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2012年11月11日 (日)

再録(11)突然意識を失ったこと

 今から17年前の話の再録です。
 (出所︰「大和まほろば発 へぐり通信」→「新・奮戦記」→「ハイテク問はず語り」→「3年目(1997.10.1〜1998.9.30)」→「突然意識を失ったこと〈1997.12.24〉」)
 
 これは、私がホームページ〈源氏物語電子資料館〉を公開する直前の、1995年9月の出来事を取り上げたものです。1つの記録として、ここに再録しておきます。
 
 
********************** 以下、再録掲載 **********************
 
◇突然意識を失ったこと〈1997.12.24〉◇
 
 テレビアニメの「ポケットモンスター」に端を発した、ディスプレイによる心身への異常に関する報道が、マスコミをあげて盛んです。アメリカやロシアでは、光線の点滅を応用した兵器が開発されているとか。アメリカ国防総省のものは、点滅するストロボ光線を非殺傷兵器にするものだそうです。ロシアで完成しているコンピュータウイルスは、人体に影響を与える特定の光の配合をパソコンの画面に表示するものだとのこと(朝日新聞、1997.12.24)。パソコンのディスプレイの前に座るのが怖くなります。

 さて、最近の子供より時代を先取りしたのではないかと思われる体験が、私にもあります。
 今から丁度2年4ヶ月前のことです。コンピュータに限らず、ハードな日々をお過ごしの皆さまのご参考までに、1995年9月2日に知人に送ったメイルの一部を、以下に転載します。[]カッコ内は、今回付けた注です。

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 昨日、9月1日(金)の夕刻のことです。突然、[近鉄]特急の車内で意識を失い、救急車で畝傍山[大和三山の一つ]の麓の橿原神宮に近い病院に運ばれました。中京大学[名古屋市]の『源氏物語』の写本調査の帰りのことでした。
 前日31日の経路は、伊井春樹先生[大阪大学]とご一緒だったこともあり、往復とも新幹線でした。しかし、昨日は一人だったので、気分転換にと、帰路は近鉄特急にしたのです。三重県経由です。

 4時30分名古屋発に乗ったところ、禁煙車ではなかったせいか、発車後しばらくして、まわりの煙草の煙で涙が止まらなくなりました[車内はガラガラでしたが]。
 検札に来た車掌に、禁煙車に移りたいと申し出ると、探しにいったきり、そのままなしのつぶて。1時間が過ぎたころから、呼吸が困難になりました。車掌が通りかかったのに何回か気づいてはいたのですが、意識が朦朧としていたのと、声がでないのです。悔しかったですね。

 1時間40分程経過した、大阪まであと40分という地点で、もうだめだと思ったとき、車掌が通りかかりました。
 身体を通路に倒して気づいてもらうことに成功。とにかく煙のない車両に移してくれと訴えたのですが、前後の車両を調べに行って、やはり無いというのです。
 車内に医者がいないかを調べて欲しいと頼みました。すると、そこで初めて、その車掌は私の状態が尋常でないことに気づいたようです。

 それからのその若い車掌の行動は敏速でした。あと10分ほどで次の停車駅の八木なので、そこに救急車を手配したとのこと。ほっとして、また意識が朦朧となりました。

 八木駅では、駅員が8人はいたでしょうか。担架で駅長室まで運ばれました。階段を下ろされる時は、振動が強くて、意識が行ったり来たりします。運んでいる駅員さんも大変だったでしょうが、運ばれるほうも苦痛でした。

 そうそう、特急からホームにフラフラとでて担架に乗せられるときに、ホームにいた労務者風のおっさんが、私に向かって、「若い者はだらしない」、「情けない奴や」、「あほか」、などなど、口汚く大声で罵っていたのが、おぼろげながら記憶に残っています。あの侮蔑の眼は、かすんだ目からではありましたが、今度会ったら飛びかかれるほどによく覚えています。

 救急車に乗るまでと、車内と、病院で、何回も名前などを聞かれました。頭では答えようとするのですが、声にならないのです。手と足は鉄アレイを持たされている時の、重くずっしりとした感覚です。自分の意思で、手足が動かせないのです。ウルトラマンの冷凍光線に当たったらこんなものでしょうか。

 時々、のどの部分が解凍状態になり、その瞬間に言葉を発する事が出来るのです[救急隊員が「もうあかんわ」と言ったときには、意識は正常なので、「まだ火葬にしないでくれ」、と叫びたい思いでした。お葬式の最中に棺桶から手足を出した人がいたのは、あれは本当のことだと確信します。土葬にしてから、夜中に地中からもぞもぞと這い出るのも、本当に起こりうることだと、信じるようになりました]。

 医者との会話も、とぎれとぎれに行いました。救急隊員も医者も、脳の障害を心配したようで、すぐにCTスキャンの検査をされました。初めてです。あのガメラのギャオスの超音波光線を思いだし、頭がタマネギのスライスにならないかと、訳の分からぬ心配をしました。

 検査終了後の画像ファイルが欲しいなあ、とか思いながら受けました。
 障害はないとのこと。いろんな注射をされ、2時間後に、通常の意識に戻りました。午後9時を過ぎた頃です。
 そうこうするうちに、女房がかけつけました。丁度始業式[高校]の日で、帰宅が遅かったのです。7時半に自宅をでて、病院まで1時間半ほどかかったようです。とんだ、神武天皇陵詣でです。

 入院をして経過を見ましょうか、と言われたのですが、とにかく自宅に帰りたかったので、病院、駅員の方にお礼を言って、女房と二人で帰りました。真夜中の帰宅となりました。長い一日でした。

 今、まだ少し手足がびりびりします。リハビリだと思って、こうしてキーを打っています。病名は、「過換気症候群」[脚注参照]だろうとのことでしたが、来週、精密検査をします。

 鞄のなかには貴重な資料が入っていたのです。それがこのどさくさで紛失してはと、気が気ではなかったんです。意識は薄れていても、鞄がどこにあるか、ということを、担架に乗っているときも、救急車の中でも、病院でも、駅員さんや救急隊員さんや看護婦さんに、尋ねていたそうです。

 それと、インターネットのホームページ[この〈源氏物語電子資料館〉]の設計を、夢のなかで作成していたように思います。9月から開設すべく、31日は、夜遅くまでがんばり、やっと絵を貼り込んで一応完成というところまで来たのですが、こんなことになったので、少し先に延ばします[オープンしたのは9月30日でした]。
 後、依頼原稿が2本ありますが、パスします。長生きを先決することにします。わがままを言うようですが、一週間ほど、休養させてください。

 思い返すと、この夏は、仕事に家族サービスにと、フルに時間を使っていました。充実していたのは事実ですが、身体が資本ですから、気をつけます。
 くれぐれも、無理のない生活をしてください。

 今、こうしてキーがどうにか打てるのが嬉しいですね。見知らぬ救急病院のベッドの上にいたとき、鉛のようになって動かない手が身体にくっ付いているだけの状態を認めざるを得なかったとき、口でキーボードを打つ道具はどこで売っているのか、とか、視線入力のキーボードの値段はいくらだろうかとか。
 いやはや、とんだ夏休みの締めくくりでした。
 ご自愛ください。

[その後、半年間はさまざまな検査を受けました。体に電極を着けながら、徐々に傾斜角度が増すベルトの上を走りました。目に何度も光を当てて脳波を調べたり、耳や歯も検査しました。そして結果は、いつも異常なしでした。長い検査の結論は、正常です、とのこと。それでは、あれは一体なんだったのでしょうか。]
 
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【脚注】EBブック版『ホームクリニック(家庭の医学)』(主婦の友社)より転載

【過呼吸症候群】
 過換気症候群ともいうが、心理的不安が続いている人に、心臓や肺に少しも異常がないのに急にあらわれる呼吸困難発作をいう。
〈主な症状〉 
 酸素が足りない、空気が肺に入っていかないと訴え、金魚のように口をぱくぱくあけて息をする。頻回に呼吸をするため血液中の炭酸ガス不足がおき、手足がしびれ、胸も痛くなる。頭がぼーっとして、ひどい時には意識を失う。
〈原因〉 
 ストレス解消の上手にできない内向的な性格の人にストレスがたまったときに起きる。
〈治療〉 
 ビニール袋を口に当てて自分の呼気をため、それを呼吸するようにすればだいたい軽快する。不安になったとき精神安定剤を頓服してもある程度は発作を予防できる。発作は繰り返す傾向があるが、運動などでストレスを発散させるとよい。(五十嵐)
 
 
********************** 以上、再録掲載 **********************
 
 
 

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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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