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2012年10月28日 (日)

長崎県美術館の米田耕司館長と

 今回長崎に来る前に、長崎県美術館の米田耕司館長に連絡をしてご予定を伺ったところ、ちょうど私が長崎にいるときは東京へ出張している期間だとのことでした。博物館や美術館関連の学会や協会の要職にあり、東日本大震災に関連しての打合せも多いようです。

 しかし、私が長崎から東京に帰る土曜日に、幸運にも米田館長は東京から長崎に戻って来られるのです。午前中に羽田を発ち、午後2時には美術館にいるので会おう、とのことでした。私は、夕方19時頃の羽田行きの飛行機を予約していたので、久しぶりにお目にかかれることになりました。

 米田館長との出会いは、2007年に私が学芸員の資格を取るため、國學院大學の科目履修生になった時でした。
 2008年に、国文学研究資料館で源氏物語千年紀の特別展を開催するにあたり、私がそれを担当することになりました。そこで、学生時代に取り残していた単位を取ることで、正式に学芸員の資格を取得し、展示に関する基礎知識を活かして重要文化財などの運搬移動や展示のお手伝いに対処しようとしたのです。受講することになった科目が、当時長崎県美術館館長かつ國學院大學で教えておられた米田先生の科目だったのです。博物館学の経営論と情報論を拝聴しました。

 私の受講目的が明確で、かつ即実践に役立てようという気持ちが米田先生に伝わったようです。授業後に、いろいろとご教示をいただきました。東京を離れられたその後も、先生は電話などで私の体調のことを気遣ってくださるのです。京都大学の癌病棟に入っていた2010年の夏には、自分も手術をしたので気になって、という電話をくださいました。大学の後輩ということもあってのお心遣いは、本当にありがたいことです。

 米田先生から教えていただいたことのいくつかを、本ブログの「つもり違い十カ条」(2007年11月18日)で紹介しています。
 また、先生の最後の授業のことも、「贈られた言葉」(2008年1月18日)に書いています。併せてご覧いただければ、と思います。

 さて、軍艦島クルーズを終えてから、波止場で魚料理の昼食をいただきました。
 船着場へ行く午前中に、タクシーの窓から回転寿司屋の看板を見かけました。しかし、その場所がよくわからなかったので、長崎漁港にある定食屋さんにしました。後でわかったことですが、このお店のご主人と米田館長は親しい仲だそうです。人のつながりは、おもしろいものです。

 食後、すぐ前にある長崎県美術館へ行きました。
 
 
 
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 米田館長は、東京から飛行機で帰ってこられたばかりなのに、2時間にもわたって館内を、それも丁寧に説明しながら案内してくださいました。授業の時と変わらず、エネルギッシュなお話をたくさんお聞きできました。

 この美術館の性格をよく表しているものとして、私はトイレの標識をあげたいと思います。一番奥には、授乳室があります。
 
 
 
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 展示のための作業部屋や修復のことに加え、屋上では長崎の名所案内もしてくださいました。
 この屋上には自由に上がれます。
 
 
 
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 眼下の長崎港には、坂本龍馬が操船術を学んだという長崎海軍伝習所練習艦を復元した帆船「観光丸」が見えます。
 
 
 
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 長崎県美術館は、先生のモットーそのままに、開かれた美術館として市民の憩いの場となっていました。来館者数の多さがそれを証明しています。また、先生は館員の方々のみならず、清掃の方にも気安く声を掛けておられました。もちろん、来館者の方からも挨拶をしたり頭を下げたりと、町民のみなさんにも溶け込んでおられました。

 帰りがけに、来館者から好評のミュージアムショップに足を留めました。開放的なエントランスホールにあり、ここにしかない、というものがたくさんありました。
 私は、米田館長ご推薦の、柳宗理の作品である「ステンレスカトラリー」を2本いただきました。柳宗理は、戦後の工業デザインの基礎を築いた一人だとのことです。最近、クリームチーズをよく食べるので、その時に使いやすいと思ったからです。
 
 
 
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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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