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2010年6月の30件の記事

2010年6月30日 (水)

マラヤラム語訳『源氏物語』を入手

 インドで刊行された『源氏物語』の現地語翻訳の本は、私が確認したところでは次の8種類があります。

アッサム語、ウルドゥー語、オリヤー語、タミール語、テルグ語、パンジャビ語、ヒンディー語、マラヤラム語

 このことは、本ブログの「インドの源氏訳は何種類ある?」(2008年4月20日)で確認しました。

 また、「『総研大ジャーナル No.15』刊行される」(2009年3月30日)でも、『源氏物語』の翻訳状況を報告しました。

 ここでは、さまざまな『源氏物語』の翻訳本の中から、

中国語・ハングル・英語・フランス語・スペイン語・イタリア語・ドイツ語・ロシア語・フィンランド語・チェコ語・クロアチア語・ヒンディー語・タミール語・パンジャビ語

における、「桐壺」巻の冒頭部分を図版で一覧できるようにもしています。

 それに先だって、「ウルドゥー語訳『源氏物語』をインドで発見」(2009年3月 5日)で、次のように書きました。

探し求めていたウルドゥー語訳『源氏物語』が見つかったのです。それも、サヒタヤ・アカデミーから刊行された本です。
 これで、あとは、注文をしているアッサム語訳と、マラヤラーラム語訳、そしてオリッサ語訳の、合計3冊となりました。
 もう一歩まで、追い詰めました。
 今後とも、『源氏物語』の翻訳本を追い求めたいと思っています。

 この記事に関して、今年2010年4月に、東京外国語大学の修士課程でウルドゥー語を勉強中の村上明香さんからコメントをいただきました。上記のブログに掲載されている通りです。
 直接お目にかかり、楽しく夢を語り、今後の協力をお願いしたところ、たくさんの情報をいただくことができました。
 その後、インドの仲間を通してマラヤラム語訳『源氏物語』を入手してくださり、本日落掌しました。
 
 
 
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 巻頭部分は、こうなっています。
 
 
 
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 マラヤラム語はさっぱりわからない私です。しかし、中を見る限りでは、序文と9章で構成されているので、これはアーサー・ウェイリーの『源氏物語』の重訳であることは確実です。つまり、サヒタヤ・アカデミーの当初の方針で訳されたものです。そして、初版が1984年2月に刊行され、今回入手した本は、2008年2月に刊行された再版本ということになります。1984年には、パンジャビ語訳がサヒタヤ・アカデミーから刊行されています。

 ありがたいことには、さらに、インドの仲間がアッサム語を入手したので、これから送ってもらう、とのことです。今頃は、アッサム語訳『源氏物語』が日本に向かって飛んでいるところでしょう。
 アッサム語訳はネットで購入の手配をしていました。しかし、うまく入手できなかった本です。

 ということで、先に記した未入手のインド語訳『源氏物語』について、マラヤラム語とアッサム語が揃います。インドに関して、後はオリヤー語訳『源氏物語』を探すだけとなりました。

 着実に資料が集まっています。

 今後は、訳されている内容の確認から、文化の交流について考察を進められたら、と思っています。そのためにも、各言語で翻訳された『源氏物語』を、日本語に訳し戻すことが必要です。少しずつお願いはしています。しかし、なかなかの難行です。

 この問題に関して、情報をいただければ幸いです。

 なお、『源氏物語』の翻訳情報については、本ブログに「『源氏物語』の翻訳状況(2009.3.25版)」(2009年3月26日)に記した通りです。

 それを踏まえて、今日現在の翻訳状況を、最新情報として整理しておきます。
 
 
 

『源氏物語』の翻訳言語情報(2010.6.29版)

◆刊行されたもの 26種類◆
アッサム語(インド)・アラビア語・イタリア語・ウルドゥー語(インド)・英語・オランダ語・クロアチア語・スウェーデン語・スペイン語・スロベニア語・セルビア語・タミール語(インド)・チェコ語・中国語(簡体字)・中国語(繁体字)・テルグ語(インド)・ドイツ語・現代日本語・ハングル(韓国)・パンジャビ語(インド)・ヒンディー語(インド)・フィンランド語・フランス語・マラヤラム語(インド)・モンゴル語・ロシア語

◆現在進行中のもの 4種類◆
ウクライナ語(中断)・エスペラント(進行中)・トルコ語(出版待ち)・ミャンマー語(進行中)

◆未確認(あるらしい、というもの) 4種類◆
オリヤー語(インド)・ハンガリー語・ヘブライ語・ポルトガル語

◆再挑戦が進むもの 5種類◆
イタリア語(中断)・英語(未確認)・オランダ語・フィンランド語(宇治十帖)・フランス語


 
 
 

2010年6月29日 (火)

藤田宜永(10)『老猿』

 『老猿』(講談社、2010.6.24)は、藤田宜永にとって、12年ぶりの書き下ろしです。
 講談社創業100周年記念出版としての書き下ろし100冊の1つです。
 新聞に広告が載ってすぐに読みました。
 
 
 
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 藤田宜永の恋愛小説には、あまりにもその下手さ加減に辟易していました。ようやく、かつての藤田らしさが伝わる作品が描けるようになったようです。私としては、元の路線を発展させたものとして、評価したいと思っています。

 語り出しは、猿との対面です。ユーモラスでうまいと思いました。藤田宜永としては、久しぶりに快調な滑り出しです。
 最近の恋愛ものとは、格段に文章がうまくなっています。かつてのキレも出てきました。このところ眼に付いていたダラダラ感がなくなっています。キビキビとしてテンポがいいので、私にとっての藤田宜永が蘇ったように思いました。

 ウルムチ出身の春恋という女との話で、主人公が初めて楼蘭のことを知ったのは、井上靖の小説だと言っています(23頁)。突然、私の好きな作家のことが出てきたので、何となく藤田とイメージが結びつきませんでした。とってつけたようで、違和感があったからです。
 そういえば、恋の話で、例として『源氏物語』のことが名前だけですが出てきます(222頁)。
 その他、日本文学の大家の名前や作品名などが何カ所かに出てきます。懐かしの音楽やテレビドラマなど、藤田が私と同年代だけに、背景にある小道具などにおもしろさを感じます。しかし、世代が違う読者は、こうしたネタを、どう思って読むのでしょうか。知りたくなりました。

 愛人関係や自殺など、物語は息つく暇もなく展開します。快調です。
 情に流されない恋情が語られるので、ごく自然に読み進められます。これまでの藤田の恋愛ものが、無理をして愛情を描こうとしていたことが、この作品から明らかになります。ここでも、かつての藤田の活劇スタイルの作品の方が、かえって人の情が描けたということが実感できます。どうやら、藤田はあの感覚を思い出したようです。
 下手だった恋愛路線との決別を歓迎します。

 月に関する描写が、何カ所が出てきます。主人公の中里は、軽井沢の別荘に来てから月を愛でるようになりました(41頁)。
 老猿がヒットマンに追われ、軽井沢の別荘から東京の月島(これが何と私の宿舎がある場所に近いのですが)へ逃げるとき、月が頭上にあります(373頁)。
 また、中国から帰った中里が軽井沢の別荘に戻り、今は亡き老猿の家を見るときにも月の光が……(420頁)。
 藤田の他の作品で、月はどうだったのか、少し気になり出しました。

 「街の底」という言葉が2度も出てきます(179頁、195頁)。これは、吉行淳之介の専売特許とでも言うべき言葉です。この言葉が、今後の藤田の作品でどう使われていくのか、興味のあるところです。

 終盤のパリでの老猿の話は、それまでとは打って変わって、とたんに話のキレが悪くなります。退屈でした。説明口調に脱したためだと思われます。完成度が高いと思って読み進めていただけに、残念でした。

 わざとらしい作り物語の匂いが幾分残っています。しかし、これから藤田宜永が変身していきそうな予感が伝わる作品に仕上がっています。【4】
 
 

2010年6月28日 (月)

江戸漫歩(26)ビヤホール「ライオン」

 昭和9年以来のビヤホールとして知られる「ライオン 銀座7丁目店」へ、仕事帰りの息子と有楽町で待ち合わせて行きました。
 銀座にたくさんある店のうち、まずは銀座7丁目店にしました。松坂屋の隣にあります。
 
 
 
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 菅原栄蔵の手になるモザイク大壁画が、入るやいなや眼に飛び込んできます。
 
 
 
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 天井を見上げると、まさに昭和浪漫の香りがします。
 
 
 
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 私の行動範囲では、三越の向かいの銀座5丁目店と、いつも行くスポーツクラブのガス灯通りの2丁目店があります。しかし、入ったことはありませんでした。
 行こう行こうと思いながら、1人で行くには味気ないと思っていたことと、おつまみが脂っこいというイメージがありました。しかし、行ってみると、意外とシンプルでした。特に、ゴーヤチャンプルは、関東らしくないサッパリとした味付けで、大いに気に入りました。

 ライオンは、明治32年8月4日、東京銀座(京橋区南金六町五番地・新橋際)に、「ヱビス ビヤホール」として開店したのがスタートです。帰ってから、ホームページで知りました。
 私が、何かお祝いがあるときに飲む、あのヱビスビールです。普段は、血糖値のことがあるので、発泡酒の糖質ゼロタイプを飲んでいます。しかし、区切り目の日には、ヱビスビールなのです。

 生ビールを1杯売りで飲ませる常設のビヤホールとしては、この銀座店が我が国最初の店だったのです。煉瓦造り2階建ての2階35坪に、サッポロビールの前身である日本麦酒が安田銀行から借りて開店したものだとか。

 ビヤホールというのは和製英語なのだそうです。翌年には、ミルクホールという言葉も生まれたようです。

 また、『ライオン』の店名は、明治44年8月10日に、築地精養軒(上野精養軒の前身)が銀座4丁目の角に『カフェー・ライオン』を開店したときから続いているものだそうです。ということで、7丁目店よりも5丁目店の方が古いことがわかりました。
 さらには、『カフェー・ライオン』は、イギリス・ロンドンのピカデリーサーカスの角で営業していたレストラン会館「ジョー・ライオンズ商会」の名にあやかったものでした。
 今度ロンドンに行ったときに、このピカデリーサーカスの店が今はどうなっているのか、散策がてら調べてみましょう。

 京都には、京都駅南のアバンティ店と、四条烏丸店があるようです。そういえば、見かけたことがあるような……。
 気にはなりながらも、さして興味がないときというのは、見ていても記憶に刻まれないもののようです。

 また、フラリと立ち寄る楽しみができました。
 
 
 

2010年6月27日 (日)

【復元】好きな街、思い出の街

(※本記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)

 これは、5年前に書いた記事の復元です。

 その後も、公私ともに、たくさんの国々に行く機会に恵まれました。

 まず、(16)の「ロンドン(イギリス)家族みんなで行った街」を、次のように変更します。

 (16)コルチェスター(イギリス)娘が卒業した大学の街

 そして、次の2つを、リストの最後にある、2つの日本の街と入れ替えることにしましょう。

 (19)浙江省(中国)西湖と天台山の街
 (20)ウランバートル(モンゴル)マイナス34度の街

 
 モスクワとサンクトペテルブルク(ロシア)は、残念ながらこの中に入れる余裕がありませんでした。
 これらは、あくまでも、私が行った限りの印象によるものです。
 取り上げなかった国のみなさま、その後もいろいろとお世話になっていますが、お許しください。
 
 
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
2005年11月13日公開分
 
副題「世界の街ベスト20」
 
 
 この十年で、世界のいろいろな街を訪れました。
 仕事柄、大学のある街が中心となっています。
 家族との個人旅行も含めて、独断と偏見で、私にとって印象深い街を列記してみます。

 残念ながら、これまでに私が行った国の中で、韓国・アメリカ・オランダ・フランス・リヒテンシュタイン・ハンガリーは、この中には入りませんでした。イギリスとインドの街が多いのは、行った回数が多いせいでしょうか。

 今後とも、いろいろな国の方々とお逢いし、お話をしたいと思います。
 
 
(1)ヨーク(イギリス)イギリスらしい雰囲気の街
(2)ニューデリー(インド)喧騒と懐かしさのある街
(3)ケンブリッジ(イギリス)知的な雰囲気の街
(4)カイロ(エジプト)温かさに満ちた街
(5)チャナッカレ(トルコ)純朴さの溢れる街
(6)ベネツィア(イタリア)個性が詰まった街
(7)コッツウォールズ(イギリス)妻が大好きな地域
(8)ザルツブルク(オーストリア)音楽に浸れる街
(9)アグラー(インド)タージマハールのある街
(10)ワルシャワ(ポーランド)歴史の重みを感じる街
(11)バンクーバー(カナダ)広大さを感じる街
(12)バナラシ(インド)娘と行ったガンジス川の街
(13)チューリッヒ(スイス)二人の息子と行った街
(14)ノイシュバンシュタイン(ドイツ)次男と行った城の街
(15)ピサ(イタリア)長男と行った斜塔の街
(16)ロンドン(イギリス)家族みんなで行った街
(17)ハルピン(中国)両親を想い出す街
(18)長春(中国)母との別れとなった街
(19)本荘(日本)妻が生まれ育った街
(20)出雲(日本)私が生まれ育った街
 
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
 
 

2010年6月26日 (土)

源氏翻刻メモ(1)常用漢字外の扱い

 これまで、私の手元で作成していた『源氏物語』の古写本本文の翻刻データベースでは、漢字の扱いに問題が多々ありました。

 古写本に書かれた旧字体や異体字は、現行の漢字に改めて翻刻していました。
 「長恨哥」は「長恨歌」に、「萬」は「万」に、というふうに。
 これは、このデータベースがコンピュータによる検索を強く意識して作成したものであるからです。

 情報文具の活用を考慮して、私が作成してきた『源氏物語』の本文データベースは、検索が二度手間とならないように、検索の便宜を考えて、異なる表記の漢字などを通行の字体に統一していました。

 これは、今から30年前に取り組んだデータベースが基礎となっているために、コンピュータで取り扱える文字の変遷の影響もあります。
 最初は半角カタカナでスタートしました。そして、ひらがなと漢字が使えるようになってから、ようやく本格的なデータベース化が始まりました。漢字も、第1水準から第2水準へ、それが今ではユニコード対応と、30年の大波がもろにこのデータベースに被さってきています。
 とにかく、データ作成と利用において、シンプルなものを目指していました。
 それを、今回あらためて見直すことにしたのです。

 『源氏物語別本集成』は、平成元年に刊行を開始しました。当初の15巻が完結した後、『源氏物語別本集成 続』が平成17年から刊行開始となり、昨日『源氏物語別本集成 続 第7巻』が刊行されたのです。
 この間、データベースの作成基準に関しては、『源氏物語別本集成 続』から大きく変更しています。
 その主なものは、次の通りです。

・全巻全文節に付した番号は、六桁「010001」から十桁「010001-000」にした。
・写本に書き込まれた傍記傍注などは、そのすべてを翻字する。
・写本の各丁末を明示するための〈改頁〉情報を付ける。
・補入文字は「+」で明示する以外に、補入記号がなくても補入と思われる文字には「±」を付した。

 今回の見直すことによる新たな追加方針を、ここに心覚えとして記しておきます。

■正徹本 第34巻「若菜上」の翻刻校正を通してのメモ

(1)43丁裏1行目「おとゝの㐧一に」
 
 
 
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 「㐧」はユニコードで表記できます。しかし、一般的なパソコンの文字ではないのです。
 そこで、これまでの方針によって、この例は「第一に」と翻刻することになります。コンピュータによる検索を優先度の高いデータベースとしているために、紙による印刷のようにはいきません。
 これまでは、この方針に留まっていました。しかし、今後は、付加情報に正確な漢字を含めることにします。つまり、翻刻データと付加情報は、次のように表記することにします。

 第一に/第〈㐧〉


(2)48丁表8行目「泪くまれて」
 
 
 
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 「泪くまれて」の「泪」は、これまでは常用漢字表にある「涙」に置き換えてデータベース化していました。しかし、これも前例にならって、次のように表記することにします。

 涙くまれて/涙〈泪〉


(3)62丁表1行目「いたく歎く」
 
 
 
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 「歎く」の「歎」は、常用漢字表にある「嘆」に置き換えていました。しかし、これも前例によって、次のように表記します。

 いたく嘆く/嘆〈歎〉


 このように、『源氏物語別本集成 続』の中断をいい機会として、これまで作成してきた膨大な『源氏物語』の本文翻刻データベースを、よりよいものに補訂していくことにします。

 あらたな方針でデータベースを改修するためには、基本的には写本を読み直すことになるので、またまた膨大な時間が必要です。
 『源氏物語別本集成』の補訂に3億字の確認。
 そして、『源氏物語別本集成 続』の既刊分の確認が5億字。
 さらに、未刊行の巻々の翻刻確認が15億字。
 古写本に書かれた23億字の確認を、「愚公山を移す」の例えよろしく、これから子々孫々に受け継ぐつもりで取り組みます。

 気分一新、新たな仲間を募って、モグラたたきのような仕事を、コツコツと進めていくしかありません。
 地味で勤労奉仕という、人生においては無視される性格の作業ではあります。しかし、『源氏物語』の基礎研究に役立つことは確かなので、その意義を理解して参加し、協力してやろうという方からの連絡をお待ちしています。
 
 
 

2010年6月25日 (金)

江戸漫歩(25)出光美術館で屏風を見る

 有楽町駅から皇居に向かってまっすぐに歩いて行くと、お濠の手前に帝国劇場があります。そこに隣接して、出光美術館があります。

 2008年の源氏物語千年紀の折に、国文学研究資料館で開催する源氏展のため、展示品をお借りすることなどで、何度かこの出光美術館に来ました。
 出光はすばらしい美術品をお持ちなので、その展覧会に何度も脚を運びました。

 今、「屏風の世界 ―その変遷と展開―」と題する展覧会が開催されています。
 興味があったので、早速行ってきました。
 
 
 
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 今回も、ご所蔵の出光コレクションで屏風絵の楽しさを堪能させてもらいました。
 出光コレクションの中から、屏風の優品24件(重要文化財5件、重要美術品1件)が出展されていて、ぜいたくな空間に身を置くことができました。

 全体は3部で構成されています。

I “日本式”屏風の誕生
II 物語絵の名場面
III 風俗画の熱気と景観図の大空間
    風俗画 〈前期 6月12日〜7月4日〉
    景観図 〈後期 7月6日〜7月25日〉 

 帰ってから、出光美術館のホームページの中にある「現在の展覧会」を確認してから出かけた方がよかったな、と思いました。
 会場に掲示されていた説明文が、あらかじめホームページで読めるのです。
 ホームページの「本展のみどころ」も、行く前に必見です。会場でプリントされたものをいただけます。しかし、薄暗い展示会場では、細かな文字を見るのは大変です。
 もっとも、帰ってからゆったりと、今日見てきた展示を想い出しながら、お酒でも片手にモニタで展示品を見るのも一興です。

 いくつか、私が興味を持ったものについて、素人の感想を記しておきます。

 狩野元信の『西湖図屏風』は、3年前に中国の杭州へ行ったときに散策したので、あの時の景色を想い出しながら見ました。ただし、ほとんど私の記憶にある映像と一致しません。この屏風絵は写生ではないので、観光気分で見た風景とは違う視点で描かれているのでしょう。
 山は険しく、湖畔はのびやかに描かれているように思いました。

 岩佐勝友の『源氏物語図屏風』は、2008年の源氏展の時にお借りしたものです。今回は六曲一双の内の左隻のみの展示です。
 あの年に私は学芸員の資格を取り、さまざまな展示資料の取り扱いの勉強をしました。その中でも、屏風はとにかく扱いが大変でした。国文学研究資料館での展示には、出光美術館の学芸員の方がお越しになって設営してくださいました。その扱い方を、じっと見つめていたものです。
 これは保存状態がいいこともあり、精密な絵が見る者に迫ってきます。私の好きな源氏屏風の一つです。

 『源氏物語澪標図屏風』は、裏面に感激しました。
 裏面には、住吉の浜が描かれていました。しかし私は、その絵に「久しく」「なりぬ」「すみよしの」ということばが、葦手の装飾文字で書かれていることを知り、しばらく釘付けになりました。先日の「京都大アンティークフェア」で見つけた、柿本人麻呂の人物画に組み込まれた和歌の図様を想い出したからです。
 共に、苦心の作だと思います。文字を絵の中に溶け込ませることの難しさがわかりました。

 伝土佐光信の『源氏物語 藤裏葉』の写本は、その表紙絵がすばらしいのです。
 奈良絵表紙『源氏物語』と言われるもので、このツレは、天理図書館に「絵合」があるだけです。
 国文学研究資料館での源氏展では、天理の「絵合」をお借りして展示しました。重要美術品に指定されていたので、お借りするときには天理図書館まで行き、美術品搬送トラックに乗って東京まで運びました。
 本ブログの「瀑布に打たれ続ける日々」に記しました。ご笑覧を。

 この出光美術館の「藤裏葉」は、それと意識してジックリと見たのは、今日がはじめてです。
 天理図書館の「藤裏葉」と一緒に並べて見たいものです。

 今日はちょうど金曜日ということもあり、閉館時間がいつもの午後5時ではなくて、午後7時まででした。この配慮は、ありがたいことです。おかげで、ゆっくりと見ることができました。
 
 
 

 

2010年6月24日 (木)

『源氏物語別本集成』中断の弁

 平成元年から配本を開始した『源氏物語別本集成(全15巻)』は、平成14年に第一期が完結しました。この間に、総勢80人が376帖の写本を読みました。各帖を3人が読んで確認したので、約10億字を読んだことになります。

 引き続き、平成17年から第二期にあたる『源氏物語別本集成 続(全15巻)』をスタートさせ、昨年7月に第6巻(22巻「玉鬘」〜27巻「篝火」)を刊行しました。
 この第二期では、第一期の3倍の分量の写本を対象としているため、約30億字を読む計画です。
 
 
 
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 そして明日、平成22年6月25日に『源氏物語別本集成 続 第7巻』(28巻「野分」〜32巻「梅枝」)が刊行されます。
 
 
 
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 ただし、この巻をもって、ひとまず『源氏物語別本集成 続』は中断とさせていただきます。

 予定していた全15巻の道半ばではありますが、諸般の事情で継続を断念することにしました。出版社の方からは、このまま刊行を続けたいとの強い意向を伺っています。しかし、あくまでも私の問題なのですが、版下作成までの工程を責任をもって管理できない状況にあり、この中断は致し方のない判断と言わざるをえません。

 たくさんの方々の理解と協力を得て、ここまで続けて来られたのは、本当に幸いでした。
 お世話になったみなさまに、感謝と共にお礼を申し上げます。

 今後は、ネット公開を視野に入れた、新たな取り組みをしていくつもりです。
 ただし、そのためには、これまでの翻刻本文データの整合性を確認し、手元の『源氏物語』に関する本文データベースの大手術をする必要があります。

 また、『源氏物語別本集成 続』の第8巻以降の巻である、第33巻「藤裏葉」から第54巻「夢浮橋」までの、残された写本の翻字作業もあります。試算では、およそ15億字の確認が今後とも必要になると思われます。

 しばらくは、次のための準備期間ということで、お許しをいただきたいと思います。
 その報告は、このブログの場を借りて、折々に記していくもつりです。

 『源氏物語』の本文のデータベース化は、昭和55年の暮れからでした。あれから、もう29年が経っています。
 当初の状況は、拙著『新・文学資料整理術パソコン奮戦記』(昭和61年、桜楓社)に記した通りです。
 
 
 
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 この本を、毎日新聞の姫野聡さんが新聞に取り上げてくださってから、『源氏物語』のデータベース化は予想外に進捗し、たくさんの方との出会いが生まれました。
 また、伊井春樹先生を中心に発足した「日本文学データベース研究会」は、日本文学と情報処理の接点において、多くの新提言をすることとなりました。

 華やかに見えた『源氏物語』のデータベース化も、実は根気だけが勝負の、地味な作業の積み重ねでした。
 写本を読み、翻字して、パソコンに入力します。集まった諸写本の翻刻データをパソコンで処理して、版下作成ソフトで整形します。そして、校正を繰り返して出来上がった版下を、出版社を通じて印刷所に送ります。すると、印刷・製本された『源氏物語別本集成』の完成です。
 こうした工程を、20年以上も続けて来たことになります。

 特に、第一期と第二期では、翻刻本文に対する付加情報が異なります。第二期が圧倒的に詳細なので、第一期の翻刻データも第二期に合わせて、早い段階で付加情報を整備する必要があります。

 そのためにも、まずは写本を読んでいただく人材の確保が大切です。
 実際には、すでに翻刻してあるデータを校正する方式で、新しい写本のデータを作成しています。
 実作業の一例をあげます。第34巻「若菜上」の場合です。
 
 
 
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 これは、すでに完成している大島本の翻刻本文を紙に印刷し、そこに正徹本の本文を、赤字で校正する形で記入しているところです。
 大島本の翻刻データに、この赤字で修正された箇所を訂正入力することで、正徹本の翻刻データができあがります。

 翻刻データを作成するということは、この校正のような作業をしていただくことです。決して、写本に書かれている文字を、サラサラと白い紙に書いていくのではないのです。ご安心ください。
 ご覧の通り、「みゆき」を「御幸」に、「としころ」を「年比」にと、仮名を漢字にするケースがほとんどです。

 そして、データ処理のお手伝いをしていただく方も、重要な役割を担うことになります。この赤字が入った紙を見ながら、パソコンを使って文字の修正などをするのです。

 とにかく、一大プロジェクトチームの再編成です。
 自薦・他薦を問わず、手伝ってやろうというボランティア精神の旺盛な方からの連絡を、じっと待つことにしています。

 嬉しい連絡を、新たな出会いを、楽しみにしています。
 
 
 

2010年6月23日 (水)

【復元】こんな不在者投票でいいのでしょうか?

(※本記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)

 街中がしだいに選挙色になりつつある昨今、過去の記事でクラッシュした記事を採録します。

 現今の不在者投票が、少しは改善されていることを期待して、こんないい加減な不在者投票がなされていたという事実の報告を、以下に復元しておきます。
 
 
********************** 以下、復元掲載 **********************

2005年9月11日公開分

副題「誰でも他人になりすまして選挙投票できます」

 ウィーンでの学会発表を終え、帰国後すぐの一昨日の夜に、横浜市金沢区役所で衆議院選挙の不在者投票をしました。そして、日本の選挙が何といいかげんなシステムなのかを、またまた実感しました。
 今日、9月11日は今回の投票日当日ではありますが、以下に報告します。

 国政選挙に関して、以前からそのシステムがいいかげんであることを知っていました。仰々しくいろいろなメディアで国民に投票を呼びかけていますが、その実態はなんともお寒い状況が透けて見えます。2000年6月25日に、私のプライベートホームページである〈へぐり通信〉に、「選挙制度への疑問」として書きましたので、ご笑覧を。
(注、本ブログの2010年6月10日付け記事に同題で再掲載済み)
 

 今日の午後には、イギリスで国際政治学の勉強している娘が、今回の選挙に投票するために、わざわざ一時帰国します。
 (注、この時以降は、ロンドンで不在者投票をすることにしたようです。投票を口実にして日本に帰ることができなくなり、本人は複雑な思いをしているようですが。)

 それにしても思うのです。日本の選挙制度は、わざわざ海外から帰国してまで投票するほどの、しっかりしたシステムで運用されているのでしょうか。
 日本国民として政治に参加し、投票する権利の行使をする意義は非常に大切で貴重なものです。そのように、子どもたちには教えてきました。そのために、石油高騰の煽りを食った高い航空運賃も親が負担して、帰国の手配をしました。

 しかし、現実問題として、肝心の日本の選挙の実施実態が杜撰では、公正な国政選挙が日本で行われているとは、私には思われません。投票総数から見れば、以下のような、こうした問題に関係する票数は無視すべき比率のものかもしれません。我が町の革新町議で知り合いの方も、こうした問題は認識しておられました。大勢には影響のない制度上の不備なのでしょう。しかし、いいかげんな部分の残る制度で、こうした国政選挙が実施されている面が実際にあることは事実です。

 100%公平な選挙など不可能でしょうから、大声で叫びはしませんが、日本国民の一人として、小声で、ここに問題点の指摘はしておきます。

 さて、今回のことです。
 今週末には、いつものように奈良に帰るために横浜で投票できない私は、早速不在者投票をしに行きました。私は郵便物のすべてを奈良の実家に転送してもらっているので、投票所に持っていく「投票所入場券」と言われるハガキはありません。もっとも、今回も、実家に投票のハガキは転送されていないようですが……。
 
 
 
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 そこで、念のために自分を証明する身分証明書と保険証を持って、不在者投票所に足を運びました。

 午後7時ころでした。金沢区役所の敷地内にあるプレハブの仮設投票所には、五、六人の方が不在者投票に来ておられました。
 腕章をした案内係の人が、まずカードに記入して受付に出すように、声をかけて回っておられました。そのカードに記入するのは、「氏名」・「住所」・「性別」・「生年月日」だけでした。

 書き終わって、壁沿いに並んでいたパイプイスに座りました。二人目でした。
 すぐに受け付け係に渡す順番が来ました。
 係の女性にカードを手渡すと、その後ろの人がパソコンで私の情報を確認し、すぐに立候補者の個人名を記入する投票用紙をもらいました。
 記入済みの投票用紙を金属製の箱に入れると、すぐ横の机にいた人から、今度は比例区の記入用紙をもらいました。
 これに記入して投票すると、次は、最高裁判所の長官の信任用紙が渡されました。

 私は、過般の、娘の留学先盗難保険金問題で個人裁判をした経験から、日本の裁判官があまりの忙しさから(一応弁護しておきます)、真摯に仕事をしていない実態を知ってしまいましたので、裁判官には全員に「×」をつけました。日本の裁判官と弁護士が、いかにいいかげんな仕事で訴訟を処理しているかは、私のホームページ「海外留学と保険契約 -驚くべき損害保険会社の対応を裁判体験から報告する-」をご覧ください。
 特に、東京地方裁判所の私を担当した裁判長は、私の訴状すらまともに読まずに、原告である私に敗訴の判決を出したくらいです。あまりにも出鱈目な判決だったので控訴したところ、高等裁判所の裁判長は少しはまともでした。しかし、とにかく裁判官の皆さんは、判決を書かなくて済む和解で事案を処理することに専念しておられます。もっと、まじめに裁判をしてもらいたいものです。

 それはさておき、今回の衆議院選挙では、このようにして無事に投票を済ませました。
 そして、はてな(?)、と思いました。
 私の存在証明をする確認は、不在者投票所における一連の流れの中で、何一つなかったからです。

 持参した身分証明書は、まったく不要でした。

 こんないいかげんなことで、これで衆議院選挙の投票行為が終わったと言って、本当にいいのでしょうか。

 もし私が、今回の不在者投票で、私が住んでいる区域の誰か別の人の住所と氏名と生年月日を書いても、それは有効だったのです。
 もちろん、生年月日を知っているかどうかは少し手間がかかるでしょう。しかし、これだけ個人情報が流出・氾濫しているご時世です。難なく、別人になって投票が可能です。
 また、私は、知りうる限りの多数の人になり代わって、何度でも不在者投票ができるのです。
 判明するとしたら、それは本番投票の本日、投票に来た人が、すでに自分が不在者投票されていることを知らされ、抗議をした時に限られます。
 投票率が低ければ、それこそ闇のままに葬られることになります。

 日本の地方でなら、役場の人は投票者の名前や住所を知っているので、なかなか「なりすまし投票」は難しいでしょう。しかし、今回の場合のように、都会の区役所の人は、投票人の顔を知るはずがないのです。
 私の場合で言うならば、深夜0時すぎから朝の8時までしか、横浜市金沢区にある官舎にいないのですから。

 不在者投票という現行制度を活用すれば、「生年月日」の情報さえ収集すれば、他人になりすまして、何度でも、何票でも投票できます。
 そんなことをする人がどれほどいるのか解りません。しかし、組織的にやれば、相当の票をまとめて獲得できます。
 ど素人の私でも、あの日に、他人の「生年月日」さえ知っていれば、何票か投票できたのですから。不在者投票の場所を変えると、さらにたくさん投票できます。
 少なくとも、同じ官舎に住む同僚数人の情報は知っていました。そんなん不正はしませんが、やろうと思えばできました。

 要するに、投票行為は良心の問題だけです。
 不正などは、現行制度ではいかようにでも可能のようです。

 日本国は、「あくまでも性善説」にたって、こうした国政選挙をはじめとする行政を行っているようです。
 このようなことは、夢と希望を持って投票に行く若い人たちには、教えたくないことですね。

 それにしても、世の中は、おもしろいことがたくさんあるものです。
 よりよい社会にするためにも、少しずつ改善していきたいものです。

 この杜撰な選挙制度などは、最重要課題の一つといえるでしょう。
 
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
 
 
 

2010年6月22日 (火)

心身雑記(57)ボケ予防のために

 父の日ということで、息子から本をプレゼントされました。
 『ボケない頭をつくる 60秒 活脳体操』(篠原菊紀、法研)です。
 
 
 
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 息子曰く、早くボケられたら後の世話が大変なので、脳の体操をしてボケるのを先延ばししてほしい、とのことです。
 その心遣いに感謝しながら、何やら複雑な想いで受け取りました。

 開巻劈頭、次の事があてはまる場合は、前頭葉の働きが落ちてきているそうです。

●最近、もの忘れが多くなった。
●「あれ、これ、それ」など指示代名詞がやたらに多くなった。
●「知っている感じ」はあるのに言葉が出てこない。
●以前より怒りっぽくなった。
●やる気が出ない。
●人に接するのが疲れる。

 すべて、思い当たります。
 この誰にでも起こる症状を、活脳体操で無理なく克服しようというのです。

 図解により、わかりやすい体操42例が紹介されています。そして、元気な脳を支える15カ条も。

 まずは、最初から順番にやってみることにしました。

【1】グーパー体操(ふとんの上で)
   右手を上げてパー、左手を下げてグー。
   次に、右手を下げてグー、左手を上げてパー。

   右手を上げてグー、左手を下げてチョキ。
   次に、右手を下げてチョキ、左手を上げてグー。

   右手を上げてチョキ、左手を下げてパー。
   次に、右手を下げてパー、左手を上げてチョキ。
   

 こんな調子で、上げた手が勝つように、自分でジャンケンを繰り返します。
 特に、ボンヤリしているときは有効だとか。

 一巡目まではいいのですが、しだいにわけがわからなくなってきました。
 開始早々、不安になってきました。しかし、出来ないときには、グー、パー、グー、パーを繰り返すだけでもいいそうです。
 とにかく、無理なく、楽しく、毎日が鉄則だと書いてあります。

【2】ウインク(ふとんの上で)
  右目のウインク、左目のウインク、3秒休み、右目のウインク。
  両目を閉じてパチッと開ける。

 これは、何回でもできます。

 各頁に書いてある、効能にかんするコラム欄も、楽しく読めます。
 こんな調子で、毎日いろんな運動にチャレンジしてみたいと思います。
 子どもたちに世話をかける日を、1日でも先に押しやるためにも……。
 
 
 

2010年6月21日 (月)

井上靖卒読(110)『憂愁平野』

 派手さのない小説です。おもしろいドラマが展開することはありません。
 しかし、人間の心の中を見詰め、人と人とのぶつかり合いを描く中から、生きていく意味を問いかけてきます。

 全編、至る所で銀座がでてきます。待ち合わせや食事の場所として。話の展開で、銀座が回転軸として利用されています。

 ふと気付いたのですが、この作品では登場人物の服装があまり丁寧には描かれていません。心の中で、自分と人とがぶつかるところに視点が置かれているため、その折々の服装は重要な要素とはなっていないようです。
 顔の表情については、しばしば言及があるのに……。
 何を着ていたのか、他の作品がどうだったのか、改めて気になりました。

 賢行の妻である亜紀と、賢行の親友の妹である美沙子の2人が、この作品を引っ張っていきます。そして、この2人が面と向かって交わす会話の中に、複雑で微妙な心理が行き交うドラマが進行します。
 銀座のホテルのロビーで、銀座の画廊で、日比谷公園で、亜紀の自宅で。
 至る所で女同士のバトルが展開します。お互いが相手の心の中を読み合うところに、この作品を読む醍醐味があります。

 この小説でも、唸る男が出て来ます。
 男主人公の賢行は、腹が立って悲しいとき「よおし」と唸り、そして家の柱をノコギリで切ろうとします。(新潮文庫、188頁)。終盤になると、さらに唸ることが多くなります。
 自分が置かれた状況に窮して「ううむ」(502、594頁)と。
 行き詰まったときや、しばらく時間を止めて考えるときの、男のポーズの一つとして描かれます。
 嘘をつき通した後、逆に相手の嘘にはめられてしまったとき、「ふむ」と3回も立て続けに唸ります。この相手の嘘が判明したとき、賢行の気持ちは吹っ切れます。
 美沙子と巽の結婚話を聞き、それが嘘とは知らずに、賢行はショックを受けます。そして、「うん」という短い返事を、何度も唸りながら妻に応えます。何と11回も「うん」と唸るのです。にわかに信じられないことに直面し、自分が即座に対応できないからこその、ごまかしの時間を持つかのように。

 唸るのは、賢行だけではありません。
 美沙子に求婚する巽も、その一人です。賢行と美沙子の京都旅行を知らされ、「ふーむ」と唸ります。(606頁)
 美沙子は、賢行との京都行きのことを巽に白状します(634頁)。その後、巽は「ふうむ」と唸ります。事実と、意外なことを語られ、判断停止の状態なのです。

 賢行は美沙子との京都行きについて、最後まで隠し通します。妻の亜紀に嘘であることを見透かされていても、その一点は無意味と知りつつも、自分を守るために死守します。
 そのことよりも、巽のついた嘘、美沙子と結婚するということが、2人のパリ行きが賢行の気持ちを決めます。その裏には、美沙子の苦悩と決断がありました。

 美沙子は、海辺の旅館で、月夜に散歩をします。美沙子の側の物語の結論が見えました。
 賢行と亜紀は、またもとの冷えた夫婦にもどります。しかし、もとに話が戻ったのではなく、噛み合わせの悪いところはそのまま認めての、大きな心での夫婦関係に戻るのです。

 小説の半ばで、都内の樹を見て回る話があります(286頁)。都内の桜巡りも、来年はしてみたいと思います。
 井上靖は、この10年後に『欅の木』という作品を発表します。同じ頃に、『夜の声』や『四角な船』という、風刺小説とでも言う、社会を問題にしたテーマに挑んでいます。この『憂愁平野』での樹を見るくだりは、こうした流れに向かうものと言えましょう。【3】
 
 
 

初出紙︰週刊朝日
連載期間︰1961年10月6日号~1962年11月30日号
連載回数︰61回


新潮文庫︰憂愁平野
井上靖小説全集22︰憂愁平野
井上靖全集14︰長篇7
 
 
 
■映画化情報
映画の題名︰憂愁平野
制作︰東宝
監督︰豊田四郎
封切年月︰1963年1月
主演俳優︰森繁久弥、山本富士子
 
 
  
〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/
 
 
 

2010年6月20日 (日)

京洛逍遥(148)建仁寺の半夏生

 時折激しく降る雨の中、栄西禅師開山による建仁寺の塔頭の一つである両足院へ行きました。祇園花見小路の南にあります。初夏の今は、半夏生で知られる回遊式庭園が公開されているのです。

 方丈の手前には、臨済宗の禅寺らしい枯山水の庭園や坪庭がありました。
 
 
 
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 書院の前庭には、半夏生(半化粧)が池畔に群生しています。
 
 
 

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 庭を散策できるとのことなので、回遊しました。
 小道への進入禁止の標識が、小さな石組みです。
 無粋な文字が書かれた表示とは違い、禅の心が伝わります。
 
 
 
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 奥のクチナシの白さが目に留まります。よく手入れが行き届いている庭です。
 正面奥には、茶室「水月亭」を窺えます。

 庭に降りると、また雨が降り出しました。
 クチナシ越しに、半夏生が雨に煙ります。
 
 
 
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 半夏生(半化粧)とはよく言ったもので、白い葉の先が緑に染まっています。というよりも、緑の葉の付け根から半分が白いと言うべきでしょうか。
 
 
 
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 次第に雨脚が強くなり、茶室「臨池亭」の軒先で雨宿りをしました。
 少し小止みになってから、元来た道を引き返しました。
 
 
 
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 茶室のお茶とお菓子がお勧めのようでしたが、また次にしましょう。
 
 
 

2010年6月19日 (土)

浄水による管の汚れ

 我が家の浄水器は、かれこれ20年以上使っています。
 
 
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 毎年1回、中のフィルターを交換してもらっています。
 左の白いものが塩素などを濾過し、右の黒いものが匂いを吸着します。

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 今回、ゴム管が汚れていることがわかりました。
 
 
 
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 写真下の、管の中が白っぽいのが水道管からくるもの、そして上の黒く管の中が変色しているのが、濾過した浄水が出てくる中の様子です。

 水道管からの水は塩素などが含まれているので、比較的きれいです。しかし、浄水が通る管が、こんなに汚れていました。これは、純度の高い水がとおるのはいいのですが、蛇口に近いために、そこから雑菌が入り込んだようです。

 それにしても、こんなに汚れていたとは。
 目に見えない場所であり、きれいになった水の通り道だけに、定期的なチェックが欠かせないようです。
 
 
 

2010年6月18日 (金)

京洛逍遥(147)京都大アンティークフェア

 早朝から、京都駅前のキャンパスプラザ京都で一仕事をしてから、小雨の中を「第47回 京都大アンティークフェア」に足を伸ばしました。

 昨年のちょうど今頃、2009年6月22日に「京洛逍遥(85)京都府総合見本市会場の骨董市」という記事を書きました。
 竹田駅のパルスプラザで開催された「京都大アンティークフェア」に行ったときの話です。

 そのときには、幕末の源氏物語屏風に興味を持ちました。
 保存状態のいい、きれいな絵でした。ただし私が気になったのは、空蝉と軒端荻が囲碁をする場面で、光源氏が垣間見をするところでした(前掲ブログ参照)。2人の女性は、囲碁ではなくて双六(バックギャモン)をしているのです。珍しい図様でした。

 こんな名品・迷品と出会えるので、こうしたフェアはおもしろいのです。

 今日は、雨の日にもかかわらず、たくさんの人でごった返していました。来場者の7割は女性です。賑やかなことです。
 
 
 

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 出展数約350店、骨董品・古美術品など150万点以上の展示と即売会でした。しだいに人が増え、やがて歩くのも大変な人混みとなりました。

 今回も、源氏絵の屏風がありました。
 
 
 
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 なかなかいい出来の屏風絵です。
 『源氏物語』から10場面を選んで、6曲1双の屏風に仕立てています。

 2階にも、源氏絵の屏風がありました。やはり、屏風絵は派手なので、好んで作られるのでしょう。ただし、これは相当補修の手が入っていました。
 
 
 
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 この屏風の裏には、お弟子さん4名の手になる色紙が貼り付けてありました。
 
 
 
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 「垣内先生を偲ひまつりて」として、「ゆふそらの云々」の和歌などが書かれています。

 別のコーナーには、柿本人麻呂の人物画が、輪郭線に和歌を配して描いたものがありました。
 
 
 
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 人麻呂像というと、烏帽子をかぶった人麻呂が、左手に紙、右手に筆を持った直衣姿で描かれることが多いものです。この絵は、その図様をとりながら、絵の中に葦手風の文字で和歌を組み込んでいます。葦手風の文字と絵による装飾的な人物画になっているのです。
 人麻呂の身体と着衣を構成する和歌は、『古今和歌集』の次の有名な歌です。

ほ の/\と あかしの うらの あさ霧に
しまかくれ行 ふね おしそおもふ

 なかなかおもしろい作例だと思いました。ただし、後代の墨でのナゾリがなされているように見受けられます。買うか買わないかは、好き嫌いの問題です。私は、思案中です。

 ここに紹介した写真は、各お店(「日吉堂」「スミコ」「大徳」)の方に撮影の確認をしてのものです。さらに詳細なものは、個人的に撮影させていただいたので、掲載は控えておきます。

 あまり熱心に見ていたせいか、絵描きさんですか? と訊かれました。
 私は、芸術家の雰囲気があるのでしょうか。少し、嬉しくなりました。
 
 
 

2010年6月17日 (木)

読書雑記(19)『おいしいコーヒーの経済論』

 「フェア・トレード」ラベルというものを、京都大学の北向かいの通りにあった雑貨のお店で知りました。
 
 
 
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 そして、店内に置いてあった『おいしいコーヒーの経済論 「キリマンジャロ」の苦い現実』(辻村英之、太田出版、2009年6月15日)を手にして、読んでみたくなりました。畑違いながら、コーヒーとフェア・トレードに関する本です。
 まったく専門外の本にもかかわらず、興味深く読めました。

 「貧困者の生産物を途上国から輸入して、生産者の貧困緩和に貢献するフェア・トレード(公正貿易)」の中でも、コーヒーは代表的なフェア・トレード商品となっているそうです。

 以下、私の注意を惹いた箇所を抜き出しておきます。


日本で「キリマンジャロ」と表示できるのは、タンザニア産水洗式(マイルド)アラビカ種のみである(72頁)

一杯四五〇円の「キリマンジャロ」を飲んでも、二・〇円が生産者の取り分となっているに過ぎない。(105頁)

できる限り具体的に、不利な状況にある生産者たちの生計・福祉改善の内容を表示しないと、共生の価値観を持つ消費者にとっても、魅力が半減すると考える。キリスト教に基づく慈善活動の一環としてフェア・トレード商品の購入が進む西欧とは異なり、特に日本ではそれが重要だろう。(134頁)

資金に余裕がある者には、困難に直面している者を支援する責務がある。(203頁)

「生産者支援のための購入」について、消費者からの一方的な善意の押し付けという批判があるが、著者は「産消共生」、つまり消費者の毎日の食卓にとって欠かせないおいしいコーヒーを供給(支援)してくれている生産者に対して、相互支援を行うことだと理解している。(154頁、注6)

最高品質のコーヒーを低価格で享受できる、私たち消費者にとってこの上なく恵まれた状況の裏側には、子供を中退・休学させざるを得ない、生産者にとって最悪の状況があった。(198頁)

本書は、特に制度派経済学の考え方の下で、コーヒーのおいしさを増減させる情報を提供した。「おいしいコーヒーの経済論」というタイトルを付したゆえんである。(206頁)



 確かに、日本には慈善とか喜捨という文化が共有されていないので、本書のテーマはスムーズには理解されないと思われます。しかし、発想の転換次第では可能なことです。今後の展開が楽しみです。そして、私も実践に身を入れようと思うようになりました。

 まずは、「フェアトレード・ラベル・ジャパン」のホームページを見ながら、理解と協力を深めようと思います。
 
 
 

2010年6月16日 (水)

江戸漫歩(24)高円寺を彷徨う

 いつも元気をいただいているK先生が、昨日の記事「懐かしの三鷹駅前」に反応してくださいました。新婚当時、高円寺に住んでいらっしゃったのだそうです。

 今日も休む暇なく職場の中を走り回り、ぐったりとした仕事帰りのことです。
 立川から乗った中央線の電車が高円寺駅に停車したとき、突然何を思ったのか、ごく普通に席を立ってホームに降りていました。これが無意識だったので、我ながら驚きました。素直な私は、K先生の催眠誘導にかかったのかもしれません。

 私はかつて、高円寺の4畳半のアパートに住んでいました。
 高校を卒業してすぐに上京すると、大森の新聞配達店に住み込みました。その店が火事になったために大井町のアパートに一時的に避難し、その後は渋谷の代官山で賄い付きの一室に、阿佐ヶ谷と東中野の社員寮に、荻窪と高円寺ではアパートにと、大学時代はいろんな住処を転々としていました。

 昨日のK先生の返信に刺激されたのでしょうか。何となく、フラフラと高円寺の南口から甲州街道の方へと下って行きました。甲州街道へ出てから角を曲がると、陸橋のそばにアパートがあるはずです。アパートの入口の右に階段があり、2階の角の部屋に間借りをしていました。4畳半に半間の押し入れがありました。階段も、ドアも、覚えています。ところが、そのアパートが見当たらないのです。

 ラーメンの丼のふちに描いてある卍模様の帯を伝うかのように、カクカクと細い道を彷徨いました。しかし、どうしてもそれらしい家が見つかりません。大家さんの名前は思い出したのですが、次第に暗くなって来たので、諦めて帰ることにしました。

 毎日、高円寺駅に出て渋谷の大学に通っていたのに、その寝泊まりしていたアパートの場所がわからないのです。38年前のことが、記憶から霞んでしまっています。過日読んだ、井上靖の『崖』ほどではないにしても、ショックです。それだけに、焦って、意地で、それらしき一角を彷徨いました。
 この次に、住所を確認して、また出直しましょう。

 近くに地下鉄の新高円寺駅があったので、そこから帰ることにしました。ところが、途中の乗り換えで、たくさん歩かされました。
 東京の地下鉄では、理不尽な思いをさせられることが多いのです。便利になると信じて穴を掘ったのはいいのですが、結果的には節操のない路線図となっています。
 この後始末を私に任せてもらえるのなら、駅の中の乗り継ぎには、ジェットコースターを設置します。一駅分は歩かされる乗り継ぎは、どう考えても異常です。それを、ただひたすら耐えるようにして歩く人々は、関西発想から見ると異星人です。たくさんの雪国出身の人たちで形成されている東京だからこその、忍耐仕様の街作りに、しばしば発狂しそうになります。
 今日も、あきれるほどに歩いて、乗り継いで帰りました。

 疲れた1日でした。しかし、今、想い返してみると、これはなかなか楽しい想い出さがしの小旅行でした。
 また機会があったら、かつて自分が住んでいたところを尋ね歩いてみましょう。多分に疲れが見えるようになったこの脳の、ささやかな活性化につながるかもしれませんので。
 
 
 

2010年6月15日 (火)

江戸漫歩(23)懐かしの三鷹駅前

 今日の夕刻、打ち合わせのために中央線の三鷹駅に降り立ちました。
 待ち合わせには少し時間があったので、駅前を散策しました。学生時代、三鷹は妻が住んでいた街です。最初は上連雀に、しばらくして下連雀に。そのこともあって、私もよくこの街に来ました。かれこれ40年前のことです。
 十数年前に、一度この街に来たように思います。しかし、ほとんど覚えていません。
 北口の古道具屋さんで、妻と一緒に小さな冷蔵庫を買ったことを覚えています。昭和40年代の後半のことです。

 三鷹駅の南口から左に行った狭い通りに、古本屋さんがありました。そこにあった、佐藤謙三先生の著書を買おうと思っていたら、先に豊島秀範先生に、当時の豊島先輩に買われてしまったことを思い出しました。
 その古本屋さんがあった場所は、今は整備されてすっかり変わっていました。
 
 
 
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 駅前から南にまっすぐ下った交差点にあるショッピングセンターも、妻と共に来ました。おしゃれできれいなものを売っていたように思います。貧しかったので、見るだけの場所でした。
 
 
 
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 この交差点を右折した角の三平ストアは、よく一緒に買い物に行きました。妻のアパートは、この三平ストアの近くにありました。当時はお金がなかったので、ここで買い物することが多かったのです。お店の構えは違いますが、場所はここだったように思います。
 
 
 
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 駅へ引き返す道々、駅前の小路を入ったところに、ディスカウントスーパーがありました。この雑然とした安売り屋さんは、よく覚えています。
 
 
 
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 恩師の小林茂美先生が、大手町の産経学園でカルチャーセンターの講師をしておられた頃、毎回テープレコーダーを教室に持ち込んで録音をしていました。カセットテープがたくさん必要でした。このお店で、安いカセットテープを買い込んだので、よく覚えています。
 妻と一緒に大手町へ行き、小林先生の『源氏物語』の講義を通い詰めて聞きました。講義の後は、某宮家の方の宮中でのお話を、別室で毎回伺いました。知らない世界を、新鮮な気持ちで教えてもらったことを思い出します。

 40年前が、本当に断片的にしか思い出せません。それでも、短時間に少しだけタイムスリップできました。
 この地域には、何人かの知り合いの方が住まいしておられます。生活しておられる地を、個人的な思い出に耽る場所として回想するなど、本当に失礼なことと恐縮しています。
 それでもまた、こっそりと歩き回ってみたいと思います。もし私を見かけても、どうか無視してください。思い出さがしをして楽しんでいるはずなので、放っておいてください。
 
 実は、偶然なのですが、今日は妻の誕生日です。三鷹の駅前を徘徊したのも、妻のことを想い出したからでもあります。
 学生結婚をして35年。大学では同級生だったので、もう40年近く一緒にいることになります。私の大学院生時代は、世に言うヒモでした。妻に養ってもらっていました。産経学園に通っておられた方の紹介で、その方のお近くの浦和に新居を定めました。小さな平屋の一軒家でした。夕方になると、私が自転車で南浦和駅まで妻を迎えに行き、2人乗りで買い物をして帰ったものです。夕焼けがきれいだった坂道を、今でも思い出せます。

 いろんなことがあったし、今もいろんなことがある日々です。しかし、折々に思い出を交えて、気持ちをリフレッシュさせながら、これからも元気にお互いの仕事に励みたいと思います。
 この世で、少なくとも一人は応援してくれているということを、これからも大切な支えにしていきたいと思います。
 
 
 

2010年6月14日 (月)

調理修行(6)息子が蕎麦寿司に初挑戦

 久しぶりに、息子に食事を作ってもらいました。
 蕎麦寿司をリクエストしたところ、こんなものを作ってくれました。
 蕎麦に巻いてあるのは、右上から「カニかま」「玉子焼き」「具ナシ」「鶏のササミ」です。
 
 
 
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 茹でた蕎麦を酢で軽くしめてほしいと言ったところ、蕎麦の味が飛んでしまうのでもったいない、とのことで、酢醤油とワサビで食べました。なかなかいい味でした。
 ササミは軽く炙って薄い味付けがしてあったので、なかなか粋な味でした。
 巻いている海苔が、すこし重たいように思いました。これは食感を左右するので、また、いろいろと試してもらうことにします。

 京都・新大宮商店街にある蕎麦屋さん「そば鶴」の蕎麦寿司は、とにかく絶品です。
半年前に、「「楚者鶴」の「そば寿司」」として本ブログで紹介しました。
 軽く酢でしめてあったように思います。茹で上がった蕎麦に酢を振りかけてから巻いていたはずですが……。こんど行ったら、確認してみます。

 今日は私も、前回のポトフに再挑戦しました。
 今度は、人参の皮をむき、塩で味を調整したので、大いに前進した出来映えです。
 
 
 
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 ただし息子いわく、人参はむいた皮を刻んで、きんぴらか酢の物にしてもよかった、とのこと。
 人参の皮は、捨てないのだそうです。へー、です。

 東京にも、京都のお豆腐がありました。
 近所のスーパー赤札堂で、男前豆腐がありました。
 
 
 
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 小さく6等分されているので、単身赴任向けです。
 この他にも京都のお豆腐があったので、また食べてみましょう。

 東京にも、一応はお揚げさんもあります。日光のものや、千葉のものです。これまでに、2種類を食べました。しかし、京都のお揚げさんのホクホク感がありません。食材として、これは雲泥の差があると思いました。
 なぜ、京都のお豆腐やお揚げさんが美味しいのか。興味が尽きません。
 もっとも、関東は味が濃いことが多いので、京都の食材を東京に持ってきても、その味付けの加減が難しいようです。サッパリ好みの私には、関東の味にはなかなか馴染めません。その意味からも、回転寿司はいつでもどこでも、全国各地でフラリと入れて、とても重宝します。

 私は、ポン酢が大好きです。回転寿司屋でも、醤油ではなくてポン酢で食べます。マグロもハマチも。
 そのせいか、関東の回転寿司屋はポン酢を置いていない店が多いので、何かと困ります。まさか、「Myポン酢」を持ち歩くわけにもいきません。
 立川北口にある回転寿司屋では、醤油と酢でわざわざ作ってくれました。しかし、酢飯の酢の加減があるので、やはり美味しく感じません。以来、頼んで作ってもらうことはやめました。
 今のところ、京都三条の回転寿司屋「むさし」で食べるお寿司が、一番わたしの口に合います。ただし、京都にはシャコがあまりないので、物足りなく思っています。
 東京では、何と言っても立川南口の回らない回転寿司屋が一番です。ここは、本ブログで「立川の謎の回転寿司屋」として紹介したところ、とたんにお客さんが心なしか増えたように思います。行くと、お客さんがいることがたまにですがあるからです。
 ここの無愛想な親父さんが握る、八丈寿司がお勧めです。辛子を使ったにぎりなのです。

 これから梅雨にかけては、1日3食でもお寿司を食べたくなるので、とにかく楽しみな日々になります。小雨の日のお寿司は、とにかく最高です。もちろん、カンカン照りの真夏のお寿司も、これまた最高ですが……。
 結局は、いつでもお寿司が最高だ、ということに落ちつくのです。
 
 
 

2010年6月13日 (日)

源氏物語の本文をデータベース化して公開するために

 昨日は國學院大學で、『源氏物語』に関する研究会がありました。
 これは科研4年目にして、もう15回目の研究集会です。精力的に活動がなされています。
 内容は、こんなメニューでした。

第15回 源氏物語の本文資料に関する共同研究会
 日時 平成22年6月12日(土)午後1時〜6時
 場所 國學院大學 120周年記念2号館1階2102教室

第1部 研究・報告1(午後1時〜)
 (1)「七毫源氏の巻頭目録と事記標記について」
      渋谷栄一(高千穗大学)
 (2)「山岸文庫蔵伝明融筆源氏物語の基礎的書誌報告:1
     ─本文料紙と書写者の関係を中心に─」
      上野英子(実践女子大学)
 (3)「京都大学本系統『紫明抄』の再検討」
      田坂憲二(群馬県立女子大学)
第2部 研究・報告2(午後3時〜)
 (4)「吉川家本(毛利家伝来『源氏物語』)の本文と注記」
      豊島秀範(國學院大學)
 (5)「日本語史上の大島本源氏物語」
      中村一夫(国士舘大学)
 (6)「語学的に見た平瀬本『源氏物語』」
      遠藤和夫(國學院大學)
第3部 共同討議(午後4時30分〜)
 (7)「『源氏物語』の翻刻本文をウェブに公開する方法
     ─豊島科研の発展と展開のための具体的な提案─」
      伊藤鉄也(国文学研究資料館)
 〈源氏物語本文に関する共同討議〉
   豊島秀範/伊藤鉄也/遠藤和夫/渋谷栄一/田坂憲二/中村一夫/上野英子


 今回は、ベネチア大学のトリー二先生と、ケンブリッジ大学大学院生のレベッカさんも参加してくださいました。
 30人足らずの小さな研究会です。しかし、中身は充実しています。

 『源氏物語』の本文については、研究者が非常に少ないのが現実です。『源氏物語』は、書店で販売されている流布本で読まれ、研究されています。『新編日本古典文学全集』(小学館)が代表的なテキストと言えるでしょう。

 しかし、そのテキストの元になっている写本(大島本)に、実際にどのような言葉が書かれているのかは、あまり感心がもたれていません。江戸時代の人が手を入れた傍記を取り込んだ文章を、しかも現代人にわかりやすいように作り直された校訂本文で読むことで、一応平安時代の『源氏物語』を読んだことにしています。他分野の方から、そんなにいい加減でいいの、と驚かれます。しかし、これが今の『源氏物語』の研究の現状です。江戸時代の人がよしとして書き換えた文章であっても、平安時代の物語を目指してなされたものなので、かつての『源氏物語』と大差はない、との判断からです。しかし、そこにはやはり無理があります。

 今回の研究会は、國學院大學の豊島秀範先生が科研費で推進しておられる『源氏物語』の本文に関する共同研究会です。古写本に書かれていることを対象にして、『源氏物語』のことを考えています。また、写本そのものについても、さまざまな角度から考えています。

 こうしたことに興味を持つ人は少ないのですが、地道な研究会の積み重ねによって、着実に成果が共有できています。

 第1部では、上野英子さんの発表が、非常に興味深いものでした。
 実践女子大学にある伝明融等筆の『源氏物語』について、各冊の末尾に白紙が多いのはなぜか、片面に書写された行数が不規則なこと、どうして不経済な写し方をしているのか、そんな問題を、直接紙の厚さを測ったり、紙の質を調査したりと、まさに書誌学的な研究成果が披露されました。
 この本が書写された実態と背景は、まだまだ調べることがたくさんあるようです。

 第2部では、中村一夫さんの発表が、手堅い成果を示していました。
 大島本の写本には、「すそろなり」という語が「蜻蛉」巻に4例、「手習」巻に2例あるそうです。この語は、平安時代の末から鎌倉時代の始めにかけて確認できるものなのに、『新編日本古典文学全集』などではすべて「すずろ」に統一して校訂されています。「すぞろ」という語は、今の活字による流布本では別のことば「すずろ」に置き換えられているので、写本にかかれた語は確認できないものとなっている、とのことです。このように、校訂によってことばが消えてしまっている例は、もっといろいろとあることでしょう。

 一体、今我々は何を読まされているのか。
 『源氏物語』のあらすじを逐うのには、活字の流布本は便利です。しかし、活字の校訂本文から導き出された研究成果の意義となると、問題によっては、改めて検証すべきことを痛感させられました。活字本『源氏物語』による研究成果を再検証することも、場合によっては必要なのです。

 『源氏物語』に関する研究成果は、年間400本くらい発表されているようです。そして、現在の『源氏物語』に関する研究の99.9パーセントまでが、活字校訂本の『源氏物語』によってなされているので、改めての再検証も大変です。
 そんなことは不可能なので、これからの若い研究者は、活字の流布本で読んだ後、その文章が写本(大島本)ではどう表記されているのか、一応確認しておく習慣は身につけておいた方がいいと思います。面倒なことですが。
 その時には、『源氏物語大成』は不備が多いので、『源氏物語別本集成』と『源氏物語別本集成 続』をチラッとご覧になることをお薦めします。活字本では校訂の過程で隠されてしまったことが、写本の文字列の中から改めて浮かび上がることも多いことでしょう。

 第3部では、『源氏物語』の本文をデータベース化して、それをインターネットに公開するための方策について、みんなで考えました。これは、豊島科研の最終成果の報告と今後をどのようにするか、ということにも繋がります。

 まずは、私が具体的な対処法を提示し、それを元にしてみんなで話し合いました。
 まだまだ思いつきですが、こんなことを試案として提示しました。
 公開する『源氏物語』の底本は、国文学研究資料館蔵「正徹本」です。

1、データベースの本体は、国文学研究資料館のサーバーに置く。
2、国文学研究資料館に寄託されたデータベースとして管理してもらう。
3、データベースの構築と公開は、国文学研究資料館の情報処理を専門とする研究者が担当する。
4、データベースの修補改訂は、これまでの経緯から、当面は国文学研究資料館の伊藤が担当する。
5、ウエブ上に公開する諸本の情報は、当面は『源氏物語別本集成』の形式(版面)にならう。
 
 
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6、利用者には、校合の結果をPDFの形でダウンロード可能とする。ただし、範囲制限あり。
7、『源氏物語別本集成』『源氏物語別本集成 続』を刊行してきた(株)おうふうとの協議を要する。
8、翻刻担当者等の氏名を、『源氏物語別本集成』の要領で公開する。
 
 
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9、公開時に、改訂のバージョンを明示して、随時データベースを更新していく。


 共同討議の中で、印刷媒体での提供が必要であることが確認されました。これは、オンデマンド出版を含めて、今後とも検討していきたいと思います。

 また、『源氏物語』の本文を翻刻してデータベース化するにあたっては、国文学研究資料館が大学共同利用機関であることを鮮明にして、全国の大学・研究者と協力しながら展開していく意義も、確認されました。

 豊島科研の研究代表者である豊島秀範先生は、今年が科研の4年目の最終年度であることから、本文データベースの成果を今後は国文学研究資料館で展開し発展させていくことが妥当であることを了解なさいました。これで、よくある、科研の成果が残骸としてネット上に残る、という事態を回避できることになったのです。
 豊島科研における4年間の研究成果の本文データベース部門に関しては、さらに5年は継承されることになりました。ホッと一息、というのが、陰ながら協力支援してきた一人としての実感です。
 このことについては、改めて報告したいと思います。
 この件についてのご意見などは、本記事のコメントとしてお寄せいただければ幸いです。
 
 
 

2010年6月12日 (土)

無償交換品がまたまた不良品

 この記事は、ウソみたいな話ですが、本当のことです。

 1ヶ月半前に「モニタ用ケーブルが断線」という記事を書きました。

 そして、今月初めに「無償交換品も不良品だった」という記事で、交換してもらったケーブルも欠陥品であることを書きました。

 その時に無償で交換してもらったケーブルも、あろうことか、またまた先週からモニタに画像を映さなくなりました。
 前回、「また断線するのであれば、90日以内に切れてもらいましょう。えてして、91日目に切れかねません。」と書きました。それが、実際には10日で切れました。ある意味で、早く切れてくれてホッとしています。

 アップルストア銀座へ持ち込もうと思いましたが、先月来のiPadの人気で、修理相談の予約がとれません。
 ようやく、4日後の今日の予約がとれたので、仕事帰りに立ち寄ることにしました。

 ところが、こんな日に限って、というより、いつものように中央線で人身事故があり、電車が止まってしまいました。
 アップルストア銀座には、予約時間の33分後にようやく辿り着きました。ところが、30分遅れると自動的に予約がキャンセルされるシステムだそうです。予約の取り直しとなり、30分ほど待たされて、やっとのことで順番が来ました。ついていません。

 名前を呼ばれてカウンターに座ると、何と、前回対応してくださった方ではないですか。
 そのせいもあり、話はスムーズに進みました。
 前回の交換品を受け取っての帰り際に、これに関して私が注意することは何かと尋ねると、「何もありません」と答えてくださった方です。

 今日も、おかしいですね、を連発しておられました。
 そして、カウンターで前回同様にケーブルのチェックです。前回はモニタが壊れていました。今回は、AC電源の四角いボックスが壊れていたようで、おかしいおかしいを連発した後、別の電源ボックスを持ってきてテストをしておられました。
 ジーニアスバーの備品には、こうした故障品がたくさん転がっているようです。私が言うことではないのですが、もう少し仕事で使うものを整理したらどうでしょう。こわれていもものは、店頭に放置してはいけません。ユーザーに対して失礼です。

 さて、今回も、やはり私が持ち込んだケーブルでは映像が映らないことが確認されました。
 確認書の上に置いてある小さな白いケーブルが、問題のものです。
 
 
 
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 担当者はとにかく気の毒がってくださり、過去2回のように交換品を発注して数日後に受け取りに行くという方法ではなくて、上の階にある商品を手配して渡してくださいました。
 さらに、ケーブルの保証期間が1年にしてありました。返品期限は2週間です。

 いずれにしても、このケーブルの度重なるトラブルは、一体どうしたことでしょうか。
 いくら、私が不良品をよく掴まされる、と言っても、これは非常に稀なことではないでしょうか。その稀が、私の身の回りではしょっちゅう起きるので、私としては稀とは言いかねますが。それでも、変なことには違いありません。中国製だから、という問題は、依然として残っていますが。

 担当者も、これも切れるようでしたら、パソコン本体を見せてください、とのことでした。もちろん、あり得ないことですが、後はその可能性しか残っていないからです。

 私も、気持ちが悪いので、出来たら見てもらいたいと思います。ただし、パソコンの保証期間の1年は、先月過ぎてしまっています。そのことを言うと、問題が発生して、その事が継続している状態なので、保証期間内の扱いにしてくれる、とのことでした。

 パソコン自身には、今のところ何も問題はありません。この外付け用のケーブル以外は。
 あえて点検に出して、また別の所に不具合が発生してもいやなので、このまま使い続けようと思います。多少の気持ちの悪さは我慢しましょう。

 30年近いコンピュータ経験で、たくさんの商品の不具合チェックをしてきたように思います。
 新製品に次から次へと手を出してきたので、常に初期不良との戦いでした。日本のコンピュータが曲がりなりにも使えるようになっている現状は、これまでの私のテスター経験が背景にあってのことだと言っても過言ではないと思います。それだけ、たくさんの不具合を指摘し、改善するように進言してきました。

 そのような役回りに疲れたので、iPadは今のところはパスしています。
 第二世代に手を出すつもりです。
 それだけに、私も現役を引退したとも言えるでしょう。好奇心が減退したことは認めましょう。残念なことですが。
 ゆるゆると、先端を後から逐うスタイルに変えることにしようと思います。

 そんなことを思いながら、アップルストアの後ろにある、いつものスポーツクラブに行きました。
 いつも私が好んで使うロッカーに、こんな赤いプレートが貼られていました。

申し訳ございませんが、
こちらのロッカーは、ただ
今ご利用いただけません。


 
 
 
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 このスポーツクラブのロッカーは、どれを使ってもいいシステムです。ただし、そのロッカーの番号は覚えておかないと、後でどれかわからなくなります。私も、何度か番号を忘れ、フロントで教えてもらったことがあります。そのため、自然と自分が愛用するロッカーが決まってきます。
 その愛用する番号のロッカーが、壊れているのです。私が使うことが多いからでしょうか。
 気を取り直して、いつもとは違うロッカーを使用することにしました。
 変なことがあるものです。
 
 
 

 


2010年6月11日 (金)

雅楽の演奏会に行って

 今夜は、誘われるままに、雅楽会に行ってきました。

 「第二回雅楽道友会演奏会—東儀俊美 半寿の楽舞」というものです。
 半寿とは、八十一歳のことです。「半」という文字を分解すると「八十一」になります。
 
 
 
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 会場は、大井町の「きゅりあん大ホール」でした。
 
 
 
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 大井町は、2年前まで国文学研究資料館があった戸越に近い、懐かしい地です。通勤での乗り換え駅でもありました。

 誘ってくれたのは、もう20年前からのつきあいである、日本古来の装束の着付けをする衣紋道の仲間で金鑽神社の禰宜をしている金鑽さんです。今日は、その仲間である大学の先生、高校の先生、大学院生と、多彩な顔ぶれです。そして、みんな國學院大學の後輩たちです。

 演目などは、パンフレットから紹介します。
 
 


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 雅楽や着付けに厳しい目を持つ仲間なので、終わってから大井町の場末の行きつけの飲み屋で、いろいろと楽しい裏話を聞きました。
 6月に冬の衣装はないだろう、とか、袴の色が違う、とか、紋が違うだろう、などなど。
 素人目には気づかなかったことを、装束の専門家は鋭い目で見ていたようです。
 そして、雅楽の演奏についても、造詣の深いメンバーなので、これも厳しい評価を聞きました。その道に入ると、いろいろとあるものです。

 平安時代の衣装の具体的なことは途絶えているので、今の復元で『源氏物語』を考えてはいけないとか、平安時代の色の復元は不可能であるとか、実際のものを扱う立場からの意見なので、いい勉強になりました。

 日頃、身の回りにない情報なので、貴重な話が聞けました。また、機会を得て、有職故実に関する勉強もしたいと思います。
 
 
 

2010年6月10日 (木)

【復元】選挙制度への疑問

 また、選挙が近くなりました。
 こんなことがあった、ということで、平成19年3月に消失したブログを復元します。


********************** 以下、復元掲載 **********************

■2000年6月25日〈へぐり通信〉に公開分■

 総選挙の投票日となりました。
 この静かな生駒の山中にも、日頃は登ってこない政治屋さんの車が、連日ボリュームを一杯に上げて、名前だけを叫んでさっさと走り去っていきました。彼らは、まさに生活環境の破壊者です。一躍有名になった日本の首相の言葉ではないですが、「(自然環境に)関心がないといって寝てしまってくれれば、それでいいんですけれども、そうはいかない」ようで、たたみごも平群の山の大気を激震させていました。
 我が家のアリス(ウサギ)も、怯えて耳をピクピクさせていました。

 ちょうど一年前のことになりますが、ささやかな屈辱的な体験を記しておきます。

 昨年、平成11年4月下旬に、統一地方選挙がありました。知事および市町村議会の選挙でした。
 私も投票所へ足を運んだのですが、入り口の受付で門前払いとなりました。私は投票できないとのことなのです。
 一緒に行った女房は受付を通って中に入っていき、私は玄関で追い返される始末。一枚の「投票所入場券」を受付の人に取り上げられたまま、惨めな思いで投票所を出ました。

 町の選挙管理委員会から私宛に送られてきたあの一枚の「投票所入場券」と印刷されたハガキは、何の効力をも持たないものでした。選挙という一種独特の雰囲気の投票場の中で、たくさんの関係者に怪訝な目で追い返された時は、もうこんないいかげんなシステムの日本の選挙に投票などするか、と固く心に決めたものです。

 自宅に帰ってすぐ、知り合いの町会議員さんに電話をしました。そして事情を説明すると、以前から問題にしていることなのだが、申し訳ないがいまだに解決していない、とのことでした。
 生まれて初めて選挙権が行使できなかった、記念すべき日となりました。

 このような事態になったのは、仕事の関係で私自身の住民票を昨年4月3日に移動したためです。住民票を移動した前後3ヶ月は、新旧どちらの居住地でも地方選挙の投票ができないのだそうです。

 そういえば、3カ月ということは聞いたことがあるように思うのですが、これがそうだとは、その時まで思い至りませんでした。新旧どちらかで投票できるものと思い、3月に送られてきた「投票所入場券」に記載されていた自宅近くの投票場で投票するために、遠路はるばる奈良の平群に帰省したのです。それなのに追い返すとは、ありまにも酷い扱いではないでしょうか。往復の運賃3万円を返してくれ、と叫びたい心境でした。

 後日、町の窓口でこの件を確認しました。役場では異動手続きを受け付ける際に、選挙に関する注意書きの用紙を渡している、とのことでした。しかし、私はそのようなものは一切もらっていません。もしそうなら、住民票の異動手続きをしに行ったときに、1ヶ月間は移動の手続きを先延ばしにしたはずです。
 また、3月に送られてきた「投票所入場券」については、発送後、住民票の異動があっても、いちいち投票ができない旨の連絡はしていないのだそうです。

 私は、3月下旬に住民票を抜き、4月初旬に新しい居住区である、横浜市金沢区の役所に手続きをしたのです。そして、地方選挙が、4月下旬にあったのです。何も考えずに、私は手元にあった「投票所入場券」を持って、平群町の投票場にノコノコと行った、ということなのです。

 私が住民登録をしに行った新居住区の受付窓口では、ちょうど4月3日ということもあってか、長い行列ができていました。あの日に並んでいた人の大半は、昨年4月の選挙では投票できなかったのでしょう。しなかったのではなくて、したくてもできない立場に自分が追いやられていたのです。正確には、自分で追いやったのでしょうが、それにしても、この制度には疑問が残ります。

 一体、昨年の統一地方選挙で、住民票を移動したことにより投票ができなかった人は何人いたのでしょうか。
 4月の選挙だったので、相当の数に上るのではないでしょうか。少なくとも、私が住むことになった住宅一帯では、百人に近い数十人が投票できなくなっていたはずです。

 それにしても、この選挙制度には、住民票を移動するような者は選挙投票をする権利がない、ということが前提になっているとしか考えられません。それは、とりもなおさず、土着住民を確保する保守政党にとって都合のいい選挙制度といえなくもないように思います。
 実際に居住する地域に直接関わる選挙なので、それには3カ月という時間が必要だと判断して設定されたのでしょうが、それなら異動の多い4月を境にした前後3ヶ月の選挙は自粛してほしいものです。実施するにしても、どちらかでの投票ができてもいいように思うのですが。

 本日の選挙は国政選挙なので、この3ヶ月という制限はないそうです。実際、私の所には、移動先の選挙管理委員会から投票の連絡ハガキが届きました。そして、すぐに不在者投票を済ませて来ました。
 いかにもお金のかかったことがわかる二重封筒3種類に、投票用紙を封入しました。あれも、パルプ業界と印刷業界の活性化をはかる一環なのでしょう。神聖重要な選挙権の行使と言いますが、普通の感覚で見れば、私には政治家によるお金のばらまきイベントとしか思えませんが。お金のばらまきによる多数支配は、マイクロソフト帝国と読売巨人軍と自由民主党の専売特許のはずです。

 選挙制度は、徐々にでいいので、少しずつでも改善していきたいものの一つだと思っています。
 
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
 
 
 

2010年6月 9日 (水)

心身雑記(56)3本のメガネを使いわける

 目が疲れてどうしようもない日々が続いていました。眼科では、特に病気ではないとのことです。
 結局、メガネが合っていないからだろう、ということで、メガネを作り直すことにしました。

 ちょうど立川駅の近くに、メガネの三城があったので、気楽に飛び込んでみました。
 奈良の平群にいた頃、何度か王寺の三城でメガネを作ってもらっていたので、親しみがあったのです。
 また、話をしている内に、奈良で作った2本のメガネのデータが、すぐにコンピュータから取り出せました。6年前と8年前のデータでした。今回の検討において、貴重な参考資料となりました。

 お店の方の話を聞いているうちに、今のメガネをの代わりに新たなものを作るよりも、今の状態を補うものとして3本目を考える、という提案を受けました。
 なるほど、考えてもみませんでした。目に合わないのであれば新しく作り替える、ということしか考えていませんでした。
 いろいろと話をしているうちに納得しました。店員さんは、たくさんの知識と情報をお持ちの方でした。

 これまでは、車の運転などで使う外用と、部屋の中での中近両用という、2つのメガネを使っていました。もっとも、車を手放してからは、外で使う遠用をかけることは皆無となっていました。いつも中近用1本だけで一日を過ごしていたので、非常に便利でした。しかし、目には多大な負担をかけていたことでしょう。

 中近用が、35センチから5メートルの距離をカバーしていたようです。このメガネで、長時間モニタを見つめるデスクワークもしていました。私は、30インチのモニタを3台使っています。三面鏡のように、正面と左右に並べています。当然、手元の資料を見ながら、顔を上下左右に振って、目の前のモニタを見やっていることになります。モニタは、私の顔から80センチほど前に、壁で囲うように立っています。

 確かに、この1本の中近用の、しかも狭い範囲しか焦点の合わないメガネで目まぐるしく視線を移動するのは、目を酷使するだけです。
 そこで、デスクワーク専用のものを作り、昼間の仕事まわりでの目の疲労を軽減しよう、という作戦をとることになりました。
 いろいろなチェックを経て、35センチから1メートルの範囲がよく見えるメガネを新たに作ることにしました。

 これで、都合3本のメガネを使い分けることになります。それも、できるだけ3つを均等に使ったほうがいいだろう、ということなので、使い分けを考え直しました。
 これまでの中近用メガネ1本の生活を、大幅に変えるのです。
 
 
 
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(1)通勤や外歩きは、これまでほとんど使わなかった遠用を(上)。
(2)室内では、これまでずっと使っていた中近用を(中)。
(3)パソコンを前にしてのデスクワークでは、今回新たに作った近用ワイドと言われるものを(下)。

 これで、目への負担は大幅に軽減できるはずです。もっとも、3本を取り替える面倒くささを、何とか克服しなければなりません。しかし、このところの目の疲労を考えると、何とか出来そうです。

 レンズの度には変化がないそうなので、生活環境に合わせたメガネで対処することにします。
 しばらくは不自由な思いをすることでしょう。しかし、目が奥に落ち込むような疲れをなくすために、メガネとの付き合い方を変えます。
 よい結果に結びつくことを期待したいと思います。

 私のわがままな要望に対して根気強く対応してくださり、適切なアドバイスと専門的な知識で理解させてくださった三城の常深さん、ありがとうございました。
 懇切丁寧な説明は、深い知識が背景にあってのことでした。楽しくて、いい出会いでした。大阪生まれの大阪育ち、というのがよかったですね。私の高校時代の通学圏だった天王寺の話は、もっとしたいものです。
 たくさんの方々のためにも、今後とも益々のご活躍を。
 
 
 

2010年6月 8日 (火)

京洛逍遙(146)京都駅南のイオンモール

 上京の途次、最近京都駅の南側に完成したばかりのイオンモールに立ち寄りました。
 
 
 
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 これまでの京都駅は、駅ナカの伊勢丹とその北側を中心としたお店が拡がっていました。
 南口は東側にアバンテができてから若者が集まりつつありました。

 また、駅のショッピングセンターも、北側にある駅前地下街のポルタは、たくさんの人が行き交います。しかし、最近は南西側の近鉄の名店街が「みやこみち」としてリニューアルし、少しずつ人が増えていました。

 そんな折、この南西の一角に大きなショッピングセンター「イオンモール」ができたのです。

 入口のすぐそばに、東寺の五重塔を新聞紙を丸めたもので作り上げた物が展示してありました。
 イオンモールでは、開店した現地にまつわる名所を、こうして新聞紙で作っているようです。京都では東寺に近いということで、これが作られたようです。
 女の子が、その精工さに感心して見上げていました。
 
 
 
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 長いエスカレーターから京都駅越しに北側を遠望しました。
 
 
 
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 駅の西北にあってこれまではさびれかかっていたビックカメラが、このイオンモールの展開によって、少しは客が脚を向ける可能性が出てきました。京都タワーの北にあった近鉄百貨店跡地に出来る予定のヨドバシカメラの進出によって、ビックカメラは息の根が止まるのかと思っていました。しかし、これは倒産を免れたと言えるでしょう。

 開放感のあるエスカレーターで4階にあがって驚きました。なんと、回転寿司屋が開店するというのです。何となく予感がしていました。まだオーブンの予告だけです。しかし、これは期待が持てます。
 
 
 
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 京都の回転寿司は、南の「とれとれ屋」など3店は交通の便が悪く、車がないと行けません。
 京都駅には、南北のショッピングセンターの東側に1店ずつあります。まず、北東側には「廻鮮えきびる市場」があります。これは名前を変えたところで、私は好きではありません。店員が慇懃無礼です。

 南側には、私がよく行く「寿司のむさし」の京都駅八条口アスティーロード店があります。
 もっとも、「むさし」はここよりも河原町三条の本店が一番おいしいのです。さらに、その2階で食べるのが一番落ちつきます。握るおじさんもいいのです。
 「むさし」の2番目にお薦めなのは紫明通店です。ここの店長と若い職人さんは、穏やかで無口ですが感じのいい方です。握る姿がいいのです。

 この京都駅の「むさし」は、チェーン店4店の中では3番目です。職人さんがダラダラしています。見ていて嫌になります。忙しいときには真面目です。しかし、ひとたび客が少なくなると、とたんに投げやりな態度を露骨に見せます。食べていて、嫌になります。もっと真面目に仕事をしろよ、と言いたくなるほどです。
 「むさし」で4番目、一番よくないのは、烏丸北山にある上堀川店です。ここは、中にいる職人さんの態度が投げやりで、アルバイトの店員のしつけもよくありません。お店としては最低のランクですが、我が家に一番近いということで、仕方なく行く店です。

 その他の京都の回転寿司には、くら寿司があります。これは、京都市内では、京都外大前店、金閣寺店、西大路七条店、二条店があります。しかし、私はこのチェーン店があまり好きではありません。あまりにも機械化が徹底されていて、楽しさと清潔さは感じられますが、食べていて楽しくないからです。握る姿も見えません。

 そんな中で、このイオンモールに回転寿司屋が入るとは。これは楽しみが増えました。大いに期待しましょう。

 3階にパソコンのソフマップが入っていました。これは、南西のアバンテにも入っていたので、こっちに引っ越ししたのでしょう。商品の並べ方などは、アバンテ時代の方がよかったように思います。徐々に学習して、よりよい商品展示に改善していってください。
 
 
 

2010年6月 7日 (月)

京洛逍遥(145)出町の桝形アーケード街

 同志社大学から賀茂川に向かって今出川通をブラブラと歩くと、加茂大橋の手前の河原町今出川交差点周辺に出町商店街があります。
 詳しく書くと、寺町通、今出川通、河原町通、桝形通に囲まれた一角です。出町は、京の七口の一つである「大原口」にあたります。

 この出町商店街というと、「出町ふたば」という和菓子屋さんが有名です。マスコミなどでよく取り上げられることもあり、いつも行列ができています。ただし、私はまだ一度も食べたことがありません。甘いものは血糖値を上げるから、ということもありますが。

 私は、この商店街の中では、鯖街道の終着点でもある桝形アーケード街が好きです。下鴨神社からは目と鼻の先です。食料品店や日用雑貨店が、所狭しと商品を並べています。この雑然とした賑やかさと親しみやすさが気に入っています。

 入口に、こんな石板が埋め込まれています。
 
 
 
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 この桝形アーケード街の中では、お総菜の「てんぐ」がお薦めです。
 
 
 
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 狭いお店ですが、50種類以上のお総菜を量りで売っています。季節ごとの旬の食材で、しつこくない味がいいのです。
 
 
 
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 「てっぱい」というものを、ここで初めて知りました。
 
 
 
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 「鉄砲和え」が訛って「てっぱい」になったと言われていますが、いろいろとあるようです。一見、「ぬた」のようですが、微妙に違います。「井傳」の井山和彦さんによる分葱を使った解説が一番詳しいようです。

 しかし、これも「てんぐ」の「てっぱい」とは少し違うようです。また今度、おかみさんに聞いておきます。

 さて、たくさんあるお総菜の中でも、私は椎茸の旨煮が大好きです。ご飯にあいます。
 
 
 
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 椎茸というと、『せやし だし巻 京そだち』(小林明子、2010.4.28)に「永楽屋の一と口椎茸」の話があります。
 
 
 
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 ここでは、椎茸の煮汁をいかにして旨く食べるかということが、6頁にわたって書いてあります。この永楽屋の椎茸は、まだ食べたことがないのです。しかし、「てんぐ」の椎茸は私にとって今は大のお気に入りです。それも、ここで買ったおかずとご飯を、賀茂川のベンチで食べるのがいいのです。

 高野川の河合橋と、賀茂川の出町橋が寄り添う合流地点は、三角の広場となっています。目の前には加茂大橋が見え、亀の飛び石があるので、子どもたちは大騒ぎです。
 
 
 

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 それを見ながら、「てんぐ」のお総菜で食事をするのです。食べている傍には、スズメがたくさん寄ってきます。
 
 
 
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 贅沢で楽しい一時です。
 この合流地点は、いつも人がいっぱいです。その時は、賀茂川の河畔を少し上がれば、たくさんベンチや木陰があります。
 この河原は、お薦めのお食事処です。
 
 
 

2010年6月 6日 (日)

京洛逍遥(144)吉田山大茶会

 「京都吉田山大茶会」が京都大学の裏にある吉田神社境内でありました。
 
 
 
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 全国から31もの出店があり、境内には200種類ものお茶が並んでいました。
 
 
 
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 中国や台湾のお茶は、馴染みがあるせいか飲みやすいように思います。もっとも、日頃は飲めない貴重なお茶を、本格的な淹れ方で試飲させていただけるのですから、楽しいひとときとなりました。
 
 
 
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 一番気に入ったのは、南アフリカのお茶です。不摂生していてる身には、これは効果がありそうです。早速、一袋買いました。
 
 
 
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 お茶を淹れてすぐに飲める、急須と茶碗が一緒になったものもありました。これは便利においしく飲めます。これもさっそく買いました。一人で楽しむには格好の茶器です。
 
 
 
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 境内は、お茶だけではなく、所望すれば一笛奏してくださる方がいらっしゃいました。
 
 
 
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 海外から来た方で忍者の研究をしているという人が、お菓子の神社の前で、忍者の携帯食を試食させてくださったりしています。
 
 
 
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 韓国の茶道の体験もできましたが、時間の都合で見送りました。またの機会にしましょう。
 境内では、いたるところでお茶に関するレクチャーが実演を伴ってなされていました。
 今日ばかりは、吉田神社の境内が楽しいイベント会場となっていました。
 自転車での帰り道、お腹がお茶でタプタプだったせいか、漕いでもなかなか進みませんでした。
 
 
 今日の夕方の賀茂川ウォーキングでは、昨日とはまた趣の違う夕焼けが見られました。
 時間は、いつもと同じ午後7時20分です。
 
 
 
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 これは、いつもの北山より西寄りの、大文字焼きの舟形があらわれる方角です。
 京の夕景も楽しみになりました。
 
 
 

2010年6月 5日 (土)

京洛逍遥(143)賀茂川のあかね雲

 昨日の夕刻のことです。
 いつものように賀茂川ウオーキングに出かけました。

 半木の道へ渡る飛び石で、北山がうっすらと赤みがかっていました。手前のアオサギも気持ちよさそうに、ポンポンと飛び石を渡る私を見つめてくれています。
 
 
 
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 賀茂川を南へと下り、ちょうど出雲路橋を通りかかった時でした。北山が朱に染まっていたのです。
 
 
 
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 たなびく雲に映発する茜色が、幻想的な空間を見せていました。自然が作り出す芸術作品を見る思いでした。
 飛び石を渡ってから10分ほどの間に、一気に薄暗くなった賀茂川の河畔を、こんなに神秘的な色で覆ってくれているのです。
 空中を舞う鳥も、気持ちよさそうに北山を目指して、私の目の前を飛んでいきました。

 この景色が忘れられず、今日は京都文化博物館で明日までとなった「冷泉家展」を見に行く途中で、同じ場所を確認しました。

まずは、飛び石から。
 
 
 
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 そして、出雲路橋から。
 
 
 
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 「冷泉家展」は、大変な人でした。今回で、もう何回見たことでしょうか。見飽きない展覧会です。展示で大活躍の藤本先生、そして京都文化博物館の横山さん、京都は東京以上に大成功です。
 俊成の折れ曲がった字は、いつ見ても読みにくいですね。この字のように、よほど性格も角張っていたのかと思えるような字です。鎌倉時代の写本や切れが、今もこの眼で見られ、日本の文化の奥深さが共感できるのですから、日本というのはすごい国だと思わざるをえません。文化を大切に守る伝統が、こうして生きているのです。使い捨てでない日本文化を、今後も伝えていきたいものです。

 さて、河原町三条でいつものように回転寿司「むさし」でお昼を食べてからの帰り道、いつもよく寄る出町の商店街で抹茶のわらび餅と日本茶を買い、我が家の横の賀茂街道沿いを流れる賀茂川の一角で、私が愛用するベンチで一息いれました。この場所と、こうして寛げる時間を大切にしています。気分一新のひとときです。
 
 
 
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 夕刻になったとき、いつもの賀茂川ウオーキングに出かけました。そして、昨日と同じ時間に出雲路橋から北山を臨みました。
 
 
 
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 今日は、雲がなかったせいか、いつもの北山でした。
 四季折々に姿を変える賀茂川と北山です。
 この景色を、『源氏物語』の光源氏は見たのでしょうか。私は妻と一緒に賀茂川河畔を歩いていますが、光源氏は紫の上と一緒に、この賀茂川を散策することがあったのでしょうか。この点だけに限って言えば、私の方が豊かな時間を持っているような気がします。光源氏に対して優越感に浸れるところです。高貴な源氏さまと、何ということもないおじさんとの違いを気軽に比べるのも無意味ですが。
 
 
 

2010年6月 4日 (金)

江戸漫歩(22)中野のブロードウェー

 JR中野駅のすぐ北にある、ブロードウェーというショッピングセンター街を散策しました。

 中野は、学生時代に妻が住んでいたので、このブロードウェーにはよく来ました。
 当時は1ドルステーキといって、360円で大きなステーキがここで食べられたのです。

 その時からそうだったのでしょうか、ここには垂涎物のマニアックな店が軒を並べていることを知りました。1階から4階まで、とにかく楽しいお店ばかりです。

 まず、1階のメイン通りを奥に入った狭い通路は、大阪日本橋の五階百貨を思い出させる、庶民的なお店が並んでいます。
 中でも、一軒のカバン屋さんが気に入りました。
 
 
 
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 安くて品揃えがいい、しかし、製品には何か物足りないものが、という物欲をそそるものが品々から漂ってきます。飾らないところがいいですね。

 2階以上には、怪しげな骨董屋、シャイな私にはとても入れないフィギア屋、コスプレ屋、照れくさくなる演歌屋、大阪名物お好み屋やラーメン屋、コイン屋、まんだらけ各店舗+買取処、ミリタリー屋、ミニカー屋、などなど、マニアックなお店がオンパレードです。
 ただし、4階はシャッターを閉じている店が目立ちました。

 西洋骨董というオモチャ屋の隣に、品揃えのいい古書店「うつつ」がありました。
 
 
 
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 並んでいる本が玄人好みです。一番奥の棚に、井上靖の本が72冊もありました。
 
 
 

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 これにはびっくりです。それに、値段が安いのです。5冊も買ってしまいました。

 中野のブロードウェーは、私にとっての東京新名所となってしまいました。
 
 
 

2010年6月 3日 (木)

銀座探訪(24)粋なミキモト真珠の店先

 銀座四丁目にある真珠のミキモト本店前は、四季折々に楽しい演出がなされています。

 今年の正月に、「銀座探訪(20)京都御所・仙洞御所・修学院離宮の写真展」を書きました。

 その記事の最後に、ショーウィンドーケースに展開する『万葉集』の大伴家持の歌のことを紹介しました。

 6月に入った今は、入口に紫陽花が配されています。
 
 
 
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 ここを通りかかるたびに、脚を停めてしまいます。
 ゆとりの空間がある街は、散策していても気分が休まります。

 急に小腹が空いたこともあり、路地裏の立ち食い蕎麦屋に入りました。
 カウンターの目の前に、こんな表示がありました。
 
 
 
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 英語表記の最後にある「 tha 」に眼が止まりました。
 「 the 」と書いたつもりなのでしょうが、日本式の発音の「ザ」につられてのミスタイプのようです。よくある間違いですが、こんなものも、ふと見かけると楽しくなります。
 この下の中国語は、大丈夫なのでしょうか。

 かつて、これに類する張り紙のことを書いたので、クラッシュした書類の中から復元しておきます。

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【復元】日本語のおもしろさ

(※本記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)

********************** 以下、復元掲載 **********************
2005年8月3日公開分

副題「誰が店から出て行くのでしょうか?」

 近所の牛丼屋さんで、こんな掲示を見かけました。
 
 
 
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未成年のお客様へ
当店では、未成年の
お客様への喫煙を固く
お断りしています。
場合によっては、身分証の提示
を求め、退店させていただきます。
               店長

さて、ここで問題です。
「退店」するのは誰でしょうか。

(1) 未成年のお客様
(2) 牛丼屋さんの店長
(3) 読んでいる私


********************** 以上、復元掲載 **********************

 
 
 

2010年6月 2日 (水)

井上靖卒読(109)『崖』

 井上靖の作品の中で、もっとも長いのは『わだつみ』です。『井上靖全集』で596頁(2段組み)の分量です。ただし、これは未完の作品なので、扱いが異なります。
 完結した作品として一番の長編は『崖』です。『井上靖全集』で534頁あります。64万字弱の分量なので、400字詰原稿用紙で1600枚という大作です。
 3番目に長いのは『流沙』です。『井上靖全集』で515頁なので、『崖』より少し短いというところでしょうか。

 さて、その長編小説『崖』は、有楽町のレストランから物語が始まります。
 やがて病院に舞台が移ると、急にテンポが速くなります。いつものゆったりとした井上靖と違い、爽快感があります。

 主人公である山代大五の生い立ちは、井上靖の自伝に近いものがあります。

 冒頭で、崖から転落して記憶を喪失した山代の3年間をめぐり、大学病院の医師の推理が展開していきます。
 過去を背負って生きる人間が、その過去の一部を失ったときどうするか。人ごとではない思いで読み進めました。
 「人間は毎日毎日を、過去の力に依って前へ押し出されて生きているようなものである。」(文春文庫、142頁)という箇所に、以前読んだときの赤線が引いてありました。これが、この作品の基底に横たわっています。
 終始、人間の心の中を、底を、丁寧に描いています。
 人間にとって、過去の記憶がいかに重大なものであるかを、淡々と、しかも丁寧に語ります。

  担当医師の佐治は、失われた山代の3年間の歳月が、どれほどの距離感があるのかに興味を持ちます。スッポリと抜け落ちているのか、3年前が、記憶のすぐ近くにあるのか、ということです。佐治は、最後まで山代を研究対象として見るだけでなく、人間として温かくサポートしていきます。

 「自分という人間の影」(259頁)という表現は、井上靖の作品によく出てくるテーマです。もう一人の自分のことです。
 また、観月の話が語られます。伊豆の海での月見の宴の話は、非常に印象深く描かれています。これも、井上靖らしいドラマ性を高めている場面設定です。

 全編を通して、忘れていたことを改めて知る、ということの怖さが、ヒシヒシと我が事のように感じられました。
 記憶を取り戻した山代が、伊豆を訪れるくだりは、井上靖の体験が生きています。

 後半からは、絵画の贋作とそれに関わる3人の女性のことが、話の展開を複雑にして牽引していきます。

 3年ぶりに気力を取り戻した山代は、銀座で食事をして再スタートを切ります。
 物語の起点が銀座なのが、井上靖の作品らしいと思いました。

 失われた記憶を取り戻すために、山代は元画廊の従業員であった香村つかさと、二人三脚の穴埋め活動を繰り広げます。記憶を回復するまでに浮かび上がる3人の女性の役割が、実にうまく設定されています。そして、山代を支えるつかさが果たす役割は、最後に実りあるものとなります。

 この作品は、人間を大きく包み込んでいくものです。ゆったりと、一人一人の人間を見つめて、物語を紡いでいます。

 後半で、この作品が新聞に発表された昭和36年当時の銀座が活写されています。今でも残る場所を散策したくなります。

 物語は突然の事故を契機に、急速に記憶のなかった3年間が一気に炙り出されます。その勢いに、主人公たちはブレーキをかけようとします。しだいしだいに、読者は身を乗り出して話を聞きたくなる状況に置かれます。そのドラマ展開がうまいと思いました。

 すべての記憶を取り戻した山代は、まず銀座へ行きます。しかし、それまでの見知った人と逢うことが怖くなり、大急ぎで通り過ぎることになります。よく人の心が読めていることに感心するくだりです。

 この『崖』は、人間の運命を考えさせる、壮大なドラマです。人間のすばらしさを語り、そして明るく話を閉じています。
 後半になるほど、話の展開にのめり込み、そして読後感のさわやかな作品となっています。【5】
 
 
 
初出紙︰東京新聞
連載期間︰1961年1月30日~1962年7月8日
連載回数︰517回

文春文庫︰崖
井上靖小説全集 21︰崖
井上靖全集 14︰長篇7
 
 
 
〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/

2010年6月 1日 (火)

無償交換品も不良品だった

 断線という不具合があって無償交換してもらったモニタのケーブルが、何とまたまた断線するという欠陥品でした。

 私は、よく欠陥品を手にします。というより、渡される品物が、とにかくどうしたことか欠陥品や不良品であることが多いのです。次から次へと、いつものことなので、またか、と動じなくなりました。あくまでも、世の中には、というよりも私の周辺という限定された範囲では、欠陥品と不良品が蠢いています。

 この広い世の中で、私の手元に届く欠陥品や不良品の数々は、偶然なのか、私が触ると壊れるのか、これは不可解な謎です。
 昔から私との付き合いのある仲間の中では、私の身体からは物を破壊する念力か電磁波が出ているのでは、と言われています。それほど、不可解な故障に出会います。その確率たるや、尋常ではありません。それに引き替え、人との出会いには幸いなことに恵まれている方だと思います。

 そんなこんなで、何か物を購入すると、近々交換か修理してもらうことになるはずなので、その時に必要となる保証書や領収書類は、キッチリと大切に保管しています。
 数十年前の領収書でも、クリアーファイルからいつでも出てきます。
 さすがに、20歳の時に住み込み先の火事で身の回りのすべてを失っていますので、40年前までしか遡れませんが。
 これが、物を捨てられない私という最大の要因となっています。

 さて、一月半ほど前に、「モニタ用ケーブルが断線」という記事を書きました。
 
 この時に無償交換となったケーブルを使っていて一月もしない内に、今度もまたまたパソコンの画像がモニタに映らなくなりました。おいおいまたかよ、と、早速手慣れたもので、アップルストアに持って行きました。

 担当者は、おかしいですね、と言いながら、持参したケーブルをジーニアスバーのパソコンとモニタに繋がれました。しかし、どうしたわけかジーニアスバーのモニタが壊れていたようで、悪戦苦闘された挙げ句に、結局は奥に持って行ってチェックすることになりました。
 
 
 

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 右上に映っているのが、アップルストア銀座のジーニアスバーにあった壊れていたモニタです。
 対面でトラブルに対処することが売り物のアップルで、しかも精鋭揃いという謳い文句のジーニアスバーのモニタが壊れていては、シャレにもなりません。この前にも感じたのですが、この銀座のスタッフのレベルは相当低いのにガッカリします。アップルの認定試験の基準はクリアしている方々なのでしょうが、実際のトラブルにはスキル不足の方が多いようです。

 それはさておき、すぐに、このアダプタも壊れていることが確認されました。あたりまえです。その結論しかないはずです。これで、公的にアップルに認定された、ということです。おめでたいことです。

 ただし、修理確認書の修理番号がないと、再修理の扱いにはならないとのことでした。これが、前回の無償修理交換品かどうか、確認できないからだそうです。それもごもっとも。わたしにとっては、どうでもいいことですが。

 この前の書類を確認してほしいというと、アップルではたくさんありすぎて不可能なのだそうです。確認書という書類の山の中から私が探しましょうか、と言うと、この銀座にはもうない、とのことでした。私が前回持ち込んだ記録が、この店では確認できないのです。
 私の方が、持ち込んだ物が修理対象となり、それを無償交換したという証明をしなくてはならないとのことでした。具体的には、私がサインをした、修理番号が記された書類が必要なのです。それを、私が提示しないと、今回の不具合も有償となるのだそうです。
 スティーブ・ジョブズさん、現場はこんな状態ですよ。
 iPadに浮かれているのもいいですが、アタフーケア部門は、こんなお寒い状況ですよ。

 そんなものかと聞きながら、アホか、と思いつつ聞き流しました。
 とにかく、私としてはこの前の状況などを説明して、次回来店したときに無償交換となった「Genius Bar サービス見積書」か「Genius Bar 修理確認書」を見せることで、パーツの発注だけは進めてもらいました。ジーニアスバー銀座のアホに、いつまでもつきあってもいられないからです。

 あれから一週間。ようやく、画像が映るはずの無償交換のケーブルを手にしました。
 一度セッティングしたら動かすことのない部品なので、今度私が注意することは何かと尋ねると、ジーニアスバーの方は、何もありません、とのことでした。モニタに画像が映らなかったら、また交換に行くしかありません。ただし、今回もらった部品の保証は90日だそうです。
 渡された「 Genius Bar サービス見積書およびサービス確認書」の「注意」蘭には、次のように書かれています。

すべての修理は、アップルの90日間サービス限定保証またはもともと付いている製品1年限定保証のうちいずれか保証期間の長い方が適用されます。

 よくあることで、このケーブルが付いていた Macミニというパソコンは、先月で1年保証が切れています。ということは、この交換品は90日しか保証してもらえません。
 また断線するのであれば、90日以内に切れてもらいましょう。えてして、91日目に切れかねません。定価が3,400円なので、痛手は少ない部品ではあります。それよりも、心理的なダメージが大きいですね。

 また、この部品には、次のように書かれていました。

Designed by Apple in California
Assembled in China Model No:A1305

 デザインがカリフォルニアはいいとして、組み立てたのが中国では、もうお手上げです。
 アップルが粗悪品を量産する中国を統制しているとは思えません。中国は、中華思想のもとに、独自の理念で安価な欠陥商品を全世界にばらまいています。
 もし、今回の問題での課題があるとしたら、中国が関与している、ということでしょうか。

 かくして、まだまだ欠陥商品との出会いの旅は続きます。
 
 
 

NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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