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2010年12月16日 (木)

教科書に見る平安朝・小学校—国語(7)光村図書出版

 光村図書出版が作成した小学校国語科教科書140冊をとりあげます。
 ここでは、平安朝というよりも、古典の香りがする教材を中心として取り上げ、コメントを付けていきます。個人的な興味と関心から、インドに関する情報も取り上げます。
 ただし、あくまでも私は国語教育の専門家ではないので、思いつきを記すことを、あらかじめお断りしておきます。
 
 
 これまでの経緯と報告は、次の記事をご覧ください。

「教科書に見る平安朝・小学校—国語(1)」(2010年10月31日)

「教科書に見る平安朝・小学校—国語(2)中京出版・大日本図書・二葉図書」(2010年11月 8日)

「教科書に見る平安朝・小学校—国語(3)学校図書」(2010年11月 9日)

「教科書に見る平安朝・小学校—国語(4)教育出版(その1)」(2010年11月11日)

「教科書に見る平安朝・小学校—国語(5)教育出版(その2)」(2010年11月19日)

「教科書に見る平安朝・小学校—国語(6)教育出版(その3)」(2010年11月22日)


【光村図書出版】(140冊)

 昭和29年度用


五年下(この冊のみあり)

 
 
 昭和30年度用

一ねん上 浦島太郎(絵だけ4枚)
二年下 はごろも
五年上 紫式部


※この年度は垣内松三著。
 「光をかかげた人々」という単元に、紫式部、雪舟、伊能忠敬の3人の小伝がある。
 この中から、紫式部に関する文章を引用します。


     二 光をかかげた人々

       (一) 紫式部

 平安時代の中ごろ、男子は、おもに中国の文章、つまり漢字で書かれた漢文を用いるのが、教養を積んだしるしになっていました。それに対して、女子は、ひらがなを用いるのがならわしとなっていました。
 そのころ、そのひらがなを自由自在に使って、長い物語を書いた人がいました。それが、これからお話をする紫式部で、その本は源氏物語というのです。
 源氏物語は、古い文章で、ことばの解釈が必要なうえに、おもに、おとなでなければわからないことが書かれていて、まだわたしたちには読めない物語だそうです。しかし、日本が世界にほこることのできるものの一つだということです。
 この物語を書いた紫式部のほんとうの名まえや、生まれた年ははっきりわからないそうですが、おさないときから、たいへんかしこい人であったということです。
 父は藤原為時といって、かなり名高い学者であり、式部をたいそうかわいがったということです。
 式部は京都に往んでいましたが、父為時が、大臣の言いつけで、地方の投入となって、今の福井県に行くことになり、いっしょについていきました。
 その後、式部は、父のことを気にかけながらも、京都へ帰らなければならなくなりました。
 京都に帰った式部は、しばらくして、藤原宣孝という人のつまになりました。
 幸福が式部をおとずれたのもつかのまでした。女の子がひとり生まれてからまもなく、夫の宣孝がこの世を去ってしまったからです。
 紫式部は、ちのみごをかかえて、ひとりでくらさなければならなくなってしまいました。
 わか竹の生い行く末をいのるかなこの世をうしと思うものから
という歌は、このころの作だろうといわれています。おさないわが子のしょう来をいのらずにはいられない母としての心持が、よくわかるような気がします。
 源氏物語は、このころから書きだしたものだろうといわれています。悲しい生活の中にありながら、この物語のすじを考え、筆をとるのが、ただ一つの、そして大きななぐさめであったのかもしれません。
 紫式部は後に宮中にはいり、一条天皇の皇后、上東門院に仕えました。式部というのは、宮中におけるよび名であります。当時は藤式部といわれていたようですが、源氏物語の中の女主人公である紫の上にちなんで、紫式部とよばれるようになったといわれています。
 式部は、宮中に仕えるようになってからも、おりを見ては、この物語を書き続けていきました。何年かかってできたかわかりませんが、この教科書にしたら三十さつにのぼるような、大きな物語となりました。しかも、その文章の美しく細かなこと、ものを見る目の深いことなどで、日本の文学史上にかがやいているということです。
 ひらがなは、紫式部のような人を得て、いっそうその力を表わし、国語を豊かにしてくれたということができましょう。
 大きくなったら、この物語を読んでみたいと思います。

 この文章は、小学五年生の視線で語られています。最初の方にある、「源氏物語は、古い文章で、ことばの解釈が必要なうえに、おもに、おとなでなければわからないことが書かれていて、まだわたしたちには読めない物語だそうです。しかし、日本が世界にほこることのできるものの一つだということです。」という表現が、私はおもしろいと思いました。教える先生は、どのような説明をしたのでしょうか。
 この単元末尾の「けいこ」という学習欄に、「光をかかげた人々」という題をつけたわけと、どのようにして光をかかげたのかを考えるような質問があります。
 また、本教科書の最後にある「指導者のために」では、この単元での紫式部に関して、次のように書いています。


○紫式部の人、および源氏物語の値うちについて、読み取ったことや感じたことを話し合う。

 ここでの「値うち」についての話し合いも、難しかったことでしょう。


 
 
 昭和34年度用

一ねん下 一寸法師
二年上 はごろも
三年下 海ひこ山ひこ(日本神話)
五年上 ふえ(博雅三位の話)、「わたしたちの文字」(ひらがなや女手)
六年上 いろは歌


※二年上の「はごろも」は絵が変更されている。

 
 
 昭和36年度用

一ねん上 浦島太郎(絵だけ4枚)
一ねん下 一寸法師
二年上 はごろも
三年下 はやとり(日本神話)
五年上 わたしたちの文字(ひらがなや女手)
五年下 本の歴史
六年下 正倉院


※二年上の「はごろも」は、さらに絵が変更されている。
 五年で「ふえ」がなくなる。「本の歴史」では、版本の説明はあっても写本の説明はない。日本の伝統的な写本について、説明がほしいところ。
 六年下の「正倉院」では、古代の文化史の話が少しある。

 
 
 昭和40年度用

一ねん(欠本)
三年下(欠本)
五年上 わたしたちの文字(ひらがなや女手)
五年下(欠本)
六年下 正倉院

 
 
 昭和43年度用

1ねん下 一寸法師
五年上 わたしたちの文字(ひらがなや女手)
六年下 正倉院

 
 
 昭和46年度用

二年下 小さなかみさま(出雲神話)
六年下 今昔物語集(現代語訳)


※この年度の1ねん上から各学年で、別記著作者に作家・井上靖が入る。以降続く。
 六年下の目次に「古典」の語あり。

 
 
 昭和49年度用

二年下 小さなかみさま(出雲神話)
六年下 今昔物語集(現代語訳)

 
 
 昭和52年度用

(平安時代にかんするものは特にない)


※六年下の目次から「古典」の語がなくなる。

 
 
 昭和55年度用

六年下 漢字とかなの由来(ひらがなの字母表)

 
 
 昭和58年度用

一上 浦島太郎(絵3枚)
五年上 映像と言葉(『竹取物語』のことあり)
六年上 短歌(赤人、友紀、実朝)
六年下 漢字とかなの由来(ひらがなの字母表)

 
 
 昭和61年度用

六年上 短歌(古典あり)
六年下 仮名の由来(万葉仮名とひらがなの字母表)


※昭和61年度版の各学年で井上靖が別記著作者から監修人となる。
 一下に「ぼくにげちゃうよ」がある。これは、編者の一人である井上靖好みの話。

 
 
 昭和64年度用

一ねん(欠本)
二年(欠本)
三年(欠本)
四年(欠本)
五年上(欠本)
六年上(欠本)
六年下 仮名の由来(万葉仮名とひらがなの字母表)、心をつなぐ(インドの話)


※六年下の「心をつなぐ」(斎藤次郎)は、インドを旅した話(9頁)。
 ジャイプールの町のこと(写真1枚)。
 この教科書の巻頭には、ジャイプールの風の宮殿と街中の子どもたちのカラー写真2枚を掲載する。

 
 
 平成4年度用

五年(欠本)
六年(欠本)

 
 
 平成8年度用

二上(この冊のみあり)


※井上靖は、この年度版の監修者名からいなくなる。井上靖は平成3(1991)年1月29日に満83歳で死去のため。

 
 
 光村図書出版の教科書で平安時代の雰囲気に関して特徴的なことは、昭和30年度用の五年上で「紫式部」を取り上げていることです。子供にはなかなか難しい言い回しの説明文です。しかし、この時期にこうした情報を与えようという意図は、明確です。しかし、これはその後はまったくなくなります。
 昭和34年版の五年生から、ひらがなが漢字を元とする文字であることを、字母を示すことで説明します。これはその後も引き継がれます。しかし、昭和38年の本の歴史で、写本のことにまで説明が及ばないので、ひらがなの話が小学校では展開しません。
 昭和46年から『今昔物語集』の現代語訳が出てきます。しかし、それもすぐになくなります。そして、日本古典文学の中でも平安時代らしいものは、短歌の一部によって示されるだけとなります。
 
 
 

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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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