子、手塚さや香】

 ※は「木」へんに「囚」+「皿」

■時事通信
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2008072100437

源氏物語の写本見つかる=鎌倉中期と見られる大沢家本
7月21日21時50分配信 時事通信

 「源氏物語」の全54帖(じょう)がそろった写本「大沢家本」が奈良県の旧家で見つかり、調査した伊井春樹国文学研究資料館長が21日、大阪府堺市内で開いた講演会で実物と確認できたことを明らかにした。現在読まれている源氏物語にない表現もあり、貴重な資料という。
 同本は、鎌倉時代中期のものと見られ、各帖縦横約16センチ。室町時代末期に整えられた。大沢家の先祖が豊臣秀吉から拝領したという伝承があり、1940年ごろまで同家が所蔵していたが、その後約70年間所在不明になっていた。 

■産經新聞(1)
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/080721/acd0807211758009-n1.htm

大沢家所蔵の「源氏物語」写本が出現 「重文級の新資料」と専門家評価 (1/2ページ)
2008.7.21 17:55

見つかった源氏物語の「大沢本」
   
 古くは鎌倉時代までさかのぼる「源氏物語」全54帖がそろった新たな写本が確認され21日、国文学研究資料館(東京都立川市)の伊井春樹館長が大阪府立大の講演で明らかにした。昭和初期に国文学者の池田亀(き)鑑(かん)が報告して以降、所在不明となっていた「大沢本」と呼ばれる写本で、鎌倉中期から室町時代の筆写とみられる。独特の記述を持つ巻もあり、専門家は「『源氏物語』の成立に迫る重要文化財級の新資料」と評価している。
 「大沢本」は、奈良にあった旧家・大沢家に伝わった源氏物語で、明治40年、古典学者の小杉榲邨(すぎむら)が美術品として鑑定し、学界に紹介した。昭和14、15年には国文学者の池田亀(き)鑑(かん)が調査・報告したが、以後行方不明となり“幻の写本”となっていた。
 体裁は縦、横が約16センチの四角い升形(ますがた)本。各帖の布表紙は緑地の金襴(きんらん)緞(どん)子(す)で装丁され、本文(ほんもん)は料紙に筆写されている。

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大沢家所蔵の「源氏物語」写本が出現 「重文級の新資料」と専門家評価 (2/2ページ)
2008.7.21 17:55

見つかった源氏物語の「大沢本」   

 書写された時期は各帖まちまちだが、「葵」の巻は字体などからも鎌倉時代までさかのぼるとみられる。江戸時代の鑑定家らによる鑑定文(極め)が付属している。大沢家には「豊臣秀吉から拝領」と伝わり、筆者には西行法師、後醍醐天皇らの名が挙げられているが、伝承や筆者についての学術的根拠はない。
 「大沢本」は源氏物語の2大写本とされる「青表紙本」「河内本」の両方を含むが、半数以上の28帖は別系統の写本。物語の筋が違うほどではないものの、「夕霧」の巻末など微妙に異なる記述もある。伊井館長は「大沢本は独自の物語世界を持っている。(現存しない)紫式部の原文を復元するための有力な資料で、細かく調べるのが楽しみ」と話している。

 加藤洋介・大阪大准教授(平安文学)の話「54帖がそろい、別系統の写本がこれだけ含まれているという点で質、量ともに非常に貴重な研究資料。鎌倉から室町にかけて多様な写本が流通していたことがうかがえ、平安時代の写本にさかのぼる材料があるかもしれない」

 源氏物語 光源氏を主人公とする紫式部の長編小説。日本文学史上の最高傑作とされる。「桐壺」から「夢浮橋」までの54帖からなる。谷崎潤一郎、瀬戸内寂聴ら有名作家による現代語訳のほか、外国語訳も多数。「紫式部日記」には、「寛弘5(1008)年11月1日、藤原公任から『このあたりに若紫さんはいませんか』とたわむれかけられた」とする記述があり、このころまでに宮中で広く読まれていたと考えられる。その1000年後にあたる今年は「千年紀」事業が京都などゆかりの地で行われている。

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■産經新聞(2)
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/080721/acd0807211800010-n1.htm

【視点】「大沢本」発見 源氏物語研究に一大画期
2008.7.21 18:01

見つかった源氏物語の「大沢本」

 源氏物語千年紀の今年、姿を現した「大沢本」は、源氏物語研究に新たな道筋を開く可能性に満ちている。何より国文学者たちが注目するのは、これまでの研究では非主流だった「別本」と呼ばれる写本が54帖中、28帖もあることだ。
 日本を代表する古典として有名な源氏物語だが、紫式部の自筆原稿(原本)は残っていない。必要に応じ、書き写すことにより読み継がれてきた。だから、筆写を重ねるうちに相違点も積み重なっていく。
 紫式部から約200年後の鎌倉初期、歌人の藤原定家が、さまざまな写本の中から54帖をまとめたのが表紙の色からそう呼ばれる「青表紙本」で、4帖が現存する。私たちが目にする源氏物語の多くは青表紙本系統の「大島本」をもとにしている。
 また、鎌倉中期に源光行父子が校訂した「河内本」も室町中期まで広く読まれたが、定家の名声の高まりとともに廃れた。
 一方、大島、河内の両系統に属さず、これまで「別本」と呼ばれてきた写本群がある。代表は「陽明文庫本」。源氏物語の最古の注釈書「源氏釈(しやく)」(平安末期)と近似し、古い表現が残り、平安期の源氏物語に迫る手がかりとなるという。
 “定家以前”の別本研究は最近、新発見が相次ぐ状況にある。そのタイミングで今回、54帖そろった大沢本が出現した意味は大きい。大沢本の系統別内訳は、青表紙本系統が22帖、河内本系統4帖、別本28帖となっている。
 池田和臣・中央大学教授は「源氏物語の研究は、これまでの概念にとらわれず、文献学に基づいて本文を読み込み、洗いざらい初めからやり直さなければならない時期に来ている」と話す。大沢本の公開が、その画期となることは間違いない。(牛田久美)

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■共同通信
http://www.47news.jp/CN/200807/CN2008072101000468.html

 発見された源氏物語「大沢家本」(伊井春樹・国文学研究資料館長提供)
幻の源氏物語写本を発見  独自の文を含む重要資料

 源氏物語の写本の一つで約70年行方が分からず幻の存在だった「大沢家本」とみられる写本が見つかり、国文学研究資料館(東京都)の伊井春樹館長が実物と断定したことが21日、分かった。同日、大阪府立大での講演で明らかにした。
 54帖がすべてそろい、他の写本にない独自の文を含むほか、明治時代の国学者小杉榲邨(すぎむら)による1907年の鑑定書なども添えられている重要な資料だという。源氏物語1000年紀の年の発見として話題を集めそうだ。
 大沢家本は小杉が07年の日記にその存在を記録。平安文学研究の権威池田亀鑑も40年ごろ調査していたとみられるが、以降所在が分からなかった。
 伊井さんは3年前に所有者から依頼され調査。各帖の本文の伝承筆者として「伝西行筆」「伝後醍醐天皇筆」などと記され、池田が「源氏物語大成」研究資料編に記していた筆者名と一致した。
 紫式部が平安時代に書いた源氏物語は、江戸時代に版本が普及するまでは書き写すことで伝えられてきた。大沢家本は別々に筆写された54帖を集め、室町時代に装丁されたとみられる。
2008/07/21 19:06   【共同通信】

■読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20080721-OYT1T00525.htm?from=main1

源氏物語全54帖の写本「大沢本」見つかる、重文級の価値

 鎌倉中期から室町期にかけて作られたとみられる「源氏物語」全54帖(じょう)そろいの写本が、新たに見つかったことを、国文学研究資料館(東京)の伊井春樹館長が21日、大阪府内で行われた講演で明らかにした。

 先に東京都内で確認された室町中期の54帖より古く、伊井館長は「重文級の美術的、学術的価値がある」としている。
 今年の源氏千年紀を機に、研究者が写本研究に力を入れたことが、相次ぐ発見につながった。今回の写本は、奈良の旧家、大沢家が豊臣秀吉から拝領したとの言い伝えが明治期の調査記録に残る、「大沢本」と呼ばれるものとみられる。戦後、行方不明になっており、伊井館長は所有者などは非公表とした。
 縦14~15センチ、横15~16センチ。全帖とも金糸を使った金襴緞子(きんらんどんす)の表紙がついており、保存状態は極めて良い。
 平安から鎌倉期の僧侶の西行や寂蓮、鎌倉末期の後醍醐天皇ら、名高い人物が書写したとする、江戸期と明治期の鑑定書が添えられていた。本人か、筆跡をまねた別の人物が写したかは分からないという。
 54帖のうち28帖は、鎌倉初期に藤原定家が写した「青表紙本」と、同時期に源光行らが校訂した「河内本」の2大系統に属さない「別本」だった。別本には、定家より以前に写されたものが含まれている可能性があるという。『夕霧』帖の巻末は、他の写本にはみられない「なにはの浦に」という和歌の言葉を引用しており、中年を迎えた光源氏の息子、夕霧の感慨をにじませている。伊井館長は「戦後の研究は、定家の写本がもとになって現代語訳などが行われてきた。しかし、大沢本の出現で、今は失われた紫式部の原典の世界に近づいていけるのではないか」としている。
(2008年7月21日22時19分  読売新聞)

■京都新聞
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2008072200030&genre=M1&area=K00

Kyoto Shimbun 2008年7月22日(火)
大沢本源氏物語を発見
池田亀鑑の調査後、70年不明

54帖がすべてそろい、見つかった幻の「大沢本源氏物語」(伊井春樹館長提供)
 源氏物語研究の権威で昭和初期の国文学者・池田亀鑑(きかん)が戦前、調査しながら所在不明になっていた幻の「大沢本源氏物語」が見つかったことが21日、分かった。国文学研究資料館(東京)の伊井春樹館長が大阪府立大(堺市)の講演で発表した。豊臣秀吉が所蔵し家来に与えたものと伝えられ、京都の「陽明文庫本」に匹敵する「重文級の古写本」という。
 「大沢本」は、五十四帖(じょう)すべてそろい、縦横約16センチの写本。表紙は金襴緞子(きんらんどんす)の装丁で統一されている。
 全体の3分の二は鎌倉時代の写本。源氏物語の写本は青表紙本(あおびょうしぼん)と河内本(かわちぼん)の系統があるが、大沢本は平安時代の源氏物語の本文の状況を伝えるとされる別本が二十八帖もあった。
 また夕霧の巻の末文には、他の写本にはない「なにはの浦に」との和歌が引用されるなど全く新しい個所も見つかり、源氏物語の本文が多様に変化していたことがあらためて分かった。
 鎌倉時代の別本を多く含む写本は、重文の「陽明文庫本」と「保坂本」(東京国立博物館蔵)が知られ、「それらに匹敵するか、それ以上の価値がある」(伊井館長)という。
 「大沢本」にはまた、明治期の美術鑑定の権威・前田香雪や古典学者・小杉榲邨(すぎむら)が1907年に書いた鑑定書が添えられていた。秀吉が大沢護久に下賜した伝承を記すほか、題字は公家の近衛信伊(のぶただ)、金泥の下絵は狩野山楽が書き、写本の筆者は西行や寂蓮(じゃくれん)、後醍醐天皇らとしている。
 大沢本は個人蔵といい、伊井館長は3年前に仲介者から調査を依頼された。

 ■原本に迫る手掛かり
 幻の「大沢本源氏物語」が、明治の学者が鑑定してから100年、池田亀鑑の調査が未了のままになってから70年ぶりに見つかった。近年、学界で注目を集めている別本が半数を占める重文級の写本で、源氏物語研究に大きな刺激となる大発見となりそうだ。
 源氏物語は紫式部の自筆本は現存せず、鎌倉初期に藤原定家が校訂した青表紙本と、河内守(かわちのかみ)源光行・親行親子が校訂した河内本を書写した二系統の写本、この二系統に含まれない別本の写本が伝えられる。池田亀鑑が青表紙本をより純良な本文と判断して以来、その忠実な写本とされる古代学協会(京都市中京区)所蔵の「大島本」を中心とした本文が広く読まれている。
 しかし、青表紙本の「大島本」は室町後期の写本である上、どうさかのぼっても定家が手を入れた源氏物語でしかなく、紫式部による原本の源氏物語ではない。印刷技術のなかった時代、書籍は書写するしかなく、誤りや脱落、書き込みが起こりやすく、平安末期の源氏物語はさまざまに違った本文になっていたとみられている。
 鎌倉時代の別本を含む「大沢本」は、定家の校訂前の多様な本文を伝えている可能性が高い。今後、別本の研究が進めば、紫式部の源氏物語に近づいていくかもしれない。それだけに、「大沢本」の発見の意義は大きい。

 ▽大沢本源氏物語 池田亀鑑(1896-1956)が1940年ごろに調査し、戦後刊行した「源氏物語大成」に「大沢家蔵源氏物語」と紹介した古写本。池田は調査途中で中止せざるを得なくなり、全てを調べられないまま、「戦火は免れたと思はれるが、今その行方を知らない」と記録している。

◆参考 NHK
http://www.nhk.or.jp/news/k10013028061000.html#

7月21日19時27分

今からちょうど1000年前に紫式部が書いた「源氏物語」で、これまでに見つかったものとは多くの表現が異なる古い時期の写本が見つかり、研究者は「平安時代の源氏物語の姿を探るうえで重要な存在だ」と話しています。
この写本は、昭和初期まで奈良県内に伝わり、その後行方がわからなくなっていたもので、21日、大阪・堺市で開かれた国文学の講演会で発表されました。写本はおよそ15センチ四方の冊子で、全54巻とされる源氏物語がすべてそろっており、このうちの半分以上は、現存する写本としては比較的古い鎌倉時代に書かれたものだということです。源氏物語は、平安時代に紫式部が書いた原本は見つかっておらず、鎌倉時代に藤原定家がまとめた写本を基にしたものが広く伝えられています。しかし、今回見つかった写本は、半分以上がこれとは異なる「別本」と呼ばれる種類にあたり、中でも光源氏の息子について書いた「夕霧」の巻の最後に「なにはの浦に」ということばがあるなど、これまで見つかった写本にはない部分もあるということです。発表を行った国文学研究資料館の伊井春樹館長は「藤原定家がまとめる前の源氏物語の姿を探るうえで貴重な写本だ。ほかの写本と比較調査をするなど分析を進めていきたい」と話しています。


2008年7月20日 (日)

電車のドアの開閉ミス

 テレビの夕方のニュースで、昨春までいた奈良の自宅の麓にあった元山上口駅が、突然映し出されました。
 駅のホームと反対側の電車のドアが開いたとのことです。

 毎日乗り降りしていた駅なので、家族がドっとどよめきました。
 息子は、携帯電話を取り出して、画面を撮影する始末です。
 昨年の5月までの23年間もいた思い出の地で、しかもみんなが利用した小さな駅です。

 この路線は、近鉄生駒線と言います。
 近鉄奈良線の生駒駅と、JR大和路線の王寺駅を南北につなぐ、地元民にとっては唯一の足となる電車です。生駒山沿いの奈良県側を走っています。
 一部複線化されていますが、私たちがいた駅のあたりは単線でした。一つ北の萩の台駅か、一つ南の平群駅で、上りと下りが行き違いをします。

 なかなか風情のある路線でした。毎日が、休日にハイキングに行ったときの沿線の風景として、四季折々に堪能できました。
 初めて我が家に来る人は、その景色の素朴さに、1960年代にタイムスリップした気持ちになる、と言っていました。

 生駒山の峰々と、なだらかな矢田丘陵に挟まれた山峡を北から南へと、ヤマトタケルなどが活躍した古代人の足跡が残る一帯を、4両連結の電車が単線を一直線に走るのです。
 通勤通学時間を除くと、乗っているお客さんは数人です。買い物袋を足下に置いている人以外は、この地を訪れた人々です。ガラガラの車両が、15分に一本の割合で運行されていました。

 数年前から、ワンマン電車となり、運転手さんがドアの開け閉めまでします。
 車掌さんがいた頃には、切符をお持ちでない人は……、と言いながら、車掌さんが車内を歩いて往復していました。時々、ドアを開けるために、後部車両に走って行く姿も見かけました。
 お客さんの対応をした時などは、後部まで帰れないので、先頭車両の運転手さんがいるボックスに入り込んで、ドアの開閉コックを操作していました。
 縦長の丸いステンレスの開閉棒を、押し下げたり、押し上げたりしていました。その時には、必ず、カギを使って解錠と施錠をしていたことが、ガラス越しに見えました。一々カギを使うのは、面倒なように思います。しかし、間違ってドアが開いたら大変なので、これは大事な習慣だったと思われます。
 それも、電車のドアにもたれかかって立っていたら、大変なことになります。

 ワンマン電車になってからは、駅に到着してからドアが開くまで、微妙な時間差がありました。これはこれで、少し楽しいタイムラグです。
 電車の左側にある運転席の操縦桿を握っていた運転手さんが、駅によっては反対側の壁面にあるドアの開閉棒を操作するのです。1人でこなすには、なかなか大変な仕事です。

 その電車が、元山上口でホームと反対側のドアが開いたというニュースなのです。
 上りだったのか、下りだったのか。
 少し推理をして遊んでみましょう。

 次の写真は、昨春、引っ越しをすべて終えて、平群の地を後にした時のものです。記念に、元山上口のホームに電車が入る所を撮影しました。これは、南の王寺方面から来た電車で、北の生駒へ向かって行く、上りの電車です。


080720motosanホームに入る近鉄電車

 この写真でもわかる通り、電車の先頭車両の向かって右側、進行方向で言うと左側に運転席があります。
 そして、この写真で言うと、電車が元山上口駅に着くと、運転手さんは運転台の席を立って右側に移動し、ホーム側のドアの横にある開閉棒を操作します。
 そして、乗客の乗り降りを確認してからドアを閉め、またもとの運転席に戻って操縦桿を握って発車します。
 上りの電車の場合は、運転席の位置でホーム側のドアの操作はできないのです。

 ニュースによると、運転手はボーッとしていて、ドアの開閉を間違えたとのことでした。
 もし、写真のように上り電車だったら、運転席のすぐ横は田んぼです。しかし、ボーッとしていてドアの開閉をしたのなら、座った位置のそばにある開閉棒を操作した可能性が高いと思います。
 下りだったら、運転席はホーム側にあり、わざわざ反対側の田んぼの方まで席を立って移動して、そして田んぼの見える側の開閉棒を操作するのは、念が入りすぎたウッカリミスだと思われます。

 どうでもいいことですが、こんなニュースでも、こうして想像を巡らすと楽しいものです。

 それにしても、牧歌的な平群の里のニュースでした。


2008年7月19日 (土)

OSKの「源氏千年夢絵巻」を観て

 猛暑の中を女房と2人で自転車を並べて、四条南座へと漕ぎ出しました。
 笠間書院からいただいたチケットを手にして……。

 あまりの暑さに、出町柳でギブアップ。そこから京阪に乗り換えて四条駅へ行きました。
 駅の真上が南座です。お昼からの開演なので、正面にはすでに人の波でした。


 080719minamiza南座前の人人人

 約4時間の公演は、印象深いレビューでした。

 OSK日本歌劇団の「レビュー in KYOTO2」は、「源氏千年夢絵巻 輪舞曲(ロンド) 薫と浮舟」と題するものです。

 今回は、桜花昇ぼる(おうかのぼる)と言う人のトップ披露公演ということで、みなさん心のこもった熱演でした。

 「と言う」と言うのは、実は私はOSKは初めてです。
 と言うよりも、宝塚すら行ったことがありません。歌舞伎ならいざしらず、女性だけの劇には、何となく気恥ずかしさが先に出ます。
 しかし、今回はチケットがあることと、『源氏物語』に関するものなので、これを観ない手はありません。

 南座は、大昔に親に連れられて来たように思います。しかし、まったく記憶にありません。

 中が、意外に狭いと思いました。観客は、もちろんほとんどが年齢層の高い女性群です。
 右側の花道のそばだったので、なかなかいい席でした。冷房が効き過ぎでした。長袖を持ってくるんでした。

 お話は、「宇治十帖」の三角関係です。
 感心したのは、スーツ姿の公卿たちのダンスで、薫の仕事が忙しいことを表現したり、匂宮と中の君の婚礼をサンバのカーニバル仕立てにしたり、という工夫です。
 現代と千年前を、うまく切り替えながらの舞台進行でした。

 それにも増して、上原まりさん(元宝塚のトップスター)が紫式部役で存在感を示したことは、この公演の出来上がりについては、特筆すべきことでしょう。この上原さんの特別出演は、この公演を成功に導く原動力と言えるでしょう。
 語り手としての存在を、強烈にアピールする中で、話が華麗に進展していきます。

 また、大君と浮舟の死の場面に登場する「死神」は、このレビューを殊の外鮮烈に訴えてきます。すばらしい演出でした。
 その役をこなした桐生麻耶(きりゅうあさや)さんは、その容貌からもはまり役と言ってもいいでしょう。
 あまりの巧さに、第2部の「ミレニアム・ドリーム」での踊りと歌では、この「死神」の実像が楽しめました。
 「死神」が演じたエルビスプレスリーは、出色のパフォーマンスでした。

 こまかな演出で感心したことをメモとして……。
 匂宮が宇治を訪れる時に、馬の蹄の音の背後に、自動車の騒音を混ぜていました。
 それに気づいた時に、憎いな、と思いました。

 第2部の「ミレニアム・ドリーム」では、京都にちなんだ曲のメドレーがありました。
 「京都の恋」「京都慕情」「祇園小唄」などなど。京都公演ならではの選曲です。
 ただし、少し要望を。「女ひとり」がなかったのが残念でした。

 全体として、役者さんが花道から観客に話しかける場面があったり、平場に降りて歌ったりと、舞台の役者と会場の観客が一体感を作るように心がけていた点が、関西の観客を意識したものとなっていることを実感しました。
 これは、関東では嫌われかねない演出ではないでしょうか。

 あまり褒めてばかりでは進歩がありません。
 一つだけ苦言を。
 それは、肝心の『源氏物語』のストーリーに関するものです。

 最後に、浮舟は死んでいきます。
 その原因は、薫が浮舟と別れる選択をしたことにある、とするのです。
 このことは、パンフレットでは、次のように書かれていました。



薫は浮舟と分かれる決意をする。本当に愛してくれる薫を無くした浮舟は、宇治川に入水する……。


 これで終わっては、実際の『源氏物語』の話と違い過ぎます。

 日本人は、この千年紀という体験を通して、多くの人が『源氏物語』に精通するようになりました。また、『源氏物語』を解説した膨大な本が、書店に並んでいます。特に関西では、『源氏物語』に関する熱気は尋常ではありません。

 このレビューの結末には、観客の相当数の方々が、

 それで……、
 どうして……、
 どうなったというの……、
 原作はそんな展開ではないのに……、

と思われたに違いありません。

 もっとも、こうしたモヤモヤは、歌劇団のみなさんの熱演で表面には現れなかったように思われます。
 桜花昇ぼるというスターの、演技力・歌唱力・表現力などなど多彩な才能が、台本のラストの不首尾を救ってフィナーレへと導いた、と私は観ました。

 なお、昨秋上演された『源氏千年夢絵巻』では、「雨夜の品定め」「夕顔」「若紫」「車争い」などが取り上げられたようです。
 観に行けなかったので、何とかして録画等で観たいと思います。
 そんな期待をさせる、今日のOSKの好演でした。

 今回が第2弾で「宇治十帖」でした。
 最後の挨拶で桜花昇ぼるさんが言っていたように、来年は第3弾があるようです。
 その時には、「玉鬘十帖」か「柏木と女三宮」をテーマにしたものにしてもらいたいと思います。

 これで、また、楽しみが一つ増えました。

【メモ】
第1部 「源氏千年夢絵巻 輪舞曲(ロンド)薫と浮舟」
作・演出/水口 一夫
演出・振付/花柳 錦之輔
特別出演/上原 まり
薫の君/桜花 昇ぼる
匂宮/高世 麻央
浮舟/朝香 櫻子
死神/桐生 麻耶
中の君/牧名 ことり
大君/折原 有佐

第2部 ミレニアム・ドリーム
作・演出/山村 若



2008年7月18日 (金)

注文と違う商品が届く

 洗濯機の糸クズフィルターのネットが破れました。
 取り扱い説明書に書かれていた消耗品の商品番号と、念のために洗濯機の名前を正確に書いたメモを、電気店のカウンターに持って行きました。
 3、4日で入荷するとのことでした。

 電話で、品物が入ったとの連絡があったので、早速受け取りに行きました。
 ところが、どう見ても、お願いした糸クズネットとは形状が異なるのです。

 これは違うと思う、と言うと、そんなはずはないのですが、と言いながらカタログを調べておられます。
 しばらくしてから、大変失礼しました、とのこと。
 再度、注文をし直すとのことです。

 こちらとしては、こんなことがあってはと思い、丁寧に、洗濯機の名前と番号だけでなく、必要なネットの商品番号まで調べて注文したのに、届いたのは別の番号のものだったのです。

 皆さん、暑いせいなのか、仕事に集中できないようです。

 本気で取り組んでいない店員や社員が多い、ということなのかもしれません。
 こんなやりとりは、疲れが倍増します。

 ビシッと、1回でやりとりを決めてほしいものです。


2008年7月17日 (木)

欠陥品だった携帯電話

 またもや、欠陥品を手にしていたことがわかりました。
 頻繁にあることなので、慣れてしまいましたが……。
 私は、驚異的な確率で、欠陥品や不良品を渡されていることになります。

 携帯電話を取り出して、二つ折りになっているのを広げると、画面が真っ暗なことが頻発するようになりました。
 最初は、バッテリーの残量に関係するのかな、くらいに思っていました。
 電源ボタンを長押しして起動させるのですが、その儀式が取り出すたびとなると、さすがに不信感を抱くようになりました。またまた、これは欠陥品なのかと……。つまり、携帯電話を使おうとするたびに、電源を入れ直すことになるのです。

 そのうち、再起動している最中に、ICカードがない、と言ってくるのです。
 ICカードの読み込みに失敗した、というエラーメッセージを出すこともあります。
 もう、手の施しようもありません。

 この携帯電話は、ちょうど5ヶ月前に機種交換したものです。
 半年も使用していないのですから、まだ新しい、と言えるものです。
 それに、私は携帯電話をあまり使いません。というよりも、あまり持ち歩かないのです。だから、使いすぎということも考えられません。
 また、女房も同じ機種を使用していますが、それは、特に異常はないようです。

 製造会社は、ソニーエリクソンです。
 私はソニー製品を愛用しているので、携帯電話もそうなのです。
 扇風機も冷蔵庫も洗濯機も自転車も、ソニーが出せば買います。
 確かに、ソニー製品は故障が多いように思います。しかし、それは高度な技術力で挑戦しているために、避けられないことだと許しています。
 でも、携帯電話は、他社との違いはあまりないように思います。ジョグダイアルは大好きです。しかし、電源がすぐに落ちるのは明らかな欠陥でしょう。

 au携帯ショップへ行ったところ、預かって修理となるそうです。一二週間預かるとか……。

 この携帯電話を買う時に、今年中にiPhoneが出るはずなので、料金体系はすぐに解約できるものにしていました。
 先週、iPhoneが発売されたので、もう私が携帯電話を買い替えることは時間の問題です。
 予約ができないそうなので、なかなか店頭で手に入れられない、という状況なのです。
 そんな時に、修理に一二週間だすのもバカらしいので、このままiPhoneを買うまでは我慢することにしました。

 すぐに死んだフリをするソニーの携帯電話ですが、製造ラインから間違って街に出てきた気の毒な製品を、せいぜいかわいがって最後を見届けてやろうと思っています。

2008年7月16日 (水)

iPod touch を使って研究発表

 今日は、『源氏物語画帖』に関する研究発表をしました。
 『源氏物語』の絵を扱った調査結果を内容とするものです。

 私は、パソコンでパワーポイントというマイクロソフトのプレゼンテーション用ソフトを使っての発表はしません。これは、意識してしないのです。あくまでも、配布するレジメと称するプリントをもとにして、話します。

 野口悠紀雄が言ったことだそうですが、パワーポイントによる研究発表が始まったら、もうその話は聞く時間が無駄なので、会場から出て行くのだと。誰かは、パワーポイントによる研究発表は、マスターベーションを見せられているのに近いとか。

 この意見は、私も賛成です。予めスクリーンに映す画面を印刷したものを配り、紙芝居よろしく決められた通りの台本を淡々と進める人が多いのです。うまくパワーポイントを使っているな、と思わせる人もいますが、ほんの一握りです。

 今日は、源氏絵に関するものなので、やはりたくさんの絵を見てもらう必要があります。
 そこで、iPod touch を使って、スクリーンに源氏絵を映して説明をしました。もっとも、それは最後の5分に集中させました。とにかく、プリントをもとにして進めました。

 iPod touch を使ってのプレゼンで気付いたのですが、表示する画像の縦横比の調整が必要でした。たまたま、それが出来るプロジェクターだったのでよかったのですが、簡易型の時には困ったことになったと思います。

 また、画像を拡大するために、iPod touch の画面を指で押し広げたのですが、スクリーンに映った絵は、拡大しませんでした。これは、今後もう少し研究します。

 私の前の人が、パソコンの操作中にうまくいかず、何度か中断しながら発表していました。
 幸い、私は何のトラブルもなく、また、ほとんどの人がiPod touch を使ってのプレゼンだとは気付かれませんでした。
 何気なく、さりげなく、電子文具を活用した研究発表が、とにかく無事にできたのです。

 意図した発表ができ、ホッとしています。

2008年7月15日 (火)

なぜかブログの発進地が変わりました

 私がブログを書き始めたのは、「ミクシィ」というソーシャル・ネットワーキング・サイトに気ままな日記を公開した時からでした。

「回転寿司のこと」2004年03月07日

が最初のようです。

 しかし、ミクシィは会員制のサイトのために、会員以外には読んでもらえません。
 そこで、〈NPO法人 源氏物語の会〉のサイトでブログが使えるようになった時を機に、「たたみこも平群の里から -折々のよもやま話-」というタイトルのもとに、好き勝手に書き続けることになりました。

「年の瀬にブログが走り出す」と題して、2004年12月13日から書き出しました。

 その後、2006年7月29日から、アップルのサイトを使って「新・たたみこも平群の里から」というブログを新たに立ち上げました。
 その最初の記事は、「男性専用車輌を走らせてほしい —女性専用車は逆差別列車—」でした。

 しかし、表示が遅いのと更新が複雑なので、1ヶ月後には、もとの〈NPO法人 源氏物語の会〉のサイトに戻り、再度の発信を続けることにしました。

 再出発した「たたみこも平群の里から -折々のよもやま話-」は、順調に展開していましたが、2007年3月に、突然サーバーがクラッシュしたために、すべての記事がなくなりました。

 ただし、〈NPO法人 源氏物語の会〉仲間の努力で、そのほとんどを復活してもらいました。

 そのサイトには懲り懲りしたので、2007年6月24日から「京洛からのことあげ 」と題して、「関西どっとコム」のブログを立ち上げました。これは、住まいを奈良から京都へ移したことによる、新たなスタートを意味するものでした。

 その関西どっとコムのブログが、これまた突然に、2008年9月30日をもってサービスを終了することになりました。

 こんなあいさつが掲載されたのです。



いつも関西どっとコムをご利用いただきありがとうございます。
さて、この度株式会社関西どっとコムは、本年7月1日をもって株式会社ケイ・オプティコムと合併することとなり、これに伴い、関西どっとコムblogは次のとおりサービスを終了することとなりました。
長らくご愛顧いただき重ねてお礼申し上げます。

なお、eoポータルサイトでは、7月10日から新しいeoblogサービスが開始されます。関西どっとコムblogで投稿いただいた記事は、簡単な操作で新しいeoblogサービスに移行することができますので、是非、新しいeoblogサービスをご利用くださるようご案内申し上げます。


 ということで、数日前の7月10日より、 eoblog への突然の引っ越しの連絡を表示して、またまた新たなスタートとなりました。
 移行手続きをしたら、勝手にこれまでのものが更新できなくなり、あらたな通知文のもとに新たなアドレスでスタートしてしまったのです。
 勝手がわからないままに、数日記事を書き出した、というのが実情です。
 私自身にも、この展開に戸惑っています。

 本当に、私のブログは、意図しない理由で、サイトを渡り歩くことになっています。
 1人の人間が書き続けていることなので、どこかでつながってはいるはずです。
 心機一転ということで、今後とも、よろしくお願いします。

2008年7月14日 (月)

突然の一等賞

 日本語・日本文学の出版社である笠間書院のブログは、有益な情報で溢れ返っています。
 理屈抜きで、文科系人間にお薦めの情報ボックスです。


笠間書院のブログ


 日本文化に興味のある方は、必読の、そして常にチェックしておくべきサイトです。
 これでもか、とばかりに、文学・語学をはじめとする、人・物・事に関する情報が氾濫しています。それも、早いだけではなくて、詳しい上に正確なのです。

 ものは試しです。一度のぞいてみてください。
 よくぞここまで情報を収集しているものだ、と感心しきりのサイトです。
 担当者の熱意が、ヒシヒシと伝わってきます。ここまで徹底されると脱帽です。

 さて、今日は、早朝5時起きで、京都から始発の新幹線で上京しました。
 そして、いつものようにメールのチェックです。
 毎度のことながら、スパムメールを800件ほど削除する儀式からです。

 そして、たくさんのメールに返事を書きます。
 大事で急ぐメールには、すでに昨日までに京都から返事を出していますが、緊急性の低いものは上京後の仕事です。

 メールの対処をしながら、時々知人のブログを読みます。
 登録してある知人のブログは、メールを読み書きする画面の横に表示されるようにしてあります。これも、返事のいらないメールの一種です。

 その中で、いつも必ずチェックする笠間書院の情報の中に、「 OSK 日本歌劇団レビュー in KYOTO 2・桜花昇ぼる、 ペアチケット」をプレゼントする、というものを見つけました。
 社員の方がチケットを入手なさったのですが、週末に京都へ行ける人がいないので、読者にプレゼントする、ということです。それも、早い者勝ちのようです。

 午前中に掲示された情報です。もう午後になっていました。
 だめでもともと、という気持ちで、こんな手紙を認めて応募しました。



OSKのペアチケットがあるとか。
もし間に合うようでしたら、私も争奪戦に参加させてください。
先着順ということなので、すでに終わったのでしょうか。
取り急ぎ、手を挙げますので、よろしくお願いします。


 すると、すぐに笠間書院から返事が来ました。私が一番乗りで当選したとのことです。

 私はこれまで、一番というものに無縁でした。それが、この年になって、何とラッキーなことでしょうか。
 早起きと、こまめなブログのチェックが呼び寄せた幸運といえるでしょう。

 そうだ、こんな日には宝くじを買ってみよう、と思ったのですが、帰りの電車に乗った時にはもう夜の9時でした。宝くじ売り場は閉まっています。

 もう一つ、運の波に乗りきれない人生です …

 それにしても、応募はしてみるものですね。

 OSKの観劇記は、来週早々にでもブログで報告しましょう。


 

2008年7月13日 (日)

京洛逍遥(44)くらま温泉

 最近は、さまざまな仕事が輻輳してきたせいか、何かに手をつけるとすぐに、別の仕事の進捗状況が気になるようになりました。
 いろいろと疲れも出てきました。非常に能率が悪くなり、すぐに目の奥が沈むように感じられます。横になって休みたくなりますが、なかなかそうはいきません。

 そんな毎日が続いているので、今日は暑いこともあり、近くの鞍馬寺の少し奥にある「くらま温泉」へ行ってきました。ここは、京の奥座敷といわれる鞍馬の里にあります。自宅からは一時間もかかりません。

 昨秋、鞍馬寺の話を書きました。


「京洛逍遥(16)鞍馬寺」


 その時には行けなかった「くらま温泉」です。
 奈良にいた頃は、頻繁に家族と近畿一円の温泉に行っていました。それが、昨春より京都へ来てからは、他に行く所が多いこともあってか、しばらく温泉に行っていませんでした。本当に久しぶりの温泉です。

 まず、自転車で修学院まで行きます。
 叡山電鉄の修学院駅は、この沿線ではいくつかの駅がそうであるように、無人の駅なのです。また、乗り込むドアの位置を間違えると、ワンマン電車なので降りる時に何かと面倒なことになります。少し慣れたので、もう地元住民です。


080713kurama1_4


 さて、叡山電車で鞍馬駅に着くと、駅前に温泉の送迎バスが待っています。
 自家用車があった時は車を使っていた鞍馬行きも、車を手放してからは、自転車と電車で数回行ったことになります。
 自動車は、なければないなりに、目的地へはそれなりに快適に行けるものです。私にとっては、もう自動車はまったく無用の長物と化したことが実感できるようになりました。
 そう思って見ると、本当にガソリンを焚いて町中を走る必要のある人が今の日本にどれくらいいるのか、はなはだ疑問に思うようになりましたが、それはまたの話にしましょう。自動車がなければ生きて行けない方が多い(?)ことでしょうから、あまり性急に短絡的な意見を書くのは慎みます。

 今回の鞍馬行きは、ちょうど鞍馬寺にお届けする荷物もあったので、これを機会に山門の受付に預けるというおまけつけです。

 夕方でもあり、くらま温泉の本館でまずは食事をしました。


080713kurama2_2


 川床料理もありました。
 今日はことのほか暑かったので、心が揺らぎました。しかし、入浴と込みで6千円以上もするので、今回は見送りました。
 山菜料理などで暑気払いをしてから、露天風呂に入りました。


080713kurama3


 強い日差しを浴びながらの露天風呂は格別です。
 外国から来た人が多いのに驚きました。アジアからの方が多かったように思います。他人と一緒に裸でお湯に浸かる文化は、日本独特のものでしょう。
 海外のクア施設では、水着を着用しました。男女が裸で水遊びという海外の光景は、また別の文化です。日本における、庶民レベルでの裸で触れ合う文化は、世界的にもめずらしいものだといえましょう。

 くらま温泉は、杉木立に囲まれています。そして、私が大好きな、天然硫黄温泉でした。
 溜まりに溜まった疲れが、少しは快癒したように思います。
 また明日から、溜まりに溜まった仕事の山を、積み木崩しのように片付けて行くことにしましょう。
 その意味では、いいリフレッシュの日となりました。


2008年7月12日 (土)

新出の『源氏物語』

 12日の読売新聞に、室町時代の『源氏物語』の古写本が東京で確認された、というニュースが掲載されました。

 今回の54巻の半数が、これまでの〈いわゆる青表紙本〉とは異なる〈別本〉だそうです。何を称して〈別本〉なのかはおいておきます。

 とにかく、新たな『源氏物語』の本文関係資料が公開されることは歓迎すべきです。これまで、この『源氏物語』の本文研究は、大変遅れていたのですから。一本でも多く本文が確認できることは、『源氏物語』の本文の整理をする上では、何と言っても急務です。

 この本文の内容の解明が待たれます。

 全国には、まだまだ、こうした『源氏物語』の古写本が残っていると思われます。『源氏物語』の千年紀でもありますから、どんどん公開していただきたいものです。


ブログ移転のお知らせ

こちらのブログは、下記のURLに移転いたしました。

http://genjiito.blog.eonet.jp/

2008年7月11日 (金)

源氏のゆかり(20)説明板1-平安宮内裏跡

 「説明板13-建礼門跡」から北へ少し戻り、『源氏物語』の説明板が道々に立ち並んでいた下立売通を右に折れると、80メートルほどの所に「平安宮内裏跡」があります。


F6hbuxty_s山中油店前



 左に、江戸時代の文政年間からの商家・山中油店という、創業以来200年の油の老舗があるので、すぐにわかります。
 そのお店の向かいに、目指す説明板がありました。


0djcvhnl_s平安宮内裏跡



 ここの説明板は立派です。


Bxgfdhxz_s説明板



 平安時代にここは、天皇の住まいである内裏の東側だったところです。
 以前に訪れた、「源氏のゆかり(8)説明板12-平安宮内裏東限と建春門跡」(http://blog.kansai.com/genjiito/286)の真南にあたります。

 さらにこの説明板の右手には、「上京歴史探訪館(京・町家文化館)」があります。ここに来たら、ぜひ入るべきです。京の町家の中でも、立派なお家の雰囲気がわかります。

 帰りがけに絵はがきを買おうとしたら、たまたまその時に売ってくださった方が、もしお時間があるようでしたら、オープンしたばかりの隣の家を案内させていただきますが、とのことでした。
 ありまにも突然だったのですが、よくわからないままに見せていただけるのならと思って、お言葉に甘えてその女性に付いて行きました。


Qh2yym7u_s平安宮



 入り口には、「京まちや 平安宮」とあります。
 昨日オープニングのイベントがあったばかりで散らかっていますが、ということでしたが、案内されて入って仰天しました。なんと、昔の町家のままを復元というよりも、手をかけて修復したものだったのです。

 そして、この案内してくださっている女性が、山中恵美子さんでした。お姿などから、どこかで見たことのある方だと思っていたのですが、お名前を聞いて、昨日の京都新聞に載っていた方であることに気づきました。今日はセンスのいい洋服姿でしたが、新聞の写真では上品な着物でした。この方は山中油店のお嬢さんで、ご自分の広大な敷地の中でも、この屋敷をみなさんに解放することにしたのだそうです。昨日は、同志社女子大学の朧谷寿先生の講演があったのです。そのことが新聞に掲載されていたことを思い出し、お尋ねすると、まさにそのとおりでした。私も少し平安時代の歴史のことは知っているので、話が合いました。また、現在、二つ目のNPOの認可待ちをしているところなので、社会奉仕活動やボランティア活動についても話題が噛み合いました。偶然にこのような出会いがあったのですが、不思議な縁の巡り合わせだと思います。

 山中さんは、見ず知らずの何者かもわからない私を、ご丁寧にも家の中を隅々まで案内してくださいました。お話ぶりといい、その志といい、すばらしい方でした。

 2階から玄関の前を見下ろした所を、写真に撮りました。


Qdzu8fev_s御書所



 これは、「平安宮一本御書所跡」で、平安時代の中期に流布していた書籍を、それぞれ一部ずつ書き写して保管・管理していたところです。侍従所の南に当たり、長官は公卿別当でした。その下に、預や書手などがいたそうです。今で言えば、アーカイブズセンターに相当するものでしょう。

 突然のことでしたが、時代を肌身で感じさせる家を見て、日本の家屋のすばらしさを知り、そして人との出会いの楽しさを味わいました。

 丁寧にお礼を言い、ますますのご活躍を願って玄関を後にしました。
 町を歩くと、いろいろなことに出くわすものです。
 思いがけない、貴重な体験をしました。





2008年7月10日 (木)

源氏千年(55)期待できない江戸の落語

 源氏千年紀の今年は、なんでもありの記念年です。
 『源氏物語』を、なんと落語でやるというのです。

 銀座 博品館劇場『源氏物語』一千年紀祭特別公演
 「まるごと源氏物語」

というイベントが、10月29日から11月24日まで開催されます。

 その中に、落語版『源氏物語』というのがあります。
 その内容は、次のようになっています。

〈第一席〉立川談春   「柏木」 10/30
〈第二席〉柳家喬太郎  「空蝉」 10/31
〈第三席〉橘家文左衛門 「明石」 11/1
〈第四席〉入舟亭扇辰  「葵」  11/2
〈第五席〉三遊亭歌之介 「末摘花」11/3

 宣伝のパンフレットによると、この落語は、次のように紹介されています。



落語版『源氏物語』
新作/落語版 平安絵巻『源氏物語』の誕生!?
当代実力・人気の花形噺家5名による落語版『源氏物語』公演を5日間連続独演会形式でお届けします。




 先般、講談の『源氏物語』を聞きに行き、意外におもしろいと思いました。

「源氏千年(21)女流講談を堪能」
http://blog.kansai.com/genjiito/235

 落語も、意外とおもしろいかもしれません。
 もっとも、台本しだいですが。
 それよりも、落語も漫才も、江戸のものは芸術だということを前面に押し出しての、お客を小ばかにしての演芸なので、私はいつもしらけてしまいます。
 かたや、上方の落語や漫才は、おもしろさが勝負の芸能なので、これは大好きです。

 そんな先入観を私は持っているので、今回演じられる落語にはまったく期待していません。
 関西であれば、喜んで聞きに行きます。銀座に出入りしている私ですが、わざわざ江戸の落語を聞きに行くことはないと思います。
 もし情報が入れば、また報告する程度に終わることでしょう。

 まあ、東京ではこんなことが行われている、という小ネタです。

 それにしても、関西の熱気に引き換え、関東は無理をしての源氏ブームのおこぼれを、という悲惨な状況です。この温度差は、この両地域を毎週往復する私にとっては、肌身で感じているものです。
 そうであればこそ、10月から始まる国文学研究資料館での源氏物語特別展の位置づけに、日夜苦しんでいます。関西でやるのとは、わけが違うのです。東京は、ノリが悪くて、理屈っぽいのです。文学には不適当な土地柄なのです。

 関東での源氏ネタは、カルチャーセンター通いの奥様方以外には、なかなか受け入れてもらえないのではないでしょうか。それも、小奇麗にラッピングした『源氏物語』でないと、関東では賞味期限切れの『源氏物語』となります。
 関東の文化には、『源氏物語』というよりも、王朝文化・平安文化は根付いていないのです。あくまでも、知的世界における『源氏物語』でしかないのです。
 関東の文化的には、『源氏物語』は他人事なのです。

 『源氏物語』の受容も、関西と関東では、雲泥の差があります。
 このことは、少しずつわかってもらえるように、今後とも両文化圏の状況を報告したいと思っています。




2008年7月 9日 (水)

京洛逍遥(43)上賀茂のリストランテ「愛染倉」

 上賀茂神社から少し西に歩くと、カキツバタで有名な大田神社があります。その花は、今年も見ることができませんでした。また来年のお楽しみとなりました。

 さて、その大田神社を少し行くと、「愛染倉(あぜくら)」という趣のある家屋が目に留まります。木立に囲まれた、旧家の佇まいです。


52iqujxs_s通りから



 「あぜくら」というと、フォークデュオのタンポポが「嵯峨野さやさや」(伊藤アキラ作詞、小林亜星作曲、京都レコード)というCMソングで一躍有名になった呉服屋さんを思い出します。テレビやラジオから流れるあのフレーズは、今もさわやかな思いを蘇らせてくれます。CDを探し歩いた覚えがあります。
 もっとも、この呉服屋さんは数年前に倒産し、社長が自殺という、暗い結末となりました。

 それはさておき、上賀茂の「愛染倉」は、結婚式や貸し会場だけでなく、イタリア料理店でもあります。食事をするために、ブラリと立ち寄ってみました。


Aresitqs_s玄関



 この家屋は、300年ほど前の奈良の造り酒屋を移築したものです。重厚さを感じさせるはずです。

 1歩中に入り、天井を見上げて圧倒されます。かつての日本の立派な家です。


Mkvrb558_s天井



 食事は、入って直ぐの1階部分でいただけます。
 私の基準で言えば、お昼に3,000円は高いのですが、この雰囲気を堪能させてもらえたことで満足です。料理もなかなかのものでした。
 イタリアンのシェフを目指す息子を、この次は連れてきましょう。ひとくさり能書きを垂れるのを、聞いてみたくなりました。

 建物の中を見学できました。結婚式の相談に、3組のカップルが来ていました。食事を終えたら、この屋敷の中を歩いてみる価値はあります。日本の家の伸びやかさが体感できます。

 屋敷周りは3000坪とのことです。庭のあちこちに置かれている石像の表情が、とてもユニークです。顔を1つずつ見て歩くだけでも、楽しいものです。


Dmjqye8g_s日本庭園



 ここの庭を散策するだけでしたら、特に志はいりません。
 石段を上り、竹林からお茶席や披露宴会場などを見るだけでも、日本的な雰囲気に浸れます。


Hatbj3oq_s竹林の中の遊歩道



 今度海外からお客さんが来たら、ここへ案内しましょう。手軽に、日本的な空気の中で、目の保養をしてもらえる所だと思います。

 日本はいいなー、としみじみと思える空間を見つけました。



2008年7月 8日 (火)

京洛逍遥(42)仁和寺と陽明文庫

 明け方に雷雨がありました。
 今日は朝から1日中かけて、陽明文庫で古写本の調査と撮影に立ち会う日です。
 どの経路で行こうかしばし思案しました。バスで北野白梅町まで行き、そこから嵐電北野線で宇多野へ出、そして徒歩というコースが一番無難です。
 次に、バスで仁和寺まで行き、そこから徒歩というのもあります。
 しかし私は、雨がもう降らないということを確信して、自転車で行くという選択をしました。確かに、これが一番早く行けます。といっても、40分はかかりそうですが。
 少し早めに自宅をスタートし、大徳寺、金閣寺、龍安寺と快適に通過して時計を見ると、予想外にハイペースでした。そこで、仁和寺を散策することで、約束の10時までの時間調整をすることにしました。

 平成6年に仁和寺は、ユネスコの「世界遺産」の一つに登録されました。平泉の中尊寺が昨日落選しただけに、遺産の評価の難しさを知ったばかりです。
 京都は、重厚な歴史と文化の中で発展しているだけに、こうした文化遺産には恵まれています。

 仁和寺は、平安時代の中期から鎌倉時代にかけて、皇室と貴族のお陰で栄えました。しかし、応仁の乱で灰燼に帰したのです。それでもその100年後、3代将軍家光の時代に再興されたのです。
 国宝の金堂は、京都御所の紫宸殿を移築したものです。


Tf8avnjv_s仁和寺



 金色に輝く金具に、気品を感じます。朝早のせいもあってか、気持ちよく境内を散策しました。
 御室は桜の名所です。しかし、紅葉も多く、早々と色づいた葉を見つけました。


Srrmdphk_s色づいた紅葉



 たまたま来ていた修学旅行の6人の生徒さんたちは、躾がいいのか行儀よくお早うございます、とか、こんにちは、と元気よく挨拶をしてくれました。ただ通り過ぎようとした私は、慌てて答礼をしました。挨拶のできる子どもたちは、貴重な国の財産です。

 東屋で缶コーヒーを飲み、源氏展の出品目録と写真撮影の資料に目を通しているうちに、約束の時間が近づいたので仁和寺を後にしました。ここから陽明文庫までは5分ほどです。

 今日は、最初から虎山荘での仕事でした。
 前回は、1人静かに写本と対座しました。


http://blog.kansai.com/genjiito/73


 しかし、今日は多くの方々と一緒です。

 写真撮影のために、光楽堂の方がお出ででした。お昼前には、過日、鞍馬寺の与謝野晶子の『新訳源氏物語』の写真撮影でご一緒した社長も顔を出されました。

 そして、今日の陽明文庫は、名和先生が教えておられる学生さんの博物館実習の場ともなっていました。
 3人の学生さんは京都女子大学の方で、5日間の実習を受けているとのことでした。私が受けた博物館実習は、もう35年も前のことですが、登呂遺跡で発掘調査などに参加したことです。そのことを思うと、こうして国宝や重要文化財を目の前にして、その資料の取り扱いや古典籍についての学習が実地にできるのですから、羨ましいかぎりです。
 学生さんも、非常に好感のもてる方々でした。歴史が専門とのことでしたが、更なる勉強とこうした分野での活躍が楽しみです。よく勉強しておられる片鱗を、撮影の合間の話の端々で感じました。

 名和先生は、国宝や重要文化財の撮影のために、汗だくでの奮闘でした。


Zoya2ruc_s図録写真撮影



 これまで見ていた図録の写真も、ものによってはこのように手をかけて撮影されていたのです。今回、その舞台裏を拝見する機会を得、いい勉強をすることとなりました。
 また、図録の写真の工夫についても、また、展示の方法についても、貴重なアドバイスを受けることができました。感謝感謝です。


 Ghvsvr71_s立体的に見せる



 ものをどう並べるかは、センスのいることです。柔軟な対処の中に、みんなにわかってもらえる写真が撮れるのです。
 とにかく、経験を積むことで、充実した展示のお手伝いができるようになりたいという思いを強くしました。

 国文学研究資料館の図録に掲載する写真も、私の我が儘を聴いていただき、丁寧に撮影していただきました。また、新資料も教えていただき、それを展示品に加え、図録にも掲載することにしました。
 やはり、現場に足を運ぶと、得るものが多いことを実感しました。

 つい撮影に熱中していたために、気がつくと夜の7時半を過ぎていました。暗くなった道を名和先生に見送られ、自転車を漕いでの帰路につきました。

 天気予報は午後は崩れるとなっていましたが、どうやらまったくその気配のない夜の京の街を、軽快にペダルを踏みながら急ぎました。


2008年7月 7日 (月)

源氏絵の木の名前がわからない

 源氏絵をジッと見つめる日が続いています。
 画面に何が描かれているのか、一つ一つ名前をつけて書き出しています。

 これは、今秋10月から国文学研究資料館で開催される、特別展「源氏物語展」の図録を作成しているために、その基礎資料となるものです。
 見ているのは、国文学研究資料館が一昨年に収蔵した、『源氏物語団扇画帖』と言う、新出資料です。今回の源氏展の目玉となるものです。
 江戸時代に、土佐派の絵師によって作成されたものです。

 全54枚の絵を見ていると、たくさんの植物が描かれていることに注意が向きます。
 その中で、何気なく「松」としていたものが、よくよく見ると、葉や枝が違うのです。

 次の木は、「松」です。
 普通のものと、雪を冠したものをあげます。


Ktwbf_gs_s野分の松




Zatzvuc__s行幸の松と雪



 問題は、次の樹木の名前です。
 枝振りや葉が、「松」とは異なります。
 いろいろと調べたのですが、よくわかりません。



Iq4wwitn_s賢木の名前不明の木




Qi8rlnip_s朝顔の名前不明の木




 不明の木には雪を冠しているので、常緑の樹木であることは確かです。

 この木の名前をご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教示をお願いします。




2008年7月 6日 (日)

源氏千年(54)500点のグッズ(3)

 「ギャラリー源氏」で展示販売されている、56社の千年紀関連の記念商品500点の紹介の、これが最終回です。


Rgcerhsh_sお香と色紙





Xk5tcxnk_s色紙





Nk_u40qs_s手ぬぐい・ハンカチ





L1f_jcd9_sキャンドルとハンカチ





Vfzhqylx_s小物





Rus28dci_s財布





_j1c4x26_s源氏絵





Yc5vbyu__s書写用品





0ifz_f04_s反物





J5gbtbjw_s扇子





_krcshyf_s象嵌小物





3sxifbrn_s色糸





Hsdz9mqc_s帯地





Ejslr9rj_s文具小物





9cixbxcz_s絵小皿





Qzpq_uk8_s白描源氏絵



 他のイベントで展示された『源氏物語』に関連するグッズは、まだまだあります。
 手元には、グッズ画像があと数百枚はあるので、折を見てアップしましょう。


源氏千年(53)500点のグッズ(2)

 「ギャラリー源氏」で展示販売されている、56社の千年紀関連の記念商品500点の紹介です。

 ネットの速度を考慮して、三分割して掲載します。
 これは、第2回目です。



3cbc2aav_sお茶





Ux51w14y_sお菓子





Itm4jmc6_s漬け物





Ozzhyury_sしば漬け





Asljnm7i_sたけのこ





Yn6palir_sせんべい





La1_uuwm_sお酒





Hzmpy2sr_sお菓子





Indsvnkk_s源氏本1





Iare02x2_s源氏本2





3qy3nejw_sキャンドル





Ubqkag8z_s文具小物





Gyd6jb8b_sネクタイ





5rfsrik0_s風呂敷・小箱





1wx3fti8_s風呂敷





Itojkylm_s風呂敷





Zixc3jm5_sお香





Iaftda0u_sバッグ





Nyzyyuj8_s扇子小物





Fvf3uv46_s花飾り




2008年7月 5日 (土)

源氏千年(52)500点のグッズ(1)

 京都文化博物館の前の高倉通りを南に100メートルほど下がると、右側に「WAZA GU」というビルがあります。
 次の写真は、ビルの南側から来た道沿いを見たものです。写真の奥に茶色の古代学協会の建物(旧平安博物館)が見え、その隣に京都文化博物館があります。


Kcpclr8h_s全景



 「WAZA GU」の1階に、源氏物語千年紀委員会と京都国際工芸センターが、公式ギャラリー「源氏」をオーブンしました。


U_sdbiz9_sギャラリー源氏



56社の千年紀関連の記念商品が、なんと500点あまりも展示販売されています。


Otxctgym_s店内奥



 店内の奥には、所狭しとグッズが並んでいます。

 奥から入り口を見ると、こんな感じです。入り口から真ん中までは、源氏物語グッズではありません。


Wzigknky_s入り口を見る



 お店の方から了解が取れましたので、本日並んでいた商品のすべてを写真でご覧ください。
 ただし、数が多いので、数回に分けてアップします。

 とにかく、いろいろなものが開発されています。これ以外にも、各所で売られているので、この一年間でどれだけの関連グッズが店頭に並ぶのか、受容史などといってはいられないほどの熱気に包まれています。

 商魂というものを通り越して、源氏文化の噴火というべきでしょう。

 以下、カタログ代わりに、写真を列挙します。



2hidoxxh_s風呂敷





R533ul_l_sお菓子





Yhge7gq9_s扇子





Yznqircy_sおもちゃ





Aslpklxk_sお酒





4zb4wzhq_sお酒





730uaomh_s小物入れ





Bah0az7x_sクッキー





Mivozru5_sお酒





5kpqif2e_sお酒





Jftbetra_s源氏絵掛け軸





Qzygxhzt_s食品





Xhvsorxc_s食品





Ytj2g4qp_sお茶





Cbkskf5v_sお酒




2008年7月 4日 (金)

きょう買った本

 今日の京都は、32.5度だったそうです。明日は33度だとか。

 東京から京都への移動途中に、書店で買った本をメモしておきます。
 最近は、まともに勉強する余裕がなく、本も読み捨てにするものばかり買っていました。
 これではいけないと思い、少しまともな本を数冊買いました。

(1)『絵とあらすじで読む源氏物語 ―渓斎英泉『源氏物語絵尽大意抄』―』(小町谷照彦、平成19年7月、新典社)
  最近は、源氏絵のことを勉強し出したために、近世の源氏絵に関する資料を豊富に集めた便利な資料集として買いました。『絵入源氏』の挿絵説明は、とにかく重宝します。絵を解読するのは、素人にとっては大変なことです。こうして、絵に書かれている場面の説明をみられることは、自分の想像力を補うものとして、非常に役立ちます。

(2)『京都 紫式部のまち その生涯と『源氏物語』』(坂井輝久・井上匠、平成20年5月、淡交社)
  京都新聞に連載されていたものが、一冊の本にまとまりました。新聞で時々読んでいたのですが、整理されたとのことなので、購入しました。『源氏物語』ではなくて、紫式部にスポットを当てて語られているので、買う価値があると判断しました。

(3)『紫式部の生きた京都』(京都市埋蔵文化財研究所、2008年7月、ユニプラン)
  2009年1月まで、京都市考古資料館で開催中の特別展示「紫式部の生きた京都」を、ビジュアルにまとめたものです。過般、この展示を見たので、確認の意味で買いました。それよりも、付録の「源氏物語ゆかりの地」の説明板設置場所の情報が貴重です。地図と写真が、イメージを膨らませてくれます。

(4)『世界の源氏物語』(ランダムハウス講談社MOOK、平成20年4月)
  一冊まるごと『源氏物語』の情報誌です。海外情報が豊かであることと、アーサー・ウエイリーのことが詳細に語られているので買いました。ここに紹介されているハイゲイトは、私も行きました。貴重な報告となっています。

(5)『ゴーマニズム宣言SPECIAL パール真論』(小林よしのり、平成20年6月、小学館)
  私のインド体験の恩人である中島岳志君への挑戦状です。中島君を徹底的にやっつけるのが趣旨の本です。これは、読まない訳にはいきません。この分野には素人の私ですが、中島君という青年の立場から読んでみようと思いました。小林よしのり氏の本は初めて読みます。挑発的なことばが氾濫する本ですが、冷静に読み進めています。

 今は、たくさんの仕事を抱えていますが、こんな時に限って、取り組んでいること以外の本が読みたくなるものです。
 電車での移動中などの時間を使って、読書を楽しみたいと思います。




2008年7月 3日 (木)

心身(19)帝国ホテルで人間ドック(3)

 今朝は、飲まず食わずで診察室へ行きました。
 まず、お医者さんから問診を受けます。ところがこれが、饒舌な、話し好きな先生で、世間話に花が咲き、1時間も楽しくお話をしてしまいました。こんなのでいいのかな、と思いながら、お相手をしたということです。先生の方も、そう思っておられることでしょうが。

 結論は、昨日の検査の結果は、すべて良好であるとのことに尽きます。
 いつも指摘される、赤血球の数も、今回は平常です。鉄分が不足していると指摘されることが多いので、レバニラ炒めをたべるようにしていました。しかし、今日の先生は、そんなことよりも、高血糖による合併症の心配をするように、ということでした。
 お酒も、1日1〜2合程度なら、息抜きしながら楽しく暮らす意味でも結構なこと、とのお墨付きをいただきました。肝臓も心配ないのだから、これまで通りでいいと … 。

 血糖値は、138でやや高めでしたが、数値よりも合併症のことを考えるようにとの指導でした。
 家で測った数値は135だったので、私が使っている測定器もなかなか精度のいいもののようです。

 最近、何かと気ぜわしい日々なので、いろいろと不具合が見つかるのでは、と内心不安を抱いていました。しかし、これなら、マイペースで生活をしていいようです。一安心です。いや、次に胃カメラが待っているのでした。それも、あの恐怖の「口から」の内視鏡が。

 向かい側の一室に連れて行かれ、ベッドに腰掛けると、白い液体を飲まされます。そして、腕には筋肉注射をされます。
 仰向けになると、ドロリとした口内を痺れさせる麻酔の液体が、口の中に流し込まれます。ノドのあたりに5分間溜めておけと … 。
 そして、起き上がってからそれを吐き出すと、今度は口の中を丁寧にスプレーで痺れさせてくれます。

 私が、口からの胃カメラに敏感に反応するタイプだと言ってあったせいか、念の入った準備が、看護婦さんの手によって粛々と進められていきます。

 観念して横向きになるやいなや、口にマウスピースをはめられたかと思うと、一気に胃カメラの先端がノドを通過しました。今度は、若い先生によって、カメラの操作が始まったのです。目にも止まらぬ早業、とはこのことです。私の方がビックリしました。苦しいのなんのと、そんな悠長なことを言っている暇のないほどに、速攻で胃から腸の中がのぞかれているのです。
 いつものようにモニタを見る余裕もなく、先生はせわしなくノズルを操作して、管の中にケーブルを通して、胃と腸の接合部分で少し腫れている部分の細胞をつまみ取られたのです。いつものことなので、今、自分の身体の中で何が行われているのかが、手に取るようにわかります。
 これまた、アッと言う間にケーブルが引き上げあれ、もう終わりましたよとのことばと同時に、内視鏡が食堂からノドにかけて引き抜かれました。

 不思議なことに、あれほど恐れていたことなのに、涙の一滴も出なかったのです。ノドが、少しヒリヒリした感覚があっただけです。呼吸を深くしていたこともあり、予想を裏切るほどに楽でした。
 これなら、鼻からの挿入よりも最初だけ少し違和感がある、といった程度の違いです。
 機器がよくなったこともあるのでしょうが、多分にそれを操作する先生の手腕に負うところが大だと思われます。

 カメラで見たところ、特に異常はなかったそうです。念のために採取した細胞は検査に回して、後日結果を知らせてくれるのだそうです。
 そして、私の胃の中の写真を4枚くださいました。
 毎年もらうので、記念写真がまた増えました。

 改めて見ると、よくぞ毎日せっせと働いてくれているな、と感謝したくなるピンク色をした内蔵たちです。
 これからも無理をせずに、真っ赤に腫れ上がることがないような生活をすることを、写真の中の内蔵たちに誓いました。

 昨日までの心配はどこへやら。まずは一安心のチェックアウトでした。

 帝国ホテルを後にして、すぐに皇居前にある耳鼻咽喉科の診療所へ向かいました。鼻の調子が悪いので、思い切って診察してもらうためです。
 今後の治療の手配をして、また引き返して、帝国劇場の横にある、出光美術館へ行きました。これは、源氏物語展に関する源氏絵の資料をお借りすることと、図録に掲載する写真の調査と打ち合わせのためです。

 これらの施設が、今回のドックの周りにあることもあり、一気にやり残していた仕事も片づけてしまったのです。

 のんびりと、とはいいながら、診察と同時並行で仕事もしているので、やはり懲りない性分はどうしようもありません。

 この2日間は、いい気分転換になりました。
 明日からもまた体調を気づかいながら、平常心と緊張感の狭間を彷徨いながら、息切れのしない程度の忙しさの中を生き抜いていくことになりそうです。



2008年7月 2日 (水)

心身(18)帝国ホテルで人間ドック(2)

 1日目の検診を終えて、支払いを済ませました。標準料金8万円のところを、共済の補助を差し引いて6万数千円でした。
 高いようですが、私には命を1日でも長く保つためには必要な投資です。命の維持管理費だと思っています。メンテナンス料です。

 エレベータで地下に降り、帝国ホテルの本館フロントへ行こうとしたのですが、迷路のようでわからなくなりました。
 ちょうどインフォメーションカウンターがあったので、そこの女性にフロントの場所を聞こうと声をかけました。ところが、俯いたままで返事がありません。もう一度声をかけてもダメでした。のぞき込むと、何と写真誌を読みふけっておられたのです。しつこく声をかけると、ビックリしたように顔を上げ、失礼しましたとばかりに、階段を上がってすぐだと教えてくださいました。少し年配の方でした。

 帝国ホテルは格式のあるホテルだと思っていたので、これには驚きました。いろんな人が働いているのですね。これでは、三流の対応です。

 フロントでは、丁重な対応でした。
 部屋への案内係の若い男の子は研修中だったこともあり、もう一人指導員らしき方が付いてこられました。
 エレベーターの中で、先程の雑誌を読みふけっておられた方の話をしておきました。帝国ホテルの品位の問題でもあると思ったので、言ってあげた方がと考えたからです。
 花屋の側のカウンターの人ですか、とニコニコした反応だったので、あの女性はおそらくホテル内では有名な方かも知れません。注意をしておきます、とのことでしたが、またか、という顔が窺えました。

 部屋へ入って直ぐに、インターネットの確認をしました。
 ボーイの方に聞くと、繋ぐだけだとのことでしたが、案の定、それではつながりません。コネクターをグラグラさせている内に、何とか認識し、接続できました。スピードは快適です。
 どのホテルでも、つながるまではボーイさんを帰してはいけません。

 iPod touch の無線LANのことを聞くと、1階ロビーのラウンジ辺りで無線が使えるが、プロバイダーの契約をしている場合のみだとのことです。

 先だってのオランダでは、普通のホテルでも無線LANが自由に使えたのに、この高級ホテルでは、特定の人しか使えないのです。このホテルは、もう日本を代表するホテルではなくなったのでしょうか? 相当遅れています。
 とにかく、LANケーブルででもつながれば御の字です。無線は諦めました。

 第1信をブログサイトに送ってから、地下のレストラン街へ食事に行きました。
 人間ドックの受診者は、6種類のレストランから選択できます。その内、寿司屋が2つあったので、降りる前にインターネットで調べました。共に、有名な高級寿司屋です。普通ならば、回転寿司をこよなく愛する私が、ノコノコと足を運ぶような店ではありません。とにかく、自他共に高級を謳っている寿司屋なのですから。

 ネットの書き込みによると、「鮨源」の方が「奈可田」よりも評価がよかったのです。総体に、「奈可田」は評判がよくないのです。もちろん、ネットの書き込みなので判断は微妙ですが、こんな時には、私は評判の悪い方を選びます。なぜよくないのか、知りたいと思うからです。


Jx0hlom9_s寿司屋



 「奈可田」は、こぢんまりとした店でした。
 ドックからの客は、にぎりかチラシの2種類から選ぶことになっていました。私は、にぎりをお願いしました。そして、梅酒と。
 今日は、夜の8時までに食事を終えないといけません。明朝、胃カメラがあるのです。

 カウンターに座りました。先客は3人。セレブ2人と紳士1人でした。
 カウンターには3人の板前さん。外には、3人の紺色のワンピースの女店員の方々。着物ではなかったのが意外でした。それも、地味なデパートの売り場の女性が着ているようなデザインでした。
 しかし、よく目配りの利いた接客態度でした。
 みそ汁やお茶やデザートが出るタイミングは、こちらが食べる様子を見ながらの配膳でした。

 食べ終わる頃に、中の板前さんに少し話を聞きました。
 まず、酢飯が少し酸っぱかったことを。
 いつも、これくらいの酢の量だそうです。私には、少し強過ぎました。
 玉子は、甘めでしたが、おいしくいただきました。
 マグロは、今日は和歌山からのものだったそうです。大間は今は入らないとのこと。
 気さくに話ができました。
 ずばり、「鮨源」のほうがネットではいいように書かれていたが、と聞くと、知らない風を装っておられました。関係ない、という感じを出しておられましたが、競争心はあるにちがいないので、話題にしないということでしょうか。

 この「奈可田」の印象は、これといって特徴がないということに尽きます。このことは、ネットにも書いてありました。
 そして、酢飯の酢が強かったことが、私の舌に残りました。
 お新香も、私には塩味が強過ぎました。

 帰りに、梅酒を割ったミネラルウォーターをもらって帰りました。
 ご丁寧に、瓶をビニールに包んでお土産用の手提げ袋に入れてくださいました。これはバカ丁寧過ぎて、サービス過剰ですよ……。

 お店の女店員さんは丁寧で、心配りが行き届いていたように思います。ただし、自然さへの好感を持つほどではなくて、少し無理が感じられました。厳しく言えばですが。

 またの機会があれば、次は「鮨源」に行ってみましょう。行くとなれば、来年の人間ドックをここにした時になります。それもこれも、明日の胃カメラの苦しみしだいです。





心身(17)帝国ホテルで人間ドック(1)

 今日は、1泊2日の人間ドックです。元気な割には、何かと身体に問題を抱えているので、毎年の定期点検は欠かせません。

 数年おきに泊まりのドックに入っています。これまでは、目黒にある三宿病院へズッと行っていました。それが、昨夏より通勤経路が変わったこともあり、気分転換に受診病院を変えました。

 東京駅に近いところを探していたら、皇居前の帝国ホテルの中にある内幸町診療所というところでも検査できることがわかりました。決め手は、近いところというよりも、帝国ホテルに宿泊しての人間ドックだったことです。そして、食事もホテルの中のレストランが使えるのです。日ごろは無縁な高級寿司を、一度は食べてみたかったのです。
 もう、遊び半分の健康チェックです。


Tbdasakw_sドック入口



 病院選びの動機が不純だったせいか、受付早々に問題が … 。
 胃カメラを口から入れるというのです。
 以下のブログで報告しているように、時代は、「口から」ではなくて「鼻から」です。
 

(1)「胃カメラを鼻から入れる」
http://www.npo-genjimonogatari.org/blog/genjiito/index.php?categ=1&year=2006&month=5&id=1148381592


(2)「鼻からの胃カメラは良好です」
http://blog.kansai.com/genjiito/47


 もう、あの苦しい口からの胃カメラはごめんです。震え上がるほどの恐怖体験です。

 それなのに、東京のど真ん中のクリニックでは、いまだに過去の遺物である「口から」の胃カメラだったのです。そんな旧式の病院があるとは思わなかったので、事前の確認を怠っていました。
 パンフレットにある、
「より質の高い快適な医療空間をあなたに」
というのは、真っ赤な嘘です。詐欺です。

 これは恐ろしいことになりました。2度とあの地獄のような苦しみは味わいたくはありません。
 目からは、苦汁の涙がドボドボと噴き出すのです。
 吉村昭氏の小説『光る壁画』を思い出しながら、胃カメラの開発に命を懸けた先人の苦労を思わずには、とても我慢できるものではありません。

 受付でしばし黙考。身体は帰る角度になろうとしていました。
 すると受付嬢は、最近は以前よりも少しチューブも細くなりました、と、慰めにもならないことばをかけてくださいました。
 ノドへの違和感が、嘔吐を催すのです。この施設での検診をキャンセルすることにしたところ、次の病院への手続きなどに、また1ヶ月以上がかかるようです。胃カメラだけを別の病院で受けると、今回の文部科学共済保険の補助が適用されません。自費となれば、また大変です。

 そんなこんなで、さらに唸った挙げ句、ついに命を天に任せる勢いで、身を預けることにしました。何かと多忙な日々に追われているので、早く済ませてしまおう、という結論に達したのです。これまでにも、お腹を全開したり、顔の皮膚を捲ったりと、過酷な人体解剖を経験しています。それを思うと、嘔吐とノドの苦しみなどは、大したことではないのです。
 受付嬢からは、担当医師にお気持ちを伝えておきます、という殊勝な慰めの台詞が……。観念して、着替えました。

 この施設は、病院ではなくて人間ドック専門のところだったので、待つこともなく、スムーズに1日目の検診が終わりました。
 iPodをポケットに入れていたのですが、聞く暇もなく、次から次へと移動しました。
 これまでの病院では、一般の患者さんの中に割り込んでの検査だったので、優先的だったとはいえ、待ち時間が間に入っていました。それがないのですから、順調です。スタッフも多くて、体制はよかったと思います。
 明日に予定されている、恐怖の「口からの内視鏡」以外は……。





2008年7月 1日 (火)

井上靖卒読(41)「満月」「舞台」「考える人」

■「満月」
 希望を抱いた満月の宴です。
 井上靖にしては、めずらしい設定です。
 『星と祭』では、エベレストで、そして琵琶湖で。亡き娘との対話の場面であり、慰霊のものでした。
 この作品では、社長就任を記念する満月です。その満月を背景にして、人間の生き様が語られています。
 そうした満月も、最後は月光が冷たい虚しさを持っています。
 自分の力の限界というものを見せてくれる話です。【2】


初出誌︰中央公論
初出号数︰1958年3月号

角川文庫︰満月
井上靖小説全集27︰西域物語・幼き日のこと
井上靖全集5︰短篇5



■「舞台」
 女主人公である冴子の大阪弁が気になりました。男言葉なのです。
 何といっても、冴子はバイオリニストなのですから。
 一例をあげましょう。
 「大丈夫でっしゃろか」
 「今夜が初めてだす。」
 「そやよって、パパに返しまっさ。」
 しかし、よくできた作品です。
 一人の少女を天才バイオリニストに育て上げた男2人の、心の動きがよく伝わってきます。
 その少女も、やがて父の元を巣立ち、一人の女として飛び立とうとします。
 育ての親の思いが、少し粗っぽいようです。しかし、熱っぽく語られています。
 井上靖の初期の作品を思わせる、男の描写が粗く、急ぎすぎているように思います。【2】


初出誌︰展望
初出号数︰1951年1月号

角川文庫︰満月
井上靖小説全集3︰比良のシャクナゲ・霧の道
井上靖全集2︰短篇2



■「考える人」
 考えるポーズのミイラ、という着想がおもしろいと思いました。
 暗くなりがちなミイラという話題も、豊かな想像力で明るく語っています。
 男たちは、各自が勝手に上人の伝記を創作します。楽しい展開です。弘海上人は、月の明るい夜に、掘り出されたことになります。井上らしい月光の設定です。【2】


初出誌︰小説新潮
初出号数︰1961年8月号

角川文庫︰満月
井上靖小説全集18︰朱い門・ローマの宿
井上靖全集6︰短篇6



参照書誌データ:井上靖作品館
  http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/



NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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