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2010年8月31日 (火)

西国三十三所(2)六波羅密寺

 手術は無事に終了しました。
6時間の闘いは、成功裡に終わりました。
予定よりも少し早かったので、すべてが順調に進んだことが、目覚めてすぐにわかりました。

まだ、身体には何本ものチューブが刺さっています。しかし、身体を動かすように言われているので、手足の運動をしています。

このブログも、手と指の運動になりそうです。

まだ当日なので、すでに行った六波羅密寺の巡拝記をアップします。

 以下の記事は、あらかじめセットして自動更新となるようにしたものです。
 決して、病院での手術を抜け出して西国札所巡りをしているものではありませんので、一言添えておきます。
 
 
 
 「西国三十三所(1)5周目は石山寺から」(2010年7月19日)を受けて、これから西国札所の観音巡拝道中記を書いていきます。


 2つ目に訪れたのは、京都・東山の清水寺の下にある六波羅密寺です。
 
 
 
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 「波羅蜜」という言葉は、彼岸である悟りの世界に到達することを意味します。「般若心経」のことを正しくは「仏説摩訶般若波羅蜜多心経」と言います。寺の名前からして、ありがたいお寺です。

 西国札所巡りも5巡目ともなると、勝手知ったるお寺巡りです。
 八坂神社の南、清水寺の麓にあり、六道珍皇寺のそばにあるせいか、何やら不思議な空間にあります。
 一度足を運び、周囲を歩くと実感することができます。

 ただし、今回はこれまでとは異なり、自分のための観音巡礼です。何となく照れ臭い思いを胸に、ユルユルとスタートです。

 六波羅密寺は、バス停「清水道」を少し下った、東大路通と大和大路通の間にあります。六原小学校の南隣です。京阪電車の五条駅からも近いところにあります。

 六波羅密寺のホームページによると、この寺の歴史が簡潔に記されています。

 六波羅蜜寺は、天暦5年(951)醍醐天皇第二皇子光勝空也上人により開創された西国第17番の札所である。
 当時京都に流行した悪疫退散のため、上人自ら十一面観音像を刻み、御仏を車に安置して市中を曵き回り、青竹を八葉の蓮片の如く割り茶を立て、中へ小梅干と結昆布を入れ仏前に献じた茶を病者に授け、歓喜踊躍しつつ念仏を唱えてついに病魔を鎮められたという。(現在も皇服茶として伝わり、正月三日間授与している)
(中略)
 上人没後、高弟の中信上人によりその規模増大し、荘厳華麗な天台別院として栄えた。平安後期、平忠盛が当寺内の塔頭に軍勢を止めてより、清盛・重盛に至り、広大な境域内には権勢を誇る平家一門の邸館が栄え、その数5200余りに及んだ。寿永2年(1183)平家没落の時兵火を受け、諸堂は類焼し、独り本堂のみ焼失を免れた。


 このお寺の十一面観音立像は平安時代の作で、国宝に指定されています。しかし、重要文化財に指定されている、口から阿弥陀仏を吐き出す空也上人立像の方が有名でしょう。

 お軸に書いてもらった御詠歌は、

重くとも 五つの罪は よもあらじ 
六波羅堂へ 参る身なれば

というものでした。
 
 
 
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コメント

手術が無事に終わり、何よりでした。
ブログがアップされていて、ほっといたしました。

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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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