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2011年3月12日 (土)

日南町の井上靖(1)

 日南町の井上靖に関する地を訪れた時の記録は、以下の記事に分散しています。
 自分がいつ、どこで、何を書いたのかが未整理状態なので、ここに改めてリストにしておきます。
 今回の記録も、これらを受けてのものであることを、あらかじめご了解ください。
 
 
「井上靖ゆかりの日南町(2の1)」(2009年12月13日)
 
「井上靖ゆかりの日南町(2の2)」(2009年12月14日)
 
「井上家の疎開先としての日南町(1)」(2010年3月15日)
 
「井上家の疎開先としての日南町(2)」(2010年3月16日)
 
「井上家の疎開先としての日南町(3)」(2010年3月17日)
 
「井上家の疎開先としての日南町(4)」(2010年3月19日)
 
 日南町での井上靖の文学碑を守っておられる「野分の会」の会長をなさっている伊田美和子さんのお宅で、昨年同様に長時間にわたりお話を伺うことができました。たくさんのことをお聞きすることができました。少しだけではありますが、忘れないうちに記しておきます。

 昭和20年6月から12月までの半年間、井上靖の家族はこの村に疎開をしていました。曽根の家と言われている場所です。伊田さんのお宅から歩いて10分もかからないところにあります。

 曽根の家は、コオジヤさんの家の右横の狭い小道を上ります。
 
『通夜の客』にでてくる、小川が、この坂道の右側を流れています。
 
 
 
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 以下に揚げる曽根の家の見取り図は、次の写真の角度から見下ろしたものです。
 
 
 

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 前回、ちょうど昨年の今日ですが、伊田さんにお話を伺った内容は、上記の「井上家の疎開先としての日南町(3)」で詳細に書いた通りです。今回の話を通して、あの曽根の家の間取り図を、さらに正確に補正することができましたので掲載します。
 
 
 

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 「野分の館」にも案内してくださいました。これまでに何度かここを訪れています。しかし、直接設立に関わり、それを守っておられる立場の方は、私の素人の質問にも的確に答えてくださいます。
 
 
 

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 この館は、井上靖と対話ができる、思索の場でもあります。
 日南町と井上靖は、家族の疎開先として受け入れたことと、『通夜の客』という1つの短編小説を通してのつながりしかありません。しかし、それが町民のみなさまの情熱によって、このように温かく守られていることが感じられて、気持ちのいい空間となっています。
 井上靖も妻ふみさんも、何度かこの地を訪れておられます。町民の方々との交流を写真で見ると、戦時中の半年という短期間の疎開が縁ではありますが、その後も変わらぬ人と人との思いやりや労りの気持ちが伝わってきます。
 「野分の館」は、小さくて地味な資料館です。しかし、一人でも多くの方が『通夜の客』を読んで、そしてこの地を訪れて、また『通夜の客』を読みながら帰って行かれたらいいと思います。前回がそうであったように、今回もそうするつもりです。
 
 
 
 
 

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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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