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2009年7月 8日 (水)

新写本『源氏物語』を平等院に奉納する愚行

 朝日新聞の7月2日(木)付け夕刊に



「源氏物語」平成の写本

  平等院に奉納「宝に」


という記事が掲載されました。

 『源氏物語』の受容史から見ると、あまりにも愚かな行為であり、報道のされ方に、信じられない思いでいます。

 このことに関して、貴重な事実の記録として、以下に認めておきます。

 平成の『源氏物語』と朝日新聞が呼ぶこの新写本54冊が、このたび書写を終え、宇治の平等院に奉納されたということです。
 それを受けて、6月20日に鳳凰堂の国宝・阿弥陀如来坐像の前で、法要が行われたのだそうです。
 新聞には、その法要の折の写真が掲載されており、阿弥陀如来の前に桐箱が見えています。

 ことの経緯は、古筆学者が、「紙、筆法ともこれだけ見事な写本は、どこかに残さねば」と高く評価して、平等院への仲立ちをしたことに始まるようです。

 書家は、この古筆学者に師事して平安の古筆を学んだ方です。
 4年前に思い立ち、1年で54冊を書き終えたそうです。

 この写本は、その料紙がすばらしいとのこと。
 古筆学者の指導で、料紙作家が、継ぎ紙、色紙、金銀の切箔・砂子など、平安以来の技を駆使した写経料紙1100枚を、1年半で作りあげたのです。
 また、筆は、十五世藤野雲平作の紙巻筆を150本、墨は30~40年前に作られた国産の油煙墨を用意した、とのことです。
 写本の装丁も、「粘葉装」(「綴葉装」の間違いでは?)による製本です。

 とにかく、書写される冊子の姿形は本格的なものです。実物は、実際にみごとなのでしょう。

 それなのに、問題だと言えるのは、そこに書き写された『源氏物語』の文章が、以下のようなものだということだからです。

岩波書店の日本古典文学大系をテキストにし、漢字はなるべく仮名に置き換えた。


 なぜ、それまでは用意周到にしておいて、最後にその紙に写す文章が、現代の活字で刊行されている流布本なのでしょうか。
 おまけに、漢字で印刷された部分は、なるべくひらがなで書くようにした、とのこと。
 大系本の校訂本文では、当てた漢字にふりがなを付すことによって、底本である大島本の元の表記に戻れるように工夫されています。「仮名に置き換えた」というのは、このふりがなの部分を採用した、ということなのでしょうか。

 それにしても、今回書写された『源氏物語』の文章は、一体何なのでしょうか。
 後世に、ここに書かれた文章を研究対象とし、平安時代の『源氏物語』の本文の有り様を論じる人は、おそらく生まれないとは思いますが、これをあまりに有り難がっていると、それこそ笑い話ではすまない事態が出来しかねません。

 平等院の住職の談話は、次のようになっています。

単に千年前をトレースするのではなく、新しい『源氏』が生まれたととらえている。次の千年のため、平等院がある限り、寺の宝物として残したい

 愚かな書写者と古筆学者と住職さんたちは、みなさん善人だと思います。
 それだけに、知らなかったこととはいえ、後世に顰蹙をかい、そして知らない人を混乱させる事態を引き起こすことが明らかな愚行を、今、何とかできるものならば取り繕ってはいかがでしょうか。

 最低限、この写本の54帖の各冊に、

岩波書店の日本古典文学大系をテキストにし、漢字はなるべく仮名に置き換えた。


という識語を、大きく明記しておくのが、せめてもの誠意ではないでしょうか。

 恐れていた新たな異本を、いとも簡単に、こうして善男善女が作ってしまいました。

 このテキストとは、おそらく大島本を忠実に復元しようとした『新 日本古典文学大系』だと思われます。旧大系本は、宮内庁書陵部蔵の三条西家本が底本です。それよりも、新大系の方がいいと思います。しかし、この活字本を新写本の親本にするとは、あまりにも現代的な無知さに、恥ずかしくなります。
 せめて、大島本の複製版を臨書していたら、少しはその意味がなくもないと言えます。陽明文庫本の複製版なら、もっとよかったと思います。すくなくとも、古写本の影印本を親本にすべきだったのではないでしょうか。
 そうでないからこそ、漫画的な展開になっているのです。

 新大系の校訂本文を作成なさった室伏信助先生は、同じ新大系本でも、再版になると本文に手が入っているので、引用するときには自分が第何版の本文を用いたかを明示すべきだ、とおっしゃっていました。

 今回の新写本の親本が、この新大系本だとすると、識語には第何版の活字本を用いたのかも、明確にしておかれたらいいかと思います。そうでないと、後世、書写誤りがある、と指摘されかねません。もう、落語です。

 最後に、この記事を書いた朝日新聞の記者の方へ。
 いつか、この記事の取り上げ方を、『源氏物語』の受容史という視点から再検証なさることを期待しています。
 そうでないと、『源氏物語』の受容史において、この記事が笑い話として伝承されていく可能性が多分にあるのですから。

 署名入りの記事だからこそ、執筆者は記者としての責任を持つべきだと思います。

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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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