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2009年1月 5日 (月)

井上靖卒読(55)『詩集 北国』

 井上靖は、中学の時から詩作を続けて来ていました。
 これは、昭和33年に刊行された、井上靖の第1詩集です。
 その「あとがき」で、次のように言います。

私の持つてゐるノートは、「詩のノート」ではなくて、「ある小説家のノート」とでも言つた方がいいのかも知れない。

 井上は、自分の詩をもとにして何編かの小説を生み出しています。自分の詩想をとりあえずノートに記したのが、こうした詩集となっているのです。

 そして、井上の詩は、ごく普通の文章の形となっています。そのスタイルは、およそ詩らしくありません。しかし、読んでいると、その語られることばの連なりの中に、詩的な世界が浮かび上がるのです。読後に作者のイメージを感得できるのが、井上の詩の特徴です。

 この第1詩集の中では、私は「漆胡樽 —正倉院御物展を観て—」が好きです。
 それは、こう語り出されるものです。

星と月以外、何者をも持たぬ沙漠の夜、そこを大河のように移動してゆく民族の集団があった。(下略)

 新年を迎えたばかりなので、その『詩集 北国』の最後に置かれた「元旦に」という詩を紹介しましょう。

門松を立てることも、雑煮をたべることも、賀状を出すことも、実は、本当を言えば、なにを意味しているかよくは判らない。しかし、これだけは判っている。人間一生が少々長すぎるので、神さまが、それを、三百六十五日ずつに区切ったのだ。そして、その区切り、区切りの階段で、人間がひと休みするということだ。 私は神さまが作ったその階段を、ずいぶんたくさん上がって来た。今年はその五十段目だ。昭和三十二年の明るい陽の光を浴びて、私はいまひと休みしている。はるか下の方の段で、私の四人の子供たちも、それぞれ新しい着物を着て、いまひと休みしている。


 たまたま、この文章を書き終えて休みがてら今日の新聞に眼をやったところ、朝日新聞(夕刊)の連載記事である「記者風伝 第3部」で、ちょうど「詩人たち その一 井上靖のこと」と題する記事が書かれていました。その中に、あろうことか、今わたしが引用した「元旦に」が枕の部分に紹介されていたのです。
 今日、新聞に井上靖が取り上げられたことも、これも何かの縁なのでしょうか。
 まったくの偶然とはいえ、ほんとうに不思議なことです。【3】

昭和33年3月30日
東京創元社
38編収録

新潮文庫︰井上靖全詩集
井上靖全集1︰詩篇


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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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