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2008年7月23日 (水)

源氏のゆかり(22)説明板18-豊楽殿跡

 丸太町七本松から一本南の道を東に少し歩くと、豊楽殿跡が右側の金網の中に見えます。


08072318buraku1車の横に説明板が

 ちょうど車が止まっている所の、金網越しに説明板が建っています。

08072318buraku2金網越しの説明板

 この前に紹介した藻壁門跡左馬寮跡が、小学校の金網の中にありました。そこと同じように、ここも説明板があるのはいいのですが、とにかく場所が悪いので、文章を読むのに難儀します。

 とにかく、さまざまな条件の元に設置された説明板なので、徐々に整備されていくことでしょう。


08072318buraku3読みにくい説明文

 この豊楽殿は、平城京や長岡京にはなかったものです。平安京では、国家的な饗宴が行われた場所です。
 ただし、時代とともに儀式はこの豊楽殿から紫宸殿へと移り、11世紀半ばに消失してからは再建されることもなく廃絶してしまったようです。

 豊楽殿では、正月七日に白馬節会(あおうまのせちえ)が行われました。
 「白馬」と書いて「あおうま」と読むのは、この馬が白色と黒色の毛の入り交じった馬だったからだそうです。この白馬を見ると、1年の邪気を祓うという中国の信仰からくるとか。
 村上天皇の頃から「白馬」と書くようになり、そのまま今に至っています。

 『源氏物語』では、10賢木で、藤壷の三条宮へ白馬が引き回されて来ます。
 21少女では、太政大臣となった光源氏が、二条院で白馬節会を催しています。
 ただし、当時は貴族が私邸で白馬節会をしたのかどうか、よくわかっていません。『源氏物語』のフィクションかもしれません。


 後日、たまたまこの場所を通りかかった時に、こんな光景に出くわしました。

08072318buraku4遺跡を塞ぐ車

 なんと、軽ワゴン車が、この説明板を塞いでいたのです。

 運転手にとっては、そこがどんな所なのか、関係ないのでしょう。
 遠路はるばるこの地を楽しみにして訪れた方にとっては、これでは説明を読むこともできません。写真もとれません。
 残念な思いをなさることでしょう。

 京都という地は、文化が至るところに眠っています。
 そこに住む人や、そこを訪れる人は、その文化をみんなで守り伝える義務があると思います。

 興味のない方々に理解を求めるのは大変なことです。しかし、あたりまえすぎることばではありますが、少しずつでも文化や景観や環境を大切にする気持ちを持つようにしたいものです。

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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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