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2011年10月21日 (金)

昭和7年の東大源氏物語展の報道記事見つかる

 昭和7年と12年の2度にわたって、東京大学で源氏物語展覧会が開催されました。これは、池田亀鑑が苦労して実施にこぎつけたものです。
 特に昭和7年には、河内本を底本とした『校本源氏物語』の原稿が展示されています。これはその後の昭和17年に、底本を大島本に変更し『校異源氏物語』として刊行されました。
 つまり、これらは『源氏物語大成』ができるまでの経緯を知る上で重要な、『源氏物語』の研究史上の一大イベントなのです。

 この2度の展覧会の展示実態と内容について知りたくて、いろいろと調査を進めています。

 このことについては、本ブログの以下の記事に詳しく書いていますので、おついでの折にでもご覧ください。

(1)「昭和7年に東大で開催された源氏展冊子は検閲されていた」(2011年6月 3日)

(2)「昭和7年の源氏展冊子の奥付が書き換えられたこと」(2011年6月 8日)

(3)「幻の『校本源氏物語』には改訂版があった?」(2009年7月 4日)

 そんな折、研究仲間の安野一之氏(国際日本文化研究センター・共同研究員、上記記事ではY氏として紹介)から、先月朗報が飛び込んで来ました。
 そして今日、調査に行った千代田図書館で、安野氏から発掘した資料について説明を聞くことができました。

 その詳細な報告は、来春刊行予定の『もっと知りたい 池田亀鑑と「源氏物語」 第2集』に掲載されますのでお楽しみに。

 以下、今回安野氏が発掘した資料をとりあえず紹介し、これに関する関係者からの情報提供を待つことにしたいと思います。

 今回わかったのは、昭和7年11月19日と20日に東京大学で開催された「源氏物語に関する展観」の新聞報道記事です。ここに転載するのは、昭和7年11月21日発行の「帝国大学新聞」の7面上部です。
 
 
 

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 参考のために、掲載写真だけを拡大しておきます。
 マイクロフイルムからの転写なので、これでもまだ不鮮明ですが、あくまでも今は参考までに。
 
 
 

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 本来は、事前に用意されていた『源氏物語に関する展観書目録』(東京帝国大学文学部国文学研究室編、昭和7年、岩波書店)が配布されたはずです。しかし、上記ブログで報告したように、検閲ということにより、この展覧会の2日間には間に合わなかったようです。そのことは、安野氏の論考に譲りましょう。お楽しみは後で、ということにします。

 実は、池田亀鑑のご子息である研二氏より、アルバムをお預かりしています。その中の写真で結婚式までのものは、『もっと知りたい 池田亀鑑と「源氏物語」 第1集』に掲載しました。

 その後のもので、次の2枚について、これが何なのか、いろいろと思案していました。
 上記ブログ(1)で、私は次のように書きました。


この昭和7年の『源氏物語』の資料展覧会は、不明なことが多いことで知られています。ただし、この時のものと思われる写真が、池田亀鑑のご子息である研二氏によって、2枚が見つかっています。これも、後日公開する予定です。しばらくお待ち下さい。

 その2枚の写真については、昭和7年か12年の源氏物語展覧会のものであることは間違いないとしても、そのいずれかを決しかねていました。しかし、今回安野氏が見つけてくださった新聞記事に掲載されている写真に酷似することから、この研二氏ご所蔵のアルバムにあった2枚の写真は昭和7年の源氏物語展のものであることが判明したのです。
 そのことが確認できたので、ここにあらためて紹介するしだいです。
 
 
 
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 新聞写真が不鮮明ですが、池田亀鑑の服装や展示ケースなどにより、昭和7年の写真であることが確認できます。つまり、昭和12年2月7日に東京大学の山上会議所で開催された「源氏物語展観」の写真ではないのです。そして、この昭和7年の展示会場が、以下の翻字からわかるように、東京大学の大講堂であることが確認できました。
 これで、昭和7年の源氏展のことが具体的にわかるようになりました。
 引き続き、これに関連した情報を収集したいと思います。

 一つ気になるのは、1枚目の写真で池田亀鑑の右後ろの女性が手にしておられる印刷物が何なのか、ということです。
 上記『源氏物語に関する展観書目録』ではないか、と思われます。ただし、この冊子の検閲の経過を考慮すると、当日は間に合わなかったようです。とにかく、実際はどうだったのでしょうか。

 なお、池田亀鑑の左横の女性については、まだ確認がとれていません。
 これについても、ご教示をお願いするところです。

 この記事にある展覧会の内容について、そして掲載されている写真について、何かご存知のことがございましたら、お教えいただけませんでしょうか。また、この時に配布されたと思われるパンフレットについても、どこかに残っていませんでしょうか。さらには、この「帝国大学新聞」の実物を、どなたかお持ちではないでしょうか。そして、この展覧会の時の写真も。

 安野氏が、上記新聞記事に書かれていることを文字に起こしてくださいました。
 ありがたく拝受し、以下に掲載します。
 なお、「帝国大学新聞」の昭和7年11月28日のこの展覧会に関連する記事に「解説付きの目録が刊行されなかった」ということが書かれています。ただし、この詳細は安野氏の論考に譲り、ここでは紹介を控えます。


昭和7年11月21日「帝国大学新聞」

禁中の秘本を始め
 河内本も出陳さる
   源氏物語展覧会賑ふ

本学文学部国文科主催紫式部学会後援の源氏物語展覧会は、十九廿の両日、本学大講堂で開催されたが、その出陳の大部分は国文学研究室の池田亀鑑氏が多年にわたり苦心収集した資料で、源氏に関するコレクションとしてはこの右に出るものがないといはれ従来はほとんど見ることを得なかつた河内本が三十余種も並べられ、加持井宮や有栖川王府の御蔵本、長慶院の御作「仙源抄」、更に東山御文庫の勅封を特に許されて解けるもの、高松宮の御蔵本等はいづれも他日拝観の機会を得ることは困難なものである。その他源氏に関する美文集、名歌集から香、生花、茶、かるた、すご六、投げ扇に至るまでの参考品が陳列された。十九日には東伏見宮大妃殿下、二十日には高松宮妃殿下を始め学会各方面の多数の名士が来場し一般入場者も非常に多く特に女性の多かつたことは注目された。光栄の池田亀鑑氏は語る。
 宮様の台覧あらせられたことは大変有難いことと感激して居ります。殿下は終始御熱心に御質問あらせられ、紫式部に対して同性としての御なつかしみを特にもたれてゐるやうに拜察いたしました。慶福院王榮の著作にも特に御興味を感ぜられた如くで御座いました。こういふ光栄の機会に際し更に一層努力致したいと考へてをります。

---《囲み記事》-----------------------------------------
高松宮妃殿下
東伏見大妃殿下

御成り

東伏見大妃殿下には十九日午後関屋宮内次官、同夫人を従えられ源氏物語展に御成り、小野塚議長、姉崎図書館長、宇野文学部長、藤村紫式部学会長御附添ひにて国文研究室の池田亀鑑氏の説明を御熱心に聞こし召され御機嫌うるはしく御帰還あらせらる。また廿日午後、高松宮妃殿下には源氏物語展覧会へ御成りあそばされ藤村教授、久松助教授の御案内にて池田亀鑑氏御説明申上たが、御熱心に御覧の後図書館に御成り、姉崎館長御案内申あげ御一巡の後御機嫌うるはしく御帰還あらせられた。
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紫式部学会長の藤村作教授は語る
 誠に光栄のことで御座います。殿下には兼々シェークスピア学会にも比すべきかかる会のないのを御遺憾のやうで御座いましたが、微力ながら我々が漸く紫式部学会を作りましたので大変御喜びの御様子で御座います。今後我々は一層この会を発展させて行きたいと思つてをります。
【写真――御巡覧の東伏見宮大妃殿下】


*仮名遣いは原文のまま、句読点は引用者が適宜補った。
 
 
 


コメント

おはようございます、安野です。

池田亀鑑の左横の女性は、新聞記事から推察するに、高松宮妃殿下ではないでしょうか?
高松宮妃殿下(徳川喜久子)の洋装写真がWikipediaにあります。
雰囲気が良く似ています。

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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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