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2009年7月の32件の記事

2009年7月31日 (金)

心身(39)半日の人間ドック

 今年も人間ドックに行ってきました。
 昨年は、帝国ホテルへ一泊二日のドック入りでした。

 ・心身(17)帝国ホテルで人間ドック(1)

 ・心身(18)帝国ホテルで人間ドック(2)

 ・心身(19)帝国ホテルで人間ドック(3)


 昨年の日比谷の病院へは、面白半分で行きました。
 場所が場所だけに、少し豊かな気分になれるかと思って行ったのです。
 しかし、高級ホテルと言われる所は、私には分不相応なのでしょうか。何となく話題を作るために行ったような感じしか残りませんでした。
 精密検査で何かが見つかっても、そのために継続して受診しないなー、と思ったので、冷やかしで終えることにしました。

 今年は、気分を変えて、皇居の南からちょうど反対側、靖国神社のそばにある九段坂病院にしました。

 それまでは、ずっと目黒区にある三宿病院へ行っていました。
 しかし、一昨年より、横浜の宿舎から東京駅の近くにある宿舎へ移ったこともあり、都内の病院を経巡ってみることにしました。
 東京はたくさんの病院があるので、選り取り見取りの病院探訪ができるのです。

 地下鉄九段下駅まで、宿舎から20分もかかりません。
 駅から地上に出ると、その景色に見覚えがあります。
 
 
 
090731doc2付近地図
 
 
 
 地図の中央右端の駅から九段坂を上って皇居の千鳥ヶ淵の外周を歩きます。 
 武道館を左に見て歩きながら、思い出しました。インド大使館へ毎年ビザの手続きで来る道です。
 そして、目指す九段坂病院は、そのインド大使館の隣だったのです。
 
 
 
090731doc1大使館と病院
 
 
 
 非常にいい病院でした。
 人間ドックの職員の方々の教育がよく行き届いていて、気持ちがいいくらいにテキパキとしていました。

 私にとっての最難関である内視鏡検査(胃カメラ)は、鼻ではなくて口からのものでした。
 それでも、操作をする方の腕なのでしょうか、ほとんど苦痛もなく、懇切丁寧な説明を聞きながら終わりました。
 自分の体の中を見る楽しさを、先生の解説によって教えられた気がします。
 今年も、疑わしいポリープを取られました。
 今日は、問題の細胞組織を掴み取るところや、その後の傷口の洗浄から止血の過程も、丁寧に見せてもらえました。
 手元の遠隔操作なのに、うまく薬品を命中させて止血してくださいました。
 自分の体内でなされていることを、小劇場で見せてもらう、という感覚です。
 これならば、鼻から挿入することに拘りません。

 終了後、私の胃切除手術がいかにも40年前らしい手法であることや、今でもホッチキスを使って内臓を留めることなどを、先生は話してくださいました。経験が豊富な方のようにお見受けしました。

 本日のブログの最後に、胃カメラで映した写真を掲載します。
 思うところがあってのことです。
 しかし、不気味だと感じられる方がいらっしゃるかと思います。
 その場合は、適当に無視して閉じてください。

 これまでにも何度か、私が18歳の時に十二指腸潰瘍穿孔性腹膜炎で胃の三分の二を切除していることは書きました。
 自分の内臓が突然破れると、そのショックでか意識を失います。目が覚めるまでのことは、朧気にしか記憶にありません。
 そして、その手術が成功して数週間後に退院するとき、担当医師が私に言われた3点は、それ以後の私の生活に大きな影響を与えています。
(1)命拾いをしたことを自覚すること。
(2)再発防止のためには無責任に生きること。
(3)私の内臓には耐用年数があること。
 いずれも、今からちょうど40年前に、再度人生に参加する18歳の私に対して、1人の医師から受け取ったアドバイスです。
 ずっと忘れていません。

 その時に、担当医師は「45年」ということを明言なさいました。
 これまでのブログでも書きましたが、それが「45歳まで」なのか「あと45年」だったのか、記憶が定かではないのです。

 45歳になったときに、まずはこの予言(?)を躱すことも意識して、大学の教員をしながら大学院の博士後期課程に入学し、敬愛する先生から博士の学位をもらうことを目指す生き方に転じました。
 これは、うまくいったようで、何事もなく今もこうして回遊魚と言われながらも生きています。

 予言(?)のもう一つについては、あと5年後が該当します。
 また、何か口実を見つけて、自分の運命を変えようと思っています。

 この第2関門を通過できれば、もう神のみぞ知る、という日々となることでしょう。
 それまでは、10階のビルから飛び降りても、街で暴漢に遭っても死ぬはずがない、という、何の根拠もない確信のもとに生きてきました。

 この第2関門をクリアするためにも、私の生死のキーワードとなるはずの内臓に関する情報を公開し、その変異のシグナルが認められれば教えてもらいたいと思っています。

 次に揚げるのは、今日の内視鏡検査の写真です。
 8枚あります。左上から右下への順番で撮影されています。
 
 
 
090731poripe20092009年7月
 
 
 
 下段左が、毎回問題となる、切除箇所の接合部分です。いつも、ここに影が写るので、精密検査となります。
 今回は、右下から二つ目の写真にある小さなポリープは見逃すことになりました。しかし、右下の黄色に写っている部分は、その組織を切り取って細胞検査に回されました。結果待ちです。

 これから5年間の体内の変化を凝視していくためにも、その変異がわかりやすいようにするために、昨年度の写真も揚げておきます。
 
 
 
090731poripe20082008年7月
 
 
 
 この時には、下段に写っているポリープの細胞検査がなされました。そして、結果は放置してよい、ということでした。

 これらの写真を見ても、私にはよくわかりません。
 しかし、こうして写真を公開しておけば、今後の5年間に変化があれば、どなたかが気づいてくださることもあるでしょう。
 漠然とですが、そんなことを期待しています。

2009年7月30日 (木)

井上靖卒読(83)『異国の星(下)』

 この下巻は、アマゾンのネット中古価格が1円だったので、あわてて購入したものです。
 送料が340円だったので、なんとなく複雑な気持ちです。

 「アムールの町」は、きれいな詩となっています。
 榎本武揚の「シベリア日記」をもとにしたブリュスニン家の人探しが、興味深く語られています。

 「インダス渡河点」では、月光の中をパキスタンのガンダーラ平野をドライブします。
 平山郁夫が描くような、絵になる情景です。そこを、アレキサンダーの一大兵団が渡河していく様子を、井上は想定しています。
 学問的ではなくて、一詩人の直感として。
 ジエラルウッディンに関する果てのない話は、それなりにおもしろく読みました。チンギスカンとの関連が、小説『蒼き狼』を思わせます。作者は、特に述べてはいませんが。
 話の最後で井上は、インダス川とカーブル川の合流点で花束を投げます。その意味には、大きな感動が残りました。
 この話のクライマックスは、人間への愛情で閉じられているのです。

 「玉門関ノート」は、井上が学生時代に付けていた記録帳が大事な役割を果たします。そのノートが、現地でみんなから祝福の対象となります。幸せなノートです。
 このノートに記された中国の歴史に関することは、非常に詳細です。井上が中国のことをよく調べていたことに、感心しました。『後漢書』なども、丹念に調べて書き写したノートです。

 「天山の麓にて」は、井上の几帳面さの証といえます。すばらしい再構成と再現力によって、現地人の物の見方や考え方がよく伝わってきます。


 『異国の星』は、手紙や手記で構成された作品です。小説とは異なります。しかし、それでいて長編物語となっています。
 ただし、語られる内容は興味深いのですが、集中力がときどき途切れます。そこを最後まで読ませるのは、やはり人物描写がうまいからでしょうか。【2】

初出紙︰日本経済新聞
連載期間︰1983年6月1日~1984年3月31日
連載回数︰298回

講談社文庫︰異国の星

*『井上靖全集』未収録


〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/


2009年7月29日 (水)

連携展示「百鬼夜行の世界」

 現在、国文学研究資料館では「人間文化研究機構 連携展示 百 鬼 夜 行 の 世 界」と題する特別展示を、以下の通り開催しています。
 これは、国立歴史民俗博物館と国際日本文化研究センターとで連携協力して実施するものです。


 ■期間 平成21年7月18日(土)~8月30日(日)
      日祝休室 ※8月30日は開催
 ■時間 午前10時~午後4時半
 ■会場 国文学研究資料館 1階展示室
 ■特別鑑賞料 大人300円 高校生以下は無料
 主催: 大学共同利用機関法人人間文化研究機構
(国文学研究資料館・国立歴史民俗博物館・国際日本文化研究センター)

 この企画のチーフプロデューサーは、国際日本文化研究センターの小松和彦先生です。
 小松先生には、一緒にインドへ行ったときなど、いろいろと楽しい話を伺いました。妖怪博士で有名です。
 今年の3月にも、インドのニューデリーで開催した〈インド日本文学会〉でお世話になりました。大活躍の先生です。
 
 
 
090729hyakki1ホール
 
 
 
 国文学研究資料館の建物には、今年度より南極観測で知られる国立極地研究所が移転してきました。
 上の写真の右奥には、南極観測の装備などが展示されています。
 玄関を入ったところの雰囲気も、昨年までとはずいぶんと変わりました。
 入って左が国文学研究資料館、右が極地研究所。そして今秋からは、上の階に統計数理研究所が移転して来ます。
 この建物は、国文学研究資料館・国立極地研究所・統計数理研究所の3機関が活動する拠点となったのです。

 さて、入って左側に、国文学研究資料館の展示室があります。
 昨年の源氏展では、4千人以上もの方々がお越しになったので、中はご存知の方が多いことかと思います。
 
 
 
090729hyakki2展示室
 
 
 
 今回は、源氏展とはすっかり趣を異にする雰囲気を演出しています。
 雅な恋ではなくて、お化けの行列ですから。
 
 
 
090729hyakki3入り口から
 
 
 陰陽師と式神・外道の復元模型も、国立歴史民俗博物館から借りて来て展示してあります。外道を調伏する安倍晴明を、ジックリとご覧ください。

 なお、京都・大徳寺の真珠庵にある「百鬼夜行絵巻」(重要文化財)は、国立歴史民俗博物館の方に展示されています。

 国文学研究資料館のホームページでも、本展示に関してのさまざまな情報を流しています。

 「百鬼夜行の世界」

 また、以下の図録も作成し、販売(1,800円)しています。

090729hyakki0図録


 国立歴史民俗博物館の展示の詳細は、『百鬼夜行の世界-百鬼夜行絵巻の系譜-』をご覧ください。


 京都の各地でも、「百鬼夜行」のイベントが行われています。
 今年の夏は、選挙でうるさいことです。
 そんな時、町中をうごめく百鬼を横目に、こうした怪異・妖怪の世界を覗いてみるのもいいかと思います。


2009年7月28日 (火)

井上靖卒読(82)『異国の星(上)』

 『井上靖全集』に収録されなかった作品は、これですべて読み終えたことになります。
 このことについては、昨年の3月3日に記した

「井上靖卒読(31)全集で割愛された作品群」

 にまとめてあります。
 興味のある方は、ご一読いただければと思います。

 ただし、上記リストの中の「座席は一つあいている」(1952年)だけは、『週刊読売』(1952年10月12日号~1953年3月22日号)に掲載された永井龍男たちとの連載リレー小説です。
 これも、また別の機会に記します。

 『異国の星』は、「上・下」2分冊になっているので、まずは「上」の前半だけを記します。

 書誌などは、後半の「下」でまとめて掲載します。
 
 
 
 パキスタンのギルギットから出した手紙というスタイルをかりて、リアルタイムに旅の様子が語られます。最後は、髭の登山家と無事に会えたところで、読者をホッとさせて終わります。

 第二話はカシュガルの日記です。25~26年前に洪水で消えた街です。
 ゴビを50キロも走る旅の中で、さまざまな言語を介して、言葉が作者のもとまで届きます。
 子供たちの明るさに、明日への希望が伝わって来ました。
 この旅では、コスモス嬢とひまわり嬢が語る香妃の話がおもしろいと思いました。ロマンがあります。ひまわり嬢とは一体何者なのか、夢が膨らむ終わり方です。

 第三話のヒマラヤの月は、小説『星と祭』の後日譚です。
 小説で印象的だった月のことは、あまり詳しくは書かれてはいません。
 小説の時とは違い、今度は雨は降っていません。弱音を吐きながら、そしてわがままを言いながら登る社会批評家の山根が、おもしろく描かれています。
 12年の歳月を経てのヒマラヤの話が、『星と祭』とどう違うのか、比べたらおもしろそうです。
 井上が山根に腹を立てたエベレストの下りの話は、とてもおもしろく読みました。人が抱く感情が上手く描かれています。
 山根とシェルパの太郎の別れが、月光の中で美しく描かれています。

 沙漠からの手紙の中の「あの夜の兵士へ」は、中国大陸で生死を彷徨っていた作者の戦争体験に基づく想いが、ストレートに綴られた、記憶に残るいい話です。
 月と孔子の話は、後の小説の孔子に引かれるのでしょうか。

 「富士を詠える兵士に」では、人と人との接点の意外さと重みを感じます。感動的な話となっています。
 「ミーラン」と「チャルクリク」と第する詩が紹介されています。詩集で確認したいと思います。

2009年7月27日 (月)

当たり外れを左右する選別の眼

 先週の金曜日に修理に出したソニーのデジカメが、月曜日の今日、早くも完了したとの連絡が入りました。土日が入っていたのにもかかわらず、素早い対応です。

 「巧遅は拙速に如かず」という孫子の故事があります。
 ソニーの場合を拙速と言っては失礼でしょうが、対応の早さは誠意の表れです。
 馬鹿丁寧だが遅いというのは、いい場合もあります。しかし、日常的な場面では、その対応は早いに越したことはありません。
 さすがはソニーだと言えましょう。

 ソニーの製品は、故障が多いと思います。しかし、ソニーは夢を実現してくれる会社なので、それに伴うリスクとしての製品の完成度については、眼を瞑るようにしています。
 マネシタ電器と言われる会社の製品は、民生品としてよくできています。確かに壊れにくいのです。しかし、目新しさやオリジナリティーには欠けます。安心して使えるということ以外には、魅力はありません。

 私は、製品の質に多少の問題はあっても、夢を実現しようとし、未来を語れる商品が好きです。

 これまで使っていたアップルのパソコンが、最近どうも変な反応をし出しました。
 大事に至らないうちにと思い、新しい機種に買い換えました。

 これまでのデータを引っ越しさせるのですが、移行用のツールを使ってのデータの移動は、これまでのトラブルをも移行します。
 そのため、面倒ですが、アプリケーションなどは一つずつインストールし直した方が、結局は確実です。
 そのために、買い換えのたびに、膨大な時間が吸い取られます。

 移行作業をする前に、メールのデータなどは、まずは手作業で移すことにしました。ただし、どのファイルをどこへコピーするのかを忘れたために、銀座のアップルストアに行って教えてもらうことにしました。

 入れ口に入ってすぐに相談できる人を探していたところ、たまたま年配の女性の方と眼がしっかりと合ってしまいました。
 まずい、と思ったのですが、もう向こうが私の方に歩み寄ってきていました。
 「万事休す」
 新しいことやわからないことを質問するときに、高齢の女性は避けた方が無難です。無駄な時間が湯水のごとく失われるからです。

 これも運命と諦めて、メールのデータの移行について聞き出したところ、わかりきったことを繰り返しおっしゃるだけなのです。私が聞いている内容も、よく理解できていないようでした。時間がもったいないので、別の人にと思って視線をずらした瞬間、その方は確認をするために奥へ引っ込んでしまわれたのです。
 これでは、別の話の通じる人に聞き直すわけにもいきません。

 アー最悪、と思いながら、待つことにしました。
 ところが、なかなか奥から出てこられないのです。よほどスーッと帰ろうかとした頃に、覚え立ての知識を忘れないうちに、とばかりに息せき切って店頭に姿を見せるや、必死になって説明してくださいました。
 しかし、どう見ても、今しがた入れ知恵されたばかりの知識の羅列であることは明らかです。

 アップルストアにも、こんな人がお客さんの対応をしているのだ、と認識を改めさせられました。

 それにしても、私が聞いた人が悪かったのです。
 結局は説明がどうも怪しかったので、そのまま2階にあがり、ジーニアスバーの方に再確認をしました。
 1階にいたおばさん(失礼)の説明は間違ってはいませんでした。しかし、やはり不安をともなう説明だったので、申し訳ないのですが、どうしても別の信頼できそうな人に確認してしまったのです。ごめんなさい。

 今日は、新しいマッキントッシュに、2台目のモニタを接続しました。
 ところが、重宝している30インチの外付けの大きなモニタに映像がでないのです。
 すべてアップル純正の部品でつなげています。それなのに、うまくいかないのです。

 アップルストアに行く時間がなかったので、立川のビッグカメラへ行って、店員の方に相談をすることにしました。
 マッキントッシュのコーナーに行き、ウインドウズの説明しかできない人を避ける意味からも、展示されているマッキントッシュを触っている若い方に声をかけました。これが大正解でした。やたらと、マニアックな説明をしてくれます。聞きもしないことまでも。
 半年前までは、秋葉原のマックのお店にいたとか。マックに関しては、ものすごい知識の持ち主でした。

 お陰で、私が手にした新しいマックでは、30インチのモニタは使えないことが判明しました。このことでは、いろいろと苦情がきているようです。最先端の技術に凌ぎを削っているので、利用者が稀な部分では、こうした空白地帯ができるのでしょう。
 アップルが対応していないのであれば、諦めがつきます。何とかして欲しいという願いはありますが。
 それでも、手元のモニタが使えないことが分かっただけでも収穫です。

 このモニタの対策は、また考えることにします。

 いつもいつも、いい店やいい人に出会えるとは限りません。
 時間の損失を最小限にするためにも、どこで買い、だれに聞くか、という選別の眼は養っておきたいものです。

2009年7月26日 (日)

源氏研究のリング化を回避するために

 活字になった校訂本文を書店で購入し、それだけで『源氏物語』を読んでいる方々を意識して書きます。
 もっと具体的に言うと、『新編日本古典文学全集 源氏物語』(小学館)だけで『源氏物語』を受容している若者への伝言です。

 今、『源氏物語』の研究は、ドーナッツ状態と言うよりも、さらに薄くて硬い、リング化された状況の中でなされています。
 毎年、数百本の研究論文が大量生産されているので、『源氏物語』の研究は相変わらず盛んだといえましょう。昨年の、『源氏物語』の千年紀は、火に油を注いだ感があります。
 しかし、その実態を知ると、唖然とします。基礎的な研究と言うべき本文について、70年以上も進展がないのですから。
 作品を読む基本となる本文に対する意識と、その確認とが疎かなままに、活字の校訂本文での自由論文が量産されているのです。
 そのことへの警鐘が、少数意見ということもあり、無視されつづけています。

 リングの中心にあるべきはずの、基礎的な資料の確認とそのための調査研究が放置されたままで、空洞の状態で、その周りに膨大な活字校訂本文による論考が衛星状態で密集しています。

 このままではいけない、という認識を共有する有志で、科学研究費による研究プロジェクトが立ち上がりました。3年前のことです。

 昨日は、そのプロジェクトの母体であるメンバーが、「第11回  源氏物語の本文資料に関する共同研究会」と銘打って、國學院大学で本文に関する研究会を持ちました。
 その報告がてら、現在の源氏研究における問題点、特に隆盛の背後にある貧困な状態を記しておきます。

 昨日の研究会では、まず、若手の研究成果が発表されました。
 よくある読書感想文に留まらない、原点に立ち戻っての資料に立脚した手堅い研究成果が披露されました。
 現状を打破するためには、こうした地道な成果の積み重ねしかありません。派手さはありません。しかし、重さはあります。

研究・報告(1) 司会・菅原郁子

明融臨模本「柏木」の書き入れ注   神田久義
朱雀院と梅壺女御
  -「院の殿上にさぶらふ左近中将」を起点として- 嘉陽安之
七毫源氏「須磨」巻の本文について  太田美知子


研究・報告(2)
 司会・神田久義

平瀬本「野分」巻の表現世界     菅原郁子
陽明文庫本源氏物語の動詞       中村一夫


 この研究会に参加して毎回思うことに、20人足らずの者で聴くにはもったいない内容だな、ということがあります。
 年度末に、このプロジェクトを取り仕切っておられる國學院大學の豊島秀範先生が、科研の報告書としてこうした成果を掬い上げておられます。
 しかし、やはりこうした活きのいい新鮮な発表は、リアルタイムに共有するところに意義があります。
 今回も、参加者が少なかったのは、その発表の質が高かっただけに、もったいない、の一言が脳裏を過ぎりました。

 つづくフリーディスカッションでは、問題提起と問題点の共有をめざした活発なやりとりが展開しました。




源氏物語本文に関する共同討議
 司会・伊藤鉄也

  豊島秀範/遠藤和夫/渋谷栄一/伊藤鉄也/上野英子/中村一夫/大内英範/斎藤達哉


 ここでの内容も、『源氏物語』の本文研究の急所を突いた、鋭さと前代未聞の意見が飛び交いました。このような内容が、かつて話題になったことがあるでしょうか。
 その場にいた者には、話の流れから素直に入って行けたと思います。しかし、改めて思い直すと、ここで交わされたやりとりは、きわめて基本的なことです。そうであるからこそ、現状に飽き足らない基礎研究の停滞に痺れを切らしての発言が主でした。

 ここでのやりとりのポイントは、『源氏物語』の本文データを共有するためにはどうするか、ということに尽きます。

 大島本の評価、写本に書かれた変体仮名の字母、写本の画像の公開と提供、公開データのフォーマット、検索システムの検討、などなど。
 そして、何のためのデータベースの公開か、そのための目的を確認しておくことの大切さなどが、参加者の共通した課題として残りました。
 そのためにも、若い方々が『源氏物語』の本文について、そのおもしろさを実感してもらうことが急務です。
 その努力を、このプロジェクトは怠ってはいけないのです。
 これからの研究者を視野に置いて、実り多い成果を公開していきたいものです。

 その意味からも、本文研究の台風の目となっている國學院大学の存在を、改めて実感しました。
 このテーマに真正面から取り組んでいる組織は、今、どこにもないのですから。

 次回の研究会は、来る10月10日に開催されます。
 下記ホームページをご覧いただき、1人でも多くの若者が脚を運んでくれることを願っています。


「源氏物語の研究支援体制の組織化と本文関係資料の再検討及び新提言のための共同研究」


 ホームページをご覧いただければお分かりになると思いますが、着実に研究成果が実を結んでいます。

 『源氏物語』を活字の校訂本文だけではなくて、古写本レベルで読み、考える仲間が育っていくことを期待しています。

 最近は、『飯島本 源氏物語』(笠間書院、昨年より刊行中)をはじめとして、私などが古写本を読もうとした35年前に比べると、その研究環境には隔世の感があります。
 古写本が、影印版や写真版で確認できる環境が、驚くほどに整備されているのです。それなのに、古写本に書かれた墨跡を読もうとする若者が少ないと言うことは、古典文学研究の危機と言わざるを得ません。

 今、それらを活用しない手はありません。
 何をどうしたらいいのかわからない方は、『飯島本 源氏物語』の写真を眺め、そして読み出してみてはどうでしょうか。
 手元に『新編日本古典文学全集 源氏物語』があれば、その本文との違いに思いを馳せることになるはずです。
 それが、『源氏物語』の本文の問題に目覚めるスタートになるでしょう。後は、のめり込むはずです。
 飯島本は、今もっとも旬な『源氏物語』の情報の宝庫です。

 上記プロジェクトでは、平瀬本や中京大学本、さらには七亳源氏などの翻刻本文を提供する準備を進めています。
 恵まれた環境を最大限に活かした研究世界に、1人でも多くの若者が集ってくれることを楽しみにしています。


2009年7月25日 (土)

リコール対象商品だったソニーのデジカメ

 私が最初に手にしたデジタルカメラは、アップルの「QuickTake 100」(1994年発売)でした。
 双眼鏡のようなデザインでした。今から思うと奇抜なスタイルです。
 
 
 
090725quictake
 
 
 
 マッキントッシュのノート型パソコンであったパワーブックと同じ色でした。
 撮影後の画像データは、シリアルケーブルでマッキントッシュに転送するのです。これには驚きました。このケーブルがないと、撮影しても見ることができないのです。最初から、デジカメはパソコンと連携していたのです。アップルらしく、「10年先取り」の世界を体験していました。
 35万画素のCCDなので、今の1,200万画素と比べると画像には雲泥の差があります。しかし、それでもパソコンで扱うには不満はなく、画像処理をしながら仕事用の資料にしたりして楽しんでいました。
 当時の値段で、90,000円ほどだったでしょうか。

 その後、ソニーのデジタルスチルカメラ「DSC-F1」(1996年発売)を買いました。
 
 
 
090725sonydscf1
 
 
 
 これも、今では懐かしい形です。レンズの部分が回転するので、自分を撮影できます。自分で自分を見ながら自由に撮影できるカメラは、これが最初ではないでしょうか。
 35万画素で、88,000円でした。

 これ以降、私が買うデジタルカメラは、すべてソニーです。これは、初代バイオ505(1997年発売)と共に、ノートパソコンとデジカメを連係プレーさせていました。

 1980年のマイコンキットNEC〈TK-80〉NECから始まった私のパソコンとのお付き合いにおいては、エプソンの互換機を経てソニーへとパソコンの環境を変えて、今のアップルへと辿り着きました。マイクロソフトとの関係は貴重な体験でしたが、今は無縁となりました。

 デジカメはソニーで通しています。
 そのソニーのデジカメに、欠陥によるリコールがあることを、昨日はじめて知りました。
 これは、私が製品を購入してもユーザー登録をしないせいでしょうか。
 しかし、ソニーからの情報はメールを通してもらっているので、私がそのメールを真面目に読んでいないせいもあるのでしょう。

 問題のデジカメは、サイバーショット「DSC-T3」(2004年発売)です。
 
 
 
0909725sonyt3
 
 
 
 510万画素の薄くてコンパクトだったので、いつも持ち歩いては資料などのデータを収集していました。
 それが、2007年ころから液晶モニタに画像が表示されなくなり、壊れたと思って今の「DSC-T20」(2007年発売)に切り替えました。810万画素のものです。
 
 
 
090725sonyt20
 
 
 
 私のブログの写真は、ほとんどがこの「DSC-T20」で撮影したものです。

 お蔵入りとなっていた「DSC-T3」でした。しかし、来月スキューバ・ダイビングに行く時に持って行こうと思い、取り出したところ、やはりモニタがダメでした。
 ダメで元々と思い、銀座のソニービルに持って行って相談したところ、これがリコールの対象商品で、無料で修理をしてもらえることがわかりました。

 ラッキー、とばかりに修理に出しました。

 ホームページで告知している、とのことでした。しかし、あまり細かく見ていなかったので、このリコールのことは知りませんでした。

 その他にも、娘がペンダント代わりにしていた「DSC-U20」もリコール対象商品だとのこと。

 まだサイバーショットのシリーズは持っていますので、改めてリコール対象商品を調べてみます。
 そして、ついでに修理に出したいと思います。記念品といえども、いい状態で保管しておくことにします。

 ソニーの気長に延長しながらの無償修理という対応は、本当にありがたいと思います。
 今後とも、応援します。

 当面は、今使っている「DSC-T20」が、手ぶれ補正機能の不具合から、撮影するときに突然画面が震えます。
 また、メモリースティックを入れているのに、撮影後に保存されていないことが時々発生しています。
 次は、1,200万画素「DSC-T90」を考えています。

 カメラも、高額ではないとは言え、きりがないですね。
 それでも、パソコンと一緒に情報文具の一つとしてずっと追い続ける自分を、これも性と思い、愛おしみながら付き合っていくことにします。

2009年7月24日 (金)

京洛逍遙(96)スダレ・ペインティング?

 京の街中で、こんなスダレを見かけました。
 
 
 
090713sudare1
 
 
 
 周りの雰囲気との取り合わせに違和感があります。しかし、目を楽しませてくれるので、つい見入ってしまいました。
 
 
 
090713sudare2
 
 
 
 ちょうど、角を曲がったところの家では、こんな感じでスダレがかかっていました。
 
 
 
090713sudare3
 
 
 
 これはこれで、すっきりとした涼しさが感じられます。

 家のまわりを電飾で飾る家があります。
 クリスマスシーズンだけでなく、この夏でも電飾を掲げておられる家がありました。それでは、季節感がなくなります。

 夏はスダレで日本的な雰囲気を演出するのみならず、海外の風景などが描かれていても楽しいかと思います。

 イギリスのコッツウォールズ地方や、スイスの山岳地帯、オランダの花畑、インドの仏跡などなど。

 祇園祭の雰囲気をそのままに、世界中のタペストリーの競演をスダレのペインティングで演出しても楽しいと思います。

 いつの時代も文化の先取りをしてきた京洛では、こんなスダレのパフォーマンスも、暑さを吹き飛ばす1つとなるように思うのですが……。

 我が家にそんな空間がないので残念です。
 可能な方は、これからお盆にかけて考えてみませんか。

2009年7月23日 (木)

新幹線の車中での泣き声

 京都から東京までの新幹線の車中で、ずっと子供が泣いていました。
 乗る前から、列に並んでいる時から泣いていました。
 泣き止まそうとするお母さんの努力には感心しました。しかし、その同情はともかく、乗客の一人としては、とにかくうるさいのは確かでした。

 大声で携帯電話で喋り散らすおじさんやおばさん。
 酒を飲んで喚いているおじさんたちなどなど。
 迷惑な人はいろいろいます。
 しかし、子供が泣き止まないのは、「うるさい」と思う内心の不快感を、どこにもぶつけようがないのです。
 強いて言えば、乗っているのが自由席だったので、もう一本列車を遅らせて、機嫌が直ってから乗車してもいいのでは、と言いたくなります。しかし、お母さんにもこの列車に乗りたい事情があることでしょう。1分でも早く、目的地に着きたいはずですから。

 公共の場所では、お互いの思いやりで保たれることが多いのも事実です。
 子供のこととなると、お互いさまです。

 我が家も、こうした迷惑をかけていたのかも知れません。
 自家用車が普及してからは、子供のことで車内で気を遣うのを避ける意味からも、電車での移動を敬遠する家族が増えたようです。
 そうした背景もあり、電車での子供の泣き声は相対的に目立つようになり、うるさく感じられるようになったのではないでしょうか。

 私はゆっくり本でも読みながら、と思って乗ったので、予定を変更して音楽を聴くことにしました。イヤホーンからの音漏れがないかを確認して、自分の世界に入ることにしました。

 周りから飛び込んでくる音は、雑音であり騒音と感じられることが多いようです。
 東京の中央線で、車内放送で不必要なまでに長い英語の案内が流れます。ここはどこの国だ、と言いたくなります。そんなに長文読解を強いなくても、と反発したくなります。東京人の劣等感からの施策なのではないでしょうか。英語コンプレックスの表れだと思っています。

 海外でも、最近は車内放送が増えました。
 イギリスでは、これまでは次の駅がどこなのか、地下鉄などの路線図をしっかりと見ながら乗っていました。最近は、車内放送が親切になり、それを聴きながら自分が降りる駅を見定められるようになりました。

 移動車中での騒音は、世界的に拡大しているのでしょうか。
 子供を連れてロンドンの地下鉄に乗っていたとき、息子が何度か乗客のおばさんに叱られていました。子供が騒いだり乗車のマナーを守らないと、親の責任としてこれ見よがしに子供を叱る大人がいることを知りました。

 社会的にも、子供の過保護は問題です。しかし、車中での対応は、なかなか難しいものがあります。
 どこにも、悪意はないのです。
 それだけに、感情的にスッキリしないものが残りました。

2009年7月22日 (水)

映画『劔岳 点の記』

 大自然の威力と魅力を堪能できた映画でした。

 全体的に、人間が織りなすドラマ性は極力控え目にしてあります。
 山の自然がメインの映画です。
 それだけに、見終わって、何となく物足りなさを感じました。
 しかし、もう一度観たくなります。

 映像の合成やコンピュータグラフィックを一切排除したところが、この映画の一番の売りです。ただし、自分がそのライブ感覚について行っていないことを痛感しました。つい、眼が人工的な作為に向いているのです。それを無意識に求める自分がいることに気づかされました。
 人工的な映像に慣れてしまっているからでしょうか。

 自然と人間との闘いが中心なので、軍部や家族の扱いが難しかったと思います。
 今回観た限りでは、その配合がどこかぎこちなく感じました。
 生田信は、もっと反抗し、小島烏水も、もっと対立してもよかったのではないでしょうか。
 芝崎芳太郎の妻は、存在するだけで役割を果たしていました。宇治長次郎の妻も。
 女性がポツンと置かれていたので、家族に支えられたドラマ、という説明に説得力を欠きます。
 脇役が優等生的な扱いだったので、そんな印象を持ちました。ただし、主役が自然なので、これでいいのかもしれません。

 次回は、視点を改めて観たいと思います。
 この映画は、映像芸術の原点に立ち返って観ないと、その良さが伝わって来ないようです。

 週末だったこともあってか、映画館は満員でした。年齢層は高かったように思います。
 椅子に座り、じっくりと観ました。
 ドタバタや、アクションや、お涙頂戴のシーンはありません。これ見よがしの感動的なシーンが用意されているわけでもありません。
 画面を観ながら、自分で感じることが求められる映画でした。
 落ち着いて、自然体で観られる映画です。

 もし可能ならば、全編モノクロで観たいと思わせる映画でした。
 朝日、夕陽、紅葉は、セピアで十分です。
 DVDで出たら、そんな観方をしたいと思っています。
 自然を自然として観たので、少し自分のイマジネーションというフィルターを通して観る、という遊びをしたみたくなりました。

 いろいろな意味で、いい映画を観ました。

2009年7月21日 (火)

京洛逍遙(95)下鴨神社の御手洗祭

 下鴨神社の境内の一角に、糺の森の神水が湧く御手洗の池があります。
 みたらし団子は、ここの水の湧き出流る清水の水玉をイメージして象ったものだそうです。
 ここで行われた、御手洗祭に行って来ました。
 
 
 
090720mitarasi1下鴨神社
 
 
 
 参道には、たくさんの出店がありました。射的屋など、懐かしいお店がありました。
 
 
 
090720mitarasi2足つけ神事
 
 
 
 たくさんの人が、御手洗の池で無病息災を祈るために並んでいます。
 1人200円です。
 入口で、灯明をもらって進みます。
 
 
 
090720mitarasi3御手洗の池へ
 
 
 
 この池の水が、とにかく冷たいのです。膝までの深さがあります。
 
 
 
090720mitarasi4善男善女
 
 
 
 ここまで来ると、もう水の冷たさは気持ちよさに変わっています。

 水から上がると、御神水がいただけます。
 
 
 
090720mitarasi5_2御神水

 
 
 
 自分の身をもって御手洗の水の冷たさを体験し、そしてその水を頂いて飲むのです。
 なかなか充実感に満ちた時間を共有できます。単にお祭りを見たというのに留まらないのがいいですね。

 帰りに、来た時にあった鳥居横のみたらし団子を買いました。
 場所がいいのでしょう。長蛇の列でした。
 神事に参加し、お団子をたべられるのが、この行事の楽しいところです。

2009年7月20日 (月)

図書館の資料の切り抜き被害

 井上靖の新聞小説『星と祭』が連載された時の紙面を、新聞から複写して集めています。
 今は、遊び半分でやっています。
 新聞発表時、続く単行本化、その後に全集などに収録される過程で、その文章にどのような手が作者によって入っていったのかを、根気強く調べるつもりです。

 『星と祭』は、『朝日新聞』の昭和46(1971)年5月11日〜昭和47(1972)年4月10日の間、333回にわたって連載されました。そして私は、その連載小説が掲載された新聞のほとんどを毎朝各家に配達していました。そのこともあって、この作品への思い入れが一入の小説なのです。

 当時の新聞の紙面は、今は縮刷版で確認できます。ただし、昭和46年頃の縮刷版を所蔵している図書館は、意外に少ないのです。
 私の職場にも、なかったのです。隣の国語研究所にはありました。しかし、このテーマは自宅で調べたいと思い、折を見て、平安神宮前の京都府立図書館へ通って複写しています。

 先日、第1回の記事から複写をしていて、どうしても見つからないものがありました。
 縮刷版をよく見ると、該当ページが切り取られていることに気づきました。
 昭和46年7月2日の17ページにあるはずの第53回の掲載分です。
 
 
 
090718sinbuncut1切り取られた頁
 
 
 
 よく見ないとわからない程に、奥深い部分から切り取られています。
 巧妙なので、ページを繰っているときには気づきませんでした。ページ数を追っていてわかりました。

 さらに先を見ていくと、7月25日の第76回の直前のページも切り取られていました。
 
 
 
090718sinbuncut2別の箇所でも
 
 
 
 こちらは、前よりも乱暴に千切られています。

 受付の方にお聞きすると、いろいろな本や資料にそうした被害があるとのことでした。
 該当箇所は別の施設の資料から複写して補修するということなので、切り取られた場所のメモを渡しました。ただし、すぐに対応できないので……、と言っておられました。

 私も、この第53回の掲載部分を、どこかで見つけて複写することになります。
 なにやら、面倒なことになりました。

 こうした被害が多いとは聞いていました。
 これまで、切り取られたページに出会ったことがなかったために、今回その実態の一端に触れ、その行為の陰湿さに改めて嫌悪の思いを強くしました。

 今回の新聞の縮刷版は、A4版の大きさなので、高さが30センチもあります。
 一般の小説などの単行本よりも、10センチも大きいのです。
 そして、糸でしっかりとかがってある分厚い本を、押し開きながらでないと、こんなにきれいには千切れません。
 その紙面を巧妙に切り取るのですから、身勝手さと悪意が滲み出ています。

 公共図書館は、高齢化社会のこれからは、ますますその果たす役割が高まります。
 ネット社会では埋められない部分を、形のある本は立派に役だっています。補うのではなくて、共存する性格のものです。
 グーグルが世界中の本をデジタル化したとしても、やはり紙に印刷された本は有益なのです。
 光の点が構成する文字を読むのと、光の反射で視覚化される文字を読むのとでは、その認識のされ方も、印刷された文字の働きも、役割も、目に対する負担も違います。

 図書館の資料を大切にするということが、マナーとしてますます重要になってくると思われます。
 複写機の発達により、手で抜き書きすることはずいぶんと減りました。
 手間を惜しんでの抜き取りは、他の利用者に不便を強いると共に、不愉快にします。
 どうすれば減らせるのか、現場の方々は、盗難と共にその対策に苦慮しておられることと推察しています。

 自分が被害に直面し、その問題点の根深さを知ることとなりました。


2009年7月19日 (日)

新自転車の後輪が破裂−意外なその後

 1週間前に、「新自転車の後輪が破裂」と題する被害報告を書きました。
 この自転車に関して、さらなる被害報告を書き添えておきます。

 今週の月曜日に、ホームセンターの自転車担当の方から電話をいただき、修理に出したが10日ほど待ってほしい、ということでした。
 それが昨日、修理が完了したので受け取りに来てほしい、という電話が入りました。
 素早い対応をしてもらえたようです。

 今日、代車としてお借りしていたママチャリに乗って、自転車を受け取りに行きました。
 フレームはそのままで、後輪をそっくり交換したとのことでした。

 1週間ぶりのかわいい自転車に乗って、平安神宮の前にある京都府立図書館へ行きました。

 最近は、週末になるとこの図書館へ来て、いろいろと調べものをしています。
 自宅の周辺では、ここが一番資料をたくさんもっているからです。
 この図書館で、小さなハプニングがありましたが、それはまたこの次にしましょう。

 話は、修理が終わった自転車のことです。
 後輪のタイヤは、どうやら車輪をはみ出すこともなく、それなりに丸く納まっているようです。
 その替わりと言ってはなんですが、変速レバーを最速にすると、後輪の歯車とチェーンが擦れて引っかかる音がするようになりました。それも、大きな音が、漕ぐたびにするのです。
 そうこうするうちに、いくら漕いでも、前に進まなくなりました。交差点の真ん中でそうなったときには、必死に漕いでも前に行けないので、降りて押して交差点内を脱出しました。車に跳ねられそうになりました。

 よくよく調べてみると、漕いでいるペダルのところの歯車にかかっていたチェーンが、何と外れていたのです。
 指で元通りにチェーンをかけて、また走り出したのですが、しばらくしてまた足で漕ぐ感触がなくなります。
 こうして、4回もチェーンが外れて漕げなくなりました。
 これは危険だと思い、またまた、今朝のホームセンターの自転車売り場へ行き、症状を説明しました。
 担当の方は、しばらくドライバーなどで調整しておられましたが、20分以上もしてから、これは工場でないと直せない、とおっしゃるのです。修理に出すので、また預からせてほしいと。

 私は、それには同意しませんでした。別の同等品と交換してほしいと提案しました。すると、この車種はもう売り切れて、ここにはないとのことでした。
 10台仕入れ、すべて売れたが、クレームがついたのはこの1台だけだそうです。しかし、これが乗れない自転車であることは、担当者が一番よくわかっています。

 今店にあるものでは、その横にあった別会社のシルバー色の別デザインのものしかありません。
 購入するときに、アウトドア用品では知名度の高い会社の商品なので、信頼できるということで買ったのでした。
 サマーセールでもあったので、ホームセンターでは普通の価格帯の自転車です。数十万の高級自転車ではありません。
 色とデザインなどが気に入ったのです。しかし、今ここに並んでいる折りたたみ自転車は、色も形も不満があります。
 しかし、もうそれでもいいので、交換してほしいと言うと、同じ値段のものは変速機が付いていないと言うのです。

 京都は、北に上るほど緩やかな勾配があります。
 我が家は、京都駅前の京都タワーの真北に位置しますが、そのてっぺんくらいの高さにあります。
 そんな京洛を走るのに、やはり変速機は必要です。市内へ行くときは漕がなくてもいいくらいですが、帰りには少しずつきつくなります。
 それでは、変速機付きとは交換できないのかと聞くと、3000円追加になる、とのことでした。

 20年前だったでしょうか、マツダのファミリアに乗っていたとき、高速道路上で突然エンジンが止まってしまったことがありました。大雨の時でした。なんとか脱出し、救出してもらった後、もうこんな恐ろしい車には乗れないと言ったところ、マツダの担当者が2人来て、新車を手配するが70万円は支払ってほしいとのことでした。いろいろとやりとりをしたのですが、とにかく妥協してお金を払って乗り換えたことがあります。
 いまだに、あのマツダの対応は間違っていたと思っています。また、その車はその後欠陥が見つかり、リコール対象車になったのです。ところが、私のところへは何の連絡もありません。
 そのまま乗るのも危険だと思い、マツダに連絡したところ、「大丈夫でしょう」というのを「とにかく見てくれ」と頼んで来てもらったところ、やはり私の車も部品に欠陥がありました。走行中にドアのロックが開くという恐ろしい車でした。
 このいいかげんなマツダのことは、拙著『新・文学資料整理術パソコン奮戦記』(昭和61年11月、桜楓社)の「欠陥商品と付き合う法」という項目で詳しく書きました。よろしければ、ご笑覧を。
 そうそう、日産のセドリックは、走行中にエンジンが焼き付きました。
 トヨタのクラウンは、信号で停車したときに、排気筒がゴロンと外れました。
 いやはや、欠陥商品の話は、思い出すときりがありません。

 さて、そんなことを思い出しながらも、今回も3000円を支払うことで、別の自転車に乗り換えることに決断しました。
 今回についても、2回も車道で危険な思いをしているのに、その上またお金を取られることに不満があります。
 しかし、こんなことで揉めても、という思いがあるので、妥協して、じっと我慢して言われるままに手続きをしました。

 ところが、担当者の方も、そうとう私のことが気の毒に思われたのでしょう。電話で、上司の方に今回の経緯をいろいろと説明しておられました。そして、上司の了解を取り付けました、と言って、3000円の差額徴収なしでこの別の自転車と交換してもらえることになりました。

 不幸中の幸いと言うのでしょうか。
 家族に言うと、あたりまえだ、と言うのですが、量販店でのこうした臨機応変の対応は、なかなかできない仕組みのはずなのに、よくやってくれたと、被害者であるはずなのに感謝の気持ちがあります。
 手続き的にも、これまでの登録を抹消し、新たに登録し、返品処理と販売処理を手際よくしてくれました。
 私は、これを誠意として受け取りました。

 ということで、3回しか乗らなかった黒い折りたたみ自転車と、新たに手にすることになったシルバーの折りたたみ自転車を並べて、勝手に乗り継ぎ式を1人でしました。
 
 
 
 パチリ
 
 
 
090718jitensya2黒から銀へ
 
 
 新しい自転車で家に帰って新聞を見ていたら、京都新聞に「リコール中の自転車で重傷」という記事が目に入りました。
 前輪とハンドルを支える支柱が折れて転倒した男性が、重傷を負ったとのことです。不完全な溶接から亀裂が入ったために起きた事故だそうです。
 無償で部品を交換中だったそうです。

 いやーっ。いつ何が起こるかわかりません。
 今回も、運が悪ければ、走行中に後輪の破裂したことにより転倒したかもしれません。
 今日も、交差点の中で漕いでも漕いでも進めない状況で、そうとは知らずに進入してきた車に跳ねられても不思議ではありません。
 紙一重の運の中で生きていることを、また身をもって体験しました。

 そういえば、これまでに何回も、死んでいて当然の事態に出くわしても、こうして無事に生きているのです。
 まだ死ぬ時期ではないからでしょう。
 そう思うことにします。その方が、気楽ですから。
 人様からお気の毒に、と言われないように、ありのままにスーッと死ねたらいいな、と思っています。

2009年7月18日 (土)

愛用のブックカバー(3)

 ブックカバーは、気に入ったものがあると手にしています。

 半年前に、愛用のブックカバー(2)を書きました。
 その後のものとして、最近のものを紹介します。

 次の写真は、先週の祇園祭の舞台となった新町通錦小路で、呉服屋さんなどが大売り出しをしていた時に買ったものです。
 
 
 
090713bookcover
 
 
 
 これらは、すべて、和雑貨小物を扱う「くろちく」さんのものです。

 左側が四六版の大きさ、その右が新書版、そして下の右から2つ目が文庫版、その右がシステム手帳です。

 これらは、綿に和柄がプリントされたものです。
 私が好きな青海波の模様を、やっと見つけました。上段の3点がそれです。
 いずれも1点500円だったので、祇園祭の時の掘り出し物は注目です。

 祇園祭の大バーゲンは、昨日で終わりました。
 また来年を、楽しみにしたいと思います。


2009年7月17日 (金)

インドにおける知的財産

 私にとっては非常に手強いテーマですが、興味があったので以下のセミナーに申し込み、自主参加してきました。

■セミナー「インド・タイ・ベトナムの現状と知的財産動向」
 (主催︰国際・大学知財本部コンソーシアム)
 (会場︰キャンパス・イノベーションセンター東京)

 参加者は60人ほどだったでしょうか。女性が少なかったのは、インドにはまだ魅力を感じないからでしょうか。
 私が知っている人は誰もいません。まったく畑違いの分野のセミナーです。

 無謀なセミナーへの参加ですが、インドに関する理解を少しでも深めようと、本当にがんばって聴きました。
 消化不良ではありますが、自分が後で思い出せるようにしておく意味からも、感想だけを記しておきます。
 これこそ、個人日記であるブログの利点です。
 後で、いつでも、どこでも、思い出すときの手がかりとなるメモになるのですから。

 さて、最初は、インド出身の慶應大学Mukesh K Williams先生の講演でした。

 演題は「インドの最近の産業の状況、インドと日本の関係(仮題)」となっていました。
 しかし、実際には「日本と途上国:貿易と知的財産権の保護の拡大と再定義」でした。
 題目からどう考えても、私にはその内容がわかりません。
 とにかく、聴くことにしました。

 お話の内容は、インドの国内産業の状況と日本との関係についてでした。
 ただし、最初の挨拶だけが日本語で、後はすべて英語でした。これは、私には苦痛な時間です。

 まず、自分は時間を守って発表する、ということを何度も強調されました。これに対して、会場は無反応でした。
 みなさん、インドの方々は放っておくと延々と喋る、ということをご存知ないのでしょうか。私は、この前置きの意味がわかりました。しかし、お話の内容は、ほとんどわかりませんでした。

 会場参加者は、最初は、英語ということでしっかりと耳を傾けておられました。しかしみなさん、話の内容の密度が濃くなさそうだったことと、自分の考え方を述べることが主だったせいか、おもしろさに欠けることに、だんだん気付かれたのでしょうか、居眠りや生あくびが目立ち出しました。
 具体例のない、ただの個人の意見は、英語のヒアリングの練習にしかなりません。
 英語がまったくわからない私に言う資格はないのですが、まわりの様子からそんな印象を持ちました。
 非礼をお許しいただけるならば、中身がないインドのガイドブックを読み上げておられたのではないか、という感想です。
 すみません、周りの反応と、私がわかる程度の理解だけでの印象なので、お許しください。

 次の発表者である山名美加先生によると、Mukesh先生はインドでのその分野では天才だとのことでした。
 しかし、その分野には素人である私には、英語の理解力の乏しさもありますが、退屈でした。ことばの壁は厚かったのです。
 会場にお集まりの方々は、みなさん英語の堪能な方々なのでしょう。
 しかし、ことばにハンディキャップを持っている人にもわかってもらおう、というプレゼンテーション上の工夫も、必要なのではないでしょうか。特に、日本という場所で英語で発表する場合には。国際会議と銘打っているようでもなかったので。それとも、この分野のセミナーでは、英語は必須の道具なのでしょうか。
 素人が無責任に言っていることなので、お許しを。

 そして、やはり25分という持ち時間は守られませんでした。


 次の山名美加先生は、関西大学法学部の先生で、内閣府総合科学技術会議知的財産戦略専門調査会専門委員という、いかにもお役所的な名前のところでも活躍なさっている方のようです。

 最初題目は「インドの産業風土と最近の知的財産の状況(仮題)」でした。
 実際には、「インドの産業風土と近年の知的財産事情」でした。

 これは、非常に充実した内容で、インドに対する新しい知見をたくさんいただきました。
 日本語による話だったと言うこともあります。持ち時間も2時間とたっぷりあり、資料も48ページもあるものでした。
 「IT」は「インフォメーション・テクノロジー」ではなくて、「インディアン・トゥデー」とか「インディアン・トゥモロー」だというのは、なるほど、と思いました。
 そしてインドは今、製薬産業・バイオテクノロジー・医療の分野で、世界の最先端を担っているし、これからもますます発展するという趣旨の話は、これからインドの方々とお付き合いする上で、非常に参考になる新知見でした。

 話の内容は、よくわかりました。しかし、あまりにも情報が多種多彩で、限られた時間では意を尽くせなかったと思います。最後は、そうとう割愛しての早足でした。
 それでも、具体例が豊富で、おもしろく聞くことができました。
 いつか、またお話を伺いたいと思います。
 ご本人が実際に出歩いての調査と情報収集が背景にあるので、その語られる内容が人に伝わりやすいのでしょう。
 体験に裏打ちされた話は、聴いていてもおもしろく、納得しやすいと思います。
 ただし、時間を相当オーバーなさっていたので、これには気力体力が追いつきません。
 内容が盛りだくさんで、かつ幅広すぎたのかな、という印象をもちました。

 人前で話をするということは、本当にむつかしいものです。

 このセミナーで話を聴いている最中に、なんとインドからメールが届きました。
 日本のものをヒンディー語訳しておられる方からの、『源氏物語』の和歌に関する質問でした。
 あまりにもタイミングが良かったので、その偶然のおもしろさについて考えたりもしました。

2009年7月16日 (木)

小林茂美先生を送る灯

 昨日、5月12日にお亡くなりになった恩師小林先生の奥さまにお電話を差し上げたところ、明日は送り火を焚いて見送る日なので、よかったら一緒に送ってもらえたらあの人も喜ぶでしょう、とのことでした。

 いろいろなことがあり、まだ先生とは直接にはお別れをしていなかったのです。

 関東地方のしきたりなのでしょうか、関西よりも一月も早い習慣のようです。とにかく、今日は、東京地方では、亡き人を送る日なのです。
 立川からの仕事がえりに、先生の田無のご自宅に寄る予定でいたところ、ちょうど娘が上京中だったので、待ち合わせて一緒にお参りすることにしました。

 20年ほど前に、幼なかった娘を連れて、妻と共に先生のお宅に伺ったことがありました。その帰りに、奥さまから娘に、大きな熊の縫いぐるみをいただきました。

 玄関に入るが早いか、先生の魂がここにあるうちに、さあさあ、ということで、ご仏前に手を合わせました。
 いい写真でした。
 横に小さな骨壺がありました。分骨するものだと。

 奥さま、お孫さん、私と娘の4人で、暗くならないうちにということで、急いで車庫で送り火のオガラを点火しました。
 
 
 
090716okuribi1点火
 
 
 
 少し風が強かったこともあったのか、オガラはよく燃えました。
 
 
 
090716okuribi2送り火
 
 
 
 その時、突然ですが、少しだけですが、雨が降りました。
 奥さまは、涙雨ですね、あの人もあんなに引っ張り回した伊藤さんにこうして送ってもらって、さぞかし喜んでいることでしょう、とつぶやいておられました。
 すぐに雨は上がりました。不思議な雨でした。なんだったのでしょうか。

 奥さまの旧姓は、私と同じです。そして、お父様は、私の父と同じく川柳をよくする方でした。
 私の父の遺稿句集を、喜んでくださいました。
 今日は、奥さまのご実家が曹洞宗で、おまけにウサギ年だということがわかりました。
 一緒です、一緒です、と大いに盛り上りました。

 先生の話を散々した後だったので、仏さまそっちのけで話が弾んでも、許してもらえたことでしょう。
 とにかく先生ご夫妻には、私も妻も大学1年生の時以来、親しく、かつ厳しく接していただきました。
 8月8日には、教え子たちみんなでお別れの会を開きます。
 その時に、また先生との思い出話に花が咲くことでしょう。

 今日は、煙と共にお見送りすることができました。
 お孫さんは、おじいちゃんは牛車で上っているから、きっとまだその辺にいるよ、と……。
 私の3番目の息子と同じ二十歳です。しっかりしているので、感心しました。

 長い時間、奥さんと思い出話をしました。
 きりがありません。
 先日、刊行されたばかりの『源氏物語別本集成 続 第六巻』を手に、小林先生と伊井先生と私の3人が編者として名前を連ねていることの説明をしてくれとのことだったので、またまた話が続きました。

 娘が夜行バスで帰る時間になったので、名残惜しいところでお暇することにしました。
 もっとしゃべりたいから、ということで、奥さまは駅までの道々しばらく見送ってくださいましたが、電話で呼び出されたのを潮に、お別れしました。

 奥さまの体調がよくないとのことでした。そのこともあって、お参りをする時期を考えていたのですが、今日の様子では体調は戻っておられるようでした。
 次は、8月8日に、妻と共に昔話ができることを楽しみにしています。

 小林先生のご冥福をお祈りしながら、楽しい話が奥さんとできるのは、これも家族ぐるみでいい関係だったからでしょう。
 先生との出会いからこれまでに感謝しています。

 さようなら。

2009年7月15日 (水)

京洛逍遥(94)祇園祭と源氏絵屛風

 祇園祭では、たくさんの山鉾が出ます。
 その中でも、新町通りの南観音山が立つ側の呉服屋では、ご持参の貴重な屏風絵を、一般に公開しておられます。
 
 
 
090714yamakara店先の奥に源氏屏風が
 
 
 
 ご主人の了解を得て、公開されている屏風絵を、じっくりと見せてもらいました。
 そして、写真までも。
 
 
 
090712genjie1店頭風景
 
 
 
 まず、上がって左に、若紫などが描かれたものがあります。
 
 
 
090712genjie2「若紫」ほか
 
 
 
 有名な、雀が逃げた場面は、こんな絵になっています。
 まずは、雀がはいっていた鳥かごです。
 
 
 
090712genjie3雀が入っていたカゴ
 
 
 
 そして、逃げた雀です。
 燕のような雀です。
 源氏絵の雀は、さまざまな形をしています。これは、正統派ともいえる雀です。
 
 
 
090712genjie4
 
 
 
 その奥の間には、空蝉などの屏風があります。
 
 
 
0990714nomuraleft空蝉など
 
 
 
 有名な、囲碁をしている場面は、こんな感じです。
 これまた、しっかりと描かれています。
 
 
 
090712genjie6「空蝉」の囲碁

 奥の間の右のものには、桐壺などが描かれています。


090714nomuraright「桐壺」など
 
 
 
 その手前には、洛中洛外図屏風で、祇園祭が描かれていました。
 
 
 
090712genjie8洛中図の祇園山鉾
 
 
 
 祇園祭では、格式の高い家は、ご自慢の屛風を披露なさいます。
 コンチキチンの祇園囃子を聴きながら、各家のお宝物を見て歩くのも、なかなか楽しいものです。

 南観音山で買ったチマキを、我が家の玄関に飾りました。
 蘇民将来のチマキです。


090714timaki南観音山のチマキ
 
 
 
 文化が今に伝え続けられていることを、こうした機会に痛感します。
 さまざまな形で継承されているものごとが、我々に伝統というものの意味と意義を気付かせてくれます。
 日本らしい匂いと感触が、直に肌身に感じられる行事の一つとして、祇園祭は貴重な体験の場となっています。


2009年7月14日 (火)

京洛逍遙(93)京都駅前の10年後を予想

 京都新聞に、JR京都駅北側の旧近鉄百貨店京都店跡地に建設予定だった、ヨドバシカメラに関することが報じられています。

 それによると、地上8階地下2階、8月着工、来年10月開業の予定となっています。
 その外観は、大阪の梅田店などと同じ全面石張りで、1階にアーチ状の回廊があります。
 
 
 
090713yodobasiヨドバシカメラ完成予想図
 
 
 
 開発担当者は、こう述べていました。


梅田店や秋葉原店で定着した外観のイメージを京都にも持ち込みたい(ヨドバシ建物営業部、東京都)


 これを読んで、ン、と思いました。

 これは東京発想です。「京都に持ち込む」という意識では、はたしていつまで営業がつづくことやら。
 こんな低レベルの意識で進出するのであれば、先は見えています。
 リサーチが貧困のままに、計画を進めているようです。

 確かに、京都は先進のものと古いものがうまく共存する街です。
 新しいものが東京以上に取り入れられ、合わないものはドンドン取り去られていきます。
 極端な新旧の共存、そこが、京都の魅力でもあります。

 そんな地に、この営業部の感覚では、受け入れられないと思います。
 駅前なので、観光客は足を向けるでしょうが、地元民は行かないでしょう。
 こんなコメントを最初に出すようでは、営業戦略の見直しが早急に求められることは必定です。
 そして、この人たちには、受け入れられるという意識がないようなので、京都にとっては不要な企業でしかありません。

 おもしろいので、私の予想を記しておきます。

 5年以内に、京都駅西端にあるビックカメラは閉店する。
 10年以内に、ヨドバシカメラが閉店する。
 京都駅南のソフマップは、固定客の支持を得て存続する。
 そうこうするうちに、寺町筋の電気店が、時代の流れを感じて対策を打ち出す。

 あくまでも、素人の無責任な予想です。

 それでは、この旧近鉄百貨店京都店・ヨドバシカメラ跡地には、次は何が建つのでしょうか。
 私は、京都に関する一大情報センターが誕生するのではないか、と思います。
 これは、世界中の歴史的文化国家との、人々の交流も視野に入れたものであるはずです。

 世界文化の坩堝としての施設が、京都にあってもいいのではないでしょうか。
 その中には、国際異文化理解コミュニケーションのためのアニメやマンガがあってもいいでしょう。
 現在、烏丸御池にある人気の国際マンガミュージアムをここに移設し、膨大なマンガ資料と共に、文化を享受する場としての機能も有効に働くようにしたいものです。
 市内に散在する国際関連施設も、ここにアンテナを張ればいいのです。

 現在、京都市は市内の移動手段としての自転車の活用を検討し、すこしずつ実現しています。
 自動車を減らすことから、四条通りの車線を半分にする実験が進行中です。これには、大賛成です。
 この京都駅前から、市内各地の文化施設までの交通手段の確保も、世界中から集まった人たちとの交流を促進するいい機会となるはずです。

 こんな税金の使い方も、あってもいいのではないでしょうか。

 以上、妄言多謝。

2009年7月13日 (月)

京洛逍遙(92)祇園祭の山鉾立て

 夏になると祇園祭で賑やかになります。
 あの祇園囃子のリズムは、気持ちを明るくします。
 近所のスーパーでも、一日中コンチキチンが流れています。

 欠陥自転車を乗り捨て、借り物のママチャリに乗り換えた後、山や鉾を組み立て始めた四条新町・室町界隈を散策しました。
 四条通り沿いの函谷鉾は、烏丸四条の交差点に近いため、長刀鉾とともによく知られています。
 
 
 
090712yamaboko1函谷鉾
 
 
 
 前掛けは、皆川泰蔵作「モンサンミッシェル」です。
 
 
 
090712yamaboko2「モンサンミッシェル」の前掛け
 
 
 
 フランスのノルマンディー地方の海岸に浮かぶ、日本人に馴染みのある世界遺産です。飛行船と気球が現代的です。
 私も一度行ったことがあるせいか、今の京都に違和感はありません。
 函谷鉾の前懸けというと、重要文化財となっている「イサクに水を供するリベカ」のタペストリーが有名です。しかし、私は、この「モンサンミッシェル」の方が好きです。この異文化が交流するさまがいいのです。

 次に、南観音山を見に移動しようとしたところ、四条室町の角で鶏鉾の曳き初めに出会いました。
 
 
 
090712yamaboko3鶏鉾
 
 
 
 たくさんの人が取り囲んでいます。
 屋根の上に年配の方が2人おられました。炎天下、体調を崩されないことを祈りました。

 南観音山は、まだ組み上げる途中でした。
 
 
 
090712yamaboko4未完の南観音山
 
 
 
 これができあがると、こうなります。
 
 
 
090713minamikannon南観音山
 
 
 
 この南観音山に来たのは、ここで『源氏物語』の屏風をみるためです。
 このことは、次回に記します。

2009年7月12日 (日)

新自転車の後輪が破裂

 私が購入するものには、欠陥がつきものです。
 これもその1つです。

 先週末に、折りたたみ式の自転車を買いました。
 自宅の玄関先に自転車が3台もあると、何かと邪魔です。そこで、折りたたんで倉庫にしまえるようにと思い、小さくなる自転車を購入しました。

 早速、昨日よりおもしろく乗っていました。ところが、2日目の今日、走行中に後輪のタイヤが丸い枠からはみ出し始めました。大急ぎで、購入した出町柳にあるホームセンターへ持ち込みました。
 
 
 
090612bycecle1膨らんだ後輪のタイヤ
 
 
 

 お店の人が、まず空気を抜いて、タイヤを押し込んで収め、やおら空気を入れ始めたときのことでした。
 またまた、タイヤが枠の外に飛び出した、そのすぐ後に、突然大きな音がしたかと思うと、なんとタイヤが破裂したのです。
 タイヤの色が変わっています。
 
 
 
090712bycecle2破裂した後輪
 
 
 
 空気を入れすぎたのではないのに、大事になりました。
 私も傍で覗き込んで見ていたので、目の前でタイヤが大きな音と共に破裂したときには、心臓が一瞬縮こまりました。

 結局、メーカーに修理を依頼することになりました。
 いつものパターンです。
 そして、代車としてのママチャリを貸して貰いました。変速機もなく、前輪がギコギコと鳴る代物です。
 これも、いつものパターンです。

 欠陥商品を渡され、そのために煩わしい思いをすることには、もう慣れています。
 またか、と諦めが早くなりました。
 事故に巻き込まれず、怪我もないので、不幸中の幸いというべきでしょう。

 私とのお付き合いの長い方は、またか、という一言でしょうか。
 そうなのです。いまだに、欠陥商品を手渡されています。
 コンピュータ、自動車、電化製品などなど、これまでにもたくさん報告しました。
 また1つ、被害報告が増えました。

2009年7月11日 (土)

京洛逍遙(91)文系趣味人向けの古本屋

 所用があって北野天満宮へ行く途次、上御霊前通りの目立たない一角に古本屋さんを見つけました。
 
 
 

090711books1西向き、大宮通りから
 
 
 
090711books2東向き、大宮通りの先が堀川通り
 
 
 
 意外なところにあり、新しそうだったので入ってみました。
 中は小綺麗で、本の扱い方に温かみが感じられました。
 本を大切にしておられる方の店であることが一目瞭然でした。
 
 
 
090711books3店内
 
 
 
 手前の土間の部分には、文庫・新書・歴史・民俗・文化・絵画・歌集などがありました。
 写真の手前のテーブルには、水俣病に関する本が並んでいます。
 お店の方に尋ねると、水俣病に関する法案が通過したので、特集のコーナーを作った、とのことでした。
 確りとしたポリシーの持ち主で、お店も気に入りました。
 開店は、2009年3月10日です。京都西陣ですが、少し外れでしょうか。

 その奥には、靴を脱いでスリッパに履き替えて上がります。それでも、見てみようと思わせる文学関係の本が並んでいました。
 値段も、そんなに高くはありません。妥当な値がつけられていました。
 私が持っていない井上靖の本などがあり、何冊かほしかったのですが、今日は見学です。

 古典関係では、国語学に関するものが揃えてありました。
 これも、お店の方に聞くと、奥さんが大学院で副詞のことを研究しておられるとのこと。このコーナーは、奥さんが担当しておられるそうです。
 どうりで、文化系の人間がつい目を惹かれる本が取り揃えてあるはずです。
 こんな品揃えの古本屋さんは、初めてみました。
 とにかく、少し、というよりも、相当、文化系の方にシフトした玄人好みの本が並んでいます。
 こんな本屋さんを探していました。

 最近、新本屋さんには、私が欲しい本が並んでいません。
 古書店も、通俗に脱しています。あっても、古くささが充満しています。
 どこかにあるはずだ、と思っていました。それが、ここにあったのです。

 さらには、この板の間の左側には、喫茶コーナーのカウンターがあります。
 なかなか洒落ています。

 お店の真ん中の棚には、九州の特産品が並べてありました。
 
 
 
090711books4九州名産
 
 
 
 写真上段右には、北九州名産のくろがね堅パンがありました。
 これは、大正時代に八幡製鉄所が作業員の補給食として造ったものです。

 その左には、五島名産のかんころ餅。

 下の段の右には、水俣病の方々が造られた洗剤や石鹸などなどなど。

 壁には、仲間が作ったという刺繍した小物などがありました。

 私は、手持ちの本の処分を考えていました。
 どこに持ち込もうかと。
 ブックオフなどへ二束三文で持って行ってもいいのですが、私が読んだ本などを欲しいと思う人が、ブックオフに出入りすることはないでしょう。
 街中の古書店も考えたのですが、本の扱いが雑な店が多いのです。

 本を買うときには、やはり1冊一万円以上するものが多いので、それなりに真剣に考え、検討して購入します。そうであるからこそ、なかなか手放せないのです。
 その点、この店は、出来たばかりとはいえ、本に愛情を持っておられるのが伝わるのです。
 我が本の処分にあたって、第1候補としたいと思います。とにかく、金額など問題ではなくて、欲しいと思われる方との出会いがある場所ならば、どこでもいいのですから。

 お店の方と、少し話をしました。
 確りとした考えの持ち主で、割り切る中にも、本に対する思い入れが感じられました。
 私に何かできる、ということはありません。しかし、こうしてブログで紹介することはできます。
 いただいた名刺に、次のような地図がありました。
 
 
 
090711books5
 
 
 
 京都へお越しの節には、少し不便なところにありますが、この本屋さん「KARAIMO BOOKS」を覗いて見てください。
 ホームページでも、情報発信をしておられます。

 京都には、一乗寺の有名な本屋さんを初めとして、個性的な本屋さんがたくさんあります。
 この古書店も、文化系の専門的な知識に拘った視点での書籍の収集と店頭販売を、今後とも自信を持って続けてほしいと思います。

 意外と、こうした本屋さんを求める仲間は多いのです。
 ただし、この場所はなかなか行き着けないのが問題ではありますが……。

2009年7月10日 (金)

カイロのお役人さんのお話

 国際交流基金のカイロ事務所の佐藤さんのブログは、とにかくおもしろいのです。

 本日の話は、車を現地で入手する過程での、日本とは違うお国柄がわかるものです。

「新車がやってきた」

 こうした現状を聞くと、日本がどんな国かよくわかります。
 日本も何かと問題があるにしても、それなりに理解の出来る実態ではないでしょうか。

 佐藤さんには、インドで大変お世話になりました。
 以来、活動的でアイデアマンの佐藤さんには、さまざまなことで刺激を受けています。
 この「カイロ・ダイアリー」は、とにかく要チェックです。
 生きた異文化交流を、実話として実感できます。

 最近のものでは、「当世エジプト結婚事情」は必読です。

 来月、カイロへ行く予定でいました。しかし、佐藤さんのアドバイスで延期しました。

 世界中の方々と、気楽に日本の文学や文化について語れる場所を探しながら、私も今後とも各国のみなさんと交流を続けて行きたいと思います。
 外国語が堪能な方々の活躍は承知しています。
 そうではなくて、英語もできない者がとにかく日本語で語りかける、そんな手作りの国際ネットワークができれば、と思っています。

2009年7月 9日 (木)

井上靖卒読(81)「母の手」「旧友」「めじろ」

■「母の手」
 母の細い手が語られます。
 1人は、戦地に行く息子の母、もう1人は、勉強のために下宿へ帰る息子の母。
 子を思う母の、手の表情がさりげなく描写され、息子の状況を示しています。
 一編の詩と言うべきものです。【2】

初出紙︰大阪毎日新聞京都版
初出日︰1938年6月30日

井上靖小説全集 1︰猟銃・闘牛
井上靖全集 1︰全詩篇・短編1

*「カレッジ・セクション 学生文芸」欄に、「高木幸吉」の筆名で掲載。


■「旧友」
 銀座で2人の男が出会います。
 旧懐の情が友情へと展開していきます。
 銀座と戦地という異空間が、2人を近づけて行くのです。
 詩を少し抜け出た、想念の世界を描こうとしています。
 井上靖における、銀座の初登場となる作品です。【2】


初出紙︰京都帝国大学新聞
初出日︰1940年5月5日
*「新人コント集(1)」として発表


井上靖小説全集 1︰猟銃・闘牛
井上靖全集 1︰全詩篇・短編1


■「めじろ」
 人の心の断片を述べたものです。
 井上靖にとっての、十一面観音の初出です。
 ゆっくりと成長する青年が描かれています。【2】


初出紙︰京都帝国大学新聞
初出日︰1941年3月5日

井上靖小説全集 1 猟銃・闘牛
井上靖全集 1 全詩篇・短編1


〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/

2009年7月 8日 (水)

新写本『源氏物語』を平等院に奉納する愚行

 朝日新聞の7月2日(木)付け夕刊に



「源氏物語」平成の写本

  平等院に奉納「宝に」


という記事が掲載されました。

 『源氏物語』の受容史から見ると、あまりにも愚かな行為であり、報道のされ方に、信じられない思いでいます。

 このことに関して、貴重な事実の記録として、以下に認めておきます。

 平成の『源氏物語』と朝日新聞が呼ぶこの新写本54冊が、このたび書写を終え、宇治の平等院に奉納されたということです。
 それを受けて、6月20日に鳳凰堂の国宝・阿弥陀如来坐像の前で、法要が行われたのだそうです。
 新聞には、その法要の折の写真が掲載されており、阿弥陀如来の前に桐箱が見えています。

 ことの経緯は、古筆学者が、「紙、筆法ともこれだけ見事な写本は、どこかに残さねば」と高く評価して、平等院への仲立ちをしたことに始まるようです。

 書家は、この古筆学者に師事して平安の古筆を学んだ方です。
 4年前に思い立ち、1年で54冊を書き終えたそうです。

 この写本は、その料紙がすばらしいとのこと。
 古筆学者の指導で、料紙作家が、継ぎ紙、色紙、金銀の切箔・砂子など、平安以来の技を駆使した写経料紙1100枚を、1年半で作りあげたのです。
 また、筆は、十五世藤野雲平作の紙巻筆を150本、墨は30~40年前に作られた国産の油煙墨を用意した、とのことです。
 写本の装丁も、「粘葉装」(「綴葉装」の間違いでは?)による製本です。

 とにかく、書写される冊子の姿形は本格的なものです。実物は、実際にみごとなのでしょう。

 それなのに、問題だと言えるのは、そこに書き写された『源氏物語』の文章が、以下のようなものだということだからです。

岩波書店の日本古典文学大系をテキストにし、漢字はなるべく仮名に置き換えた。


 なぜ、それまでは用意周到にしておいて、最後にその紙に写す文章が、現代の活字で刊行されている流布本なのでしょうか。
 おまけに、漢字で印刷された部分は、なるべくひらがなで書くようにした、とのこと。
 大系本の校訂本文では、当てた漢字にふりがなを付すことによって、底本である大島本の元の表記に戻れるように工夫されています。「仮名に置き換えた」というのは、このふりがなの部分を採用した、ということなのでしょうか。

 それにしても、今回書写された『源氏物語』の文章は、一体何なのでしょうか。
 後世に、ここに書かれた文章を研究対象とし、平安時代の『源氏物語』の本文の有り様を論じる人は、おそらく生まれないとは思いますが、これをあまりに有り難がっていると、それこそ笑い話ではすまない事態が出来しかねません。

 平等院の住職の談話は、次のようになっています。

単に千年前をトレースするのではなく、新しい『源氏』が生まれたととらえている。次の千年のため、平等院がある限り、寺の宝物として残したい

 愚かな書写者と古筆学者と住職さんたちは、みなさん善人だと思います。
 それだけに、知らなかったこととはいえ、後世に顰蹙をかい、そして知らない人を混乱させる事態を引き起こすことが明らかな愚行を、今、何とかできるものならば取り繕ってはいかがでしょうか。

 最低限、この写本の54帖の各冊に、

岩波書店の日本古典文学大系をテキストにし、漢字はなるべく仮名に置き換えた。


という識語を、大きく明記しておくのが、せめてもの誠意ではないでしょうか。

 恐れていた新たな異本を、いとも簡単に、こうして善男善女が作ってしまいました。

 このテキストとは、おそらく大島本を忠実に復元しようとした『新 日本古典文学大系』だと思われます。旧大系本は、宮内庁書陵部蔵の三条西家本が底本です。それよりも、新大系の方がいいと思います。しかし、この活字本を新写本の親本にするとは、あまりにも現代的な無知さに、恥ずかしくなります。
 せめて、大島本の複製版を臨書していたら、少しはその意味がなくもないと言えます。陽明文庫本の複製版なら、もっとよかったと思います。すくなくとも、古写本の影印本を親本にすべきだったのではないでしょうか。
 そうでないからこそ、漫画的な展開になっているのです。

 新大系の校訂本文を作成なさった室伏信助先生は、同じ新大系本でも、再版になると本文に手が入っているので、引用するときには自分が第何版の本文を用いたかを明示すべきだ、とおっしゃっていました。

 今回の新写本の親本が、この新大系本だとすると、識語には第何版の活字本を用いたのかも、明確にしておかれたらいいかと思います。そうでないと、後世、書写誤りがある、と指摘されかねません。もう、落語です。

 最後に、この記事を書いた朝日新聞の記者の方へ。
 いつか、この記事の取り上げ方を、『源氏物語』の受容史という視点から再検証なさることを期待しています。
 そうでないと、『源氏物語』の受容史において、この記事が笑い話として伝承されていく可能性が多分にあるのですから。

 署名入りの記事だからこそ、執筆者は記者としての責任を持つべきだと思います。

2009年7月 7日 (火)

心身(38)血糖値が下がらない

 最近、血糖値が130以下に下がらなくなりました。
 今月に入ってからは、こんな調子です。

 137 − 137 − 141 − 139 − 139 − 138

 食事には気をつけているので、高かった翌日は確実に数値を110台にしてきました。
 それが出来ていないのです。

 梅雨で、食事が変わったことは関係なさそうです。

 やはり、スポーツクラブへ行っていないことが、一番の原因だと思われます。
 今月は、サウナとお風呂に入るために、銀座へは一度行っただけでした。

 賀茂川のウォーキングも、最近はしていません。
 運動らしいのは、京都市内と立川市内を、自転車で走るだけです。

 このところ、座って仕事をする日々が続いています。

 これは、要注意です。
 明日からは、もっともっと、身体を動かすことを心がけます。


2009年7月 6日 (月)

古写本で文字を訂正する時の記号

 『源氏物語』の古写本の中でも、一番いい本だと評価の高い大島本(古代学協会蔵)で、一度書いた文字を訂正する時の記号に興味を持ちました。
 第19巻「薄雲」で、「ん」という文字を「も」と訂正する場合がそうです。

 現在われわれが使う平仮名の「も」の元の漢字(いわゆる字母)は「毛」です。学校で教わったことですが、漢字が崩れて平仮名ができているのです。
 しかし、かつては「无」を崩した「ん」も、「も」という文字の一つとして使っていました。平仮名は、今のように1つではなくて、何種類もありました。変体仮名と言われるものです。

 ややこしいことに、「む」の字母は「武」です。しかし、この「む」に「无」の崩しである「ん」を使うこともありました。
 「む」を「ん」と表記することは、推測しやすいものでしょう。助動詞の「らむ」を「らん」と読んだりしますから。

 それに比べて、「も」を「ん」と表記することは、現代の用字からみると、素直に類推できない人が多いかと思われますが……。

 さて、大島本の「薄雲」には、この「ん」と書いた後に「も」と訂正する例が7例あります。
 それも、いずれもが朱筆による訂正です。

・「ことん」→「ことも」 3例
・「ねとん」→「ねとも」 2例
・「なとん」→「なとも」 1例
・「とんの」→「ともの」 1例

 この内、古写本でよく見られる「ヒ」(または「〝」は「止」から生まれた訂正記号)を使うのは、次の「ことん」だけです(以下、掲載写真はDVDで刊行されている画像を加工しているため、少し不自然になっています)。
 
 
 
090704mo3普通の訂正
 
 
 
 これ以外の6例は、「ヒ」( 〝 )ではなくて、次のような「×」印の訂正記号を使っているのです。
 現代人が使う「×」印に近い記号となっています。
 
 
 

090704mo1「×」印(1)
 
 
 

090704mo2「×」印(2)
 
 
 
 この「×」の記号は、いつごろから使われているのでしょうか。
 乏しい経験ではありますが、私はこれまでに訂正記号としての「×」を見た記憶がありません。
 というよりも、大島本はこれまでにも何度か通覧しているのですが、このような訂正文字については注意が向いていませんでした。今回、改めて疑問に思ったしだいです。
 あるいは、他の写本にも「×」印があったかもしれませんが、今は思い出せません。

 上の2枚の「×」印の写真を見ていると、3つのことに気づきます。

 まず、「×」の記号でも、右上から左下へと筆を下ろすものと、左下から右上に跳ね上げるものがあることです。

 次に、朱で書かれた修正文字としての「も」が、最初に掲示した「も」と、文字の形が違うことです。
 最初の「も」の方が、字母である「毛」に近い形をしています。

 さらには、朱の色が幾分異なります。

 こうしたことから、朱で「×」印を付けた後その右横に「も」と書く訂正は、他の朱の訂正などとは時間的にも、また書いた人も違うようです。

 この「×」印を用いた最初の例は、いったいいつの時代なのでしょうか。

 まったくの想像ですが、この大島本の「×」印は、比較的新しい時代の訂正なのでは、と私は思っています。

 一昨日の本ブログ「幻の『校本源氏物語』には改訂版があった?」で確認したように、こうした手が入ったのは昭和7年以前のことであることは明らかです。
 具体的には、室町時代から大正時代の間のいつか、ということになります。

 どなたか、ご教示をいただければ幸いです。

 とにかく、大島本には膨大な訂正が書き込まれています。
 さらには、文字の削除も頻繁です。胡粉で塗りつぶしたり、刃物で削り取ったりと、その修正にかける執念には凄まじいものがあります。

 現在一般に流布する『源氏物語』のテキストは、この大島本を基にした本文に依っています。というよりも、この大島本による流布本しかありません。
 大島本に施された膨大な補訂の跡を取り込んで作成された『源氏物語』の本文を、われわれは校訂本文として読んでいます。
 ただし、その至る所に見られる補訂については、いつ、誰が、どのようにして加えられたものなのか、ほとんどわかっていません。とにかく、今は江戸時代までに多くの人が訂正した後の本文を、歴史的仮名遣いに統一して、漢字を当て、句読点を施した上で、活字に組んだもので読んでいるのです。

 今後とも、大島本を根気強く調べることにより、今読まれている本文の素性がどういうものなのかを、明らかにしていく必要があります。
 これには、ぜひとも若い方々の参加が大事です。
 和紙に書かれた文字を調べて読むことは、非常に地味な作業の連続です。
 しかし、1人でも多くの若者の参加を得て、『源氏物語』の基礎的な本文の問題を、1つでも解決していきたいと願っています。

ウインブルドンのテニスに釘付け

 今年のウィンブルドンのテニスは、目が離せないゲームが続きました。
 特に、男子の決勝は、どのような結末が待っているのか、まったく見えませんでした。

 高校時代から私はテニスをしているので、こうした試合があるとつい見てしまいます。

 3人の子どもたちがそれぞれ小学6年生になった時、約束で一人づつを海外旅行に連れて行きました。
 みんなをイギリスには必ず連れて行き、ロンドン郊外のウインブルドンの地は3人共に踏んでいます。
 今は新しいセンターコートを使っていますが、子どもたちの中では、3人目の息子だけがこのコートを外からですが見ています。

 今回、仕事をしながら、ウインブルドンの試合を見ていました。なかなか自分の仕事に集中できません。
 集中と言えば、選手の集中力は、人間の限界を超えたもののようでした。

 私は、フェデラーよりもロディックの方を応援していました。
 共に、形勢が不利でも、いつものペースで自分の力の一番いい所を出すのです。
 プレッシャーというものを感じさせないプレーに、とにかく驚嘆しました。
 ここという時に、エースが出、ファインショットが出るのです。
 腕が縮みそうな局面でも、ノビノビとしたボールが打てるのです。
 開き直りなどと言うレベルではなくて、自分が思うとおりのプレーを心がけているのです。それが、いい結果を招いていたのです。

 才能のなせる技なのでしょう。しかし、それにしてもその背景にある努力も、並々ならぬものがあるはずです。
 自信が自分を支えていることもあるのでしょう。

 精神的な強さがいかに凄のかを、今回のウインブルドンから感じ取りました。
 そこには、「諦めない」という一語に尽きる姿が、一球一球を打つ姿から見えました。

 いつ終わるとも知れぬ試合。
 時々、画面には私が大好きなボルグが映し出され、過去のシーンを思い出したりしていました。

 結果はともかく、忘れられないゲームの連続を、眼を擦りながら見ました。
 試合終了は、午前2時28分。
 4時間16分にも及ぶ、シナリオのないドラマでした。
 そして、さまざまな新記録を残した試合でした。

2009年7月 5日 (日)

井上靖卒読(80)『海峡』

 松村、庄司、杉原、そして宏子、由加里が織り成すドラマです。
 好意と愛情の狭間に揺れ動く人々が、人間の関わりの中で小さな波紋を起こします。
 いつものように、登場人物はみんな世話人で善人です。読者はこれに救われ、安心して読み進められるのです。
 銀座が舞台となっているので、私にとってはご当地小説となりました。
 この作品でも、銀座と地方というバランスが保たれています。

 酒に酔って乱れる杉原の描写がいいと思います。井上自身を描いているのでしょうか。理性的でいい酔い方だと思います。

 煌々たる月光の中を、渡り鳥のハマシギの集団が南へ移動します。
 物語の背景に、鳥の鳴き声が聞こえます。一風変わった作品になっています。

 第12章の松村と由加里の恋愛問答は、本作の圧巻となっています。男と女の、人を好きになることの違いが描かれています。
 松村の考えでは、女は単純で男は高等な生物だ、ということです。それに杉原も同調します。これには、私も頷けるものがあります。

 この作品では、自然や風景の中に人間を置いて、物語を展開させる手法がとられています。
 風景を描写しながら、その中に人物を置くことで、読者に人の想いを伝えようとしています。井上の小説作法の一つです。
 最後に杉原は、人は大自然の中で詩人になると言っているようです。【3】

初出紙︰読売新聞
連載期間︰1957年10月27日号~1958年5月4日号
連載回数︰28回


角川文庫︰海峡
井上靖小説全集8︰海峡・魔の季節
井上靖全集12︰長篇5


〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/

2009年7月 4日 (土)

幻の『校本源氏物語』には改訂版があった?

 本日、京都文化博物館で、古代学協会ご所蔵の『源氏物語』「大島本」の原本調査を実施しました。
 これは、2年前から毎月継続して行っている、原本の精密な調査研究です。
 その折、調査者5人で『源氏物語』の「河内本」について意見交換をすることがありました。そして、以下のことが話題となり、今日のところは一応、次のような意見で一致したのです。

 そこで、私なりの表現でひとまずとりまとめ、多くの方々にご批判をいただこうと思っているしだいです。

 現在も『源氏物語』の研究における基本的な文献とされる『源氏物語大成』については、その制作過程をはじめとして、わからないことがたくさんあります。

 昭和28年(1953)6月より刊行された『源氏物語大成』(底本「大島本」)の前身は、昭和17年(1942)10月に刊行された『校異源氏物語』(底本「大島本」)でした。
 その『校異源氏物語』の前には、昭和7年(1932)11月に稿本が完成していた未刊の『校異源氏物語』(底本「河内本」、以下『校本源氏物語』と言う)があります。

 『校本源氏物語』については、『源氏物語事典』(昭和35年、東京堂)所収の「源氏物語年表」の記述が参考になります。

昭和七年(一九三二)十一月、芳賀博士記念会の事業、池田亀鑑の「校異源氏物語」の稿本が完成したので、蒐集した資料の一部を東京大学で展観した、本文資料は青表紙系統六十二種、河内本系統三十四種、別本系統二十四種を算した

 つまり、昭和7年には『校本源氏物語』の稿本が完成していた、ということです。
 ただし、その実態については、何もわかっていません。幻の校本です。

 そして、この資料の展示については、その時の冊子である『源氏物語に関する展観書目録』に記録があり、そこには

一二二 校本源氏物語底本 河内本(禁裏御本転写) (室町時代)写

と記されています。
 諸本の校合の底本は「河内本」である、と明記されているのです。

 同じ時期に池田亀鑑は、天理大学附属図書館現蔵「河内本」に、次のような識語を書き残しています。

(前略)

本書は学会の重宝として貴重す

へき希有の珍本にしてよろしく校本源

氏物語の底本として学界に弘布す

へきものなり

昭和七年十一月 識之

(『天理図書館 稀書目録三』における翻字より、昭和32年)

 こうしたことから、池田亀鑑が昭和7年に完成させた『校本源氏物語』は、天理図書館現蔵の「河内本」を基準本文とし、多数の『源氏物語』の諸本の本文異同を整理したものだった、ということができます。
 それがその後、〈いわゆる青表紙本〉を代表する「大島本」が佐渡から出現したことにより、昭和17年に刊行された『校異源氏物語』では、底本が「河内本」から〈いわゆる青表紙本〉の「大島本」に一大変更となり、校本が作り直されました。
 その間の詳しい事情は、今もって不明のままです。
 この『校異源氏物語』には、天理大学現蔵「河内本」は校合本文から外されています。

 そして今、巷に溢れる『源氏物語』の校訂本文は、そのすべてが「大島本」によるものと言っても過言ではありません。

 そうした歴史的事実をもとにして、天理大学附属天理図書館が所蔵する「河内本」と呼ばれる本に関する次の池田亀鑑の解説は、どう読めばいいのでしょうか。


桃園文庫蔵源氏物語
 五十四帖。この本は袋綴、小型の楮紙。ほぼ同筆で書かれてゐる。室町中期の写本で、系統は大島本に一致する河内本。虫損が甚だしく、所々読み得ない文字もあるが、朱の句点・声点など河内本の特色を具へてゐる。大島本が出現するまで河内本の底本として校異源氏物語に採用されたが、戦争中不幸にして佚亡のやむなきに至つたものである。
(『源氏物語大成 巻7 研究資料篇』、昭和31年、中央公論社)

 ここには、「大島本」ということばが2箇所に見えます。
 まず、「大島本に一致する河内本」の「大島本」とは、〈いわゆる青表紙本〉の代表としてよく知られている「大島本」(古代学協会蔵)ではなくて、『源氏物語大成』に「河内本」グループの中で「大島本」として掲出されている、中京大学現蔵『源氏物語』のことだと理解すべきでしょう。確かに、中京本「河内本」の本文は、天理本「河内本」とよく似ています。
 そして、後半の「大島本」も中京本の「河内本」ということになります。

 この記述は、戦後のものです。
 池田亀鑑が「戦争中不幸にして佚亡のやむなきに至つた」と言う写本は、この「河内本」以外に「麦生本」と「阿里莫本」があります。もっとも、共に天理図書館現蔵です。
 したがって、この最後の記述の再検証が必要です。しかし、その前の部分については、おそらく戦前の、それも昭和17年に〈いわゆる青表紙本〉の「大島本」を底本とした『校異源氏物語』を刊行する前に記されたものではないか、と私は思っています。
 「大島本」というものに対して、この文章を記した筆者に、特別の思い入れが感じられないからです。
 佐渡から写本(後の「大島本」)が見つかる以前の文章なので、このような文脈で「大島本」という言葉が見られるのではないでしょうか。

 「大島本が出現するまで」は「天理の河内本」が『校異源氏物語』の底本だったことは明らかなので、あるいは、ここでの「大島本」は〈いわゆる青表紙本〉のものだったと理解もできます。すると、最初の「大島本」が「天理の河内本」であることから、区別の曖昧な、まぎらわしい表現になっていることになります。池田亀鑑らしくありません。

 中京大学現蔵「河内本」がいつ出現したのか、今は私にはわかりません。
 しかし、やはりここは、〈いわゆる青表紙本〉が佐渡から出現したことを言っているのではない、と理解すべきところではないでしょうか。

 すると、未刊に終わった『校本源氏物語』の底本は、昭和7年の最初は天理大学の「河内本」だったのですが、その後、中京大学の「河内本」が出現してからは、中京本を底本にした『校本源氏物語』があった、いや、そこまで言わないまでも、中京本を底本にした『校本源氏物語』が手がけられていたのではないか、ということも想定できるのではないでしょうか。

 ただし、この「河内本」を底本とする校本は、〈いわゆる青表紙本〉の最善本とされる「大島本」の出現により、昭和17年にはそのすべてが作り直され、〈いわゆる青表紙本〉全盛の今に至っているのです。


 以上の推測を交えた試案について、ご批判やご意見をいただけると幸いです。


 なお、この中京本の「河内本」は、現在翻字作業が進められています。その成果の公開は近いと言えましょう。

 また、天理本の「河内本」は、現在刊行中の『源氏物語別本集成 続』に翻刻本文を収録しています。

 さらに天理本の「河内本」は、校訂本文の1つとして、私のブログで「桐壺」と「空蝉」を公開しています。

(1)3本対照「桐壺」校訂本文の試作版(2008年10月 4日)


(2)3本対照「空蝉」校訂本文の試作版(25.May.2009補訂版)

 参考のために、昭和7年から昭和28年にかけての本文研究に関する事項を、「源氏物語年表」(『源氏物語事典』、昭和35年、東京堂)から摘記しておきます。




昭和七年(一九三二)
十一月、芳賀博士記念会の事業、池田亀鑑の「校異源氏物語」の稿本が完成したので、蒐集した資料の一部を東京大学で展観した、本文資料は青表紙系統六十二種、河内本系統三十四種、別本系統二十四種を算した

昭和九年(一九三四)
六月、「尾州家河内本源氏物語」を金属版で複製刊行した、正嘉二年(一二五八)に北条実時が親行の本を写させたものである

昭和十年(一九三五)
十二月、山岸徳平の「尾州家河内本源氏物語開題」刊行、同十一年二月「河内本源氏物語研究序説」と改題刊行

昭和十二年(一九三七)
二月、東京大学国文学科で、芳賀博士十周年の忌辰に、源氏物語古写本、古注釈書三十余部を展観した

六月、吉沢義則の「対校源氏物語新釈」第一冊刊行、同十五年八月第六冊刊行完結、後同二十二年十六冊本再刊、二十七年には索引二冊を加えて八冊本刊行、湖月抄を底本とし、これに尾州家河内本を対校し、傍注頭注を加えた

昭和十七年(一九四二)
十月、池田亀鑑の「校異源氏物語」全五冊刊行、青表紙源本三帖、飛鳥井雅康筆本四十八帖、池田本三帖を底本とし、これに青表紙古写本二十三種、河内本二十種、青表紙河内本に属しない別本十六種の異文を欄外に挙げた、大正十五年(一九二六)以来の研究の一部を公刊したのである

昭和二十八年(一九五三)
六月、池田亀鑑の「源氏物語大成」第一巻刊行、三十一年十二月にわたって八巻完結、定価二万四千六百円、空前の大出版である。本文は前の校異源氏物語五冊を校異篇三巻にあて、索引は一般語彙、助詞助動詞、項目一覧の三巻に分ち、研究資料篇には古写本の伝流を概観し、青表紙、河内本、別本に分って現存重要諸本を解説し、本文研究に最も関係の深い資料として源氏釈、奥入、隆能源氏絵詞、古系図三種、弘安源氏論義、原中最秘抄、仙源抄を翻刻し、図録篇は、源氏物語に現われる生活様相を理解せしめるものを主として、原色版三葉、写真版大小約六百面を収めた

2009年7月 3日 (金)

井上靖卒読(79)「霰の街」「あすなろう」「戦友の表情」

■「霰の街」

 1人の男に捨てられた女の、心の中を丁寧に描いています。
 女は、5年ぶりで取材という名目で逢うことにしました。
 わだかまりのある男と、サバサバした女との対面がおもしろいと思います。
 弱虫というべき人生を歩む男の前に、強い女としての紀代が立ちつくしている小説です。【2】

初出誌︰サンデー毎日(パラルビ)
初出号数︰1937年4月創刊十五周年記念特別号

『流転』(昭和23年10月10日、大阪・有文堂、最初の小説集)
井上靖全集 1︰全詩篇・短編1

■「あすなろう」
 「あすなろ」の意味を説く話になっています。
 小品ですが、これが後に『あすなろ物語』に成長することを思うと、行間を読んでしまいます。


 昭和12年に京大新聞に発表されたものです。読者に印象づける話として、いい作品と言えます。しかし、まだ根っ子の所だけを見せたというものでしょうか。


 文章も一文が長くなっています。井上らしくないように見えるのは、若いときの時間に追われた作品だったからかもしれません。【2】

初出紙︰京都帝国大学新聞(パラルビ)
初出日︰1937年5月5日


井上靖小説全集 1 猟銃・闘牛
井上靖全集 1 全詩篇・短編1

■「戦友の表情」


 戦時中のエピソードです。
 2人の兵士の性格が描き分けられています。ただし、肉付けまでは行なえていないのは、分量のせいでしょう。

 馬が鳴くことは、満州で軍医だった父から聞いたことがあります。
 人間と同じように、感情を持った馬によって、戦争の中での生きている者たちを点描したかったのではないでしょうか。
 ここには、明るさが文章の中にあります。井上靖の特色です。【2】


初出紙︰京都帝国大学新聞(パラルビ、コントとして)
初出日 1938年6月5日


井上靖小説全集 1︰猟銃・闘牛
井上靖全集 1︰全詩篇・短編1


〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/


2009年7月 2日 (木)

一瞬の運について

仕事帰り、終着駅の東京でのことです。

電車を降りようとして腰を上げ、開いたドアに向かって歩き出した瞬間、あれっと思いました。
無意識の内に、ポケットに手を当てたらしく、いつものサイフの感触がなかったのです。

ドアの所から、ちょうどホームに片脚を下ろそうとした時です。
何気なく先程まで座っていた席を振り返ると、誰もいないシートにサイフが一つ残されていました。

反射的に身体を捻って引き返し、乗り込む人たちが押し寄せる前に、ポツンと置き去りになっていたサイフを素早く摑んでホームに降りました。
すぐに、ポケットにサイフをしまいました。

初めてのことだったので何がどうなったのかを思い返しました。
直ぐにわかりました。ズボンのポケットが浅かったので、座っている内にポロリと零れ落ちたようです。
ことの原因はわかりました。ありうることです。それにしても、よく気が付いたものです。
一瞬のできごとでした。

我々は、日々、さまざまな危うさの中で生きていると思います。
何かと複雑に組み立てられた現代社会に、1人の人間として身を置いています。反射的な反応と一瞬の判断を繰り返す中で、何事もない日常を送るようにしています。

しかし、突然予期せぬ出来事に遭遇し、それに無事に対処したり、できなかったり。

偶然と運の中で、時には幸運が、あるいは不運が身を襲ってきます。
今日の電車での出来事は、幸運に属するはずです。

無意識とはいえ、反射的に気づいたことで大事に至らず、ホッと胸を撫で下ろしています。

2009年7月 1日 (水)

井上靖卒読(78)「三原山晴天」「初恋物語」

■「三原山晴天」
 「うむ」と唸る社長の登場です。井上靖の作品で、最初に唸る男です。
 味のある社長の言動を中心にして、軽妙に物語が展開していきます。
 意外な展開が続き、読む者を飽きさせません。とにかく、思いもしない方向に物語が進んでいきます。
 懐の深い、大きくて大らかな人間が出てきます。山野君をはじめとして。その妻である梨子は、本作品が発表された昭和七年当時は、どのように理解されていたのでしょうか。今としては、非常に古風でありながら、かえって割り切り方の潔さが、現代的とも言えます。
 心中することを1日延ばしにする2人のやりとりが、非常におもいろいと思いました。
 妻である梨子が社長に言う、「日本伝統的の美徳である貞節」がいいと思いました。
 底抜けに明るい話となっています。【4】

 この小説は、井上靖が「澤木信乃」というペンネームで発表したものです。
 そして、本作は大阪の劇団「享楽列車」が劇化し、『サンデー毎日』に掲載されてすぐに、大阪道頓堀角座で上演されました。
 少し関連する状況を記します。
 『サンデー毎日』が募集した「第13回 大衆文芸」で、応募作3527編の内、この「三原山晴天」は選外佳作として選ばれた13編の中に入り、同誌に掲載されました。
 なお、入選は5作品ですが、その中に私が知っている作家の名前はありませんでした。選外佳作の中には、山手樹一郎がいます。
 26歳だった井上靖は、この前年の昭和7年より、京都帝国大学文学部哲学科美学美術史専攻に在籍していました。京都大学の裏手に下宿しながら、大学の授業には出ずに、自由気ままな生活をしていた頃です。しかし、応募者にあたっての住所は、静岡県伊豆湯ヶ島としています。

初出誌 ︰『サンデー毎日』臨時増刊「新作大衆文芸」
初出日︰1933年11月1日

井上靖全集 1︰全詩篇・短編1


■「初恋物語」
 祝賀式で、突然自分が好きになった女性の話をする社員高木の話で始まります。
 ルル子も、一風変わった社長令嬢です。少し風変わりな若者が繰り広げる、軽妙な話に仕上がっています。
 その後の井上が、肩の力を抜いた作品を発表する下地となっているような、初期の小説です。
 ストレートに、自分の感情を表明する高木とルル子の、素直で明るいのがいいのです。
 特にルル子は、積極的で今の女性の姿が垣間見える人物となっています。
 ただし、小説としては、あまりにも作り話が見えすぎです。
 作中のM百貨店は、銀座の松屋ではないでしょうか。【2】

 この作品も前作と同様に、『サンデー毎日』の「大衆文芸」に澤木信乃のペンネームで応募し、入選したものです。応募作品3819編の内、5編が入選となりました。この時の賞金は300円でした。
 「入選者の言葉」として、井上靖は次のように言っています。

私は筋の構成にユーモアの焦点を置いたユーモア小説を 日ごろから書きたいと思つてゐた。現今のユーモア小説は他の大衆小説に比べて筋の構成といふ点が著しく欠けてゐると思ふ。(中略)初恋物語は所謂ユーモア小説に幾分のナンセンスと明朗なペーソスを加味して筋を運ばせた。

 その後の作品を読む上で、参考になる言葉です。

 この連続入選により、井上靖は新興キネマ社(後の大映)にスカウトされ、京都大学の学生のまま社員となりました。東京板橋の大泉撮影所と、京都太秦の撮影所の脚本部に勤務し、月給は50円でした。


初出誌︰サンデー毎日
初出号数︰1934年4月1日号

井上靖全集 1︰全詩篇・短編1

※『毎日グラフ別冊 追憶 井上靖』(1991年7月20日)に復刻掲載


NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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