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2012年9月の36件の記事

2012年9月30日 (日)

谷崎全集読過(14)「独探」

■「独探」
 冒頭から、語り手である私の英語コンプレックスが表明されています。英語は読めるけれども喋られないと。今に通ずる悩みです。それは、西洋の芸術に冷淡であったためで、支那やインドに目を向ける方がいい、と思っていたといいます。もっとも、それは考え直すことになります。一転して西洋崇拝となるのです。芸術観が裏返ってしまうのです。谷崎潤一郎らしいと思いました。その意味では、この作品は西洋人の印象記ともなっています。
 時々英単語が出てくるのは、初期の谷崎の作品の特徴です。果ては、6行にもわたる英文が出てくるので、よほど読者にこのことを印象づけたかったようです。
 最後に西洋人好きを自認していますが、果たして言っている通りでしょうか。谷崎の本心ではないように思います。
 ここに出てくるG氏は、本当にスパイだったのでしょうか。人と人とが付き合いを続ける中で、人間の多面性を考えさせてくれました。
 谷崎の身辺雑記の一つを、思い出語りとして綴ったものです。【2】

初出誌:『新小説』大正4年11月(大正4年10月作)
 
 
 

2012年9月29日 (土)

井上靖卒読(142)「その日そんな時刻」「昔の恩人」「春の雑木林」

■「その日そんな時刻」
 一風変わった題名です。めずらしい命名です。読み終えた今、まだその軽い題名と濃い内容との落差に戸惑っています。
 入院中の夫を介抱する妻の心の動きが、丹念に描かれます。嫌悪の心情を伴ったものとして。
 「人間はどんな境遇に居ても、明るい方に顔を向けていなければなりません」という言葉は、井上靖らしいと思いました。
 昭和18年という戦時中の時局を背景にした紅子の結婚前後の話は、非常に具体的です。しかも、乾いた文体で書かれています。
 夫とどうしても合わないのです。戦争も終わり、紅子の日々が続きます。その心中がよくわかるように、的確で具体的に語られています。なぜ、井上靖はこうした女心が描き出せるのでしょうか。
 しかも、思いもしなかった大団円。そのみごとさには、脱帽するしかありません。【5】
 
 
初出誌:別冊文藝春秋
初出号数:1954年4月39号
 
中公文庫:暗い平原
井上靖小説全集10:伊那の白梅・大洗の月
井上靖全集4:短篇4
 
 
 
■「昔の恩人」
 私の父が作った川柳に、占い師が往く路を決めてくれるという句があります。
「道二つ手相見事に決めてくれ」
 この作品を読んでいて、この父の句をまず思い出しました。人生は偶然によって成り立っているのです。しかし、この話はさらに奥が深いのです。人間が人間を見る目は、何とも皮肉です。人間は人を見る目が移り変わります。気持ちの揺れ動きが、うまく描かれています。【4】
 
 
初出誌:新潮
初出号数:1955年8月号
 
井上靖小説全集11:姨捨・蘆
井上靖全集4:短篇4
 
 
 
■「春の雑木林」
 伊豆半島で心中をしようとする話です。舞台は井上靖が育った湯河原らしきところです。山葵沢も出てきます。
 昔の恩人に頼る話です。しかし、話は急展開で、テンポが速くなります。井上靖らしく、ほっとさせる結末に安堵しました。【4】
 
 
初出誌:小説公園
初出号数:1954年5月号
 
井上靖全集4:短篇4
 
 
 
〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/
 
 
 

2012年9月28日 (金)

「ちょこっとイギリスだよりNo.5」by 川内

 川内有子さん(立命館大学大学院生)の英国からの報告、「ちょこっとイギリスだより」の第5弾は《ケンブリッジからロンドンへ》です。

 なかなか得がたい経験の毎日で、充実した英国留学となっているようです。
 
 
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 ケンブリッジからロンドンに向けて出発しました。
 ずっとお世話になっていたB&Bのおかみさんが駅までお見送りをして下さって、おかみさんには本当に最後までお世話になりました。

 “ロンドンはケンブリッジと全然違うからきっと驚くわ。初めて行くところなんだから、節約よりも安全を選ぶのよ。いいわね。”

 町内のパーティーがあったときは仲間に入れていただいたり、ケンブリッジでの暮らし方を教えてもらったりして、おかみさんには、宿泊客というよりも親戚の子のように接してもらいました。
 感謝の気持ちを手紙に書いたら、“またおいでね”と言って送り出してくださいました。

 列車の中で、ケンブリッジにお邪魔していた間に学んだこと・感じたことを振り返っていました。
 
 
 
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 レベッカさんは今のご研究で、江戸時代の翻訳文学から東西の文化の摩擦点について考察されています。幅の広い研究になるため、取扱う個々の作品に関しては、先行研究を参照するという手法をとられるそうです。

 研究で扱う作品の数が多く、言語もいくつかにまたがることをお聞きしたときに、他の研究者の方との共同研究の機会があるのでしょうかとお聞きしたのですが、実際は、イギリスの人文科学においては研究費の分配の制度上、共同研究は少ないのだそうです。
 一人あたりの研究成果によって国からの研究費がつくため、共同研究になるとその評価が複雑になってしまうから、ということでした。

 一方で、ケンブリッジとオックスフォードにおいては、特有のカレッジ制が共同研究の側面をカバーしている、というお話をタイトラーさんからうかがいました。
 別々の分野の研究を行っている方々が同じところに住んで食事などを共にすることで、インフォーマルな場でも情報交換が行えるという点によってです。

 ケンブリッジの図書館で出会った方々の会話を思い出すと、カレッジの雰囲気もなんとなく想像ができます。
 きっと、カレッジの中の会話から考えるヒントを得たり、質問をし合ったりされているのだろうな、と思います。

 また、コーニツキ先生からは、先生が博士論文をどのように指導されているのか、というもお聞きしました。

「取り組める時間は限られているから、適切な範囲を決めること。でも、一つの作品・人物に集中するよりも他のテーマと交わる部分がある方が、広がりがあって良いと思います。そして、方法論を自分のテーマに応用できるかどうかという視点で先行研究を読むこと」

 やり方を自分が作る、そのために先行研究を「方法論」を意識して読む。

 今まで私は、とりあえず読む、調べる、考える、とその時目の前にあるものでいっぱいいっぱいになっていましたが、「何をすべきか決めること」をそろそろ覚えなければならないと感じました。

 私が「自分がどうなりたいのか、自分のやって居ることの意義は何なのかをずっと悩んでいる」というお話をしたとき、レベッカさんも「目的を考え続けることは大切なこと、良いことだと思います」とおっしゃっていました。
 今もまだ考え続けている問いですが、目の前の事でいっぱいいっぱいな時期も悶々とする時期も、あってよかった、私にはあるべき時間だな、と今は思えます。
 
 
 
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2012年9月27日 (木)

「ちょこっとイギリスだよりNo.4」by 川内

 川内有子さん(立命館大学大学院生)の英国ケンブリッジ大学からの報告の第4弾です。
 私が海外に出かけていたので、掲載が止まっていました。
 「ちょこっとイギリスだより」の第4弾は《ケンブリッジに来て学んだこと》です。
 この後、川内さんはケンブリッジからロンドンへと移動します。
 
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 あっという間に、ケンブリッジでの最後の夜を迎えてしまいました。
 無事に毎日を過ごせて新しい方々との出会いを与えてもらったケンブリッジの街にたくさんありがとうを言いながら、ロンドンに出発したいと思います。
 
 「これから私にはどんなことができるんだろう」

 という思いでやって来たイギリスで、自分がまだ何にも知らない、でも、その分これから先出会うものも多いんだということを一番に感じました。

 イギリスにおける日本文学・日本文化研究について、ケンブリッジ大学トリニティカレッジに所属していらっしゃるレベッカ・クレメンツさん、ロビンソンカレッジ副学部長でいらっしゃるピーター・コーニツキ先生、オックスフォード大学ボドリアン図書館日本部長でいらっしゃるイズミ・タイトラーさんからお話を伺いました。

 お忙しい皆さんに質問に答えていただいて、日本における日本文学の研究と、海外の日本文学研究の違いについて考えることができました。
 
 
 
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 日本を出発する前、海外の論文を読んでいた際に、本文・作者だけでなく時代背景や文化・ジェンダーなどと絡めて論じている論文が日本よりもとても多いのはなぜだろう、と思っていました。

 タイトラーさんからボドリアン図書館の分館に移るまでのお話を伺っているなかで、オリエンタルセクションの中にあったものから日本関係の本を分館に移動させた、ということをお聞きしました。
 このとき、「東アジア研究の中から日本研究が出て来て、さらに日本を研究する角度の一つとして文学がある。だから文学作品を論じるときに作品が生まれた背景へつながっていくんだ」と、文字の上のものだった世界が立体として見えてきたような気がしました。

 また、日本から研究に来られた人は、日本との違いをどのように感じて研究を行ってきたのだろう、ということについてもお聞きしました。

 レベッカさんとコーニツキ先生にお聞きした所、これまでの視点との違いを感じて研究が変わっていく方が多いそうです。
 そして、みなさん、自分が親しんでいたやり方と違う、ということを面白いと感じて取り入れて変っていかれたのだそうです。

 コーニツキ先生は、日本からケンブリッジに来られたある日本史の先生が、日本史と日本文化を関わらせていく視点を楽しみながら取り入れていかれた、というお話をしてくださいました。
 ずっと同じ所にいて違う分野やフィールドには足を踏み入れたことのない私には、違いに飛び込むこと・違いを取り入れることは、ショックもあるだろうし少し怖いものに映ります。
 いい悪いの判断を周りの人の反応に委ねてしまいがちな私には、コーニツキ先生の「まわりを頼りすぎないで自分でやってみることが研究者としての自分を作ることになる」という言葉がとても重かったですが、新しいもの見て自分で判断しながら取り入れていくことによって、私の先を歩く方々は自分のスタイルというものを作り上げて来られたんだということを感じました。
 
 
 

2012年9月26日 (水)

帰国の機内食も糖尿病食でした

 フィレンツェからパリ経由で帰国しました。
 パリでの乗り継ぎには、4時間も待ち時間があります。海外へ行くときには、こうした、どうしようもない無為な時間が付きまといます。何をすることもなく、移動や搭乗手続きの待ち時間などで、この4時間は消えていきます。どうしようもないことなので、もったいない時間だとは思わないことにしています。

 帰りも、機内食は糖尿病食をお願いしていました。

 離陸して1時間ほどすると、お昼ご飯が出て来ました。早速、消化を遅らせるベイスンを飲みました。
 
 
 

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 あまり食欲がなかったので、パンは残しました。私が口にした炭水化物は6カーボと見ました。ただし、疲れていたせいもあってか、血糖値を測ることを忘れていました。

 ヨーロッパからの搭乗時間は長くて疲れます。帰りの便は11時間だそうです。来るときには映画を観ました。しかし、帰りは体力も気力も消耗していたこともあり、ずっと寝ていました。食事のときだけ目をあけていた、というのが実情です。これも、もったいないとは思わないことにしています。明日のための休養ですから。

 成田到着の2時間前に、朝食としての食事が出ました。
 
 
 

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 これには、次のような食材の成分がわかる表が付いてきました。
 
 
 

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 私は、まずベイスンを飲み、消化を遅らせることにしました。
 パンは3分の1だけ、デザート類は半分だけ食べたので、炭水化物94.9グラムの内、45グラムを口にしたことになります。
 体重64kgで2型糖尿病の場合の具体的な数値が公表されています。1gの糖質は、血糖値を約3mg上昇させるそうです。ということは、今私の体重は50kgですが、ほぼこれに合わせると、今日の朝食では135mg上昇することになります。
 実際に1時間後の血糖値を測定すると、290でした。
 思ったよりも高いように思います。狭いシートにじっと座っているだけなので、こんな結果なのでしょうか。

 いろいろな例を集めて、折々に検討していきたいと思います。
 
 
 

2012年9月25日 (火)

心地よい熱気が残った国際研究集会

 「日本古典籍における【表記情報学】」と題する国際研究集会は、本日無事に終えることができました。
 関係者のみなさま、ありがとうございました。特に、フィレンツェ大学の鷺山先生と、ヴェネツィア大学のトリーニ先生には、準備の段階から今日まで暖かいお心遣いとご高配をたまわり、大変お世話になってきました。実務を担当した者としても、心よりお礼申し上げます。

 今回は、日本古典文学の作品における、「ひらがな」「カタカナ」「漢字」の表記に関する問題がテーマです。
 このプロジェクトがうまく進行しているのは、今西館長のことばによると、文学論に立ち入らないからである、ということです。確かに、表記ということにこだわり、文学論の領域に足を踏み込まないのは、プロジェクト研究としてコラボレーションを展開する上では賢明です。
 今回のようにイタリアで研究集会をもっても、言葉による表現と表記は、お互いの言語圏での共通の問題意識を共有できます。話も噛み合います。そのことを、今回の研究集会で実感しました。

 今日の会場は、フィレンツェ大学文学部のコンファレンスルームでした。朝の10時から午後6時まで、充実した時間を参加者のみなさまと共有できました。
 
 
 
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 数年前に私がここを訪問した時の様子は、「フィレンツェ大学の中へ」(2009年3月13日)をご笑覧ください。

 本日のプログラムを確認しておきます。


■午前の部 司会:伊藤鉄也■

(1)〈開会の挨拶・基調講演〉今西祐一郎
  「表記情報学—「片仮名本」と「平仮名本」」
 
 
 

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(2)〈研究発表〉中村一夫
  「仮名文テキストの文字遣─鎌倉から江戸の源氏物語を通覧する─」

(3)〈研究発表〉海野圭介
  「二つの方丈記:ひらがな/カタカナのエクリチュールとリベラトゥラ」

■午後の部 司会︰海野圭介■

(4)〈研究発表〉伊藤鉄也
  「『和泉式部日記』の文字表記」
 
 
 
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(5)〈研究発表〉坂本信道
  「古写本における字母「无」の使用と変遷」

(6)〈研究発表〉アルド・トリーニ
  「和歌を仮名で書く についての一考察」

(7)ディスカッション(進行:伊藤鉄也)

 今回の研究発表の内容は、後日まとめて公刊する予定です。

 最後のディスカッションは、ラウンドテーブルによる懇談会形式をとりました。
 参加者からのたくさんの質問や疑問点が投げかけられ、それに発表者が一つずつ応えるという、内容の濃いやりとりが行われました。誰でも自由に発言できる雰囲気だったこともあり、さまざまな話で盛り上がりました。
 これも、後日テープ起こしをして、広く読んでいただける形にまとめる予定です。もっとも、整理を担当する者として、この盛り上がって白熱した議論や討議や発案をどうまとめるかは、今から頭の痛いところです。お楽しみに、ということにしておきましょう。
 
 
 

2012年9月24日 (月)

オルシ先生のイタリア語訳『源氏物語』を入手

 ローマ大学のオルシ先生が、『源氏物語』をイタリア語訳なさっていることは、本ブログでも何度か紹介しました。

「イタリア語訳『源氏物語』完成を祝して」(2011年2月14日)

 そのオルシ先生の『源氏物語』を、今回の旅で入手しました。

 フィレンツェの街中にある大きな本屋さんでは、2軒ともに在庫がありませんでした。そのことでフィレンツェ大学の鷺山先生にご相談したところ、オルシ先生の本を出版した会社の人がちょうど来ている、とのことだったので、お目にかかり、早速一冊注文しました。そして、翌日めでたく入手することができました。

 先年、ヴェネツィアの本屋では「ゲンジモノガタリ、プリーズ」と言ったところ、探していた本が出て来ました。そのことは、「ヴェネツィアから(7)イタリア本」(2008年9月14日)に書いたとおりです。
 今回は、そうはいきませんでした。書店のオンラインで検索してもらい、そこから在庫が何冊あるのかを知り、そして今その本屋に何冊あるのかがわかる、というシステムになっています。ヴェネツィアでの体験は、今では貴重なことになりました。

 さて、オルシ先生の『源氏物語』は箱入りで、1437頁の立派な本です。
 箱の表面と裏面は、こんなデザインです。絵は、国宝源氏物語絵巻の「鈴虫」と「関屋」の一部です。
 
 
 
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 本のカバーには、箱にも印刷されている「関屋」巻の絵が使われています。
 
 
 

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 本の天は真っ黒に塗られています。ブックカバーを外すと真っ白な本なので、この対照の妙に感激しました。

 中にも、国宝源氏物語絵巻が、挿絵として配されています。16葉もあります。


15蓬生、16関屋、36柏木(2葉、内見開き1葉)、37横笛、38鈴虫、39夕霧(2葉)、40御法(見開き1葉)、44竹河、45橋姫、48早蕨、49宿木(3葉、内見開き1葉)、50東屋

 
 
 

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 この絵は、山口伊太郎さんが西陣織で作られた大作から取られています。
 山口伊太郎さんの錦織『源氏物語』については、「源氏千年(37)錦織の源氏絵巻に驚嘆」(2008年4月29日)で詳しく紹介しました。

 肝心の翻訳については、今私には手も足もでません。どなたかに解題をお願いすることになります。
 巻頭部分の文字列を追う限りでは、翻訳にあたっての底本は『新日本古典文学大系』(岩波書店)です。そして、『日本古典文学全集』(小学館)と『源氏物語の鑑賞と基礎知識』(至文堂)も参照されています。10年以上もの長期間でなされた仕事なので、その大部分は『日本古典文学全集』をお使いになっていたことと推察しています。

 このオルシ先生のイタリア語訳『源氏物語』については、マスコミでも高い評価がなされているようです。
 
 
 

フィレンツェの新たなお寿司屋さん

 先日紹介した、「フィレンツェの満月とお寿司」(2009年3月13日)の後半に、テイクアウトのお寿司屋さんのことを書いています。

 今回そこに足を向けましたが、お店はありませんでした。地元の方に聞くと、もう店じまいしたとのことでした。残念です。

 その代わり、ドゥォモから駅に向かって行ったところに、新しくお寿司屋さんができていました。
 
 
 

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 「ジャパン フュージョン レストラン」「寿司バー」「鉄板焼き」とあります。
 「フュージョン」とは「無国籍」くらいの意味でしょうか。
 入る時間もなかったので、コメントできません。回転寿司屋なら、いの一番に入ったはずですが。
 観光客用にお寿司を強調しているとしても、この隣が中華料理屋なので、メニューに興味はあります。またいつか、ということにしておきます。

 街中には、日本で言う「100円ショップ」が何軒もありました。
 
 
 

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 この奥が広くて、たくさんの品物が並んでいます。その国の一般庶民の日常生活品が一堂に会している場所なので、おもしろい所となっています。私は、エスプレッソを飲むための小さなカップが気に入りました。その他、デザインもイタリアらしくて、大いに楽しめました。
 その国の今の文化と生活を知るためには、この100円ショップは絶好の場所です。イギリスにも、フランスにもあったので、これは世界中に広がりつつある現象なのでしょう。

 街中で、馬車と行き会いました。
 
 
 

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 観光客用なのでしょうか。石畳に似合います。
 人力車も走っていました。
 
 
 


2012年9月23日 (日)

国文研・イタリア共同シンポジウム

 朝食後に運動を兼ねて、ドゥォモのクーポラに登りました。次の写真の円形をしたクーポラの一番上へ、中の石造りの狭い通路を登っていくのです。
 「ドゥオモ」は「ドーム」、「クーポラ」は「キューポラ」と言い換えるとわかりやすいかもしれません。
 
 
 

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 高所恐怖症の私は、足がすくんでぎこちない足取りです。最後の急階段では、足が疲れたこともあり、息があがっていました。
 
 
 

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 てっぺんまで登り、フィレンツェの街をグルリと見渡しました。
 
 
 

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 ここだけで疲れたので、横に聳え立つジョットの鐘楼は今回もパスしそうです。

 午後は、フィレンツェ中央駅前のサンタ・マリア・ノベッラ協会横にあるグランドホテル・バリオーニで開催される国際研究集会に参加しました。
 
 
 

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 これは、国文学研究資料館が主催し、イタリアの研究者との共同研究・シンポジウムで、今回で4回目となります。
 今年のテーマは「日本文学のことばの力」です。豪華なホテルのダンテの間が会場でした。
 
 
 

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 上の写真は、マストランジェロ先生が司会でルペルティ先生が研究発表をなさっているところです。発表題目は、「文句は情をもととすと心得べし─近松門左衛門の浄瑠璃における言葉の力」です。
 この日は5人の研究発表がありました。
 日本にいる時と変わらない、ここがフィレンツェであることをすっかり忘れさせてくれました。研究という熱気が溢れる集会でした。
 
 
 

さっそく懇親会での出会いから

 メジチ家の礼拝堂の周りでは、雑貨の市が立っていました。
 
 
 

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 私は、こうした賑わいが大好きです。ブラブラと、カバンや文房具などを見て回りました。

 露地では、こんな標識がありました。駐車禁止の標識のようです。
 遊び心に満ち溢れた、洒落たデザインです。
 
 
 

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 昨夜は、フィレンツェ大学の鷺山郁子先生がお世話役を無事に果たされた、AISTUGIA(アイスツージャ、伊日研究学会)の打ち上げ会である懇親会に参加しました。
 80人もの大集団のみなさんとご一緒に、イタリア料理のフルコースをいただきました。豪華な食事を、炭水化物に気をつけながら食べました。ただし、意外とカーボが少なかったので安心しました。
 もっとも、一人前の料理の分量が半端ではないし、カロリーも高めのようなので気をつけなければなりません。しっかりとベイスンは飲んで臨んでいます。

 会場となったレストランは、ベッキオ宮のすぐ近くでした。
 ダビデ像に見送られながら露地に入っていきました。

 多くの知り合いの先生方とお会いしました。
 ミリオーレ先生、ネグリ先生、ルペルティ先生、マストランジェロ先生とは、またお目にかかりましたね、と握手です。
 数年前に、ヴェネツィア大学で開催した国際研究集会で、精力的にお手伝いをしてくれた学生さんたちも来ていました。
 上代文学を研究なさっている東京大学の多田一臣先生と、京都大学人文研副所長の麦谷邦夫先生には、異国の地で初めてお目にかかりました。

 いずこの地でも、懇親会ではさまざまな出会いがあり、楽しいお話が伺えます。
 
 
 


ウフィッツィとピッティの2つの美術館

 フィレンツェ2日目は、時差ボケの関係でとにかく眠いのです。
 昨日は機内で一睡もせずにイタリア入りしたので、睡眠時間はほんの少しでした。ヨーロッパは、時差7時間なので、身体のリズムが完全に狂います。しかも、狭いシートに身を縮めての長旅だったので、なおさら身体は寝ています。

 それにもかかわらず我が身にムチ打つように、2つの美術館へ足を運びました。

 ウフィッツィ美術館へ入るのには、長蛇の列に身を置くことになります。しかし、今回はあらかじめ予約がしてあったので、比較的早く入ることができました。

 中から市庁舎やドゥオモの方角を見ました。相変わらず、工事が続いています。
 
 
 
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 手前下の狭い通りには、いつものように椅子に座って観光客に声をかける、似顔絵描きのおじさんたちがいます。
 この美術館の前で、母と息子が別々に同じ似顔絵屋さんに描いてもらっています。そして、私もその同じ絵描きさんに書いてもらったことは、3年前の記事に書いたとおりです。

「親子3代の似顔絵を描いたおじさん」(2009年3月13日)

 今日も同じおじさんがいたら、また描いてもらおうと思って探しました。しかし、見かけませんでした。あと数日いますので、運良く出会えたら描いてもらうつもりです。

 ベッキオ橋の下を流れるアルノ川で、ボートの練習をしている若者がいました。
 
 
 
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 3年前に、このアルノ川のきれいな夕焼けを掲載しました。

「アルノ川の夕焼けと蔀戸」(2009年3月13日)

 この写真は、何件か問い合わせを受け、いいと誉めていただいたことがあります。しかし、実際にはそんなにきれいな川ではありません。写真で見る方がずっといい川です。

 その時の記事に、蔀戸のことも書きました。あの時に掲載した写真は夜のものだったので、今回は昼の様子です。ベッキオ橋の上には、貴金属店がズラリと並んでいます。ヴェネツィアのリアルト橋よりも規模は小さいながらも、決して負けないほどの賑わいがあります。
 
 
 

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 そのまま橋を渡って直進すると、ピッティ美術館があります。ここは、私がウフィッツィ美術館よりも好きな所です。これでもか、というほどに、壁にはおびただしい数の絵がビッシリと掛かっています。しかも、説明はありません。そんな多くの絵を見ながら、自分が気に入る絵を見つける楽しさが味わえるのです。贅沢な1人遊びです。

 私は、ラファエロの絵が好きです。ここに来ると、ラファエロの間とでもいうべき2部屋だけを見て帰ることになります。さらには、ティッツアーノの絵も好きです。

 このピッティ美術館のテラスから、アルノ川越しにフィレンツェの中心街を眺めました。
 フィレンツェは、色彩と尖塔の街です。
 
 
 
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 ベッキオ橋の手前で、ジェラートを食べてみました。
 1時間後の血糖値は117でした。予想外に低くて驚いています。これなら、食後にデザートを口にしても、血糖値のことはあまり気にしなくてもいいようです。その点では、日本のデザート類が砂糖漬けという現実は、何とかしてほしいものです。

 帰り道に、私が好きな「イルパピロ」に立ち寄りました。フィレンツェには3軒もあります。
 お店の奥でマーブル紙の色着けをしていた方が、「作るところを見ていきませんか」と、声を掛けられたので、実演を見る機会を得ました。

 まず、ゼラチンのような液体の上に、塗料を蒔くように筆を叩いて振りかけます。
 
 
 
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 そして、1本の棒で表面を掻き混ぜるのです。
 この時に、模様の大凡が決まります。
 
 
 
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 最後に、液体の表面に紙を慎重に置き、さっと引き揚げると、はい、この通りです。
 
 
 
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 すぐに紙の表面は乾くようで、手で触っても大丈夫です。
 これをドライヤーで完全に乾かしてできあがりです。
 今、横にこのマーブル模様の紙があります。いい記念になりました。

 その帰り道、ドゥオモの近くの路上で、チョークのようなものでラファエロの作品を描くパフォーマンスをしている若者3人組に会いました。
 つい今しがた、ピッティ美術館で見たばかりの絵なので、しばらく見入ってしまいました。
 
 
 
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2012年9月22日 (土)

フィレンツェの夜を散策

 パリからフィレンツェへの移動は、ギュウギュウに6列に詰め込んだ小さな飛行機でした。フィレンツェに来るのは5回目ですが、いつもヴェネツィアやローマから列車で来ていたので、空からは初めてです。
 出発が遅れて夜7時過ぎに搭乗となりました。上空に至った時、窓からは明るく沈む夕陽がきれいでした。
 
 
 
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 フィレンツェでのホテルは、街の中心にとってあります。夜10時を過ぎていましたが、ドゥオモまで散歩に出ました。
 
 
 
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 夜中までリストランテで赤ワインを飲みました。「グルネルロ モンタルチーノ」という、日本ではめったに飲めない、貴重な種類のワインでした。
 数年前まで、娘はフランスとイタリアからワインを輸入したり、壜に貼ってあるラベルの日本語訳をする仕事などをしていました。たくさんのワインの話を聞いた覚えがあります。その中に、この「グルネルロ モンタルチーノ」があったのかどうか、思い出せません。これは、すばらしいワインだそうです。しかし、申し訳ないことに、私にはその味の程度がよくわかりません。正直に言うと、少し薬品の刺激をノドに感じたので、苦手な部類のワインでした。

 深夜まで飲んだり食べたりできるのですから、フィレンツェの街は不安を抱かせないいい街です。

 この前来たのは、3年前でした。以下のブログをご参照願います。
 
「フィレンツェの満月とお寿司」(2009年3月13日)
 
 この夜のざわめきも、まったく変わっていません。
 今日も同じフィレンツェでした。
 
 
 

パリ行きの機内で食べた糖尿病食

 成田を発って6時間ほどした頃でした。間食として、雑穀パンに野菜を挟んだ軽食が出ました。周りの人は、サンドイッチでした。糖尿病食ということで、炭水化物を減らすのにパンと挟む内容を変えているようです。コーヒーと一緒に食べました。
 
 
 

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 そして、その3時間後に夕食が出ました。パリに到着する1時間前です。
 
 
 

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 白身魚はおいしくいただきました。ただし、どうしたことか急に吐き気がし出したのです。野菜中心のメニューなので、おそらく主食として付いていたパンが、機内食で続いたのがいけなかったのでしょう。先月、京大病院に入院していた時も、パンの時は吐き気に悩まされていましたので。
 半分以上を残し、後で持参していたビスケットで補いました。

 なお、今年の2月にインドへ行った時のJALの糖尿病食については、「機内食で糖質制限食」(2012年2月17日)と、「帰りの機内での糖尿病食は良好」(2012年2月24日)の、2つの記事をご笑覧ください。
 
 
 

2012年9月21日 (金)

機内で見た3本目の映画「天と地と」

 機内では、古い映画として「天と地と」が上映リストにありました。1990年の作品です。

 長尾景虎(上杉謙信)と武田晴信(武田信玄)のお互いの動静を、四季折々の日本的な風景の中に描きます。海音寺潮五郎の原作を映画化したものです。井上靖がこの時代を扱った作品を多く書いているので、私が好きな時代です。しかも、いろいろな解釈がなされているので、2人の戦国武将には興味を持っています。

 これまでに、何度かこの映画を観たはずです。しかし、初めて観る新鮮さがありました。

 気になったのは、女性である八重やなみの描き方です。あまりにも女性らしさを強調しようとし過ぎたせいでしょうか。不自然なカメラワークが気になり、魅力が半減していました。また、今の女性は、こうした姿に共感は持たないことでしょう。今は、自分というものを大事にする教育を受けて育っているからです。

 多くの人に観続けてもらうためには、作品世界の中の女性のあり方と、現在の変わり行く女性のあり方の、その接点が問題となります。
 戦国時代という当時のありようをどう描くかは、正確さとは別に今後のためのヒントを与えてくれると思いました。そして、私はこの映画に出てくる女性は、物語展開の邪魔をしているように思えます。話の流れを寸断しているからです。男と女の情の世界を描こうとしたための失敗だといえます。

 桜のシーンが多くて飽き飽きしました。しかし、さすが角川映画というぺきか、お金をかけただけはあって、戦闘シーンは迫力がありました。これは、中身はないけど見せ場だけは作るアメリカ映画を彷彿とさせるものでした。それだけのもので、それ以上のものではありませんが……
 
 
 

機内で見た2本目の映画「テルマエ・ロマエ」

 映画「テルマエ・ロマエ」は、イタリアを舞台にした映画です。
 メリハリの利いたテンポの良さが気に入りました。

 奇想天外な展開の合間合間に、日本の文化の素晴らしさを実感します。
 2千年前と今が交錯する話の中に、人間の優しさや思いやりの心が、日本という文化的な背景を隠し味にして、映像で表現されています。

 時空を超えた人間の出会いと別れが、たっぷりと盛られていました。ストーリーに厚みはありません。しかし、映像の中からは、心に残る言葉と人間が生きる意義が伝わってきました。

 今回観た2つの映画(「映画ホタルノヒカリ」と「テルマエ・ロマエ」)には、バックグランドミュージックに、それぞれにふさわしい、対照的なイタリアらしい雰囲気が出ていました。偶然でしょうが、イタリア行きのフライトの中でもあり、おもしろいと思いました。
 
 
 

機内で映画を3本観てパリへ

 機内では、まず「映画ホタルノヒカリ」を観ました。
 軽妙なコミックの世界を大いに楽しみました。
 話はイタリアのローマ。フランスのパリ経由でフィレンツェに向かう便にはピッタリです。海外旅行のすすめ、という構成も気に入りました。

 新婚の「干物女」役を演ずる綾瀬はるかは、いい味を出しています。
 男と女の勘違いが、コミカルに絶妙に表現されていて、お話を堪能しました。テンポのいい軽快な仕上がりでした。

 この映画は、機内食の昼食を食べながら観ました。
 昼食は、搭乗前にお願いしていた糖尿病食です。
 
 
 

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 なかなか美味しいステーキでした。あらかじめ、消化を遅らせる薬であるペイスンを飲んだこともあってか、1時間後の血糖値は276でした。まずまずです。
 飲み物は、JALに乗ったら必ず赤ワインにしています。よく、理由を聞かれます。何ということはなくて、私にとっては、縁起がいい飲み物だと思い込んでいるのです。
 
 
 

2012年9月20日 (木)

フィレンツェへの旅立ち

 海外に行く時はいつものことながら、慌ただしく成田へ向かいます。
 お決まりのように、まずは第1ターミナルか第2ターミナルか。紛らわしいのです。今回は第2でした。ただし、駅の名前は、空港第2ビルです。成田空港ではないのです。年に何回か使う空港です。それなのに、いつも迷います。

 また、その経路もたくさんあります。
 今日は、船橋駅で乗り換えて行くことにしました。地上を歩いて乗り換えます。しかし、乗り換えが1回で、料金もいつもの経路より400円も安いのです。
 
 
 

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 無事に空港に着き、出発までは時間があるので、喫茶店でホットを注文しました。しかし、ホットが通じないのです。
 「何のホットですか?」と聞かれたのです。初めてです。当然コーヒーのつもりだったので、こちらのほうが困りました。今や、喫茶店では、ホットとは何なのかを言わないと通じないのでしょうか。確かに「ホットチョコレート」や「ホットティー」があります。しかし……関西流に「れいこ」と言ったのではないのです。

 また、その時に出されたお水が、鼻を突く生魚の匂いがしたので、これは変えてもらいました。

 窓から外を見ていたら、JALの翼にあの懐かしい鶴のマークがありました。今日から再上場でもあり、心を入れ替えて再スタートの意味でも、鶴丸の復活なのでしょうか。

 ふと、鶴を英語で何というのか考えてしまいました。わかりません。鶴は海外にもいるのでしょうか。後で調べてみます。
 
 
 

2012年9月19日 (水)

「ちょこっとイギリスだより No.3」by 川内

 川内有子さん(立命館大学大学院生)の英国ケンブリッジ大学からの報告の第3弾です。
 今回は《ケンブリッジに来た理由編》です。
 
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ケンブリッジは、お城が集まったような、とてもきれいな街です。
 
 
 
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 大学院で『蜻蛉日記』について学んでいる私が、今回このケンブリッジに来た理由は、「海外でも共有していただけるような研究を将来したい。でも今はどうすればそんな研究ができるのか分からない」という私に、行って見て来てごらん、とチャンスをくださった先生がいらっしゃったからです。

 大学院入試のとき、「あなたの研究の社会的意義は何ですか?」という質問が書類にも面接にもありました。
 優秀でも影響力があるわけでもない私が、勉強をすることの社会的意義は、あるのだろうか。
 この問いのはっきりした答えが見つからないまま、大学院に入ってからもずっと、節目節目でこのことが自分の中に浮かんできました。

 後期を迎え、ケンブリッジ大学から来られたph.DのAさんと同じ授業を受けることになりました。
 彼女は、4,5か国語は話せるし、変体仮名も読める。
 その上、自分の軸がしっかりとした、非常に落ち着いた人です。

 後期が終り、彼女が帰国することになりました。
 これからは何を、という話をしているときに、
 “有子さんは将来どんな人になりたいですか?何をしたいですか?”と聞かれました。
 それが大学院での一年目のすべての授業が終わったあとのことです。
 “有子さんがどの道を選んでも応援していますよ”とAさんは言ってくれて、お別れをしました。
 そろそろきちんと自分が勉強する意味は何なのか向き合わなければ、勉強を続ける権利は私にはないなと感じました。

そんな中、Aさんとのやりとりもご覧になっていたある先生が、修士の段階でも海外に派遣してもらえるプログラムがあるから、まずはトライしてごらん、と勧めてくださいました。
 ケンブリッジ大学を希望したのは、人としても研究者としても尊敬しているAさんが学ばれている場所だからでもあります。

 「自分がこれからどういう方向性で研究をすれば日本文学の国際的な研究の中に入っていけるのか、知りたいです」

 申請の書類には、なぜ派遣してほしいのかについて、正直に、このような内容のことを書きました。
 そして本当に運よく採用していただくことができ、ケンブリッジに来ていろいろな方から、日本から出てみなければ伺えなかったことをたくさん教えていただいています。
 
 
 

2012年9月18日 (火)

フィレンツェで開催される国際集会の[予稿集(完成版)]の公開

 先週の金曜日(14日)に、今月24日にイタリアのフィレンツェ大学で開催される国際日本文学研究集会「日本古典籍における【表記情報学】」の開催概要や発表要旨・発表資料を収めた[予稿集(試作版)]を公開しました。

 その後、さまざまなアドバイスと修正意見をいただきました。それを踏まえて、多くの補訂を施した完成版ができあがりました。明日、印刷と製本作業をします。手作りの[予稿集]となります。

 これを最終版として、興味をお持ちの方々への参考にと、ネット上に公開します。ファイルは約4MBあります。

 [予稿集(完成版)](約4MB)をダウンロード

 今回の国際集会の内容は、終了後に一冊の報告書してまとめることになっています。
 今年度中に刊行の予定です。

 この[予稿集]の作成に協力していただいたみなさんと、明後日からフィレンツェに旅発つ集会参加者のみなさん、ご協力をありがとうございました。そして、ご意見をお寄せくださった方々にも、お礼申し上げます。
 
 
 

2012年9月17日 (月)

お稽古帰りに見た2筋の虹

 時間の隙間をぬって、お茶のお稽古に行ってきました。

 先月までの入院で、体重がぐっと減りました。ところが、退院後は食事の管理がうまくいっているせいもあってか、体重が5キロも増えています。それが原因なのか、いつもは正座をしても足が痺れないのに、今日は早々と痺れだしました。そうかと思うと、膝を使って左右に向く動作は、いつもよりも楽でした。
 体重が増えたことと関係がありそうです。

 今日も、運びのお薄のお稽古です。
 流れはわかったつもりでも、細かい所作が不正確です。
 茶碗を拭くときや袱紗さばきで、左腕が動いていることを、やっと自覚するようになりました。無意識に動かしていたのです。身体で覚えるしかないようです。

 お稽古帰りに、駅へ向かって山道を下っていると、目の前にくっきりとした虹がかかっているのに気付きました。しかも2筋も……
 
 
 
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 あまりにも色鮮やかな虹なので、誰かが空に映し出しているのかと思うほどです。いかにも虹です、という虹でした。

 珍しくみごとな虹を見たな、と思いながら駅に着いた瞬間、バケツをひっくり返したという表現がぴったりの、土砂降りの大雨になりました。この天気の急変にも驚かされました。

 帰りの乗換駅である西大寺駅で、翻訳文化に詳しい京都府立大学のR先生と待ち合わせをしていました。久し振りに『源氏物語』の翻訳の話などをしました。大学は我が家のすぐ近くにあるのに、実際に会うのが奈良の西大寺というのが私らしいところです。
 とにかく、得難い仲間に恵まれています。また、一緒にいい仕事をしようと、話が弾みました。
 
 
 

2012年9月16日 (日)

京洛逍遥(237)秋を呼びに飛び立つ鷺たち

 9月も半ばを過ぎると、賀茂の川面には北山からの涼風が吹き渡るようになります。
 植物園前から対岸に架かる飛び石から、北山大橋を望みました。
 
 
 
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 鷺の姿が、あの暑い頃に較べると、しだいに多くなってきました。
 そして、じっとしているだけだった鷺たちが、水面を高く低く飛ぶ様子を見かけるようになったのです。
 まさに、秋を呼びに行ってくれているかのようです。
 その飛び立つ姿もさまざまで、いかにも楽しそうなのです。
 それをじっと見ている私も、一緒になって秋を探す気分になります。
 
 
 
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 鴨と一緒に水中散歩を楽しんでいた鷺の前を、川下から北山に向かう鷺が飛来し、目の前を飛び去って行きました。
 
 
 
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 楽しいのか、一人で踊り出す鷺もいます。
 
 
 
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 鷺たちのさまざまな表情を見ていると、本当に飽きません。
 
 
 

2012年9月15日 (土)

京洛逍遥(236)文化交流の場〈さろん淳平〉

 自宅近くにある京町家風の喫茶店「喫茶ギャラリー〈さろん淳平〉」で、一風変わった手作り展が開催されています。
 お店なので、京町屋と書いた方がいいかもしれません。和風喫茶というよりも、京風喫茶という表現がぴったりの喫茶屋です。
 
 
 
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 なかなか雰囲気のいい喫茶屋です。私は、中庭に面した縁側の席が好きです。

 その2階で、「夏休み おとなの宿題 大発表会」と題する、小さな展覧会が開催中なのです。

 これは、あらかじめ100円で、お弁当箱くらいの大きさの木箱をもらいます。正確には、縦19cm、横10cm、高さ4.5cm の箱です。それをもとにして、各自が自由なイメージで作品に仕上げるという、まさにおとなのための宿題に挑むものです。
 提出された宿題80点を一堂に集めての、作品発表会です。いやいや、立派な展覧会になっているのです。
 
 
 


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 下の写真の右から3つ目が娘の、4つ目が妻の作品です。
 
 
 
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 娘の三段の引き出しは、ペンケースなのだそうです。

 妻の作品の前に置かれたカードには、「娘さんの手作りの結婚式の思い出を」と説明がつけられています。漆黒の違い棚に並んでいるのは、今春あった結婚式で娘が手作りした思い出の品々です。母娘の合作ともなっています。

 何の変哲もない一つの木箱を、人は創意と工夫を凝らして、多彩なモノへと変身を遂げさせているのです。おもしろいものです。

 仕掛けた方も、それに応えた方も、驚きと発見をお互いが共有しているところがいいですね。
 23日まで、自由に見られます。
 下鴨神社や京都コンサートホールや植物園にお出での折には、帰りに立ち寄って見る価値はあります。
 なお、京都新聞の9月13日の〈暮らし〉欄でも、3段抜きの写真4葉付きで紹介されています。

 街角の情報に留まってはもったいないので、このブログでも全世界に広く紹介させていただきます。
 そして今、海外から京都にお越しの方々も、ぜひとも店主宮澤さんの説明を聞きながらご覧になることをお薦めします。
 観光ガイドの方や通訳の方々も、下鴨神社と上賀茂神社の間での小休止の場所として、異文化交流の場として、一味違った日本文化の紹介の場になります。

 日本人は、こんなに豊かな発想を日常的に羽ばたかせるということを、こうした機会に、ご自分の目と手と耳で実感なさるといいでしょう。日本という国の魅力が、海外の方々にも、もっと身近に感じ取っていただける場となっています。

 かつて書いた「京洛逍遥(230)廬山寺のエセ源氏絵展」(2012年5月14日)のような、まやかしの日本文化は、ここにはまったくありません。売名行為も、商売根性も、ここにはないのです。ごく普通の人々が表現する日本的な文化が、小さな部屋のそこここに漂っています。作者たちみんなが、理論武装した文化論を持ち合わせていないからこそ、この作品展のよさが際だっているのです。

 京都では、というよりも東京でも、ブランド力に名を借りた展覧会や作品展も数多く見かけられます。情報を見極めながら気をつけて見て歩きましょう。
 
 
 

2012年9月14日 (金)

フィレンツェでの国際集会の予稿集を公開

 今月24日にイタリアのフィレンツェ大学で開催される国際日本文学研究集会「日本古典籍における【表記情報学】」の開催概要や発表要旨・発表資料を収めた[予稿集]を作成しました。
 まだ試作品の段階です。しかし、最終印刷と製本作業も迫っていますので、この段階でその全容を公開します。
 よりよいものにするために、補訂を要する問題箇所の指摘などをいただければ幸いです。
 
 
フィレンツェでの[予稿集]をダウンロード
 
 
 

2012年9月13日 (木)

「ちょこっとイギリスだより No.2」by 川内

 研究仲間の川内有子さん(立命館大学大学院生)からの英国ケンブリッジ大学での様子の第2弾です。
 今回は《ケンブリッジ大学図書館編》です。
 
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 Bankholidayというイギリスの祝日が明けると、ケンブリッジでの修行先(という意気込みで向かいました)である、大学図書館に通う日々です。
 イギリスに来る前に、大学図書館の日本部長をされている小山騰先生にメールをして、図書館の入館手続きについて教えていただきました。
 
 
 
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 図書館の廊下です。
 ここに置かれている本の中にも貴重な本があったりするそうです。

 小山さんにうかがったところ、ケンブリッジでは卒業試験で成績がほとんど決まるので、学部生のみなさんはそれに向けて勉強をするそうです。(この制度は徐々に変わりつつあって、論文での評価をある程度加味するようになったそうです)
 そのため、図書館も、教科書や関係する文献だけがまとまった自分のカレッジのものを利用する学生が多いということでした。
 大学図書館(University library)には、論文を書くために来ている人がほとんどだそうです。
 蔵書は、写真のように廊下にもぎっしり並べられていて、貴重な本を見るためにイギリス外からもたくさんの方が研究に来られています。

 大学が長期休暇中ということもあり、やはり学生よりも研究者の方の姿を多く見ました。
 
 
 
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 図書館の2階の中庭。晴れた日には休憩する場所になっています。

 昼食とお茶の時間には、小山さんが日本人の研究者の方々と引き合わせてくださいます。
 経済学、言語学、神学、歴史学、建築学…所属されている大学も時には国も異なった先生方と度々ご一緒させていただきました。
 ちょうど一息つくタイミングでもあるので、その日何が見つかった、今回の研究の具合はこうなりそうだ、というお話も聞くことができるのです。
 これは、ケンブリッジに来てみなければ味わえなかった体験だと思います。
 研究の資料を探しに来られている方々のお話なので、聞いているとどきどきします。
 みなさんのお話についていくことで精一杯でしたが、自分を大きな目・大きな耳だと思ってじっと聞いて知恵を仕入れさせていただきました。

 “私は、人文科学というのは、言語が変わっても変わらない価値とは何かを考えることだと思ってやっています。でも日本語でしか伝わらない価値を考える、というのも正しいと思います。正解はそれぞれあるんでしょうね”

 “私は建築をやっていますが、その時代の建築を理解するにはその時代の音楽も歴史も文学も全部知らなければ理解できないと思っています。文学もそうではないですか?”

 図書館の食堂でお聞きしたお話から、これから自分はどういう視点を持てばいいのか、ということについてヒントをいただきました。
 日本に帰ってから、たくさん本を読もう、いろんな学会にも行ってみよう、と思いました。
 先生方の人柄だけではなくて研究とも出会うことがきっとまた私に何かヒントを与えてくれるはずです。
 海外にいるという非日常の感覚が、普段の私の余計な自意識を取り去ってくれているおかげで、今の自分は本当に未熟だと素直に感じる事ができます。
 “無知の知”を体現している毎日です。
 どうか日本に帰っても自分の無知を忘れて怠けたり慢心したりしませんように。
 
 
 

2012年9月12日 (水)

「ちょこっとイギリスだより No.1」by 川内

 研究仲間の川内有子さん(立命館大学大学院生)が、短期留学先の英国ケンブリッジ大学での様子を「ちょこっとイギリスだより」として寄稿してくれました。
 国際的な視野で勉強や仕事を考えている方々には、有益な情報源の一つとなることでしょう。
 差し支えない範囲で、この場にアップします。

 まずは《生活編》からです。
 
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 8月26日から、イギリス・ケンブリッジにお邪魔しています。
 私にとって初めての一人旅、初めてのイギリス、初めての欧州。
 日本を発つ飛行機の中では不安で泣きそうになりましたが、北京で乗り換えた飛行機の中で、一つの出会いがありました。
 隣席となったフィリピン人のCさんとおっしゃるおじいさんです。
 食べ物があうかが不安で…というお話をすると、
 “旅先ではあなたは、ホストではない。Acceptableならそれでいいじゃない、日本ほど恵まれた国はないのですよ”
 この言葉が旅の初めにあったことは、私にとって、とてもラッキーなことでした。
 そのあともいろいろと楽しいお話をして(旦那さん選びのコツなども教えていただきました)12時間ほどが短く感じられるほどでした。
 Cさんとは、またロンドンで会いましょう、ということで空港でお別れをして、Coachでケンブリッジに向かいました。
 
 
 
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 イギリスは日本と比べて2か月ほど先に秋の終わりを迎えたような寒さでしたが、日本よりも日が長いような気がします。
 
 
 
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 次の日は図書館への道の確認と街探検にでかけました。
 滞在しているB&B(ホームステイに近い宿屋)のおかみさんが、メールで“うちは川が近いからお散歩を楽しめますよ”と頻りに勧めてくれていたのが納得です。
 
 
 
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 6時頃になると、飲食店以外のほとんどのお店が閉まります。街灯もほとんどありません。
 滞在しているB&Bでも、おかみさんたちは室内の灯りは夜しかつけません。
 パソコンを開くとき、新聞を読むときもそうです。
 日本の街の明るさ、室内の明るさを思い出し、あれほど明るい必要はなかったのかもしれない、と感じました。
 日本での暮らしを思い返すできごとはもう一つ、お風呂についてでした。
 もともと、朝しか入ってはいけないということだったので、朝食前にシャワーを浴びていたのですが、時間がかかりすぎだと言われてしまいました。
 日本では十月末くらいの気温なので、シャワーで暖を取っていた私は、非常にショックでした。
 でも、少し調べると、ちゃんと理由がありました。
 とりあえずgoogleで「シャワー 海外」で検索すると、すぐに水事情が日本とは違うことがわかりました。
 一時に出せるお湯の量が日本とは違い少ないため、配慮しながら入る必要があったのです。
 日本にいる間に調べておけば迷惑をかけることもなかったし、10分以内にバスルームから退散するということも、やってできないことではありませんでした。(すばやく動くことに夢中になればそんなに寒くないです)
 日本で当たり前のように消費していた電気や水は、ずいぶんと贅沢な使い方をしていました。
 もっと少なくて、十分くらしていける。少し反省しました。

 Cさんの“あなたはホストではないのだから”という言葉のおかげで、素直に学習できている気がします。
 旅の初めにすてきな言葉をもらいました。
 Acceptableならそれでいい!楽しもう!という精神は、打たれ弱い私が違う文化に順応するとき、また参考にさせていただこうと思います。
 
■追伸■
 イギリスの食事は…と、いろいろと聞くので心配していたごはんですが、おいしいです。
 
 
 
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 毎朝いただく朝ごはん。(食い意地が張っているため、私はさらにシリアルとトーストもいただいていますが…)
 イギリスのベーコンは、すごくおいしい。
 食費が高いということも前から聞いていたのですが、安い食べ物がわりとおいしいので、問題ありませんでした。(スーパーのサンドウィッチのBLTサンドがおいしくてびっくりしました)
 
 
 

2012年9月11日 (火)

追伸・フィレンツェでのもう一つの研究集会

 今月24日に今西科研で国際研究集会を開催することは、昨日の記事で報告した通りです。
 その前日までに、以下の研究集会も組まれていますので、併せてお知らせします。
 これは、私が担当している国際研究集会とは会場が異なります。参加の方は、ご注意ください。
 


第4回日本文学国際共同研究集会
   (国文学研究資料館・イタリア共同シンポジウム)
 
『日本文学のことばの力
 :Il potere delle parole nella letteratura giapponese』
 
                2012年9月22-23日
            Grand Hotel Baglioni, 会議室
        Piazza Unit? Italiana 6, Firenze Italia
 
【9月22日、土曜日】
 
14:30-14:45 開会の辞 国文学研究資料館館長 今西裕一郎
 
 司会 鷺山郁子(フィレンツェ大学教授)
14:45-15:15  Gala Maria Follaco ガラ・マリア・フォッラコ
            ナポリ東洋学大学講師
       「トラウマのナラトロジー - ことば、そして映像の力」
15:15-15:45 Luca Capponcelli ルカ・カッポンチェッリ
            カターニア大学講師
       「歌と伝説における言葉の力 −土居光知の歌垣発生論から−」
15:45-16:15  Matilde Mastrangeloマティルデ・マストランジェロ
            ローマ大学教授
        「話芸における言葉の力 : 口演とテキストの相関」
 
16:15-16:45 休憩
 
 司会 マティルデ・マストランジェロ
16:45-17:15 Bonaventura Ruperti ボナヴェントゥーラ・ルペルティ
             ヴェネツィア大学教授
    「文句は情をもととすと心得べし - 近松門左衛門の浄瑠璃における言葉の力」
17:15-17:45 山下則子
            国文学研究資料館教授
       「「見立」ることばの力─絵本と歌舞伎─」
 
【9月23日、日曜日】
 
 司会 ボナヴェントゥーラ・ルペルティ
10:00-10:30  Emanuela Costa エマヌエラ・コスタ
            ナポリ東洋学大学非常勤講師
        「言葉の境界線を超えるとき - 多和田葉子の越境文学」
10:30-11:00  Luca Milasi ルカ・ミラージ
            ローマ大学講師
     「堕落した青春の謎を解く言葉の力−三島由紀夫のデカダンス文学批評」
11:00-11:30 青田寿美
            国文学研究資料館准教授
    「りんごのセクシュアリティ─近代日本文学における林檎への眼差し─」
11:30- 閉会

 
 
 

2012年9月10日 (月)

イタリアでの国際研究集会(案内)

 今月24日に、イタリアのフィレンツェ大学で、下記の研究集会が開催されます。
 
 
 
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 これは、今西祐一郎・国文学研究資料館館長の科研費研究の成果を、国際的な場で報告することを目的として行われるものです。
 今回が第1回目となり、再来年にアメリカで第2回目を実施する予定となっています。
 今回は、日本古典文学の作品本文における、「ひらがな」「カタカナ」「漢字」の表記に関する問題がテーマです。
 お誘い合わせの上、とはいきませんが、このようなイベントが開催される予告として、以下に紹介します。


 日本語名:日本古典籍における【表記情報学】
 日時:2012年9月24日(月)10:00〜17:00
 会場:フィレンツェ大学文学部コンファレンスルーム
 住所︰Piazza Brunelleschi 4, 50121 Firenze

■午前部 司会:伊藤鉄也(国文学研究資料館・教授)■

(1)〈開会の挨拶・基調講演〉今西祐一郎(国文学研究資料館・館長)
  「表記情報学—「片仮名本」と「平仮名本」」

(2)〈研究発表〉中村一夫(国士舘大学・教授)
  「仮名文テキストの文字遣─鎌倉から江戸の源氏物語を通覧する─」

(3)〈研究発表〉海野圭介(国文学研究資料館・准教授)
  「二つの方丈記:ひらがな/カタカナのエクリチュールとリベラトゥラ」

■午後部 司会︰海野圭介■

(4)〈研究発表〉伊藤鉄也
  「『和泉式部日記』の文字表記」

(5)〈研究発表〉坂本信道(京都女子大学・教授)
  「古写本における字母「无」の使用と変遷」

(6)〈研究発表〉アルド・トリーニ(ヴェネツィア-カ-フォスカリ大学・教授)
  「和歌を仮名で書く についての一考察」

(7)ディスカッション(研究発表者全員)

(8)〈閉会の挨拶〉伊藤鉄也


 
 6人の研究発表の内容(要旨)は、以下の通りです。


(1)〈今西祐一郎〉「表記情報学—「片仮名本」と「平仮名本」」

 日本語は、すでに千年にわたって、漢字・平仮名・片仮名、すなわち漢字と二種類の固有文字を使用してきた。
 中国を中心とする東アジア漢字文化圏において、文字を持たなかった周辺国家は、漢字を学ぶことから、文明への歩みを開始した。
 しかし、周辺国家において、固有の発音や語は漢字で十分には表記できないので、固有の発音に対応させるために、漢字にヒントを得た固有の文字を作り出した。日本においては、片仮名、平仮名であり、朝鮮半島ではハングル、ベトナム(越南)ではチューノムである。
 そのような固有文字の発生が、中国から海を隔てて遠い日本においてもっとも早く成立した(9世紀)のは、地勢的に中国の影響を直接受けることがなく、漢字および漢字文化の規制が緩やかだったからであろう。しかも日本では、朝鮮半島やベトナムと違って、片仮名、平仮名という二種類の固有文字を作り出した。
 この二つの仮名は、今日、日本人の言語生活において様々な使い分けがなされているが、近代以前の文章、著作においても、その内容に従い使い分けがなされていた。
 本発表では、その、片仮名・平仮名の使い分けと、時代とともにそれが移り変わっていく姿について、主として日本近世(17〜19世紀)に出版された古典籍を例示して報告する。
 
 
(2)〈中村一夫〉「仮名文テキストの文字遣 —鎌倉から江戸の源氏物語を通覧する—」

 表記という観点から、源氏物語の諸伝本の日本語史上の位置付けを試みる。
 本発表では、大島本・陽明文庫本・保坂本・尾州家河内本・麦生本・阿里莫本・国冬本の各伝本の文字遣からうかがえる特質を考察していく。源氏物語諸伝本の文字遣の状況を、歴史的存在として横並びで比較することで、ある種の傾向、性質を捉えることができると思われる。
 ただし平安時代の日本語や源氏物語のオリジナルを追い求める、あるいは諸伝本の相対的な関係性を定位するのが目的ではない。中世から近世に成立した書写資料のありようを見定めていくことを旨とする。
 おおむね先行研究で指摘された諸点「古い本は仮名が中心、新しい本は漢字をより使おうとする傾向がある」、「鎌倉期に書写された伝本の漢字含有率は平均値を下回る」、「漢字含有率の高さは表記上の古態ではないことを示す」などを追認する結果となったが、ここで重要なことは、さまざまな伝本を調査してなお同様の傾向を示すという歴史的事実であり、それはそのまま日本語史上の普遍的な傾向として認めることのできる可能性がある。
 
 
(3)〈海野圭介〉「二つの方丈記:ひらがな/カタカナのエクリチュ-ルとリベラトゥラ」

 鴨長明(1155-1216)による随筆『方丈記』には下記の3種類の表記形態を持つテキストが伝わっている。
 (1)漢字・カタカナ交じりで記されたテキスト(=大福光寺本)
 (2)漢字・ひらがな交じりで記されたテキスト(=その他多くの伝本)
 (3)漢字のみで記されたテキスト(=真名本〔武庫川女子大学蔵〕)
 これらのうち、(3)は後世(江戸時代頃)の偽作(パロディ)と考えられているが、他の2点のうち、(1) のテキストとして唯一の伝本である大福光寺本は、長明自筆の『方丈記』原本とも考えられてきた(現在では、自筆本説と自筆本ではないという説が対立しており決定を見ない)。
 大福光寺本が長明自筆と考えられたのは、記されたテキストの内容とともに、漢字・カタカナ交じりで記された、その表記形態に着目されたためでもあった。日本において宗教環境で成立したテキストの多くは、古くより漢字、あるいは漢字・カタカナ交じりで表記されてきた。仏教的思惟を背景とした無常観を想起させる語りに宗教的語彙を交える『方丈記』の原本として、漢字・カタカナ交じりで表記された大福光寺本は相応しい表記形態であったと言える。
 しかしながら、大福光寺本の表記形態には、実際には漢字・カタカナ交じりで記される他の宗教テキストの例との相違点も少なくはなく、そうした相違点をどのように理解するかという点には依然検討の余地が残されている。また、日本の古典籍においては、表記(Écriture)の差異は書籍の外見的特質とも関係しており、巻子、枡形本(正方形の本)などの様々な形態で伝わる『方丈記』は、中世テキストにおけるリベラトゥラ(Liberature)の問題を考える上でも重要な作品といえる。
 本報告では、日本中世初頭の漢字・カタカナ表記テキストと漢字・ひらがな表記テキストのエクリチュ-ル(Écriture)とリベラトゥラ(Liberature)をめぐる諸問題につき、『方丈記』を端緒として考えてみたい。
 
 
(4)〈伊藤鉄也〉「『和泉式部日記』の文字表記」

 『和泉式部日記』は4種類の本文が伝わっている。三条西本・応永本・寛元本・混成本と呼ばれているものがそれである。ここでは、それぞれの写本の文字表記に関して、漢字と仮名の使い分けの分別をした後、その使用文字の傾向を確認する。
 (1)漢字表記に関して、多く使われている漢字を確認する。三条西本→応永本→寛元本→混成本の順に多様な文字が使用されている。また、翻字での不使用漢字を報告し、古筆切や断簡の見分けに活用できる漢字表記情報とする。
 (2)文字種(字母)については、1本だけにある字母と、3本にバラツキのある使用字母を報告する。
 以上の基礎的な表記情報を整理して、本文異同の視点から、漢字と仮名表記に起因する例を取り上げ、異文の位相の今後への提言をおこなう。
 なお、『和泉式部日記』のデータベース化にあたって、底本は池田亀鑑によって紹介され、今も評価の高い三条西本とした。
 
 
(5)〈坂本信道〉「古写本における字母「无」の使用と変遷」

(1)使用の実例と区別の基準
 ある平仮名の起源となった漢字を、我々は字母と呼ぶ。平安時代の写本や、古い写本を正確に写し取った写本では、「无」の変体仮名が、「む」と「も」の両方に用いられている。平安時代の人々は、どのようにして「无(mu)」と「无(mo)」を区別して使用していたのだろうか。平安時代のアクセントや発音と関係があるのではないか。
(2)「无(mo)」の使用の歴史的変遷
 「无」は、平安時代末期から鎌倉時代初期になると、「む(ん)」専用となる傾向にある。藤原定家は、紀貫之自筆『土左日記』の書写する時、すべての「无(も)」を「毛」「裳」など、他の字母由来の「も」に書き改めている。定家の時代には、区別の基準がわからなくなっていたと考えられる。
 
 
(6)〈アルド・トリーニ〉「和歌を仮名で書く についての一考察」

 書記テキストはただ音声テキストを文字化したものではない。なぜなら文字は人間にイメージを浮かばせる力を持っているからだ。日本の古典文学において、「書く」という行為は、文字を媒介して言語を視覚的に書き表すというよりはむしろ、文字で表現するものであった。
 漢字の多い漢文調の文章と仮名の多い和文体で書かれた文章とでは読み手の受け取り方は違う。情報中心、コンパクトで、冗長のない漢文調と情緒的な和文体の言語では、表記の役割はテキストの内容によって違う。
 漢字で書くというのは「言語を書く」ということであり、一方、仮名で書くというのは「言葉を書く」ということである。これが散文と韻文を分ける鍵になり、また言語学の上でも大きく違ってくるのである。
 「古今和歌集」での表記の簡略化は大きな発展と言えるが、これはおそらく和歌の単純さに伴って表記も単純化したのであろう。「古今和歌集」がもたらした表記革命は表面的ではなかったと言える。

 前掲ポスターの背景には、国文学研究資料館蔵『源氏物語団扇画帖』から第30図「藤袴」を使いました。これは、本科研の研究員である阿部江美子さんの選定です。そのバックに、「いろは歌」を配してみました。おもしろいものができたと思っています。

 「藤袴」巻の絵について、少し説明を加えます。詳しくは、『源氏物語 千年のかがやき 立川移転記念 特別展示図録』(国文学研究資料館編、2008年10月、思文閣出版)をご覧ください。

 描かれた場所は、六条院の東北の町(夏の殿)です。秋9月、玉鬘が尚侍として冷泉帝のもとに出仕することが決まると、求婚者たちは玉鬘に恋文を送って来るようになりました。玉鬘は、その手紙の内容を聞きながら、懸想人たちに思いを致すところが描かれています。
 右端に、手紙を置いた玉鬘がいます。周りには3人の女房たちがいて、一人が手紙を読み上げています。この手紙には、女手といわれるひらがなが書かれているのです。
 絵の左には、次々と来る恋文を運ぶ女房がいます。ポスターの右上に、この手紙を持ってくる女房の姿を拡大しました。
 これと同じ場面を描いた源氏絵は、出光美術館蔵伝土佐光元筆『源氏物語画帖』・徳川美術館蔵土佐光則筆『源氏物語画帖』・サントリー美術館蔵住吉如慶筆『源氏物語画帖』等々、たくさんあります。
 
 
 

2012年9月 9日 (日)

外食食品の食品成分メモ

 京都大学病院に入院中、毎日のようにカンファレンス・ルームでいろいろな勉強をしました。
 その部屋の中には、外で食事をする時の参考になるように、食品成分を添えたサンプルが並んでいました。
 食品や食材にどれだけの炭水化物が含まれているかが、具体的によくわかって便利なので、ここに掲載しておきます。
 
 
 
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 鶏の唐揚げが意外と炭水化物が少ないことを知りました。衣に気をつければいいのです。
 
 
 

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 この中では、ポテトサラダが意外と炭水化物の量が少ないことがわかります。
 
 
 

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 私は炭酸飲料をまったく口にしないので、これらは問題ありません。
 
 
 

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 少し気を許すと、とてつもない糖質(炭水化物)を身体に取り込む社会ができあがっています。
 普通に社会生活をすると、いやでも糖尿病になる仕組みができあがっています。
 いかに糖質を摂らないように気をつけるか、これが私の日々の課題です。
 
 
 

2012年9月 8日 (土)

谷崎全集読過(13)「お才と巳之介」

 吉原へ通う、風采の上がらない巳之介の登場です。
 お才は、そこへ奉公に来た小間使いの娘。これに巳之介の心は奪われました。
 お才の描写を見ると、谷崎のフェティシズムが溢れています。
 中盤からおもしろくなります。芝居のような雰囲気がいいと思います。

 内容とは関係ありませんが、目の前からいなくなってほしいことを、「成らう事なら唐天竺へ行つて了つて貰ひたい。」(123頁)と表現しています。ここには、谷崎のインドへのマイナスイメージがあります。かねてより気になっていることなので、メモとして残しておきます。

 後半になり、店を追い出されてからのお才の変貌した姿が見物です。卯三郎の役回りも見所です。

 江戸時代の草紙ものの香りをぷんぷんさせた、色恋に懲りない男と女の物語です。人間の描写が特異で、心理劇としての構成など、その後の谷崎とのつながりを楽しめました。
 ただし、長編の割には間の取り方がバラバラな感じがしました。舞台を意識した習作として位置づけたらいいのかもしれません。【2】
 
 
初出誌:『中央公論』大正4年9月
 
 
 

2012年9月 7日 (金)

井上靖卒読(141)「森蘭丸」「驟雨」「ひとり旅」

■「森蘭丸」
 織田信長に仕える森蘭丸の心の動きを、丹念に描いていきます。
 本能寺の変までの経緯が、わかりやすく語られます。
 蘭丸と由弥の淡い恋心が、印象的に語られている作品です。【3】
 
 
初出誌:講談倶楽部
初出号数:1954年3月号
 
角川文庫:真田軍記
井上靖小説全集11:姨捨・蘆
井上靖全集4:短篇4
 
 
 
■「驟雨」
 井上靖が女性の美貌を判断するとき、華奢であることを基準にしたのは、ここに出てくる光橋夫人に由来しているようです。そして、これが女性を美しいと思った最初だとも言っています。
 小学校6年生の時、伊豆の海での夏休みの出来事です。結末部分で夫人が言ったことが嘘かどうか、不明のままに話は閉じられます。
 透明感のある文章で綴られています。人間の心の微妙な動きが描かれています。【4】
 
 
初出誌:オール読物
初出号数:1954年4月号
 
文春文庫:断崖
井上靖小説全集6:あすなろ物語・緑の仲間
井上靖全集4:短篇4
 
 
 
■「ひとり旅」
 井上靖が長崎を舞台にした話を書くのはめずらしいと思います。
 10年前に大阪で同棲していて好きだった女性と、船で一緒になりました。お互いに伴侶を亡くしている身でした。今は、縁と哀れという言葉で括られる2人です。同棲時代は、林檎の皮の剥き方から別れることになった2人でした。再婚の思いを抱きながら、2本の老樹を見守る姿が印象的な閉じ方です。【3】
 
 
初出誌:キング
初出号数:1954年4月号
 
井上靖小説全集10:伊那の白梅・大洗の月
井上靖全集4:短篇4
 
 
 
〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/
 
 
 

2012年9月 6日 (木)

意外な原因でガステーブルの火が消える

 宿舎で使っている2口ガステーブルの燃焼部で、そのうちの一つが不調でした。私がこの宿舎にいなかった8月の間に、右側の温度感知棒が付いているバーナーがおかしくなったのです。手元の点火のつまみを離すと、ボウボウと燃えていた火がたちどころに消えるのです。手を離した瞬間に、フッと燃えさかっていた炎が止まります。
 何度やっても同じです。

 ガスのことなので、放置できません。指示されていた窓口に電話をしました。すると、まず乾電池の確認がありました。そして、センサーの棒と、燃焼口の溝とその回り、さらに炎が出る真ん中の目詰まりの確認をして、それでもだめならもう一度連絡を、ということでした。
 しかし、それをやっても改善されないので、あらためて電話をして、相談をしました。

 すぐに、技術員の方がいらっしゃいました。素早い対応です。そして、点検はすぐに終わりました。電光石火とは、まさにこのことです。

 若いお兄さんから丁寧な説明がありました。火が点かなかったのは、乾電池ボックスの汚れによる接触不良と、単1乾電池のパワー不足が原因だったのです。

 乾電池ボックスの接点が汚れていたのは、ボックスを手前に引き出しても半分しか前に出てこないので、奥の方に乾電池を押し込むことになる構造から来るものでした。奥の方にある接点が腐食していたようなので、よく見たつもりでもわかりませんでした。

 乾電池のパワー不足は、入れていたのがマンガン電池だったからだそうです。アルカリ電池でないと、煮こぼれ防止の過熱センサーに十分な電流が送られないので、最初にカチッとして点火しても、そのつまみを離すと火が止まるのだそうです。
 なるほど、アルカリ電池は力があることは知っていました。しかし、乾電池を入れるボックスには、アルカリ電池をとは書いてありません。また、乾電池の残量を自宅の計器で確認したのに、と言うと、目の前で測定器を取り出して調べてくださいました。たしかに、2個の内の1つが、パワーが下がっていました。
 それにしても、マンガン乾電池とアルカリ乾電池が、そんなに力が違うものであるとは……。それまでが特になにも支障なく使ってきただけに、あらためて知ったことでした。

 とにかく、すぐにガスは使えるようになりました。出張費用と修理技術料は、覚悟したほどではありませんでした。修理費や部品代によっては、新しく買った方が安くつく場合が往々にしてあります。しかし、今はそんな使い捨ての時代ではありません。少しでも使えるものは、可能な限り修理をしてでも使いきる時代です。
 結局、粗大ゴミとして出さなくてよくなったことに安堵しました。

 それよりも、これを機会に台所のガス台の周りの油汚れが一掃でき、ピカピカになったことが一番良かったと喜んでいます。予定外の、夏の終わりの大掃除となりました。

 このガステーブルは、私が初めて単身赴任で上京した時に買ったものです。13年間使ったものです。とはいえ、料理をほとんど作れない私のことなので、息子と一緒にいた一時期と、昨年から妻が上京して来てくれてから、このガステーブルの出番ができたのです。そんなに使わなかったので、13年という年数はこの道具の老朽化とは結びつきません。

 修理のお兄さんが帰られてから、なんとなく爽やかな気分になりました。台所がスッキリしたことと、まだまだ使い続けられることがわかったからでしょうか。
 食事に細心の注意を払って、私は日々の血糖値管理を進めています。そんな折に、こうして現役続投のガステーブルがあらためて認知され、ますますの活躍の場を得たのです。
 私の定年まで4年半。後しばらく、がんばってもらいましょう。
 
 
 

2012年9月 5日 (水)

新しく我が家の一員になったメダカたち

 この夏、東京を留守にしている間に、宿舎で飼っていたメダカとエビがみんないなくなりました。

 我が家のメダカたちのことは、ちょうど1年前の「江戸漫歩(44)深川も夏から秋へ」(2011年9月14日)で紹介したとおりです。

 家族の一員となっていたメダカたちだったので、また豊洲にある同じアクアコーナーで、新しいメダカたちをいただいてきました。寿命は1年ほどだそうです。昨年の第1世代のメダカたちは、天寿をまっとうしたようです。

 この店の若い店員さんは、私がいる宿舎の前にある海洋大学の出身者なのか、とにかく魚のことが詳しいのです。しかも、メダカのことになると、そんなことまで、と思うほど知識が豊富な方です。いい仕事をなさっています。

 新しく我が家の陶器の鉢の中に来た第2世代となるメダカたちは、楊貴妃2匹、ヒメダカ2匹、クロメダカ2匹の、合わせて6匹です。これまでは、ヒメダカ10匹だったので、見た目にもカラフルになりました。
 
 
 
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 涼しくなるこれから、この子たちと、また元気に生活を共にしていきます。
 
 
 

2012年9月 4日 (火)

井上靖卒読(140)「野を分ける風」「信松尼記」「僧行賀の涙」

■「野を分ける風」
 話の舞台は岡倉天心がいた茨城県の五浦です。この海岸にあった六角堂は、昨年の東日本大震災の津波で流されました。しかし、今年の4月に再建され、また新たな美しい佇まいを見せてくれています。
 夫婦は波風の立たない平穏な日々を送っていました。そこへ、かつて女学生時代に想いを寄せた美術教師の北見への思いが、夫の行く五浦へ同行する気にさせます。流れるような心の動きの中に、一人の女性の穏やかな、かつての情熱を懐かしむ姿が描き出されます。
 人を好きになった少女の心の動きが、丁寧に彫りあげられています。出征する北見を見送る多加子。北見の絵が暗くなったのは、家庭の不和もありそうでした。芸術家として、家庭人として、共に孤独な北見です。冷めた目で見つめる男女がいます。「遅過ぎる」というキーワードが、読後に強く記憶に残ります。そして、秋の風の音が聞こえてくる小説です。【3】
 
 
初出誌:婦人倶楽部
初出号数:1953年10月秋の増刊号
 
井上靖全集4:短篇4
 
 
 
■「信松尼記」
 歴史の時間の流れの中に、一人一人の人物を丁寧に言葉で置いていく、井上靖の歴史記述の姿勢が確認できます。そして、井上には、人間たちがいることで作り出す空気を描写する筆力があります。空気を描くことで、その場の雰囲気を表現するのです。筆の力のなせる技です。
 武田信玄の下から2番目松姫の視線で語られます。戦国の世において、流されるように生きなければならなかった武田家の女たちの悲哀を、この松姫の目を通して描き出します。的確な歴史眼が作品をしっかりと支えています。淡々と語られる女性の生きざまと感性に、自ずと歴史の時間の流れの中に思いを馳せることになります。【4】
 
 
初出誌:群像
初出号数:1954年3月号
 
新潮文庫:ある偽作家の生涯
旺文社文庫:洪水・異域の人 他八編
講談社文芸文庫:異域の人・幽鬼
井上靖小説全集15:天平の甍・敦煌
井上靖全集4:短篇4
 
 
 
■「僧行賀の涙」
 遠い中国の地と日本を往き来する遣唐船。その往復に、人々の運命が変転していました。藤原清行、吉備真備などなど。その中でも第十回遣唐船で中国に渡った行賀の目を通して、彼の地での日本人の様子が語られます。阿倍仲麻呂や鑑真が詳しく語られないのは、話を行賀に注目させるためと思われます。
 行賀は31年の在唐を経て日本へ帰ってきます。東大寺での試問で、行賀は答えられません。歳月の長さに感慨を催したことが理由です。教義ではなく、中国に没した人間への想いが、涙というもので表現されます。心に滲みる話として、静かに一人の行賀という僧を見詰める視線が、硬質の文体で刻まれていきます。語られる世界の印象も鮮やかです。【3】
 
 
初出誌:中央公論
初出号数:1954年3月号
 
新潮文庫:ある偽作家の生涯
旺文社文庫:洪水・異域の人 他八編
講談社文芸文庫:異域の人・幽鬼
井上靖小説全集15:天平の甍・敦煌
井上靖全集4:短篇4
 
 
 
〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/
 
 
 

2012年9月 3日 (月)

iPhone が発する青色光から眼を守るフイルム

 iPhoneなどの液晶画面から発せられる青色の光が、我々の眼には良くないと言われています。真偽のほどは定かではありません。しかし、そういう情報が流れると、どうも気になります。

 ソフトバンクからその青色の光をカットするという触れ込みのフィルムが出ています。実質的な効果はともかく、一応は安心のために貼り付けて見ました。ただし、1枚1,800円もするので、お勧めはしません。
 
 
 
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 このフイルムが、青色の光を約18.5%もカットするとか。まぶしさやチラつきを抑えて、目にやさしい、とも。
 ただし、ブルーライトを低減とあるので、効果については謙虚な姿勢が窺えます。

 実際に装着してみて、カラー画面が鮮やかになったように思います。これは、少し黄味がかったフイルムのせいかもしれません。

 肩こりや腰痛の原因として、目の疲れが言われています。青色光は、可視光線の中でも最もエネルギーが強いそうです。そのために、目の奥で錯乱しやすく、特にまぶしさや目のチラつきを感じやすくなるようです。
 このブルーライトを半分もカットするというメガネが話題になっているのは、こうした背景があるからです。私のパソコン用に度を調整したメガネは、少しブルーがかった色のレンズです。3年前に、眼鏡屋さんと相談してこの色のレンズにしました。その理由は、今は思い出せませんが。

 さて、1日の内に何度も見詰めているiPhoneやパソコンのモニタが発する青色光は、私の目にどのような影響を与えているのでしょうか。
 人類は、これまでに光を見詰める経験をあまりしてきませんでした。しかし、近年、パソコンやスマートフォンの普及で、急激にこの光の点が形作る画面上の文字を見る機会が増えてきました。

 テレビが家庭に普及しだしたのは、1959年に昭和の皇太子ご成婚から。カラーテレビは、1964年の東京オリンピック以降だそうです。それとともに、光が生み出す画面を見る生活が日常に組み込まれました。

 私が始めてテレビを見たのは、小学校の低学年の頃で、近所の家に見せてもらいに行っていました。我が家でテレビを買ったのは、私が小学校5年生の1963年でした。今から50年ほど前のことです。つまり、私は50年前から、光が作る絵や字を見て来ていることになります。

 そして、私が始めてインターネット上に自分のホームページを開設した1995年以降は、急激に光の点が映し出す画面を見つめ、光の文字を認識して来ていることになります。

 いまだかつて人類が経験してこなかった、光の絵を見て文字を読むという経験は、これから電子ブックが普及するとされる時代を迎え、身体にどのような影響を及ぼすのか、興味深いところです。

 まずは、目の前のiPhoneに青色の光を抑えるフイルムを貼ったことの意味も、今後明らかにされることでしょう。
 気になることの一つに対処してみた、というのが現状です。
 
 
 

2012年9月 2日 (日)

NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の設立総会で活動内容が承認される

 今日は、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の設立総会が開催されました。
 場所は、東京都新宿区西新宿4丁目にある新宿区角筈地域センターの7階会議室でした。都庁の西側にある公共施設です。

 私は、昨夜来、今日のための10項目にわたる議案の資料を作成し、今朝方から印刷にかかりました。しかし、久しぶりにプリンターを使ったせいでしょうか、うまく言うことを聞いてくれません。何枚もの紙を反故にし、何とか午前中に30頁弱の資料を数十部印刷し終えました。

 行き先はわかっていたはずなのに、都庁の前から何を思ったのか違う道を進み、東京オペラシティまで行って間違いに気付いたのです。慌ただしく資料は作りましたが、ゆったりと行動することを心掛けて今日に臨んだはずでした。しかし、結局は都庁周辺を30分も徘徊した挙げ句に遅刻をしてしまい、仲間のみなさんに本当に申し訳ないことをしました。

 今日は、わざわざ秋田から義兄も設立総会に参加してくださいました。ありがたいことです。義兄とは、イギリスのケンブリッジ大学やロンドン大学に一緒に行きました。インドのネルー大学やデリー大学にも行きました。秋田弁による日本文化外交(?)という役割を受け持って下さっています。生活圏や分野が違う方が仲間の一人としていてくださるからこそ、一味違う組織作りができます。得がたい存在です。

 今日の議案は、順調に承認されました。細かい説明は私がしました。出席者のみなさんも、書面に文字としては書かれていないことなどで、いろいろと疑問点や確認がなされ、対案もいくつか出ました。あらかじめ作成した書面は良しとしても、今後の運営に有益な意見も多く聞くことができました。いいメンバーが集まったことを実感し、正式な認定をうけてからの活動が楽しみになりました。

 今日の総会で確認できた書類は、以下のものです。


01-設立認証申請書
02-定款
03-役員名簿
04-役員の就任承諾及び誓約書の謄本
05-役員の住所又は居所を証する書面
06-社員のうち10人以上の氏名及び住所又は居所を示した書面
07-確認書
08-設立趣旨書
09-設立についての意志の決定を証する議事録の謄本
10-設立当初の事業年度及び翌事業年度の事業計画書
11-設立当初の事業年度及び翌事業年度の活動予算書

 今月中旬に、京大病院へ診察を受けるために行くので、その時に今回確認できた書類を京都市の担当窓口に持参しようと思っています。ただし、その時の担当者の点検で、そのまま受け取ってもらえるとは思っていません。誤字脱字などの細かい修正を、何度か往き来することによって、微調整をするのだそうです。20日からはフィレンツェでの国際研究集会で発表する関係で、今月末までに受理してもらえたらいい、という心づもりで行動しています。とすると、正式な認可は、来年の2月か3月になりそうです。

 先日は、本ブログに、このNPO法人〈源氏物語電子資料館〉の設立の「目的」と「趣旨」を掲載しました。
 今日は、このNPO法人〈源氏物語電子資料館〉がその目的を達成するために行なう事業の承認を得ました。それは、具体的には次の5項目です。


【特定非営利活動に係る事業】
①『源氏物語別本集成 続』等の学術出版の支援
②『源氏物語』に関する諸情報の整備と公開
③『源氏物語』に関する国際文化交流
④『源氏物語』に関連する研究支援と資料の翻字・校正及びデータ入力の代行
⑤『源氏物語』の普及のための講演会及び勉強会や物品販売

 さて、来年の認可以降の活動が楽しみです。
 多くの方々にご理解をいただき、ご協力いただく中で、目的を達成していきたいと思います。
 そして、一人でも多くの若者がこの活動に賛同し、その仕事と成果を受け継ぎ、次の世代に引き継いでもらいたいと願っています。私が30年にわたって構築してきた『源氏物語』の本文データも、大切に守り育てていってほしいと思っています。

 NPO法人〈源氏物語電子資料館〉は、まだ認可を受けてはいません。しかし、興味と関心のある方は、このブログのコメント欄を利用してお問い合わせください。可能な範囲で、私がお答えいたします。その際に、コメントの公開・非公開を最初に書いていただければ、ご希望の配慮をした対応をいたします。
 
 
 

2012年9月 1日 (土)

入退院時の血糖値と体重の整理

 今回の入院に伴う検査に関して、手元に残っている血糖値と体重について、グラフ化して整理しました。

 まず、入院中の血糖値の推移です。これは、朝、昼、夕と3食の食事を追っかける形での推移をみるものです。
 緑色の線が食後1時間の血糖値、赤色が食後2時間の血糖値、青色が食前30分の血糖値です。
 そして、右側の太い赤の菱形より右が、ベイスンという消化を遅らせる薬を飲んでの数値です。
 まず素人の私にもわかることは、食前の血糖値はずっと安定していることです。
 
 
 

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 グラフ右側の薬を服用しての結果は、150から250あたりに集中しています。そして、1時間値と2時間値の幅も狭くなっていることがわかります。
 しかし、それまでの薬を使わずに食事だけでの血糖値のコントロールと比べて、劇的に変化しているようには、素人目には見えません。
 それよりも、入院後は炭水化物を50%前後含む食事をしたことにより、糖質制限食のころよりも数値が高くなっていました。これは、炭水化物を摂るか摂らないかによる違いです。それが、炭水化物の量を1日260グラムから240グラムに、そして200グラムにするに従い、その振幅も収まり、安定しています。
 私の身体には、炭水化物は1日200グラム以下が一番いい条件になるように思います。もちろん、お医者さんは200グラム以上が栄養バランスから言って最良だとおっしゃいます。しかし、その炭水化物の摂取量はどれくらいであればいいのか、実はまだ研究が進められているところです。一般的には55%がいいとされています。しかし、私には40%以下でもいいように思われます。かといって、スーパー糖質制限食のように12%にする必要はなさそうです。

 あくまでも素人判断ではありますが、食事の仕方によってはご飯や麺やパンを食べても、それが適量であれば、私の場合には血糖値を大きくは上げないようです。

 次の表は、退院後の結果です。
 ●印は、私の判断でベイスンという薬を飲んだ場合です。食前に、自力で血糖値を抑えられるかどうかを判断し、飲む飲まないをケースバイケースで切り分けてみました。
 食後1時間が250前後に、食後2時間を200以内になるように気をつけています。
 
 
 
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 握り寿司は、ベイスンを飲めば大丈夫です。
 しかし、手巻き寿司になると、薬を飲んでも飲まなくても、2時間経っても下がりません。
 秋刀魚も、予想に反して下がりませんでした。これは、薬を飲めば大丈夫でしょう。
 掻き揚げの天ぷらも大丈夫でした。
 しかし、天ざるソバでは失敗です。これは、天ぷらを食べる量を間違えたためです。
 牛丼、炒飯、トンカツ、ハンバーグは、薬を飲まなくても大丈夫です。
 
 糖質制限食から解放され、自由に食事が選択できるようになり、食べる楽しみが格段に増えました。
 これが、今回の最大の収穫です。そして、これまでの糖質制限食では、意外と食費がかかっていたことを実感しています。
 人によっては、糖質制限食は有効な手段かもしれません。しかし、それを11ヶ月実行した立場から今言えることは、食事の選択の不自由さと不快感と手間に加えて、食費が結構かかったことも確かです。これは、継続する上では大きなポイントとなりそうです。

 食事に伴う血糖値の推移は、人それぞれのことなので、一般化はできません。今言えることは、私には食事のシーンによって薬を効果的に使って、消化を遅らせる対策が有効である、というこがわかった、と言えそうです。

 なお、私は体重も増やしたいと願っていました。この件については、まだまだ目的を達していません。
 入院した日は49.9キロでした。それから退院後10日までの体重の推移は、次のグラフの通りです。
 
 
 
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 入院してから徐々に下がり、お盆の時期が最低でした。病院食のカロリーは1日あたり1800キロカロリーでした。
 48キロを越したところからが、退院後の体重です。2000キロカロリーを意識したこともあり、50キロに近づいています。これは、今後ともさらに食事を工夫して、体重増加を目指していくつもりです。
 
 
 

NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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