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2008年7月21日 (月)

大沢本『源氏物語』の切り抜き帖・追補

 今日は、汗が次から次へと噴き出すほどの暑い1日でした。
 そして、大阪府立大学であった「幻の大沢家本源氏物語」という伊井春樹先生の講演も、熱気に包まれた会場で行なわれました。

 お話は、大沢家本の伝来とその鑑定、そして各巻の伝称筆者と大沢家本の本文の性格へと展開しました。

 具体的な話として、第39巻「夕霧」の本文を現在の流布本である大島本と比較した後、巻末に記された大沢家本だけが持つ「なにはの浦に」という言葉の意味する所に及びました。

080721osawag「なにはの浦に」


 会場は、マスコミ関係者を含めて満席の状態でした。
 私は、新聞社の方と最前列にいたところ、東京からお越しの先生も隣に座られました。
 これでは、伊井先生は話しにくいだろうなぁと思いながら、いつもの流れるような語り口に耳を傾けました。
 おそらく、会場の方々も、優しい口調だったので理解できたと思われます。

 帰りの道すがら、お2人の新聞社の方と話していると、中国でバスが爆発したとのニュースが入りました。

 今日の大沢家本のことが、明日の朝刊の一面を飾ることになっていたはずなのに、これでは紙面の中央を中国のネタが占めることになりそうです。
 あらかじめ国文学研究資料館における記者会見で情報が提供されており、記者の方々も準備万端であっただけに、少し残念そうな様子でした。
 もっとも、明日の紙面を見ないと、結果はわかりませんが。

 今回の件は今後のこともあるので、ネットで拾った記事を以下に集成してみたいと思います。
 学術的な引用としての収集整理が眼目の資料集なので、諸権利とどう関わるのか、よくわかりません。
 新聞記事の引用には問題もあるかと思いますが、各社の紙面構成とニュースの内容の微妙な差異がわかるので、あえて掲載してみたいと思います。
 もし問題があるとのご指摘を具体的にいただければ、ただちに掲載を見合わせるつもりです。

 この記事を通覧して、産經新聞が一番詳しく解説していると思われます。
 (補記・7月22日の新聞紙面を見る限りでは、京都新聞が最も充実した情報を整理して提供していますね。)
 ただし、私は『源氏物語』の本文の研究をしている関係上、どうしても「青表紙本」「河内本」「別本」ということばがどのような文脈で使われているのか、ということに神経が行ってしまいます。

 そのような視点から見ると、この3分類が池田亀鑑によるものであることを明示して解説しているのは、朝日新聞だけでした。それ以外は、現在の学会がこの3分類に疑問を投げかけている現状をまったく意識しないで書かれているように読めます。『源氏物語』を研究している専門家でも、この本文の分別の問題はむつかしいのです。にわか勉強の記者の方々に酷な要求かも知れません。また、研究者の中にも、この問題を軽視しておられる方もおられます。不用意な「青表紙本」「河内本」「別本」という用語が飛び交う記事や、研究論文にしばしば出くわすのも事実です。

 とにかく、この「青表紙本」「河内本」「別本」という専門用語の使われ方を確認しておく上でも、以下の新聞記事は通読する価値があります。

 そして、改めて、この本文を分別する問題で、その分類基準と用語をしっかりと提示する努力を、自分の問題として強く意識しています。
 『源氏物語』の本文について、「青表紙本」「河内本」「別本」という、私の中ではすでに過去の用語がこのような使われ方をしている実態を確認し、改めて研究者としての責務を痛感しているところです。

 『源氏物語別本集成』と『源氏物語別本集成 続』を刊行していることと、書かれた内容を分別整理しての〈河内本群〉と〈別本群〉という2分別私案を提案している立場からも、何とか多くの方々に理解してもらえる本文研究の成果を提示できるように努力していきたいと、あらためて放置されたままの問題点について再検討を呼びかけていきたいと思います。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
注、・写真は割愛してあります。
  ・文字の大小や強調などは共通のスタイルにしました。
  ・実際の記事は各ウエブサイトでご確認ください。
  ・並び順は時系列ではなくて私が採集した順です。


■朝日新聞
http://www.asahi.com/culture/update/0721/TKY200807210222.html

鎌倉中期作?「源氏物語」写本を発見 未整理の本文多数
2008年7月21日19時23分

「大沢本源氏物語」

「大沢本源氏物語」の「夕霧」の巻末。ほかの写本にはない「なにはの浦に」という6文字がある=いずれも伊井春樹さん提供

 鎌倉時代中期のものとみられる、「源氏物語」の全54帖(じょう)がそろった写本「大沢本」の存在が21日、明らかになった。藤原定家らの校訂を経ていない、別本(べっぽん)と呼ばれる未整理の本文を多く含んでおり、現在読まれている「源氏物語」より古い姿を残している可能性がある。研究者は「重要文化財級」とみている。
 大沢本の存在を確認した国文学研究資料館の伊井春樹館長によると、戦前までは奈良県内の大沢家が所蔵していたが、その後約70年間、行方がわからなかった。大沢家の先祖が豊臣秀吉から拝領したという伝承があり、筆者として西行や寂蓮(じゃくれん)、後醍醐天皇らの名前も伝わるが、証拠はない。現在の所蔵者は明らかにされていない。
 各帖はほぼ縦横16センチ。木箱は失われ、段ボール箱で保管されていた。虫食いの跡はなく保存状態もよい。一部の失われた帖を室町時代に補ったとみられる。
 別本は28帖にのぼり、ほかの別本とも異なる独特の表現が多く含まれている。たとえば光源氏の息子夕霧について語られる「夕霧」の巻末に、「なにはの浦に」の6文字が確認された。
 伊井さんは平安中期の和歌集「古今和歌六帖」の歌「おしてるやなにはのうらに焼くしほのからくもわれはおいにけるかな」からの一句ではないかとみている。この引歌(ひきうた)によって「自分も年をとったなあ」という夕霧の心情を表現した可能性がある。
 所蔵者からの依頼を受けた伊井さんが調査に着手、21日に堺市の大阪府立大で「幻の大沢本源氏物語」と題して講演し、これまでの結果を報告した。
 伊井さんは「重要文化財級の貴重な写本だと思う。『大沢本』を精査すれば、定家によって表現が洗練される以前の、平安時代の『源氏物語』に一歩でも近づけるのではないか」という。(編集委員・白石明彦)
    ◇
 〈「源氏物語」の写本〉 江戸時代に版本が普及するまで筆と墨で書き写された。平安時代に書かれた紫式部の自筆本は現存しない。鎌倉時代前期に藤原定家が写した「前田本」などが最も古い。国文学者池田亀鑑(きかん)の分類によると、定家が校訂した青表紙本、同時期に源光行らが校訂した河内本の2系統と、それ以外の雑多な別本がある。現在読まれている本文はほとんど青表紙本系統の「大島本」(室町時代)がもとになっている。

■毎日新聞
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20080722k0000m040091000c.html

<源氏物語>全巻写本「大沢本」を発見 鎌倉中期の古い巻も
7月21日21時9分配信 毎日新聞

大沢本「源氏物語」夕霧巻の表紙=国文学研究資料館提供

 「大沢本」として存在は知られながら70年近く行方不明だった「源氏物語」全巻の写本が個人宅に所蔵されていたことが分かった。所有者の調査依頼を受けた国文学研究資料館の伊井春樹館長が大沢本と確認し、21日に大阪府立大で開かれた講演会で発表した。中には鎌倉中期の写しと推測される古い巻もあるといい、伊井さんは「重要文化財級の貴重な資料」としている。

【関連】源氏物語:「飯島本」を初公開 全54帖室町時代写本--毎日書道展

 大沢本は、大沢という人物が豊臣秀吉より拝領したと伝えられ、明治以降度々の鑑定を受けたが、太平洋戦争前後にこつ然と姿を消した。

 大沢本を最初に鑑定したのは、明治期の古典研究家、小杉※邨(すぎむら)。小杉の覚書「鑑定雑記」を調べている伊井さんは、1907年11月に「大沢氏の子孫が持ち込んだ『源氏』写本を鑑定」という記述を発見し、かねて興味を抱いていた。また、源氏学者の池田亀鑑は40年ごろに大沢氏蔵の写本を見たが「十分な調査が出来ないまま、大戦をはさんで行方不明になった」と書き残している。今回、「源氏」本文と共に小杉らの鑑定書も見つかり、「鑑定雑記」の記述と一致することから大沢本と認められた。

 大沢本は全54帖がそろっているが、一度に写されたものではなく、不足分をかき集めた「取り合わせ本」。鎌倉中期の写本も含め、室町末期に体裁が整えられたらしい。

 「源氏」は原典が残っておらず、写本には藤原定家校訂の「青表紙本」、「河内本」の2系統と、どちらにも属さない「別本」がある。大沢本は約半数を別本が占め、例えば「夕霧」巻の末尾は「なにはの浦に」となっているが、この文言が付いた本文は、ほかに例がない。「詳細な研究はこれからだが、流布している『源氏』とは違う世界が見えてくるかもしれない」と伊井さんは期待する。現在の所有者は、大沢氏とは無縁の個人。現段階で公開の予定はない。

 異本に詳しい加藤洋介・大阪大准教授は「『源氏』が記録に現れて千年たつのを機に、写本の存在が相次いで確認されているのは喜ばしい。大沢本は質量ともに、近年まれに見る出物。室町期にどんな系統の本が読まれていたかを推測する手がかりになる」と話している。

【斉藤希史子、手塚さや香】

 ※は「木」へんに「囚」+「皿」

■時事通信
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2008072100437

源氏物語の写本見つかる=鎌倉中期と見られる大沢家本
7月21日21時50分配信 時事通信

 「源氏物語」の全54帖(じょう)がそろった写本「大沢家本」が奈良県の旧家で見つかり、調査した伊井春樹国文学研究資料館長が21日、大阪府堺市内で開いた講演会で実物と確認できたことを明らかにした。現在読まれている源氏物語にない表現もあり、貴重な資料という。
 同本は、鎌倉時代中期のものと見られ、各帖縦横約16センチ。室町時代末期に整えられた。大沢家の先祖が豊臣秀吉から拝領したという伝承があり、1940年ごろまで同家が所蔵していたが、その後約70年間所在不明になっていた。 

■産經新聞(1)
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/080721/acd0807211758009-n1.htm

大沢家所蔵の「源氏物語」写本が出現 「重文級の新資料」と専門家評価 (1/2ページ)
2008.7.21 17:55

見つかった源氏物語の「大沢本」
   
 古くは鎌倉時代までさかのぼる「源氏物語」全54帖がそろった新たな写本が確認され21日、国文学研究資料館(東京都立川市)の伊井春樹館長が大阪府立大の講演で明らかにした。昭和初期に国文学者の池田亀(き)鑑(かん)が報告して以降、所在不明となっていた「大沢本」と呼ばれる写本で、鎌倉中期から室町時代の筆写とみられる。独特の記述を持つ巻もあり、専門家は「『源氏物語』の成立に迫る重要文化財級の新資料」と評価している。
 「大沢本」は、奈良にあった旧家・大沢家に伝わった源氏物語で、明治40年、古典学者の小杉榲邨(すぎむら)が美術品として鑑定し、学界に紹介した。昭和14、15年には国文学者の池田亀(き)鑑(かん)が調査・報告したが、以後行方不明となり“幻の写本”となっていた。
 体裁は縦、横が約16センチの四角い升形(ますがた)本。各帖の布表紙は緑地の金襴(きんらん)緞(どん)子(す)で装丁され、本文(ほんもん)は料紙に筆写されている。

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大沢家所蔵の「源氏物語」写本が出現 「重文級の新資料」と専門家評価 (2/2ページ)
2008.7.21 17:55

見つかった源氏物語の「大沢本」   

 書写された時期は各帖まちまちだが、「葵」の巻は字体などからも鎌倉時代までさかのぼるとみられる。江戸時代の鑑定家らによる鑑定文(極め)が付属している。大沢家には「豊臣秀吉から拝領」と伝わり、筆者には西行法師、後醍醐天皇らの名が挙げられているが、伝承や筆者についての学術的根拠はない。
 「大沢本」は源氏物語の2大写本とされる「青表紙本」「河内本」の両方を含むが、半数以上の28帖は別系統の写本。物語の筋が違うほどではないものの、「夕霧」の巻末など微妙に異なる記述もある。伊井館長は「大沢本は独自の物語世界を持っている。(現存しない)紫式部の原文を復元するための有力な資料で、細かく調べるのが楽しみ」と話している。

 加藤洋介・大阪大准教授(平安文学)の話「54帖がそろい、別系統の写本がこれだけ含まれているという点で質、量ともに非常に貴重な研究資料。鎌倉から室町にかけて多様な写本が流通していたことがうかがえ、平安時代の写本にさかのぼる材料があるかもしれない」

 源氏物語 光源氏を主人公とする紫式部の長編小説。日本文学史上の最高傑作とされる。「桐壺」から「夢浮橋」までの54帖からなる。谷崎潤一郎、瀬戸内寂聴ら有名作家による現代語訳のほか、外国語訳も多数。「紫式部日記」には、「寛弘5(1008)年11月1日、藤原公任から『このあたりに若紫さんはいませんか』とたわむれかけられた」とする記述があり、このころまでに宮中で広く読まれていたと考えられる。その1000年後にあたる今年は「千年紀」事業が京都などゆかりの地で行われている。

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■産經新聞(2)
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/080721/acd0807211800010-n1.htm

【視点】「大沢本」発見 源氏物語研究に一大画期
2008.7.21 18:01

見つかった源氏物語の「大沢本」

 源氏物語千年紀の今年、姿を現した「大沢本」は、源氏物語研究に新たな道筋を開く可能性に満ちている。何より国文学者たちが注目するのは、これまでの研究では非主流だった「別本」と呼ばれる写本が54帖中、28帖もあることだ。
 日本を代表する古典として有名な源氏物語だが、紫式部の自筆原稿(原本)は残っていない。必要に応じ、書き写すことにより読み継がれてきた。だから、筆写を重ねるうちに相違点も積み重なっていく。
 紫式部から約200年後の鎌倉初期、歌人の藤原定家が、さまざまな写本の中から54帖をまとめたのが表紙の色からそう呼ばれる「青表紙本」で、4帖が現存する。私たちが目にする源氏物語の多くは青表紙本系統の「大島本」をもとにしている。
 また、鎌倉中期に源光行父子が校訂した「河内本」も室町中期まで広く読まれたが、定家の名声の高まりとともに廃れた。
 一方、大島、河内の両系統に属さず、これまで「別本」と呼ばれてきた写本群がある。代表は「陽明文庫本」。源氏物語の最古の注釈書「源氏釈(しやく)」(平安末期)と近似し、古い表現が残り、平安期の源氏物語に迫る手がかりとなるという。
 “定家以前”の別本研究は最近、新発見が相次ぐ状況にある。そのタイミングで今回、54帖そろった大沢本が出現した意味は大きい。大沢本の系統別内訳は、青表紙本系統が22帖、河内本系統4帖、別本28帖となっている。
 池田和臣・中央大学教授は「源氏物語の研究は、これまでの概念にとらわれず、文献学に基づいて本文を読み込み、洗いざらい初めからやり直さなければならない時期に来ている」と話す。大沢本の公開が、その画期となることは間違いない。(牛田久美)

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■共同通信
http://www.47news.jp/CN/200807/CN2008072101000468.html

 発見された源氏物語「大沢家本」(伊井春樹・国文学研究資料館長提供)
幻の源氏物語写本を発見  独自の文を含む重要資料

 源氏物語の写本の一つで約70年行方が分からず幻の存在だった「大沢家本」とみられる写本が見つかり、国文学研究資料館(東京都)の伊井春樹館長が実物と断定したことが21日、分かった。同日、大阪府立大での講演で明らかにした。
 54帖がすべてそろい、他の写本にない独自の文を含むほか、明治時代の国学者小杉榲邨(すぎむら)による1907年の鑑定書なども添えられている重要な資料だという。源氏物語1000年紀の年の発見として話題を集めそうだ。
 大沢家本は小杉が07年の日記にその存在を記録。平安文学研究の権威池田亀鑑も40年ごろ調査していたとみられるが、以降所在が分からなかった。
 伊井さんは3年前に所有者から依頼され調査。各帖の本文の伝承筆者として「伝西行筆」「伝後醍醐天皇筆」などと記され、池田が「源氏物語大成」研究資料編に記していた筆者名と一致した。
 紫式部が平安時代に書いた源氏物語は、江戸時代に版本が普及するまでは書き写すことで伝えられてきた。大沢家本は別々に筆写された54帖を集め、室町時代に装丁されたとみられる。
2008/07/21 19:06   【共同通信】

■読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20080721-OYT1T00525.htm?from=main1

源氏物語全54帖の写本「大沢本」見つかる、重文級の価値

 鎌倉中期から室町期にかけて作られたとみられる「源氏物語」全54帖(じょう)そろいの写本が、新たに見つかったことを、国文学研究資料館(東京)の伊井春樹館長が21日、大阪府内で行われた講演で明らかにした。

 先に東京都内で確認された室町中期の54帖より古く、伊井館長は「重文級の美術的、学術的価値がある」としている。
 今年の源氏千年紀を機に、研究者が写本研究に力を入れたことが、相次ぐ発見につながった。今回の写本は、奈良の旧家、大沢家が豊臣秀吉から拝領したとの言い伝えが明治期の調査記録に残る、「大沢本」と呼ばれるものとみられる。戦後、行方不明になっており、伊井館長は所有者などは非公表とした。
 縦14~15センチ、横15~16センチ。全帖とも金糸を使った金襴緞子(きんらんどんす)の表紙がついており、保存状態は極めて良い。
 平安から鎌倉期の僧侶の西行や寂蓮、鎌倉末期の後醍醐天皇ら、名高い人物が書写したとする、江戸期と明治期の鑑定書が添えられていた。本人か、筆跡をまねた別の人物が写したかは分からないという。
 54帖のうち28帖は、鎌倉初期に藤原定家が写した「青表紙本」と、同時期に源光行らが校訂した「河内本」の2大系統に属さない「別本」だった。別本には、定家より以前に写されたものが含まれている可能性があるという。『夕霧』帖の巻末は、他の写本にはみられない「なにはの浦に」という和歌の言葉を引用しており、中年を迎えた光源氏の息子、夕霧の感慨をにじませている。伊井館長は「戦後の研究は、定家の写本がもとになって現代語訳などが行われてきた。しかし、大沢本の出現で、今は失われた紫式部の原典の世界に近づいていけるのではないか」としている。
(2008年7月21日22時19分  読売新聞)

■京都新聞
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2008072200030&genre=M1&area=K00

Kyoto Shimbun 2008年7月22日(火)
大沢本源氏物語を発見
池田亀鑑の調査後、70年不明

54帖がすべてそろい、見つかった幻の「大沢本源氏物語」(伊井春樹館長提供)
 源氏物語研究の権威で昭和初期の国文学者・池田亀鑑(きかん)が戦前、調査しながら所在不明になっていた幻の「大沢本源氏物語」が見つかったことが21日、分かった。国文学研究資料館(東京)の伊井春樹館長が大阪府立大(堺市)の講演で発表した。豊臣秀吉が所蔵し家来に与えたものと伝えられ、京都の「陽明文庫本」に匹敵する「重文級の古写本」という。
 「大沢本」は、五十四帖(じょう)すべてそろい、縦横約16センチの写本。表紙は金襴緞子(きんらんどんす)の装丁で統一されている。
 全体の3分の二は鎌倉時代の写本。源氏物語の写本は青表紙本(あおびょうしぼん)と河内本(かわちぼん)の系統があるが、大沢本は平安時代の源氏物語の本文の状況を伝えるとされる別本が二十八帖もあった。
 また夕霧の巻の末文には、他の写本にはない「なにはの浦に」との和歌が引用されるなど全く新しい個所も見つかり、源氏物語の本文が多様に変化していたことがあらためて分かった。
 鎌倉時代の別本を多く含む写本は、重文の「陽明文庫本」と「保坂本」(東京国立博物館蔵)が知られ、「それらに匹敵するか、それ以上の価値がある」(伊井館長)という。
 「大沢本」にはまた、明治期の美術鑑定の権威・前田香雪や古典学者・小杉榲邨(すぎむら)が1907年に書いた鑑定書が添えられていた。秀吉が大沢護久に下賜した伝承を記すほか、題字は公家の近衛信伊(のぶただ)、金泥の下絵は狩野山楽が書き、写本の筆者は西行や寂蓮(じゃくれん)、後醍醐天皇らとしている。
 大沢本は個人蔵といい、伊井館長は3年前に仲介者から調査を依頼された。

 ■原本に迫る手掛かり
 幻の「大沢本源氏物語」が、明治の学者が鑑定してから100年、池田亀鑑の調査が未了のままになってから70年ぶりに見つかった。近年、学界で注目を集めている別本が半数を占める重文級の写本で、源氏物語研究に大きな刺激となる大発見となりそうだ。
 源氏物語は紫式部の自筆本は現存せず、鎌倉初期に藤原定家が校訂した青表紙本と、河内守(かわちのかみ)源光行・親行親子が校訂した河内本を書写した二系統の写本、この二系統に含まれない別本の写本が伝えられる。池田亀鑑が青表紙本をより純良な本文と判断して以来、その忠実な写本とされる古代学協会(京都市中京区)所蔵の「大島本」を中心とした本文が広く読まれている。
 しかし、青表紙本の「大島本」は室町後期の写本である上、どうさかのぼっても定家が手を入れた源氏物語でしかなく、紫式部による原本の源氏物語ではない。印刷技術のなかった時代、書籍は書写するしかなく、誤りや脱落、書き込みが起こりやすく、平安末期の源氏物語はさまざまに違った本文になっていたとみられている。
 鎌倉時代の別本を含む「大沢本」は、定家の校訂前の多様な本文を伝えている可能性が高い。今後、別本の研究が進めば、紫式部の源氏物語に近づいていくかもしれない。それだけに、「大沢本」の発見の意義は大きい。

 ▽大沢本源氏物語 池田亀鑑(1896-1956)が1940年ごろに調査し、戦後刊行した「源氏物語大成」に「大沢家蔵源氏物語」と紹介した古写本。池田は調査途中で中止せざるを得なくなり、全てを調べられないまま、「戦火は免れたと思はれるが、今その行方を知らない」と記録している。

◆参考 NHK
http://www.nhk.or.jp/news/k10013028061000.html#

7月21日19時27分

今からちょうど1000年前に紫式部が書いた「源氏物語」で、これまでに見つかったものとは多くの表現が異なる古い時期の写本が見つかり、研究者は「平安時代の源氏物語の姿を探るうえで重要な存在だ」と話しています。
この写本は、昭和初期まで奈良県内に伝わり、その後行方がわからなくなっていたもので、21日、大阪・堺市で開かれた国文学の講演会で発表されました。写本はおよそ15センチ四方の冊子で、全54巻とされる源氏物語がすべてそろっており、このうちの半分以上は、現存する写本としては比較的古い鎌倉時代に書かれたものだということです。源氏物語は、平安時代に紫式部が書いた原本は見つかっておらず、鎌倉時代に藤原定家がまとめた写本を基にしたものが広く伝えられています。しかし、今回見つかった写本は、半分以上がこれとは異なる「別本」と呼ばれる種類にあたり、中でも光源氏の息子について書いた「夕霧」の巻の最後に「なにはの浦に」ということばがあるなど、これまで見つかった写本にはない部分もあるということです。発表を行った国文学研究資料館の伊井春樹館長は「藤原定家がまとめる前の源氏物語の姿を探るうえで貴重な写本だ。ほかの写本と比較調査をするなど分析を進めていきたい」と話しています。


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大沢本『源氏物語』の切り抜き帖・追補を参照しているブログ:

» 源氏物語・大沢本のこと (MuBlog)
 昨夕帰路に伊井春樹先生(国文学研究資料館長)のお姿をNHKニュースでかいま見ました。  源氏物語写本の、これまでない「大沢本」が再発見されて、伊井先生の知るところとなったようです。  ここで。  現代の人は、古典の全てが実はお互いに「異本」であって、定稿らしきものは著者の自筆紙がないかぎり、定められないという事実を確認してください。さらにくどく言いますと、その著者自体が不明の古典は一杯あって、さ... [続きを読む]

コメント

 お久しぶりです。
 コメントを拝見しました。
 相変わらず、愚直に『源氏物語』の本文を翻刻しては、整理しています。
 原稿というものについての考え方は、いつも学ぶべき意見だと反芻しています。
 今回の大沢本は、その背景は複雑なのですが、本文はすっきりとして明快です。鎌倉時代のものが多いのです。
 解明は、すべてこれからです。
 探し求め続けていると、いつかは向こうから顔を出してくる、という例に、また出くわしました。
 何事も、続けていることに価値があるのですね。

 昨春から、京都に住んでいます。
 また、折をみてゆっくりと。

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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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