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2009年3月 5日 (木)

ウルドゥー語訳『源氏物語』をインドで発見

 インドのニューデリーにあるネルー大学の図書館へ、日本文学の本を拝見しに行きました。
 以前にも、一度行ったのですが、今回は『源氏物語』のインド語訳がないものか、という目的がありました。
 あらかじめ調べてもらったところでは、何もないとのことでした。
 念のためと思い、5階の外国語の書棚をブラブラと見ることにしました。どうせ文字が読めないので、行き当たりばったりの、偶然にまかせるしかありません。
 探しているのは、アッサム語訳、ウルドゥー語訳、オリヤ語訳、マラヤーラム語訳の4種類の『源氏物語』です。

 一通り書棚の間を彷徨きましたが、特にめぼしいものには出会えませんでした。
 4階にも日本の本があるとのことだったので、移動する途中に、図書カードの詰まったケースがありました。
 ものは試しと、{GENJI}ということばのカードを探していると、こんなカードが見つかりました。

090305card_2図書カード

 「GENJI KI KAHANI」というのは、ヒンドゥー語訳『源氏物語』と同じ書名です。
 しかし、「1921」という年号らしき数字があります。
 ヒンドゥー語訳『源氏物語』は、1957年に刊行されているので、それとも違います。
 アーサー・ウェイリーの英訳『源氏物語』の第1巻は、1925年に刊行されているので、それ以前の翻訳です。これはおかしいと思い、司書の方にお願いして、本を確認することにしました。
 コンピュータで所蔵図書を調べてもらうと、これは「1971」年にサヒタヤ・アカデミーから刊行されたウルドゥー語訳であることがわかりました。
 とにかく現物を確認するために、一緒に書棚のところまで案内してもらいました。
 本は、すぐに見つかりました。しかし、ウルドゥー語のところではなく、まったく別のチャイニーズ・フィクションのところでした。これでは、わかるはずがありません。

 表紙と外観は、こんな感じです。

090305hypusi表紙


 元の表紙と扉などは失われています。そして、JNU(ジャワハルラル・ネルー大学)が製本をし直したものです。そのために、奥付にあたる情報がありません。しかし、改装する前にメモが残されたらしく、コンピュータに書誌データには、さらに情報がありました。

出版社は、サヒタヤ・アカデミー、頁数は367頁、翻訳者はSyyed Ehtsan Hussain(サイエッド・エタサン・ホセン)で、この人は出版後1年経った時に、死去したことになっていました。

巻頭部分の「桐壺」は、こんな感じになっています。


090305urudug巻頭・桐壷

 本は、探している人に「おいでおいで」をするといいます。
 今回は、まさにそれでした。

 とにかく、偶然の積み重ねから、こうして探し求めていた本に出会えたのです。
 私にとっては、大発見です。偶然に感謝します。

 今日は、ネルー大学の学生さんたち20人ほどと、懇談会を持ちました。
 研究のことや、将来の就職のことなど、自由に話をしました。
 そして、あろうことか、その学生の中に、ウルドゥー語を使える男性がいたのです。小さい頃に、ウルドゥー語で育ったのだそうです。
 上記のウルドゥー語訳『源氏物語』に関する情報は、彼の読解に依るところが多いものです。
 彼との出会いも、ラッキーでした。

 その後、ネルー大学で日本語日本文学を担当しておられる先生方にお目にかかり、食事をしながら情報交換を行いました。詳細は、帰国後の報告書に記します。

 それにしても、探し求めていたウルドゥー語訳『源氏物語』が見つかったのです。それも、サヒタヤ・アカデミーから刊行された本です。

 これで、あとは、注文をしているアッサム語訳と、マラヤラーラム語訳、そしてオリッサ語訳の、合計3冊となりました。
 もう一歩まで、追い詰めました。
 今後とも、『源氏物語』の翻訳本を追い求めたいと思っています。

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コメント

インドでウルドゥー語の修士課程まで修了しました。何かのご参考になるかもしれませんからコメントさせて頂きます。
図書カードに載っている訳者名は「サイイド=エヘテシャーム=フセイン」と書かれています。サイイド=エヘテシャーム=フセイン(1912-1972)はウルドゥー文学の著名な評論家であり、また翻訳家でもあります。この人は僕の知る限り日本語は知らなかったはずですからおそらくこの本は英語からの翻訳ではないでしょうか。3枚目の写真を見ると「桐壺」のところに「kirit tubo キリトツボ」と書かれていますのでその辺のところからどの言語から訳したか推定できるかもしれません。ちなみに下の線下の注釈には、
「この章を読むにおよんで読者は以下のことを念頭におくべきであろう。このなかで紫式部は、自らの幼年時代に影響を受けた宮廷記録(宮廷で日々記録されていた出来事誌)と御伽噺のテクニックをかけあわせて物語を書こうとしたのである。」
とありますが、これは訳された原本に書かれていた注釈なのか、もしくは文学評論家であったサイイド=エヘテシャーム=フセイン個人の意見なのか、それは分かりません。

 貴重な情報をいただき、ありがとうございます。

 あらためて連絡をさしあげます。

 今後とも、どうぞよろしくお願いします。

東京外国語大学の修士課程でウルドゥー語を勉強しております。
すでにモリヤマさまから詳しい説明がコメントされていますので、私から一点
だけ、ご報告させていただきます。(といっても、内容的に役に立つようなもの
ではないのですが・・・。)

「桐壷」のタイトルですが、ウルドゥー語では「kirit subo」と書かれています。
ウルドゥー語(ヒンディー語)にはtsの音がありません。その例として、日本語から
ウルドゥー語に入った単語「津波(tsunami)」は「sunami」と発音されます。

私の予想ですが、英語で「kiritsubo」と書かれていたものを、訳者であるエヘテシャーム
・フサインが2つの単語からできているものと思い、「kirit」と「subo」分けてしまったの
ではないでしょうか。日本語はできなかったと思いますが、エヘテシャームは大学で
英文学を専攻しており、アメリカ、イギリスにも住んでいた経験があるようです。英語は
堪能だったはずです。

ウルドゥー語と日本文学が結びついたことがうれしく、ついついコメントしていまいました。
ページ数がすくないのも気になります。底本はなにを使ったのか、どのような表現を使って
訳しているのか、ぜひ、一度中身を読んでみたいですね。

コメントに対する返信が遅くなり、失礼しました。
貴重なご意見をありがとうございます。

お目にかかれれば、さらに詳しいことを伺いたいと思っています。
また、後ほど。

取り急ぎ、お礼まで。

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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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