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2011年8月16日 (火)

京洛逍遥(196)京都五山の送り火を考える-2011

 早朝から京大病院で診察を受けました。
 先週末に撮影したMRlのフィルムとDVDを持参して、その画像について詳しい説明を聞きました。

 結論としては、頭部も頚部も、特に問題はないとのことでした。ただし、齢を重ねてきたことによる些細な変化はあるが、ということは、またしても付け加えられました。
 このところ、思っている以上に老化現象が指摘されるようになりました。これまでの様々な無理が、こうした検査で顕在化したということでしょう。

 さて、肝心の手が痺れることです。
 先生の今日時点での判断は、職業病としてのパソコン操作に伴う手首の疲労か、糖尿病に関連する末梢神経の障碍ではないか、とのことでした。

 そして、手術後に血糖値の維持管理に変化が生じ、それがカロリーコントロールに影響しているのでは、とのあくまでも推測を語ってくださいました。
 上京してから、九段坂病院の先生にさらに詳しく診てもらうことになりました。

 緊急を要することではなさそうなので、ひとまずは一安心です。

 帰りに、今夜の送り火で一番注目される大文字の如意ケ嶽の様子を見上げました。
 準備は着々と進んでいるようです。
 
 
 

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 今年は、岩手県陸前高田市のマツを京都五山の送り火で使用することで二転三転した問題もあり、マスコミはあえて大騒ぎを演出した京都叩きを展開しています。
 放射性セシウムが検出されたことにより、主催者側には難しい判断を迫られたことは確かです。今回のできごとで、私はこの送り火が「宗教行事」なのか「観光行事」なのか、という点で評価が分かれると思います。そしてマスコミは、取って付けたかのように「宗教行事」の視点を強調して酷評を繰り広げています。

 社会的な問題としては、京都五山の送り火はすでに宗教を離れ、ほぼ観光のためのイベントへと移行していると思われます。確かに地元では、識者や保存会が宗教的な意義を強調しておられます。しかし、京都の主要な観光行事がそうであるように、その宗教的な儀式を含めて考えれば、葵祭や祇園祭と同じように大文字の送り火が「観光行事」と化していることは明らかです。内なる宗教の側面と、外なる観光という側面を、うまく調和させながら長い期間継承されて来た行事です。

 その視点から見れば、放射能の危険性を訴える意見が出てくればそれを無視するわけにもいかず、その計画中止を判断したことは理解できます。ただし、その後、マスコミなどのバッシングに踊らされて、大慌てで再度被災したマツを受け入れようとしたブレ具合は、第三者から批判されてもしかたのないところでしょう。
 観光行事であることを認識して、毅然とした対応をすべきだったと思います。京都人は遊び心に溢れています。新しい物事を取り込みながら、変容の中に変わらないものを伝えてきたと思います。しかし、今回は宗教的に死者を弔うことの意義に引き摺られ、情に流されて迷走したために、批判される対処になったと言えます。
 私の意見としては、今回の被災地のマツは被災地で送り火にすべきであり、鎮魂という意義をあまりにも現実的な問題と直面させすぎたと思っています。

 今回のことは、今後とも京都が観光で生きていく上で、宗教を京都的なイベントにどう包み込んで展開していくのかを問うものとなったように思います。
 一段落してから、もう一度議論をして、意見の違いを確認しておく必要がありそうです。
 計画中止となったことは、被災地への思い入れだけで判断すると、京都はけしからん、となります。しかし、宗教を離れたイベントの部分だけを見る観光客の視点と、京都が取り組む宗教的な行事のこれからのあり方を整理して、主催者側の姿勢を再確認することが、今回の問題の一番大事なポイントのように思います。

 そんなことを想いながら、今回は「大文字」だけではなくて、「妙法」と「舟形」を見るために自転車で出かけました。

 大文字は、相変わらず大勢の人出で河原は埋まっていました。
 
 
 
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 すぐに宝ヶ池方面に向かい、「妙」と「法」を見るために自転車を走らせました。
 ともに低い山に点火されるので、そばまで行くことになります。
 
 
 
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 北山通りは、車の往来も激しいところです。その合間から、「妙」を眺めました。
 大文字のように、見上げる必要はなく、自分の目線で送り火が間近に見られます。
 また、京都市街からは北のはずれなので、人も多くはないのです。

 今年は予定していた「法」を見に行かず、賀茂川に向かい、「舟形」を見ることにしました。
 
 
 
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 ここは、上賀茂神社の近くになります。観光客というよりも、地元の方がたくさん集まっておられるようでした。

 帰る頃には、大文字の火がかすかに火床を残すだけでした。
 帰宅すると案の定、京都を遠回しに批判する特集が放送されていました。そうしたシナリオを書きたくなる気持ちも、理解できなくはありません。しかし、京都五山の送り火の今後を考えさせる意見は、なされたのでしょうか。少なくとも、私が見た朝日系列の番組では、キャスターもコメンテーターも奥歯にものの挟まった言い方で、京都を批判する意見を開陳していました。

 かつて、私が毎朝毎晩配っていた朝日新聞が、最近はブレているように思えます。あまりにも低レベルなステレオタイプに堕している傾向が感じられるので、大いに失望しています。

 そんなこんなで、今年も慌ただしくお盆が終わりました。
 
 

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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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