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2011年1月の31件の記事

2011年1月31日 (月)

【復元】飛行機にアルコール類がないエジプト航空

 このところ、エジプト・カイロの街が物騒な状況に置かれています。

 5年前に訪問した折、たくさんの人にお世話になりました。今、カイロの国際交流基金におられるSさんは、その前にインドで大変お世話になった方です。そして、私がカイロへ行く際にも、東京でいろいろと手配をしてくださいました。
 なお、以下の文中のSさんはまた別の方です。

 エジプトが1日も早く安定した社会情勢になることを祈っています。

 4年前にクラッシュしたファイルから、その時のブログの記事を抜き出すことができました。
 復元できた部分をアップします。
 
 
(※本記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
 
2005年10月19日公開分
 
副題「血糖値のコントロールをする赤ワインがない」
 
 
 エジプトのカイロへ来るに当たり、直行便はエジプト航空だけでした。そして、飛行機内ではアルコール類がないことを、初めて知りました。

 「お飲み物は?」とアテンダントの方に聞かれ、
 「赤ワインをお願いします。」と答えたところ、
 「宗教上の理由から、当機にはアルコール類は置いておりません。」
とのことでした。
 「さようでございますか。」と自答し、エジプトに向かっていることを実感しました。

 毎日血糖値を測定している私は、寝る前にグラス一杯の赤ワインを飲みます。すると、翌朝の数値が安定するのです。西洋医学による理屈は知りませんが、私の身体を使った実験による限りでは、疫学的には効果があると思っています。
 特に今回は、ラマダンという断食月のエジプト訪問なので、この薬として飲む赤ワインの調達には苦労しそうです。まさかの場合には、パスポートを持って免税店へ行くことにしましょう。

 エジプトへの入国にはビザが必要です。しかし、事前に大使館などで手続きをして取得しなくてもいいのです。空港内のパスポートコントロールの手前左端にある銀行で、お金を払って印紙(15ドル)を買って自分でパスポートに貼れば、それでOKなのです。そこに、入国のスタンプを押してくれます。あっけないほど簡単に入国できました。

 迎えに来てくださった国際交流基金のSさんの話では、カイロは非常に安全な街だが、車による事故だけは気をつけてほしい、とのことでした。信号が少なく、運転も荒っぽくて、事故が多いそうです。

 空港から市街に入る途中の高架道路は立派です。大都市の雰囲気があります。インドのデリーを思い浮かべていたので、まったく違うことに驚きました。ただし、ラマダン月のために、深夜にもかかわらず、街はたくさんの人が出歩いています。
 走り回る子どもたちも、たくさん見かけました。夜遊びなんてものではありません。家族がみんなで、ナイル川沿いを、のんびりと散策というより、出歩いているのです。そのためか、道路は移動の市民による大渋滞が発生していました。深夜なのにです。
 車道にも、人が満ちあふれています。

********************** 以上、復元掲載 **********************


2011年1月30日 (日)

京洛逍遥(180)大徳寺前のカフェじーの

 天気がいいので、大徳寺のまわりを散歩しました。風の冷たさが肌を刺します。しかし、塔頭の一つである高桐院の竹林と石畳の道が爽やかな気分にしてくれます。
 
 
 

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 今宮神社から南に下る今宮門前通りでは、高桐院の土塀の模様を楽しめます。ちょうど、紫野高校の向かいです。
 
 
 

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 さらに下ると、北大路通りに出ます。船岡山の近くでもあり、お正月の駅伝では金閣寺までの上り坂として知られる北大路通りの西端です。
 この北大路今宮門前角に、気になる喫茶店があったので入ってみました。
 「軽音楽と炭焼珈琲の店 かふぇ じーの」とあります。
 
 
 

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 店内は、レコードがたくさんありました。
 
 
 

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 マスターの話では、70年までの曲を揃えているそうです。荒木一郎の曲が聞こえてきました。その後も、懐かしい曲ばかりが流れています。50代から60代の者にとっては、つい口ずさんでしまいそうな曲のオンパレードです。長居をしてしまいそうな喫茶店です。
 開店して5年目だとか。好きで始められたのでしょう。散策の寄り道にいい休み処を見つけました。

 夕方には、自宅近くの賀茂川を久しぶりにウォーキングしました。
 
 
 

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 昨年からの河原の整備も、そろそろ完成間近のようです。ベンチにかかっているビニールも、取り外されるのを待っている状態です。
 飛び石を渡った川向こうの半木の道は、京都でも有数の桜の名所です。あと2ヶ月もすると桜の満開となります。日を追うごとに、この茶色から緑や青に、そしてピンクへと色を変えていきます。これからの毎日の変化が楽しみです。
 
 
 

2011年1月29日 (土)

時差ボケに苦しむ

 今回の旅は、私にとっては機会の少ない、というか避けてきたアメリカ行きでした。時差マイナス8時間のヨーロッパや、マイナス3時間半のインドと違い、マイナス14時間という時差にも慣れていません。

 成田に到着したのは午後5時頃でした。
 機内では、ずっと寝ていました。帰ってからの睡眠不足が心配だったからです。

 帰国した日は、普通に眠れました。しかし、翌朝は眼がさめませんでした。
 そして今朝も、眼がさめません。おまけに、午後から眠くなり、午後8時過ぎまで寝てしまいました。

 身体が怠く、すべきことがたくさんあるのに、やる気が起きません。
 海外へ行った後は、いつも何か損をしたような気がします。睡眠と身体の怠さで、失うものが多いように思えます。
 人生の損失、と言うと言い過ぎですが、得るものと失うもののバランスは微妙です。

 今回は、手術後初めての海外だったので、余計に無理のない行動と食事を心がけました。調査が中心だったので、机に座っての時間が多かったので、その点ではいつものように歩き回ることがなくて、疲れは少なかったように思います。
 それでも、帰ってくると、どっと疲れが出ます。

 私が初めて飛行機に乗ったのは、今から17年前なので、42歳頃でした。相当遅くに利用し始めた交通手段なので、いまだに飛行機にはどうも慣れません。

 時差ボケ対策には、帰国時間を中心に考えたらいいそうです。
 来月はインドなので問題はありません。この次に地球の裏側に行くときには、その帰国時間を中心に、対処したいと思います。
 
 
 

2011年1月28日 (金)

在英源氏画帖に関する続報

 先日掲載した「在英国・源氏物語画帖に関する情報公開」(2011年1月10日)に関して、補足すべき情報が届きました。

 紹介した源氏絵をお持ちの英国ケンブリッジ大学のコーツ教授から、さらに詳しい連絡をいただきましたので、続報としてアップします。

 先日は、預かった以下の写真を公開しました。

<写真(1)扉>・<写真(2)野わき(本文)>・<写真(3)野分(粉本)>・<写真(4)みゆき(本文)>・<写真(5)行幸(粉本)>・<写真(6)ふちはかま(本文)>・<写真(7)藤袴(粉本)>・<写真(8)槙柱(本文)>・<写真(9)槙柱(粉本)>・<写真(10)うき舟(本文)>・<写真(11)浮舟(粉本)>・<写真(12)手ならひ(本文)>・<写真(13)手習(粉本)>・<写真(14)夢のうきはし(本文)>・<写真(15)粉本>・<写真(16)奥書>

 その後のコーツ教授からの連絡によると、この画帖は全部で52ページあり、粉本と物語本文の抜き書きのペアになっているそうです。少なくとも、あと20巻ほどの絵と本文が確認できる、ということになります。

 他の画像についても、情報収集に役立つはずですので、可能な限り公開できればと思っています。この点については、これからコーツ教授にお願いしてみようと思っています。

 この画帖は、18ヶ月ほど前にイングランドで入手なさったものだそうです。コーツ教授は数学者ですが、日本の平安文学にとても興味をお持ちのようです。ただし、日本語がよくわからないので、英語で日本のことを書いた本をお読みです。
 また、数学の研究のために日本には何度もお越しになっています。この次に来日されたときには、ぜひお目にかかりたいと思っています。そして、京都をご案内するつもりです。

 イングランドには、17世紀から18世紀初頭の日本の作品が多く存在しているとのことです。今後とも、幅広い情報収集により、日本から海外に出て行った貴重な資料の発掘にも、微力ながら尽くしたいと思っています。

 当面は、このコーツ教授ご所蔵の源氏絵について、大方のご教示をお願いするしだいです。
 このブログのコメント欄を活用していただければ幸いです。
 
 
 

2011年1月27日 (木)

ワシントンを発つ前に

 今回ワシントンで宿泊したホテルは、ホワイトハウスから歩いて30分という至近の地にありました。日本で言えば、永田町エリアです。しかし、まだホワイトハウスへは行ったことがありません。

 大統領が演説をするというので、昨日の議会図書館周辺はものものしい警戒の中にありました。警察犬の多さが目立っていました。
 議会図書館も一般の利用が制限され、国会議事堂と反対側の裏にある職員入口から入館しました。セキュリティチェックでは、ベルトまで外すという、空港なみです。しかし、ここにはユーモアがあり、非常に和やかでした。

 調査場所である上の階の閲覧室に行くのにも、エレベーターは控えてほしいとのことで、隠れ階段のような螺旋階段を使いました。
 
 
 

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 閲覧室は、明るくて使いやすい環境にあります。
 
 
 

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 図書館員のKさんが、私の健康を気遣って、日本で過日求めたという「巣鴨とげ抜き地蔵」をくださいました。これで、お腹の周りを3回撫でたらいいですよ、と。
 ご自身は72歳です。退職の判断は自分がする制度なのだそうです。まだまだ現役です。私よりも一回り以上も上の方だけに、そのお気持ちのありがたさが身にしみて伝わってきます。パワーをいただくことにします。
 
 
 

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 いつも直接の窓口となって対応をしてくださるNさんは、狭い階段の上り下りに声をかけてくださいます。ご紹介くださった修復士の旦那さんもおだやかな方で、英語ができない私はいろいろとお話をお聞きしたいことがありました。また現場で、とのことだったので、この次を楽しみにしたいと思います。
 Iさんも、気持ちのいい爽やかさで対応してくださいます。情報の公開の件などでも、今後ともお世話になります。こちらの気持ちを汲み取って判断してくださるので、とても助かります。昨年あずけたままだった三脚を、ありがとうございました。
 セクションは違いますが、Rさんも駆けつけてくださいました。アメリカにある日本の古典籍のデータベース化のことなど、話すことはたくさんありましたが、いかんせん時間が足りませんでした。
 和古書の整理をボランティアでなさっているFさんは、70歳を越してもテニスをなさっているようです。今回は、系図や不思議な巻物についてご質問を受けましたが、勉強不足のせいもあり満足な返答ができませんでした。また、さらに勉強をして来ますのでお許しください。

 みなさん、日本の本を大切にしておられるのがうれしいですね。とにかく、日本人の職員の方々は、細やかな心配りをしてくださいます。
 海外に出かけるといつも痛感することです。日本人は、とにかく人に対する思いやりがすごいと。計算からではない、自ずとにじみ出る優しさなのでしょう。しかも、さりげないところがいいと思います。
 日本の伝統的な文化が、自然と身体にしみ込んでいるからでしょう。これは、理屈ではなくて大事に守り伝えたいことです。

 今回は、回転寿司屋に行く余裕がありませんでした。調査も無事に終わった最後の夜なので、街中の「わさび」に行きました。ここは、昨年みつけたお店です。雰囲気が気に入っています。お刺身や日本酒とみそ汁などを堪能しました。
 
 
 

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 もう一つ。
 郵便局で、ウサギのシールを入手しました。
 今年がウサギ年なので、こんなシールを発行していたのです。ウサギ年生まれの私としては、見過ごせません。
 
 
 

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 裏面の説明に不満があります。それは、「Chinese lunar calender」の説明に終始していることです。しかも、このウサギ年は、中国・韓国・ベトナム・チベット・モンゴルの伝統文化だとしています。日本のことには、まったく触れていません。このようなものを見るにつけ、アメリカでは日本の伝統文化が理解できないのだな、ということを痛感します。
 アメリカ人のお一人お一人の意識は高いと思います。しかし、社会や国のレベルにあがっていくと、私が思う人間としての質の部分で、そぎ落とされるものが多くなる仕組みや論理があるように見受けられます。
 もちろん、多分に私の偏見からの物言いであることは承知しています。
 国際的な文化理解の難しさなのでしょう。そのためにも、細々とでも交流は続けたいものです。いつかは理解し、理解されることを期待しながら。

 アメリカに対して、私は好感をもっていません。非常に懐疑的で批判的な目で見るようになってしまっているので、このように自分で自分をフォローをしておきます。

 今回の訪米では、ハーバード大学サックラー美術館所蔵の鎌倉時代の『源氏物語』の複製本を刊行することに対して、好意的な快諾が得られました。担当のみなさんのご理解とご協力に感謝します。そして、いつも間に入って連絡調整をしてくださるイェンチェン図書館のYさん。おかけさまで、面倒な交渉をうまく進めることができました。感謝します。
 また、議会図書館本『源氏物語』については、国立国語研究所から翻刻本文を公開することの了解が得られました。直接の折衝にあたられた国語研究所のTさん、お疲れさまでした。ここまでつないでこられた専修大学のSさんも、ご苦労さまでした。そして、議会図書館のアジア部日本課のみなさま、温かいご協力とご支援を、ありがとうございました。この件では、画像とリンクしたデータベース化にも対処すべく、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

 
 

2011年1月26日 (水)

議会図書館のラウンジのお寿司

 議会図書館は、地下道が迷路のように張り巡らされています。
 長い通路や坂道、曲がりくねった細道など、一つ曲がり角を間違えると、もう元に返ってくるのは至難の業です。地下道では、目標物が限られていますから。その場合には、地上に出るしかありません。そして、またセキュリティチェックを受けて建物に入ることになります。

 昼食は、街中に出ずに、図書館の建物群の中で済ましています。
 今日は、6階のスカイラウンジへ行きました。
 広々としたフロアにたくさんのおかずがあり、量り売りになっています。野菜が豊富でした。私は、まずは自分なりの野菜サラダを取りそろえました。

 センターエリアには、お寿司もあります。「お寿司も」というよりも、とにかくその種類が多いのに驚かされます。
 
 
 

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 何何ロールと名付けられた巻物がたくさんあります。

 昨年のちょうど今日でした。今回とほぼ同じ日程でワシントン入りしていたのですが、「ワシントンのお寿司(1)」(2010年1月26日)という記事を書きました。

 そこで、オバマロールというお寿司を紹介しました。おいしいお寿司でした。
 このオバマロールは、さすがにこの議会図書館にはありません。大統領を食った話など、できるわけがありません。

 にぎりは、1種類だけです。どんどん作っていたので、時間帯によっては、さらにレパートリーがあるのかもしれません。

 私は、オバマロールがないので、今年はレインボーロールというものを食べてみました。
 マグロ、サーモン、金目鯛、蟹身、アボカドなどなど、たくさんの具材で巻いています。
 
 
 

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 その切り口は、こんなふうになっています。
 
 
 

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 予想外にさっぱりとしたおいしさでした。
 このラウンジは、たくさんの職員の方々がひっきりなしに出入りしておられるので、活気のあるスペースになっています。
 
 
 

2011年1月25日 (火)

貧困なる精神の空港職員

 ボストンからワシントンへの移動には、国内線を使いました。

 チェックインカウンターで荷物を預けました。しかし、係員の態度の悪いことといったらありません。勤労意欲が皆無の人たちの溜まり場と化したカウンターだったので、サービス精神などというものとはまったく縁遠い対応をされました。

 何人もいるのに、みんなダラダラしています。見たくもない人間の姿を見せられるのは、同じ人間として苦痛です。
 とにかく、人の荷物の取り扱い方が粗雑です。教育の問題なのか、社会風土の問題なのか?

 日本では、こんな頽廃した文化は表立っては見えないので、つい珍しいものを見るようにして見入ってしまいます。
 後で書きますが、私の視界の外で、とんでもないことが起きていたのです。

 搭乗前のセキュリティーチェックは、大変厳しいものでした。
 厳しい、というのは好意的な物言いです。実態は、まさに嫌がらせであり、虐めです。

 この部署の担当者たちは、貧困なる精神の持ち主の集団と見ました。
 アメリカは歴史の浅い国なので、文化国家として独り立ちできるまでには、まだまだ時間がかかりそうです。
 焦ることなく、根気強く、人の心作りから始められるように、しばらくは我慢して見守ってあげましょう。
 アメリカを見るときには、親の眼差しが必要です。

 さて、空港でのセキュリティーチェックのことです。

 スクリーンの前で、両手を上げて棒立ちにさせられ、レントゲン写真を撮られます。屈辱的で嫌な思いを、ジッと我慢です。
 テロ防止という名の下には、人間の尊厳性などあったものではありません。

 何人かの女性が、別のところに連れて行かれていました。一応の説明はあったようですが、体中を触られたという声が後ろから聞こえてきます。
 拒否のできない状況で、身体検査のようです。

 テロ防止のためには何でもできるのだ、という大きな勘違いがあり、その雰囲気が満ち満ちています。

 ボストンで預けたボストン(?)バッグが、ワシントンの回転荷物台に出てこなかった経緯は、もう話すのをやめておきましょう。

 空港で消えたバッグは、夜、ホテルに届けられました。
 バッグの紛失など、見つかれば何事もなかったのと同じなのです。
 持ち主が、どんな思いでホテルにたどり着いたかなど、思いやる心の暖かさは求むべくもありません。
 溜め息も出ません。

 さて、ホテルで私がバッグを開けたら、中がグジャグジャになっていました。何か変なのです。
 中をよく見ると、明日お世話になる、米国議会図書館のみなさんへのお土産が、なんとも直視に耐えない状態になっています。
 中身のお菓子は、バッグの中に散乱していました。
 
 
 

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 それにしても、ここまで乱暴に包装紙を破らなくてもいいのでは……
 中の熨斗紙も、くちゃくちゃです。
 お土産が台なしです。

 バッグの中には、荷物を開けて見た、という紙が入っていました。
 
 
 

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 いくら理由があるにしても、こんなことをする人を、こんなことをせざるをえない国に、薄ら寒さを感じます。
 
 
 


2011年1月24日 (月)

アップルストア巡礼記 in ボストン

 朝カーテンを開けると、ホテルの前を流れるチャールズ川は雪でまっ白に覆われていました。
 
 
 

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 右上に、ハーバードブリッジが架かっています。川向こうが、ボストン市街です。
 ハーバード大学は、ハーバードブリッジの右手前奥にあり、このホテルの右横にマサチューセッツ工科大学(MIT)があります。このMITは、インドのデリーにあるインド工科大学(IIT)と共に、世界の理工・情報学系の研究におけるビラミッドの頂点をなす大学です。

 IITで日本語の授業をサポートしたことがあります。非常に物わかりのいい学生たちでした。とにかく、素直でした。素直でないと、この最先端の世界に入っていけないように思います。個性は、その後に発揮されるようです。学ぶ身には、個性が邪魔になる時期があることを、インドで教えられました。
 個性を尊重するのも一理あるとは思います。しかし、その個性が邪魔をして、その人が伸びずに自滅することも、ままあるようです。個性個性と、無理に人を煽る必要はないと思うようになりました。
 あの時の素直で純粋だった彼らも、今は世界中を個性の塊になって飛び回っているようです。

 さて、このMITの学生は、どうでしょうか。私の予想では、ここは差別大国アメリカなので、個性の塊の学生が多いのでは、と思っています。ここの風土は、そのような人材を育てるようになっているように思えるのです。インドとは逆だと思うのです。根拠はありません。ただ、何となく……

 そして、日本はアメリカとではなくて、今はやりのコトバで言えばアメリカを抜きにして、インドと一緒に進むべきだと思います。人間の性状と思考回路において、日本とインドはよく似ています。
 いつか機会があれば、MITの学生たちと話してみたいと思っています。
 今いるホテルの真下が、地下鉄MIT駅になっています。
 
 ボストン美術館からの帰りに、我が愛するマッキントッシュのお店であるアップルストア(ボイルストンストリート)に立ち寄りました。
 
 
 

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 特に目新しいモノはありません。ガラス張りの明るい店内です。
 2テラバイトのポータブルハードディスクが1万5千円ほどです。これは、日本の方がもう少し安そうです。

キロ(千)→メガ(百万)→ギガ(十億)→テラ(一兆)

と来たコンピュータ関連の単位も、次は
ペタ(千兆)→エクサ(百京)→ゼタ(十垓)→ヨタ(一秭)

と進展していきます。
 もう25年以上も前の話です。最初に買ったNECのウィンチェスター型ハードディスクは、10メガバイトで45万円でした。5メガバイトのものが42万円だったので、何日も思案した挙げ句の決断でした。ウソのような本当の話です。こうしたパソコン草創期の詳細は、拙著『新・文学資料整理術パソコン奮戦記』(桜楓社、昭和61年)をご笑覧ください。

 アップルストアは、世界に300店舗ほどあるそうです。
 これまでに、以下のお店を巡拝してきました。


・アメリカ・パロアルト/スタンフォード/サンフランシスコ/ニューヨーク五番街

・イギリス・コベントガーデン/リージェントストリート/ケンブリッジ

・フランス・パリ

・日本・東京銀座/東京渋谷/大阪心斎橋/福岡天神

 今日行ったボストン(ボイルストンストリート)を加えても、海外はまだ一桁です。
 アメリカのアップルストアは、すべて伊井春樹先生とご一緒でした。もっとも、私が聖地巡礼と称して、無理矢理お連れしているだけですが。1人で入ったのは、このボストンが初めてとなります。

 折を見ては、通りかかって目についた各国のアップルストアに詣でています。お店では、ご朱印を書いてくれることもなく、スタンプを置いているわけでもありません。手応えがないので、ぜひとも検討してもらいたいものです。

 これも、観音霊場巡りと同じで、いつ終わるとも知れぬ、それでいて興味尽きない楽しみの1つとなっています。
 今泊まっているホテルの近くにも、ボストンケンブリッジのアップルストアがあります。しかし、この雪の中なので、またこの次にしましょう。

 ボストンのアップルストアの近くに、寿司屋「春」がありました。しかし、回転寿司ではないのでパスです。
 4年前に、ボストンに回転寿司屋があると聞いて、チャイナ・タウンの方面を探しました。見つからなかったので、今度こそとの思いがありました。しかし、どうしてもその情報は今回も入手できませんでした。

 今日これからボストンを発ち、ワシントンに向かいます。この回転寿司の一時が、どうしても心残りです。
 
 
 

2011年1月23日 (日)

ボストンとリヨンの満月

 娘がリヨンの「満月」をブログにアップしています。
 
 
 

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 同じ頃、私はハーバードの満月を観ていました。

 おもしろいので、アップします。
 
 
 

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 位置的には、緯度と経度はどうなのでしょうか?
 
 よくわかりませんが、フランスのリヨンと同じ月であることは確かです。
 
 
 

2011年1月22日 (土)

雪に埋もれたハーバード大学で

 ワシントン経由で、その北にあるボストンに来ました。

 今回の旅では、空港での手荷物とボディチェックで、一度も足止めをされることはありませんでした。こんなことは初めてです。
 まさか、昨夏の手術で胃のすべてを切除したことと関係があるとも思えません。
 18歳で胃の3分の2を取ったときに、私の体内には内臓を固定するためにホッチキスの針が数十本使われていました。レントゲンで見ると、きれいに並んでいるのが確認できました。もちろん、錆びないステンレスです。
 しかし、今回の手術でそれを摘出したとは、お医者さんは仰っていませんでした。そんな余裕はなかったのです。
 不思議です。

 ボストンの空港内で、早速お寿司を見つけました。売店の、パック入りのお寿司です。
 
 
 

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 ボストンは雪でした。先週、大雪だったそうです。
 ホテルの窓からは、こんな夜景が見えました。
 
 
 

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 今朝は、さらに吹雪いていいて、街はまっ白です。
 
 
 

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 『源氏物語』の鎌倉時代の古写本や、室町時代の源氏絵を調査するために、ハーバード大学の美術館へ急ぎました。
 雪を踏みしめながら、大学のキャンパスを横切ります。大通りや歩道は歩きにくいので、近道をしました。
 
 
 

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 一日中、開館から閉館まで、ただひたすら調査です。源氏絵は、取り扱いが大変です。大きくて重たいこともあり、お二人の館員の方が、付きっきりでお世話をしてくださいました。ありがとうございました。

 お昼ご飯は、キャンパス内の食堂で、いつものお寿司を食べました。
 
 
 

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 夜は、懇意にしていただいているイェンチェン図書館のYさんと待ち合わせをして、ボストン名物のオイスターパブという海鮮料理屋さんでワインをいただきました。
 新鮮な牡蠣や生貝、そして海老などが、ワインとよく合っていました。
 おいしいものを少しずつ色々といただき、海の幸を満喫しました。
 
 
 

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2011年1月21日 (金)

映画「ソーシャル ネットワーク」を観て

 米国ハーバード大学へ行くユナイテッドエアーの機内で、今話題の映画、「ソーシャル ネットワーク」を観ました。
今、日本でも話題の「フェイスブック」が生まれた時の、若者の夢や現実を映画にしたものです。

 ボストン大学の女学生とうまくいかなくなったハーバード大学の男子学生が、ネット上に女の子の顔を比べるために写真を集める仕掛けを考えます。動物と較べるのだと。

 完全に女の子をモノ扱いにした話題で始まりました。非常に不愉快な展開です。差別で成り立つ社会を形成するアメリカらしい内容です。

 どっちの女性がセクシーか、という投票をさせ、ついにハーバード大学のサーバーをクラッシュさせたのです。
 そして、訴訟社会を前面に出しての展開です。

 イエール大学、コロンビア大学、スタンフォード大学と、私にとっても調査で馴染みのある大学が出てくるので、その点では、あそこに行った時は……、この広場は……と、自分の記憶を辿りながら、楽しく観ました。

 それにしても、ハーバード大学のプライドが突出しています。これはこれで、おもしろい背景となっています。

 今日からハーバード大学へ行くので、これも何かの縁なのでしょう。大学内の様子に私の興味は集中しました。ここはどこだったか、という低レベルの撮影場所探しです。

 競争社会という現実が語られています。
 夢がどうなるのか、おもしろい展開を期待しました。しかし、まったく盛り上がりに欠ける映画でした。
 主人公が好きだった女の子への執着にこだわったままのようで、現実を抜け出せないで終わったようです。あまりにも陳腐な流れで、大いにガッカリです。

 「ようです」と言うのも、字幕が中国語のため、最後のシーンがよくわからなかったからです。
 映画は、日本語での吹き替えでした。しかし、最後は音声がなくて、英語の文字と映像で幕が閉じられる映画だったので、コトバがわからないと、どうしようもありめせん。その意味で、がっかりです。

 おまけに、観ていた画面が小さくて、しかも映りが悪いので、英語の字幕もよく読めないのです。
 最後はお手上げでした。

 また何かの機会に、エンディングの意味を確認します。

 物語の舞台を知っている、という点だけで楽しみました。映画という点からいうと、明らかに駄作でしょう。
 日本を発つときのニュースでは、この映画がゴールデングローブ賞の4部門を取ったように報道していました。
 しかし、それは多分に宣伝のネタ作りのものだと思われます。私の物差しで言うと、そんなにいい映画だとは、とても思えません。

 私にとっては、時間の無駄でした。機内での暇つぶしと、話題作を観たということ以上の何ものでもありませんでした。

2011年1月20日 (木)

慌ただしく成田へ

 昨夜のチェックリストをもとに渡航の荷造りを、明け方までかけてし終えました。
 ボストンも寒いようなので、防寒優先です。足の裏に貼るカイロは、迷った末に詰め込みました。

 iPadは、結局はやめました。私は日本語をカナ入力するので、それができないiPadは、私にとっては単なるデータやウェブサイトを閲覧するだけの機械です。
 iPhoneとMacBook Airを持って行くので、今回はiPadの出番がありません。

 ネットで成田空港までの経路と時間を確認しました。いつものことながら、成田は第一と第二があり、今回は第一です。
 また、毎度のことながら、駅名で迷います。登録してあるのに、それでも迷うのです。
 思考回路の衰えを痛感します。

 さて印刷を、とリターンキーを押すと、出てきたのは読みとれないほど色が薄いものでした。めったに使わないカラーインクが切れているようです。
 何とかの法則とやらです。つい納得してしまう、不思議な法則です。
 幸い、予備のインクがあったので助かりました。

 そろそろ出かけようとしていたら、ドアに水道局から「水道をお使いのようですが……」という紙が入っていました。
 この変な言い回しに関することは、以前にも書いたので説明は省略します。

 すぐに水道局へ電話をし、昨年の11月末に連絡していることを説明しました。いずこも、内部で情報が円滑に伝わっていないようです。
 先方は、ガスや電気を再開した時に、水道は忘れたのでしょう?と言いたそうでしたので、自己主張をする時間もないので謝って電話を切りました。

 電車には楽に間に合いました。
 しかし、出がけに印刷した経路検索の結果をよく見ていなかったせいで、西船橋で降りてから、10分も歩くことを知りました。以前にも、この失敗をしたことがあります。

 駅員さんに聞くと、私の荷物とおじさん顔を見て、狭い道を歩いていくのも大変でしょうから、このまま終点まで乗っていって、それから京成に乗り換えた方がいいですよ、とご親切なアドバイスをもらいました。

 またやってしまった、と思いながら、気を取り直して成田に向かいました。

 結局、早くて安い方法ではなくて、時間は変わらないがもっとも高い経路で成田に到着しました。

 自分の行動は、迅速で正確だと思って来ました。振り返ると、確かにそうでした。しかし、今は何かとギクシャクしています。
 年とともにそうなっているので、二度手間三度手間は折り込み済みで行動をするようにしています。
 悔しいことですが……。

 これからは、このウッカリミスと仲良くしないといけません。シマッタ、と思わないで、自分の思いと違う事態になっても、それを楽しめるようになればいいですね。

 気にしない、という新たなテーマに、今年は取り組みましょう。

 それでは、行ってきます。

2011年1月19日 (水)

海外旅行の持ち物リスト第15版

 海外へ行くときの持ち物リストを更新しました。
 お金は、ATMでクレジットカードを使うことで調達できるようになりました。
 チップは、ほとんど渡さなくなりました。
 時代の趨勢もあり、旅行に関する情報小物に変化があります。
 英会話本・電子辞書などは、iPhoneでほとんど解決です。
 また、iPadを持って行くとノートパソコンは不要のはずです。しかし、これまでの文書などを使って書類や原稿を書くのには、やはりパソコンが便利です。これが一つになればいいと思っています。それは、iPadの文字入力と編集能力が向上すれば、今日にでも解決することです。


第15版 海外旅行に持って行くもの[1週間用]

■キャスター付ボストン+名前タグ+お土産

■機内持ち込み用バッグ(3辺115cm、重量10kg)

【携帯貴重品】
・[Passport・Credit Card・T/C(5万円)・e-チケット] ・財布(各国各種類)+チップ用小銭[到着現地通貨5千円] ・名刺 ・iPhone+ケーブル ・デジカメ+メモリ

【持ち込みバッグ携行品】
旅行行程表 観光案内書 メモ帳 携帯食料(カロリーメイト・ビスケット) うがいスプレー のど飴 目薬 瞬間接着剤 櫛 歯ブラシ 糸楊枝 懐中電灯 傘 ティッシュペーパー(+ウエット) スリッパ スペアーメガネ 方位磁石 帽子 ポリ袋 チャック袋

【文具・小物】
目覚まし時計 シェーバー クリアファイル 筆記用具 カラーペン マジックインク 両面テープ マジックテープ ハサミ(スーツケース内)

【生活用品】
洗面用具(歯磨き・シャンプー・リンス・石鹸・洗髪ブラシ・垢スリ・洗剤)衛生セット(爪切り・ピンセット・耳かき・歯間ブラシ)

【衣類】
ズボン(1) 靴下(2) 下着(シャツ2 パンツ2) パジャマ上下 ドレスシャツ ハンカチ(1) 小タオル(1)
○冬 オーバー(1) ジャケット(1) カッターシャツ(1) セーター(1) ヒートテック衣類(2) マフラー 手袋

【薬】
血糖値測定器 体温計 頭痛薬 風邪薬 胃腸薬 熱さまし 痔軟膏 バンドエイド 綿棒 かゆみ止め(ムヒ)

【電化製品】
ノートパソコン+充電器 LANコネクター LANケーブル マウス 海外用電気万能プラグ 三つ又コンセント 延長コード デジカメ用メディア+予備バッテリー+充電器 乾電池(単3・単4 各2個)
 
 
 

2011年1月18日 (火)

今でもデタラメな佐川急便

 1995年9月からスタートした私のホームページ〈へぐり通信〉の中に、【ハイテク問はず語り】というセクションがあります。もう15年も前から、個人レベルでの情報発信を続けているのですね。よく続いているものだと、我ながら感心しきりです。

 【ハイテク問はず語り】で「5年目/2000.1.1〜2000.12.31」の記事の一つとして、「佐川急便の受け取りを拒否」〈2000.5.10〉という一文を書いています。佐川急便の荷物の扱いのでたらめさと、配達の酷さを憤慨しながら綴ったものです。
 10年前には、ブログという発信スタイルがなかったので、ホームページの中でこんな話を掲載していたものです。

 この佐川急便という会社は、その後もコンスタントにでたらめさを発揮してくれました。

 「相変わらずでたらめな佐川急便」(2007年6月29日)もそうです。


 そして今日も、不可解で不愉快な思いをして荷物を受け取りました。

 なお、日本郵便の荷物の配送も酷いものです。昨年の信じられないミスは、次の記事をご笑覧ください。
 「迷走する「ゆうパック」で届いたハンガリー語訳源氏」(2010年8月 2日)

 今、日本でまともに荷物を配達してくれるのは、クロネコヤマトの宅急便だけのようです。ペリカン便は昨年「ゆうパック」に引き継がれたようです。業務用はともかく、一般家庭で信用して利用できる宅配業者がクロネコヤマト1社というのは、何とも寂しいことです。

 さて、今回の顛末です。

 海外出張用のキャリーバッグが、あまりの酷使に耐えかねてか、綻び始めました。そこで、ネットで探して注文し、東京の宿舎に届けてもらうことにしました。
 昨日届くように発注したのですが、私が宿舎に帰ったのが午後8時を少し過ぎたため、不在通知票がドアポストに投函されていました。すぐに電話をしたところ、もう今日は配達はおわった、とのことです。午後9時までではないのかと聞くと、午後8時までなのだそうです。

 しかたがないので、今日の夜に再配達してもらうことにしました。一番遅い時間に配達してもらえるように依頼すると、7時だということです。あれっ、と思いましたが、佐川急便とは、もうもめたくないので、一応それで了承しました。
 ただし、午後7時までには帰れないので、7時以降の可能な限り遅い時間に配達してもらうようにお願いしました。
 そして、宿舎で受け取れなかったら、私が江東店に電車で受け取りに行くと言うと、場所は知っているかということで少しやり取りをした後、先方から受け取れなかったらその時に考えればいいことなので、その時点で電話をしてほしい、とのことでした。何とも、突き放した対応でした。

 そして、今日は朝から職場では会議続きの一日でした。午後4時からは私が議長の会議でした。問題山積の議案を扱ったのですが、荷物は今日ダメでもしかたがないと諦め、とにかく審議を尽くして会議を終わったのが午後6時少し前でした。
 大急ぎで宿舎に辿り着いたのは7時半でした。
 外の集合ポストを見ると、そこに昨日と同じような不在通知票が入っていました。いつもは、ドアのポストに投函されます。それが、この外の集合ポストに宅配便の不在通知が入れられたのは初めてです。階段を上るのが面倒だったようです。
 郵便物はすべて京都に転送しているので、この外の集合ポストは、ピンクチラシが投げ込まれるところです。

 外の寒風に吹き曝しとなっていた不在通知票は、午後7時に配達に来たことになっています。
 昨日の約束では、午後7以降で可能な限り遅い時間ということで確認したはずです。それが、午後7時きっかりに再配達にいらっしゃったようです。

 今が午後7時半という時間を確認して、これなら今日の再配達をしてもらえると思って、不在連絡票に記された電話番号をプッシュしました。しかし、いくら呼び出しても出られません。何度目かからは、電波の届かないところか電源が入っていない、というメッセージに変わりました。

 時間ばかりが経つので、江東店に電話をしました。すると、私の耳に届いたのは、「もう上がったのでしょう」という、信じられない返答でした。午後7時半に配達業務を終えて帰るとは、何とも不可解です。
 昨日のやりとりを説明して、あまりにも対応が無責任ではないか、と不満を言うと、急に態度が変わり、調べるので後で電話をする、と言われるのです。

 しばらくして電話があり、今晩9時までには届ける、とのことです。そして、7時以降に配達という連絡が伝わっていなかったようで、とおっしゃいます。
 昨日は、10分近く電話口で受け取り方の相談を含めて話をしました。その言い訳では、昨日配達のためにお出でになり、電話の対応をしてくださった配達担当の?さんはいったい何だったのでしょうか。昨日の不在連絡票を見ると、お名前が書いてありません。今日の不在連絡票には、ハッキリとKという名前が記されています。

 いずれにしても、今日の配達業務は、午後7時までではなかったのですか?
 昨日は8時までしか配達しないのに、今日は9時まで仕事をなさるのですか?
 おまけに、7時半から電話を受け付けない設定にして仕事から上がられた方に、急遽時間外勤務が課せられた、というのでしょうか。

 9時前に、荷物が届きました。配達された方は、サインを受け取ると逃げるように帰って行かれました。何か言われたらどう応対していいのか困るので、ここは逃げるが勝ちと思われたのでしょう。
 こんな時に使う日本語として、「ご迷惑をおかけしました」というコトバがあります。それすらなしに、私の名前を確認して、後はサインを、と言っただけで、紙片を受け取ると風のように飛んで帰られたのです。

 以前からお願いしていることですが、私の所に荷物を送られる方は、佐川急便以外の宅配業者にしてください。これまでにも、いくつかの佐川急便が持ってきた荷物は、受け取りを拒否して、送り元に返しています。そして、別の会社の宅配便で送り直してもらっています。

 お手数をおかけしますが、毎度毎度、不愉快な思いと無駄な時間に振り回されたくないので、私に佐川急便で荷物を送ることはお控えください。ご協力の程を、よろしくお願いします。
 
 
 

2011年1月17日 (月)

与謝野晶子と蜻蛉日記の講演会

 与謝野晶子と蜻蛉日記に関する講演会が、下記の要領で開催されます。
 興味と関心をお持ちの方は、あらかじめお申し込みの上、与謝野晶子文芸館へお越しください。

 この講演会は、晶子の自筆原稿のデータベース化に取り組んでいる国文学研究資料館が、『源氏物語』に続いて『蜻蛉日記』をウエブ上に公開することに合わせて開催されるものです。
 講演は、平凡社ライブラリーの与謝野晶子訳『蜻蛉日記』で監修解説をなさっている、今西祐一郎・国文学研究資料館館長です。

 晶子の現代語訳『蜻蛉日記』の自筆原稿は、今回初めて公開されるものです。
 昨夏、私がガンの告知を電話で受けたそのすぐ後に、晶子の自筆原稿の確認と調査を実施するために与謝野晶子文芸館へ電車で向かいました。そして昨秋、退院して直ぐに、与謝野晶子文芸館での写真撮影に立ち会いました。この晶子の『蜻蛉日記』の自筆原稿は、私にとって思いこもごもの仕事になりました。

 貴重な資料の公開に踏み切られた堺市と関係者のみなさまに、お礼申し上げます。特に、堺市文化部の足立匡敏さんは、晶子の原稿を丁寧に整理しておられます。昨年の国文学研究資料館での国際日本文学研究集会では、この晶子訳『蜻蛉日記』の自筆原稿に関する研究発表をなさいました。本ブログ「第34回 国際日本文学研究集会—職場復帰報告」で、足立さんの発表について少し紹介しています。

 いい仕事といい研究を、これからも弛まず続けて行かれることと思います。若手の研究を支援する意味からも、できるかぎり応援したいと思っています。

 
 
与謝野晶子文芸館 開館10周年記念講演会


今西祐一郎氏「与謝野晶子と蜻蛉日記」

与謝野晶子文芸館


講師:今西祐一郎氏(国文学研究資料館館長)

日時:平成23年2月11日(祝) 午後2時〜3時30分

場所:堺市立文化館2階ギャラリー
(JR阪和線「堺市」駅下車徒歩約3分)

参加費:500円(晶子館・ミュシャ館もご覧になれます)

定員:40名(先着順)

主催:財団法人堺市文化振興財団 堺市立文化館
後援(申請中):大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 国文学研究資料館

内容:
『源氏物語』の現代語訳で知られる与謝野晶子は、源氏以外にも『栄華物語』や『和泉式部日記』を明治末から
大正初期にかけて立て続けに訳しています。
ところが同じ平安朝女流文学でも、女流日記の大作『蜻蛉日記』の現代語訳の出版は、遅れて昭和も13年になってからでした。
『蜻蛉日記』だけがどうして遅れたのでしょうか。晶子の『蜻蛉日記』訳の原稿の出現を機に、晶子と『蜻蛉日記』との関わりを
考えます。

申込み方法:往復ハガキ、または下記メールアドレスに、
氏名(ふりがな)・年齢・住所・電話番号を記入して
「与謝野晶子文芸館講演会係」まで。

住所:〒590-0014 堺市堺区田出井町1-2-200 堺市立文化館内
締切り:平成23年2月4日(金)
メールアドレス:akiko☆sakai-bunshin.com(☆を@に変更してください)
 
 
 

2011年1月16日 (日)

京洛逍遥(180)源氏物語コンサート in ホテルフジタ京都

 二条大橋の西詰めにあるホテルフジタ京都は、今月29日で40年の営業が終了となります。このホテルは今後、二条城前の京都国際ホテルに移ることになっています。
 ここホテルフジタ京都は、角田文衛先生が紫式部邸宅跡とされた廬山寺に近く、北山と東山を望める鴨川河畔にあります。私は宿泊も食事もしたことがありません。しかし、岡崎の図書館からの帰り道が二条通りを西に直進するルートなので、この前はよく通っていました。
 鴨川沿いの絶好の場所にあっただけに、もったいないと思います。

 今日のコンサートが、ホテルフジタ京都の最後のイベントとなるそうです。
 会場となった「比叡の間」からは、小雪の舞う戸外の景色が大きな窓ガラス越しに見られました。
 ステージは、平安朝らしい演出がなされています。
 
 
 

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 左端の屏風の書は、今日シンセサイザーを演奏される吉田英子さんの作品だそうです。
 ただし、左側の書は「源式物語」としか読めないのですが、どのような意味で書かれたのでしょうか。

 ワインレッドのカーテンが開くと、ホテルの庭と鴨川と小雪を背景にして、シンセサイザーの演奏が始まりました。
 
 
 

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 海外の公演を意識しての衣装のようです。日本人からみると、やや漫画チックですが。
 演奏された順に、素人なりの最初の感想を記しておきます。

(1)「桐壺」(光の君へ母の思い)
 演歌っぽい、それでいて後半は明るい曲でした。

(2)「帚木」(会いたい)
 テレビドラマの深刻な場面のバックに流すといい、盛り上げる力のある曲でした。

(3)「空蝉」(揺れる月)
 京都を舞台にした殺人ドラマに合う曲でした。

(4)「夕顔」(時よ返して夕顔の君)
 誰に頼ることもできない夕顔の心情を語るものであって、光源氏の想いではないと思いました。

(5)「若紫」(葛藤そして出会い)
 雀の鳴き声がかわいい効果音となっていました。ご自分で歌い出されてからは、昭和中期の映画で女主人公が歌い出した感じです。無理をされていたのでしょうか、声が割れていました。
 
 間に、源氏物語研究家とされる大西繁治さんの北山の微風に関する話がありました。
 
(6)「花宴」(さくらのこころ)
 青春ドラマのオープニング曲のようで、過去を回想する調べでした。

(7)「澪標」(めぐりあい)
 男と女が駅で出会い、そして電車で別れる場面に使われるといい曲でした。

(8)「蛍」(玉蔓のおもい)
 庭先に出ると満天の星空。キラキラ感が蛍を想起させますが、人の存在を感じさせない曲でした。

(9)「初音」(こころのうち)
 最初から歌い出されたので、聞く方としては困りました。別の方に歌ってもらう手もあります。

 外はしだいに暗くなってきました。
 
 
 

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 続いて、「小町の愛」になりました。
 このコンサートは、『源氏物語』でまとまってはいませんでした。
 どこかで聞いたことのあるようなメロディーが組み合わされた曲が流れていました。和洋折衷、老若男女が一堂に会したパーティーを思わせました。

 さらに「敦煌よ永遠に」という、中国をイメージした曲も披露されました。
 ここまでくると、『源氏物語』を冠した今回のコンサートの演奏としてはミスマッチです。せっかく『源氏物語』を演奏しようとなさった思いが、この2曲で今日の企画のすべてが頓挫してしまいました。

 終わっての印象は、目の前のしつらいは平安朝らしいのですが、耳に届く音は昭和40年代の青春歌謡でした。意図がよくわかりません。丸いテーブルが並ぶ中、50人くらいは聞いていたかと思います。

 アンコールとして、初演奏となる「橋姫」(明かされる真実)を披露なさいました。
 お昼のドラマのエンディングにいいと思いました。音響のチューニングに失敗されたのか、音が割れていたことが惜しまれます。

 吉田さんは、『源氏物語』の54巻に挑戦なさっているそうです。
 素人目ではありますが、きれいなメロディーラインのように思われます。無理に『源氏物語』を標榜しないで、好きなように、自由に作詞・作曲なさった方がいいのでは、と思いました。ノスタルジックサウンドとして、団塊の世代に向けたメッセージとしての音楽を目指されたらいかがでしょうか。キータッチのミスも多かったので、気楽な演奏活動になさったらいいと思います。
 失礼の段は、平にご容赦を。

 なお、受付で吉田さんの CD が置いてあったので1枚いただきました。機会を得て、聞きたいと思います。
 
 
 

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 また、ロビーでは「浮舟」という石鹸を販売していました。
 
 
 

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 この石鹸の入れ物は、小物入れになります。
 集めている源氏グッズの1つになるので、中身は妻が、ケースは私がいただきました。
 
 
 
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2011年1月15日 (土)

【復元】入金中の銀行ATMが突然操作不能に


 5年前にアメリカへ行ったときの後日談の第4弾です。
 不運でした。しかし、問題は後に引きずりませんでした。
 何事も、余裕を持って行動しなさい、ということなのでしょう。

※本記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。
 
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
 
2006年2月25日公開分
 
副題「悪条件が重なった中での災難」
 
 
 不幸は、いつなんどき、我が身に降りかかるか、本当にわかりません。私は、なかなか楽しい人生を送っていると、心密かに自負しています。
 さて、2週間前のことです。2月12日(日曜日)の午前11時15分。横浜駅前の某銀行での出来事。
 アメリカへ出発する前に、銀行の自動引き落としの対処をするために、ATMに入金して行くことにしました。横浜発の成田エキスプレスの発車までには15分あるので、駅から徒歩2分の銀行へ行きました。
 ATMにキャッシュカードを挿入し、パネル操作をして、入金口に現金を入れました。マシンがお札を数え出すとすぐに、何と見かけない文字列が、目の前の画面に表示されました。一口で言えば、「私は操作不能となったので、横のインターホンで係員に連絡せよ!!」と。

 しばらく、なま暖かい呼び出し音を聞くことになります。こんな時の時間は、非常に長く感じられます。なぜ今、どうしてこんな事態に自分がいるのかが、理解できなくなります。

 やおら受話器口に出られた女性は、私の事情説明を聞くと、今日は日曜日なのでその銀行には行員がいない、すぐにセキュリティー職員に連絡するので、係の者が到着するまでそのまま待っていてほしい、とのことです。その声にかぶせるように聞くと、30分ほどで係員は到着する、と。

 5分もあれば入金手続きは済むと思っていたので、これから成田空港に向かうことを話し、私はATMの中にカードと現金が入ったままだが、大至急この場を離れることを伝えました。10日後に帰国してから、このカードを受け取りにこの銀行に来ることを、今から思えばあたふたと告げました。

 そして、入金口に吸い取られたままの現金を、私の口座への入金処理を依頼し、大急ぎで駅に引き返し、何とか横浜発の成田エキスプレスの発車に間に合いました。

 銀行が入金処理をしてくれない場合を考えて、空港から妻に電話をして、さらなる対処を頼みました。
 私はいつもはオンラインバンキングを利用していますが、海外から日本の銀行口座を見るのは危険だと思い、意識して確認はしませんでした。ただし、アメリカに到着してすぐに、アメリカにある当該銀行のサポートセンターに電話(フリーコール)をし、日本における対処の確認をしました。出先での無料電話は、こんな時には助かります。おまけに、日本語だけで大丈夫でした。

 そして、その後どうなったかは、帰国までの楽しみにしました。

 帰国後、すぐに当該銀行から確認の電話連絡がありました。丁寧な対応に好感を持ちました。
 銀行の窓口へ行き、ATMに吸い取られたままだったキャッシュカードを返却してもらいました。私が放置して立ち去った後の現金も、無事に入金処理されていました。
 支店長代理だという方が、その日は対応してくださいました。印象ですが、このようなことは頻繁とは言わないまでも、ままあるケースのようです。私の場合は、ちょうど日曜日だったために、また急いでいたために、こんなに面倒なことになっただけのようです。平然と対応しておられましたので、そんなふうに感じました。

 こんな場合には、私のようにトラブルの対処を銀行側にすべて任せ、後日窓口に吸い取られたままのカード類を受け取りに行く方法と、キャッシュカードを郵送してもらって受け取る方法、の二つがあるそうです。銀行側の説明は、手慣れたものでした。休日の対応は、あのセコムに依頼しているそうです。

 銀行などのATM機器はよく利用します。しかし、こんなトラブルは初めてです。私が入れたのが新札だったからかもしれません。慌ててクチャクチャにして入れた覚えはありません。新札を揃えて入れました。いずれにしても、降って湧いた災難でした。 
 
 
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
 
 
 

2011年1月14日 (金)

【復元】もう乗りたくないユナイテッド航空

 
 5年前にアメリカへ行ったときの後日談の第3弾です。
 来週も、このユナイテッド航空です。
 この5年間の変化を楽しみにしています。
 くれぐれも、荷物検査とボディーチェックがいまだに非人間的な屈辱的な扱いを受ける、ということのないように祈るだけです。


※本記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。
 
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
2006年2月27日公開分
 
 
副題「無防備でずぼらな空港と職員」
 
 
 先日アメリカへ行った時の話。
 ボストンからワシントン経由で日本に帰りました。

 ワシントンでの乗り換え時間は約1時間。未確認情報でしたが、ここでは、出国手続きも機内荷物のチェックもないようだというのです。私はそんなことはないはずだから、少し早めにゲートに並ぼうと思いました。

 すでにボストンのチェックインを受けているので、ここでは危険なものを受け取る機会のない人ばかりなので大丈夫だということのようです。私は、この無防備さが気になりましたが、そういうことらしいので、予定の出発時間に搭乗窓口へ行きました。すると、やはりパスポートチェックはないのです。

 アメリカ入国時にパスポートに挟まれた「入国管理用カード」は、あそこのカウンターの人に渡した方が、との言に従い、自発的に差し出しに行きました。しかし、そんなことをする人は、他には見あたりません。わざわざ渡しに持って行かなくてもいいようで、私から紙片をもらったお姉さんも、こんなものを貰ってもね、という顔をして、どこかへ置きました。

 さらに驚いたことに、このフライトでは、機内に持ち込むバッグのセキュリティーチェックも何もないのです。ボストンから来た時とは、飛行機の機体が変わるので、当然手荷物チェックがあると思ったのですが、それがまったくないのです。何とこのアメリカが、ここでは性善説にたっているようです。驚異です。

 さらには、航空券を自動改札機のようなものに通して半券をもらい、機内のシートに座るまで、パスポートのチェックがまったくないのです。たまたま落ちていたチケットで別人が乗り込めます。なりすまして、機内に入ることが容易です。搭乗券の持ち主の確認は、どこでもされないのです。誰にもわかりません。また、通路で何かを受け取っても、何もわかりません。

 空港内にいる人ならば誰でも不審がられずに機内に乗り込め、何でも持ち込みありなのです。実際、搭乗までの20分間、パスポートも手荷物もチェックがないようだということなので、念のために出発ゲートの周りを散策しました。私が搭乗する出発ゲートの10番ほど前のところでは、非常口が開きっぱなしでした。そこから見えるゴミや荷物の横の階段の下から、作業着を着たおじさんやおばさんが出入りしていました。滑走路の方か、空港の裏口から、自由にこの出発ゲートに出入りできるのです。また、広い空港なので、下へ行く階段やエスカレータなどがたくさんありました。こんな恐ろしい空港や飛行機はありません。

 これはこれで、正常にチェック機能が働いていると思いたいのですが、悪意があれば何でもできるワシントン空港でした。何ともいいかげんで、心許なく思われます。
 この脳天気な空港で、無警戒な飛行機に搭乗するのが躊躇われました。それでも、みんな朗らかに飛行機に乗り込むので、私だけの杞憂だったのでしょう。

 しかし、それにしても、無防備です。これが、あのテロに怯える振りをしているアメリカなのでしょうか。
 もっとも、入国ならともかく、アメリカから出る飛行機などには構ってはいられない、ということなのでしょうか。入国は極端に厳しくし、出国はご自由にどうぞ、ということなのでしょう。

 結局、パスポートに出国のスタンプは捺してもらうこともありませんでした。こんな飛行機は、怖くて乗りたくないですね。誰かに乗りたくない、という意志を伝えて、一瞬ではありますが、私だけでも搭乗を拒否しようかと思いました。世界中で人殺しを重ねるアメリカ人ではありますが、テロにとっても、やりたい放題の脇の甘さ。しかし、そうは言っても、ここは性善説に従って、まずはアメリカ人を信用して、とにかく自分の席について、こうしてメモを記しています。何とも、恐ろしいことです。

 搭乗・乗り継ぎ・出国の手続きで、何かと面倒そうなことがたくさん省略されているので、乗客としては煩わしさか軽減されていて歓迎です。しかし、反面では、異常なほどに厳しくチェックをしていることとのアンバランスが、どうにも気になります。
 こんなに危機意識が欠落していては、ユナイテッド航空は、テロを阻止できないでしょう。この機内で爆発やテロが起きないことを願うのみです。やろうと思えば簡単にできる状態で搭乗し、離陸したのですから。
 もし何かありましたら、このパソコンに入っているこの文章を読み、ユナイテッド航空の杜撰さを再点検してください。
 アメリカの脳天気な無防備な一面を見た思いがしました。そのことで背筋が寒くなりながら、それでは、配られた食事を口にすることにします。

 私の席の真後ろに、女性アテンダントの方の旦那さんかお父さんらしき方がいらっしゃいました。離陸までの間、3人の女性と1人の男性のアテンダントが、何かと声をかけたり、目配せや微笑みを投げておられました。
 私が新聞を貰おうとしても、この機内のアテンダントの方にとっては、その私の後ろの方の対応が優先のようで、私はしばらく待たされます。仲間内の馴れ合いの関係維持よりも、一般の乗客の対応の方を優先してもらいたいものです。
 特に困りはしませんが、あまりに露骨に無視されると、気分はよくないものですね。内輪でのなあなあのやりとりは、機内の後ろにあるスペースでしてほしいものです。

 私の後ろの方は、すぐにお休みになったようなので、親族らしき意識による馴れ馴れしさはおさまりました。少なくとも、食事の時間までは。
 食事中も、この方は丁寧な接客を受けておられました。食後は、後ろの方はどこかへ姿を消されました。どこへ行かれたのでしょうか。日本に近づいたころには、戻っておられました。

 成田空港着陸直前まで、男性のアテンダントの方は、私の後ろの通路側の肘掛けにお尻を乗せて、大声でその乗客と話し込んでおられました。陽気な機内職員なのでしょうが、もうすぐ着陸なので、自分の席についてシートベルトを締めてほしいものです。乗客が心配することではないでしょうが。

 話は、アメリカ出国時に戻ります。

 離陸して1時間後、最初のドリンクがサービスされます。私はいつもの通り、赤ワインを注文しました。来る時も同じ航空会社でした。その時の赤ワインが薬品臭かったので少し迷ったのですが、一応あの時の味の確認の意味で、赤ワインを注文しました。今回も同じチリ産のワインでした。

 くだんの男性アテンダントの方は、反対側の人の対応をしながら、後ろ手にワインやスナックを私の座席のテーブルの上に置こうとされます。テーブルがその方の視線の中にないのですから、うまく置けるはずがありません。私が手を伸ばして受け取り、そっと置きました。いくら陽気で軽薄なアメリカンでも、乗客に後ろ手で渡すことはないだろう、と言いたくなります。

 しばらくして、通りかかったこのアテンダントは、私の瓶が空だと見るや、そっと、と言うよりはさりげなく、もう一本の赤ワインを置いて行かれました。身振り手振りは陽気だけれど、気が向いて目に付けば、それなりの仕事はすることができるようです。まんざら、ずぼらで気分屋だけではないようです。
 けなすだけではいけないので、少しは見直す点も記しておきます。いつも、そんな調子でまじめに仕事をしろよ、と突っ込みたくなります。

 たまたま、私がこんな飛行機に乗っただけのことでしょうか。
 
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
 
 
 

2011年1月13日 (木)

【復元】ハーバード大学の寿司

※本記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。

********************** 以下、復元掲載 **********************
 
 
2006年2月21日公開分
 
副題「お寿司の国際化報告(2)」
 
 
 シャーロッツビルにあるバージニア大学から、ボストンにあるハーバード大学へ飛びました。ただし、雪のために、途中の乗り換え地であるワシントンでは、3時間遅れの出発となりました。ハーバード大学のあるケンブリッジ(英国と紛らわしいですが)には真夜中に着きました。

 そして翌日の最初の夕食は、やはりお寿司です。事前に聞いていたので、迷うことなく直行です。
 
 
 

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 ただし、ここは回転寿司ではなくて、日本人がにぎっている寿司レストランでした。
 海外でこの値段ならこんなもんかな、というお寿司でした。もちろん、それなりにおいしいのですが、やはり私は回転寿司を求めます。
 しかし、ボストンには1軒もないようです。さらなる情報収集活動が必要です。

 ハーバード大学の中には、たくさんの学生食堂があります。
 今回は、2箇所の学食で、寿司のパックを見つけて食べました。2箇所のお寿司の内容は微妙に違います。しかし、パッケージからすると、同じ店で作っているようです。
 
 
 

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 今回のハーバード大学では、お昼ご飯は本格的インド・ボンベイ料理を、晩ご飯はお寿司屋さんやスペイン料理屋さんなどへ行きました。
 
 
 

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 私は、そこがアメリカであることを、完全に無視していました。せめてもの開拓者精神すら希薄になっていると思われるアメリカには、観察する意欲が削がれます。アメリカには知的な刺激も感じられません。素晴らしい人がいるのはわかります。いつも、たくさんの方のお世話になります。しかし、それはその人だけが持つ魅力の一つに留まっている国のように思えます。その人がアメリカを出ると、それまでなのです。アメリカという土地と文化が育てた人材や才能ではないように思えてなりません。
 地球上での主役交代の時代に、確実に入りました。

 ケネディの法律学校にも紛れ込みました。政府高官を送り出している学校で、たくさんの歴代大統領がロビーで演説をしている写真を見ました。しかし、お金ですごいことをしているのは実感できますが、ほとんど刺激は受けませんでした。不思議なものです。
 
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
 
 
 

2011年1月12日 (水)

【復元】成田空港とバージニア大学の寿司

 来週の木曜日からアメリカへ調査に行きます。
 ボストンにあるハーバード大学と、ワシントンの議会図書館です。いずれも、『源氏物語』の古写本の調査です。議会図書館は、昨年の1月に続いての調査です。
 ハーバード大学は、4年前の2月と2年前の11月に行きました。

 手術後初めての海外出張です。特にボストンは、過去2回とも寒さに震えました。
 ハーハード大学は、ボストンのケンブリッジという町にあります。メールなどで「ケンブリッジより」とあると、イギリスのケンブリッジと混乱します。
 アメリカの地名には、イギリスの地名にあやかったものが多いようです。文化のない国では、よくあることです。世界中の歴史ある文化を叩き潰すことに執心することなく、自分の国の文化を一日も早く創り上げるように努力してほしいものです。文化が育つためには、まず時間がかかります。焦らず弛まず驕ることなく、地球のお荷物と言われている汚名を返上すべく、地道に文化を守ることに徹してほしいと願っています。もっとも、銃の文化はご免ですが……

 平成19年3月に、それまで公開していたブログのすべてが消失しました。その断片の中にあった文書から、4年前のアメリカ行きに関する記事を、お寿司をテーマにして以下に復元します。
 
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
 
2006年2月2日公開分
 
副題「お寿司の国際化報告(1)」
 
 
 先週行っていた、アメリカ東海岸のお寿司情報です。
 先ずは、出発地から。
 いつもは成田空港の第2ターミナル発なのですが、今回は久しぶりにアメリカなので、第1ターミナルからの出発でした。
 第2ターミナルでは、和食屋さんのメニューの中にあるお寿司を食べています。しかし、今回の第1ターミナルには、何と回転寿司屋がありました。午後3時発なので、ゆっくりと食べられました。いい感じの店でした。三崎港は、街中によくあるチェーン店です。
 
 
 

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 アメリカ最初の訪問地であるバージニア大学は、シャーロッツビルにあります。ここでは、学生食堂で男子学生が仲良く2人で、パック入りのお寿司を食べていたので、写真を撮らせてもらいました。
 
 
 

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 楽しそうにお寿司を食べる学生さんは、なかなか絵になっていました。
 にぎりではなくて、巻きずしです。

 私は予定が詰まっていたので、この日は用意されていたサンドイッチ(といってもデッカイ)を食べながらの会議でした。
 席上、日本語テキストのデータベース化の意義と今後について話すことになりました。私は英語がまったく使えません。バージニア大学図書館の司書であるIさんが同時通訳をしてくださいました。

 大学の資料館では、たくさんの独立宣言関係の資料を拝見しました。
 バージニア大学は、のどかな田舎にありますが恵まれた環境の中にある大学です。この大学をご存知の方は少ないかと思います。しかし、「日本語テキストイニシアティブ」というすばらしいプロジェクトをウエブ上に展開しています。ぜひ一度ご覧下さい。

 このプロジェクトには、私も少しお手伝いをしています。このデータベースと私との関係は、「最新情報」および「謝辞」にある通り、2004年からのことです。

 ますますの発展を、楽しみにしています。
 
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
 
 
 

2011年1月11日 (火)

【復元】36歌仙絵にまつわるマナーのこと

 英国にある源氏物語画帖に関する情報公開の記事を受けて、そこで紹介した『探幽筆 三拾六哥仙』について書いたものをアップします。
 この記事は、平成19年3月にプロバイダのサーバーがクラッシュしたために消失したブログの復元です。
 
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
 
2006年9月10日公開分
 
副題「堕落した情報機関を建て直すはずの若者たちへ(8月9日)」
 
 
 イタリアのカターニア大学のパオロ・ビラニ先生が、『古事記』のイタリア語訳を先月7月に刊行されました。私にはローマ字表記された固有名詞しか読めませんが、丁寧に翻訳してあるようです。
 ビラニ先生は本居宣長の研究者なので、きっと随所にすばらしい解釈が盛り込まれた訳文となっていることでしょう。

 今月の新刊で『古事記の本』(平成18年8月1日、学習研究社)というものがあります。
 
 
 
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 学生時代に読んで以来、とんとご無沙汰している『古事記』ですが、ひょんなことからそれに関わりを持つことになりました。もっとも、『古事記』と直接関係はないことで、ですが。

 新刊本の最終項目の「古事記外伝 8 中臣・藤原」の記事に、私が提供した資料が次のような形で掲載されています。
 
 
 
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 このもともとの復元画像は、こんなものです。
 
 
 
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 これは、私のホームページ〈源氏物語電子資料館〉で公開しているものの内の1枚です。

 大中臣能宣朝臣(おおなかとみのよしのぶのあそん)について、『新潮日本人名辞典』から引いておきましょう。



延喜二一〜正暦二・八(921‐991) 平安中期の神祇官人、歌人。大中臣頼基の子。天暦五年(951)梨壺の5人の1人として『後撰集』の撰集に従事。天徳二年(958)神祇少祐、以後神祇大祐、神祇少副・大副を経て、天禄三年(972)伊勢神宮祭主となった。三十六歌仙の1人。『拾遺集』以下の勅撰集に入集、家集に『能宣集』がある。

 そもそも、この歌仙絵の彩色復元を始めたのは、以下の経緯があったからです。上記ホームページの説明文を引きます。


 『探幽筆 三拾六哥仙』は、平成5年春に伊藤がパリで見つけ、八人会の理解を得て、幸運にも輸入することができたものです。
 〈『36歌仙紛本画帖』〉と仮に呼ぶ本書は、平安時代の著名な歌人36人の人物画が、B4版の大きさの和紙に書かれています。それがA3版大の厚紙に貼ってあるので、一枚ずつ手に取って見ることができます。鑑賞できると言いたいところですが、丹念に彩色を施された顔以外は、すべて墨書きとなっています。また、着衣には色付けの参考とするための、細かな色取りの指示が書き込まれています。これは、〈紛本〉とか〈模本〉といわれるものです。
 ここでは、『探幽筆 三拾六哥仙』の原画と、そこに記された指示通りに彩色を施したコンピュータ・グラフィックを展示します。いわゆる、彩色復元図です。詳細な解説は、拙稿「八人会蔵『探幽筆 三拾六哥仙』について」(『大阪明浄女子短期大学紀要 第8号』1994.3.10、http://www.nijl.ac.jp/~t.ito/HTML/R3.3.1_MJ08kasen.html)をお読みいただければ幸甚です。

 学研の本シリーズ編集担当者から、メールと電話で掲載依頼があり、キャプションの文章を確認して了解しました。なかなか感じのいい編集者でした。

 著作権や知的所有権に関して問題意識がない韓国の出版社が、私が所有する源氏絵を無許可で、それも勝手に改変して『源氏物語』の韓国語訳の表紙に使われているので、こうしたマナーについては敏感になっています。
 日本の出版社の場合は、非常にいい対応をしておられると思います。

 というのも、日本のテレビ局のマナーの酷さを体験しているからです。

 私の職場には、マスコミ関係からの問い合わせがよくあります。私も、何件か対応しました。数年前になるのでテレビ局と番組の名前は忘れましたが、クイズ番組だったことは確かです。
 それは、古典文学作品の中で、「醤油」に関する記述は何が古いのか、ということでした。
 いろいろと説明したところ、『源氏物語』の例をあげてくれとのことでした。文章の中には見当たらないと答えると、正解が「醤油」だとかいう時に画面に映す絵を教えてくれ、と言われるのです。それなら、国宝の『源氏物語絵巻』の「柏木(三)」で、不義の子薫の五十日の祝いのお膳の中の一つに描かれていると答えておきましたが、それがどうなったのかは、その後の連絡をもらっていないのでわかりません。
 私がいる所が国の機関なので、ただで教えてもらおうという魂胆なのでしょうが、それにしても、その後どうしたのかくらいは報告があってもいいのではないでしょうか。
 利用できる時だけ利用してやれ、というのは、あまりにも無責任です。少なくとも、放映後に一言があってもいいと思います。こちらが提供した情報を、番組で使ったことの有無はともかく……。礼儀の問題です。「よろしくお願いします。」とか「ありがとうございました。」というのは、人間関係の中での基本的な挨拶だと思います。

 ちょうど1年前にも、酷いテレビ局がありました。

 まさに突然、以下のようなメールが来ました。


From:  **S**@ntv.co.jp
Date: 2005年7月27日 11:23:46:JST
To:*********
Subject: 日本テレビの**S**です。
突然のメールですみません。
日本テレビ「世界一受けたい授業」担当の**S**と申します。
伊藤鉄也さんのホームページにある「探幽筆36歌仙」復元の小野小町の絵を番組内の放送で使用させて頂きたく、御連絡させて頂きました。使用内容は現役教師の河合敦先生が「新しく教科書にのせたい日本史」というテーマでの日本史の授業をする中で小野小町の歴史的エピソードを説明する中でのイメージ絵として使用できればと考えております。
お手数ですが何卒、御検討の程 宜しくお願い致します。
日本テレビ
「世界一受けたい授業」 **S**
03-6215-****

 何かのお役に立つのならと思い、こんな快諾の返信を送りました。


「探幽筆36歌仙」の復元図(小野小町)について、お役に立つようでしたら、どうぞご活用ください。
ただし、「伊藤鉄也(国文学研究資料館)復元」というキャプションを付けてください。
取り急ぎの返信です。何かありましたら、メールで、いつでもどうぞ。

 ところが、一週間経っても、何の音沙汰もありません。
 そこで、以下のメールを送り、人間関係におけるマナーの悪さをそれとなく伝えました。


小野小町の画像の件/伊藤
**S** さま
 過日、7月27日に、小野小町の絵を日本テレビの番組で使用したいとの依頼メールを、**S**さまからいただきました。
 翌日7月28日に、私からの返信として
 「お役に立つようでしたら、どうぞご活用ください。
 ただし、「伊藤鉄也(国文学研究資料館)復元」というキャプションを付けてください。」
という了承と確認のメールをお送りしました。
 その後、**S**さまからは何ら返信がありません。他人の物を借りるときには、それなりの礼儀があると思います。
(1)まず、利用に当たっての条件などが、いまだに何も示されません。
(2)私からの、キャプションに関する対処も、不明なままです。
(3)十日以上も日時が経過し、放置されています。
 メールでは、「日本テレビ「世界一受けたい授業」担当の**S**」と名乗っておられますが、どうも信用できないと判断せざるをえません。
 したがいまして、今回のお申し出につきましては、この時点でお断りすることといたします。
 私は、「現役教師の河合敦先生」とは面識がございませんが、小野小町の絵に興味を持っていただいたことに感謝しています。ご縁がなかったとしか言いようがありませんが、どうかよろしくお伝えください。

 この件で問題となっているのは、次の絵です。
 
 
 
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 この絵は、『パソコン国語国文学』(DB-West編著、1995年1月、啓文社)の表紙をデザインした時にも使いました。なかなか評判の復元図です。

 日本テレビの担当者**S**さんからは、その後、私に連絡をして了解を得てすぐに出張に行っていた、との言い訳めいたメールが1通届いただけでした。
 テレビの関係者は、忙しいのでしょう。著作権・知的所有権の処理もしならがらの番組制作のはずなので、所有者・作成者の了解さえとれれば次へ、という制作手法なのでしょう。しかし、それでは利用される者に対する配慮に欠けます。ありがたがらせる遣り方は、すでに過去のことです。
 マナー、礼儀は、どのような局面でも大切なことです。人に物を借りる時には、最低限の心得です。

 マスコミ関係者の傲慢不遜な対応は、またいずれまとめましょう。
 あのマスコミ関係の人たちは、時代感覚がマヒした無礼な集団だと、私は認識しています。
 人の心の中に土足でズカズカと入ることに抵抗のない、特殊な異常な感覚を持った人たちだと思っています。
 そのような人たちが作る番組や紙面を受容する際には、人間失格の族が形にしたものだという認識が必要かと思います。

 もっとも、すばらしい志の方もいらっしゃるのは承知しています。
 毎日新聞の姫野聡氏は、私が初めて『新・文学資料整理術パソコン奮戦記』という本を上梓した時に、最初に注目してくださり、新聞で何度か大きく取り上げてくださいました。そのお陰で、今のような仕事が続けられていると思っています。その他、何人ものマスコミ関係者の中に敬意を表する方がいらっしゃいますが、それに勝るとも劣らないほどの低レベルの記者や編集者があまりにも多い、という現実から、以上のような私見を記したしだいです。

 これから、このマスコミという分野に興味を持つ若者たちの、フレッシュな変革の心意気に期待したいと思います。

 仲間内だけで盛り上がっているかのような映像を流し続ける番組を、1日も早く閉じてもらうことを念じつつ。
 
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
 
 
 

2011年1月10日 (月)

在英国・源氏物語画帖に関する情報公開

 英国ケンブリッジ大学のコーツ教授が、英国の古本屋で以下に紹介する資料を入手なさいました。
 そして、その写真を私のブログに掲載して紹介することによって、世界中の方からのご教示をいただきたい、という依頼がきました。

 おそらく、17〜18世紀のものではないかと思われますが、今はこの画帖の詳細は不明です。
 写真を並べるだけでは手がかりがないでしょうから、私のほうで判る範囲での勝手なコメントを付けてみました。

 写真を拝見したところ、元は巻子に仕立てられていたものを、場面ごとに切って製本したものだと思われます。それは、虫が喰った跡から言えることです。
 綴じ穴の跡もいくつか確認できるので、冊子仕立ての時もあったようです。
 その来歴に興味深いものを持っている画帖です。

 これは、『源氏物語画帖』を作成するための粉本(下絵)と思われます。絵画化する際の色や文様の指示が、画中に書かれているからです。

 海外でこのような装丁がなされることについては、私のホームページ〈源氏物語電子資料館〉で公開している「架蔵『探幽筆 三拾六哥仙』の復元」と拙稿「八人会蔵『探幽筆 三拾六哥仙』について」をご参照ください。

 例えば、小野小町の粉本に描き込まれた指示に従ってパソコンを活用して彩色すると、次のような彩色歌仙絵(復元)が出来上がります。
 
 
 

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 以下、コーツ教授から託された写真の個々について、思いつくままの個人的なメモを記すことで、今のところの参考情報とします。
 本ブログのコメント欄を活用していただき、この画帖に関する関連情報を含めてのご教示をいただけると幸いです。
 なお、コメントの公開を望まれない方は、その旨お書きくだされば手元に留め起き、文面だけをコーツ教授に報告いたします。

 それでは、しばしの謎解きをお楽しみください。
 
 
 
<写真(1)扉>
 
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■貼り付け台紙中央右に「186」という数字が見えます。
■その右の記号は何でしょうか。
■打ち付け書きの文字は以下の通りです。


源氏五十四帖下巻

野わき    よこ笛    しゐかもと
みゆき    すゝむし   あけまき
ふちはかま  夕霧     早蕨
槙柱     御法     やとり木
梅かえ    まほろし   あつまや
藤のうらは  匂兵部卿宮  うき舟
わかな上   紅梅     かけろふ
若菜下    たけかは   手ならひ
柏木     はし姫    夢のうき橋

 ここに「源氏五十四帖下巻」とあるので、当然「源氏五十四帖上巻」があったはずです。
 それは、第1巻「桐壺」から第27巻「篝火」までを収めていたことになります。
 
 
 
<写真(2)野わき(本文)>
 

110110_img_1330nowaki1
 
 
 
 
■右端に小さな綴じ穴がいくつかあります。冊子本だったときの名残でしょうか。
■用紙が上から5分の2のところで継がれています。他の巻でも、本文用紙に紙継ぎの跡があります。なぜこのような用紙を用いたのか不思議です。写本ではあり得ないことです。粉本という性格に関係することでしょうか。
■右下に小さく「あすかい侍(伝?)」とあります。
■左端に「廿八」とあります。「野分」巻は第28巻にあたります。
■本文の6行目下あたりに、用紙の損傷があります。これは、この画帖のすべてに共通するようです。切り取って台紙に貼られる前に、冊子か巻子の状態にある時に受けた損傷だと思われます。
■詞章は、『新編日本古典文学全集』(小学館)第3巻の277頁に該当します。


御さきをふこゑのしけれはうち
とけなえはめるすかたにこうちき
ひきおとしてけちめみせたるいと
いたしはしのかたについゐ給て風の
さはきはかりをとふらひ給てつれなく
たちかへり給【も】心やましげなり。
  大かたに荻の葉過る風の音も
  うき身ひとつにしむ心ちして
とひとりごちけり

 この本文について、本文異同の一例をあげておきます。
 6行目の「給も」の「も」は、現在流布本となっている大島本などにはないのに、陽明文庫本や尾州家本などにはあります。そして、『湖月抄』も、この「も」を持っているのです。
 本文は、江戸時代に流布していたもの、例えば『湖月抄』あたりではないかと思われます。
 
 
 
<写真(3)野分(粉本)>
 
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■右端に「廿八」とあります。「野分」巻は第28巻にあたります。
■ここは、光源氏が明石君の御殿の庭も荒れているので見舞いに訪れた場面です。ただし、この場面を絵にした例を、私はまだ確認していません。
■衣や几帳に色と模様の指示があります。これは、架蔵『探幽筆 三拾六哥仙』とまったく同じ手法による指示です。
 
 
 
<写真(4)みゆき(本文)>
 
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■右端に小さな綴じ穴がいくつかあります。冊子本だったときの名残でしょうか。
■用紙が上から5分の3のところで継がれています。
■左端に「廿九」とあります。
■詞章は、『新編日本古典文学全集』(小学館)第3巻の293頁に該当します。


蔵人の左衛門のせうを御使にてきし一枝
たてまつらせ給ふおほせことにはなにとかや
さやうのおりのことまねふにわづらはしくなむ
  雪ふかきをしほのやまにたつきしの
  ふるきあとをもけふはたつねよ
太政大臣のかかる野ゝ行幸につかうまつり
たまへるためしなとやありけむおとゝ御使
をかしこまりもてな【し】給
  をしほ山みゆきつもれる松原に
  けふはかりなるあとやなか
             らむ

8行目の「もてなし給」は、『湖月抄』では「もてなさせ給ふ」となっています。『源氏物語別本集成』で17本の古写本を確認したところ、「もてなし給」とするのは日大本だけでした。そこで、前の「野分」巻を確認すると、日大本は「もイ」という補入がありました。さらに調査が必要ですが、日大本などをもとにして書いた詞章なのでしょうか。
 
 
 
<写真(5)行幸(粉本)>
 
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■松だけは彩色されています。
■他の源氏絵にも作例の多い場面です。
 
 
 
<写真(6)ふちはかま(本文)>
 
110110_img_1335fujibakama1
 
 
 

■右端に小さな綴じ穴がいくつかあります。冊子本だったときの名残でしょうか。
■用紙が上から5分の3のところで継がれています。
■下の左右にある虫喰いの形状から、かつては巻子本となっていたことがわかります。
■夕霧の和歌「おなし・野の・つゆに」が3行の散らし書き風に書かれています。このような例は、米国議会図書館本でも見られました。本ブログ「散らし書き風(?)の和歌」をご参照ください。
 また、その後の玉鬘の歌も、スタイルを変えた散らし書き風となっています。
■左端に「三十」とあります。
■詞章は、『新編日本古典文学全集』(小学館)第3巻の332頁に該当します。


らにのはなのいとおもしろきをも給へりけるを
みすのつまよりさしいれれてこれも御らむすへきゆへは
ありけりとてとみにもゆるさてもたまへれはうつたへに
おもひもよらてとりたまふ御袖をひきうこかしたり
  おなし/野の/つゆに やつ/るゝふちはかま あはれは/かけよ かこと/はかり/も
みちのはてなるとかやいと心つきなくうたてなりぬれと
みしらぬさまにやをらひきいりて
  たつぬるに
     はるけき野辺の
          露ならは
  うすむらさきや
       かことならまし

 
 
 
<写真(7)藤袴(粉本)>
 
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■右上に小さく「32」と見えるようです。
■右端に「三十」とあります。「藤袴」巻は第30巻にあたります。
■この場面は、夕霧が蘭の花をさし入れて玉鬘への恋の思いを訴えるのですが、玉鬘は困惑しているところです。
■他の源氏絵にも作例の多い場面です。
 
 
 
<写真(8)槙柱(本文)>
 
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■右端に小さな綴じ穴がいくつかあります。冊子本だったときの名残でしょうか。
■上の左右にある虫喰いの形状から、かつては巻子本となっていたことがわかります。
■左端に「三十一」とあります。
■用紙が上から4分の1のところで継がれています。
■詞章は、『新編日本古典文学全集』(小学館)第3巻の373頁に該当します。


姫君ひはた色のかみのかさねたたい
さゝかにかきてはしらのひはれたるはさ
まにかうかいのさきしてをし入給ふ
  今はとてやとかれぬともなれきつる
  まきのはしらは我をわするな
えもかきやらてなきたまふはゝきみ(はゝ〈判読〉)
いてやとて
  なれきとは思ひいつともなにゝより
  たちとまるへき槙のはしらそ

 
 
 
<写真(9)槙柱(粉本)>
 
110110_img_1338makibasira2
 
 
 

■右端に「三十一」とあります。「槙柱」巻は第31巻にあたります。
■左端に小さな綴じ穴があります。冊子本だったときの名残でしょうか。
■上と下に紙継ぎの跡があります。2箇所も確認できるので、この紙は間に合わせであったことがわかります。粉本ということで、このような紙が使われたのでしょう。
■図様は、姫君が家を離れるにあたり、真木の柱の歌を詠む所で、よく絵になる有名な場面です。
 
 
 
<写真(10)うき舟(本文)>
 
110110_img_1339ukifune1
 
 
 

■本文は散らし書きです。
■左端に「五十一」とあります。「浮舟」巻は第51巻にあたります。
■上と下に紙継ぎの跡があります。槙柱の粉本の紙と同じような位置で継がれています。
■詞章は、『新編日本古典文学全集』(小学館)第6巻の190頁から191頁の本文と一致します。


(上段)
山がつの/かきねの
おとろ/むくらの/かけに
あふりといふ物を/しきて
おろしたて/まつる/わが御心ちにも/あやしき有様かな
(中段)
かかる道に
そこな/はれて
はか/\しくは
えある/まし/き
身なめりと
おほし/つゝ/くる/に
(下段)
なき/給ふ/こと
かきり/な/し

 
 
 
<写真(11)浮舟(粉本)>
 
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■右上に「五十一」とあります。「浮舟」巻は第51巻にあたります。
■家司には彩色があります。
■犬を配するなど、本文通りに描いています。
■薫の命令で警備が厳重な中を、時方は右近と会い、野原に侍従を連れ出して匂宮に説明させる場面です。
■この場面を描く源氏絵はいくつもあります。
 
 
 
<写真(12)手ならひ(本文)>
 
110110_img_1341tenarai1
 
 
 

■左端に小さな綴じ穴があります。冊子本だったときの名残でしょうか。
■左端に「五十三」とあります。「手習」巻は第53巻にあたります。
■上半分に2箇所、紙継ぎの跡があります。最下段にもそのような跡があります。
■本文は散らし書きです。
■詞章は、『新編日本古典文学全集』(小学館)第6巻の341頁の本文と一致します。


(上段)
なき物/に
身をも
人をも
おもひ/つゝ
すてゝ/し/よをそ
さらに/すて/つる
(中段)
いまは/かくて
かきり/つるそ/かしと
かきて/も
猶みつから/いと
あはれと/みた/まふ
(下段)
かきり/そと
おもひ/なりにし
世中を
かへす/\も
そむき/ぬる/かな

 
 
 
<写真(13)手習(粉本)>
 
110110_img_1342tenarai2
 
 
 

■右端に「五十三」とあります。「手習」巻は第53巻にあたります。
■左端に小さな綴じ穴があります。冊子本だったときの名残でしょうか。
■風景は彩色されています。
■髪を下ろした浮舟は、出家した身を思って一人硯に向かい、手習に歌を詠じて述懐する場面です。
■この図様は、屏風絵などにいくつか見られます。
 
 
 
<写真(14)夢のうきはし(本文)>
 
110110_img_1343yumenoukihasi1
 
 
 

■左端に「五十四」とあります。「手習」巻は第53巻にあたります。ただし、この位置は本文を書く領域内です。本文を書写した後、繋ぎ合わせる時に書いたのでしょう。
■上部と下から4分の1の所の2箇所に、紙継ぎの跡があります。
■詞章は210文字もあります。写本の半丁分に相当する分量です。
■詞章は、『新編日本古典文学全集』(小学館)第6巻の393頁の本文と一致します。


あるしそこの君にものかたりすこし
きここえて物のけにやおはすらむれい
のさまにみえたまふおりなくなやみわ
たり給て御かたちもことになり給へるを
たつねきこえ給人あらはいとわつらはしかる
へきことゝみたてまつりなけき侍しもし
るくかくいとあはれに心くるしき御ことゝもの
侍けるをいまなむいとかたしけなく思侍る
日ころも【こゝち】うちはへなやませたまふ
めるをいとゝかゝる事ともにおほしみたるゝ
にやつねよりも物おほえさせ給はぬさまにて
なむときこゆ

 この本文の9行目に「こゝち」という語があります。
 手元の大島本や陽明文庫本をはじめとする古写本8種類には、この語はいずれにもありません。『湖月抄』には、この語があります。
 つまり、この本文は『湖月抄』に類する本文を書写したと言っていいでしょう。もちろん、『首書源氏』や『絵入源氏』など、版本類を確認する必要がありますが、おおよそこのような感触で間違いないかと思います。もちろん、「行幸」巻のように、日大本と一致する例があったことも忘れてはいけません。
 この他の巻々の本文と絵が見つかれば、さらに正確な出典がわかることでしょう。
 
 
 
<写真(15)粉本>
 
110110_img_1344yumenoukihasi2
 
 
 

■右端に「五十四」とあります。「夢浮橋」巻は第54巻にあたります。
■風景は彩色れさています。
■小君は姉の浮舟に薫からの手紙を届けます。尼君が開いて浮舟に見せている、『源氏物語』最後の場面です。
■この場面はたくさん描かれています。ただし、これと同じ図様は、今は思い当たりません。
 
 
 
<写真(16)奥書>
 
110110_okugaki_2
 
 
 

■奥書部分です。


明和五戊子年七月上旬改之 軒

 明和5年は西暦1768年です。
 ここに「軒」とあります。
 架蔵『探幽筆 三拾六哥仙』にも、扉に貼り付けた紙には『探幽筆 三拾六哥仙 軒』とあります。
 その意味が何なのか、今私にはわかりません。
 
 
 
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 以上、取り急ぎのメモを付けての情報公開です。
 些細なことでも結構です。ご教示をよろしくお願いします。

 なお、手銭美術館の源氏屏風絵についても、以前に公開してご教示を乞いました。
 「手銭記念館の源氏絵屏風で教示を乞う」(2009年12月18日)

 これに関しても、情報をお待ちしています。
 
 
 

2011年1月 9日 (日)

江戸漫歩(29)早朝の隅田川ウォーキング

 隅田川ウォーキングの初日は、無事に実現しました。

 京都での賀茂川ウォーキングについて最初に書いたのは、「京洛逍遥(13)早朝の賀茂川」(2007年9月17日)でした。今日の隅田川は、賀茂川とはまったく違う世界です。

 越中島公園は、すでに何人かの人が歩いたり走ったりしています。
 昨日から、ノドのリンパが大きく腫れています。栄養を摂ってゆっくり休んだせいか、身体の怠さは少しとれました。昨日は声も出にくくて覇気がなかったので、今日も身体を休める一日にします。
 隅田川ウォーキングは、可能な限り、無理をしないで続けたいと思います。

 豊洲方面の上空では、昨日のように羽田を離陸した飛行機が加速しています。
 
 
 

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 対岸の月島を望むところに、早々と紅梅が咲いていました。
 川辺には、水鳥が群れています。
 
 
 

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 水上バスが通りかかりました。
 中央大橋を右にまっすぐに歩いて行くと東京駅です。
 
 
 

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 この船は、両国を出てからレインボーブリッジをUターンし、豊洲と越中島を通って両国に戻る「両国レインボーブリッジ周遊」という、海上散歩の水上バスです。
 いかにも東京らしい、メカニックないでたちをしています。

 この水上バスの向こうに、東京タワーの尖塔部分がかすかに見えています。
 この船は正面の中央大橋方面ではなく、ここから右折して、東京スカイツリーのある両国を目指します。

 水際に白鷺が一羽、もの想い顔で川面を見つめていました。
 
 
 

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 立派なあごひげのように見える羽が、胸を飾っています。コサギかと思われます。賀茂川のサギよりもふっくらしているように見えるのは、美味しいものを食べ、運動不足のせいではないでしょうか。勝手な想像ですが……

 親子が水鳥と遊んでいます。エサをやろうとしているのか、楽しそうです。
 
 
 

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 鳥たちが等間隔に並ぶのは、賀茂川のアベックの心理と相通ずるものがあるのでしょうか?
 この写真の左右にも、ずっと等間隔でたんさんの鳥たちが並んでいます。壮観でした。
 
 
 

2011年1月 8日 (土)

江戸漫歩(28)新春の隅田川夕照

 新年にあたり、隅田川から夕陽を見るために、宿舎の周辺をブラブラしました。
 清澄通りの相生橋から桜の名所である越中島公園に入り、遊歩道の散策です。
 東京水辺ライン「越中島」発着所の前から、振り返って豊洲方面を望みました。林立する高層マンションが、うっすらと赤みがかっています。
 羽田を飛び立ったばかりの飛行機が、烏と共に上空に見えます。
 
 
 

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 対岸の月島から佃島方面にかけて、西日がマンションの壁やガラスに反射しています。夕陽の照り返しも、こうして見るといいものです。
 マンション群の向こうに、もんじゃ焼きで知られる月島があります。
 
 
 

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 目を右に転じて石川島公園から中央大橋のあたりは、夕陽が今まさに沈もうとしているところです。
 
 
 
 
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 大川端リバーシティ21のマンション群は、夕照が借景となる都会的な居住空間となっているようです。
 この隅田川の光景は、山々や木々を背負う京都の賀茂川と、好対照をなすものです。日本の西と東には、こんなにもすばらしい川が流れているのですね。
 この隅田川は、賀茂川とはまったく趣を異にするウォーキングを楽しめそうです。

 これまで、ブラリとしか歩いたことがなかったので、明日から賀茂川ウォーキングの延長として、隅田川ウォーキングもしてみようかと思っています。

 東京に来ると、仕事に追われる日々でした。今年からゆったりとした生活をするためにも、隅田川ウォーキングは心身共にいいかもしれません。

 立川までの通勤時間が、片道1時間50分です。賀茂川ウォーキングのように、夕刻から歩き出す、というわけにはいきません。ということは、早朝の隅田川ウォーキングしかありません。うーん……

 さて、新年早々の決心はどうなりますか。
 明日、ここで報告できればいいのですが……
 
 
 

2011年1月 7日 (金)

読書雑記(30)水上勉『雁の寺』

 里子が障子に映った人影を見、それが誰なのかが後にわかる、として話が進みます。
 サスペンスの要素が盛り込まれている作品です。水上作品は、視覚的に美しい場面がちりばめられています。

 水上勉の作品において、月がどのように活用されているのか、私は大いに興味を持っています。雰囲気作りにおいて、有効に出てきているように思われるからです。
 本作でいえば、月光の中の慈念(新潮文庫、35頁)、月明かりの中を慈念が来る(43頁)、月の光が格子窓から差し込む部屋で寝ている慈念を里子が起こす(99頁)場面があります。
 慈念の背景に、随所で月が配されているのです。
 こんなことを心の片隅に置きながら、水上勉の作品を今後とも読み進むのが楽しみです。

 寺派の管長である老師は、行方不明になった孤蓬庵の住職慈海について、「慈海が寺を出たか。それもええではないか。あれはまだ雲衲じゃ。放っとけ、放っとけ」(103頁)と言います。
 我が家の宗派は曹洞宗なので禅宗です。私の父が亡くなったとき、お世話になった和尚さんが、これとまったく同じことをおっしゃっていました。「仏、ほっとけ」と。この悟りきった明快な爽やかさと大らかさが、残された者の気持ちを宥めてくれます。

 最終の第8章は秀逸だと思いました。緊張感が伝わってきます。慈念と里子の描かれ方が絶妙です。【3】

 この作品の舞台とされる相国寺の「瑞春院」は、「雁の寺」として知られています。
 通りかかった折に写した写真です。まだ中に入ったことはありません。
 
 
 

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 相国寺公式ホームページの中の「瑞春院」から、この小説に関係する箇所を引きます。
 


「水上 勉と雁の寺」
 直木賞作家 水上 勉氏は9歳の時、瑞春院で得度し13歳まで雛僧時代を禅の修行に過ごしたが、ある日突然寺を出奔。諸所を遍歴し文筆活動に精進。昭和36年(1961年)出版の小説『雁の寺』はベストセラーとなり名声を博した雁の寺の小説は瑞春院時代の襖絵を回顧し、モデルとしたことから瑞春院は別名を『雁の寺』ともいう。今も雁の襖絵八枚が本堂上官の間(雁の間)に当時の儘に残っている。

 
 もっとも、小説の内容から言えば、この寺にとっていいイメージとは言えません。
 『雁の寺』が昭和36年に第45回直木賞を受賞し、映画やテレビドラマとなっていることにあやかる方を優先したものといえるでしょう。
 
【映画】
監督︰川島雄三
製作︰大映
公開︰1963年1月
出演︰若尾文子(里子)
   高見国一(慈念)
   三島雅夫(慈海)
 
【テレビドラマ】
監督:奥村正彦
製作:テレビ東京、PDS
   「月曜・女のサスペンス」
出演︰かたせ梨乃(里子)
   馬渕英明(慈念)
   金田龍之介(慈海)
 
 水上勉と京都については、次のホームページが参考になります。
「水上勉の京都を歩く 相国寺界隈編」
 
 なお、「東京紅團」というホームページが、文学散歩の際の貴重な情報源となっていることを知りました。

 本を読んだ後に、ネットでブラブラという楽しみが味わえます。このサイトの、ますますの発展を楽しみにしたいと思います。
 
 
 


2011年1月 6日 (木)

【復元】読書雑記(29)『問題な日本語』を再読して

 
(※本記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
 
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
 
2005年1月7日公開分

副題「多様で揺れ動く日本語はどうなるか?」
 
 
 どうも気になることが多くて、過日紹介した『問題な日本語』(北原保雄編、大修館書店、2004.12)を再読しました。
 『明鏡国語辞典』の編者と編集委員5人が執筆者であることから、辞書の舞台裏が見えないか、との期待もあり精読しました。バラエティに富んだ興味深い項目が選定されており、おもしろい読み物となっていることは確かです。しかし、どうも説明の歯切れが悪いのです。

 日々変化することばを対象とするので、揺れ動くものを明快に説明するのは至難の技です。専門家として、研究者として、変動することばの正誤を判定するのは難しいことでしょう。その苦渋が、説明のそこかしこに認められました。

 気になったことを、いくつか列記したいと思います。

 「ふいんき/ふんいき」の項目に、おおよそ次のような説明があります(60頁)。
 


・「雰」を「ふ」と誤読し、「囲」を「因」と混同したために「ふいんき」と読んだ。
・もともと「雰囲気」は難しい日本語であった。
・「ふいんき」が漢字に還元されることなく使われている。

 
 この説明には、ことばを漢字の側からだけで考えていることと、関西をはじめとする東京以外の地域ではその土地特有の言葉が使われていることなどが、まったくと言っていいほど考慮されていないように思われます。

 私が子供の頃にも、大阪では多くの人が「ふいんき」と言っていました。関西は、ことばの響きを大切にする地域なのです。そして、ことばで楽しく遊ぶ環境があります。
 本書の説明には、そうした視線が欠落した説明になっていないでしょうか。

 「二個上の先輩」という項目も、関西では普通に使っていることばなのです。しかし、その点にはまったく触れずに、項目末尾のポイントで、「年齢を「個」で数えるのは正しい用法ではありません。」(104頁)とまとめているのです。「正しい用法」でないとされることばを実際に使っている者にとっては、そう言われても困惑するだけです。
 事実を客観的に見つめて、その実態を踏まえて今後のことばのあり方を提言するはずの学問が、現実を指導する力を発揮しないとも限りません。日本全国の人々に、関東の言葉遣いに合わせろ、という趣旨で本書が編まれているわけではないようです。しかしそれでも、一見慎重そうな姿勢の裏に、研究者特有の傲慢さが透けて見えます。

 本書の真ん中ほどに、『明鏡国語辞典』編集部のアンケート結果を表で示しておいて、ことばのルールの乱れや揺れを説明しています。しかし、これは日本のどの地域を対象にしたアンケートなのか、明記されていません。おそらく、関西は全く入っていないアンケート結果なのでしょう。
 説明に窮する実態の例示は、何かと面倒なことになるからでしょうか。

 もちろん、ことばの実体を考えるにあたって、東京中心にならないような配慮は窺えます。「現代共通語では」(121頁)などの表現があります。しかし、やはり標準語というものの存在を認める姿勢が後半になってくると顕著に見られるようになります。「古風で西日本的な言い方」(119頁)、「これは標準的ではない。」(128頁)という表現などが出てきます。
 東京方言が標準ではなくて、全国の共通語に近いものとして東京方言を位置づけるべきだ、と私は思っています。「標準」という物言いは、それ以外を「標準以下」とするからです。標準語という物言いには、差別的な意識が潜んでいると思います。

 本書の説明文に違和感を感じる箇所は、その他いくつもあります。もう一例だけを引きましょう。
 


「とんでもありません」とか「とんでもございません」のような言い方は、田辺聖子や池波正太郎、北杜夫、三浦綾子、夏樹静子など、そうそうたる面々も使われています。(112頁)

 
 ここで「使われています。」の使われ方には、作家に対する尊敬の意味を込めてのものと思われます。しかし、この用法に私は馴染めません。これは悪文というべきものに類すると思います。

 あまり貶しすぎるのもいけませんので、学校の先生らしいまとめの文章も紹介しておきます。
 


「言う」を「ゆう」と書くのは間違いだと決めつける前に、「言う」が「現代仮名遣い」で、どういう理由で「いう」と書くようになったかを、若い人たちにきちんと説明してやることもまた大切なことだと思われます。背景を正しく理解することによって、正しい運用のしかたもまたしっかりと身についてくるのではないでしょうか。(142頁)

 
 『問題な日本語』における「問題な点」を指摘したままでは気が引けます。
 皮肉なことですが、本書におけるマンガによる例示は、大変おもしろいものとなっています。問題点が分かりやすく、現代日本語の「問題な点」をストレートに絵で描いていると思います。

 もっとも、日本語のことを考える本で、日本語による説明文ではなくて、説明を補足する役割を持たされた絵の方がテーマを炙り出す上で秀逸だ、というのも、これからの日本語を考える上では示唆的です。
 本書は、現代日本語の問題点を考える入り口へと導く書として、大変意義のある本となっているのではないでしょうか。
 
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
 
 
 

2011年1月 5日 (水)

【復元】読書雑記(28)「よろしかったでしょうか」はどこが変?

 一時、この「よろしかったでしょうか」という言葉が問題になりました。
 その後は下火になったようです。しかし、今でもレストランや食堂などで、この言葉を耳にすることがあります。

 社員や店員の教育が行き届いているところでは、「よろしかったでしょうか」はほとんど使われなくなりました。今でもこれを使う人がいる店は、言葉遣いに無頓着な、店員の指導が徹底していない、自由を履き違えた放任のお店に多いようです。経営者の怠慢の為せる態、と言えなくもないのです。所詮、それだけの店なのだ、と思うことにしています。

 若者たちも、説明されれば理解して使わなくなるのです。説明しないで放ったらかしにしていると、よくわからないままに使っているようです。これは、個人の問題である以前に、周りの配慮が関係しているものです。

(※本記事は、平成19年3月にプロバイダのサーバーが突然クラッシュしたために消失したブログの復元です。)
 
 
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
 
2005年1月1日公開分

副題「年頭にあたって、まずは日本語の使い方について」
 
 
 2005年になりました。
 平群の里は快晴の元旦です。
 屋根からは、昨日来の雪が溶けだして、ドサッと軒下に積もります。
 新年早々のメールはトルコのチャナッカレから、続いてイギリスのケンブリッジ、そして中国の北京からのものでした。
 今年はどんな1年になるのか、暦が改まったばかりなのに、今から楽しみです。

 さて、大晦日の夜、実際には10時間ほど前ですが、どうしても気になることがあり、仲間の言語学者O氏にメールを出しました。旧年師走の新刊である『問題な日本語』(北原保雄編、大修館書店、2004.12)を読んでいて、どうしても納得できないことがあったからです。
 
 
 
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 それは、「よろしかったでしょうか」という表現についての編者北原氏の解説です。

 以前、O氏からこの用法の問題点について、明解な説明を聞いたことがありました。その時、なるほど、と得心しました。しかし、今回北原氏の文章を読んで、何か説明が、ピントがズレているように思えたのです。

 3頁ほどの説明の後に、「ポイント」欄で以下のようにまとめてあります。
 


し終わった注文について「ご注文は以上でよろしかったでしょうか」と言うのは、〈過去のことについての現在における評価〉を表す表現として理解できます。(38頁)

 
 これは、この設問の説明としては不十分なように思われます。O氏が説明してくれた時には、もっと疑問に対してストレートに答える言い方だったように思ったのです。

 ということで、もう一度この用法について説明してもらえないかと、メールを、それも大晦日の夜中に、O氏に送ったのです。北原氏の説明では、これは痒いところに手が届いていないと思うのです。何か喉元に引っ掛かりを感じたままで新年を迎えるのが気になり、こんなことを問うことになったしだいです。

 O氏からは、すぐに折り返し返事がありました。この早さが快感です。返事がないときは、O氏が家族と海外に行っている時です。

 返信によると、その本をまだ読んでいないので「何とも言えませんが」と前置きした上で、上記引用の説明は変だと思う、ということでした。そのメールを少し引きます。
 
 


し終わった直後であれば、「確認の「た」」を使わず、「ご注文は以上でよろしいでしょうか」となると思います。
 ウェイトレスがいったん厨房なりなんなりに下がり、そこで、「あれ!? 注文はこれでよかったっけ?」と気になって客席に戻り、客に先ほどの注文を確認する際には、「よろしかったでしょうか」と「確認の「た」」を使うことになる、というのが、これまでの用法だと思います。それこそが〈過去のことについての現在における評価〉であり、最初の時点では、注文は過去のことになっていません。「以上でよろしいかよろしくないか、よろしくなければ続きの注文を」という含意があるわけですから、現在のことについての質問です。
 あまり考えにくいのですが、最初の時点で、注文が「以上でよろしくない」場合、「よろしかったでしょうか」と聞かれると、素直に答えれば「よろしくなかった」としか答えようがないわけで、どう考えても変ですね。

 
 
 この説明なら、どこに問題があるのかが明瞭です。

 日本語の使い方については、海外に行くことが多くなってから、これまで以上に、ますます自分自身の問題となっています。
 アレッ? と思った時に、即刻解決なり納得しておかないと、いつまでも放置したままになります。些細なことではあります。しかし、こんなことも、気付いたらこうしてメモを残していきたいと思っています。

 そうだ、今年の私の心構えは、「気付いたらメモ」ということにしよう。
 
 
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
 
 
 

2011年1月 4日 (火)

【復元】ウサギの会での干支の話

 2011年も平穏無事に始まりました。
 年末年始にいろいろな整理をしたこともあり、探しモノがいくつか出てきました。
 平成19年3月に、サーバー側のクラッシュによって消失したブログの断片もその内の1つです。
 見つかった幸運なデータをつなげて、可能なものを復元します。
 「ウサギの会」は、このところ3年ほどは開店休業です。また再開しようと計画しているので、年度末の3月までには集まりたいものです。

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「ウサギの会の忘年会」(2004年12月23日公開分)

 年末の恒例である年賀状の発送業務(?)は、2年続きの喪中のために今年も書いていません。
 賀状欠礼のために喪中の挨拶状を出しましたので、住所録はいろいろと変更しました。しかし、例年は年賀状で住所録の微調整をしているので、昨年続きの賀詞交換がないために、少しお付き合い情報が混乱し出しました。
 日ごろのご無沙汰を謝するだけでなく、住所管理の点からも、年賀状のやり取りは意義深いものだと思っています。

 昨年は妻の母が、今年は私の母が他界しました。私は年賀状に、架蔵の『探幽筆 三拾六哥仙』の彩色復元図を1枚づつ完成させて印刷していました。しかし、2年続きの中断です。

 そんなこんなで、先日、来年の干支の話となったときに、私は今度が何ドシなのかわかりませんでした。
 干支を意識させる年賀状も、日本では大切な役割を果たしているのです。

 さて、私の職場では「ウサギの会」というものがあります。私が単身赴任で上京し、職場にも慣れた年末に、同年生まれの同僚と年末にお酒を飲んでいたときに、急遽発足することになったものです。それは、その年、1999年がウサギ年だったので、ウサギ年のうちにウサギの会をスタートさせようという提案に、二人が乗ってくれたのです。10名での発足でした。

 以来、みんなが多忙すぎた昨年以外は、毎年一度は会合をもっています。
 今週は、第5回の忘年会をもち、12名の会員のうち8人が参加しました。今回は、OBも参加という、楽しい会となりました。

 今年から、中国出身の方も加わることとなり、話題がグローバルになりました。干支を同じくする者同士は、意外と話題が合います。流行などは、12年というサイクルがちょうどいいのではないでしょうか。
 現在の会員は、昭和26・38・50年生まれです。3世代の会話が成り立つのですから、おもしろいものです。
 職場での部署も職種も別々なので、話すことがいろいろと新鮮に感じられることが多いのです。利害関係のない者同士が、グループという垣根を超えて語り合う楽しさがあります。

 そんな中で、中国での干支についての話が出ました。
 ウサギの尻尾はかわいいのですが、中国ではあまりいい意味では使われていないようです。それよりもなによりも、いつからがウサギ年なのか、ということになりました。
 来年2005年は、中国では2月9日が正月だそうです。旧暦が今でも生きている中国のことを考えると、日本文学の国際化を日々叫んでいる私としましては、ウサギ年生まれという概念を変える必要があります。
 現会員には1月・2月生まれはいなかったのですが、今後はもう少し精査する必要がありそうです。つまり、広く考えるならば、ウサギの次の辰年生まれで1月・2月生まれの方は、ウサギの会の会員となる資格が生じてくるのです。そのためには、昭和26・38・50年以外に、昭和27・39・51年のそれぞれの中国での正月が何日だったのかを調べる必要があるのです。

 そもそも、この干支の話は、日本以外ではどの国の方々にもすんなりと理解してもらえるものなのか? 今後の課題です。
 少なくとも、中国は大丈夫なようですが、とてつもなく広い国ですから、地域によっては違いがあることでしょう。

 海外に出かけることの多い私にとって、新たな話題ができました。折を見て、報告しましょう。
 
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
 
 
 

2011年1月 3日 (月)

京洛逍遥(179)下鴨神社-2011

 我が家の居間の梅は、紅梅も白梅も競うように咲いています。
 
 
 

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 今日は、河内高安の里にある我が家のお墓参りに行きました。
 すでに何度もこのブログで紹介したように、私が卒業した小学校と中学校は、左下のグランドのあるところです。学校は今は、右の方に移転しています。そして、ここが『伊勢物語』の「筒井筒」の段に出てくる高安の里です。
 
 
 

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 手前の八尾市から向こうは大阪市、そしてその左奥が堺市です。この先には小豆島があります。ただし、今日は霞んでいて見えません。右奥は六甲連山です。

 近鉄電車で上本町駅まで出て、高校時代のテニス仲間と会いました。私の病気のことを心配して、連絡をくれたのです。

 上本町駅の横に、新歌舞伎座が難波から移転してきていました。
 
 
 

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 この上本町駅は、私が高校時代に通学で乗り降りしたところです。もう40年以上も前ですが、今はすっかり変わっています。この新歌舞伎座のあたりは、朝のダッシュのスタート地点でもありました。この左の建物が近鉄百貨店です。

 夕方になってからは、賀茂川ウォーキングに出かけました。少し脚を伸ばして、葵橋のそばの下鴨神社へお詣りしました。夕暮れになる刻でしたが、たくさんの人が初詣に来ています。
 
 
 

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 本殿の前には、干支別の社が並んでいます。
 
 
 
 
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 私はウサギなので、いつもこのお社にお参りします。
 今年はウサギ年ということもあるのでしょう。自分の干支ではない方も、このウサギの社にお参りしておられるようです。

 本殿に詣でた後、薄暗くなった賀茂川沿いを急ぎ足でウォーキングしながら帰途につきました。
 道のところどころに残雪があり、風も冷たく感じられます。新春とはいえ、春はまだまだ先のようです。
 
 
 

2011年1月 2日 (日)

京洛逍遙(178)ウサギの岡崎神社

 新年2日目に、居間の紅梅がたくさん花開きました。去年よりも勢いがあります。三が日のうちに、満開となりそうです。
 
 
 

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 桓武天皇が平安遷都の際、都の東を守る社として建立された岡崎神社へ行きました。
 
 
 

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 都の東が卯の方位ということから、ウサギの神社として知られているようです。そのことを知り、私の干支である年ということから、お詣りすることにしました。
 場所は、平安神宮の北東、京都大学病院のすぐ東に当たります。これも、何かの縁なのでしょう。

 岡崎神社には、ものすごい数の参拝者が歩道を埋め尽くす列を作っています。この鳥居から左の方向に、何とバス停で一つ分もの長い列ができていました。
 境内も、人で埋まっています。破魔矢をいただき、今年の無事をお祈りしました。
 
 
 

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 延々と続く参拝者の列を縫うようにして、京大病院まで歩きました。
 昨秋入院していた積貞棟を見上げながら、無事に回復した今の我が身の幸運に感謝しました。
 
 
 

2011年1月 1日 (土)

京洛逍遙(177)上賀茂神社へ初詣_2011

 大雪で明けた元旦は、中庭の雪も溶け出し、爽やかな朝を迎えることになりました。
 
 
 

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 居間の梅も、白梅がいくつか咲き出しました。
 
 
 

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 妻と息子が作った、今年のおせち料理です。
 息子は、日本料理の仕事をしているので、盛りつけに少しプロらしさと手際の良さがあるようです。

 
 

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 初詣は、氏神である上賀茂神社へ行きました。
 
 
 

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 私も着物だったので、昨日の雪解けが心配でした。しかし、参道の雪は踏み固められていたために、かえって歩きやすい状態でした。

 参道奥の神馬舎には、いつもの白馬が休憩中なのか留守でした。
 昨年のお馬さんでよければ、「京洛逍遙(117)上賀茂神社へ初詣」をご覧下さい。
 
 紫式部の縁の片岡社は、縁結びの神様として若者がたくさんお願いをしていました。この絵馬も、人気があるようです。
 
 
 

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 工事中の橋殿から御手洗川を挟んで、紫式部の歌碑を臨みました。賀茂川のウォーキングでよくこの境内には立ち寄ります。
 来ると必ずこの地に立ちますが、碑に雪が被っているのを見るのは初めてです。
 
 
 
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 帰り道で、大文字が雪でくっきりと文字を縁取っていました。お盆の火で見る「大」はダイナミックです。しかし、雪の「大」もいいものです。
 
 
 

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 明日の年始に来られるお客さんのために、娘が和菓子を作り出しました。
 今年は私が年男ということもあり、念入りに作ったようです。
 白い粉の上で出番を待つウサギには、いまにも跳びはねて来そうな元気さがあります。
 
 
 

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 このウサギたちは、今夜はこの雪のような粉の上で寝るようです。
 
 
 

NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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