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2009年10月23日 (金)

再録(1)電脳で源氏を解析?!〈1998.9.18〉

 私が最初にインターネット上に情報を発信したのは、1995年9月30日でした。当時住んでいた奈良から、東京のプロバイダーのサーバーを通しての発信でした。自分のホームページには〈源氏物語電子資料館〉という名前を付けました。
 そして、最初に流した情報は、以下のものでした。

◎(1)95.8.11 第5回紫式部文学賞は、吉本ばなな氏の「アムリタ」に決まる(朝日新聞95.8.12)

 以来、ネット上に情報を発信し続けています。しかし、通信環境の事情もあり、サーバーがいろいろと移りました。そのため、発信した情報も分散してしまいました。
 自分でも、どこにどんなことを書いたのかわからなくなりましたので、記憶の確かな内に、可能な限り1箇所に集めることにします。

 当時は、今のブログなどはありませんでした。ホームページの中で、日々のつぶやきを「ハイテク問はず語り」として記していました。もちろん、どうでもいいことを書いていたのですが、中には、本当に稀ですが、今でも参考になる記事もあります。
 そんなものを、少しずつ「再録」として拾ってみようと思います。

 ただし、当時はいろいろな制約から、小さな画像を使っていました。見苦しいものが混入していますが、10年以上前の記事ということでお許しください。

 まずは、『源氏物語』に関するものからです。
(出所︰「大和まほろば発 へぐり通信」→「新・奮戦記」→「ハイテク問はず語り」→「(3年目/1997.10.1~1998.9.30)」)


電脳で源氏を解析?!〈1998.9.18〉

 一昨日の朝日新聞に、興味深い記事がありました。まずは、ヘッドラインをあげます。

  源氏のナゾに電脳で“光”
  22巻「玉鬘」書いたのは39巻「夕霧」の後?!
  38万語解析 カギは助動詞

 “光”は“光源氏”をちらつかせているのでしょう。冒頭の要約文によると、一昨日の日本行動計量学会で『源氏物語』の文体をコンピュータで研究しているグループが発表なさる内容の速報のようです。結論としては、「物語は巻の順序で書かれたのではなく、後に挿入されて完成した可能性が高まった」ということです。データ解析にあたっては、古典作品で使用頻度の高い「ず」「たり」など22種類の助動詞の使用率に着目されたものです。助動詞の使われ方が似ているグループを、あらかじめ四分類した巻々で総和を求められたようです。新聞に取り上げられた情報からだけではありますが、簡単に言えば、

  第一部若紫系 -> 第二部 -> 第一部玉鬘系 -> 第三部

ということでしょうか。

 記事末尾の識者のコメントは瀬戸内寂聴さんで、「ごくろうさまでしたね。」の一言でした。

 この問題は、私も大いに興味があります。『源氏物語』は、四百字詰原稿用紙2400枚もの長編物語なので、その文章を解析するのは、まさにコンピュータの出番です。ただし、気を付けなければならないのは、対象とする基礎データがどういう性格のものであるか、ということです。これは、大量の情報を処理する際には、一番大事なことだと思います。

 今回のデータ処理の基礎資料は、『源氏物語大成 校異篇』のはずです。ところが、その翻刻本文には、誤読・誤植以外にも、以下に記すように、いろいろと問題があります。また、『源氏物語大成 索引篇』における各語の品詞の認定は、それを子細に点検すると誰もが驚くことですが、知る人ぞ知るというものです。『源氏物語大成』は、緻密な解析に耐えうるものではありません。今回の研究発表・報告にあたって、この点がどうクリアーされ、データをどのように修訂されているのか、後日くわしく見てみたいと思っています。

 『源氏物語大成』に寄りかかる研究の危うさを、手元の資料を用いて、一二具体的にあげてみましょう。
 
 
 
Osima23_watarijpg23巻「初音」16丁オ
 
 
 
Osima05_naramujpg5巻「若紫」53丁ウ
 
 
 
 上の画像は、近年『源氏物語』の基準本文として定着した、大島本の写本の一部です(『大島本 源氏物語』平成八年五月、角川書店)。この大島本が、『源氏物語大成』の底本です。ただし、その『源氏物語大成』の凡例には「桐壷・夢浮橋ノ二帖ハ大島本ガ補写デアリ、初音ハ大島本ガ別本系統ノ本文デアリ、浮舟ハ大島本ガ之ヲ欠イデヰルカラ、コレラノ諸帖ハ大島本ニ次グベキ地位ヲ有スル池田本ヲ用ヰタ。」(五頁)とあるように、五十四巻中四巻は、別の本文で補われた混成本です。つまり、『源氏物語大成』の本文によるというのは、混成本による研究ということになります。

 上左図「初音」は、本行に「かへり給はすおとゝ」とあり、「り給」の間に朱丸の記号を付して、その右横に「わたり」と朱書しています。さらに、「給は」の間に朱丸があり、「はす」を朱の縦線でミセケチにして、その右横に朱で「ひぬ」と書いています。つまり、この朱で訂正された大島本の文章は、「かへりわたり給ひぬおとゝ」となります。

 『源氏物語大成』の「初音」では、底本が池田本で、大島本は別本に分類されています。その『源氏物語大成』の本文である池田本は、大島本の朱書訂正本文と同じ「かへりわたり給ぬ」です。『源氏物語大成』には、青表紙本の異文として慈鎮本の「かへりわたり給はす」があるだけです。『源氏物語別本集成』をみると、保坂本と東大本が、大島本本行本文と同じものを伝えています。
 これをまとめると、いわゆる青表紙本の中からは、次の三つの本文の内、どれを取るか、ということになります。とくに、大島本本行本文の「す」は打ち消しの助動詞「ず」と思われるので、助動詞をキーワードにして解析する場合には、その検討と集計に影響します。
  1-「かへりわたり給ぬ」池田本・大島本朱書訂正本文
  2-「かへり給はす」大島本本行本文
  3-「かへりわたり給はす」慈鎮本

 さて、『源氏物語』の「初音」のこの部分の本文はどうすべきでしょうか。
 現在流布する活字テキストは、すべて「かへりわたり給ぬ」です。大島本で通して校注を施した岩波の『新大系』も、「初音」の底本は大島本ですが、ここは朱書き訂正本文を採用しています。とにかく、『源氏物語大成』以来、大島本を翻刻するときは、朱書・墨書の訂正された本文を採用することになっているのです。
 では、その訂正はいつ行われたものでしょうか。藤本孝一氏の調査によると、「全帖本文に見える大部分の校訂は永禄七年以降になる。」(「大島本源氏物語の書誌的研究」『大島本 源氏物語 別巻』五九頁、平成九年四月、角川書店)ということです。大島本は文明十三年(一四八一)に飛鳥井雅康が書写したものです。それから八十三年後の永禄七年(一五六四)以降に、その本文に墨や朱で訂正や書き入れが施され始めました。それは、江戸時代全期間まで続きます。つまり、現在の流布本がそうであるように、写本に書き込まれた墨や朱の訂正を取り込みながら大島本『源氏物語』を読むということは、江戸時代に書き込まれた言葉も受容することになるのです。そのような本文を、コンピュータを活用して精密に解析し、そして平安時代の『源氏物語』がどのような順番で書かれたかを、それも助動詞をキーワードにして調べるためには、対象となる資料に対して相当慎重な考察が事前に必要であり、それはまだまだ研究不足、というより、ほとんど行われていないのが実状です。大島本の影印本が一昨年刊行され、ようやくその必要性が感じられ出したというのが現状なのです。

 上右図に移りましょう。これは「若紫」の一部です。
 大島本の本行本文は「する事なむと」です。そして、白黒の画像ではありますが、原本には「なむ」の間に補入記号としての朱の点が打たれ、その右横に朱で「ら」と書かれています。そして、『源氏物語大成』をはじめとして各活字テキストはすべてが「する事ならむと」として本文をたてています。つまり、大島本本行本文の「なむ」という一つの助詞が、現在流布するテキストでは「なら」と「む」という二つの助動詞になっているのです。本文解析の「カギは助動詞」といっても、使用する写本の校訂の仕方によって、その使用数も活用形も異なってきます。なお、陽明本は「いかなるにかと」という、流布本とは異なる文章になっています。

 数量で何かを考える場合に、そのもとになっているデータがどのようなものであったのか、どのように加工され変形させたものであるかを知っておく必要があります。今回、新聞に掲載された研究成果は、その点をクリアーしてのものと思いますが、私はその調査結果よりも、上記の問題点がどのように処置されたデータにもとづいて解析されたかに興味があります。

 いずれにしても、大島本を共通テキストとして利用するにあたっては、越えなければならない関門が陸続としています。

 若い方々の『源氏物語』の本文研究への参加を熱望するところです。

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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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