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2012年10月27日 (土)

廃墟の軍艦島に足を踏み入れて

 軍艦島クルーズに参加しました。
 ホテルから乗ったタクシーの運転手さんは、地元の方でした。しかし、それにもかかわらず、軍艦島クルーズの船着場の名前を言ってもご存じなくて、海辺に出てから何カ所かで聞きながらも10分ほどさ迷いました。何のことはない、ホテルから10分もかからない所だったのですが……

 今日の長崎は雨です!!
 島の見学コースが狭いとのことで、雨合羽を買わされました。

 観光船「マーキュリー」は満員でした。150人は乗っていたでしょうか。
 
 
 

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 出発間際に、5人の方が乗船場所を間違えてこちらに向かっているとのことで、出発が20分も遅れました。結局は見切り発車となりました。
 理由はともかく、これは今後とも多くの観光客のために、解決してもらいたい問題です。まず、タクシーの運転手さんが、このクルーズのことをまったく知らないのですから。観光客は、自力で船着場には行けないのです。市内からのその足を、確実に確保してほしいものです。

 クルーズのガイドさんは74歳の方でした。石炭の島だった軍艦島で働いていたという、ガイドさんの中では唯一貴重な体験が語れる方でした。安全誘導員の方も、2人が添乗なさっていました。船の安全管理は万全です。
 
 
 

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 島は18キロの沖合にあり、35分かかりました。
 三菱は84年間に1570万トンの石炭を採掘したそうです。日本の近代化を陰で支えた、貴重な資源の供給源だったのです。

 1974年に閉山。そして、その後4ヵ月で完全に無人の島となったのです。
 1960年代には、何とこの軍艦島に5,000人もの人々が住んでいたのだそうです。

 見学のための上陸時間は50分。
 聞いた情報と目に入る光景との落差がありすぎて、想像力が追いつきません。
 
 
 
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 島の周囲を回ってから接岸しました。桟橋は浮島ではないので、相当揺れます。

 島の中を歩くと、まさに廃虚群です。
 パチンコ屋からお寺まで、社会生活を営むためのものは、何でもあったのです。この軍艦島になかったものは、火葬場と墓場の2つだけでした。これは、近くの別の島に作られました。
 
 
 
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 今、軍艦島にはトイレがありません。これも、今後は対処してもらいたいものです。上陸後に、ある女性が立腹なさっていました。事前の注意を聞きそびれたにしても、生理現象は致し方ないのですから。

 乗船前に買ったばかりの雨合羽の封を開けて着ようとしたら、すでに数カ所が破れていました。ビニールの接着不良なのです。小雨だったので、しみ込むことはありませんでした。これからいらっしゃる方は、雨が予想される日には注意が必要です。

 丁寧な説明をしてくださったガイドさんは、1961年にこの島に来て、1974年までの10年以上をここで生活なさった方です。情感たっぷりのその話は、非常に具体的で興味深く聞きました。ただし、歩きながらの説明では、マイクとスピーカの関係もあり、声がみんなに届いていませんでした。せいぜい30名にしか対応できない案内です。そこを、今日は150名近くいるのです。これも、今後は工夫が必要でしょう。
 
 
 
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 島を出るころになると、もう雨は上がっていました。

 この島で見たものは何だったのか、帰りの船の中で考えてしまいました。
 
 
 
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 夢まぼろしのような、その当時の最先端の生活が、ある一時期にはこの限られた空間とはいえ、約束されていたのです。炭坑の仕事はきつかったことでしょう。しかし、その家族が喜ぶ顔を見ながらの生活は、地下900メートルで生死をかけた仕事をする男たちにとって、充実したものだったようです。
 日本最初の高層アパートに住み、三種の神器と言われたテレビ・冷蔵庫・洗濯機などの電気製品を使う、そんな、時代を先取りした生活が営まれていたのです。ここの鉄筋アパートは、東京の同潤会アパートよりも早く建てられたものなので、その先進性が窺われます。

 それが、閉山、退居という号令一下、ここでの活き活きとした日々が突然消え去るのです。その廃墟に佇んでみて、何度もそれが何だったのかを反芻してみました。
 ここで暮らしていた社員や家族の新しい仕事や生活を、親会社である三菱側が誠意をもって用意したとはいえ、それまでの生活を切り替えるのは大変だったことでしょう。その後のみなさんは、どのような生活を送られたのでしょうか。満足する生活を送られたとは思えません。

 軍艦島での生活にも、さまざまな問題があったようです。しかし、一転して本土での生活となると、それにも増して困難が付きまとうものだったことでしょう。このことに関する語り伝えを、今後は記録や本などで確認したいと思っています。

 なお、この軍艦島のクルーズは、そのガイドと説明内容について、さらなる研究が必要だと思いました。正確な情報を参加者にいかにして与えるか。生き証人の語りは大切です。しかし、ここではその生々しい話は、上陸したポイントだけで語っていただいてはいかがでしょうか。行き帰りの船の中では、歴史的、社会的な背景と意味を、若い方がわかりやすく語る方がいいと思います。終始一貫して生き証人である方の話を聴くのは、あまりにも重すぎて負担を感じます。

 このクルーズの催行を検討するにあたり、博物館や美術館などでの展示の手法は、大いに得るものがあり、学ぶべきことも多いと感じました。単なる興味本位のイベントに終わらせることなく、語り伝える中で参加者も考えながら学ぶクルーズにしていくことは可能です。ぜひとも、関係者の方々の創意工夫で、いい観光地となり、いいクルーズになるように育ててもらいたいと思いました。

 このようなことを書いたのも、このクルーズ船を下りてから、長崎県美術館に行ったことが関係しています。
 そのことは、明日また。
 
 
 

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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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