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2008年12月 3日 (水)

インド人留学生の眼(2)「日本の常識の不思議」

 インドから来ているクマール君の報告・第2弾です。


「日本の常識の不思議」

 昨日、代々木公園に行きました。そこで、フリスビー(プラスチックの皿)でゲームをやっている2人の日本人を見ていました。このゲームは、プラスチックの皿を相手の方に飛ばし、相手はそれを掴もうとするものです。その皿が少し高く飛んでいくと、相手に「あっー、すみません」「あっ、ごめん」、と飛ばす人が言っていました。その「すみません」という言葉の気持ちは軽いものであることは知っています。しかし、スポーツの場で、なぜ謝る礼儀が必要なのか? と思いました。飛ばすのですから、高く飛んだり、低く飛んだりするのは当たり前です。それが、ゲームの魅力です。いちいち謝っている姿は、非常に不思議です。
 先日、筑波大学へ行く時、秋葉原から筑波エキスプレスに乗りました。ドアが右か左かどちらが開くかを、英語でも日本語でも、駅に着く前に何回も繰り返し車内放送がありました。そして、ドアが開くと、同時にその反対側の閉まっているドアの上の表示板には「反対側のドアが開きます」と点滅していました。目の不自由な人の場合には話が違うけれども、もし間違えて放送を聞かなかった場合でも、ドアが開くとそれだけでどっちに降りるべきか、すぐに判断できます。それでも、その車体の電光掲示板を作った人は、さらに親切な工夫をしたのです。何でそこまでこだわっているのか? と不思議に思いました。
 また、私が住んでいる近くにある学校の門までの道は、少し急斜面の坂道になっています。坂道の上り道からも下り道からも、学校に出入りするところにはっきりと見えるように、「坂道だからご注意」という看板がポツンと立っていました。雨が降っているか降っていないか、日が昇っているか沈んでいるかが五感で理解できるように、坂を上がったり、下ったりする子供も、坂だということはわかっています。このような意味のない看板は、誰に対して、どんな動機で書かれたのでしょうか。
 駅でよく見られる場面ですが、例えば京王井の頭線駅で、電車の到来を知らせる電光掲示板が壊れています。その電光掲示板に「故障中」と書かれています。もしその掲示板に何も表示されていないと、見るだけで故障中だとすぐ判断できます。紙でそれを披露する必要はあるのかと思っています。
 そのような場面で、日本人の、こうした当たり前のことに対する共通認識がどんなものか、考えるようになりました。
「常識」というものは、日本人にとって一体何でしょうか。
この一年間の留学中も、ずっと考えてきました。答えはまだ見つかりません。

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コメント

クマールくんへ
-私は学生時代、テニスをやっていましたが、練習中にやっぱり「あ、ごめん!」とかはしょっちゅう言ってました…。違和感を覚える気持ちもよくわかりますが、これはいわば潤滑油のようなものなんじゃないかと思っています。

-電車の自動扉の電光掲示板は、乗り降りの際の効率を考えてだと思います。乗客が少ない場合は、開かないほうの扉前で降りる準備をしていて、でも電車が止まっても扉は開かなかった、振り返ると反対側の扉が開いているので、そちらから降車する、という流れになりますが、乗客が凄まじく多い場合は、これをやっているうちに乗り込んでくる人波のため、降車できなくなります。

-駅のホームの電光掲示板に「故障中」の紙が貼ってあれば、私たちは容易に「すでに駅員は気付いていて対応中なんだな」とわかります。貼ってないよりも、迅速な対応のイメージが作り上げられると思います。

クマール さま
「インド人留学生の眼」が100回ぐらい続いて欲しいと、いつも楽しみにしています。
今回の「日本の常識と不思議」を読ませて頂き、またまた自分たち(日本人)にとっては当たり前に日々過ごしていることが不思議と思われているんだなと楽しく拝見しました。

「スポーツをしていても人に謝りながらする」とか「見れば分かる、やれば子供でも分かるのに表示や看板がある」とか不思議がたくさんある様子ですね。
日本人は「人の様子を伺いながら、気を使いながら行動することが多い」人種だと思います。それがいい意味で出来ると心配りだったり、思いやりだったり、本当に素晴らしいのですが、大抵は人の様子を伺ったり、ご機嫌をとったり、他の外国の方々からみると、あまり良くない態度にみえるかもしれません。
それが、今回の「不思議」につながっているんじゃないかと思いました。
日本は今「余計な親切が行き過ぎていて、逆に大切な親切が減ってしまい居心地が悪い」状態になっているのかもしれませんね。

今後も「留学生の眼」を楽しみにしています。

クマールさん

初めてコメントを投稿します。
外国人からの視点は私たちの生活について新しい視点を与えてくれますね。
僕も、クマールさんの意見に賛成なところが多々あります。
こういう風に自分たちの生活を客観的に記述されると、その中で生活し、そのルールに忠実に従おうとすることが、ある種滑稽に思えたりもして、不思議です。

いったい、「常識」とは何なんでしょうか?
その常識が通用している環境に暮らしていると、さもそれしか方法がないように思えますが、一度それを離れた視点から眺めてみると、本当に必要なものなのかさえ疑わしくもなりますね。
(しかしながら、電車の電光掲示板にしても、スポーツでのことにしても、そこには何かしら理由があり、人々の思いがあることだから重要なことでもあるんですよね。)

クマールさん
これからもクマールさんの目で日本を見つめ、気付いたことを我々日本人に教えていってください。

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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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