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2009年11月17日 (火)

井上靖卒読(101)『敦煌』

 進士の試験の直前に居眠りをして受験できなかった趙行徳は、市で売られていた西夏の女を助けます。そして、お礼に不思議な文字を記した布をもらうことになりました。その文字が読めず、その文字に興味を持ったことから、行徳の新たな人生が展開するのです。

 西夏の漢人部隊に潜り込んだ行徳は、西夏文字がわかる者を探します。しかし、結局は自分が興慶へ西夏文字を学びに行くことになります。
 その興慶では、漢字の使用は禁止されていました。近年作られた西夏自国の文字だけが強要されていたのです。
 文字の持つ力が、物語の大きな推進力となって展開していきます。

 行徳は、1年半かかって、6千字の西夏文字と漢字の対照表を作る仕事に没頭します。西夏文字を作った漢人が亡くなったからです。この対照表は、後に学校のテキストになっています。
 さらには、行徳は経典を西夏語に翻訳することを提案したりします。

 そのような物語展開の中で、王族の女がしていた月光玉の首飾りをめぐる話は、物語をおもしろくしていきます。三人の男の、首飾りをめぐる駆け引きとなっていくのです。
 その女も、行徳が帰ってくるのが遅かったこともあり、自殺するのでした。

 物語の後半になり、西夏軍に攻められ、王城を捨てなければいけない時、避難しようとしない青年僧の次のことばは記憶に残ります。

「自分たちの読んだ経巻の数は知れたものだ。読まないものがいっぱいある。まだ開けてさえ見ない経巻は無数にある。—俺たちは読みたいのだ。」(新潮文庫、192頁)

 その命を惜しまぬ知識欲には、感動を覚えます。

 戦が終わり、大夏ができたのが1038年です。
 日本では、平安時代後期です。藤原公任がまだ生きていて、『更級日記』のできる前です。
 同じ時代とは言っても、このような動乱の中を生き抜く人間を描けたのは、井上靖の筆の力でもあります。

 歴史の中における人間という存在がいかに偉大であるかということと、それにしてもその小ささが、この物語から伝わって来ました。その人間が作り上げた文字というものが伝えるすばらしい活力も、この作品を通して感じることができました。

 この小説は、かつて私が勤務していた高校の授業で取り上げたことがあります。
 ちょうど、奈良でシルクロード博覧会が開催された年でした。1988年4月23日から10月23日まで、奈良公園を舞台にして開催されました。井上靖は、この奈良シルクロード博覧会の総合プロデューサーを務めました。
 勤務校の高校1年生を対象に、いくつかの教科と連携して、シルクロードに関するテーマの元に授業を展開しました。文化祭もそれをテーマとしたものを取り上げました。
 そして、現代国語ではこの『敦煌』の文庫本を全員に購入させ、設定したテーマに関する箇所を全クラスで読み進めました。大きな成果が上がった取り組みだったと思います。
 今回、その時のテキストに使った新潮文庫で読みました。いろいろなメモが残されており、楽しく読み進められました。特に、月光が設定された場面は、改めて興味を持ちました。いつか、このことをまとめられたら、と思っています。【5】


初出誌︰群像
連載期間︰1959年1月号~5月号
備考︰1960年『毎日芸術大賞』受賞
 
 
新潮文庫︰敦煌
井上靖小説全集15︰天平の甍・敦煌
井上靖全集12︰長篇5
 
 
映画の題名︰敦煌
制作︰東宝
監督︰佐藤純彌
封切年月︰昭和62年3月
主演俳優︰佐藤浩市、西田敏行

 
 
〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/


 

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