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2012年6月 7日 (木)

新婚生活の地を訪れての驚愕

 新婚時代に住んでいた所に行きました。
 当時の住所は覚えています。しかし、今はその地名も番地も変わっています。
 グーグルアースで見ても、さっぱり当時の場所の見当がつきません。
 記憶力のいい妻がそうなので、私にはなおさらお手上げです。

 とにかく最寄り駅の駅前の書店で、周辺の地図を見ました。やはり思い出せません。
 隣の不動産屋で旧番地を言っても、36年という時間の流れの中であまりの変貌ぶりに、かえって話が混乱します。

 交番に入りました。
 若いお巡りさんは、親切にもゼンリンの詳細な地図を持ち出してくれました。
 うろ覚えの店の名前や学校があった場所を手掛かりに、3人で人差し指を地図に這わせました。
 いかんせん、36年前の話なので、お巡りさんも生まれていないのです。あやふやな訳の分からないことを言う我々を、お巡りさんは認知症の親の相手をするかのように、優しく丁寧に対応してくださいました。とんでもない闖入者でごめんなさい。そして、長時間お付き合いをさせて、すみませんでした。

 結局、住んでいた家の前の小学校の名前がわかり、問題は解決しました。

 いつも乗り降りしていたバス停の名前もわかりました。
 20台前半の若かった頃のことなのに……
 それも、新婚時代のことなのに……
 悔しいかな思い出せなかったのです。

 目指すバス停で降りても、やはり当時が思い出せません。狭い路肩にバスは止まったはずです。それが、あまりにも違うので別世界に来た思いに駆られます。
 
 
 
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 ただ、ぼんやりと、記憶が陽炎のように見え隠れするだけです。
 狐につままれた、とはこうしたことを言うのでしょうか。

 信号、横断歩道、小さなお寺、狭い道、と歩いていくうちに、次第にこれが当時は狭いあぜ道のような所だったことがわかり出しました。
 
 
 
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 しかし、すぐ目と鼻の先の角を右に曲がって、と思っても、あまりにも雰囲気が変わっているので半信半疑です。目を疑うほどの立派な風景が、我々の眼前に展開しています。当時の面影はまったくと言っていいほど、微塵も感じられません。
 
 
 
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 この道もかつては細い道で、ガードレールの所を草に覆われた小川が流れていました。
 右側には、確かに小学校学校がありましたが……

 それでも、微かな記憶を信じて進むと、目的のかつての住まいがあった場所が目に飛び込んで来ました。
 
 
 
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 写真中央の赤い車の手前に、2階建ての家があります。これが、当時は平屋でした。周りは田んぼだったように思います。
 この家を、結婚したての我々は、3年ほど借りました。ちょうど私が大学院の修士課程の頃です。
 当時の私は学生だったので、妻に養ってもらっていたのです。いわゆるヒモです。

 写真の赤い車の向こうが大家さんの家でした。時々、大家さんがキュウリなどの野菜をもってきてくれました。そして、野菜を肴にして、縁側で一緒にお酒を飲んだりしていました。しかも、真っ昼間から。
 夕方になると、私は自転車で駅まで妻を迎えに行きます。そして、2人でブラブラと帰って来ました。
 今から思えば、牧歌的な生活です。

 家の南側には、妻が小さな庭と畑を作っていました。そこにはたくさんの花が咲いていました。目の前は小学校のグランドでした。学校帰りのこどもたちが、いつも花に話しかけていました。私は、ボケと桔梗の花が好きで、縁側に座って花を見て気分転換をしては、また机に拡げた資料とにらめっこをする日々でした。

 思い出す場面の一つ一つを、目の前の光景が支えてくれません。本当にここにいたのだろうか、との思いが、ここを立ち去った後も消えませんでした。

 立派になった道を進むと、当時はなかった新しい駅が2つも向かい合うように並んでいました。この地域の発展ぶりが、この一事をもってしてわかります。

 新しい駅前に、しゃれたビルがありました。その中にあったレストランで、おしゃれでわさやかな食事をしました。私はワインを、妻はビールを飲みながら、今しがた見たものと36年前の記憶とを付き合わせることで、老化防止のトレーニングに励みました。その落差は、想像を絶するものでした。
 
 
 

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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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