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2011年4月21日 (木)

【復元】福田秀一先生を偲んで

 福田秀一先生がお亡くなりになってから、もう5年が経ちました。
 以下に復元する文の中にある、福田先生からお預かりした翻訳文献に関する解題資料は、科学研究費補助金による「日本文学の国際的共同研究基盤の構築に関する調査研究」(課題番号︰18202007)の報告書で、「翻訳事典」の各項目に再編集して収録しました。
 私なりに、福田先生への報告ともなっているものです。

・『日本文学研究ジャーナル 第2号』(伊井春樹編、2008年3月、国文学研究資料館)
・『日本文学研究ジャーナル 第3号』(伊井春樹編、2009年3月、国文学研究資料館)
・『日本文学研究ジャーナル 第4号』(伊藤鉄也編、2010年3月、国文学研究資料館)


(※以下の記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
 
2006年4月26日公開分
 
 副題「依頼された病室での口述筆記を果たせぬままに」
 
 
 中世文学研究者の福田秀一先生が、今週の日曜日にお亡くなりになりました。早速、昨夜のお通夜に駆けつけ、ご冥福をお祈りして来ました。

 福田先生は、まさに国際日本文学研究者でした。海外における日本文学の研究実態に関して、早くから精力的に調査収集活動をしておられました。『海外の日本文学』というご著書もあります。その続編をまとめようとしておられた矢先の訃報でした。その辺りについて、福田先生を偲びながら少し記します。

 今年の1月末日でした。福田先生の奥様から、突然のお電話がありました。それは、福田先生が虎の門病院に入院なさった、ということでした。そして、私にお願いしたいことがある、と。先生がお話しになることを書き取ってほしい、という依頼でした。詳しい事情はともかく、翌日病室に伺うことを約束しました。

 翌2月朔日の午後4時30分に、口述筆記のお手伝いをしてくれるという後輩のIさんと一緒に、大雨の中を、福田先生の病室へ足を運びました。Iさんは、福田先生が収集された海外の翻訳本の整理をしてくれていたメンバーの1人なので、福田先生のお話を聞き取るのは適任です。録音機も持って来てくれました。私が先生のお話し相手となり、相槌を打ちながら話題の進行を手助けする役割を担う心積もりでした。

 病室を訪れて、先生がお元気なのでホッとしました。その日は検査待ちで、予定の時間をとっくに過ぎているのにまだ呼び出しがない、と仰る姿は、いつもとまったく変わりませんでした。
 私がすべきことの確認をしている時に、先生は呼び出しを受けて検査室へ向かわれました。その検査が終わるまでの間、奥様から先生の病状などを伺いました。今回は、手術ができるかどうかの検査だとか。先生は、今のうちに可能な限りの話をして、それを私に書き取ってほしい意向だとのことでした。著名な科学者でもある奥様は、先生の病状や私に頼みたい趣旨などを、懇切丁寧に話してくださいました。ますます自分の重責を実感することとなりました。

 しばらくして、検査を終えられた先生が戻って来られました。私の役割は、先生が語られる海外における日本文学研究の実情について、聞き役となって記録することでした。
 その日は、先生が最初に出席された海外での学会(EAJS)の資料をもとにして、その時のことを語ろうとなさっていたようで、資料が入ったバッグも目の前に置かれました。3年前にポーランドのワルシャワで開催されたEAJSの折に、ホテルの食堂で先生と奥様に私がご挨拶したときのことなど、雑談交じりに少し語りだされました。
 しかし、検査が長引いたこともあり、今後の予定と方針を確認するに留まり、その日の口述筆記はできませんでした。そして悔やまれることに、その機会は2度と訪れないままになってしまいました。病状を案じながら、お呼びがかかるのを待っていたのですが……。

 先生と今後の打ち合わせをしていた折、海外で出版された日本文学に関する翻訳本の解題作業についても、詳しくお話ができました。
 まず、先生がこれまでに執筆のために用意されていた原稿を含む資料などのすべては、すべて私にくださるというのです。そして、もう自分ではそれはしないので、私が先生の資料を参考にして、すべてをまとめてくれ、との依頼を受け、承諾しました。

 これまでに、先生からお預かりしている膨大な量の翻訳本をもとにして、『海外における源氏物語』などのシリーズ4冊を、私は一般向けの解題書として刊行してきました。先生ご自身は、研究者向けの専門性の高い解題執筆を進めておられました。その棲み分けを、お互いでしていたのです。
 しかし、研究者向けのものも私がまとめるように、と託されたのです。自分の資料を活用すればいいから、と。
 その時に、中古文学に関する翻訳書や研究書等のメモや資料が入ったファイル1冊をいただきました。数日後に、古代から中世までのメモを含む資料が入ったファイル5冊が届きました。先生がワープロ「書院」に入力されていたデータの入ったフロッピー(上代から中世までの5枚)も、奥様の手を経て送られてきました。まだ、先生のご自宅には、中世以降の資料があるようです。昨日のお通夜では、奥様に、時期を見てお伺いし、資料の整理などのお手伝いをさせていただくことをお伝えしました。

 福田先生の海外関係の資料は膨大です。あのような状況で私に託されたのですから、誠心誠意、先生のご意思を大切に守り、少しづつでもまとめていきたいと思っています。
 それにしても、あまりにも早い73年でした。教え子でもない私ですが、この件に関しては信頼していただけたことを光栄に思い、お気持ちに叶うものとして形にしたいと思います。

 先生がニコニコして見つめながらお話をしてくださった、あの眼が忘れられません。厳しい先生だったという諸先輩のことばは、最後の4年間のお付き合いだった私には、想像ができません。ニコニコしながら、頼むよ、頼むよ、と仰っていたことしか、思い浮かびません。

 私に、先生のお気持ちを正確な形でまとめることができるのか、今は戸惑いがあります。しかし、先生から依頼されたことは、私なりに報告できるものにしたいと念じています。
 福田先生、ずっとずっと、ニコニコと見守っていてください(合掌)
 
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
 
 
 

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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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