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2012年3月12日 (月)

米子にある稲賀敬二先生のお墓へ

 日南町からの帰りに、広島からお越しの妹尾好信先生が、米子にある恩師稲賀敬二先生のお墓参りをなさるということです。そこで、池田研二先生と私も、ご一緒させていただくことになりました。

 稲賀先生は、池田亀鑑の晩年の『源氏物語大成』のお仕事を手伝われました。そのころの写真も何枚か残っています。『もっと知りたい 池田亀鑑と「源氏物語」』で、また紹介します。
 池田研二先生も、稲賀先生の広島のお宅にいらっしゃったことがあるそうです。

 稲賀先生の広島大学での教え子が伊井春樹先生であり、妹尾先生です。伊井先生の教え子の一人が私であり、妹尾先生の教え子が小川陽子さんです。こうしたメンバーで、池田亀鑑賞の選考委員は構成されています。

 私にとっての稲賀先生は、1999年秋の国文学研究資料館におけるシンポジウムで、先生がおられる広島大学と国文学研究資料館をインターネットで繫ぎ、国文学研究資料館で進行するシンポジウムに広島大学から中継によってスクリーンに大写しにして参加していただいたことが忘れられません。この時のことは、『源氏物語の異本を読む―「鈴虫」の場合―』(臨川書店、平成13年)に、写真入りで詳しく報告しています。

 その準備のために事前に広島へ行って、稲賀先生と打合せをしました。妹尾先生の細やかなご配慮の元、インターネット中継は大成功でした。

 また、私が書いた拙い論文を送ると、いつもすぐにアドバイスを含めての返信が来ました。ありがたい先生でした。

 米子から水木しげるで有名になった境港へ向かって北上し、井上靖記念館や米子空港の先の上道神社の中の墓地に、稲賀先生のお墓はありました。
 
 
 
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 立派な稲賀家のお墓でした。手前右が、分家である稲賀先生のお宅のお墓です。
 何度も来ておられるという妹尾先生は、お酒が大好きだった稲賀先生のために、小さな御神酒をそっと供えておられました。
 
 
 
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 この墓地を歩いていると、我が家と同じ家紋である丸に九枚笹がたくさん墓石に彫ってありました。この地域に多い家紋なのでしょうか。我が家の実家が島根県出雲市であることと、何か関係があるのでしょうか。あまりにも多いので、気になりました。

 近くの夢みなとタワーの下で、新鮮なお刺身で食事をしました。
 このタワーの格子状のフレームは、何と先ほどまでいた日南町の杉の集成材だったのです。温もりのある設計です。
 
 
 
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 今回の鳥取の旅は、イベントも大成功で、さらには稲賀先生の墓参もできました。
 充実した時の中に身を置くこととなり、ゆったりとした気持ちで帰路につくこととなりました。
 
 
 

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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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