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2012年10月22日 (月)

懐かしいパンチカードシステム

 身辺整理をしていると、さまざまなものが顔を覗かせるので楽しくて止められません。特に、思い入れのあったものの姿がチラリとでも見えると、ついついそこに手が伸び、しばし数十年前にタイムスリップしてしまいます。

 パンチカードもその一つです。
 今の若い方々には、これが何をするもので、どのようにして使ったのか、まったく想像もできないことでしょう。

 私がコンピュータに最初に触れたのは、忘れもしない昭和55年(1980)の暮れでした。マイコンキットNEC〈TK−80〉というものです。翌年には、NECのパーコン(今のパソコン)PC−8001で半角カタカナによる『源氏物語』の本文データベースに着手しています。まだ、ひらがなも漢字も自由に使えない時代の話です。
 生まれたばかりの娘は、このPC−8001のキーボードに刻印されていたカタカナをポチポチと押して、カナ文字から覚えました。そんな時代の話です。

 パンチカードを使っていた頃の話は、拙著『新・文学資料整理術パソコン奮戦記』(34頁、昭和61年、桜楓社)に譲ります。その小項目には、妻のこんなイラストが挿絵として添えられています。
 
 
 
121022_panchi
 
 
 

 パンチカードを簡単に確認すると、B6カードの周囲に小さな穴がたくさんあり、その穴の1つ1つに任意の意味づけがなされています。そして、昔の駅員さんが改札口で使っていた切符切りのようなパンチでこの穴を切り落とすと、一枚のカードに一つの情報が付与されたことになるのです。穴が〈ある〉か〈ない〉か、〈0〉か〈1〉か、という簡単な2進数の情報です。
 そして、ソーサーという金属の棒を束になったカードのこの穴に通すことにより、穴が欠けているカードがふるい落とされるのです。簡単な仕掛けの情報検索システムです。

 次の写真は、私が当時勤務していた高校の進路指導部で独自に作成して使っていたものです。高校の成績や事務処理にコンピュータが導入される以前は、こうしたパンチカードを入試の判定処理などに使っていたのです。それからヒントを得て、自力で設計と開発(?)したカードシステムです。当時は、非常に重宝しました。

 表面は、大学受験用の基本カードで、調査書作成依頼書を兼ねています。
 
 
 
120507_punchcard1
 
 
 

 裏面は、表面と連動する進学用の推薦願書となっています。この面は、パンチカードシステムを補う情報が記されており、書類としての性格を強く持つものです。
 
 
 
120507_punchcard2
 
 
 

 ただし、この方式では大量のデータ処理に向いていないため、コンピュータの普及と共にパソコンによるデータベースシステムに置き換わって消えていきました。もっとも、成績処理や入試の合否判定にコンピュータが導入されるまでには紆余曲折がありました。しばらくは、教育現場においてコンピュータ導入については、反対意見がまだまだ根強い時代でもありました。いつの時代にも、新しい考え方の導入には慎重な方がいらっしゃいます。

 今となっては苦笑せざるを得ません。しかし、当時は現場へのコンピュータの導入について、本当に真剣に議論をしていたのです。そして、私はいつも推進派でした。最初に赴任した新設高校でも、次に転勤した高校でも、そして短期大学でも、パソコン機器の導入と教室の設計施工およびソフトウェア導入に関わりました。いずれも、部屋の配線から機器の配置やレイアウトまでを担当しました。何でも屋さんを自認していた頃のことです。

 それはともかく、上掲の写真は、私にとっては思い出深いパンチカードのデザインであり、作品でもあります。

 もう一つ、パンチカードシステムの思い出の品を紹介します。
 梅棹忠夫氏の『知的生産の技術』(昭和44年、岩波書店)の影響を受けたこともあり、昭和55年2月に電動式ひらがなタイプライターを購入しました。そして、それと連動させようとして、次のデザインの試作品を作りました。コンピュータと出会う直前のことです。
 
 
 

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 このパンチカードは、私の調査研究のために開発しました。右端の「領域」や「受容態度」に、当時の自分の問題意識がうかがえます。また、中央上にある「昭26以降」とあるのは、私が生まれる前後を弁別するためのものです。
 下段には、当時私が図書や文献資料を、記号と番号で仕分けし、それを台帳で管理していたことと関連しています。
 ただし、これはデザインの設計段階で校正までのものであり、完成までには至りませんでした。それは、パソコンの急激な普及が原因です。

 その後、当時流行していた京大式カードを自分なりに使いこなすために、独自の紙質と色と罫線の幅のB6カードを大量に作成しました。
 
 
 
120507_punchcard4
 
 
 

 この「いとうカード」と名付けたものは、昭和59年に1万5千枚ほど印刷しました。まだ、このカードは手元にたくさん残っています。それは、この昭和59年の夏に、PC−9801F2という16ビットパソコンを購入し、ひらがなや漢字を自在に扱えるようになったためです。手書きのカードではなくて、パソコンによるデータベースに移行したために、手書きのカードを活用するシーンが減ったからなのです。

 こうした紙のカードは、自分の歴史の一端を思い出させてくれます。
 旧き良き時代というと語弊があります。しかし、いろいろと創意工夫をしながら、効率的な勉強を心掛けていた頃の遺産なのです。生きた証として、少しだけは残しておくことにします。
 
 
 

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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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