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2010年7月17日 (土)

心身雑記(59)ガンの告知を受けた時の気持ち

 ある日、「ガンです」と突然に言われたら、どんな気持ちになるのだろう、と思ったことがあります。

 わたしの場合は、すでに何度もこのブログで書いて来たように、18歳の時に自分の内臓が自爆したことにより、それからというものは、死というタイマーが体内にセットされてしまった日々を送っています。そのこともあってか、ガンが自分とは無縁なものとなり、ガンというものに対する現実感は欠落していました。

 5日前に人間ドックでいろいろな検診を受けました。その病院から、今朝、電話がありました。

 受付の方が、A先生に代わります、と言われ、糖尿病のことで栄養指導をしてくださったA先生が、電話口に出られました。
 先日の検査終了後の問診で、ヘモグロビンA1cの数値は昨年よりも少し下がったところだったので、これからもこれまで通りシッカリと食事療法に取り組むように、という励ましの電話かと思いました。

 A先生は、人間ドックで胃カメラによって採取した出血部位の細胞組織の検査の結果、悪性の腫瘍であることがわかった、と単刀直入におっしゃったのです。その胃カメラでの写真は、「心身雑記(58)楽だった口からの胃カメラ」に掲載しています。

 非常に事務的な伝達に聞こえたので、素直に「そうでしたか」と答えました。
 今にして思えば、先生も言いにくいことを思い切って電話口でおっしゃったのです。

 今からちょうど40年前、十二指腸潰瘍穿孔性腹膜炎のため、胃が破裂して意識を失いました。新聞配達を終えて、食後すぐの出来事でした。新聞販売店からすぐ近くの病院に運ばれ、命を守るためにすぐに胃の3分の2と、十二指腸などの内蔵を切除されました。昭和45年当時は、まだ胃カメラなどない時代でした。吉村昭の小説『光る壁画』によると、胃カメラがさまざまな実験を繰り返している時代です。
 この、私の胃が破裂したのは、高校を卒業してすぐの、18歳の時でした。このことは、何度か書きました。
 最近では「心身(2)体重激減の対処策」(2007年6月29日)です。
 また、「心身(39)半日の人間ドック」でも。
 話の流れで、ついこのことに触れてしまうのです。それだけ、私の今と関わりの深い出来事なのです。

 以来、医者のアドバイスにより、我が身を守るため、何事においても意識的に無責任に生きることと、内蔵の耐用年数の45年という時間を、とにかく強く意識してこれまで生きて来ました。

 私に設定されたタイマーは、作動するまでに後4年半ほどあるはずです。
 45歳の時、人生を変えるために伊井春樹先生から学位を戴こうと思って、大阪大学大学院の博士後期課程に入学しました。この関門は、何とかクリアーしました。
 次は、手術から45年後となる、あと4年半後の63歳です。

 そうした経緯があるので、それまでは私に死というものは無縁なはずです。
 今、ビルの10階から飛び降りても、死ぬはずがない、と確信しています。

 受話器から聞こえるA先生の話が、どこか他人事のように思いながら、聞いていました。
 悪性の腫瘍が見つかったとしても、それは命取りにはならず、あと4年半は何とか生き延びて克服するはずです。

 とは言うものの、今は適切な対処が必要です。ここを、何事もなかったかのように通過するためにも。

 A先生は、昨日から何度も電話をしてくださっていたようです。すぐに来院できますか、と言われました。
 アーッ、先生は急いでおられるのだな、ということはわかりました。しかし、これから大阪で仕事があります。
 とにかく、連休明けの火曜日に病院へ行くことにして、電話を切りました。

 依然、他人事という感触のまま、すぐ妻にメールを送りました。


「胃ガンだそうです。」

今週月曜日に行った、人間ドックの病院から電話がありました。
胃カメラで採取した細胞から、悪性のがん細胞が見つかりました。
至急来院を、とのことでしたが、今は出張中であることを伝え、来週火曜日の朝一番に行くことにしました。
通院して検査の後、入院して手術になるようです。8月に入ってからでしょうか。
久しぶりの入院となりそうです。
今のうちに、いろんなものを見ておくことにします。
これから、祇園祭に行き、すぐに堺市へ調査に行き、また祇園祭に行こうと思います。
堺を出るときに、メールをします。


 堺での調査のことは、昨日書いた通りです。

 調査を終えた帰りに、仕事帰りの妻と、四条で待ち合わせをしました。
 私の顔を見るなり、妻は突然壁に頭を凭せ掛けて嗚咽しだしたため、宥めるのに少し手を焼きました。

 祇園祭の長刀鉾をユックリと見て、錦市場で胃をアルコール洗浄しながら、鱧寿司を食べて帰りました。
 
 
 

コメント

今回の出来事、若輩者の私にはおかけする言葉もありません。ただ、このブログをいつも楽しく拝見している者の一人として、コメントを残さずにはいられませんでした。どうぞご自愛ください。

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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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