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2009年8月の35件の記事

2009年8月31日 (月)

心身(40)銀座のプールでダンベル体操

 台風の間隙を縫って、銀座へ出かけました。
 まずは、アップルストアで、新しいOSであるスノー・レパード(Mac OS X 10.6 Snow Leopard)の入手です。
 ただし、購入するつもりのファミリーパック(5台分のインストール用)は、まだ発売になっていませんでした。
 1つ3,300円が、ファミリーパックは5,600円なので、これが発売されるのを待つことにしました。

 その脚で、隣にあるスポーツクラブへ行きました。

 ウレタン製のダンベルを持って水中で体操をする「アクアベル」というものを体験しました。
 素材がウレタンなので、水中で操作するのが思っていたよりも大変でした。以前、ウレタンの長い棒で行う水中エアロをしましたが、それに劣らず、これも大変です。

 しかし、このダンベルを使って水中で浮くのは、浮遊感があって気に入りました。
 ダンベルを両手で水中に押し下げ、そのまま脚を上げると、首から上が水面に出ます。
 バランスをとると、そのままの状態で静止できるのです。初めての浮遊体験です。
 スクーバ・ダイビングのように、ボンベなどの機材を背負ってではないので、これは気楽にいつでもできます。

 脇に挟んで浮いたり、腿と脹ら脛で挟んだ状態で浮いたりと、さまざまな形で水中静止ができます。
 そして、そのままの状態で、右に回ったり左に回ったり、前進後退と、さまざまな運動ができます。
 初めてのせいか、バランスを崩すスタイルもありましたが、なかなかおもしろいエクササイズでした。

 昨日は、久しぶりに体力テストをしました。
 今回も、18歳の体力と出ました。
 自分では衰えたと自覚している体力ですが、機械で計測すると数値はいいのです。
 多分に、呼吸法を会得した事による、テクニックの成果といえなくもないのですが……。実年齢よりマイナス39歳だとマシンに表示されると、その根拠はともかく嬉しいものです。

 これからも運動を続けて、体調を維持するつもりです。

 夏場は血糖値が高かったのですが、最近は120前後で安定しています。もう少し下げて110前後になるように、食事に気を付けましょう。
 夜のお酒が一番の問題であることはわかっています。
 22時以降は飲み食いをしないことを守りたいのですが、夜間に仕事をし出すと、なかなか意志を貫けません。これも、自分との闘いです。

 以上、家族への報告を兼ねたメモでした。

2009年8月30日 (日)

英国での研究集会のポスター完成

 来月、英国ケンブリッジ大学のピーター・コーニツキ先生のご高配を得て実施する、国際研究集会のポスターが出来上がりました。
 関係先にしか配布しないものなので、ここに画像として紹介します。
 國學院大學の豊島秀範先生のグループとの共同開催です。
 
 
 
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 講演は、伊井春樹先生(前・国文学研究資料館館長)と今西祐一郎先生(国文学研究資料館館長)の『源氏物語』に関する最新の研究動向を踏まえた内容です。

 日本文学研究における国際的・学際的研究の実際を改めて問い、現在の活動状況の分析と個別研究の批判・検討を行います。
 さらには、今後への展開・展望等についての討論を試みるという、総合的かつ双方向的な討議の場となれば幸いです。

 イギリスで、ということで参加いただくのは大変かと思います。
 もし、お知り合いで興味をお持ちの方がいらっしゃいましたら、このようなイベントがあるという情報をお伝えいただければ幸いです。
 
 
 


日時:2009年9月21日(月)9:50〜18:00
会場:ケンブリッジ大学・ロビンソンカレッジ
   Robinson College, University of Cambridge, Cambridge, UK
内容:「横断する日本文学 —日本文学の国際的研究の展望—」
    Japanese Literature Crossing Cultural Borders
     Prospects for the International Study of Japanese Literature
  ・午前の部 1 文化と享受 Cultural Reception and Historical Perspective
  ・午後の部 2 本文の変容 Transformation of Texts

  注記・発表はすべて日本語で行われます。

  主催:科学研究費補助金基盤研究(A)「日本文学の国際的共同研究基盤の構築に関する調査研究」
                         (研究代表者:伊藤鉃也・国文学研究資料館)
     科学研究費補助金基盤研究(A)「源氏物語の研究支援体制の組織化と本文関係資料の再検討及び新提言の
                    ための共同研究」(研究代表者:豊島秀範・國學院大學)
  共催:ケンブリッジ大学・ロビンソンカレッジ


2009年8月29日 (土)

ひとヒト人の週末の東京

 今日は、今春より職場の同じ建物の西側に移転して来た、国立極地研究所の一般公開の日でした。
 10時開館でしたが、30分前にはすでに建物を取り囲むように、たくさんの人が並んでいました。
 先着100名がマイナス45の体験ができる、という触れ込みが、大きな効果を生んでいたこともあるのでしょう。
 
 
 
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 「探検ツアー」や「昭和基地とのライブトーク」などが催され、日頃は静かな職場も、今日は数千人の人でごった返ししていました。
 国立極地研究所が建物の西側に、国文学研究資料館は東側に入っています。しかし、今日ばかりは、大勢の人が、子供たちが、長い廊下や踊り場など至る所で歓声をあげていました。
 こうした賑わいを見ると、文学は何と質素な控えめな学問であることか、と痛感させられます。

 それにしても、ダイナミックな機関が同じ建物に来たものです。
 今年の後半には、統計数理研究所が入ってきますが、これはおとなしい組織だと思います。

 南極の氷やペンギンなど、人を惹き付けるものを持つ強みを感じました。
 文学は、やはり地味な存在です。しかし、それなりに意義を主張していきたいと思います。
 南極か北極の氷の中に、櫃に入ったままの『源氏物語』の古写本が閉じ込められていないでしょうか。
 極地研の方と仲良くなったら、南極の氷の下に日本の古典籍が漂着・封印されていないか、探ってみましょう。

 今日は京都に帰るゆとりもなく、立川で溜まりに溜まった仕事をこなし、暗くなって帰路につきました。

 立川駅では、民主党の長島昭久氏が、街頭演説をしていました。あと選挙運動も少しの時間しかないということもあり、ヒートアップしていました。
 駅頭は、もの凄い人だかりでした。

 中野駅で乗り換えの途中で改札の外に出たところ、ちょうど民主党の長妻昭氏が選挙活動を終えたばかりで、支援者と労いの握手をしておられるところでした。

 両駅とも、異常なほどに人が集まっていました。民主党の想像を絶する勢いを感じました。

 私は、高校時代に学生運動をしていた時から、ずっと日本共産党の存在意義を認めてきました。
 今も変わりませんが、今回の民主党の勢いは、常軌を逸した気迫迫力すら感じます。

 明日の投票日は、その結果が楽しみです。
 民主党は、比例区にもっと候補者を登録しても良かったのではないでしょうか。
 明日の民主党の幹部の悔しい顔が見られそうです。票を取りすぎたことに対する、読みの甘さからの悔しさを、私は想定しています。
 さて、どうなりますか。

昨日の「電車もトイレと同じく男女別にしよう」の不備

 昨日の「電車もトイレと同じく男女別にしよう」で、過去のブログの文書を2つ紹介しました。
 しかし、リンク先の私のブログがすべて消滅しているようです。
 そのブログ「平群の里から」は、一昨日までの記録では、452,299アクセス以上あったものですが、残念なことになりました。
 手元に過去の文書が残っていますので、いつか機会があれば再現したいと思います。

 いまは応急処置として、手元のバックアップ文書で、以下に(1)「女性専用車両大賛成の弁」を再現します。

 (2)「男性専用車輌を走らせてほしい」については、表示は遅いのですがサーバーが異なるものなので、今でも見られます。
    しばらくは、このままにしておきます。
 (3)は、これも「平群の里から」のものなので、リンク先が消滅しています。
    しかし、(2)と同文なので、これは昨日の記事には「なかった」ものとします。

 いろいろとリンク先を経巡ってくださった方々にお詫びいたします。
 ご迷惑をおかけしました。

 なお、ここに再現した文書の中でも、リンク先が消滅したものがあります。これは、インターネットの宿命としてご寛恕のほどを。
 とにかく、ブログは読み捨ての情報であると、割り切るしかありません。



(1)
2004年08月15日
女性専用車両大賛成の弁(「ミクシィ」掲載分より)

 昨日14日、大阪・難波で「女性専用車両に反対する会」の集会があったようです。詳細は下記ホームページでご確認を。
http://www.eonet.ne.jp/~senyou-mondai/
 ただし、昨日の報告は、今日現在は作業中となっていました。
 女性専用車両は、痴漢被害をなくすのが目的だとのことです。全国の公共交通機関がさまざまな対応をしており、問題の多い実施実態のようです。この件については、たくさんの人がホームページなどで発言をしておられるようです。検索をしてみて、その多さに驚き、ヘッドラインを眺めるだけで読むのをやめました。発言しやすいテーマなのでしょう。それだけに、解決は無理だとの実感を得ました。
 私の生活範囲で言えば、近鉄奈良線が時間限定で女性専用車両を増結しています。ただし、それがどのように機能し、利用されているのかは知りません。私がその車両を利用することがないせいでもあります。
 さて、以下、人の意見はまったく読まず、ここに私見を書く勝手を、お許しください。
 私は、女性専用車両には諸手を挙げて大賛成です。その理由は、次の3点からです。

(1)見ず知らずの女性から痴漢に仕立て上げられるのではないか、という恐怖から逃れるため。突然、自分の人生の一部を、いわれもなく失いたくないのです。それも、相手の勘違いや悪意による思いこんだ自己申告で。まだ私は被害にあったことはありませんが、いろいろとその実態の話は聞いています。

(2)携帯電話の電磁波被害から、自分の身を守るため。白血病・脳腫瘍・アルツハイマーになる確率を低くしたいのです。鉄板に囲われた電車内で、無神経に電磁波を飛ばして人体実験に荷担しているのは、男性より女性の方が多いと思います。『電磁波白書』(大朏博善、アスキー、1997.5)の電磁波被害擁護論は、再検証が必要だと思っています。下記の「携帯電話の危険性〈2000.5.4〉」をご参照願います。
http://www4.kcn.ne.jp/~genjiito/HTML_tetsuya/R4.2_hitec_05_2000.html

(3)女性の化粧品などが発する悪臭で、長時間不愉快な思いをしたくないため。密室で放たれるこの異臭は、一日を気分的に台無しにします。オナラの可愛さなら許せますが。和服の微かなお香の薫りは大好きです。自分の部屋では、よくお香を焚きます。でも、化粧品の下品な匂いは、臭いと感じてしまうのです。

 ということで、電車に乗るときには、女性を避けるようにしています。特に20台と40台の女性には、自然と体が反応して遠ざかります。君子危うきに近寄らず、ではないのですが、私にとって車内で危害を及ぼす恐れのある女性は隔離してほしい、というのが私見なのです。これは、女性差別ではなく、ケースによる区別の範疇の問題です。そして、上記3点が我慢できる状況に改善された暁にはじめて、女性専用車両は廃止すべきではないでしょうか。
 毎週末に新幹線を利用しますが、私は禁煙車両を利用します。新幹線にも、女性専用車両も望みます。

 上記「反対する会」のホームページにおける集会参加の案内で「女性専用車両に反対の方ならどなたでも結構です。」とありました。これはおかしいと思います。排他的な意識で行なう活動は続きませんよ。

 なお、私が体験した痴漢問題については、下記の報告を参照してください。
http://www4.kcn.ne.jp/~genjiito/HTML_tetsuya/R1.1_chikan.htm
 痴漢に対処してくれる警察官は、被害者とその家族にとっては頼もしい味方のはずです。しかし私の体験では、係官によって当たりはずれがあるということです。私の場合はハズレでした。現場の警察官は真摯に対応してくださったので感謝していますが、その上司である係長がアホでした。このアホという言葉は、関西で使う、親愛の情を含んだ貶し言葉です。関東のバカは、救いようのない人間に使うものだと、私は勝手に定義していますので。

2009年8月28日 (金)

電車もトイレと同じく男女別にしよう

 最近、女性専用車輌に関する問題が、ネット上で再燃しているようです。

 痴漢と間違えられて人生を棒に振らないようにと、男性は様々な自己防衛を図って来ました。しかし、そのアホらしさと、気疲れから、神経を研ぎ澄まさなくても乗れる電車に乗りたくなったのです。

 女性の言い分は、ほとんどの男性は理解しています。
 そうだからこそ、一人になりたいのです。
 痴漢のことだけでなく、電車の中では、男性にとっては見たくない女性の姿態や行為もあるのです。

 持論ですが、男と女は人種が違う、と思っています。
 違うものなのに、平等の論理であたかも同じ生物であるかのように考えようとさせることに、無理があります。
 男にとって、思いもおよばない、信じられないことをする女に、よく出会います。これは、逆のこともたくさんあることでしょう。

 人種という言葉が不適切ならば、肉体的精神的な面での、構造が違うのです。
 違いは違いとして認めた上で、付き合って行くべきです。

 現代社会におけるトイレやお風呂は、非常に明解に男女を区別した空間です。
 電車も、この部類に属する空間だと思います。

 私見は、すでに以下のブログに書いた通りです。
 今も変わりません。

(1)2004年8月15日に、「女性専用車両大賛成の弁」を記しました。

(2)2006年7月26日に、「男性専用車輌を走らせてほしい」を記しました。
  (これは表示が非常に遅いので、次のものを参照してください)

(3)再掲載分「男性専用車輌を走らせてほしい」


 ことばでの表現が微妙な問題なので、誤解のないようにするためにも、ご照覧いただければ幸いです。

 男女の差別と、男女の区別を、勘違いしてはいけません。

 上記(2)or(3)で、

現状は、女性には二者択一の権利が与えられていますが、男性には選択権がありません。 私の提案は、女性にとって二択、男性にとっても二択です。 これで、差別的な平等主義は解消されます。

と記しました。

 しかし、これではその中間がありません。世の中、二者択一、右か左か、Yes か No か、はいけません。
 これは、以下の提案に変えたいと思います。

10両編成の場合、女性専用車輛を3輌、男性専用を3輌、家族や両性者など自由車輛を4輌、でどうでしょうか。

これで、快適な地点間の移動が可能となるはずです。


2009年8月27日 (木)

調理修行(3)お揚げさん

 干し椎茸を水で戻さずにそのまま切って食べたり、ほうれん草を生のまま食べていたら筋が口の中に残って困ったり、と、私の料理音痴については、妻をはじめとして子供たちからも、何度か愛想をつかされてきました。
 息子がイタリアンのシェフを目指している料理人なのでなおさらです。

 心機一転、京の油揚げに目覚めました。
 ワラジ大のものにタマネギを乗せて焼くだけです。しかし、それだけに素材が味を決めます。

 いろいろと反応があったので、油揚げの話の第3弾です。

 生粋の京女さんから、貴重な情報がいただけました。

 京都では、油揚げを「お揚げさん」と言うそうです。「〜さん」というのは関西でよく使うことばです。
 そして、京都人の貴重な蛋白源が、「お揚げさん」「お豆腐」「おじゃこ」だとのことです。
 そういえば、京の街中には、豆腐屋とちりめんじゃこのお店が辻々にあります。
 我が家の近くにも、「しののめ」の「じゃこ山椒」と言えば知る人ぞ知る、小さいながらも世界中に知れ渡ったじゃこ屋さんがあります。

 「厚揚げ」をカレーに入れてもおいしいのだとか。
 インドへ毎年行く私には、マサラ料理はなじみの食事です。インドで普段食べるカレーは、日本の味噌汁のようなものなので、それと厚揚げが合うかどうかも含めて、まずは日本のカレーで早速ためしてみたいと思います。

 私にもできそうなレシピを教えてくださいました。
 「油揚げとかつをのお出汁が上等でさえあれば気軽に作れます。」ともあるので、いろいろな組み合わせで楽しめそうです。



一、土鍋にかつをと昆布でとった、うどんつゆよりやや濃いめの出汁を張り、沸騰してきたら、
二、お湯をかけて油抜きし、短冊に切った油揚げと九条ネギを斜め切りにしたものを入れ、
三、一煮立ちしたら出汁ごととりわけ、七味唐辛子を振っていただく。
(残ったら、ごはんに具だけかけると「きつねどんぶり」になります。)


 わかりました。
 ありがとうございました。

2009年8月26日 (水)

調理修行(2)最近食べた油揚げ

 私にもできる料理としてスタートした油揚げ料理(?)も、いろいろと食べていると味や食感の違いが楽しめます。

 前回の「調理修行(1)油揚げいろいろ」を受けて、第二弾です。
 
 
 
090814potapotaageぽたぽた揚げ
 
 
 
 この「ぽたぽた揚げ」は、食べ比べているワラジ大のものの半分の大きさです。
 私好みの食感でした。
 
 
 以下、3枚を並べます。
 
 
 
090819_ageitijyoji
 
 
 
090819_agekyonoyuki
 
 
 
090819_ageooharano
 
 
 
 この中では、最後の「京大原野の里」がフンワリとしていておいしいと思いました。
 最近は、焼いた油揚げに、タマネギのスライスとポッカレモンをかけています。

 血糖値を気にする生活なので、食べるのは半分にしています。
 油抜きなど、いろいろと工夫をしてみたいと思います。

2009年8月25日 (火)

源氏のゆかり(44)五条の夕顔町

 『源氏物語』の第4巻「夕顔」に出てくる女性夕顔の話はよく知られています。
 その夕顔の宿の想定地は、現在、夕顔町と呼ばれる一角にあります。

 五条大橋のある五条通りから堺町通りを上がっていくと、高辻通りの手前に夕顔町があります。
 
 
 
090811yugao2夕顔町
 
 
 
 前方を左右に走るのが高辻通りです。
 この高辻通りを左に曲がると、すぐに仏光寺が、そしてその隣にホテル日航プリンセス京都があります。
 高辻通りの3本北が、四条通りです。
 夕顔町は、鴨川の西で、四条と五条の間にあるのです。
 
 
 一軒の民家の前に、「夕顔之墳」と記した石柱が建っています。昭和4年1月に京都史蹟会が建てた碑だそうです。
 40年前に、ここを訪れて写真を撮ったはずです。その頃は、ひっそりと佇む石碑だったと思います。
 今は、こんなに立派な柵の中にあります。
 
 
 
090811yugao3夕顔之墳
 
 
 
 このお宅の中庭には、江戸時代に造られた小塔が大切に守られているそうです。
 ただし、一般には公開されていません。私も、まだ実際には見たことがありません。
 拝見したいという思いを持ち続けていると、いつか叶うものなので、いずれその機会が来ることでしょう。

 この石碑のある家の隣は、「シェリー・夕顔」という高級マンションです。
 
 
 
090811yugao1高級マンション
 
 
 
 上の写真にもあるように、ここに高級外車が駐まっていることに、隔世の感を抱きます。
 光源氏が身をやつして訪れた時の車とは、あまりにも違いすぎます。
 
 
 
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 『源氏物語』の本文(陽明文庫本)には、「御車も、いといたう、やつしたまへり。」とありました。「六条わたりの御忍び歩きのころ」なので、この時の車は、網代車だったと思われます。
 源氏絵では、扇に載せた夕顔の花を受け取る場面として、よく描かれています。

 今は亡き夕顔がこの地を訪れたら、自分がいた住まいのこの環境の激変に、さぞかし驚くことでしょう。
 自分を記念する碑を見ながら、なんと言うでしょうか。
 「ここはどこ?」
 と言った後のことばを考えるだけでも、楽しくなります。
 さしずめ私なら、「このお車は、どなたの?」と彼女に言わせます。
 そして、夕顔は運転手の惟光を呼び寄せて、この隣のマンションに住まう女性たちの素性と、光源氏の今の様子をそれとなく、遠慮がちに、遠回しに聞き出そうとするのです。

 実はこのマンションに、六条御息所がひっそりと一室をもらっていたのです。
 自分に取り憑いた六条御息所に、今度は夕顔が罠をしかけます。
 蘇った夕顔には、自分でも思い及ばぬ復讐心があったのです。

 千年後の「夕顔」という物語ができそうです。


2009年8月24日 (月)

芥川賞受賞作「終の住処」

 饒舌な語り口に耳を傾けました。
 それにしても、現実感に乏しい小説です。
 なぜか、頭から紡ぎ出された、原稿用紙というか、パソコンに打ち付けられた作品のように思えます。

 作者の思索の中を、一緒に彷徨えばよかったと思われます。しかし、実際に私には、そのような付き合い方ができませんでした。

 久しぶりに、芥川賞(第141回、平成21年度上半期)を受賞した作品を読みました。しかし、あまり親しみの持てる作品ではありませんでした。

 自分が、明るい展開と展望を作品に求めていたからでしょうか。自分の求める文学のありようが、改めて自覚されました。
 その意味でも、本作品は、私向きではなかった、ということになります。
 ただし、文章力のある作家として成長する兆しが感じられる作品になっていました。

 この作品に関しては、「時間」というものが問題とされています。しかし、私には、それは大きな問題とはなりませんでした。【2】


『文藝春秋 8月号』(平成21年、新潮6月号 )収録


2009年8月23日 (日)

京洛逍遙(100)府立植物園で『源氏物語』

 京都府立植物園が85周年記念として「源氏物語の植物木版画展」を開催中です。
 
 
 
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 この手作り感あふれる案内板が気に入りました。
 園内に入って右側の建物です。
 
 
 
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 『源氏物語』には、110種類もの植物が登場するそうです。一度、事典などで確認したいと思っていますが、いまだ果たしていません。
 今回の展示は、木版本の源氏物語絵巻などとともに、その植物を、木版摺りと写真で一覧できるものです。

 京都府立植物園には、約90種類もの源氏物語ゆかりの植物が栽培されているとのことです。千年前の植物が今でも自分の眼で確認できるのですから、すごいことです。これも、いずれ1点ずつ確認したいと思います。

 この展覧会は、こぢんまりとした植物園会館展示室で開かれています。
 写真も、快く撮らせてくださいました。
 
 
 
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 和紙の創作照明には、少し違和感がありました。
 『源氏物語』に関する花の情報を、もう少し工夫して提示していただけたら、さらに楽しく花々を見られたと思います。

 期間は、平成21年8月21日から9月6日までの17日間。
 一般の方は、200円の入園料で植物園に入場すると、この展覧会は自由に見られます。

 以下、展示内容を紹介しておきます。
 ・上村松篁 木版画 「桃花」額装
 ・上村松篁 木版画 「桃花」 摺立順序
 ・木版本 源氏物語絵巻
  1.川面義雄氏制作作品
      絵19面、詞書19面 (入れ替え有り)
  2.FMスクリーン特色多色刷りによる復刻本
      絵19面、詞書37面
 ・手摺木版画(花版画 約22点)
 ・あかり(和紙で作るあかり“照明” 約15点)
 ・写真(源氏物語に登場する植物 約36点)

 この京都府立植物園は、大正13年のオープンです。日本で初めての公立の植物園でした。しかし、その長い歴史には、筆舌に尽くしがたい出来事もあったようです。
 朝日新聞(8月12日夕刊)の「狙われた御所」という特集で「古都の戦争と平和」と題する記事に、次のような興味深いことが報じられています。

 終戦後の昭和46年の秋、この植物園の敷地内に、突如アメリカ村が出現したのです。
 進駐軍の家族用住宅が建設され、その時に25,000本の樹木の内、19,000本が伐採されたそうです。ブルドーザーで園地が潰され、そこに学校や消防署、テニスコートが造られたため、植物は全滅となったのです。
 その時の写真が、園長室にあるそうで、新聞に掲載されていました。

 アメリカ軍は、最初は京都御所を含む京都御苑を要求したようです。
 しかし、日本側は抵抗し、その時の資料が宮内庁書陵部に残っているようです。
 私にとっては古典籍を拝見するしか縁のなかった書陵部に、そんな資料もあることを知り驚きました。

 御所の代替地として差し出された植物園は、本当に気の毒でした。
 しかし、今は手入れの行き届いた立派な植物園として、四季折々に、みんなに愛されています。

 なお、この植物園については、「京洛逍遥(83)府立植物園のバラ園」という内容で紹介しました。
 現在の様子について書いたものです。
 併せてご笑覧いただければ幸いです。

2009年8月22日 (土)

井上靖卒読(87)「漆胡樽」「人妻」「踊る葬列」

■「漆胡樽」
 月光に照らし出され、 青味を帯びた漆胡樽が、美しく浮かび上がってきます。
 一個の器物は、その流転の物語を内包します。
 作者の井上の想像力が、豊かに結実した作品となっています。
 文章がしっかりしていて、読み応えがあります。
 
 なお、これまでの出版物のすべてが「に大山(天山山脈と崑ロン山脈)あり」としているところを、『井上靖全集』では「南北に大山(天山山脈と崑ロン山脈)あり」と、編者の判断で地図上の正確さを考慮して訂正しています。【4】

初出誌︰新潮
初出号数︰1950年4月号


新潮文庫︰ある偽作家の生涯
旺文社文庫︰洪水・異域の人 他八編
井上靖小説全集15︰天平の甍・敦煌
井上靖全集2︰短篇2

〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/


■「人妻」

 若者の恋慕の情のスイッチが切り替わる、その瞬間を切り取ったところです。
 一片の詩と言えるものです。
 この作品は、四百字小説とのことです。
 こうしたスタイルのものを、もっと読みたくなりました。
 新聞掲載後、『井上靖全集』に初めて収録されたものです。【3】


初出紙︰都新聞
初出日︰1950年4月19日

井上靖全集 2 短篇2

〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/

■「踊る葬列」

 文章が非常にうまいと思いました。
 男と老人の話の行き違いが、うまく噛み合っているように描かれているのがいいですね。
 あり得ない話です。しかし、その瞬間は、おもしろいと思います。
 非常にユーモラスな話に仕上がっています。

 意外に、人生は、人間はこんなものかもしれません。
 見かけだけの社会への、痛烈な風刺が利いた作品となっています。【2】


初出誌︰オール読物
初出号数︰1950年5月号

井上靖全集 2 短篇2

〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/

2009年8月21日 (金)

井上靖卒読(86)詩集『傍観者』

 これは、井上の第七詩集です。
 昭和63年6月に刊行されました。
 ほとんどの詩が、『すばる』に発表されたものです。

 「ハジラール」は、絵になっています。トルコのカッパドキア高原の点描です。
 「遠いナイル」では、待つ姿がいいと思います。私は、井上のこんな詩が好きです。
 「白い蝶」での大手術のことと「かりそめ」ということばは、すぐ後の「桐の花」に繋がっていきます。
 「天涯の村」は、『星と祭』の切り抜き画のようです。

昭和63年6月10日
集英社
52篇収録


井上靖全集1︰詩篇

2009年8月20日 (木)

井上靖卒読(85)「無声堂」「ある兵隊の死」

 この2作品で、『猟銃』以前の短編小説は読み終えたことになります。
 『猟銃』以前のものとしては、『流転』(昭和12年、『井上靖全集 第8巻 長篇1』所収)を、まだ読んでいません。


■「無声堂」
 井上靖の自叙伝です。
 部活動に生活のすべてを捧げています。
 井上は柔道でしたが、私はテニスに明け暮れていました。
 自分を振り返る時、感慨一入の思いは、誰にもあるものです。【2】

初出紙︰京都帝国大学新聞
初出日︰1941年9月20日


井上靖小説全集 1︰猟銃・闘牛
井上靖全集 1︰全詩篇・短編1


〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/


■「ある兵隊の死」
 死にゆく1人の兵士を追っています。
 心の中が、巧みに語られています。
 ただし、話題が話題でもあり、盛り上がりはありません。【2】

初出誌︰世界の動き
初出号数︰1949年4月第1号

*筆名は「井上承也」で掲載されています。


旺文社文庫︰滝へ降りる道
井上靖文庫23︰朱い門他
井上靖小説全集 3︰比良のシャクナゲ・霧の道
井上靖全集 1︰全詩篇・短編1

2009年8月19日 (水)

スクーバダイビング2009(2)

 2日目は、ボートで沖合まで出て、深いところを潜りました。
 
 
 
090817fune
 
 
 
 向こうの陸地には、清少納言の『枕草子』に出てくる「しらら浜」が見えるとのことでした。
 そちらの方向にシャッターを切りました。どこがそこなのかは、また後に確認します。
 突然、池田さんは『枕草子』の一節を暗唱してくださいました。自分の世界の話になったにも関わらず、私はこれから海に飛び込むことに注意が集中していて、『枕草子』どころではありませんでした。
 まさに、本業を忘れてのダイビングです。
 
 
 
090818siraraしらら浜はどこ?
 
 
 
 天気は、昨日同様に晴れ。風も3メートルと弱く、絶好のダイビング日和です。
 魚も、大歓迎してくれました。
 
 
 
090817kangei魚たちに囲まれて
 
 
 
 まずは、18メートル底に横たわる沈没船です。2年前に、伊豆の菖蒲沢で24メートル海底の沈没船に行きました。
 今回は30メートルの大きな船です。たくさんの魚がいました。
 
 
 
090818cabin3沈船のキャビン
 
 
 
090818cabin2キャビンで
 
 
 
 水中で静止する中性浮力のバランスを崩し、2度も海中を上下しました。
 自分の身体をコントロールするのも、なかなか難しいものです。

 2回目のダイブもボートで沖へ行き、三角形の縦穴を下降したり上昇し、20メートルの横穴をまっすぐに進むなど、なかなか爽快な泳ぎとなりました。
 変化のある、楽しいダイビングです。
 
 
 
090818yoko1洞窟内通過中
 
 
 
090818yoko3
 
 
 
 かわいいクマノミが来ましたが、産卵後というので威嚇してきました。
 
 
 

090818kumanomiクマノミ
 
 
 
 今回は、重りを2キロまで減らして泳ぎやすくしてもらいました。
 しかし、また中性浮力を失い、上下動をしてしまいました。慌てるシーンがある内は、まだまだです。

 今回で、通算14回のダイブとなりました。
 トータルの潜水時間は、なんとか7時間を超えました。

 2日間、インストラクターの池田さんには大変お世話になりました。
 海ではもちろんのこと、マリンハウスのテーブルなどでも、たくさんの話を伺うことができました。これが、実は非常にありがたい収穫でした。
 スクーバ・ダイビングの楽しさや楽しみ方を、いろいろと教えていただきました。
 非常に説得力のある説明で、また海中でも目配りの利いた誘導には、敬服しています。

 池田さんは、すでに20数年で1万数千本のダイビングをなさっているとか。
 2万本を目指して、ますますのご活躍をお祈りしています。

 私の息子が、幼稚園くらいの時のことでした。
 この白浜の三段壁の崖を家族で見学していたとき、突然崖の方向へ走り出しました。
 よりによって、ここは自殺の名所です。
 私も妻も、「とまれーっ」と大声で叫び続けました。とにかくチョロチョロと走り回っている子でした。もうだめだ、と思ったときに、何とか踏み留まって事なきを得ました。
 その後、同じ所を訪れたところ、柵が設けられていました。しかし、今はまた、柵が取り外されているとのことです。
 この三段壁の下も、すばらしいダイビングポイントなのだそうです。ただし、上級者向けなので、30本は潜って、中性浮力を確保できるようにならないと、行くのは危険だとのアドバイスをもらいました。

 この思い出の三段壁の下を潜ることを、当面の目標にしたいと思います。
 その時には、池田さん、またインストラクターとしてのご指導を、よろしくお願いします。

2009年8月18日 (火)

スクーバダイビング2009(1)

 南紀白浜へスクーバ・ダイビングに行きました。

 昨日書いたように、第1日目の夜に長文のブログを書いたのですが、送信時のエラーで2回ともアップに失敗しました。

 パソコンとの付き合いは20年以上になります。しかし、依然としてトラブルはつきものです。
 まだまだ、パソコンの操作環境は未成熟です。ノイマン型コンピュータの限界なのでしょうか。

 手元に昨夜書いたテキストは何も残っていないので、改めて再度思い出しながら書くことにします。

 自宅を朝一番に出、大阪・天王寺駅で「くろしお1号」に乗り換えて、一路白浜駅へ行くという、片道4時間の旅です。

 しかし、あろうことか、天王寺に着いた時は、阪和線の列車故障のために全線運休となったばかりのところでした。
 特急の指定席に座り、動かない車窓の風景を1時間ほどボーッと眺めていました。かつて、通勤に使っていた乗換駅です。雑踏を懐かしみながらのスタートとなりました。

 白浜駅についたのは、ちょうど1時間遅れでした。
 タクシーを飛ばしてアクアマリン・シラハマへ急ぎました。
 
 
 
090817houseアクアマリン・シラハマ
 
 
 
 しかし、お昼に近いということもあり、午前中のダイビングは午後に回すことになりました。そして、インストラクターの池田さんと楽しく歓談しながら、復習を兼ねた今回のスケジュールの確認をしました。

 午後の最初は、ビーチで魚とのコミュニケーションをとりながら、2年間の空白を埋める、ダイビングを思い出す時間でした。最初は、6キロの重りを身につけての潜水です。
 クロダイ、ソラスズメダイ、ボラ、ウツボなどがたくさんいました。(このウツボは、2日目の写真かも?)
 
 
 
090817utuboウツボ
 
 
 
 温度は31度、5.1メートル水底の温度は29度でした。

 午後の2本目のダイブは、水中写真撮影のスキルアップです。
 動画の撮影が、こんな時に楽しい映像を残してくれます。
 これまで、デジカメで動画を撮ることがなかったので、意外な活用法でした。
 今度は、身体とウエットスーツが慣れたせいもあり、重りは5キロにしています。
 初日の潜水時間のトータルは、50分でした。

 宿舎は、歩いて1分のところにある塔島館という民宿です。
 のんびりできる、いい宿でした。
 夜のインターネットへの接続のトラブル意外は……。
 もちろん、その責任は、宿にはありません。
 iPhoneを使っての接続なので、ソフトバンクとイオネットという接続業者の問題なのです。
 ソフトバンクはどうしようもない会社だと思っているので、打つ手はありません。
 1日も早く、auがiPhoneを取り扱ってくれることを熱望しています。

 なお、2年前のダイビング話をご覧になりたい方は、以下のアドレスの記事をご笑覧ください。

【2年前のダイビングの記録】

スクーバ・ダイビング(1)

スクーバ・ダイビング(2)

スクーバ・ダイビング(3)

スクーバ・ダイビング(4)

スクーバ・ダイビング(5)

スクーバ・ダイビング(6)

スクーバ・ダイビング(7)

スクーバ・ダイビング(8)

スクーバ・ダイビング(9)

スクーバ・ダイビング(10)

スクーバ・ダイビング(11)

2009年8月17日 (月)

スクーバダイビング2009(0)

南紀白浜に来ています。

先ほど来、頑張って二度も長文をアップロードしました。しかし、いずれも失敗に終わりました。
冷酷で虚しいメッセージを、二度も見る羽目になりました。

波の音を聞きながら、この一時間を取り返すように、少しだけでも書いておきます。

今回は、更新を諦めます。

明日、再度試みます。

京洛逍遥(99)大文字の送り火2009

 京都五山の送り火がありました。
 夜の闇の中に浮かぶ送り火は、とても幻想的です。

 昨年は、家の近くの河原から見ました。
 ただし、位置の関係から、「大」の字だけしか見られませんでした。

「京洛逍遥(45)大文字の送り火」

 今年は、陽明文庫の名和先生とご一緒に、思文閣美術館のあるビルの屋上から見ました。
 ここからは、五山すべての文字が見られるとのことで、お言葉に甘えて同道しました。

 午後8時に如意ケ嶽に「大」の字が点火されました。
 
 
 
090816right_dai1点火直後
 
 
 
 しばらくすると、煙の中に燃え上がる「大」の字が夜空を焦がします。
 
 
 
090816right_dai2
 
 
 
 今日は、デジタルカメラに望遠レンズを付けて撮影しました。ただし、三脚を忘れて行き、手取りのために鮮明ではありません。
 それでも、近くからの撮影なので、河原からの見物では見えないところが撮影できました。

 ビルの上から、百万遍の交差点が臨めました。
 賀茂の河原には大勢の人が詰めかけていました。それ以上に、この京都大学の北西の角にあたる百万遍にも、大文字の真下ということもあり、たくさんの見物の人で溢れかえっていました。
 
 
 
090816right_dai3百万遍交差点
 
 
 
 続いて、「妙法」です。
 これは、自宅から近いところにあります。しかし、低い山で焚かれるので、植物園などの木々が障害となるために見られないのです。
 今回は、高いビルから真っ正面に、非常にくっきりと夜空に映えていました。
 
 
 
090816myou妙法
 
 
 
 さらに眼を左の船岡山に転ずると、舟形が見えます。
 かわいい絵が、夜空に描かれています。
 
 
 
090816fune舟形
 
 
 
 さらに左、金閣寺の方に眼をやると、「左大文字」が見えます。
 
 
 
090816left_dai左大文字
 
 
 
 火の付き方が遅く、なかなか完成形になりませんでした。
 京都大学の近くからは遠いことと、角度の関係で、あまりはっきりとは見えませんでした。

 真西の方角にあたる太秦方面に、ビルの間からかすかに見えるのが「鳥居形」でした。
 
 
 
090816tori鳥居形
 
 
 
 これは、初めて見るものです。

 こうして、五山の送り火のすべてを見ることが出来ました。
 お盆にお迎えした精霊を見送るのです。
 また来年の出会いを楽しみにして、雑踏の中を帰路に着きました。
 みんなが参加できる、すばらしい伝統行事となっています。

 ご先祖さんを天空に見送った私は、明日からは南紀白浜へ行き、スクーバ・ダイビングで海を潜ります。
 空から海へと、何かと慌ただしいことです。
 元気なればこそと、感謝しながらの日々です。


2009年8月16日 (日)

源氏のゆかり(43)河原院跡

 河原院は、第4巻「夕顔」や第33巻「藤裏葉」の背景を理解するのに重要な場所です。

 「源氏のゆかり(38)説明板33-棲霞観跡」で触れたように、嵯峨天皇皇子である源融の山荘が、嵯峨野の北にある清涼寺(嵯峨釈迦堂)と縁がありました。

 
 源融は、宇治の平等院のそばにも、別荘をもっていました。

 六条院は、この河原院の敷地として読んでいいようです。

 ここは、『源氏物語』にとっては縁の深い場所なのです。
 
 
 
090810kawaranoin1高瀬川の傍
 
 
 
090810kawaranoin2
 
 
 
 源氏のゆかりの説明版が設置されてもよかったと思います。
 現在は、次の説明板が建っています。
 
 
 
090810kawaranoin3説明
 
 
 
 源融は、さまざまな意味で、『源氏物語』と関係の深い人物です。
 京洛を逍遙しながら、この源融が日本文学の背景に見え隠れする意味は、想像以上に大きなものがありそうです。

2009年8月15日 (土)

いつものお盆です

 鞍馬口にあるの養林庵の庵主さんが、今年も来てくださいました。
 お盆には、いつもお願いしています。
 
 
 
090815anjyu読経
 
 
 
 庵主さんは、80歳を越しておられます。しかし、お元気です。
 気持ちのいいお経です。
 今日も、お盆だけの特別なお経をあげてくださいました。

 右の木魚は、我が家伝来のものです。昭和初期からのもので年季が入っているものです。
 乾いた木の響きが、部屋中の空気を新鮮にしてくれます。心地よいリズムを刻んでいました。

 仏壇のお膳は、夜行バスで今朝駆けつけるようにして帰ってきた、料理人の息子が作った精進料理です。
 小さいながらも、細かな細工を施した、本格的なお膳です。

 坪庭の苔が元気よく育っているのを見て、お寺のようにいい苔だと言ってくださいました。
 楽しい話をたくさん聴きました。
 今年は、我が家へ真っ直ぐ来られなかったことを、大変残念そうにしておられました。
 昨年はスーッと来られたのに、今年はわからなくなったと、年をとった、年をとったとおっしゃいます。
 80歳を過ぎておられるので、周りから見るとそれだけでもすごいのに、ご自分では道を間違えたことがショックのご様子でした。ご自分に自信があるからこそ、お元気だからこその悔しさだと思われます。

 我が家の、亡くなったおばあちゃんよりも3歳年下だそうです。
 おばあちゃんとそっくりだということもあり、家族みんなで来年の再会を楽しみにしています。


 庵主さんを借りていたレンタカーでお送りし、その後すぐに家族みんなで、大阪・八尾の高安にあるお墓参りに行きました。
 久しぶりの運転でした。しかし、その感覚は忘れないものです。
 名神自動車道も近畿道も、車は少なかったので意外でした。
 みなさん、遠出をしておられるのでしょうか。

 お墓参りから帰った後、子どもたち3人が、紫式部のお墓や堀川を見に自転車で行ったので、私は妻と一緒にいつもの賀茂川のウォーキングに出かけました。

 いつもは見かけない烏が2羽いました。
 その向こうと川下には、たくさんの鴨が川で遊んでいます。
 楽しそうな川面の風景です。
 
 
 
090815karasu鴨と烏
 
 
 
 今年の夏は、例年より涼しいように思います。
 川風もサラッとしています。
 夕方になると、肌寒さを感じるほどです。

 明日は、京都五山の送り火です。

2009年8月14日 (金)

調理修行(1)油揚げいろいろ

 我が家の近所には、お豆腐屋さんと銭湯がたくさんあります。
 豆腐は、京都の水がおいしいので、味がいいからです。
 銭湯は、町家にはお風呂がなかったため、今もその生活習慣が残っているからでしょう。

 私は、料理はこれまでまったくしませんでした。
 妻がいつも手際よくおいしいものを作ってくれることと、息子がイタリアンのシェフを目指しているからです。
 私が料理を作る必要が、まったくなかったのです。

 しかし、京都に住むようになり、おばんざいのおいしさを知り、食材としての京野菜の味がわかってから、自分でこうした食材を駆使した料理を作らない手はない、と思うようになりました。
 もっとも、まだ油揚げを焼いた料理しか出来ませんが……。

 近所のお豆腐屋さんには、本当に気さくに入れます。
 
 
 
080426toufu1店先
 
 
 
 スーパーの値段と比べると、幾分高いかも知れません。しかし、おいしいのです。

 お店のおばさんは、いつもおまけを入れてくれます。

 
 
 
080426toufu3おばさん
 
 
 
 次の写真のようなケースに鎮座まします、厚揚げ、かんもどきと一緒に、草履のような油揚げが眼を惹きます。
 
 
 
080426toufu2油揚げ入れ
 
 
 
 スーパーにも、たくさんの油揚げがあります。
 以下、いろいろな油揚げを使った、私流のお酒のおつまみを紹介します。
 私も、こんな料理のことが話せるようになりました。ここまで成長しました。

 まずは、地元の「京あげ」です。
 長さは、20センチほどあります。
 
 
 
090813aburaage00京あげ
 
 
 
 九条ネギをトッピングすると、こんなものになりました。
 
 
 
090813aburaage0九条ネギをのせる
 
 
 
 次は、南禅寺御用達の油揚げです。
 
 
 
090811age1南禅寺御用達
 
 
 
 これは、ふっくらとした食感で、豆腐のように食べられます。
 これも20センチほどです。
 
 
 
090811age3タマネギのトッピング
 
 
 
 ここに盛りつけた皿は、先日の陶器市で買ったものです。高温で焼いたものなので、軽いのが特徴です。
 色は、陶芸家の方のアドバイスにより、油揚げが映える茶系のものです。


 次は、北野天神の地元で作られている「京のお揚げ」です。
 何と、30センチはあります。
 
 
 
090811age2北野天神の油揚げ
 
 
 
 これは、南禅寺御用達のものとは異なり、薄い焼き加減となっています。
 盛りつけた皿は、我が家で一番の人気がある皿です。宇治と醍醐の裏山の、炭山の陶芸村で入手したものです。
 私から妻へのプレゼントでもあります。
 
 
 
090812agekitano記念の皿に
 
 
 
 次は、力強い油揚げです。
 
 
 
090813aburaage1男前
 
 
 
 これは、妻が盛り付けてくれました。
 
 
 
090813aburaage2赤タマネギのトッピング
 
 
 
 一枚200円前後の油揚げで、こんなに楽しめます。

 私が作れる料理は、今はこれだけです。
 一品ずつ、レパートリーを増やしていきたいと思っています。

2009年8月13日 (木)

裁判員には裁判を監視する役目もあるはず

 裁判員制度が導入され、2件目の判決が出ました。
 マスコミは、こぞってこれを取り上げています。
 しかし、一つ視点が欠落しているように思えます。

 私は、裁判員制度の導入により、いいかげんな裁判をさせないための抑止力も裁判員が受け持つことになった、と考えています。
 ところが、マスコミ報道を見る限り、裁判員制度によって国民の裁判に対する意識を向上させる、ということだけが強調されているようです。
 果たして、それだけでしょうか。
 今のマスコミの書きぶりでは、裁判所を見上げる視線で、裁判員制度が取材・報道されているように思えてなりません。

 裁判官の中には、とんでもない人がいます。いました。
 いかげんな訴訟指揮をし、いいかげんな判決文を書いて一件落着とする裁判官がいます。いました。
 せめて、原告が提出した訴状や準備書面には眼を通して判決文を書きましょう。

 また、不誠実な弁護士もいます。いました。
 立場が違うとはいえ、法廷でヌケヌケと嘘はいけません。

 私は、東京地方裁判所で、とんでもない裁判長に当たりました。
 そして、その時の弁護士は、誠意の欠片もありませんでした。

 私が提出した訴状を読みもしないで審理を進め、でたらめな判決を出した東京地裁に落胆し、すぐに東京高裁に控訴しました。

 東京高裁での冒頭、私は裁判長に、まじめに裁判をしてほしいということと、提出した資料を読んで判決を出してほしい、と強く強く訴えました。
 高裁の裁判長は、これは大変とばかりに、哲学論争に持ち込もうとしましたが、そこは文学論争以外はどうも……とか何とか言って、どうにかかわしました。

 ただし、この高裁の裁判官は良識のある方で、私に分があることは明らかであることを早々に察知され、和解に持ち込んでの解決を勧められました。

 ところが、和解の話がまとまりかけた段階で、今度は弁護士がそれまで嘘をついていたことがわかりました。

 和解に立ち会われた裁判官は、あなたも大変だろうから、もうこのへんで収めたら、という趣旨の早期終結を急がれました。
 くだらんことで仕事を増やすな、というのが本音だったのでは、と思っています。

 事実が何で、何が正しいかは、私が体験した東京地方裁判所と東京高等裁判所では、もうどうでもいいことでした。
 事実確認が、非常に軽く扱われていました。

 以来、裁判とはこんないいかげんなものでいいのか、と疑問に思っていました。
 その原因が、弁護士を雇わない個人裁判だったので、それが本来の裁判のありかただとしても、その業界の人たちにとっては適当に処理する事案だったのでしょうか。

 私の結論は、裁判官は人手不足で、1日に何本もの判決を書かされる激務なので、全力投球で裁判などに取り組めないのだ、ということに理解を示すことでした。
 また、弁護士も、対費用効果によって活動する人たちで、軽微で面倒な事案には適当に対処するのが慣例であり、私の場合がそれだったのだろう、と思うことにしました。

 忙しさのあまり、どうしても全裁判に集中できずに適宜気を抜いていた裁判官の実態が、明らかにあるはずです。
 そこに裁判員制度が導入されたことにより、裁判に裁判員という、法律には素人とはいえ第三者の眼が入ることになります。それによって緊張感が生まれ、裁判の中で手抜きをしにくくなる、という効果が期待できる、という側面を、関係者はみんな消極的にせよ歓迎し期待していたと思います。また、裁判員制度がうまく機能すれば、眼の回るほど忙しい裁判官の労力も軽減することが期待できます。

 その点に、マスコミはほとんど切り込んでいないのです。

 この裁判員制度が進めば、いずれは裁判官の実態も明るみに出、また裁判員にもいいかげんな人が採択されるなど、裁判そのものの意義を問題にする時が、遠からず来るはずです。

 裁判員が裁判の監視役をも果たすことがある、ということは、その時に浮上することかもしれません。
 今は、とにかく裁判官の実態には触れないレベルでの、裁判員に課せられた職務の一端だけが注視され、報道の対象になっている段階かも知れません。
 今は、裁判員が法曹界の中を見てはいけないのです。目の前の事案に真摯に対処することだけが求められています。

 しかし、いずれは、裁判員も裁判官の、そして弁護士のありように不審な思いを抱くことでしょう。
 その時に、改めて、裁判とは何か、ということが問題になるのかも知れません。自分たちは、正規雇用者の負担軽減のために雇われた、非正規雇用者であったことに。
 民主主義の側面が覗き見できる時となります。

 私が個人裁判を通してまとめた次の報告書は、裁判所での理解不能な実態を詳細に記したものです。
 ただしこれは、A4版の用紙にして250枚ほどの分量がありますので、おついでの折にでもご笑覧いただければ幸いです。
 裁判官と弁護士の知られざる実態が炙り出されている、ということで好意的な評価をいただいているレポートです。


「海外留学と保険契約 -驚くべき損害保険会社の対応を裁判体験から報告する-」


 この冒頭で、論点を三つあげて要旨をまとめています。
 参考までに、引用しておきます。

1)若者が海外留学する時に契約する保険内容は誰に聞けばいいのか

(被告会社の弁護士の説明では、保険内容の説明はあくまでも
サービスであって、その内容を説明する法的義務はないと)

2)地方裁判所においては事実の指摘が何と軽く扱われていることか

(東京地裁の裁判進行と判決は事実確認を軽視したものであり
上告審の東京高裁でようやく事実に耳を貸してもらえた)

3)和解の最終局面で突然出現した留学生専用パンフレットの意味は

(保険契約時や訴訟進行時に、この資料はまったく提示されず
和解交渉に入るまでは、その存在すら隠し通されていた)

源氏のゆかり(42)説明板39-鳥辺野

 鳥辺野は、夕顔や葵の上、紫の上が荼毘に付された葬送の地です。
 史実では、中宮定子や藤原道長とその息子頼通親子などが、ここで荼毘に付されています。
 第4巻「夕顔」での、亡骸を移す場面は、色彩的にもその描写は印象的です。

 この鳥辺野の説明版は、『源氏物語』に描写されていた場面のイメージから、清水寺の下か音羽の滝あたりにあるものと想像していました。ところが、意外にも東山七条の交差点の近くにありました。ここは、京都国立博物館を出て左に少し歩いたところです。
 次の写真の、バスが右折するところが東山七条です。その向こうの森が、博物館です。
 
 
 
090810toribeno1市街を臨む
 
 
 
 この交差点から京都女子大学を見上げると、こんな様子です。
 ちょうど、京都女子高校の学生さんが下ってくる所でした。
 
 
 
090810toribeno2京都女子大を臨む
 
 
 
 説明版は、ひっそりと妙法院の南側の塀に沿って置かれています。
 しかし、ほとんどの説明版が狭苦しいところにあったことを思うと、ここは一番いい場所だったかも知れません。
 
 
 
090810toribeno3説明版
 
 
 
 2008年3月に、源氏物語の千年紀を記念して40箇所に設置された説明版を尋ねることも、後1箇所で満願(?)です。
 ただし、大原野神社なので、なかなか行く機会が見つかりません。

 秋には、花を見るついでに行きたいものです。

2009年8月12日 (水)

井上靖卒読(84)『孔子』

 書名がシンプルです。
 私なら『初期の孔子研究余話』としますが、それでは堅すぎますね。
 また、この小説は全五章で成り立っています。
 わかりやすく、各章にサブタイトルを付けてみましょう。


  第一章 中原放浪
  第二章 我が天命論
  第三章 孔門の高弟談
  第四章 孔子研究会
  第五章 孔子の魅力

 こうすると、さらに堅苦しくなって見えます。
 そのような印象を避ける意味から、井上はシンプルな書名と、章立ては見出し語のないものにしたように思われます。
 人間孔子を語る物語なんだ、と。

 話は、孔子没後33年のことです。
 孔子が旅をする時の雑役夫として臨時に雇われた一人の男が、求めに応じて師のことを問わず語りする形で始まります。
 それが、しだいに「孔子研究会」との談論となっていきます。一話一話のつなぎ方が巧みで、自然な物語展開です。
 この男は、第二章で、蔫畺(読みはエンキョウ、正しくは草冠に畺)という名前であることがわかります。

 「考え、考え」(47頁、77頁)という表現が、井上にはめずらしいと思いました。
 それと似た表現として、
 「夢の中になり、夢の中になりして」(93頁)
 「川の流れは、流れ、流れて」(140頁、143頁、145頁、145頁)
 「これがいい、これがいい」(251頁)
などがあります。
 「川の流れは、流れ、流れて」は、4回も出てきます。
 語りを意識しての表現なのでしょうか。

 「朝に道あるを聞かば、夕に死すとも可なり。」(126頁)という孔子の言葉で、「道」を「道徳の支配する理想社会」との解釈は、井上の強調したいところのようです。

 その孔子の教団のモットーは、「生まれてよかったと思う社会と人間を養成すること」だと言います。そして、会員が孔子の資料を集めるだけでは、孔子がわかることにならない、とも。資料偏重主義に対する批判の紹介には、私にも思い当たるところがあり、いろいろと思いを致しました。
 とにかく、人間孔子の生き様を通して、各所で考えさせられます。

 「孔子研究会」や「仁・研究会」の会員との懇談会という形をとった話の展開が、実におもしろいと思いました。「孔子・逸話の蒐集と研究の集い」という組織の名前もでてきます。
 これらは、井上の創意なのでしょうか。現在の孔子研究の最前線を知らないのでそのままにしておきますが、集団が孔子像を浮き彫りにする上で、そうした組織が効果的に描かれています。
 これらの組織は、孔子のことばを探し出してきて、孔子研究会で紹介や発表をし、公認を取るなど、人の営為が活写されています。また、認定のための審査員がいたとするのも、おもしろい設定です。

 作者の遊び心満載の物語に仕上がっています。

 詩人である井上は、孔子の詩的なことばに惹かれているようです。
 孔子のことばの解釈の端々に、その傾向が認められます。

 後半では、星空の美しさが語られ、きれいな語り下ろしとなっています。【3】

初出誌︰新潮
初出号数︰昭和62年6月~平成1年5月
連載回数︰6回


新潮文庫︰孔子
井上靖全集22︰長篇15


※平成2年『野間文芸賞』受賞

〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/


2009年8月11日 (火)

学問とは無縁な茶番が再び新聞に

 朝日新聞の関西版(2009年8月8日夕刊)に、平等院の鳳凰堂に奉納された『源氏物語』の新写本の話が掲載されました。
 これは、東京では2009年7月2日(夕刊)に掲載されたものです。1ヶ月の時を経て、ほぼ同じ文が掲載されました。
 ただし、鳳凰堂の阿弥陀如来座像の前に新写本を積み上げて法要を営むという、狂態を演じたカラー写真は、関西版には掲載されていません。
 これで、この記事は、関東と関西で読まれることとなりました。
 その記事を書いた記者のレベルの低さに、おーい、朝日新聞よ、と嘆いても仕方がないので、あらためてその意味を問題提起します。

 勝手に物語の新たな異本を垂れ流すのは、それが学問的な背景を装っているかのごとくなされているだけに、罪が深いと言えます。

 この記事については、すでに1ヶ月前の本ブログで、「新写本『源氏物語』を平等院に奉納する愚行」と題して批判的な記事を寄せました。

 そこでは、

『源氏物語』の受容史から見ると、あまりにも愚かな行為であり、報道のされ方に、信じられない思いでいます。

と記しました。この書写行為は『源氏物語』の研究史に残る烏滸(おこ)の沙汰です。
 それを無批判に大きく取り上げた朝日新聞の記事は、これまた興味深い『源氏物語』の恥ずべき受容資料となるのです。

 活字で印刷された『源氏物語』の校訂本文を書かせた方も書かせた方なら、それをご丁寧に東西の紙面で記事にする記者も記者です。

 人間の愚かさを嘆いていても始まりません。

 これは、学問的にも貴重な受容資料となるものです。もっとも、低級な受容資料ではありますが、ここは客観的な姿勢で、東西の記事の本文の異同を確認しておきます。あくまでも今後は、学問的な態度で対します。

 まず、関東版(2009年7月2日夕刊)を揚げ、そして矢印の右側に関西版(2009年8月8日夕刊)の本文異同を明示します。その変更の意味は、ここでは一々言及しません。

 まずは、この記事のタイトルの異同です。

・「源氏物語」平成の写本 平等院に奉納「宝に」→源氏五十四帖写本 平等院に奉納

 昨春、『源氏物語』の千年紀ということで、「千年の源氏物語」という「ニッポン人脈記」が朝日新聞に連載されました。
 本ブログでも、その13回すべての記事にコメントを付けました。

 「源氏千年(27)朝日新聞「人脈記」1」
  ……
 「源氏千年(46)朝日「人脈記」13」

 記者の白石さんは非常に勉強家で、よく調べてお書きになっていました。私も取り上げていただいたので、いろいろと教えていただく機会に恵まれました。
 その中でいただいたご教示に、タイトルは東西の編集部でつける、ということがありました。

 「源氏千年(35)朝日の「みだし」への疑問解消!」

 このことから推して、このタイトルの違いは、東西の編集部によるものだと考えればいいのでしょうか。

 以下、記事に関する本文異同です。

・6月20日→ナシ
・「宇治十帖」ゆかりの平等院→平等院
・この30年ほど→40年以上の書歴あり、この30年ほど
・紙の製作を依頼。→紙の製作を依頼した。
・料紙は模様や色、表裏も異なるので→料紙は模様や色などすべて異なり、表裏も異なるので
・1年かけ、→1年かけて、
・写した。→写しきった。
・製本。→製本している。
・こんな本だったか→あるいはこんな本だったか

 この本文の変更については、記者のO氏が説明されたら一番いいのですが、そんなことはなさらないでしょう。
 本人の同意が得られれば、この記事の意義と、本文の異同の意味について、共に考えるとおもしろいかとも思います。しかし、そんなことが実現するとも思えません。
 時期を見計らって、いつか私のほうで解説をすることになるのでしょう。ただし、私は、特にこうした異同に、問題点を見いだせませんでした。担当記者の納得の問題なのでしょう。

 それにしても、岩波の古典大系本をもとにして書写されたことについては、まったくそのままの記事となっています。
 『旧大系』なのか『新大系』なのか、その明示すらありません。
 『旧大系』ならば、その底本は、宮内庁書陵部の「三条西家本」です。
 『新大系』ならば、古代学協会の「大島本」です。
 巻によっては、その本文は大きく異なります。

 例えば、第36巻「柏木」の最後が、

秋つかたになれば、この君は、這ひゐざりなど(し給ふさまの、言ふよしなくをかしげなれば、 人目のみにもあらず、まことに、かなしと思ひきこえ給(ひ)、常に抱き、もてあそび聞え給ふ)。

となっていれば、『旧大系』です。
 『新大系』ならば、

秋つかたになれば、この君はひゐざりなど。

となっています。

 機会があれば、平等院に奉納された新写本『源氏物語』の「柏木」の巻末を拝見したいものです。

 それはともかく、関東で掲載されて1ヶ月経っても、活字校訂本文を書写するというその意味するところの滑稽さに、担当記者はお気づきにならなかったようです。

 これは、記者を批判するものに留まってはいけません。
 その背景にある、『源氏物語』を代表とする古典籍に対する研究者の意識に、問題の根幹があるといえるでしょう。
 活字の校訂本文を書写させるということに。

 新しい異本をつくり、それを権威付けするという、学問とは無縁な茶番が行われたのです。

2009年8月10日 (月)

京洛逍遥(98)五条坂陶器まつりの源氏絵-2009

 今夏も、五条坂で陶器祭りが開催されています。
 昨年は『源氏物語』の千年紀ということで、様々な源氏絵をあしらった陶器が出品されていました。
 そのことは、以下のように報告しました。

「五条坂陶器まつりと源氏絵陶器」


 今年はその翌年ということもあり、『源氏物語』をテーマにした陶器がどれだけ出ているのか、興味を持って散策しました。
 
 
 
090809toukinorth五条坂北側
 
 
 
 結果的には、昨年よりも多かったように思います。
 これは、昨年好評だったことから、さらに点数を多くした、ということでしょうか。そうであれば、これは今後とも定着するのかもしれません。

 昨年はなかったと思われるものを紹介します。

 まずは、アロマ用のものから。
 
 
 
090809toki1
 
 
 
 源氏香の図が捺されています。ただし、どの巻をデザインしたものかは、これだけではわかりません。

 次の香炉も、同じデザインの変形バージョンです。
 
 
 
090809toki3
 
 
 
 次は、箸置きです。
 
 
 
090809toki2
 
 
 
 この角皿も、箸置きと同じパターンです。というより、このデザインをアレンジしたものが、上の箸置きです。
 
 
 
090809toki4
 
 
 
 昨年紹介した団扇絵皿の中で、あの時になかったと思われるものは、以下のものです。
 今年のための制作されたものなのでしょうか。いずれにしても、今後ともこの団扇型はまだまだ出てきそうです。
 
 
 
090809tokig1
 
 
 
090809tokig2
 
 
 
090809tokig3
 
 
 
090809tokig4
 
 
 
090809tokig5
 
 
 
 なお、五条通の南側にも、お店は並んでいます。しかし、創作陶器が多いせいか、今ひとつ盛り上がりに欠ける場所となっていました。
 
 
 
090809toukisouth五条坂南側
 
 
 
 もっとも私はここで、最近凝っている「焼き油揚げ」を盛る皿を見つけました。
 このことは、また機会を改めましょう。

2009年8月 9日 (日)

小林茂美先生 お別れの会

8月8日は、5月12日にお亡くなりになった小林先生のお別れの会がありました。
 
 
 
090808kobayasi2表紙
 
 
 
090808kobayasi3足跡
 
 
 
第一部は「献花の会」、第二部は「語る会」という構成でした。
250人もの方々の参加を得、賑やかなことのお好きな先生を、みんなでお見送りしました。

第一部での弔辞は、日本女子大学名誉教授の後藤祥子先生でした。
その後の献花では、白いカーネーションを参会者ひとりずつがご霊前にお供えしました。
 
 
 
090808kobayasi献花
 
 
 
喪主としての奥さまの挨拶は、会場を笑いの渦に巻き込みながらの、いつもの奥さまらしいお話に、小林先生の人間性がひしひしと伝わって来ました。

第二部では、献杯を跡見学園女子大学名誉教授の室伏信助先生がなさいました。

ゆかりの方々の思い出話の後、再度奥さまが先生の思い出を語られました。これまた、会場は笑いに満ち溢れ、和やかな送る会となりました。
 
 
 
090808kobayasi5追悼文
 
 
 
奥さまのお話の中に、分骨を遺言のままにインドのガンジス川に流したいが、それも難しいので、出身地の最上川に流してごまかそうと思う、と仰っていました。
散会後、私は毎年インドへ行っていることもあり、来年2月にも行く予定があるので、その時に代わりに流してきます、ということで、後日遺灰の一部をいただくことになりました。

お世話になった先生のためです。先日は、送り火を焚いて差し上げました。
こんどは、お望みだったというガンジス川をたゆたっていただこうと思います。

その後の懇親会も、みんな思い出話に話が弾む盛会でした。
みんなが先生のことを思い出しては、お互いの当時の出来事を喋り合っていたその頃、先生はどこを彷徨っていらっしゃったのでしょうか。
みんなは楽しく懐かしみながら、それぞれの大切な思い出として語り合っていました。

どうぞ、気楽なお気持ちで、我々をあの世から見つめていてください。
みんな、それなりに日々成長していますから。

2009年8月 8日 (土)

スキューバ・ダイビングの練習

 昨年の夏は、秋の源氏物語展の準備のために忙殺され、一度も海へ行けませんでした。
 今年の夏は、南紀・白浜へ行くことにしました。

 前回は、ライセンスを取得するために2度、伊豆の海を潜りました。2年前のことです。
 それ以来なので、機材の使い方から、水中での呼吸から身のこなしまで、すべてがリセットされています。
 そのために、海へ行く前に身体の記憶を呼び覚ますための練習も兼ねて、自宅近くのスポーツクラブへ行き、そこのプールで講習を受けました。
 ちょうど、満月の夜のダイビングとなりました。

 私は、川崎の4メートルの深さの、ダイビング用のプールで練習をしていました。今回の京都のプールは、ごく普通の1.2メートルの深さです。一般の方が泳いでいるコースの端を使うものでした。
 普通の水泳のコースとはいえ、まったく身体が忘れていることですから、ここでの練習で十分に感覚は取り戻せたように思います。

 まず、機材の点検です。ボンベの確認に始まり、ボンベにレギュレーターを取り付けたり、ゲージを見て充填されている空気のチェック、BCDジャケットの取り扱いなど、すべて忘れていたことを思い出させてもらいました。

 プールに入ってからは、呼吸と真っ直ぐに進むことの練習をしました。
 足びれのフィンをけっても、なかなか進みません。身体が左右に振れます。足だけが水面に出てしまいます。

 2年のブランクは、意外に影響していました。
 しかし、1時間ほどの講習を受けて、なんとなく感覚を思い出したように思います。
 実際に行く前に、もう一度練習をする予定です。

 今回着ていくダイビングスーツは、前回同様、こんなものです。
 同行の方のために、今日の練習が終わってから、一応写真に収めておきました。
 
 
 
090807dyving我がダイビングスーツ
 
 
 
 よろしくお願いします。


源氏文論尚友(3)近衞基熈の『源氏物語』書写

 「近衞基熈の『源氏物語』書写—陽明文庫蔵基熈自筆本をめぐって—」
 (川崎佐知子、大阪大学古代中世文学研究会編『皇統迭立と文学形成』、研究叢書391、和泉書院、2009年7月)
が発表されました(以下、「熈」の正字はニスイですが、これで代用します)。

 「近衛関白家第二〇代基熈(一六四八−一七二二)は生涯に多数の書物を写した。」とはじまるように、近衛家における書写活動について、ここでは『源氏物語』との接点を確認する好論文です。
 陽明文庫に伝わる多くの資料を読み解くことにより、調査に基づく客観的な立場からの研究成果を展開します。
 巷に溢れる、読書感想文のような論考とは一線を画す、手堅い実証的な研究です。

 基熈の一筆書写にかかる『源氏物語』54帖は、昨年の国文学研究資料館における源氏展「千年のかがやき」でも、その一部を展示しました。「源氏物語書写校合日数目録」は、書写と校合に要した日数を具体的に記したものであり、『源氏物語』が写された実態がわかる、数少ない資料となるものです。

 昨年の展示目録である『源氏物語 千年のかがやき』では、「日数目録」の写真と解説としての拙文を掲載しました(106頁)。非常に簡単なものでした。しかし、その詳細が、川崎さんの論文で確認できます。特に、「日数目録」を翻字して表にまとめてもらえたのは、うれしい限りです。
 こうして見やすく整理されたことにより、「日数目録」は、より多くの方々に利用してもらえる資料となりました。
 基熈が、書写校合後も、再度の校合をしようとしていたことの指摘なども、『源氏物語』に対する受容者側の意識を知る上で、貴重なことだと思います。

 『源氏物語』が活字の校訂本文によって受容されることが多い中、こうした『源氏物語』を伝えた人の足跡の確認も大切な仕事です。問題意識がないと、興味がわかない分野かと思います。しかし、そのおもしろさを掘り起こすのも、これからの課題です。

 思いつきに終わらない、後で検証が可能な資料に語らせる文学研究も、今後とも注目し、紹介していきたいと思います。

2009年8月 7日 (金)

京洛逍遙(97)陽明文庫の『源氏物語』

 『源氏物語別本集成 続』の第七巻に収録する、底本としての陽明文庫本の第28巻「野分」から第32巻「梅枝」までの本文を確認するために、陽明文庫に行きました。
 いつものように自転車です。道の走り方を覚えたせいか、30分で着きました。

 陽明文庫での調査については、本ブログで何度か報告しました。

「陽明文庫で聞いた水の音」(2007年10月 4日 )

「京洛逍遥(42)仁和寺と陽明文庫」(2008年7月 8日)


「京洛逍遥(58)仁和寺の裏道」(2009年3月19日)


 今日も朝の10時から夕方の4時過ぎまで、じっくりと、重要文化財に指定されている鎌倉時代の文字を凝視してきました。第30巻「藤袴」だけは、後補の写本でした。

 この写本の特徴は、書写の誤りに気づくと、すぐに修正をしていることです。
 文字が書きかけの状態のままに、すぐに削ったりなぞったりして、親本に正確な文字を写そうとしています。
 だらだらと、とにかく写しているのではないのです。
 書写の誤りに気づくと言うことは、そして即座に修正という対応をしていることは、書写者の『源氏物語』に対する意識が高かったことを示します。地下ではなくて堂上の人の手になるものだと思われます。
 今日は文庫長である名和先生のご許可をいただいて、顕微鏡カメラで、判読に困る箇所を撮影しました。
 帰ってから、どのようにでも読める文字の写真判定をするためです。

 次の写真の場合、何か1文字の上に重ねるようにして、「女」という文字がナゾリ書きされています。
 この下の文字が、まだ私には読めません。
 
 
 
090806onna女の下の文字は?
 
 
 
 ひらがなの字母も、鎌倉時代特有のものが散見します。
 この写本は、文字のみならず、内容も再検討すべきことが多いものです。

 『源氏物語別本集成 続』では、陽明文庫本の校訂本文を掲載しています。
 『源氏物語別本集成 続』も、あと2冊後の第八巻で、第二部に入ります。
 可能であれば、これまでに掲載してきた陽明文庫本の校訂本文だけを、まとめて利用してもらいやすい形で提供したいと思っています。
 また、陽明文庫本の語彙索引も必要でしょう。
 私がやるべき仕事は、まだまだあります。牛歩の整理屋を自認していますが、1つでも実現したいと思っています。

 活字になっていない、読まなければならない古写本は、山のようにあります。
 いろいろな人の手を借りながら、1冊でも多く翻字していきたいと思います。

 今日予定していた写本の調査を終えて、さあ帰ろうとしたところ、外は雨でした。
 最近あまりすぐれない天気だったので、傘は持っていました。しかし、これで自転車で帰るには躊躇します。
 すると、先生が雨合羽を貸してくださいました。大峰山に行くときに持って行くものだとか。
 また、鞄を包むビニール袋も。
 ご好意をありがたく拝受し、お借りして帰路につきました。
 小雨の中を、前回教えていただいた札所のある裏道から、快適に帰りました。

 先生、いつもありがとうございます。


2009年8月 6日 (木)

源氏文論尚友(2)大澤本『源氏物語』の書誌報告

 昨年7月21日に、大阪府立大学であった伊井春樹先生の「幻の大沢家本源氏物語」と題する講演について、本ブログで詳細な記事を書きました。

 「大沢本『源氏物語』の切り抜き帖・追補」

 マスコミ各紙の記事も紹介しました。

 その時の講演が、このたび活字になって公開されましたので、改めてここに紹介します。

 「幻の大澤本源氏物語」(伊井春樹、『百舌鳥国文』第二十号、p15〜31、2009.3)

 本論文は、大澤本の書誌的な内容が中心です。

 一 大澤本源氏物語の伝来
 二 大澤本の出現
 三 前田香雪の鑑定覚え
 四 正木尚彦、池辺義象の鑑定

 池田亀鑑は、昭和15・6年に、この大澤本を調査しています。しかし、詳細には確認できず未調査のままに終わりました。また添付書類などの確認もしなかったようです。できなかった、というのが実情でしょうか。

 その、大澤本に付された添付文書としての鑑定書類などが、本論文では詳細に翻字して提示されています。
 明治期の古典研究家であった小杉※邨(すぎむら、※は「木」へんに「囚」+「皿」)などの附属書類は、さらなる解読が待たれます。
 今回翻刻された資料は、大澤本『源氏物語』のことを知る上で、基本的な資料となるものです。このような形で公開されたことに、感謝したいと思います。

 小杉の覚書である「鑑定筆記」について、伊井先生は、「大学院の演習で一部用いて院生と一緒に読み解いていった。」と記されています。
 実は、この授業を私も受けていました。ちょうど、私が博士後期課程に入学した年から国文学研究資料館に就職するまでの2年間、伊井先生の授業ではこの資料に悪戦苦闘しました。私もレポーターとなり、図書館に籠もって解読したものです。
 あの資料が、今このような意味を持ってこようとは、先生におかれても思いもしない出来事になったといえるでしょう。

 本論文の第1節は、その意味では、伊井先生と大澤本の縁の深さを語るものとなっています。

2009年8月 5日 (水)

国際研究集会・横断する日本文学

日本文学に対する興味は、世界各国でますます盛んになっています。
日本文学の研究を今後とも世界的に展開・拡大していく意味からも、イギリスの存在は大きいと言えるでしょう。
実は、イギリスの日本文学研究者は、減少しているからです。

そこで来月の9月 21日(月)に、ケンブリッジ大学で研究集会を開催する企画が、以下の通りまとまりました。

主催は、次の2つの研究組織です。


(1)科学研究費補助金基盤研究(A)
  「日本文学の国際的共同研究基盤の構築に関する調査研究」
  (代表者 伊藤鉄也・国文学研究資料館)

(2)科学研究費補助金基盤研究(A)
  「源氏物語の研究支援体制の組織化と本文関係資料の再検討及び新提言のための共同研究」
  (代表者 豊島秀範・國學院大學)

そして、ケンブリッジ大学・ロビンソンカレッジのピーター・コーニツキ先生が、共催として協力してくださいます。

今回は、30人程度の、こぢんまりとした研究会を想定しています。

以下のプログラムにある通り、国文学研究資料館の前館長と現館長の講演があります。
日本を代表する先生の話を、イギリスで聴けるということで、参加したい方は多いかと思います。
日本でも滅多に聴けない先生方の揃い踏みなので、1人でも多くの方に来てもらいたいと思っています。

ちょうど、この前の週にEAJRS(日本資料専門家欧州協会)の研究集会がノーウィッチのセンズベリー研究所であります。

私は、そのEAJRSで、ケンブリッジ大学のピーター・コーニツキ先生と共同で取り組んでいる「欧州所在日本古書総合目録」に関する研究発表をします。

これにも参加なさると、1週間のイギリスの旅が、さらに充実することでしょう。

1人でも多くの若者が、この日本文学に関する国際研究集会に参加し、さらなる研鑽を積まれることを期待します。
若手研究者の育成も、上記2つの科研組織のテーマでもあります。
もちろん、現役研究者の参加も大歓迎です。

プログラムができたばかりです。
これから、広報活動に取り組みます。
国内外のお知り合いの方々に、このようなイベントがあることをお知らせいただけると幸いです。

自由参加ですが、資料を作成する都合もありますので、参加される方やその予定のある方は、あらかじめご一報いただけると助かります。
連絡は、このブログのコメント覧をご利用ください。コメントは一般には公開しませんので、ご安心を。
 
 
 
 

横断する日本文学

—日本文学の国際的研究の展望—

Japanese literature - Travering Cultures
: The prospects for the international study of Japanese literature

 ★日時:2009年9月21日(月) September 21.2009
 ★会場:ケンブリッジ大学・ロビンソンカレッジ
   University of Cambridge, Robinson College, Cambridge, UK

9:50  ごあいさつ Greeting

     Peter F. KORNICKI(ケンブリッジ大学ロビンソンカレッジ・副学長)
     伊藤鉄也(ITO Tetsuya/国文学研究資料館・教授)

1 文化と享受
 Cultural Reception and Historical Perspectives

 ■午前部司会:海野圭介(UNNO Keisuke/ノートルダム清心女子大学)

10:10  基調講演1 Keynote Address 1

     源氏物語はなぜ帝妃の姦通を書くことができたのか
      今西祐一郎(IMANISHI Yuichiro/国文学研究資料館・館長)

10:50  休憩 Break(10分)

11:00  中村久司(NAKAMURA Hisashi/リーズ大学ヨーク・セント・ジョン・カレッジ)
        和歌を翻訳すること
11:30  荒木浩(ARAKI Hiroshi/大阪大学)
        非在する仏伝—インドから観る『源氏物語』—
12:00  Respondent:菅原郁子(SUGAWARA Ikuko/國學院大學)

12:20  昼食 Lunch

2 本文の変容
 Transforming text

 ■午後部司会:伊藤鉄也(ITO Tetsuya/国文学研究資料館)

14:00  基調講演2 Keynote Address 2

     大沢本源氏物語の本文の変容
      伊井春樹(II Haruki/国文学研究資料館・前館長)

14:40  休憩 Break(10分)

14:50  Rebekah CLEMENTS(レベッカ・クレメンツ/ケンブリッジ大学院生)
        末松謙澄のGenji monogatari
15:20  神田久義(KANDA Hisayoshi/國學院大學大学院生)
        物語の変容—源氏と寝覚—
15:50  Respondent:海野圭介(UNNO Keisuke/ノートルダム清心女子大学)

16:10  休憩 Tea Break(20分)

16:30  Round Table
       伊井春樹/今西祐一郎/中村久司/
       Peter F. KORNICKI/豊島秀範/伊藤鉄也

17:30  Final Discussion Moderator 豊島秀範(TOYOSHIMA Hidenori/國學院大學・教授)

    Closing Remarks Peter F. KORNICKI

19:00  晩餐 Dinner

 ★主催:科学研究費補助金基盤研究(A)

  「日本文学の国際的共同研究基盤の構築に関する調査研究」(国文学研究資料館)
  科学研究費補助金基盤研究(A)
  「源氏物語の研究支援体制の組織化と本文関係資料の再検討及び新提言のための共同研究」(國學院大學)

 ★共催:ケンブリッジ大学・ロビンソンカレッジ
   University of Cambridge, Robinson College, Cambridge, UK

2009年8月 4日 (火)

京洛逍遙(96)気楽に行けるコンサート

自宅の近くに大学や文化会館などが多いせいか、気軽にクラッシックコンサートに行く機会が増えました。
最近行ったもの3つを、記録としてアップしておきます。

まずは、近所の同志社大学の関係のものから。
これは、無料で行けることが、何よりの魅力です。
老いも若きも、音楽に打ち込む姿を見に行きました。

(1)同志社大學應援團吹奏楽部 サマーコンサート
 会場 同志社大学今出川校地 寒梅館ハーディーホール
 内容 指揮 上條哲生・只野直光
    第一部 Symphonic Stage
     ・2009年度全日本吹奏楽コンクール課題曲
      コミカル★パレード
     ・カンタベリー・コーラル
     ・「鳳凰」〜仁愛鳥譜
     ・「GR」よりシンフォニック・セレクション
    第二部 Pops Stage
     ・篤姫メインテーマ
     ・SKY HIGHT
     ・「もののけ姫」メドレー
     ・ジャパニーズ・グラフィティⅤ
      〜日本レコード大賞・栄光の昭和50年代〜

 *指揮者の1人の只野直光さん(3回生)は、タクトを飛ばしての熱演でした。
 *第二部は練習不足のせいか、少しバラバラでした。
 *最後の「ジャパニーズ・グラフィティⅤ」は、以下の曲目でした。
  「北の宿から」「北酒場」「ルビーの指環」「勝手にしやがれ」
  懐かしい曲で、大いに楽しませてもらいました。
 
 
 
090615concert寒梅館ハーディーホール
 
 
 
(2)第21回 同志社交響楽団OB会 演奏会
 会場 京都教育文化センター ホール
 内容 指揮 袖岡浩平
    ・ロッシーニ 歌劇「セビリアの理髪師」序曲
    ・ベートーヴェン 交響曲 第7番 作品92  
    ・ドニゼッティ 歌劇「シャモニーのリンダ」より
     「この心の光」 荒尾公美子(ソプラノ)
    ・ドニゼッティ 歌劇「ドン・パスクヮーレ」より
     「騎士はその熱いまなざしに」瀬戸志織(ソプラノ)
    ・ロッシーニ 歌劇「セビリアの理髪師」 より
     「今の歌声は」山本福久(メゾソプラノ)
    ・ベートーベン 交響曲 第7番 イ長調 作品97                 

 *みなさん、音楽好きであることが伝わってきました。
 *聴衆の中のOBと思われる方は、手が自然に動いていました。
 *声楽の山本さんは、これまでの実績が示すように、存在感のある歌声でした。
 
 
 
090703concert京都教育文化センター
 
 
 次は、クラッシック初心者のためのコンサートです。
 そのためもあり、鑑賞料金は格安です。

(3)京都市交響楽団  みんなのコンサート2009
   〜さあ、クラッシックをはじめよう〜
   『サウンド・オブ・クラシック』  
 会場 北文化会館
 内容 指揮:工藤 俊幸
    独唱:砂場 拓也 (バリトン)京都市立芸術大学 大学院修士2回生
    ・グリンカ:「ルスランとリュドミラ」序曲
    ・モーツァルト:「ドン・ジョヴァンニ」から
     「奥さん、これが恋人のカタログ(カタログの歌)」(バリトン独唱)
    ・モーツァルト:「フィガロの結婚」から
     「もう飛ぶまいぞ、このちょうちょう」(バリトン独唱)
    ・モーツァルト:「フィガロの結婚」から
     「もうあんたの勝ちだと言ったな」(バリトン独唱)
    ・ J.シュトラウス2世:ワルツ「春の声」
    ・ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」
      第1楽章「田舎に着いたときの愉快な気分」
    ・アンダーソン:舞踏会の美女
    ・チャイコフスキー:アンダンテ・カンタービレ
    ・シベリウス:交響詩「フィンランディア」

 *入場料は800円でした。
 *京都市交響楽団は、近くの京都コンサートホールの中にあります。
 *ロビーイベントとして「楽器体験」がありました。
 *「もう飛ぶまいぞ、このちょうちょう」と「アンダンテ・カンタービレ」が印象に残っています。
 *独唱の砂場さんは、いい声でした。ただし、トークは苦手のようですね。
 *指揮者の工藤さんは、初心者にもわかりやすい説明でした。
 
 
 
090705concert北文化会館


 こうしたコンサートは、海外では何度か行きました。しかし、国内では、時間の確保とチケットの手配のことがあり、数えるほどしか行っていませんでした。
 クラッシックは、もっぱらレコードやテープやCDでした。
 ブルックナーが大好きなので、ほとんどの曲をテープでライブラリー化しています。

 次は、機会があればブルックナーの曲を聴きに行きたいものです。

2009年8月 3日 (月)

コミック源氏(1)『わたしたちの古典 源氏物語』

『コミックストーリー 5・6  源氏物語 (一)(二)』(監修︰長谷川孝士・マンガ︰まるやま佳・シナリオ︰柳川創造、学校図書、1989,1990、改訂版1999,2000)
 
 
 
090802comicg
 
 
 
このコミックには、空蝉・朧月夜・末摘花は登場しませんでした。
また、絵合の場面などは、あってもいいと思いました。華やかに、視覚化された文学の場が描けるのですから。
雨夜の品定めはともかく、玉鬘が九州から上京するところもほしいですね。

しかし、このコミックの編集者たちは、読者である子どもをよく知っています。子どもたちへの教育を意識して、ストーリーが組まれ、展開していきます。
何よりも、シナリオがしっかりしています。原文に忠実であることも、好感が持てました。

ただし、雀の子が逃げたと言って泣く若紫の場面は、一コマではいけません。子どもたちには印象的な場面となるところなので、また学校の教科書にもよく取り上げられる場面なので、もっと丁寧に描いてほしいと思いました。
また、突然押しかけてきた光源氏に対する藤壺の間抜け顔には、興ざめがしました。マンガとはいえ、これはやりすぎでした。

それでも、短いストーリー展開の中でも、ほんの少しですが原文の紹介と、和歌が手際よく配されています。和歌は、第1巻には7首。第2巻には11首あります。
現代語訳も、スッキリしています。
「平安時代の貴族の結婚」などのコラムも、気が利いています。

そして、脇役もキッチリと描かれています。
『源氏物語』のエッセンスが詰まった、すばらしい構成です。

さらには、巻末の解説も、簡潔でわかりやすいものとなっています。

この2冊だけで『源氏物語』が楽しめるような本ではありません。しかし、『源氏物語』を読んでみたくなる本ではあります。

中学生までと、海外の方々にお薦めできる、『源氏物語』の入門書です。

2009年8月 2日 (日)

『源氏物語』の影印・複製本

 「現在出版されている『源氏物語』の影印本はどのくらいあるのでしょうか」

という質問を受けました。

 これは、私が情報をとりまとめておくべきものでした。

 〈源氏物語電子資料館〉という私のホームページがあります。

 日本で、古典文学に関するホームページとしては、最初のものだったと思います。
 しかし、このホームページは、もう4年もストップしたままです。

 1995年から10年間は、がんばって書いていました。しかし、最近はブログのみでの情報発信となっています。
 忙しさにかまけて、簡単にアップできるブログを使うようになってしまいました。

 その〈源氏物語電子資料館〉の【本文関係資料情報】というコーナーに、7種類の影印本を取り上げて詳細に紹介しています。

1968年 書陵部本源氏物語

1977年 尾州家河内本

1979年 穂久迩文庫本源氏物語

1986年 各筆源氏

1994年 日本大学蔵源氏物語

1995年 保坂本源氏物語

1996年 大島本源氏物語


 また、【源氏物語・刊行書籍一覧】というコーナーでは、明治17年から平成6年までに刊行された書物のリストがあります。

 そこにも、影印本の情報がありますが、いずれも中途半端に終わっています。

 そろそろ、この〈源氏物語電子資料館〉を再開しなければ、と思っていた矢先に、冒頭の質問でした。
 今はとりあえずラフなリストでも公開することで、ホームページでの情報発信を再開するきっかけとしたいと思います。
 以下、思いつくままのメモです。ホームページに掲載するまでの、質問へのお答えとしての暫定版です。

 なお、ウエブ上には、大正大学本や京大本の写真が見られます。
 こうした情報は、まだ未整理なので、これも後日ホームページで、ということにしておきます。


『源氏物語』本文資料リスト



【影印・複製】

1964
源氏物語断簡 / 田中重太郎編著 東風社
コロタイプ印刷 複製本
解説・釈文 田中重太郎著

1971-1972
源氏物語 : 若紫・末摘花・絵合・行幸・柏木・鈴虫・幻 / ; 若紫 - 別冊3.日本古典文学刊,(複刻日本古典文学館 / 日本古典文学会編 ; 第1期)
内容 (若紫・末摘花),(絵合・行幸・柏木),(鈴虫・幻)ごとに箱入
発売:図書月販, 制作:ほるぷ出版
解題 / 池田利夫著
中山輔親氏蔵本(鎌倉期書写,列帖装,7帖)の複製

1973-1978
源氏物語諸本集 ; 1, 2.天理大学出版部,(天理図書館善本叢書和書之部 / 天理図書館善本叢書和書之部編集委員会編 ; 第14,30巻)
1: 帚木 / 傳藤原爲家筆・末摘花 / 冷泉爲相筆・蓬生 / 傳藤原爲家筆・薄雲 / 傳二條爲氏筆・朝顔 / 傳二條爲氏筆・乙女 / 傳二條院讃岐筆
2: 野分 / 傳藤原定家筆・藤袴 / 傳慈鎭筆・眞木柱 / (?)・柏木 / 傳源頼政筆・鈴虫 / 傳藤原俊成筆・夕霧 / (?)・竹河 / 傳西行筆
複製

1974
高松宮本源氏物語.限定版.臨川書店,(源氏物語 : 高松宮御蔵河内本 / ; 12)
長享2年(1488)の複製

1975
源氏物語 : 伝冷泉為相他筆鎌倉期古写本 / ; 上, 下.青葉図書,(愛媛大学古典叢刊 ; 23-24)
刊行: 愛媛大学古典叢刊刊行会
解説 / 伊井春樹
河野信一記念文化館蔵の複製

1978
源氏物語(青表紙本) / ; 前田育徳会尊経閣文庫編 ; 花ちるさと, かしは木, 解題.前田育徳会尊経閣,(原装影印古典籍覆製叢刊)
尊経閣文庫蔵・伝藤原定家写本の影印
解題: 太田晶二郎
別冊: 源氏物語(青表紙本)使用上の注意 / 太田晶二郎著

1979
桐壺・夢の浮橋.日本大学総合図,(日本大学総合図書館影印叢刊 ; 3 . 源氏物語)
日本大学図書館蔵の複製、昭和41年12月1日影印

1982
源氏物語 / ; 今川了俊筆 ; 空蝉巻, 解題.限定版.専修大学出版局,(専修大学図書館蔵古典籍影印叢刊)
専修大学図書館所蔵(蜂須賀家旧蔵)の複製
解題 中田武司

1982
源氏物語, 複製篇, 翻刻・解説篇.思文閣出版,(陽明叢書 / 陽明文庫編 ; 国書篇 第16輯 . { 源氏物語 / ; 陽明文庫編)
『新源氏物語別本集成』・『源氏物語別本集成 続』の底本

1983
源氏物語古本集 / .貴重本刊行会,(日本古典文学影印叢刊 ; 18)
松風・竹河・総角・浮舟
解説:池田利夫
名古屋市立蓬左文庫蔵鎌倉時代古鈔本の複製

1990
源氏物語 (明融本) / ; 東海大学桃園文庫影印刊行委員会編 ; 1, 2.東海大学出版会,(東海大学蔵桃園文庫影印叢書 ; 第1,2巻)
東海大学付属図書館・桃園文庫蔵写本の影印

1991
源氏物語(宿木巻)・源氏物語系図 / [紫式部著 ; 伝二条為氏ほか筆] ; 東海大学桃園文庫影印刊行委員会編.東海大学出版会,(東海大学蔵桃園文庫影印叢書 ; 第7巻)
解題:石田穣二

1991-1995
源氏物語 : 伏見天皇本影印 / ; 吉田幸一編 ; 1 - 14(完).古典文庫,(古典文庫 ; 第530, 533, 537, 539, 542, 544, 547, 550, 553, 556, 562, 566, 570, 578冊)
1:桐壷.帚木.空蝉.夕顔. 2:若紫.末摘花.紅葉賀.花宴. 3:葵.賢木.花散里.須磨. 4:明石.澪標.蓬生.関屋.絵合.松風. 5:薄雲.朝顔.少女.玉鬘. 6:初音.胡蝶.蛍.常夏.篝火.野分. 7:行幸.藤袴(蘭).真木柱(披柱).梅枝.藤裏葉. 8:若菜上.若菜下. 9:柏木.横笛.鈴虫.夕霧. 10:御法.幻.匂兵部卿(匂宮).紅梅.竹河. 11:橋姫.椎本.総角.早蕨. 12:宿木.東屋. 13:浮舟.蜻蛉. 14(完):手習.夢の浮橋
吉田幸一蔵古写本の影印

1996
鎌倉期諸本集 ; 1, 2.八木書店,(日本大学蔵源氏物語 / ; 第12,13巻)
1:紅葉賀. 松風(2種). 藤裏葉. 柏木. 鈴虫. 2:夕霧. 宿木
原本所蔵: 日本大学総合学術情報センター

1998/2000
松山本源氏物語 : 桐壺・帚木・空蝉 / [紫式部原著] ; 伊藤颯夫編著.おうふう,
松山本源氏物語 : 夕顔・若紫 / [紫式部原著] ; 伊藤颯夫編著.おうふう,
松山宗平氏蔵・藤原季有筆本「松山本源氏物語」(54巻揃い・青表紙本系統)のうち,「桐壺」・「はゝき木」・「うつせみ」・「夕かほ」・「若紫」の5巻を影印・翻刻

1999
物語 / 国立歴史民俗博物館館蔵史料編集会編 ; : セット - 4.臨川書店,(貴重典籍叢書 : 国立歴史民俗博物館蔵 / 国立歴史民俗博物館館蔵史料編集会編 ; 文学篇 ; 第16-19巻)
2: 源氏物語古写本六帖、3: 源氏物語帚木・源氏物語手習
影印・解題: 各巻末

2000
源氏物語断簡集成 / 久曽神昇編.汲古書院,
原本所蔵: 久曽神昇 影印と翻刻

2008
阿仏尼本はゝき木 : 東洋大学附属図書館蔵 / [紫式部原著] ; [阿仏尼筆] ; 河地修, 古田正幸解説・翻刻.勉誠出版,
「伝阿仏尼筆紀州徳川家旧蔵本源氏物語帚木」 (東洋大学附属図書館所蔵) の影印と翻刻

飯島本源氏物語 / ; 池田和臣編・解説 ; 1 - 4.笠間書院, 2008
書芸文化院春敬記念書道文庫蔵・飯島本『源氏物語』の写真版複製
1: 桐壺, 帚木, 空蝉, 夕顔, 若紫. 解題 (p665-751)
2: 末摘花, 紅葉賀, 花宴, 葵, 賢木, 花散里. 解題 (p617-656)
3: 須磨, 明石, 澪標, 蓬生, 関屋, 絵合, 松風. 解題 (p633-675)
4: 薄雲, 朝顔, 少女, 玉鬘, 初音, 胡蝶, 蛍. 解題 (p663-703)



源氏物語 : 真木柱 / .私製), 19--
平瀬家蔵『源氏物語』の複製(青焼き)
書名は『初雁文庫主要書目解題』(国文学研究資料館, 1981)による
原本の識語: 本云校合了(中略)建長三年暮秋下旬以細草子後本重校合了殊勝
原本の識語: 河州以秘本書寫之(中略)應長元年六月 日
仮綴


【翻刻】

1977
源氏物語 : 尾州家河内本 / ; 秋山虔, 池田利夫編 ; 第1巻 - 第5巻.武蔵野書院,
翻刻

1999
CD-ROM角川古典大観源氏物語 / 伊井春樹編.角川書店,
内容 翻刻本文︰大島本・陽明文庫・保坂本・尾州家河内本

2001 2001
翻刻松榮家所蔵本源氏物語 / [紫式部原著] ; 坂口昭一著 ; [1] - 10.ゆほびか,
1: 桐壺 帚木 空蝉 夕顔 若紫
2: 末摘花 紅葉賀 花宴 葵 賢木 花散里 須磨
3: 明石 澪標 蓬生 関屋 絵合 松風 薄雲
4: 朝かほ 乙女 玉かつら 初音 こてふ ほたる 常夏
5: かゝりひ 野分 行幸 藤はかま 真木柱 梅か枝 藤裏葉
6: わかな 上, わかな 下
7: 柏木 よこ笛 すゝむし 夕霧 みのり まほろし
8: 匂宮 紅梅 竹川 橋ひめ 椎本 あけまき
9: 早蕨 やとりき 東屋
10: 浮舟 かけろふ 手ならひ 夢浮橋
6-10の発行者: 坂口昭一

2009年8月 1日 (土)

専門家でも知らないことがあるものです

 30インチのモニタをパソコンに接続することで、いろいろと学びました。

 先日、「当たり外れを左右する選別の眼」と題するブログで、家電量販店のマニアックな店員の方に、有益な情報をもらったことを書きました。
 そして、「お陰で、私が手にした新しいマックでは、30インチのモニタは使えないことが判明しました。このことでは、いろいろと苦情がきているようです。」と記しました。

 しかし、これは間違いでした。
 その後、アップルストア銀座で、解決しました。ただし、そこでも紆余曲折がありました。

 アップルストア銀座の2階にあるジーニアスバーへ行くと、すでにその日の予約で満員でした。
 私は予約をしていなかったので、案内係の方から後日予約をして来てほしい、と言われました。しかし、キャンセル待ちでいいと言い、いつになるかわからないことを条件に受け付けてもらいました。そして、呼び出しのバイブレーターを受け取り、上の階を見て回りました。
 疲れたので椅子に腰掛けたりすること1時間半。やっと呼び出しがありました。

 事情を説明し、私が持っている機器と同じ環境でテストをしてもらいました。
 そこまで話を持っていくのに手間取りましたが、とにかく目の前で接続実験をしてもらったのです。

 最初は、店頭にあった「Apple Mini DisplayPort − DVI アダプタ」で接続しました。
 
 
 
090801mb570
 
 
 
しかし、うまくいきませんでした。
 
 
 
090729mac230インチに映らない
 
 
 
 担当者も、規格が変わったのでできないようだ、とのことでした。
 しかし、私はもう一つ「Apple Mini DisplayPort − Dual-Link DVI アダプタ」があるので、それでやってほしいと頼みました。
 
 
 
090801mb571
 
 
 
 担当者は、そのケーブルをしばらくかかって探して来て、接続してくださったのですが、やはり映りません。

 iMac も Mac-mini もでもだめですが、G5だと映るのです。私の部屋の状態とまったく同じです。
 諦めかかった時に、アダプタに付いているUSBケーブルを本体に接続してみると、なんと映るではないですか。
 
 
 
090801mb571_av1
 
 
 
 ここまで、ケーブルを抜き差しすること50分。すでに閉店の時間を過ぎていました。
 根気強く実験につきあってくれた店員の方には感謝しますが、その前に、あなた方は「ジーニアス(天才)」なのではないのですか、と叫びたくなりました。
 専門的な知識を持って対応するのがモットーのジーニアスバーのはずです。
 私がこのストアに入ってから、何と2時間半になろうとしています。

 アップルのホームページには、こう書いてありました。

Genius Barでは、ジーニアスが毎日お客様をサポートしています。アップル本社によるトレーニングを受けたジーニアスは、アップル製品についての幅広い知識の持ち主。技術的な質問にすべてお答えします。トラブルシューティングから修理まで、何でもおまかせください。ジーニアスへのご相談はお気軽にどうぞ。ご都合のよい日時を予約してご来店ください。

 大好きなアップルなのですが、今回の対応は落第ではないでしょうか。
 周りのジーニアスの方も、閉店後にもかかわらずゴソゴソやっていても、誰も助けに来られませんでした。
 皆さん、早く帰りたかったのでしょうが、1人が対応していると、その人に割り込むことはしない方針なのでしょうか。
 いずれにしても、個人の能力を云々する問題以前のことにように思います。
 「ジーニアス」の集団を名乗るのであれば、さらなる知識の習得と技術の修練を積んでほしいと思います。

 過日のビッグカメラの方も、何か思い込みによる対応だったのでしょうか。
 あのアドバイスで諦めることなく、最後までは信用せずに、アップルストアに行ったので、こうして解決しました。

 正解は、「USBケーブルを本体に接続する」という、わかってみれば何でもないことでした。
 それがわかるまで、いろいろな可能性をテストしたことになります。「した」というよりも、「してもらった」と言うのが正確です。
 私の実験に付き合ってもらう前に、販売する側から先に、正しい接続方法を説明すべき事柄でしょう。

 相手がいくら専門家と名乗っていても、知らないことが意外と多いものです。
 これは、自分の仕事にも返ってくることばですが、とにかく納得できるまで聞く、という気持ちは持ち続けたいものです。

NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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