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2009年5月の34件の記事

2009年5月31日 (日)

京洛逍遥(81)人力車と算盤

 京都文化博物館で開催されていた骨董ひろばへ行きました。
 かつて平安博物館があった、旧日本銀行京都支店の1階ホールが会場でした。
 『偐紫田舎源氏』の挿絵が2枚で2500円でたくさんありました。綴じ穴が残っていたので、刊本の挿絵の部分を抜き出したもののようです。
 刷りがあまりよくなかったので、パスしました。

 その京文博の手前に、人目を引く車がありました。
 三輪の自転車を改造した人力タクシーです。


090531taxi1正面


 さわやかなお兄さんがお客さんを下ろしたばかりだったので、少し話をしました。
 きさくに応じてもらえました。
 今、このタクシーは辺りには3台あるそうです。


090531taxi2内部


 後ろの客席には、子供を含めて4人が乗れます。 
 インドの、サイクルリキシャを思い出しました。
 あれを、シンプルかつおしゃれにした、新しい乗り物です。
 新しい都市交通を模索する京都にとっては、意欲的な試みです。
 とにかく、商売の方以外には一般的な自動車はいらないと思っています。日々の生活において、車というモノに疑問をもったので、20年以上愛用した自家用車を処分して一年が経ちます。車を生活から切り離すことは、私の場合は正しかったと思います。そうした思いがあるので、こうした人力の乗り物を応援したいと思います。


090531taxi3運転席


 運転席は、こんなにシンプルなのです。

090531taxi4サイクルリキシャ


 後ろ姿は、なかなかインパクトがあります。
 ますます、こうした乗り物が評価されることを楽しみにしています。


 自転車での帰りがけ、近所に和菓子屋さんを見つけました。

090531soroban1和菓子屋さん


 何となくわらび餅が食べたくなり、お店に立ち寄りました。
 お茶の友にと、家族への餅菓子も買いました。
 支払いをしようとしたところ、母に似たおばあさんは、手元にあった電卓ではなくて、ソロバンをはじきだしたのです。
 一瞬、遊んでいるのかと思いました。
 しかし、ちゃんと計算するために使っているのです。


090531soroban2算盤


 小学校の低学年の頃に、ソロバン教室に通っていました。
 最初は、五つ玉でしたが、すぐに四つ玉になったように思います。

 突然のことに、時間が揺れました。
 不思議な思いで、代金を払いました。
 ソロバンが、不思議な道具のように思えてきました。


2009年5月30日 (土)

京洛逍遙(80)無料ガイドブック〈1〉

 京都は観光地だけあって、さまざまなガイドブックが氾濫しています。
 そして、無料の冊子もたくさんあります。
 インフォメーションセンターや府・市の施設に行くと、たくさん並んでいます。

 その中から、まずは2冊を紹介します。


(1)ボランティアに役立つ英会話付き『京都観光ボランティアガイド 必携ハンドブック』(平成21年3月刊、賑わいまちづくりコンソーシアム)


090530guide1ボランティアガイド


 これは、京都市民のために編集されたもので、非常に珍しいものだと思います。
 京都市民が観光客を温かくお迎えする上での、「ふれあい」と「おもてなし」の気風を育てることを念頭に、必携として作成されたものです。
 もちろん、観光客の立場で見ても、参考になる基本的な京都情報が満載です。
 電車の中で、または喫茶店で通覧するのも楽しいものです。

 内容は、以下の通りです。

 1市内公共交通機関
 2案内所等関係機関一覧
 3京の歳時記
 4三大祭
 5世界文化遺産
 6京都市勢
 7英会話例文
  京都市内鉄道路線図
  外国語の通じる病院一覧


 Enjoy yourself in Kyoto !
 (京都で楽しんでね ! )

(2)Leaf mini 2009 Vol.1 『京(まち)なか歩く(ぶっく) 京歩楽(まちぶら)』(平成21年2月刊、京都市都市計画局歩くまち京都推進室)

090530guide2リーフmini

 今春創刊された冊子です。京都・滋賀の月刊タウン情報誌『Leaf』の簡易普及版です。
 京都市が推進している「人が主役」「公共交通優先」「歩いて楽しいまち」を実現するための啓蒙冊子と言えばいいでしょうか。

 創刊号の内容は次の通りです。

 1「京の通り」魅力再発見
   姉小路通
   蛸薬師通
   富小路通
   高倉通
 2京なか 町家ごはん
 3京都市交通便利帖

 お食事処として紹介されているのは、私が食べ回る千円前後ではなくて、私が意識して避けているお店です。
 一度しか行かない所ではなくて、本冊子の発行を続けて行く中で、何度でも行ける店を紹介してほしいと思います。

 交通情報は、駐輪場、地下鉄駅情報、バス停、カード乗車券など、非常に便利な情報が整理されています。


 京都においでになったら、まずはこうした無料のガイドブックを手にして、散策や寄り道に活用してはいかがでしょうか。
 意外なところに意外な場所があるものです。
 チョッとした情報の確認に、これは便利な冊子です。

2009年5月29日 (金)

読書雑記(13)『老後は銀座で』

 銀座で『老後は銀座で』(山崎武也、PHP文庫、2007.10)という本を見つけました。そして、一気に読み終えました。

 銀座は「人間社会のデパート」だと言う著者は、老後は銀座で生きることの意義を主張しています。
 確かに、便利で刺激の多い所に居を構えるのは、元気に明るく生きるためにも大切なポイントです。
 老後は、「身軽に」そして「銀ブラ」をしながら、というのはなかなか洒落た生き方になりそうです。

 奈良の山の中から京都の街中に引っ越しをして2年が経ちました。
 今の家は駅のすぐそばなので、便利さを実感する日々です。
 街中で老後を、というのは一理あります。活動範囲が広くなります。活動時間も長くなります。

 銀座に限りませんが、勝手知ったる便利な所は、老後の生活にぴったりです。
 田舎に引っ込むのもいいでしょうが、人が往き来しやすいところはいいものです。
 私は、マンションが嫌いです。しかし、老後を身軽で割り切った生活にと考えると、それもありか、と思うようになりました。

 限られた収入の中で、少し上質な生活をすることを心がけるのもいいでしょうね。
 また、最近は銀座に全国各地のアンテナショップが出店しだしました。
 居ながらにして、日本全国の名産や特産が見られ、手にも入りやすくなります。
 日本が、身近になってきます。

 本書は銀座を例にしていますが、私にとっては、銀座は京都の街中に置き換えられます。
 今の京での生活は、ここに描かれた世界に近いものとなっています。

 本書は、ものの見方を切り替えるのに、大いに有効なものとなりました。
 そして、数年後に迫った定年後の生活について、楽しく考える材料を提供してくれる本でした。【4】

2009年5月28日 (木)

井上靖卒読(72)『詩集 遠征路』

 『詩集 遠征路』は、井上靖の5番目の詩集です。
 昭和47年から51年を中心とした作品を集めたものです。

 昭和46年5月から1年間、朝日新聞に『星と祭』を連載します。
 その影響が揺曳しているのか、この詩集には月がよく出てきます。

 「仙境」では、〈無人の理想郷に月を配してみると、おそろしいほど荒涼としている。〉〈深夜こっそりと、月光を浴びて〉と、広大な世界に冷たい月のイメージが感じられます。
 〈月〉と〈荒涼〉という連想は、「友」という詩にも見られます。

 「トルコの砂漠」には〈青い月〉が出ます。
 「月」では、〈一人の旅行者〉として月を見ています。

 「月に立つ人」では、〈月の世界はしんと静まり返っている。〉〈空を仰いで月を見守っている。私もその一人だ。人類の一人残らずが、初めて孤独になって、月をみている。〉と、静なる月と孤独な人間が点描されています。

 異国の地に思いを馳せて綴るときに、〈月〉が作者の頭上にあるようです。

 なお、この『詩集 遠征路』は、ドイツ語に翻訳されています。

昭和51年10月25日
集英社
41編収録

新潮文庫︰井上靖全詩集
井上靖全集1︰詩篇

2009年5月27日 (水)

ハードディスクがクラッシュ

 特にコンピュータの取り扱いが乱暴ではないはずですが、またハードディスクが壊れました。
 今度は、バックアップ用のハードディスクでした。


(1)ラシーのRAIDの内の1台がクラッシュ
 外付けのバックアップ用として、1TB(テラバイト)のハードディスクを2台使って、RAIDというバックアップシステムを構築していました。パソコン本体のデータを、1TBの外付けハードディスク2台に、データを分散させて安全なバックアップをしているつもりでした。
 しかし、外付け2台の内の1台が、まったく認識しなくなりました。
 1台だけに切り離しても、認識せず、再度の初期化もできません。つまり、まったくハードディスクの役を果たさない、鉃の塊と化してしまったのです。
 電話でのサポートは、二千数百円の料金をクレジットカードから引き落とす、と最初に通告され、それ以上のコンタクトは諦めました。
 とんでもないサポート体制の会社だと思います。
 残った1台は、バックアップされたデータの確認ができました。しかし、どうしたわけか、昨年の11月までのものなのです。
 昨秋以降、最近半年のものは、バックアップされたデータとしてはみあたりません。
 つまり、本体のデータのすべてが復元できない状態となっているのです。

 このラシーのハードディスクについては、以前もトラブルがありました。
 今回のことに懲りたので、残された1台も機器としては信頼できません。
 すぐにバックアップだけは取り、この1台も廃棄しようと思います。

 とにかく、人間がいつか死を迎えるように、機器も必ずいつか使えなくなるのです。
 私は、機械運が悪いので、その頻度が高いようです。
 さらなる対策を、真剣に考えることにします。

(2)アイ・オー・データ機器のLANディスクが、セットアップできないのです。
 電話でのサポートは、本当に懇切丁寧なものでした。
 4台のハードディスクをセットするものですが、どうしても4台すべてを認識しません。
 1週間以上も、いろいろと試してもだめなので、サポート係へ電話をしました。
 なかなか繋がりません。スピーカーホンの状態にして、呼びだされる順番を待ちました。
 対応が始まると、実に丁寧に教えてもらえました。そして、問題点もわかりました。
 とにかく、言われることをすべてしても、LANにつながらないのです。

 結局は、本体と4台のハードディスクをセットにして、宅急便で金沢の本社に送り返すことになりました。
 1週間ほどで戻ってくるそうなので、これについては、また報告します。

(3)以前に不具合があったセンチュリーの1TBのハードディスクを、おっかなびっくりで一時的にバックアップ用に使っています。
 センチュリーの製品も、私の所に届けられるものは不良品が多いので、これも問題のある製品だと思っています。

 このハードディスクについては、以下の記事を参照願います。


《ケース1》
即日返品したハードディスクケース


《ケース2》
【復元】欠陥ハードディスクケース


 今回は、何らかの対処が済んだら、このセンチュリーの機器も休眠してもらいます。
 今は、その場凌ぎのための出番が来ただけのことです。

 現在出回るハードディスクは、安定した供給がなされていると思います。しかし、中にはまだまだ不良品が出回っているようです。
 もっとも、こうした粗悪な製品を手にするかどうかは、運の一言しかありませんが……。


2009年5月26日 (火)

源氏千年(85)源氏物語車争図屏風

 このところ、いろいろと書いておくことが多かったために、時期が前後する記事となります。

 先週の5月17日(日)で終わりましたが、京都市歴史資料館で「特別展 回顧源氏物語千年紀特別公開」と題する展示がありました。

090531kyorekisikan正面入口

 そこには、京都歴史資料館所蔵の『源氏物語車争図屏風』が展示されていました。
 これは、昨年度の源氏物語千年紀を回顧して「源氏物語車争図屏風」を特別展示したものだそうです。
 折しも葵祭の時期にぶつけた企画のため、たくさんの方が見に来ておられました。

090515byoubu_2パンフレットから


 この屏風は、昨年の千年紀事業では、京都文化博物館と京都アスニーで展示されました。
 昨年の葵祭では、この屏風の複製パネルが上賀茂神社の境内に飾られました。幅17メートル、高さ5メートルもの、巨大なものでした。
 この上賀茂神社に置かれた屏風は、先般公開された映画『鴨川ホルモー』の一シーンにも出てきました。あの映画の上賀茂での撮影が、昨年の5月であることを、この屏風が証明してくれることとなりました。

 この屏風が、今回は京都歴史資料館で、ユニークな説明と共に展示されていたのです。
 屏風の側の壁面には、写真パネルによって、描かれた内容が紹介されていました。その紹介文が、ビールが飲みたいだの、ありがたやありがたやという民衆の声を吹き出しにして、楽しい画面説明となっていました。
 担当された学芸員の方は、楽しくことばを選ばれたことでしょう。
 この説明は、またいつかどこかで拝見したいと思います。

 実物をジッと見ていて、そして精細な拡大写真も見ていて、この屏風では誰も葵を身に付けていないことに気づきました。
 いつから、お祭りで葵を付けるようになったのでしょうか。
 調べてみたいと思います。

 この『源氏物語車争図屏風』を展示した京都歴史資料館は、京都御所の東側・寺町通り沿いに隣接する施設です。
 1982年に開館しました。
 しかし、京都市は2011年度をめどに、その閉館を検討しているものなのです。
 市としては、その跡地を売却して財源不足を補う方針だそうです。
 ただし、その最終決定は来年度中とのことなので、今後の動きが注目されます。

 京都の文化施設がなくなるのは寂しいことです。
 貴重な資料が1箇所に集中するのは、その保存や保管の観点からは利点があります。しかし、資料館が散在することにより、さまざまな切り口で資料を集め、研究し、展示することにつながり、利用者としてはいい面もたくさんあります。ただし、財政上の問題を理由にされると、なかなか異論の差し挟みにくいことになります。

 京都の魅力を伝え、残していく施設については、改めて検討するのもいいと思います。
 ただし、統廃合を念頭におくのではなくて、特定非営利活動法人(NPO)や民間のボランティア団体も交えての、話し合いの場での知恵の出し合いをするのが大事だと思っています。

 この京都歴史資料館の存続については、今後、動きがあれば報告します。

2009年5月25日 (月)

心身(36)疲れていても体力年齢18歳

 身体がだるくて眠い中を、いつものように1時間50分かけて通勤しました。
 電車の中では、ひたすら熟睡しました。
 昨日と一昨日の、学会での疲れも引きずっています。

 今日も、たくさんの本や書類を抱えて、館内を走り回っていました。

 おまけに、バックアップ用のハードディスクが2台も壊れたために、その対処でも大変な1日でした。
 このトラブルのことは、解決したら本ブログに書くつもりです。
 とにかく、大急ぎで壊れたハードディスクをメーカーに送りました。
 カートリッジのハードディスクを4個も装着するLANディスクなので、重たい鉄の塊です。
 荷造りから発送まで、中腰での作業をしていたので、腰が痛くなりました。


 グッタリの1日だったので、こんな時にこそスポーツクラブで体力測定をしてみようと思い立ちました。
 いつも、体力年齢が18歳と出るので、疲れたときの結果を知りたかったのです。

 銀座のマシンジムで自転車漕ぎを始めたところ、脈拍が乱高下するのです。80から130までを、急上昇したら急降下したりします。
 目の前のモニタの折れ線グラフも、鋭角の山を示します。この数値の飛び具合は、尋常ではありません。
 そうこうするうちに、開始から5分ほどしたら、脈拍が高くなったのでこれ以上は危険、というメッセージと共に、体力テストを終了せよ、というのです。
 私の身体がどうにかなったのか、機械が狂ったのか、不思議なことが起こるものです。
 脈拍が、80から突然130へと飛んでも、自分の心臓が特に異常を来しているようには思えませんでした。

 訳がわからないままに、とにかく一旦トレーニングを終え、一息ついてから再開しました。
 今度は、最初は少し上下しましたが、5分過ぎると安定しました。
 ただし、今度は、負荷が徐々に高くなっていっても、いつもよりも脈拍があがりません。これまた、奇妙なことなのです。
 4段階の負荷を3分ずつかける、12分間のテストです。最後の3分の脈拍が、いつもは120以上なのですが、今日は110前後でした。
 そして、今日の結果は、やはりいつもの通り、18歳の体力だとのことでした。

 マシンが壊れていたのか、センサーが壊れていたのか、それとも私の身体が変調を来していたのか、何が原因なのか定かではありません。
 こんな時には、心電図をとってみれば、その原因がわかると思われます。しかし、今すぐにそんなことをする余裕はありません。
 とにかく、体力は落ちていないということなので、また数ヶ月後に体力測定をしたいと思います。

 心電図は、夏までに人間ドックに入るので、そのときにしましょう。
 これまでにも、不整脈を指摘されたことはあります。
 大したことではなかったのですが、それが顕在化したということなのでしょうか。


 今、私の身体の中では、何が起きているのでしょうか。
 日々のブログの中で、今起きている状況を記し留めておくつもりです。
 その意味もあって、昨日から「心身」というカテゴリーを新設し、これまでにこのテーマに関する記事を整理した次第です。

 また、息子がこの春から、生命科学の勉強を始めました。簡単に言えば、脳に関する勉強なのだそうです。
 彼の勉強のネタを提供するためにも、自分の心と身体の異変をここに記しておきます。

 親が息子のために、老い衰えていく我が身の変化の過程を、データとして提供しようというのです。
 なかなかおもしろいことになってきた、と思っています。

2009年5月24日 (日)

心身(35)体内内蔵方位センサーが不調

 昨日より、国士舘大学で中古文学会が開催されています。
 小田急の梅ヶ丘から徒歩9分とのことだったので、昨日は好天の中を歩いて行きました。

 2日目の今日は、朝から小雨でした。
 昨日同様、梅ヶ丘から歩いたのですが、いくら歩いても大学の校舎がみえません。

 町並みも、昨日とは違ってきています。
 15分ほど歩いてから、少しおかしいと思い始めました。しかし、右へ右と行けば間もなく到着するだろうと、微調整で対処できると思い、さらに歩き続けました。しかし、どうもおかしいのです。

 完全に方向を失った状態になっていることを自覚したので、住民の方に道を聞くと、やはり方向が違うようです。もっともっと右なのです。
 そこからさらに10分ほど歩いて、ようやく会場に到着しました。
 梅ヶ丘の駅からは、35分もかかったことになります。

 一人で海外へ行くことが多いので、方向感覚はいいはずです。
 自由に街を歩き回り、約束していた人に約束の場所で会い、そしてホテルに迷うことなく帰ることを続けています。
 どこの国でも、一人で電車もバスも自由に乗り降りできます。
 方向音痴ではないからこそ、海外でもトラブルもなく、仕事をして帰ってきています。

 今日も、自分が道を間違っているとは、思いもしないで歩いていました。
 何とかなる、と思っているので、歩きつつ軌道修正しながら前へ前へと進んでいました。
 しかし、それが今日はうまくいかなかったのです。

 さらに衝撃的なことが、その後にありました。

 東京の宿舎に帰ってから、近所のスーパーに買い出しに行きました。
 そこで、またまた道を間違えました。というよりも、スーパーを通り越して、ズーッと先へ行ってしまっていたのです。

 目指していたスーパーはマンション街の地下にあるために、その場所はわかりにくいところにあります。しかし、これまでにも何度も行っているので、その前を通り越して、さらにズーッと歩いて行ったことに、我ながら驚いています。

 こんなに歩くはずはないと、おかしいおかしいと思いながらも、足を止めることなくひたすら前へ向かって進んだのです。

 勝鬨橋のそばまで来ていることが、交差点の案内地図でわかりました。
 もう、開き直って、隅田川にかかる勝鬨橋に立ってみました。

090524sumida1隅田川から宿舎を臨む

 前方右に、宿舎があります。

 そして振り返ると、あろうことか、東京タワーが霞んではいますが見えるのです。


090524sumida2東京タワーが

 少し得をした気分になりました。
 そして、築地が目と鼻の先であることもわかりました。
 これならば、銀座のスポーツクラブから、歩いて1時間もかからないで帰れそうです。


 気分を一新して、元来た道を引き返すと、帰路の中間地点あたりに、目指していたスーパーがありました。

 今日は、自分の身体に内蔵されている方位センサーが壊れていたのでしょう。
 午前も午後も、壊れた身体で1日を過ごしたことになります。

 これも、老化の一つなのでしょうか。
 恥ずかしながら、記録として留めておきます。

2009年5月23日 (土)

読書雑記(12)酒井順子『都と京』

 書店で見かけた『都と京』(酒井順子、新潮文庫、2009.3)を、気ままに読みました。

 ほとんど脱力状態で、ノンビリと本を読んだのは久しぶりです。
 今の京都を知るのに最適な本です。京都の本質を突く一冊です。
 読みやすい文章なので、お薦めです。

 東の都から西の都という街を見つめた話が、言葉・料理・節約・贈答・高所・祭り・流通・神仏・大学・喫茶店・若者・文学・宿・交通・サービス・土産・敬語・田舎・女、と展開します。

 紫明通りの老舗中華屋の酢豚を、今度さがしてみます。
 力餅食堂のしっかりした味は、先週食べたばかりなので、なるほど、と思いました。確かに、薄味ではありません。

 「節約」「贈答」の視点と語り口がいいと思いました。筆者のモノの見方がユニークです。

 「流通」では、京都産として売られているものの価値を見いだしています。流通過程で京都色に染められている指摘は、文化論となっています。

 「神仏」の切り口が鮮やかでした。「思うことになっている」ことへの疑問から発展します。
 「法会はコンサート」「プチ出家」「おすがり先」「テンプルショップ」「悩みの集積地」という言葉が印象的でした。結びの文が、よく効いています。おもしろいエッセイです。

 「文学」で、京都人の小説家がなぜ京都を書かないか、と問うています。おもしろい着眼点です。そして、京都人はなぜ小説を書かないか、とも言います。山村美紗以外に。
 それに引き替え、歌人が多いことを指摘します。
 「皆まで言う」ことを避ける京都人の気質を結論としています。
 考える価値のある問題提起です。

 「サービス」で、店側が先に挨拶をする東京、客側が先にする京都、というのは、今はどうでしょうか。
 本書は平成18年刊なので、まあ今を語るものです。ややポイントがズレているように思います。
 サービスの意味とありようを語るために、無理な仕分けがなされているように感じました。多様なものごとを、無理矢理にどちらかに分けない方がいいのではないでしょうか。何事も、そんなにきれいに分けられないのですから。
 その分けられないところに、京都らしい文化が脈々と生き続けていると思います。単純な東京と、複雑な京都、というものが、かえって見えてきたように思われます。これは、女と男に置き換えられないでしょうか。

 本書の最後の数節は、ことばを紡ぐための論理が先行し、理屈っぽいものになっています。
 多分に思い込みで、実証できないことを、思いつきで語っています。関東の女性の語り口だな、と思わせます。
 終わりに近づくにしたがって、面白味が欠ける一冊になったのは、中頃までが快調だっただけに残念です。【4】

2009年5月22日 (金)

3本対照「空蝉」校訂本文の試作版(25.May.2009補訂版)

 昨秋、東京学芸大学(東京)で開催された中古文学会に合わせて、大島本以外の校訂本文3種類による対照資料を作成し、学会会場で適宜配布しました。
 それは、本ブログでも以下の記事の中でダウンロードできるようにして、公開したものです。


3本対照「桐壺」校訂本文の試作版(2008年10月 4日)


 現在我々が手にできるものは、大島本による校訂本文しかありません。
 この大島本を相対化するためにも、そして、大島本以外の本文の実態を知るべく、校訂本文の形に整理して試験的に提案したものです。
 池田本、陽明本、天理河内本の3本を対照できるようにしました。

 その意義や位置づけなどについては、上記ブログの説明をご覧ください。

 あれから半年が経過しました。

 明日から2日間、国士舘大学(東京)を会場校として春の中古文学会が開催されます。
 今回は、第3巻「空蝉」を取り上げ、その後の改良などを加えた、新たな校訂本文の試作版を提案します。

 池田本を底本にしたものと、陽明本を底本にした、2種類を作成してみました。
 小見出しを付けたり、網掛けをしたりと、いろいろな工夫をしています。


【3本対照「空蝉」校訂本文の試作版(補訂版)】をダウンロード

 今回も、南里一郎氏、福田智子氏、川﨑廣吉氏の協力を得ました。
 非常に面倒な作業を経て形にしていただき、ありがとうございます。
 これからも、よろしくお願いします。

 まだまだ、不備が多いことと思います。こうして試案を提示する中で、少しでも使い勝手のよいものにしていきたいと思います。

 お気づきの点などがございましたら、何なりとご教示いただければ幸いです。

 また、明日からの学会会場には、この校訂本文を印刷したものを持参します。
 お入り用の方は、お声をお掛けいただければお渡しいたします。
 会場内をウロウロしていますので、見つけてください。


2009年5月21日 (木)

井上靖卒読(71)『あすなろ物語』

 小さい頃から、この本を読むのは避けていました。それは、学校で読書感想文の課題図書に選定されることが多かったので、敬して遠ざけていたのです。
 読書感想文を「書かされる」ことには、異常に拒否反応がありました。そのため、文庫本などの最後に添えてある解説などを読んで、それらしい感想を混ぜながら、原稿用紙にだらだらと引き写していました。
 井上靖卒読ということで、今回は目的がまずあったこともあり、とにかく読んでみるか、という形で読み始めました。

 この小説には、教訓じみた、子供や若者の応援歌といったイメージを持っていました。しかし、それは前半だけで、しかも露骨ではなくてサラリとしていて安心しました。
 学校教育の怖さです。先入観とは、恐ろしいものです。

 私が高校の教員をしていたとき、読書感想文という課題を出さざるを得ないときは、少し視点をずらして、本の紹介文を書くように言いました。私に紹介する文章を要求したのです。これは、好評だったように思います。

 このブログでは、「井上靖卒読」と題して駄文を連ねています。読書感想文にならないように、自分との接点を大事にすることを、いつも心がけてまとめています。

 さて、鮎太が成人した後、特にバラックの喫茶店をめぐる話は、印象に残っています。
 ただし、いつもながらのことですが、人間関係や人と人との別れが、何となく不自然だと思いました。冷めた作者の眼が、物語展開の楽しみを阻害しているのではないか、などと、よくわかりもしないながらも、今ひとつ納得できない出来に、不満を覚えました。

 「寒月がかかれば」で、鮎太がいじめられた時、雪枝の言動と行動を、今の教育評論家は何と言うでしょうか。一度、何かの時にぶつけてみたいものです。
 「春の狐火」を読み、その背景に『通夜の客』を想起しました。山村の雰囲気が、そう感じさせます。
 「星の植民地」は、後の『星と祭』における観月旅行の原型だと言えます。

 この作品を映画化したものを、学校で見せられたように思います。
 映画は、私が4歳の時に制作されているので、小学校の低学年あたりで観たのでしょうか。
 しかし、まったく何も思い出せません。
 再度観れば、何かが刺激となって、作品に対する理解が広がるかも知れません。

 今の段階では、まだ、どうして子どもたちに読ませる感想文用の小説とされているのかが、私にはわかりません。【3】

初出誌︰オール読物
連載期間︰1953年1月号~6月号


新潮文庫︰あすなろ物語
旺文社文庫︰あすなろ物語 他一編
必読名作シリーズ︰あすなろ物語
井上靖小説全集6︰あすなろ物語・緑の仲間
井上靖全集9︰長篇2


映画化情報
映画の題名︰あすなろ物語
制作︰東宝
監督︰堀川弘道
封切年月︰1955年10月
主演俳優︰久保明、久我美子

〔参照書誌データ〕

 井上靖作品館 
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/

2009年5月20日 (水)

京洛逍遙(79)雲林院の歌碑

 紫野にある雲林院の境内は、入った人が誰でもその狭さに驚きます。
 『大鏡』などの舞台になった寺なので、大きな寺院だと思われています。
 ただし、現在の雲林院の東にあるマンション「パークシティ北大路」の外壁に、発掘の成果が掲示されています。
 平安時代の雲林院の規模を知るのには、このマンションに立ち寄るといいと思います。
 さらには、このマンションの東側に、紫式部と小野篁のお墓があります。


 さて、その今の雲林院の境内に、立派な僧正遍照の歌碑があります。

     僧正遍昭

 天つ風雲のかよ比
千ふき登ぢ餘
 をと免の姿しば
  しとゝめ無


 『百人一首』でも有名な歌です。
 ここに刻まれた和歌の文字で、「ふきとぢよ」の「よ」の字母(かなの元となった漢字)が、すぐに思いつきませんでした。
 歌碑の前で、しばし黙考。
 あれこれ思いを巡らせて、ついに諦めました。


090520jibo歌碑

 家に帰ってから調べてみると、「食」偏に「余」という字(餘)だったのです。
 てっきり、人偏「イ」に「半」という字の崩しだとばかり考えていました。
 古典籍を見る機会が多いので、変体がなには慣れているのですが、これには気づきませんでした。

 さらには、この雲林院については、本ブログでかつて取り上げていたことが、調べていてわかりました。
 その記事を見て、またまたガッカリです。


源氏のゆかり(6)説明板31-雲林院(2008年5月 6日)


 正しく字母を「餘」と翻字した後に、「正確な字母は後日確認します」と書いているのです。
 あの時よりも、今はさらに思考力が低下しています。

 『源氏物語』の写本では、これまでに「餘」の崩し字は見かけなかったように思います。
 和歌などの資料には、よく出てくるのでしょうか。
 自分の知っている世界だけではいけないことを、痛感する機会を得ました。
 そして、1年前のことがすっかり記憶から抜け落ちていることに、自分ながら驚いています。

 恥ずかしいことですが、これから年と共にこうしたことが多くなるでしょうから、あえて記しておくことにしました。


2009年5月19日 (火)

小林茂美先生のご逝去を悼んで

 学生時代からずっとお世話になっていた小林茂美先生がお亡くなりになりました。
 先週の、5月12日でした。昭和元年生まれなので、御年84歳でした。

 過日3月29日には、「王朝の会」でお目にかかり、楽しくお話をしたばかりでした。
 その時のブログには、ご一緒に写した写真を掲載しました。

銀座探訪(16)桜の咲き初め

 桜の話と一緒なので、思い出深い記事となりました。

 小林先生には、國學院大學の大学1年生の時から、ずっと教えを受けてきました。
 大学の帰りには、妻も一緒に、よく飲みに行きました。山形生まれの先生と、秋田生まれの妻は、共にお酒が強かったこともあり、いろいろな所に行きました。高田馬場や中央線沿線が多かったように思います。
 私は、いつも、怒られてばかりでした。

 小林先生に提出した卒業論文は、『源氏物語と唱導文芸の交渉』というものでした。
 妻は、『小野小町論』でした。

 ご一緒に、調査旅行にもよく行きました。
 結婚式には、お仲人をお願いしました。

 私の最初の著作物である『新・文学資料整理術パソコン奮戦記』(桜楓社、昭和61年)では、帯に推薦文をいただきました。伊井春樹先生の推薦文も、その隣に並んでいます。
 最初の研究書である『源氏物語受容論序説』(桜楓社、平成2年)では、巻頭に口上をいただき、それが高崎正秀賞を受賞したときには、本当に喜んでくださいました。ご一緒に高崎正秀先生のご自宅に連れて行かれ、高崎先生の祭壇に受賞の報告をしました。
 『源氏物語別本集成』(桜楓社・おうふう、平成元年)では、共編者に名前を連ねてもらいました。刊行の直前には、伊井春樹先生と共に奈良・平群の我が家へ来てもらい、最終の打ち合わせをしました。
 あれから、無事に正編の15巻が完結し、今は続編の第6巻が出るところです。
 第1巻が出来るときには、百万円という当時としては高額の活動資金をいただき、版下作成用のレーザープリンターやパソコンなどを購入しました。その時の機器を活用して、初期の『源氏物語別本集成』の版下が作成されています。

 西国札所をご案内する計画も進めていたのですが、脚の調子が悪くなったとのことで中止となり、それきりとなったことが残念です。

 学生時代には、王朝文学研究会で『源氏物語』の勉強をしました。
 その会誌である『しのぶ草』の創刊号は、妻と共に寝ずに作ったものです。
 研究会では、『源氏物語』の輪読にあたり、『源氏物語大成』を使って異本・異文と、古注釈の確認を丁寧にしていました。そのことが、その後、私が『源氏物語』の本文研究へと導かれた基礎となりました。
 小林先生のもとで、『源氏物語』の本文について鍛えられました。今の仕事の原点です。

 私が二十歳の成人式の時、住み込みの新聞配達店が火事となり、持ち物すべてを失いました。その時、先生は研究会のメンバーに同じ釜の飯を食っている男を助けなさい、とのことばで、たくさんの日用品がもらえました。先生からは、ご本もいただきました。

 いつか、高田馬場の美男子製造所という理髪店へ、妻と共にご一緒しました。先生が助手時代に、よく通われた所でした。
 そして、当時お住まいだったアパートにも連れて行ってくださいました。奥様との新婚生活時代でもあります。
 そのアパートは見つかったのですが、大家さんはすでに亡くなっておられました。ご仏前で号泣なさっていた先生のお姿が、今も忘れられません。お辛い時代だったからこその、感動的なお姿を拝見しました。

 毎日のように教えを受けた30数年前の7年間が、今、どっと押し寄せて来ます。
 先ほど、妻が我が家の仏壇に、お線香を上げていました。

 大手町の産経学園で『源氏物語』の講義をなさっていたころ、毎回妻と一緒に聴講に行き、そのすべてをテープレコーダーに録音しました。
 今も、そのテープの山が、我が家の倉庫にあります。

 先生のご自宅に、奈良から娘を連れて行ったとき、大変喜んでくださり、奥様からは大きな縫いぐるみをいただきました。

 小野小町の資料を私がたくさん収集していたので、それを元にして本を刊行する話になっていました。それが、未だに果たせないままです。お預けしたまの京大カード版の小野小町の資料は、何とか形にして、ご霊前にお供えしたいと思います。

 思い出すと、後から後から出てきて、きりがありません。

 いつもおっしゃっていた先生のご期待に、果たして私はお応えできているでしょうか。
 さらなる精進をして行きますので、これまでと変わらずに見守っていてください。

 小林先生、ありがとうございました。
 ご冥福をお祈りいたします。

2009年5月18日 (月)

京洛逍遥(78)宇治の源氏

 日曜日は、仕事の関係で宇治に行っていました。
 前日に雨が降ったせいもあり、宇治川の水かさは増していました。
 川の流れも、いつもより激しさを感じました。


090517uji0宇治橋の紫式部

 お土産物屋さんで、いくつか見覚えのない源氏グッズを見かけました。
 千年紀は終わっても、いろいろと在庫はあるようです。
 これらは、さらに新しいものを開発してほしいものです。
 京都の街中もそうですが、近頃の源氏グッズは、源氏香図をあしらったものが多いように思います。
 これは、安易な流れになっているように思われます。
 千年紀という熱気は影を潜めた感があります。しかし、さらなる豊かな発想で、楽しいグッズを開発してほしいものです。

090517uji6お香立て

090517uji1Tシャツ


090517uji2日本酒


090517uji3_2ストラップ


090517uji4お菓子


 宇治川の中州にかかる朝霧橋のたもとでのことです。
 匂宮と浮舟の像の前を通りかかったときに、新郎新婦に出会いました。


090517uji5新郎新婦

 どなたかは存じませんが、これも何かの縁なのでしょう。
 いい雰囲気だったので、思わずシャッターを切りました。
 お幸せをお祈りします。


2009年5月17日 (日)

京洛逍遥(77)玄関への道がないホテル

 来客を送り迎えする関係で、ホテルに出入りする日々が続きました。
 京都御所の真横の、烏丸通り沿いにある某ホテルの玄関へ入って行こうとすると、こんな感じでタクシーが止まっています。

090517hotele1正面玄関?


 ホテルの玄関へ行く道はありません。
 それに、薄暗いので、車がいつ動くのか、テールランプを見ていないとわかりません。
 まず、この道からホテルに入るのには、勇気がいります。
 とにかく、ここからは怖くて入れません。

 そこで、左の壁沿いに行くしかないので、車道近くまで並んでいるタクシーの後ろに回って玄関を目指します。


090517hotele2歩けない歩道

 ところが、タクシーが狭い歩道にタイヤを乗り上げて客待ちをしているので、人一人がすり抜けるようにしてコーナーをうまく使って行かないと通れません。
 スーツケースを持っていたら、タクシーのボディーにぶつけないか、気が気ではないでしょう。
 というより、タクシーに当てながらでないと前に進めません。
 この隙間を通り抜けて玄関へたどり着くのは、とにかく緊張します。
 あくまでも、このホテルでは、客は車で来ることが前提のようです。
 歩いて来る客を軽視しているのです。

 この玄関口には、車の誘導と車から降りる客の対応をするホテルマンが、一人配置されています。車の出口方向に、もう一人おられたようにも見受けられましたが。
 しかし、その人も、歩いて来る客が壁と車の間を苦労してすり抜けて玄関へ入ろうとしていても、手助けする気配はまったくありません。あくまでも、車に関係する仕事しか契約に入っていないのでしょう。

 また、玄関を入ってすぐに、黒いスーツ姿の男性が立っておられますが、その方が歩いて入る人の手助けをすることもありません。
 この人は、玄関の自動ドアを入ってからが、決められた仕事なのでしょう。

 まさか、烏丸通りに面していないところに正面玄関がある、ということはないと思います。

 それにしても、チェックアウトを終えて帰る人や、外出する人のことも含めて、車を使わない人のことは一顧だにされていません。

 障害物競走のようなホテルの出入り口です。

 京都のホテルとして、非常に恥ずかしいありようだとと思います。

 日本のおもてなし文化に挑戦する、かつての車社会の残滓のようなホテルです。

2009年5月16日 (土)

京洛逍遙(76)街中の小さな変化


 先月(4月4日)のブログで、錦市場の入口にある回転寿司屋のことを書きました。

京洛逍遙(60)差別待遇をする錦市場の回転寿司屋

 気になっていたので、今日行ってみたところ、本当にビックリしました。
 寿司屋が消えているのです。

090516susi寿司屋消失

 この1ヶ月の間に、何があったのでしょうか。

 二条城の北側は、かつての内裏の跡が説明板でたどれます。
 その中で、桐壺の南に位置する建春門跡が工事中でした。


090516dairi1建春門跡

 参考までにこれまでの様子を、ブログで確認してみました。


源氏のゆかり(8)説明板12-建春門跡

 ここがこれからどのように変わるのか、次に足を運ぶときが楽しみです。


 その後、京都アスニーの平安京創生館へ行きました。
 平安京復元模型を見ていたら、係員の方が説明をしてくださいました。
 そこで、桐壺があったところから建春門跡にかけては、坂道になっていることを尋ねると、明快な答えをもらいました。
 豊臣秀吉が野原となっていた内裏の東に聚楽第を建てました。
 それが9年間で取り壊された後、堀などが掘り起こされたことにより、平地に高低が出来たのだそうです。
 平安時代から、このような高低差があったのではないようです。
 実際に歩くと、この坂が気になります。平安時代には坂ではなかったことがわかり、少し安心しました。
 地勢はあまり変わらない京都ですが、歴史の流れの中では、このような変化があるようです。

 ここではじめて、建春門跡の石柱に彫られていた「此付近 聚楽第南外濠跡」の意味がわかりました。
 内裏のすぐ横に、聚楽第があったのです。そして、長い間、内裏があったところは野原だったということです。
 そこに人々が住み着き、今のように家々が狭い路地に密集したようです。

 なお、この内裏があった一角は、平安時代のイメージはまったくありません。
 ただし、殿舎の位置関係と、それらが意外に近いところに建っていたことが、実際に歩くと実感できます。
 これは、貴重な体験となります。ぜひ、この内裏があった地域を歩いてみてください。
 弘徽殿と藤壺の近さや、桐壺から清涼殿までの距離感などがわかります。

 さて、アスニーの展示場の入口に、子供向けのクイズがありました。
 その中の次の質問は、大人にも難しいものだと思います。


090516dsitumon


 これは、展示内容のすべてを見ればわかるのですが、それにしても、子供には難しいことには変わりがありません
 答えは、法勝寺でした。
 京都検定ではないので、もっと易しいものに変えてみてはいかがでしょうか。
 余計なお節介でしょうが…。


2009年5月15日 (金)

京洛逍遙(75)葵祭2009

 2009年度の葵祭の記録です。
 晴天の中、例年のようにたくさんの人々に見守られての行列です。

 千年の時間が巻き戻されるのです。
 日本人が、今と昔をつなぐ一時となっています。


 以下、下鴨神社から上賀茂神社までの行列で、我が家の近くを通ったところの定点観測の2009年版です。


090515aoi1牛車


 いつもながら、牛車の移動は大変です。

090515aoi2稚児

 このお稚児さんは男の子なのですが、可愛いので沿道の人たちは女の子と思っていました。
 やんちゃな所を見せてくれています。 

090515aoi3斎王代


 このお祭りのヒロインである斎王代のおよよです。

090515aoi4女童


 可愛い着物でした。

090515aoi5采女


 采女たち、女性の衣装は華やかです。

 上賀茂神社の境内を流れるならの小川に、いつもと違うモノがありました。
 小さな水車が回っているのです。


090515aoi6

 何だろうと思い、あたりを見回すと、紙で造った二葉葵がいくつもあります。
 それぞれに、電線がつけられ、白い小さな電球入りのロウソクのようなものが付いているのです。


090515aoi7


 不思議に思い、近くの受付の人に聞くと、環境意識の啓発のためのイベントなのだとか。
 水車で発電し、それで二葉葵をライトアップするそうです。
 確かに、夕刻になると、ほのかな灯りでいい雰囲気を醸し出すことでしょう。
 六時から点灯するとのことでした。

 おもしろい取り組みです。

2009年5月14日 (木)

井上靖卒読(70)『白い牙』

 読み出してから中頃までは、なかなか物語に集中できませんでした。
 少し読んから中休みが入って途切れると、続きを読み出しても話の流れに乗れないのです。
 しかし、中頃を過ぎると、おもしろくなります。人間関係のつながりのおもしろさが、見えてくるからでしょう。

 井上靖の小説は、大体にゆったりとした流れの作品が多いようです。その特徴がわかると、井上の小説の味わいがわかってくるように思われます。

   ただし、ただ漫然と頁を繰るだけの作品もあります。目は文字面を追っているのですが、語られる内容がわからないままに進んでいくものがあるのです。
 それは、どこに起因するものなのか、いつか考えてみようと思っています。【2】


初出誌︰新潮
連載期間︰1951年1月号~5月号
連載回数︰5回

集英社文庫︰白い牙
角川文庫︰白い牙
井上靖小説全集2︰黒い潮・白い牙
井上靖全集8︰長篇1

映画化情報
映画の題名︰白い牙
制作︰松竹
監督︰五所平之助
封切年月︰1961年6月
主演俳優︰佐分利信、牧紀子


〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館 
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/


 

2009年5月13日 (水)

井上靖卒読(69)『緑の仲間』

 青春群像を描く、明るい物語です。
 2人の女性と6人の男性の間に生まれる心の動きと駆け引きが展開します。
 四宮安芸子と佐山那津子、そして高津逸平、青戸杏太郎、加納高介、小虎太郎の各自の性格がうまく描き出されています。

 数寄屋橋での出会いで始まり、日比谷を手を握り合って歩きながら終わります。
 井上靖の小説には、銀座、大森、京都などがよく出てきます。
 銀座は、私が今スポーツクラブへ行っているためによく行く所、大森は学生時代に新聞を配っていた地域、京都は今住んでいる場所です。
 井上の小説を読んでいると、よく知っているところがしばしば出てくるので、ついその舞台に思いを廻らしながら読んでいます。
 井上が育った伊豆と金沢は、今は措いておきましょう。

 小説の舞台が作家の創作に与える影響は、どのような重みがあるのでしょうか。
 井上の作品の舞台を、いつか調べてみたいものです。【2】

 この作品は、『井上靖全集』には未収録の長編小説の1つです。


初出紙︰毎日新聞
連載期間︰1952年3月17日~7月9日
連載回数︰115回


文春文庫︰緑の仲間
井上靖小説全集6︰あすなろ物語・緑の仲間

映画化情報

映画の題名︰緑の仲間
制作︰大映
監督︰森一生
封切年月︰1954年8月
主演俳優︰根上淳、若尾文子

〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/

2009年5月12日 (火)

京洛逍遙(74)鴨長明と河合神社

 賀茂川と高野川の合流地点にある下鴨神社は、いつ行ってもリフレッシュできるところです。
 その境内である糺の森の中に、河合神社があります。
 ここは、鴨長明のゆかりの地として知られています。


090505kawaijinjya1河合神社の表門

 鴨長明は、下鴨神社の祢宜の次男として生まれました。
 その後、50歳で隠遁し、各地を移動しました。
 その時に棲んでいたとされる組み立て式の方丈が、河合神社の境内に庵として再現されています。


090505kawaijinjya2鴨長明の方丈

 五畳半ほどの広さです。

 鴨長明は、こんな歌を残しています。

石川や瀬見の小川の清ければ月も流れをたずねてぞすむ                   (新古今和歌集)

 河合神社の横を流れる瀬見の小川には、今も清い水が絶えず流れています。


090505simogamo01瀬見の小川


 瀬見の小川と河合神社との間にある馬場は、緑のトンネルとなっていました。
 私が行ったのは、ちょうど流鏑馬が行われた翌日だったので、まだ前日に馬場として使われた名残がありました。
 これも、勇壮な行事です。来年にでも報告しましょう。


090505simogamo02緑のトンネル

 この糺の森を散策すると、緑の木立の中で自然の息吹が身体の中に溶け込んでくるように感じられます。

 折しも今日12日は、葵祭を前にしての御蔭祭(みかげまつり)が行われ、この河合神社の前を神迎えの行列が通っています。
 そして、糺の森の参道で、舞楽の東遊びが披露されています。
 実際には見に行けなかったので、されているはずです、ということにします。
 これもまた、来年の楽しみとしましょう。

2009年5月11日 (月)

京洛逍遙(73)上賀茂の社家

 上賀茂神社の神官だった方々の家が、明神川沿いに残っています。
 現在、その中の西村家別邸の庭園を見ることができます。

090404syake1


 緋の毛氈に足を伸ばして、寛ぎながら庭を見ていると、自然というものを生活に取り入れてきた先人のモノの見方や感じ方に、改めて敬意を表します。
 今の自分の生活では味わえないものが、こうして目で見、肌で感じられることのすばらしさが実感できました。


090404syake2


 四季の移り変わりを感じるために、また足を運びたいと思います。


2009年5月10日 (日)

源氏のゆかり(41)比叡山へのハイキング

 今年の1月11日に、比叡山への登り口にあたる「雲母坂」のことを書きました。

「源氏のゆかり(34)説明板30-雲母坂」


 暖かくなったら登ろうと思っていました。
 昨日は、初夏のちょうどいい天気だったので、過日の雲母坂までは自転車で行き、そこから歩いて比叡山を目指しました。ちょうど、修学院離宮の裏道を歩くことになります。

090509hiei1雲母橋

 登りはじめは、狭くて急な石道が続きます。
 落ち葉の絨毯を踏みしめながら、この先どうなるのか少し不安になります。

090509hiei2狭隘な山道

 この道は、最澄、法然、親鸞、日蓮、道元などが登った道です。
 『源氏物語』の浮舟や薫も、この道を登ったことになります。
 『源氏物語』の作者も、この道を登ったことがあるに違いありません。
 もっとも、着物姿で登るとなると、写真でわかる通り、女性には困難が伴います。
 はたして、女性はどのような姿で登ったのか、非常に気になります。
 30年以上も前に、滋賀県の坂本から歩いて比叡に登ったことがあります。向こうからなら、着物でも登れるかも知れません。

 1時間弱で、こんななだらかな道になりました。
 まさに、森林浴のハイキングコースです。

090509hiei3森林浴


 途中で、京都国際会館から岩倉あたりが眼下に広がりました。


090509hiei4京都国際会館から岩倉あたり

 写真の左端中央の円形の建物が、昨秋、天皇皇后両陛下をお迎えして「古典の日」の宣言がなされた国際会館です。
 手前には、藤の花が満開です。


 山登りの中程に、ケーブル比叡駅とロープ比叡駅があります。
 休憩にはちょうどいいところです。

090509hiei5ロープ比叡駅


 後半の道は、道幅も広くなり険しさはなくなります。

090509hiei6木立の山道


 自宅をでてから約3時間がかりで、目的の延暦寺・根本中堂に着きました。

090509hiei7根本中堂


 のんびりとお弁当を食べながらの、リフレッシュを兼ねた山登りでした。

 帰りは、雲母坂まで休憩することなく、1時間強で下りました。
 今回の山道で、下り道で苔生した岩の間を擦り抜けるようにして通ったところが、一番印象に残っています。 


090509hiei8下り道で

 ふかふかの落ち葉の絨毯を踏みしめながら、苔に気をつけながらの下山は、なかなか楽しいものとなりました。

 さて、『源氏物語』の登場人物たちは、どのようにして登ったのか、ますます知りたくなりました。
 どなたかがお書きになっているのかも知れません。
 自分が歩いたからこそ、同じ道を千年前の人たちも同じ思いで登ったのかどうか、気になるところです。道は同じはずなので、自分の体感を共有したくなります。

 これが、気ままに京洛を散策する楽しみとなっています。
 この次は、根本中堂から横川まで、脚を延ばしてみたいと思います。

2009年5月 9日 (土)

京洛逍遙(72)太田神社のかきつばた

 上賀茂神社の東にある太田神社は、かきつばたが群生するところとして知れ渡っています。

 藤原俊成は、かきつばたの可憐さを恋愛に絡めて歌にしています。




神山や大田の沢のかきつばた
  ふかきたのみはいろにみゆらむ


 この太田神社の沢は、2千平米あり、そこに紫一色の花が咲き誇るのです。
 国の天然記念物です。


090404oota1かきつばた群生


 かきつばたは水を好み5月に咲き、あやめは陸を好み6月に咲きます。
 これからも、みごとな花を咲き続けてくれることでしょう。

 神社の裏山は、太田の小径という散策路となっていました。

090404oota2太田の小径

 頂上の見晴らしは、こんな感じです。
 ちょうど、大文字が正面の山肌に見えます。


090404oota3大文字を遠望


 この大文字は、京都市街の至る所から見られます。
 風景の中に自分がいることを実感できます。
 都の香りが、今もこうして伝えられてきているのです。

2009年5月 8日 (金)

京洛逍遙(71)東寺で源氏物語の見立て絵

 先週の東寺の手作り市では、おもしろいものをたくさん見ました。
 「手作り」というのは名ばかりで、実際にはもう骨董市です。
 昭和30年代から40年にかけてのものが、ゴロゴロ並んでいます。
 やはり、着物が圧倒的に多いのが、最近の特徴ではないでしょうか。

 とにかく、なんでも手にとって見られるので、触れる展示博覧会、といった感じです。
 博物館の学芸員の資格を取得して1年が経ちました。これはこんなテーマの展覧会で使えるな、などなど、目の前のモノを見ながら想像が膨らみます。

090403toji1東寺の境内

 そんな中で、江戸時代の浮世絵が額に入ってるのを見かけました。
 値段を聞くと、3万5千円とのこと。
 こうしたものに疎い私は、これが高いのか安いのか、さっぱりわかりません。


090403toji20見立て絵


 
 近寄ってよく見ると、『源氏物語』の見立て絵のようです。
 右上に「見たて五行 金」とあり、その左に「匂みや」と書いてあります。
 大判3枚つづりで、絵は江戸時代末期の歌川国芳(1798〜1861)の作品です。
 国芳は広重と同い年の浮世絵師です。

090403toji2


 絵の下に捺された落款印章には、「一勇斎/国芳」とあり、版元は「佐野喜」(佐野屋喜兵衛)です。


 そもそもが、私にこうした絵に興味がないことと、その価値がわからないので、写真だけ撮って帰り、後で何かわかればいいか、という程度でした。
 帰ってからいろいろと調べてみたのですが、ますます、よくわかりません。

 ただし、ネットで見た限りでは、以下のようなことがわかりました。

(1)浮世絵ぎゃらりぃ「印象派と浮世絵」



「見立て五行/水 浮舟」歌川国芳/嘉永4年~5年(1851~52年)

 (浮世絵は省略、上記サイトで確認できます。)
ちなみに余談ですがこの国芳の浮世絵、あのゴッホもこれと同じものを所有していました。

(ただし三枚全てではなく、いちばん左の鴨と女性が描かれた部分の一枚だけです。)


(2)国芳プロジェクト




「Alphabetical List of Kuniyoshi’s Print Series」

Japanese Name︰Mitate go gyô
English Name︰Select five elements
Description︰Prince Genji with beauties (triptychs)
Date︰c. 1850
Robinson︰139

 この2つの情報から、素人ながら勝手な推測をしてみました。

 まず、(1)で国芳は「見立て五行/水 浮舟」という絵を描いているので、これもそうしたシリーズの1枚のようです。
 次に、(2)で「光源氏と美人たち」という3枚つづりの絵が5組あったようなので、後は「木」「火」「土」もあったようです。
 共に、1850(嘉永3)年の作品です。


 見立て絵のおもしろさは、国文学研究資料館のプロジェクトでの発表や出版物で見たり聞いたりしていました。しかし、近世の受容の問題ということもあり、まだ自分には遠いテーマのように思っていました。
 それが、こうして目の前に、現物がヒョッコリと顔を見せてくれたのです。

 今回は勉強不足のため、これがどのような意味を持つものか、私には皆目わかりません。
 今後のこともあるので、少し勉強するつもりです。
 それにしても、こうした絵は、見る人が見ると、これは『源氏物語』のこんな場面を、こんなことに見立てて描いたものだ、というように、絵を解きながら楽しめるのでしょう。
 いつかは私も、『源氏物語』の読まれた時代背景を追い、こうした受容作品を通して、描かれた時代の『源氏物語』の読まれ方を知りたいと思っています。

 どなたか、正確なこの絵説きをしてくださいませんでしょうか。


京洛逍遙(70)新緑の法然院

 先週は、真如堂から哲学の小径づたいに、法然院へと脚を延ばしました。
 東山三十六峰の新緑は、目に痛いほどでした。

 静寂の中に湿り気を帯びた、鹿ヶ谷の苔の深い緑が下支えをしてくれます。
 この時期は、午前中の方が緑の輝きに出会えそうです。

 初夏の青もみじの鮮やかさを、あらためて知る機会となりました。

 法然院の参道を覆う青もみじのトンネルを進むと、山門の苔生した茅葺き屋根が見えます。


090502honenin1山門の2人

 ちょうど、2人の外国人が、カメラの撮影に熱中していました。


090502honenin2白砂壇


 白砂壇に被さる楓の青と茅葺き屋根の緑に加えて、石段をうっすらと覆う苔と地面の苔の色あいが、それぞれ微妙に違うのです。

 この2人のカメラマンは、ずっとここでシャッターを切っていました。

 私もカメラを片手に、ブラブラと緑の中を歩きまわりながらも、この2人のじゃまをしないように気をつけていました。
 人のじゃまをしないように気遣うのも、何かと気疲れのするものです。

 山門を出ての帰路、緑のトンネルの中を歩きながら、ホッと一息つきました。


2009年5月 7日 (木)

京洛逍遙(69)水が流れる堀川に変身

 堀川は、京都市街の真ん中を、北から南に流れる川でした。
 平安時代以前のことはよくわからないようです。しかし、平安京ができてからは、都の中心であった朱雀大路の東側を流れていました。貴族たちは、ここを流れる水を、自邸の庭園に引いていたようです。

 この堀川も、戦後は下水道整備にともない、水は流れない名前だけの川となっていました。
 それを、2002年から整備事業がはじまり、今出川通りから押小路通りまでの区間を復活させることになったのです。

 工事中のことは、本ブログでも2008年4月12日の「京洛逍遥(33)堀川の復活整備」で取り上げました。

 それが、ようやく今春、2009年3月に待望の水が流れました。


090403horukawa6パネル

 以下、復活した堀川の写真をご覧ください。
 自転車やバイクが入れない、親水公園となっています。

 一条戻り橋のところには、水車が実験的につくられています。
 子どもたちの勉強教材として、すばらしいものだと思います。


090403horukawa2水車

 ここから上を見るとこういう景色です。


090403horukawa1今出川方向を見る


 下を見ると、戻り橋の下から整備された様子が確認できます。

090403horukawa3一条戻り橋から下


 なお、この一条戻り橋は平成7年に出来たもので、それまでの橋は、すぐ近くの陰陽師で有名な清明神社の境内にあります。
 また、戻り橋は、三善清行や渡辺綱などにまつわる話で有名な橋ですが、それはまたいつか……。

 こんなにゆったりしたところもあります。


090403horukawa4親水公園

 散策に格好の場所です。しかし、堀川通り自体は、散策路としては魅力に欠けます。
 今回の通水区間には、二条城が隣接しています。
 西側に並行する堀川通り商店街は、地元の人たちのお買い物の場所です。
 その商店街の上層の住宅は、老朽化のために改築が決定しました。

 この新しく水が流れるようになった堀川が、今後はこの地域にどのような雰囲気を作り出すのか、数十年後が楽しみです。

2009年5月 6日 (水)

源氏千年(84)紫式部千年ライブ

 京都駅に近いところ、大宮通とJR山陰本線(嵯峨野線)が交わるところに、梅小路公園があります。
 「グリーンフェア2009春」が開催されていました。
 園内では、子どもたちの遊び場として解放されており、植物の販売や手作り市も賑やかに行われています。
 一番奥の「緑の館」の中に「朱雀の庭」があり、そこで庭園コンサートが催されました。

 「源氏物語/紫式部千年ライブ」というイベントです。
 私は、午前の部の庭園の舞台でのライブに参加しました。午後は、館内のイベント室です。

 庭園はみごとなもので、野外イベントには最適です。
 この日のコンサートは、「源氏物語千年、紫式部の和歌が時空を超え、朱雀の庭に響く」というテーマでのものです。
 200円の入場料を払って会場に入ると、すでに始まったばかりのところでした。

 池に突き出した四角い舞台から、ギターとオカリナの音色が聞こえてきました。

090504umeg1朱雀の庭


 この日のコンサートは、2008年に京都で結成された音楽ユニット、新伝統派「しき」のお二人の演奏です。
 阿武野逢世さんがギターによる和歌の弾き語りを、鈴江先子さんがオカリナの演奏です。

 入口でいただいたちらしは、簡単なものでした。

 
090503gliveprintちらし


 ここに書かれているものを、記録として掲載します。

   「源氏物語/紫式部千年ライブ」

① 午前十一時〜朱雀の庭  ②午後二時〜イベント室

やどりせし 人のかたみか藤袴 わすれがたき香に においつつ
             「古今和裁集」紀貫之
 (演奏・和歌)・・・
   木 霊 (こだま)(作︰鈴江先子 舞︰Uーko)
☆ 『源氏千年紀』テーマ曲
  紫のかがやく花と日の光 思い合わざることわりもなし 『桐壺』与謝野晶子

☆空蝉の身をかへてける木のもとに なほ人がらのなつかしきかな 『空蝉』
   空蝉の羽におく露の木がくれて しのびしのびにぬるる袖かな 紫式部

☆心あてにそれかとぞ見る白露の 光そへたる夕顔の花   『夕顔』
   寄りてこそそれかとも見めたそかれに ほのぼの見つる花の夕顔

☆・・・ 演奏曲 『若 紫』(作‥鈴江先子)

☆橘の香をなつかしみほととぎす 花ちる里をたずねてぞとふ 『花散里』

☆たちぱなの小島の色は変らじを この浮舟ぞゆくへしられぬ 『浮舟』

☆ありとみて手にはとられず見ればまた ゆくへもしらず消えし蜻蛉 『蜻蛉』

☆・・・ 演奏曲 『夢浮橋』(作‥鈴江先子)

※  めぐりあひて見しやそれともわかぬ間に
              雲がくれにし夜半の月かな 『百人一首』紫 式部

 【演奏】
     阿武野逢世(あぶの おうせ)︰和歌弾き謳い
     鈴江 先子(ずずえ さきこ):オカリナ演奏

 なお、このうち「蜻蛉」と『百人一首』の歌は、時間の都合からか省略されました。

090504umeg2庭園ライブ


 ギターの弾き語りは、私には少し違和感を覚えました。和歌の原文を生かしながら作曲されたということですが、そのメロディーに馴染めなかったためかと思います。
 初めて聞く曲なので、次に聞くとまた違った印象をもつかもしれません。
 ただし、お話の内容があまりに俗っぽかったので、残念でした。和歌の内容とかけ離れすぎていました。
 これは、モットーである「日本古来より伝承された古き良きものの感動にテーマを求め、自由な発想・新しい感覚での表現を目指し」た成果と、落差のありすぎるものです。

 オカリナは、非常に澄んだ音色で、庭園に響きわたっていました。
 写真でも、上空に鳥が写っています。
 この音色に鳥が集まってくるのだそうです。
 オカリナの曲は、演奏者である鈴江さんが作曲されたものです。
 これは、まとめてCDなどで出されていれば、手にする価値のあるものだと思いました。

 オカリナの鈴江さんは、昨年の源氏物語千年紀のイベントでも、幅広く活躍の場があった方のようです。
 今後が楽しみな方です。情報を集めてみましょう。


 コンサートの後は、庭園内の東屋でお茶をいただきました。
 同志社大学表流茶道同好会志清会の方が淹れてくださいました。
 和菓子もおいしくいだきました。血糖値をコントロールしている身なので、欠片を少しだけ口にしただけでしたが。

 200円の入場料でこんなにもてなしてもらい、充実したひとときを恵んでいただきました。
 イベントの関係者のみなさまに感謝します。お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。


 

2009年5月 5日 (火)

京洛逍遙(68)上賀茂神社の競馬会

 今日は端午の節句。
 午前中は下鴨神社の歩射神事を、午後は上賀茂神社の競馬会へと、共にご近所の神社の行事に参加してきました。

 特に上賀茂神社は、私が住む地域の氏神さまということもあり、昨日も行ってきたところです。
 次の写真は、競馬の観覧席などの準備万端あい整った、昨日の会場の様子です。


090404kamokeiba昨日の馬場

 今日は、午後から雨との天気予報でしたが、曇り空の元、華やかにはじまりました。

090505kamigamokeiba1左方の登場

 赤い装束で跨る6人の一団を「左方」(さかた)といい、黒い装束の6人の一団を「右方」(うかた)と言います。そして、この左右の2つが6番の勝負をするのです。馬上の騎手は「乗尻」(のりじり)と呼ばれます。

 一番目の勝負だけは、多分に儀式として行われます。
 左右各々が、馬の調子を見るために、馬場を馴らしています。
 この一番目の勝負は、赤の装束の左方が勝つことになっているそうです。


090505kamigamokeiba2

 お世話役の方々の法被には、神紋の双葉葵が染められています。
 警護役の子どもたちの腰にも注目です。


 二番目からの競馬は、それこそ真剣です。
 馬の地響きを、初めて聞きました。
 特に、私はみんなが立って写真を撮っていたので、逆に蹲って地面すれすれから撮影しました。
 そのせいもあり、地鳴りを直に聞くことになりました。
 迫力満点です。

090505kamigamokeiba4真剣勝負

 この勝負は、黒装束の右方の勝ちでした。
 馬が駆け抜ける音と、「乗尻」の掛け声が場内を盛り上げます。
 まさに、賀茂競馬です。
 平安時代(1093年)に、宮中の武徳殿で行われていた競馬が、この上賀茂神社に移されたとのことです。ここが競馬の発祥の地とされる由縁です。

 もともとは、天下泰平と五穀豊穣を祈願する神祭りです。それが、今はほとんどショー化しています。それでも、5千人以上の人が馬場を取り囲むほどの人気を博しているのですから、集まった人々の気持ちをしっかりと掴む魅力が、この神事には充満しています。
 馬が走り抜けるたびに、馬場には歓声と興奮が巻き起こっていました。

 途中で、警護役の子どもたちが退場しました。
 みんなから拍手で送られていました。


090505kamigamokeiba3退場

 こうした心憎い演出も、千年近く行われてきた中から培われた、サービス精神の現れなのでしょう。
 大人も子供も、みんなで盛り上げている競馬会でした。

 半分を過ぎたところで、雨がポツリポツリと落ち始めました。
 自転車で来ていたこともあり、本降りにならないうちに境内を出て失礼しました。
 雨に濡れないようにと、必死に漕いで5分で帰宅したのです。
 これは、賀茂競馬顔負けの怒濤の自転車漕ぎです。新記録です。

 今年も無病息災でありますように。
 来週から、歯の手術の続きが始まります。
 血糖値の管理も、なかなか思うにまかせません。
 現実には、無病息災とはいきません。
 それでも、大病をしないように、大失敗のない年になりますように、と賀茂の神に祈るのみです。


京洛逍遥(67)下鴨神社の歩射神事

 15日の葵祭を控えた儀式として、下鴨神社では歩射神事というのが今日ありました。
 弓矢で葵祭の沿道を清めることになる、魔除けの神事です。
 天気は少し曇りぎみでしたが、新緑がきれいな下鴨神社には、たくさんの人が出かけてきていました。


090505simogamo0表参道


 境内では、舞殿の横で儀式が執り行われます。
 小笠原流弓馬術礼法の方々のご奉仕です。
 
 本殿内での儀式の後、一般参拝客が拝見できるものは「屋越式」です。
 これは、小笠原流宗家小笠原清忠氏が、飛びながら音を出す蟇目鏑矢を、楼門の屋根を越えて飛ばすものです。


090505simogamo1屋越式


 初めて見る私は、最初はこの射る方角が的ではないので、その意味がよくわかりませんでした。
 楼門外に飛んだ鏑矢を、神職の方が持ち帰ってこられたので、やっとその意味がわかりました。

 続いて、門下生の方々が9人ずつ3組に分かれて、次々に白羽の矢を放つ「百手式」となりました。


090505simogamo2百手式


 1人が2本の矢を射るので、9人のグループが3組、ということで都合54本の白羽の矢が放たれたことになります。


090505simogamo3百手式


 私は、みたらし池と奈良の小川の間にある橋殿に陣取っていたので、的からは一番遠いところでした。
 遠目に見ると、的の後ろの青い幕が揺れていたので、みんな外れていると思っていました。しかし、後で的を見ると、みんな的を貫通して後ろの幕を揺らしていたことがわかりました。
 門弟のみなさま、大変失礼いたしました。

 この神事は、上賀茂神社でも正月に執り行われるそうです。
 次は、上のものも拝見したいと思います。

 平安時代の宮中行事であった「射礼の儀」が、この神事の始原だとのことなので、千年前の様子を思い描きながら一挙手一投足を見つめていました。

 多くの人に支えられ楽しまれているからこそ、こうした祭事が長く受け継がれてきているのです。歴史と文化を持つ地にいることを、実感として受け取ることができました。

賀茂川べりでテニス

 賀茂川は、北山の新緑をきれいに見せています。
 さまざまな緑が、目に飛び込んできます。
 春から夏への移り変わりが、色で感じられる季節です。


090502kitayama北山遠望

 この賀茂川べりに、自由に使えるテニスコートがあります。
 久しぶりに、息子とテニスを楽しみました。


090429tennesテニスコート

 手入れがよくないので、ラインは見えませんし、コートも荒れています。


090429tennes2手入れが必要です


 いろいろなテニスコートを知っていますが、使い終わったらみんなトンボを使ったり、ブラシをかける習慣があります。
 ここも、そのようなルールを設定してもいいように思います。
 ただで、自由に使えるのですから、そのようなことはみんなで守れることです。

 せっかくの施設なので、みんなの協力を得て、気持ちよく楽しめるテニスコートにしていくことを考えてもいいと思います。

 市民に自由に開放するのはいいことです。ただし、それだけでなく、使う者にそれなりのマナーを要求してもいいのではないでしょうか。


2009年5月 4日 (月)

京洛逍遥(66)真如堂

 新緑の季節に散策していると、光を照り返したり、光に透けて見える緑色の魅力を感じます。
 真如堂は、ひっそりとした佇まいの中にも、一際みずみずしい緑に映えていました。


090502sinnyo1真如堂

 境内の一角に、昨年10月に建てられた碑文がありました。
 日本に映画が持ち込まれて最初に上映されたのは、明治30年(1895)に京都だったとのことです。
 そこで、明治41年(1908)に京都で歌舞伎の劇映画が創られて100年目を記念して、その第1作の「本能寺合戦」が撮影された真如堂境内に、この「京都・映画誕生の碑」が建立されたのだそうです。


090502sinnyo2映画の碑


 銘板には、映画界の錚々たる役者さんの名前が刻まれていました。
 真新しい御影石なので、この境内には違和感があります。
 しかし、この石が苔生す頃には、味わいのある記念碑として存在感を示すことでしょう。

 真如堂を出て右へ折れたところに、突然ですが崩れた築地塀が目に飛び込んできました。

090502tuiji崩れた築地塀


 崩れた築地塀というと、『伊勢物語』や『源氏物語』を思い出します。
 なかなかイメージしにくい光景だけに、これは千年前の屋敷の荒廃の様を教えてくれます。
 ぜひ、若い人たちに、この様子を実際に見てもらいたいと思いました。

 京洛を散策していると、まさに千年前が切り取られたように目の前に現れることがあります。
 道の片隅に、こうした楽しみがたくさんありそうです。


2009年5月 3日 (日)

コメントの再掲載

 一昨日に記した本ブログ「古書大即売会とシベリア展」について、以下のコメントを自分で付けました。
 しかし、このブログのコメントは、非常に確認しにくいシステムとなっています。
 そこで、このコメントを以下に再掲載します。


***********************************************************
 自分のための備忘録として、このブログに対するコメントを寄せます。

 昨日、5月2日付けの朝日新聞の京都版に、「89歳 絵で語る「戦争」」という記事が掲載されました。

 新聞記者の立場から、報道として展覧会の紹介記事を書かれようです。
 しかし、私は、この記事に、大いに違和感をおぼえました。

 新聞の記事は、取材をしての報道なので、個人的な意見を述べる場ではありません。しかし、それを承知で、この展覧会についての個人としての感想なり意見を聞きたくなりました。

 新聞の記事では、取材により得られた作者の経験を重視しておられます。しかし、この記事は描かれた絵の内容については、ほとんど説明されていません。その絵に添えられた文章についても……。
 作者の体験をとりあげるか、作品としての絵をとりあげるかは、ある意味で重要な気がします。
 私なら、展覧会の現場を重視します。

 それよりも何よりも、この記事の冒頭が「従軍慰安婦」から始まっていることが気になりました。
 「従軍慰安婦」という用語は、いつ、誰によって造られた語彙か、検証が必要だと私は思っています。
 「従軍慰安婦」と「戦地売春婦」の違いを、明確にしてから使うべきだと思っています。

 朝日新聞は、この「従軍慰安婦」ということばを正式に用いる新聞社である、という記事を、何かの本で見かけたようにも思います。
 これは、近現代史を専門になさっている方に、いつかその当否について確認したいことでもあります。

 さて、件の記事でした。
 体験を忠実に描くことと、その元となる記憶の曖昧さについては、さらなる検証が必要な問題が内在しています。
 そして、真実の追究の厳しさについても、十分に承知して記事をまとめるべきでしょう。

 この新聞記事は、安易に迎合的な語りは慎重に、ということを私に教えてくれるものとなっています。
 情に流された新聞記事には、読者の一人として警戒心が働くようになりました。

 くれぐれも申し添えておきます。
 私は、このシベリアの絵を描いておられる方には、敬意をもっています。父が川柳でシベリアを語ったように、絵で表現されることの意義は十分に認識しているつもりです。
 ただ、それを真実とか芸術という視点からの私感を、こうして記したものです。

 妄言多謝

2009年5月 2日 (土)

京洛逍遥(65)吉田山荘

 京都大学の裏に吉田山があります。


090502yosida1吉田山北


 銀閣寺から哲学の小道を散策するときに、何度か通りました。
 しかし、いつも通り過ぎるだけだったので、緑の木々に惹かれて、初めて上ってみました。
 山道を登り切った休憩所からは、大文字がすぐ目の前に見えます。

090502yosida2大文字


 大文字焼きの日には、大勢の人がここに来ることでしょう。

 この吉田山の西、東山側に神楽岡の住宅地があります。
 その一角に、後一条天皇菩提樹院稜がありました。
 ここには、後冷泉天皇皇后章子内親王もご一緒におられます。


090502goitijyo後一条天皇陵


 御陵の隣にある建物の窓から、電球が灯っている部屋が見えました。元東伏見宮家別邸である、料理旅館・吉田山荘です。

 これまでは縁がなかったのですが、せっかく傍に来たので、お茶だけでもと思い、入ってみました。


090502yosidasanso1吉田山荘唐門


 ここは、昭和天皇の義理の弟にあたられる東伏見宮家の別邸として、昭和7年に建てられたところです。
 入口の表唐門は、宮大工の棟梁として知られた文化功労者の西岡常一さんが、その時に造られたものです。法隆寺などの奈良の建物は手がけられたものが多いのですが、京都ではこれだけだそうです。

 この山荘内には、ティーサロン 真古館があります。
 食事をしなくても、ここで喫茶はできます。


090502yosidasanso2真古館


 落ち着いたモダンでレトロな雰囲気の2階からは、真下に後一条天皇陵が臨まれます。


090502yosidasanso32階から後一条稜を

 出てきたコーヒーの茶碗が、1客10,500円の値段で販売されていました。
 そのコーヒーが乗っていた欅の刳り貫き盆は、これまた31,500円だとのことです。
 贅沢な雰囲気を独り占めできます。
 また、女将が書かれた和歌が、一緒に添えて運ばれて来ました。


090502yosidasanso4コーヒーに和歌


 源順の歌が書かれていました。

わかやとの

 かきねやはるを

       へたつらん

 なつきにけりと

   みゆるうの花



 2行目の「かきね」の「き」の字母が「支」であることに、お書きになった女将のかな心が伺われます。

 至れり尽くせりのもてなしに、しばしゆったりとした時間を持つことができました。


2009年5月 1日 (金)

古書大即売会とシベリア展

 平安神宮の前の「みやこめっせ」で開催中の「第27回 春の古書大即売会」に行きました。
 主催は京都古書研究会です。単なる古本を集めただけのバザール、というイメージが感じられないのがいいですね。

090501furuhon古本まつり


 昨年も、ちょうど同じ時期の5月4日(日)に行き、「みやこめっせで春の古書市」 と題するブログを書きました。

 今回も、40を超す古書店が出店していました。50万冊以上の古書が、何列にも並んでいるのです。
 壮観です。
 特に、左奥の京都コーナーは、京都に関する書籍がたくさんあり、本探しが楽しい一角となっていました。

 3時間ほどかけて、すべての本屋をまわりました。
 50万冊以上の本の背表紙を目で追いながら、眼球の疲労と闘いながら、いろいろなことを考えました。
 ほしいと思っていた本、読みたい本、まったく関係ない本。とにかく、先人の英知の結晶としての書籍の集合です。
 買いたい本がたくさんありました。しかし、買っても、結局は読む暇もないままに書棚に放置されることに想いが及ぶと、それでサッと諦めがつきます。
 かつて、貪欲に本を探し、買い込み、読んでいた頃と、今の自分が大いに変わっていることを痛感します。

 画帖と版本の何冊かに、しばし目が留まりました。ほしかったのですが、個人で買える値段ではありません。
 何十万冊もの本を見ながら、こんな本も出ているのだ、とか、読もうと思っていた本はこんなものだったのか、と、今後に生きる情報収集の場にもなりました。

 どんな本が刊行されているのか、ということは、ものごとを調べて考える上では、重要な情報なのです。そうした情報の整理と確認ができるので、こうした大古書市は大切な場所です。
 買うためだけではなく、自分の頭の整理ができます。

 同じ階の近くの一室では、文房四宝展示即売会をやっていました。
 筆や硯や紙が中心でしたが、私はそれ以外の文具を目当てで脚を運びました。
 そして、桐の箱と、黄銅に1字を刻んだ遊印とを買いました。
 桐箱は、A2の紙が入る大きさで、ずっと探していたものでした。
 7割引とのことで、幸運な出会いでした。

 大きな荷物を、先ほど買った重たい本と一緒に、自転車の荷台に括り付けて岡崎公園を出ました。

 次に、近くの京都市国際交流会館で開催されている「旧満州−敗戦−シベリア抑留の真実を伝える展」に行きました。
 これは、シベリア抑留の体験を絵画で伝える展覧会です。

090501mansyuシベリア抑留展

 私の父は、終戦後は満州からシベリアに抑留されていました。母とは満州で別れての、捕虜の生活でした。
 母が満州から引き上げた後に、2年後に父が無事に帰国してから、私が生まれたのです。

 小さいときから、シベリアでの苦しかった話は、折々に聴いていました。
 両親の属する戦友会のみなさんからも、戦時中の満州のことや、シベリアのことは聴いていました。

 その過酷な日々を克明に描いた絵が、30点ほど展示されているとのことだったので、立ち寄りました。

 展覧されていたものは、戦争と抑留生活の記憶をもとに描いた絵です。社会的な活動に結びつけておられることに敬意を表して見に行きました。父が送った抑留生活を、少しでも理解したかったこともあります。
 ただし、作者の方には本当に申し訳ないのですが、父から聴いた話の感触が、その絵からはほとんど感じられませんでした。
 絵の横に添えられた文章も、私には絵と結びついたメッセージとしては伝わらないものでした。
 絵とは別の意図がある、何か異質な文章のようにも思えました。絵との乖離があるものです。それが何かは、今はまとめられませんが。

 絵は絵で、説明文は別のものとして、両者が異なる方角を向いているようです。説明文があっての絵のようでもあります。
 死者のシーンを描いた一枚の絵の説明には、「気の毒に思い、私が二人の手を合わすように描いた。」とありました。
 各絵に、そうした描き手の私情を交えた創意が加えられているとしたら、真実を絵で語らせるための虚構というか技術には、相当な筆力を要求されるものとなります。
 慰安婦をテーマにしたものも、嘘ではないのでしょうが、どこまで事実に基づくものか、少し疑問を感じました。
 あまりにも、その絵を見る者を意識した絵でした。
 聴いた話による絵が多かったのも、絵に入り込んでいけない要因になっていたように思えます。

 シベリア抑留の真実を伝える絵の展覧会だ、とのことでしたが、私には何か違和感がつきまといました。それが何に起因するのか、その原因はわかりません。とにかく、私には、その絵に描かれているとされる真実が、リアルには伝わってきませんでした。絵からも、文からも。

 作者の意図を正しく汲み取れなかったとしたら申し訳ないのですが、事実とは違うものを見せつけられたような印象を持ちました。
 一面識もない作者には、本当に申し訳ないことです。

 父から聴いた話と、あまりにも違うからでしょうか。
 父の話は、もっと悲惨でしたが、その話の中には、人間の温かさが感じられました。伝えたいメッセージがありました。
 この絵の説明文からは、錐で人の心を突く感触が残りました。
 絵からは、戦争を描いてはいましたが、非常に平板な印象を持ちました。
 そこに作者の意図がある、ということであれば、私がシベリアの絵に何かを求めて見にいったことと、大いなるズレがあったことになります。

 抑留された地域により、または人により、その生活と描写される世界は違うのでしょうか。私は、人間の感情は、大きく異なることはないと思っていました。画題が、あまりにも興味本位に感じられたからかも知れません
 父は、何度も話してくれたました。
 朝、隣にいた戦友が凍死していると、その亡骸を弔うために、来る日も来る日も凍土を掘っていたのだそうです。1日に数センチしか掘れなかったとか。
 ラーゲルでの生活も、たくさん聴きました。

 父の話に強く打たれた想いが強かったので、こうして絵を見ると、かえって現実感が薄れていくように感じました。
 ことばが持つ力と、絵が訴える力に、こんなに違いがあるのかと、今は不思議な思いです。

 あるいは、あらかじめ見る者に訴えようとする意図をもって描かれた絵と、自分のありのままの苦しかった日々を語るのと、この点に違いがあのかもしれません。

 一兵卒である自分たちは被害者であり、あくまでも日本の軍部が悪いかのように書かれた絵の説明文に、個人的な意見の押しつけも感じました。そのために、絵から感じるはずの素直な印象が、色あせて薄れていったのでしょうか。

 いずれにしても、この「絵」と「詞」の果たす役割については、改めて考えてもいいことだと思いました。

NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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