« 京洛逍遥(65)吉田山荘 | メイン | 京洛逍遥(66)真如堂 »

2009年5月 3日 (日)

コメントの再掲載

 一昨日に記した本ブログ「古書大即売会とシベリア展」について、以下のコメントを自分で付けました。
 しかし、このブログのコメントは、非常に確認しにくいシステムとなっています。
 そこで、このコメントを以下に再掲載します。


***********************************************************
 自分のための備忘録として、このブログに対するコメントを寄せます。

 昨日、5月2日付けの朝日新聞の京都版に、「89歳 絵で語る「戦争」」という記事が掲載されました。

 新聞記者の立場から、報道として展覧会の紹介記事を書かれようです。
 しかし、私は、この記事に、大いに違和感をおぼえました。

 新聞の記事は、取材をしての報道なので、個人的な意見を述べる場ではありません。しかし、それを承知で、この展覧会についての個人としての感想なり意見を聞きたくなりました。

 新聞の記事では、取材により得られた作者の経験を重視しておられます。しかし、この記事は描かれた絵の内容については、ほとんど説明されていません。その絵に添えられた文章についても……。
 作者の体験をとりあげるか、作品としての絵をとりあげるかは、ある意味で重要な気がします。
 私なら、展覧会の現場を重視します。

 それよりも何よりも、この記事の冒頭が「従軍慰安婦」から始まっていることが気になりました。
 「従軍慰安婦」という用語は、いつ、誰によって造られた語彙か、検証が必要だと私は思っています。
 「従軍慰安婦」と「戦地売春婦」の違いを、明確にしてから使うべきだと思っています。

 朝日新聞は、この「従軍慰安婦」ということばを正式に用いる新聞社である、という記事を、何かの本で見かけたようにも思います。
 これは、近現代史を専門になさっている方に、いつかその当否について確認したいことでもあります。

 さて、件の記事でした。
 体験を忠実に描くことと、その元となる記憶の曖昧さについては、さらなる検証が必要な問題が内在しています。
 そして、真実の追究の厳しさについても、十分に承知して記事をまとめるべきでしょう。

 この新聞記事は、安易に迎合的な語りは慎重に、ということを私に教えてくれるものとなっています。
 情に流された新聞記事には、読者の一人として警戒心が働くようになりました。

 くれぐれも申し添えておきます。
 私は、このシベリアの絵を描いておられる方には、敬意をもっています。父が川柳でシベリアを語ったように、絵で表現されることの意義は十分に認識しているつもりです。
 ただ、それを真実とか芸術という視点からの私感を、こうして記したものです。

 妄言多謝

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://app.blog.eonet.jp/t/trackback/350595/19576639

コメントの再掲載を参照しているブログ:

コメント

コメントを投稿

コメントは記事の投稿者が承認するまで表示されません。

NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

Powered by Six Apart
Member since 07/2008