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2009年9月の31件の記事

2009年9月30日 (水)

井上靖卒読(92)『しろばんば(前編)』

 古書店で、こんな本を見つけました。
 
 
 
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 本の中は、こんな感じです。
 
 
 
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 『ポケット日本文学館 14 井上靖 しろばんば』(講談社、1995年9月)

 総ルビ、カラー挿絵、セピア色の傍記傍注の本です。小学生低学年から中学生向けの本のようです。読書感想文用の本なのかもしれません。注釈は、小田切進が担当しています。

 この物語は、大正初期の伊豆の山村が舞台となっています。作者の自伝でもあります。
 当時の学校の先生は、とにかく厳しかったようです。怒鳴ったり、殴ったりと、とにかく怖い存在です。
 そして、子どもたちはよく石を投げています。人に向かっても。
 こうした教育は、今の教育観からはどう評価されるのでしょうか。現今の教育と違いすぎるので、教育評論家の意見を聞きたくなります。

 五感を使って育っていく子どもたちが活写されています。目線が子どもにあるので、読者の誰もが経験したことを思い合わせながら読んでいけます。

 共同湯には、男も女も裸で入っていたようです。いろいろな場面で、どうも、イメージが浮かびません。時代性を背負った作品です。
 恥ずかしいことに、私は信玄袋を知りませんでした。注記に添えられた絵で、これがそうだったのかと思ったくらいです。
 頭注や傍記が、ときどき理解を助けてくれました。古文ならいざしらず、内心複雑です。
 「左官屋」の説明などでは、新鮮な驚きを覚えました。

壁を塗る職人。しゃかんともいう。宮中の修理に、仮に属(さかん)の位を与えて出入りをゆるしたところから、この名があるという。(238頁)

 注は、背景を成す文化や歴史に及んでいて、これにも目を通すと厚みのある読書体験ができます。

 この作品には、一緒に暮らさなかった作者の両親に対する気持ちの一端が、各所に語られています。
 別れて暮らす母を慕う主人公洪作の心理が、うまく描かれています。母との距離が微妙です。

 巻末で、さき子がこっそりと部落を出るシーンの月光が、とにかく美しく瞼に残ります。

 私は、これでおわりだと思っていました。
 ところが後で、これはまだ『しろばんば』の前半部分で、後半が残っていることがわかりました。

 この前編部分がこのポケット日本文学館に収録されたのは、読者が子どもたちであることからの配慮のようです。【4】

初出誌︰主婦の友
連載期間︰1960年1月号~1962年12月号
連載回数︰36回

新潮文庫︰しろばんば
旺文社文庫︰しろばんば
井上靖小説全集25︰しろばんば・月の光
井上靖全集13︰長篇6

映画化情報
映画の題名︰しろばんば
制作︰日活
監督︰滝沢英輔
封切年月︰1962年11月
主演俳優︰島村 徹、芦川いずみ


〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/

2009年9月29日 (火)

井上靖卒読(91)「鬼の話」「道」

■「鬼の話」

 作者は、不眠の苦しさの中で、物故者に角がある人ない人がいることに気づきます。
 ユーモラスでいて、人間というものを考えさせる話です。
 生後7日で亡くなった我が娘にも、角を額に並べてみると、愛くるしいと言います。この娘のことは、本作品の中に何回かでてきます。よほど、井上靖の心の中に残っているのでしょう。
 死者との語らいは、井上の得意とする手法です。『星と祭』に極まるものですが。
 毎夜の不眠に苦しむ人が身近にいるので、改めて輾転反側の中で何を思うのかを考えてみたりしました。井上靖は、眠れぬ夜に、鬼というものを見つけたのです。
 「鬼」という漢字の話が興味深く語られます。
 鬼族の漢字に星の名が多いことから、星が死者の霊と関係するという結論に惹かれました。『星と祭』に直結する考え方です。
 星は天上の鬼ではないのか、という思いにまで展開します。無数の星に、無数の死者の霊が宿っている、というのは頷けます。「人間は死ぬと天にのぼって星になるか、地にひそんで鬼になるか」というのもわかります。
 その後は、鯖内と華枝の鼻話となります。これが、心に響くものとなっています。【5】
 
 
初出誌︰新潮
初出号数︰1970年2月号


新潮文庫︰道・ローマの宿
井上靖小説全集31︰四角な船
井上靖全集7︰短篇7・戯曲・童話
 
 
 
■「道」

 生き物は、それぞれに道を持っている、といいます。観念的なものではなくて、実際の道です。
 獣道、犬道、子供道などなど。自分だけの通り道です。
 それを聞いた来客が、銀座は馴染み道だと言います。うまい表現です。
 とすると、賀茂川をウォーキングしている私は、健康保持のための馴染み道を歩いていることになります。
 これは本能的に選んだ道ではないので、単なる散歩道の一種ということなのでしょうか。【3】


初出誌︰新潮
初出号数︰1971年6月号

新潮文庫︰道・ローマの宿
井上靖小説全集32︰星と祭
井上靖全集7︰短篇7・戯曲・童話

〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/

2009年9月28日 (月)

井上靖卒読(90)「補陀落渡海記」「小磐梯」

■「補陀落渡海記」

 自分以外の力によって死出の旅が強制される時があったら、私はどうするでしょうか。
 そんな立場に身を置いた僧侶が主人公です。
 その心境になっていないのに、世間に対して本心が言えないのです。尊敬されていればそれだけ、世間からの期待と噂から逃げられなくなります。
 金光坊は、今年の11月に渡海しなければならない立場と環境に苦悶します。
 観音信仰に瑕を付けないためにも、船出しないわけにはいきません。僧侶は、苦しい立場に追い込まれました。

 心の準備ができていない人間の心中が、赤裸々に描かれています。おもしろくもあり、気の毒でもあります。
 先師のことをひたすら考える金光坊。
 その結末を読み終え、人が生きることの重さを痛感しました。
 金光坊の無念さは、いかばかりだったことでしょう。【4】


初出誌︰群像
初出号数︰1961年10月号

新潮文庫︰楼蘭
旺文社文庫︰天平の甍 他一編
井上靖小説全集18︰朱い門・ローマの宿
井上靖全集6︰短篇6
 
 
 
■「小磐梯」

 大自然の中に抱え込まる人間を活写しています。
 小刻みに揺れる地震による不安な雰囲気を、ことばで伝え語ります。
 明治21年という時代も、鮮やかに描いています。
 月明かりの中の男女の描写は、一幅の絵になっています。死を決した女の顔が印象的です。月光をうまく使っています。
 やがて、磐梯山の噴火。
 美しい湖が秘める背景には、こんな物語があったというのです。【4】

初出誌︰新潮
初出号数︰1961年11月号

新潮文庫︰楼蘭
旺文社文庫︰猿狐・小盤梯 他八編
井上靖小説全集18︰朱い門・ローマの宿
井上靖全集6︰短篇6

〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/


2009年9月27日 (日)

英国料理は高カロリー?

 今回、イギリスでの研究発表会に参加し、主催する立場にあった中で、日々の血糖値が気になっていました。
 予想外に高かったのです。
 まず、数値を示します。

 渡英前4日間。

 115 − 116 − 133 − 121

 まず、ロンドンからノーリッジへ。

 141 − 162 − 160

 次にロンドンからケンブリッジへ、そしてロンドンへ。

 140 − 122 − 156 − 187

 そして日本へ帰国して後の4日間。

 129 − 122 − 126 − 136

 日本での食事では、糖尿病の境界値と言われる「126」をうまくかわしています。
 しかし、イギリスでは乱れたのです。

 海外では、気力と体力が一番大切です。そのために、食事は多めに摂ることにしています。
 また、睡眠時間もいつもりより意識して多く取ります。

 ノーリッジに着いた日は、多分に意識して、夜食にお寿司も食べました。
 2日目は、歓迎のお食事会がありました。脂っこいものは避けたつもりですが、やはりカロリーが高かったようです。
 3日目は、研究発表が終わったということもあってか、そんなに食べなかったのですが油断があったようです。

 ロンドンに移動してからは、まずは回転寿司で体調を整えたせいか、少しずつ平常にもどりました。
 しかし、ケンブリッジに移動してからは、また高くなりました。多分に国際研究集会の準備などでクタクタになり、よく食べたからでしょうか。

 ケンブリッジ最後の夜は、無事に大過なくイベントが終わり、夜遅くまで飲み歩いたせいでしょう。

 日本に帰ると、すぐにお寿司を食べ、野菜中心の生活に戻りました。

 海外での食生活は、自己コントロールが難しいことを痛感しています。
 気遣いによる疲れを食事で体力の維持につなげようとすることは、なかなか難しいものです。
 また、見た目よりもバターや動物性のものがたくさん使われているようです。

 今後とも、このような生活が続きます。
 自分の血糖値のコントロールとの闘いは、まだまだ続きます。

2009年9月26日 (土)

機内で見た映画2本

 今回の旅では、今経営で問題となっているJALを使いました。サービスはよかったと思います。

 今回のフライトに用意されていた映画は、往復共に同じものでした。
 往路では観ようと思うものが1つもありませんでした。
 仕方がないので、退屈を紛らわすために、歴史ドキュメンタリーの「織田信長と斎藤道三」のビデオだけを観ました。これは、最近、井上靖の戦国物を読むことが多いので、興味が湧いたからです。知らないこともあり、楽しめました。

 帰路では、11時間もの長時間が退屈でもあり、本を読んだりパソコンに文章を入力した後に、適当に2本の映画を観ました。

 フェイ・ダナウェイとウォーレン・ベティの「俺たちに明日はない」は、かつて見たことのあるものです。しかし、ほとんどあらすじを忘れていて、今回、改めておもしろいと思いました。
 監督はアーサー・ペン、1967年のアメリカ映画です。
 この映画で、フェイ・ダナウェイはアカデミー主演女優賞にノミネートされています。
 フェイ・ダナウェイというと、私は、この翌年に公開された「恋人達の場所」が好きです。
 これは、マルチェロ・マストロヤンニと共演したもので、フェイ・ダナウェイの服装が印象的でした。黄色やオレンジの衣装が、今も目に浮かびます。特にツバ広の帽子が……。
 不治の病と絶望的な恋という内容で、暗さに包まれた映画でした。「恋人達の場所」は、ビデオなどでも、何度か観た記憶があります。音楽と色彩がよくて、フッと観たくなる映画の1つです。
 今回観た「俺たちに明日はない」は、実話をもとにした犯罪物ですが、その荒っぽさが主人公2人のイメージと微妙にバランスを保っています。最後の「死のバレエ」と言われる壮絶なシーンは、忘れられないものとなっています。

 もう1本、「GOEMON」を観ました。これは、江口洋介が石川五右衛門役で出演する、今年話題の作品です。監督は紀里谷和明です。
 茶々役に広末涼子が扮していました。私は広末があまり好きではないので、誰だったらいいのかな、と思いながら観ました。
 映画は、極彩色の時代劇です。ファッションは現代的です。しかし、非常に違和感のある、ゴミ箱のような映画でした。画面が汚いのです。目がチカチカしました。
 物語の展開が早いところは、気持ちがいいくらいでした。
 しかし、コンピュータグラフィックに懲りすぎたせいか、映像的には大失敗でしょう。実写と人工画像に落差がありすぎて、ぎこちない画面となっています。こうしたところに、下品さを感じました。無理矢理押しつけられる人工的な施しに、拒絶反応を示す人は多いでしょう。
 それにしても、画像のコンピュータ処理が下手ですね。コンピュータの性能が格段に進歩したのに比べて、それを活用する技術が追いついていません。20年前の、8ビットのパソコンで頑張って処理をした画像です。
 できそこないのコンピュータゲームの延長と思えば、その出来の悪さが少しは理解できます。
 いずれにしても、人に見せるほどの映像には至っていません。最新のマシンを使い、最新の映像技術でこんな遊びをしてみました、という程度のものです。それが稚拙に留まっているのですから、映画の数百歩手前と言えるでしょう。
 また、内容の鍵となる、政治的な陰謀というのも、その意図と展開がよくわかりませんでした。
 おもしろくしようとする意図が露骨に出過ぎたのが、マイナス要因の最たるものでしょうか。

 「天使と悪魔」もあったのですが、これは公開早々に劇場で観て失望したので、2度目は観ませんでした。
 このことは、本ブログの「退屈だった映画『天使と悪魔』」に書きましたので、おついでの折にでもご笑覧を。


2009年9月25日 (金)

ロンドンの最後は回転寿司で

 キングスクロス駅の手荷物預かりにボストンバッグを預け、今夜ヒースロー空港から出発するまでは市内散策で時間を使うことにしました。1日8ポンドの利用料金です。
 予定では、パディントン駅からヒースローエクスプレスで空港に直行するはずでした。しかし、事故のために列車が運休とのことです。旅先ではよくあることです。常に、電車が走らない場合のことを考えて行動する癖がついているので、慌てることはありません。日本だって、東京の中央線などは、しょっちゅう停まっています。日本の鉄道事情も、海外並に時刻表通りには走らなくなりました。

 キングスクロス駅と大英図書館の間に、新しくなったセントパンクラス駅があります。ここから、パリへ直行するユーロスターが出発します。駅の構内に入ってみました。パリへつながる道の始発点ということもあり、非常に明るい雰囲気です。もとの建物の赤煉瓦がうまく融合した、イギリスとフランスの合作駅といえましょう。
 
 
 
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 コンコースで、2つの銅像が目を惹きました。
 
 
 
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 手前のおじさんは、いかにもこれからパリへ、という様子です。何か謂われのある像なのでしょうが、今はわかりません。

 その向こうの大きな時計の下に、寄り添う男女がいます。
 ジッと見上げると、戦場へ行く男を見送る女を表現したように思えます。
 見飽きることのない、心を掴む構図です。男女が寄せ合う鼻の高さが、フランス人らしいですね。キスをするときに鼻が邪魔になったと言ったのは、イングリッド・バーグマンでしたっけ。
 
 
 
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 大英図書館の横のバーが完成していました。もうお客さんが入っています。
 
 
 
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 4日前には、まだ内装が終わったばかりでした。
 本ブログ「ハリーポッターのカートが移動」で掲載した写真のように、突貫工事をしていたのです。あっという間にオーブンです。

 大英図書館で、日本の絵巻物やビートルズの楽譜や音楽を聴いた後、トラファルガー広場へ向かいました。
 途中のレスタースクゥェアの公園で、チャップリンの像を見ました。これは、あまり知られていないようですが、ナショナルギャラリーの真裏の劇場街にあります。
 
 
 
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 トラファルガー広場の一角では、今日もパフォーマンスをしていました。
 すでに、上の「ハリーポッターのカートが移動」で1つを紹介し、「偶然に出くわした珍しい瞬間」 で2つ目を紹介しました。
 帰国する今日、2つ見たので、今回の旅で4人のパフォーマンスを見たことになります。
 
 
 
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 どれも、通りがかりの私には何をしているのか、よくわかりませんでした。
 今日の女性は、オセロのように陣取りをしているだけです。ご本人には、いろいろな意味があっての登壇なのでしょう。動かずにずっと立ち続けるチャップリンの像を、この台座に載せてあげたくなりました。だれか、そのようなパフォーマンスをする人は現れないのでしょうか。

 ヒースロー空港の中に、回転寿司のYo寿司がありました。この空港にあるのは、今回はじめて知りました。いつできたのでしょうか。今年の2月には見かけなかったのですが。
 
 
 
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 味噌汁、まぐろ、サーモン、うなぎを食べました。
 
 
 
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 酢飯の味はいいのですが、肝心のネタがいまいちでした。これは、透明のカップで覆って回していることも関係します。
 回転寿司屋のターゲットは、地元の人と、一見の旅行者と、そして日本人が想定されています。
 イギリスは日本人がたくさん出入りするので、この店はおそらく日本人をも意識したお店の方針があるのでしょう。丼物をはじめとして、メニューは豊富です。
 Yo寿司は、パディントン駅の構内にもあります。

 今春、「ロンドンの回転寿司」で紹介しました。
 チェーン店としては、この空港のほうがご飯がいいようです。
 私が行ったときに流れていたネタの品揃えはというと、パディントンの方が良かったように思います。

 待望のお寿司で満腹となり、その後の機内食の夕食はパスしました。

 それにしても、日本人がお寿司を高級がっているうちに、海外の回転寿司事情は完全に日本が完敗です。海外の企業が、食材の流通から店舗経営のノウハウまでを、完全に制覇してしまいました。
 自虐的な日本人の性向が、ここでも惨敗を喫したことになり、悔しくてなりません。

 国内の高級店で、おやじの能書きを聞ながら有り難がって食べる寿司が、日本的な食文化の名残ということでしょうか。それも、韓国が寿司は自分達の文化を日本人がまねしたものだとネットで吹聴しています。
 日本が寿司を生み出した、ということも放棄せざるを得ない流れが生まれていることに、忸怩たる思いがあります。

 庶民の立ち食い文化としての回転寿司の登場は、東大阪市の布施にある元禄寿司が発祥です。大阪の八尾で10代を過ごした私には、懐かしいお店です。
 寿司を芸術化すると、着物がそうだったように、日常から切り離された日本的なものとなります。
 せめて、国内だけでも回転寿司をひいきにし、また新たな食文化を展開していきたいものです。


2009年9月24日 (木)

花とオブジェのカレッジを散策

 ケンブリッジ大学の中のクイーンズカレッジの庭園は、花々が咲きそろうイングリッシュ・ガーデンです。
 今回研究発表をしたレベッカさんがこのカレッジに所属していることから、一緒にこの庭を散策することができました。カレッジの庭園の見事さを堪能しました。
 まず目を惹くのが、学生寮です。森と庭と花の中で、私も心置きなく本を読みたいものです。
 
 
 
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 そして、広々とした庭には、配色に心を配った花が……。
 庭の向こうには、図書館のメインタワーが見えます。
 
 
 
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 夕食のために、ケンブリッジの街中へ向かいます。
 途中で、セントジョンカレッジが見えました。ここは、明治の頃に最初に『源氏物語』を英訳した末松謙澄も学んだカレッジです。
 
 
 
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 食後、夜のジーザスカレッジにも入ることができました。
 今回、ボランティアで手助けに来てくれた学生たちが、中を案内してくれました。
 その重厚さに、圧倒されます。もう、別世界です。
 庭には、さまざまなオブジェが置かれています。花嫁やゴジラや得体の知れない人間などなど。
 現代の美術館に迷い込んだかと錯覚するような異次元空間を、それも夜中に体験することができました。
 
 
 
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2009年9月23日 (水)

ケンブリッジでの国際研究集会

 国際研究集会は、今西祐一郎館長と伊井春樹前館長のすばらしい講演をはじめとして、充実した研究成果の発表がありました。
 この日の内容については、後日印刷物として公開する予定です。

 ここでは、その一端を紹介しましょう。
 ただし、私は一日中司会進行役だったために、写真を丁寧に撮る暇がありませんでした。少しでも会場の雰囲気をお伝えしたいのですがご勘弁を。
 
 
 
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 午前中の研究発表は、インド的な視点から見た『源氏物語』についての興味深いテーマを扱った荒木浩先生と、在英21年で平和学がご専門の中村久司先生の和泉式部の和歌の英訳についての問題提起がなされました。

 中村先生は、2005年に「日英短歌ソサエティー」を創立なさいました。現在、会員は21カ国に約200名だそうです。
 また、2008年には、日英交流への貢献で外務大臣表彰を受賞しておられます。中村先生のことは日本ではまったく知られていませんが、和歌を通してすばらしい研究成果を問うておられます。私とは、娘の英国留学を契機に、7年越しのおつきあいです。

 お昼休みに、ケンブリッジ大学図書館の日本部長をしておられる小山騰さんが、書庫内の日本関係の貴重な本を見せてくださいました。
 特に葵文庫には、貴重な資料がたくさん眠っています。後日、チームを組んで調査に来たいと思います。

 午後は、日英の若者2人が元気のある研究発表をしてくれました。
 レベッカさんは、ケンブリッジ大学博士後期課程で、日本文学の翻訳について博士論文の執筆中です。この日は、末松謙澄の源氏訳の背景についての、おもしろい発表でした。
 國學院大學の博士後期課程の神田久義君は、源氏と寝覚についての新鮮な見解が提示されました。これは、英訳にまで及ぶ、収穫の多いものとなりました。
 
 最後のラウンドテーブルでは、イギリスにおける日本文学研究について、これまでの歩みと現状について、コーニツキ先生と中村先生にお話をしていただきました。とにかく衝撃的だったのは、現在のイギリスには日本文学研究者が激減していて、若者もほとんど育っていないということでした。
 イギリス全体では、日本文学を勉強しようとする学生は150人ほどで、そのうち20人くらいがケンブリッジ大学に来るよそうです。大学院に入っても続ける学生が極端に少なくなることを思うと、確かにこれからのイギリスの日本文学研究に不安を覚えます。

 その意味では、今回の研究集会で発表してくれたレベッカさんは、大きく羽ばたいてほしい人材です。日本文学の翻訳について研究を進めているので、同じ問題に関心を持つ私も、一緒に勉強していきたいと思いました。末松謙澄がイギリスで『源氏物語』を英訳したことに関して、大変盛り上がった討議ができました。
 今後とも日英の研究者で、文学という垣根を取り払った共同研究をしていく必要性について、お互いに確認しあいました。


2009年9月22日 (火)

ケンブリッジ行き電車がストライキ

 ロンドンからケンブリッジへ行くために、キングスクロス駅から電車での移動となります。1時間ほどかかります。

 切符を買ってから、掲示板で列車の確認をしたのですが、ケンブリッジに直接行く電車がありません。いろいろと情報を集めた結果、今日はストのためにケンブリッジの4つ手前の駅までしか走らないとのことです。それから先は、バスの代替輸送になるのです。

 今回は、ノーリッジですでにストの情報を得ていたので、やはり、という感じでバスへの乗り替えとなりました。
 いかにも田舎の駅に降り立つと、寂しそうな陸橋を渡り、駐車場に待機していたバスに乗り込みます。
 2階建てバスだったので、田園風景を見ながらケンブリッジ入りです。
 もっとも、手入れのされていないバスなので、ガラス窓は汚れきっていました。窓の掃除は、年に1回はするのでしょうか。
 その汚れた窓ガラス越しに、風景を写真に納めました。
 
 
 
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 これは、銀行旅行で妻とレンタカーの旅をしたときに、確か走ったことのある見覚えのある道路と風景です。

 お昼前にケンブリッジ駅に着き、そこから今回の目的地であるロビンソンカレッジに入りました。コーニツキ先生が自慢なさるだけあって、きれいな施設です。
 研究集会の会場と晩餐会や食事の場所を確認し、宿舎の部屋に入りました。
 窓を開けてベランダに出ると、知的な香りの漂う外観と庭が目に飛び込んで来ます。
 
 
 
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 キャンパスを散策しました。
 トリニティーカレッジの裏庭には、薄紫色のシクラメンが咲き誇っていました。
 
 
 
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 ケム川には、ボートやパントが漂っています。のどかです。
 
 
 
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 さて、これから、忙しい2日間の始まりです。

2009年9月21日 (月)

寒かったホテルの部屋

 ロンドンのホテルの部屋は、暖房が壊れていました。スチームのパネルが、冷たいままです。
 明け方は窓からのすきま風があって、5時に目覚めました。とにかく、寒いのです。
 男性が来て、スチームのバルブを少し触り、元を調べると言って帰って行きました。そして初日はそのままでした。
 翌朝、フロントに直してもらえなかったことを伝えると、今日の夕方までには直すとのこと。
 しかし、やはりその夜も寒いままでした。直しなどしていないのです。

 海外のホテルで設備に問題があることは、シェラトンホテルの枕元のランプが何度も落ちることに始まり、枚挙にいとまがありません。また、そのようなものだと思わないと、旅のストレスが溜まります。

 しかし、直すと言ったのなら、直すべきです。そのように、努力すべきです。それが、客との信頼関係です。
 基本的に、日本人の感覚でのサービスと、数多くの海外でのサービスというものに対する考え方が、おそらく違うのでしょう。海外では、あくまでも自分のことがあってのサービスのようです。面倒なことにまでは、サービスの範囲は及びません。そう思わないと、海外でのサービスの実態が理解できません。

 結局、ロンドンでの二晩ともに、寒い部屋で早朝の仕事をこなしました。
 今回は、B&Bではなくて、ホテルでした。そんなに立派ではないのですが、それでもホテルなので、従業員はできなかったらできなかったとハッキリと言うべきです。


偶然に出くわした珍しい瞬間

 昨日、ロンドンのトラファルガー広場でのパフォーマンスのことを書きました。
 今日も、同じ所をたまたま通りかかったところ、おもしろいシーンに出くわしました。
 パフォーマーが交代するところに出会えたのです。
 
 
 
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 台座の上にいる女性が持ち時間を終え、次のパフォーマーと交代となりました。
 すると、横付けされていたクレーン車が伸びてきて、次の男性を乗せて押し上げます。
 そして、お互いが入れ替わって、次の男性のパフォーマンスが始まるのです。
 
 
 
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 やっていることは、昨日私が見たものと同じように、そんなにたいしたものではなかったようです。
 しかし、少し長い期間にわたってやっているイベントなので、全期間中のものの中には、唸るものもあることでしょう。
 総集編される日が楽しみです。

 国会議事堂へ向かっていると、ツールド・フランスの自転車レースがこの道を通るというので、大規模な交通規制がなされていました。
 おかげで、いつもなら撮影できない、ウエストミンスター寺院のそばの広い道路の真ん中というポジションから、ビッグベンが撮影できました。
 
 
 
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 歩いていると、いろいろなものごとに出会えます。
 特にそれを目指しているのではないのに、用事と用事の間にも、こうした予期せぬ楽しい瞬間に身を置くことができます。
 これも、旅の収穫の1つです。


2009年9月20日 (日)

ハリーポッターのカートが移動

 日本からのみなさまをお迎えするため、リバプールストリート駅からホテルに向かいます。
 途中、いくつかの用事を済ませながら、ロンドン市内をブラブラと移動です。

 キングスクロス駅のハリーポッターのキャリーカーが、なんと半年前の所にないのです。
 今年の2月にここに立ち寄ったときのことは、以下のブログに書きました。

「壁に取り付けられたハリポタのカート」

 それが、今回はこんな状況になっていました。
 
 
 
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 隙間から覗くと、跡形もありません。
 
 
 
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 掲示されたポスターには、こう書いてありました。
 英語のわかる方はどうぞ。英語が苦手な私は、適当に推測で読んだので、日本語にはできませんので悪しからず。
 
 
 
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 ここからさらにホームの先へ行くと、問題のカートがあります。
 
 
 
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 陽気な旅行者が、楽しそうに記念撮影中でした。


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 キングスクロス駅の隣にある、大英図書館へ行きました。
 入口近くに、新しくコーヒースタンドを作っていました。
 
 
 
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 この次に来たときには、ここでコーヒーが飲めます。普段は、図書館の中で飲むのですが……。

 敷地内に、ブロンズ像があります。
 
 
 
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 私は、ロダンの「考える人」だとばかり思っていました。今回よく見ると、ニュートンなのです。勘違いしていたのでしょうか。
 京都国立博物館の中庭に「考える人」があったと思うので、それと勘違いしていたのでしょう。なにげなく見ていたものが、実は違っていた、という例です。

 大英図書館で用事を済ませてから、これまた移動中にナショナルギャラリーに立ち寄りました。
 トラファルガー広場は、いつも人で溢れています。
 正面に、ビッグベンが見えます。ロンドンアイは、隠れています。
 
 
 
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 この広場の一角で、パフォーマンスがあります。これは、四隅の台の1つを、来月まで自由に使えるようにしたものなのです。
 
 
 
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 今日は、女性が一人でマイクを持ち、何か喋っていました。
 私は決まり文句の英語しか使えないので、何を言っているのかサッパリわかりません。
 詩でも読んでいたらいいのですが、実際は何かわからないままに、すぐ後ろのギャラリーに入りました。
 私は、少しでも時間があれば、何とかしてここのギャラリーを入ってすぐ右側の部屋にある、印象派の絵を見ることにしています。
 今日も、ルノアールをはじめとする、よく知られた絵を数点見て、次の用事のために移動します。15分もかからない、ホンのわずかな美術鑑賞です。
 今日は、ちょうどマネの「The Execution of Maximiliam」と、私が大好きな絵の1つであるルノワールの「At the Theatre」の前でピアノコンサートがあるとのこと。椅子が並べられる直前で、ピアニストの女性が練習を兼ねた調律をしておられるところでした。モーツアルトの曲を演奏なさるようです。しかし、残念ながら開始の19時半は、日本からお越しの先生方とホテルで待ち合わせる時間です。また機会があることでしょう。

 大急ぎで、2階建てバスに飛び乗りました。


2009年9月19日 (土)

ロンドンで回転寿司を楽しむ

 ノーリッジの食事は、カロリーが高いようです。

 初日に、センズベリー日本芸術研究所であった懇親会では、ワインとカナッペのようなおつまみだけを食べたのですが、2日目の朝の血糖値は160を超していました。いつも、120を目指している私には、これは大変です。

 2日目の晩餐会で、私はベジタリアンの食事を事前に注文していました。しかし、出てきた食事は、バターとチーズを主体としたパスタ料理でした。ノンベジは、チキンのステーキでした。その後は、舌が痺れるほど甘いアイスクリームです。どちらも半分も食べなかったのですが、3日目の血糖値は、やはり160を超えていました。
 2日間とも、お昼はサンドイッチを2切れです。分量的にはいつもの半分以下なのですが、異常に高い数値が続きます。
 イギリス料理は、私にとっては要注意です。
 これまでに、何度も来ているイギリスです。しかし、食事のカロリーに関しては、日本とは相当違うようです。私の身体も、このイギリスの味付けに対応できなくなって来たのかもしれません。

 会場のそばに、日本料理屋さんがありました。「四季」という名前です。
 
 
 
090918siki四季
 
 
 
 持ち帰りの寿司などもありました。しかし、回転寿司屋ではないので、入りませんでした。値段は、どこでもそうですが、高めのようです。そろそろ、お寿司をしっかり食べて、体調を整える必要がありそうです。

 今日は、ケンブリッジの国際研究集会にご参加の、伊井春樹先生をはじめとする一行が日本から空路ロンドン入りされます。先生方とは一旦ロンドンで落ち合い、そして一緒にケンブリッジへ行くことになっています。
 昨日、ノーリッジでケンブリッジ大学のコーニツキ先生とは、打ち合わせを済ませてきました。

 ノーリッジ駅から列車に乗り、ロンドン東郊のリバプールストリート駅に出ます。約2時間の旅です。
 リバプールストリート駅の構内には、回転寿司屋があるのです。ホームに降りたって見上げると、右上にガラス張りのお店があります。
 
 
 
090918susi1リバプールストリート駅
 
 
 
 お店の外観は、こんな感じです。入口近くにテイクアウトのコーナーもあり、いつも混み合っています。
 写真の手前に、楕円型の木枠がガラス越しに映っています。この店の内装は凝っていて、目を楽しませてくれます。
 
 
 
090918susi2_2もしもし寿司
 
 
 
090918susi3おしゃれな客席
 
 
 
 さらに近寄って見ると、なんと客席の下は石庭になっているのです。これは、一見の価値があります。


090918susi4石庭
 
 
 
 店内は、格子戸などで仕切られた席から駅のホームが眼下に見下ろせるなど、さまざまな工夫がなされています。

 このお店のお寿司は、握り寿司よりも巻物が主体の日が多いようです。私は、おかずやおつまみを楽しみにしています。今日は、大福餅も流れていました。私には食べられないものですが。
 
 
 
090918susi5大福餅
 
 
 
 天麩羅も流れてきます。
 カウンターのテーブルには、イ草が敷かれています。
 
 
 
090918susi6天麩羅
 
 
 
 お店は、若いビジネスマンや女性客が多い、華やかさと活気のあることが特徴でしょうか。おしゃれに回転寿司を食べる場所、となっています。
 私は、冷や奴、エンドウ豆のごま和え、味噌汁、日本茶などと、数皿の握りを食べました。
 
 
 
090918susi7本日の食事
 
 
 
 生き返った心地がします。元気がでます。
 このロンドンで、ケンブリッジの国際研究集会の準備をスタートします。


2009年9月18日 (金)

ヨーロッパにある日本の古典籍など

 EAJRSで、2日目の研究発表のトップバッターを務めました。
 
 
 
090917happyou発表
 
 
 
 会場となったホテルに宿泊した方が多かったこともあり、みなさん早くから集まってくださいました。
 私が概略を説明し、その後、大内氏が「コーニツキ版 欧州所在日本古書総合目録」についての発表をしました。データベースの使い方からその背景、そして今後の展望などを、要領よくまとめて説明しました。
 質問は、コーニツキ版ユニオンカタログで表示される所蔵機関の略号のことと、このデータベースが非常に有用であることを国文学研究資料館に伝えるにはどうしたらいいか、ということなどでした。
 みなさまのお役に立つデータベースとして育っていることが実感できる反応でした。

 昼食は、参加者みんなで市庁舎へ行き、市長からの歓迎のスピーチを聞きました。
 
 
 
090917cityhall1女性の市長さん
 
 
 
 また、市議会場にも入れていただき、市長の議会運営の話などを聞きました。
 
 
 
090917cityhall2会議場
 
 
 
 市政が開かれていることがわかりました。

 午後は、コーニツキ先生の発表などがありました。
 タイトルは「 Vernacularization and the Book in Japan」でした。
 
 
 
090917peter2
 
 
 
 レジメもキーノート(Macintoshのプレゼンソフトで、Windowsで言うパワーポイント)も使わず、ひたすら言葉で訴える正統派のスタイルです。
 私も、自分の発表ではプレゼンソフトは使わず、写真を映す程度です。今後は、言葉で語るスタイルにチャレンジしてみたいと思います。上の写真も、そのせいもあって英語バージョンの写り方になったようです。

 この日の午後は、多くの発表が英語でなされたこともあり、私には難解でした。
 これは、今後とも修行だと思うことにしています。

 今日も、たくさんの収穫がありました。

 スウェーデンのストックホルムからお出でだった司書の方と、スウェーデン語訳『源氏物語』の話をしました。『源氏物語』の情報をお持ちではなかったので、2種類あることを伝え、探してもらうことになりました。
 スウェーデン語訳『源氏物語』については、これまで、『源氏物語』全帖が直接日本語からスウェーデン語に訳されたことはありません。Arthur WALEYの「桐壺」〜「葵」までの重訳として、1928年にアンナスティーナ・アルクマン、1986年にクリスティーナ・ハッセルグレーンが訳したもの、この2つだけです。エドワード・サイデンステッカーの英訳が、1976年にすでに出版されていましたが、クリスティーナ・ハッセルグレーンは、Arthur WALEYの英訳をもとに重訳しているのです。

 また、楽しみが増えました。

 フランスのパリにも、回転寿司屋があることがわかりました。しばらくパリには行っていないので、貴重な情報です。
 パリのシャトレの近くに「マツリ」や「カイテン」という店があるそうです。
 今度行ったら、確認して来ましょう。

2009年9月17日 (木)

英国ノーリッジ到着

 イギリスまでは、成田からJAL便で13時間弱の長旅です。
 ヒースロー空港から、今回のEAJRS(日本関係資料専門家欧州協会)の会議場があるノーリッジまで、バスで4時間の移動です。電車でもよかったのですが、重たい荷物を持って地下鉄や列車を乗り換えるのが大変なので、始発から終点までのバスにしました。
 かつて妻とレンタカーで走った村々、蜂蜜色の煉瓦のかわいい家々、秋の深まりを感じさせるイングリッシュ・ガーデンを車窓に見て、バスは快調に走ります。
 ノーリッジに着いたのは、夜の7時半でした。
 
 
 
090915bus長距離バス
 
 
 
  最初の夜の食事は、街中の店がすべて閉まっていたので、開いていたイタリア料理にしました。
 注文したピザは、生地の焼き具合が柔らかすぎるように感じました。イタリア料理のシェフを目指す息子の方が、これならずっとうまく焼くことでしょう。モレッティというビールを飲みました。少し温めでしたが、おいしい喉ごしでした。
 古城がライトアップされていました。
 
 
 
090915castle古城
 
 
 
 帰り道で、スーパーマーケットのテスコを見かけました。
 早速、パックのお寿司を手に入れました。
 酢飯に芯が残っていて、ご飯が固すぎました。
 
 
 
090915susiパックのお寿司
 
 
 
 街中のパックのお寿司は、当たり外れが激しいので、いつも楽しんで食べています。これは、外れです。

 ホテルの窓から見た朝のノーリッチは、近代的な町並みです。
 昨夜到着したバスターミナルの向こうに、古城が見えます。
 
 
 
090916asa朝の市中
 
 
 
 また、インフォメーションセンターの前の協会からも、古城が姿を覗かせています。
 
 
 
090916charch教会から
 
 
 
 今回のEAJRSの集会は、700年の伝統を誇るメイズ・ヘッド・ホテルの大広間で開催されました。
 
 
 
090916hoteloutホテル正面
 
 
 
090916hotelin古い看板
 
 
 
090916kaijyo研究発表会場
 
 
 
 会場の入口には、来週のケンブリッジ大学で開催する国際研究集会のポスターが貼られていました。
 藤原紀香の横でもあり、人目を惹いていました。
 
 
 
090916poster我々のポスター
 
 
 

2009年9月16日 (水)

成田離陸までの予期せぬ事態

 予め調べておいた時間に、東京の宿舎を出ました。快調に英国行きのスタートです。
 通勤時に使う地下鉄東西線で成田へ向かうため、キャリーバッグをゴロゴロと牽いての出発です。

 いつものように、ビルのエレベーターを使って地下の駅に降りようとしたところ、あいにく早朝のためにシャッターが降りていて、エレベーターが使えません。仕方がないので、重い荷物を持って、曲がりくねった長い階段を一歩ずつ下りました。腕立て伏せと懸垂の要領で、腹筋と背筋を使って荷物のバランスをとりながら階段を下ります。

 いつものホームに降り立って、ハタと気づきました。今日は、通勤とは逆の、成田方面へ行くのでした。
 やれやれ、と思いながら反対側のホームへ移動です。重い荷物を引きずりながら、階段をエッサエッサと上り下りしました。

 予定の電車は、すぐに来ました。危ないところでした。
 通勤時間帯なので、混雑しています。バッグを床に置く位置を微妙にずらしながら、みなさんの迷惑にならないようにしていました。
 しばらくして、ハッと心臓が一時停止です。乗換駅を乗り過ごしていることに気づいたのです。
 早朝の出発のため、いつも海外出張で成田へ行く時と、乗り継ぎ方法が違っていることに気が回っていませんでした。路線情報を印刷したものを見ながら、すぐに降りて引き返すべきか、少し遅れてでもこのまま行くべきか、しばし思案です。そして、ロスタイムがますます加算されることを避けるためにも、このまま行くことにしました。
 目指す方向は間違ってはいません。多少の遅れは、織り込み済みの出発なのですから。

 乗った電車の終点である西船橋駅で、京成線に乗り換える方法もあります。しかし、使ったことのない線よりも、いつも成田へ行くときの経路で行くことにしました。
 乗り換えの西船橋駅では、反対側のホームに渡ることになります。通勤ラッシュの中を、重い荷物を持ってエスカレータの階段を歩いて急ぎます。人混みの中を、やっとの思いでホームに降り立つと、ここから先へ行く東葉高速線はすぐに来ました。ラッキーとばかりに飛び乗ったところ、車内放送によると、これは快速ではなくて各駅停車でした。しまった、と思ったのですが、下手に次の快速に乗り換えるために降りずに、そのまま終点の東葉勝田台駅まで行くことにしました。

 結果的には、予定通りの時間に、東葉勝田台駅に着きました。
 予め路線検索が示してくれた経路は、どうやら西船橋駅で陸橋を渡らなくてもいいものだったようです。途中駅のホームで次の電車を待てば、そのまま東葉勝田台駅へ行けるように配慮したものだったようです。
 乗り換えに階段を使ったりと、重い荷物を持っての移動では大変な思いをしたことになります。しかし、それだけのことで、時間的なロスはなかったことになります。結果オーライということにします。

 東葉勝田台駅から京成線の空港第2ビル駅までは、これまた通勤時のラッシュに巻き込まれました。しかし、何とか乗り換え3分間の早業をこなしました。一旦、改札を出て、改めて京成の切符を買うのです。それにしても、スムーズに乗り換えができました。

 最後の乗り継ぎとなる列車に乗り込んで、やっとホッとした時でした。出入り口のドア付近に立っていた私の背中で、蛇口から水が流れ出るような音がしました。まさか電車で水漏れ?、とは思ったのですが、あまりキョロキョロできない混み具合なので、しばらくジッとしていました。
 背後で聞こえるのは、お小水をする時の音に似ていました。少ししてから、何だろうと思って振り返ると、後ろにいた女性が車酔いなのか、ビニール袋を口に当てて嘔吐しているのです。
 すぐそばに座っていたおじさんが、その様子に素早く気づいたようで、座席を女性に譲ってあげておられました。
 女性には同伴の若い男性があり、いろいろと小まめに介抱しておられました。
 満員電車の車中でのできごとです。女性はずっと俯きながら、苦しそうでした。何よりも、心中は情けなさに複雑な思いだったのではないでしょうか。彼のために、そして廻りの乗客の視線を感じて……。
 大きなスーツケースを横に置く2人は、共に若かったので、あるいは新婚旅行では、と思われます。

 そういえば、私も新婚旅行でこんなことがありました。
 もう35年も前のことですが……。
 私が結婚したのは、まだ学生の身分の時でした。お金もなく、東京タワーの下で20人ほどの家族親族に集まってもらっての、ウエディングケーキも、お色直しもない、質素な結婚式をあげました。
 新婚旅行は海外でした。と言っても、伊豆の大島なので都内ですが……。
 新婚旅行中に、妻は酷い船酔いをしました。そのために、お互いに苦しい船旅となりました。
 今日の車中のできごとを目にして、あの自分たちのことを思い出しました。
 今日のお2人ともが、つらい旅立ちとなっただろうと思うと、同情を禁じ得ません。

 それはさておき、結果的には、予定通りの時間に成田空港に着きました。
 最近は、電子チケットなので、チェックインも楽なものです。

 しかし、障害物競走のような人生は、まだ待ち構えていました。
 手荷物検査で、ゲートを通過するときに、何度もブザーが鳴ります。
 ベルトを外してもダメです。ポケットに入っていた財布や手帳やハンカチなど、すべてを取り出してもダメです。
 小さな台の上に立たされ、大きなルーペ状の金属感知器で体中を執拗に撫でられました。前から、後ろから、そして股や腋の下も。
 手でも、体中を触られました。靴も、手で押さえながら、丹念に調べられました。
 挙げ句の果てに、お腹周りの触診です。お臍や骨盤の辺りを強く押されました。何か飲み込んでいるのでは、と思われたようです。

 結局、無罪放免となりました。
 あの執拗さは、一体、何だったのでしょうか。不可解なできごとでした。
 私の体内には、胃や十二指腸などの臓器を切除した後の処置として、ホッチキスの針が数十本埋め込まれています。レントゲンで見ると、本当にあの両端が丸まったホッチキスの針の形が視認できます。もっとも、ステンレスだそうで、錆びることはないのでしょうが。
 とはいえ、これまでの数多い渡航歴の中で、この針が原因でこのような厳しい金属検査を受けたことはありません。
 謎です。

 そして今、機中でこの文を書いています。
 いろいろとハラハラドキドキの場面がありましたが、とにかく順調にロンドンを目指して飛んでいます。

2009年9月15日 (火)

海外へ出かける直前の荷造り

 明日、というよりも8時間後にはJALの機中です。
 いつものことなのですが、旅の荷造りは直前にするので、何かとアタフタとするのが常です。
 ズックのボストンバッグには、研究発表資料とお土産と衣類とパソコングッズなどが入ります。
 機内持ち込みの手提げバックには、MacBook Air と本や資料です。
 
 
 
090915旅行の荷物
 
 
 
 分量のことを勘案しながら、持って行くべきかどうか、いろいろと悩むものが多いのです。

 やはり、仕事関係の資料は、締め切りに追われていることもあり、安心という意味からも何かと詰め込んでしまいます。
 これが、分量を増やす原因の1つとなっています。

 今回は、ノーウィッチで開催されるEAJRSでの研究発表資料と、ケンブリッジでの国際研究集会の配布資料という、2つの研究集会の印刷物の分担運搬分があるので、いつもの2倍の重い荷物となりました。やはり、紙は重いですね。
 また、ノーウィッチのセンズベリー研究所への国文学研究資料館からの献本などがたくさんあるので、まさに大量の印刷物をイギリスまで運ぶ、という感があります。
 今回は、お世話になっている方々にたくさん会うので、お土産もいつもより多めです。昨日、銀座にある秋田県の物産館で、名産品を調達しました。

 事前に送る物は送ったのですが、それ以降に届ける物がたくさんあったのです。にわか仕立ての宅配便屋さんです。
 ひょっとしたら、預ける荷物の重量オーバーではないかと、それが心配になりました。
 エコノミーは、20キロまででしたでしょうか。確実にオーバーしています。
 まあ、重量超過を認めてもらえなかったら、その分を成田に置いていくしかありません。

 数年前に、ウィーンへ行く便に乗り遅れたことがありました。
 仕事が忙しくて、徹夜をして行くことにしたのですが、家を出る直前に睡魔に襲われ、つい仮眠したために飛行機に乗り遅れました。

 今回は、4時間後に起きればいいので、余裕です。

 最初の宿泊地であるノーウィッチの宿舎で、インターネットが使えるかどうかわかりません。
 ブログが途切れたら、イギリスでは使えなかったのだ、ということでご寛恕のほどを。

2009年9月14日 (月)

心身(43)体調チェック

 昨日書いた、ケンブリッジでの国際集会のブログ記事が、笠間書院のブログで紹介されました。
 そのおかげもあって、作成したばかりの予稿集のダウンロードが好評です。
 どうぞ、ご自由にご覧下さい。何かご意見などがございましたら、本ブログへのコメントとしてお寄せ下さい。

 英国への出発を明日に控えた今日、九段坂病院へ行き、過日の人間ドックで再検査となった項目についてチエックをしてもらいました。

 予約がされているのかどうかで、少し混乱しました。しかし、所詮はコンピュータがすることなので、間違いはよくあるものです。

 
 血液検査の結果、ドックの時にヘモグロビンA1cが6.6だったのが、今日は6.3でした。目安値が4.3から5.8なので、改善されつつあるとしても、やはりまだ要注意です。
 血糖値は、今朝の自宅での数値は133でしたが、病院での測定は135でした。ほぼ、正確な測定をしていることになります。それにしても、目標値は126なので、少し高めです。

 ただし、私は名前に「鉄」があるるにもかかわらず、鉄分は不足しています。そのためもあって、ヘモグロビンA1cが低く出たのかもしれないとのことでした。

 毎日飲んでいるビールは、2日に1度にしなさいと。

 眼科での検診も、問題はないそうです。
 これからは、もう少し医者に診てもらおうと思います。

 九段下から永田町・赤坂見附経由で銀座へ出て、いつものスポーツクラブへ行きました。
 ついでなので、身体バランスのチェックをしてもらいました。
 私は、痩せ型なのですが、特に悪いところはありません。
 今日わかったことは、脚の推定筋肉量が極端に少ないことがあります。
 これからは、脚の筋肉をしっかりと付ける体操をしようと思います。


 そのこともあって、久しぶりにスタジオのフィットネス・エアロに入りました。
 本当に、久しぶりに踊ります。
 やはり、細かなステップが踏めません。また、たくさんの振り付けを覚えきれません。
 後半の腹筋体操は、どうにか付いていけました。
 ただし、今は筋肉痛です。


 


2009年9月13日 (日)

ケンブリッジ版「横断する日本文学」の配布資料

 来週の21日に英国ケンブリッジ大学で開催する国際研究集会「横断する日本文学」の配布資料ができました。
 昨日より、立川に泊まり込んで作成した、手作りの冊子です。
 
 
 
090913note予稿集
 
 
 
 当日、ロビンソンカレッジの会場で配布する分として、60部を印刷・製本しました。
 たくさんの方から、行けないので資料を、との要望があります。
 そこで、原版から作成したPDFファイルをアップロードします。このデータで、集会の内容をごらんください。
 全61頁の画像ファイルなので、19メガもの巨大なPDFファイルです。
 ダウンロードに時間がかかりますが、興味をお持ちの方に見ていただければ幸いです。


pdf「横断する日本文学」をダウンロード


 作成から印刷・製本までを、根気強く手伝ってくれた菅原郁子さんと神田久義君に、心より感謝します。
 お疲れさまでした。二人の土日を、この作業で奪ってしまいました。
 ゆっくりと休んでください。

 私は一足早く、明後日から渡英します。


2009年9月12日 (土)

京洛逍遙(103)紫織庵

 無名舎から少し北に上ったところに、京町家として知られる紫織庵があります。
 ここも、特別公開されていたので、行ってきました。
 
 
 
090906siori1正面
 
 
 
 ここは、入るとすぐに煉瓦造りの建物があります。大正時代の雰囲気が漂っています。和洋折衷の味が楽しめます。
 
 
 
090906siori2玄関へ
 
 
 
 中に入ると、庭を囲む広縁には、大正時代の「波打ちガラス」が目に飛び込んできます。
 当時のままに、一枚も破損していないとのことでした。
 
 
 
090906siori3波打ちガラス
 
 
 
 庭の手前には、織部マリヤ灯籠があります。
 上を十字架に似せ、下にマリヤ像が彫られています。キリシタン全盛時代のものだそうです。
 
 
 
090906siori4織部マリヤ灯籠
 
 
 
 2階へ上がると、屋上には祇園祭の山鉾巡行を見るための特設の鉾見台がありました。
 この張り出しから、すぐ前の通りを行く山鉾が見られます。チマキも手を伸ばして、直接受け取れるのです。
 
 
 
090906siori5鉾見台
 
 
 
 無名舎が近世から近代の雰囲気だったのに比べて、この紫織庵は近代から現代の町家の匂いがします。
 いずれも、京の町家の多様な面を見せてくれます。

 これらは、多分に見られることを意識した結構となっています。しかし、これもかつての京の町家なのです。
 日本の伝統的な文化とされる要素が多彩にちりばめられた、意義深い体験空間となっています。
 日本的なものを感じる上で、すばらしい場所が保存され、提示されています。


2009年9月11日 (金)

京洛逍遙(102)無名舎

 京の町家を見学するために、祇園祭で賑わった新町通りに行きました。
 京都生活工藝館というよりも「無名舎」という呼び名で知られている、吉田さんのお宅の特別公開があったからです。
 明治42年に建てられた町家を、可能な限り修復復元されているようです。
 
 
 
090906mumei1無名舎正面
 
 
 
 ここは、もとは白生地問屋だったそうです。
 家の中には、2つの中庭があります。
 まずは、入口に近い庭です。
 
 
 
090906mumei5中庭西向き
 
 
 
 この庭を反対側から見ます。
 華やかさがあります。
 
 
 
090906mumei2中庭東向き
 
 
 
 目を転じて、振り返ると……。
 奥の庭は、しっとりとした感じです。
 
 
 
090906mumei3中庭西向き
 
 
 
 庭が2つあることにより、1つが煙突の役割をすることで、家の中を風が通るようになるのだそうです。
 そういえば、我が家も2つの庭があるので、夏も涼しいことが実感できます。生活の知恵によるものなのでしょう。

 江戸、明治、大正、昭和と、京の商人の生活文化が、この家のそこかしこから感じ取れます。
 2階もなかなか凝った造りになっていました。
 家に自然を取り入れることの意味が、この家の中を歩くことによってわかりました。
 谷崎潤一郎の『陰影礼賛』を思い出させる雰囲気が、畳や壁や障子や天井や、そして窓から、目に飛び込んできました。
 住んでいるときには不便なことも多かったことでしょう。しかし、今となっては、合理的な仕掛けがなされていたことにも気づかされます。
 今の住宅に、こうした英知といえるものがどれだけあるのでしょうか。不動産屋さんや建築設計者の思惑で建てられた家がほとんどとなった今、自分で設計することは不可能としても、機械化とは別のスタンスで家を考えるのもおもしろいものです。
 具体的には、今私がやっている、車を手放し、クーラーのスイッチを入れず、間接照明を取り入れた居住空間に身を置くことも、これまた楽しさがあります。
 東京の宿舎では、クーラーすら付けていません。

 生活をしていく中から改善を重ね、そして自然との共存を無意識のうちに叶えていた家を見て、人の居住空間というものを考える一時を持つことになりました。

2009年9月10日 (木)

【復元】点字本『源氏物語』(全3冊)

 今から5年前、2004年12月18日のブログの記事で、点訳本『源氏物語』を取り上げました。
 これは、その2ヶ月前の10月05日に「ミクシィ」にブログとして掲載したものを、場所を改めての再掲載でした。
 今では、共に読めないものとなっています。
 前項を補足するものとして、ここに3度目の掲載をすることにしました。
 以下、公開したときのままでの再現です。
 
 (※本記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)

********************** 以下、復元掲載 **********************

 
 西国第6番札所の南法華寺(壷阪寺、奈良県高市郡高取町)は、インド政府からの寄贈物が多く、また盲人のための施設でもよく知られている寺です。その八角円堂の本尊の背後にガラスケースがあり、その中にたくさんの点字本が入っていました。
 司馬遼太郎の本が多い中で、『源氏物語』が3冊あるのに気づきました。
 
 
 
1103310079_1点訳本3冊
 
 
 
 住職にお願いしたところ、ガラスケースから取り出して見せてくださいました。
 点字がまったく読めない私には、背中に「源氏物語 田辺幸男」、表紙に「日本ライトハウス」とある文字しかわかりません。
 少し時間があったので、各巻の頁数を確認しました。
 第1巻87頁、第2巻82頁、第3巻82頁でした。
 
 
 
1103310079_2巻頭
 
 
 
 これまで納めてあった点字本の読書室が工事中とかで、今はこのような状態で置いてあるとのことでした。
 どなたか、この本のみならず、『源氏物語』に関する点字資料に関してご教示願えませんでしょうか。

********************** 以上、復元掲載 **********************

2009年9月 9日 (水)

点字本『源氏物語』(その後)

 今から5年前、点字本『源氏物語』についてブログに書きました。
 しかし、そのサイトが今夏、消滅しましたので、それを再掲する前に、現状の報告をしておきます。

 『源氏物語』の翻訳本を追い続けている中で、目の不自由な方々のための点訳本にたどり着きました。

 昨年は『源氏物語』の千年紀ということで、さまざまな源氏情報が氾濫しました。その中で、地味でしたが『源氏物語』の英訳を点字にした方々がおられました(2008年8月25日  読売新聞)。

 東京のボランティアグループ「紫会」では、5年がかりでサイデンステッカー訳『源氏物語』を点訳なさったのです。英語に点訳された本は、全39巻、4400頁もの大部です。「紫会」の平均年齢が71歳というのですから、すばらしい集まりのようです。

 これは、海外の視覚障害者のみならず、日本でも点字で読みたい人は多いことでしょう。
 米国ワシントンにある議会図書館に寄贈され、日本点字図書館(東京都新宿区)に点訳データが贈られ、インターネットでも公開されました。

 目の不自由な方は、点字や朗読によって作品を受容できます。その中でも、点字は自分のペースで読み進められるので、大切なメディアだといえるでしょう。

 インターネット上では、点訳『源氏物語』について、以下のような情報が得られました。
 まだまだあると思います。ひとまず、3点ほど。

 ご教示を得ながら、少しずつリストに追加していきたいと思います。


(1)「みずほ点訳」



『源氏物語』(全10巻) 紫式部著 瀬戸内寂聴訳 講談社 全43巻
 わが国が誇る古典文学の傑作『源氏物語』。瀬戸内寂聴による現代語訳全10巻の点訳版(全43巻)です。
 
巻一(桐壺・帚木・空蝉・夕顔・若紫)1996年12月11日第1刷 全4巻
巻二(末摘花・紅葉賀・花宴・葵・賢木・花散里)1997年2月25日第1刷 全4巻
巻三(須磨・明石・澪標・蓬生・関屋・絵合・松風)1997年4月25日第1刷 全4巻
巻四(薄雲・朝顔・乙女・玉鬘・初音・胡蝶)1997年5月24日第1刷 全4巻
巻五(蛍・常夏・篝火・野分・行幸・藤袴・真木柱・梅枝・藤裏葉)1997年7月10日第1刷 全4巻
巻六(若菜上・若菜下)1997年9月3日第1刷  全4巻
巻七(柏木・横笛・鈴虫・夕霧・御法・幻・雲隠・匂宮・紅梅)1997年10月30日第1刷 全5巻
巻八(竹河・橋姫・椎本・総角)1997年12月19日第1刷 全5巻
巻九(早蕨・宿木・東屋)1998年2月27日第1刷 全4巻
巻十(浮舟・蜻蛉・手習・夢浮橋)1998年4月2日第1刷 全5巻


(2)社会福祉法人 東京ヘレン・ケラー協会



12910 瀬戸内 寂聴 訳
 源氏物語 巻1  5冊  講談社1996年
12920 瀬戸内 寂聴 訳
 源氏物語 巻2  5冊  講談社1997年
12930 瀬戸内 寂聴 訳
 源氏物語 巻3  5冊  講談社1997年
12940 瀬戸内 寂聴 訳
 源氏物語 巻4  5冊  講談社1997年
12950 瀬戸内 寂聴 訳
 源氏物語 巻5  5冊  講談社1997年
12960 瀬戸内 寂聴 訳
 源氏物語 巻6  5冊  講談社1997年
12970 瀬戸内 寂聴 訳
 源氏物語 巻7  6冊  講談社1997年
12980 瀬戸内 寂聴 訳
 源氏物語 巻8  6冊  講談社1997年
12990 瀬戸内 寂聴 訳
 源氏物語 巻9  5冊  講談社1998年
13000 瀬戸内 寂聴 訳
 源氏物語 巻10 6冊  講談社1998年

殺人源氏物語 斎藤栄 著 5時間55分 光文社 1995年 日本点字図書館 製作


(3)点字サークル 芽の字会



『ちかみち源氏物語』全3巻 橋本千恵 学習研究社

千年の時を経て愛される『源氏物語』は、どんな切り口で読んでもさまざまな魅力をたたえている。読みたいのはやまやまだけれど「授業で習ったきりで・・・」「漫画は読んだけど・・・」とその長さや難しさから、つい手に取れずにいた人も多いはず。『源氏のげの字も知らなかった』と自らを振り返る著者が、日本の誇る大ロングセラー作品を、時代背景の基礎知識もまじえ解説する、超かんたん早わかり『源氏物語読本』の最新版。


2009年9月 8日 (火)

心身(42)血糖値が自分で測定しにくい環境になる

 今年の6月3日に、「心身(37)愚かな薬事法改正に困っています」という記事を書きました。

 この理不尽な医療行政が、さらに急加速しているようです。

 血糖値を自分で測定している私は、毎朝、そのための測定用のチップと針を消費します。
 チップ(30個入り)が約3,500円、針(30本入り)が約500円です。
 1ヶ月4,000円ほどかかります。

 私は3ヶ月分をまとめて、街の薬局で購入しています。
 それが今日は、針だけは注文を受けてから発注することになったとのことで、数日待つことになりました。
 測定用のチップはありました。しかし、チップだけあっても、肝心の採血用の針がなければどうしようもありません。
 それも、500円という安い方が手に入らないのですから、嫌がらせも手が込んでいます。 
 血液を扱うので、何かと難しいことがあるのでしょう。
 しかし、それにしても、毎日使う消耗品が、容易に手に入らない状態になったことに変わりはありません。

 どうして、針などを、わざわざ手に入れにくくするのでしょうか。
 消毒の問題ならば、消毒液とセットの販売にすればいいのです。
 針の処分に関することならば、街中の調剤薬局などに置いてある回収箱を増やせばいいことです。

 自分で自分の体調を管理することが、こうしてますます難しくなっていきます。
 自分の健康管理は、自分では「するな」、ということなのです。
 すべて、医者や薬剤師にまかせろ、ということなのでしょうか。
 ますます多忙を極めるはずの医療に関して、あえて人手不足になる状態をわざと作ろうとしているようです。

 何か、この裏には、しかるべき組織による魂胆があってのことなのでしょう。

 自分の身体のことを本人に知らせないようにするある種の方針には、大いに疑問を感じます。

2009年9月 7日 (月)

EAJRSで紹介されました

 今月21日(月)に英国ケンブリッジ大学で開催する国際研究集会「横断する日本文学」のことが、EAJRS(European Association of Japanese Resource Specialists、日本資料専門家欧州協会)のホームページで紹介されました。
 
EAJRS
 
Notice
 
 併せて、プログラム(Programme 2009)もご覧ください。
 
 2日目の9月17日(木)の9時から「Third Session」で、「日本古典籍分類表の活用とコーニツキー版ユニオンカタログの新展開」と題して発表することになっています。

 発表の内容は、以下の通りです。
 
 
 

日本古典籍分類表の活用とコーニツキー版ユニオンカタログの新展開
The thesaurus for early Japanese books and new challenges on the Union catalogue of early Japanese books in Europe.
 
  大内英範・伊藤鉄也、国文学研究資料館
  OUCHI Hidenori, ITO Tetsuya, National Institute of Japanese Literature.
 
 
 2001年11月から国文学研究資料館において公開している「コーニツキー版欧州所在日本古書総合目録」は、当館のデータベースの中でも利用者数の多いものとして注目されている。
 この目録は、ケンブリッジ大学ピーター・コーニツキー教授らによって構想され、データが蓄積されてきたものを、国文学研究資料館が引き継ぎ、公開しているものである。
 本発表では、このデータベースについて、まずその概要を紹介し、アクセス解析による利用情況と評価について述べる。また、最近のいくつかの新たな試みについても紹介したい。
 たとえば「日本古典籍総合目録」データベースと連携し、相互にリンクを設けたことにより、ユーザーの利便性を高めた。また、ケンブリッジ大学図書館所蔵のいくつかの書籍については、その全ページの画像を公開し、リンクした。画像公開については、今後もその範囲を拡げていきたいと考えている。
 さらに、将来的な構想として、「日本古典籍分類表」による分類情報の付加についても検討している。

2009年9月 6日 (日)

京洛逍遙(101)晴明神社と一条戻橋

 今夏、国文学研究資料館で開催された「百鬼夜行の世界」は、1ヶ月の間に4千人近い人が見てくださいました。
 昨秋の『源氏物語展』に近い来館者で、盛況のうちに幕を閉じました。
 担当の小林健二先生と青木睦先生のご苦労には、この来場者数が労ってくれるものとなりました。
 本当に、お疲れ様でした。

 この展示については、以下のブログで紹介しました。

連携展示「百鬼夜行の世界」

 そこで触れたことですが、陰陽師・安倍晴明が式神を操って外道に対するところを復元した模型を、国立歴史民俗博物館から借りて来て展示していました。これが大好評だったようです。
 そのこともあり、晴明神社に行かなければ、と思いながら、なかなか果たせませんでした。
 自宅に近いということと、その前をよく通るので、この次に、とパスしていたことが原因です。
 何かと人気なので、通りがかりに晴明神社へ寄ってみました。
 場所は、非常にわかりやすい所にあります。
 
 
 
090906seimei2地図
 
 
 
 晴明は、天文陰陽博士として、朱雀、村上、冷泉、円融、花山、一条天皇に側近として仕えました。
 平安時代の文学を読む者にとっては、その背景に陰陽道が日常的にあります。
 ただし、私にとってはその実態がよくわからないので、物語の中ではあまり生きない知識のままです。

 入口に立つ一の鳥居には、社紋である桔梗印・五芒星が目につきます。
 
 
 
090906seimei1一の鳥居
 
 
 
 鳥居を潜ると、すぐ左に、かつて堀川に架かっていた一条戻橋を再現したものが置かれています。
 
 
 
090906seimei3旧戻橋
 
 
 
 戻橋は、今も晴明神社の前の堀川を100メートルほど南に下った所にあります。平成7年以降、現在のものと替えられました。
 今でも、「戻る」という言葉を忌み嫌って、婚礼や葬式ではこの橋を渡らない風習が残っているそうです。まさに、言霊です。
 晴明神社境内にある戻橋の左横には、式神の石像があります。これは、陰陽師が使う精霊です。

 この戻橋の向こうに、神社公認のお土産物やさんがあります。
 そこに、紫式部を描いた土鈴がありました。
 『源氏物語』の千年紀の面影は、まだ京都市内の至る所に残っています。
 
 
 
090906seimei4土鈴
 
 
 
 1本道を隔てて、鳥居の前に「千利休居士聚楽屋敷趾」と刻まれた石碑があります。
 近年、江戸時代の茶書から、ここに利休屋敷があったことがわかりました。そこで、武者小路千家家元が石碑を奉納されたのだそうです。
 
 
 
090906seimei5利休
 
 
 
 境内に入ってすぐ右に、晴明井があります。
 
 
 
090906seimei8晴明井
 
 
 
 これは、毎年の恵方を向いているとか。利休も使った水だそうです。
 ここは、利休が自害した終焉の地でもあるとのこと。
 昨日の堺といい、今日の晴明神社といい、利休に縁のある地を訪れることとなりました。

 このあたりで、晴明様にお出ましいただきましょう。
 本殿の前左側にいらっしゃいます。
 
 
 
090906seimei6晴明像
 
 
 
 本殿右側には、厄除けの桃が鎮座ましましています。
 チョッと意外な取り合わせでした。もっと、おどろおどろしいものが相応しいように思いますが……。
 
 
 
090906seimei7
 
 
 
 晴明神社の前を、堀川が流れています。
 そして、すぐ南に、今も戻橋があります。
 
 
 
090906seimei9今の戻橋
 
 
 
 この堀川は、最近新しくなりました。そのことは、以下のブログに書きました。
 
(69)水が流れる堀川に変身
 
 今日も、新しい堀川には、たくさんの子どもたちが水遊びを楽しんでいました。
 
 
 
090906seimei10堀川
 
 
 
 晴明は、子どもたちも守ってくれるのでしょう。
 みんな、大はしゃぎでした。

2009年9月 5日 (土)

堺市博物館

 昨日は、英国行きのメンバーとともに、立川で打ち合わせ会を持ちました。
 午前中の手術で麻酔をされていたため、会合後の懇親会ではお酒が飲めず、私だけはウーロン茶でした。
 そのせいもあり、アルコールのない就寝は、実に久しぶりでした。よく眠れました。

 今日は、早朝から新幹線で大阪に向かいました。
 天王寺から阪和線で百舌鳥駅まで行き、仁徳天皇陵の前にある堺市博物館が行き先です。
 途中で、2度も電車の遅れに巻き込まれました。最初は、線路内に人が立ち入ったということで、安全点検のために20分遅れました。次は、待ち合わせの快速が遅れているとのことで、またまた5分ほどの遅れです。
 先月、白浜へスクーバ・ダイビングに行ったときにも、この阪和線は止まりました。
 かつての通勤電車ですが、どうやら相性がよくないようです。

 車内で、東京では見かけないシートカバーを目にしました。
 
 
 
090905saat1
 
 
 
 これだけ派手なデザインになっていると、座るのに勇気がいります。
 お年寄りをはじめとして、ハンディキャップのある方にしても、見られていることが否が応でも意識させられて、座り心地が悪いことでしょう。
 車内はガラ空きだったので、美術館のオブジェのように見えました。

 ふと顔を上げた時、こんなにガラガラなのに、選りに選って元気そうな親子連れが座っていました。
 思わず、シャッターを切ってしまいました。
 
 
 
090905seat2
 
 
 
 かわいい柄のシートなので、子どもたちも楽しそうです。
 JRさん。このアイデアは失敗でしたね。

 堺市博物館は、公園の中にある落ち着いたところです。
 
 
 
090905sakai1
 
 
 
 右端の銅像は、堺の豪商で茶人の武野紹鷗です。紹鷗は、三条西実隆に和歌を学んでいます。
 この紹鷗に向かい合うようにして、千利休が座しています。
 
 
 
090905sakai2千利休
 
 
 
 みごとな茶室があり、大仙公園の中で落ち着いた雰囲気を醸し出しています。
 博物館での仕事は順調に進みました。
 中ではちょうど、中世の堺をテーマにした企画展が開催されていました。
 「よみがえる中世都市 堺 発掘調査の成果と出土品」
 ギャラリートークが始まるということで、参加させていただきました。
 今回の展示を直接担当された方の説明だったので、非常によくわかる解説でした。

 堺は、大坂夏の陣の前哨戦で火の町となりました。その発掘調査の成果が、こうして展示されていたのです。
 昨日の打合会で、タイやベトナムの日本文学研究の現状の報告がありました。そのタイやベトナムから来た陶器などが、堺から掘り出されているのです。貿易港としての堺の繁栄を示すものです。昨日、東南アジアとの文化交流について話し合ったばかりなので、こうしたモノに不思議な興味が沸きました。

 私が一番興味を持ったのは、塼(せん)にヘラで描かれた武者の線画です。
 鎧を着けて刀を持つ武者が、首を刎ねる場面や、首級を翳す姿などが刻まれています。
 これは、1566(永禄9)年の5月30日に起こった、松永久秀と三好三人衆の市街戦を描いたものだとのことです。
 最近、井上靖の戦国時代を背景にした小説を読んでいます。「平蜘蛛の釜」という作品を読んだばかりなので、松永久秀の世界がこんなにリアルに描かれていることに驚きました。
 偶然とはいえ、おもしろい展示に出会えました。

2009年9月 4日 (金)

心身(41)再度、歯の手術

 今年の4月に、右下の歯と歯茎の手術をしました。

 「心身(33)歯の手術に1時間半」で書いた通りです。

 今日は、左上の歯と歯茎の手術でした。

 歯を削る以上に、肉が削ぎ落とされる時の感触は不気味です。
 麻酔のため、痛くはありません。それだけに、神経は口の中に集中します。
 何か別のことを考えて、気を紛らわせようとしました。しかし、口の中でなされていることに、どうしても気持ちがいってしまいます。歌でも……と思ったのですが、一曲も歌えませんでした。

 今日は、40分ほどだったでしょうか。
 前回よりも、スムーズだったように思います。傷口を糸で縫ってもらっている時も、糸が結ばれる様子が感触としてわかりました。私の方も、切られて縫い合わされることに馴れたのかもしれません。

 これまでにも、歯を食いしばって生きないように言われてきました。しかし、無意識のうちに、グッと噛みしめているのでしょう。そのために、口の中が、どうしようもない状態になってしまったのです。

 いつも、ポカンとしているわけにはいきません。考え事をしているときなどに、上と下の歯を押し合うようにしているのでしょう。何事にも、ジッと耐える習性が身についているのかもしれません。そのように見せないようにしているつもりですが、こればかりは、どうしようもありません。歯と歯茎が悲鳴をあげたのです。

 今回の治療が終わったら、意識的に気を抜くコツを身につけるようにしたいと思っています。
 18歳の時、十二指腸が破れたときに、医者は無責任に生きろ、というアドバイスをくれました。
 今回は、日々の緊張をほぐしなさい、と。

 なかなか難しい課題です。

2009年9月 3日 (木)

井上靖卒読(89)「岬の絵」「あすなろう」「断雲」

■「岬の絵」

 10年の年を隔てた、人の心を描きます。
 井上にとって、南紀の海は思い出の地なのでしょうか。よく、作品に出てきます。それも、逃避の地として。 画家の話も、この後も、よくその作品に出てきます。
 刻一刻と移りゆく女の心の中を、うまく描いています。回想と追憶を巧みに取り込んだ、心中思惟の物語です。【4】

初出誌︰電信電話
初出号数︰1950年5月号

短編集『青いボート』(昭和33年5月15日、光文社)所収
井上靖全集2︰短篇2

■「あすなろう」

 青春の中にある、若者たちの明るさがあります。
 明日は檜になろうと夢見る若者たちは、「あすなろう」を合い言葉に、前を向いて生きていきます。
 男4人に女1人。女1人というのが、いかにも青春の話になっています。マドンナです。
 4人の男が対立する時に、白い月光が降っています。緊迫感を月光が演出しています。
 あの頃は良かった、と15年を経ての同窓会です。
 青春の日々の激情と感傷を、ごく自然に描いた佳作です。
 田鶴子の演技が明かされる最後の場面が、とてもいいと思います。【5】


※本作品は、「井上靖卒読(79)「霰の街」「あすなろう」「戦友の表情」」で紹介した、1937年5月5日発行の京都帝国大学新聞に発表された同名の短編とは異なります。
 1953年から連載が開始される『あすなろ物語』(「井上靖卒読(71)『あすなろ物語』」)の前に、1937年と1950年に、こうした2つの短編が書かれていたのです。


初出誌︰サンデー毎日
初出号数︰1950年5月新緑特別号


短編集『死と恋と波と』(昭和25年12月10日、養徳社)に収録
井上靖小説全集 6︰あすなろ物語・緑の仲間
井上靖自伝的小説集4
井上靖全集 2︰短篇2


■「断雲」

 新聞記者である多木の心情が、大阪での空襲という状況の中で、丹念に描かれています。
 雌猫に喩えられる心情が、家族の疎開に関連させて語られます。そして、義妹との少し妖しいやりとりが、巧みに描かれるのです。
 時局を背景にした、一人の男の人間に対する思いは、冷静です。それでいて、温かくもあります。
 伝書鳩による新聞記事の運搬は、非常に興味深い事例です。
 最後に多木が流す涙は、もう少し語ってほしいところでした。【3】

初出誌︰小説公園
初出号数︰1950年6月号

短編集『死と恋と波と』(昭和25年12月10日、養徳社)に収録
文春文庫︰貧血と花と爆弾
井上靖小説全集 3︰比良のシャクナゲ・霧の道
井上靖全集 2︰短篇2

2009年9月 2日 (水)

井上靖卒読(88)詩集『星蘭干』

 これは、井上の第八詩集です。
 平成2年10月に刊行されました。
 半数以上の詩が、『すばる』に発表されたものです。
 書名の「蘭」は、実際にはクサカンムリがない文字です。

 井上靖の詩は、散文の形をとります。しかし、「某月某日」は、このままで詩になっています。このスタイルに出会うと、何かホッとします。 
 「歳月」は、『星と祭』の後日譚となっています。エベレストを思い、心豊かにピンジョという少年のことを想い、「人生というものは信じていい」と言います。
 「アカエリヒレアシシギ」は、小説『海峡』の舞台である青森県下北郡風間浦村下風呂に、井上靖文学碑として刻まれています。
 「天」を読むと、生きて成す仕事として、写し置くということがあることに気づかされます。愚考を記し残すことと同じほどに、書写は意義があるものなのです。
 「月光」は、最後の「月光が労ってくれているのだ。」が印象的でした。
 「天龍川・讃」は、静岡県磐田郡佐久間町中部上島の天龍川河川敷に、文学碑として刻まれています。
 「無声堂」は、短編小説「無声堂」よりも好きな作品です。広がりを感じます。
 「飛騨高山・讃」は、岐阜県高山市飛騨民族村文学散歩道に、碑文として建っています。


平成2年10月10日
集英社
49篇収録


井上靖全集1︰詩篇

2009年9月 1日 (火)

藤田宜永通読(7)『たまゆらの愛』

 藤田宜永の新刊『たまゆらの愛』(光文社、2009.5)を読みました。
 帯には「究極の男女の姿を描いた長編小説」とあります。

 いつから、藤田宜永は冴えない作家に成り下がったのでしょうか。
 恋愛小説を指向するようになった頃からだと、私は思っています。1997年の 『樹下の想い』あたりからでしょう。
 2001年 に『愛の領分』で第125回直木賞を受賞した後は、文章が急激にプヨプヨになってきました。
 初期の冒険小説の時のような切れ味は、遙か昔のこととなりました。

 さて、本作です。
 主人公の宝田は、若者の文化と恋愛の評論家となっています。私と同年の男が、今を解説してくれています。なんとなく、くすぐったい思いで読みました。

 宝田の義兄が殺された話が、全編を通して非常に中途半端です。なかなか文字も絵も出ない、炙り出しのようです。最後に何か出てきても、ボンヤリとしたもので、よくわかりません。
 「貴之は私に大いなる謎を残して死んだ。」(158頁)と前半にあります。少しだけネタの一部を見せる手法のようです。それにしても、これは種明かしが下手でした。ネチネチと、最後まで小出しに引っ張りすぎです。これは、どこかで早めにスッキリとさせた方がよかったと思います。
 謎は、うまく使うと、読者を引っ張ります。推理小説が得意だった藤田らしくありません。

 恋愛ものでは得意となった、職人の世界を描きます。美人で魅力的なガラス職人である女主人公と、美術館の館長との不倫の過程が語られます。
 藤田の恋愛小説は、書き出しがたどたどしくて、なかなか中身に入れません。ここを辛抱しないと、藤田の作品は読み通せないのです。波に乗るまでに、時間がかかるのです。そのあたりのコツがつかめると、最後まで読めます。
 これは、人間関係の説明が、いかもに説明文となっているからです。余計な説明が、本来ならスムーズに進む物語の展開を妨げています。三分の一を過ぎた辺りから、ようやくテンポがよくなります。

 好きな作家なのに、最近は批判的に読むようになりました。好きな作家だったのに、という思いを、いつも読後に持ちます。
 今回も、そうでした。好きだった作家だからこそ、あえて読み、不満を記しています。

 とにかく、最近の藤田は話がくどいと思います。
 最後に、交通事故で話をはぐらかしてはいけません。無責任です。社会のモラルに反する人間を取り上げるのなら、当事者である人間とその置かれた社会との接点を、もっと真摯に見つめ、言葉で紡ぐべきだと思います。
 評価は読者がするにしても、作者が投げ出してはいけません。そうしなければ、帯に書いてあるような「究極の男女」を描いたことになりません。

 最終章の「魂響(たまゆら)」は、ストーリーテーラー失格だと思いました。ひどいものです。あまりにも手抜きが過ぎます。

 藤田は、筆力を感じさせる作家だと思います。それが、物語展開に多少のまずさがあっても、何とか救っていました。それが、純文学気取りでこのような結末にするとは、藤田の良さが完全に死んでいます。

 この小説は、『小説宝石』に「ガラスの告白」として、2007年7月から2009年3月まで連載されたものです。そして、それを「単行本化にあたり改題し、修正・加筆したもの」だと、巻末にあります。
 もしこれが将来、全集などに収録されるのであれば、その時には大幅に書き換えてほしいものです。
 ダラダラした文章を、再度読者に読ませるようなことは、ぜひとも避けた方がいいと思います。

 藤田宜永には、なんとか、そろそろ立ち直ってほしいと願っています。
 ダメになってしまった人のことが気になり、つい応援したくて読んでしまいました。
 
 なお、作中で吉行淳之介の作品を引くところで、『星と月は天の穴』という小説を、『星と月とは天の穴』としています(353頁)。勘違いの「と」なのか、誤植なのでしょう。吉行ファンとしては、気になりました。【1】


NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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