« 映画『禅』に失望 | メイン | 成人式を欠席 »

2009年1月11日 (日)

源氏のゆかり(34)説明板30-雲母坂

 比叡山は、うっすらと雪をいただいています。


090111hiei比叡山


 かつて都から比叡山へ往き来した登り口に、雲母坂があります。そこに『源氏物語』のゆかりの地としての説明板が設置されたのは、千年紀として盛り上がった昨年3月でした。
 行ってみようと思いながら、郊外であることと山中ということで、延ばし延ばしにしていました。

 寒い中でしたが、自転車を漕いで身体を温めながら行ってみました。
 説明板の前から元来た道を見下ろすと、洛北の一角が見えます。


090111kirara1洛北を望む


 街中では、ちょうど第27回全国都道府県対抗女子駅伝がスタートする瞬間を待っている時です。この坂の下の白河通りは、折り返し地点である国立京都国際会館に続くコースになっています。この山道に来るとき、警備車両や関係者とボランティアの方々が、沿道の準備をしておられました。

 さて、坂を登って突き当たりにある説明板は、関西セミナーハウスの敷地沿いに建っています。左下が雲母坂へ、右手前が曼殊院へと続いています。


090111kirara2関西セミナーハウス前


090111kirara3説明板


 この説明板の中の付近見取図は、この辺りの位置関係がわかりやすいので、少しピンボケですが掲載しておきましょう。


090111kirara4見取図


 雲母坂の方へ行ってみました。


090111kirara5雲母橋


 音羽川に雲母橋が架かっており、そこから右上へと山道が登っています。
 この道は、比叡山の山法師が日吉神社の御輿を担いで都に強訴に押し掛けた、とか、南北朝の戦乱ではこの坂が戦場となり血に染まった、との説明が、雲母橋のたもとの標識に書かれていました。
 ただし、この雲母橋という名は、つい最近命名された橋のようです。平安時代からのものでないようです。
 途中にあった案内図で、この辺りの位置関係がよくわかります。

090111kirara6案内図


 この雲母坂は、平安時代から都人が比叡山へと登る、主要な道でした。
 この音羽川から京の市街を振り返ると、かすかに洛北が見えます。


090111kirara7京の市街


 道標によると、ここは勅使をはじめとして、最澄、法然、親鸞、日蓮、道元などもこの道を歩いて比叡に往き来した、とあります。

090111kirara8雲母坂の道標


 もう少し暖かくなってから、この雲母坂を比叡へと登ってみましょう。
 『源氏物語』の終半になると、浮舟や薫など、この坂を登る人が出てくるのですから、是非とも登ることにします。
 今日は、このあたりから見上げるだけで、引き返しました。


090111kirara9


 ちょうど、修学院離宮の真後ろにあたります。宮内庁の管轄である標識が、境界の柵越しに確認できました。

 山を下りたところに、今日の駅伝で優勝候補とされている京都チームが泊まっている宿がありました。
 予定通りに優勝したので、これも記念として掲載しておきます。


090111ekiden


トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://app.blog.eonet.jp/t/trackback/350595/17762928

源氏のゆかり(34)説明板30-雲母坂を参照しているブログ:

コメント

コメントを投稿

コメントは記事の投稿者が承認するまで表示されません。

NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

Powered by Six Apart
Member since 07/2008