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2010年8月の33件の記事

2010年8月31日 (火)

西国三十三所(2)六波羅密寺

 手術は無事に終了しました。
6時間の闘いは、成功裡に終わりました。
予定よりも少し早かったので、すべてが順調に進んだことが、目覚めてすぐにわかりました。

まだ、身体には何本ものチューブが刺さっています。しかし、身体を動かすように言われているので、手足の運動をしています。

このブログも、手と指の運動になりそうです。

まだ当日なので、すでに行った六波羅密寺の巡拝記をアップします。

 以下の記事は、あらかじめセットして自動更新となるようにしたものです。
 決して、病院での手術を抜け出して西国札所巡りをしているものではありませんので、一言添えておきます。
 
 
 
 「西国三十三所(1)5周目は石山寺から」(2010年7月19日)を受けて、これから西国札所の観音巡拝道中記を書いていきます。


 2つ目に訪れたのは、京都・東山の清水寺の下にある六波羅密寺です。
 
 
 
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 「波羅蜜」という言葉は、彼岸である悟りの世界に到達することを意味します。「般若心経」のことを正しくは「仏説摩訶般若波羅蜜多心経」と言います。寺の名前からして、ありがたいお寺です。

 西国札所巡りも5巡目ともなると、勝手知ったるお寺巡りです。
 八坂神社の南、清水寺の麓にあり、六道珍皇寺のそばにあるせいか、何やら不思議な空間にあります。
 一度足を運び、周囲を歩くと実感することができます。

 ただし、今回はこれまでとは異なり、自分のための観音巡礼です。何となく照れ臭い思いを胸に、ユルユルとスタートです。

 六波羅密寺は、バス停「清水道」を少し下った、東大路通と大和大路通の間にあります。六原小学校の南隣です。京阪電車の五条駅からも近いところにあります。

 六波羅密寺のホームページによると、この寺の歴史が簡潔に記されています。

 六波羅蜜寺は、天暦5年(951)醍醐天皇第二皇子光勝空也上人により開創された西国第17番の札所である。
 当時京都に流行した悪疫退散のため、上人自ら十一面観音像を刻み、御仏を車に安置して市中を曵き回り、青竹を八葉の蓮片の如く割り茶を立て、中へ小梅干と結昆布を入れ仏前に献じた茶を病者に授け、歓喜踊躍しつつ念仏を唱えてついに病魔を鎮められたという。(現在も皇服茶として伝わり、正月三日間授与している)
(中略)
 上人没後、高弟の中信上人によりその規模増大し、荘厳華麗な天台別院として栄えた。平安後期、平忠盛が当寺内の塔頭に軍勢を止めてより、清盛・重盛に至り、広大な境域内には権勢を誇る平家一門の邸館が栄え、その数5200余りに及んだ。寿永2年(1183)平家没落の時兵火を受け、諸堂は類焼し、独り本堂のみ焼失を免れた。


 このお寺の十一面観音立像は平安時代の作で、国宝に指定されています。しかし、重要文化財に指定されている、口から阿弥陀仏を吐き出す空也上人立像の方が有名でしょう。

 お軸に書いてもらった御詠歌は、

重くとも 五つの罪は よもあらじ 
六波羅堂へ 参る身なれば

というものでした。
 
 
 
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心身雑記(73)6時間にわたる自分との闘いへ

ウツラウツラの夜が明けました。
雲が一つ二つ浮かぶだけの快晴です。
いよいよ6時間の闘いの日です。

昨夜は、お医者さんから睡眠導入剤を用意している、と伝えられていました。しかし、最初からそれを使う気がなかったので、あるがままに寝たり起きたりをしていたのです。
多分に空腹のため、幾分は何となく気掛かりなことが多くて、寝付かれなかったのでしょう。

術後は経過観察のため、数日は個室に入ります。
その荷物の移動もあって、早朝から妻や姉が手助けに来てくれています。

子供たちもみんな来るようです。我が家の一大事、の感を、いやましに強くしています。

それでは、また目覚めた後に……
 
 なお、これはないはずですが、何事も万一ということもあるので、もしものときには自らの献体も臓器移植も望むところであることを、一応ここに記しておきます。
 
 
 

2010年8月30日 (月)

心身雑記(72)手術前日の慌しさの中で

臍からカメラを入れるとのことで、看護婦さんが臍の掃除に来られました。
普段は何の役にもたっていない、としか思えない臍です。こんなときに利用できるのですね。
オリーブオイルを垂らすと、しばらくしてから、綿棒のような道具で掻き回しておられました。
それでもキレイにならないのか、またオイルを垂らし、ガーゼを置いて10分ほどふやかしてから、また掃除をしてくださいました。
シッカリとキレイにしておかないと、手術のときに先生がお困りになりますから、と。

麻酔科から呼び出しがあり、明日の手術での全身麻酔に関する説明を受けました。
手術台の上で点滴を受けているうちに眠くなり、目覚めたときにはすべてが終わっているそうです。意識を失っている間は、人工呼吸になるとのことでした。

この間の記憶はどうなるのか?
夢をみるのか? 

などなど、我がことながら興味深いところです。

術前最後の固形物となるお昼ご飯は、ここ数年食べていなかったスキヤキです。久しぶりに、牛肉の香りを堪能しました。
40年前の胃切除手術で三分の一の大きさになっても、それでも元気に長年にわたり頑張って働いてくれた消化器さんたちとは、明日でお別れです。
私と胃ともども、感謝と慰労の意味からも、スキヤキは最高のもてなしです。ありがたく完食しました。

今回は、消化器官を移植するのではありません。切り取った後は、ないものはないとして、自助努力で栄養を摂っていきます。術後の食生活が、ますます大事になります。この新しい療養生活に、そうとう日時がかかることでしょう。

その後、呼吸器の検査がありました。手術中の呼吸を管理するための確認です。肺活量や呼吸の強弱を調べられました。
私の肺活量は、同年代、同体形の人と比べると、120パーセントの力があるようです。スクーバダイビングで鍛えてますから、とも言いにくくて、ありがとうございますと無難に答えておきました。

そうこうするうちに、この胃に流し込む最後の夕食です。
米粒が一つもない完璧な重湯。
具がまったくない鰹だし風味の透明なおすまし。
実のないブドウゼリーとヤクルトミルミル。

今日は合間合間にパソコン(Mac Book Air)に向かい、2本の原稿に手を入れました。ほぼ完成ですが、後は明日以降、無事に意識を取り戻してから続けることにします。
明日、麻酔から目覚めなかったら原稿がこのままになるのか、と思うと、どうしても恥ずかしくない形にまではしておきたかったのです。
これで、どうにかなっていることにします。

それでは、これから絶食に入ります。
 
 
 
 

2010年8月29日 (日)

外泊で外食の締めは回転寿司

 幸運にも外出を許された最後の日です。
 あとしばらくは、外食というよりも固形の食物は口に出来ない日が続きます。
 それがいつまでか、まったくわかりません。
 となると、最後に食べておくのは、やはり回転寿司しかありません。
 自宅近くの店となると、紫明通りにある「むさし」です。
 ここは、三条の「むさし」と同じように、私が好きな回転寿司屋の1つです。
 実は、過日すでにお別れ(?)の挨拶代わりに来ていました。
 おまけとしてもらった今日も、ここに来ました。
 
 
 
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 そろそろ秋なので、私の好物の鱧もお終いです。
 
 
 
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 最近新たに注文しだしたのは、サーモンの上にマヨネーズとタマネギを乗せたもので、そのうちのマヨネーズを使わないお寿司です。
 
 
 
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 サッパリとした食感が気に入っています。

 さて、この次にこの店に来るのは、一体いつになるのでしょうか。
 その日が、今から楽しみです。
 
 それでは、そろそろ聖護院にある別宅へと、帰還の途につくことにしましょう。
 
 
 

2010年8月28日 (土)

心身雑記(71)入院2日目にしてお茶のお稽古へ

 快晴の爽やかな朝。
 送り火の舟形がクッキリと見えます。
 縦133メートル、左右206メートルの大きさです。
 
 
 
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 昨夜は、病室が4人部屋ということもあり、さまざまな音や看護婦さんを呼ぶ声で、あまり寝付かれませんでした。と言いながらも熟睡です。
 私以外の3人は、みなさん切腹後のようです。なんと声をかけて話したらいいのか、それぞれに事情があるはずです。同病ながらも見知らぬ人との集団生活であることを実感しています。

 ベッドの横には、テレビのモニタ、DVD、冷蔵庫などが組み込まれた台があります。
 入院生活を楽しくしてくれるグッズたちです。
 
 
 
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 お腹がペッタンコです。昨日の病院食が消化のいいものだったせいか、ペコペコです。
 朝食が運ばれてくるのが待ち遠しいなど、久しぶりに受け身の生活です。

 遅ればせながら、昨日の最初の食事だった蒸し寿司の写真を掲載します。
 
 
 
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 そして、その後、地下のお店でみつけた蕎麦寿司と湯葉も。
 
 
 
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 京料理屋のおかずがたくさんありました。京都の病院らしい品揃えです。

 先生のご理解のもと、意外にも外泊の許可をもらいました。手術前に気分転換です。
 お昼をいただいた後、荷物を病院内のコインロッカーに預けると、突然の俗世です。
 暑い戸外に立つと、数分前までのパジャマ姿からの一変で、何やらコッソリと抜け出したような気分になりました。
 さらには、バスに乗り込むと、「脱出成功」という気分になるから不思議なものです。

 突然ではありますが、京都駅を経て近鉄で奈良に向かいます。平群でのお茶のお稽古に行くことにしたのです。
 今朝目覚めたときには思ってもみなかった半日を、気ままに過ごすことになります。

 平群は、枕詞の「たたみこも」がかかる地名で、記紀歌謡に、

命のまたけむ人はたたみこも平群の山の熊白檮が葉を髻華にさせその子(倭建命、『古事記』)

 と歌われたように、生駒と矢田の山間の地です。街中よりも少し秋らしさが感じられます。
 
 
 

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 今日のお稽古も、盆略手前です。基本をシッカリとやります。
 少しわかってきたこともあってか、逆に順番がゴチャゴチャになってしまいました。
 最後の茶筅通しが、茶碗をきれいにするのではなくて、茶筅が汚れていないかを確認することにあるのを再認識しました。動作の意味がわかると、迷いがなくなります。
 当たり前なのですが、それがなかなか…。
 お稽古と言われるものはみな、迷いながら、困りながら、それでいて諦めず続けるところが「道」たる由縁なのでしょう。と、早々に悟りの境地で遊んでいます。

 最後に先生直々のお手前を頂戴しました。じ〜っと魅入っていました。ありがたいことです。

 今日は、秋海棠、風船蔓、糸薄が床に活けてありました。里の秋、という風情でしょうか。
 
 
 
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 これも、先生のお宅の庭に咲いていたものです。帰りがけに、この3種類の花を見せていただきました。

 なお、秋海棠の花言葉に「片思い」というのがあります。これは、ハート形の葉の片方が大きくなるところから「片思い」だとか。風船蔓の種子はハートマークをしています。この2つの花に、葉の縁に鋭い鋸歯がある薄を配するのも、なかなかおもしろい趣向だと思いました。
 
 
 

2010年8月27日 (金)

心身雑記(70)入院初日の第一報

入院の準備に手間取り、大急ぎでバスに乗り京大へ向かいました。

まずは、院内の郵便局で、両親が旧満州で没収された郵便貯金の返還手続きをしに行きました。
まだ提出する書類があるとのことで、この次に揃えて出すことになりました。これは、時間と手間がかかりそうです。
請求手続きをしているということで、両親の若き日々に想いを致しているだけで、ここはよしとしてもらいましょう。

入院窓口でいろいろな手続きを終えて、やっと用意されていたガン病棟の自分のベッドへ。
出来たばかりの建物ということもあり、きれいな部屋です。ゆったりとしています。

窓からは、賀茂川越しに、過日の送り火で賑わった舟形がクッキリと見えます。

看護師のNさん、担当医のY先生、お2人のT先生、薬剤師のIさん、主治医のT先生と、次々に説明と問診と挨拶に来られました。あとお1人の先生がこのチームにいらっしゃいます。たくさんの先生方でチームが編成されていることがわかります。
これから儀式が始まるな~、ということを実感しました。

インターネットのLANコンセントが枕元にあったので、パソコンにつなげてみました。しかし、反応しません。まだ使えない状態のようです。残念です。

最初の病院食となるお昼ご飯は、なんとお寿司でした。蒸し寿司です。これは、私にとっては、最高のもてなしです。
これから消化器官を摘出する私には、幸先のいいスタートとなる食事です。

午後は、看護師のNさんが私のこれまでの健康状態について、詳細な聞き取りをしてのパソコン入力がなされました。その後、「入院診療計画書」にもとづいて、懇切丁寧な説明がありました。
私の手術は、「腹腔鏡下胃全摘術」というもので、腹部に小さい穴をあけて、そこに内視鏡を通して遠隔操作で胃のすべてを摘出する手法だそうです。

Nさんの説明は非常にわかりやすくて、とにかく安心しました。入院期間中の家族などの望ましい役割などは、こうして最初に聴いたので、かえって気が楽になりました。

執刀医のO先生は、今日は2つの手術があるとのことだったので、説明は夕食後に妻と一緒に聴きました。
図を使っての丁寧な対応に感謝しています。お疲れのはずなのに、穏やかに時間をかけて説明をしてくださいました。
これで、安心してお任せすることができます。

午後6時の夕食で、10時の消灯です。日常とはあまりにも異なる生活です。これに慣れて、健康的な生活習慣を身に付けることにしましょう。


APEC のホームページの英訳完成

 来月の9月22日と23日に、奈良県新公会堂で「2010 APEC JAPAN 第6回 観光大臣会合 in 奈良」が開催されます。

 そのホームページが完成しています。


 これには、日本語版と英語版の2種類があります。
 その内、英語版はすべて娘が翻訳したものだそうです。昨日そのすべてが完成したというので、私もコッソリとのぞいてみました。


 お疲れさま、と言ってやりましょう。

 中でも、「マメ知識」「Did You Know ?」はおもしろい記事でした。
 英語がよくわからない私が読んでも、興味を掻き立てられます。

 「お寺と神社の参拝マナー」

 「やまとことばとその意味」

 「奈良の古代の食卓」

 特に「やまとことばとその意味」の、『万葉集』や『古事記』の和歌の英訳には、奈良で生まれ育った娘らしいこだわりが、随所に鏤められていることでしょう。

 また、「奈良の古代の食卓」のレシピの中の「ナス(茄子)」については、英語の「Aubergine」と米語の「eggplant」で意見が分かれたのだそうです。イギリスで英語を学んだ娘は、ついには米語派にジャンケンで勝って「Aubergine」にしたとか。何事も、裏話はおもしろいものです。

 この「観光大臣会合」まで、あと1ヶ月を切りました。
 大成功となり、奈良の地が世界各国から注目されるようになることを、かつて大和平群に住まっていた者の一人として願っています。
 
 
 

2010年8月26日 (木)

ハンガリー語訳『源氏物語』の訳者から届いた回顧談

 ハンガリー語訳『源氏物語』については、次の2つのブログで紹介しました。
 
 
 
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「ハンガリー語訳『源氏物語』の新情報が届く」(2010年7月 3日)


「迷走する「ゆうパック」で届いたハンガリー語訳源氏」(2010年8月 2日)


 その翻訳者であるホルバート・ラースロー氏に、翻訳に当たっての回顧談をお願いしたところ、早速メールで送ってくださいました。ありがたいことです。

 この文章は、3年前から進めている『源氏物語【翻訳】事典』(笠間書院、来春刊行予定)に収録する予定のものです。ただし、海外での『源氏物語』の翻訳が思いの外たくさんあり、また、今もハイペースで翻訳が各国でなされているので、そのとりまとめに逐われています。
 すでに早くから原稿を寄せてくださった方々には、本当に申し訳なく思っています。刊行まで、もうしばらくお待ちください。

 ラースロー氏がせっかく迅速に文章を送ってくださったので、その日本語訳をここに紹介します。
 サイデンステッカー氏の英訳からのハンガリー語訳です。いろいろと苦労があったことが察せられます。
 貴重な体験談として、ここに紹介するしだいです。
 まず、いただいた文章の【日本語訳( by 伊藤かをり)】を、そしてその後に【原文】を掲載します。
 
 
 
【日本語訳( by 伊藤かをり)】

源氏物語の翻訳に際して (ホルバート・ラースロー)

 エドワード・サイデンステッカー版『源氏物語』を翻訳するにあたっては、彼がこの道35年の専門家であったこともあり、特に大きく苦労することはありませんでした。アイヴァン・モリスの傑作「The World of the Shining Prince」を読んで以来、私自身が日本文化の歴史、特に平安時代に広く深く興味を抱いていたことも、翻訳を進める上で必然的に役立ちました。過去25年の間、私は Cultural Excyclopedia of Japan という本の中で忍者についてのシリーズを書き、これらの編集にも携わって来ました。また、松尾芭蕉の俳句を幅広く選び、共訳も行いました。

 『源氏物語』を翻訳している間、私は、ウェイリー、タイラー、ベンル、シフェール、デリューシナ、フィアラによる本を常に机に置き、参考によく目を通していました。また、渋谷栄一によるローマ字表記の日本語文を含むウェブサイトを常に開いていました。
 最も記憶に残っているのは(脚注にも記載しましたが)、六条院を造営した際に源氏はこの地をどういった経緯で手に入れたのか、という問題に直面した時に、私は他の翻訳をあえて無視し、タイラーの翻訳のみに重点を置くという方法を選択しました。皆が「源氏が土地を購入した」と主張する中、タイラー氏だけが異論を唱え、六条御息所が自分の娘である秋好を源氏に託した際に、御息所が源氏に土地を譲渡したのだと主張しました。源氏がわざわざ縁起の悪いこの土地を、自身のために購入する必要があるだろうか。実際、以降、源氏は運に見放されるようになる。これらをふまえ、後者のタイラー説の方が正しいと確信いたしました。

 先ほど私は、翻訳自体は特に苦労を要するものではなかったと述べましたが、翻訳にあたっては相当な配慮と敬意が必要でした。特にタイラーによる源氏の素晴らしく滑らかな語り口は、彼自身は英語には限界があると述べていましたが、称賛に値すると考えます。この点に関しては、文法的に動詞活用や格変化、膠着の多いハンガリー語は十分な母音量、強勢数のある韻律体系を持ち、オノマトペや語り口調を表現するのに有利であると考えます。つまり、ハンガリー語は必要に応じて繊細な音楽性、色彩を生み出すことができるのです。源氏の翻訳には、これらの要素を少しでも多く盛り込めるよう配慮いたしました。

 これは、和歌の翻訳においても同様です。サイデンステッカーは、源氏物語の和歌はあまり良い出来ではないと述べていたかと思いますが、私はこの意見には反対です。素晴らしいものは本当に美しく、あどけなく、感動させるものです。私はこれらを、数えきれないくらい暗唱してきました。和歌を翻訳するにあたってもっとも重視したのは、数百年前に作られたハンガリー民謡のリズムや抑揚、メロディーを基にこれらの和歌を、散文調にならないようにハンガリー語や民謡調に描くということです。
 この中で私が最も気に入っているのは、以下の3つです。

saki te toku chiru wa ukere do yuku haru wa
hana no miyako wo tachikaeri miyo
 
(Hamar lehull a virág. Elszáll a tavasz,
s visszajössz te, tudom, virágok városába.)
 
 
imawa tote yado kare nu tomo nare ki tsuru
maki no hashira wa ware wo wasuru na
 
(Én most örökre itthagyom e házat.
Ne felejts el, kérlek, ciprusoszlop barát!)
 
 
Tachibana no kojima no iro ha kaharaji wo
kono ukifune zo yukuhe shirarenu

(Maradnak a színek Narancs-szigetkén itt,
de hová leszek én majd, csónak a vízen?)
 
 
 先ほど「相当な敬意が必要」と述べましたが、源氏物語の翻訳を完成させて以来、草や花、あらゆる樹木、鳥や水にいたる全ての物を、紫式部の視点で見るようになりました。彼女は私の生きる世界を変え、それゆえ、この偉大な彼女に対する敬意は尽きることがありません。
 かつてハンガリーのある有名な詩人が、文学作品に潜む奥深さは誰よりもその翻訳者が一番よく知っている、と言いました。私は今も『源氏物語』の奥深さを実感し探り続けていますが、決して底に到達することはないでしょう。

 
 
 
【原文】

On translating The Tale of Genji

Translating Edward Seidensticker’s version of The Tale of Genji posed no great problem in itself for one who has been a practitioner for 35 years now. It naturally helped that I’ve been immersed in Japanese cultural history in general, and Heian jidai in particular, ever since I laid my hands on Ivan Morris’ magnificent opus The World of the Shining Prince. During the past 25 years I’ve written a book on the Ninja in history, a short Cultural Encyclopedia of Japan for a prestigious series, and have put together, edited with annotations and co-translated an extensive selection of Basho’ haiku for another.
While translating The Genji I kept on my desk and often referred to the versions done by Waley, Tyler, Benl, Sieffert, Sokolova-Delyusina and Fiala, and had the site containing Eiichi Shibuya’s romanized Japanese text on the net open all the time. On one memorable occassion (I’ve even made a footnote of it) I felt I had to discard all other solutions and stick to Tyler’s interpretation, and this was the question of how Genji had come into possession of the property where he had his Rokujo mansion built. Everybody thought he bought the land. Tyler said no, the Rokujo miyasudokoro must have deeded it to Genji when she entrusted him with keeping an eye on her daughter Akikonomu. And it surely was so -- why should Genji purposely buy land in, for him, so inauspicious a neighbourhood? The place brought him no luck in the long run, anyway.
I said the job posed no great problem in itself -- but it required enormous care and due reverence. It was Tyler again, I think, who remarked on „the lovely smooth flow” of The Genji’s style, to which, he said, English couldn’t be always up to. In this, Hungarian might just be luckier, with its plethora of conjugations and declensions and agglutinations, its capacity for both quantitative and accentual prosody, for onomatopoeia and euphony. In short, it can be subtly musical and colourful when the need arises. I tried to tap those sources to the full for The Genji.
And that brings me to the poems. I think it was Seidensticker who said in an interview that the waka in The Genji were not really very good. I disagree. The best of them are beautiful, and the childlike, touching. I read them out to myself countless times. What I tried to do was to employ the rhythm and cadence and melody of centuries-old Hungarian folk-songs to refashion those poems to the needs of the Hungarian text and the characters themselves, and to distance them sharply from the prose at the same time. These are three of my favourites:

saki te toku chiru wa ukere do yuku haru wa
hana no miyako wo tachikaeri miyo

(Hamar lehull a virág. Elszáll a tavasz,
s visszajössz te, tudom, virágok városába.)

imawa tote yado kare nu tomo nare ki tsuru
maki no hashira wa ware wo wasuru na

(Én most örökre itthagyom e házat.
Ne felejts el, kérlek, ciprusoszlop barát!)

Tachibana no kojima no iro ha kaharaji wo
kono ukifune zo yukuhe shirarenu

(Maradnak a színek Narancs-szigetkén itt,
de hová leszek én majd, csónak a vízen?)

I mentioned due reverence. Ever since I’ve finished work on The Genji I see things, grasses and flowers, shrubs and trees and birds and water, everything through Murasaki’s eyes. She has changed the world for me, and for that, I cannot be grateful enough to the Grande Dame. As a famous Hungarian poet said once, nobody knows the hidden depths of a literary work better than its translator. I still keep probing and plumbing the depths of The Genji, and I feel I’ll never get to the bottom.

2010年8月25日 (水)

『源氏物語』を海外の方々へ —『十帖源氏 帚木』の資料公開—

 先月中旬に、「『十帖源氏 桐壺』の翻刻本文と現代語訳の公開」(2010年7月15日)と題する記事を書きました。
 これは、海外で『源氏物語』を読んでもらうための基礎的な資料となるように、まずは第1巻「桐壺」を公開したものです。

 公開の趣旨などは、上記の記事の巻頭部をご覧ください。

 これは、個人的に進めている《『源氏物語』の多言語翻訳プロジェクト》の一環として、若手研究者と気長に取り組んでいるものです。
 いずれは、どこかの補助金や研究支援費を獲得して、ペースアップを図りたいと思っています。しかし、このように地味で成果の見えにくい研究には、なかなか研究資金を提供してもらえません。はったりで取り組みたくないので、コツコツと進めていきます。
 文学研究は、理科系のように単年度で目に見える成果が出ないことが多いのです。それも、長編の『源氏物語』となると、なおさらです。ご理解とご協力、そしてご支援をいただけると助かります。


 ここに、『十帖源氏 巻一』の第2巻「帚木」の翻刻本文と現代語訳を公開します。
 ただし、「帚木」は長い巻なので、ここでは第1丁(表裏)だけを紹介し、文書の全体は、添付ファイルでダウンロードして読んでもらえるようにしました。

 翻刻と現代語訳をするにあたっての約束事である「凡例」は、前回から増補したために、現時点での最新版として以下に掲載します。

 日本のみなさまも、江戸時代に読まれたこの簡潔に縮約された『源氏物語』を、おついでの折にでもご覧ください。『十帖源氏』では、和歌は一首も割愛されていません。お話が大幅にカットされているものです。

 今回の「帚木」も、前回同様に畠山大二郎君(國學院大學大学院博士後期課程)が丁寧に翻字し現代語訳をしたものです。

 共同研究を進めるに当たり、私もコメントを付けながら取り組んでいますので、何かございましたら、私の方にご教示などをお寄せいただければ幸いです。

 ただし、前回の公開時にもお断りしましたように、以下の点にご理解をいただきたいと思います。

 ここに提示する情報は、あくまでも、『十帖源氏』を外国語に翻訳する方々のことを配慮しての現代語訳です。現代語を自由にあやつる日本人の方々のための現代語訳ではないことを、あらかじめお断りしておきます。

 なお、『十帖源氏』の影印画像は、早稲田大学の古典籍総合データベースで公開されています。
 ぜひ、原本を確認しながら、この翻刻と現代語訳をご利用ください。


 
 
 
 
 
 【 凡 例 (補訂版)】
 
 
『十帖源氏』の凡例(メモ) [平成22年8月25日現在]
 

◆体裁について
・横書きにする。

◆翻刻について
・訳に合わせて句読点、濁点を打つ。
・会話文には鉤括弧をつける。心内表現に鉤括弧をつけるかは、各担当者にまかせる。
(例)「〜」と、おほせらる。  ※「と」の後に読点を打つ。
・和歌は句の切れ目にスペースを入れる。
・踊り字「/\」の濁点は、「/゛\」と表記する。

◆訳について
・海外の人が理解できるよう、平易な文で訳すことを旨とする。
・公立高校入試を控える中学三年生くらいのレベルで現代語訳を作っていく。
・「です」「ます」体に統一する。
・主語を明確にする。
・できるだけ理解しやすいように言い換える。
・文はできるだけ切る。
・敬語にはこだわらず、忠実でなくともよい。
・敬語は帝につける程度でよい。
・「何とか」といった抽象的な語はさける。
・「方」は、「女性」「男性」「人」などの語に置き換える。
・「もの心細げ」の「もの」は、心細い「感じがする」といったように訳出する。
・訳文は一文が長くならないようにする。一文は五〇字くらいまでの長さが好ましい。
・「そば」という言葉を用いるときは、平仮名表記。

◆注について
・注はつけない。
・まず現代語訳を作り、訳者から注の依頼を受ける、という形にする。
・現在保留。公開時にどうするか検討。

◆絵について
・絵は場面の説明をつける。
 説明は、5W1H(Who(誰が) What(何を) When(いつ) Where(どこで) Why(どうして)How(どのように))を書く。
・絵のキーワードを現代語訳の中から5つ選び、訳に《 》をつける。
・絵のキーワードは、ネット公開時に色をつけるか。

◆括弧の使い方
・( )(丸括弧)…①人物呼称の補足  (例)若君(光源氏)のことを…
          ②その他、補足や補文等 (例)(桐壺)
・「 」(鉤括弧)…①会話文・心内語  (例)「…だろうか」と、言いました。
          ②引用など
※巻名には「」をつけない。
・『 』(二重鉤括弧)…①作品名  (例)『源氏物語』は、…
            ②会話文中の会話 (例)「ある人のいふやう『…』」とて、…
・〔 〕(亀甲括弧)…①傍記  (例)おもしろきにあそひ〔傍・あ/管絃〕をそし給ふ
           ②割注  (例)あつしく成ゆき〔割・をもき/病也〕 */は改行、
                   訳も〔 〕内に入れる。
・〈 〉(山括弧)…①人物呼称  (例)「桐壺の更衣」は、…
          ②和歌の詠者 (例)翻刻→〈御〉たつねゆく…
                    訳→ 〈帝〉
                   *訳の場合、詠者はたつねゆく… 1行扱いにする。
         ③挿絵     (例)〈絵100〉 光源氏が…
・《 》(二重山括弧)…①絵のキーワード (例)《紫式部》は、《石山寺》に籠もって…
                       *訳にのみ使用。

※原則として、とじ括弧の前には句読点をつけない。 (例)〔つけない。〕→〔つけない〕


◆登場人物表記一覧(五〇音順)
・葵の上
・伊予の介
・右大臣
・空蝉
・紀伊の守
・桐壺帝
・桐壺の更衣
・弘徽殿の女御
・小君
・左大臣
・左馬の頭
・四の君
・藤式部の丞
・頭の中将
・中将の君
・光源氏
・紫の上
・夕顔
・指喰いの女
 
 
 
/////////////////
 
 
 
 【 翻刻・現代語訳 (1丁分)】
 
 
 [全文のダウンロードはここをクリック(258KB)]
   


『十帖源氏』巻一「はゝき木」

  担当 畠山大二郎(國學院大學大学院博士後期課程)


〔10・オ〕
【翻刻本文】
  箒木 〔割・以歌巻の名とせり〕
     〔割・そのはらやふせ屋におふるはゝきゝの/ありとは見えてあはぬ君かな 平貞文〕
   〔割・源十六才。きりつほと此巻の間三年あり。其内に/藤つぼに密通ありたりと思ふべし〕
源は、藤つぼに御心ざしあれば、内にのみさぶらひよう
し給て、おほいどのには、たえ/゛\まかで給ふ。〔割・あふひの上の/事也〕
なが雨はれまなき比、うちの御物いみさしつゞきて、
いとゞながゐさぶらひ給ふ。〔割・あふひの/兄〕頭中将は、中にしたしく、
あそびをもたはぶれをも心やすくふるまひたり。
此中将も、右のおとゞの〔傍・お=四の君〕すみかは物うく、里にても我
かたのしつらひまばゆくして、源ともろ共にがく
もんをもあそびをも、おさ/\たちをくれず、心の

【現代語訳】
   帚木〔和歌の言葉から巻の名前を付けました〕
       〔そのはらや ふせ屋におふる はゝきゝの/ありとは見えて あはぬ君かな 平貞文〕
       〔〈光源氏〉十六歳のときの話です。桐壺の巻とこの巻の間には三年間の空白があります。
その間に〈光源氏〉と〈藤壺〉とが不倫をしたと想像しましょう〕
〈光源氏〉は、〈藤壺〉のことが好きなので、〈藤壺〉の住む宮殿でばかり過ごして
いて、妻がいる〈左大臣〉の家には、あまり行きません。〔割・妻とは〈葵の上〉のことです〕
長雨が続いて晴れることもないころ、宮殿の物忌みが引き続いて、
光源氏はいつもより長く宮殿にとどまっています。〈葵の上〉の兄である〈頭の中将〉は、特に親しく、
遊びも冗談も気楽にふるまっています。
この〈頭の中将〉も、〈右大臣〉の家(妻の〈四の君〉が住んでいます。〈四の君〉は〈右大臣〉の娘です)は、おっくうな感じがして、自宅にいても自分の
部屋はまぶしいほどきれいにしています。〈頭の中将〉は〈光源氏〉と一緒に勉強
でも遊びでも、ほとんど負けることなく、お互いに心の


〔10・ウ〕
【翻刻本文】
うちにおもふ事かくしあへず、むつれ聞え給ふ。つれ
/゛\と降くらしてしめやかなるよゐの雨に、おほとなぶら
近くて文共〔傍・共=文書也〕み給ふ。ちかきみづしなるいろ/\の紙なる文
ども引出て、中将ゆかしがれば、「さりぬべき〔傍・さ=源詞〕すこしは見
せん。かたわなるべきもこそ」と、ゆるし給ねば、「やんごとなく〔傍・や=頭詞〕
せちにかくし給ふべきなどは、かやうのおほぞうなるみ
づしなどにちらし給ふべくもあらず、これは二のまちの
心やすきなるべし」とて、かたはしづゝ見るに、心あて
に「それか、かれか」ととふ中に、いひあつるもあり、もて
はなれたるも、をかしとおぼせど、ことずくなにて、
とかくまぎらはし給ふ。

【現代語訳】
中に思う事も隠さずに話して、親しくしています。一日中雨が降って
退屈な日の静かな夜に、灯火を
近づけて《本》などを見ています。《頭の中将》が近くの《戸棚》からさまざまな色の紙の《手紙》
などを出して、見たがっているので、《光源氏》は「差しさわりのないものなら少しだけ見
せよう。みっともないものがあっては困るからね」と、見せるのをしぶっていると、〈頭の中将〉が「特別で
人に見られてはならないような手紙などは、こうした戸棚に放って置く
わけもないのです。この見せた手紙は二流品で
遠慮がないような女のものなのでしょう」と、いくつもの手紙を少しずつ見て、でたらめに
「その女の手紙か、あの女の手紙か」と尋ねる中には、言い当てているのもあります。また、見当
違いな推測もあって、〈光源氏〉はおもしろいなと思うけれど、言葉少なく、
いろいろとごまかします。
 
 
 

2010年8月24日 (火)

雷雲を躱した後の夜はお茶の特訓

 やり残していた仕事があったことを思い出し、電話連絡をしてから、自転車で三条にある京都文化博物館へ行きました。学芸員の方には、お世話になりっぱなしです。いつも丁寧に対応していただき、ありがたいことです。

 貴重なメモが記入された資料を自転車の荷台に括り付け、賀茂川沿いを帰ろうとしたとき、それまでの酷暑がウソのように、突然天空が薄暗くなりました。風がなにやら雨を誘いそうな湿っぽさで、肌を撫でて行きます。

 三条大橋から河原に降りようとしたころから、天上がゴロゴロと鳴り響き、東山から比叡山にかけては稲妻が幾筋も鋭く縦に走ります。
 これは大変と、全速力で自転車を漕ぎました。
 後の荷台の資料が左右に揺れ、ハンドルを取られそうになりました。しかし、それよりも追いかけて来る雷雲に、ここで負けるわけにはいかないのです。のんびりと賀茂の川面にいるサギやカモの翼を、一時だけでも借りたくなります。

 自宅から市内までは緩やかな下りなので自転車も快適です。しかし、街中から自宅に帰るのは、逆に緩やかな上りになるのです。右手後方の雨雲に負けじと、全速力で賀茂川を上ります。
 数滴の雨粒を感じました。しかし、どうにかにわか雨をかわすことができました。東山の方へ向けて、救急車や消防車が駆けつけるサイレンが、何度も耳をかすめました。

 無事に資料を濡らさずに自宅に辿り着きました。すると、ドッと汗が噴き出します。急に、呼吸も乱れだしていることが自覚できます。連日の暑さのせいもあり、体力の消耗が早くなっているようです。

 手術を控えて、体力作りに注意を払ってきました。しかし、どうやら維持に留まっていたようです。
 後は、睡眠をたっぷりととり、長時間の手術に耐えられるように身体の調整を心掛けましょう。

 夜、娘の指導の下、盆略手前の練習です。
 前には、妻や息子が正座をしています。
 横から何やかんやと言われながら、一通りやり終えました。
 後半の茶筅通しのところはこんな感じです。
 
 
 
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 流れはわかっていても、つい無意識に一つ先の動作に移ろうとします。
 これも、何度も修練を積み、慣れるしかないようです。

 病院のベットでは、お手前のイメージトレーニングをすることにしましょう。
 書棚に『裏千家茶道のおしえ』(千宗室、日本放送出版協会)という本がありました。学生時代に買った本です。しっかりと、入院用のバッグに入れました。
 
 
 

2010年8月23日 (月)

京洛逍遥(158)上善寺の小山郷六斎念仏

 最近ますます人気が高まっている京都検定に、こんな試験問題があります。


【京都検定 第3回2級】
 8月22日から23日にかけて、京の六地蔵巡りが行われるが、大善寺、壬生寺、源光寺、上善寺のうち六寺でない寺院は?

【京都検定 第4回2級】
 五山送り火が終わり、夏休みの最後を締めくくる子供たちを中心とした町内会の行事は何か?

【京都検定 第6回2級】
 8月22日から23日に行われる「京の六地蔵めぐり」の一寺院で、鞍馬口にあるのはどこか?


 ちょうど、この問題の答えとなる行事があったので、日曜日の夜8時に自転車で出かけました。
 行き先は、地下鉄烏丸線鞍馬口駅と出雲路橋の間にある上善寺です。
 
 
 
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 いつもの賀茂川のウォーキングで、少し暗くなったら、折り返し地点の出雲路橋から賀茂街道沿いの道を引き返すのではなくて、西へ直進した烏丸通りに出てから北上して帰ります。その烏丸通りに出るまでの一本道である鞍馬口通りを歩いていた時に、上善寺で「六地蔵めぐり」があることを知ったのです。

 六地蔵めぐりにあわせて奉納される「小山郷六斎念仏」は、昭和58年に国の重要無形民族文化財に指定されました。平安時代中期に仏教を広めるため、空也上人が鉦や太鼓をたたいて行ったとされる踊躍念仏が起こりだそうです。
 
 
 
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 同郷に棲む者として、これは見ておく必要があります。
 今回は、11曲が奉納されました。
 
 
 
100822jizou5「三社しのぶ売りの曲」
 
 
 
 このお祭りに関しては、『山車とまつり』というホームページに、詳細な報告があります。

 2006年8月22日に行われた「小山郷六斎念仏」の写真は、この様子がよくわかるものです。一見の価値のあるレポートとなっていますので、ぜひご覧ください。

 「六斎念仏」は、鉦や太鼓ではやして念仏を唱えながら踊る民俗芸能であることはわかります。そのことを踏まえて、最初に掲げた京都検定の試験問題を解くために、もう少し説明を加えておきます。

 以下、「六斎念仏」と「六地蔵めぐり」について、「京都通(京都観光・京都検定)百科事典」の解説を紹介して参考情報とします。

 この「京都通(京都観光・京都検定)百科事典」は、非常にマニアックな解説が特徴です。会員になると、制限なくたくさんの情報を見ることができるようになります。興味のある方は、会員になられたらいかがでしょうか。私は、今春から会員になりました。京都のことでわからないことがあると、すぐにこのサイトで確認をしています。



「六斎念仏」

 毎月の6ヶ日の斎日(8・14・15・23・29・晦日)に念仏を唱えたことが名前の由来
 経典によると、斎日には、悪鬼が現れて人を惑わす日として、正午からは食事を取らないで事を慎み持斎すべき「斎戒謹慎」の日とされる

 元来、六斎念仏は、この6斎日に行われていた
 現在では、お盆、精霊送り、六地蔵めぐり、地蔵盆などの行事に併せて行われることが多い

【六斎念仏の経緯】

 平安時代
 空也上人が、仏教を広めるために、鉦や太鼓をたたいて行ったとされる踊躍念仏が起こりといわれる

 六斎日には、市中の各所で、鉦や太鼓を打ちながら念仏を唱え踊られたといわれる

【芸能六斎】

 芸能六斎系では、太鼓、鉦、笛を使って、謡曲や長唄などから取材した曲や獅子舞、祗園囃子なども演じられる
民衆の娯楽として発展してきた

 <主な芸能六斎>
 梅津六斎念仏(梅宮大社 嵯峨天皇祭)
 小山郷六斎念仏(上善寺 六地蔵めぐり)
 桂六斎念仏(地蔵寺 六地蔵めぐり)
 吉祥院六斎念仏(吉祥院天満宮 夏期大祭)
 久世六斎念仏(蔵王堂光福寺 八朔祭法楽会)
 嵯峨野六斎念仏(阿弥陀寺 地蔵盆)
 嵯峨野六斎念仏(松尾大社 八朔祭)
 千本六斎念仏(引接寺 千本ゑんま堂 精霊送り)
 中堂寺六斎念仏(壬生寺 精霊送り)、(伏見稲荷大社 御旅所)
 壬生六斎念仏(壬生寺 精霊迎え)

「六地蔵めぐり」

日程:8月22日〜23日

場所:京都の6ヶ所の旧街道口の寺院

ご利益:家内安全、無病息災
 六地蔵めぐりは、京都の旧街道口に安置された六体の地蔵菩薩を巡拝し、家内安全、無病息災、罰障消滅、家運繁栄が祈願される伝統行事

 各寺で授与される6色のお幡(はた)を束ねて護符として家の入り口に吊すと、厄病退散、福徳招来するといわれている
 六地蔵とは、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六道に迷い苦しむ衆生を救済す菩薩

 亡くなって初盆には水塔婆供養し、3年間巡拝すれば六道の苦を免れるといわれる

【六地蔵】

 伏見六地蔵 奈良街道 大善寺
 鳥羽地蔵  大坂街道 浄禅寺 上鳥羽橋上六斎念仏鉦講
 桂地蔵   丹波街道 地蔵寺 桂六斎念仏
 常盤地蔵  周山街道 源光寺 乙子の地蔵
 鞍馬口地蔵 鞍馬街道 上善寺 姉子の地蔵 深泥池地蔵 小山郷六斎念仏
 山科地蔵  東海道  徳林庵

     

2010年8月22日 (日)

お茶のお稽古で日本古来の文化を感じる

 残暑というより酷暑の中、早朝よりお茶のお稽古に行きました。
 地下鉄と近鉄を乗り継いで、奈良と言っても大阪寄りを走る近鉄生駒線の元山上口駅へ。
 私がこれまでに、一番乗り降りした回数の多い駅です。20数年、この生駒山の中腹に居を構えていたのですから。単身赴任で東京へ行ってからも、数年前までは毎週末になると、この駅から自宅へと山登りをしました。

 駅前には、役行者ゆかりの千光寺への道しるべが、法隆寺側を背に建っています。
 
 
 
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 この前のお稽古の時は、たまたま車に乗せてもらえました。今日はエッちらオッちらと、急坂を登ります。

 単線の踏切を渡ると、すぐに竜田川上流が眼下に飛び込みます。これまでは何でもなかった景色が、たまに来ると景勝地のように見えて新鮮です。
 
 
 
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 かつては毎日登った坂です。しかし、京都や東京の平地の生活に慣れると、身体がついて来ません。
 坂道の上に住む人は、疲れにくい身体になっていると言われていることを実感しました。
 これも、修行と言うことで……。

 今日は、さっそく盆略手前の練習です。家でも娘に特訓をされていたのに、実際に見られながらやってみると、なかなか難しいものです。
 本日の3度目のお稽古では、実際にポットに入ったお湯を使ってやりました。手順は覚えていても、一つ一つの動作を考え考えなので、我ながらギコチなさがわかります。
 それでも、横で先生が囁いてくださるので、何とか一通り終えることができました。
 炎天下のもと、薄暗いお茶室で冷や汗ものです。

 おおよその流れは掴めたので、後は家で娘に復習の相手をしてもらいます。

 目の前では、天目茶碗を使ったお手前の稽古がなされていました。天目台に乗せてのお手前は、話には聞いていました。井上靖の小説に、天目茶碗に関する作品があったように思います。また、数年前に、今は逸翁美術館の館長である伊井春樹先生と中国の浙江省に行ったとき、浙江工商大学の王勇先生から、浙江省の窯で焼かれた天目茶碗の話を伺いました。こんな所で、何気なく読み、そして聞いた話と物とが、偶然ながら今になってようやく結び付きました。知識の断片がその場ではうまくつながらなかったので、我ながら慌てる始末でした。

 昨日は、四条センターの講座で茶会席と茶道のお話を聞きました。今日はあの話を思い出しながら、それも冷や汗をかきながら、自分がお茶を点てているのです。これも、日々の流れに身を任せていればこその楽しさです。

 お茶室の床のお花は、ムクゲ(木槿)とワレモコウ(吾亦紅)でした。
 先生が今朝、庭に咲いていたのを摘まれた花だそうです。
 
 
 
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 帰り道は、このお花と『源氏物語』のことを独りで考えながら、楽しく帰りました。

 「朝顔」が「むくげ」の古称であることから、『源氏物語』の第20巻の巻名「朝顔」を「槿」と書いている古写本があります。
 今手近なところにある伏見天皇本(影印)などが、巻名に「槿」の漢字を使用しています。
 現在一般的に読まれている『源氏物語』のテキストの底本は、古代学協会所蔵の「大島本」(重要文化財)です。その巻頭遊紙に貼られた紙には「槿 巻名ハ……」と記し、本文の巻頭部分には「槿斎院桃園式部卿御女……」という傍注があります。
 
 
 
100822oshima『大島本源氏物語DVD-ROM版』2007年、角川学芸出版より
 
 
 

 また、物語の本文中で、朝顔の姫君の歌「あらためてなにかは見えん人の上に かかりとききし心かはりを」のところで、「高松宮本」(国立歴史民俗博物館蔵、重要文化財)と「肖柏本」(天理図書館蔵)には、その歌の右横に小さく「槿」という漢字を書き添えています。これは、この歌が朝顔(槿)の姫君の歌であることを注記している箇所なのです。
 これらは、おそらく江戸時代に記入されたものと思われますが、このことはさらに詳しく調べると、おもしろいことがわかるかも知れません。

 また、「われもこう」は、これまた『源氏物語』の第42巻「匂宮(匂兵部卿)」に出てくる花です。この花の名は、そのまま物語の本文の中にひらがなで書かれています。ただし、この「匂宮」巻だけにしか現れない例のようです。これも、他の古写本に出てこないのか、また調べてみたいと思います。

 今日のお茶室には、こんなにイメージが拡がる楽しい秋の花が活けてあったのです。
 いずれにしても、「われもこう」は奈良時代から、「むくげ(槿)」は平安時代とつながる花なのです。今日の床に活けてあったことが、お茶の世界の雅な雰囲気を作り出していたことを、今になって気づきました。
 こんなにすばらしい空間や文化を、日本人は作り出せるのです。その中に身を置くことができるのです。こんな文化が伝わっている日本を、誇りに思えます。歴史と文化の重みなのでしょう。少なくとも、アメリカをはじめとする新興国などにはないものであることは確かです。

 茶道の奥深さの一端を、垣間見ることができた一日でした。
 
 
 

2010年8月21日 (土)

茶事懐石料理の歴史と作法を学ぶ

 佛教大学の夏季講座(四条センター)に行ってきました。
 テーマは、「日本料理の様式化(その二) —茶事会席(懐石)料理について—」です。

 前回の第1回目は「精進料理の思想を学ぶ」(2010年7月31日)に記したとおりです。

 その文中で、第2回目については入院手術という日程が想定されていたので、「今の手術待ちの状況では、とても行けそうにありません」と書きました。
 しかし、予定が延びたので幸運にも本日、めでたく聴講することができました。
 まさに、人生の拾い物です。


内容
茶事懐石料理は、一般的には省略して茶懐石、または懐石料理といいますが、これは料理だけが独立したものではなく、茶事が催される席に出される料理で、「喫飯」を目的としたもので「喫酒」は儀礼的に供されるものです。

 今回も、講師の榎木伊太郎さん(京料理えのき店主、食物史家)の経験に裏打ちされた語りで、充実した時間をいただきました。

 会席料理とか懐石料理が、茶事と深く関わるものであり、それぞれの意味を今回初めて知りました。

 まずは、日本料理の歴史から伺いました。

(1)大饗台盤(平安前期で終わる)
(2)銘々膳(ここから箸が付き、助数詞の膳が使われる)
(3)精進料理(これは前回の講義)
(4)式正料理(式三献があって、必ず飯と汁が付く本膳料理へ)
(5)茶事会席(懐石)料理(本日のお話)

 本日の内容を列記すると、以下の通りです。

・茶会と茶道史
 (中国の「禅院茶礼」や京都建仁寺の「四つ頭茶会」のこと)

・草庵茶の湯の創始者から大成者
 (村田珠光から武野紹鷗そして千利休へ)

・会席と会席料理
 (ここは配布資料にあるだけでお話は省略)

・千利休の食事観と懐石料理
 (会席料理は文化文政期の江戸の喫酒を主眼としたもの)
 (懐石料理は茶事の中の料理で喫飯を本位とするもの)

・茶事(茶会)の構成
 (お膳に乗った碗や器を前にしての解説)

 今日のお話で特に印象に残ったのは、茶道を始める前に茶事懐石の料理を食べた方が、動作の意味がわかっていいのでは、という提案でした。もっとも、茶道の家元さんにいい顔をされないので、大きな声では言えないが、と……。

 京料理屋のご主人だけに、具体的な話がおもしろくて、つい聞いてしまいました。

 帰ってから今日の話をしていると、お茶を習っている娘が『懐石の頂き方と作法』(全12冊、淡交社)を見せてくれました。料理の基本的な精神を伺った後なので、楽しくページを繰っていけます。
 
 
 
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 これで、日本料理を食べることが一層楽しくなりそうです。


 次回は9月18日(土)です。テーマは「京料理」。
 これに行けたらいいのですが……。
 おそらく、お腹を切った後なので、出歩くことは控える時期ではないかと思われます。それよりも何よりも、この時期は食事もままならぬ頃のはず。
 行っても食べたくなるだけなので、身に毒というものでしょう。
 
 
 

2010年8月20日 (金)

宙に浮いている郵便貯金1900万口座

 両親が旧満州で終戦時に没収された通帳のことが、突然の新聞報道で浮上しました。

 8月18日の「京都新聞(夕刊)」に、興味深い記事が掲載されていました。
 
 
 
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 私の両親は、戦時中は旧満州にいました。そして終戦。
 父はシベリヤへ抑留。
 母は命からがら引き揚げて来ました。
 父は、その3年後に帰国。
 そして我が家の放浪。

 このことに関連する記事は以下のものがあります。
 参考までに列記しておきます。

「わが父の記(2)川で流された時」2008年5月20日

「わが父の記(3)父の仕事(その1)」2010年4月 3日


「【復元】母子の絆の不可思議さ」2010年4月29日


 小さい頃から両親には、戦争に負けた時に旧満州で持っていた貯金をはじめとして身の回りのモノすべてを没収された、とよく聞かされていました。
 敗戦によりすべてを失い、無一文から生活を始め、姉と私を育ててくれました。
 姉は、家計のことを考えて高校を出てから銀行に就職。
 私は、国鉄の奨学金をもらってであれば大学へ行ってもいい、と言われました。これは、叔父が国鉄職員だったこともあります。しかし、無事に大学を卒業した後は国鉄に勤めるという条件がありました。その気のなかった私は、新聞配達をしながら大学へ行く方法を探し出し、上京しました。もっとも、その10日後には十二指腸が突然破れ、胃の三分の二を切除して大阪の自宅に帰ることになりました。半年以上の療養生活をしました。今回の病気の、そもそもの発端です。

 さて、折に触れて両親は、若いときに貯めたものを終戦で取り上げられなかったら、お前たちに思う存分に勉強させてやれたのに、と言っていました。
 姉は、結婚してから通信制の大学を修了しました。
 私は、妻の助けを得て大学を卒業し、大学院の修士時代は、世に言う「ヒモ」でした。そして、その後もこうして勉強させてもらっています。

 今回の新聞報道は、消えた年金ならぬ、宙に浮いた郵便貯金のスクープです。

 私の両親の場合は、朝鮮半島で開設した口座がそれに当たります。
 また、父は軍人だったので、軍事郵便貯金の70万口座の内にあるもの、となるようです。

 両親は、敗戦時に資産が没収されたことについて、国策に協力したことと、持っていてもロシアや旧満州の人たちに略奪されるだけの状況の中にあったことから、そのことについては完全に諦めていました。少しでも戻してもらおう、などという気持ちは完全に放擲していました。
 しかし、内心は悔しい思いを抱いていたことでしょう。それが、お前たちに苦労をさせて……、ということばに込められていたと思われます。

 記事には、「引き揚げてきた際、税関で貯金通帳を没収された例が多い」とあります。両親の場合は、外地で終戦となった時点で没収されたと聞いています。

 父は、川柳句集『ひとつぶのむぎ』という本を残しています。
 この本については、「わが父の記(1)感謝の念を伝える」で書きました。

 その本に掲載されている略歴を、以下に引きます。

大正 5・12 現出雲市古志町に生まれる
昭和 7・ 3 現出雲産業高校卒業
        (株)淀川製鋼所勤務
  13・ 1 現役兵として歩21入隊、直ちに渡満、
        ハイラル第119師団獣医部附士官として勤務中終戦、
        この間ノモンハン事件—太平洋戦争に参加、
        (この頃から馬蹄と号す)
  20・ 8 終戦と同時にシベリヤに抑留される
  23・ 6 復員、引揚
        自由業
  35・ 3 山一証券(株)勤務
  53・ 4 内藤証券(株)勤務
  55・ 7 西邦管理(株)勤務
  58・ 3 退職
           ▽川柳折鶴   同人
           ▽川柳からさで 同人
           ▽鬼の会    会人

 また、『ひとつぶのむぎ』の巻末には、次の記述もあります。

蹄鉄工務から始まり、任官後は師団通信隊、師団衛生隊、歩兵聯隊附、終戦時は師団獣医部附(288頁)

 さらには、平成2年に、当時の海部首相から銀杯をもらっています。
 
 
 
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 京都大学病院へ行った折に、こうした情報と資料を持って、院内の郵便局へこの件で相談を持ちかけました。
 対応してくださった局員の方は、非常に親切でした。いろいろな所へ電話をし、新聞記事をコピーし……、こちらが恐縮するほどでした。
 結局は、こうした新聞記事が出たことで、今後はその対応を急ぐことになるが、今は上から指示も出ていない状況なので引き続き調べさせてほしい、とのことでした。

 来週にでも入院のために来ることを伝えると、「貯金照会書 兼 回答書」という用紙1枚を手渡してくださいました。
 この次に病院へ行く時、この用紙を提出するつもりです。
 出来る限りお父さんの外地でのことがわかる資料を持ってきてほしい、とのことでした。

 果たして、この問題がどう決着するのかわかりません。

 両親が健在で新聞報道を見たら、母はのんびりと、もうどうでもいい昔のことだから、と言うことでしょうが、父は直ぐに手続きをするはずです。
 その父に代わって、時間ばかりかかって無駄とは思いつつも、ささやかな労いになればとの思いで、私が手続きを模索するつもりです。
 苦しかったであろう日々を思い出してあげることで、せめてもの感謝の気持ちにかえられるのでは、との思いから。
 
 
 

2010年8月19日 (木)

心身雑記(69)【至急・関係者への業務(?)連絡】

京大病院へ行った帰りに、私の入院について、病棟6階のナースセンターへ行って聞きました。
来週の手術者リストには入っていないそうです。
来週後半に入院して、再来週(30日以降)の手術では、とのことでした。
主治医からの指示はまだなくて、今日の会議で決まるのでは、とのことでした。
手術は9月の第1週になるのでは、との感触を得ました。

明日20日の入院ということはなくなりました。
切るなら早く切ってくれ、と時代劇の切られ役の心境に近づいています。

今朝の血糖値は95で最低記録です。昨日が108。
もっと食べないと体力がつなかいと思い、食事をパワーアップします。
自転車を漕いでいても足が重いので、足腰の運動も意識してやります。

猛暑の中、みなさまもお身体の管理にお気を付けください。
 
 
 

2010年8月18日 (水)

京洛逍遥(157)お茶の一保堂で憩う

 京都市役所の左を南北に走る寺町通りを少し上ると、寺町二条の角に梶井基次郎の『檸檬』で有名な果物屋「八百卯」がありました。今は閉店となり、シャッターに張り紙があるだけです。
 
 
 
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 檸檬を置いた本屋「丸善」も、すでに閉店しています。時の流れを感じさせます。

 その「八百卯」を北に向かって歩くと、左に藤原定家の屋敷跡、右にお茶屋の「一保堂」があります。
 このことは、2年前のブログで書きました。

「京洛逍遥(52)定家京極邸址前で喫茶」


 この一保堂に、汗を静めるために立ち寄りました。
 
 
 

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 ちょうど、中の喫茶室にヒンヤリした玉露があったので、冷茶を一服いただきました。
 
 
 

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 香りはもちろんのこと、ノドをコロコロと通るお茶の心地よさは、酷暑の中を歩いていたことを忘れさせてくれます。戸外とは別世界にしばし憩うという、至福の時に身を置くことができました。

 京都は、ことのほか喫茶店が多いことに驚きます。そして、こうして日本茶をいただくところも多いのです。
 心にゆとりがないと、仕事や打合せ以外で、お茶を飲みにいくこともないと思います。
 その意味では、至る所にお休みどころのある京洛は、そんなにセカセカせんと、まあ一休みを、という仕掛けの街なのかもしれません。

 この街をうまく取り入れた生活をすることで、再発し易いこの病と付き合っていきたいと思います。
 
 
 

2010年8月17日 (火)

25年越しの仲間とのデータベース談義

 比叡山の麓に国立京都国際会館があります。
 2008年11月1日には、天皇皇后両陛下をお迎えして、盛大に源氏物語千年紀の一大イベントが開催された会場です。
 
 
 
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 その施設の中にある、グランドプリンスホテル京都で、25年越しの仲間との暑気払いをしました。
 
 
 
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 今から25年も前のことになります。
 コンピュータの草創期に、文学研究と情報処理の分野では草分けと言われる壮大な仕事をした、知的好奇心に満ち溢れる4人の熱血漢(?)がいました。日本文学データベース研究会(略称NDK、会長は伊井春樹先生)を立ち上げ、さまざまな仕掛けを用意し、国文学の分野に斬新な提案をし続けました。
 その成果が実り、いまでは文学研究とパソコンの取り合わせは、ごく普通の情報文具として活用されています。
 しかし、われわれが目指したものは、こんなに陳腐で低レベルのものではなかったはずです。
 現状には大いなる不満を持ちつつ、年とともに日々の仕事に追われる世代となってしまっています。

 その仲間が、私のために暑気払いと壮行会をしてやろう、ということになりました。入院と手術を控えたこのタイミングに、いい気分転換になりました。
 非常に楽しい会食でした。

 気の置けない仲間というのは、久しぶりに逢ってもずっと一緒にいたように変わりません。
 文学研究にコンピュータを導入することでは、20数年にわたり苦楽をともにした仲間だけに、話し出したら止まりません。今でこそデータベースということばは、完全に死語と化しています。しかし、その目指すところは高遠な理想に満ちたものでした。
 この点については、ゆっくりと話す時間はありませんでした。しかし、共に現状に消化不良の気持ちを抱えていることは感じられました。

 まずは、病気の話から。この話のネタには事欠きません。
 そして、アップルの iPad や Macintosh のこと。
 みんなプロ意識に支えられた、アップルユーザーです。

 4人が顔を合わせた当時は、みんな高校の教員であり図書館員でした。それが、今ではみんな大学に職を得た研究者です。いい仕事をして来た、という自負に支えられながら、それなりに前の見えない道を切り開きながら歩んで来た4人です。

 食後は、帰り道ということもあり、我が家でティータイムです。
 自然が好きな仲間なので、草花や植物に反応してもらえました。
 
 
 
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 坪庭も見てもらいました。
 
 
 
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 妻も旧知の仲間なので、一緒に加わっての話はいろいろなことへ展開します。
 お互いの家族を知っているというのも、気安く話せる要因になっています。

 いい仲間と一緒に、そして支えられながらここまで来られたことを実感すると共に、感謝しています。
 みんな、時代を先取りした最先端を先導していただけに、その投資額も半端ではないのです。それが無駄ではなかったことが、こうして振り返りながら確認していると、わかってきます。妻は資金調達の苦労を語り、今では職場でコンピュータ関連の機器が購入できる時代になったことに、みんな複雑な反応をします。
 自費で投じた機材に命をかけた者としては、公費などで購入したり貸与される機器の活用が、いかに中途半端な利用に留まっていることか。
 投資額に見合う成果以上のものを求めて、骨の髄まで使い倒そうという気概がありました。昔は良かった、ではなくて、自分の懐を痛めないと、迫力のないものとなるのは致し方のないところです。

 その意味では、今の若者たちに情報文具の更なる有効活用を説くのは、すでに老残のお節介と言うものかもしれません。しかし、情報の中を漂うだけで精一杯の今だからこそ、かつてのブームを仕掛けたわれわれの出番ではないか、とも思われます。

 一昔前、いやコンピュータの分野では大昔に、角川書店から『CD-ROM 角川古典大観 源氏物語』(伊井春樹編、角川書店、1999年)を刊行するにあたり、統括責任者である伊井春樹先生のもとで、われわれは持てる力を余すところなく発揮して取り組みました。
 そして、もう一度あの仕事の続きを開始することの確認を、今日することが出来ました。これは、また新しい収穫であり、新たな目標の設定となりました。
 楽しい仕事にすべく、またみんなで取り組めることは、大いに元気が出る話です。

 プロジェクトの仮の名前は、《古典大観 平安文学》というところでしょうか。平安時代の物語と日記の本文をデータベース化するものです。これには、『源氏物語』も含みます。
 乞う ご期待、というところです。

 私も元気に社会復帰をして、仲間と一緒にいい仕事に仕上げたいと思います。
 そして、若者を巻き込んで、活字化された流布本に縛られない次世代の文学研究者が生まれる場面に、また立ち会いたいと思うようになりました。
 
 
 

2010年8月16日 (月)

京洛逍遥(156)大文字の送り火-2010

 今年の大文字は、如意ヶ嶽にほど近い、京都大学病院から見られるはずでした。
 しかし、私の入院が延びたために、めったにない機会を逃してしまいました。果たそうと思っても、なかなか叶わない位置取りでした。残念です。

 昨年は、陽明文庫の名和先生とご一緒に、思文閣美術館のビルの屋上から見ることが出来ました。幸運にも、京都五山の五つの送り火を、すべて一望の下に見ました。
 その詳細は、次の記事をご覧ください。

「京洛逍遥(99)大文字の送り火 2009」


 さて、今年も意義深い送り火となりました。

 毎年、京都の銀閣寺・金閣寺・化野念仏寺・西方寺の門前では、自分の名前と持病を記した護摩木を受け付けており、その護摩木を送り火の火床でたくと、その病が治癒するという信仰があります。

 早速お昼頃、自転車を飛ばして銀閣寺の門前へ行きました。
 
 
 
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 家族全員と先祖代々のために、6本の護摩木をいただき、名前と持病や願い事を書き、如意ヶ嶽の山上に運んでいただくようにお願いしました。志納料は1本300円でした。
 
 
 
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 帰り道、賀茂川にかかる出雲路橋あたりから振り返ると、まだ山上は準備中のようでした。
 
 
 
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 午後8時、自宅のそばの賀茂川畔から、京大の方向を望むと、ちょうど松明に点火されたところでした。
 
 
 
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 自宅前から北大路橋に移動すると、ちょうど燃えさかるところでした。
 この火の中に、我が家が送り届けた6本の護摩木があると思うと、いつもよりズッと送り火が身近に感じられます。
 
 
 
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 北大路橋から植物園の方を見やると、妙法の送り火のほんの一部分が見えました。
 
 
 
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 我が家の前からは大文字しか見られないので、来年は、家から北にある北山大橋あたりから見ようと思います。

 さて、これで私の病気平癒の祈願も無事に終えました。
 お願いしたのが京大病院のすぐ裏の如意ヶ嶽なので、これほど効き目のあるものはないはずです。
 後は、手術の成功と、順調な快癒を祈るだけです。
 
 
 

2010年8月15日 (日)

一年ぶりの運転で高安へお墓参り

 今年も養林庵の庵主さんがお経をあげに来てくださいました。
 優しい声で丁寧なお経なので、ありがたいことです。
 
 
 
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 いつものように、しばらく歓談です。
 息子が作ったお供えを、今年も庵主さんは褒めてくださいました。
 手先が器用な息子は、毎年なかなか凝ったお供えの料理を作ってくれます。
 
 
 
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 お供えしたお菓子には、明日の京都五山の送り火をデザインしたものがあります。
 今年も、お供えにはいろいろと工夫とアイデアを盛り込みました。
 
 
 
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 昨年のお盆は「いつものお盆です」に記した通りです。 

 今年も、無事にご先祖さんを迎えることができて安堵しています。平凡が一番です。

 今年は私のことがあるので、妻たちも実家の秋田には帰らず、ずっと京都にいます。
 レンタカーでのお墓参りは、京都に引っ越してから毎年のイベントです。家族5人みんなで、大阪の八尾市にある信貴霊園へ行きました。『伊勢物語』の「筒井筒」で知られる高安の里です。

 お昼ご飯は、これもいつもの通り、京都南インターの南にある回転寿司屋「とれとれ屋」です。
 ここは、私が好きなお店の一つです。
 
 
 


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 お墓からは、淡路島から四国が遠望できます。ただし、今日は霞んでいました。
 
 
 
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 手前に、私が通っていた南高安小学校と南高安中学校があります。


 我が家の墓石には、両親の名前などが刻まれています。
 このお墓は、私が結婚した翌年に、両親が出雲からこの高安の里に移したものです。
 
 
 
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 文徳忠衛居士 昭和五十八年五月十五日
        俗名 忠右衛門 六十八歳
 縫徳禎香大師 平成十六年十月五日
        俗名 禎香 八十四歳

 父は、文章を書くのが大好きで、川柳とクロスワードパズルを作るのが得意でした。
 母は、和裁が得意で、内職で家計を支えてくれました。
 共に、満州から引き揚げた後、苦労して姉と私を育て上げてくれました。 
 両親二人に敬意を表して、その生き様への労いを込めた戒名にしました。

 今日のレンタカーの車種は、昨年同様にホンダのインサイトでした。バックモニタと前後にソナーが付いた、なかなか運転しやすい車でした。走行距離は145キロで、ガソリンは7リットルだったので、燃費は20キロというところです。
 エコカーの燃費は上々でした。

 京都に住むようになってから、車を手放して自転車生活にしました。確かに、年に一二回しか運転しないので、レンタカーをうまく使うに越したことはありません。
 自動車などで社会を乱さない生活を、今後とも心がけて行きたいと思います。
 
 
 

2010年8月14日 (土)

スクーバ・ダイビングを楽しむ

 今日は最初に、基本的なスキルの復習を2つやりました。

 1つは、水中で酸素ボンベの空気が無くなったときのことを想定して、パートナーと予備のオクトパスのマウスピースを貸し借りする練習です。

 次に、マスクに水が入ったときや外れたときのために、マスク内の水をクリアする練習です。今日は、マスクを顔から離した後に水をクリアしたので、呼吸が少し苦しかったように思います。

 とにかく、いずれも無事にOKとなり、後はプールを自由に遊泳しました。
 
 
 
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 一昨日よりも身体の力が抜けていたせいか、楽に泳げました。
 プールの水深は1メートル半くらいなので、中性浮力を保ちながら遊泳し続けるのは難しいと思っていました。しかし、水底から40センチくらいの深度を保ちながら、うまく泳ぎ続けることができました。

 BCDという、水面や水中での浮力を調整するジャケットに付いているパワーインフレーターは、今日は一度も操作することなく、つまりジャケットに吸気も排気もすることなく、自分自身の呼吸だけで浮き沈みができました。
 ウエイトは2キロを装着していたので、今日のレンタルウエアにはこれがうまく合っていたのでしょう。

 来週からは入院・手術のため、しばらくはスポーツができません。ダイビングも今年は今日が最後です。
 予定していた白浜のダイビングスポット行きは叶いませんでした。ただし、自宅近くのスポーツクラブでの練習が気楽にできたので、来年につなげることになりました。これで「よし」としましょう。

 そういえば、今年も大好きなテニスを一度もしませんでした。パラグライダーで空高く風に乗るのも、トンとご無沙汰です。

 病院に入るまでに、まだ1週間ほどあります。もう少し体力をつけるために、軽い運動だけは続けるつもりです。
 当分は、これまで通り賀茂川ウォーキングに留めておきます。
 来年から、またいろいろなことにチャレンジすることにしましょう。
 
 
 

2010年8月13日 (金)

「おけそくさん」という言葉の意味

 近所のマーケットで買い物をしていたら、和菓子屋さんの店頭に「おけそく」という小餅が並んでいました。はじめて見る名前です。形は、普通の丸い小餅です。その名前が気になりました。
 
 
 
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 帰ってから、早速辞書を調べました。

 まずは、ネットで活用している「コトバンク」から。
 「おけそく」では記載がないので、「けそく」で調べました。

け‐そく 【華足/▽花足】

(1)机や台などの脚の先端を、外側に巻き返して蕨手(わらびて)としたもの。また、その脚のついたもの。
(2)仏に供える、餅(もち)・菓子の類。もと、供え物を盛る器のこと。
(3)足付きの膳(ぜん)の一。白木のままのもの。

 どうやら、[2]の意味が相応しいようです。

 私のパソコンには、20種類の電子辞書を搭載しています。その中でも、『広辞苑第五版』には『源氏物語』の「葵」巻の用例がありました。そういえばそんなことばが、という鈍な反応しか今はできません。

け‐そく【華足・花足】
(1)華形の装飾のある、机・台などの脚。
(2)華足をつけた器物の略称。例えば華足皿・華足盤など。源氏物語葵「—いと清らにして」
(3)〔仏〕
 (ア)餅・菓子など仏の供物を盛る器。華飾。華束。供笥。
 (イ)仏に供える餅・菓子などの称。また、死者の香典返しに「花束」と書くのも供物の意。

 最近会員になって、時々見ている「京都通(京都観光・京都検定)百科事典」の「京ことば」の項目には、「おけそく」はありませんでした。

 しかし、「京都検定を歩く」というサイトに、次の説明がありました。

京ことばで「おけそくさん」とは?

 故人の月命日に、仏に供える小餅のことです。

 ★オマケ
 華足は華やかに飾った足と言う意味で、仏前に置く装飾の有る脚付き台などを言いましたが、転じて供物そのものを言うようになりました。


 ウエブサイトで検索すると、たくさんの方から「おけそくさん」とは何ですか? という質問が寄せられています。そして、親切丁寧な回答がなされています。
 このことばは、全国に散在しているようです。ただし、西日本に、それも日本海側に多いように見受けられます。私が生まれた島根県にもありました。
 方言の一つとして、何か調査結果があるのかもしれません。気に留めておきます。

 また、「華足・花足・華飾・花束・華束」と、その表記が多いことや、小餅だったり落雁だったりと、大変興味のある日本語です。さらには、「おけそくさん」の盛り付け方法について、小餅の場合は「須弥盛・杉盛・串盛・段盛・直盛」と、そのしきたりも種類が多いようです。

 ふとしたことから眼に入った小餅です。しかし、その背景にある文化の多様さに、今は興味津々です。
 
 
 

2010年8月12日 (木)

スクーバ・ダイビングの練習後の爽快な筋肉痛

 今年の8月は、昨年同様に和歌山の白浜へスクーバ・ダイビングで潜りに行く予定でした。

 昨年のことは、「スクーバダイビング2009(1)」と「……(2)」をご笑覧を。

 息子のことで思い出深い三段壁の下を潜ることが、今年の目標でした。

 しかし、突然の病気発覚で、海中散策が頓挫しました。
 お医者さんは、手術までは何をしてもいいとおっしゃっていました。が、海底散歩を楽しむ心の余裕は、さすがにありません。

 それなら、ということで、自宅近くのスポーツセンターのプールで、ダイビングのレッスンを受けることにしました。これまでに覚えたスキルを復習して、忘れないためにも。
 
 
 
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 今日と明後日の2回、特別のレッスンです。多分に遊び半分です。
 ダイビングの機材は、ズッシリと感じられます。


 25メートルプールの第1レーンの半分を使ってのマンツーマンのレッスンです。
 インストラクターの方は、私が手術前であることと、1年ぶりであることを気遣って、丁寧にお付き合いいただきました。

 まずは、ダイビングの機材のセッティングからです。
 とにかく一人でやるように、とのことなので、思い出しながら取り付けをしました。8割方はよかったとのことでした。1年に1度のことなので、思い出すのも大変です。

 プールの底を、だいたい6往復くらいはしたでしょうか。
 最初は中性浮力がうまくとれなくて、水中で上下動をしてぎこちない泳ぎでした。
 ウエイトを2キロから4キロにし、酸素ボンベを幾分下げて背負うようにしてもらうことで、泳ぎが安定しました。浮力に関して、海とプールとの違いでもあります。

 遊び気分で行ったにもかかわらず、キッチリとスキルの練習もさせられました。
 まず、水中で酸素を供給するマウスを口から離し、そして再度それを口にして空気を吸う練習です。そして次に、水中でマスクに水を入れた後、鼻息でその水を外に出すマスククリアの練習もしました。
 共に、難なくできました。

 1年ぶりとはいえ、身体はいろいろなことを覚えているものなのですね。

 久しぶりのダイビングにもかかわらず、爽快な疲れを感じることができました。
 優しくお付き合いくださったインストラクターの先生に感謝します。
 ただし、久しぶりの全身運動で、今夜は関節の節々をはじめとして筋肉痛です。

 さて、次は筋肉痛が残らないように、自然な動きで水中遊泳を楽しみたいと思います。
 
 
 

2010年8月11日 (水)

京洛逍遥(155)下鴨神社の「納涼古本まつり」2010版

 ちょうど2年前に「下鴨神社の納涼古本まつり」(2008年8月12日)について書きました。
 今年も糺の森で、今日から16日までの6日間にわたって、80万冊の古本市が開催されます。

 買い物に出かけたついでに立ち寄りました。
 
 
 
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 今年は、若い人が多いように感じました。
 本を物色することはいいことです。街中の新刊書店で本を探すのとは段違いです。得られる情報は膨大です。古書という時間の流れを意識する中で、歴史や文化などが肌身を通して感じられるのですから。

 秋の古本まつりは、10月30日(土)から11月3日(水)まで、百万遍の知恩寺であります。

 お昼は、三条にあるいつもの回転寿司「むさし」です。
 
 
 
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 今日は、お客さんの半数が海外からの人でした。3、4人の人たち何組かが、それぞれ楽しそうに食べておられます。わさび抜きで注文するスペインの人など、とにかくにぎやかです。
 日本の食べ物を楽しんでもらえることは、嬉しいものです。

 この店の中で握っているおじさんの一人は、大阪なんばの古本屋・天牛書店の名物店主だった天牛新一郎さんにそっくりの喋り方をする方です。
 天牛新一郎さんのことは、「読書雑記(8)澤野久雄『失踪』」に少し書いています。
 この「むさし」の大阪(?)のおじさんは、雰囲気があって和む方です。腰の低い物言いをなさるからでしょう。いつまでも元気で握っていてください。
 
 
 

2010年8月10日 (火)

心身雑記(68)座席を譲ったところ意外な辞退の弁が

 東京にいた息子を、私の手術と今後の療養生活のことを考え、京都に移住させることにしました。本当に急遽決断したことです。

 息子の新しい住まいが街中に見つかり、京都の市バスで移動中のことでした。
 バスに乗っていたところ、乗り込んで来られたおじいさんが、私のすぐ横に立たれました。
 すぐに席を立って「どうぞ」と言った時です。

 「4、5歳しか違わへんのやから、あんたはそのまま座っとき」と、その方はおっしゃったのです。
 それでも、「どうぞどうぞ」と言ったのですが、固辞して前に歩いて行かれます。

 その時、ブレーキが急に踏まれました。その拍子に、おじいさんはよろけ、杖がすべったので、通路に倒れかかるような姿勢になられました。
 脇を支えて助け起こしてあげました。それでも、「おおきに」と言いながら、前の方の手すりに移動されました。

 お見かけする限り、80歳に近いと思われます。
 その方に、年が近いのだからと言われたことは、私としては複雑な思いにさせられました。
 私も、そんなに老人の風姿をしているのかと、今もショックを隠せません。

 その後、自宅近くのショッピングセンターで買い物をしました。
 帰ろうとすると、外は地面を叩き付ける大雨です。
 しばし雨が小止みになるのを、ベンチで待つことにしました。

 休憩していると、隣におじいさんが来て座られました。そして、私に最近の天候の不順について語りかけて来られました。やがて、世間話へと……。
 通りがかりの人から見ると、まさに2人の独居老人が四方山話の態としか言いようのない場面です。

 「傘をお持ちですか?」と聞くと、私の方にすり寄ってきて、耳をそばだてられます。2、3度、同じことを言いました。これは、寄り添うようにして語り合う、お年寄りの姿にしか見えません。

 病院からの手術の連絡を待つうちに、身体から老人らしさが漂い始めたのでしょうか。
 もっと運動をして、気力体力共に充実した日々を送ることで、長時間になりそうな手術の対応策としたいと思います。
 
 
 

2010年8月 9日 (月)

パンジャビ語訳『源氏物語』との取り組み

 今日は、インドのヒンディー語やパンジャビ語がご専門の溝上富夫先生と、大阪梅田の喫茶店でお話を伺いました。

 先生は、大阪外国語大学で長年教えておられました。大阪大学と合併する直前に定年を迎えられたので、肩書きは大阪外国語大学名誉教授です。また、関西日印文化協会の会長もなさっています。
 ご多忙の所を、暑い中にも関わらず時間をとってくださいました。

 先生は、ヒンディー語の演劇を通して、インドと日本の文化交流に多大の貢献をしておられます。
 今後とも、いろいろなイベントでご一緒に活動ができそうです。

 今日は、『源氏物語』のパンジャビ語訳のことを中心に、たくさんのことを教えていただきました。

 持参したパンジャビ語訳の本を見ながら、これを普通の日本語に訳し戻せる人がどれだけいるか? とおっしゃっていました。
 
 
 
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 それも、若い人となると、いないなー、とのことでした。

 世界各国の言語で翻訳された『源氏物語』を、現代の日本語に訳し戻すことにより、その比較を通して異文化交流を見ていこう、というのが私の問題意識です。
 そのめたには、流暢な訳ではなくて、言葉と言葉を忠実に置き換えたような、いわば逐語訳を求めています。そのためにも、経験豊富な先生方よりも、まずは若手の研究者に訳してもらうことを考えています。そのことで、パンジャビ語の訳し戻しができる若手研究者を紹介してもらおう、ということです。

 ところが、パンジャビ語がわかる人で、なおかつ日本語で表現できる人は、とにかく限定されるとのことでした。今後とも適任の方がおられたら、教えてもらうことにしました。

 また、パンジャビ語訳『源氏物語』を見ながら先生は、私が取り組もうとしている調査では、誤訳の問題が大きく立ちはだかるだろう、というアドバイスをもらいました。
 日本古典文学を理解しているインド人がほとんどいない状況で、英訳『源氏物語』をインドの言語に翻訳するにあたり、思い込みや知らなかったことから生まれる誤訳をどうするか。
 たくさんの誤訳があるはずなので、それを異文化交流の資料にしてしまうことの危うさです。
 確かにそうです。翻訳した方の質が、非常に問題となるのです。

 とは言え、やってみないことには始まりません。
 一つのことばを、ヒンディー語やパンジャビ語やウルドゥー語でどう訳しているかを一覧すると、どれが誤訳か検討がつく、とおっしゃいます。
 インド国内に言語はたくさんあります。しかし、あまりにも異なる訳語は、異文化による違いというよりも、誤訳によるものである可能性が高いからです。
 異文化とは無関係な誤訳を見極めながら、翻訳における異文化について考えていく資料を作成していきたいと思います。

 まずは、パンジャビ語訳『源氏物語』を日本語に戻してくださる方を探すことです。
 チャレンジしてみたいという若手の方がいらっしゃいましたら、連絡をください。
 問題点などは、溝上先生などのお力を借りながら解決していきたいと思います。

 先生は、最近取り組まれたヒンディー語劇のDVDを作成しておられました。
 
 
 
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 ぜひ、『源氏物語』もヒンディー語劇にしてもらいたいと思います。

 現在、モンゴルでは、谷崎潤一郎訳『源氏物語』をモンゴル語になさったジャルガルサイハン・オチルフーさんが、その演劇化に取り組んでおられます。
 『源氏物語』の世界各国の翻訳と共に、その演劇化も、意義深い文化交流の取り組みになると思います。

 ますます、楽しい企画が実現しそうです。
 
 
 

2010年8月 8日 (日)

オートバイに跨がったフルフェイスのお客様

 連日の暑さが続いています。

 ちょうど暑い盛りの日中に、自宅のチャイムが鳴ったので玄関に出た妻が、早く早くと手招きをします。出てみると、YOのN先生がいつものスタイルで、フルフェイスのヘルメットを被って大型オートバイに跨がっておられました。乾いたエンジン音が、家の前で響いています。

 私の病気のことを身近な方から聞かれ、わざわざ様子を見に来てくださったのです。
 ありがたいことです。

 「病院はどこや」に始まり、体調や手術のことなど、少し立ち話をしました。
 今月の下旬に、ご所蔵の鎌倉時代の『源氏物語』を見せてもらいに行くことになっていました。「今は無理せんでもええ」とのことで、術後の体調が戻ってから伺うことになりました。
 今回は、「藤裏葉」と「若菜上」を拝見する予定でした。とくに「若菜上」は長いので、体力が要ります。お言葉に甘えて、先に延ばすことにします。

 我が家の玄関先の花も見てくださいました。
 
 
 
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 先生は花のことをよくご存じで、初夏にも妻と共にお庭を拝見しに行くことになっていました。しかし、何かと多忙の中で、行けませんでした。
 秋口にでも、散策を兼ねて伺いたいと思います。

 ゆっくりとお話をお聞きしたかったのですが、先生の心遣いだったのでしょうか、まもなくエンジンを吹かして勇ましく走り去って行かれました。

 ちょうど、玄関の花にトンボがとまっていました。
 
 
 
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 いつも温かい思いやりで見てくださっているN先生に、爽やかな気分にしていただきました。
 
 
 

2010年8月 7日 (土)

最近刊行された2種類の英訳『源氏物語』

 アーサー・ウェイリーの英訳『源氏物語』は、1925年から1933年にかけてロンドンで刊行された全6巻が最初です。
 そのすぐ後の1935年に、日本で紐とじ和装本が刊行されます。これは、曽根保がウェイリー訳から8章を選択し、英語教材として編集したものでした。
 少し時を隔てて、1960年にニューヨークで全1冊本として刊行されました。
 その10年後の1971年に、東京で2冊本が刊行されます。これは、UNESCO(ユネスコ)「日本の翻訳書」シリーズの1つでした。
 その1971年版の新装版が2002年に出ます。
 これは、表紙のデザインを変えながら、刊行され続けていました。

 そして今年(2010年)、1971年版を1冊にまとめたものが刊行されました。
 従来のアーサー・ウェイリー訳に、Dennis Washburn が前書きを追加したものです
 
 
 
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 これは、2008〜2009年に佐復秀樹訳『ウェイリー版 源氏物語』(全4冊、平凡社ライブラリー)という、英訳を日本語に戻したものが刊行されたことを受けての出版と思われます。

 もう1種類の翻訳『源氏物語』は、英語で『源氏物語』の内容を朗読するものです。
 グレン・サリバンが編集した『英語で読む 源氏物語(上・下)』(各CD1枚付)が、ジャパンタイムスから出ました。
 
 
 
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 本と共に、CD—ROMが付いています。iPhoneなどに入れて持ち歩け、聞いて楽しめます。
 英語がわかる方や、英語の勉強をしたい人には、新しい『源氏物語』の体験ができます。

 上巻には、次の巻々が収録されています。

 桐壺(Kiritsubo)・空蝉(Utsusemi)・夕顔(Yugao)・若紫(Waka Murasaki)・葵(Aoi)・賢木(Sakaki)・須磨(Suma)・明石(Akashi)・松風(Matsukaze)

 下巻は、次の巻々です。

 薄雲(Usugumo)・乙女(Otome)・若菜上(Wakana no Jou)・若菜下(Wakana no Ge)・柏木(Kashiwagi)・御法(Minori)・幻(Maboroshi)

 宇治十帖が入っていないのは、今後刊行されるのでしょうか。

 いずれにしても、また『源氏物語』の読まれ方の幅が拡がりました。
 『源氏物語』の楽しみ方のパターンが増えたことを喜びたいと思います。
 
 
 

2010年8月 6日 (金)

心身雑記(67)食事療法でガンが消えるか?

 今、『日本人だけなぜ、がんで命を落とす人が増え続けるのか』(済陽高穂、主婦と生活社、2007年)という、長いタイトルの本を読んでいます。
 
 
 
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 私が買った本のカバー裏折り返しには、2009年12月に4刷との表示があるので、よく売れている本のようです。
 この著者のことは、娘がくれた本で知りました。

 『ガンが消える、ガンを予防する済陽式食事ノート』(永岡書店、2010年)
 『今あるがんに勝つジュース』(新星出版社、2010年)

 こうしたテーマで、たくさんの本を出しておられることを知りました。具体的、実践的な本が多いので、説得力があります。

 さて、冒頭の長いタイトルの本で、というよりも著者である済陽(わたよう)さんは、

進行がん、晩期がんであったとしても、食事による栄養・代謝療法で病変の改善、治癒が十分に可能だ
(4頁)

という信念の元に、

食事と栄養・代謝療法で、免疫力を高めてがんを完治させることができる(197頁)

ということを、わかりやすく語っておられます。

 済陽さんは消化器外科のお医者さんだけに、胃ガンの例が多く見受けられます。今まさに当事者となった私には、興味深く読むことが出来ました。
 自然治癒力に注目し、結論としては、「世界で唯一の理想的な食事」は和食であり、その中でも「縄文食」を高く評価しておられます。

 毎日口にする食べ物を例にして語られるガンの話は、自分の身近な問題として、いやが上にも意識が高まります。
 また、紹介されているのがすぐにできる食品・食事なので、なおさら説得力をもっています。

 この話を息子にしたところ、済陽さんの別の食事の本を見て、私のためにオリジナルメニューを作ってくれました。
 
 
 
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 これは、茄子・玉葱・胡麻、蕎麦で作ったものです。ここに蕎麦があるのが、息子の創意です。たまたま私の部屋にご飯がなかったから、といったら身も蓋もないのですが……。

 なかなかおいしい一品でした。これなら、私にもできるかもしれません。 
 こうした折に、少しずつメニューを増やしていきたいと思います。

 明日から、また京都に移動し、手術の準備が本格化します。東京の宿舎も、しばらく来られません。
 やはり、今日はこれしかない、とばかりに、門前仲町にある回転寿司屋へ行きました。
 「平禄寿司」は、立川駅の南北にあるなど、おなじみのお店です。
 
 
 
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 いつものように、みそ汁(関西では赤だし)を注文し、タレをつけないシャコからスタートです。
 シャコは、関西にはない店が多いので、東京に来たときにはいつも食べます。

 これまたいつもの通り、まぐろ、ハマチ、エンガワ、サバ、ミル貝のあとは、これまた鉄火で終わりにしました。
 たくさんの仕事も、そのメドがついたので、これからは自分の手術モードに入ることにします。
 
 
 


2010年8月 5日 (木)

アッサム語訳『源氏物語』落掌

 身辺がバタバタしていて、海外の『源氏物語』に関する報告が遅くなりました。

 東京外国語大学大学院生の村上明香さんが、前回のマラヤラム語訳『源氏物語』に続いて、アッサム語訳『源氏物語』を届けてくださいました。

 この本を受け取った日は、本当に慌ただしい一日でした。
 「東へ西へドタバタの一日」に書いた通りです。

 あの日、職場を離れる直前に、村上さんの妹さんからアッサム語訳『源氏物語』を受け取ったのです。ここに改めて、感謝の気持ちを込めて報告を記します。

 本は、インドで翻訳された他の『源氏物語』とはまったく印象が異なる、爽やかなデザインです。あっさりしすぎるほどです。サヒタヤ・アカデミーのマークが、少し飾られているだけです。表紙など、どうでもよかったかのようです。
 ド派手とシンプルと、その落差の大きいのがインドです。
 
 
 
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 発行は、何度かお世話になっているサヒタヤ・アカデミーです。
 内容は、私には皆目わかりません。
 どなたかに解読してもらうしかありません。
 
 
 
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 これも、アーサー・ウェイリーの英訳からの重訳であることは確実です。ただし、分量から見て、相当簡略な訳になっていると思われます。

 インドの8種類の言語で訳された『源氏物語』が、実際にはどのような内容に翻訳されているのか、今後の展開が楽しみです。

 なお、オリヤー語訳『源氏物語』については、まだ入手のメドが立っていません。
 村上さんからの情報によると、大英図書館にあるとのことで、その書誌データを教えていただきました。

Genji carita / Marasaki Shikibu ; anubādaka Prabhāsa Candra Satapathī.
Author: Murasaki Shikibu
Contributor: Prabhāsa Candra Satapathī
Subjects: Japanese fiction -- 20th century -- Translations into Oriya
Publisher Details: New Delhi : Sāhitya Akademi, 1984.
Language: Oriya
Uniform Title: Genji monogatari. Oriya
Identifier: System number: 009962273
Physical Description: 334p

 この本との出会いも、非常に楽しみになりました。
 さて、どのような契機で、どのような方との出会いがあるのでしょうか。
 愉しいドラマを待つ気持ちでいます。
 
 
 

2010年8月 4日 (水)

銀座探訪(25)地下鉄銀座駅のマーキュリー像

 久しぶりの東京です。京都よりも暑いように思います。風が熱っぽいようです。
 宿舎の横を隅田川が流れています。しかし、京都の自宅の横を流れる賀茂川のような、心地よい風ではありません。
 隅田川の風を一言で表現すると、電気掃除機の吹き出し口から出てくる風に近いですね。

 職場へ行く途中、九段坂病院へ京都大学病院から預かった書類を持っていきました。紹介して下さった先生への報告書です。
 外科の受付の方も、京大病院へプレパラートを送っておきましたよ、とのことでした。
 皆さんの連係プレーに感謝します。

 皇居北の丸のお堀の蓮は、ちょうど咲き誇っているところでした。
 
 
 
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 職場では、先生方、事務の方、そしてアルバイトの方々と、たくさんの打ち合わせと今後の確認をしました。ギッシリと詰まった1日でした。
 メールという文明の利器があることは、とにかく便利この上ないことです。
 ただし、ゆっくりと静養できないというデメリットもありますが。
 とにかく、みなさまに迷惑や負担を最小限にするために、こうした道具を活用したいと思います。

 しばらく行けない銀座のスポーツクラブへも行きました。
 手術で体力を使うので、このところ体力作りを意識して運動をしています。
 今日は、ジムとプールで汗をかきました。

 帰りに、地下鉄に設置されているブロンズ像の写真を集めていたことを思い出しました。
 ブログで紹介しようと思いつつ、次から次へと身辺に出来事が起きるために、書く機会のないままに保存していた写真があるので、以下に紹介します。

 地下鉄銀座線の銀座駅の銀座四丁目交差点の真下にあたるところに、「マーキュリー像」というブロンズ像があります。
 
 
 

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 そこには、こんな説明文が添えてあります。


      マーキュリー像

昭和26年、銀座駅などの出入口に設置され、
地下鉄のシンボルとなりました。
昭和39年に移設し、今日に至っております。
”マーキュリー”とはローマ神話の商業の神を
意味します。
               笠置季男 作


 いつも通りかかるときに目に入っていたので、気になっていました。
 そして、このようなブロンズ像が、他にも地下鉄沿線にあるのかを駅員さんに聞いたところ、3つある銀座駅のいずれにもあるとのことでした。
 これは自分の目で確認しなくては、と思って経巡って撮影したのが、以下の写真です。

 銀座線の銀座駅から北へ少し歩くと、日比谷線の銀座駅があります。
 ここにも、同じ像がありました。
 
 
 

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 さらに皇居側に北上すると、丸ノ内線の改札口の中に、同じブロンズ像がありました。
 ただし、この像を探すのには、非常に手こずりました。
 事前に教えてもらった情報では、丸ノ内線のホームの階段を下りた裏と言うことだったからです。実際は、改札口の横でした。
 
 
 
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 この像が造られたのは、ちょうど私が生まれた年です。
 そのことも、親しみを覚えた一つです。

 ほとんどの乗降客は、この像の存在を知らないと思います。
 こうしたものが、全国の至る所にあることでしょう。
 記念碑的なものに拘っていると、全国に不要品が満ち溢れることになります。
 しかし、残しておいて邪魔にならないのならば、一つでも多く語り伝えたいものです。
 文化と歴史を語り伝えるのは、次の世代の方たちに伝え、そして受け継いでほしいと思います。
 捨てるのは簡単です。しかし、存在の意味がわからないからと言って、それを処分するのはやめましょう。
 物には、それぞれが一つずつに、歴史と文化と思い入れという背景を持っているのですから。
 
 
 

2010年8月 3日 (火)

京洛逍遥(154)熊野神社・八ツ橋発祥の地

 今日は、胃をX線で透視する検査です。
 バリウムを飲むレントゲン検査は、これまでずっと胃カメラの方を選択していたので、本当に久しぶりです。今回は、胃の形態的な調査と周辺の形状の確認も含めての検査だとのことでした。

 昨夜7時から絶食だったので、検査終了後は京大病院内のレストランが開店するのを待って、早々にちらし寿司とうどんを食べました。

 京大病院の各所に、京都らしいものを見かけます。こうしたものを見つけるのも楽しみです。
 これは、京都五山の大文字焼きの点描画です。
 
 
 
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 今週は検査がもうないので、担当医の許可をもらって上京し、身辺整理をすることにしました。
 職場も宿舎のことも、今しばらくは気にするな、と言われています。しかし、やはり気になるのです。
 3日ほどは病気のことを忘れて、中途半端なままの状態の東京での仕事の整理をしたいと思います。

 京大病院を出てすぐの交差点を南下すると、熊野神社があります。いつも通院のためにバスを降りるのは、この熊野神社前というバス停です。
 次の地図は、熊野神社の前の通りの角に掲示されていた地域地図です。
 
 
 
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 熊野神社は、由緒のあるところです。
 
 
 
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 その境内に、「八ッ橋発祥之地」の碑がありました。揮毫は、梅原猛先生です。
 八ツ橋は、『伊勢物語』や謡曲の「かきつばた」で有名です。
 また、西尾為治銅像も建っています。為治は、明治中期に八ツ橋を世に知らしめた人です。
 
 
 
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 この熊野神社に隣接して、西尾の八ツ橋の本家がありました。
 
 
 
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 お店の中には、熊野神社の一部である楠の根が、長々とのびていました。それを切らずに、そのまま店の中へ迎え入れている気持ちに、好感を抱きました。

 この道を隔てた向かいには、商売敵とでも言うべき、聖護院八つ橋の総本店があります。この店のことは、またにしましょう。
 このあたりは聖護院町なので、聖護院の名前が有名です。しかし、西尾の八ツ橋の方が古いそうです。本家を名乗る由縁です。

 今、私の仕事に関連して、たくさんの方に助けてもらっています。
 いろいろとやっかいなことをお願いしているので、上京のお土産に、この西尾の八ツ橋を持って行くことにしました。
 
 
 
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 最近は、ブルーベリーやマンゴやリンゴなどなど、多彩な八ツ橋があります。若い人たちが、あまりニッキを好まないからだそうです。
 現在のラインナップは、これだけあります。

■八ツ橋
八ッ橋・八ッ橋(抹茶)・八ッ橋(黒ごま)・八ッ橋(バナナ)・おひろめ・ポケット八ッ橋・生八つ橋・生八ッ橋(春)
■チョコレート八ッ橋
カカオ・イチゴ・抹茶
■あんなま(あん入り生八ツ橋)
ニッキ・抹茶・白ごま黒ごま・梅あん・みかん・もも・いちご・さくら・ラムネ・チョコバナナ・チョコレート・焼きいも・栗・青りんご・ブルーベリー・マンゴー・夏みかん・塩・うぐいすあん・濃ぉ~い抹茶・抹茶あん


 なお、八ツ橋誕生の物語は、ウエブサイト「本家 西尾 八ツ橋」のトップページにある「まんが版 八ツ橋誕生物語」をご覧下さい。私が宣伝する義理はないのですが、感動のお話となっています。
 
 
 

2010年8月 2日 (月)

迷走する「ゆうパック」で届いたハンガリー語訳源氏

 「ゆうパック」で酷い目にあいました。
 遅配や誤配が日常的となった日本郵便は、いったいいつをメドに立て直そうと思っているのでしょうか。
 しばらくは、日本郵便は極力使わないことにしたほうが無難です。
 今は、この混乱状態の日本郵便という会社を使わなくても、書類や荷物等は他社の民間の宅配便で送れるのですから。

 私が利用してきた範囲では、佐川急便の酷さは問題外として、クロネコのサービスは信頼できます。問題は、クロネコに対抗する選択肢がないことです。
 佐川急便のあきれるほどのでたらめさについては、「相変わらずでたらめな佐川急便」(2007年6月29日)で書きました。
 おついでの折にでもご笑覧を。
 
 日本郵便という、杜撰な合併後に大慌てで体裁を取り繕っている会社が、盲腸のように、というよりも私のガンに犯された胃のように、日本の中に幅広い範囲で残っているのです。一日も早く、切り取ってしまったらどうでしょう。悪性のポリープは駆除すべきです。ただし、あまりにも広範囲に拡散しているために、手の施しようがない、というのが実情でしょうか。

 今回、私が出くわした出来事を、簡単に記しておきます。

 ハンガリーから、ハンガリー語訳『源氏物語』全3冊が届きました。
 
 
 
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 これは、以前、本ブログの「ハンガリー語訳『源氏物語』の新情報が届く」で紹介したものです。

 今回、翻訳者であるホルバート・ラースローさんご自身が、ご著書を送ってくださいました。
 ただし、東京の職場に届いたので、療養中の京都の自宅に転送してもらいました。
 ところが、予定の日になっても届かないのです。そして今朝、早朝にもかかわらず、近くの京都北郵便局から電話がありました。昨日の配達指定となっている荷物が、先ほど届きました、と。意味がよくわかりません。
 このまま受け取ってもらえるのか、それとも遅れたので発送人に返送を希望されるか、という電話だったのです。

 昨日は、一日中、荷物の到着を待っていました。しかし、来ませんでした。
 何があったのだろう、と思っていた矢先でした。

 この本は、どうしても早急に開封する必要がありました。ハンガリーに連絡をしなくてはならなかったので、送っていただいた本の現物を確認することと、手紙の有無を、とにかく急いでいました。
 ゆうパックの配達を待っていても、午前中に配達されそうな気配がないので、すぐに本局へ自転車を飛ばしました。
 そして、窓口で説明を求めました。すると、意外なことがわかりました。

 この荷物は、なんと三重県の四日市に一日じゅう留め置かれていたのです。
 さらに説明を求めると、こんな記録の一部を見せてくださいました。
 
 
 
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 なぜ四日市に行っていたのか、などなど、さらに聞いていくと、部外秘の資料も見せてくださいました。
 それには、東京多摩支店から四日市西支店を出るまでの、2つの記録が記されていました。


取扱日時   ステータス ステータス補助 取扱場所
07/31 04:53 ※事故   ※誤送     四日市西支店
07/31 06:35 ※事故   ※誤送     四日市西支店

 東京多摩支店を午後7時半ころに出た荷物は、翌朝5時前に四日市西支店に届いています。「事故」「誤送」扱いとなっています。
 さらにそれから1時間42分後に、再度四日市西支店の中を彷徨っています。「事故」「誤送」扱いとなっています。
 そして、10時間半後に、ようやく四日市西支店を出て、京都の洛南ターミナル支店に送られます。
 それから2時間後の午前6時過ぎには、我が家の近くの京都北支店に到着しています。

 いくら日本郵便が連日の不祥事でパニックになっているとはいえ、これはいたただけません。
 この失態の原因がどこにあるのか、私なりに想像してみました。

 まずは、上掲の「荷物検索結果 詳細」に記された「取扱店名/郵便番号」あたりがおかしいのでは、と思っています。


209−8799
128799
12−8244

 この配送処理は、バーコードで行われているようです。ということは、バーコードの読み取りと、その読み取ったデータの処理に、プログラム上の欠陥がある、ということです。
 さらには、人間の眼がどこにも光っていなかったことが致命的となり、こんな無様なことになったと思われます。

 おそらく、7月30日の午後7半に東京多摩支店を出た荷物の内、京都方面へ向かったモノの大半は四日市西支店に届いたことでしょう。
 東京、三重、京都。殺人事件ではあるまいし、たらい回しにされた荷物は、みんな無事に届け先に行き着いたのでしょうか。
 
 
 

2010年8月 1日 (日)

井上靖『猟銃』の方法を学ぶ

 佛教大学四条センターで受けた講義の2つ目は、「『文学』の課外授業」という講座です。
 この講座では、三島由紀夫や司馬遼太郎などを取り上げています。今回は、「井上靖『猟銃』」だったので、楽しみにして参加しました。講師は、三谷憲正先生(佛教大学文学部教授)でした。

 講座の紹介文には、その内容について、次のように書いてありました。

内容 井上靖の小説家としての出発を飾る名作「猟銃」を読みます。特に冒頭に使われている「猟銃」という散文詩がこの小説に登場するまでにどのような過程を通ってきたかを、皆さんと一緒に見ていきたいと思っています。

 私は、学生時代から日本の古典文学の中でも『源氏物語』に興味を持っていたので、近代・現代文学の講義を受けたことがありません。まったく受けなくても、なんとか大学時代を過ごすことができました。
 外部の講演会や講座でも、近代・現代文学に関する話を聞く機会は皆無でした。
 その意味では、今回はじめて近代・現代文学の講義を受けるのです。それが井上靖、ということになったのです。

 大変失礼ながら、三谷先生とは一面識もない気楽さから、講義室の一番前で拝聴しました。

 まず、『猟銃』が『文学界』(文藝春秋新社、1949(昭24)年10月)に発表されたモノであることの確認から始まり、その巻末に記された次の「後記」を引いて、同時代評を紹介されました。

*前号の由起氏についで、本号の井上靖氏の、気品と迫力あるロマン「猟銃」は、必らずや諸賢の御期待に応へるものと思ひます。

 配布された資料は、A3判8枚でした。丁寧に作成されたものです。
 その資料を使って、作品を理解する上で参考になる、井上靖が『猟銃』を書く前に発表した詩の内容を押さえながらの講義でした。

 井上靖は詩人であることが前提にあると思っています。そのため、このように散文詩を確認しながら読み進めるという手法で作品に向かうことは、非常に重要なことだと思います。
 『猟銃』の本文を一緒に読みながら、そうした解説が加えられていきました。

 私が驚いたのは、この作品の本文を、今回出席している聴講者に対して、なんと順番に音読するようにおっしゃったことです。
 一人が読むことになったのは、文庫本にして4頁くらいでしょうか。
 まず、私の右横の一番前のテーブルに座っている方に、どうぞ、と勧められました。
 無理だったらパスしてください、というフォローがなされていたので、強制される雰囲気はありません。
 最初に当たった方は、躊躇うこともなく、スラスラと読まれたのです。朗読になれておられる方のようにお見受けしました。よく本を読んでいる方なのでしょう。
 読むのは、『井上靖全集』からコピーして作られた資料なので、漢字仮名は現代のものです。しかし、「些か」「斯う」「斯く」「其処」「頗る」などなど、詰まりそうな漢字も苦もなく声を出して読み進めておられたのです。関東のアクセントでした。先生が、どちらからですか、と聞かれると、三重県からです、と答えておられました。
 この講義は、今年は今回限りの、1回完結のものです。お読みになった方は教え子ではないようなので、私はここに参加なさっている方々についても、大いに興味がわきました。

 続いて、3人の女性の方が読まれました。パスなさったのはお一人だけでした。
 自分まで回ってこなかったことに安堵するとともに、恐るべし課外授業の生徒さん、との思いを強くしました。

 現代文学が現在の大学でどのように講義されているのか、皆目見当もつきません。しかし、この場のみなさんは、なかなかの方々のようです。

 なお、井上靖の作家としての時代を考える上で、意外と知られていないことを話してくださいました。それは、太宰治・中島敦・大岡昇平などが共に明治42年生まれなのに対して、井上靖が彼等よりも2年も早い、明治40年生まれであることでした。
 井上靖は、戦後から近年まで活躍したので、つい現代作家のように思われます。しかし、実際、年齢的には相当古い世代であることが忘れられがちなのでした。

 最後の15分は、映画化された『猟銃』の冒頭部分を、前のスクリーンに映して見せてくださいました。
 これは、松竹が五所平之助監督のもと、山本富士子、岡田茉莉子、音羽信子、鰐淵晴子、佐分利信というキャストで、1961年1月に作成した映画でした。
 ビデオだったのですが、DVDもあるとのことなので、探してみましょう。

 とにかく、充実した一日でした。
 飛び込んでお話を伺った身なので、先生と特にお礼やお話をしたわけではありません。
 熱の籠もった講義を、ありがとうございました。
 
 
 

NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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