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2010年8月20日 (金)

宙に浮いている郵便貯金1900万口座

 両親が旧満州で終戦時に没収された通帳のことが、突然の新聞報道で浮上しました。

 8月18日の「京都新聞(夕刊)」に、興味深い記事が掲載されていました。
 
 
 
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 私の両親は、戦時中は旧満州にいました。そして終戦。
 父はシベリヤへ抑留。
 母は命からがら引き揚げて来ました。
 父は、その3年後に帰国。
 そして我が家の放浪。

 このことに関連する記事は以下のものがあります。
 参考までに列記しておきます。

「わが父の記(2)川で流された時」2008年5月20日

「わが父の記(3)父の仕事(その1)」2010年4月 3日


「【復元】母子の絆の不可思議さ」2010年4月29日


 小さい頃から両親には、戦争に負けた時に旧満州で持っていた貯金をはじめとして身の回りのモノすべてを没収された、とよく聞かされていました。
 敗戦によりすべてを失い、無一文から生活を始め、姉と私を育ててくれました。
 姉は、家計のことを考えて高校を出てから銀行に就職。
 私は、国鉄の奨学金をもらってであれば大学へ行ってもいい、と言われました。これは、叔父が国鉄職員だったこともあります。しかし、無事に大学を卒業した後は国鉄に勤めるという条件がありました。その気のなかった私は、新聞配達をしながら大学へ行く方法を探し出し、上京しました。もっとも、その10日後には十二指腸が突然破れ、胃の三分の二を切除して大阪の自宅に帰ることになりました。半年以上の療養生活をしました。今回の病気の、そもそもの発端です。

 さて、折に触れて両親は、若いときに貯めたものを終戦で取り上げられなかったら、お前たちに思う存分に勉強させてやれたのに、と言っていました。
 姉は、結婚してから通信制の大学を修了しました。
 私は、妻の助けを得て大学を卒業し、大学院の修士時代は、世に言う「ヒモ」でした。そして、その後もこうして勉強させてもらっています。

 今回の新聞報道は、消えた年金ならぬ、宙に浮いた郵便貯金のスクープです。

 私の両親の場合は、朝鮮半島で開設した口座がそれに当たります。
 また、父は軍人だったので、軍事郵便貯金の70万口座の内にあるもの、となるようです。

 両親は、敗戦時に資産が没収されたことについて、国策に協力したことと、持っていてもロシアや旧満州の人たちに略奪されるだけの状況の中にあったことから、そのことについては完全に諦めていました。少しでも戻してもらおう、などという気持ちは完全に放擲していました。
 しかし、内心は悔しい思いを抱いていたことでしょう。それが、お前たちに苦労をさせて……、ということばに込められていたと思われます。

 記事には、「引き揚げてきた際、税関で貯金通帳を没収された例が多い」とあります。両親の場合は、外地で終戦となった時点で没収されたと聞いています。

 父は、川柳句集『ひとつぶのむぎ』という本を残しています。
 この本については、「わが父の記(1)感謝の念を伝える」で書きました。

 その本に掲載されている略歴を、以下に引きます。

大正 5・12 現出雲市古志町に生まれる
昭和 7・ 3 現出雲産業高校卒業
        (株)淀川製鋼所勤務
  13・ 1 現役兵として歩21入隊、直ちに渡満、
        ハイラル第119師団獣医部附士官として勤務中終戦、
        この間ノモンハン事件—太平洋戦争に参加、
        (この頃から馬蹄と号す)
  20・ 8 終戦と同時にシベリヤに抑留される
  23・ 6 復員、引揚
        自由業
  35・ 3 山一証券(株)勤務
  53・ 4 内藤証券(株)勤務
  55・ 7 西邦管理(株)勤務
  58・ 3 退職
           ▽川柳折鶴   同人
           ▽川柳からさで 同人
           ▽鬼の会    会人

 また、『ひとつぶのむぎ』の巻末には、次の記述もあります。

蹄鉄工務から始まり、任官後は師団通信隊、師団衛生隊、歩兵聯隊附、終戦時は師団獣医部附(288頁)

 さらには、平成2年に、当時の海部首相から銀杯をもらっています。
 
 
 
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 京都大学病院へ行った折に、こうした情報と資料を持って、院内の郵便局へこの件で相談を持ちかけました。
 対応してくださった局員の方は、非常に親切でした。いろいろな所へ電話をし、新聞記事をコピーし……、こちらが恐縮するほどでした。
 結局は、こうした新聞記事が出たことで、今後はその対応を急ぐことになるが、今は上から指示も出ていない状況なので引き続き調べさせてほしい、とのことでした。

 来週にでも入院のために来ることを伝えると、「貯金照会書 兼 回答書」という用紙1枚を手渡してくださいました。
 この次に病院へ行く時、この用紙を提出するつもりです。
 出来る限りお父さんの外地でのことがわかる資料を持ってきてほしい、とのことでした。

 果たして、この問題がどう決着するのかわかりません。

 両親が健在で新聞報道を見たら、母はのんびりと、もうどうでもいい昔のことだから、と言うことでしょうが、父は直ぐに手続きをするはずです。
 その父に代わって、時間ばかりかかって無駄とは思いつつも、ささやかな労いになればとの思いで、私が手続きを模索するつもりです。
 苦しかったであろう日々を思い出してあげることで、せめてもの感謝の気持ちにかえられるのでは、との思いから。
 
 
 

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