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2012年6月の30件の記事

2012年6月30日 (土)

国文研蔵『源氏物語団扇画帖』服飾関係分類索引(畠山版2)

 『源氏物語団扇画帖』の服飾関係分類索引(畠山版1)では、次の5図を扱いました。

「第一図 東屋巻(第五〇帖)」
 
「第二図 帚木巻(1)(第二帖)」
 
「第三図 空蝉巻(1)(第三帖)」
 
「第四図 夕顔巻(1)(第四帖)」
 
「第五図 若紫巻(1)(第五帖)」
 
 
 引き続き、第六図から第一五図までを取り上げます。
 
 
「第六図 蜻蛉巻(第五二帖)」
1(女房)  五衣表着姿
        表着(浅葱色地松枝文) 五衣(入子菱文朽葉匂) 単衣(紺地菱文) 長袴
2(女一の宮) 五衣表着姿
        表着(白に地文、梅の上文) 五衣(入子菱文紅匂) 単衣(萌黄菱文)
3(薫)    夏の冠直衣姿
        冠(垂纓繁文) 直衣(縹色三重襷文) 単(紅) 指貫(鳥襷文)
4(弁のおもと)五衣表着姿
        表着(紅地松枝文) 五衣(縹匂) 単衣(白地菱文)
 
 
「第七図 少女巻(第二一帖)」
1(女房)   五衣表着姿
        表着(浅葱色地梅唐草文) 五衣(入子菱文朽葉匂) 単衣(黄色菱文) 長袴
2(紫の上)  五衣表着姿
        表着(白に地文、唐花の上文) 五衣(紅匂菱文) 単衣(萌黄菱文) 長袴
3(女房)   五衣表着姿
        表着(白地松枝文) 五衣(入子菱文縹匂) 単衣(白地菱文) 長袴
4(女の童)  汗衫姿(細長にも似ており判別し難いが、襟が盤領である点、本文に「汗衫」とある点から、細長と混同した形状の汗衫であると判断した)
        汗衫(朱色地紅葉流水文) 袿(若草色) 五衣(縹匂) 単衣(萌黄菱文) 長袴
 
 
「第八図 花宴巻(1)(第八帖)」
1(朧月夜)  五衣表着裳姿 檜扇をかざす
        裳(海賦の摺、髪を裳に着込める) 表着(白に地文、梅の上文) 五衣(入子菱文紅匂) 単衣(萌黄菱文) 長袴 檜扇(端紐は総角結び)
2(光源氏)  冬の冠直衣姿
        冠(垂纓繁文) 直衣(白地浮線綾文) 単(紅) 指貫(鳥襷文)
 
 
「第九図 葵巻(第九帖)」
1(紫の上)  袿袴姿 髪を元結で束ねている
        袿(紅色松枝文) 単衣(萌黄菱文) 長袴(朱色)
2(女房)   袿袴姿
        袿(色地梅唐草文) 単衣(白色) 長袴
3(女房)   袿袴姿
        袿(白地唐花唐草文) 単衣(薄桃色菱文) 長袴
4(女房)   袿袴姿
        袿(白地草葉文) 単衣(紅色)
5(光源氏)  夏の冠直衣姿
        冠(垂纓繁文) 直衣(縹色三重襷文) 単(紅) 指貫(鳥襷文)
 
 
「第一〇図 賢木巻(第一〇帖)」
1(光源氏)  夏の冠直衣姿
        冠(垂纓繁文) 直衣(縹色三重襷文) 単(紅) 指貫(鳥襷文)
2(六条の御息所)白の五衣表着姿
        表着(白無文) 五衣(白) 単衣(薄桃色) 長袴
3(牛飼)   水干姿 髪は喝食
        水干(紺地無文) 当帯 単(朱色)
4(従者)   水干姿
        萎烏帽子 水干上下(朱色、菊綴のようなものがある) 中着(袖からは若草色、肩からは紺色が見える) 太刀
5(従者)   白張姿
        烏帽子 白張
6(従者)   白張姿
        烏帽子 白張 中着(肩から若草色が見える)
 
 
「第一一図 花散里巻(第一一帖)」
1(麗景殿の女御)袿袴姿
        袿(生成色地梅文散らし) 単衣(白地菱文) 長袴
2(女房か)  袿袴姿
        袿(薄黄色地唐花唐草文) 単衣(紅地菱文)
3(花散里か) 袿袴姿
        袿(紅地唐花唐草文) 単衣(浅葱色菱文)
4(光源氏)  夏の冠直衣姿
        冠(垂纓繁文) 直衣(縹色三重襷文) 単(紅) 指貫(鳥襷文)
 
 
「第一二図 須磨巻(第一二帖)」
1(従者)   狩衣姿
        平礼烏帽子 狩衣(薄黄色地唐花唐草文) 指貫(薄縹無文) 中着(紅地菱文)
2(従者)   狩衣姿
        烏帽子 狩衣(紅地梅唐草文) 指貫(縹無文) 中着(紺色)
3(従者)   狩衣姿
        烏帽子 狩衣(浅葱色地松枝文) 指貫(薄葡萄色無文) 中着(紅色地文不明)
4(光源氏)  冬の烏帽子直衣姿
        立烏帽子 直衣(白地浮線綾文) 単(紅) 指貫(鳥襷文)
 
 
「第一三図 明石巻(第一三帖)」
1(惟光)   狩衣姿
        平礼烏帽子 狩衣(朱色無文) 指貫(八藤丸文) 中着(墨色) 浅沓
2(童)    水干姿 髪は喝食で、太刀を持つ
        水干(紅地松枝文) 指貫(薄縹八藤丸文) 中着(墨色) 浅沓
3(光源氏)  夏の烏帽子直衣姿
        立烏帽子 直衣(縹色三重襷文) 単(紅) 指貫(鳥襷文)
4(従者)   白張姿 袴は上括
        烏帽子 白張 中着(紺熨斗目小袖)
 
 
「第一四図 蛍巻(第二五帖)」
1(光源氏)  夏の冠直衣姿
        冠(垂纓繁文) 直衣(縹色三重襷文) 単(紅) 指貫(鳥襷文)
2(玉鬘)   袿袴姿
        袿(白地唐花唐草文) 単衣(白地菱文) 長袴
3(女房)   袿袴姿
        袿(浅葱色地梅唐草文) 単衣(紅地菱文)
4(女房)   袿袴姿
        袿(朱色地撫子唐草文)(桜唐草にも見えるが、季節柄、撫子唐草とした) 単衣(紺地菱文)
5(女房)   袿袴姿
        袿(白地松枝文) 単衣(薄紅色菱文) 長袴
 
 
「第一五図 蓬生巻(第一五帖)」
1(従者)   水干姿 妻折傘をさす
        平礼烏帽子 水干(緑色無文) 単(朱色) 中着(紺地熨斗目小袖) 小袴(白色、上括)
2(光源氏)  夏の烏帽子直衣姿
        立烏帽子 直衣(縹色三重襷文) 単(紅) 指貫(鳥襷文) 浅沓
3(惟光)   狩衣姿
        平礼烏帽子 狩衣(朱色地唐花唐草文) 指貫(白無文) 中着(墨色) 浅沓
 
 


※「ひとえ」は、男性用(丈短)を「単」、女性用(丈長)を「単衣」と表記する。
※「五衣表着」の名称はオリジナルである。「五衣小袿」の呼称もあるが、近代から用いられている呼称であり、「小袿」の定義も時代によって異なるので、一番上に着ている袿の意味で「表着」の呼称を用いた。
※「縹匂」「朽葉匂」は、オリジナルの呼称である。これは、同じ色目が有職故実書の中には見られないもので、ブルーから白へのグラデーションを表すために「縹匂(はなだのにおい)」、茶色から白へのグラデーションを表すのに「朽葉匂(くちばのにおい)」という呼称を仮に用いた。
※烏帽子の紐を顎にかけて固定しているものと、そうでないものとがいる。不鮮明な箇所もあり、今回は掲載しなかったが、この書き分けについては考察が必要かもしれない。
※同じような赤でも、「紅」と「赤」とで使い分けた。身分が低いと思われる人物には、「赤」を用いた。他にも、身分の差で表記を変えたものがある。
※男性の「中着」は、小袖なのか、単なのか判別ができなかったために使用した。また、熨斗目模様がみられるものは、「熨斗目小袖」と判断した。しかし、通常熨斗目の模様は肩まで入ることはなく、若干の不審もある。
※上文に二色以上使用しているものを「二重織(ふたえおり)」として区別した。
※ライトブルー系統の色は、直衣の場合「縹色」とし、薄縹色(濃)、浅葱色(薄)と区別した。

 
 
 

2012年6月29日 (金)

授業(11)インドの先生の参加を得て

 本日の授業に、来日中のインド・ネルー大学のマンジュシュリ・チョウハン先生が参加してくださいました。
 受講生の方々には、メールとエバーノートの共有エリアで、あらかじめそのことを伝えておきました。何でも気軽にお聞きできますので、自由に質問してください、と。

 チョウハン先生は、気持ちのいい程にきれいな日本語を話されます。日本人が忘れかけている、品のいい日本語です。その柔らかな話しぶりは、京都でよく耳にするしなやかさがあります。東京で、このような「はんなり」と言うのがふさわしい日本語には、あまり出会いません。
 先生とは、インドで受話器を通して話をしていると、日本人と話しているのかと錯覚します。とにかく、流暢で優しい言葉遣いです。

 チョウハン先生は、唱道文芸を中心とした語り物の研究者です。そして、インドでは日本語教育の専門家でもあるので、その教え子の学生さんたちもきれいな日本語を上手に話されます。それ加えて何よりも、漢字を駆使した作文も、大学を卒業する頃にはほとんどの学生さんが書けるようになるのですから驚きです。
 この前も、漢字検定一級を目指して日本で勉強しているインドからの留学生が、事務に提出した書類に書いていた漢字が難しいものだったので、事務の方から読み方を逆に聞かれたりしました。この字は何とよむんでしょうか、と。

 インドで日本語を勉強している学生たちのカバンの中には、必ずと言っていいほど漢字の練習ノートと単語帳が入っています。そして、折々にその単語帳を見たりノートに漢字を何度も何度も書いて、覚えようとしています。日本人が忘れかけている、コツコツと努力するという姿勢が顕著に伺えます。
 インドで一緒に公園へ行ったり、買い物に出かけたり、電車に乗ったりしたときに、なにげなく漢字を勉強している彼らの横顔を見ることがしばしばです。突然、むつかしい漢字の読みや字形を聞かれて、オロオロしたことが何度もあります。

 インドの私立の初等・中等学校では、日本語が選択できるところがいくつかあります。そうでなくても、大学に入ってから日本語を勉強しても、習得が早いのは、インドへ行くたびに実感するところです。知的好奇心が大きなエネルギーになっていると思います。

 大学の学部では、2、3年生になると文学作品が入るそうです。芥川などの短編小説や説話などが教材となります。日本の高校の授業を思えばいいでしょうか。

 インドでは、英語が日常化しています。家庭で日常的に英語が使われるようになってきているとのこと。仕事のことなどを考えると、今のインドでは英語は必須なのです。しかし、これは日本にも当てはまるとは、私は思っていません。英語を必要とする度合いが、日本では極端に少ないように思うのです。このことは、またいつか。

 私が知っているインドの仲間を思うと、ヒンドゥー語と英語と日本語が使える人ばかりです。サンスクリット語も、ヒンドゥー語と同じ文字を使うことから、読むことができる人は多いようです。たくさんの言語が使われている国です。インドの紙幣には、16種類の公用語で金額が記されています。そのことだけでも、多言語国家であることがわかります。

 インドは非漢字圏です。しかし、日本語教育の教科書に英語による説明は載っていないそうです。このあたりが、日本語習得の早さの秘訣なのかも知れません。

 チョウハン先生に、文章を書いたり話したりするときに、頭の中ではどのように使い分けておられるのかを伺いました。すると、英語で考えて英語を書き、日本語で考えて日本語を書いたり話したりしないと、うまくいかないとのことでした。

 受講生の学生さんも、チョウハン先生にたくさんの質問をしていました。いろいろな話題で盛り上がりました。
 今春作成した「『インド国際日本文学研究集会の記録』」(2012年4月 5日)をもとにして、私が関わったインドとの10年間についても、先生と一緒に確認しました。今後とも、さらなる交流を持ちたいと思います。

 充実した時間を共に持つことができました。
 最後は、学生さんの提案もあり、みんなで記念撮影を何枚も撮りました。
 チョウハン先生ありがとうございました。
 そして、間に入って下さった國學院大學の小川直之先生にも、お礼申し上げます。
 
 
 

2012年6月28日 (木)

イタリアの多彩な日本文学研究者

 ヴェネツィア大学のアルド・トリーニ先生が来日中です。
 9月にフィレンツェで国際研究集会を計画しています。トリーニ先生は、そのオーガナイザー役を引き受けてくださっているので、直接お目にかかって相談をすることにしました。

 神保町の交差点で待ち合わせをして、喫茶店で打ち合わせをしました。
 先生は、精力的に世界中を駆け回っておられます。お変わりなくお元気でした。
 イタリアに行くと、いつも先生のお世話になります。心配りの細やかな先生なので、今回もいろいろな準備を助けてくださるのです。

 私は、珍しいベトナムコーヒーをいただきました。ベトナムにもいらっしゃっていたトリーニ先生は、それは癖があるよ、とのこと。焦げたような味と香りのコーヒーに、クリームを混ぜて飲みました。カラリとした感じで、口の中がサッパリします。気に入りました。

 さて、情報通のトリーニ先生から、イタリアの日本古典文学研究者の活躍の様子を伺いました。
 ヴェネツィア大学のボナベントゥーラ・ルペルティ先生とカロリーナ・ネグリ先生、フィレンツェ大学の鷺山郁子先生とフランチェスカ・フラカード先生、ミラノ大学のマウリッツ先生、ローマ大学のマリア・テレサ・オルシ先生などなど。イタリアでは多彩な先生方が活躍中です。日本の古典文学研究の領域では、いま世界で一番活気がある国ではないでしょうか。
 特に、オルシ先生が『源氏物語』のイタリア語訳を刊行されたことは、イタリアのマスコミでも話題になっているそうです。どのような翻訳なのか、大いに楽しみです。
 
 
 

2012年6月27日 (水)

新宿の飲み屋さん街で知り合う人たち

 仕事帰りに新宿に立ち寄りました。
 新宿というと、学生時代から馴染みのガード横の飲み屋さん街に自然と足が向きます。妻とよく来た飲み屋さん街です。そこは、新宿西口思い出横丁にある店「岐阜屋」で、40年来まったく変わらない所です。

 今日はイタリアのアベックがいたので、秋にフィレンツェに行きますよ、と挨拶をしました。ローマから来たとのこと。ベタベタとやたら2人でキスをする、陽気なイタリアンでした。

 そうこうするうちに、隣の人と話をするようになりました。ここは、お客さん同士ですぐに仲良くなれるのです。
 息子を連れて来たときも、見ず知らずのおじさんと仲良くなりました。

 さらには、反対側の人ともしだいに話が盛り上がりました。この人は何と80歳で、千葉からこの店に通っているという、ご贔屓の方でした。いろいろな人生訓を聞くことができて、有意義な時を過ごすことができました。

 私が、その方の学生時代の英語の先生に生き写しなのだそうです。あまりに似ているのでビックリしたとのことです。英語がまったくできない私にとって、光栄なことです。

 東京には、こうした昔ながらの地域が残っています。
 疲れた時のエネルギー補給には、こうした場所があることは有り難いものです。
 折々に脚を運んで、大事な所の一つにしたいと思っています。
 
 
 

2012年6月26日 (火)

国文研蔵『源氏物語団扇画帖』服飾関係分類索引(畠山版1)

 『源氏物語団扇画帖』が国文学研究資料館に所蔵されています。これは、『源氏物語 千年のかがやき 立川移転記念 特別展示図録』(国文学研究資料館編、2008年10月、思文閣出版)で、そのすべてが高精細なグラビア印刷で公刊されました。そこでは、描かれている場面・図様・構図、さらには人物などを特定して解説・明示されています。

 さらにその巻末には「事物索引」も付され、描かれた内容にアブローチしやすい環境も提供されています。
 この源氏絵の索引は、みなさんが求めておられたものです。
 索引の実現にあたっては、多くの方々の協力をいただきました。そこには、「植物」「動物」「自然」「家屋」「屋外」「調度」「楽器」「文房具」「居所」「季節」「時間」「人物」「エキストラ」「画中画」が立項されています。
 これによって、どの巻の絵に何が描かれているのかが、容易に検索・確認できるのです。
 
 
 

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 ところで、『源氏絵』等の物語絵に描かれた人物がどのような服を身に纏っているのかがわかると、平安時代の人物の実像や物語と絵画の理解が深まります。それを実現したいと、かねてより思っていました。

 古典文学における服飾に詳しい畠山大二郎君が、物語絵に描かれている衣服の分別や特定に取り組んでいます。
 畠山君は、國學院大學のポスドク研究員として、主に『源氏物語』を中心とした日本被服史及び服飾表現の研究をしています。その研究テーマは以下の通りです。

 中古文学の中の服飾表現や衣生活が研究テーマである。未詳や誤解の多い服飾表現を丁寧に理解していくことによって、当時の服飾の実像を少しなりとも明らかにし、「衣」に込められた人物の思いを解明したいと考える。(國學院大學・研究開発推進機構ホームページ・2012年4月18日更新分より)

 また、彼の研究業績としては次のものがあります。
 『源氏物語』における衣服表現を手掛かりにして、新しい読み方を提示し続けているのです。


「「柳の織物」を着る明石の君 ―「若菜下」巻の女楽を中心に―」『國學院大學大学院紀要―文学研究科―』第41輯、平成22年

「有職からみた『源氏物語』の扇 ―朧月夜の扇をめぐって―」『國學院大學大学院平安文学研究』第1号、平成21年

「『源氏物語』の「端袖」--「綻び」「ゆだち」を手がかりに」『野州国文学』第81号、平成20年

「「光源氏の「ひきつくろふ」直衣姿―「松風」巻を中心として―」『日本文學論究』第66冊、平成19年


 こうしたことを踏まえて、畠山君の幅広い興味と豊富な知識の提供を受け、『源氏物語団扇画帖』に描かれた衣服を整理してもらいました。昨年にはそのボランティア活動の成果が分類索引として完成していました。しかし、それを私のブログで公開していないことに最近気付きました。これは貴重な情報であり資料であり、多くの方々の参考となるものです。それを、公開し忘れていたのですから、彼には本当に申し訳ないことをしました。

 そこで、本ブログで以下6回に分けて、「『源氏物語団扇画帖』服飾関係分類索引」として掲載します。

 もとになる画像は、上に紹介した展示図録『源氏物語 千年のかがやき』を参照してください。人物は、そこに掲載されている線描画と一致するようになっています。
 また、国文学研究資料館のホームページでは、高精細画像として『源氏物語団扇画帖』の全帖が公開されています。「電子資料館」の中の「所蔵和古書・マイクロ/デジタル目録データベース」には「館蔵和古書画像一覧」という項目があります。その中の「200014736 源氏物語団扇画帖」がそれです。拡大してご覧になると、その画像の精細さに驚かれることでしょう。

 参考までに、以下の巻名にリンクを張っておきますので、『源氏物語団扇画帖』と「服飾関係分類索引」とを、ぜひとも見比べてください。おもしろい発見がたくさんあると思います。

 なお、『源氏物語団扇画帖』は54枚の団扇絵を折本仕立てにして1冊となっています。しかし、同じ巻に絵が2枚あったり、絵のない巻があったりするために、これだけで『源氏物語』の54巻を網羅する画帖ではないことを、あらかじめご承知ください。

 本ブログは、さまざまな分野の方がご覧になっているようです。この分類索引に関して、よりよいものに育てていくための多方面からのご教示をいただければ幸いです。
 
 
「第一図 東屋巻(第五〇帖)」
 
1(匂宮)   夏の冠直衣姿
        冠(垂纓繁文) 直衣(縹色三重襷文) 単(紅) 指貫(鳥襷文)
2(女房)   五衣表着姿
        表着(浅葱色松文) 五衣(入子菱文縹匂) 単衣(黄色) 長袴
3(中将の君) 五衣表着姿
        表着(蘇芳色唐花唐草) 五衣(入子菱文朽葉匂) 単衣(黄色) 長袴
4(中の君)  五衣表着姿
        表着(花丸文、二陪織物か) 五衣(入子菱文紅匂) 単衣(萌黄菱文) 長袴
5(若君)   袿姿
        袿(黄色) 単衣(紅菱文)
 
 
「第二図 帚木巻(1)(第二帖)」
1(光源氏)  夏の冠直衣姿 襟紐を解いている状態
        冠(垂纓繁文) 直衣(縹色三重襷文) 単(紅) 指貫(鳥襷文)
2(左馬の頭) 五位文官の束帯姿 但し、石帯が見えない。表袴をはいているので「束帯と認定した。
        冠(垂纓繁文) 袍(緋色轡唐草、縫腋) 表袴(霰地)
3(藤式部の丞)地下武官の束帯姿 ただし、構成が有職故実に叶っていない
        冠(細纓に老懸) 袍(縹色無文、縫腋) 表袴(霰地)
4(頭中将)  夏の冠直衣姿
        冠(垂纓繁文) 直衣(縹色三重襷文) 単(紅) 指貫(鳥襷文)
 
 
「第三図 空蝉巻(1)(第三帖)」
1(光源氏)  夏の烏帽子直衣姿 手に空蝉の衣(白地花文)を持っている
        立烏帽子 直衣(縹色三重襷文) 単(紅) 指貫(鳥襷文)
2(小君)   水干姿
        垂髪 水干(赤地松文) 単 指貫(鳥襷文)
 
 
「第四図 夕顔巻(1)(第四帖)」
1(従者)   白張姿 傘を持つ
2(従者)   白張姿 半折(狩衣などの後身頃を折って着用すること)
        袴の股立から中に着ている服の文様が見える。熨斗か。
3(牛飼)   水干姿
        喝食(髪型) 水干(紺地無文) 当帯 単(朱色)
4(惟光)   水干姿(狩衣とも判断できるが、袴が同生地であることや、第一〇図の従者を参考にすると水干と思われる。ただし、惟光には不相応か。同様のものが、メトロポリタン美術館蔵土佐光吉筆源氏物語図屏風や伝土佐光則筆源氏物語色紙貼付屏風明石巻などにもみられる)
        萎烏帽子 水干上下(朱色) 当帯 単衣(紺色) 太刀 浅沓
5(女の童)  単衣重姿 手に蝙蝠扇を持つ
        単衣(黄色地、文様は不詳) 長袴 蝙蝠扇(朱色八本骨黒紙)
6(女房)   袿袴姿
        袿(浅葱色) 単衣(紅色)
7(女房)   袿袴姿
        袿(紅色) 単衣(萌黄菱文)
8(女房)   袿袴姿
        袿(白色) 単衣(紅色)
 
 
「第五図 若紫巻(1)(第五帖)」
 
1(惟光)   狩衣姿 太刀を手に持つ
        平礼烏帽子 狩衣(若草色無文) 単(朱色) 指貫(白地無文) 太刀
*なお、狩衣の下に着ている紺色のものは不明であり、朱色のものを仮に単衣とした。
2(光源氏)  狩衣姿
        立烏帽子 狩衣(紅地松枝文) 当帯 指貫(白地無文) 中着(墨色) 浅沓
3(女の童)  衵姿 髪の端を束ねている
        衵(白地松枝文) 単衣(紅地菱文)
4(尼君)   五衣表着姿 尼削ぎ
        表着(白に地文、上文は梅文) 五衣(入子菱文紅匂) 単衣(萌黄菱文) 長袴
5(若紫)   衵姿 髪の端を束ねる 物語本文では「山吹」
        衵(浅葱色地唐花唐草文) 単衣(白地菱文)
6(女房)   袿袴姿
        袿(黄色地花菱遠文) 単衣(萌黄菱文) 長袴
 
 


※「ひとえ」は、男性用(丈短)を「単」、女性用(丈長)を「単衣」と表記する。
※「五衣表着」の名称はオリジナルである。「五衣小袿」の呼称もあるが、近代から用いられている呼称であり、「小袿」の定義も時代によって異なるので、一番上に着ている袿の意味で「表着」の呼称を用いた。
※「縹匂」「朽葉匂」は、オリジナルの呼称である。これは、同じ色目が有職故実書の中には見られないもので、ブルーから白へのグラデーションを表すために「縹匂(はなだのにおい)」、茶色から白へのグラデーションを表すのに「朽葉匂(くちばのにおい)」という呼称を仮に用いた。
※烏帽子の紐を顎にかけて固定しているものと、そうでないものとがいる。不鮮明な箇所もあり、今回は掲載しなかったが、この書き分けについては考察が必要かもしれない。
※同じような赤でも、「紅」と「赤」とで使い分けた。身分が低いと思われる人物には、「赤」を用いた。他にも、身分の差で表記を変えたものがある。
※男性の「中着」は、小袖なのか、単なのか判別ができなかったために使用した。また、熨斗目模様がみられるものは、「熨斗目小袖」と判断した。しかし、通常熨斗目の模様は肩まで入ることはなく、若干の不審もある。
※上文に二色以上使用しているものを「二重織(ふたえおり)」として区別した。
※ライトブルー系統の色は、直衣の場合「縹色」とし、薄縹色(濃)、浅葱色(薄)と区別した。

 
 
 

2012年6月25日 (月)

婿殿が内地留学で立川に入寮

 娘の旦那さんが、勉強のために3ヶ月間の学生生活をすることになりました。それも、私の立川の職場からすぐの、目と鼻の先の所にある学校なのです。私がいる建物から、今回入るという寮の窓が目の前に見えます。何とも不思議な巡り合わせです。

 彼は今日上京し、オリエンテーションを受けた後に、早速入寮となったのです。

 大阪から運び込んだ荷物を寮の部屋に置いて一段落してから、私の所に来てもらいました。何かあったら、私の所の方が避難場所としては安全だし、いろいろな設備もあるからです。
 お互いが、有名な立川断層の上に建っているので、まさかの場合の対処は入念にしておくに越したことはありません。

 夕刻から、最寄りの立川駅前の飲み屋で、ささやかながら歓迎会をしました。妻も駆けつけました。一週間前に、大阪で壮行会をしたばかりです。それでも、場所を東京に変えて、3人で再会を祝しての小宴会です。
 食べながら、呑みながら、四方山話に花が咲きました。

 娘は、今夜は婿殿の実家に呼ばれて、両親と一緒に食事をしているとのことです。お互いが入れ替わって食事をしていることになります。こんなこともあるのです。

 これから3ヶ月は、本ブログで突然意味不明の内輪の話になることがあるかと思います。それは、このブログが家族との連絡帳の役割をも果たしているからです。訳の分からない話題になることもあろうかと思います。それには、こんな理由があるからと、ご寛恕のほどをお願いいたします。
 
 

2012年6月24日 (日)

来日中のインドの先生と大学院生の研究発表

 今週末は國學院大學國文學会の春季大会があるため、久しぶりの東京です。
 台風のことが気になりますが、朝夕は肌寒いほどです。

 インド・ネルー大学のマンジュシュリ・チョウハン先生が國學院大學の客員として1ヶ月間の来日中です。昨日は、マンジュシュリ先生が講演をなさり、懇親会があるということなので渋谷までご挨拶を兼ねて行ってきました。

 インドとの交流の成果としての報告書を私がまとめたことが紹介されたこともあり、懇親会ではいきなりスピーチをさせられました。インドへ私が最初に行ったのが2002年で、その後〈インド日本文学会〉を設立し、本年2月に第7回の国際研究集会を開催して一区切りとしたことなどをお話ししました。
 この内、第5回をマンジュシュリ・チョウハン先生が取り仕切って下さいました。
 昨日も、相変わらず流暢な日本語で挨拶をなさっていました。

 国際交流基金のニューデリー事務所におられた保科輝之さんも参加なさっていました。昨秋日本に帰られ、今は本部にいらっしゃるそうです。インドではいつもお世話になった方です。インド関係者が何人もおられたので、国際的な話題で盛り上がりました。

 秋には、ネルー大学で宮沢賢治の研究をしておられるP.Aジョージ先生を呼ぶそうです。インドとの交流を大切にする大学が増えることはいいことです。ますます交流が進展するように、陰ながらお手伝いをしたいと思っています。

 今日は早朝より、若手大学院生の研究発表がありました。
 私の授業を受講している2人が、共に研究発表をします。これは聞かなければいけません。

 2人とも、落ち着いた口調でいい発表でした。

 博士課程前期2年の青柳朝子さんは、「『源氏物語』女三宮論 ─「何心もなし」を手掛かりに─」と題するものです。レジメの中に何カ所かまとめの文章を付け、発表内容の確認をしながら進んでいったので、安心して聞くことができました。
 この発表に関して、私は質問と確認をしました。一つは用例数のことを。そして異文のことを。解釈のことではなくて、その前提となることで気になったことを問題としました。うまく答えてくれました。ただし、これによって『源氏物語』が新しくどう読めるようになったのか、という点では、私にはよくわかりませんでした。解釈と論証の詰めをさらに追究すべきではないか、と思いました。

 続いて、博士課程前期2年の大野藍子さんの「『浜松中納言物語』における夢 ─中納言が見た唐后の夢を中心に─」です。
 これも、わかりやすく整理された発表でした。レジメの中にまとめの文が記されていたのは、青柳さんと共に指導が行き届いているからでしょう。聞き手としては、資料の羅列に戸惑うこともなく助かります。何を問題とし、それぞれにどう考えるかが明確になっていました。さらには、補足資料で『浜松中納言物語』のあらすじと登場人物系図があったのは、メジャーではないこうした作品の研究発表では、聞き手に対する細かな心遣いだと感心しました。

 先週の授業と昨日の懇親会で、手元の原稿を棒読みしないで顔を上げて、聞き手に語り掛けるようにしたら、と2人にはアドバイスをしました。初めて大勢の人前で発表するということなので、原稿を読み上げるスタイルになることは仕方のないことでしょう。その点では、今日は2人とも、原稿を読むことに専念していたので、次への課題としておきましょう。
 
 
 

2012年6月23日 (土)

授業(10)海外における日本文学教育と日本語教育

 いつものように、渋谷ヒカリエの開店を待つ女性の列を横目に、大学へと向かいます。

 最初に、キーン先生と伊井先生の対談に関連して、再度、『世界が読み解く日本 海外における日本文学の先駆者たち』(伊井春樹編、2008.4.25、學燈社)を紹介しました。

 そして、以下のようなことを話題として、問題提起をする中で、海外における日本文学と文化の研究と現状、そして今後について学生のみなさんと意見交換をしました。

・海外における日本語教育と日本文学教育の対処を考えたいものです。
 日本語教育への支援が重要なのです。

・海外の大学等の学科や図書館に対して、日本の国からの資金援助がないので、中国や韓国の攻勢に惨敗という現実があります。学習したい人がいても、環境の整備が追いついていないのです。

・日本の最新情報はネットで確認されています。それよりも、古典文学に関する情報が不足していることが問題です。

・日本の図書が不足しています。本を送るシステムを、民間レベルで再検討すべきでしょう。TSUTAYAの図書館経営が話題になる昨今、ブックオフも含めた民間の協力が得られないか、要検討課題です。

・日本国内での英語教育の推進は国語教育の衰退を招くのではないか、という問題が浮上しています。
 これについては、京都新聞の2012.5.7(夕刊)と2012.6.13(夕刊)を、前日にエバーノートの学生さんとの共有フォルダに入れておきました。ただし、新聞記事なので画面では読みにくいと思い、改めてコピーをして授業時に配布しました。
 エバーノートのファイルには、次の私見を添えておきました。


京都新聞に、「英語通れば日本語引っ込む」とか「真の国際人育成は自国語教育から!」という趣旨のエッセイが掲載されました。
日本語、国語、外国語、英語のありようを考える時のいい材料なので、以下、参考までに当該新聞記事を掲載します。

私も過剰な英語教育は不要だと考えます。
英語は聴いてだいたいがわかればいいと思います。
自力で立派に英語表現ができなくてもいいという立場です。
しかも、議論や研究発表などは、こと日本文化や文学に関しては専門用語の英語表記が確定していない現状では、誤解のオンパレードとなります。グロッサリーが整備されてはじめて、国際化の第一歩が始まると認識しています。
まずは自国語である日本語の表現を磨くことと、自国の文化理解を優先すべきでしょう。

 これについては、いろいろな意見を授業の中で聞くことができました。
 今年度の提出レポートのテーマの一つにしていいことにしました。
 
 
 

2012年6月22日 (金)

『十帖源氏』を多国語翻訳するための準備

 昨日も、新宿アルタ横の小さな喫茶店の4階にあるレンタルスペースで、『十帖源氏』の輪読会をしました。
 このところ、参加者は6人に定着しました。和気藹々と好き勝手なことを言いながら、海外の異文化圏の方々が翻訳しやすいような現代語訳を作るために、悪戦苦闘しています。

 毎回漏れる言葉に、日本語以外のネイティブスピーカーの方がいらっしゃったら、ということがあります。
 さまざまな文化を背景に持つ異なる言語に、『源氏物語』の絵入りダイジェスト版である『十帖源氏』を翻訳してもらおう、というのがこの集まりの主旨です。そのためには、これでは訳せないだろうからこんな言い方にしよう、と試行錯誤の毎回です。一人でも異言語、異文化で育った人がそばにいたら、杞憂に終わることや、名案が飛び出すことでしょう。

 例えば、昨日はこんなことが問題になりました。

 第4巻「夕顔」の最初の方で、光源氏が「いづれか狐ならん」と言う場面があります。ここの「狐」について、最初の現代語訳では「どちらが化けた狐だろうね」としました。しかし、狐という動物に対する世界各国の理解は異なるのではないか、ということになりました。しかも、化けた狐という意味がどう伝わるかが心配になりました。喩えの表現を訳すのは、本当に難しい問題を含んでいます。
 結論は、世界共通のイメージに拘らなくてもいいのでは、ということで、化けた狐のままでいくことにしました。

 また、「北殿」とあることばも、素直に「北隣さん」でいいのか、ということになりました。
 八月十五夜の晩のことです。光源氏は夕顔を粗末な家に連れて行きます。そして、近所の庶民の会話が聞こえてきた場面です。
 ここに「北殿」とわざわざ「北」と「殿」があるので、これは単なる「北隣のお方」ではないのでは、というところからの疑問です。「北の方」とか「北の対」などのように、何か意味があるのでは、ということなのです。
 結局持ち越し課題となり、訳も「北隣さん」のままとなりました。しかし、こうして訳の点検をしていると、海外の方に翻訳して貰うための配慮は、至る所で必要なのです。このような所を意識的に取り上げて、みんなで検討しているのです。

 このような、『十帖源氏』を多言語に翻訳するためのインフラ整備をする活動に興味があり、お手伝いしてくださる方がいらっしゃいましたら、どうぞこのブログのコメント欄を活用してお知らせください。改めてご案内の連絡をいたします。その際、コメントの公開を望まれない場合は、その旨お知らせください。

2012年6月21日 (木)

雅楽の音に身を委ねながら考える

 昨夜は、夕刻より神野藤昭夫先生の雅楽鑑賞に相伴して、ゆったりとした一時を過ごしました。

 朝から、ドナルド・キーン先生と伊井春樹先生の対談のお手伝いでバタバタした後、一息いれた夕方から、地下鉄で清澄白河駅と錦糸町駅の間にある住吉駅に移動しました。

 駆けつけた場所は、ティアラこうとう小ホールです。
 「盤渉調の調べと残楽」というテーマで、三田徳明雅楽研究会の水無月公演が開催されたのです。取るものも取りあえず、気忙しい思いで着席しました。
 
 
 
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 内容は、雅楽「唐楽」の中でも「盤渉調」に焦点を当てたものでした。
 最近の奏楽では、盤渉調の調べは明るく、そして軽くなっているのだそうです。それを、安倍家の伝承を重んじ、演奏する機会の少ない楽曲を、京都方楽家の安倍家伝来の篳篥の伝統的な演奏法で上演されたのです。
 特に私にとって、楽譜の説明などは、大いに啓発させられる内容でした。

 一言で言えば、古いものを正しく伝えることが大事だとの認識に立って、本来の雅楽の姿を求める演奏会ということになります。その意義の何たるかは、今の私にはわかりません。しかし、興味深く聞くことができました。これは、多分に三田氏の解説の軽妙さと、横におられた神野藤先生の的確なご教示にあります。

 曲目は、
「狛調子(こまぢょうし)」
「遠楽 遊兒女(えんがく ゆうじじょ)」
「越天楽 残楽三返(えてんらくのこりがくさんべん)」
「蘇莫者破(そまくしゃのは)」
でした。
 明治撰定譜に採録されなかった曲など、演奏される機会の極めて少ない楽曲だとのことです。

 なお、いただいたパンフレットの「演目解説」には、「遊兒女」に「ゆうにじょ」とかなが振ってありました。しかし、横に添えてある安倍家所蔵の「新撰篳篥抄」の楽譜(手付譜)の写真には「遊字女」とあるので、「兒」は「じ」と読んで「ゆうじじょ」でいいのではないでしょうか。余計なことでしょうが。

 出演は、三田徳明雅楽研究会のみなさんと、安倍家第29代当主で宮内庁式部職楽部前楽長だった安倍季昌氏が箏と和琴を。さらに、特別出演として宮内庁式部職楽部楽長補で東儀本家を継承しておられる東儀博昭氏が琵琶と鞨鼓を担当なさっていました。

 私などが飛び込みで拝聴するにはお門違いの、まさに専門家集団のようです。しかし、わかりやすくて面白い解説を交えた進行だったので、私でも楽しむことが出来ました。
 中国や韓国などへも積極的に指導に出向いておられるようです。本家では伝承されていない俗楽が、日本では雅楽として千年の時を経て今なお伝えられていることに、日本文化の継承における懐の深さが知られます。

 芸道と言うと物々しいことになります。日本古来のものをそのまま伝える心構えを訓練する、という気持ちで接すると、日本の文化に親しみが持てます。自分もその一端に触れられることに、知的好奇心が揺さぶられるような気がしてきます。
 その世界に入れば、お稽古という現実があります。しかし、その世界に接する、という心構えだけでも、文化の理解であり継承だと言えます。
 目新しいものに飛びつくことは、確かに前を見て進んでいるように思われます。しかし、温故知新という言葉を引くまでもなく、これまで伝えられてきたものを理解することが、明日を考える基盤になることも確かです。これまで続いて来た一本の道をしっかりと見つめると、目の前に開ける道が見えてくるのでしょう。そんな訓練の場として、こうした古典や文化の鑑賞が意味を持つように思えてきました。
 見て、聞いて、そして感じることを、これからも大事にしたいものです。

 堅苦しい内容になってしまいました。

 舞台裏の話が演奏の合間に混じると、敬して遠ざけがちな雅楽も、興味深く聞くことができるようになります。
 その意味でも、三田さんの語り口は有り難いものでした。

 確かに、夏に盤渉調なのだから、この冬は、夏の調子とされる黄鐘調でしょうか。面白い趣向だと思います。

 こうして椅子に座ってジッと楽の音に身を任せると、自然と気持ちも引き締まってきます。慌ただしいだけの1日が、充実した刻で満たされた思いです。もろもろに感謝しています。

 この前に雅楽会に行ったのは、これまた神野藤先生のお誘いを受け、昨秋、国立小劇場で開催された「越殿楽」でした。

 「国立小劇場での雅楽「越殿楽」」(2011年10月 8日)

 あれから何を勉強したわけでもないのに、不思議と聴き入る耳になっていることに我ながら驚きました。
 何でも見てみる聞いてみる行ってみる、という精神は、日々の生活を豊かにするようです。そのための気力を養いながら、またの機会を楽しみにしたいと思います。
 
 
 

2012年6月20日 (水)

キーン先生と伊井先生の対談に陪席して

 台風一過、ドナルド・キーン先生と伊井春樹先生が対談なさるということで、写真撮影と録音役として私も陪席させていただきました。

 キーン先生は雨男を自認なさっています。台風が上陸し、昨夜は東京も大雨と大風で大変でした。しかし、一夜明けた今日は、からっとした好天に恵まれました。過日の東洋大学でのご講演の日が晴れたように、日本国籍をお取りになってからは雨男返上となっています。

 さて、本日は、伊井春樹先生が館長をなさっている逸翁美術館など阪急グループが出している『阪急文化』第3号の巻頭を飾る対談のためのインタビューです。その内容は、後日のお楽しみです。

 2006年12月にも、キーン先生と伊井先生の対談のお手伝いをしました。その時の内容は、『世界が読み解く日本 海外における日本文学の先駆者たち』(伊井春樹、2008.4.25、學燈社)に掲載されています。
 あれから6年ぶりにキーン先生と伊井先生の対談のお手伝いです。しかし、キーン先生はまったくお変わりなく、今日も元気に長時間お話をなさいました。

 一昨日は90歳のお誕生日で、賑やかにお祝いの会があったとか。
 それにしても、その記憶力の凄さには、いつものことながら感服しました。
 話題となった出来事の年月が正確に出てきます。また、人名が「えーっと、あの人……」ではなくて、はっきりと名前をおっしゃるのです。
 今日の3時間にも及ぶ伊井先生とのお話の中で、私がお役に立ったのは、安部公房の代表作につまられた時に『砂の女』と囁いたことだけでした。手元に用意していたパソコンで電子百科事典を引いたりインターネットに接続して確認することは、一度もありませんでした。これは、伊井先生にも共通することです。とにかく、強靱(?)な記憶力の持ち主お2人の会話が続くのです。

 対談後も、秘書である平井史朗さんを交えて、ご一緒にお食事をしました。
 
 
 
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 その時にも、話し忘れたことがまだまだあるとばかりに、さらに1時間近く貴重なご意見やお考えを伺えました。やはり、伊井先生との信頼関係があるからなのでしょう。日本文学に関して、上代から現代に及ぶ幅広い知識を駆使して、伊井先生の問いかけにストレートにお答えになり、私のような者にも教え諭してくださいます。もっと勉強をしなければ、という思いを強くしました。

 平井さんも、キーン先生のご本を翻訳なさっていることもあり、的確な対応をしておられました。身近で秘書として接していると、先生のお書きになるものを翻訳をする上でも、非常によくわかって訳しやすくなった、と語っておられました。翻訳という行為が抱える一面を垣間見た一瞬でした。

 上の写真にもあるように、目の前には私にとっては禁断のスイーツが、大きな皿にいくつも並んでいます。
 お付き合いということを理由に、糖質制限食を実践中であることはそれとして、少しだけいただきました。
 今日の食事では、洋食のフルコースの内、パン・スパゲッティ・カボチャ・スイーツ以外は、すべていただきました。和食よりも洋食の方が、炭水化物は少ない傾向にあるように感じました。もちろん、お店やメニューによって違います。しかし、以前フランス料理がそうであったように、おおよそ洋食の方がカロリーは別にして、糖質に関しては悩まなくていいようです。

 以下、あくまでも個人的な興味からのメモです。

・今朝の朝日新聞に、キーン先生へのインタビュー記事「67年前、私は沖縄の戦場にいた」が大きく掲載されていました。そこに添えてあった、先生が普天間で日本人捕虜に尋問なさっている写真で、捕虜が褌姿だったことについて、率直にお尋ねしました。すると、日本人は爆弾を背負って突撃してきたり手榴弾を隠し持っていたりしたので、お互いの命を守るために衣服を脱いでもらった状態で聞き取り調査をした、と教えて下さいました。伊井先生との対談が始まる前に、平和主義者キーン先生からタイムリーな話を伺うことができました。

・ご一緒にお食事をいただいていた時、井上靖がノーベル賞をもらえなかったことについてお尋ねしました。キーン先生のお考えでは、井上靖の作品にはいい翻訳がなかったことも、受賞できなかった理由の一つではないか、ということでした。文学作品が世界的な評価を得る上では、翻訳は大きな働きをするようです。

・『源氏物語』の外国語訳について。ブラジルのポルトガル語訳『源氏物語』は、ポルトガルで刊行されているものとはまた違うのだそうです。私は、いろいろな国で翻訳された『源氏物語』を集めています。ほぼ集め終えました。しかし、このことは知りませんでした。改めて再調査をしたいと思います。

・第4の『源氏物語』の英訳が刊行されるそうです。進行中であることは知っていましたが、具体的には情報が入っていませんでした。アメリカで近・現代文学を研究している方だそうです。お名前を教えていただきましたので、またの機会に報告します。

 対談の名手である伊井先生の巧みな進行で、キーン先生はたくさんのお話をしてくださいました。これが整理されて『阪急文化』に掲載される日を、心待ちにしています。
 
 
 

2012年6月19日 (火)

届いたばかりの多彩な糖質制限食

 一昨日の本ブログの記事に書いた、娘たちからの糖質制限食のプレゼントが届きました。
 多彩な品揃えなので、写真で紹介します。
 これらは糖質制限食であって、糖質ゼロ食品ではありません。しかし、最小限の糖質ですむように、工夫された品々です。

(1)こんにゃくパスタは、ナポリタン・ペペロンチーノ・和風きのこ・トマトソース・タラコクリームと、いろいろな味が楽しめそうです。
 
 
 
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(2)ミネストローネとグラタンソースも、食生活を豊かにしてくれそうです。
 
 
 
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(3)ゆずゼリーと水ようかんは、先日紹介した羊羹の仲間のデザートです。

「糖類ゼロのチョコと糖質ゼロの羊羹などなど」(2012年5月28日)
 
 
 
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(4)黒豆パスタは、茹でた後の食感が楽しみです。
 大豆の粉は口の中でパサパサします。いろいろなものを食べてみたいと思っています。
 
 
 
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(5)こんにゃくリゾットは、久しぶりにお粥さんの感触が楽しめそうです。海鮮風なので、味にも期待できます。
 
 
 
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 糖質制限食は、日々の食事の中でうまく取り込んでいきたいものです。
 豆腐とチーズとナッツと野菜が主となるメニューという日々の中で、こうした糖質制限食によるアクセントはいい刺激となりそうです。
 
 
 

2012年6月18日 (月)

糖質ゼロのビール類のすすめ

 昨日、糖類ゼロのお酒みたいなドリンク4種類をアップしました。
 手元にある、その他のドリンクで糖質ゼロ関係のものを抜き出しておきます。

 こうして見ると、いろいろとたくさん出ていることがわかります。
 やはり、これからは糖質制限が脚光を浴びるのでしょう。
 夏本番を迎え、ドリンク選びの参考になれば幸いです。

 なお、アメリカではコカコーラのガブ飲みが法律で制限されたとか。
 ポカリスエットなどのスポーツドリンクも、糖質制限の観点からはノーグッドです。多量の糖類が入っているためです。低血糖になった時に、薬の一種として飲めばいいのでしょう。日頃やたらと口にするものではなさそうです。
 電車や街中でスポーツドリンクを片手に歩いている若者は、糖質過多の生活習慣にならないといいのですが。
 
 
 
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 手元に写真のないものでは、サッポロの「大地のZERO 糖質0」、富永貿易の「神戸居留地 チューハイ(コーラ・グレープフルーツ・レモン)糖類ゼロ」、サントリーの「-196℃ ゼロドライ(糖類ゼロ)」、タカラの「ウーロン割り 糖質0」などがあります。

 なお、私は18歳の時に十二指腸潰瘍穿孔性腹膜炎となり、胃の3分の2と十二指腸を切除してから、炭酸系の飲み物は苦手としています。2年前の手術で、さらに炭酸がだめになりました。
 したがって、ここにあげたものはすべて妻の口に入りました。
 
 
 

2012年6月17日 (日)

慰労と予祝のファミリーパーティ

 娘夫婦から連絡があり、いろいろ積もり積もったご苦労さん会を両方の家族でしよう、とのことです。
 そういえば、3月に結婚式が恙なく終わり、いい式でよかったよかったという集まりをしていませんでした。

 おまけに、今日は父の日。さらには妻の誕生日かつ還暦のお祝いも。それに加えて、今月下旬からは、婿殿が私の職場の横にある自治大学に研修で3ヶ月ほど来ることになっているので、その壮行会も兼ねています。

 たしかに、もろもろのお祝いをするに相応しい日曜日です。

 昨夜は、シェフ見習いの息子が四条烏丸から来てくれて、祝宴の料理をたくさん作ってくれました。出張料理とは、なかなか豪勢なことです。いろいろなパターンの糖質制限食を口にすることができました。
 今朝も、おいしい豆腐料理を作ってくれました。手先が器用なので、手際のいいことです。

 息子と一緒にバスで京都駅に向かい、我々は上京の準備のまま、京都駅を南下して大和西大寺駅経由で娘たちの新居がある東大阪に向かいました。近鉄特急に乗るのも久しぶりです。乗り換えの時間がギリギリだったので、大きなバッグを持ったままです。

 娘も、糖質制限食を作って待っていてくれました。何日も前から準備をしたものだそうです。
 お婿殿は、キャベツの千切りの上に豚肉の冷製とプチトマトを散らした料理を、これは丹精込めて作ったとアピールしていました。さっぱりと美味しい一品でした。

 豆腐のハンバーグにマリネなどなど、テーブル一杯の料理でした。出てきたドリンクも、2人の父親の身体を気遣った(?)アルコールゼロ、カロリーゼロ、糖類ゼロの飲み物です。
 
 
 

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 いろいろな話に花が咲き、楽しいひとときでした。
 プレゼントももらいました。その中身は、近日中に報告しましょう。

 食後は結婚式の再現よろしく、2人がお茶を点ててくれました。久しぶりに甘いものも口にしました。
 6人で思い思いの飲み方でお薄をいただきました。結婚式の時は、お茶碗を手に持つのが大変なほど熱いお薄だった等々。話題は途切れません。

 折々に家族みんなで集まることは楽しいものです。
 
 
 

2012年6月16日 (土)

すき家の「牛丼ライト」を食べてみました

 高雄病院の江部さんが、すき家の「牛丼ライト」のことを書いておられました。

「すき家の牛丼ライトは糖質制限食OK食品」(2012年05月18日)

 そこで、私も試しにこの「牛丼ライト」を食べてみました。
 
 
 

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 温かい豆腐がキャベツのみじん切りの中に埋もれていて、その上に牛丼の具が乗っています。値段は330円です。
 これまでに我流で、豆腐とキャベツのみじん切りを電子レンジで温めた上に、レトルトパックの牛丼やカレーや中華丼をかけて食べていました。また、最近では、これにスパゲッティのソース(カルボナーラやミートソースなど)をかけたりしています。このレトルトパックも、100円前後のものの方が炭水化物が少ないのです。高級品として売られているものの成分表を見ると、目が飛び出るほど糖質が潤沢に含まれています。なぜこのような状況になっているのか、不思議でなりません。
 そのような中で、糖質制限食に近い変形牛丼が、商品として開発されたのです。これは、実食しないわけにはいきません。

 すき家のホームページに、メニュー別の栄養成分一覧表がありました。それによると、炭水化物の量について、次のような数値が書かれています。適宜抜き出しておきます。


牛丼 並盛   105.8グラム
牛丼ライト 並 15.6グラム
うな皿 並盛  8.1グラム
牛皿 並盛   8.1グラム

 私は、牛皿を吉野屋や松屋で、野菜サラダと一緒に食べています。
 この次は、すき家のうな皿を食べてみようと思います。

 私は、一品につき炭水化物(糖質)が10グラム以内のものを食べるようにしています。一食で炭水化物30グラム以内を目安にしているのです。並盛り牛丼一つで、すでに1日の炭水化物の目標量以上を摂ってしまうことになります。ご飯がいかに血糖値を上昇させるかがわかる例です。
 
 いろいろな糖質制限食やそれに近いモノが、外食として食べることができるようになったり、スーパーマーケットなどで販売され出したことは大歓迎です。みなさんが、砂糖漬けの日々に疑問を持ち出された、ということの表れだと言えるでしょう。食品販売会社も、砂糖さえぶち込んでおけばおいしいと錯覚して買って食べるという消費者軽視を、今後は改めてほしいものです。

 日本の学校教育では、体育は学校で取り組んでも、食育は正面から取り上げていません。そのため、スイーツ信仰を作り上げて女性の財布を緩める方策を考え出したのです。そして、定食やランチメニューで、血糖値の上昇を無視した食事が提供されています。

 乗せられて食べる方も食べる方ですが、作って出す方も出す方です。そして、多くの病気が発生し、病人が人工的に製造され、大量の医薬品が必要になり、製薬業界が大もうけをするシステムが完成しています。
 お医者さんも、その片棒を担いでいる、と言ったら言い過ぎでしょうか。
 医療分野などに多大な税金が投入されているそうです。そのような折、血糖値を無視した食生活を推進し、儲け優先の食品提供を形成する食品業界は、現状を冷静に分析した対処策を講じてほしいものです。日本中に砂糖をばらまくことの可否を再検討すれば、新たな健康生活が見えてくるように思われます。

 それにしても、糖質制限食を心がけている者にとって、社会の片隅で密かに進行する糖質を意識した商品が販売されだしたことは、うれしい時代の到来という予感がします。ますます糖質制限食の品揃えが豊富になることを、大いに楽しみにしています。
 
 
 

2012年6月15日 (金)

授業(9)演劇の翻訳とヒンディー文学の日本語訳

 『日本文学研究ジャーナル 第4号』に掲載した翻訳事典の中で、〈近世〉の作品を確認しました。
 日本文学の外国語訳として、翻訳に関して近世で問題となるのは、近松門左衛門などの演劇作品です。『曽根崎心中』を始めとして、『菅原伝授手習鑑』や『仮名手本忠臣蔵』などなど。いわゆる演劇の台本と実際に演じられるものを海外の視点から見た場合、文学作品の翻訳という定義やものの見方が曖昧になります。

 私の元で整理した翻訳本は、岩波の古典文学大系本に収録されたものが大半です。活字でテキスト化されたものに依っているのです。
 海外では日本以上に演劇は盛んだと言えます。音楽を聴くことにおいて、楽譜を読んで楽しんだりはしません。同じように、演劇もシナリオで楽しむことの意味を考える必要があります。しかも、異文化理解としての受容なのです。

 私はこの分野には疎いので、こうした問題に関してはご教示をいただくしかありません。

 話をしているうちに、日本で最初に翻訳された文学作品は何か、ということになり、私は詰まってしまいました。
 江戸時代なのでしょうが、具体的に何がということになると、思い浮かびません。課題として持ち帰ることにしました。

 事前に学生のみなさんと共有しているエバーノートに、ヒンディー文学の日本語訳のリストを上げておきました。これは、ニューデリー在住の菊池智子さんがブログに公開された貴重な情報です。

http://blog.livedoor.jp/shraddha/archives/50678926.html

 こうした情報は、現地からの発信に頼らざるをえません。ありがたいことです。何か読んでみよう、と思うから不思議です。
 これは、今後とも折々に増補してくださることを楽しみにしたいと思います。

 情報収集の意味で、以下にそのリストを引用します。
 補訂すべき情報をお持ちの方からの連絡をお待ちしています。


「牛供養」
プレーム・チャンド著 土井久弥訳
世界文学大系 4 インド集、 筑摩書房 1959

「金色の光」 
スミトラナンダン・パント著 土井久弥訳
世界名詩集大成 18 東洋、平凡社 1967

「わたしの戦線」
カーシーナート・シン著 荒木重雄訳
アジアの現代文学 2 めこん 1980
(この本はヒンディー語からの翻訳ではないかもしれません)

「プレームチャンド短篇選集」
土井久弥訳 大学書林 1985
梵天と道化師芝居、ラーマ劇、供儀、屍衣

「焼け跡の主」
モーハン・ラーケーシュ著 田中敏雄編
現代インド文学選集2 めこん 1989
焼跡の主、神の犬、クレイム、新しい雲 白井恵子訳
ミスター・バーティヤー、ミス・パール 坂田貞二訳
最後の競売品、獣と獣 石田英明訳
弁当 鈴木良明訳
相続人 田中敏雄訳

「厳寒の夜 プレームチャンド短篇選集」
坂田貞二編 日本アジア文学協会 1990
酔い、厳寒の夜、私の祖国、二頭の牛、私の兄さん、わが人生抄、坂田貞二訳
グッリー・ダンダー、イード・ガーハ 松岡環訳
パンチャーヤット、二度目の妻、謝秀麗訳

「崩れる壁」 
ウペンドラナート・アシュク著 高橋明 三木雄一郎訳
アジアの現代文芸 インドシリーズ、  大同生命国際文化基金 1991

「タマス」 
ビーシャム・サーへニー著 田中敏雄訳
アジアの現代文芸 インドシリーズ、  大同生命国際文化基金 1991

「インド・大地の讃歌―中世民衆文化とヒンディー文学」
ハザーリープラサード・ドゥヴィヴェディ著 坂田貞二、橋本泰元、宮元啓一訳 
春秋社 1992

「現代ヒンディー短編選集1」 
長弘毅監訳 アジアの現代文芸 インドシリーズ、  大同生命国際文化基金 1999
「お上が変わった」 クリシュナー・ソーブティー著 木槻美登里訳
「復讐」アッギェーヤ著、藤山覺一郎訳
「鶏の丸焼き」 ビーシュム・サーヘニー著 村上敏男訳
「ガンディー帽」 ムリドゥラー・ガルグ著 木槻美登里訳
「時の人」 ヒマーンシュ・ジョーシー著 五十嵐公文訳
「十三階からの眺め」 スダー・アローラー著 木槻美登里訳
「昼休み」 ラージェーンドラ・ヤーダヴ著 藤山覺一郎訳
「悪臭」 シェーカル・ジョーシー著 長弘毅訳
「辞令」 マスタラーム・カプール著 木槻美登里訳
「甘露と毒の間」 パグワティープラサード・ヴァージペーイー著 木槻美登里訳
「弔い」ラメーシュ・グプタ著 村上敏男訳
「新しいシャツ」 ラヴィーンドラ・カーリヤー著 藤山覺一郎訳
「サティー」 シヴァーニー著 木槻美登里 訳
「猫の顛末」 バグワティーチャラン・ヴァルマー著 久留喜代訳
「海」ダルメーンドラ・グプタ著 村上敏男訳
「怒りの河」シヴプラサード・シン著 五十嵐公文訳
「ご神体」マドゥカル・シン著 五十嵐公文訳
「マファーの樹」 マールカンデーヤ著 長弘毅訳
「望まざるも」ミティレーシュワル著 五十嵐公文訳
「フリヤーの恋」ラージェーンドラ・アヴァスティー著 五十嵐公文訳

「ぼくの庭にマンゴーは実るか」
マンヌー・バンダーリー著 橋本泰元、きぬのみちえ訳
段々社 (現代アジアの女性作家秀作シリーズ) 1999

「宗教詩ビージャク」
カビール著 橋本泰元訳
平凡社 2002

「私の兄バルラージ」
ビーシュム・サーヘニー著 田中敏雄, 鈴木美和訳

大同生命国際文化基金 「アジアの現代文芸」シリーズ 2002

「ビールーの少年時代」
クリシュナ・バルデーオ・ヴァイド著 長崎広子訳
大同生命国際文化基金 「アジアの現代文芸」シリーズ 2006

「ウダイ・プラカーシ選集」
ウダイ・プラカーシ著 石田英明訳
大同生命国際文化基金 「アジアの現代文芸」シリーズ 2011
ティリチ、ポール・ゴームラーのスクーター、そして最後に祈りを

「ウッドローズ」
ムリドゥラー・ガルグ著 肥塚美和子訳
現代企画室  2011
 
 
雑誌としては、主に以下2誌があり、たくさんの短篇作品や詩が翻訳されています。
 
基本的に会員対象の雑誌なので、入手は難しいかもしれません。
 
「インド文学」 1968年〜1986年 全20巻 インド文学会 土井久弥 田中敏雄 編集
 
「ヒンディー文学」 2006年 全5巻(現在まで) 日本ヒンディー文学会 石田英明 編集


 
 
 最後に、伊井春樹先生のご本を紹介しました。
 これは、海外での日本文学研究の様子がよくわかる対談集です。
 9人へのインタビューで構成された本です。
 この中では、キーン先生とタチアナ先生との対談に、記録役で立ち会いました。そのすべてが紙面で再現されていません。非常に知的興奮に包まれた対談でした。


『世界が読み解く日本』
 海外における日本文学の先駆者たち
(2008.4.25、學燈社)

【背表紙の説明文より】
ドナルド・キーンをはじめ、ロイヤル・タイラー、徐一平ら世界で活躍する日本研究者が、文学・文化を通してみつけた「日本」を語る。世界的な広がりをみせる村上春樹ブームの実態とは。アニメ・マンガはなぜ各国で受け入れられるのか。海外での日本古典文学研究の現在は。等々、現代日本を映し出す世界9ケ国インタビュー集。
聞き手…国文学研究資料館館長伊井春樹

【目次】
はじめに 伊井春樹
徐一平「中国における日本語・日本文化」
ロイヤル・タイラー「能の翻訳から源氏物語の翻訳へ」
ボナヴェントゥーラ・ルペルテイ「イタリアにおける日本文学研究」
ウイリアム・ボート「オランダからみた日本思想史研究」
ドナルド・キーン「日本文学との出会いから」
タチアーナ・サカローヴァ・デリューシナ「ロシアからみた日本文学」
セップ・リンハルト「オーストリアの日本研究」
ジャクリーヌ・ピジョー、アンヌバヤール.坂井「フランスにおける日本文学研究」
アンドリュー・ガーストル「イギリスからみた日本近世演劇、役者絵研究」


 
 
 

2012年6月14日 (木)

ブームとなりつつある糖質制限食

 今朝の朝日新聞の生活欄(東京13版、27頁)に、糖質制限食に関する記事が6段抜きで掲載されていました。
 その見出しは以下のものでした。

・糖質制限食なら続けられる!
・主食控え 肉OK カロリー不問
・糖尿病の治療に効果
・血糖値改善・体重も減
・レストランでも人気
・材料工夫しコースで

 先日も、テレビで糖質制限に関する特集を流していました。
 実際に糖質制限食に取り組んでみると、効果が目に見えて確認できるので、話題になりやすいようです。

 カロリー制限食では挫折する人が大半だと思われます。私もそうでした。
 その意味では、このような糖質制限食もあるのだ、という啓蒙活動はいいことです。もっと話題にしたらいいと思います。

 マスコミが取り上げるというのは一過性の要素があるので、一年もしないうちに下火になることでしょう。しかし、それでもいいのです。ニュースとして取り上げられることによって、医者が薦めるカロリー制限食しか知らなかった方が、別の対処方法があることに気付かれることが大事なのです。
 私も、昨年8月に、たまたま書店で手にした健康雑誌で知ったのですから。なにやら新興宗教らしい雰囲気を感じました。しかし、記事を読んでみて、これなら出来そうなのでダメ元でやってみたところ、予想外の好結果に驚いているのです。

 今朝の記事を通して、いくつか期待することを、思いつくままに記しておきます。


(1)糖尿病学会に所属しておられる先生方へのインタビューを賛成派と反対派に実施する。
(2)栄養士と製薬業界の方々に糖質制限食に関する意見を聞く。
(3)カロリーコントロールを実施して構築されたお金の集金システムを解明し、糖質制限食の場合のそのシステムがどう変化するかを検証する。
(4)食品業界が長期的に取り組める方策も模索する中で提言とすること。
(5)炭水化物の摂取を制限することによる弊害を情報として共有すること。
(6)ケトン体について最新の研究成果を公開する。
(7)血糖値とヘモグロビン A1cに関する情報を正確に伝える。
(8)取材した情報は、女性と男性を区別し、私のように消化器がない人にも意見を聞く。
(9)糖質制限食のレシピを可能な限り公開する。
(10)一過性に終わらせないためには女性向けのダイエットという視点で記事にしない。
(11)糖質制限食普及にともなう寿司屋・うどん蕎麦屋・ラーメン店のありようを、日本的な文化を背景にしていることを忘れずに肯定的に調査すること。
(12)縄文時代と弥生時代の食生活を学問的に調査する。
(13)平安時代の貴族と庶民の食生活を具体的に検証する。
(14)現在一般的に市場に流通する糖質制限食品をリストアップする。
(15)京都高雄病院の江部康二氏をカリスマ化しない姿勢を保つ。

 まだまだあります。しかし、それはこれから話題になる中で記すことにします。

2012年6月13日 (水)

津波被災文書の救助復旧活動と実演

 国文学研究資料館では、スタッフによる研究活動の成果を発信し交流する場として、「国文研フォーラム」を毎月開催しています。どなたも参加は自由です。

 その第10回目は、青木睦先生の「東日本大震災における津波被災文書の救助・復旧活動とその意義」と題する発表でした。
 これには、「立川断層間近の国文学資料館での報告会と水損資料救助実演」という副題が付いています。
 発表後の実演は、話された内容を具体的に補完するものとなり、実に有意義でした。

 私は、博物館や美術館などの学芸員資格を取得する時に、資料保存や修復の勉強や実技をやりました。しかし、阪神淡路大震災や東日本大震災を通して、資料の管理についても興味を持ち出しました。日頃、古写本の原本調査の折などに接するモノとしての資料や典籍が、これまで何百年も伝え受け継がれてきたことに、あらためてその意味を考えるようになったのです。そして、現状を変えないようにして守り伝えていく責務があることも。

 以下、貴重な提言が多かったので、忘れないように自分のためのメモとして残しておきます。折々に思い出す手がかりとなるように。

 なお、青木先生は、4年前の源氏物語展「千年のかがやき」の時にも獅子奮迅の大活躍で、本当にお世話になりました。美術品輸送トラックに同乗し、奈良から京都経由で立川までの長旅をご一緒する中でも、たくさんのことを教えていただきました。
 今回は、文書資料の保存と修復の実際を、被災資料の救出にあたられておられる現在進行形の内容によって、生きた実例で教えて下さいました。いい勉強をさせていただきました。

 文献資料を扱う身としては、一つ一つが響いてくる内容でした。

 まず、国文学研究資料館のホームページに掲示された発表要旨と内容の項を引きます。


発表要旨︰
東日本大震災では、広い範囲で地震と津波の大きな被害に襲われ、文書にも大きな被害をもたらした。当館も大きな揺れに襲われたが、免震構造のおかげでその被害を最小限に抑えることができた。
被害を受けた被災文書の救助・復旧活動が様々な機関、団体、個人によって行われ、当館においても文化庁文化財レスキュー「人間文化研究機構内チーム国文学研究資料館」として岩手県を中心に様々な形で被災文書の救助・復旧活動を行ってきた。
これらの活動は、大規模災害時における被災文書の救助・復旧の必要性を考える機会を我々に与えてくれたと同時に、日常の文書の保存管理を再考する機会となった。釜石市及び陸前高田市で行われた津波被災文書の救助実演とともに、文書の救助・復旧活動の意義を考え、国文学研究資料館の被災状況から文書の防災・減災について考えてみたい。
 
主な内容:
・活動の発端と被災地の状況
・釜石市役所の被害と被災文書の概要
・釜石市役所被災文書の救助・復旧活動の概要
・この活動の支えと意義

津波被災文書の救助・復旧技術の実際
・圧縮袋(座布団用)封入法-防カビと吸水措置
・吸水紙乾燥法- キッチンペーパーを使用した乾燥促進処理
・小タワシ・スポンジ・マイクロクロス・刷毛等を用いたクリーニング


 
 
 本日の内容で、私が特にメモを取ったことを列記します。

・ボランティアで参加する際は持参するものは自分で考えること。
 
 
 
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・紙に含まれる水分を計測する道具は重宝する。
 
 
 
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・被災地での文書救出作業において公文書を扱う場合は守秘義務に関する誓約書を提出する。
・災害時の救出のことよりも、日頃から長期保存に適した状態を考えておく。
・乾燥させる時は綴じ山は上。
・紙の束は、立ててあると毛細管現象で水が上がってくる。
・積んであるものは、中まで水は沁み込んでこない。挟まれた写真も守られていた。
・書類を乾燥させる時は、キッチンペーパーを活用した乾燥促進処理。
 
 
 
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・海水はカビの発生を押さえる。
・水没した書類などには、水面に塩をまく、という対処策は目から鱗。
・消しゴムを摺り下ろしてまぶして擦ると、付着したゴミやヨゴレなどを落とせる。
 
 
 
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・黒カビは体に悪いが、青カビは大丈夫。
・鉄の文具は水の被害を受けると錆びることを知っておくこと。
・水を被った資料等を収納する電気掃除機を利用する圧縮パックは、百円ショップのものは空気が入りやすい。
 
 
 
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 青木先生はこの分野では第一人者ということもあり、実に内容の濃い、それでいて熱情と思い入れの籠もったお話でした。エネルギッシュに行動なさる青木先生の、今後ますますの活躍と、そのノウハウの伝授を、これからも楽しみにしたいと思います。
 
 
 

2012年6月12日 (火)

【続】湯ヶ島で井上靖の文学散歩

 湯ヶ島小学校に立ち寄りました。
 順路の都合で裏門から入ることになり申し訳ありません。
 この校庭の一画には井上靖の「地球上で一番清らかな広場。」で始まる詩碑が建っています。
 
 
 

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 正面に回り、校門を入った正面には、校舎を背景にして「しろばんばの像」がありました。
 右が洪作、左がおぬい婆さんです。
 
 
 
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 また、この小学校には、昨日宿泊した落合楼々主だった足立顕治の多大な教育への貢献に対する顕彰碑がありました。その宿に泊まったからこそ目が行ったと言えます。それ以外の方は素通りされることでしょう。

 さらに、この校門の入口には、「足立文太郎博士顕彰碑 〜井上靖岳父〜」も建っています。碑に刻まれた紹介文は井上靖の手になるものです。足立博士は妻ふみの父親で、第1回ゲーテ賞を受け、大阪医科大学初代学長でもありました。井上の作品では、何度かモデルとなっています。
 
 
 
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 校舎の中には、井上靖資料室があり、自由に見学できました。
 階段の踊り場には、校庭にあった詩をモザイクにした立派な作品があります。
 
 
 
120610_mozaiku
 
 
 

 「井上靖資料室」は、少子化のために空いた2階の教室1つが充てられていました。
 
 
 
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 中は、たくさんの資料が並んでいます。この小学校に通っていた子どもたちや町民と井上靖との交流が、丁寧に整理されているのが確認できます。
 
 
 
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 校庭にあった井上靖の碑文は、湯ヶ島小学校のPTAと地域の方々の願いが実現して昭和56年に贈られたものだそうです。その原稿が展示されていました。
 
 
 
120610_genkou1自筆草稿
 
 
 
120610_genkou2自筆清書
 
 
 

 草稿と清書原稿を見比べると、興味深いことがわかります。
 最初は、「地球上で一番眞平らな広場。」と書きだしています。それが、「眞平らな」をミセケチにして「清らか」と傍記しているのです。
 また、2行目の「遠くに■とした富士」とあるところは、今私には読めませんが「■」を「凛」と直し、その補った「凛」とそれに続く「とした」をミセケチにして「遠くに富士」としています。富士山を形容する言葉を削除したのです。
 さらに、6行目で「眞直ぐに、美しく、」の字句を記号で入れ替える指示を記して、「美しく、眞直ぐに、」と読ませようとしているのです。ここも言葉の形容に関するものです。
 これらは、井上靖の創作過程が窺える好例です。わかりやすい詩にしようとの気持ちがあるように思われます。このことは、他の作品で確認できるはずです。あるいは、すでに研究がなされていて、指摘があるのかもしれません。ここは、素人考えでのメモということで触れておきます。

 帰りに受付にいらっしゃった先生から、この小学校も今年限りで統合のために閉校になると伺いました。鳥取県の日南町にあった池田亀鑑が通った小学校も、私が行った前の年に合併統合で閉校になり、今年の3月には取り壊されていました。全国の小学校の置かれている実情がわかるとともに、日本の文化を確認する建物や資料が忘れ去られていくことに注意が向くようになりました。いたしかたのないことです。そうであるならば、少なくとも資料として最低限のものは守り伝えていく方策を、地元の方々と一緒に考えていきたいものです。
 なお、この資料室に入る時に受付でいただいた8頁のリーフレットは、非常によくできています。小見出しだけでも抜き出しておきます。


○『しろばんば』の里にある学校・湯ヶ島小学校 〜井上靖資料室〜
○井上靖先生らか贈られた詩『地球上で一番清らかな広場』
○『しろばんばの像』
○『足立文太郎先生記念碑』〜井上靖先生の岳父〜
○井上靖在校中の湯ヶ島小学校のようす
○賞状授与規定/石渡(靖の伯父)校長の式辞/転校手続きのため母来校
○大正時代のころの湯ヶ島小学校
○湯ヶ島尋常小学校の移り変わり

 得がたい貴重な資料集をいただきました。これは、今後とも継続して配布してほしいものです。

 洪作たちが遊んだ弘道寺に寄ってから、しろばんば通りを北上して、井上家旧居跡である公園に行きました。
 敷地には、楕円形の石の回りには、「しろばんば」の冒頭文と、その背面に大岡信の「しろばんばの碑に題す」という文を刻んだ文学碑があります。
 
 
 
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 この文学碑の後に、洪作がおぬい婆さんと一緒に暮らした土蔵の跡が、花壇として残されています。
 
 
 
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 この花壇の左手前にあった母屋は、ここから南に下った浄蓮の滝をさらに下った「道の駅 天城越え」の昭和の森会館の中に移築されていました。そこには、伊豆近代文学博物館もあるので、またいつか訪れることにします。
 
 
 

2012年6月11日 (月)

湯ヶ島で井上靖の文学散歩

 宿泊した宿である落合楼村上には、『源氏物語』に関係した部屋がありました。
 ただし、この日はたまたま修理をしているとのことで、見ることはできませんでした。
 
 
 
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欄間(『落合楼物語』2003.7落合楼編より、上から常夏・早蕨・浮舟)
 
 
 

 各部屋には、桐壺・松風・常夏・紅梅・早蕨・浮舟という『源氏物語』の巻に関係する名前が付いています。欄間の彫刻と関係する命名と思われます。
 私には、この「常夏」とされる部屋の欄間の透かし彫りの絵柄(上掲写真の上部)が、「常夏」巻の内容とイメージが合わないと思いました。ここに詳しくは記しませんが、「夕顔」巻ならわかります。その謂われなどを聞きたかったのですが、館内を案内していただいた方の興味は『源氏物語』にはないようなので、また機会をあらためて確認することにします。

 また、館内を案内して下さる「落合楼村上 文化財見学ツアー」では、大広間の「紫壇の間」に大きな絵皿がありました。どうやら絵は新作の『源氏物語』のようです。これについても、説明を聞き忘れました。これまたこの次に。
 
 
 
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 この宿は、『しろばんば』では洪作が勉強を教えてもらっていた犬飼先生がいた所でもあります。木に登って中の様子を伺ったとある大木が、今も露天風呂の傍らに立っています。
 
 
 
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 宿から送迎バスで湯ヶ島バス停(湯ヶ島会館)まで乗せてもらいました。この会館は、元は井上靖も通った旧湯ヶ島小学校の跡でもあります。
 そこから歩いて、井上靖の墓と慰霊詩碑がある熊野山墓地へ行きました。鬱蒼と茂る竹林の小道には、筍がにょきにょきと姿を見せています。
 
 
 
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 少し広い道に出ると、墓への案内となる「井上先生墓」と記された標識がありました。
 
 
 
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 お墓は、ゆったりとした空間に置かれています。
 ふみ夫人の手になるお墓です。
 
 
 
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 裏面の墓誌は、次の言葉で終わっています。


柔道六段 お酒大好き
心宏く温かき人 多忙
な中にも幸せな一生を
終える
 平成三年十一月九日
   妻ふみ是を記す

 このすぐ左には「戦友慰霊詩碑」があり、次のことばが刻まれています。
 
 
 
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魂魄飛びて
ここ美しき
故里へ帰る
  井上靖

 井上靖を育てたおぬい(おかの)婆さんのお墓もあるとのことなので、さらに奥へと行きました。しかし、目印がなかったこともあり、見つけることはできませんでした。その代わり、この墓地が整備される以前に立てられた標識がありました。「井上先生墓地通り」とあるのは、地元の方々が井上靖に抱く敬慕と親愛の情からの現れと思えます。
 
 
 
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 山を下り、湯ヶ島の中心部で『しろばんば』の舞台となった場所であるしろばんば通りを散策しました。
 桜屋書店、御料局、上の家、雑貨屋(幸夫の家)などなど、あまりに多くて飽きません。
 
 
 
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120610_map
(静岡県東部 文学散歩案内『洪作少年の歩いた道』井上靖文学散歩研究会編、平成17年、5頁より)
 
 
 

 〈以下、明日に続く〉
 
 
 

2012年6月10日 (日)

映画「わが母の記」のロケ地・伊豆湯ヶ島へ

 娘たちが今春3月の結婚式で、プレゼントとして私と妻に旅行ギフトをくれました。
 ゆっくりと旅行を楽しんでください、と。先方のご両親にはiPadでした。
 
 
 
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 それを使って、日頃の疲れを癒やすために温泉旅行に行きました。行き先は、新幹線と在来線とバスを乗り継いで、三島・修善寺経由で伊豆・湯ヶ島です。映画『わが母の記』の舞台となったところです。

 電車とバスの接続がギリギリです。電車の到着時刻とバスの発車時刻が一緒なのです。そこで、あらかじめバス会社に電話で確認をすると、三島駅から伊豆箱根鉄道の電車に乗る前に電話をしてくれたら、バスの発車を少し待たせておくから、とのことです。今時、そんなことをしてくれるのか、と何となく不安を抱えての道中でした。

 伊豆箱根鉄道の電車に乗ってから、運転手さんに、終点の修善寺でバスが我々が乗り込むまで発車を待っていてくれるということを伝え、前と後とどちらが改札に近いかを聞くと、前がいいとのことです。そして、座席に着いた我々のところにわざわざ来て、バスに待ってもらえてよかったよかった、と満面の笑みで少し話をして喜んでくださいました。

 最近はみなさん自家用車で伊豆を旅されるからでしょうか。こうした接続には駅員の方も慣れておられないようです。宿の方も、こうした電車とバスの接続についてはよく実態をご存知ないようでした。

 バスに乗り換えるだけの待ち時間がないところを、電話をしたことで待ってもらえるとは、今の日本では考えられないことです。実際に、電車で到着した我々をバスの運転手さんは待ってくださっていました。5分ほど遅れて発車です。

 乗る人も降りる人も地元の方ばかりなので、運転手さんと普通に挨拶をしておられます。運転手さんに、この日の宿である落合楼村上へ行くために降りるバス停を確認すると、ここでも親切に説明してくださいました。電車ばかりではなく、バスでも親切な運転手さんと出会えたのです。
 人の心が相手に寄り添う、優しさと思いやりが溢れる伊豆の旅がスタートしたのです。

 新宿というバス停で降りると、すぐ目の前が落合楼村上です。
 ここは、映画やテレビドラマなどでよくロケ地とされるところです。
 
 
 

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 宿は大正ロマンを感じさせる、木肌の温もりと職人さんの心意気を感じさせるところでした。建物の一部は、国指定登録有形文化財となっていました。

 先ずはお茶をいただいてから庭を散策です。
 落合楼村上の庭から川越しに架かる吊り橋は、現在上映中の映画『わが母の記』で、最初に伊上(役所広司)と八重(樹木希林)が話をするシーンとして出てきた場所です。
 
 
 

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 部屋も、いい雰囲気でした。ここでは、すべての部屋が違った造りだそうです。それぞれ別の大工さんが競って作ったとのことです。欄間や障子の細工が凝ったものでした。
 
 
 

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 夕食は、何と言っても地元のワサビです。
 サメ皮を貼ったおろし器で摺り下ろします。息子は小さいときから料理にうるさく、このおろし器を見ると、大阪難波の千日前道具屋筋商店街まで一緒に買いに行ったことを思い出します。
 
 
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 横に醤油があります。しかし、ワサビだけをお刺身にのせていただきました。思ったよりも丸みを帯びた味で、家庭用でよくある不自然な刺激はありませんでした。
 映画『わが母の記』でも、ワサビが印象的に点綴されていました。

 井上靖の小説によく出て来る狩野川と本谷川の合流地点にあるところから、明治14年に逗留中だった山岡鉄舟がここを「落合楼」と命名したとか。川の水音がやさしく聞こえてきます。
 いくつもの小部屋があり、一軒の家に泊まっている感じになりました。

 電話もインターネットも、手持ちのものがソフトバンクの回線なので圏外となってつながりません。ポケットWi-Fiも反応しません。現実に直面し、通信会社をソフトバンクにしていて後悔する場面です。Appleさん、こんな会社と契約するなよ、と口惜しい思いをすることしきりです。京都も立川も深川でも圏外なので、ここ湯ヶ島がつながらないのは覚悟の上で携帯を持って来ています。

 ブログをどうしようかと思案していると、入口に近い物書きのできるコーナーに電気スタンドがあり、その左後ろに、白くて四角いAppleの無線ルーターがあるのを見つけました。AirMacエクスプレスというものです。なぜこんなところに?
 部屋の雰囲気とはあまりに違う最先端機器を目敏く見つけた私は、逸る心を抑えて早速様子見です。
 
 
 

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 ランプはオレンジ色が点滅していたので、このままではつながりません。そこで、勝手知ったるアップルユーザーの本領発揮です。まずはリセットして再起動し、いろいろと試していると、なんとパスワードが書いてある場所を見つけました。フロントに確認する前に、難なくインターネットにつながったのです。ランプも緑色になっています。
 
 
 

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 持参のノートパソコンは、快適に情報を表示してくれています。
 これで、湯ヶ島での通信環境は完璧です。

 ゆったりと川のせせらぎを聞きながら、何度も露天風呂を往き来しました。
 家族用の露天風呂の横には、井上靖の『しろばんば』で洪作が登った木があります。この宿は、井上靖の作品にも出て来るのです。明日が楽しみです。

 伊豆の湯ヶ島での一夜で、心身共にリラックスして休むことにします。
 
 
 


2012年6月 9日 (土)

井上靖原作の映画『わが母の記』

 井上靖が書いた自伝の1つが映画化されました。
 
 
 
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 母と向き合う息子の心の軌跡が、きれいな映像として結実しました。

 原作である『わが母の記』については、「井上靖卒読(33)『わが母の記』」(2008年3月29日)で書きました。
 原作は、単なる随筆や随想ではなく、連作の物語となっている作品です。

 その映画化ということで、興味深く観ました。
 配役がよかったと思います。また、カメラが捉えた風景も、まさにありし日の日本でした。

 人間のありようが、母と息子の接点が、映像という媒体を通して伝わって来ます。それも、まっすぐな描写でした。

 井上靖が描いた作品世界が、このようにしみじみとした、それでいて微笑ましい絵としてまとめ上げられ、映画になって観られたことを喜んでいます。

 叫ばない、喚かない、ドタバタしない、無理やり泣かせようとしない、そして、恋愛感情を露骨に演出しないという点で、これからの日本文化の発展においてプラスに働くエネルギーを、この映画からもらえます。
 これから標榜すべき日本らしさというものを、改めて考え、それがこの映画の中にあることを目と耳で感じました。
 おそらく、もう一度観ることになるだろうと思っています。
 
 
 

2012年6月 8日 (金)

授業(8)文学の翻訳から異文化理解に及ぶ

 『日本文学研究ジャーナル 第2号』をもとにして、海外の研究情報について確認をしました。
 そして、フリートーキングです。みんなで自分の考えを言い合えるので、話題がいつも発展や脱線して盛り上がります。これは、私も楽しみにしています。

・異文化理解のための教育について。
・日本語教師の役割について。
・異文化交流に果たす女性の役割について。
・女性が女性教育を興すこと。
・文学作品の翻訳と訳し戻しの問題。
・英語教育の前に日本語や日本歴史の教育が優先度が高いこと。
・「にっぽん」か「にほん」か。
・在原業平と平将門に対する東西の親近感の違い。
・アニメの輸出と異文化理解の位相について。
 (おしん・巨人の星・フランダースの犬・忠犬ハチ公)

 『日本文学研究ジャーナル 第4号』をもとにして、翻訳事典の〈中世〉の作品を確認しました。
 〈近世〉を残したので、次回はそこからです。

 なお、学生さんとエバーノートのクローズドエリアで共有情報としている場所に、インド文学の日本語への翻訳と和紙に関する情報をアップしてありました。しかし、その確認まではできませんでした。これも次回とします。
 
 
 

2012年6月 7日 (木)

新婚生活の地を訪れての驚愕

 新婚時代に住んでいた所に行きました。
 当時の住所は覚えています。しかし、今はその地名も番地も変わっています。
 グーグルアースで見ても、さっぱり当時の場所の見当がつきません。
 記憶力のいい妻がそうなので、私にはなおさらお手上げです。

 とにかく最寄り駅の駅前の書店で、周辺の地図を見ました。やはり思い出せません。
 隣の不動産屋で旧番地を言っても、36年という時間の流れの中であまりの変貌ぶりに、かえって話が混乱します。

 交番に入りました。
 若いお巡りさんは、親切にもゼンリンの詳細な地図を持ち出してくれました。
 うろ覚えの店の名前や学校があった場所を手掛かりに、3人で人差し指を地図に這わせました。
 いかんせん、36年前の話なので、お巡りさんも生まれていないのです。あやふやな訳の分からないことを言う我々を、お巡りさんは認知症の親の相手をするかのように、優しく丁寧に対応してくださいました。とんでもない闖入者でごめんなさい。そして、長時間お付き合いをさせて、すみませんでした。

 結局、住んでいた家の前の小学校の名前がわかり、問題は解決しました。

 いつも乗り降りしていたバス停の名前もわかりました。
 20台前半の若かった頃のことなのに……
 それも、新婚時代のことなのに……
 悔しいかな思い出せなかったのです。

 目指すバス停で降りても、やはり当時が思い出せません。狭い路肩にバスは止まったはずです。それが、あまりにも違うので別世界に来た思いに駆られます。
 
 
 
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 ただ、ぼんやりと、記憶が陽炎のように見え隠れするだけです。
 狐につままれた、とはこうしたことを言うのでしょうか。

 信号、横断歩道、小さなお寺、狭い道、と歩いていくうちに、次第にこれが当時は狭いあぜ道のような所だったことがわかり出しました。
 
 
 
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 しかし、すぐ目と鼻の先の角を右に曲がって、と思っても、あまりにも雰囲気が変わっているので半信半疑です。目を疑うほどの立派な風景が、我々の眼前に展開しています。当時の面影はまったくと言っていいほど、微塵も感じられません。
 
 
 
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 この道もかつては細い道で、ガードレールの所を草に覆われた小川が流れていました。
 右側には、確かに小学校学校がありましたが……

 それでも、微かな記憶を信じて進むと、目的のかつての住まいがあった場所が目に飛び込んで来ました。
 
 
 
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 写真中央の赤い車の手前に、2階建ての家があります。これが、当時は平屋でした。周りは田んぼだったように思います。
 この家を、結婚したての我々は、3年ほど借りました。ちょうど私が大学院の修士課程の頃です。
 当時の私は学生だったので、妻に養ってもらっていたのです。いわゆるヒモです。

 写真の赤い車の向こうが大家さんの家でした。時々、大家さんがキュウリなどの野菜をもってきてくれました。そして、野菜を肴にして、縁側で一緒にお酒を飲んだりしていました。しかも、真っ昼間から。
 夕方になると、私は自転車で駅まで妻を迎えに行きます。そして、2人でブラブラと帰って来ました。
 今から思えば、牧歌的な生活です。

 家の南側には、妻が小さな庭と畑を作っていました。そこにはたくさんの花が咲いていました。目の前は小学校のグランドでした。学校帰りのこどもたちが、いつも花に話しかけていました。私は、ボケと桔梗の花が好きで、縁側に座って花を見て気分転換をしては、また机に拡げた資料とにらめっこをする日々でした。

 思い出す場面の一つ一つを、目の前の光景が支えてくれません。本当にここにいたのだろうか、との思いが、ここを立ち去った後も消えませんでした。

 立派になった道を進むと、当時はなかった新しい駅が2つも向かい合うように並んでいました。この地域の発展ぶりが、この一事をもってしてわかります。

 新しい駅前に、しゃれたビルがありました。その中にあったレストランで、おしゃれでわさやかな食事をしました。私はワインを、妻はビールを飲みながら、今しがた見たものと36年前の記憶とを付き合わせることで、老化防止のトレーニングに励みました。その落差は、想像を絶するものでした。
 
 
 

2012年6月 6日 (水)

インドからの留学生とカレーを食べる

 今年も、インドから国費留学生が来ています。
 今春2月にニューデリーで開催した〈インド日本文学会〉で、ネルー大学のアルチャナさんが日本に行けることになったと、喜んで伝えてくれました。彼女は、これまでにもこの国際集会に参加していたので、よく覚えている学生さんでした。

 インドでは、ネルー大学のアニタ・カンナ先生の下で、法華経の勉強をしていました。しかし、アニタ先生から文学にシフトして『今昔物語集』を中心とした研究をしたほうがいいとのアドバイスを受け、日本での指導は国際日本文化研究センターの荒木浩先生が引き受けてくださったのです。

 まず2年間は一般教育を受けるため、彼女の場合は京都大学で勉強することになりました。
 今年の4月に来日しました。何度かメールのやりとりをした後、日本に慣れた頃を見計らって逢うことになっていました。

 修学院のセンターに住んでいるとのことなので、出町柳駅で待ち合わせをしました。
 出町柳は私の家からも近いので、自転車で行きました。すると、彼女も自転車で来たのです。中古で買ったとか。
 インドでは、特にニューデリーでは車が多いので、自転車に乗ることはほとんどありません。彼女も、5年ぶりに自転車に乗った、と言っていました。

 いつも昼食で行くという、京都大学の北の通りに面したところにあるインド料理屋に行きました。アルチャナさんはピュアベジタリアンなので、食事が何かと問題なのです。肉はもちろん、玉子もだめなのです。日頃は、自分で作っているそうです。
 外で食べるとなると、いきおいインド料理になります。これは、私にとっても好都合です。
 
 食事をしながら、日本に来てからのことを、たくさん聞きました。まだ、ホームシックにはなっていないようです。日本に来る前に、教授資格試験に通ったそうです。帰ったら、大学で教えることができます。一昨年まで私の所に来ていたクマール君と2人が、今年の合格者だそうです。最難関の試験に通ったのです。

 私は難しい勉強のことは何も手伝えません。しかし、生活などについての話し相手にはなれます。
 近くにいることもあるので、折々に話を聞くことにします。これからがますます楽しみな学生さんです。
 
 
 

2012年6月 5日 (火)

読書雑記(50)『十二単衣を着た悪魔 源氏物語異聞』

 『十二単衣を着た悪魔 源氏物語異聞』(内舘牧子、幻冬舎、2012.5)を読んだので、その感想を記します。
 
 
 
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 内舘氏は、高校生のころから弘徽殿女御が好きだったそうです。以来、弘徽殿女御ファンとして鬱積した不満がこの作品となったと言えます。

 小説は、威勢がよくて歯切れのいい文章で快調に語られていきます。初めて内舘氏の文章を読んだ私は、小気味よさを感じました。内容に入る前に、文章のテンポが読者を惹き付けます。ただし、しだいに中だるみがして来るので、この点がこの作品の出来を軽くしているように思いました。

 主人公の伊藤雷は、現実の平安時代ではなくて創作の『源氏物語』の中にタイムスリップします。この設定が、この作品のおもしろいところです。作者内舘氏の創意です。

 主人公雷は『源氏物語』における兄宮(後の朱雀帝)に比され、その母親は出来の悪い息子を持った弘徽殿女御にあたります。斬新な切り口で『源氏物語』が取り込まれ、今から見た平安朝がテンポよく語られます。

 食事のことや歯磨きのことなど、タイムスリップした主人公が見るもの聞くものすべてが現代の視点で描写されるので、そこがおもしろく読めるところです。

 主人公雷は、平安時代では陰陽師と見なされ、雷鳴と名乗って弘徽殿女御側の人物として活躍します。
 その描写は、非常にリアルです。見てきたような大ウソが語られるのです。人間は自分の居場所が必要だということが、この小説で強調されています。

 桐壺更衣の服喪中に弘徽殿女御が音楽会を開くことを描くくだりがあります(90頁)。ただし、このことは注目されていないと言います。しかし、異本の異文には、ここを強調するものがあります。もう一度、この場面の異本での描かれ方を確認してみようと思います。

 帝が桐壺更衣を慕って「尋ね行く〜」と歌ったところは、現代から紛れ込んだ主人公が陰陽師として仕える状況がうまく嵌め込まれています。シチュエーションの妙と言うべき、うまい構成になっています。

 『源氏物語』の作者とされる紫式部は、この弘徽殿女御が好きだったのではないか、と内舘氏は言います(119頁)。また、折々に現代日本人の批評もしています。この時空を超えた視点が、その批判をリアルにし、おもしろくしているようです。

 対象としている『源氏物語』の巻は、「桐壺」から「明石」あたりまでで、まさしく〈須磨帰り〉となっています。一般的な読者の風を装うことと、弘徽殿女御が出て来る場面を中心にした物語だからこそ、このような切り取り方ができたのです。

 藤壷について「本当においしいとこ取りの女である。」(211頁)という指摘がおもしろいと思いました。

 コンプレックスの塊の弘徽殿女御と、その世界にタイムワープした主人公。話はおもしろいのですが、人間性の描写がくどいので、しだいに中だるみとなっていきます。そして、『源氏物語』のあらすじをなぞるだけとなります。最初は語りの新鮮さと軽快さで読者を引っ張っていた文章力が、物語に寄り添いすぎて陳腐なダイジェストに脱してしまいます。

 主人公が平安朝に紛れ込んでから結婚した倫子とその間に売れまた風子も、その設定が生かしきれていません。いい雰囲気に持ち込むのですが、力不足のままで惜しいネタで終わります。物語の流れに溶け込ませるのに汲々として、無理が露呈しています。もったいない設定でした。特に、死者としての母子を回想する件がくどすぎます。この情のかけ方が粘っこいのは、内舘氏の特徴のようです。この設定は、また別の作品で生かしてもらいたいものです。
 主人公や朱雀帝などにコンプレックスを執拗に自覚させる描写がくどいのも、そうした例の一つと言えます。

 弘徽殿女御の思いと発言には、作者の深い作品の読みが反映しています。ここが、この小説の読みどころだと感じました。作者の弘徽殿女御への思い入れが、こうした場面に存分に盛られているのです。ここは、小説となっています。その背景をもっと固めたら、さらに完成度が高くなったと思われます。

 次の視点はおもしろいと思いました。


 弘徽殿女御はトゲトゲしく、激しく、意地が悪いと言われ、書かれているが、それは一面からの見方だ。「弘徽殿コード」で読みとけば、よくぞ今日まで自分を支えたと思う。(274頁)

 登場人物において、主人公である雷鳴は朱雀帝に、その弟水は光源氏に置き換えた設定で読むようにして展開していきます。敗者の側から『源氏物語』を読む仕掛けです。ただし、その発想はおもしろいとしても、あまり長く引き延ばしすぎです。そのため、中程まで読み進まないうちに飽きてしまうのです。『源氏物語』の内容を変更しないという制約に自らを縛っているためです。

 今は亡き人に対する「想い供養」は、心に響く話となっています。思い出してあげることが一番の供養だというのです。さらに、母親は子供にとっては千手観音のようなものだ、とも言います。この喩えはよくわかります。
 後半になって、話に厚みが出てきます。これは、女の視線で『源氏物語』を語るようになったからでしょう。それまでが、伊藤雷であり陰陽師雷鳴という黒衣役の主人公が、現代からワープした男の目を通した語り口でした。それが、後半になり作者の本当のことばで語り掛けてくるようになったのです。

 息子である夕霧のことを語る光源氏に、コンプレックスを吐露させます。本作品のテーマであるコンプレックスが、光源氏にまで及んだことは収穫です。

 また作者は、弘徽殿女御に次のように言わせています。


女の幸せな人生を勝ちとるのに、必要なのものは二つだけ。決断力と胆力だ。

 内舘氏の本音の部分が出ていると思われます。おもしろいところです。

 現代に帰った雷が、図書館で『源氏物語』を読もうとするシーンが不自然です。
 『源氏物語』のテキストが現状ではどのような流布の状態にあるのかが、これでは確認できません。なぜこのような書き方になっているのか、私には理解できません。ここにある貸し出し禁止の「まっさらな原文版」とは、どのような本なのでしょうか。

 書店には原文版があるにはあったが、いちいち細かく語句や社会風俗などの注釈がついている。どのページにも「※」がやたらとあって、「物忌み」だの「後宮」だのを解釈している。うるさくて読んでいられない。
 俺はまっさらな原文が読みたいのだが、書店にはないという。その足で図書館に行ってみた。
 カウンターの司書に、
「源氏物語の原文、古語で書かれたものを読みたいんですが。細かく語句の解説とか注釈がないのがいいんです。もしあれば、当時の墨文字で書かれたものだと、もっといいんですが」
「墨文宇って、源氏物語絵巻のような……ですか」
「そうです、そうです」
 カウンターにいた来館者たちが、ちょっと驚いたように俺を見るのがわかった。いい気持だった。
 墨文字で書かれたものはなかったが、まっさらな原文版はあった。重要な蔵書のため、一般貸出しは禁止で、館内閲覧だという。第一帖の「桐壺」を読んでみると、一ページ目からスッと頭に入ってきた。これだ。(380頁)

 とにかく、終章が説明的になっていて、最初の語り出しがよかっただけに残念でした。
 本作は書き下ろしです。そのために、内容がこなれていません。一度雑誌などに公開し、それからまとめる手法をとったら、このような雑な仕上がりにはならなかったように思われます。
 次作に期待しましょう。
 
 
 

2012年6月 4日 (月)

7月下旬に検査入院します

 昨日このブログに書いた血糖値に関する資料を持って、今日は京大病院へ行きました。
 結論としては、7月23日から最長で3週間、検査のために入院することになりました。

 今度は命に直結するものではないので、あの理想的な癌病棟「積貞棟」ではなくて、古い歴史のある北病棟です。
 この期間は一番人に迷惑をかけない時期なので、思い切って決断しました。

 一昨年もそうでしたが、この京大病院は大事に至る前に素早い対処をしてもらえるので助かります。
 あの時に私が命拾いをしたのも、この手際のいい判断とすばらしい医療チームのお陰だったと思います。
 今回も、私が生き延びるための方策を探し求めて、さまざまな検査をしてもらえるようです。

 持参した資料に関して、貴重な情報なのでいただけないか、とのことでした。なにがしかの参考になるようなので、すべてをお渡ししました。
 自分一人で自分の身体を使って実験し、それをブログで公表しているのが現状です。これを、専門の先生方に活用していただけるのであれば、それに越したことはありません。
 身も心も提供すると言うと言い過ぎです。しかし、それに似たことであるのは確かなので、大学病院にとっても格好の実験材料となる鴨がネギを背負ってやって来た、というところでしょうか。

 今日の糖尿病の診察では、非常に丁寧な対応をしてもらいました。
 とにかく、話をよく聞いてもらえたのです。
 私から伝えたことは、以下の3点です。


・今後の血糖値管理のことを考えて病院をここに変えたい。
・昨年8月末からスーパー糖質制限食に取り組んでいる。
・最近ヘモグロビン A1cの値が少しずつ上昇している。

 まず、糖質制限食の実践については、血糖値やヘモグロビン A1cの値が下がることは先生も認めておられました。血糖値を上げる元の炭水化物を摂らないので、その結果は容易に想像できます。私の資料からも、そのことは確認できることです。私の場合は、うまく食後の血糖値をコントロールできている、と言ってくださいました。その点は認めると。
 ただし、数値目標に糖質制限による成果が認められても、糖質は身体を作るエネルギー源であり、それを絶つことによって身体全体がどのような状況にあり変化しているのか、その点についてはわからないことが多いそうです。

 また、私の場合は消化管がない事例なので、一般的なことが適用できず、個別に判断する必要があるとのことです。
 身体全体のことを考えると、ヘモグロビン A1cを下げるだけではなくて、糖質の体内での変化を調べる中で、私にとっての最適な長期的な対処を探ってみては、という提案がなされました。

 確かに、私のチェックは午前中が中心のものです。1日の変化と、その折々の食事内容を考慮に入れないと、長い目での対処につながりません。非常に恣意的なデータだということです。これは認めます。
 また、最近は身体が怠く感じられ、睡眠時間も増えています。それが加齢によるものなのか、炭水化物を一切口にしないことと関係があるものなのか、その点も今回の検査でわかることでしょう。
 その結果によっては、このまま糖質制限を続けるか、場合によってはどのような薬を使えばいいのか、見極めをつけられるそうです。

 私は薬を拒否して糖質制限食に辿り着きました。しかし、もっといい提案がなされるのであれば、それは考える価値のあるものだと言えるでしょう。
 とにかく、今はお寿司が食べられる日々を夢見ています。あれだけ、毎日のように回転寿司を食べていたのですから。
 糖質ゼロのお寿司も可能のはずなので、ひたすらそれを待ち望んでいます。
 それが、回転寿司屋で流れるか、となると絶望的です。私の場合は、お寿司が回転して運ばれてくるところに、日本の独特の文化の源を認めているのですから。
 今回の検査を通して、このお寿司を食べることが可能になればすばらしいことです。本末転倒かも知れません。矛盾することだとは思いながら、それでもお寿司に対するこだわりがあります。

 ということで、今の糖質制限食を続ける中で、入院をして身体の調子を見ながら血糖値と食事の関係を調べることになったのです。検査のため、ということなので、これが直接命につながるものではありません。

 今日の先生も、他の病院の先生の大多数がそうであるように、糖質制限食を推奨してはおられません。あくまでも理解はしている、という感じでした。ただし、体重のことを気にしておられたのが印象的です。身体を作る、という視点が前面に出た対応でした。確かに、私は見た目にも貧弱な身体なので、余計にそうだったのでしょう。

 この流れは、お医者さんの論理で進んでいるようです。
 薬を使うための実験とならないように、経過観察の中で自分なりの判断をしていきたいと思っています。

 まだまだやりたいことが残っているので、1日でも長い延命のためにドック入りする、ということです。
 またまた、多くの方に迷惑をかけますが、ご理解とご協力を、どうかよろしくお願いいたします。
 
 
 

2012年6月 3日 (日)

ヘモグロビン値が上昇する危険な日々

 一昨日、中野駅前のワンコイン検診の「ケアプロ」で、ヘモグロビンA1cを測りました。
 血糖値の推移を、病院ではなくて街の検診コーナーで毎月定期的にチェックしているからです。
 先月は何かと忙しくて行けなかったので、月初めになってしまいました。

 結果は、〈6.5〉でした。予想外に高い数値でした。

 先月が〈6.4〉だったので、それより少し悪くなったと言えばそれまでです。しかし、〈6.5〉以上は病院で診察を、とされている境界値なので、これは危機です。

 ここ6ヶ月の数値は、次の通りです。
 年末まではしだいに下がる好成績だったのに、年明けからじょじょに上昇傾向にあります。

 6.3→6.2→5.6→6.0→6.4→6.5
 
 これまで4年間の数値を総整理したものが、次のグラフです。
 
 
 

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 糖質制限食にしてからは、炭水化物を1日3食共に摂らないスーパー制限食を目指しているために、ご飯・パン・麺類を一切食べていません。それなのに、4月と5月に血糖値が高めだったことにより2ヶ月の平均値を示すと言われるヘモグロビンA1cの数値が上がっているのです。それでも、食後2時間の数値は100前後の平常値に戻っているのです。この上下動の幅が大きいほど、血管を傷つけるので要注意です。
 妻が言うことには、血糖値が下がってきたことをいいことにして、調子に乗ってお菓子や果物を食べ過ぎたからだ、とのこと。思い当たる節があります。

 糖質制限食を始めた昨秋から今年の2月までの血糖値の推移は、次のようになっています。
 
 
 
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 オレンジ色の折れ線が食後1時間、緑色が食後2時間の数値です。
 食事の内容によって、食後1時間の数値が乱高下しています。しかし、食後2時間の数値は、120前後に安定しているのです。

 これが、今年の3月以降はこんな感じです。
 
 
 
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 左端に飛び抜けて高い「516」という数値は、4月に桜餅と抹茶餡の入った八ッ橋を5個も食べた後の、記念すべき実験結果です。
 次の「225」は、和菓子を食べた後に抹茶を飲んだものです。抹茶が血糖値を下げる働きをしているらしい効果のほどは、折々に確認しています。さらなる実験結果は、いずれまた。

 糖質制限食を提唱された草分けである江部さんのブログにあるように、江部さんは1日2食です。私もそうしようかと思ったところ、妻から消化管がないことを忘れないように、と言われました。つまり、一度に食べられる量が少ないので、食事の回数を減らすと摂取カロリーがさらに足りなくなるということです。

 せっかく、春先から体重が46キロ台から50キロを超えだしたので、このままの生活を維持することにします。ただし、お菓子と果物は節制します。

 現在の日本の食生活に合わせると、どうしても糖質を多量に摂取します。外食でもスーパーのお総菜でも、さらにはお弁当に至るまで、とにかく砂糖をふんだんにまぶした食事環境が待ち構えています。これで血糖値があがらないわけがありません。それも、乱高下によりグルコーススパイクと言われる、血管を傷める状態を繰り返すことになるのです。

 なにはともあれ、糖質を取り込むことを控えるための、あの手この手を考えざるをえません。

 食後に運動をして、血糖値を下げる方法も併用したいところです。この運動も、最近はサボりがちです。ウォーキングをしていますが、姿勢と歩幅とスピードにさらなる工夫が要求されています。

 夜更かしも増えました。つい気が緩んでお菓子も食べ、果物も多くなりました。
 初心に返って、気合いを入れて、炭水化物を極力遠ざける食生活を続けることにします。

 何事も実験あるのみですから。特に、消化器のない私には、自分で自分にあったことを探すしかないのです。
 
 
 

2012年6月 2日 (土)

授業(7)平安文学の翻訳本と女性の功績

 昨日も、渋谷ヒカリエの前を通過しました。先週の帰りがけに、何か私にとっておもしろそうな店はないかと思い、中を少し歩きました。
 5階の小物売り場は私にも楽しめるようです。ただし、皮小物だけしかめぼしいものがなかったので、さらなる探検をしたいと思っています。

 このヒカリエには、男子用トイレは、食堂街である6階より上を除くと、B3、B1、3階にしかないのです。1階以上では3階だけしかありません。1階、2階、4階、5階にはないのです。
 私が男を排斥したビルだと言うのは、こうしたこともあります。
 休憩所があります。ここは、お年寄りと子どもと男どもが時間つぶしをする所です。
 日本の文化には「待つ女」の系譜があります。その意味では、ヒカリエは「待つ男」の舞台と言えます。新しい文学の素材となりそうです。

 今日は月初めなので、國學院大学正門右内にある神社では、月次祭が催行されていました。
 雅楽の音色が、木々の間から荘厳に響きわたっていました。
 渋谷の丘のキャンパスには、私が学生時代を過ごした40年前のものは何もありません。しかし、このお社の空間には、今も同じ時間が流れているのです。下鴨神社を通りかかったときと同じ感触が、自然と感じられました。
 
 
 
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 教室では、持参のパソコンを無線ネットワークに接続し、インターネットを自由に見られる状態にします。そして、私のパソコンの画面を、プロジェクタを使って白い壁に映し出します。

 空海に始まる平安時代の翻訳書の説明からです。海外の方との理解を共有するための文学作品の絵画化については、表紙の絵などを例にしました。

 また、私のホームページから公開している画像も、そうした一例として通覧しました。

「源氏絵」(〈源氏物語電子資料館〉より)

「コンピュータ・グラフィック」(〈源氏物語電子資料館〉より)

 視覚による情報の共有は、とにかく有効なものです。

 さらに、翻訳本の解題を公開している例を、これも私のホームページから紹介しました。これは、手元に冊子がない時には説明するのに便利なサイトとなっています。

「外国語による日本文学研究文献のデータベース化に関する調査研究」(〈源氏物語電子資料館〉より)

 ここには、

(1)「海外における源氏物語」
(2)「スペイン語圏における日本文学」
(3)「外国語による日本文学研究論文」

の3種類の情報群を公開しています。
 翻訳本の表紙絵は、さまざまな権利が伴うものなので、このホームページでは省略して、解説文だけを掲載しています。

 翻訳書を確認する中で、翻訳に果たす女性の功績が無視できないことを強調しました。

・『更級日記・紫式部日記・和泉式部日記』(大森安仁子、1920年)
・『源氏物語』(山田菊、1928年)
・『枕草子』(小林信子、1930年)
・『堤中納言物語』(平野梅代、1963年)
・『更級日記』(原順子、2000年)

 このことは、どなたかが調査してくださることを待ちたいと思います。

 なお、サイデンステッカー訳『蜻蛉日記』について、そのネタ本である小山敦子さんが残された冊子2冊が私の手元にあることを言い忘れてしまいました。以下にブログの記事を示して、その欠を補うこととします。

「新出資料『蜻蛉日記新釈』」(2010年3月10日)

 早足でしたが、これで中古(平安時代)を終えました。次は中世に入ります。
 
 
 

2012年6月 1日 (金)

インドでのメモ(2002-11)最終日はタクシーで移動

 2002年の学会に参加した折のメモは、今回で終了です。
 クトゥブミナールの写真を見て、下から見上げたアングルの関係があるにしても、東京スカイツリーに似ていると思いました。なにか関連があるのではないでしょうか。
 
 

■2002年10月29日

 世界遺産のクトゥブミナールへ行く。
 
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 今日のタクシーの運転手は、非常に几帳面なおじさんだった。まず、車がきれいに掃除されており、車内の部品も丁寧に扱っていることがわかる。エンジン音も快調で、急ブレーキも急ハンドルもなく、いたって紳士的な走りっぷりである。右車線に入るときにはきっちりと右手を窓から出すのだ。こんなタクシーの運転手は初めてである。
 助手席のN君にシートベルトを締めろと言う。あわてて締めようとするが、留め金がない。横の運転手を見ると、彼もベルトを襷がけにしてはいるが、肩越しに担いでいるだけで留め金にはかかっていない。ここだけは、いつものインドの運転手である。

 タクシーが故障したため、降りて様子を見る。よくあることで、いろいろな人が、どうしたどうした、と集まってくる。そして、みなんで、ああでもない、こうでもないと言いながら修理を始める。そして、最終的には直してしまい、また走り出すから不思議だ。とにかく、好奇心旺盛で何でも自分たちでやってしまう。愛すべき人達である。

 国立博物館では、サンダルウッドのペーパーナイフをたくさん買う。お土産のため。伊井先生は精力的に広い館内を隈なく駆け足で回っておられる。私は適当に休憩しながら見て歩く。

 日本へ帰る途中、宿舎にブレザーを忘れたことを思い出し、タクシーにUターンしてもらい取りに返る。そして、中宿りとしてネルー大学のアニタ先生のマンションヘお邪魔する。お茶と軽食をいただき、歓談の後に空港へと急ぐ。

 今回も、書ききれないほどの充実したインドの学会参加であった。
 今後とも、日本とインドの文化交流に役立つようなお手伝いをしたいと思っている。
 
 
 

NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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