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2011年10月25日 (火)

昭和8年の高松宮妃殿下のお写真

 先日、昭和7年に東京大学の大講堂で開催された『源氏物語展』に関連して、展示ケースの前で女性に説明をする池田亀鑑の写真を2枚紹介しました。いずれも、ご子息の池田研二氏よりお預かりしたアルバムにあった写真です。

「昭和7年の東大源氏物語展の報道記事見つかる」(2011年10月21日)

 その女性について、安野さんからその後の報告をいただきました。

 次の新聞記事は、昭和8年4月6日の朝日新聞(夕刊)で、そこに掲載されている写真が高松宮妃殿下だとのことです。
 
 
 

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 新聞の小見出しは、「高松宮妃殿下 九州へ御西下」となっています。
 そして、左端のキャプションには、「御写真は品川駅御出発の妃殿下」とあります。

 ということで、過日のブログで紹介した昭和7年11月20日の源氏物語展覧会での写真と、この昭和8年4月6日の朝日新聞の写真に写る女性は同じ方であることが判明したのです。

 ご当人をご存知の方にとっては何でもないことなのでしょうが、知らない者にとっては、とにかくこうして一つ一つを調べながら確認していくしか方法がありません。

 安野さんと共に、いろいろとアドバイスをくださる中京大学の浅岡邦雄先生には、あらためて感謝しています。

 さて、ブログで紹介した写真で、池田亀鑑の右後ろでパンフレットのようなものを胸に抱えて展示ケースを見る女性は、安野さんの推測では妃殿下の侍女ではないか、ということでした。


 高松宮妃殿下の学友で、生涯にわたる親友だった岩崎藤子の回想録、『九十六年なんて、あっという間でございます』(雄山閣・2008/4)によると、高松宮妃殿下(当時は徳川喜久子)は学習院女子校時代、国文学、特に和歌が好きで尾上柴舟の授業を受けていたそうです(ただし、書道は諸事情があり教わらなかったそうですが)。
 この本には少しだけですが、侍女の名前も出て来るので、ひょっとすると写真右側の女性はそのうちの一人かも知れません。
 ただし、特定するためにの写真が見つかりそうにありません。

 このことについて、少しずつ情報が集まるようになりました。これをお読みの方で、何かご存知のことがありましたら、ご教示いただけると幸いです。

 何分にも、皇室の当時の実態をまったく知りません。
 手前勝手な当て推量はこれまでにしておきましょう。
 
 
 

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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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