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2010年10月の41件の記事

2010年10月31日 (日)

京洛逍遙(168)知恩寺の古書市で井上靖自選集を買う

 今年も秋の古本まつり(古本供養と青空古本市)が、京都大学の北側にある百万遍・知恩寺で開催されています。今年は、10月30日(土)から11月3日(水)までの5日間です。
 
 
 

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 古本供養には間に合いませんでしたが、京都古書研究会加盟の内の16店には、すべて顔を出しました。
 とにかく、烈しく眼球運動を繰り返した2時間でした。
 
 
 

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 今年の収穫は、この知恩寺境内ではなくて、百万遍の交差点に近い古書店の店先で見つけた、井上靖の『日本名作自選文学館 猟銃 他二十三篇』(680頁、昭和47年、ほるぷ出版)でした。
 この本は、大きさといい、背から表紙にかけて皮を貼った装丁といい、1953年(昭和28年)〜1956年(昭和31年)に刊行された『源氏物語大成』(全8巻、中央公論社)を思わせるものです。
 箱は立派な布貼りで、挿絵と装幀は加山又造、題字は井上靖です。ズッシリと重さが伝わってきます。皮に痛みはありますが、それを払拭するほどの存在感がある本です。
 
 
 

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 セット販売の本なので、なかなか入手できませんでした。これと同じ内容で装幀も同じ本が、昭和59年に13000円で発行されています。しかし、こちらのセット本の方を探していたのです。
 これが今日、なんと500円だったのです。反射的に、すぐ買い求めました。

 巻末に、編者であり作者である井上靖の自選解題「二十四の小石」があります。
 その中で、この自選集は「二十三年間に生み出した百七、八十篇の短編の中から、漠然と、まあこれくらいならと思う作品を拾」(677頁)ったものだとあり、「私が愛着を持っている作品である」と書いています。

 試みに、この2年前に編まれた『自選 井上靖短編全集』(1100頁、昭和45年、人文書院)と今日手に入れた『日本名作自選文学館 猟銃 他二十三篇』とを較べると、『自選 井上靖短編全集』に収録された70編の中から20作品が選ばれていることがわかります。残る4作品は、「天正十年元旦」(昭和30年)と、『自選 井上靖短編全集』の中でも最新作品の「褒姒の笑い」(昭和39年)以降に発表されたものです。
 つまり、昭和45年に自分が愛着のある作品としたものに対して、その2年後に「天正十年元旦」を追加した、ということになるのです。
 自選という枠は、なかなか難しい判断が含まれます。作家の成長と共に、自分の作品に対する愛情が変化することは当然でしょう。昭和47年に井上靖が選んだ24作品の中にあえて追加された「天正十年元旦」は、作者にとっては大きな意味を持つものと言えるでしょう。

 実際、「二十四の小石」の中でも、「不出来にしか生めなかった作品であっても、今だに何とかして世の中に押し出してやりたいという気持ちを払拭できないでいるものもある。」(676頁)といっています。自作に対しては、作者なりにさまざまな思いがあるようです。

 なお、「二十四の小石」の後半で、短編「洪水」について「活字になってからも削ったり加えたりした。」と言っています。
 井上靖は推敲にあたって、どれくらい手を入れているのか、非常に興味があります。
 井上靖は多作タイプの作家なので、書き上げてからさらに作品を練り直す時間的な余裕は少なかったはずです。多少の字句の加除はあっても、それがどの程度、表現のレベルにまで及んでいるのか、いつか調べてみたいと思っています。
 すでに『星と祭』については、朝日新聞に連載していたときから単行本に収録した時点で、どのような手が入ったのかを調べだしています。いずれ、その調査結果をまとめたいと思っています。
 さしあたっては、「洪水」がどの程度なのか、早速確認するつもりです。

 午後は、しだいに雨が強くなりました。古書市では、オークションが中止となったようです。
 明日以降は、ぜひ雨が上がって、1人でも多くの方が古書に親しんでほしいものです。
 
 
 

教科書に見る平安朝・小学校—国語(1)

 平安神宮の入口にある京都府立図書館には、戦後の学校教科書のコレクションが収蔵されています。
 
 
 
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 昨年末にその2万冊の分類整理が終わったとのことで、本年(2010)1月よりオンライン検索も可能となりました。

「京都府立図書館所蔵 教科書目録案内」

 ただし、その内容を知るための目次などは、データベース化されていません。
 何年の何年生のものがあるかどうか、ということと、簡単な書誌しかわかりません。

「目録データの見方と解説」

 つまり、採択された教材を確認しようと思えば、実際に教科書を手にするしかないのです。

 京都府立図書館の「教科書目録案内」のトップページには、このコレクションの概要が次のように記されています。


 京都府総合教育センターが「教科書センター用見本」として保管していた教科書がほとんどです。これらは、採択を希望する発行者が京都府に送付してきた見本です。一部、個人の方が実際に使用されていた教科書も所蔵しています。
 所蔵冊数
   小学校の教科書 6,753冊
   中学校の教科書 3,920冊
   高等学校の教科書 10,015冊(うち、専門教育1,909冊)

 京都教育大学などが調査に入っておられたようなので、私は遠慮していました。
 そろそろいいだろうと思い、病気療養中の時間を活用する意味からも、先月より少しずつ閲覧してきました。そして、本日ようやく小学校の国語科に関するものすべてを確認し終えることができました。

 目次からだけではわからない教材が多いので、実際にすべてのページを捲って確認しました。そのため、予想外に時間がかかりました。

 たとえば、大阪書籍発行の『小学国語 6下』(平成7年検定済)には、「与謝野晶子の文学碑を訪ねて」という教材が8頁にわたって掲載されています。巻頭には、歌碑のカラー写真が2葉あります。文中には、歌碑がある堺市内の地図やカラー写真があります。
 しかし、この教科書の最初の目次には、次のようにあるだけです。


二 目的に応じて表現のくふうをしよう
  調査・見学したこと

 つまり、教科書の全頁を捲ってみないと、その内容が正しく確認できないのです。

 小学校の国語科の教科書は、京都府立図書館で所蔵されていたものは1300冊を超えていました。
 データベースで検索すると、年度単位で表示されるので、小学校国語のように上下2冊に分かれるものは、実数がわかりません。
 欠落している年や、通年で2冊ある内の1冊だけだったり、また同じものが3冊や4冊あったりします。特に、最近のものは複数冊ありました。

 結局、今回私が確認したのは、それらを整理しながら、823冊を丹念に見たことになります。

 年代としては、一番古いものが昭和26年(なんと池田亀鑑が監修者の1人です)、新しいものは平成7年でした。ただし、教科書会社の各社にばらつきがあります。

 今回調査対象とした収蔵資料の国語科の教科書会社は、以下の通りです。
 これは、書架に配架されている順番です。
 この順番で、これから私見によるメモを数回にわたって記します。

・中京出版    (12冊)
・大日本図書   (31冊)
・二葉図書    (38冊)
・学校図書   (129冊)
・教育出版   (134冊)
・光村図書   (140冊)
・日本書籍   (127冊)
・大阪書籍    (40冊)
・三省堂     (13冊)
・信濃教育会出版部(25冊)
・東京書籍   (134冊)
 
 
 

2010年10月30日 (土)

西国三十三所(29)三井寺

 西国三十三所第14番の三井寺までは、大津駅から歩いて20分。
 途中、かつては京都の町家のような家が建ち並んでいたと思われる街並みを、ブラブラと歩きました。
 通りがかりに三橋節子美術館があり、梅原猛の『『湖の伝説』―画家・三橋節子の愛と死―』を思い出しました。また次の機会に立ち寄りましょう。
 
 
 
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 三井寺の広い境内には、たくさんのお堂があります。どことどこに行くか、迷います。
 まずは、薬師如来をまつる水観寺で病気平癒を。
 そして、西国三十三所の札所となっている観音堂にお参りしました。
 
 
 
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 三井寺の御詠歌は、次の通りです。


いでゐるや
なみまのつきを
みゐでらの
かねのひびきに
あくるみづうみ

 
 
 
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 観音堂の前に、新しく作られた幟が翻っているように、ここも、「びわ湖108霊場」の1つとなっています。
 西国三十三所の御詠歌を書いていただいてから、「びわ湖108霊場」の御宝印をいただきました。そして、この近くの「びわ湖108霊場」の場所を聞くと、納経所の方は多少小馬鹿にした言い方で、わからないとのことです。また、その一覧も、用意していないそうです。他人事のような対応です。3人の書き手以外に、年配のお坊さんが後で話の様子を聞いておられました。しかし、それでも知らんぷりで何もおっしゃいません。私が視線をその方に投げて、組織化に時間がかかりましたよね、と語りかけたのに無視されました。
 「びわ湖108霊場」は、どうも前途多難です。特に、この湖西地域は最後まで結束できず組織化に手こずった経緯があるので、今後は外からの圧力が必要なのかもしれません。とにかく、現場の方は、昨年9月にスタートした「びわ湖108霊場」に関しては、非協力的です。
 この前の岩間寺もそうでしたが、この三井寺はさらに無関心さが露骨でした。知名度のある有力寺院なればこその、力関係も含めての排他的な背景があるようです。私は、「びわ湖108霊場」は大いに宣伝をして盛んにすべきだと思っています。応援したいと思っているので、このことは、また別に記します。

 境内から見渡す琵琶湖は、湖岸の街並みが目に入るので、絶景とは言い難いものです。琵琶湖は、もう少し北へいった方が気持ちが落ち着きます。
 
 
 
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 京阪石山坂本線の三井寺駅に向かう帰り道は、琵琶湖から京都へと引かれる疎水の、琵琶湖側の起点沿いになります。琵琶湖疎水が、三井寺の下を通っていることは知りませんでした。
 
 
 
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 京都側では南禅寺にある蹴上の疎水を知っているので、自分の中で水脈がつながったことに感激しました。
 ドラマや映画の殺人事件でロケ地になることの多い、アーチ型のレンガ組みで有名な、あの南禅寺の疎水です。その始発地点も、こんなに絵になるところだったのです。
 
 三井寺駅から皇子山総合運動公園の方に向かって歩き、天然温泉の「大津やまとの湯」に行くことにしました。
 すると、途中に回転寿司の「かっぱ寿司」があったので、少しお腹に入れるために立ち寄りました。
 私は「かっぱ寿司」が嫌いです。姿形は回転寿司屋です。しかし、お寿司の味といい、形といい、店の雰囲気といい、どうも好きになれません。三条にも、「むさし」の横にあります。ただし、入ったことがありません。
 ここは大津です。ひょっとして川魚などの変わったものがあるのでは、と思って入りました。

 結果は、やはり好きになれない店でした。干からびたネタが回っていますし、店員さんがよくありません。
 しかし、一点だけ、おもしろいものがありました。それは、注文したお寿司を新幹線の形をしたお皿の「かっぱエクスプレス」が目の前まで走ってきて運ぶのです。これはアイデアです。子供はよろこびます。そして、大人も。
 今、このチェーン店は、みんなこんな小道具を導入しているのでしょうか。今度、どこかの店をのぞいてみましょう。
 
 
 
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 さて、小腹を満たして行った「大津やまとの湯」は、かつて「びわ湖温泉 紅葉パラダイス」だったところです。小さい頃から、テレビなどの宣伝でよく聞いたものです。それが、今はスーパー銭湯に衣替えです。
 ただし、ここの露天風呂のお湯は、三重県亀山市から運んでいるそうです。奈良の「やまとの湯」もそうでした。
 お客さんの話によると、最初は琵琶湖が眼下に望めて、気分のいい温泉だったとのことでした。それが、近年、すぐ前にマンションが林立し、今では琵琶湖がみえなくなった、と話しておられました。残念なことです。

 身体がホカホカしたところで、少し小ぶりの京阪電車で帰途につきました。
 
 
 
 


2010年10月29日 (金)

緑川真知子著『『源氏物語』英訳についての研究』の重み

 心待ちにしていた緑川真知子さんの著書が刊行されました。
 『『源氏物語』英訳についての研究』(武蔵野書院、2010年9月)

 まずは、その姿形から。
 
 
 
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 本書の本体部分は443頁です。しかし、巻末に貴重な資料と英文論文が89頁分あるため、総頁数は532頁の大著となっています。

 カバーに小さく「翻訳された『源氏物語』の捉え方についての細密なる検証」とあります。これが示すように、まさに翻訳された英文を丹念に読み解いての、詳細な研究成果の集積です。
 内容は、2005年までの研究成果がベースになっています。
 それ以降、特に2008年が源氏千年紀だったこともあり、『源氏物語』の英訳に関する情報などが一気に吹き出した年でもありました。それらについては、今後の緑川さんのさらなる研究成果に期待しましょう。

 今は、目の前にある、ズッシリと重いこの研究成果を、これからジックリと読ませていただきます。いくつかは既に読んでいるので、さて、どの章のどれらか読み出そうかと、心弾む思いでいます。
 もちろん、読み出したら、私にはとても読み解けない英訳『源氏物語』を扱うものなので、ひたすら「そうなのか」と教えられるばかりでしょう。一言も反論できない世界というものは、これまた禁欲的な思いを強いられるだけに魅力的です。

 私は、『源氏物語』の中身がよくわからないままに、写本に記された物語本文の総整理をしています。
 また、海外で翻訳された『源氏物語』について、さまざまな言語の翻訳本を集めては整理しています。これも、自分にはわからない外国語で書かれた本を対象にしています。
 結局、自分にはわからないものを、資料として整理しているだけなので、その中身については先達にひたすら教えていただく姿勢なのです。今は、とにかく緑川さんに教えていただく、それがまた、楽しい勉強といえるものです。

 緑川さんのこの大著は、今なにかを言えるものではありません。
 巻末の資料は、私にも少し活用できるかな、とか、もっと詳細な索引を別冊で作ってほしいな、とか、そんな些末なことしかありません。
 よけいなことですが、研究発表や研究論文の執筆をお願いするなど、頼み事ばかりのお付き合いです。その研究内容について、本書をいい機会として、少しでもお話ができるようにしたいと思います。

 『源氏物語』は、さまざまなアプローチが可能です。
 緑川さんは、こうして英訳に関して大きな成果を提示してくださいました。
 私の手元には、海外の27種類の言語で翻訳された『源氏物語』の本たちが横たわっています。
 これらは、これからの若者が何とかすべき本群だと思っています。
 私は、あくまでも整理屋なので、意欲的な若手の出現を心待ちにしています。
 その時に、この緑川さんのようなアプローチの仕方が、大いに参考になることでしょう。

 本書の「第一章 文学研究における受容の研究と「受容理論」の概観」の「一 「享受」と「受容」」という節で、私の最初の研究書である『源氏物語受容論序説』(桜楓社、平成2年)における基本姿勢である、「受容」についての私見を引いてくださっています。
 これから研究をなさる方は、日本文学とその翻訳に関する問題を考える際には、この「享受」と「受容」については、ぜひとも押さえてからスタートしてもらいたいと思います。その意味でも、本書ではきちんとこのことを説明しておられるので、安心してその後が読み進められます。

 さて、「第二部 ウェイリー訳『源氏物語』の諸相」は、本書の中心となる部分だけに、しばらくは読解に時間がかかります。
 今日のところはここまでとします。
 読み進めながら、追々コメントが付けられれば、紹介しようと思います。

 とにかく、私が待ち望んでいた、大変な本が本当に刊行されました。
 頁を繰って読み進むのが、楽しくなってきます。
 緑川さんが、このような形でこれまでの成果をまとめられたことを、慶びたいと思います。

 最後に、目次をあげます(入力ミスがあればお許しを)。



第一部 『源氏物語』翻訳研究の位置付けと方法
 序
 第一章 文学研究における受容の研究と「受容理論」の概観
 第二章 翻訳研究の方法
 第三章 現代日本語訳と英訳
 結
第二部 ウェイリー訳『源氏物語』の諸相
 序 —ウェイリー翻訳研究の意義—
 第一章 ウェイリーの翻訳観と当時の評価
 第二章 ウェイリー書き入れ本『源氏物語』について
 第三章 ウェイリー訳『源氏物語』における省略について
 第四章 『源氏物語』以外のウェイリー訳における省略についての考察
 第五章 「若菜」の巻におけるウェイリーの操作について
 結
第三部 『源氏物語』翻訳の諸相
 序
 第一章 巻名と呼称の英訳
 第二章 和歌の英訳の変遷と『源氏物語』の和歌英訳について
 第三章 『源氏物語』における散文部分の翻訳の諸相
 結
結語

(巻末資料)
主要語彙・人名・書名索引
主要参考文献一覧
『源氏物語』54帖巻名英訳一覧表
ウェイリー訳「若菜」上下の省略部分一覧表
ウェイリー全書き入れ一覧表
付節 英文論文


 
 
 

西国三十三所(28)播州清水寺

 西国三十三所の札所は、3分の1が山頂、3分の1が谷間、そして残る3分の1が街中や里にあるということです。
 西国25番札所の播州清水寺は、標高550メートルの山の上にあります。京都の有名な観光寺院である清水寺と区別する意味から、「播州」を頭に付けています。

 相野駅からバスで山門まで35分。バスは1日に2便しかありません。山登りをしなくていい分、このバスの時間に合わせるのが大変です。

 ちょうど丹波立杭焼きの陶器祭のため、陶器の里には、たくさんの人が訪れていました。
 
 
 
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 清水寺は、大正2年に全山が消失しました。ほとんどの堂宇が大正・昭和の再建ということもあり、きれいな境内です。
 鮮やかな朱の仁王門は、昭和55年の再建です。
 
 
 
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 この寺は、1800年前の景行天皇のときに、インド渡来の法道上人に始まります。中国、朝鮮を経て遙々と来られたのです。
 
 
 
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 この前に行った一乗寺も、法道上人さんでした。
 すでに紹介した花山院も法道上人と縁があったので、この人についてはさらに調べることにします。

 播州清水寺の御詠歌は、次の通りです。



あはれみや
あまねきかどの
しなじなに
なにをかなみの
ここにきよみづ

 
 
 
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2010年10月28日 (木)

京洛逍遥(167)バスの中での雲水さん

 台風の影響なのか、昨夜からの雨が酷くなっていたため、バスで移動中のことです。
 私は、いつものように始発からの乗車なので、後ろの方の席に座っていました。

 しばらくして、途中のバス停から雲水の方が3人、折からの雨ということもあってか、そそくさと乗り込んでこられました。座席は疎らではありますが、空席はいくつかあります。2人がけのシートに1人が座る、という状態でした。

 どうなさるのかな、と思い、興味を持って見ていました。
 私の予想は、狭いながらも通路に立って吊革をまず持たれる、というものでした。そして、状況によって座るかどうかを考えられるのでは、と思いました。
 ところが、あにはからんや、サッサと空いている席に座られました。私の横にも、ドッカリと。

 今私は、自分の身体に対して意識的に負荷をかける修行中なので、この3人の方の動静に注目していたのです。少し、意地悪な目だったかもしれません。

 雲水の方がバスのシートにデンと座っておられると、どうも絵になりません。常に修行中の姿を求めるのは、酷なのでしょうか。しかし、見られている立場、というものもあると思います。しかも、場所は京都なのです。多分に偏見が混じっているのかもしれませんが……

 京都にいながらも、街中はともかく、めったにバスで雲水の方に出会うことがありませんでした。
 隣の席で目を瞑っておられる若いお坊さんが、何を考えておられるのか、などなど、しばし様子を窺っている自分がおかしくなりました。

 私が東山二条で降りようとすると、それまで黙想状態だった隣の雲水の方は、スッと立って出やすくしてくださいました。好青年のようで、好感を持ちました。

 頭陀袋を見ると、建仁寺派の方々のようです。
 バスに座っておられる姿は様になりませんよ。
 それはともかく、どうか修行に励んで、立派なお坊さんになってください。
 
 
 

2010年10月27日 (水)

西国三十三所(27)粉河寺

 堺市の与謝野晶子文芸館における自筆原稿の写真撮影も、みなさまのお陰で無事に終わりました。

 一点ずつ貴重な原稿用紙を確認しながらの撮影なので、一枚の写真にも大変な手間がかかっています。公開された画像を見る限りにおいては、貴重な手書き原稿のカラー写真です。しかし、その一枚の写真のシャッターを切るまでには、さまざまな背景があり、ドラマがあります。
 堺市文化部、与謝野晶子文芸館、そして撮影担当の光楽堂と、前回同様の鮮やかなチームプレーに拍手を送りたいと思います。
 さらなる貴重な資料公開に、今後ともご理解とご協力をお願いします。

 以上、業務報告も兼ねて、認めました。

 さて、予定より早く終わったので、私は南の和歌山まで脚を延ばすことにしました。

 JR和歌山線は、いくつもの駅で電車のドアが全部は開きませんでした。先頭車両の一番前だけが開くので、乗る場所に注意が必要です。その中でも、粉河駅は大きな駅になるので、車両のすべてのドアが開きました。
 
 
 
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 紀ノ川沿いの粉河寺は、西国第三番札所です。粉河駅から歩いて10分のところにあります。
 この大門の朱には、落ちついた味わいがあります。
 
 
 
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 国宝『粉河寺縁起絵巻』は、今は京都国立博物館に寄託されています。現物は、国宝展などで、ガラス越しに何度か見ました。下半分が焼けて痛々しい絵巻物だったことを、強烈な印象として残っています。
 粉河寺までの整備された参道に、石造りの立派な案内板が道沿いに並んでいて、そこに『粉河寺縁起絵巻』の場面場面が掲示されていました。参拝の行き帰りに、読みながら記憶の整理をしました。

 『枕草子』にも出てくる粉河寺は、その後さまざまな歴史に巻き込まれます。しかし、紀州徳川家の保護もあり、今は威厳の中にも親しみが感じられる境内のたたずまいです。気分がスッキリとする、そんな雰囲気の中にあるお寺といえます。

 境内に入ると、中門がドッシリと待ち構えています。大門の鮮やかさとこの中門の渋さが、自ずと好対照となっています。
 
 
 
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 本堂前の枯山水の庭が、参拝者の気持ちを少しかき乱してくれます。
 穏やかな境内を、この庭が気持ちに変化を与えてくれるのです。なかなか心憎い演出だと思いました。
 
 
 
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 粉河駅から南に下った竜門橋を渡ると、龍門山温泉があるようです。2001年正月にオープンしたとか。しかし、もう遅い時間で、ここから京都の自宅まで3時間以上かかるので、また次にすることとします。
 何やら、このところ「また次……」ということが多い巡拝となっています。

御詠歌は、次の通りです。


ちちははの
めぐみもふかき
こかわでら
ほとけのちかひ
たのもしのみや

 
 
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西国三十三所(26)法起院

 
 
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 法起院は、長谷寺へ行く参道の途中にある、見過ごしてしまいそうな小さなお寺です。
 狭い境内なので、ここがどのようなお寺なのか、なかなか理解しづらいところがあります。
 ここは、西国札所の番外3つの内の1つなのです。それも、西国三十三所巡礼を再興させた花山法皇ゆかりの2寺ではなくて、開基である徳道上人の威徳を讃える大切なお寺です。
 
 
 
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 法起院の御詠歌は、次の通りです。


ごくらくは
よそにはあらじ
わがこころ
おなじはちすの
へだてやはある

 お軸によって、番外の寺院は朱印をもらう位置が違います。
 今回のお軸では、最下段に3つある空欄を使うようになっています。
 
 
 
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 今月10月からJRがスタートさせたスタンプラリーでは、この番外のお寺は対象外となっています。そのためもあって、この番外3寺院を訪れる人は極端に少なくなっています。お気の毒としか言いようのないことです。これは、何とかしてほしいものです。

 確かに、この法起院以外は、わざわざ行かなければならないので、企画する方としては、とりあえずは外しておきたいのでしょう。しかし、この3寺院をサービスポイントのお寺としてスタンプラリーに組み込んでいたら、今後の西国札所巡りの人々を誘い込むラッキーポイントになったのでは、と私は思います。
 今回のスタンプラリーは平成26年まで実施期間があります。どこかで参入してもらったらどうでしょうか?

 帰り道で、新聞配達店の看板に目が止まりました。
 
 
 
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1つの配達店で、こんなにたくさんの新聞を扱っているのです。戸数が少ない地域では、各紙を一手に引き受けざるをえないのでしょう。効率的ではあります。しかし、配る方は地獄のはずです。つい、昔の自分だったらいやだな、と思い、しばし佇んでしまいました。

 長谷寺温泉に入りました。参道にある湯元井谷屋は、温泉だけ入ることもできます。
 
 
 
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 私の最初の著作である『新・文学資料整理術パソコン奮戦記』(桜楓社、1986年)が刷り上がったとき、ちょうどS氏(現社長)が奈良へ出張になったこともあり、本を自宅まで持ってきてくださいました。そのとき、この長谷寺温泉に誘いました。家族とも、何度も来ました。
 ここの温泉は肌に馴染む水質です。
 長谷寺にお越しの節には、ぜひこの温泉にも脚を留めてみてください。旅が一層思い出深くなること請け合いです。
 
 
 

2010年10月26日 (火)

与謝野晶子の自筆原稿『新新訳源氏物語』と『蜻蛉日記』の撮影

 『源氏物語』の千年紀だった2008年9月に、鞍馬寺に保管されていた与謝野晶子自筆原稿の一部となる『新新訳源氏物語』の公開を果たしました。鞍馬寺のご理解とご高配には、その後の堺市に多大な影響を与えただけに、心より敬服するところです。

「与謝野晶子の自筆原稿画像の試験公開」(2008年9月17日)

 この鞍馬寺の晶子自筆原稿の公開を受けて、堺市ご所蔵の晶子自筆の『新新訳源氏物語』の草稿も公開できることになりました。
 本年2月に、無事に鞍馬寺と並ぶ形で、国文学研究資料館から公開しました。研究資料を画像データベース化して公開する私の仕事が、これで一段落しました。

「与謝野晶子の『新新訳源氏物語』自筆原稿画像データベース公開」(2010年2月20日)

 堺市には、さらにたくさんの与謝野晶子自筆原稿が保存されていました。
 そのことは、これまでにも本ブログで何度か紹介しました。
 その後、堺市からの連絡で、『蜻蛉日記』の現代語訳の草稿と、『新新訳源氏物語』の草稿の追加分が公開できることになりました。これで、晶子自筆の平安女流文学の現代語訳原稿の多くが、ネットを通して精細画像で確認できることになったのです。
 近代文学と古典文学が、ここに融合した研究資料として提供できることになるのです。

「与謝野晶子の源氏訳自筆原稿「夕顔」等を確認」(2010年7月16日)

 個人的なことを挟んで恐縮ですが、この2010年7月16日の調査に出かける直前に、私は東京の九段坂病院からの電話で、ガンの告知を受けました。私にとっては、忘れられない日となりました。

 さて、古典文学が敬して遠ざけられる今、その研究者も衰退の一途を辿っています。そんな折だけに、晶子の古典理解を通して近代と古典の文学に目を向けてもらうことは、新しい研究分野として大いに広めたいと思っています。
 その意味からも、国文学研究資料館から公開している画像データベースを、一人でも多くの方に見ていただければ幸いです。

 今日は、『蜻蛉日記』と『新新訳源氏物語』の晶子自筆原稿の撮影に立ち会うため、堺市立文化館・与謝野晶子文芸館に行きました。

 今日と明日の2日間で撮影するのは、『源氏物語』では「桐壺」「帚木」「夕顔」「若紫」「賢木」「花散里」「真木柱」「藤のうら葉」「朝顔」の約20数枚と、『蜻蛉日記』の120数枚です。ただし、原稿用紙の両面に書かれたものもあるので、撮影カット合計数は250枚ほどになります。

 前回7月16日の調査以降、足立さんの精力的な調査により、『新新訳源氏物語』の「朝顔」が1枚あることがわかりました。また、『蜻蛉日記』は原稿用紙が2枚欠落しているだけであることもわかりました。さらには、『蜻蛉日記』の梗概を記した原稿用紙も2枚見つかっています。これは、これまでその存在が知られていなかった貴重なものです。

 早朝よりしばらく、担当の足立匡敏さんと打ち合わせと確認をしました。
 足立さんは、来月の国文学研究資料館で開催される「国際日本文学研究集会」(11月27日(土)・28日(日))で、2日目28日の14時15分より、「与謝野晶子訳『蜻蛉日記』の成立—堺市蔵・自筆原稿の考察を中心に—」と題して研究発表をなさいます。今回撮影する自筆原稿をフルに活用した研究成果の発表であるだけに、当日が楽しみです。
 このときには、英国ケンブリッジ大学の小山司書の講演と、大学院生のレベッカさんの研究発表もあります。たくさんの方のご参加を願っています。

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 撮影の合間に、与謝野晶子文芸館の展示を、足立さんと学芸員の森下さんのお話を伺いながら拝見しました。今回は、晶子の愛用品とでもいうべきものが目玉の展示となっています。
 与謝野晶子文芸館(+アルフォンス・ミュシャ館)は、堺市駅に隣接するベルマージュ堺の中にあります。天王寺から快速で8分と、思いのほか近い立地にあります。大阪にお越しの節には、ぜひ立ち寄られることをお勧めします。

 展示ケースの上からの写真なら構わないとのことだったので、写真と共に展示品の中でも私が気になったものを紹介します。
 晶子愛用の文箱(写真右、鞍馬寺蔵)は、原稿用紙がスッポリと入りそうな大きさです。
 
 
 
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 これとは別に、鞍馬寺には四脚付きの唐櫃があり、それに晶子の原稿が入っていたそうです。
 私は、この文箱は晶子専用の「遙青書屋」の銘が刷り込まれた原稿用紙が入っていたのではないか、と勝手に想像しています。

 また、上掲写真左の朱肉(鞍馬寺蔵)は、添削用の朱を筆に付ける時に使ったものではないか、と森下さんの説明でした。鞍馬寺の曾根さんもそのようにお考えだとか。少し窪んでいるので、そうなのでしょう。

 晶子といえば、堺の駿河屋の和菓子を思い浮かべる方が多いでしょう。
 その駿河屋が、1888年にバルセロナで開催された万国博覧会で受賞したメダル(写真下)も、目を引きました。
 
 
 
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 スペインからこちらに調査にお出でになった研究者の情報によれば、バルセロナ万博で出品されたのは、飴、豆製菓子、ボーロだったようです。

 晶子は、幼いときに、店番をしながら書物を読んでいたとのことです。その駿河屋の様子がわかるのが、上掲写真の上の絵図です。
 この受賞した駿河屋のお菓子は、復元されているのでしょうか。堺でのお茶席で、利休と晶子のコラボレーションがあれば、ぜひ参加したいものです。

 なお、晶子の『みだれ髪』の第2版本が、まだ見つかっていないそうです。初版本(写真右端)と第3版本はあるのに、悩ましいことです。
 
 
 
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 もし第2版本をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ご一報をお願いします。明治35年か36年の刊行かと思われます。

 晶子について雑談しているときに、晶子の作品は海外ではどれくらい翻訳されているのか、気になり出しました。『源氏物語』の場合、調べてみると予想外に多くて驚いています。
 この晶子の作品についても、世界各国で翻訳されていることでしょう。これについても、海外の方々からの情報をお待ちしています。
 
 
 

西国三十三所(25)長谷寺

 長谷寺は、西国三十三所の第8番札所です。
 
 
 
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 仁王門から続く登廊の石段は、全部で399段あります。初廊は段差を無視して歩けます。
 登りつめると、どっしりとした本堂が迎えてくれます。
 
 
 

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 この広場から初瀬川を臨むところに、『源氏物語』に関する説明板がありました。
 最近出来たもののようです。
 
 
 
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 これまで長谷寺は、あまり『源氏物語』との結びつきを強調していなかったように思います。それ以外に、長谷寺は日本の文学作品にはたくさん登場するので、『源氏物語』という名前に頼る必要がなかったのでしょう。その意味では、この説明板は1つの変化ではないか、と思っています。
 境内でここ以外には、特に『源氏物語』を想起させるものはありません。これが、歴史の重みというものなのでしょうか。

 石の上に立つ十一面観音は、後背を含めると高さが12メートルもあります。私は、このお顔の髭が、いつも気になっています。なんとなくユーモラスな感じがするのです。親しみを感じます。

 長谷寺に来て本堂の舞台に立ち、登廊から参道や長谷川にかけての長谷の町並みを眺め、そして五重塔を見ると、いつも気持ちがスッキリします。
 
 
 

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 『源氏物語』で玉鬘たちがこの長谷寺に籠もった話が、あまり実感として湧かないのはどうしてなのでしょうか。当時の長谷寺の構造が、今と大きく違うのではないかと、勝手に想像しています。

 長谷寺は帰り道もいいですね。私が好きな石段です。緩やかな曲線が気に入っています。
 
 
 
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 長谷寺の御詠歌は、次の通りです。


いくたびも
まゐるこころは
はつせでら
やまもちかひも
ふかきたにがわ

 
 
 
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 長谷寺でも、お軸は丁寧に扱ってもらえませんでした。きれいに仕上げたいと思っているので、きちんと文鎮を使って書いてほしいものです。


 帰りの参道で、『源氏物語』に関するものを2つ見つけました。

 まずは、「長谷 紫 源氏」という日本酒です。
 
 
 
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 紫の上も光源氏も、この長谷寺には詣でていません。パンフレットによると、紫式部が2度の長谷詣でをしているとか。そうでしたっけ? 思い出せません。
 それはともかく、飲んでみることにしました。製造は初瀬とありますが、三輪の酒造所のものだそうです。

 もう一つは、輿喜天満神社の玉鬘にあやかった縁結びのおみくじです。
 玉鬘は、たくさんの男君たちに言い寄られます。また、子宝にも恵まれました。九州から上ってきて、この長谷寺で幸運の人生を引き寄せたのですから、このおみくじの着想はおもしろいと思います。
 これは、もっとおもしろくできそうです。今後に期待しましょう。
 
 
 
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2010年10月25日 (月)

西国三十三所(24)善峯寺

 西国20番札所の善峯寺は、大原野の奥の山の中にあります。バスは1日3本しかありません。
 自家用車なら本堂のそばまで上がれます。しかし、バスで行くと、急な曲がりくねった山道を手すり伝いに歩いて10分ほど登ることになります。
 
 
 
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 この寺は、阪神淡路大震災以来、落ちないということで、御守りが有名になりました。
 崩れ落ちた高速道で、バスが半分ほど身を乗り出すようにして踏み留まっていて写真が、何度も報道されました。あのバスの運転手さんが、この善峯寺の御守りを持っていたことから、その御利益が話題になったのです。
 おかげで、この寺も運転手さんも、別な意味で注目されだしたのです。受験と結び付き、忙しくなったそうです。

 また、どのようなものか楽しみにしていた薬湯風呂は、2年前になくなったそうです。残念です。

 樹齢600年の遊龍の松という五葉松は、全長50メートルもあり日本一だそうです。
 
 
 
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 この松は、見る角度を工夫するとおもしろいと思いました。
 狭い角度から見る今のあり様は、イメージが膨らみません。これは、博物館でいう、展示の方法になります。検討の余地があります。

 本坊の回遊式庭園が特別公開中でした。小さいながらも、いかにも日本庭園という趣です。紅葉が似合いそうです。
 
 
 
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 この庭は、京都の庭師で有名な小川治兵衛(植治さん)の7代目が、大正時代に造った庭だとありました。7代目は、山県有朋の無隣庵や平安神宮、円山公園などを手がけた方です。

 ここも、ただ開放したというだけの感じです。本坊の縁側に上がって見ることができると、その印象はグッと違ってきます。特別に公開されているので、あまり個人的な意見は控えるべきでしょう。
 善峯寺は、棚田のような狭いスペースにあるお寺です。二次元に留まらず、三次元の視覚を配慮してもらうと、参拝者はもっとお寺を楽しめます。ぜひとも検討してください。

 お地蔵さんが、舞台造りのところにおられました。
 地震があったら後ろに落ちないか、こちらがハラハラします。
 
 
 
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 と、まあ、いろいろな事を考えさせてもらえたお寺でした。

 善峯寺の御詠歌は、次の通りです。


のをもすぎ
やまぢにむかふ
あめのそら
よしみねよりも
はるるゆふだち
 
 
 
 

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西国三十三所(23)岡寺

 橿原神宮前からバスに乗りました。岡寺駅からでは、バスの本数が少ないので注意が必要です。万葉博物館や明日香の石舞台を通って行ったので、飛鳥の観光気分に浸ることができました。

 この飛鳥の地は、大阪の高校で教員をしていた頃に、生徒を何度か遠足で連れてきたり、家族や親戚と飛鳥巡りをしたので、勝手知ったる地域です。
 遺跡が発掘されたときにも、現地説明会を聞きによく来ました。
 また、松本清張の小説『火の回路』(後の『火の路』)でゾロアスター教の施設ではないかということで注目を浴びた、酒船石などの石像遺物も、ワクワクします。
 この小説は、朝日新聞の夕刊に連載されました。その当時、朝刊には井上靖の『星と祭』が、夕刊がこの清張作品でした。ともに、掲載されていた新聞を新聞配達店で住み込みながら配っていたので、なおさら思い出深い小説です。

 岡寺は、バスで来るとこんな鳥居を潜って、細い道を登っていきます。
 
 
 

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 まだ、こうした古い民家に出会えます。車で来たときには駐車場からすぐ上がったので、この道は通りませんでした。いろいろな経路で来ると、楽しいものが眼に付きます。
 
 
 
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 前方に岡寺の三重塔が見えます。
 また、峠の茶店風の雰囲気が、いにしえを感じさせてくれます。
 
 
 
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 岡寺の観音様は、大きな塑像です。間近に見られるので、感激も一塩です。
 
 
 
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 岡寺の御詠歌は、次の通りです。



けさみれば
つゆをかでらの
にはのこけ
さながらるりの
ひかりなりけり


 帰りに、トイレに祀ってあった像が気になりました。「烏瑟沙摩明王」とあります。
 
 
 
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 受付の方に聞いてみました。すると、不浄の神様だとか。
 すぐに持っていた iPhone で調べると、ウィキペディアにこう書かれていました。


 烏枢沙摩明王は古代インド神話において元の名をウッチュシュマ、或いはアグニと呼ばれた炎の神であり、「この世の一切の汚れを焼き尽くす」功徳を持ち、仏教に包括された後も「烈火で不浄を清浄と化す」神力を持つことから、心の浄化はもとより日々の生活のあらゆる現実的な不浄を清める功徳があるとする、幅広い解釈によってあらゆる層の人々に信仰されてきた火の仏である。

 まさに、トイレの神様なのです。こんなお寺の配慮に好感を持ちました。
 
 
 

2010年10月24日 (日)

古都散策(32)西大寺チャリティー茶会

 京都と奈良の中継地点である西大寺駅は、乗り降りはしても、この駅前にあるお寺まで足を運ぶ人は少ないと思います。東大寺が、あまりにも有名だからでしょうか。

 その西大寺で、茶道裏千家淡交会奈良支部主催のお茶会がありました。私のお茶の先生から、良かったらと言われていたので、娘と共に行って来ました。西大寺は久しぶりです。
 
 
 
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 娘が着ている着物は、私の母が仕立てたものです。母の実家は呉服屋だったこともあり、着物の仕立てなどをして生計を助けていました。これは、私の姉のために縫った着物だとか。それを娘が譲り受けたのです。とても着やすいそうです。

 日本は、自分たちの民族衣装を自分で着られない、数少ない民族です。
 それを意識してか、娘は自分で着られるようになりました。今日も、なかなかうまく着られた、とご機嫌でした。
 私にも着物を着たら、と言います。しかし、なかなか着て出かける機会がありません。この次は、着物でお茶会に出られるように、準備をしておいてもいいかな、と思うようになりました。

 京都市長は、いつも着物です。市議会の議員さんにも、何人かいらっしゃいます。
 昨年、鳥取県で実施した池田亀鑑に関する講演会のポスターでは、私はお正月の着物姿の写真を載せてもらいました。
 
 
 

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 そんなに恥ずかしがることもない歳になったのです。お正月以外でも、折を見て着るようにしたいものです。

 さて、まずはバザー会場に行きました。
 茶碗やバックなどがたくさんありました。茶道具でもあれば、と思っていたのですが、もうないようなので、そのままお食事をいただきに行きました。
 海苔巻きと煮物、そして柿やお吸い物をお盆に乗せてもらいました。
 これで小腹を満たした後、愛染堂でのお茶会に参加しました。40人位が一堂に会してのお茶会です。

 懐紙と楊枝を出して気持ちを落ちつかせる間もなく、お菓子が運ばれてきました。
 今日のテーマは、酒と紅葉だそうです。
 
 
 
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 お菓子をいただいていると、すぐにお茶が運ばれてきました。大急ぎで懐紙などをしまい、お茶をいただきました。
 慌ただしいことです。勝手がわからないので、横にいる娘に聞きながら、突っつかれながらも、美味しくいただきました。

 きれいに着物を着飾った女性が、左手の親指を突き立てて茶碗を持って、いただいておられました。癖なのか、お作法に慣れておられないのか、姿形が決まっていただけに、目立っていました。

 立礼のお茶席にも行きました。
 
 
 
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 先生がここにいらっしゃるとのことだったので、帰り際にご挨拶をしました。

 立礼の今日のお道具は、こんな感じでした。
 
 
 
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 この日、西大寺では表千家のお茶会もありました。
 境内を往き来する人の九割九分は女性でした。そのうち、4割近くが着物姿です。
 茶道が女性によって支えられていることを実感しました。

 駅を降りたとき、すぐに西大寺駅が変わったことに気づきました。
 まず、南口駅前のショッピングセンターがあったビルが、完全に消えていました。マンションにでもなるのでしょうか。
 
 
 
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 さらに、駅のホームの電車の行き先案内が変わりました。奈良行きの表示が簡略化され、わかりにくいことこの上もないのです。おまけに、奈良行きの電車が15分も来ないのにもかかわらず、次に何分に来るのか、新しい表示盤ではわからないのです。旅行客は、みんなどうなってるのだろう、と不満顔でした。

 駅員さんに聞くと、最近列車の表示が変わって、と電車がいつ来るのか調べるのに時間がかかりそうです。
 奈良よ 西大寺よ、どうした! 大丈夫か? と、かつての住民として、この西大寺の退化に不安を覚えました。
 たまたま、この時間帯に西大寺から奈良行きの電車がしばらく来ないだけだと、好意的に理解します。しかし、乗客を不安がらせる駅は、生き残り策をしっかり詰めないと、敬遠されることでしょう。

 西大寺駅がこれ以上に寂れないことを願いながら、十数分後にやっと来た電車に乗りながら、奈良再生を思いました。
 今は、平城遷都博で賑わっています。しかし、それも来月までとなりました。阿修羅に頼っても、それだけでは持ちません。
 観光で自立できる街づくりとメニューを、大急ぎでまとめるべきでしょう。そうでないと、単なる不便きわまりない乗換駅にすぎなくなります。
 
 
 


2010年10月23日 (土)

京洛逍遥(166)時代祭-2010

 岡崎の図書館における調査を継続している関係で、今日も平安神宮に立ち寄りました。
 前日の桜は、さらに花開いていました。どこまで拡がっていくのか、楽しみです。
 
 
 

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 平安神宮への参道では、明日の時代祭の準備が着々と整っています。
 有料の見物席も、設営が進んでいました。
 
 
 
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 時代祭は、桓武天皇が長岡京から平安の都に入られたとされる10月22日の正午、京都御所の建礼門前を出発しました。約4.5キロの距離を、約2000人が約2キロの大隊列を作って行進します。
 丸太町通り、烏丸通り、御池通り、河原町通り、三条通りを経て、平安神宮に北進する神宮道に入るのは、14時頃です。
 仕事の区切りのいいところで休憩にし、図書館の前に出ると、ちょうど先頭が通りかかるところでした。一昨年の源氏千年紀を機会に提唱された、11月1日を古典の日にしようというメッセージも、しっかりと受け継がれています。
 
 
 
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 名誉奉行である京都府知事と市長の馬車も、ご機嫌で応天門を潜られました。
 
 
 
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 時代祭は明治時代から遡って延暦の時代までの1100年間の風俗衣装が見られます。
 日本の前近代史における、文化、風俗、人物などが、一大絵巻として目の前に展開します。

 自分の国の文化を語れないで、国際交流などが可能でしょうか。ぜひ、若い方々が、この時代祭も一目見ておかれたらいいと思います。
 海外のことを知るための外国語の習得も必要です。しかし、日本の文化が語れない外国語教育に、私は疑問を持っています。
 もっとも、外国語がほとんど話せない私は、このことを言う資格に欠けることを自覚していますので、あまり強くは言えませんが……

 それはさておき、行列の最初は、維新勤王隊列でした。
 
 
 
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 この時代には今はあまり興味のない私は、さっさと後に移動しました。先頭から最後尾までの通過所用時間は2時間ほどです。お目当ての鎌倉時代から平安時代の行列には、10分も歩けば行き会えます。

 一通り撮影しながら後へと移動しました。
 いろいろと興味深い衣装がありますが、とにくか紫式部と清少納言を掲げます。
 
 
 
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 小野小町も。
 
 
 
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 お祭りの本当の主役ともいえる神幸列も欠かせません。
 祭神である孝明天皇と桓武天皇です。
 
 
 
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 一通り見終えるのに40分ほどだったでしょうか。
 引き返すと、大鳥居前の朱塗りの橋を、後半の隊列が通過するところでした。
 
 
 
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 すぐに図書館へ戻り、仕事を続けました。慌ただしい休憩時間となりました。

 図書館からの仕事帰りには、神宮道は片付けを急いでおられました。
 
 
 
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 一大行事が、今年も無事に終わりました。
 また、来年もたくさんの方々に見てもらえることでしょう。

 日本文化を、特に人物を通して自分の目で理解できる、すばらしいイベントだと思います。
 明治28年からの新しい行事です。
 しかし、これも時と共にその意義が重みを持ちだしたと思います。
 来年も、さらに盛大に催されることを期待しています。
 
 
 

2010年10月22日 (金)

心身雑記(92)招かれざる患者となる

 右目が重く、ゴロゴロする感じが次第に強くなりました。
 また、これまで気になっていた飛蚊症が酷くなったらしくて、右目を払う仕草が最近とみに多くなりました。

 悪化しないうちに、と思い、昨日、通い慣れた京大病院に行きました。

 実は、一昨日も行ったのです。しかし、眼科は初診で予約がなかったこともあり、本当にタッチの差で診察は受け付けてもらえませんでした。11時まで受付のところを、窓口には2分遅れでたどり着いたのです。

 自転車で賀茂川沿いを走っていたら、突然子供が飛び出してきました。急ブレーキでかわし、様子を確認して走り出しました。すると今度は、目の前をベビーカーだけがコロコロと、ゆっくり川の方に移動しています。芝生にいたお母さんは、横の子供に気を取られていて、川に向かって動きだしたベビーカーには気付いていないようです。

 赤ちゃんでも乗っていたら大変なので、大急ぎで自転車の前輪を使って待ったをかけるようにして、賀茂川に落ちる寸前のベビーカーを止めました。
 その様子を見たお母さんが、慌てて跳んで来られました。ベビーカーに赤ちゃんは乗っていませんでした。一安心です。

 そんなこんなで、数分だけですが、病院の受付に間に合いませんでした。

 受付時間を過ぎてから来た者の順番カードは、めでたく1番でした。間もなく呼ばれ、診てもらいたい症状を伝え、しばらく待っていると、紹介状がなく、受付時間も過ぎており、担当医がいなくて、救急の先生も手が離せない、ということで、その日の診察は受けられないことになりました。
 受付の方も、気の毒そうにしておられましたが、どうしようもありません。そのまま、岡崎の図書館へ向かいました。

 そして昨日、今度は受付時間に間に合いました。また、窓口で紹介状のことを聞かれました。

 しばらく待たされてから、視力や眼底検査を受けました。
 その後の診察の結果、特に問題はないとのことでした。目薬をさしてもらうしかないが、それもどうしても、というものでもないとか……
 何か治療があると思っていたので、いささか肩透かしです。

 診察をしてくださったお医者さんは、これくらいのことでいちいち大学病院へ来てもらっても……と言われました。
 意外なことばだったので、面と向かってストレートにこう言われると、どう反応していいのか困ります。
 お医者さん曰く、こういう症状は、町の眼科へ行って診てもらって十分だとも。
 要するに、もっとややこしい症状のときに来るのが大学病院だ、と言うのが、この診察をしてくださったお医者さんの言い分であることが、いやというほど伝わってくる対応でした。また、そのような表現をなさっていました。
 露骨に、こんなことで大学病院に来てほしくない、という言われ方でした。

 こちらとしてもどうしようもないので、一ヶ月前にこの病院を退院したばかりで、それ以降に目が重くなったことを、言い訳がましく答えました。すると、何の病気かと聞かれ、胃ですと言うと、冷ややかに笑い飛ばされました。いやはや、立つ瀬がありません。私としては、そう容易く来てもらっては困る、とおっしゃるので、先月退院した後の流れで来たという趣旨の説明をしたかったのです。それすら、伝わらなかったのか、目薬を出すが、使っても使わなくてもいい、と言われて診察は終わりました。

 這々の体で、診察室を飛び出しました。
 招かれざる客であったことを痛感しながら、精算の列に並びました。

 どうも、大学病院というのは、そう気安く利用するところではないようです。紹介状があるような、町医者では手に負えないような、やっかいな病気を診てもらう施設としてあるようです。
 私が、最初にガンというやっかいな病気で入ったために、つい他の病気もその流れで診てもらえると思い込んでいたようです。また、「まいこネット」に加入したので、カルテが一元化され、病歴が自宅でも確認できるというメリットを考え、この京大病院で診察を受けようと思いました。

 しかし、今日のような冷たいあしらいを受けたことで、この病院で診察を受けることには気を付けたいと思います。
 しかし、自分の症状が研究対象となるほどの病気かどうかの見極めは、素人の患者には難しいことのようにも思えます。そのためには、まずは町医者に行き、それでもだめなら紹介状を持ってくるように、ということなのでしょう。その意味はわかります。
 しかし、また、しかしですが、症状を緩和したいという思いは、誰しも同じです。
 安心して高度な医療が受けられる環境作りが、これからの高齢化社会では大切な課題としてあるように思いました。

 スッキリとしない思いのままに記しました。いろいろとこのことには問題があるようなので、今、よくわからないままに書くことは控えます。また機会を改めて、病院のありかたの背景が理解できてから、この問題を考えたいと思います。
 
 
 

2010年10月21日 (木)

西国三十三所(22)花山院(番外)

 東光山花山院菩提寺は、花山法皇の隠棲崩御の地です。

 三田駅前からバスで行こうとしました。しかし、1時間半も待つことがわかり、急遽タクシーを使うことにしました。
 今回の巡拝では初めてのことです。

 花山院の近くに、有馬富士温泉花山乃湯がありました。今日は我慢です。また次の機会を楽しみにしましょう。

 花山院へ行く途中にある、十二后の墓に立ち寄りました。
 
 
 
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 花山院を慕って、弘徽殿女御と女官たちは麓まで来ました。しかし花山院は、当時の戒律で女人禁制だったお寺に隠棲したのです。女性は登山を許されなかったことから、この麓に草庵を結び、尼僧となって住み着いたそうです。
 ここの地名を尼寺と書きますが、これを「にんじ」と読むそうです。
 垣根の中の中央にある五輪塔が、弘徽殿女御のものだとのことでした。

 花山院へは、この参道からの道が厳しい山道になります。
 
 
 
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 この山道の中腹には、女官たちが山中で修行する花山院に聞かせたいとの想いから、登り口で琴を弾いた琴弾坂があります。
 
 
 

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 本堂は、標高420メートルの山の上にあります。
 
 
 
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 境内は、少し寂しい雰囲気がしました。番外ということから、そして交通の便がよくないことから、訪れる人は少ないようです。
 
 
 
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 花山院の御詠歌は、次の通りです。


ありまふじ
ふもとのきりは
うみににて
なみかときけば
おののまつかぜ

 
 
 
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 この花山院からは、すぐ目の前に有馬富士、そして播州平野から小豆島までが見渡せます。
 気持ちのいい景色が眼下に展開します。
 
 
 
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 歩いて山を下り、帰りのバスに乗ろうとしたときです。今回の巡拝で重宝している PiTaPaカードが見つかりません。このカードは、バスでも使えるので便利です。
 何度も出し入れするので、カードだけを裸でポケットに入れて持ち歩いていたのです。落とすぞ、落とすぞ、と思っていたら、やはり落としてしまいました。カードを落とすのは、生まれて初めてです。

 落とすぞ、と思いながら落としたので、これからこうしたことが頻発しそうです。
 忘れ物が多くなっていたので、今後は落とし物にも何か対策が必要です。

 今回は、すぐにカード会社に紛失の連絡をし、再発行の手続きをしました。これまでのものは、即座に無効となり、新しい番号のカードが2週間で届くそうです。
 そして、花山院にも電話をし、もしカードが落ちていても、すでに利用停止の手続きを終えたので、そちらで処分していただきたい旨を伝えました。ご好意で連絡してくださると申し訳ないので、処分のお願いをしたのです。

 花山院でいただいた印刷物に、「巡礼者への法話 その一」というものがありました。その中に、私にとっては非常に耳の痛いことが書いてあります。
 それは、納経所でお軸を渡して御詠歌を書いてもらっていることです。
 お軸を書いていただくと、そのお礼として500円をお渡しします。それが、本来とは趣旨がズレたものであることを、ハッキリと指摘されているのです。


 納経は文字が示すとおりに写経を奉納する事です。この写経は一般的には般若心経を写経して奉納します。そして納経を受けたお寺はその写経を供養しますので、その供養のお布施として納経料をお受けします。故に納経料もその文字の如く納経された写経供養のお布施であって印代や揮毫料ではありません。また納経帳、納経軸も本当の意味はその文字が示すとおり納経した証しの印を頂くもので参拝記念の為という意味ではありません。

 おっしゃる通り、写経をした紙を持って札所を回るべきです。しかし、そのためには相当の努力が必要なので、今はとにかく巡拝するだけでよしとさせてもらっています。
 いずれ、この本来の趣旨にそった、写経を持っての巡礼を果たしたいものです。
 
 
 

京洛逍遥(165)平安神宮で左近の桜が咲く

 岡崎公園にある府立図書館に、このところ連日調査で通っています。
 大変利用しやすい図書館なので、重宝しています。
 
 
 
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 この図書館の目と鼻の先に、目の覚めるような朱塗りの平安神宮があります。
 京都観光のメッカともなっています。
 その神宮の大極殿前の「左近の桜」が、いったい何を思ったのか、季節はずれの花を咲かせている、とのニュースが流れました。
 早速、立ち寄ってみました。
 神宮に向かって右側に、人が集まっているところがあります。そこが、桜の咲いている場所です。
 
 
 

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 花も、はっきりと桜だとわかります。
 
 
 

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 これは、樹齢100年を超えるアカメヤマザクラだそうです。
 京都新聞によると、「葉に含まれる花芽の抑制物質が落葉で失われたためではないか」ということです。

 今年は、天変事象にいろいろな変事があります。
 この桜は、来春には咲かないとの報道もあります。
 日本の季節感や自然が変わることは、何となく気持ちを不安にさせます。

 極端な変化が少なかった京洛で、少しずつ異変が拡がっていくことを憂えます。
 文学を支えてきた社会や自然や人々のありようが、今、目に見えるように変化しつつあるようです。
 無理に止めることはできません。そうであるからこそ、これからが心配になります。
 
 
 

2010年10月20日 (水)

西国三十三所(21)中山寺

 阪急の中山駅からすぐそばに、西国三十三所第24番札所の中山寺はあります。
 
 
 
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 『中山寺来由記』などによると、奈良時代初期に、徳道上人が観音霊場三十三ヶ所の宝印を中山寺の石櫃に納めたという伝承がありました。それを花山院がこの中山寺で探し出し、三十三の観音霊場を巡礼したということです。西国札所の機縁ともなったのが、この中山寺なのです。

 ご本尊の十一面観音は、インドの王妃シュリーマーラー(勝鬘夫人)をモデルにしたとのことです。左右の脇侍も十一面観音なので、本尊と脇侍をあわせて三十三面ものお顔があることになります。まさに、法華経が説く、衆生を救うための観音の三十三変化を体現するものです。

 このお寺は、階段の横にエスカレータがあります。いかにも、関西の発想です。便利なものは何でも取り入れるし、それを受け入れます。
 安産祈願のお寺としても有名で、赤ちゃんを抱いた家族連れが多いことも、その理由の一つでしょうが…
 
 
 
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 昨日の、壺阪寺の階段にあったリフトとは、その発送が大きく異なります。

 羅漢堂には約800体の羅漢像が並んでいます。親兄弟の顔が見たかったら、この五百羅漢のお堂に来い、といわれるのも頷けます。

 帰りに、些細なパニックが…
 iPhone で電車の経路と乗り換えを調べていました。中山寺駅をスタート地点にしているのに、どうしてもJRの駅しか出て来ないのです。料金が高くて乗り換えも面倒です。関西は、私鉄をいかにうまく使うかが、いい旅をする秘訣です。
 どうしようもないので、山門横の案内所で聞きました。すると即座に、そこの阪急は中山駅、向こうのJRは中山寺駅ですわ、と一言で解決。
 よくある混乱のパターンでした。

 中山寺の御詠歌は、次の通りです。



のをもすぎ
さとをもゆきて
なかやまの
てらへまいるは
のちのよのため

 
 
 
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 これで、お軸の観音様の周りはほぼ埋まりました。
 1千キロ踏破が見えてきだしました。
 さらに、ひたすら歩き続けます。
 
 
 

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西国三十三所(20)壺阪寺

 西国6番札所の壺阪寺は、私の大好きなインドの香りが、境内のそこかしこに感じられるお寺です。

 境内に入ると、左に養護盲老人ホーム「慈母園」があります。
 
 
 
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 この寺は早くから、日本の高齢化社会とインドの貧困層との関わりに積極的に取り組んでいます。境内を歩くと、それが実感できます。

 こうした問題に興味のないであろう方や若者には、おもしろくない寺かもしれません。古いものを求めて来た方は、物足りないことでしょう。しかし、これは現代が直面する問題に今を生きる者の視点で取り組んでいるからです。宗教というよりも、問題解決の思想が生きています。

 まず、石段を上がると、美しい石像が目に飛び込んできます。
 
 
 
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 これは、インドとの国際交流の一環として、石彫刻支援事業による大石仏群として製作されたものです。インドの職人が製作して日本に招来したものなのです。
 右に文殊菩薩、左に普賢菩薩、中央に十一面観音菩薩が。そして顔を上げると、大きな釈迦如来がいらっしゃいます。
 平成19年に開眼と、インドから招来してまだ新しいので、白く輝いています。

 階段のところに、電動のリフトがありました。駅にあるものの簡易版のようです。雨ざらしで大丈夫なのか、心配になります。しかし、このような配慮があるところが、壺阪寺らしいと思いました。
 
 
 
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 インドから持ち帰ったという仏頭も展示してありました。これは、まだ海外に持ち出せた頃のものを寄進されたのだそうです。今でもインドへ行くと、古道具屋さんらしきところに仏頭がころがっています。あれは、本物なのかお土産用にそれらしく作ったものなのか、ときどき迷います。
 かつては、本物が自由に売買されていたことが、この展示を見てわかりました。
 
 
 
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 礼堂のご本尊も拝むことができました。『壺阪霊験記』のお里・沢市で知られるこの寺らしく、本尊である十一面千手千眼観音の眼が、何と言っても特徴的です。

 目の不自由な方のための点字の本は、ガラス戸のケースに入っていました。
 ただし、源氏物語は見つけられませんでした。
 前回、丁寧に説明していただいたので、今回は戸棚の前を素通りです。

 この点字本については、すでに

「【復元】点字本『源氏物語』(全3冊)」

「点字本『源氏物語』(その後)」

で書きましたので、ご参照いただければと思います。


 自分用に、メガネチェーンを買いました。
 
 
 
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 使い心地は非常に悪いものです。しかし、これは気持ちの問題です。もうしばらく、使ってみます。

 お決まりの、お里・沢市のスポットです。
 
 
 


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 その縁でメガネもあります。
 
 
 
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 いつものことながら、ここの大観音は迫力があります。
 
 
 
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 大観音石像は、20メートルの高さがあります。7万人のインドの石工による手作りだそうです。昭和58年に開眼法要が営まれました。手前は、大涅槃石像です。

 石殿は、インドに来たかのような錯覚に陥ります。
 
 
 
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 ぜひこの中に入り、しばしインドの雰囲気を体験してもらいたいものです。

 お土産物屋で、目によいというお茶や煎餅などがありました。地元の目薬も、今では全国的に知られるようになっています。欲しかったのですが、家にいろいろとあるので、今日のところはパスです。またこの次にしましょう。
 
 
 
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 壺阪寺のご詠歌は、次の通りです。


いはをたて
みづをたたへて
つぼさかの
にはのいさごも
じやうどなるらん

 
 
 

2010年10月19日 (火)

西国三十三所(19)元慶寺(番外)

 私が持ち歩いている西国札所のガイドブック『西国&新西国巡礼』(ナンバー出版、1984年)は、昭和59年に刊行されたものです。ちょうど西国札所を一巡し、つぎに新西国霊場巡りを始めた頃に買った本です。26年も前の本なので、古いなーと思いつつも、長く使って来たことから無意識にカバンに入れて出かけています。

 今回、この本もお役目を十分に果たしていることを痛感しました。それは、お寺までの順路の説明やバスの記載が、当時と状況が相当違ってきていることに直面したからです。

 元慶寺は、西国三十三所の番外3ヶ寺の1つです。
 この番外の札所とは、開基である徳道上人や、これを再興させた花山法皇ゆかりの寺院のことを指します。そのためもあって、この元慶寺のご本尊は、観音さまではではなくて薬師如来です。

 元慶寺への行き方について、手持ちの本には、「京津線日ノ岡駅下車、南へ徒歩15分」とあります。しかし、地下鉄東西線の開通により、平成9年に京阪京津線の地上区間が廃止されました。それに伴い、九条山駅と日ノ岡駅が廃止されたのです。日ノ岡駅は御陵駅に統合され、今に至っています。つまり、日ノ岡駅は今はないのです。

 この元慶寺行きを機に、『西国三十三所ウォーキング』(JTBパブリッシング、2007年)を手にして出かけることにしました。この本によると、元慶寺は「地下鉄東西線御陵駅下車」とあります。
 それでも、駅からお寺までの道順は歩きながら不安になります。とにかく、狭い住宅地を通り抜けるようにして歩きます。
 御陵駅の改札窓口で、元慶寺までの道順を書いたメモをもらうことが肝要です。

 スーパー「フレスコ」が見つかれば、もうすぐそばです。
 写真の進入路が見つかれば、もう元慶寺は目の前の突き当たりです。
 
 
 
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 山門は竜宮造りで、珍しい唐風の門です。
 
 
 

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 狭い境内で、本堂も息苦しそうです。
 
 
 
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 その本堂の前に、花山院の落飾の場所であることを示す石柱が建っています。
 
 
 
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 花山天皇が、藤原兼家と道兼父子の策謀によりこの寺で出家させられたことは、『大鏡』や『栄花物語』でよく知られているところです。19歳の時でした。この花山天皇の親王時代には、紫式部の父藤原為時が学問を教えています。

 出家後の花山院は、徳道上人の宝印を持って観音霊場三十三所を巡礼します。花山院が各霊場で詠んだ和歌が、今の御詠歌となっています。
 今回、朱印軸に書いてもらっている御詠歌は、花山院御製のものだといわれる和歌です。
 
 
 
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 この御詠歌は、次の通りです。


まてといはば
いともかしこし
はなやまに
しばしとなかん
とりのねもがな


 元慶寺は僧正遍昭を開基とする、西国三十三所霊場の番外札所です。
 遍照は、紫野の雲林院の別当を兼ねています。雲林院は今の大徳寺の南側にあり、『大鏡』の冒頭で有名な所です。こうしてたどると、遍照が身近に感じられます。

 元慶寺の境内には、「遍照僧正御墓」と刻まれた石柱がありました。しかし、その御墓がどれなのか、聞きそびれてしまいました。
 
 
 

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 この境内ではなく、寺から南に200メートルほど行ったところにある、との情報もあります。写真も公開されているので、それも確かなのでしょう。とすると、この元慶寺の石柱は何なのでしょうか。いつか確認しておきます。

 境内には、さらに遍照親子の歌碑もあります。
 
 
 
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小倉百人一首 第十二番 僧正遍照 歌碑
財団法人 古代学協会 建

天津かぜ
くものかよひち
  ふきとちよ
 乙女のすがた
  しはし
   とゝめん


小倉百人一首 第二十一番 素性法師 歌碑
財団法人 古代学協会 建

 今こむといひしはかりに
長月の 有明のつきを待ち
  いてつるかな


 平安時代の物語や和歌の空間として、元慶寺はもっと人に知られてもいいお寺だと思います。
 
 
 

西国三十三所(18)施福寺

 今日の巡拝は、これまで以上にiPhone をフルに活用しての札所巡りです。移動しながら、効率的に目的地を絞って行く方法で参拝しました。

 西国札所のスタンプラリーに限らず、このiPhone を使った探索も、ゲーム感覚で楽しめます。
 とにかく今は、歩くことと自然探査を通して、効果的なリハビリの成果を挙げることが目的なので、飽きないでゴールにたどり着くことを考えて、さまざまな試みをしています。

 時間と方角と距離を考えながら、天王寺駅に着いたところで、行き先を施福寺と決めました。いつもは、行き先を決めてから自宅を出ていました。しかし、今日はiPhone 頼みです。
 天王寺駅で決まった今日の予定は、和泉府中駅からバスを乗り継いで1時間。そして歩いて30分の山登りとなります。

 かつて、この施福寺のある槙尾の近くの学校に勤務していました。車で通勤したときなど、この山の下を通りました。
 勤務先はおしゃれな学校で、若い学生たちと一緒に、楽しく古典文学のことを語っていました。当時を想い出させる、懐かしい道です。

 家族とも、何度も来ました。みんな、急な山登りをしながら、疲れた、もういい、帰る、と文句を言いながら登ったものです。
 次の写真は、今から6年前、母が亡くなった後の施福寺への巡拝のときです。
 
 
 
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 西国札所の中でも、この施福寺は難所の一つです。山道も、自然石を置いただけの急勾配が続きます。ところどころで、石仏も見守ってくれています。
 
 
 

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 登り始めたころに、幼稚園の子どもたちと出くわしました。みんなワイワイとはしゃぎながら降りてきました。
 
 
 
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 すれ違うときには、「ようおまいり」「こんにちは」と声を掛け合います。これが、元気の源となります。

 本堂は、重たそうな屋根を被って、ヒッソリと佇んでいます。
 
 
 
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 標高600メートルの山頂からの景色は、金剛山や葛城山などが見渡せて、山巓の大自然に身を置くことができました。
 
 
 
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 登りでは、片道30分と言われるところを、呼吸を整えながら急ぎ足で20分。帰りは少し早足で、それでいて上下動を抑えた歩き方で15分でした。
 これは、もうリハビリではありません。完全に、体力、持久力、そして根気を養う鍛錬です。
 自分の身体をシッカリと作りたい、という明確な目的意識があるので、こうして少しずつ負荷を上げていけるのです。西国札所巡りを続ける中で、しだいに修行の趣を呈してきています。

 今、問題なのはただ一つ。
 食事を取るタイミングと、一回の分量です。これには考えることで頭を使うので、どうも苦手です。身体を動かすことの方が、リハビリとしては楽です。しかし、毎日こまめに取り組まなければならないことなので、自分で自分の身体に覚えさせる以外に、誰も助けてはくれません。

 さて、施福寺というと、すぐに思い出すのはキクラゲです。
 登り口にあるお店で、白と黒とのキクラゲが、今日もありました。ただし、消化がよくなさそうなので、今回は手にしただけで買うことは控えました。
 
 
 
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 帰りのシャトルバスが出るまでに、あと2時間近くあります。シャトルバスから乗り継ぐ麓のバス停まで4キロだとのことだったので、自力で歩いて下ることにしました。

 曲がりくねった川沿いの道をひたすら下ります。
 
 
 
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 1時間かかるところを、意識して姿勢を正したウォーキングスタイルで、しかも早足で歩いたこともあり、40分で麓のバス停に出ました。1キロを10分のペースなので、今の身体の状態からいえば、よく歩いた方でしょう。

 しかし、もうすぐバス停というところで、細い道の先を走り行くバスが横切って行くのを見かけました。
 もう数分早く歩けばよかった、と思う自分と、これが今の自分の身体では一番いい状態で歩いたのだから、これでよしと言うべきだ、という自分がいました。頑張れと言う自分と、よくやったと言う自分が半々になったことを、今は喜んでいます。スローライフの意識が、少しではありますが芽生えていることを実感しています。

 バスは行ってしまいましたが、幸いなことに、来たときの和泉府中駅ではなくて、大分手前ですが、和泉中央駅行きのバスがしばらくすると来ました。バスに乗り、iPhone を片手に、帰りのコースを組みました。

 今日の施福寺の御詠歌は、次の通りです。


みやまぢや
ひばらまつばら
わけゆけば
まきのをてらに
こまぞいさめる

 
 
 
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2010年10月18日 (月)

西国三十三所(17)藤井寺

 藤井寺駅前の元気な商店街を通って、西国札所第五番の藤井寺に行きました。
 
 
 

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 商店街に入ってすぐのところに、遣唐留学生だった井真成の石人形がありました。
 
 
 

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 真成は19歳の時、阿倍仲麻呂らと共に渡唐し、36歳の若さで急逝しています。あの玄宗皇帝も、日本人の真成に高位を贈り追悼するほどの有能な官人だったのです。

 その彼の墓誌が、平成16年に中国の西安市で見つかり、テレビなどでも話題になりました。これまで、歴史に確認されていなかった無名の人物が、突然出現したからです。

 真成は、ここ藤井寺の出身です。
 彼は、唐王朝の中央官僚となった人です。墓誌の最後には、

身体はもう異国に埋められたが、魂は故郷に帰ることを願っている。

と記されています。
 さぞかし無念だったことでしょう。

 さて、今日は18日。毎月この日は、藤井寺のご本尊で秘仏の、十一面千手千眼観音のご開帳の日です。
 
 
 

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 幸運にも、ご本尊を拝むことができました。
 たくさんの人がお参りです。すでに縁日の出店は片づけられるところでした。それにしても、この寺は商店街に負けず劣らず、大阪的な活気があります。
 
 
 
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 ご開帳ということもあってか、本堂の内陣には、巡礼姿の善男善女が御詠歌をあげておられました。その分だけ、私のお軸を書いていただくのも待たされました。
 
 
 
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 藤井寺の御詠歌は、次の通りです。



まゐるより
たのみをかくる
ふぢゐでら
はなのうてなに
むらさきのくも


 今から27年前、父が亡くなってすぐに始めた西国三十三所札所巡りは、この藤井寺でお軸をいただき、そこに最初の印をもらってスタートしました。

 初めてのことでもあり、どのお軸にしたらいいか迷いました。結局、観音さまを西陣織りで縫い込んだお軸にしました。
 今回の自分のための札所巡りのお軸は、同じ西陣織ですが、石山寺のものです。
 自分らしくていいのでは、と気に入っています。
 
 
 

びわ湖百八霊場(1)2-岩間寺

 今日は滋賀県と京都府の境にある西国12番札所の岩間寺に行きました。そして、西国札所巡りとともに、これを機会に「びわ湖百八霊場」(事務局・西教寺、大津市)も巡拝することにしました。ただし、何年かがかりのことになるはずですが……

 我が愛読書は、井上靖の『星と祭』です。
 そこに出てくる、琵琶湖岸の観音さまのすべてを拝んで回ることを、いつかやりたいと思っていました。今回の病気を機に、その夢を実現すべく実行を思い立ちました。
 いつかいつか、と思いながらいたことです。それが、この岩間寺に着いて、本堂の柱に「びわ湖百八霊場」のことが書いてあったので、眠っていた思いが呼び起こされ、急遽決めたものです。これも、何かのご縁なのでしょう。

 「びわ湖百八霊場」の宝印を書いていただいている写真の、向かって左側には、琵琶湖の地図が写っています。
 
 
 
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 この赤い部分が、近江湖西二十七名刹霊場の範囲を示すものです。

 この「びわ湖百八霊場」については、今から約20年も前に、その構想が進められていました。
 平成4年に、県下4ブロックの内、まず湖北二十七名刹霊場会が創設されたました。
 その後、平成8年に湖東二十七名刹霊場会が、平成16年に湖南二十七名刹霊場会が組織されました。
 そして遅ればせながら、平成21年にこの湖西二十七名刹霊場がこれらのネットワークに入り、これで滋賀県下4ブロック全域を網羅する近江の108の霊場が、琵琶湖を囲む形でスタートすることになったのです。

 湖西ブロックの発足が遅れた原因は、湖西には大寺院が多く、足並みがなかなか揃わなかったからだと言われています。しかし、延暦寺・三井寺・石山寺・西教寺などが加盟することにより、ようやく108の霊場が完成したのです。

 平成21年9月8日をもって、「びわ湖百八霊場」は正式に創設されました。同霊場会の朱印授与は9月18日から始まりました。この百八の寺院の巡拝順路は、石山寺から始まり琵琶湖を時計回りに巡って、延暦寺横川中堂で満願です。

 これから長く受け継がれる霊場となることを願いたいと思います。
 参加したお寺の数は、仏教でいう人間の煩悩の数108をなぞらえているようです。

 舞台裏では、さまざまな困難があったことと思われます。とにかく、円満に解決して発足できたことを悦びましょう。
 ただし、まだスタートしたばかりでもあり、全108霊場の一覧は容易に手に入れることができません。ネットではすでに公開されています。しかし、各霊場にその一覧が置かれていないのです。それよりも何よりも、駅やインフォメーションセンターの方々も知らないのですから、これからのPRに期待しましょう。

 公式キャラクターができています。「かけるくん」と「めぐるくん」という、かわいらしい双子の男の子です。
 
 
 
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 この旗が琵琶湖の湖岸を数珠つなぎに囲んでいることを思うと、本当に楽しくなります。

 また、今はまだ「御宝印帳」というバインダー式の納経帳しかありません。
 
 
 
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 いずれお軸などが頒布されることでしょう。西国・板東・秩父の百観音があるので、そのパターンでのグッズが販売されることでしょう。これもまた、今後が大いに楽しみです。

 そして、私の興味は、各霊場のご本尊は琵琶湖を向いて立っておられるかどうかにあります。
 『星と祭』では、湖岸の十一面観音さまは湖を見ているとあったように思います。ただしラストシーンで、満月の夜に湖面で亡くなった子どもたちの葬儀をします。そのとき、湖岸の十一面観音さまが、みんなすっくと立ち現れます。ただし、充満寺の十一面観音さまは背を見せており、医王寺の十一面観音さまは横顔を見せているとありました。この確認もしたいと思っています。

 108の霊場の内、十一面観音さまがおられる26ヶ寺に、まずは回ってみるつもりです。
 確か、『星と祭』では、琵琶湖のまわりに十一面観音さまは四十数体あると書いてあったように思います。
 この「びわ湖百八霊場」を回ると、その半数を拝むことになります。
 これはまた、楽しい予感がし出しました。
 
 
 

2010年10月17日 (日)

西国三十三所(16)岩間寺

 西国12番札所の岩間寺(正しくは岩間山正法寺)は、山麓のバス停から50分の険しい山登りとなります。しかし、毎月17日だけは、JR石山駅からお寺まで直通バスが出るのです。
 特に5月と10月の17日は「ぼけ封じ祈願会」があり、たくさんの参詣があります。私も、今日はその一人になりました。

 ただし、お寺へ行く前に、少しトラブルが……。

 JR石山駅の改札口で、スタンプラリーの紙(「西国三十三所めぐり スタンプカード」)を窓口に出しました。これは、JRが今月10月からスタートさせたスタンプラリーの捺印用紙です。これまで、行く先々で、JRを使ったときに駅で捺してもらっています。

 対応してくださった駅員さんは、参拝の時にもらった「イラスト散華」を見せろ、と威圧的に言われます。朝早い上に、バスを待つ人の多い中で立ち寄っているので、参拝帰りのはずがありません。バスの出発まで45分もあるので、その時間にスタンプをもらっておこうと思っていたのです。帰りが混むし、また、もらい忘れをしないために、あらかじめスタンプをもらうのであることを駅員さんに伝えました。
 しかし、パンフレットに書いてあるように、と駅員さんは原則論を開陳なさいます。私としては、これまでそのような理由で押印を拒否された駅はないことを伝え、手間と時間をかけて説明し、とにかく何とかスタンプを捺してもらいました。
 私の巡礼の最初だった石山寺も、ここで捺してもらうはずだったものをもらい忘れていたので、この際捺してもらいました。

 その駅員さんは乗客の私が言うことに従わざるをえなかった状況が癪に障るのか、岩間寺と石山寺の位置に、わざと歪めてスタンプを捺されたのです。そこまでしなくても。そんなにきつく言ったつもりはありませんが……
 
 
 
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 どの駅でも、丁寧にスタンプを捺してくださったので、どうでもいいことながら少し不愉快な思いをさせられたことが残念です。

 その時は、若い駅員さんにもプライドもあるでしょうから言わないでおいたことがあります。
 それは、パンフレットには次の順番で説明が書いてあるのです。


(1)各札所で、スタンプカードか押印された朱印帖を提示すると、イラスト散華をもらえる。
(2)スタンプ設置駅で、各札所で押印してもらった朱印帖を提示すると、駅係員がスタンプカードに駅のスタンプを捺す。

 つまり(1)から、朱印集めをしない方でも、各札所でイラスト散華がもらえるように考慮されていることがわかります。
 そして(2)では、札所での押印済み朱印帖を駅員に見せることにより、スタンプカードに駅のスタンプが捺されるのです。これは、朱印集めをしていない方には、駅のスタンプが捺してもらえないように選別していることになります。札所の朱印は、1つもらうのに300円か500円かかります。
 今回のJRのテーマが「仏像に出会う旅」なので、もう少し別のやり方があったのでは、と思われます。

 いずれにしても、石山寺の駅員さんが私に要求なさったように、イラスト散華を駅で提示することは求められていません。イラスト散華を見せろとおっしゃった若い駅員さんの言い分は、上記のようにパンフレットの文言を確認してもよくわかりません。

 それよりも、この企画にはそうとう無理があります。

 上記(2)は、駅員を困らせます。今回の石山駅の駅員さんは、朱印帖とイラスト散華のことを混乱しておられたのでしょう。ただし、これまでの駅では、窓口に紙を出すと、どこでも無条件にスタンプを捺してくださいました。

 もう一点、このスタンプラリーがJR職員に周知徹底されていないせいか、どこの駅でも机の周りをゴソゴソして、スタンプの場所を探されます。半分近くの駅で、なかなかスタンプが出てこないので待たされました。スタンプラリーの意味がわからないので、わかる人を探す駅もあります。
 そして、改札口の横で待たされる私は、乗降客の方から邪魔な奴として白い目で見られるのです。

 このスタンプラリーの期間は、平成22年10月1日から平成26年3月31日までなので、あと3年半も実施されます。そのうちには、JRの職員にも趣旨と対処方法が伝わることでしょう。まだ、今月から始まったばかりのイベントなのですから。

 それはさておき、岩間寺行きのバスは、ラッシュアワー並のギュウギュウ詰めで石山駅を出発しました。
 これまでは自分の車で来ていたので、今回このバスのありがたさが初めてわかりました。
 そして、境内は人でごった返していました。

 まずは「ぼけ封じ観音」に手を合わせます。これは、最近とみに私にとっては深刻な問題となっています。

 本堂前では、護摩木を燃やした上を裸足で歩く「火渡り式」に並ぶ長蛇の列が目に飛び込んできます。
 熱気に包まれた境内です。
 
 
 
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 しかし、私にとっては、本堂の納経所でお軸に御詠歌を書いてもらうことが先決です。ここも、長蛇の列が出来ています。30人くらいでしょうか。

 私がその列の後ろに並んですぐでした。私の左前横の方が右前横の方に、割り込み行為を咎めておられるのです。左前横の方は、まっすぐに一列に並びましょう、とおっしゃいます。右前横の方は、書き手は2人なので、自分は右の方に書いてもらうのだ、ということを主張されています。
 私は、左前横の方の後に付きました。私の後の方たちも、私の真後ろに並ばれました。
 右前横の方は、そのお連れの方と共に、カタカナのトの字の出っ張りの位置になっても、意地になって横にはみ出しながら並んでおられます。

 その内、納経所の裏でも書いてもらえるという情報が流れ、私の前の左右の方は共にそちらに移動されました。
 私は、この本堂の窓口で「びわ湖百八霊場」の朱印帖をもらいたかったので、そのまま詰めて並んでいました。
 すると、まもなく、先ほど右前横におられた2人が戻ってこられ、私の前の方の右前に、またまた割り込まれました。大変な人だと思ったので、私は無視して並んでいました。前の方も無視なさっています。

 次が自分の順番だというときに、割り込まれた方は右側の窓口へ、私の前の方は左側の窓口へ進まれました。しかし、結果的には右側の方は遅れに遅れ、左側の私の前にいた方が終わり、私の順番になっても、右側の割り込まれた方はまだ順番が来ていませんでした。
 割り込んで来て好き放題になさったのですが、結果的には私よりも遅くまでかかっておられました。寸劇ともいえる一時を、十分に楽しませていただきました。
 
 
 

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 岩間寺の御詠歌は、次の通りです。



みなかみは
いづくなるらん
いはまでら
きしうつなみは
まつかぜのおと


 帰りのバスも満杯です。ずっとバスの後部ドアに押しつけられるようにして立ち通しでした。それでも、山を歩いて下らなくてもいいので大助かりです。いくらリハビリとはいえ、この距離と勾配は、今の私の身体には無理ですから。
 
 
 

2010年10月16日 (土)

西国三十三所(15)上醍醐寺

 醍醐寺の西国札所である上醍醐の准胝堂は、山の上にあります。下醍醐は、後にできたものです。

 娘が一歳になったばかりの冬、娘をねんねこで背負い、母と雪の山道を登ったことを思い出します。
 あの頃は、醍醐の裏側にあった炭山の陶芸村からの山登りでした。

 今回、准胝堂が工事中のため、観音のお参りは下醍醐の金堂で、との表示が目につきました。今月の6日とあるので、先週からです。朱印も金堂でもらうように、とのことです。
 
 
 
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 准胝堂は、平成20年8月に落雷で消失しました。そこで、江戸時代の准胝観音を金堂に安置しているのです。今日は、あのハードな60分もの山登りはしなくてもいいようです。

 山門で入山料の600円を払って境内に入ると、すぐ左に金堂がありました。
 
 
 
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 御詠歌を書いてくださった方は、とてもお急ぎのようでした。直前まで、ツーリストの方と一緒に、この机の上にお札と硬貨を拡げて計算をしておられました。
 駆け足のように少し乱雑な筆でしたが、とにかく朱印をもらいました。呆気なさすぎです。
 写真でもわかるように、お軸をきちんと拡げるわけでもなく、左手の指で押し開いて、シャカシャカと速筆でした。
 
 
 


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 観光地と化している寺なので、金銭的なことはしかたないと思います。ただし、業者とのお金のやりとりは、別の場所でやってほしいものです。お金の確認を目の前でしておられる間、こちらはお軸は持って待っているのです。いささか、興ざめでした。
 そして、お軸はキチンと拡げて書いてほしいものです。非常にいいかげんに扱われた気分になりました。こんな書き方は、今までで初めての体験です。
 いろいろな方が書いてくださいます。これも、楽しみの1つにしましょう。
 
 御詠歌は、以下の通りです。
 
 


ぎやくゑんも
もらさですくふ
ぐわんなれば
じゅんていどうは
たのもしきかな

 
 
 それにしても、山上往復2時間のリハビリ登山をイメージしていたので、完全に肩透かしです。
 山登りを覚悟して来たこともあり、ありがたみが半減です。

 せっかく来て、あっと言う間もなくこのまま帰るのももったいない気がします。
 そこで、国宝の五重塔をジックリと見上げ、しばし時を潰しました。
 
 
 
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 これまでに見た五重塔を思い浮かべながら、この塔には語りかけてくるものがないように思えてきました。
 ただ、古いものが建っているだけで……
 興福寺や室生寺や東寺の塔のような、気品と迫力が感じられません。好き好きでしょうが……勝手な印象です。
 
 
 
 

西国三十三所(14)今熊野観音寺

 今熊野観音寺は、泉涌寺道の商店街から入ったところにあります。
 
 
 
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 月輪山麓の澄み切った木立の中に、観音様はおられます。
 朱の鳥居橋を渡ると、観音寺の境内です。
 私はこの観音寺を取り囲む雰囲気が好きです。
 ここのモミジは、紅葉していないときの緑が、とても爽やかです。
 
 
 
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 本堂下の弘法大師と子どもたちの像は、私の母が健在だったころ、孫を連れて来るたびに、この周りを走り回らせていました。この像が、私の今熊野を象徴するものとなっています。
 
 
 
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 ここは、ボケ封じでも有名です。母と私の枕カバーを買ったのも、ここでした。
 本堂を見上げると、後ろの山に多宝塔がありました。これまで気付きませんでした。
 
 
 
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 巡拝すると、今日はご本尊が直接見られるだろうか、とか、お軸のご朱印はどこでもらうのだろうか、ということばかりに注意がいっていたので、周りの建物には目がいっていませんでした。それだけに、今回は少し周りが見えだしたということでしょうか。
 
 
 

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 今熊野観音寺の御詠歌は、次の通りです。
 
 


むかしより
たつともしらぬ
いまぐまの
ほとけのちかひ
あらたなりけり

 
 
 東福寺駅から来る途中で買った、小さなおにぎり2つと野菜ジュースを、境内の休憩所で食べました。緑のモミジに囲まれて、ささやかながらも贅沢な時間に身を置くことができました。
 
 
 

2010年10月15日 (金)

西国三十三所(13)三室戸寺

 宇治に来ると、まずは回転寿司の函館市場でお腹を満たします。
 
 
 
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 今回は、手術後のために、あまり食べられません。そこで、ご飯を4分の1にして握ってほしいと伝えました。しかし、渡されたのは、みんなご飯が半分以上のものでした。お願いしても、せいぜい半分までにしか小さくしてもらえません。
 握る方にとっては、あまり小さくしても、という気持ちが働くのでしょうか。

 この宇治橋から北東に、西国札所10番の三室戸寺があります。
 
 
 
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 この寺のことは、かつて「源氏のゆかり(3)浮舟の石碑」(2008年1月26日 )で書きました。
 
 
 

 その最初に掲載した写真は、実は少し細工をしたものでした。元の写真には、門のところで娘が立っていました。それを、フォトショップを使って一時的に姿を隠してもらいました。どこに立っていたのか、わからないと思います。
 今回の写真には、手は入っていません。

 また、「源氏のゆかり(3)浮舟の石碑」では、『源氏物語』にまつわる「浮舟」の石碑の移転のことに触れました。あれから3年近く経とうとしています。幸か不幸か、いまでも、この碑は三室戸寺の鐘楼脇の同じ場所に建っています。
 
 
 
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 この「浮舟之古蹟」と刻まれた古碑は、江戸時代中期の寛保年間(1741〜1744)に、「浮舟古跡社」を石碑に改めたものです。その時に、古跡社のご本尊であった「浮舟観音」が三室戸寺に移され、浮舟念持仏として現在は宝物館に伝えられています。
 と書きながら、実は私はまだ一度も見たことがありません。神社仏閣にはよく行きます。しかし、どうも見落としが多いのです。いつも、次は、と思って巡拝しています。

 本堂の前は、蓮で埋め尽くされています。
 
 
 
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 そして、中央に狛兎と狛牛がいます。狛兎は御影石で作られています。
 
 
 
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 この兎が抱いている大きな玉の中に、さらに卵型の石が入っています。それが立てば願いが通じると云われているので、試してみました。運良く立ってくれました。
 
 
 
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 帰ってから写真をよく見ると、底に十円玉が置いてあります。知りませんでした。これに助けられたと言えなくもありません。しかし、それでもとにかく立ったのですから、人に助けられながらも万事うまく行く、ということなのでしょう。私らしいかもしれません。

 この地域を菟道(うじ)といいます。また、菟道稚郎子は、応神天皇と宇治の豪族である和邇(わに)氏の娘との間に生まれた皇子です。さらには、菟道稚郎子が宇治に来た際、兎が道案内したとの伝承もあります。ということで、この三室戸寺は兎と縁があるのです。
 さらに、私は卯年生まれです。来年は卯年なので、年男で還暦となります。ウサギつながりで、いい歳になることを念じました。

 三室戸寺の御詠歌は、次の通りです。

よもすがら
つきをみむろと
わけゆけば
うぢのかはせに
たつはしらなみ


 
 
 
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 お軸も、少しずつ、着々と埋まっていきます。
 
 
 

2010年10月14日 (木)

西国三十三所(12)勝尾寺

 大阪の北部にあたる箕面には、西国第23番の勝尾寺があります。

 車で巡拝していた頃は、箕面温泉に入るのを兼ねて行ったものです。
 箕面の温泉は肌触りのいいお湯なので、お薦めです。大きなプールを思わせるお風呂が爽快でした。子どもたちが大はしゃぎをしていました。その後、子どもたちも大きくなり、しばらく入っていません。

 今回は、電車とモノレールとバスを乗り継いでの巡拝なので、遠回りになる温泉はパスです。

 阪急電車と大阪モノレールを使い、千里中央駅まで出ました。そこからバスで山登りです。しかし、勝尾寺へ行くバスは、1日に3本しかありません。時間調整が大変です。

 9時10分/11時15分/14時15分

 千里中央で時間があったので、少しお腹に入れることにしました。

 すぐそばにロッテリアがありました。こまめにタンパク質を、といわれているので、久しぶりにハンバーガーを食べることにしました。
 一番ボリュームの少ないものをと言うと、なんと支払いは百円でした。レジの表示装置である7セグメントディスプレイをジッと見つめました。話には聞いていたものが、本当にそうだったので驚きです。

 これまでカロリーコントロールをしていたので、こうした外食産業のファーストフードは意識的に避けていました。
 また、アメリカなどでは、成人病を促進した食品ということで訴訟が相次いでいるため、あの大食漢のアメリカ人も、最近はマグドナルドをはじめとする、この得体の知れない油の塊を敬遠するようになったとか。

 そんな流れに逆らうかのように、今私はこの避けてきた危険な食品を、食事療法に部分的に利用しようというのです。おもしろいものです。ほんの少しですが、毒物の有効活用です。

 とはいえ、百円という値段で一喜一憂する凡俗の身の上。節操もなくハンバーガーをいただきました。ついでに、野菜ジュースも。しめて二百円です。

 バスは曲がりくねった山道を上ります。自分が運転していた頃を思い出しました。

 勝尾寺は、きれいに整備されたお寺です。
 
 
 
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 私には、手を入れすぎた霊園のように見えて、申し訳ないのですがあまり好感を持って訪れたことがありません。非常に人工的なお寺です。今回も、同じ感想を持ちました。参拝者に冷たい印象を与えます。納経所も、いまだにバラックです。

 ここが西国霊場の一つではなかったら、おそらく2度と来ないお寺です。

 山門には、勝尾寺とあります。しかし、その山門の背面に「勝王寺」とあることに気付きました。
 
 
 
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 入り口でいただいた紙片を見ると、最初は弥勒寺だったが、「王に勝つ寺」という寺名を賜ったのだそうです。しかし、「寺側は王を尾の字に控え」、以来「勝尾寺」と号するようになった、とあります。手元のガイドブックには別の経緯がしるされているので、この寺名の変更には、おもしろい背景がありそうです。また、調べてみましょう。
 
 
 

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 納経所には、先に団体の朱印帖がたくさん置かれていました。
 
 
 


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 ツアーの霊場巡りの場合は、先達役の方がみんなの朱印帖や笈摺などを集めて、先に書いて貰うのです。先達に朱印帖やお軸を預けて、自身はお参りをしない人もいるくらいです。
 ちょうど、その団体にぶつかりました。ただし、今回はまだ少ない方でした。
 幸いにも、お寺の方は、私のお軸を団体の方の合間に書いてくださいました。
 
 
 
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 この勝尾寺の御詠歌は、次の通りです。

おもくとも
つみにはのりの
かちをでら
ほとけをたのむ
みこそやすけれ

 お軸には、ご詠歌の「罪には」ということばを変体がなで「都美二八」と、いい文字で書いてくださいました。お心遣いに感謝します。

 この寺は、何事にも「勝つ」ということが売り言葉のため、ダルマがたくさんあります。とにかく、この「勝つ」ことに対する拘りを強調しておられます。

 今、「急ぐ」とか「勝つ」とか「早い」というモットーから距離を置きだした私には、この「勝つ」ことへの拘りがこれまでの自分の姿のように思えて来ました。その意味では、この勝尾寺は、私にとってはこれまでの自分を見せてくれるお寺として、いい鏡となるお寺なのかも知れません。
 そう思うと、この無機的な境内も、敬して遠ざけるのではなくて、我が身を振り返るのに格好の場所として見えてきます。このお寺に強い拒否反応を示す限りは、私のリハビリは順調に進んでいるとも言えるのです。

 大阪平野を見やる展望場所にも、たくさんのダルマの御神籤が置かれていました。
 
 
 
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 このお寺に対する見方が変わると、来たときに見た景色も、帰りには親近感が湧いて来ました。
 
 
 
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 お土産売り場のイスに座り、一時間以上のバス待ちをしました。
 とにかく、交通の便が悪いので、ここへ来る方で自家用車ではない方は、何らかの対策が必要です。
 私は、この巡拝記を書く時間をもらったと思い、こうしてゆっくりメモを記すことができました。
 
 
 

2010年10月13日 (水)

心身雑記(91)ワイン色は一過性との診断

 過日の赤ワイン色の尿に関して、検査結果と診察を受けに京大病院へ行きました。
 予約がしてあったにもかかわらず、1時間半も待たされました。病院は時間がかかります。

 日常生活の中に、病院へ行くという行動は、なかなか組み入れにくいものとなっています。今、私は療養期間中なので、この通院時間を確保できる生活ができています。しかし、職場に復帰したら、病院へ行く時間の確保に悩まされることでしょう。
 今思い浮かぶ方策は何も思いつきません。職場や周囲の理解を得て、身体に何か異常があれば、すぐに病院に駆けつけられる環境を手にする以外に、自己防衛はないのかもしれません。

 さて、病院の先生の説明によると、先日の異常は運動後の一過性の症状だろう、とのことでした。
 たまに、こういうことがあるのだそうです。
 ただし、それが出血によるものなのかどうかは、実際に見ていないのでわからないとも。濃い尿を、驚いた私がいつもと違うために、よけいに赤く見えた可能性もあるそうです。

 いずれにしても、細胞検査でも異常はないので、このまま生活をすることになりました。

 ホッとするとともに、何か釈然としない思いが残ります。一体何だったんだろう、と。
 我が目でハッキリと見ただけに、何か病名を告げられた方が安心します。もっとも、それはそれで、面倒なことになるものではありますが…

 ということで、以来何事もないので、これまでのペースで生活をします。

 最近、リハビリを兼ねた西国巡りに出かける機会を、意識的にもうけています。そのせいもあり、自ずと外食が多くなります。それでいて、分量が食べられないので、食堂やレストランに入るのを避けがちです。勢い、コンビニやスーパーマーケットなどで、小さなお寿司のパックや、おにぎりなどを買うことになります。
 野菜ジュースを意識して飲んでいるので、栄養のバランスは取れているかと思います。それでも、1日の摂取カロリーは不足がちです。

 この2日間は、お客さんがあったせいもあり、夜も外食でした。すると、自分が食べられる分量をついオーバーするのか、夜になると腹痛に襲われます。これがまた、苦しいのです。
 この、食事の量というのが微妙です。しかも、最初に水分を多く取ると、すぐに食堂が突き上げられるように苦しくなり、しばらくは食事をストップせざるをえません。

 今は毎日、まさに食事との闘いです。
 何をどれくらい食べるか、悩ましい日々が続いています。

 体重も、50キロの手前でストップしています。食べられないので、体重が増えるわけがありません。
 身体に力が入らないと、何かと支障が出ます。お腹に力が入らないと、話したり歩いていても、すぐに疲れを感じます。
 その対策として、腹筋をはじめとして、身体の筋力をアップすることを心掛けています。
 スポーツクラブで運動した後は、プロテイン配合のゼリー飲料を飲むようにしています。どれほどの効果があるのか、今はわかりません。とにかく、思いつくことをあれこれやってみる、という状況です。

 少なからず効果があったのか、自転車を漕いでいても、西国巡りで山道を足早に歩いても、先月ほどには息が上がらなくなったような気がします。
 効果が徐々に出てきている、と思うことで、身体作りを意識した生活を送るようにしています。

 一口にリハビリと言っても、その成果が顕著に表れるものではないので、諦めずに続ける根気に頼るしかありません。食道から腸にかけての機能をコントロールするのは、容易なことではないことがわかってきました。これは、時間が解決するものだと言われます。
 しばらくは、その時間に身を任せることにします。
 
 
 

2010年10月12日 (火)

西国三十三所(11)総持寺

 自宅から西国札所第22番の総持寺まで、地下鉄と阪急電車を使ってちょうど1時間。お寺が総持寺駅に近いこともあり、散歩がてらという感じで行きました。

 住宅街の一角にある、手入れの行き届いたお寺です。
 
 
 
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 お軸に御詠歌を書いていただくとき、3人おられた内の、奥におられた一番若い方だけが、暇そうに仏典を手にして眺めておられました。いつものご朱印ではなくて、今回は御詠歌をいただいて回っているので、できることなら流麗に書いてもらった方が有り難みが増します。

 しばらく、お土産物などを見ていました。しかし、年配のお2人はまだ手が空かないようなので、この若者に託すことにしました。
 先般書いたように、六角堂でお軸を台無しにされたことがあるので、書いてもらえばいい、というだけではありません。満願となり、表装したときの仕上がりも気になるのです。しかも、表装代に10万円近くかかるので、あだおろそかにできない代物です。お彼岸やお盆には、お軸のすべてを飾ります。あまり変なお軸にしたくはありません。

 若い方は、一字ずつ丁寧に書いてくださいました。出来具合はいかがでしょうか。
 筆を持つ手が硬かったので、見ている私の気持ちが乱れました。
 しかし、下手に連綿や変体仮名が使われていないので、かえって若々しさが感じられます。
 
 
 
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 この総持寺の御詠歌は、次の通りです。


おしなべて
おいもわかきも
そうぢじの
ほとけのちかひ
たのまぬはなし

 この歌の第2句を「たかきいやしき」とするガイドブックがあります。この部分は、どうやらかつては「たかきいやしき」だったものが、その言葉の意味に疑義が出て、今は「おいもわかきも」となったのではないかと、勝手に想像しています。
 また、何かわかれば報告しましょう。

 このお寺は、包丁の祖といわれる山蔭中納言が開祖です。
 料理の道を進む息子のこれからのさらなる精進も、観音様にお祈りしておきました。

 境内には、平安時代の基壇だったものが置いてありました。千年の重みを感じました。
 
 
 
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 帰り道、お蕎麦屋さんの貞寿庵が目に入りました。
 
 
 
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 これまでにも、何度かここで食べようと思いながら、しかし、この総持寺がいつも通り掛かりに立ち寄る寺なので、ツイまたの機会に、とやり過ごしていました。
 残念ながら、今日もそうです。私の食事時間と生憎合わないのです。

 このお蕎麦とは、いつか縁があることでしょう。
 西国巡礼の最初が私の父のため、次に娘のため、そして妻の実家である秋田の母のため、4巡目が私の母のためでした。今、私自身のためなので、次に6巡目の巡拝をするのは、妻のために回ることになるかと思われます。それがいつのことになるのか。今から楽しみにしておきます。
 
 
 

2010年10月11日 (月)

京洛逍遥(164)誓願寺の策伝忌と奉納落語会

 四条の新京極通リ三条下ルの誓願寺で、安楽庵策伝の報恩法要がありました。
 策伝は落語の祖といわれています。そこで、奉納の落語会もなされるのです。毎年、10月の体育の日に開催されています。
 
 
 
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 誓願寺は、六条通りの東端、新京極商店街のド真ん中にあります。この誓願寺では、和泉式部と清少納言が、ここで極楽往生をしています。このすぐ南の誠心院には、和泉式部が眠っています。

 法要では、たくさんの僧侶により、ナムアミダブの大唱和です。迫力がありました。
 読経しながら撒かれた散華の内の一枚が、私のそばに落ちました。
 
 
 
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 ありがたく頂戴して目の前に置いていたところ、読経が終わったときに隣に座っていた方がスーッとご自分の前に引き寄せ、やがて鞄の中に入れられました。

 まあいいか、と見過ごしたところ、法要のお世話役の方がご本尊の周りに撒かれた散華を集め、参集者に配り始められました。そして、私にもくださいました。ありがたいことです。
 隣の方に何か言って嫌な気分にならなくてよかった、とホッとしました。本当に必要なものは、必要な所にそれなりに収まるのです。

 阿弥陀さんの目の前ということもあり、いっぱしの悟りに近い気分で物事が見え、そして考えている気分になります。無理はしなくてもいい、ということでしょう。何事も、流れにまかせるのもいいものです。

 その後、仏教大学の関山和夫先生の講演です。

 関山先生は、策伝を世に紹介された方です。
 今日は、策伝が落語の祖というのは正確ではない、ということから語り始められました。
 笑話集の『醒睡笑』は、策伝が説教のオチを集大成したものだと。決して軽い人ではない。どっしりした人だ、ということを強調なさっていました。安楽は浄土のこと、浄土に住む人のことだそうです。

 策伝は89歳まで生きたようです。私も、63歳以降も生きていいことになったので、策伝にあやかりたいものです。

 関山先生の本は、今から35年以上も前のこと、私が卒業論文に手を着けていた頃にたくさん読みました。
 今でこそ私は『源氏物語』の本文に興味をもっています。しかし、大学の学部での卒業論文は唱導文芸をテーマにしたものでした。柳田国男や折口信夫の、民俗学と文学との接点をテーマにするもので、東京都福生市の民具や機織りの聞き取り調査や、京都で小野小町や和泉式部の伝説と史跡の調査をしていました。米原の鍋かぶり祭りも、小林茂美先生の指導のもと、泊まり込みで調査をしました。そして、語り物の文芸についても。

 小沢昭一の日本の話芸に関する仕事とともに、関山先生の本からたくさんのことを学びました。
 本日、初めてお姿を拝見し、お声を拝聴しました。あの頃に勉強したことは、ほとんど忘れています。しかし、関山先生がお話になる端々に、当時読んでいた本の断片が引き出される瞬間があり、我ながらおもしろく思って聞いていました。
 
 
 
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 お話を一生懸命に聞いていたために、正面からシャッターを切りづらかったので、講演が終わってお帰りになるところを写しました。失礼をお許しください。

 続いて、鈴木皓道師のお説教です。
 いやいやお坊さんをやっていた頃からの話で始まりました。しかし、本題に入ってもネタが散らばりすぎたように感じました。参会者に、鈴木師がおっしゃりたかったことが伝わったのでしょうか。私には、よくわかりませんでした。

 最後に、奉納落語会。
 本堂はギッシリと善男善女で埋まりました。

 最初は、落語の雰囲気を作るということで、ピーチククラブの京遊亭鈴の助の話です。ウンチの話でした。トイレをカンジョと言ったことを扱った、元気でスピード感のある、楽しい話でした。前座にしては、なかなかの出来で、会場を沸かせていました。

 桂よね吉は岡山から誓願寺に向かっているが、車での移動のために間に合わないとのこと。そこで、東京から来ておられた三遊亭圓王が急遽トップで登場です。
 善光寺と極楽の話。話す内に、だんだん調子が出てきました。テーマの選択がよくて、うまいと思いました。でも、駄洒落が多すぎです。関西では、このノリでは若者は反応しづらいのではないでしょうか。

 さて、桂よね吉は汗を拭き拭きの登場です。
 声がいいと思いました。播州?皿屋敷を熱演。メリハリの利いた話しぶりで、表情もいいのです。特に歯並びが明るくて、笑顔がいいと思いました。若手の人気者だというのがわかります。
 関西の落語を直接聞くのは久しぶりです。また聞きたくなる若手落語家です。

 露の團四郎は、モタモタした話しぶりで失望しました。顔の表情と身振りで誤魔化していました。

 東京からお出での2人目の桂藤兵衛は、トイレと風呂屋の話が下品でした。ことばが硬い上に、女性や人の身体を貶しすぎです。いろいろな人が聞きに来ているのですから、その配慮が必要ではないでしょうか。

 トリの森乃福郎は2代目です。先代は、テレビなどでお馴染みでした。よく間違えられる、とのことです。今日の演目は法然上人を扱った落語で、これは珍しいものだそうです。
 ぼけ役の男のドモリ口調がうまいと思わせる話しぶりです。しかし、全体に熟れていないせいか、話がおもしろくないので、私は退屈でした。

 5時間近く、阿弥陀様の真ん前で、座布団に座って聞いていました。いい時間をいただきました。

 この策伝忌に来るきっかけは、私が入院する前日に群馬から入洛した仲間が差し入れてくれた『しゃべれども しゃべれども』(佐藤多佳子、新潮文庫)を読んだことです。
 
 
 
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 人から本の差し入れをされるのは、服役するか入院のときくらいでしょう。しかも、おそらく自分では一生手にしそうもない本を渡され、それでかえって楽しく読めました。
 この本の作者は東京の人らしく、噺家の落語のような話を題材にして、人の心の中を丹念に描きながら淡々と語っています。これが、関西の人の手にかかったら、ハイテンポで破天荒なストーリーになるところです。そのおっとりとしたところと、歯切れのよい文章が、登場人物の思案に暮れる様を活写しています。
 あっという間の入院生活だったので、この本は病院では半分も読めませんでした。退院後、時間を見ては読み進んだのです。読み終わった頃に、策伝忌の落語会のことを知ったのです。

 本を読み終わったこと、東西の落語を聞けたこと、そして関山先生のお話を伺えたこと、などなど。
 重ね重ねの楽しみをもらえたことを実感できた、非常に充実した1日となりました。
 
 
 

2010年10月10日 (日)

西国三十三所(10)穴太寺

 京都の西のはずれの亀岡市にある穴太寺は、西国21番の札所です。
 その札所巡りの前に、まずは穴太寺の少し先にある亀岡温泉で、私のお腹の傷を癒すことにしました。

 京の奥座敷で知られる湯の花温泉郷の「里山の休日 京都・烟河(けぶりかわ)」は、日帰り温泉にピッタリです。
 自宅から JR 二条駅経由で亀岡駅まで行き、駅前の送迎バスに乗って1時間以内で行けました。

 烟河は旧亀岡ハイツといわれたところです。
 戦国時代には傷ついた武将たちが、刀傷を癒したという謂われのある古い温泉郷です。
 今の私にとっては、今夏の手術でお腹に6カ所ものメスを入れられたので、その傷を癒すのにこの温泉は最適です。現在の烟河は、とてもきれいな施設でした。

 丹波の山並みを目の前にして、ノンビリと露天風呂に入った後、野菜バイキングをいただきました。バイキングといっても、好きなものを少しだけ取っていたので、いろんな種類の和食を楽しむことができました。

 この亀岡は、かつて明智光秀が築いた丹波亀山の城下町でした。その後、この地は伊勢の亀山と紛らわしいということで、明治2年に亀岡と改称したというのです。今も亀山城跡があります。しかし、亀山という名を捨てたことには、もっと複雑な背景があるのでしょう。今は詮索しませんが、また調べてみます。

 食後は、ホカホカした身体でホテルの送迎バスに揺られ、穴太寺のそばで降ろしてもらいました。穴太寺は村の中にあり、花が咲き匂う境内でした。
 
 
 
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 御詠歌は、次の通りです。


かかるよに
うまれあふみの
あなうやと
おもはでたのめ
とこゑひとこゑ

 『穴太寺縁起絵巻』(狩野永納筆)というものがあるそうです。それによると、穴太寺の聖観音像は「身代わり観音」の伝説で知られ、この伝説が『今昔物語集』に取り上げられています。そのことから、平安時代末期には観音霊場として知られていたことがわかる、といわれています(【京都通百科事典】より)。

 ただし、私はまだこの絵巻を確認していません。
 いろいろと調べたのですが、その実体がよくわからないのです。また後日、詳細を調べることにしましょう。

 穴太寺からバスで馬堀駅へ出て、トロッコ列車で嵯峨野へ向かいました。
 馬堀駅からトロッコ亀岡まで歩いて10分弱です。
 
 
 
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 この微妙な距離を歩いて、なぜこんなに離れているのだろう、と思いました。しかも、亀岡駅からはJRで一駅乗って馬堀駅まで来るのです。
 何か理由があるのでしょうが、ブラリと来た身なので、妻とこの疑問を大いに楽しんでいました。

 トロッコ亀岡駅は、人でごった返していました。亀岡駅や馬堀駅から不便なところにあるにもかかわらず、これまた驚きです。
 
 
 
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 最初は立席券だったのが、キャンセルが出たということで幸運にも座れました。今日も、観音様の御利益に感謝です。

 トンネルがいくつもあり、暗くなると昔風の電灯が点きます。
 
 
 
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 保津川の流れも堪能しました。
 
 
 
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 保津川下りも、そして今日乗ったトロッコ列車も、私は初めてです。いつかいつかと思いながら、つい機会を失していたのです。

 トロッコ嵐山駅を少し過ぎた地点で、野宮神社が少し見えました。黒木の鳥居が、その存在感を示しています。
 終点のトロッコ嵯峨駅には、蒸気機関車をはじめとする鉄道文化の展示施設がありました。
 その駅の構内には、御所車も展示されていました。
 
 
 
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 これは、野宮神社からの斎宮行列のイベントに使用されるものだそうです。

 かつて、伊勢斎宮が伊勢に赴く前に潔斎をする野宮社が、ここにあったとされています。『源氏物語』の第10巻「賢木」に語られ、境内の黒木の鳥居と小紫垣がよく知られています。
 この斎宮行列は、毎年10月第3日曜日に実施されるので、今年は来週の10月17日です。
 斎王が任命を受け、都から伊勢の斎宮へと向う「斎王群行」を再現したお祭です。お金を払うと、この群行の女官などとして参加できます。
 斎王、監送使、官人・女官など総勢数百人が、勢多頓宮、甲賀頓宮、垂水頓宮、鈴鹿頓宮、壱志頓宮を経て斎宮に到着するまでには、当時は5泊6日もかかったといわれています。
 ただし、今は、野宮神社を正午に出発し、渡月橋を往復するだけです(【京都通百科事典】参照)。

 それはともかく、私にはこのトロッコ嵯峨駅の構内にある唐破風の牛車は、この地と文化には立派すぎると思いました。斎宮にはもっと簡素な牛車に乗ってもらいたいと思っていたからです。

 JR嵯峨嵐山駅の改札前には、こんなおしゃれな和風の丸窓がありました。
 
 
 
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 その右に見える黒木の立派な格子戸といい、駅らしからぬ雅と和の雰囲気を演出していました。この駅を設計した方のセンスに好感を持ちました。

 夕食は、四条錦市場の牡蠣のお店で、焼きたての牡蠣をいただきました。
 
 
 
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 これから、ますます牡蠣が美味しくなります。退院するときの栄養士さんの話でも、牡蠣は少量で高カロリーなので、胃を全摘した私にはとてもいい、とおっしゃっていました。
 フラリと立ち寄って牡蠣を1つだけ食べて帰れる店なので、気軽に来ることができます。
 この後、四条から御幸町を上がった「おめん」で和食を食べました。

 このところ、順調に、少ないながらも、効果的に食事ができています。ただし、体重は思うように増えません。まだまだ、体力作りを中心としたリハビリの生活が続きます。
 
 
 

2010年10月 9日 (土)

西国三十三所(9)円教寺

 姫路駅からバスで書写山ロープウェイ駅まで行くと、眼前に書写山が聳えています。
 ここは、西の比叡山と称されています。

 歩いても登れます。しかし、これまで一度も歩いたことがありません。
 一度は歩いて山登りを、とは思いつつ、今回もロープウェイを使いました。
 
 
 
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 山上駅まで3分半で着きました。

 山上駅から本堂である摩尼殿までは歩いて15分。
 西国巡礼の道から見下ろすと、麓に広がる田圃アートがみごとでした。
 高校生がデザインした白鷺城です。夢前町ののべ千人が、古代米や絹娘など6品種の苗30万株で作ったものなのです。
 
 
 
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 この夢前町を北上し、塩田温泉に家族と行ったことなどを想い出しながら眺めました。

 子供たちや母と来たときには、山上駅から本殿である摩尼殿まで、馬車に乗ったりマイクロバスを使ったりしました。しかし、今はリハビリを兼ねての巡礼なので、ここは細くて小暗い山道を歩きます。

 摩尼殿は、京都の清水寺のような舞台作りです。
 
 
 
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 ここ円教寺の御詠歌は次の通りです。


はるばると
のぼればしょしゃの
やまおろし
まつのひびきも
みのりなるらん


 摩尼殿で朱印を受けた後、和泉式部の歌塚の場所を訊ねました。すると、今は奥之院の修理をしているので、覆いが掛けてあって見られない、とのことでした。後2年はかかるので、平成25年頃になるでしょうか、とおっしゃいます。
 いつか写真に撮ったはずなので、今日は諦めて帰路につきました。

 なお、和泉式部と書写山というと、増田繁夫先生の『冥き途 評伝和泉式部』(世界思想社、1987年)に尽きます。丹念に資料を読み解いての高著です。今回、手元になかったので、再読せずに出かけてしまいました。この書写山にお出でになるときには、ぜひともこの増田先生のご本を通読なさることをお薦めします。

 境内は、まだ紅葉には早くて、ほんの少しだけ赤く色づいていました。
 
 
 
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 折からの小雨の山道を、小走りでロープウェイの山上駅へと急ぎます。
 小雨に煙る姫路市街から瀬戸内海の夜景が、来るときとは違った趣できれいでした。
 
 
 
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 姫路駅からの帰りに、あろうことか須磨駅付近で人身事故があったそうで、乗っていた電車が明石駅で運転打ち切りとなりました。
「オー、マイ、ゴッド!」です。
 この明石の地は、光源氏がさすらった処でもあります。これが昼ならば、改札を出て散策したいところですが……

 観音様も、とんだ悪戯をなさいます。
 ノンビリ帰りなさい、とおっしゃっているのでしょう。
 明石駅の売店で、ジュース、チーズ、クラッカーを買って、少しお腹を満たしました。

 大雨になった三宮で阪急に乗り換えです。
 軽く夕食をと思い、駅周辺を散策しました。
 手頃な海鮮丼があったので、ごはんを半分以上残し、上にのっていたお刺身だけはすべていただきました。料金が500円もしなかったので、私のように食事の分量に制約のある者には、気兼ねなく残せます。小刻みに食事をする身には、こうしたお手頃の食事は大歓迎です。

 来るときに、三宮駅から発車する奈良行きの電車を見かけました。
 
 
 
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 以前、大阪の鶴橋駅や、奈良の生駒駅で見かけたときも、感激しました。今、三宮で見かけると、奈良と神戸がつながったのだ、ということを実感しました。

 今日は、これから京都へ帰ります。古都が、こうして1本の線で往き来できることは、文化体験の上でもいい刺激になります。関西は、贅沢なまでに、歴史と文化を肌身で感じられるエリアとなっています。
 電車に乗っているだけで、駅名を見聞きするだけで、1300年の時間と空間を遊泳できるのです。歴史と文化のある地域に足を向けることができる者が持つ特権です。

 旧都や古都は、行けるときに行っておこう、という想いを強くしました。
 
 
 

2010年10月 8日 (金)

西国三十三所(8)一乗寺

 姫路駅からバスで40分。
 山の中にある一乗寺は、西国26番の札所です。
 
 
 

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 ここの開基は、インド霊鷲山の法道仙人です。紫雲に乗り、中国・朝鮮を経て来日した帰化僧。千手飛鉢の法をよくしたそうです。

 大化元年には、瀬戸内海を航海していた船が米の供養を断りました。すると法道仙人が空鉢を飛ばすと、米俵は空鉢の後を追って連なって飛行したといいます。
 まさに、『信貴山縁起絵巻』の命蓮上人が、山崎長者の米俵を空鉢で飛ばす話と同じです。
 法道仙人は、孝徳天皇の病を治しているので、西暦600年代の話です。

 法道仙人は、この播州地域でよく知られています。
 この次の西国札所25番の清水寺や、三田にある番外の花山院などが、この法道仙人ゆかりの寺です。
 行基や空海も、この一乗寺を訪ねています。
 
 
 
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 御詠歌は、次の通りです。

はるははな
なつはたちばな
あきはきく
いつもたへなる
のりのはなやま


 開山堂である奥之院に法道仙人が祀られていることを知らず、金堂の大悲閣でお軸に朱印をもらうと、ブラブラと石段を降りました。
 西国6巡目には、忘れずに立ち寄りましょう。

 国宝の三重塔は、地味でしたがその木組みの美事さに魅入ってしまいました。
 平安時代に遡る藤原様式のものだそうです。
 
 
 
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 この一乗寺には、これまで車を運転して来たので、今回初めてバスで来てみて、その不便さを知りました。姫路駅を13時に出て、帰りのバスは15時半です。参拝後、1時間以上も待ち時間があります。

 お寺の下の休憩所でお茶をいただき、少しお腹がすいたのでキツネウドンをもらいました。
 ダシは関西特有の、薄い色で少し甘めの味でした。キツネは厚揚げのようにふっくらとしていて、おいしくいただきました。

 あまりに空腹だったからでしょうか、一杯全部を食べていました。一人前をすっかりいただいたのは、手術後初めてです。
 これも、観音様のお導きでしょうか。
 
 
 

2010年10月 7日 (木)

西国三十三所(7)頂法寺(六角堂)

 頂法寺(通称、六角堂)は、四条通りの北側にある錦市場から、烏丸通り寄りを西北へ少し上ったところにあります。
 
 
 
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 この寺は、華道の家元・池坊の発祥の地として有名です。

 最近は、烏丸通り側にあるスターバックスでゆったりと珈琲を飲みながら、このお寺の雰囲気が大きなガラス越しに眺められます。コーヒー店が、なかなか癒しの空間となっています。
 このお店の裏口から、六角堂の境内にそのまま出られます。異次元体験ができるのも、楽しいところです。

 このお寺の歴史は古く、平安時代からのようです。藤原道長の『御堂関白記』や、藤原実資の『小右記』に記載が残っています。

 非常に個人的なことですが、今から25年ほど前になるでしょうか。亡父のために初めて西国巡りをスタートさせたときのことです。あろうことか、この六角堂で掛け軸に書いていただいた朱印が、大きく左にズレていたのです。中心に西陣織で象られた観音様に食い込むように、いびつな書き方をされました。

 「西国三十三所(1)5周目は石山寺から」(2010年7月19日)の記事の最初に、この最初のお軸の全体写真を掲載しました。
 
 
 
 この六角堂の朱印の部分だけを拡大すると、その歪み工合がわかります。
 
 
 

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 お軸が台無しになったので、この寺にはあまり好感を持っていません。実は、当時はこの池坊さんが内紛の中にあったことも、いい加減にお軸に朱印を書かれた背景にあったのではないでしょうか。

 不思議なもので、今でもこのことを覚えていて、今回お軸にご詠歌を書いてもらうときにも、きちんと各場所の位置を間違っておられないかを、ジッと見つめていました。
 今回は、大丈夫でした。
 
 
 御詠歌は、次の通りです。


わが思う 
心のうちは 
六の角 
ただ円かれと 
祈るなりけり


 
 
 
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2010年10月 6日 (水)

やっと届いた iPhone4はB級品

 今月1日から使えるはずだった iPhone4を、1週間遅れで入手しました。
 先日、「店頭で手渡された iPhone4が初期不良品」という記事で書いた通り、10月1日に入荷した商品が初期不良品ということで、アップルに修理のために即座に返品していたのです。

 今日届いた目の前の機種が、先日、パネルに気泡の入ったものと同じかどうかは知りません。
 実は、後で書きますが、今日届いたのは、1ヶ月前の古いバージョンのOSが入ったものでした。
 とにかく、元気に動いてくれたら、と思っていたのですが、踏んだり蹴ったりの扱いをされています。

 送られてきた iPhone4は、新しいパッケージではなくて、黒い小汚いプラスチックのケースに入っていました。
 写真の左が新品が入っていたケースです。そして、今日届いたiPhone4が入っていたのは、右の黒いプラケースです。
 
 
 
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 どこかに転がっていたものを、このプラケースに詰め込んだとしても、誰も知るよしもありません。
 商品は、もっと渡しようがあると思うのですが……

 それにしても、今回1週間も新しい商品のお預けをくっていたにもかかわらず、お詫びは店頭の女性が頭を下げただけです。
 私は、新しい契約をしたのに、新しい商品は使えないまま、使いにくいこれまでの古いものを我慢して使っていました。この1週間は、古いものの使用料ということになります。とんだ迷惑を蒙りました。しかし、アップルからのこれに関するメッセージは何もありません。もちろん、ソフトバンクからも。

 謝れ、というのではありません。アップルとソフトバンクに期待はしていません。しかし、これほど知らんぷりをされ、現場で窓口の対応者一人だけが謝るという商売の仕方は、どうかと思います。普通は、「この度は大変ご迷惑をおかけし、……」というペラの印刷くらいは箱の中に入っていてもよさそうです。
 開封後数分にして修理品として回収されたためとはいえ、このような無礼な対応で済ましていることには、商売人としてモラルを疑います。

 その後わかったことですが、それに輪をかけたように、1ヶ月も前の旧バージョンのシステムの機器を修理品として渡されたのです。まさに、B級品です。冗談でしょう、と言いたいところです。

 今は、品薄が続くほど iPhone4は人気商品です。
 ソフトバンクもアップルも、ユーザーのことなどまったくお構いなく、とにかく強気の商売をしておられます。しかし、一旦流れが傾くと、こういうやり方をしている会社はひとたまりもないことでしょう。

 アップルは、まだまだ新しい魅力的な商品を次々と投入して生き残ることでしょう。その魅力に惹かれて、私はマッキントッシュをはじめとする商品を購入しつづけています。
 しかし、そのような開発能力が皆無なソフトバンクは、アップルと手が切れればどうするのでしょうか。顧客を大事にするという姿勢が、孫正義さんには欠けているように思います。

 その昔、かれこれ20年以上前になりますが、アスキーの西和彦に大きく水をあけられ、常に後塵を拝するしかなかった孫さんも、西さんの後退と、今はアップルと組むことで大きく挽回したようです。
 しかし、どうも今でも商売が下手のようです。商談だけはうまいようです。どうでもいいことですが……

 お詫びということでお店から私に手渡されたのは、ドラえもんのうまい棒2本、小さい紙包みの飴4個、エンゼルパイ1個、小さなサラダ煎餅2枚入り1つ、ソフトバンクのウェットティッシュ1つ、犬の絵入りのクリアホルダ1枚でした。
 お子様扱いをされ、これだけでも非常に不愉快な気分です。
 これが、3ヶ月前から機種交換の相談に行き、手渡されたのが初期不良品だったユーザーへの、精一杯の感謝の気持ちのようです。

 さて、新しくなった iPhone4に、早速、iPhone3Gのデータを引っ越しさせることにしました。
 ところが、早々に変なことが……

 画面に表示されたメッセージによると、iPhone4のシステムのソフトウェアが古いので、ダウンロードしてアップデートする、というのです。
 購入したときに最新のシステムになっているはずなのに、今しがたOSがアップデートされたのかな、と思って更新しました。30分以上はかかったように思います。
 更新が終わったときに、何か画面が変わったように思いました。しかし、とにかくデータを入れ替えることしか気にしていなかったので、同期作業を進めました。

 同期が終わってみると、なんとアプリケーションが5つしか転送されていません。それも、『大辞泉』『ATOK Pad』『Bento』など、購入したアプリが転送されていません。iPhone4で使えない状態なのです。さらには、無料でダウンロードしたアプリが50本位あったのに、それらも転送されていません。

 バックアップ元になったマッキントッシュのパソコンを調べると、これらのソフトがすべて消えています。念を入れて慎重に、ソフトバンクに出かける前に iPhone3Gのバックアップをとっておいたのに、これでは使い物になりません。すぐに、またソフトバンクへ行き、この対策を相談しました。

 どうにも対処できないソフトバンクの方は、アップルのiTunes担当者に電話をつながれました。これも、15分以上待たされましたが……
 またまた、私の時間が湯水のごとく捨てられていきます。ジャージャーと音がします。

 アップルの担当者の話によると、iPhone のOSは、先月9月8日にバージョンが4.1にアップデートされたそうです。
 ということは、私が修理によって交換され、今、目の前にある iPhone4は、1ヶ月以上も前の古いシステムのままの商品ということになります。そんな古いものを渡されたのです。このことについては、アップルの担当者も「無言」でした。「普通は、最新のシステムにして購入者に渡されるものですよね」と言っても、「無言」でした。

 また、なぜ私のマッキントッシュから、アプリが消えてしまったのかも、「不明」、という回答しかもらえませんでした。
 電話口のアップルの担当者は、私のマッキントッシュのソフトウェアのiTunesが壊れている可能性がある、とおっしゃいます。
 しかし、この iPhone4をつなげて、入っていたOSのバージョンアップをするまでは、これまで快適に動いていた愛用のマッキントッシュです。私にとっては、問題もなく普通に動くマシンは、本当に希少価値のものです。それを、iTunesが壊れているとは。
 私には、iPhone4のOSのアップデートの時に、不測の事態で何かが起きたとしか思えません。

 これは、電話口で言い張ってもどうしようもないことであることは百も承知なので、それ以上は言いませんでした。
 相手がこちらのマシンやソフトウェアに原因があると言い出したら、その時点でユーザーは引き下がらなければ、時間がドンドン吸い取られていきます。30年に及ぶコンピュータ経験から、自信を持って言えることです。

 iPhone3Gに入っていたアプリで、今回iPhone4に転送されなかったものを移す方法を、3例ほど教えてもらいました。マッキントッシュの階層の中のデータを操作しながら行なう作業です。一般の方に勧められる方法ではありません。
 教えてもらった3例のうち、1例だけはアプリが移行できました。しかし、バラバラに転送されたので、この整理がまた大変です。

 このアプリ以外に、電話の履歴がうまく転送されていませんでした。
 しかし、これは実害がないので、このまま使います。アップルの担当者も、これにはお手上げでした。
 9月30日から今日までの電話の履歴はありません。この間に私が登録している方以外からの電話は、なかったことになります。
 この他、今後いろいろと不具合が見つかることでしょう。その場その場で対処するしかありません。

 とにかく、何を考えて1ヶ月前の古い商品を、しかもこんな時に私に渡してくれたのでしょう。
 倉庫の片隅に転がっていた返品の1つを、今回私に寄越したのか、と勘ぐりたくもなります。
 送られてきた黒いケースからして、そう思わせます。これが、欠陥品の修理品でないことを祈るのみです。
 正規に代金を支払っているのに、最初から型落ちの新古品でスタートです。
 いずれにしても、ソフトバンクもアップルも、せこいことをするものです。
 酷い会社です。病気療養中の身なので、訴えはしませんが……

 本当は、ちゃんとした新品が欲しい、と言いたいところです。
 しかし、次に渡されるものがこれよりももっと酷い商品だったら、さらにチューニングのために時間を捨てることになります。
 新品で完動品が私の手元に届く確率は、本当に低いと言わざるを得ません。それならば、どれくらいの欠陥品で妥協するか、ということになります。

 お金はちゃんと払っているのに、こんな目に遭うのですから、何とも割り切れない思いは残ります。
 とにかく今はここで何とか動いているので、これに時間をかけてアプリを入れ直すなどして、更なる混乱と時間のロスから逃げることにします。

 それにしても、最悪の iPhone4を手にしてしまいました。
 最初は欠陥品、そして修理交換品は古いOSが仕組まれた型落ち品という、災難続きです。
 これもみんな、私が背負っている運としか言いようがありません。

 まだまだ、私はこうした欠陥品とのお付き合いが続きそうです。
 宿命です。相変わらず、ジッと我慢の日々が続きます。
 
 
 

2010年10月 5日 (火)

西国三十三所(6)行願寺(革堂)

 寺町通りのお茶屋「一保堂」さんの近くにある行願寺(通称、革堂)です。
 
 
 
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 この寺は、京都御所の東南角の丸太町通りから寺町通りを少し南に下ったところにあります。あるいは、京都市役所の左側の寺町通りを北に上っても近いところです。

 寺町通りは、興味深いお店がたくさん並んでいるので、南北に歩くと楽しいところです。
 いわば、文化ストリートと名付けてもいいほどです。
 この行願寺の近くにある文具類は、日本文化の奥深さを教えてくれます。
 定家の屋敷跡などは、すでに何度か書いたので今は略します。

 さらに南に下ると、京極と新京極の商店街があり、観光客や若者でごった返しています。

 寺町通りの四条から南には電気屋さん街がありました。しかし、近年は京都駅周辺に大型店が進出したこともあり、電気店の数も少なくなりました。寂しい雰囲気になっています。残念なことです。

 さて、六波羅密寺の空也上人は「市の聖」と呼ばれました。
 この行願寺の開山である行円上人は「皮聖」と呼ばれていました。
 ともに、平安時代の後期に市中を布教で回った姿がイメージしやすい聖です。
 それだけ、親しみのあるお寺といえるでしょう。
 
 御詠歌は、次の通りです。



花を見て
いまは望みも
革堂の
庭の千草も
盛りなるらん


 
 
 
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2010年10月 4日 (月)

心身雑記(90)病院で検査の後は体力作りに励む

 昨日書いた、先週のお小水がワインレッドだったことについて、焼き鳥のレバーのせいにして放置するわけにもいきません。今後のこともあり、原因を知っておくためにも、京大病院へ行き診てもらいました。

 予約ではなく、一般外来で行ったこともあり、4時間半も病院内に留めおかれました。その長時間を、待合室でイスに座って本を読むことで過ごしました。しかし、周りの人の動きと、いつ自分が呼ばれるかわからないということで、気が散って落ちついて本が読めません。それでいて、2時間ほど待たされていた時は、つい読み耽っていたために、そばまで来て声を掛けてくださいました。

 消化管外科から泌尿器科に回り、エコーなどで肝臓、腎臓、膀胱などを調べてもらいました。
 詳細は来週わかります。今日のところは、特段の異常は見つかりませんでした。
 食事はこれまでどおりでいいそうです。
 もちろん、焼き鳥のレバーを食べたことと、尿が赤ワイン色だったことは無関係だそうです。
 やっぱり……

 帰りに、隣の敷地の「京都大学 iPS細胞研究所」を通りかかりました。
 そういえば、今日はノーベル賞の発表があります。最有力候補とされているこの研究所の山中伸弥教授のことが頭を過ぎり、その門のプレートを記念に撮影しました。
 
 
 
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 帰ってから夜のニュースによると、残念ながら今年は受賞には至りませんでした。
 私が入院していた病棟がすぐ横だったこともあり、訳もなくこの研究所と山中先生には親近感があります。我々に夢と希望を与える研究を続けておられる、ということで、今後とも声援を送りたいと思います。

 手術後1ヶ月が経過しました。そろそろ体力作りも本格的に取り組もうと思い、今日からスポーツクラブへ通うことにしました。
 東京で入会しているスポーツクラブが全国ネットの組織であり、自宅近くにもその施設があります。自宅に帰っているときにはよく利用しています。プールとマシンジムに通い、少しずつ身体を元に戻し、さらには腹筋をはじめとする基礎体力をつけることにします。体力がもどれば、またエアロビクスも始めたいものです。

 今日からスタートということで、まずは身体チェックをしてもらいました。
 ちょうど1年前のデータがあったので、それと較べると今日の数値は、以下のようなものでした。
 今後の参考とするために、掲載しておきます。
 体調のよかった1年前と較べると、「水分率」以外は、すべての項目でマイナスの数値となっています。ただし、思ったよりも激減ではなくてホッとしています。


体  重 ︰ −3.9kg
ウエスト ︰ −2cm
B M I︰ −1.4 (体格指数)
基礎代謝量︰ −58kcal
体脂肪率 ︰ −2.3%
腕の脂肪率︰ −1.9%
足の脂肪率︰ −1.7%
内臓脂肪指数︰−10
筋 肉 量︰ −0.9kg
腕の筋肉量︰ −0.1kg
足の筋肉量︰ −0.4kg
水 分 率︰ +1.7%
骨  量 ︰ −0.1kg

 マシンジムでは、エアロバイクを使った体力測定もしました。
 これは、これまで通りの18歳の体力だという結果が出ました。手術と入院生活で、体力は相当落ちているはずです。自転車を漕いでいると、すぐに息が上がるのでわかります。それなのに、相変わらず18歳です。
 どうやらこの機械は、呼吸法を心得ているといい数値がでるようです。あまり信用はできませんが、悪い気はしません。

 機器を使って手足の筋力トレーニングもしました。いつもより軽めのウエイトにし、回数も半分くらいです。
 ウエストを捻る運動は、まだお腹に自信がないのでやめておきました。せっかく切ってつなげた内臓が、強く捻ったがために破れる、などということがないとも限りません。
 腹筋は徐々に、ということで、当面は足腰を鍛えましょう。

 その後、プールで水中ウォーキングと軽い水泳をしました。当分はウォームアップに留めておきます。

 予定通り12月から正式に復帰できるように、計画的に体力をつけていく予定です。
 
 
 

2010年10月 3日 (日)

心身雑記(89)血の気が引いた尾籠な話

 また、尾籠な話で失礼します。
 体調のよろしくない方は、適当に読み飛ばしてください。

 夕食後、身体を休めていた時でした。
 トイレに行き、お小水の色を見て、信じられない思いで立ち尽くしました。
 我が目を疑いました。身体から、すべての血が引いたような気がしました。
 何と、濃いワインレッドの色なのです。身の毛もよだつ、とはこんな状態を言うのでしょう。
 置かれた状況が怖くなりました。

 このところ、運動もしっかりやっています。
 食事も、規則正しく二三時間置きに食べています。
 適宜、ウィダーインゼリーやカロリーメイト、はたまた禁断だったチョコレートなどを間食のエネルギー補給として取り入れています。
 体重も、100グラムずつではありますが、増えてきています。あと数日で、50キロに届きます。
 体重が減ったことが、体力的には一番堪えています。しかし、順調に回復している実感と手応えはあります。

 そんな折、突然の異変です。
 体内で何が起きているのか、この事態が信じられない思いで、しばし呆然です。
 血尿に近いので、すぐにインターネットで調べました。

 「尿の色が赤い」ということばをキーワードとして入力し、グーグルで検索したところ、百万件以上の記事がヒットしました。

 最初に掲示された「尿の色:尿の病気・原因 知っておこう」を筆頭に、気になる記事を片っ端から読みあさりました。

尿の色が赤くなっていたら、もっとも注意が必要です。赤い色は血液の細胞(赤血球)が尿に混じっているのです。これを血尿や尿潜血といいます。尿が作られて排泄されるまでの腎臓・尿管・膀胱・尿道の尿路のどれかが病気である可能性があるのです。そのため炎症が発生して出血しているのです。腎臓や膀胱・尿道・前立腺などの重大な病気が起きている可能性があります。ごく少ないケースでは、肝炎になっている人は、肝炎によって腎臓が悪くなって、尿の色が紅茶や赤ワインのような色になる場合もあります。

尿路結石が原因の場合は突然、腹部や背中の激痛が起こります。※女性の場合は月経があるのかどうかれを考慮しなければなりません。

血尿では痛みがなく自覚症状がでないケースでは、がんの可能性もありとても危険です。また1度は血尿が出て心配しても、次の日には血尿が出なくなったので安心して放置している人がいます。早急に医師にご相談してください。(http://nyou.style-xyz.com/entry4.html)

 これは、容易ならざる事態発生です。

 これ以外にも、「腎・尿管・膀胱結石、腎がん、膀胱がん、急性腎炎、腎盂腎炎、膀胱炎」に関する警告が随所に眼に付きます。

 とにかく、ただならぬ緊急事態です。
 すぐに妻といろいろな対処を相談しました。
 結論は、明日、京大病院に連絡をして急患として診てもらう、ということになりました。

 朝になって、妻が駆け寄ってきました。原因がわかった、と。しかも、笑いながら……
 原因は、焼き鳥のレバーだと言うのです。

 そういえば、昨日のことを想い出すと、思い当たります。

 いつものように、妻と夕刻の賀茂川ウォーキングに出かけました。
 家の前から植物園前の飛び石を渡り、下鴨神社を目指してお喋りをしながら南下しました。
 北大路橋を潜り、出雲路橋あたりで一気に暗くなったので、鞍馬口通りから烏丸通りを北上することにしました。

 鞍馬口通りの上善寺と閑臥庵あたりで急にお腹が空いてきました。
 そこで、烏丸鞍馬口の「鞍楽ハウディ」で焼き鳥のレバーを買い、食べながら帰ったのです。
 エネルギー補給として、私が2本、残りの1本を妻が……

 なるほど、あれしかありません。
 案の定、今朝からは普通の色のお小水です。
 やや濃いめでしたが……

 昨夜のモヤモヤは、こうして問題解決となりました。

 それにしても、なんと正直なお腹なのでしょう。というよりも、食べたものがお腹を直通なのです。
 これは、おもしろい実験ができます。しめしめ、です。当分、楽しめます。
 妻は、今晩は人参だけ食べたら、と冷やかします。それからホウレン草を。
 すると、赤青黄色と楽しめる……

 冗談ではなくて、身体の不思議を身をもって感じています。
 消化器がないというのは、身体の中ではどんに状況になっているのでしょうか。
 当分は、こうした些細なことに反応しながらの療養生活が続きそうです。
 
 
 

2010年10月 2日 (土)

秋晴れの京都で研究会と学会

 昨日は、京都駅前のキャンパスプラザ京都で研究会がありました。
 これは、国文学研究資料館の今西祐一郎館長が代表者である科研費研究の研究会です。
 今年度から始まったもので、今回が第2回目となります。

 お二方の研究発表がありました。いろいろと示唆に富む内容でした。
 その中でも特に大きな収穫があったので、ここに報告します。

 九州産業大学の田村隆さんの発表は、「『涙』の表記情報」と題するものでした。
 内容は、『源氏物語』の写本や版本で、「なみだ」と書くか、漢字で「涙」か「泪」か、という表記の問題を取り上げたものでした。
 「泪」という漢字を使うのは、どうやら江戸時代に入ってすぐにできた『絵入り源氏』あたりからのようです。詳細な調査による成果を示してくださいました。

 この発表で特筆すべきことは、『絵入り源氏』と陽明文庫本の関係に新しいスポットを当てられたことでしょう。
 陽明文庫本の『源氏物語』は、鎌倉時代の書写にかかる写本が多い貴重なものです。『源氏物語別本集成』と『源氏物語別本集成 続』で底本として使わせてもらっています。
 この陽明文庫本の中でも、後世の補写とされる写本の本文は、『絵入り源氏』の本文と字詰めや文字遣いまで近似する、という思いもかけない点を指摘されたのです。もちろん、「泪」も引き継がれています。
 このことについては、これまでにその指摘をした論考に思い至らないので、これは田村さんの新見解だと高く評価していいと思います。今回は、「幻」巻を例にしての指摘でした。さらに他の補写の巻でもそのことが言えるのか、この新見を補強されることを楽しみにしたいと思います。

 なかなか楽しみの多い研究成果が、写本の文字表記を研究対象とする中から見えてきました。このことは、この科研の今後の展開が、ますます楽しみになった、ということでもあります。

 私からは、『源氏物語』の本文をデータベース化するにあたり、現在の状況と今後の展望を報告しました。
 国文学研究資料館のサーバーから『源氏物語』の本文データベースを公開することについて、問題点をいくつか指摘されました。また、利用者への見せ方について、貴重なアドバイスをもらうことができました。
 翻刻データが文節に区切られていることや、付加情報として加えている記号や傍記・ミセケチなどの情報が煩雑であること、本文の校異の示し方がわかりづらいし、使いづらいこと等々、今後の参考にさせていただく意見を頂戴しました。

 それらの意見を伺いながら、管理用の情報などで、公開時に見えるものと見えないものに関する理解が得られていないことや、データは一定の方針で翻刻しているので、利用者に対する見せ方・アウトプットの工夫は再考の余地があるように思われること、そして、写本の画像データベースも公開する予定なので、それによってたくさんの問題点が解消されるであろうこと等々をお答えしました。

 先生方のご意見を伺いながら、データを作成する側の報告内容と利用者側の内容理解という、多分に立場の違いからの異見のやりとりになった点が感じられました。今後とも誤解を招かないようにするためにも、この本文データベースの説明には、作成者側の内部情報と、利用者側に提示される視覚的な情報を切り分けたいと思います。そして、利用者側の立場に即した情報を提供する中で、データベースの改良を図っていきたいと思います。
 利用者にとっては、データベースの構造などは関係ないことなのですから。
 要は、見栄えと使いやすさの完成度を問われる、ということのようです。

 この日の研究会は、みっちり4時間にわたっておこなわれました。
 司会進行役であった私は、お腹に力が入らないので、何かあったらすぐにバトンタッチができるように準備をしていました。しかし、15人の先生方の前で、何とか声が出せました。久しぶりに人前で声を出したので、身体に変調をきたさないかが心配でした。何事もなく、長時間でもあまり疲れませんでした。気疲れだけは、どうしようもないものです。それ以外は、あまり身体に負担はなかったように思います。安堵しています。

 その後の懇談会にも参加しました。
 お酒は控えましたが、豆腐料理のお店にしてもらったこともあり、少しは食事を口に入れました。
 研究会と懇談会は、途中でみなさんに迷惑をかけては、との思いを抱きながらの出席でした。しかし、どうにか大過なく役目を終えることができました。
 これまでは何でもなかったことが、身体に気がかりなことがあると、少なからず不安が伴うものです。それも、みなさまのお陰で、有意義な研究会となり、懇談会も和やかに楽しく過ごせました。

 私の身体も順調に回復しているようなので、こうした機会を積極的に自分に課して、日常的な生活に戻れるように徐々に慣れていくことにします。

 さて、今日は、立命館大学で中古文学会がありました。
 まず、二人の研究発表があり、それに続いて「平安文学と地理」と題するシンポジウムです。

 お一人目の久保田孝夫先生の「『土左日記』の「山崎」」は、山城国の国府が「山崎」であったことに発する問題意識の喚起を促してくださるものでした。紀貫之と源公忠の親交の深さ等々、地理と人間関係に想いを馳せながら伺いました。

 片平博文先生の「地理から見える枕草子の「風景」」は、歴史地理学という分野からの発表で、日頃は目にすることのない資料や視点での内容なので、非常に刺激を受けるものでした。航空写真や自然現象の科学的な分析による図説など、楽しく平安時代の雨や雪の様子を想像しながら話を聞きました。
 それにしても、改めて平安時代が寒冷期にあたることを実感しました。こうした情報は、作品を読むときに大いに役立ちます。視野を広げる、いい機会をもらいました。

 小山利彦先生の「平安京地主神、賀茂に関わる文学空間」は、今春の葵祭にご一緒させていただいたので、そのときに伺った話とつなげながら聞きました。また、上賀茂神社・下鴨神社・雲林院・大宮通・一条大路と、私の京都での生活空間が話題となるものだったので、非常に身近な話として、これまた楽しくいい勉強をさせていただきました。

 学会は、若手の方々のキラキラする視点や、先生方の刺激的な知見が伺え、いつも貴重な勉強ができる場となっています。
 また、今日は、たくさんの先生方から、身体は大丈夫かと声をかけてくださいました。気遣っていただき、ありがたいことだと感謝しています。

 明日も、たくさんの刺激がもらえることを楽しみにして、参加したいと思います。
 
 
 

2010年10月 1日 (金)

店頭で手渡された iPhone4が初期不良品

 これまで使っていたiPhone3Gに関して、当初の契約の2年間が来たので、iPhone4に機種交換することにしました。これまで、何かと使いにくい iPhone3Gを、ここまで我慢して使っていたのです。

 今日が契約の切り替わる日だったので、これまで何度かソフトバンクに通い、品薄のこの商品を今日から使えるように手配をしていました。

 先日、品物が届いているとの連絡があったので、今日、新しいものに交換してもらいに行きました。
 取り置きの期間は1週間で、それを過ぎると別の待っている人に渡すということだったので、今日がスレスレの受け取り日でした。
 そして、お定まりのごとく、いつもの通り、案の定、新しいiPhone4に欠陥が見つかりました。
 それも、店頭で店員さんが、偶然見つけてくださいました。一瞬、ホンの数分だけ私のものになった iPhone4でした。しかし、それも一度も使わないままにアップルへ修理に出されてしまいました。

 イッテラッシャイ、と、縁のなかったiPhone4を見送りました。

 とにかく、私は機械運が悪いことは、これまでにも何度も報告した通りです。ウソのように、次から次へと欠陥商品を渡されます。今回も、また何かが、という予感はしていました。

 ソフトバンクの店頭で、新しい iPhone4が入った四角い紙箱が、目の前で開封されました。ドキドキ、ワクワクの楽しい瞬間です。そして、SIMの装着も終わり、これまでの iPhone3Gの通信機能が無効になり、すべての手続きが無事に終わりました。
 これまでのiPhone3Gが使えないことを確認した後、新しいiPhone4のカバーケースを買い、タッチパネルに保護シートを貼ろうとしたときでした。お手伝いをしてくださっていた店員の方が、アレッとおっしゃいます。何かと思って差し出された手元を見ると、液晶画面と表面のガラス面の間に、なんと小さいながらもハッキリと視認できるほどの気泡が入っているのです。場所は、iPhone4の画面左下です。
 
 
 
101001_ipone4
 
 
 
101001_awa
 
 
 

 写真では単なる気泡があるだけのようですが、実際にはこのエリアはよく使う位置なので、目障りな空気の混入痕です。

 お店の方は、すぐにソフトバンクに電話連絡をとられました。すると、それは契約上はアップルが対処すべき事例とのことで、今度はアップルと相談しておられます。早速たらいまわしです。

 やがて、私にお店の受話器が渡され、アップルの担当者と話をしてくれ、とのことでした。

 アップルの担当者は、今回の商品は初期不良品で、本体ごと修理の対象になる、とおっしゃいます。そして、それを宅配便で回収するが、どこに取りに行けばいいか、とのことです。
 つまり、私がこの初期不良品を持ち帰り、宅配業者が私の自宅に回収に来ることにするのか、それとも、このソフトバンクのお店に預けておき、このお店に回収にいけばいいのか、どちらにするか判断しろ、とのことです。
 あくまでも、これは初期不良品とはいえ私の所有物である、ということでの対応です。そして、今すぐ、代替機は貸せないし渡せないとのことでした。終始一貫、修理対象の商品という対応なのです。

 完全に業者の論理で展開し、顧客である私などまったく眼中にない対応です。
 ムカッときました。しかし、ムカッと来るだけ損なので、どうぞご勝手に、ということで、この初期不良品を持ち帰ることは拒否しました。
 お店とアップルとがやりとりしてもらい、何年先でもいいので、まともな商品を私に渡してくれることを望む意向を伝えました。

 ソフトバンクにしても、アップルにしても、こんな対応で商売を続けていて、本当にいいのでしょうか。
 この話の展開の中では、私が今日のために手配をしてきたことは、一顧だにされていません。実際には、7月の初旬から、機種の乗り換えについてのタイミングを相談に来ていたのです。
 すべて、会社の都合だけで話が進み、勝手にこれから先のいつか手渡す、という論理で決着となっていました。

 ソフトバンクもアップルも、すごい商売をしていますね。
 中国のように、終始有無を言わせぬ強気で圧しまくってきます。

 店頭の担当者は、すみません、と、ことばと表情でおっしゃっていました。しかし、それは日本文化を背景にした、店員さんの個人的な感情からのお詫びのことばにしか過ぎません。
 企業の論理は、冷酷無比です。それが、今日のできごとでわかりました。

 今思えば、私がこの初期不良品である iPhone4を自宅に持ち帰り、自宅で保護フイルムを貼ろうとしている最中にこの気泡を見付けたとしたら、いったいどうなったのでしょうか。
 これが初期不良品であることの証明に何日も費やし、その交換のためのやりとりに何日も費やすことになったはずです。おそらく、大阪心斎橋のアップルストアに持ち込まないと、話は聞いてもらえなかったはずです。
 アップルの殿様商売の、いつものパターンです。

 たまたま、店頭で不良品であることがわかったので、その無駄な時間が幾分短縮されたものの、何とも暗澹たる思いにさせられます。

 とにかく、このままでは私は電話が使えないので、これは何とかしてほしいと言いました。すると、これまでの iPhone3Gに入っていたSIMは無効になっているので、新しいSIMを付けて使えるようにするということでした。これによって、私が支払うものはないとのことです。それはそうでしょう。あたりまえです。

 ということで、また持ち込んだときの iPhone3Gを使い続けることになりました。
 次の iPhone4が届くのに1週間ぐらいはかかるのだそうです。
 別に何年先でも構わないですよ、という嫌みは言いませんでした。

 そして、このトラブルのお陰で、京都駅前のキャンパスプラザ京都で予定されていた、国文学研究資料館の今西祐一郎館長の科研費研究に関する研究会に遅刻することになりました。事前の打ち合わせに間に合わなかっただけですんだので、一先ずはホッとしました。
 お昼ご飯を食べることもできなくなっていました。仕方がないので、京都駅のコンビニでおにぎりとお茶を買い、ソッと口に入れてお腹を満たした後、司会進行役を果たしました。
 
 
 

NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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