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2012年7月の31件の記事

2012年7月31日 (火)

賀茂川散策後の昼食はお寿司\(^_^)/

 昨夜救急で入院された方が、私が入っている部屋で先週末に空いた一画に急遽入られました。大変な病状のようです。昨夜11時頃、その方のベッドから、高い周波数のピーヒョロピーヒョロという機械音が部屋に響きました。点滴のような道具から、警告音と赤いランプが点滅したのです。すぐに、ナースセンターへ知らせに行きました。
 同じことが、夜中の1時、2時、4時にもあり、枕元のコールボタンを押して看護師さんに連絡しました。同室のもうひと方も、夜中に3回もナースセンターに知らせに行ったとのことです。真夜中にオリンピックを見ていたからよかったが、と言っておられました。点滴の警報がセンターに直接届くシステムではないようです。
 4人部屋は個室とは違い、入院生活ではいろいろと気が紛れていいことが多いものです。しかし、その中に重篤な急患の方が加わると、途端に同室の者への負担がかかります。お互い様として納得はしていますが。
 今朝は、夜勤だった看護師さんが、昨夜は大変な思いをさせてごめんなさい、とお詫びにこられました。それよりあなたこそ、と労いましたが、病院は大変な職場であることを実感しました。

 そんなこんなで、今日は寝不足の一日です。

 朝食後は、今日もお腹がきつい感じがして、吐き気一歩手前が続いています。
 それでも、お腹が落ち着くと、何かもの足りない気がします。ここに入るまで、食後に口にしていたチーズやナッツがないこともあるせいでしょう。
 
 
 
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 お昼前に、許可を得て外出届を出しました。
 玄関を出てタクシー乗り場から吉田山の方を見やると、送り火の「大」の字が如意ヶ岳にくっきりと見えます。
 
 
 

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 10日ぶりの賀茂川です。日射しがきついので、木陰を選ってのウォーキングです。血糖値に変化があるとややこしいので、これまで運動は控えていました。しかし、もう変動のパターンが一定になったようなので、これからは少しずつ運動をします。今日は、その試運転です。

 我が家の近くにいる鷺とは違う鷺君(さん?)がいました。
 まだ私に慣れていないせいか、近寄るとすぐに飛び立ちました
 写真の右上は荒神橋です。丸太町橋から北方向にシャッターを切っています。
 
 
 
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 丸太町通りから東大路通りに左折する角に、熊野神社があります。バスで京大病院に来る時には、この熊野神社前で降ります。
 この神社に隣接して、八ッ橋発祥300年の本家西尾八ッ橋のお店があります。
 
 
 

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 また、この前の東大路通りを挟んだ向かいには、聖護院八ッ橋総本店が競うようにして建っています。
 
 
 

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 この熊野神社と八ッ橋のお店については、2年前の手術の直前に「京洛逍遥(154)熊野神社・八ツ橋発祥の地」(2010年8月 3日)として書きましたのでご笑覧を。

 昼食前の血糖値の測定は、この熊野神社の木陰で計測しました。連日病室に籠もりきりだったので、なかなか気持ちのいい空間での測定となりました。

 昼食は、待望の握り寿司でした。
 
 
 
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 塩分制限のある方は、お気の毒にも肉じゃがでした。
 お寿司1個のご飯は25グラム。これは病院での標準だそうで、一般的には20グラムだとのことでした。
 写真のお寿司は小さく見えます。しかし、ご飯は相当固く握ってありました。

玉子、イクラ、アナゴ、エビ

 昨夏、糖質制限食に取り組む前には、毎日のように回転寿司屋で食べていました。今回の入院を機に、このお寿司が心置きなく食べられる食生活が組めたらいいのに、と内心楽しみにしています。

 血糖値を上げないお寿司の情報を、息子が送ってくれました。このことは、また後日詳しく記します。

 今日のお寿司は、甘味料ではなくて砂糖が入っているそうです。
 主食を補うものとして、里芋が付いています。芋類は、糖質制限食では避けるものとなっていました。何でもテストなので、とにかく食べました。当然、血糖値は上がります。
 M先生が病室にお出でになり、先日採血した精密検査の結果を説明してくださいました。外部機関に出したので、時間がかかったのだそうです。

 その結果、尿検査では見られなかったケトン体が、血液検査では少し高くでているとのことでした。なお、ここでは単位は省略します。数値の後のカッコ内が基準値です。


アセト酢酸     40(55未満)
3−ヒドロキシ酪酸 132(85未満)
総ケトン体     172(130未満)

 昨夏より11ヶ月間ではありますが、糖質制限食を可能な限り取り組んで来たことにより、多少なりともケトン体が出るようになったと思われます。以来、血糖値が予定通り確実に下がっていたのは、やはり糖質制限のためと判断してよいでしょう。あくまでも素人判断ですが。
 この病院の先生方は、このことを認めながらも、推奨できない血糖値の下げ方であるとおっしゃっています。その理由は、健全な身体を作り、豊かな食生活をすることが大事である、という点にあります。ただし、このことと、糖質制限で血糖値が確実に下がることの天秤が、まだ私には釣り合いません。当面の血糖値に限って言えば、炭水化物を摂って血糖値を高く吊り上げることのリスクの方が、今は大きいのではないか、と思っています。

 この2つの要素のさじ加減が、具体的な物差しとして見えてくればいいと思います。

 なお、M先生の血液検査の結果の説明によると、私の貧血傾向については、ビタミンB12が足りないことに起因する、とのことでした。これについては、18歳の時に胃を3分の2を切除したときから指摘されていたことです。仕方がないことです、と言われてきました。これに対して、2年前に胃をすべて切除したので、今後とも改善する力を持ち合わせていないことから、それを補う薬として「メチコバール錠」を飲むことを提案されました。
 「メチコバール錠」は、これまでにも処方されたことがある薬です。これについては、よくその意味がわかったので了解し、処方してもらうことになりました。明日から毎食後に飲むことになりました。

 インスリンについては、数値は「0.5(3-15、空腹時)」と低いようです。しかし、しっかりと出ていて利いているから、食前の血糖値が正常値で安定している、とのことでした。
 これについては、検査を通してさらに詳しく教えてもらおうと思っています。

 夕食は、ご飯を除くと、これまでに妻が作ってくれていた食事とほぼ同じものでした。
 
 
 
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 しかし、食後の血糖値を見ると、その内容が違うことがわかります。


・茶碗1杯の白いご飯150g(270kcal)には56gの炭水化物が含まれています(『はじめてのカーボカウント』42頁、中外医学社、2009.5)。これは血糖値を166mg上昇させるようです。
・今日の夕食で、食後2時間の血糖値は303mgでした。
・したがって、ご飯を食べなかった場合の血糖値は137mgとなります。教科書通り、炭水化物が50〜60%のようです。
・妻が作ってくれていたご飯のない糖質制限料理では、食後の血糖値の平均値は133mgでした。

 これだけでの比較は乱暴にすぎます。それにしても、このような事例はどう考えればいいのでしょうか。今、私にはよくわかりません。
 とにかく、今日の夕食で言えば、ご飯を除いたものに匹敵するくらいの、低糖質の食事を妻は作ってくれていた、と考えていいのでしょう。それでいて、ご飯がなくてもいろいろと工夫してある、美味しくてカロリーも十分な食事を食べていたことになります。
 専門家ではないので、この理解でいいのか自信はありません。しかし、そんなに的外れな推測ではないと思います。
 批判されることは覚悟で、思いつくままに記しました。ご教示いただければ幸いです。
 
 
 


2012年7月30日 (月)

入院後1週間の血糖値の推移

 今日は、心臓超音波検査を受けました。
 昼食会では、ドリンクの中にどれくらい糖分が入っているか、という話でした。
 我々が一般的に手にするコカコーラやポカリスエットには、角砂糖7〜8個分も入っているのですね。砂糖のジュースです。
 糖尿病教室は、「糖尿病のウソ・ホント」がテーマでした。膵臓から出るインスリンの働きについての説明が中心でした。

 今日の食事から。
 朝食のパンは、やはり苦手です。ノドが詰まりそうになります。食後の不快感と軽い吐き気は、依然として続いています。下痢は収まりました。
 
 
 
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 昼食のロールキャベツは好きなおかずです。しかし、包んでいるキャベツは噛み切るのが大変なので、いつも苦労しています。
 
 
 
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 夕食は、妻と喋りながら食べました。一人で食べるよりも、話し相手がいた方が美味しくいただけますね。
 
 
 
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 ちょうど入院して1週間が経過したので、これまでの情報をまとめておきます。
 本ブログは、この分野の専門家もご覧になっているようなので、無味乾燥なデータの羅列ですが参考情報として掲載しておきます。
 とにかくこの1週間、毎日毎日、規則正しく血糖値を測定しました。決まった時間になると看護師の方が数値を聞きに来られるので、なにがなんでも測定することになります。そのデータのすべては、以下の表の通りです。
 
 
 
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 これをグラフにすると、次のようになります。
 
 
 
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 色つきの線は、次の項目を示しています。

  緑=食後1時間後
  青=食後 40分後
  赤=食後2時間後
  橙=食前

 私は、5年分以上の測定値を持っています。それらすべてを引いても混乱するだけなので、この1年ほどの推移がわかるものを整理してみました。
 
 
 
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 緑=食後1時間後
 赤=食後2時間後
 橙=食前
 青=ヘモグロビンA1c(10倍値)
 
 縦軸1 昨年8月以前、糖質制限食に取り組む前
 縦軸2 昨年8月以降、糖質制限食に取り組んだ直後
 縦軸3 昨年9月〜今年2月、順調に糖質制限食進行中
 縦軸4 今年4月〜7月、娘の結婚式後、少し制限が緩む
 縦軸5 今回、京大病院入院中の糖尿病食による測定

 このグラフを見れば明らかなように、横軸の2〜4の緩やかであっても糖質制限食の時期と、右端5の京大病院入院後の糖尿病食生活による高血糖状態の推移へと、まさに一目瞭然です。
 病院内の給食で、お米・パン・麺など、大量の炭水化物を摂取しているので、私の血管の中が高血糖状態になるのは当たり前です。これまでの11ヶ月間、私は可能な限り糖質を摂らない食生活だったので、身体もビックリしていることでしょう。

 今、あえて高血糖状態にあることを今後どうするかについては、先生方が対策を考えて下さっています。普通は、ここで薬物療法に入ります。しかし、その解決策としての薬物に、私は頼りたくないことを伝えているので、何かと悩ましくなっているようです。

 夕食前に、栄養士のW先生がいらっしゃいました。そして、私が今の食事がつらいことをM先生を通して何度も伝えていることをお聞きになっているので、1回分の炭水化物を減らし、さらなる分食のことを考えてみる、とおっしゃっていました。私が、これまで間食としてチーズやナッツを大量に食べていたことを確認しました。それも考えていると。ただし、ナッツはこの病院では出せないそうです。嗜好品になるからだと。私個人が持ち込むものならばいいので、そのことも含めて再検討をしてくださるようです。

 私が栄養士のW先生に、食後血糖をコントロールすることに関して「カーボカウント」についてお尋ねした時、ちょうど先生の携帯が鳴り、周りが賑やかになったので、またということで今日は終わりました。
 もちろん、「カーボカウント」が炭水化物の摂取を制限して血糖値を下げる目的で考案されたものでないことは、私も十分承知しています。しかし、それがインスリンとの抱き合わせであっても、私に応用できる余地がないのか、今いちばん知りたいところです。

 日本食は欧米のように単純な食事ではないので、この「カーボカウント」が難しいとされています。しかし、日本人は炭水化物をたくさん摂る民族なので、これは今後とも大切な問題だと思います。
 このことは、また機会をあらためて詳しく書きます。
 
 
 

2012年7月29日 (日)

吸血鬼に魅入られた高血糖の日々

 平穏な時間が流れていきます。
 淡々とノルマである血糖値を測っていると、その合間に食事が運ばれて来ます。
 本を読みたくても、検査と検査の間に小刻みな時間が散らばっている一日なので、本に集中できません。効率が悪いのです。しばらくは、予定していた仕事は保留することにしました。

 朝食は、バターロールが出ています。パンも、少し慣れたのか、ノドに引っかからなくなりました。その代わり、血糖値はうなぎ登りです。
 
 
 
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 今日のお昼には、そうめんが出ました。涼しそうです。
 
 
 
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 麺類を食べるのは1年ぶりです。糖質制限食では、ご飯、パンに加えて、麺類も避けるべき食品となっているのです。それにしても、そうめん180グラムは多いですね。
 金平ゴボウも、これまでは避けてきたものです。案の定、血糖値はさらに上がっていきます。

 夕食は、サッパリしたものでした。
 
 
 
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 しかし、これが意外に血糖値をグングンと上昇させました。食後40分で早くも307になりビックリしました。さらに、食後1時間で、何と472まで押し上げられました。
 一昨日、検査のために血糖値を上げるグルカゴンという薬を血管に入れられた時には、475まで上がりました。今夜は、それに匹敵するほどの高い数値を記録したのです。2時間後でも301だったので、一見身体に優しそうな食事でも、とんでもないことを引き起こすのです。

 ここに来てからというもの、これまで食べないようにしてきたもののオンパレードです。また、安心して食べても、数値が予想外に高くなる場合もあります。現在出されているのは、糖尿病食としての低カロリー食です。それで予想外に血糖値が上がっているので、このような食事を今後とも食べていくとは思えません。今だけだと思います。
 こうしたことの連続が最後にどのような結論を導き出すのか、大いに楽しみです。
 
 
 

2012年7月28日 (土)

入院6日目にして初めて外気を吸う

 今日は土曜日です。月曜日に入院して以来、とにかく慌ただしい6日間でした。毎朝、体重、血圧、脈拍、体温の測定があり、1日10回以上の採血と、その合間にいろいろな検査をしました。

 これまでに記した通り、お米やパンをはじめとして、多くの炭水化物を口にしています。正直言って、予想通り血糖値が高くなり、なかなか下がらないせいもあって、思うに任せられない生活です。

 今日も夕食の最中に腹痛と吐き気がしました。これで、今回の入院以来4回目です。これが一番つらいことです。みぞおちから下腹部が突き上げられるような痛さと不快感は、口では表現しにくいものです。動悸が激しくなると、食事の手が止まります。今は、一食を30分かけて食べるようにしています。もっとも、家では1時間以上をかけて食べているので、私のリズムで言えば家よりも2倍も早く食べていることになるのです。

 朝食のパンは、まだ慣れなくて、粉っぽさが胸につかえます。
 今日のデザートはオレンジでした。
 
 
 
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 昼食は、土曜日ということで昼食会がなかったので病室で食べました。ビーフカレーはカレー風味のビーフシチューで、私の口に合いました。
 
 
 
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 午後、同室のお一人が退院されました。現在、4人部屋に入っています。めでたく退院された方は、80歳という高齢でした。それにもかかわらず、朝5時には院内を早足で歩き回られ、日中にはここ聖護院地域や吉田山の麓を周回しておられました。同室のお2人も、血糖値を下げる意味からウォーキングという運動療法として付き合っておられました。1日1万歩から多いときは2万歩以上という強者3人組みで、私が入った部屋は体育会系の部屋として知られています。その中で、私だけが貧弱な身体で、いまだ運動療法に入っていないので部屋にジッとしています。

 それでも、昨夜から少し院内を意識して歩いています。昨年までは銀座のスポーツクラブで泳ぎ、マシンジムで体を鍛え、スタジオでエアロビクスを踊っていたとは、ここにおられる誰も、信じてくれないでしょう。

 午後に姉と娘夫婦が見舞いに来ました。院内にあるドトールコーヒーのラウンジでコーヒーを飲み、楽しい一時を過ごしました。切った貼ったということもなく、命に直結する重篤な状況でもないので、娘のマンションにゴキブリが出て大騒ぎになったという話で盛り上がり、冗談も飛び交います。

 見送りを兼ねて、玄関の外に出ました。入院6日目にしてやっと病院敷地を出て、外気を吸ったことになります。
 東を望むと、如意ヶ岳の「大」の字が青く太く浮かび上がっています。今年の大文字の送り火は、この病院から見るのか、自宅の前から見ることになるのか、なかなか微妙な状況にあります。

 夕食は、なかなか箸が進みません。
 
 
 
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 ノドにつかえつかえで、危ないと思っていたら吐き気がしてきました。心臓の鼓動も早くなります。腹痛も起こりました。休み休み40分をかけて完食しました。どうにか大事には至らず、ホッとしました。血糖値は、食後2時間でも331という新記録となりました。食後2時間では180が目標値なので、遥か上空にいることになります。

 先生方が常にチェックしてくださっているので安心していますが、来週は何か新しい指示が出されることでしょう。
 
 
 

2012年7月27日 (金)

腹痛に苦しみ耐え抜いた一日

 早朝より、静脈からグルカゴンという薬を入れて血糖値を上げ、採血しながら様子を見る検査がありました。これによって、インスリンの働き具合がわかるのだそうです。私の体内で、血糖値の管理に直接関与するインスリンがどのように働いているのでしょうか。結果が楽しみです。

 朝食に食パンが出ました。食パンは、何年ぶりでしょうか。懐かしい思いで食べました。
 
 
 
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 午前中に、一昨年の胃ガン摘出手術でお世話になったO先生が病室にいらっしゃいました。半年毎の検診の予約が来月23日に入っていたのですが、出張で代診になるという連絡でした。CTは3ヶ月待ちなので、変更しない方がいいとの判断です。
 先生のお顔を拝見するだけで、懐かしさと有り難さが自然と頭を擡げます。わざわざ足を運んでくださったことに感激しています。忙しい日々の中を大変ですね、と労ってくださいました。私よりもお若い先生なのですが、父親のような親しみを感じます。

 グルカゴンという血糖値を上げる薬を早朝に血管に入れたこともあり、朝食後40分の血糖値は475にも上がっていました。食後60分は364に落ち、2時間後は147と急落です。その後、昼食前には83になったので、血管の中は大戦闘が繰り広げられたのです。

 昼食前には、栄養士の先生がいろいろとお話をしに来てくださいました。今一番食べたいものは、という問いかけには、間髪を入れず「お寿司です」と答えました。1年前までは、毎日のように食べていたのですから。海外に行っても、インド以外では必ず食べていました。お寿司は、糖質制限食にしてから絶っています。しかし、食べていいのならそれに越したことはありません。先生は、無言でした。果たして、この無言がどちらに転ぶのか、退院するときにわかります。

 今日の昼食会にも、息子が家族として陪席してくれました。土用の丑の日ということで、ウナギ丼でした。
 
 
 
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 昼食会に引き続いて、糖尿病教室となりました。講師は、先ほど病室に来てくださった栄養士の先生です。しかも、今日のテーマが「今後、おすしは何個食べられますか?」ということで、あまりにも出来過ぎの内容で狐につままれたみたいです。

 実際に先生が先ほど買ってこられた8個入りの握り寿司を出され、これの総カロリーを計算しよう、ということです。
 参加者は8人。一人1個ずつ選び、ご飯とおかずと野菜に分けて、それぞれの重さを量りました。お寿司解体実習の様相を呈してきました。
 私は海老の握りを、息子は海苔巻きを選びました。
 お寿司一皿8個のご飯の量は200グラム、おかずは64グラム、野菜8グラムでした。これを計算したところ、494キロカロリーでした。あらかじめ聞かれた時、私は800キロカロリーという予測を言いました。実際には握り寿司が手まり寿司だったので、普通の握り半分のご飯の量だったため、と言い訳をしておきましょう。
 ここでのご飯の量がものがたるように、お寿司は炭水化物の塊です。そして、野菜がほとんどないことも特徴です。この野菜がないと、噛むことが少なくなり、満腹感が得られずに食べ過ぎてしまうそうです。いい実践的な勉強になりました。

 昼食を食べ終わって実習を受けてしばらくしてから、急激にみぞおちのあたりが痛くなりました。1時間ほどは続いたでしょうか。あれほど好きだったお寿司を解体した祟りかと思いました。

 3時に補食として出されているマリーのビスケットと牛乳を飲んでから、「糖尿病とともに歩む」というカンバセーション・マップに参加しました。これは、参加した患者がお互いに目の前の図を見ながら、クイズをしたり意見を言ったりするものです。今日のテーマは「わたしの目標」です。栄養士の先生と患者5人が参加しました。みなさん、いろいろな経過の中でここにいらっしゃいます。これは、日頃接することのない生きざまを聞く機会となり、いい勉強になりました。

 最後にアンケートがありました。それぞれの質問に、私は以下のように答えました。


問)この話し合いで学んだ内、あなたにとって重要なこと
答)炭水化物の役割

問)何を改善したいか/あなたの目標は
答)食事内容の改善/お寿司を食べる生活

問)具体的な行動
答)食後1時間の血糖値のコントロール

問)いつから始めるか
答)進行中

問)誰があなたを支えてくれるか
答)妻・子供・医師

 この討論形式の講習会の最中に、また内臓が痛み出しました。今度は下腹部です。ズキズキと痛みます。我慢しながら受けた後、すぐに病室に帰って休みました。

 夕食になっても痛みは続いていました。ゆっくりゆっくりと食べました。
 
 
 
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 4時間以上も痛みの中にいました。その間、M先生が3度も様子を見にきてくださいました。3度目の時は、お話をしている内にスーッと痛みが引いていきました。運動不足もあるのでは、ということで、痛みが収まったのを機に病院内を散策することにしました。
 2年前、胃を切除した手術の後は、とにかく院内をくまなく歩き回りました。あの日々を思い出しました。あの時は南にある癌病棟からスタートしました。今回は北の病棟からのスタートです。20分ほど歩くと、すっかりよくなりました。

 帰るとまもなく、最初に外来で対応してくださった担当医のO先生が様子を見に来られました。じっくりと話を聴き、物静かに私の身体の現状と今後についての見通しを話してくださいました。

 まだまだ時間がかかりそうです。しかし、着実に解決策を見いだす方向で動いていることが、私にも伝わってくるようになりました。
 
 
 

2012年7月26日 (木)

血糖値の誤差に慣れる

 昨日の栄養士さんとの話の中で、患者さんの中にお茶の先生がおられるとか。お茶仲間には糖尿病の方が少ない、と聞いています。さて、その実態はどうなんでしょうか。
 これまでの私の感触では、抹茶と和菓子の組み合わせでは、血糖値はあまり上がらないと思っています。

 何でもはっきりさせたらいいと思っているので、茶道の各流派の先生方にアンケートをしたらどうでしょうか。
 その項目には、次のものが考えられます。


(1)流派名
(2)性別:男/女
(3)糖尿病か?:はい/予備軍(境界型)/いいえ
(3)茶道年数:○歳から○歳までの○年間
(4)現住地:○都道府県

 さて、朝食前に採血検査がありました。大量の血が採られました。
 いつも血糖値を採っている血液は指先の毛細血管です。しかし、この検査は腕の静脈から血液を採るものなのだそうです。そこで、食前の測定をする時だったので、その違いを試してみました。

静脈 103(精密検査用血液)
毛細  92(いつもの測定用血液)

 いつも血糖値を測るために採血している毛細血管は、精密検査の時の静脈からのものよりも「11」も低いことがわかりました。
 以前、病院で血液検査をした際、自分の機器の精度を知るために、採血した血液の一部でテストをしたことがありました。今から思えば、あれはあまり意味がなかったことになります。確か、私の機器が低く出たように思います。こんなことがあるのです。
 とすると、人間ドックなどでの結果は、日常的に取っている値と違うことになります。
 そんなに気にすることもない、あくまでも誤差の範囲内なのでしょうが、長年計測していたのに知らなかったことです。微妙なところが気になる方は、こんなことを知っていると気持ちが休まります。主治医であるN先生から、器具の誤差は15パーセントくらいではないか、とおっしゃっていました。

 看護師さんと話をしていた中で、指によって数値が違うことを聞きました。そうかと思い、実際に試してみました。結果は次の通りです。
 
■左手親指から 104 - 95 - 88 - 97 - 90  平均95
■右手親指から 104 - 92 - 97 - 85 - 102 平均96
 
 確かに、微妙に違っていました。親指は、左右共に高く出るようです。左右の人差し指なら、安定した結果が得られる、と言えそうです。実際に採血をしておられる看護師さんに伺うと、中指の方が多いようです。私の例で言えば、10くらいの誤差があります。どうということはないのでしょうが、微妙な数値に一喜一憂するな、という例ではあります。もちろん、私の指での話です。

 朝食にメロンが付いていました。こんなに甘いものを食べてもいいのか、手がうろたえます。
 
 
 
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 1時間後の数値は、予想通り300を超えました。ただし、2時間後にはストンと落ちて200を切ります。この急降下が気になります。これが、どこに、どのような影響を与えるのか。このまま放置するわけにもいかないはずなので、それではどのような対処法があるのか。
 昼食前の採血結果が異常に低くて驚きました。64だったのです。69以下は低血糖とされ、ブドウ糖を飲むのだそうです。これは大変だと思い、別の指で計測したら75でした。手を変えると78でした。記録してもらう申告は、中をとって75にしました。これならば、低血糖気味とはいえ、ブドウ糖を飲む必要はありません。
 計測する指による誤差が、早速我が身に降りかかって来ました。

 昼食は、いつもの通り説明を聞ながらの昼食会でいただきました。
 
 
 
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 ちょうど妻と息子が来ていたので、一緒に横で話を聞かせてもらうことになりました。やはり家族の協力がないと、この問題は解決できません。料理人の息子は、話を聴きながら給食の「献立明細表」をじっくりとチェックしていました。栄養士の先生に質問をしていたので、今度作ってくれる料理が楽しみです。

 今日の検査は、ABIという動脈の詰まりの程度を調べるものと、CAVIという動脈の硬さの程度を調べるものでした。私の血管の硬さは50代の前半に相当するそうです。ホッとしました。

 終わるとすぐに、糖尿病教室に参加しました。今日は「フットケア〜足の合併症はあなたのお手入れしだい〜」でした。昨日、足の検査を受けたばかりなので、よくわかりました。

 妻が持って来た京都新聞に血糖値の記事がありました。
 手元にある、糖尿病教室で使う教科書の資料と違うので、看護師さんに聞きました。そこで教わったことは、糖尿病と診断されるための数値(空腹時126以上、食後2時間200以上)と、血糖コントロール指標(空腹時130以上、食後2時間180以上)の違いである、ということでした。数字が飛び交う世界なので、苦手な文科系人間は混乱します。

 夕食は、今日も完食です。
 
 
 
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 ただし、今日も1時間後には300以上に上がりました。しかも、2時間たっても、いつものようには下がらず、291と高いままです。何がどうなっているのか、よくわかりません。
 
 そんなことを思っていたら、主治医のN先生がいらっしゃいました。そして、私の現状についてわかりやすく話してくださいました。非常によくわかる話で、私の疑問の多くを解決するものでした。ただし、どれが正しいのかは、これから長い時間をかけて解明されることです。私が一番得心がいったのは、日々いかに豊かに暮らすかということと、長生きをすることが大切だ、と言われたことです。慌ただしいばかりの生活の中にいる私にとって、心温まる話を伺うことができました。
 また、いい先生と出会えたようです。

 検査が進む中で、次なる手が考えられているようです。
 先生方からどんな提案がなされるのか、本当に楽しみです。妙案が出されることを、心待ちにしています。
 
 
 

2012年7月25日 (水)

診療計画に安堵し学習に勤しむ

 私の担当のM先生が来られたので、昨日もらった「入院診療計画書」の「治療計画」のことを確認しました。
 「薬物療法」については、「皆さんに書かせてもらっている文言なので。」とのことでした。そして、「食事療法でやりたいことは、わかっていますので。」とも。これで、昨日の最後に書いたことは一安心です。

 朝食はパンが一個減ったこともあってか、食後1時間が286。食後2時間も158と、少しだけ高めという結果でした。
 
 
 

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 補食が入ったことにより、一回の食事量が減ったことが大きいと思われます。
 ただし、パンやご飯という炭水化物が60パーセントを占める食事なので、当然のことながら食後1時間後には300近い値が出ることには変わりません。これをどうするか、というのが今後の課題です。

 今日は皮膚科の診察がありました。これからも連日、さまざまな検査があり、予想外に忙しい日々となります。

 教授回診がありました。たくさんの学生さんと先生方が一緒です。
 この時も、糖質制限食の話になり、私の考え方を理解してくださっていることがわかりました。I教授は、糖質制限は合わない人がいるので、その見極めが難しいので勧めていない、とおっしゃいました。
 確かに、今はブームの観があります。慎重な対応が必要なことは理解できます。最近、糖質制限食に取り組む人が多くなったことや、高雄病院の江部康二さん自身が糖尿病であることもご存じでした。

 たまたま私のベッドサイドのテーブルの上にあったiPad 2のグラフ表示に目を向けられたので、これまでの血糖値の推移の時間的な経緯を、私なりに説明しました。
 また私からは、ケトン体について先生に質問しました。頭が悪くなるかどうかは、わからないと。それなら、私が実験しましょう、と答えました。そして、私のケトン体について担当医に確認され、あらためて詳細を検査することになりました。

 私が疑心暗鬼になっていた薬物療法については、このまま食事療法で様子を見よう、という方針になりました。理解されていることを知り、ホッとしました。やはり、直接お話しをするのに限ります。
 私が、いろいろな検査を楽しんでいると言うと、なかなか奇特な心がけだと評価してくださいました。

 今日の昼食は、食べるのに少し苦労しました。お腹が強ばるのです。しかし、ゆっくりと完食しました。
 
 
 
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 今日の昼食会での話は、私を担当してくださっている栄養士の先生でした。
 病院のカレーはジャガイモを入れないそうです。主食の計算が面倒なので、とのこと。いろいろと楽しくておもしろい話でした。
 参加者の方は、ジャガイモがないのはカレーではない、とおっしゃいます。しかし、インドの家庭ではジャガイモは入れないのです。こんな時に、日本のカレーとインドのカレーの違いを実感します。

 午後は、妻と一緒に、栄養士さんと食事に関する話をしました。妻がこれまでに作ってきた糖質制限食の食事内容について、思い出しながら書いた記録(B5、5枚)を元にして、その詳細について聞き取りを受けたのです。
 貴重なアドバイスを受けながら、意義深い一時となりました。今日の話を参考にして、今後の私の検査結果を総合的に検討し、後日、食事に関するいろいろなアドバイスがいただけるようです。

 これに引き続いて、糖尿病教室にも、そのまま2人で参加しました。テーマは「運動療法〜はじめの一歩〜」です。講師は私の担当である先程の栄養士さんでした。2つの資格をお持ちだそうです。

 ポカリスェットには予想外に糖の量が多いことは聞いていました。しかし、具体的な話を聞くと、これを常時口にすることの怖さがわかりました。

 夕食は、野菜中心の食べやすいものでした。
 ただし血糖値は高目です。しかも、2時間経ってもほとんど下がらなくなりました。まだまだ様子見です。
 
 
 
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 この、身体を作るエネルギーの源である炭水化物・糖質は、そのまま血糖値に反映されます。その糖質を制限した食事では、血糖値は上がりませんが、その代わりに健康上さまざまな影響があるとされます。その「さまざまな影響」なるものが何であるのか、まだよくわからないということなので問題は深刻です。長生きできないというのは、糖質制限食を批判する方が最初におっしゃることです。しかし、その根拠はまだ解明されてはいないのです。

 夕食後、M先生がいろいろと連絡やら報告のために来てくださいました。小まめにいらっしゃるので、いろいろな話ができてありがたく思っています。
 今日は、糖質制限やケトン体のことを伺いました。わかりやすく説明してもらえるので助かります。よくわからないことが多い問題なので一緒に取り組みましょう、という温かい対応は、患者の立場からは気持ちが楽になります。

 とにかく、大上段に振りかぶった問題ではなくて、今は私の身体の問題です。
 糖尿病で、なおかつ消化管を切除している症例は少ないとされるだけに、これを機会に最適な血糖値管理を見つけ出したいと思っています。しかも、薬物を使わない方法を。
 この病院のスタッフならば、その解決策を見つけてくださるように思えます。大いに期待しているところです。
 
 
 

2012年7月24日 (火)

急激な腹痛で夕食を中断

 朝食は、バターロールのパンが4個も出ました。
 
 
 
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 私がパンを食べるのは、本当に久しぶりです。もともとパンを食べない生活でした。2年前に、この病院の癌病棟で出された朝食以来かも知れません。糖質制限食では、血糖値を上げる主因ともなる、ご飯とパンと麺類をまず抜くのでなおさらです。

 食後すぐに、目が重くて怠くなりました。心臓の鼓動が早くなるのがわかります。昨日も同じでした。顔が火照り、さらにはひどい下痢に見舞われました。昨晩もそうでした。

 いろいろと面倒を見てくださるM先生が回診で来られたときに、昨日同様の体調不良を訴えました。食後の体調不良はダンピング症候群のためではないかとのことです。3食という回数で、無理にたくさん食べているので、身体が水分を要求しているからではないかと。これまで快調な日々だったので、戸惑いながら、出されてくる大量の炭水化物が盛られた給食を口にしています。

 頻繁に測る血糖値も、相変わらず高いので、これがいつまで続くのか不安が過ぎります。しかし、先生に任せるしかありません。

 今日も昼食会で昼食をいただきました。
 
 
 


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 これは、ご飯以外は、これまで私が食べてきた糖質制限食です。

 眼科での診察があり、目に問題はないということでした。

 この病棟での初めての風呂に入りました。広くてきれいで、ゆったりとした気分になりました。

 先生から、今日の夕食から分割食になることの説明がありました。これで、血糖値の急上昇は避けられそうです。私が提示したこれまでの測定データも信用してもらえたようで、ひとまず胸をなで下ろしました。

 さらに、主治医との相談で、食後の高血糖をコントロールするためにどんな薬を使えばいいのか検討をした、とのことです。具体的にはインスリンの注射ではなくて、経口薬を使いたいようです。
 しかし、私はそれを聞いて、薬は使いたくない意志を伝えました。糖質制限によって血糖値はコントロールできているので、あくまでも糖質・炭水化物の摂取を見直す視点で、さらにはカロリー制限も考慮した解決策を見いだしたい、という気持ちを持っていることを伝えました。これは、初診以来、私が一貫して意思表示してきたところです。
 あの日の「7月下旬に検査入院します」(2012年6月 4日)をご笑覧いただければ幸いです。
 それがわかってもらえず、薬物療法という対処方法の提示を受けたことは、正直のところ失望しました。とにかく、血糖値の管理について、私に理解ができる対処を期待するしかありませんし、根気強く説明を聞きたいと思います。

 夕食は、お腹に優しい内容でした。ご飯も五穀米で、分量も200グラムから150グラムに減りました。
 
 
 
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 その晩ご飯を食べていたら、栄養士の先生がお出でになり、今夜から分割食にする説明をしてくださいました。
 その際、昨日の夕食と今日の昼食で、資料に書かれている炭水化物の計算が合わないことについて尋ねると、わかりやすく説明してくださいました。患者の説明においては、糖質・炭水化物のことは二の次三の次となっています。軽視はしないが、重視もしない、というスタンスのようです。食品成分表にも、これまでカロリー一辺倒であったものが、今年度からは糖質も併記されるようになったそうです。新たな流れにも敏感であってほしい、と思いました。

 栄養士の先生がお帰りになってすぐ、食事を始めて20分くらいした時でした。急激な腹痛に見舞われました。しばらく様子を見ていても治まりそうにないので、ゆっくりと歩いて看護師詰め所に行き、症状を訴えました。とにかくベットで横になっていたら、ということでした。
 M先生からは、食事は無理をしないように、との指示が出たとのことです。しばらく休んでいましたが、やはり治まりません。
 先生が来て、今日の血液検査の結果を説明し、お腹の手術痕を確認してくださいました。そして、腹痛は急激に水分を吸収しようとしたためでは、とのことでした。私にはよく理解できない説明でした。心臓がバクバクしたのも、その関係のようです。いずれにしても、食道と腸を直結した場所が鷲掴みされているような、締め付けられた痛さがなかなかとれませんでした。
 1時間以上経った7時半ごろから食事を再開し、ゆっくりと完食しました。数値はこれまで通り高いことは変わらず、あまり2時間後も低くはなりませんでした。

 昨日と今日の血糖値の推移は、次のグラフの通りです。
 
 
 

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 夜、分割食の導入で、捕食としてプレミアムクラッカーと牛乳を、寝る前に食べました。これも、1時間経っても低くなりません。二つとも、糖質制限食では避けてきた食品です。明日、これらについての説明があることでしょう。

 なぜ、ここまで意図的に血糖値を上げる方法がとられているのか、よくわからなくなりました。それまでが、ほぼうまくコントロールしてきていただけに、体調の急変に戸惑っています。
 カロリー制限と糖質制限をうまく取り入れた方策を期待していました。今日はまだ入院して2日目です。これからなされるのでしょうが、それにしても高血糖状態に身をおくこととなったこの2日間は、正直のところ「身体がしんどい」の一言です。

 なお、今日いただいた「入院診療計画書」の「治療計画」の項目には、以下のように書かれていることに気づきました。


血糖値の推移をみながら、必要に応じて経口血糖降下薬による薬物療法などを適宜施行します。

 「経口血糖降下薬による薬物療法」ということばが明記されていたことは意外でした。
 私は、薬は使わずに糖質・炭水化物を制御する中で、カロリー制限を含めての対処で、今の状態を安定させる提案を求めてここに来たのです。
 私の意志と反対の治療がなされることには、自分で理解と納得ができるまで説明を聞きたいと思っています。
 
 
 

2012年7月23日 (月)

京大病院入院初日の記録

 今回病院に入ったのは、糖尿病に関する科です。
 しばらく私の身体を医師団のみなさまに預けます。
 
 
 

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 看護師さんと先生の問診の後、昼食会というのがあったので、これに参加しました。これは、みんなで食事をしながら、栄養士さんの話を聞く会です。自由参加とのことでした。しかし、とにかく何でも知りたいので、行きました。

 その前に、M先生と治療に関する意見の相違がありました。それは、昼食から早速ご飯が出るとのことなのです。
 私としては、この11ヶ月の糖質制限食のことと、その成果が驚異的なので、今さらこの身をわざわざ高血糖に曝すのはリスクが多いのでは、と言いました。いまごろこんなことが話題になるのですから、打合せ不足でした。
 病院としては、ここでの食事による推移を見たい、とのことでした。それももっともです。私が勝手に測定した数値では、使い物にならないからです。

 結果的には、今日の測定値は私が予測した通りになりました。しかし、これで先生が納得され、新たな提案につながるのであれば、こうした人体実験は苦ではありません。リスクの多い実験に身をささげていることは、十分に承知しています。

 これまでの資料を見てもらいました。前回はヘモグロビンA1cの表がほしいとのことだったのでお渡ししました。今日は、私がコツコツと計測している血糖値の推移を示す表をコピーされました。いずれも、貴重なデータです。胃のない人間で炭水化物を摂取しない日々の成果なのですから。役立ててほしいと思っています。

 さて、食事会の部屋には、病室で食べるはずの食事が運び込まれました。
 
 
 

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 何と、お寿司だったのです。これで実験をしてもらえるのなら、安心して食べられます。
 ごはんが200グラムというのは、これが糖尿病食とはいえ箸をつけるのに躊躇しました。
 案の定というべきか、食べ進む内に目が怠くなりました。さらに目の奥が重くなりました。また、身体が熱を帯びてきました。両手の指先も痺れ出しました。不安を抱えながらも、とにかく実験なのだからと自分に言い聞かせて完食しました。

 食後、栄養士さんのお話がありました。
 
 
 

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 よく知られているカロリー制限食の話です。野菜の重要さを強調しておられました。
 後で2点ほど質問をしました。それは、甘味料は何を使っているか、ということです。「MARVIe」という、我が家で使っている「ラカント」と同じ種類の糖質の少ないものだそうです。
 もう一つは、今日の昼食で炭水化物はどれくらいか、ということです。90グラムくらいだそうです。私はこれまで、1日に炭水化物50グラム以内をメドにしていました。もちろん、素人判断でのものさしだったとはいえ、100グラムにはならなかったはずです。
 それが、この昼食だけで90グラムもあるのです。私の身体にどう影響を与えるのか、今後の様子を冷静に見たいと思っています。

 この昼食に関して、血糖値は以下の通りでした。

食前 30分 119
食後 40分 294
食後 60分 424
食後120分 263

 実は、病院側からは、食前30分と食後120分の測定だけを指示されました。しかし、私の身体は食後60分の状態が重要だということが、素人ながらも長い間の経験でわかっていることを伝えました。それでは、あくまでも個人的なこととして60分の計測もしてみては、ということでした。これは、病院側としては測定機器と試料の問題があるのでしょう。しかし、私は60分経過した時点での数値が重要だとの認識を持っているので、理解を求めました。結果的には、私が持ち込んだ、いつも私が家で使っている機器を使い、試料は病院側のものを使うことで了解が得られました。それによって、記入用紙に60分の数値も参考程度に書き込むことになりました。当然、看護師さんのパソコンにも、食前と食後60分、そして食後120分が入力されるのです。

 さて、上記の数値の推移を見てください。
 もし、病院側の指示通りに食前の【119】と食後120分の【263】だけだと、この血糖値検査の集積はどうなるのでしょうか。その間の40分の【294】と60分の【424】という高い数値が欠落したものであることを考えると、これは大変なことを見逃すことになったはずです。つまり、私の血糖値の最高値は、60分後に現れているからです。それによって、グルコーススパイクと言われる、血糖値の落差の状態がわかります。血管を守るためにも、この落差は低く抑えたいものです。そのためにも、私の経験として40分後も大事だと思っています。ただし、これは私が勝手に計測しているものとなっています。

 午後3時からは、糖尿病教室で学習会がありました。これも自由参加でしたが行きました。
 「あなたの知らない血糖の世界」というもので、血糖測定の仕方を聞きました。この病院で使われている測定器は「ワンタッチウルトラビューティ」というものです。私の「メディセーフミニ」とは違います。お昼に、私のものと病院のもので同時に測定したところ、私の方が10ミリグラム低く表示されました。誤差の内なのでしょうが、これは今後とも試してみたいと思います。

 その後、心電図とX線(胸部・腹部)、さらには体成分分析を受けました。
 いろいろと忙しいことです。

 さて、夕食です。これも、糖尿病食としてご飯が200グラムが付いています。さらには、これまで糖質制限食ではよくないとされている、餡かけや照り焼きがおかずにありました。これも、血糖値が相当高くなることを承知で完食しました。
 
 
 

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 結果は以下の通りです。変化が気になったので、さらに150分後の計測を加えました。

食前 30分  81
食後 40分 211
食後 60分 347
食後120分 225
食後150分 167

 ここからも、病院から最初に示された食前30分と食後120分だけでは、私の体内の血糖値の変化はまったくわからないところでした。つまり、正式な測定値の記録が、【81】と【225】しか残らないからです。つまり、これは胃のない者に特有の現象かも知れません。事実、私の実態がそうなので、それに合わせた情報収集を心掛けているつもりです。

 もっと書きたいことはありますが、もう就寝時間の10時です。
 自分の身体について、いろいろなことを考えさせられた入院初日でした。
 
 
 


2012年7月22日 (日)

入院前の血糖値の推移

 明日から京大病院で、規則正しい食事と血糖値の管理の日々となります。
 最近の私血糖値の様子は、比較的安定していると言えます。
 もっとも、お寿司を食べたときには、あまりにも急激に上昇したので驚きましたが。

・120608_食前 115 食後1時間 155
・120609_食前  91 食後1時間 185
・120610_食前 150 食後1時間 156
・120621_食前 112 食後1時間 162
・120625_食前  86 食後1時間 185
・120704_食前  97 食後1時間 149
・120709_食前  99 食後1時間 182
・120711_食前  98 食後1時間 209 牛丼
・120714_食前 118 食後1時間 201 食後2時間 112 ウナギ
・120715_食前  97 食後1時間 426 食後2時間 258
                      食後3時間 108 寿司
・120716_食前  88 食後1時間 167
・120716_食前  90 食後1時間 445 食後2時間 254
                      食後3時間 112 寿司
・120722_食前  90 食後1時間 139

 さて、明日からどのような検査があり、その結果と今後の対策がどうなるのか、非常に興味があります。
 今は、公式試合に臨む時の心境です。もう、なるようにしかなりません。
 
 
 

2012年7月21日 (土)

出町柳の「ろろろ」で昼食

 出町柳の枡形商店街の中にある「ろろろ」でお昼を食べました。
 ここは、和風創作料理のお店としてよく知られています。
 
 
 

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 これまでに何度か予約をしました。しかし、いつも満席で行けませんでした。
 通りかかったときに立ち寄ったことも、一度や二度ではありません。しかし、いつも満席か完売でした。
 それが、今日は幸運にもお客さんが退いた直後だったようで、テーブルにお膳が残ったままながらも席が空いていました。そして早速、お目当てだった20食限定の「ろろろ弁当」(1050円)をいただきました。
 
 
 
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(1)玉ねぎ胡麻浸し
(2)伏見とうがらし焼浸し
(3)じゃが芋煮干し和え
(4)ズッキーニ新しょうが和え
(5)万願寺とうがらしのり浸し
(6)モロッコインゲン揚げ浸し
(7)胡麻ドーフにバジルみそ
(8)なすび赤しそ和え
(9)土鍋ごはん
(10)かぼちゃのかきあげ
(11)出し巻干し海老あんかけ
(12)おみそ汁
 
 
 
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 糖質制限食を続けている私は、「(3)じゃが芋煮干し和え」「(9)土鍋ごはん」「(10)かぼちゃのかきあげ」の3品には手をつけませんでした。

 やさしい味付けでした。大原の無農薬野菜を中心にした、ヘルシーな創作京料理です。
 一番よかったのは「出し巻干し海老あんかけ」でした。海老がいい風味を添えていました。普段は、あんかけのようなとろみは避けています。しかし、これは美味しかったのですべていただきました。
 みそ汁は、中にセロリが入っていて、その食感が気に入りました。
 「(8)なすび赤しそ和え」も、予想外に塩味が控えめで、食べやすい漬け物でした。

 写真の右端に少し写っているアオキの葉には、おしぼりが乗っています。ご主人の心配りです。

 また一つ、もう一度行きたいお店が増えました。

 出町橋から出雲路橋に向かって賀茂川を散策しながらの帰り道、いつもの鷺のおじさん(?)が、いつものようにジッとしていました。
 
 
 
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 いつもの片足立ちではなくて、両足でしっかりと立っています。昨日来の大雨で増水している賀茂川の水を、しっかりと監視している雰囲気が漂っています。
 今日は、グレーの髭の鷺は見当たりませんでした。
 どこか別の場所で水量を見張っているのでしょうか。
 
 
 

2012年7月20日 (金)

授業(14)日本文学の用語解説集を構築すること

 この授業も、今日で最後となりました。
 私は、受講生のみなさんと一緒に考えることを意識して、議論の素材を提示しつづけてきたつもりです。
 教えるというスタイルではありません。意見を出してもらい、そこから問題を掘り下げよう、という手法でした。
 反応を見る限りでは、毎時間うまくいったようです。
 今日はその仕上げとして、懸案のグロッサリーのサンプルデータから約800例の具体例を示して、この問題について共同討議をしました。

 私の手元には、小西甚一の『日本文藝史』(全5巻、講談社、1985-1992)からサンプリングデータをとったリストがあります。これは、さまざまな人の手を経てきたものです。このデータを例にして、日本文学に関する英語表記について考えてみました。ここでいうグロッサリーとは、用語解説とでも言える、小辞典のことを言います。

 先週から、グロッサリー構築のために加工中の資料を学生さんに提示して、その問題点を考えていました。叩き台とする資料は、上記『日本文藝史』に留まらず、各種日本文学史の英語版から適宜抜き出した文学関連の用語のリストです。

 まず、『浜松中納言物語』の研究をしている人が学生さんの中にいたので、その作品をどう呼ぶか? ということから見ました。


浜松中納言物語
Hamamatsu Chunagon Monogatari
The Nostalgic Counselor

「Nostalgic」は「郷愁」と訳せそうです。「Counselor」は「相談役」くらいでしょうか。

 ウーンと唸ってしまいます。これでは、海外の多くの研究者と、日本文学に関する理解を深め、議論をするにはイメージを共有しにくいと思います。もし、これが最適だとしても、日本側としてはこの手の表現で作品を呼ぶことになると、馴れるのに相当の時間を要することでしょう。一言で言えば、ピンとこないと思われるのです。固有名詞の呼び方は、いろいろと微妙な問題が付随します。

 『源氏物語』は「The tale of Genji」でいいでしょう。「Genji monogatari」とする必要はないでしょう。
 物語と和歌も、一定のわかりやすい法則が必要です。いろいろな呼び方が広まる前に、小異には目をつむって一通りの呼び名を確定したいものです。

 人名については、「藤原定家」を「FUJIWARA no Sadaie」とするか「FUJIWARA no Teika」にするかという問題があります。これは、日本でどう発音するかに関わるものです。私は、古典文学では原則として音読みでいいのでは、と思っています。つまり「ていか」の方をよしとします。

 なお、こうしたグロッサリーを構築する上で参照すべきものとして、コロンビア大学のハルオ・シラネ先生が精力的に刊行なさっている一連の日本文学関連の書籍が、現在では非常に参考になる資料です。折を見て、手元の資料に手を入れて、いくつか試してみたいと思います。

 とにかく、日本語と英語の両表記による対照一覧を、いろいろな方とのコラボレーションを通して構築したいと思います。すでに、言語に堪能な方々が、さまざまな試みをされているはずです。そうした情報も集める必要があります。

 この件に関して、私は語学の専門ではないので、あくまでも問題点の提示に留まります。しかし、広く検討する場を設定することであれば、何かお役にたてるかもしれません。すでに着手・推進しておられる方からの情報を、お待ちしています。
 
 
 

2012年7月19日 (木)

永井和子先生との対談余話

 今朝は、立川の職場で行われたテレビ会議に参加しました。
 京都、東京、千葉にある7カ所の研究所にいるメンバーが、各自の職場にあるテレビ会議システムの前に集まり、カメラとマイクに向かいながら、分割された画面に映し出された各機関の委員と会議をするのです。

 確かに、1カ所に集合するために移動する時間と旅費などを考えると、節約にはなります。しかし、話し合いをした、という実感はほとんどありません。また、意見を言うタイミングを失することも多いのです。遠隔地の仲間と画面をにらめっこしながらでは、自由に発言はしにくいものです。常に自分の姿を視野に入れながら発言をするのは、ことばにしづらい違和感があります。人と人が集まって話し合う会議のようにはいきません。意見交換も、一方通行になりがちです。通信も何度か途切れました。技術的には、まだまだのようです。
 便利さによって失われるものがあることを、このテレビ会議では毎回痛感します。

 テレビ会議が終わるとすぐに、立川から神田神保町にある新典社に向かいました。
 今日の午後は、学習院女子大学の学長を務められた永井和子先生と対談をすることになっていたからです。

 『もっと知りたい 池田亀鑑と「源氏物語」第2集』では、巻頭に、永井和子先生から前田善子先生の蔵書群である紅梅文庫について伺い、その話を掲載することなっています。
 私からの不躾なお願いに、永井先生は快諾してくださいました。ありがたいことです。昨日に続き殊の外暑い中を、先生は時間通りにおいでくださいました。

 永井先生とは、国冬本『源氏物語』の「鈴虫」巻に長大な異文があることを私が論文に書いたところ、学会でお声を掛けてくださった時からです。それまでは仰ぎ見るだけの先生だったのですが、国冬本がうち(前田先生のところ)にあったというお話から、親しく語りかけてくださったのです。ありがたく、うれしくて、研究を続ける上での励みとなりました。

 その憧れの先生と、今日は長時間にわたって、興味深いお話をたくさん伺うことができました。
 
 
 
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 前田先生の蔵書群である「紅梅文庫」の古写本に関することは、あらためて認識を新たにしました。たくさんの本が池田亀鑑のところと行き来していた点では、新たにわからないことが出て来たりして、本当に刺激的な時間を持つことができました。
 さらには、前田先生のご長男と池田研二先生とは、中学・高校の同級生だったのです。

 私にとっては、とにかくたくさんの収穫があった、得がたい時間となりました。このように充実した時間は、そうそう持てるものではありません。ただし、私にとって興奮する内容が、文字としてまとめたときにわかりやすく伝わるかどうかは、ひとえにこれからの編集の腕にかかってきます。私が一人で満ち足りた思いでいるだけではすまないのです。責任は重大です。

 本日伺ったお話の中でのポイントの1つは、昭和7年に鈴木善子先生が前田司郎氏(永井和子先生の父上の弟)と結婚なさったことです。この昭和7年は、池田亀鑑の努力の結晶である「校異源氏物語」の稿本が完成したので、11月に蒐集した資料の一部を東京大学で展観した年なのです。

 2つ目は、昭和15年に前田先生が池田亀鑑に師事するようになった時、たくさんの『源氏物語』の古写本が池田亀鑑の桃園文庫から紅梅文庫に譲渡されていることです。その背後には、古書肆弘文荘の反町茂雄氏がおられます。池田亀鑑は、前田邸に家庭教師のように足しげく通われたそうです。『校異源氏物語』が刊行されたのは昭和17年です。

 3つ目は、昭和22年に前田先生が要書房を設立されたことです。終戦後まもなくのこの動きは、当時の女性の生き方を考える上で、非常に注目すべきことだと思います。そして、前田先生を中心とする文化サロンが形成されたのです。

 4つ目は、昭和25年以降に反町氏の手を経て、紅梅文庫にあった多くの『源氏物語』等が天理図書館に移りました。今、天理図書館にある国冬本には、昭和27年の受け入れの印が捺されています。

 つまり、池田→前田→反町の連係プレーのお陰で、今に残る貴重な『源氏物語』の古写本を、われわれは天理図書館で実際に閲覧できるのです。『源氏物語』は桃園文庫→紅梅文庫→天理図書館へとバトンタッチされ、今に受け継がれているのです。
 日本の古典籍の中でも『源氏物語』に関しては、その多くがこうして守り伝えられているのです。幸せな本だといえます。

 本日、多くのことを永井先生から伺いました。しかも、午前中が実感を伴わないテレビ会議だったこともあり、先生と間近に親しくお話ができたのは、本当に心躍る楽しい時間となりました。
 その内容は、秋に刊行予定の『もっと知りたい 池田亀鑑と「源氏物語」第2集』に収録しますので、それまで楽しみにお待ちください。
 
 
 

2012年7月18日 (水)

井上靖卒読(139)「山の少女」「爆竹」「再会」

■「山の少女」
 野性の少年と少女に興味を抱く作者は、そのことを詩の題材になる対象と見ています。井上靖の関心のありかがわかるところです。
 山に住む野性の少女が小説を書きました。信じがたいことです。しかし、直接本人に会っていると、それが嘘ではなさそうに思われるのです。なすことすべてが半信半疑のうちに、この話は終わります。
 何となく珍しい話を書いた、という中途半端な作品に留まっています。少女が住む世界に興味を持たされました。ただし、特にドラマ性も事件もないままなので、まとまりがありません。【2】
 
 
初出誌:改造
初出号数:1952年11月号
 
集英社文庫:三ノ宮炎上
井上靖小説全集13:氷壁
井上靖全集3:短篇3
 
 
 
■「爆竹」
 青春時代にあった一つの恋愛事件と言えるものが語られます。3ヶ月ほど同棲した女が病気で亡くなりました。和歌山県の潮の岬で一緒に死のうと言った、その日のことでした。その潮の岬へ行ってみることにしました。現地へ行ってみると、抱いていた暗いイメージが払拭されます。明るい岩場で、気象観測所のお祝いの爆竹を聞きながら、明るい気持ちで女のことを思い出します。
 学生時代の思い出から、人間の愛情の温もりを紡ぎ出した作品となっています。【3】
 
 
初出誌:労働文化
初出号数:1952年10月号
 
井上靖小説全集10:伊那の白梅・大洗の月
井上靖全集3:短篇3
 
 
 
■「再会」
 前作「爆竹」と同じく、学生時代に3ヶ月ほど同棲した女との話です。ただし、設定は大きく異なります。
 主人公は、女の勘違いから出世したと思われています。女も、幸せそうです。しかし、実はお互いがそうではないということが明かされます。舞台は京都の三千院です。
 この種の話は、井上靖が好きなパターンとなっています。小品ながら印象に残る作品です。【3】
 
 
初出:未詳
初出年:1952年11月(推定)
 
井上靖小説全集1:猟銃・闘牛
井上靖全集3:短篇3
 
 
 
〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/
 
 
 

2012年7月17日 (火)

井上靖卒読(138)「稲妻」「末裔」「みどりと恵子」

■「稲妻」
 夫は、わがままを通している妻を大切にしています。その妻は、過去を懐かしむあまり、かつて好きだった男と来た彦根に、夫と来ることにしたのです。そこで、夫の優しさや温かさを感じ取ることになりました。何と言うこともない夫との中に垣間見られた、人間としての温かさを描ききっています。
 夫婦の性格が、対称的に語られています。【3】
 
 
初出誌:小説公園
初出号数:1953年9月号
 
井上靖小説全集10:伊那の白梅・大洗の月
井上靖全集4:短篇4
 
 
 
■「末裔」
 人間関係とその背景が、わかりやすく語られます。込み入ったことが、実にスッキリとまとめられているのです。こうした語り口を、私は何とか見習い、真似をしたいと思っています。しかし、これは文才なしにはできない芸当であることを、しみじみと思い知らされているところです。
 古文書を集めて写す主人公は研究者です。その姿が、井上の若い頃を彷彿とさせます。何でも調べるのです。世話になっている男佐和の妹が、どうやら妊娠している話に展開します。その中で、月光が諏訪湖の湖面を照らす場面が、美しく描かれています。その娘と共に水面を眺める場面が秀逸です。お堂の秘仏を見せてもらおうとするところも、後の『星と祭』とイメージが重なります。ここは信州を舞台とし、片や近江と、違っています。しかし、湖を背景にしての雰囲気には、共通するところが多いように思われます。
 また、この地は武田信玄とも関連し、後の井上の戦国物の下地ともなっています。そして、奥伊豆に、生まれ来る赤子を預けることでも、作者の半生とつながってきます。この佐和は、後の『星と祭』では佐和山と言われる男に引き継がれます。井上らしい作品の要素が鏤められた、穏やかな語り口の、いい作品に仕上がっています。【3】
 
 
初出誌:新潮
初出号数:1953年10月号
 
角川文庫:楼門
角川文庫:花のある岩場
井上靖小説全集10:伊那の白梅・大洗の月
井上靖全集4:短篇4
 
 
 
■「みどりと恵子」
 夫への別離の手紙を書いたみどり。サバサバとした文章で、読みやすいと思います。
 淡々とした語り口の中に、1人の女の静かな心の動きが見えてきます。大きな展開はありません。湖の中を漕ぎ進む船のように、穏やかです。鵜飼いの描写が印象的です。
 夫が愛人にした女が、かつて想いを寄せた男の妹恵子であったことは、妻みどりにはショックでした。しかし、それも好きだった男とのことを思うと、心は乱されなかったのです。そんなものか、と何となく得心できないままに読み終えました。【2】
 
 
初出誌:オール読物
初出号数:1953年10月号
 
集英社文庫:三ノ宮炎上
井上靖小説全集10:伊那の白梅・大洗の月
井上靖全集4:短篇4
 
 
 
〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/
 
 
 

2012年7月16日 (月)

実験2・スーパーの握り寿司を食べる

 昨年の8月下旬までは、毎日のように回転寿司を食べていました。食べに行けないときには、スーパーやテイクアウトのパック入り握り寿司を買ったりもしていました。
 時には、1日3食がお寿司、という日もありました。

 それが、糖質制限食を始めてから、まったくと言っていいほど食べていません。

 前回食べたのは、
「実験と称して回転寿司を食べる」(2011年12月 4日)
に書いた通りです。
 その時に詳細なコメントをくださった YCAT さん。ありがとうございました。

 さて、半年以上お寿司を食べていません。
 来週から検査のために京大病院に入院します。そこで、事前に自分なりの検査という名目の実験をしてみました。

 上記ブログのコメントで YCAT さんもおっしゃっているように、

「たまにはいいんです(^_^)」

ということですから。
 禁欲的な無理はいけません。あくまでも、真実を知るための実験です。

 ということで、2日間にわたってスーパーから買ってきた握り寿司を食べた後、血糖値を測定しました。

 まずは手始めに、一昨夜、この季節なのでウナギを食べてみました。


食前5分前 118
食後1時間 201
食後2時間 112

 ウナギは血糖値をあまり上げないようです。もちろん、ウナギに付着していた味醂のタレは洗い流しました。山椒の粉は掛けました。豆腐とキャベツの千切りと一緒に食べました。
 今年はウナギが異常に高いようです。それでも、この結果を見る限りでは、素人判断ではありますが、メニューに取り入れてもいいようです。

 さて、肝心の実験材料である握り寿司です。昨夜の場合は近所のスーパーで、10個入りのお寿司のパックを買ってきました。
 
 
 

120715_nigiri
 
 
 

 久しぶりにお寿司を堪能しました。お寿司以外には、冷たい日本茶だけにしました。いつもの野菜がないのは、実験を意識したからです。

 そしてその結果は、次の通りです。


食前5分前  97
食後1時間 426
食後2時間 258
食後3時間 108

 予想は、350くらいでした。しかし、何と426なのです。しかも、血糖値が落ち着くまでに3時間もかかりました。これは、やはり大いに問題です。
 しかも、昨年末に食べた回転寿司屋での結果よりも、さらに悪いのです。
 あの時は、

食後30分=301
  60分=342/目標は180以下
  90分=264
 120分=172/目標は140以下

でした。

 今回の1時間後の数値が、回転寿司屋よりも80も高いのです。食べた種類にもよります。しかし、単純に考えて、スーパーのお寿司は糖質が多い、と予測できそうです。酢飯の違いに問題があるように思われます。これは、持ち帰りを前提にしているせいかもしれません。業界の方に聞いてみたいものです。

 そして今夜、性懲りもなく再度の実験です。
 今夜は、別のスーパーで8個入りのパックを買ってきました。
 
 
 
120716_sushi2
 
 
 

 飲み物は、昨夜と同じ冷たい日本茶です。
 ただし、今日は食前にグレープフルーツを半個食べてから実験に臨みました。
 グレープフルーツは、食前に食べると血糖値が低く抑えられるように思われるので、あえてここで事前に口にして、実験に臨んだのです。

 今夜の結果は、次の通りです。


食前5分前  98
食後1時間 445
食後2時間 254
食後3時間 112

 昨夜の結果と見比べると、ほとんど一緒です。
 食べた個数が2個減り、代わりにグレープフルーツが加わっていたのに、変化はなかったのです。

 さて、この結果をどう読み解けばいいのでしょうか。
 素人の私には皆目見当もつきません。しかし、糖質制限食でまったくご飯も麺もパンも食べない食事を心掛けているいつもは、食後1時間の数値はおおよそ180から200の間です。

 このお寿司の実験では、いつもの倍以上の数値を示しています。しかも、いつもは2時間後には100前後に落ち着くのに、今回は3時間もかかってやっと落ち着いています。

 ご飯を半分にするなり、工夫はありそうです。
 さらなる実験をしてみたいと思っています。
 
 
 

2012年7月15日 (日)

本ブログ30万アクセスに感謝

 たまたま本ブログのアクセスカウンターを見たところ、私のブログの閲覧回数が30万件を超えていました。

 このカウントのスタートは2008年7月12日です。ちょうど4年間のアクセス件数ということになります。
 毎日200人以上の方が読んでくださっていることになります。ありがたいことです。

 1日で1番アクセスが多かったのは、2008年11月1日の1504件でした。
 この日は、国立京都国際会館で「源氏物語千年紀記念式典」が開催されました。
 前日には、国文学研究資料館で開催していた源氏物語展示『源氏物語 千年のかがやき』が閉幕となっています。
 その前日には、今でもアクセスが絶えない「源氏千年(67)源氏写本発見というエセ新聞報道に異議あり」をアップしています。
 源氏物語に関する情報一色の頃のことです。

 このカウントの対象となっている4年間に書いたブログは1532本です。
 1日に数本アップしたりしているので、とにかく毎日書いていることになります。

 私が毎日ブログを書く決意をしたのは、3年半前の2009年2月27日です。この日から今日まで、1日も休まずに書き続けています。我ながらよく続いていると思っています。
 続けることには、それなりの苦労があるものです。特に、海外への出張が度重なる時には、時差の関係で何かと大変な思いをしています。

 私がインターネット上に〈源氏物語電子資料館〉と名付けたホームページを立ち上げたのが1995年9月でした。日本文学関係のホームページとしては、この〈源氏物語電子資料館〉が最初のものとなっています。私が、草分けとか化石と言われる由縁です。
 個人的なホームページとしては、〈大和まほろば発「へぐり通信」〉も起ち上げました。

 この時から、さまざまな情報をアップしてきました。
 当時はブログという概念もツールもなかったので、ホームページの中に日記のように日々記すコーナーを設けていました。

 その後、話題になり始めたブログをスタートさせたのは、2004年12月13日からです。〈たたみこも平群の里から〉と題したものでした。ホームページを公開してから10年後になります。このブログによって、私の情報発信の姿勢が変わりました。ホームページからブログにシフトしたのです。そのせいもあって、ホームページは今でも手つかずの状態で放置しています。そろそろ、整理をするなり、有効に再活用する方策を探っています。

 なお、私はトラブルに巻き込まれることが多くて、ブログを発信していたインターネットのサーバーが突然クラッシュしたために、それまでの記事のほとんどを消失したのです。忘れもしません、2007年3月中旬でした。インドから帰って、すぐに中国に行き、それらの旅の記をたくさん書いた直後でした。ショックでした。
 いくつかは再建しました。しかし、それらの記事のほとんどは、今につながってはいません。残念なことです。

 サーバーがクラッシュしたすぐ後に、奈良県生駒郡から京都市北区に転居することになりました。そして、すぐに〈賀茂街道から〉と題して、ブログを再スタートさせました。2007年6月24日からです。
 ただし、それもプロバイダが閉鎖されたりでデータを引っ越しさせ、〈賀茂街道から2〉と名付けたサイトに移行して続けました。さらに今年の1月末にまたまた京都市左京区に転居したため、〈鷺水亭より〉として気分一新して今に至っています。

 現時点ですべてを確認できるのは、2007年6月24日からスタートした〈賀茂街道から〉以降のものです。
 このブログの記事は、今日までに公開したものは全部で1891件となっています。これらは、今もそのすべてをこのサイトでご覧いただけます。

 今後とも、〈生存証明と日々の報告書〉としての日録〈鷺水亭より〉を書き続けるつもりです。
 どこまでこのまま走り続けられるのか。自分が一番楽しみにしているところです。
 
 
 

2012年7月14日 (土)

池田芙蓉(亀鑑)著『馬賊の唄』を読んで

 池田芙蓉の空想冒険小説『馬賊の唄』(昭和50年、桃源社)を読みました。池田芙蓉とは池田亀鑑のペンネームです。
 この本のことは、すでに一年前に書いた通りです。

「本と出会う楽しみ—末松謙澄と池田芙蓉」(2011年6月17日)

 あの時は冒頭部分を読んだだけだったので、今回一気に読み通したのです。
 実際にはもっと話は続いたようです。しかし、ここに再編集された部分しか、今は読むことができません。

 読み終えてみて、荒唐無稽ながらも、非常におもしろい話でした。これは、大正14年に「日本少年」に連載されました。読者であった少年たちは、次の展開を心待ちにしながら、心躍らせて夢を膨らませながら読み耽ったことでしょう。
 主人公である山内日出男は、中国の奥地から満州までを駆け巡ります。文中にも「父を尋ねて幾百里」(132頁)とあるように、気宇壮大な物語です。

 巻頭部分を引いておきます。


第一回

    一 落日紅き万里の長城

  絶域花はまれながら
  平蕪の緑今深し
  春乾坤にめぐりては
  霞まぬ空もなかりけり
 いずこともなく朗々たる歌の声が聞える。小手をかざして眺めやれば、落日低く雲淡く辺土の山々は空しく暮色に包まれようとしている。
 夕陽の光は大陸の山河を紅にそめて、名も長城の破壁を淋しく彩った。霞こめた紫色の大空には、姿は見えぬタ雲雀の声も聞えていた。(三頁)

 この美文調は、読み進むにしたがって慣れました。
 この冒険活劇の舞台となる中国大陸は、朝日ではなくて夕陽と月影が似合うように語られています。

 参考までに、この小説の目次をあげておきます。


第一回
 一 落日紅き万里の長城
 二 痛恨涙をのむ亡命の志士
 三 秋は深し楊子江
 四 父を尋ねて幾百里

第二回
 一 闇夜の物音
 二 闇をてらす炬火の光
 三 よし、相手になろう!
 四 人質の美少女

第三回
 一 腕は鳴る!
 二 敵か味方か
 三 かがやく朝日

第四回
 一 何等の荘厳
 二 馬もろともに真倒さま
 三 男児の試練
 四 戦闘準備

第五回
 一 魔の淵へ
 二 霊峰の落日
 三 死の窓
 四 この顔を見よ!

第六回
 一 真紅の大怪物
 二 計られたり!
 三 死の谷底へ
 四 起て! 稲妻!

第七回
 一 黒き影
 二 正義の妖霊
 三 覆面の曲者
 四 樹上の怪物

第八回
 一 両雄相会す
 二 平和の眠り
 三 敵近し

第九回
 一 怪火揚る
 二 「西風」たのむぜ!
 三 怪傑何人ぞ

第十回
 一 何者?
 二 戦のあと
 三 五月の朝
 四 見よ! 猛火の天

第十一回
 一 来れ! 大陸の王者
 二 さらば小英雄
 三 何者ぞ

第十二回
 一 絶壁の上
 二 月明の夜に
 三 乱闘又乱闘
 四 敵か味方か

第十三回
 一 万事休す
 二 呪いの炎
 三 さらばエニセイ

解説 種村季弘

 中国大陸を舞台にし、遠くヨーロッパまで見霽かした雄大な語り口は、『源氏物語』をはじめとする古典文学の文献学者とはとても思えません。その雄大な物語の展開は、つぎにあげるような、ここに出てくる地名を見ていくだけでも想像できるかと思います。
 ただし、池田亀鑑が中国大陸や満州の地理に詳しかったどうかはわかりません。いや、実際には知らなかったために、こうした夢幻の空想冒険談が書けたといえるでしょう。
 ここに引いた地名が、実際に今もあるものなのか、まだ調べてはいません。


万里の長城/浙江/奉天/上海/北京/江南/内蒙古/山海関/長白山脈/ゴビ沙漠/崑崙山脈/張家口/陰山山脈/帰化城/黄河/蒙古高原/天山山脈/嘉峪関/祁蓮山脈/キルギス広原/ブルカール/ロシヤ/モスコー/キエフ/ポーランド/ハンガリ/寧夏/蜿蜒山/ウラル/アルタイ/ヒマラヤ/サヤン山脈/バイカル湖/イルクーツク/シベリヤ/満州/コブド盆地/外蒙古/セレンガ河/タンヌウレヤンハイ/エニセイ河/ヨーロッパ/エニセイスク/クラスノヤルスク/トムスク

 さて、この物語の最後は、次のように結ばれています。


 一年に亙る冒険旅行は終った。
 日東の健児山内日出男は、宿願の通り、父を辺境に救うことが出来た。これは、あらゆるものにまさる喜びであった。が、彼の心は淋しかった。
 サヤン山脈を東に、国境を去らんとする日、彼は幾度か後ろをふりかえった。
「西風! お前も淋しいか?」
 愛馬はもの恨ましげにいなないた。旅衣ふきひるがえす夕風よ!
 顧みれば、夕陽紅をながすエニセイの河は、大山脈をきってうねうねとつづいている。
「さらばエニセイよ! 稲妻の霊よ!」
 日出男はこう云って暗涙をのんだ。
 父も佐藤父子も、蛮勇頬骨の快僧も、緑林好はじめ数百の騎手も、等しく夕日の光に照らされ、秋風に吹かれて愁然とつっ立った。(一七三頁)

 これが、今から87年前に池田亀鑑が池田芙蓉というペンネームで書いた物語の概略です。
 登場人物の設定や、表現の問題など、興味深いことがあげられます。しかし、それらは機会を改めることにします。
 
 
 

2012年7月13日 (金)

授業(13)翻訳史とグロッサリー集

 前回に引き続き、日本文学作品の翻訳史の確認をしました。

 昭和30(1955)年あたりから、急激に近代・現代文学の翻訳が増えていきます。日本の経済成長と比例するかのようです。
 そして、明治・大正・昭和の名作といわれるものも、何度も何度も、いろいろな言語に翻訳されているのです。芥川龍之介、川端康成、谷崎潤一郎などの作品が目立ちます。残念ながら、井上靖の作品は、『猟銃』以外はなかなか翻訳されません。

 続いて、文学用語のグロッサリーについて考えました。
 まず、平成17(2005)年にウィーンで開催されたヨーロッパ日本研究協会(EAJS)において、私が代表者となり5人(阿部真弓・海野圭介・胡秀敏・藤井由紀子)でチームを組んで参加した時の発表資料をもとにして、文学用語の英語表現について確認しました。
 これは、パソコンのネット活用であるアプリ・エバーノートで、この授業で学生さんと共有している領域に、あらかじめ掲載しておいたのものです。予習ができるようにしておきました。

 『源氏物語』に関する研究発表を日本語で臨んだ EAJS の学会では、各自の発表に関連するキーワードを英語で表記し、簡単な説明をつけたグロッサリー集を参考資料にしたのです。これは好評でした。

 例えばこんな具合です。


グロッサリー集 Glossary(LITERARY TERMS)

【胡】
国宝源氏物語絵巻 こくほうげんじものがたり えまき
Kokuho-Genjimonogatari-emaki
National Treasure:The Illustrated Handscrol l of The Tale of Genji.[*1-]

作り絵 つくりえ
Tukuri-e
A drawing technique called Tukuri-e was used to produce the illustrated handscroll. In this technique, a painter first draws a sketch in Indian ink and then writes his instructions for coloring. Another painter colors the sketch according to the instructions. The most skilled painter in the group draws the faces of the characters and patterns in Indian ink to complete the picture. [*1-]

引目鉤鼻 ひきめ かぎばな
Hikime-kagihana
The faces of the characters appearing in the handscroll are drawn in a certain pattern. The eyes are depicted by drawing extremely thin lines many times to make them look almost like a single line. This is called hikime(lined eyes).The nose is always depicted by a hooked line. This is called kagihana(hook nose). These are collectively referred to as hikime-kagihana. [*1-]

吹抜屋台 ふきぬき やたい
fukinuki-yatai
The roof and ceiling are omitted in drawing the structure of a building, as if its inside could be seen at an angle from above. this is the unique style of pictorial delineation called fukinuki-yatai(wellhole structure). [*1-]

注:[*1] “The Illustrated Handscroll of The Tale of Genji” (The Gotoh Museum)

 この発表資料では、勝手に新しい英語表現を創出してはいけないので、出典を明示してあります。

 国際化が叫ばれる中、日本文学に関する英語表現に役立つ、日本文学専用の日英対照語彙一覧が、いまだにありません。これは、早急に対処が求められるものです。

 今日は、私の手元にある資料を各自のパソコンで見てもらい、書誌学の場合に利用されているリストを通覧しました。せめて、こうした簡潔な語彙リストでもないと、研究の国際化と言っても、英語を主体とする共通の単語で話し合うことができないのです。

 国際化というスローガンは格好のいいものです。しかし、その背景には、基本的な資料が整備されていないことが露呈しています。言いたい単語を、英語で何と言えばいいのか明確ではないので、わかりやすく表現できないのです。

 海外で日本人が英語で研究発表をしても、言っていることがよくわからない、と言われます。これは、発表者本人の英語運用能力以前に、その共通理解の基盤をなす文学用語の共有がなされていないことに起因することが多いようです。

 また、質問された時に、聞かれている内容が理解できても、それに対応する外国語による語彙の共有がないので、上滑りの質疑応答となります。
 それよりも何よりも、英語で発表している日本人の発表内容が、聞いている日本人に英語で理解する語学力がないということもあって意味不明、という笑えない状況もあります。
 海外で外国語によってなされる日本人の研究発表は、いったい誰のための発表なのでしょうか。

 よく、日本語で発表してほしかった、と海外の方に言われている場面に直面します。無理をして相手の言語に合わせなくても、日本文学を研究している方々との場においては、日本語で話した方がよく通ずることが多いものです。
 何をもって国際化というのか、非常に難しい問題が横たわっているようです。

 以上は、自分の不勉強を棚に上げての話です。ご寛恕の程を。
 
 
 

2012年7月12日 (木)

牛歩のごとき『十帖源氏』の現代語訳

 新宿のアルタ横にある喫茶店のレンタルスペースで、いつもの通り『十帖源氏』の輪読を続けています。
 依然として「夕顔」巻で立ち止まっています。
 今日は「みたけさうじにやあらん」とあるところで足踏みです。光源氏が夕顔の家に宿ったときの話です。

 ここを、『新編日本古典文学全集』(小学館)では「御岳精進にやあらん」という校訂本文をあげて、現代語訳としては「御岳精進でもあろうか」としています。
 このままでは海外の方は困るだろうということで、数年前の最初の訳では「仏教信仰でしょうか」としました。しかし、今回の見直しで、「何かのお祈りでしょうか」とすることになりました。海外の方々のことを思うと、可能な限り専門的なことばを避けて、わかりやすいことばに置き換える必要があるのです。

 この「御岳精進にやあらん」に続けて、『十帖源氏』の本文は次のようになっています。
 「おきなびたる声にて、ぬかづくぞきこゆる。
 ここも、『新編日本古典文学全集』の校訂本文は「ただ翁びたる声に額づくぞ聞こゆる。」という校訂本文をあげて、「ひどく年寄じみた声で、仏前に額ずく声が聞える。」と現代語訳をしています。

 『十帖源氏』は原文を省略することなく、ほぼそのままの文章で語ろうとしています。ダイジェスト化によって変に削られていない点では訳しやすいところです。しかし、「額ずく」はそのままでいいのか判断に迷います。

 我々の最初の訳は、「年寄りのような声を出して、礼拝をしているのが聞こえます。」でした。わかりやすい訳だと言えます。しかし、いろいろな宗教を信じている海外の方を意識すると、「礼拝」とすることに躊躇します。議論を重ねた結果、「年寄りのような声で、お祈りをしている言葉が聞こえます。」となりました。

 これに続く「南無当来導師」は、そのままにしておくしかありません。
 そして、「十五日の月いざよふ程に」とあるところまで進んで来て、またもや「いざよふ」をどう訳すかで止まりました。
 今日はここまでにして、これは次回に、ということになりました。

 こんな調子で、『十帖源氏』の海外向け現代語訳を進めています。
 遅々として進捗しません。しかし、確実に海外用の訳文は形を成し、その訳出する工夫は実を結んでいます。
 
 
 

2012年7月11日 (水)

井上靖卒読(137)「海浜の女王」「美也と六人の恋人」「断崖」

■「海浜の女王」
 鎌倉の海岸で見つけた一人の女性。それは、意外な面を持っていました。『井上靖全集』で一頁ほどの掌編ながら、ほんの一瞬を巧みに切り取った作品となっています。【2】
 
 
初出:不明
初出年:1952年9月(?)
 
井上靖全集3:短篇3
 
 
 
■「美也と六人の恋人」
 小津は思案の末、かつての恋人である真門美也の夫の還暦祝いの晩餐会に出席するため、京都の東山にある邸宅に行きます。そこで、秘密の駆け引きが展開するのです。主人公は下鴨に住んでいたとか。美也をめぐる男たちの話がさまざまに拡がります。しかし、話にはまとりまを感じませんでした。【1】
 
 
初出誌:別冊文藝春秋
初出号数:1952年10月30号
 
中公文庫:暗い平原
井上靖小説全集10:伊那の白梅・大洗の月
井上靖全集3:短篇3

■「断崖」
 死者へ語り掛ける井上靖の手法でできています。読んではもらえない手紙です。しかし、茨木紅子は淡々と綴ります。数日にわたって記された手紙は、出すあてのないものです。しかし、それ故に、読む者に伝わってくるものがあります。
 紅子は19歳の時に、北陸のミッションスクールで先生に告白します。卒業後、出征する先生に逢うため、能登の実家から見送りに出かけます。愛する人に対して、静かな中から大胆な行動に出ます。数回にわたってつづられる亡き人への語り口には、愛情が溢れています。一緒に断崖から死ねなかったことを心にずっと秘めていればこその、真摯な想いが流れる手紙です。
 紅子をめぐる4人の男たちは、それぞれに紅子を彩る存在です。男たちの思いやりが、心地よく伝わってきます。わがままな女を通して、男の優しさが描かれています。人の心の温もりと時間が、ゆったりと流れています。【5】
 
 
初出誌:サンデー毎日
初出号数:1952年10月中秋特別号
 
文春文庫:断崖
井上靖小説全集10:伊那の白梅・大洗の月
井上靖全集3:短篇3
 
 
 
〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/
 
 
 

2012年7月10日 (火)

井上靖卒読(136)「水溜りの中の瞳」「あげは蝶」「夏花」

■「水溜りの中の瞳」
 小説家の気持ちを綴った小品です。
 一人の女性の読者としての反応が気になっています。しかも、明らかに嫌いだと執拗に言われ続けると、逆に相手をさらに知りたくなるのです。人間の心理を描こうとしています。しかし、話に深まりが出ないままに終わります。春の月光がうまく配されていても、活かされてはいません。作り話という匂いがまだ色濃く残った仕上がり具合です。【2】
 
 
初出誌:文学界
初出号数:1952年9月号
 
文春文庫:貧血と花と爆弾
井上靖小説全集10:伊那の白梅・大洗の月
井上靖全集3:短篇3
 
 
 
■「あげは蝶」
 癌の手術をするるみ子を見舞う場面から始まります。明るい雰囲気が清々しく感じられます。従兄妹のるみ子との心の交流に、愛情というものがほの見えます。若い日のるみ子との、出町、嵐山、四条が印象的に背景となります。従兄妹でありながら愛人のような二人が、爽やかに描かれ語られていきます。岡山、銀座と、井上靖がよく使う作品の舞台も出てきます。人間の心の襞とお互いを思いやる心情が、うまく抑制された筆遣いで語られます。人間のつながりを温かく見つめる眼がいいと思いました。【5】
 
 
初出誌:オール読物
初出号数:1952年9月号
 
文春文庫:断崖
井上靖小説全集10:伊那の白梅・大洗の月
井上靖全集3:短篇3
 
 
 
■「夏花」
 主人公の拓三は私大でドイツ文学と翻訳を教えています。そして、伊豆への旅は、男の浮気心がテーマとなっています。避暑地で出会った娘との旧懐の情が、丁寧に語られていきます。一つ一つの点をつなげていくようにして、恋心を抱いたらん子は悪魔的な女として描かれるのです。その魅力は、井上の筆によって、丁寧に彫り上げていきます。拓三は妻に内緒でらん子と逢い、語ります。それを知る妻の啓子。この、いけないという意識が話を引っ張って行くのです。そして、らん子のその後が最後に語られます。【2】
 
 
初出誌:小説新潮
初出号数:1952年9月号
 
集英社文庫:夏花
潮文庫:傍観者
井上靖小説全集4:ある偽作家の生涯・暗い平原
井上靖全集3:短篇3
 
 
 
〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/
 
 
 

2012年7月 9日 (月)

国文研蔵『源氏物語団扇画帖』服飾関係分類索引(畠山版6完結)

 『源氏物語団扇画帖』の服飾関係分類索引(畠山版5)では、「第三六図 幻巻(第四一帖)」から「第四五図 橋姫巻(第四五帖)」までの10図を扱いました。

 引き続き、第四六図から第五四図までの9図を取り上げます。
 これで最終回となります。

 今回は、とりあえず索引として使ってもらえる情報を提示しました。
 文字列の羅列となっています。
 見栄えの悪いものであることは承知で、資料として活用できる用語集を目指して整理したものです。形を整えて有効に利用していただければ幸いです。
 『源氏物語団扇画帖』の分類索引に関しては、いろいろとご教示をいただきました。
 この場を借りて、お礼申し上げます。

 国文研蔵『源氏物語団扇画帖』は、『源氏物語』の全巻を絵画化したものではありません。当初は、2セットあったと思われます。つまり、108枚あった源氏絵の内の54枚が適宜取り集められて、それらが一冊の折本に仕立てられたものと推測されます。
 その意味では、まだこの残りの54枚が出てくる可能性があります。その日がくるのを、気長に、楽しみにして待つことにします。

 なお今後は、『源氏物語』の全54巻を対象にした源氏絵の「服飾関係分類索引」を、畠山大二郎君にお願いしたいと思っています。

 用意が調い次第に、またこのような形で掲載させいてただきます。
 
 
 
「第四六図 藤裏葉巻(第三三帖)」
1(太政大臣) 衣冠姿
        冠(垂纓繁文) 袍(黒轡唐草、縫腋) 単(紅) 指貫(薄縹八藤丸文) 檜扇を手に持つ
2(雲居の雁) 五衣表着姿
        表着(白地梅唐草文) 五衣(入子菱文紅匂) 単衣(白地菱文) 長袴
3(夕霧)   夏の冠直衣姿
        冠(垂纓繁文) 直衣(縹色三重襷文) 単(紅) 指貫(薄蘇芳鳥襷文)
 
 
「第四七図 松風巻(第一八帖)」
1(光源氏)  夏の冠直衣姿
        冠(垂纓繁文) 直衣(縹色三重襷文) 単(紅) 指貫(薄蘇芳鳥襷文)
2(明石の姫君)袿姿?
        袿(紅地松枝文) 単衣(白地菱文)
3(乳母)   五衣表着姿
        表着(若草色地花菱遠文) 五衣(朽葉匂) 単衣(白地菱文) 長袴
4(女房)   五衣表着姿
        表着(生成色地唐花唐草文) 五衣(菱文紅匂) 単衣(薄蘇芳菱文)
5(明石の君) 五衣表着姿
        表着(白地梅唐草文) 五衣(菱文白重) 単衣(萌黄地菱文) 長袴
 
 
「第四八図 椎本巻(第四六帖)」
1(女房)   五衣表着姿
        表着(薄蘇芳色松枝文) 五衣(入子菱文朽葉匂) 単衣(紅地菱文)
2(女房)   五衣表着姿
        表着(朱色地花菱唐草文) 五衣(縹匂) 単衣(白地幸菱文) 長袴
3(女房)   五衣表着姿
        表着(鶯色地菊唐草文) 五衣(入子菱紅匂) 単衣(紺地)
4(大君/中君)五衣表着姿
        表着(浅葱色地唐花唐草文) 五衣(入子菱文朽葉匂) 単衣(黄色地菱文)
5(大君/中君)五衣表着姿
        表着(生成色地梅唐草文) 五衣(入子菱紅匂) 単衣(萌黄地幸菱文) 長袴
 
 
「第四九図 竹河巻(第四四帖)」
1(薫)    夏の冠直衣姿
        冠(垂纓繁文) 直衣(縹色三重襷文) 単(紅) 指貫(鳥襷文)

2(蔵人の少将)夏の冠直衣姿
        冠(垂纓繁文) 直衣(縹色三重襷文) 単(紅) 指貫(鳥襷文)
 
 
「第五〇図 若菜下巻(第三五帖)」
1(柏木)   袿姿
        立烏帽子 袿(二重織朱色地唐花唐草文) 単衣(白地菱文)
2(女房)   五衣表着姿
        表着(生成色地梅唐草文) 五衣(入子菱紅匂) 単衣(紅地菱文)
3(女房)   五衣表着姿か。(五衣が見えない)
        表着(薄蘇芳色松枝文) 単衣(紅地菱文)
4(女房)   五衣表着姿
        表着(生成色地菊唐草文) 五衣(縹匂) 単衣(香色地幸菱文) 長袴
5(女房)   五衣表着姿
        表着(浅葱色地梅唐草文) 五衣(朽葉匂) 単衣(紺地) 長袴
 
 
「第五一図 澪標巻(第一四帖)」
1(明石の君) 五衣表着姿
        表着(白地松枝文) 五衣(白重入子菱文) 単衣(萌黄幸菱文) 長袴
2(柏木)   袿姿
        立烏帽子 袿(朱色地唐花唐草文) 単衣(白地菱文)
 
 
「第五二図 常夏巻(第二六帖)」
1(内大臣)  夏の冠直衣姿
        冠(垂纓繁文) 直衣(縹色三重襷文) 単(紅) 指貫(鳥襷文) 蝙蝠扇(朱骨金紙に雪竹)
2(少将)   狩衣姿
        平礼烏帽子 狩衣(朱色地唐花唐草文) 当帯 指貫(縹色無文) 単(墨色)
3(女房)   袿袴姿か
        表着(朱色地唐草文)
4(女房)   袿袴姿か
        表着(浅葱色地松枝文) 単衣(縹色地菱文)
5(女房)   袿袴姿
        表着(白色梅唐草文) 単衣(香色菱文) 長袴
6(雲居の雁) 単衣重姿
        単衣(生成色地唐花唐草文、下に白地無文の単衣を重ねる) 長袴 蝙蝠扇(朱骨金紙に日の丸)
 
 
「第五三図 宿木巻(第四九帖)」
1(中の君)  五衣表着姿
        表着(生成色地唐花唐草文) 五衣(入子菱文紅匂) 単衣(萌黄菱文) 長袴
2(匂宮)   冬の烏帽子直衣姿
        立烏帽子 直衣(白地浮線綾文) 単(紅) 指貫(鳥襷文)
3(女房)   五衣表着姿か
        表着(黄色地花菱遠文)
4(女房)   五衣表着姿
        表着(朱色地菊唐草文) 五衣(菱文縹匂) 単衣(紅地菱文)
5(女房)   五衣表着姿
        表着(浅葱色梅唐草文) 五衣(入子菱文朽葉匂) 単衣(生成色菱文) 長袴
 
 
「第五四図 若紫巻(2)(第五帖)」
1(庭番)   直垂袴姿
        丁髷 直垂(浅葱色無地) 袴(白無地、腰板が台形になるのは一六世紀ごろからとされている)
2(北山の僧都)法衣姿
        剃髪 袍(墨染、僧綱襟) 袈裟(白無地、五條袈裟か)
3(光源氏)  冬の烏帽子直衣姿
        立烏帽子 直衣(白地浮線綾文) 単(紅) 指貫(鳥襷文)
 
 
 


※「ひとえ」は、男性用(丈短)を「単」、女性用(丈長)を「単衣」と表記する。
※「五衣表着」の名称はオリジナルである。「五衣小袿」の呼称もあるが、近代から用いられている呼称であり、「小袿」の定義も時代によって異なるので、一番上に着ている袿の意味で「表着」の呼称を用いた。
※「縹匂」「朽葉匂」は、オリジナルの呼称である。これは、同じ色目が有職故実書の中には見られないもので、ブルーから白へのグラデーションを表すために「縹匂(はなだのにおい)」、茶色から白へのグラデーションを表すのに「朽葉匂(くちばのにおい)」という呼称を仮に用いた。
※烏帽子の紐を顎にかけて固定しているものと、そうでないものとがいる。不鮮明な箇所もあり、今回は掲載しなかったが、この書き分けについては考察が必要かもしれない。
※同じような赤でも、「紅」と「赤」とで使い分けた。身分が低いと思われる人物には、「赤」を用いた。他にも、身分の差で表記を変えたものがある。
※男性の「中着」は、小袖なのか、単なのか判別ができなかったために使用した。また、熨斗目模様がみられるものは、「熨斗目小袖」と判断した。しかし、通常熨斗目の模様は肩まで入ることはなく、若干の不審もある。
※上文に二色以上使用しているものを「二重織(ふたえおり)」として区別した。
※ライトブルー系統の色は、直衣の場合「縹色」とし、薄縹色(濃)、浅葱色(薄)と区別した。

 
 
 

2012年7月 8日 (日)

国文研蔵『源氏物語団扇画帖』服飾関係分類索引(畠山版5)

 『源氏物語団扇画帖』の服飾関係分類索引(畠山版4)では、「第二六図 野分巻(第二八帖)」から「第三五図 若菜上巻(第三四帖)」までの10図を扱いました。

 引き続き、第三六図から第四五図までを取り上げます。
 
 
「第三六図 幻巻(第四一帖)」
1(女房)   五衣表着姿
        表着(白地梅唐草文) 五衣(入子菱文紅匂) 単衣(萌黄菱文) 長袴
2(女房)   五衣表着姿
        表着(浅葱色松枝文) 五衣(入子菱文朽葉匂) 単衣(縹地菱文) 長袴
3(女房)   五衣表着姿
        表着(若草色地唐花唐草文) 五衣(入子菱文縹匂) 単衣(紅地菱文)
4(女房)   五衣表着姿か
        表着(紅地松枝文)
5(光源氏)  冬の烏帽子直衣姿
        立烏帽子 直衣(白地浮線綾文) 単(紅) 指貫(鳥襷文)
 
 
「第三七図 横笛巻(第37帖)」
1(女三の宮) 五衣表着姿
        表着(薄蘇芳地松枝文) 五衣(入子菱文紅匂) 単衣(海松色菱文) 長袴
2(女房)   五衣表着姿
        表着(浅葱色地梅唐草文) 五衣(入子菱文縹匂) 単衣(蘇芳菱文) 長袴
3(女房)   五衣表着姿
        表着(白地松枝文) 五衣(緑色と浅葱色?が見える)
4(女房)   五衣表着姿か
        表着(紅地唐草文)
5(女房)   袿袴姿か
        袿(苔色地桜唐草文) 単衣か(紅地菱文)
6(女房)   五衣表着姿
        表着(白地菊唐草文) 五衣(入子菱文朽葉匂) 単衣(紺地菱文) 長袴
7(光源氏)  束帯姿
        冠(垂纓繁文) 袍(黒轡唐草、縫腋) 単(紅) 表袴(霰地) 大口(赤) 襪
 
 
「第三八図 鈴虫巻(第三八帖)」
1(女房)   袿袴姿
        袿(生成地菊文) 単衣(縹地菱文)
2(女房)   袿袴姿
        袿(紅地花菱唐草文) 単衣(萌黄菱文)
3(女三の宮) 袿袴姿
        袿(白地梅唐草文) 単衣(白地菱文) 長袴
4(光源氏)  夏の烏帽子直衣姿
        立烏帽子 直衣(縹色三重襷文) 単(紅) 指貫(鳥襷文) 蝙蝠扇(朱骨朱色金泥紙)
 
 
「第三九図 夕霧巻(第三九帖)」
1(落葉の宮) 五衣表着姿
        表着(白地梅唐草文) 五衣(入子菱文紅匂) 単衣(萌黄幸菱文) 長袴
2(夕霧)   夏の冠直衣姿
        冠(垂纓繁文) 直衣(縹色三重襷文) 単(紅) 指貫(鳥襷文)
 
 
「第四〇図 花宴巻(2)(第八帖)」
1(光源氏)  直衣布袴姿(物語本文の「おほきみ姿」と同一とされている)
        冬の直衣(白地浮線綾文) 下襲(白地浮線綾文) 単(紅) 指貫(鳥襷文)
2(朧月夜)  五衣表着姿
        表着(若草色) 五衣(縹匂) 単衣(紅地菱文)
3(女房)   五衣表着姿
        表着(紅地松枝文) 五衣(朽葉匂) 単衣(浅葱色菱文)
4(女房)   五衣表着姿
        表着(薄桃色地梅唐草文) 五衣(紅匂) 単衣(萌黄菱文)
 
 
「第四一図 紅葉賀巻(第七帖)」
1(紫の上)  衵姿
        衵(浅葱色地松枝文) 単衣(白地菱文) 長袴
2(犬君)   衵姿 髪を後ろで束ねている
        衵(紅地梅唐草文) 単衣(萌黄菱文)
3(女房)   五衣表着姿
        表着(生成色) 五衣(入子菱紅匂) 単衣(浅葱色菱文) 長袴
4(女房)   五衣表着姿か
        表着(白地松枝文)
5(女房)   五衣表着姿か
        表着(黄色地唐花文)
6(光源氏)  束帯姿
        冠(垂纓繁文) 袍(黒菊唐草、縫腋) 下襲(躑躅襲=表白裏黒、浮線綾文) 単(紅) 表袴(霰地) 大口(赤) 襪 笏 餝太刀
 
 
「第四二図 帚木巻(2)(第二帖)」
1(空蟬)   袿袴姿
        袿(白地梅唐草文) 単衣(白地菱文) 長袴
2(女房)   袿袴姿
        袿(黄色地唐花唐草文) 単衣(紅地菱文) 長袴(朱色)
3(光源氏)  夏の烏帽子直衣姿
        立烏帽子 直衣(縹色三重襷文) 単(紅) 指貫(鳥襷文)
4(従者)   狩衣姿
        烏帽子 狩衣(若草色無文) 単(紅地、地文不明) 指貫(白地無文)
5(従者)   狩衣姿
        烏帽子 狩衣(紅地松枝文) 単(墨色) 指貫(浅葱色無文)
 
 
「第四三図 紅梅巻(第四三帖)」
1(匂宮)   冬の冠直衣姿
        冠(垂纓繁文) 直衣(白地浮線綾文) 単(紅) 指貫(鳥襷文)
2(若君)   水干姿 髪は喝食
        水干(紅地松枝文) 当帯 指貫(縹色無文) 単(墨色)
3(従者)   狩衣姿
        烏帽子 狩衣(紅地唐花唐草文) 指貫(浅葱色無文) 単(墨色)
4(従者)   狩衣姿
        烏帽子 狩衣(白地梅唐草文) 単(紅地唐草文)
5(従者)   狩衣姿
        平礼烏帽子 狩衣(白地松枝文) 指貫(縹色無文) 単(紅地唐草文)
 
 
「第四四図 野分巻(2)(第二八帖)」
1(女房)   袿袴姿
        袿(薄蘇芳地松枝文) 単衣(浅葱色菱文) 長袴
2(女房)   袿袴姿か
        袿(紅地、地文は不明)
3(女房)   袿袴姿か
        袿(朱色)
4(玉鬘)   袿袴姿
        袿(白地唐花唐草文) 単衣(白地菱文) 長袴
5(光源氏)   夏の冠直衣姿
        冠(垂纓繁文) 直衣(縹色三重襷文) 単(紅) 指貫(鳥襷文)
 
 
「第四五図 橋姫巻(第四五帖)」
1(薫)    狩衣姿
        立烏帽子 狩衣(朱色地花菱唐草文) 単(紺) 指貫(薄紅色地?鳥襷文) 浅沓
2(女房)   袿姿
        袿(薄蘇芳地唐花唐草文) 単衣(紅地菱文)
3(女房)   五衣表着姿
        表着(浅葱色松枝文) 五衣(入子菱文朽葉匂) 単衣(朱色地菱文) 長袴
4(大君/中君)五衣表着姿
        表着(黄色地唐花文) 五衣(入子菱文縹匂) 単衣(萌黄菱文)
5(大君/中君)五衣表着姿
        表着(白地梅唐草文) 五衣(入子菱文紅匂) 単衣(黄色菱文) 長袴
 
 


※「ひとえ」は、男性用(丈短)を「単」、女性用(丈長)を「単衣」と表記する。
※「五衣表着」の名称はオリジナルである。「五衣小袿」の呼称もあるが、近代から用いられている呼称であり、「小袿」の定義も時代によって異なるので、一番上に着ている袿の意味で「表着」の呼称を用いた。
※「縹匂」「朽葉匂」は、オリジナルの呼称である。これは、同じ色目が有職故実書の中には見られないもので、ブルーから白へのグラデーションを表すために「縹匂(はなだのにおい)」、茶色から白へのグラデーションを表すのに「朽葉匂(くちばのにおい)」という呼称を仮に用いた。
※烏帽子の紐を顎にかけて固定しているものと、そうでないものとがいる。不鮮明な箇所もあり、今回は掲載しなかったが、この書き分けについては考察が必要かもしれない。
※同じような赤でも、「紅」と「赤」とで使い分けた。身分が低いと思われる人物には、「赤」を用いた。他にも、身分の差で表記を変えたものがある。
※男性の「中着」は、小袖なのか、単なのか判別ができなかったために使用した。また、熨斗目模様がみられるものは、「熨斗目小袖」と判断した。しかし、通常熨斗目の模様は肩まで入ることはなく、若干の不審もある。
※上文に二色以上使用しているものを「二重織(ふたえおり)」として区別した。
※ライトブルー系統の色は、直衣の場合「縹色」とし、薄縹色(濃)、浅葱色(薄)と区別した。

 
 
 

2012年7月 7日 (土)

国文研蔵『源氏物語団扇画帖』服飾関係分類索引(畠山版4)

 『源氏物語団扇画帖』の服飾関係分類索引(畠山版3)では、「第一六図 関屋巻(第一六帖)」から「第二五図 夕顔巻(2)(第四帖)」までの10図を扱いました。

 引き続き、第二六図から第三五図までを取り上げます。

 なお、展示図録として作成した『源氏物語 千年のかがやき 立川移転記念 特別展示図録』(国文学研究資料館編、2008年10月、思文閣出版)では、2葉の図版が入れ替わっています。実際の折本の順番では、図録の第27図「匂宮巻」(五〇頁)の位置には第29図「篝火巻」(五二頁)が貼られています。それに伴い、図録の第29図「篝火巻」(五二頁)の位置には、実際には第27図「匂宮」(五〇頁)が貼られています。つまり図録の「匂宮」と「篝火」は入れ替えるべきです。しかし、大きく影響しないことを勘案して、今は刊行された図録の順番で以下の索引も掲載します。
 国文学研究資料館のホームページから公開されている『源氏物語団扇画帖』の画像では、この2葉は正しい順番で並んでいます。
 
 
「第二六図 野分巻(第二八帖)」
1(女の童)  衵姿
        衵(朱色地浮線綾丸文、地文は不明) 単衣(白地菱文)
2(女の童)  衵姿
        衵(白地菊唐草文) 単衣(縹色菱文)
3(女の童)  衵姿
        衵(白地唐花唐草文) 単衣(香色菱文)
4(女房)   五衣表着姿
        表着(黄色地花菱遠文) 五衣(朽葉匂) 単衣(縹色菱文)
5(女房)   五衣表着姿
        表着(白地松枝文) 五衣(縹匂) 単衣(紅地幸菱文) 長袴
 
 
「第二七図 匂宮巻(第四二帖)」
1(従者)   白張姿 傘を持つ
        烏帽子 白張
2(従者)   狩衣姿
        平礼烏帽子 狩衣(紅地唐草文) 中着(墨色)
3(従者)   狩衣姿
        烏帽子 狩衣(黄色無文) 中着(単か。紅地入子菱文)
4(従者)   水干姿
        萎烏帽子 水干上下(朱色) 中着(袖からは緑色、肩からは蘇芳地の熨斗目模様が見える)
5(従者)   狩衣姿
        烏帽子 狩衣(浅葱色梅唐草文) 指貫(白地八藤丸文) 単(紅地松枝文) 浅沓
6(従者)   白張姿
        烏帽子 白張 中着(熨斗目小袖)
7(従者)   狩衣姿
        平礼烏帽子 狩衣(薄香色松枝文) 指貫(紺色地、文は何かの丸文) 中着(紅地、地文は不明)
8(牛飼)   水干姿 髪は喝食
        水干(紅地松枝文) 中着(墨色)
9(従者)   狩衣姿
        烏帽子 狩衣(薄萌黄梅文) 指貫(八藤丸文か) 単(紅地、地文は不明)
 
 
「第二八図  手習巻(第五三帖)」
1(少将の尼) 五衣表着姿 髪は尼削ぎ
        表着(白地唐花唐草文) 五衣(入子菱文縹匂) 単衣(萌黄幸菱文) 長袴
2(女房)   袿袴姿
        袿(白地松枝文) 単衣(紅地菱文)
3(浮舟)   五衣表着姿
        表着(浅葱色地梅唐草文) 五衣(入子菱文紅匂) 単衣(縹地菱文)
4(尼)    五衣表着姿 髪は尼削ぎ
        表着(黄色地菊文) 五衣(朽葉匂) 単衣(紅地菱文) 長袴
 
 
「第二九図 篝火巻(第二七帖)」
1(右近の大夫)布衣姿
        平礼烏帽子 布衣(緑色無文) 当帯 小袴(白地無文) 中着(袖からは赤色が、肩と股立ちからは茶色が見える)
2(光源氏)  袿姿
        立烏帽子 袿(二重織朱色地唐花唐草文) 単衣(白地幸菱文)
3(玉鬘)   袿袴姿
        袿(白地梅唐草文) 単衣(萌黄幸菱文) 長袴
 
 
「第三〇図 藤袴巻(第三〇帖)」
1(玉鬘)   五衣表着姿
        表着(白地菊唐草文) 五衣(入子菱文紅匂) 単衣(萌黄菱文) 長袴
2(女房)   袿袴姿か
        袿(朱色地花菱唐草文) 単衣(萌黄)
3(女房)   五衣表着姿
        表着(浅葱色地唐花唐草文) 五衣(朽葉匂) 単衣(縹地菱文) 長袴
4(女房)   五衣表着姿
        表着(白地梅唐草文) 五衣(縹匂) 単衣(香色地幸菱文) 長袴
5(女房)   五衣表着姿
        表着(白地松枝文) 五衣(朽葉匂) 単衣(縹地菱文) 長袴
 
 
「第三一図 空蟬巻(2)(第三帖)」
1(光源氏)  夏の烏帽子直衣姿
        立烏帽子 直衣(縹色三重襷文) 単(紅) 指貫(鳥襷文)
2(空蟬)   単衣重姿
        単衣(白地無文。輪郭の二重線は、二枚重ねのさまを表す) 長袴
3(小君)   水干姿 髪は喝食
        水干(紅地松枝文) 当帯 指貫(白地無文) 中着(墨色)
4(軒端の荻) 袿袴姿
        袿(白地梅唐草文) 単衣(白地菱文) 長袴
 
 
「第三二図 梅枝巻(第三二帖)」
1(童)    水干姿 髪は喝食
        水干(朱色地唐花唐草文) 指貫(白地無文) 単(墨色) 浅沓
2(蛍宮)   冬の冠直衣姿
        冠(垂纓繁文) 直衣(白地浮線綾文) 単(紅) 指貫(鳥襷文)
3(光源氏)  冬の冠直衣姿
        冠(垂纓繁文) 直衣(白地浮線綾文) 単(紅) 指貫(鳥襷文)
 
 
「第三三図 夢浮橋巻(第五四帖)」
1(小君)   水干姿 髪は喝食
        水干(紅地松枝文) 指貫(縹地無文) 中着(墨色)
2(浮舟)   袿袴姿 髪は尼削ぎ
        袿(白地梅唐草文) 単衣(紅地菱文)
3(小野の妹尼)単衣重ね? 髪は尼削ぎ
        単衣?(白地唐花唐草文)同じ衣を二枚重ねて着ていると思われる
 
 
「第三四図 初音巻(第二三帖)」
1(光源氏)  冬の冠直衣姿
        冠(垂纓繁文) 直衣(白地浮線綾文) 単(紅) 指貫(鳥襷文)
2(明石の君) 五衣表着姿
        表着(白地梅唐草文) 五衣(白重入子菱文) 単衣(萌黄菱文) 長袴
3(女房)   五衣表着姿
        表着(浅葱色地松枝文) 五衣(縹匂) 単衣(紅地菱文)
4(女房)   五衣表着姿
        表着(黄色無文) 五衣(朽葉匂) 単衣(薄縹菱文)
5(女房)   五衣表着姿
        表着(白地唐花唐草文) 五衣(入子菱文紅匂) 単衣(薄蘇芳幸菱文) 長袴
 
 
「第三五図 若菜上巻(第三四帖)」
1(女三の宮) 五衣表着姿か 物語本文では細長を着用
        表着(生成色、地文不明) 五衣(入子菱文紅匂) 単衣(萌黄菱文) 長袴
2(柏木)   冬の冠直衣姿
        冠(垂纓繁文) 直衣(白地浮線綾文) 単(紅) 指貫(鳥襷文) 浅沓
3(男君)   冬の冠直衣姿
        冠(垂纓繁文) 直衣(白地浮線綾文) 単(紅) 指貫(茶色地鳥襷文)
        浅沓
4(男君)   冬の冠直衣姿
        冠(垂纓繁文) 直衣(白地浮線綾文) 単(紅) 指貫(浅葱色八藤丸文)
        浅沓
5(男君)   冬の冠直衣姿
        冠(垂纓繁文) 直衣(白地浮線綾文) 単(紅) 指貫(薄縹八藤丸文)
        浅沓
 
 


※「ひとえ」は、男性用(丈短)を「単」、女性用(丈長)を「単衣」と表記する。
※「五衣表着」の名称はオリジナルである。「五衣小袿」の呼称もあるが、近代から用いられている呼称であり、「小袿」の定義も時代によって異なるので、一番上に着ている袿の意味で「表着」の呼称を用いた。
※「縹匂」「朽葉匂」は、オリジナルの呼称である。これは、同じ色目が有職故実書の中には見られないもので、ブルーから白へのグラデーションを表すために「縹匂(はなだのにおい)」、茶色から白へのグラデーションを表すのに「朽葉匂(くちばのにおい)」という呼称を仮に用いた。
※烏帽子の紐を顎にかけて固定しているものと、そうでないものとがいる。不鮮明な箇所もあり、今回は掲載しなかったが、この書き分けについては考察が必要かもしれない。
※同じような赤でも、「紅」と「赤」とで使い分けた。身分が低いと思われる人物には、「赤」を用いた。他にも、身分の差で表記を変えたものがある。
※男性の「中着」は、小袖なのか、単なのか判別ができなかったために使用した。また、熨斗目模様がみられるものは、「熨斗目小袖」と判断した。しかし、通常熨斗目の模様は肩まで入ることはなく、若干の不審もある。
※上文に二色以上使用しているものを「二重織(ふたえおり)」として区別した。
※ライトブルー系統の色は、直衣の場合「縹色」とし、薄縹色(濃)、浅葱色(薄)と区別した。

 
 
 

2012年7月 6日 (金)

授業(12)国際文化交流と翻訳史

 海外の方々と一緒に話し合いの場を持つことは、文化交流の一つとして重要なことです。ただし、そこには配慮すべき大切な要素がたくさんあります。とにかく、お互いの文化の良さを理解し合う基盤が必要です。
 相手が持っている文化の良さを知ろうとし、自分の国の文化の良さを知ってもらおうと努力する中から生まれる交流を、今後とも大事にしたいものです。

 日本はアメリカ流の文化に染まっていて、その目で世界各国の、それも異文化圏の方々と話をすると、どうも話が通じないことがあるのはなぜか、ということについて、私見を述べました。

 気をつけなければいけないこととして、無意識のうちにアメリカ流が世界標準になっているかのように思いこんでいて、そうしたことに馴染まない異質なものを、遅れた考えとして切り捨てていないか、ということがあります。一緒に日本から海外に行った方々や学生さんの反応に、そうしたことが見受けられます。

 さらには、日本語で対話するときに意識しておくことがあります。
 日本語は、結論を最後に言う習性があります。そこから、相手や周りの反応を見ながら結論を導く言語であることが、国際交流の円滑な運用に役立っていると思われます。最初に結論を言わないのは、欧米の方々には何をいいたいのか、何を言っているのかわからない、と受け取られがちです。しかし、それが実はコラボレーションの上では有り難い、大事なことだと思われます。何でもはっきりさせ、自己主張ばかりでは意見交換にはならないのです。
 日本語は、1対1の対決に陥らない点では、非常に便利な思いやりに満ちた言語だと思っています。議論で相手を打ち負かすのが目的ではない場合には、この遠回しな表現を得意とする日本語という言語は、欠点ではなくて利点として捉えた方がいいようです。

 その意味からも、海外での日本語教育では、日本文化の紹介に留まらず、日本文学をもっと教材に取り入れてほしいものです。折々にそのことをお話するのですが、時間的な余裕と婉曲な気持ちや表現を理解してもらうことに手数がかかることから、先生方の対処の中では取り上げたくてもなかなかそこまでは、というのが実情のようです。そうした場合には、日本文学の翻訳が有効な教材になることもあるはずです。

 そんな話の延長から、1900年以降に翻訳された文学作品の歴史を、簡潔にまとめた年表で確認しました。今日の授業で配布した資料は、『越境する言の葉 ─世界と出会う日本文学』(日本比較文学会編、彩流社、2011年6月)の巻末付録である「日本文学翻訳年表(1904〜2000年)」です。これは、英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語、イタリア語、スペイン語、中国語、韓国・朝鮮語、の8言語による翻訳を対象にした一覧表です。
 『源氏物語』の翻訳は31種類の言語で刊行されているので、この他の言語に翻訳されたものを列挙すると膨大な数になるはずです。ひとまず今はこの表しかないので、これで確認しておきます。

 1904年に徳冨蘆花の『不如帰』が英語とスペイン語に訳されています。翌年すぐにドイツ語に、1912年にフランス語、1913年にロシア語と中国語に訳されています。今の若い人は、この作品をほとんど知らないようです。
 最初に翻訳された1904年は明治37年です。『不如帰』は明治31年から32年にかけて国民新聞に掲載された小説で、出版されるとベストセラーになりました。明治43年以降は10回以上も映画になっています。
 これについては、当時の演劇による受容とも関係しそうです。これは私の任務ではなさそうなのでこのへんにしておきましょう。

 翻訳された背景を考えてみると、社会や文化の動向が大きく影響しているのは確かです。おもしろい検討課題になりそうです。

 また、明治期はフランス語に翻訳されたものが多いことも確認できます。それも、古典文学が多いのです。シリーズ物として刊行された事情が背景にあるとしても、このことも再検討の価値があります。

 私の興味から言えば、谷崎潤一郎の『刺青』が1917年に英語とドイツ語に翻訳されていることに目が留まります。共に、翻訳者は日本人です。1924年にはフランス語に訳されます。

 今日は、明治から大正までに刊行された翻訳書の確認に留まりました。
 次回は、昭和に入ってからの翻訳書と、国際的な視点から日本文学を見るときに大事な、翻訳語としてのグロッサリーについて、みんなで考えていくことにします。
 
 
 

2012年7月 5日 (木)

血糖値が下降してきました

 中野駅前のワンコイン検診「ケアプロ」で、ヘモグロビン A1cをチェックしてきました。
 これは、毎月計測している、体調の自己管理として続けているものです。

 先月は良くなかったので、今月下旬から京都大学病院でいろいろな検査も含めて、身体の総点検をすることになっています。まだまだ食生活については、試行錯誤の日々です。

 ヘモグロビン A1cの値は、先月が「6.5」と高かったので、食事には気をつけていました。それでも、今日は「6.1」くらいを覚悟していたところ、予想よりもよい結果に安堵しています。なんと「5.8」だったのです。

 これまで半年間のヘモグロビン A1cの計測値の推移は以下のとおりです。単位はパーセントです。
 この数値は、従来の日本基準によるものであり、国際基準は、これに「0.4」を足したものです。

 6.3→6.2→5.6→6.0→6.4→6.5→5.8

 血糖値の管理としては、「5.1」以下が良好、「5.2」以上「6.0」未満が要注意、そして「6.1」以上が要受診とされています。

 この指標で言うと、今日の私の結果は要注意です。しかし、私は消化管がないので、このランクで一応よしとしています。血糖値が上がりやすい身体になっているからです。18歳の時以来40年間、3分の1だけの胃袋と、十二指腸がない身体で生活をし、2年前から消化管を全摘出したので、血糖値はすぐに上がるようです。こうした状態にあるので、ヘモグロビン A1cが「5.8」であっても、それが糖尿病特有の合併症とどう関係づけられるのか、今後とも様子を見ながら自分の体調を管理するしかありません。とにかく、注意を怠らないに越したことはありません。

 前回の記事「ヘモグロビン値が上昇する危険な日々」(2012年6月 3日)にも書いたように、春先からお菓子類を食べ過ぎていたように思います。
 ヘモグロビン A1cの値は、1〜2ヶ月間の血糖値の平均を示しています。このところ、糖質制限食と運動を意識した生活を送ったはずなので、今日の結果はその成果だとも言えます。

 昨夏より始めた糖質制限食は、血糖値管理には効果的な食事方法であることを再確認しました。ただし、最近は気候が不安定なせいか、体重が減ってきています。初夏には1年半以上をかけてやっと50キロに届いた体重が、現在はまたもや48キロ前後を低迷しています。体重が減ると、階段を昇るときに太腿のだるさを強く感じます。何となく身体もだるいのは、季節の変わり目のせいもあるのでしょう。
 いずれにしても、糖質制限食にこだわり、体重を増やす努力を引き続き心がけようと思っています。
 
 
 

2012年7月 4日 (水)

エアコンのない生活

 蒸し暑い東京です。
 蒸し暑いと言っても、それは外を歩き回っている間のことです。日陰や部屋に入ると、意外に快適です。

 今年も、東京の宿舎ではエアコンなしの生活です。この十数年間、これで通して来ました。しかもまだ、扇風機を使うほど暑い日にはなっていません。
 4部屋を3台の扇風機で風を送ります。ただし、そのうちの1台は30年近く使っているものなので、コンデンサー劣化による発火事故の危険性を考えると、もうこれを使うのは今年で止めようかと思っています。

 世はこぞって節電ブームです。それにしても、どこの家庭でも当然のごとくエアコンを使っておられます。しかし、エアコンは、果たして本当に一日中電源を入れっぱなしにして使う必要があるのでしょうか。それを持たない者としては、少し疑問に思うこともあります。

 エアコンは、一度スイッチを入れると、なかなか切りにくいものだと思います。
 京都には、5部屋の内2部屋にエアコンがあります。今春の引っ越しで、2階に1台増やしました。しかし、ほとんどスイッチは入れていません。祇園祭の7月は、電源を入れる日が増えると思われます。それでも、エアコンは常時使う道具にはなっていません。

 身体が、冷たい風に当たることに慣れていないのか、有り難いことにエアコン依存体質になっていません。エアコンで大量の電力を消費する生活も、生活習慣病の一種ではないかと思っています。

 さて、今年の夏はどんな暑さなのでしょうか。昨年の東京では、計画停電とやらで電気が止まりました。今年の関西はどうでしょうか。
 関西人は口うるさいながらも根が優しいので、こぞって計画停電を回避する行動に出ると思っています。東京みたいな無様な真似はしないぞ、というプライドが、こんな時に働くと思います。

 原子力発電所の再稼働問題以前に、関西電力はいろいろな資料を隠していたようです。活断層の問題は、早急に調べるべきでしょう。何かあれば、京都の自宅も避難対象地域になり、帰るところがなくなります。
 関東では地震や津波が、そして関西では原発問題が、現実の生活を通して対処を迫られるようになりました。二大問題が我が身に降りかかって来ていることを、肌身で実感するようになりました。

 さて、まず何からしようか、と思案中です。
 
 
 

2012年7月 3日 (火)

読書雑記(51)森見登美彦『宵山万華鏡』

 今年も京都市内では、祇園祭の準備が進んでいます。
 一昨年の宵山は、私が癌の告知を受けた日でした。
 妻と四条烏丸で待ち合わせて鱧を食べて帰ったことが、遠い日のように思い出されます。
 書店で本書『宵山万華鏡』(森見登美彦、2012年6月30日、集英社文庫)を手にし、すぐに読みました。
 2009年7月に集英社から刊行された作品の文庫化です。
 今年は何かと仕事が溜まっているために宵山に行けそうにありません。
 本作で宵山をファンタジーワールドとして楽しんだことにします。
 
 
 

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■「宵山姉妹」
 好奇心旺盛な姉に引き摺られて、京都三大祭りである祇園祭の宵山に紛れ込んだ妹。
 姉を見失った妹は、金魚のような浴衣姿の女の子たちに連れられて細い露地を覗いては歩いていきます。
 京都の町家とビルの隙間に展開する世界を、夢遊病者のように彷徨うさまが、妖しく語られていく連作です。南観音山と蟷螂山が印象的です。【4】

■「宵山金魚」
 虫嫌いな私には苦手な話題が展開します。「町屋」とあるのは、これでいいのでしょうか。
 さて、頭の天窓が開いている男の話は、おもしろいと思います。宵山の露地を彷徨う男二人。祇園祭の神髄を突く指摘があります。

祭りがぼんやりと輝く液体のようにたひたと広がって、街を飲みこんでしまっている。

 そこへ、赤い浴衣の少女たちが。場面展開がうまいと思います。
 高校時代の友人である乙川が、いい役所を受け持っています。この一風変わった男が、このおかしな話を支えています。ただし、奇想天外なのはいいのですが、私にはどうもこの手の話には白けてしまいます。【1】

■「宵山劇場」
 前話を読んだ後、そうだったのか、と得心させられます。うまい構成です。しかし、それなら前作をもっと妄想で膨らませればよかったのではないでしょうか。ここで語られる奇想天外さは、いささかネタばらし的で説明に脱した感が否めません。
 しかし、それにしても、おもしろい話です。登場人物たちが遊びに没頭していて、活き活きしているのです。直前の「宵山金魚」があるからこそのおもしろさです。そうであるならば、「宵山金魚」はもっと書きようがあったと思います。【5】

■「宵山回廊」
 おもしろくないのです。後半は、テンポと雰囲気が森見らしくなります。しかし、全体としては冴えないこぢんまりとした話に留まっています。【1】

■「宵山迷宮」
 昨日と同じ今日が繰り返される、不思議な話として語られます。昨日のことは夢だったのか、と。
 本書所収の全作を通して、赤い浴衣を着た女の子たちが、宵山の雑踏の中を金魚のように自由自在に浮遊する姿が、強く目に焼き付きました。妖しい不思議な体験を、この女の子たちが背後で支えています。【2】

■「宵山万華鏡」
 最後の話は、最初の話「宵山金魚」をなぞるようにして、イメージを微妙にダブらせながら語られていきます。この手法は、おもしろい趣向だと思います。最初の話をもう一度見返しました。初めからもう一度読みたくなります。
 この分野での常套手段なのか、森見登美彦ならではのことなのか、寡聞にして知りません。読者を意識したサービスとして、これはいいと思いながら本を閉じました。【4】

 今振り返ると、出来不出来が入り乱れている一作でした。作者がそれを意図したものとは思われません。一冊にまとめあげる上での、編集上の手をもっと入れてもよかったのでは、という畑違いの立場からの感想を持ちました。
 
 
 

2012年7月 2日 (月)

国文研蔵『源氏物語団扇画帖』服飾関係分類索引(畠山版3)

 『源氏物語団扇画帖』の服飾関係分類索引(畠山版2)では、「第六図 蜻蛉巻(第五二帖)」から「第一五図 蓬生巻(第一五帖)」までの10図を扱いました。

 引き続き、第一六図から第二五図までを取り上げます。
 
 
「第一六図 関屋巻(第一六帖)」
1(空蝉一行・女)旅姿 垂髪
       小袖(白地赤縞) 帯(赤色)
2(空蝉一行・女)旅姿 笠に垂髪
        小袖(黄色地、青海波に鳥を描くか) 中着(赤色) 帯(赤色)
3(空蝉一行・男)布衣姿
        平礼烏帽子 布衣(薄茶色) 中着(緑色)
4(空蝉一行・男)白張姿
        烏帽子 白張 中着(緑色)
5(空蝉一行・男)布衣姿
        平礼烏帽子 布衣(浅葱色無文) 中着(緑色)
6(空蝉一行・男)白張姿
        平礼烏帽子 白張 中着(紺色)
7(童)    水干姿 髪は喝食
        水干(紅地松枝文) 当帯 指貫(白地無文) 中着(紺色) 浅沓
8(従者)   水干姿
        萎烏帽子 水干上下(朱色)
中着(袖からは若草色、肩からは葡萄色?、襟からは紺色がみえる) 浅沓
9(従者)   白張姿
        烏帽子 白張 中着(紺色)
10(牛飼)  水干姿 髪は喝食
        水干(若草色) 当帯 小袴(白地無文、上括) 単(朱色)
中着(紺地熨斗目小袖)
11(従者)  狩衣姿
        烏帽子 狩衣(浅葱色地梅唐草文) 単(紅地菱文)
12(従者)  狩衣姿
        烏帽子 狩衣(薄桃色松枝文) 単(紅地、文は不明)
13(従者)  白張姿
        烏帽子 白張 中着(緑地熨斗目小袖)
14(従者)  布衣姿 太刀を持つ
        平礼烏帽子 布衣(浅葱色無文) 指貫(白無文)
中着(袖からは赤、肩からは緑が見える)
15(従者)  白張姿
        烏帽子 白張 中着(紺、緑、白の熨斗目小袖)
16(従者)  白張姿 傘を持つ
        烏帽子 白張 中着(紺、緑、白の熨斗目小袖)
 
 
「第一七図 絵合巻(第一七帖)」
1(藤壺)   五衣表着姿
        表着(生成色地花丸文) 五衣(紅匂) 単衣(黄色菱文) 長袴
2(女御)   五衣表着姿
        表着(浅葱色梅唐草文) 五衣(入子菱文朽葉匂) 単衣(萌黄菱文) 長袴
3(女御)   五衣表着姿
        表着(生成色地、文は不明) 五衣(紅匂) 単衣(紺地菱文) 長袴
4(女房)   五衣表着裳姿
        裳(青海波) 表着(鶯色地花菱遠文) 五衣(縹匂) 単衣(薄葡萄色)
長袴
5(女房)   五衣表着姿
        表着(白地か) 五衣(朽葉匂) 単衣(黄色) 長袴
6(女房)   五衣表着姿
        表着(紅地) 五衣(縹匂) 単衣(縹色) 長袴
7(女房)   五衣表着姿
        表着(白地か) 五衣(紅匂) 単衣(萌黄菱文) 長袴
8(女房)   五衣表着姿
        表着(蘇芳か) 五衣(縹匂) 単衣(白か) 長袴
9(女房)   袿袴姿
        袿(紅地) 単衣(黄色か) 長袴
10(女房)  五衣表着姿
        表着(白地) 五衣(紅匂) 単衣(萌黄菱文) 長袴
11(女房)  五衣表着姿
        表着(黄色地) 五衣(朽葉匂) 単衣(縹色)
 
 
「第一八図 末摘花巻(第六帖)」
1(頭の中将) 冬の烏帽子直衣姿
        立烏帽子 直衣(白地浮線綾文) 単(紅) 指貫(鳥襷文) 浅沓
2(光源氏)  狩衣姿
        立烏帽子 狩衣(紅地松枝文) 指貫(薄縹無文) 単(墨色) 浅沓
3(末摘花)  五衣表着姿
        表着(黄色地) 五衣(入子菱文紅匂) 単衣(萌黄繁菱文) 長袴
 
 
「第一九図 薄雲巻(第一九帖)」
1(紫の上)  五衣表着姿
        表着(生成色地唐花唐草文) 五衣(紅匂) 単衣(萌黄菱文) 長袴
2(明石の姫君)衵姿
        衵(紅地松枝文) 単衣(白地菱文)
3(女房)   五衣表着姿
        表着(浅葱色地梅唐草文) 五衣(朽葉匂) 単衣(薄桃色菱文)
4(光源氏)  冬の烏帽子直衣姿
        立烏帽子 直衣(白地浮線綾文) 単(紅) 指貫(鳥襷文)
 
 
「第二〇図 朝顔巻(第二〇帖)」
1(女の童)  衵姿
        衵(浅葱色地唐花唐草文) 単衣(薄桃色菱文)
2(女の童)  衵姿
        衵(紅地花菱唐草文) 単衣(萌黄菱文)
3(女の童)  衵姿
        衵(薄桃色地雲立涌文) 単衣(朽葉色菱文)
4(女の童)  衵姿
        衵(黄色地松枝文) 単衣(縹地菱文)
5(紫の上)  五衣表着姿
        表着(白地唐花唐草文) 五衣(入子菱文紅匂) 単衣(萌黄菱文) 長袴
6(光源氏)  袿姿
        立烏帽子 袿(薄桃色地梅唐草文) 単衣(縹地菱文)
 
 
「第二一図 行幸巻(第二九帖)」
1(女房)   五衣表着姿
        表着(白地梅唐草文) 五衣(朽葉匂) 単衣(縹色) 長袴
2(女房)   五衣表着姿か
        表着(朱色桜唐草文)
3(女房)   五衣表着姿
        表着(浅葱色地唐花唐草文) 五衣(縹匂) 単衣(薄茶色)
4(女房)   五衣表着姿
        表着(浅葱色地松枝文) 五衣(朽葉匂) 単衣(黄色菱文) 長袴
5(玉鬘)   五衣表着姿
        表着(白地唐花唐草文) 五衣(入子菱文紅匂) 単衣(萌黄菱文) 長袴
 
 
「第二二図 玉鬘巻(第二二帖)」
1(女房)   五衣表着姿
        表着(浅葱色地松枝文) 五衣(入子菱文朽葉匂) 単衣(縹色)
2(女房)   五衣表着姿 櫃から衣(白地梅唐草文)を取り出している
        表着(白地唐花唐草文) 五衣(入子菱文紅匂) 単衣(萌黄菱文) 長袴
3(女房)   五衣表着姿か
        表着(朱色唐草文)
4(女房)   五衣表着裳姿 櫃から衣(白地青海波文)を取り出している
        表着(若草色無文) 五衣(縹匂) 単衣(薄蘇芳地菱文) 裳 長袴
5(女房)   五衣表着姿
        表着(白地梅唐草文) 五衣(入子菱文朽葉匂) 単衣(紅地菱文)
6(紫の上)  五衣表着姿
        表着(白地菊唐草文?) 五衣(入子菱文紅匂) 単衣(萌黄幸菱文) 長袴
7(光源氏)  冬の冠直衣姿
        冠(垂纓繁文) 直衣(白地浮線綾文) 単(紅) 指貫(鳥襷文)

* 女房5の前にある衣 袿か(浅葱色地松枝文)
* 紫の上の前にある衣 袿(若草色地唐花丸文) 単衣(萌黄菱文)
* 光源氏の前にある衣 袿(生成色時か文)二枚を重ねているように見える。また、紅色は裏地か
 
 
「第二三図 早蕨巻(第四八帖)」
1(中の君)  五衣表着姿
        表着(白地菊唐草文) 五衣(入子菱文紅匂) 単衣(萌黄菱文) 長袴
2(女房)   五衣表着姿
        表着(浅葱色地松枝文) 五衣(入子菱文朽葉匂) 単衣(生成色幸菱文) 長袴
 
 
「第二四図 御法巻(第四〇帖)」
1(女房)   五衣表着姿か
        表着(紅地花菱唐草文) 五衣(朽葉匂か) 単衣(縹色)
2(女房)   五衣表着姿
        表着(浅葱色地松枝文) 五衣(入子菱文朽葉匂) 単衣(生成色幸菱文?) 長袴
3(女房)   五衣表着姿
        表着(白地梅唐草文) 五衣(縹匂) 単衣(紅地菱文) 長袴
4(匂宮)   水干姿 髪は喝食
        水干(紅地松枝文) 指貫(鳥襷文)
5(紫の上)  五衣表着姿に衾をかける
        衾(白地唐花唐草文) 表着(白地梅唐草文) 五衣(入子菱文紅匂) 単衣(萌黄幸菱文) 長袴
 
 
「第二五図 夕顔巻(2)(第四帖)」
1(惟光)   狩衣姿 紙燭を持つ
        平礼烏帽子 狩衣(紅地) 当帯 指貫(薄縹八藤丸文) 中着(墨色)
2(光源氏)  夏の烏帽子直衣姿 蝙蝠扇に筆で文字を書いている
        立烏帽子 直衣(縹色三重襷文) 単(紅) 指貫(鳥襷文) 蝙蝠扇(朱骨金紙)
 
 


※「ひとえ」は、男性用(丈短)を「単」、女性用(丈長)を「単衣」と表記する。
※「五衣表着」の名称はオリジナルである。「五衣小袿」の呼称もあるが、近代から用いられている呼称であり、「小袿」の定義も時代によって異なるので、一番上に着ている袿の意味で「表着」の呼称を用いた。
※「縹匂」「朽葉匂」は、オリジナルの呼称である。これは、同じ色目が有職故実書の中には見られないもので、ブルーから白へのグラデーションを表すために「縹匂(はなだのにおい)」、茶色から白へのグラデーションを表すのに「朽葉匂(くちばのにおい)」という呼称を仮に用いた。
※烏帽子の紐を顎にかけて固定しているものと、そうでないものとがいる。不鮮明な箇所もあり、今回は掲載しなかったが、この書き分けについては考察が必要かもしれない。
※同じような赤でも、「紅」と「赤」とで使い分けた。身分が低いと思われる人物には、「赤」を用いた。他にも、身分の差で表記を変えたものがある。
※男性の「中着」は、小袖なのか、単なのか判別ができなかったために使用した。また、熨斗目模様がみられるものは、「熨斗目小袖」と判断した。しかし、通常熨斗目の模様は肩まで入ることはなく、若干の不審もある。
※上文に二色以上使用しているものを「二重織(ふたえおり)」として区別した。
※ライトブルー系統の色は、直衣の場合「縹色」とし、薄縹色(濃)、浅葱色(薄)と区別した。

 
 
 

2012年7月 1日 (日)

平群の里で許状をいただく

 雨が降り続く中を、大和平群へお茶のお稽古に行きました。
 
 6月は一度も行けませんでした。今朝は出かける前に、自宅の電熱式の風炉で一通りの復習をしました。

 本を横に置いての練習は、これまでにも何度かやっています。『裏千家茶道 点前教則』という本がナビゲーターです。私はまだ初心者なので、今は最初の第1巻と第2巻の2冊を畳の上に広げ、それをチラチラと見ながら、写真解説を参考にしておさらいをしています。
 しかし、写真を目で追いながらできる部分は良しとして、忘れている部分など説明文を読む必要がある場面になると、どれどれとメガネを外して本を手にとってと、なかなか面倒です。

 お点前の手順が断片的にしか思い出せないので、流れるようにスムーズな練習とは程遠いものです。忘れていたことを思い出すため、と割り切った方がいいようです。

 やるたびに、そうそうそうだった、という塩梅なので、とにかく根気がいります。それでも、繰り返すたびに、いろいろと発見があります。奥が深いとは、こうしたことを言うのでしょう。

 家では襖の開け閉めからやっていました。しかし、先生のお宅では夏のお稽古ということもあり、開け閉めはありません。季節季節に応じた、バリエーションの多彩さがあるのも楽しいものです。
 おまけに今日は、平たくて丸い大きな水差しが最初から出ていました。最初に水差しを入口の建付に置いて挨拶をして、という水差しを運び出すところからではないのです。茶碗と棗を運び込むところからスタートです。

 えーっと、と、一呼吸置いて次の動作を考えて手を膝に置くと、すかさず、手を膝に置いて休憩しない、という先生の声が聞こえます。
 袱紗捌きも、胸を張って肘を上げて大きく、と、いつもの注意を。また、左手が袱紗を折り返すときにちゃんとできていませんでした。先を先へと考えると動きが小さくなり雑になるようです。そうではなくて、少し前を意識すればいいようです。とにかく身体で覚えるしかありません。

 柄杓を取るのも置くのも、少しまごつきながらもどうにか出来ました。

 夏用の茶碗は底が浅いせいか、持ちにくい上に点てる時に手を被せるように押さえるので、慣れないと滑らせそうです。いろいろな道具でお稽古を、ということです。

 どうにか一通り終えてから、もう一度通してやることなりました。ところがどうでしょう。先ほどは次の流れが見えていたのに、今度は混乱していろいろな場面でぎこちなく止まります。先ほど一度はできたという安心感があったせいか、最初のような緊張感が欠けていたせいか、気が緩んでいると不思議と思い出せません。身体で覚えていないせいだと思われます。

 いやはや、牛歩の歩みのお稽古を覚悟しています。

 今日は、今春申請した許状をいただきました。修道過程の入門と小習です。こうしたものを目の前にすると、スタートラインに立ったという気持ちを再確認させらます。
 
 
 

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 修練を積まれた方には、過去の書状でしょう。しかし、これからの者には、気持ちが改まる一枚一枚です。
 茶道という家元制度のシステムはともかく、多くの方が長い年月をかけて築き上げられた学習プログラムに今乗ったのです。そんな思いを強くしながら、雨上がりの坂道を下って元山上口駅に向かいました。
 
 
 


NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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