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2009年4月25日 (土)

源氏のゆかり(40)説明板35-大堰の邸候補地

 高校時代に遠足で、大阪から京都の清滝へ、飯盒炊爨をしに行きました。
 嵯峨野一帯の細道を保津川沿いに遡り、清滝の河原でカレーやすき焼きなどを作って楽しみました。

 高校の教員になってからは、生徒たちを連れて、嵐山を散策した後、嵯峨野から清滝へ何度か行きました。
 嵯峨野と保津川周辺は、私にとっては勝手知ったる所、ということになります。

 嵐山地域を流れる川は、桂川と言うのが正式なようです。しかし、その上流を保津川と呼び、保津川下りの終点である渡月橋の手前あたりの嵐山周辺は大堰川とか大井川と言い、それからは下流を桂川とするのが、私にとっては感覚的に理解しやすい地名です。

 そんな理解をしていたので、『源氏物語』で「桂」とあることばに引かれて、私は明石の御方が移り住んでいたのは、渡月橋よりも南の桂川のあたりだと思い込んでいました。
 今回このあたりを散策して、それが思い違いであることを知りました。

 保津川下りは、まだ体験していません。
 いつか、と思いながら、いつでもできるとの思いから、いまだに果たせずにいます。
 さぞかし、気持ちがいいことでしょう。傍目に見ても、すばらしい景観の中を下るのですから。
 そして、終点の嵐山のなだらかな流れは、ホッとさせるものがあることでしょう。


090418ooi1保津川下り

 川下りの終点から、さらに南の渡月橋を臨むと、1000年前の景色と重ね合わせになる思いがします。


090418ooi2渡月橋を臨む

 私の思い違いはともかく、このあたりに、明石の君の邸があったとされています。
 その推定地に、源氏物語千年紀を記念して、説明板が昨年3月に設置されました。
 これまた勘違いで、私はこの川沿いに説明板があると思っていました。車折神社嵐山頓宮と小督塚の近くにあるとばかり思っていました。ところが、川沿いの道を往ったり来たりしても、それらしきものが見あたりません。
 またまた、iPhoneのお世話になり、ウエブで検索して、自分の思い違いを再確認しました。

 『小倉百人一首』をテーマにした展示館である「時雨殿」の向かいに、目的の説明板はありました。
 この写真の向こう正面に、大井川があります。

090418ooi3時雨殿の前

090418ooi4説明板

 最近、とみに、思い込みによる当て外れが多くなりました。
 独りで散策している内はいいのですが、ひとさまには迷惑をかけないように注意しなくてはいけません。


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コメント

この5月から
源氏物語を読みます。
母校の先輩が先生
月1回の講読会ですから
のんびりです。

素敵なブログを見つけて
今日はラッキーでした。
時々覗きに伺いますので
よろしくお願いいたします。

 いらくささま。
 コメントを拝見しました。
 『源氏物語』は長いので、気長に全巻を読破してください。

 ブログを拝見しました。
 おしゃれですね。

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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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