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2010年9月26日 (日)

何故かくも愚行を誇らしげに

 以下、いささか表現がきついところがあるかもしれません。
 しかし、『源氏物語』の本文に関心がある者の一人として、「後代に伝えるには恥ずべき新写本だ!」という観点から、書写者への非礼を詫びつつも忌憚のない私見を記すことにします。

 あくまでも、『源氏物語』の本文を研究対象とする者、という立場で書きます。
 この奉納写本の書写者に個人的な感情があるのではなくて、書写にあたっての本文の選択に大いなる錯誤があるので、その点を明確にしたいという意図のもとに記すものです。

 この写本は、書道家が芸術作品として書写したものです。それは、手跡のすばらしさといい、紙のみごとさといい、決して私のような書の素人が口を出すべき問題ではありません。
 しかし、肝心の書写の対象となった『源氏物語』の本文が、なんともお粗末すぎます。その『源氏物語』の本文という一点に絞って、以下に述べます。

 結果的には、『源氏物語』の本文に対する無知から来る愚挙になっていることを、論証的に綴ります。
 そして、その解決策として、全冊廃棄か、全文を見せ消ちにされることを、お節介ではありますが、書写者の名誉のためにも提案するものです。
 実際に、数丁を朱の「ヒ」で紙面をビッシリとミセケチにしている『源氏物語』の写本が、国文学研究資料館にあります。

 昨年の下記(1)のブログでは、

最低限、この写本の54帖の各冊に、
  岩波書店の日本古典文学大系をテキストにし、漢字はなるべく仮名に置き換えた。
という識語を、大きく明記しておくのが、せめてもの誠意ではないでしょうか。

と書きました。

 しかし、今回はそれ以上の対処が必要ではないか、と、実物を見て、そして展示をする平等院の姿勢から思うようになりました。

 朝日新聞に、宇治の平等院に昨春奉納された『源氏物語』の新写本に関する記事が、昨年と今年の2度掲載されました((1)は関東と関西の異版です)。
 ここでは、他紙は未確認なので、朝日新聞に限定しています。

(1)平成21年7月2日(関東) 「源氏物語」平成の写本 平等院に奉納「宝に」(記事の署名は「大上朝美」)
(1’)平成21年8月8日(関西) 源氏五十四帖写本 平等院に奉納(上記(1)とほぼ同文、記事の署名は「大上朝美」)
(2)平成22年8月27日 書・料紙◇平安美コラボ(無記名の記事)

 最初の報道がなされた直後に、私は本ブログの以下の2つの記事で、大いに問題のある書写行為であることを指摘しました。

【1】「新写本『源氏物語』を平等院に奉納する愚行」(2009年7月8日)

【2】「学問とは無縁な茶番が再び新聞に」(2009年8月11日)

 これに対して、「やた管ブログ」に、「写本ではない。書作品である。」(2009年07月11日)という記事が公開されました。
 これを私は、私の記事に対する好意的な立場からの意見として読みました。

 そして1年経った先月、くだんの写本が平等院で展示されているという記事(2)が朝日新聞に掲載されました。

 この記事では、それまでの「岩波書店の日本古典文学大系をテキストにし」が「日本古典文学大系(岩波書店)を参考に」と、書写に当たっての底本に対する言及が「テキスト」から「参考」に変更されています。問題点の所在に、少しは気づかれたようです。

 また、昨年は写本の装丁について関東と関西ともに「粘葉装」となっていました。
 これについて、私は上記のブログで「綴葉装」の間違いではないか、と指摘したことです。今年の記事では触れておられません。
 正解は、「綴葉装」(国文学研究資料館では「列帖装」と呼ぶ)でした。

 昨年、新聞記事を最初に見たとき、素晴らしい紙に、貴重な筆で、実績のある書写者を得て、平成の新写本が完成したことを喜びました。とにかく、『源氏物語』の本文というものに、一人でも多くの方が目を向けてくださるのはいいことだからです。
 ところが、そこに書写された肝心の本文自体が、活字の校訂本文を変体仮名に書き換えるという、とんでもないものだったのです。失望しました。

 この新写本は、古典籍の書写傳流の歴史と流布する本文の改変に関して無知であったことから来る、後世への恥を晒すものとなっています。
 それなのに、愚かな新聞記者が近視眼的な文化芸術礼讃口調で、問題点が見えないままに記事にしたのです。それに、平等院が軽率にも踊らされました。
 見てくれだけに、みんなが目を奪われたのです。書写された中身などそっちのけです。

 紙などの芸術性にばかり目を奪われて、肝心の本来一番問題である『源氏物語』の本文のことが一顧だにされず、活字本が、それも流布する校訂本文が筆によって素晴らしい紙に書き写し直されたのです。

 最初の新聞記事に「大系本」とあったので、新旧どちらなのか興味がありました。
 私は、昨年のブログの文中では、次のように「新大系」だろうと推測していました。今ではテキストとしては問題が多いということで引用されることのない「旧大系」であるはずがない、との思いからでした。

このテキストとは、おそらく大島本を忠実に復元しようとした『新 日本古典文学大系』だと思われます。旧大系本は、宮内庁書陵部蔵の三条西家本が底本です。それよりも、新大系の方がいいと思います。しかし、この活字本を新写本の親本にするとは、あまりにも現代的な無知さに、恥ずかしくなります。

 機会があれば、そのことを確認しようと思っていました。
 しかし、7月の中旬に胃ガンの告知を受け、8月から「右近本」として宇治の平等院で展示されている新写本を拝見しにいくどころではなくなりました。
 退院して身体が少し安定したので、取るものも取り敢えず宇治へ足を運びました。

 薄暗い展示会場で、開かれていた丁の範囲という限定された状況ではありますが、とにかく目を凝らして見つめました。本文を確認したところ、驚くことなかれ、「旧大系本」であることがわかりました。最悪の結果です。
 せめて「新大系」の本文であったら、少しはこじつけでも弁解できる余地がなきにしもあらずでした。
 「旧大系」に印刷された活字の文字を変体仮名に適宜置き換えて、一年かけて書写したというのは、まさに絶句するしかないできごとです。丹念にメモを取りながら、落胆の思いは隠せませんでした。

 「旧大系」は、私が大学院生だった時代に授業を教わり、陽明文庫への紹介状を書いてくださった山岸徳平先生が校注なさったものです。その頭注と補注は今でもすばらしいと評価されます。しかし、その『源氏物語』の本文は、今では過去に流布した本文として、いわばアーカイブズの対象となっています。
 また、同じ三条西本でも、今では書陵部蔵本よりも日本大学蔵本がよりよいもの、とされています。そんな「旧大系」の本文を、今、なぜ、の思いが強いのです。

 一昨年の源氏千年紀の折、国文学研究資料館で開催した源氏展では、この宮内庁書陵部本をお借りしてきて、古代学協会の「大島本」と並べて展示しました。図録『源氏物語 千年のかがやき』にも、収録しています。

 その展示期間に、立川市の住民の方が『源氏物語』を書写したので見てほしいとおっしゃって、新典社が刊行した影印本を半紙に書写し、きれいな和紙で綴じたものを持参されました。
 そのもとになさった影印本は、宮内庁書陵部蔵三条西本を複製したもので、「旧大系」の底本となったものです。
 この影印本については、私のホームページの【本文関係資料情報】で紹介していますので、ご参照ください。
 これは、新写本といってもいいものでした。その技量は、私にはわかりません。紙も、ごく普通の書道用の半紙でした。しかし、『源氏物語』の本文を写す、という意味から見て、これには何も問題はありません。個人の楽しみとして転写本を作成なさっているのですから。

 問題なのは、今回の宇治に奉納された本のように、あえて自己流で『源氏物語』の本文を芸術家の立場で勝手に改変し、活字組みの本文を参照したとはいえ個人的・気分的に手を入れた異本を作成し、それを写本として残す、という行為です。
 平成の今、『源氏物語』の新たな混成本文が作成されたのです。それも、本文の検討もなしに。参考に見たのが諸写本ではなくて、活字の校訂本文だというのですから、何をかいわんや、ということになるのです。

 これは、日本の古典文化の伝統を破壊する行為です。本文を伝えるという伝統が、まったくの遊戯にされています。恣意的に異本を作成して伝えようとすることは、『源氏物語』の本文研究の視点から言えば、わざわざ本文の伝流を混乱させるだけの愚挙ということになるのです。
 紙や古筆という文字の分野では、貴重な試行なのでしょう。しかし、写される物語本文のことも考えてもらいたいのです。

 今回の場合、書写する『源氏物語』の本文について、相談なさる適当な方がいらっしゃらなかった、ということがその背景にあります。それほど、『源氏物語』の本文については、みなさんの意識が薄いのです。おそらく、古筆を指導なさっていた先生も、『源氏物語』の作品内容や本文のことは、ほとんど専門ではなかったのでよくおわかりにならなかったので、このような結果になったと思われます。紙と文字だけにしか意識がむいていなかったことが、非常に悲しいことだと思われます。

 『源氏物語』の研究者は、それこそたくさんいらっしゃいます。研究も盛んに行われています。毎年、400本以上もの研究論文が執筆されています。しかし、その99.9パーセントは、活字の校訂本文による研究です。『源氏物語』の書写本文のありようを意識してのものは、本当に少ないのが実情です。

 つまり、この平等院に奉納された新写本の本文が、とても信じられないほどのものが写されているということは、『源氏物語』の本文研究に関わる一人として、忸怩たる思いがします。
 とんでもない本文が、このような新聞報道という形でマスコミに取り上げられ、また平等院に展示されて多くの人の目に晒されているのです。そのことに、『源氏物語』の本文を研究対象とする者の一人として、研究の底の浅さを露呈した形で恥ずかしい思いをしています。

 他の『源氏物語』の研究者の方々は、これでいいのでしょうか。
 多くの方には、『源氏物語』の本文のことなど、まったく関係のないことです。写本に何と書いてあれ、活字の校訂本で『源氏物語』が読めたらそれでいいのでしょう。そのテキストの底本が何であれ、当面は関係ないのです。しかし、『源氏物語』の本文研究史の視点からいえば、笑止千万の事態です。

 なお、『源氏物語』の本文研究がいかに遅れているか、ということを巡る問題点などは、本ブログの「源氏研究のリング化を回避するために」(2009年7月26日)で書いていますので、おついでの折にでもご笑覧ください。

 宇治の平等院に併設されているミュージアム鳳翔館で、企画展『書と料紙の世界—源氏物語、千変万化の王朝美—』が開催されていることです。
 これは、以前に私が「新写本『源氏物語』を平等院に奉納する愚行」と題して批判した『源氏物語』の新写本を展示するものです。

 平等院のホームページの案内によると、次のように書かれています。

『源氏物語』宇治十帖の舞台、宇治。
物語の終焉にふさわしい風光明媚な宇治には、かつて多くの平安貴族が別荘を営んでいました。平等院の前身は、『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルとされる源融の別荘だったと伝えられています。
平成21年6月20日、『源氏物語』ゆかりの平等院に、書家・右近正枝氏より『源氏物語』の写本・全54帖が奉納されました。この写本は、右近氏が古筆への思いと『源氏物語』への熱意を込め、一年の歳月を費やして完成された大作です。作品に使われた料紙は、王朝美術作家・大貫泰子氏が一紙一紙、丹精を尽くし手がけられました。
平安時代随一の才媛・紫式部によって書き上げられた『源氏物語』?。平安人の雅な心は、現代を生きる女流作家へ見事に受け継がれ、右近本『源氏物語』が誕生しました。流麗なる書と華麗なる料紙の競演をお楽しみください。
期間:平成22年8月7日(土)〜10月1日(金) 
※8月20日(金)、9月3日(金)、9月17日(金)に展示入替を行います。

 ここに、「右近本『源氏物語』」ということばがあります。
 実際に会場で配布されていた「展示解説」(A4版、4頁)の文章にも、4ヶ所に「右近本『源氏物語』」とあります。

 新聞記事では、(1)は「平成の写本」、(2)は「源氏物語五十四帖完写本」となっていました。
 それが、今回の平等院の会場では、「右近本」という固有名詞で呼ばれる書写本として、立派に名称が付与されていたのです。写本の認定がなされ、それがこれから一人歩きしていきそうな気配です。

 了悟の『光源氏物語本事』(鎌倉時代、島原松平文庫本と上越市立高田図書館所蔵本)に「宇治宝蔵におさめらるる本」というものがあります。
 ないことを信じますが、近い将来、この「宇治宝蔵本」と、今問題にしている「右近本」の関係を混同し、本文の内容から論じる研究者が出現しないことを願うのみです。

 さて、以下に、今回の展示で確認した新写本の本文について、展示ケース越しではありましたが、視認した範囲でわかったことをまとめておきます。
 今後、とんでもない誤解による本写本の研究や調査がないことを祈りながら、報告するしだいです。

 まず、第1帖「桐壺」です。
 今回見開きで展示されていたのは、巻頭部分でした。有名な部分で、高校時代に古文の時間に暗唱させられた方も多いことでしょう。

 以下、「宇治の新写本」—「旧大系(底本・宮内庁三条西本)」—「新大系(底本・大島本)」の順に例をあげます。

・「やむことな支(き)」—「やむごとなき」—「やんごとなき」
・「〈改行〉はしめより」—「〈改行〉はしめより」—「〈改行ナシ〉はしめより」
・「めさ万(ま)し支(き)者尓(に)」—「めざましき者に」—「めざましき物(ルビ・もの)に」
・「下らふの」—「下臈(らふ)の」—「げらうの」
・「もの心ほそけ」—「もの心ぼそげ」—「物心ぼそげ」
・「ひ支(き)いてつへう」—「ひき出(ルビ・い)でつべう」—「引(ルビ・ひき)出(ルビ・い)でつべく」

 漢字と仮名の使い分けから、「宇治の新写本」は「旧大系」をもとにしたものであって、「新大系」ではないことは明らかです。
 また、活字本が内容から改行して組んでいるところを、新写本も改行しているのは、何とも古典籍の写本としては奇妙です。芸術性とは無縁な、読んでわかるように、『源氏物語』の本文が改行処置によって小見出しに即したグループ分けがなされているのです。

 次は、第6帖「末摘花」です。

・「わ可(か)方に(にミセケチ有)へ」—「わが方(ルビ・かた)へ」—「わが方(ルビ・かた)へ」

 これは、「方に」と書いた後で、「に」が衍字であることに気づき、ミセケチにした例です。
 本文の見直しがなされているようです。

 もう一例、第21帖「少女」から。
 この巻には、「また」と「まして」が小さく傍記されている例も確認できます。
 これは「旧大系」が読点で短く区切っている箇所なので、目が飛んだために脱字となったものではないでしょうか。それを、後に補入記号なしで補っているものです。
 いかにも写本らしくするための技巧なのか、ケアレスミスによるものなのかは、今は不明です。
 ただし、墨色が少し異なるようなので、後に書き加えたもののように見受けられました。

 以上のことから、「宇治の新写本」は「旧大系」をほぼ忠実に仮名漢字を適当に変化させながら書写したものだと言えます。
 残念ながら、書写にあたって用いられたテキストが「新大系」ではなかったことが、今回の展示で確認できました。

 ウエブ版の「産経ニュース(2010.8.6 02:35)が、「藤原定家が編集した写本「大島本」をもとに、市販されている本を参考にして、右近さんが1年がかりで書き上げた。」と書いていました。
 「大島本」ならば「新大系」をもとにしたことになります。しかし、実際には、宮内庁書陵部が所蔵する三条西本を底本にした「旧大系」でした。この産経の記事は、何を根拠とするものなのでしょうか。おそらく、『源氏物語』の活字化された本文なので「大島本」だろう、ということでの記事だったのでしょう。

 きりがないので、もうこのへんにしますが、もう一点だけ。

 「ウィキペディア」に「源氏物語の写本」という項目があり、その中の「写本の作成」の節の「その他」で、この「宇治の新写本」のことが書かれています。

2009年には源氏物語千年紀を記念して1年かけて新たに作られた写本が京都府宇治市の平等院鳳凰堂に奉納されている。この写本の本文は印刷本である岩波書店の日本古典文学大系本をもとに漢字はなるべく仮名に置き換えたものである[20][21]。

[20]^ 賀茂街道から2 折々のよもやま話 新写本『源氏物語』を平等院に奉納する愚行
[21]^ 賀茂街道から2 折々のよもやま話 学問とは無縁な茶番が再び新聞に


 ここで注記[20][21]に引かれたのは私のブログの記事です。
 それにしても、このようにして「宇治の新写本」が『源氏物語』の写本として認知され、一人歩きすることを憂えます。

 最初に記したように、何らかの手立てを打つべきではないでしょうか。それが、書写者である右近さんの名誉のためでもある、と思うのですが……
 本日の記事は、決して右近さんの名誉を傷つけるものではないはずです。このような学問的に一顧だにされない本文を後世に残すことの意味を、よく考えるべき時だと思います。
 さらには、『源氏物語』の本文研究が未熟だったがために、このような形で本文が写されたということは、『源氏物語』の研究に携わるものの一人として、恥ずかしい思いをしています。
 一体『源氏物語』の本文研究はどうなっているのだと、我が事のようにふがいなさをも痛感しています。

 『源氏物語』の本文をコツコツと調査し勉強している身には、このような書写という事態があるがままの状態で放置され、一部の方々が芸術や文化的な視点でのみ賛美されている傾向に、私は『源氏物語』の本文研究という立場から異議を唱えたいと思います。
 
 
 

コメント

はじめまして。
写本でヒットしたのでお邪魔しました。
いつかは源氏物語をお稽古したいなと習字のお稽古をしています。
写す元にこんなに種類があると走りませんでした。高校の古文の一部分と昔読んだ与謝野晶子訳の文庫しか思い当たりません。
難しいことはわからないのですが、手に入りやすい本を紹介していただけると幸いです。

コメントをありがとうございます。
いろいろなトラブルがあり、返信が大変遅くなりました。
最近は、写本の写真版がいろいろと出版されています。
大きな書店であれば、学生用の参考書の棚にもあります。
1度手にとってご覧になればどうでしょうか。

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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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