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2009年2月の29件の記事

2009年2月28日 (土)

結婚式から慌ただしく上京

 8人会という集まりを持っています。
 高校時代の同級生を中心とした、テニス仲間の4家族が集まったものです。

 かつて、私がパリで 『探幽筆 36歌仙』 を見つけた時、みんなの力を得て輸入しました。

 最近では、一緒にテニスをすることはなくなりましたが、何かあると集まっています。

 今日は、その内の一人の息子の結婚式でした。
 我々8人会の子供たちは、みんな一緒に育っています。
 小さい時には、みんなでテニスによく行った仲間です。
 小さい時を知っているので、こうして30歳近くになって結婚する姿を見ると、時間が確実に経過していることを実感します。
 それにしても、我々の仲間の子どもたちは、本当にまったく変わりません。
 みんな、小さい時の雰囲気をプンプンさせています。

 今日の子は、料理の世界で生きています。この子の影響もあったのか、我が家の長男も料理人です。
 そのお姉ちゃんは、オーストラリアで結婚して、出産が近いために式には出られず、ビデオレターで参加していました。ブリスベンで日本語を教えています。
 我が家の長女がイギリスの大学を出たのは、これまたこの娘の影響かも知れません。

 8人会の子どもたちの世代になっても、いろいろとお互いが影響を受けながら育っているようです。

 今日は、我々男どもは、髪の毛が白くなったことを競っていました。
 肩が痛いの、病気がどうのと、年にからんだ話題が多くなりました。
 そして、年金をもらうようになったら、一緒に旅行に行ってのんびりしよう、ということでまとまりました。

 さて、結婚式は、大和西大寺に近い教会で行われました。

 花嫁がブーケを投げる儀式は、もう定着したようです。


090228hana空を飛ぶブーケ

 その後、庭園で風船を飛ばしました。
 ハート型の風船が、大空を舞うのは壮観です。


090228baloonハートのバルーン


 風船を見上げるときに、いつしか口がポカンと開いてしまいます。

 私は、明朝、成田からインドへ向かう関係で、式の後半で中座して上京しました。
 結婚式の帰りは、何となくこちらも気持ちが若返ります。
 新幹線の中で、今日の2人の幸せを祈ってあげました。

 そして今、あわてて荷物を作りながら、この報告を認めています。

2009年2月27日 (金)

時間と空間を移動する

 今日は、朝早くから東大阪市にある大阪府立中央図書館へ行きました。
 過日報告したように、柳呈によるハングル訳『源氏物語』の表紙を撮影する許可が出たので、そのために出向きました。
 前回同様、対応してくださったNさんは、非常に配慮の行き届いた方でした。
 今のところは、1冊本の柳呈訳は、これしか日本にはないのです。そもそも、柳呈訳が少ないので、今後とも探していきたいと思います。

 撮影が終わると、小雨の中を、かつて住んでいた平群へ行きました。


090227heguri1平群駅前


 急遽必要になった書類を受け取るために、何度か通った、懐かしい町役場へ行ったのです。東京や京都と違う雰囲気がいいです。
 竜田川は、子どもたちと一緒に川遊びをしたところです。
 コープの向こうに、かつての我が家が、靄の中に見えそうです。
 妻と、子どもたちと、おばあちゃんと、6人みんなで過ごした平群です。

090227heguri2竜田川から生駒山

 駅の外れにあったバス停の角の銀行が、取り壊されている所でした。

090227bank銀行

 それ以外は、20年以上住んでいたままで、時間と空気が止まった地域のように感じました。

 役場で書類を受け取ると、すぐに京都駅を目指します。
 お昼から、駅前のメルパルクで大事な会議があるからです。
 西大寺で特急に飛び乗って、ギリギリで開会にまにあいました。100人以上の方々が集まる会議なので、広い部屋にギッシリとみなさんが詰めておられます。壮観です。お一人お一人が、それぞれの分野の第一線で活躍中の方々です。テレビで、新聞で、雑誌でと、よく見かける顔が多いので、一人で楽しんだりしています。

 予定よりも1時間も延びた会議が終わると、すぐに会場を移動して、駅の反対側にあるキャンパスプラザ京都へ向かいます。
 今度は、研究プロジェクトの例会です。
 今日は、モンゴルからお越しの、L.テルビシ博士のお話です。
 博士は暦学者としては第一人者です。テーマは「モンゴルのゾルハイ(暦学)とモンゴル人の時間概念」でした。

 お話は、モンゴル語でしたが、通訳の仏教大学の学生さんが、うまくその意を伝えてくださいました。
 モンゴルの旧暦は、インド・チベットを起源とする暦を中心として成っているそうです。
 そして私は、インドは白で、中国は黒という色で理解されている、ということばに興味を持ちました。
 中国については、あまり好きな民族ではないということはわかりましたが、インドが「白」、ということがわからなかったのです。
 すぐに質問すると、インド人の服装からのイメージから来るものではないか、とのことでした。

 モンゴルの暦の時間概念の話が中心でした。
 私はウサギ年の生まれなので、ウサギに関する話につい耳が向きました。
 「ウサギの刻をあけぼのの刻と名づける」とか、「あけぼののウサギの刻に酒やヨーグルトを醸し、魑魅の口を封じると吉」とか。これはもう、占いの世界です。
 「八方位表」のお話の後に、方角と季節や色の関係を質問しました。興味深い答えをいただきました。天子南面の考え方や、方違えの考えが、今も生きているのです。まさに、平安時代の陰陽道です。

 ホワイトボードに、ロシアのキリル文字で板書しながらの説明でした。

090227mongol1モンゴルの暦

 ウサギ年生まれの私は、「死星」が「金曜日」だそうです。金曜日には気をつけましょう。
 その話を聞いている今日が、なんと金曜日なのです。気をつけながら、気を配りながら帰りました。
 また、私の「敵」は「ニワトリ」なのだそうです。その意味するところは、また落ち着いて考えましょう。

 今日は、モンゴルの暦では、正月3日だそうです。
 三が日も今日までです。
 明日からは、心を引き締めていくことにします。

 このお話の合間に中座して、京都府立大学の仲間とロビーで打ち合わせをしました。
 お借りしていた、末松謙澄の珍しい翻訳本などをお返ししたところ、今度は、これまためずらしいドイツ語訳の『源氏物語』の本を貸してくださいました。
 さらには、末松謙澄がロンドンにいたときのことを調査した論文も、コピーしてくださっていました。
 明治時代初期の『源氏物語』の翻訳事情が、少しずつ見え出しました。仲間からの情報は、本当にありがたいものです。

 今日のすべての用事を終えて帰ろうとしたところ、京都駅の構内に機動隊などの車両が出入りしています。ものものしい雰囲気でした。私は金曜日は「死」につながるそうなので、急いで駅を立ち去りました。
 ニュースによると、テロに備えて、消防や警察、医療機関の連携を強化するための初の合同訓練が実施されたのだそうです。サリンがまかれたとの想定で、被害の確認から救護までの動きを確かめる訓練があったようです。
 やはり、私にとって金曜日は問題のある日のようです。

 朝から晩まで、時間に追われ、時間を考える、おもしろい1日でした。

2009年2月26日 (木)

平和ボケした銀行の窓口(2)


《承前》
先日、為替レートのことを、通りがかりの銀行で聞いたときのことです。
相当長い時間待たされたあげく、さらに待ってくれとのことだったので、断って店を出ました。
そして、手持ちのiPhoneで調べて、金額を知りました。

専門の場所で聞き、さらにプラスして情報を得ようとしたのですが、そんなサービスをする姿勢は、今の窓口にはないようです。
自分で調べた方が早いのです。それは限られた情報であることが多いので、つい人との対応の中で付加価値を見いだそうとします。しかし、それはもう望めない情報収集法なのでしょうか。

私は銀行の口座に関しては、ネットバンキングを利用しています。久しぶりの窓口対応を体験しました。
それにしても、銀行の窓口が、こんなに人材と資源の無駄遣いをしていたとは。

以前にも書きましたが、東京三菱UFJ銀行は、相変わらず殿様商売をしているのですね。
 
 
 

2009年2月25日 (水)

平和ボケした銀行の窓口(1)

東京三菱UFJ銀行M支店でのことです。
韓国の国民銀行を通して、釜山にいる知人に送金しようとしたときでした。
窓口で、なんとも不可解な対応を受けました。

送金依頼用紙を渡されたので、それに記入しようとしました。しかし、ほとんどすべてが英語での記入を要求されています。
まず、相手先である国民銀行の英語名がわかりません。窓口で尋ねると、もう一人と相談した結果、こちらではわからないので、先方に問い合わせてくれ、とのこと。

送金相手の名前も、英語表記で書いてくれ、と。
漢字は一切だめだそうです。

相手先の住所も英語だそうです。
その場ではどうしようもなかったので、断念して帰りました。
サービスということを知らないイギリスの銀行のような対応でした。

帰り道、iPhoneで国民銀行を調べると、銀行名も、住所も、すぐに英語表記がわかりました。
私がすればいいことは、知人の名前の英語表記だけだったのです。
銀行の窓口で、インターネットを使って調べてくれたらいいのに、と思いました。その前に、世界の銀行名などはすぐに答えられないと、国から正式に認可を受けた金融機関とは言えないのではないでしょうか。

ネット社会から完全に切り離された銀行の窓口での対応は、これはこれで残すべき文化遺産ともいえます。
東京三菱UFJ銀行以外の銀行も、こんな程度で営業をしているのでしょうか。
 
 
 

2009年2月24日 (火)

京洛逍遙(57)「西院」の読み方

 一昨日、「源氏のゆかり(35)説明板25-朱雀院」と題して、文学散歩を記しました。

 朱雀院跡を求めて、四条通りをブラブラとしていた時でした。

 改札のない、町中の路面電車の小さな駅に、きれいな電車が入って来ました。通りから地続きのホームです。そのホームの屋根を見上げると、意外なものが目に入りました。
 私にとっては、忘れようとしても忘れられないものを見たのです。。

 小さなホームを出て行く、次の駅へと動き出した京都らしい電車を見送りながら、何度も駅名の表示板を見やりました。


090221sai2嵐電の電車


 それは、その駅名「西院」の読み方が衝撃的だったからです。


090221sai1駅名表示

 この駅については、京福電鉄のホームページの「嵐山線」の「西院」の項に、以下のように書かれていることを、帰ってから知りました。

  ◆駅名の由来

 平安時代初期の833年、淳和天皇が佐比(さひ)大路と四条大路が交差する付近に造営した離宮を、京都御所から見て西の方角に当たるため、「西院」と呼んだことが地名の起こりと言われており、この地名を駅名としました。「西院」と書いて、嵐電の駅名は「さい」、阪急電車の駅名は「さいいん」と発音します。


 そうなのです。
 この駅の地下を走る、目と鼻の先にある阪急電車の「西院」駅は、ごく普通に「さいいん」と読むのです。それなのに、ここは何を思ったのか「さい」と読ませるのです。

 意表を突かれました。

 この地は、淳和天皇に関わりのある所です。淳和天皇が譲位後、ここに後院としての淳和院が建てられました。その別名を、西院と言ったそうです。

 四条通を隔てた近くに、高山寺があります。

090221kouzanji1高山寺山門


 その山門の左側には、「淳和院跡」という石碑が建っていました。


090221jyunnain淳和院

 この高山寺へも私は脚を留めたのですが、それは、帰ってからホームページなどで知識を注入する前の、偶然のことでした。

 上の高山寺の石柱の写真を見るとわかるように、「西院之河原」とあることから、脚が止まったのです。 
 「西院」に「さい」とフリガナが振られています。
 これが目に入ったので、入ってみたのです。
 このお寺の通称名が「賽の河原(さいのかわら)寺」といわれて来たことが、どうやら今こだわっている問題と関連しそうです。

 本堂の前には、こんな額が掲げてありました。

090221kouzanji3扁額

高山寺御詠歌


くろだにを

 はやたち

  いでて

こうさんじ

さいの

 かわらを

まもる

 みほとけ


 このお寺の本尊は子安地蔵で、第8代将軍足利義政の夫人だった日野富子も、ここで祈願し、第9代将軍義尚を生んだということです。ここの安産地蔵は、子供を救う地蔵として古来多くの信仰を集めてきたようです。


090221kouzanji2石仏


 地蔵さんは立派な石仏です。こんな大きな地蔵さんは、今までに見た記憶がありません。4メ−トルはあるでしょう。

 ふとした疑問が、何とか解消されました。
 歴史のある街の地名は、おもしろい背景をもっているものです。

 そんな歴史や文化を感じることができる街を歩けるのは、何ものにも代え難い、贅沢なことだと思っています。

 

2009年2月23日 (月)

時差ぼけの不思議

 海外から帰ってくると、必ず生活のリズムが狂います。乱れるのではなくて、狂うのです。

 日本を発って12時間近く飛行機に乗って行っても、イギリスの場合は時差が9時間あるので、その日の数時間後に到着したことになります。時計の上では、3時間くらいしか飛行機に乗っていなかった、という変な話になるのです。

 この不自然な時間の中に身をおくと、毎回、体内時計が狂います。
 往きで狂い、帰りで狂い、おまけに、年とともにさまざまなボケが加算され、柔軟に時間の中を泳ぎ切ることができなくなります。

 今日は、もうかれこれ、24時間近く起きた状態で、何かをしています。
 昨日も、20時間以上起きていました。眠くないのです。そして、どう見ても、効率が悪いのです。

 何かの拍子に、瞬間的に熟睡している自分に気づきます。
 電車の中では、熟睡しているようです。どうしてなのか、昨日も今日も、いつも降りる駅の次の駅で、あわてて飛び降りました。眠ったままの意識と、いつもの行動パターンを指示する意識とが、不規則に交流しいてるのでしょう。意識ははっきりしているが、外見的には夢遊病者のようです。

 もう、イギリスから帰ってきて1週間。
 1週間目の今日が、体内時計が一番狂っているようです。

2009年2月22日 (日)

源氏のゆかり(35)説明板25-朱雀院

 四条通りと山陰線(嵯峨野線)が交わるところに、日本写真印刷があります。その広大な敷地の南側、四条通り側に、朱雀院跡の説明版があります。


090221suzaku1四条通


 塀の一部が透明なアクリルパネルになっており、そこから覗くと、こんな感じで説明版が見られます。

090221suzaku2朱雀院跡


090221suzaku3説明版


 そばにバス停「四条中新道」があるので、わかりやすいと思います。

 朱雀院は、平安京のメインストリートである朱雀大路の西側にありました。三条から四条の間にあり、八町もの敷地を占める上皇方の御所でした。この広さは、神泉苑と同じです。平安京では、平安宮を除くと、もっとも広い場所です。

 『源氏物語』では、桐壺帝の父・一院と、息子の朱雀院が、ここを御所としています。
 物語の中では、第7巻「紅葉賀」で、桐壷帝が朱雀院に行幸する場面があります。その折、光源氏と頭中将が青海波を見事に舞うシーンがあります。源氏絵などでは、よく取り上げられるので、有名な場面となっています。

 こうして歩くと、物語が浮かび上がります。
 だいたいは、現地を訪れると、その場所の確認にはなっても、その雰囲気が虚実の落差を実感させ、イメージの邪魔をすることが多いように思います。
 ただし、この朱雀院跡は、日本写真印刷の敷地内にあるせいか、まだ救われている方でしょう。
 会社の建物の良さと、大通りの開放感が、平安時代の雰囲気を少しは感じさせてくれるように思いました。
 (やや、無理をしていますが…)

2009年2月21日 (土)

先入観で見てはいけないインド

 『クーリエ・ジャポン』(2009年2月号)で、「”日本人化”するインド人の暮らし」という特集があります。大分前に購入していた雑誌ですが、読む順番が今回インドへ行く直前となりました。

 この記事は、インドの国内向けに書かれた雑誌の記事をもとに、インド研究の第1人者である中島岳志氏が編集しているものです。

 インドの中流階級の都市における急激な変化が、ここから見えて来そうです。

 この中から、気になった記事を引いておきます。

Part Ⅰ 消費社会化するインド

・「ゲーテッド・コミュニティの誕生によって、多くの人が”ノイズ”に触れることなく生活できるようになった。(中略)階層の区別はこれまでにもあったが、富める者も貧困層と交わってきた。だが、ここでは本当に隔絶されており、このなかで育った子供たちは外の環境に触れたことすらない。「想像力の欠如」という問題がインドを蝕みつつある。」(25頁)

・「アルコール類の売り上げは年間15%も伸びている。特にいま、中流階級の女性のあいだでワインが人気を集めており、酒類の売り上げの約4分の1は女性たちによるものだという。」(29頁)

Part Ⅱ 変化する若者の結婚観

・「バラエティ豊かな結婚サイトは、インドに大きな社会変動をもたらそうとさえしている。」(31頁)

・「幼児婚は、夫へ服従を求める宗教規範から生まれたシステムである。(中略)だが、インドのヒンドゥー教徒に対して適用されるヒンドゥー婚姻法では、女性の結婚年齢は18歳からとされている。」(37頁)

Part Ⅲ 旧きよき家族像の崩壊

・「悩みを抱えた日本の若者が自分探しに行くインドで、その国の若者が自殺をするという皮肉な現実が生まれている。」(43頁)

・「いまのインドは日本と同じ問題を抱えている。こうした苦悩を彼らと共有することが大切だ。」(45頁)

■中島岳志氏の総括

・「私たちが踏み込まなければならないのは、インドが現代社会で抱えている苦悩が、私たちの経験してきたものと同根であるというところだ。」(47頁)

 私は、毎年のようにインドへ行きます。そして、ニューデリーに行くたびに、街と人々の変化に驚かされます。

 旅行案内書は、都市部に関しては毎年書き換える必要があります。また、インドに対するモノの見方も、毎年のように変更を余儀なくされます。

 インドは魅力のある国だけに、今後とも目が離せません。

 自分なりの範囲で、これまでの関係を温め続けていきたいと思っています。

 中島岳志氏は、私が初めてインドへ行ったときに2ヶ月間も寝食を共にし、いろいろな所へ案内してもらい、そしてよく語り合いました。
 彼のシャープな感覚から教えられることが多いので、その発言には今後とも注目していきたいと思います。

2009年2月20日 (金)

藤田宜永通読(6)『恋愛不全時代の処方箋』

 『恋愛不全時代の処方箋』(2006年11月5日、阪急コミュニケーションズ)は、気楽に読み流せる恋愛読本です。
 ただし、吉行淳之介ほどの、軽みと深みの絶妙なバランスはありません。

 その企画から、本書の内容がわかります。
 編集部の女性など数人に集まってもらい、みんなの質問や体験談のやりとりを通して藤田が持論を展開する、ということの中から生まれた本です。
 「まえがき」に、

私ひとりで書いていたら絶対に見逃してしまう点がとりあげられたり、と、答えるほうも気が抜けない場面も多々ありました。

とあるように、引き出された話で構成されているところにおもしろさがあります。
 そうした話し合いをもとにして、ライターの篠藤ゆりさんが一書にまとめたものだとか。
 藤田流の盛り上がりがないのは、第三者が編集したものだからです。これは、致し方のないところでしょう。平板な流れですが、いろいろと楽しめる話題がばらまかれています。

・現代の「恋」は、「激情型」ではなくて「先読み型」に移行している。(14頁)

・女性は「関係性」で、男性は「絶対性」で生きている。(32頁)

・「恋愛」は北村透谷の造語で、LOVEの翻訳語。(35頁)

・今どきの男はメモリーの少ないパソコン。容量を超えるとすぐフリーズ。
 その時、男は恋愛ではなくて仕事を優先する。(60頁)

・女性の相談は大方が愚痴なので、男は客観的な意見を言ってはいけない。(71頁)

・「結婚」とは「恋愛」の後に「日常」が入ってくること。(153頁)

・最近の若者は、「サーキット型」と「自動車教習所型」が多い。
 しかし、共に公道では役立たない。(189頁)

・今の女性は、「万能感」や「全能感」に捉われている。
 「全能感」を満足させる男を求めるが、男は「万能」ではない。(200頁)

 本書を読み進めながら、全体的にもっと深く掘り下げたらよかったのに、という印象を持ちました。

 「最後に言いたいこと」で、こんなフレーズがあります。

日本人は、『源氏物語』のような、現代から見ればアナーキーな世界を持っていますが、同時に奥ゆかしさがあります。(200頁)
古典文学に描かれているアナーキーな恋もできません。(200頁)

 『源氏物語』や古典文学の恋愛が「アナーキー」とは ?
 藤田宜永は『源氏物語』をはじめとする古典文学を真剣に読んではいないようです。感覚的に、つい一般論として言ったのでしょうが、これについては、説明を聞きたくなるところです。

 吉行淳之介が小野小町などの古典ものを翻案したり現代語訳したように、藤田宜永も日本の古典作品を扱った作品に手を付けると、おもしろいものができることでしょう。

 藤田宜永のハードボイルド物は大好きです。しかし、恋愛物はいただけません。ならば、古典に取材した物を書いてはどうでしょうか。【2】


2009年2月19日 (木)

心身(30)体重が50Kgを割ってしまった

 今日、久しぶりにスポーツクラブへ行きました。そして、体重計に乗ってガッカリしました。
 死守していた50Kgを割ったのです。49.99Kgでした。
 微妙に片足ずつ、体重を移動してみました。前のめりになったり、後ろに反ったりも。
 しかし、少しも増えません。ショックです。

 体重を増やしたくて、筋力をつける目的で運動をしています。しかし、なかなか思うようにはいきません。

 世に、痩せたいという贅沢なことを言っている人が、非常に多いことは承知しています。しかし、私はその逆です。血糖値を上げずに、何とかして太りたいのです。

 小学校の低学年までは、栄養失調で虚弱児だったので、体重を増やすことは昔からの夢です。高校時代にテニスで体を鍛えたせいか、体力には自信を持つようになりました。
 昨秋も、源氏展の図録作りで、何日も続けて徹夜をしても、体は壊れませんでした。
 それだけの気力と体力はあったはずなのに、徐々に自信がなくなりました。

 昨年の夏から、ズッと仕事が溜まった状態でした。年末年始も何かと気ぜわしい日々でした。
 先月末には、3本の原稿を仕上げ、今月に入ってからは、2本仕上げてイギリスへと旅立ちました。
 今、その校正に追われています。

 毎朝、寝起きに血糖値を測っているので、その数値は、いつもその日の食生活の参考にしています。
 イギリス出張の前後の血糖値を見返してみました。
 赤色の数字が、イギリスでのものです。130以下が目標値です。

 120 / 137 / 127 / 143 / 146 / 164 / 139 / 149 / 117

 やはり、海外で食事制限を守るのは、本当に難しいですね。
 今日から、やっと平常値に戻ったことになります。そして、それに連動してか、体重がストンと落ちたのです。

 明日から、もう少し食べます。

 今年に入ってから、朝はニッポンハムの「めしあがレンジ」という、一食400Kカロリー以下のものを食べています。そして、お昼はコーヒーにクッキー。夕食は回転寿司、というスタイルにしていました。いわゆる、1日2食です。
 これでは、エネルギーが足りないようです。もう少し、力になるものを食べることにしましょう。と言っても、差し当たって思いつく物が特にあるわけではありませんが。

 夜、寝る前には、缶ビールかワインを1杯飲みます。おつまみは、刺身こんにゃくです。

 これは、楽しみにしているものなので、止める必要性は感じません。
 お昼をどうするか、ということなのでしょうか。
 しばらく、試行錯誤の日々となりそうです。


2009年2月18日 (水)

ロンドン・パリ間が2時間

 ロンドンでは、インターネットに接続することができませんでした。
 宿泊先のホテルには、ワイヤレスで接続できる設備がありました。しかし、トラブルで使えなかったのです。
 ロビーには有線のネット接続ができるマシンがありました。しかし、ウインドウズであることと、日本語の入力やパスワードのことがあるので、諦めました。

 帰国後の報告として、こうしていくつかのメモをアップしています。

 ロンドン大学のKさんの話では、来週パリで打ち合わせの会議があるとのことでした。それも、驚いたことに日帰りなのだそうです。

 ロンドン大学のすぐ近くにあるキングスクロス駅から電車が出るようになり、2時間ほどでパリに着くのだそうです。それなら日帰りの出張もありか、と納得してしまいました。

 それにしても、世界が小さくなったものです。
 交通機関の発達により、時間の短縮と経路の選択ができるようになったことが、大いに変革を促進したようです。

 便利になることは、いいことです。
 しかし、使い古された表現ですが、余裕やゆとりがなくなります。
 のんびりと思索に耽るなどということは、今では望むべくもありません。

 スピードがもたらす弊害を、今後は検討すべきかと思います。


2009年2月17日 (火)

ロンドンの回転寿司

 さて、昼食は、パディントン駅構内の回転寿司屋「YO sushi」へ行きました。ここは、初めて来る店です。
 私は、世界の回転寿司巡りをしていますので、こうして一つずつ記録が増えていきます。


090213susiパディントン駅構内の回転寿司


 お昼を食べた後、ラッセルスクゥェアーにあるロンドン大学(SOAS)へ。
 いつもお世話になっているKさんから、いろいろと情報をもらいました。

 週末ということもあり、図書館周辺は学生がたくさんいます。日本と違って、イギリスの大学生は、たくさんの本を読み、たくさんの文章を書かされるようです。そういえば、イギリスの大学を出た娘も、エッセイを毎日のように書かされる、と言って悲鳴をあげていました。

 本を「読み」、文章を「書く」、という行為の間にある「考える」という過程は、学習する時には大事にすべきことです。キャンパスに入ると、現代の若者の元気な姿に接することができて、こちらも元気になります。

 いつものように、ロンドン大学の前にあるラッセルスクゥェアーのホテル・ラッセルの中を散策です。ここは、何度かブログに書いたとおり、アーサー・ウェィリーが『源氏物語』を英訳した時にいたホテルです。このまわりには、ブルームスベリーの仲間がいたので、文学的な雰囲気があったようです。明治の頃の話ですが…。
 ロンドン大学に来ると、いつもこのホテル・ラッセルの中を歩きます。人との待ち合わせにも利用させてもらっています。

 そして夕食は、これまたいつもの、ピカデリーサーカスにある回転寿司屋「くるくる」です。ロンドンでの老舗だけあって、しだいにメニューがロンドンらしい回転寿司屋になってきました。私は、この店が、日本人が行きたくなる店に成長するように願っています。そのためもあって、ロンドンに来るといつも立ち寄ります。
 今回は、ほうれん草に味噌がのったものが気に入りました。

 この周辺には、日本の食材を置く店がいくつも並んでいます。日本酒、納豆、お米、味噌、醤油、ふりかけ、インスタントラーメンなどなど、とにかく日本食のための調味料や食材などが所狭しと並んでいます。チョッとした日本のスーパー以上のこだりわが、このピカデリー地域にはあります。

 海外で日本と同じものを求めるのではなくて、イギリスはイギリスで日本の味と文化を堪能できる施設を充実させるべきです。その勢いが、このピカデリーサーカスにはあります。
 食べる方も、日本とは違う環境の中で、どのように演出してくれているのかを楽しんだらいいと思います。日本で食べる基準で「旨くない」というのは、評価と比較がおかしいのです。
 自信を持って食することができる和食の中でも寿司は、誇りをもって海外に広まってほしいものです。そのためには、現地にいかに受け入れられるか、ということが重要です。
 日本の観光客のためというよりも、そうでない人のために工夫をすべきです。

 各国の回転寿司屋に行きますが、ロンドンの「くるくる」を、私は高く評価しています。
 お昼に行ったパディントン駅構内の「YO sushi」は、まだまだ地域の研究が足りません。ネタに変化がないので、うどんなどで誤魔化すしかないのです。
 中にいた職人さんは、手の休まる暇もなく立ち働いていました。手が馴染んだら、次は客の様子を見て流す皿の上を工夫すれば、もっといい店になるのではないでしょうか。


壁に取り付けられたハリポタのカート

 ケンブリッジからロンドンへと移動しました。
 ノンストップの電車で50分。早朝の車内は、立錐の余地もないほど満員です。

 終点のキングスクロス駅は、ハリーポッターの映画で有名になった、フォグワース魔法学校への出発地です。荷物のカートのままに、ホームの壁の中へ吸い込まれていく映画のシーンは有名です。

 そこで、観光客などみんなが、映画そのままに9と4分の3番線の壁を目指してぶつかるのです。映画のまねなのですが、ひょっとして壁を通り抜けられるのでは、という根拠のない期待をもってのことでしょう。
 このキングスクロス駅には、そんな時間と空間を超えられそうな雰囲気があります。

 そんな人々を見て、駅の当局者はこんな対策を打ったようです。


090213wall2カート

 ホームの外側の壁に、カートがぶつかったような状態を演出したのです。

 このカートは、9番線の前方にあるので、ズッと奥に行かないと見られません。


090213wallフォグワース魔法学校へ

 みんな楽しそうに、カートの取っ手を持って、ぶつかるまねをしたりして記念撮影をしていました。

 ロンドンも、平和です。


2009年2月16日 (月)

800年を祝うケンブリッジ大学

 ケンブリッジ大学は、今年が創立800周年の記念年だそうです。
 英語圏の大学では、オックスフォード大学に次いで古いようです。そもそも、ケンブリッジ大学はオックスフォード大学から分裂した学者が創立した大学です。

 街中では、こんな幟をたくさん見かけました。


090213cam8001800周年

 昨年の日本は、『源氏物語』の千年紀として大いに盛り上がりました。

 今年は、ケンブリッジでも記念のイベントがたくさん組まれているようです。
 しかし、2日間だけの旅人には参加できるものがありませんでした。

 残念です。


2009年2月15日 (日)

ケンブリッジに突然雪が舞う

 夕刻からケンブリッジには雪が舞うようになりました。
 キングスカレッジの中庭からの写真です。
 
 
090212kings_2キングスカレッジの雪
 
 
 トリニティーカレッジの裏は、こんなに雪が積もっています。
 
 
090212trinityトリニティーカレッジ
 
 
 やがてミゾレになりましたが、寒い日となりました。
 
 
 

2009年2月14日 (土)

ケンブリッジで『源氏物語』の翻訳事情を考える

 ケンブリッジの朝は、非常に気持ちのいいものです。
 市内の中央を流れるケム川の畔には、大きな水鳥たちが休んでいます。

090212camriver水鳥たち

 ケンブリッジ大学の図書館では、日本部長のKさんと、長時間にわたりイギリスにおける明治期の『源氏物語』の翻訳事情に関する話をしました。博識のKさんなので、いつもいろいろな視点から情報がもらえます。これは、直接あってでないと、メールや電話では得られないものです。一緒に話をしながら、ああでもない、こうでもないと言い合っている内に、そういえばこんなことが、というところから話がおもしろくなります。そして、あらたな発見につながったり、これから調べを続けていく上でのヒントが得られます。イギリスに出かけ時には、Kさんとの面談はいつも予定に組み込んでいます。そして、知的な刺激をもらって帰ります。

 その後、ロビンソン・カレッジの副学長になられたP先生のところへ行きました。


090212robinsonロビンソン・カレッジ

 P先生にも、渡英の時には必ずお目にかかっています。
 もう7年になります。「欧州所在日本古書総合目録」というデータベースを、国文学研究資料館から公開しています。

 このデータベースが、年とともに評価をいただき、先月は一と月で6千件以上のアクセスがありました。最初は、こぢんまりとスタートしたP先生との共同プロジェクトも、こんなに知られるようになったのです。

 先生がヨーロッパを歩き回って集積された、膨大な日本の古典籍に関する情報の公開を、お手伝いしているのです。
 ぜひ、一度ご覧ください。
 来月には、さらに情報を増やし、さらに使い勝手のいいものにする予定です。

 P先生の指導を受けている大学院生で、私が今回の調査で主目的としている末松謙澄を博士論文のテーマとしておられるRさんにも会い、いろいろと情報交換をしました。
 彼女とは、P先生の紹介を受けて、メールで連絡をしていましたが、やはり直接会っての話は、たくさんの情報が行き交い、充実します。

 修士論文を早稲田大学に提出したそうなので、帰国後に確認に行くことにします。

 今回は、イギリスでの『源氏物語』の翻訳本の調査がメインです。
 文化が往還することをテーマとする、大きなプロジェクトの一環での調査です。

 P先生との話で、今日、目から鱗が落ちるような体験をしました。

 これまでは、末松謙澄が明治15年に『源氏物語』の英訳をロンドンで刊行したことが確認されていました。実際に、本の奥付にそうあります。
 しかし、『日本文学史表覧』(沼沢龍雄編、明治書院、昭和9年)によると、末松謙澄が『源氏物語』の英訳を明治14年に丸善から出し、翌15年にロンドンで刊行していることになっています。この丸善は当時は丸屋ですが、明治14年ということが、どうも疑問です。
本当に刊行されたのかどうか?

 このあたりの事情について、今回の調査ではこだわっています。

 ところが、今日のP先生との話の中で、F・V・ディキンズが日本から『源氏物語』を持ち帰っていた可能性があり、明治十年代にロンドンに『源氏物語』があっても不思議ではない、とおっしゃったのです。

 さらには、そのディキンズや伊藤博文の本などが、現在、イギリスにあるようなのです。
 その中に『源氏物語』の本があると、これはさらにおもしろいことになります。
 明治10年頃に、ロンドンに『源氏物語』の本があったようだ、ということになるからです。

 最初に『源氏物語』を英訳した末松謙澄は、どうやら日本からイギリスへ本を持ち込まなくても、ロンドンとケンブリッジで翻訳できたようなのです。
 これは、本当におもしろくなりました。
 さらに追跡を続けたいと思います。

 この件で、何か情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ご教示をお願いいたします。
 
 
 

2009年2月13日 (金)

無事にイギリス到着

《承前》
 ロンドンは、先週は大雪だったそうですが、すでに晴れていました。
 すぐにバスで、ケンブリッジに向かいます。3時間ほどの長旅です。

 これまでは、地下鉄と鉄道で行っていました。今回は、はじめてのバスです。
 電車の場合は、乗り換えの時に荷物が邪魔なのです。また、ロンドンの地下鉄は狭いので、荷物のことが気になります。向かい合わせに座った人の、膝やつま先がぶつかるのには閉口します。
 それが、バスだと、車体のお腹の部分に荷物を収納してもらうと、あとは最終地点までは椅子に座っていればいいのです。脚も伸ばせます。体もずらせます。
 バスでは、他の人の乗り降りを気にする必要がないので、徹夜明けの長旅は、時間がかかってもこの方がいいようです。

 ただし、困ったことがありました。10人くらいしか乗っていなかったのですが、私の斜め前の席の女性が、しきりに咳き込んでいたのです。

 出発の前日、先週から起き抜けのノドがおかしかったので、近くの医者に診てもらい、薬を大量に持って来ていました。マスクも、のど飴も、ノドスプレーも、うがい薬も、とにかくいろいろと持参です。

 そんな状態だったので、この女性の咳が、非常に気になりました。
 それも、なかなか降りる気配が感じられないのです。
 そうこうするうちに、前の方の男性も、咳をしだしました。
 目を瞑っていましたが、耳がやたらと敏感に反応するのです。聞きたくない音を遮るには、iPhoneで音楽を聴くに限ります。しかし、充電不足で、この文明の利器も活用できません。
 2時間以上経った頃に下車して行かれたときは、ホッとしました。

 夜の9時過ぎに、ケンブリッジに到着です。
 空には、満月が雲間から顔をのぞかせています。
 
 
090211moonケンブリッジの満月
 
 
 途中で、雪が道ばたにチラホラと見えました。しかし、この様子では、雪の心配はなさそうです。
 
 
 

2009年2月12日 (木)

英国への機中で

 英国へ向かうANAの機中で、ANAの機体トラブルから始まる映画を観ました。
 「ハッピーフライト」という映画です。
 バードストライクや緊急着陸の場面など、非常にリアルな感覚で観ました。
 先般の、アメリカで起きたハドソン川への不時着は、バードストライクだったという情報に接した後だったせいもあります。
 
 映画を観ながら、本当に今乗っている飛行機で起きている事態のようで、なかなか楽しめました。ただし、あまり気持ちがいいものではありません。この映画を観ている間中、出発前に機体点検などで問題はなかっただろうか、とか、コックピットでは今何が起きているのだろう、と余計なことを思ってしまったからです。
 それから、キャビンアテンダントの方々については、実際にすぐ目の前で仕事をしておられる方々と画中の方とを、見比べてしまいました。
 映画では、さまざまな教育的な配慮があることが強調されていました。そうなのでしょうが、目の前をニコニコ(?)しながら通り過ぎて行かれる方たちは、そんなに単純な顔ではありません。疲れの見える方や、少し不機嫌そうな方など、いろいろです。それが自然なのでしょう。
 私には、映画の方が、多分に作りすぎた演技のように感じられました。

 今回は、一睡もしない徹夜をしたままで乗り込んだので、観た映画はこれ一本だけでした。
 読もうと思って持ち込んだ本も、パソコンに入力しようと思っていた資料なども、まったく出さないままにロンドン・ヒースロー空港に到着しました。
 ズーッと、ポケーッとしていたことが、連日の日々のことを思うと、最高の贅沢な時間だったのかもしれません。
 
 
 

2009年2月11日 (水)

井上靖卒読(62+)「氷の下」の手書原稿

※(この記事は、後日の追加情報を「2009/2/11」分としてここに追補したものです。2013.9.19 補記)
 
 【「井上靖卒読(62)「氷の下」「滝へ降りる道」「伊那の白梅」」】(2009/2/10)に対して、杉山健二郎氏より貴重なコメントをいただきました。
 私にとってありがたいご教示なので、そのコメント欄から切り出して、あらためてここに掲載します。
 なお、ここでご紹介いただいた『花過ぎ 井上靖覚え書』(白神喜美子/紅書房)については、早速入手して読み、「井上靖卒読(161)白神喜美子『花過ぎ—井上靖覚え書』」(2013/3/24)にメモとしてアップしました。
 杉山氏に感謝します。
 
 また、その後、N.W.さんから、『花過ぎ』の記事に対してもコメントをいただきました。
 併せて、ここに取り出して引用しておきます。
 
--------------------------------------


井上靖の短編「氷の下」の手書原稿を見つけました。
多量の加筆修正があり推敲の跡が見て取れますが、出版された物は更に手が加えられていることが分かります。興味を持って読み比べてみました。
原稿は、井上靖の愛人白神喜美子さんから、喜美子さんの師であった私の祖母が貰った物と思われます。「花過ぎ 井上靖覚え書」(白神喜美子/紅書房)にその経緯が書かれています。
【投稿︰杉山健二郎 | 2013年2月26日】
 
 
井上靖の作品に関する貴重な情報をありがとうございました。
『花過ぎ 井上靖覚え書』のことは知りませんでしたので、早速発注しました。
いただいたコメントに
「井上靖の短編「氷の下」の手書原稿を見つけました。
多量の加筆修正があり推敲の跡が見て取れますが、出版された物は更に手が加えられていることが分かります。興味を持って読み比べてみました。」

とあることに関心を持ちました。
私は井上靖の研究者ではありません。
しかし、『源氏物語』をはじめとして、作品に手が入ることを研究テーマの一つにしています。
おついでの折にでも、このことに関してお書きになったものなどがございましたら、ご教示いただけると幸いです。
ブログも拝見しました。その充実ぶりに驚嘆しています。
ゆっくりと拝読いたします。
取り急ぎ、コメントのお礼を兼ねまして。
【投稿︰genjiito | 2013年2月26日】

 
--------------------------------------

こんにちは
お久しぶりです。
古本ではありますが、『花過ぎ 井上靖 覚え書き』を私も購入して読ませていただきました。
著者は・・・一般的には無名な方ではありますが、井上靖さんの数々の著作を読ませていただく際に大変参考になる優れた著書だと感じました。
【投稿: N.W. | 2013年8月10日】
 
 
コメントをいただいていることに気付かず大変失礼しました。
『花過ぎ 井上靖 覚え書き』は、井上靖の創作活動の舞台裏を知る上で貴重な話が書かれていますね。ただし、どこまでが事実に近いのか、今後の検討が必要ですね。
【投稿: genjiito | 2013年8月30日】

 
 
 

2009年2月10日 (火)

井上靖卒読(62)「氷の下」「滝へ降りる道」「伊那の白梅」

■「氷の下」
 2歳で母を亡くした菊枝は、複雑な人間関係の中を生きています。
 子供の目線から見た大人や社会が、巧みに描かれています。こうした物の見方は、井上のどこにあるのでしょうか。
 井上が小さい時に、複雑な育ち方をしたことから来るのでしょうか。
 短いものですが、非常に完成度の高い作品に仕上がっていると思われます。【5】


初出誌︰群像
初出号数︰1952年3月号

角川文庫︰楼門
角川文庫︰花のある岩場
旺文社文庫︰滝へ降りる道
井上靖小説全集6︰あすなろ物語・緑の仲間
井上靖全集3︰短篇3


■「滝へ降りる道」
 話としてはまとまっているが、あまりおもしろくありませんでした。
 少年の目で見た男女が、うまく描けていないからです。いつものような、臨場感がないのです。
 人間の心の動きも変化も、語られていません。
 情況だけが記されています。井上の作品は、女の目から見た物語の方が、繊細でよいように思います。【2】

初出誌︰小説公園
初出号数︰1952年9月号

新潮文庫︰少年・あかね雲
旺文社文庫︰滝へ降りる道
井上靖小説全集6︰あすなろ物語・緑の仲間
井上靖全集3︰短篇3


■「伊那の白梅」
 井上靖の作品に、湖が出てくることが気になりました。
 自分の物思いを照らすものとしての設定なのでしょうか。これから気をつけていきたいと思います。
 湖畔で、来ない女を、湖面を見つめながら、待つともなく毎日を過ごしていました。
 ある日、新婚旅行の前に女が、一緒に逃げてと言ってやってきます。突然の展開に、読んでいて緊張します。これが、後の錯誤ということにつながっていきます。うまい構成です。
 井上は、花を印象的に取り込んでいます。ここでは白梅です。【4】

初出誌︰小説新潮
初出号数︰1953年6月号

集英社文庫︰夏花
潮文庫︰伊那の白梅
井上靖小説全集10︰伊那の白梅・大洗の月
井上靖全集3︰短篇3

〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/

2009年2月 9日 (月)

マンガ『源氏物語』のタイ語訳

 タイで刊行されているマンガ版『源氏物語』が届きました。
 タイのチュラロンコン大学で教えている仲間が、送ってくれました。
 学生が持っていたことからわかった本です。


 まずは、大和和紀の『あさきゆめみし』です。


090209wakigtaiあさきゆめみし


全13巻が揃いました。
中は、すべてタイ語になっています。


もう一つは、美桜せりなの『源氏ものがたり』 (フラワーコミックス)です。

090209miougtai源氏ものがたり


これは、第2巻までが刊行されていますが、今回入手したのは1巻のみです。

日本語版の第2巻の表紙は、こんな感じです。

090209mioug第2巻

『源氏物語』は、とにかく世界中に広まっています。
今後とも、ますます翻訳されることでしょう。

次はどんな翻訳がなされるのか、楽しみが増えました。

2009年2月 8日 (日)

井上靖卒読(61)『詩集 運河』

 『詩集 運河』は、井上靖の第3詩集です。
 第2詩集の『地中海』から5年後に刊行されたものです。
 昭和36年から37年にかけて発表されたものです。

 初出誌からの語句の異同は、「海鳴り」の最終聯と「褒姒の笑い」の全体的なものです。

 この詩集には、海外への取材の旅での点景を、短文のかたちで詩的に表現したものが収録されています。

 一つ一つは、キラキラと輝きを発しているのに、全体としては、やや散漫な編集のように思えました。寄せ集めの感が拭えません。
 もっとも、詩集にそんなにまとまりを求めてもいけませんが 【2】


昭和42年6月25日
筑摩書房
26編収録

新潮文庫︰井上靖全詩集
井上靖全集1︰詩篇

2009年2月 7日 (土)

井上靖卒読(60)『詩集 地中海』

 『詩集 地中海』は、井上靖の第2詩集です。
 第1詩集の『北国』から4年後に刊行されました。
 昭和36年から37年にかけて発表されたものです。

 いくつかの作品に、発表時のものと異同があります。そのほとんどが、後半から末尾に見られます。
 井上靖の詩作における特徴として、いつかまとめて取り上げたいと思っています。

 本詩集には、海外でのものが多く収録されています。

 コルドバ、セビリア、タルキニア、コリント、ナポリ,オスロウ、インダス、ロスアンゼルス、ハワイ、珠江、カルモナ、天壇、ポンペイ、オリンピア、ビイディナ

 ナポリとポンペイ以外は、行ったことのない地名のオンパレードです。しかし、そこがどんな地かは、詩の中から立ち現れて来ます。作者の心の中を通して。

 国で言うと、ギリシャ、イタリア、中国、スペイン、そして日本を語っています。

 海外での詩情豊かな報告集となっています。

 私が探し求めている〈月〉は、「珠江」の中に、

黄濁している川の面は満月の光で銀色に輝き、そこはいもつ大小無数の船が、赤い灯をともして移動しているのが見えた。

とありました。【3】

昭和37年12月5日
新潮社
23編収録

新潮文庫︰井上靖全詩集
井上靖全集1︰詩篇

2009年2月 6日 (金)

心身(29)さんざんな一日

 朝、乗ろうとした電車のドアが、あろうことか目の前でシューと閉まりました。
 乗り換え駅では、ちょうど電車が出た後で、それも運の悪いことに間隔の一番空いている時でした。しばらく、北風の吹きすさぶホームのベンチで待ちました。

 今日は、何かとメールを出すことが多くて、インド…イギリス…イタリア…韓国…モンゴル…タイ、と、頭の中で地球儀がグルグルと不規則に回ります。それも、みなさんパソコンの前におられる時間帯だったようで、返事の早いこと。
 メールが空中や地底を飛び交うという、ドッと疲れる時の中に身を置きました。それも、3つの会議の合間に、です。

 各国の資料や記録とメモが、こんな時はなかなか見つかりません。イスを立ったり座ったり、書棚や引き出しを探し、本やファイルをめくり、パソコンの中を検索し、と、次第に今何をしようとしていたのかが、わからなくなってきます。
 危ないところで、コーヒーをこぼさなかったのが、何よりの救いでした。

 事務連絡の電話や館内・国内のメールも、今日はいつもより多い日でした。年度末のせいもあるようです。
 来週から出張なので、みなさん今のうちにやらせておこう、ということで、たくさんの催促が飛び込んで来ます。

 これから1ヶ月の間に、イギリス、インド、イタリアを経巡るために、同行の方々への確認や通知や指示などなど、気の休む間もなく通信に没頭します。
 これまた、各々が事情を異にするために、入れ違って間違った連絡が行かないように気をつけています。

 そんな時に、2日前に送ったはずの国内の仲間へのメールが、どうした訳か届いていないことがわかりました。

 さらには、メールを見てもらっていないこともわかりました。先方のシステムが、スパムのチェックを厳しくしたそうです。私の日本語のメールが、すべてスパム扱いになっていたことに昨日気づいた、という連絡をもらいました。10日ほど前に、イギリスへ送ったものでした。
 来週出発なので、危ないところでした。

 便利な道具を駆使しているからこそ、細心の注意が求められます。
 メールは、送れば届いていて、読んでもらえている、と思うのが危険であることは、重々承知しています。しかし、忙しいと、ついつい届いているだろうということで、どんどん先へ仕事を進めてしまいます。
 気をつけなければいけません。

 部屋を出ようとして、ブラインドの紐を引っ張ると、紐が真ん中で外れました。オー、マイ、ゴッド&仏様 です。

 帰りに、モノレール駅のエスカレーターの手前の直線コースで、電車がホームに入るのが見えました。ホームで、10分ほど待つことになります。時間を確認して出てきたはずなのに…。

 来週から、3カ国への海外出張が始まります。
 お土産を買いそろえるために、デパートへ行きました。この手土産の量と金額が、ばかになりません。すべて私費です。
 店内に入ると、お決まりのように、今日も3台のエレベーターが、みんな仲よく並んで垂直移動をしています。私が辿り着いたときには、いつものように運悪く、3台ともに通過したばかりでした。

 すでに本ブログで書きましたが、どうして何台ものエレベーターが、仲良く一緒に上下運動をしているのでしょうか。同時に3台が「どうぞ」といってドアを開けられても、身は一つなのでどうしようもありません。運行用のプログラムで、何とか対処できないものでしょうか。

 立川駅から東京駅へ向かう途中で、何を思ったのか、いくつか手前の駅で降りてしまいました。これは、もう疲労が溜まりすぎています。夢遊病者です。
 次の電車に乗ったのはよかったのですが、東京駅に着いた時に、膝の上で操作していたパソコンを、うっかりと床に落としてしまいました。もう、どうにでもなれ、という心境になります。

 極めつけは、改札の出口で、改札機のパネルにタッチしたところ、残高不足で警報が鳴りました。オーイ、と叫びたくなります。
 こんな日もあるのです。
 今日の占いは、どういうものだったのでしょうか。


2009年2月 5日 (木)

モンゴル語訳『源氏物語』

 モンゴルで、『源氏物語』の翻訳が進んでいます。
 いろいろと情報が入ってくるようになりました。

 現在、『源氏物語【翻訳】事典』(笠間書院)を編集中ですので、詳細はそこに盛り込むこととして、ここにはその出版計画を記しておきます。

 モンゴルでは、世界の古典50作品を翻訳する国家事業が始まりました。
 その中に、『源氏物語』が選ばれたのです。

 翻訳者は、ジャルガルサイハン・オチルフー氏です。
 テキストは、谷崎潤一郎の現代語訳です。


 ◆巻一(桐壺-末摘花)が、2009年2月中旬に刊行予定

 ◆巻二(紅葉の賀-花散里)が、来年刊行予定


 遊牧のモンゴルで、『源氏物語』がどのように伝えられるのか。
 これは、非常に楽しみです。


2009年2月 4日 (水)

京洛逍遥(56)今年の廬山寺の節分会

 今年の廬山寺の節分会は、あいにくの雨の中で行われたようです。
 

 ちょうど1年前に書いたブログ「京洛逍遥(24)廬山寺の節分会に注文」に対して、関係者の方から先日、「昨年の追難式」というコメントをいただき、その舞台裏であった出来事を知って驚きました。

 そのやりとりは、コメントをいただいたすぐ後に、「京洛逍遥(55)昨年の廬山寺の節分会の舞台裏(附記版)」と題して書いた通りです。

 拙文の末尾に、今年は私も妻もいけないので、

3日に京都に脚を運べる方は、どうか今年の廬山寺の節分会に行ってみてください。

そして、昨年かなわなかったという「法弓」を、ぜひご覧ください。


と記したところ、仲間が夫婦連れだって、わざわざ脚を運んでくださったとのこと。

私が利用しているブログのサイトは、コメントが読みにくい仕組みになっています。

今回も、前便「京洛逍遥(55)」に付けられたコメントを、ここに引かせていただきます。

「行ってきて」とのことでしたので、行ってきました。

天気予報どおりしとしと雨のなか、到着したのは、14:30ごろだったので、もはや黒山の人だかりです。

傘で前が見えないので、何が行われているのかよく解りません。
しかし、長時間傘をさしているのは疲れるのか、前の人が脱落してゆきます。
そうしているうちに、鬼が出てきて、踊ります。
動きがおもしろい。
「京都はまだ鬼が闊歩しているのね」とは、妻の弁。
してねえよ。
ふくふくとして、豊かな感じの鬼でした。

そのあと四方に弓が射られて、拾った若い女の子二人が譲り合っていました。

豆と餅が蒔かれて、前列から2mのところにいた私は、豆を2粒、餅を1個、キャッチしました。
妻は、コートのフードでキャッチしました。
赤い豆の色が雨で溶け出し、困りました。

「雨だから例年の半分ぐらいの人出かしらね」と、誰かが言っていました。

 特にご夫妻にお願いしたわけではなかったのに、事情を察して様子伺いも兼ねて廬山寺へ行ってくださったお二人の心遣いに、ありがたいことだと感謝しています。よくぞ、行ってくださいました。ありがとうございます。
 そして、ご丁寧にコメントで報告までしていただき、感激です。

 昨年は、私と妻は、一つも豆がキャッチできませんでした。
 今年は、我が家の分も福を受け取ってくださったようで、うれしく思っています。
 職場でも、今年は舵取りが代わります。
 ホームページで公示されていますが、新館長はお二人にも縁の深い源氏学者です。

国文学研究資料館長 伊井春樹の任期が平成21年3月31日に満了することに伴い、次期館長に、九州大学副学長 今西祐一郎氏が選出されましたので、お知らせいたします。


 気分一新、いろいろなことにチャレンジしましょう。

 今年の廬山寺の節分は、無事に終わったようです。
 昨年のお父さんの大役を引き継いで「法弓師」を務められたご主人は、感無量のことだったろうと推察しています。
 福娘として、振袖姿で豆を撒かれたお嬢さんは、お召し物が濡れて大変だったことでしょう。
 昨年お倒れになったお父さんは、お孫さんの晴れ姿を、どこでご覧になったのでしょうか。

 親子3代での節分会のお手伝い、ほんとうにご苦労さまです。

 みなさまの今年が無病息災でありますよう、江戸深川の地よりお祈りしています。


2009年2月 3日 (火)

公衆電話を探す

 緊急に連絡をする用事ができました。
 こんな時に限って、携帯電話を身につけないままで出かけていました。

 まさかの時用に、主要な連絡先を印字したプリントは、手帳の中に細かく折畳んで入れています。
 それはよかったのですが、肝心の公衆電話が見あたらないのです。

 駅の周辺を歩き回りました。北口は、大通りまでグルッとまわりました。
 コンビニなどで聞いたのですが、このあたりでは見かけない、とのこと。

 またまた駅に引き返して、構内でガードマンや駅員に聞いたのですが、以前はこの辺にあったのに、全部撤去されて…と、一様に冷たい中に同情を交えた対応を受けました。

 こんな時は、女性よりも男性の方が、どこだったかなー、と一緒に考えてくれる方が多かったように思います。
 それもそのはず、訳もわからないおじさんの相手をしてくれる女性など、今時いようはずもありません。
 気の毒にという反応は見られましたが、素っ気ないものでした。

 そんな中で、私と同年くらいの一人の男性が、この陸橋の真下にあったようだが、いや確かにあったはずだが、ひょっとして勘違いかも知れないけど、あったんじゃないかな、という、何やら期待できそうな反応が得られました。

 とにかく、行ってみなくては、ということで、お礼を言って下に降りました。
 なるほど、陸橋の真下に、電話ボックスが二つありました。
 バス停の近くなどにある、あの四角いガラス張りのボックスです。
 まさかの時用の、手帳に差し挟んでいたテレホンカードも役立ちました。

 とにかく、何とか電話で連絡がとれました。
 かれこれ、25分くらいは、繁華街をウロウロと彷徨いました。

 それにしても、町中で携帯電話がないと、電話機に辿り着くまでが大変です。
 それだけ、必要とされないので、設置数も激減しているのでしょう。
 どこに公衆電話があるのか、という情報も、駅の周辺には必要だと思うようになりました。
 または、お店で借りられるような、そんな地域対応のサービスがあってもいいように思います。
 ネットカフェも探せばよかった、と後になって思いました。

 井上靖の小説などに、電報を使って連絡をとるシーンがあります。
 今の若い人には理解できないでしょうが、昭和30年代から40年代にかけて、私も電報を使っていました。例えば、クラブ活動を休んでいる仲間には、電報でクラブに出てくるように呼び出しをかけたものです。昭和42、43年ころの大阪での話です。
 昭和47年の東京では、まだ地方には交換手を通して相手の電話を呼び出してもらっていました。
 相手と連絡をとるための道具とその環境は、昭和から平成にかけて、激変したように思えます。

 携帯電話の便利さは認めます。しかし、そのために失っていくもののフォローも、考えておくべきなのでしょう。
 いつでも、どこへでも連絡がとれるシステムが、日本中に確立されました。携帯電話やインターネットにより、きめ細かなコミュニケーションが図れます。しかし、公衆電話の役割は、まだまだあります。これを、うまく生かした街作りも大切だ、ということを痛感させられました。


2009年2月 2日 (月)

井上靖卒読(59)「利休の死」「北の駅路」

■「利休の死」

 どんな事件があったのかと思わせて、この物語が始まります。
 それは、古渓和尚が利休の木造を、大徳寺の山門の上に安置したことに始まるのです。
 そうしたことが、秀吉の不興を買ったようです。
 事件が少しずつわかっていく、この趣向もいいと思います。

 静かな時間が過ぎていくのが、達意の文で読む者に伝わってきます。利休と秀吉の間にある緊張感が小気味いいのです。朝顔を摘んだ話は、典型的です。

 利休が秀吉に発した、「お眼利き、奇特に存じます」という文意は、雰囲気はわかりますが、その真意が読者の何人にわかるのでしょうか。それだけ、ことばを選んで語られています。かく言う私も、まだよくわかりません。再読すべきものです。【3】


初出誌︰オール読物
初出号数︰1951年4月号

角川文庫︰異域の人
角川文庫︰天目山の雲
旺文社文庫︰洪水・異域の人 他八編
井上靖小説全集11︰姨捨・蘆
井上靖全集2︰短篇2

■「北の駅路」

 古書をめぐっての、一人の男の問わず語りが続きます。
 話は、あまりおもしろくはありません。内容もありません。
 この男の、いま置かれている状態がよくわからないからです。
 身を隠すことをもっと明らかに語れば、さらにいい作品になったように思われます。【2】


初出誌︰中央公論
初出号数︰1952年2月号

新潮文庫︰楼蘭
角川文庫︰白い牙
旺文社文庫︰猿狐・小盤梯 他八編
井上靖小説全集4︰ある偽作家の生涯・暗い平原
井上靖全集3︰短篇3

〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/

2009年2月 1日 (日)

井上靖卒読(58)「ある偽作家の生涯」「鵯」「楼門」

■「ある偽作家の生涯」

 読み慣れた井上靖の作品の中では、一文が長いように思いました。
 ドキュメンタリータッチの、事実の羅列なので、物語としてのおもしろさに欠けます。井上にしては、めずらしいものです。 晩年のところで、その傾向が見えるのではないでしょうか。

 話に盛り上がりが欠けるのは、すべてが回想談だからでしょう。活気に欠けるせいだろうと思われます。【2】


初出誌︰新潮
初出号数︰1951年10月号

新潮文庫︰ある偽作家の生涯
旺文社文庫︰猿狐・小盤梯 他八編
井上靖小説全集4︰ある偽作家の生涯・暗い平原
井上靖全集3︰短篇3


■「鵯」

 律子の性格が、よくわからないままに終わりました。
 女の冷酷さを言いたいのか、無意識のたわむれなのか。
 最後の、鵯に対する律子のしぐさは、よくわからないままです。
 子供と大人の行動は、ごく自然に描かれています。【2】

初出誌︰別冊文藝春秋
初出号数︰1951年11(12?)月25号

角川文庫︰楼門
角川文庫︰花のある岩場
井上靖小説全集4︰ある偽作家の生涯・暗い平原
井上靖全集3︰短篇3


■「楼門」

 これもまた、退屈でした。
 月が出てきたので、少し安心しました。
 低調で元気がないのは、どうしてでしょうか。
 年譜などで、この時期の井上の環境や情況などを、確認する必要がありそうです。【2】


初出誌︰文芸
初出号数︰1952年1月号

集英社文庫︰楼門
角川文庫︰楼門
潮文庫︰桜門
井上靖小説全集4︰ある偽作家の生涯・暗い平原
井上靖全集3︰短篇3


〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/


NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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