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2012年12月の31件の記事

2012年12月31日 (月)

京洛逍遥(245)錦市場でお節の食材を買う

 今年も、大晦日を無事に迎えることができました。ありがたいことです。
 妻が作るお節料理の食材で少しいいものは、息子と一緒に四条の錦市場へ買いに行きます。
 奈良にいる時には、大阪日本橋にある黒門市場か、京都の錦市場へ行っていました。
 京都に来てからは、30日か31日には、必ず錦市場に来ています。
 先ほど、昨年までの大晦日のブログの記事を確認しました。確かに、律儀に30日か31日が錦市場行きとなっています。

 バスで四条河原町に出て、錦市場の通りに入ります。
 まずは、頭の神さまとして知られている錦天満宮へお参りします。
 西の北野天満宮に対して東の天満宮と言えます。
 
 
 
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 錦市場は、いつ来ても人が一杯です。ただし、今年はその混雑の度合いがやや緩和されていました。例年なら大晦日ともなると、狭い通りでもあり、前に進むのが至難の技でした。しかし、今日は一部にすれ違うのが困難な場所があっても、大体お店を見ながら進んで行けました。
 
 
 
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 お節の飾り付けのため、見栄えのするコンニャクや生湯葉などなど、息子に品選びをしてもらいながら買い揃えました。料理人の息子は、手際よく選んでいました。

 今年も、「開花宣言」という葛素麺を買いました。これは、素揚げにすると菊の花が開いたようになります。
 また、かわいい稲穂もアクセントとして飾り付けることにしました。
 
 
 

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 来年も稔り多い1年でありますように。
 
 
 

2012年12月30日 (日)

井上靖卒読(153)年末年始の短編小説4編

 井上靖が、雑誌と新聞の昭和34年(1959)正月号に掲載した短編作品4編を取り上げました。この昭和34年正月には、5編の短編小説と4編の連載小説を発表しています。その他に、8編の小文を雑誌や新聞に書いています。

 相対的に、井上はお正月になると、特にたくさんの作品を活字にして公開している傾向があるようです。それだけ、年末には原稿の見直しや校正など、多忙を極めたことが推察されます。

 この年は、井上靖52歳。このお正月から、文芸雑誌『群像』に『敦煌』の連載がスタートしています。翌2月には、『氷壁』などの作品で芸術院賞を受賞。旺盛な執筆活動を展開している時期にあたります。
 
■「神かくし」
 井上靖が伊豆湯ヶ島の土蔵で、『しろばんば』に描かれたように、おばあさんと二人で暮らしていた時のことを題材にしています。お正月の三が日がすんだ頃の話が、子供の目を通して点描されています。おしゅんも国さんも、その人となりは詳しくは語られていません。しかし、二人のことは、さらに展開しそうな要素を持っています。おしゅんさんの堕胎事件が、読後に残像として印象づけられます。【2】
 
 
初出誌:オール読物
初出号数:1959年1月号
 
旺文社文庫:滝へ降りる道
井上靖小説全集6:あすなろ物語・緑の仲間
井上靖全集6:短篇6
 
 
 
■「ある交友」
 ケチで通して来た弥太は、物が自分の身から離れることに不快感をもつ性癖がありました。おごる、おごられる、ということに関して、いつか自分がおごらなければならないという陥穽をも警戒して、共に避けていたのです。これは、井上に潜在していたものだったのでしょうか。新聞記者時代の話として展開する点も、興味深いものです。かつての自分の日常を切り取ったものなのでしょう。
 そこに出てくる四国の田舎の津山さんのことは、非常に印象的です。人間の持つ魅力というよりも味わいを、この小品は語っています。思いやりでも奉仕の精神でもありません。人間に通底する、情に根ざした温かくて深い理解が、この津山さんを通して浮き彫りにされているのです。何かしてあげたいと思わせる人物を、このような形にして語っているのです。
 なお、井上靖にしては珍しく、「不快感を感じる」とか、「陥穽に陥る」や「言い方で言った」などの表現があります。気になったので、メモとして残しておきます。【5】
 
 
初出誌:サンデー毎日
初出号数:1959年1月1日号
 
集英社文庫:冬の月
井上靖小説全集27:西域物語・幼き日のこと
井上靖全集6:短篇6
 
 
 
■「故里の海」
 年末年始を故里で迎える話です。自分の郷里を「くに」と言う妻子のことばに、心地よさを感じるのでした。「おくにはどちらです?」という「くに」は、もし漢字を当てるとすると、「国」ではなくて「郷」の字がふさわしいと思われます。日本ならではのことばづかいと意識が認められます。
 九州のH市の旅館で除夜の鐘を聞き、元旦にはお膳をいただいて初詣に出かけます。いつの世も繰り返される伝統的な光景が語られます。そんな中で、一つの事件とでもいえることが起きます。自分の息子が境内で、結婚前にお見合いをして半年だけ付き合った女性の子供と喧嘩をしたのです。
 お互いに、お正月だけはこの郷里に帰っていたことを知ります。そして、お互いが幸せな家族としてのささやかな接点を持ったことを認め、安堵の中でお正月の静かな海を見つめるのでした。お互いがお互いの伴侶に語る必要もないことです。平安な時間が、この小品の中に流れています。人と人とのふとした交点が、一幅の絵の中に爽やかに描かれています。
 この作品は、『井上靖全集』に初めて収録されたものです。
 なお、非常に有益な情報を提供しておられるネット上の「井上靖作品館」には「こきょうのうみ」との読みで収録されています。しかし、『井上靖全集』では「故里」に「ふるさと」と読み仮名が振られています。【4】
 
 
初出紙:日本経済新聞
初出日:1959年1月1日
 
井上靖全集6:短篇6
 
 
 
■「梅林」
 師走の慌ただしい中を、伊豆で売りに出されていた梅林付きの別荘を見に出かけます。そこで聞いた二代の持ち主の興味深い話が語られます。
 一人目は、妻を叱るだけだったのに、その妻が亡くなってからはひたすら妻への愛情に浸る余生を送った男でした。
 二人目は、足の不自由な大人しい男と、何かと賑やかなことの好きな若い妻の話です。ただし、この夫婦にはある出来事があり、この別荘を手放したのです。
 二つ共に興味深い話です。くっきりとした輪郭をもって語られています。井上靖らしい簡潔な表現の中に、人間の奥深くにしまわれた情が読む者の心に届きます。これは、さらに大きく膨らんで、さまざまな作品に活かされていると思われます。その確認は、今後のことにします。
 なお、この作品も『井上靖全集』に初めて収録されたものです。【4】
 
 
初出誌:週刊明星
初出号数:1959年1月11日特大号
 
井上靖全集 6 短篇6
 
 
 
〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/
 
 
 

2012年12月29日 (土)

河内高安へ年末のお墓参り

 早朝より、市バス・阪急・地下鉄・近鉄を乗り継いで、河内高安にあるお墓にお参りして来ました。
 今日は晴天で暖かかったこともあり、気持ちのいい墓参となりました。

 最寄り駅である信貴山口駅は、初詣の準備も整っていました。国宝「信貴山縁起絵巻」で有名な朝護孫子寺は、虎で知られており、阪神タイガースの守護神なのです。高安山に昇るケーブルカーにも、かわいい虎さんが描かれています。
 
 
 

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 お墓から大阪平野を見下ろすと、快晴であれば小豆島から四国までが見えます。今日は曇っていたので、堺の方までしか見渡せません。
 
 
 

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 手前左手に、私が通っていた南高安小学校と南高安中学校があります。この高安山の麓は、私が小学生時代に「忍者部隊月光」ごっこをした遊び場です。この山を駆け上ったりして遊んでいました。高安の里が『伊勢物語』の舞台であることは、中学時代に知りました。

 帰りに、鶴橋駅前の回転寿司屋さんで昼食です。この店には、山盛りの海鮮サラダがあるのです。これで500円ほどです。
 
 
 

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 全国の寿司屋さんは、糖尿病患者をこれ以上増やさないためにも、メニューに野菜サラダを積極的に置くようにしてほしいものです。あまりにも、野菜サラダを置く寿司屋さんが少なすぎます。
 私は、回転寿司屋さんでは必ず野菜サラダを注文します。9割9分は置いてないと言われます。しかし、言い続けている内に、その意味に気付いてもらえることを期待して、あえて注文しています。
 炭水化物に対する意識向上のために、日々ささやかな運動をしているところです。
 
 
 

2012年12月28日 (金)

斜位を見逃されメガネを作り直す

 どうも遠くの物が見えにくいのと、目から疲れがきているようなので、メガネを新調することにしました。

 これまで、3本のメガネを使い分けていました。遠用メガネ、中近両用メガネ、近用メガネの3本です。

 しかし遠用は、車を運転しなくなってからは、旅行の時などに持ち歩くメガネとしていました。

 中近両用は、日常的に使っていました。しかし、これがどうも見えづらくなり、2軒のメガネ屋さんで調べてもらうと、度があっていないとのことです。加齢にともなう変化ではないか、とのことでした。

 近用は、数年前に作ったもので、パソコンの画面を見るときに使っています。これは、今も問題なく使えています。

 ということで、中近両用メガネを止めて、遠近両用に作り直すこととしました。

 東京は近いうちに災害が想定されています。そこで、まさかの場合に備えて、今使っている中近両用はこのまま非常用袋の中に残すことにしました。そして、遠用はあまり使っていなかったこともあり、そのフレームを再活用して遠近用のレンズを付けてもらうことにしました。

 どこのメガネ屋さんへ行こうか思案したあげく、数年前に近用を作った立川駅南口にあるメガネのミキさんにしました。近用を作った時の、最近の私のデータがあることが決め手です。
 1時間以上もかけて計測やチェックをしてしてもらい、1週間後のできあがりを待つことになりました。すぐにできると思っていたら、意外とレンズの調達に時間がかかるようです。

 できあがった新しいメガネを付けて、1週間ほど生活をしました。すると、大きな問題が見つかりました。遠くのものが二重に見えるのです。

 自転車で走っていたとき、前から2台の自転車が来ると思い、左側に寄ったところ、実際には1台の自転車だったのです。この時、左に寄りすぎて、壁にぶつかりそうになりました。歩いていても、前から来る4人の人が、近づくにつれてしだいに2人になります。

 こんな調子で、ものがおもしろいくらいにダブって見えます。遠くの文字を読むのに、目玉を寄せたり両端を見るようにしたりと、眼球運動の日々を送りました。前から来る人が何人かを、自分で当ててみたりもしました。
 しかし、これではまずいと思い、メガネ屋さんを再訪しました。

 今度は別の方が、専門家だということで、再度私の目をチェックをしてくださいました。そして、斜視の傾向があるとのことで、プリズムを入れる必要がある、ということになりました。普通はこんな検査はしないのですが、とおっしゃっていました。
 しかし、二重に見える原因がわかっているのであれば、あらかじめ調べてレンズを決めてほしいものです。

 宿舎に帰ってから、そういえばと思い当たることがあったので、過去のブログを検索しました。すると、何と、私のレンズにはプリズムが入っていることを書いていたのです。奈良でメガネを作った時には、そのお店の方は、私が知らないうちに対処してくださっていたのです。

「心身(5)「シャイ」の私」(2007年7月11日)

 さて、さらに1週間待ちました。そして今、プリズムの入った遠近両用のメガネで生活をしています。仕事の時には近用を使い、部屋を出ると遠近両用に付け替えています。

 プリズムが入ったレンズなので、追加費用として2千円を請求されました。何となく腑に落ちませんが、さらに詳しい説明を聞く時間もないので、言われるがままに支払いました。検眼のプロが同じ店におられたのであれば、最初からその専門家なる人がチェックしてくださっていたら、こんな二度手間にはならなかったのに、と思っています。

 近くも遠くも、ダブることなく見えます。気持ちがいいほどです。ただし、やはり目の疲れは残るようなので、これからはその原因を考えていくことにします。

 糖尿病とのことも考えられます。しかし、夏以来の病院での何回かの検査でも、眼には問題がないとのことなので、しばらくは様子を見るしかありません。

 眼の怠さは、早朝と夜に感じます。
 年末を迎えた今、ささやかな問題に直面しています。
 
 
 

2012年12月27日 (木)

米国議会図書館蔵『源氏物語』の全文翻字が公開されました

 国立国語研究所の高田智和先生が精力的に取り組んでおられる、米国議会図書館蔵『源氏物語』の全文の翻字が完成し、そのすべてがめでたく一般に公開されました。

 この『源氏物語』は、米国議会図書館アジア部日本課が所蔵する、室町時代から江戸時代にかけて制作された写本です。
 
「米国議会図書館蔵『源氏物語』54巻全文翻字」(2012年12月26日)
 
 今後とも、より正確な翻字となるように、さらに補訂がなされる予定です。
 『源氏物語』の本文を調査なさる方は、折々に確認してみてください。
 いろいろな発見があると思います。

 『源氏物語』の古写本に記し留められた物語本文は、1点でも多く電子的に確認できるように、本文の翻字を進めていくべきです。その意味でも、今回公開された54巻の翻字全文は、非常に貴重な資料であり情報となります。

 こうした取り組みが、他機関やグループによって少しずつでも進展していくことを願っています。
 なお、私も、現在申請中で認可待ちのNPO法人〈源氏物語電子資料館〉を通して、若い方々と一緒に情報とデータを共有し、共同作業で守り育てて行くつもりです。

 今後とも、『源氏物語』の本文に関する資料と情報の整理及び継承を心がけ、さらなる展開のお手伝いをしたいと思っています。
 
 
 

2012年12月26日 (水)

2012年の十大出来事

 2012年もいろいろな出来事の中で、とにかく無事に生き抜くことができました。
 折々に支えて下さった方々には、感謝の念でいっぱいです。
 本来ならすでに終えていなければならない仕事が、まだまだ山積しています。
 生き続けている限り、溜まりに溜まった仕事は少しずつでも手を付けていればいつかは終えられる、ということを肝に銘じて、山を移す気持ちで時間を割きながら取り組んでいます。
 お待たせしている多くの方々には、気長にお付き合いのほどを、どうかよろしくお願いいたします。
 
 さて、今年の十大出来事です。


(1)賀茂川の右岸から左岸へ引っ越す
(2)第7回〈インド日本文学会〉開催
(3)第1回池田亀鑑賞の決定と授賞式
(4)娘達が下鴨神社で結婚式を挙げる
(5)國學院大學大学院での非常勤講師
(6)京都大学病院に1ヶ月の検査入院
(7)NPO<源氏物語電子資料館>申請
(8)フィレンツェで国際研究集会開催
(9)京都から発信のブログ2000件
(10)iPhone5をSoftBankからauに乗換

 
 
 なお、これまでに記した各年度の10大出来事を、以下に列挙しておきます。
 
「2011年の十大出来事」(2011/12/27)
 
「2010年の10大出来事」(2010/12/28)
 
「2009年の10大出来事」(2009/12/31)
 
「2008年の10大出来事」(2008/12/31)
 
「2007年10大ニュース」(2007/12/26)
 
■2006年度の記録は、サーバーがクラッシュしてデータのすべてが消失したため、ブログで発信した記録が復元できていません。その年に書いた年賀状から、2006年度の5大出来事を再建します。
(1)アメリカのハーバード大学で『源氏物語』の古写本を調査する
(2)インドのネルー大学へ小松和彦先生と一緒に調査に行く
(3)福田秀一先生から病床で依頼された口述筆記は果たせないままに
(4)海外の日本文学研究者との懇談会が隔月に開催される
(5)ロシアのモスクワ大学とサンクトペテルブルク大学へ調査に行く
 
【5.1-回想追憶】「【復元】2004年と05年の10大出来事」(2010/12/29)
 
 
 

2012年12月25日 (火)

京洛逍遥(244)日の出を拝み終い天神へ

 今朝は、大文字の如意ヶ岳から、眩いばかりの朝日が昇りました。
 賀茂川の河川敷から日の出を望むと、神々しさにお願い事をしてしまいます。
 
 
 
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 北野天満宮の祭神である菅原道真の誕生日が6月25日、薨去の日は2月25日ということで、それにちなんで、毎月25日は北野天神の縁日です。そして、師走の25日は、「終い天神」です。

 天神さんのまわりには、所狭しと植木・骨董・古着・衣料品など露店が立ち並びます。
 
 
 
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 私はいつも、道具を見て回ります。今日も、姿のいい水差しをいただきました。
 朝早くから、とにかく大勢の人出で賑わっていました。

 これから、歳末の慌ただしさの中に突入です。
 ノロウイルスに気をつけながら、年末を無事に過ごしたいと思っています。
 
 
 

2012年12月24日 (月)

父が遺していた焼けた帛紗の由緒書

 今年の1月に引っ越しをして以来、まだまだ荷物が整理しきれていません。とにかく、なんでもかんでも、段ボール箱に押し込んで、賀茂川の右岸から左岸に移ってきたのです。

 今日、父と母に関するものが入っているパッケージを開けたところ、私が父から受け取るはずだったものが出てきました。

 高校卒業後、東京で新聞配達をしていた時、住み込みの店が火事になりました。大学1年生の冬休みが明けた早々です。成人式の数日前のことでした。晴れ着として作ってもらったスーツは、着ないままに灰になりました。大阪に帰る気持ちがなかったので、私のすべての持ち物を持って来ていたのです。そのすべてが無くなりました。

 しかし、お茶のための帛紗だけは、焼け残っていたのです。このことは、記憶に残っていました。しかし、父は以下のような「由緒書」を付けて、保存していてくれたのです。このことは、知りませんでした。父は、29年前に亡くなっています。
 
 
 

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   由来書
昭和四十七年一月十一日 午前三時二十分頃、東京都大田区○●丁目○ノ● 朝日新聞○○専売所一階ヨリ出火、折柄異常乾燥下、火ハ忽チ燃ヘ拡ガリ約三十分ニシテ同家ヲ全焼セリ 鉄也事、同家二階ニ居住シアリ 出火後 暫ラクニシテ大声ニ目ヲ醒マシタル処、既ニ室内ハ煙入リ込ミ 息苦シク覚ヘタリ。
「火事」咄嗟ニ枕元ノ「ズボン」ヲ身ニ附ケ 「ハーフコート」ニテ 煙ヲ吸入セザル如ク 口ヲ覆イ 襖ヲ開ケタル処、濛々タル煙 流入スルヲ以テ裏ノガラス戸ヲ開ケ 屋根ヨリ飛ビ降リ 一命ヲ拾イタリ。
(コノ間数十秒ニ過ギズ)
深夜且ハ異常乾燥下ノコトトテ、店主Y氏ハ素ヨリ二階ノM夫妻他五名、何一ツ持出ス能ハズ 文字通リ命カラ/\ 奇跡的ニ無事ナリシヲ得タリ。
夜明ト共ニ 無残ニ焼ケ落チ 一切ヲ灰トシタル中ニ 只一ツ コノ帛紗ノミ概ネ原形ヲ留メアリタリ。
余ソノ不思議サト嬉シサニ 記念トシテ永ク後世ニ遺スベク 保存スルコトゝセリ。
因ミニ此ノ帛紗ハ 森下紫鶴氏ヨリ贈ラレタルモノナリ。
           伊藤忠右衛門記
  昭和四十七年一月記

 私が父に話したことを、こうして記録してくれていたのです。「余ソノ不思議サト嬉シサニ 記念トシテ永ク後世ニ遺スベク 保存スルコトゝセリ。」とあるのは、いささかオーバーです。しかし、ありがたいことです。

 写真でも認められるように、帛紗ばさみが入っていた紙箱は、片端がひどく焼損しています。その痕は、帛紗ばさみにも燃え痕が認められます。右上の帛紗と真ん中下の古帛紗には、何かが溶けて付着していました。懐紙は、熱い火を潜り抜けた後、相当水を被ったようです。楊枝は、今でもこのまま使えます。何故か、扇子がありません。

 最後に「森下紫鶴氏」とあるのは、父の同僚で姉のお茶とお花の先生です。私も、姉にくっついて何度かお稽古に行ったことがあります。今から考えると、夏休みだったので風炉のお稽古だったのです。何も知らずに、遊び半分で行き、帰りに未生流のお花の生け方を教わったりしていました。

 我が家の本家のおじいさんが茶人で、自分で小さな庵を持っていたことを覚えています。父も、何度か出雲と松江であったお茶会に連れて行ってくれました。まだ私が小学校入学前のことです。
 生まれが出雲なので、小さい頃からお茶には親しんでいたのでしょう。作法など関係なしに、毎日のようにお茶をいただいていたように思います。近所や親戚の家に行ったときに、よく抹茶がでてきました。

 突然その姿を見せた帛紗と、父の由緒書に驚いています。
 30年越しの、父親からの贈り物に、よろこんでいます。
 
 
 

2012年12月23日 (日)

自宅でお茶とコーヒーの饗宴

 下鴨神社に御参りに来た娘夫婦が、我が家にも脚を運んでくれました。
 ただし、大掃除の最中ということもあり、足の踏み場もないほどの状態です。
 糺の森の近くにある洋食屋「のらくろ」で食事をした後、我が家でお茶を点てる練習相手になってもらうことになりました。
 お茶室らしい部屋になるように、散らかっていた荷物を急遽かたづけ、それらしい空間ができました。

 来週お招きするお客さんと、気楽にお茶を飲んでもらいながら、この一年を振り返ろうと思っています。
 相手に気遣いをさせないようにお茶を点てるため、いろいろと工夫をしました。
 何度も稽古をすることになり、妻も含めてみんなお腹がいっぱいです。

 さらには、私がコーヒー豆をハンドミルで挽き、お茶のために沸かしたお湯を釜からいただいて、みんなの目の前でドリップコーヒーを作ってみました。お湯に鉄分が多かったせいか、いつものコーヒーよりも苦みが強くなったようです。しかし、いい雰囲気でお茶の後のコーヒータイムを楽しむことになりました。

 歳末のひとときを、こうしてなかなか粋な時間にすることができました。
 今年の1月にここへ引っ越しをした荷物が、いまだに片付いていません。
 この年末年始は、荷物を整理し、さらには処分することと格闘する日々になりそうです。
 
 
 

2012年12月22日 (土)

歳末にお茶のお稽古へ

 大和平群へ、今年最後のお茶のお稽古に行きました。京都の自宅からは片道2時間半の小旅行です。せっかく奈良に来ているので大和路散歩を、といつも思いつつも、いまだ果たしていません。

 今日も運びの薄茶のお稽古です。昨日さっとおさらいをしたつもりでも、実際にやるとまったく違うものです。月に何度も来られるお稽古ではないので、思い出すことで精一杯です。気長に続ける中でぼちぼちと、というところです。

 今日は、茶碗を持つときの右手の親指と人差指の具合がよくわかりました。
 省略していたわけではないのに、あらためて一つ一つの所作を確認すると、あら?あらっ!と思うことが多いものです。

 柄杓の扱い方がそうです。腕の動きもそうです。手首や肘の動きも、確認しながらやると、なるほどと思うことが実感できます。
 自然に、と言われても、その自然はまだまだぎこちないものです。とにかく当面は、確実な動作とお作法の順番を覚えることが先決のようです。

 来週、お客さんがあります。お茶で歓迎したいと思っています。しかし、あまりにそれらしくするのも、相手に窮屈な思いをさせるだけです。

 そこで、先生のアドバイスをいただき、盆略点前でも鉄瓶のお湯ではなく、炉の釜のお湯を使ったお点前もあり、ということで、それを練習してみることになりました。
 ところが、私が盆略点前をすっかり忘れています。それに加えて、薄茶のお点前と混同して動きが混乱します。

 結局、水差を最初から出しておいた状態でお茶を点てる、というおもてなしをすることになりました。そうしないと、茶巾を置く場所や、水を差したり柄杓を片付ける時に困ってしまうのです。

 今日も、茶碗の形や水差しの材質や茶杓の節のことなどなど、たくさんのことを教えてもらいました。手当たり次第に何でも先生に聞くので、手よりも口が忙しいお稽古になっています。

 茶道にはいろいろな応用があるので頭を柔らかく、とのことです。しかし、戸惑うことばかりです。それが楽しくておもしろい、という面もありますが。
 また、おいしいお菓子やめずらしいお菓子をいただけるのも、楽しいことの一つです。血糖値の心配がいらないので、気楽にいただけます。あまり油断していてもいけないので、抹茶と和菓子と血糖値の相関関係を、さらに調査していきたいと思っています。
 今夏の入院の時には、夜寝る直前の豆腐と抹茶によるテストでした。何とか方法と日時を考えて、昼間のテストをしたいものです。それが継続してできる機会を、今はねらっているところです。

 帰りには、生駒駅で婿殿と待ち合わせて、娘夫妻とイタリア料理をただきました。NPO法人〈源氏物語電子資料館〉のことなど、近い将来の活動のことで、いろいろとアイデアやアドバイスをもらいました。これも有り難いことです。
 
 
 

2012年12月21日 (金)

京洛逍遥(243)東寺の終い弘法

 空海の命日にちなんでの、毎月21日に開かれる東寺(教王護国寺)の骨董市「弘法市」には、これまでに何度も行っています。しかし、師走の「しまい弘法」には初めて行きました。

 境内には、骨董品、古着、正月用品などを並べる店が約1,100店も軒を連ねています。
 
 
 
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 この広い境内の北西に、空海が住んでいた御影堂があります。そこに、空海の念持仏だった不動明王がまつられているのです。秘仏の国宝ということもあり、直接拝むことはできません。ここでの護摩供にお願いするため、護摩木に「心願成就」と書いて焚いてもらいました。
 今年もいろいろとありました。しかし、大過なく無事に過ごすことができました。来年もどうぞよろしく、との願いを込めて書きました。
 護摩壇の正面には、「東日本大震災復興祈願」と書かれています。
 
 
 
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 市では、あまりの店の多さと人の多さで、ゆっくりと品定めをすることもできません。雰囲気だけを味わって出ることにしました。

 帰りに、京都駅八条口前のイオンモールの中にある回転寿司屋で、久しぶりにお寿司をいただきました。
 ここは、メニューが多く、ネタも大きいだけあって、ダイナミックにお寿司を楽しめます。ただし、それだけ値段も高めです。しかし、何と言っても大問題は、このお寿司屋さんにも野菜サラダがないことです。サラダ巻きや茄子の漬け物はあります。野菜をたっぷり使ったサラダが1日も早く出て来る日を、今か今かと心待ちにしています。
 
 
 
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2012年12月20日 (木)

「京都漱石の會」の会報を通読して

 「京都漱石の會」の会報『虞美人草』(第10号、2012年10月27日)を手にし、A4版24頁の冊子を興味深く一気に通読しました。夏目漱石は私にとっては異分野の作家です。しかし、そのほとんどの作品を読んだ記憶があるので、つい読み耽ってしまいました。

 まずは、目次をあげます。


巻頭 『野分』と『虞美人草』……久保田淳
高瀬川幻想……杉田博明
漱石と萬福寺と落語と……水川隆夫
子規と漱石、そして京都のぜんざい……末延芳晴
Album オレゴンのソーセキ(8歳) 茶会に
オレゴン大学から……平岡敏夫
思い出あれこれ……森成元
二つ年上の……蔭山淳
陽子先生を「偲ぶ会」とお茶席のこと……中山久美子
Album オレゴン・メモリアル 茶会
漱石詩④ 消えぬ過去……平岡敏夫
学生と歩く"漱石の〈京都〉"……佐藤良太
用式の美 様式の美……岩原正吉
菫山児……野網摩利子
コラム 平澤美喜 高橋芙美子 広瀬勤 桂美千代
二つのメモリアル……丹治伊津子
Album パリから里帰り……関健一
○来信 ○編集局だより

 これは、茶道家である丹治伊津子さんが会の会長をなさり、編集しておられる会報です。幅広い方々からの寄稿をもとに、大変読みやすく編集されています。私などの門外漢でも、そのすべての記事に目をとおしたのですから、近代文学に特に興味をお持ちの方はなおさらでしょう。漱石とその周辺の人々の動きや、いろいろなエピソードは、非常に有益でした。

 末延芳晴氏の文章(5頁)に、漱石の「京に着ける夕」の一節が引用されています。


 はじめて京都に来たのは十五六年の昔である。その時は正岡子規といっしょであつた。麸屋町の柊屋とかいう家に着いて、子規と共に京都の夜を見物に出たとき、はじめて余の目に映つたのは、この赤いぜんざいの大提灯である。この大提灯を見て、余は何故かこれが京都だなと感じたぎり、明治四十年の今日に至るまで決して動かない。ぜんざいは京都で、京都はぜんざいであるとは余が当時受けた第一印象でまた最後の印象である。

 今、「京都」と「ぜんざい」というイメージの連関はないと思われます。漱石がこう言ったのは、どのようなところからなのでしょうか。
 ネットという便利なものがあるので、「京都・ぜんざい・夏目漱石」で検索したところ、『虞美人草』の中で、延暦寺西塔の転法輪堂(釈迦堂)を目指す場面にこんな文章があるようです。

善哉善哉、われ汝を待つ事ここに久しだ。全体何をぐずぐずしていたのだ

 しかし、どうもこれは今探し求めているものとは違うように思われます。
 〈京都とぜんざい〉については、今後の楽しみにしておきます。

 「Album 漱石のヤシャゴ オレゴンのソーセキ(8歳) 茶会に」という頁にも興味を持ちました。

 そもそも、この冊子を読むことになったのは、同僚の野網摩利子さんがこの会報に「菫山児」と題して寄稿をしておられ、こんなことを書きました、と言って私にくださったことが発端です。
 漱石と子規の二人には、呉梅村の漢詩「菫山児」が共有されていたようで、網野さんの文章からは、短いながらしっかりとした問題意識が伝わってくるものでした。

 この野網さんの文章を読んでから、つい巻頭の久保田先生に始まり編集後記までを読んだしだいです。読まされた、と言うのが正確です。私にとって、新鮮な内容でした。

 しかも、偶然とはいえ、会長で編集者の丹治さんは、裏千家茶道では著名な茶人。ネットでのハンドルネームは「椿わびすけさん」として知られているようです。
 そのご著書である『夏目漱石の京都』(翰林書房、2011.1)も、機会を得て読んでみたいと思っています。

 こうした側面から京都を見る方々がいらっしゃることに、いい刺激をいただくことになりました。
 
 
 

2012年12月19日 (水)

読書雑記(57)山本兼一『ええもんひとつ ―とびきり屋見立て帖』

 山本兼一の〈とびきり屋見立て帖〉の第2冊目となる、『ええもんひとつ ―とびきり屋見立て帖』(山本兼一、文藝春秋、2010年6月、文春文庫、2012年12月)を読みました。前作の『千両花嫁 とびきり屋見立て帖』(山本兼一、文藝春秋、2008年5月)を読んだ後、昨日アップした「読書雑記(56)」の読後感では、「今後のシリーズ化が楽しみな作品集です」と記しました。第1冊目がおもしろい作品集だったからです。
 しかし、この第2冊目には失望しました。作品の評価は、人により、読み方によります。あくまでも、私の期待は裏切られました。はんなり感と共に、スピード感と時代背景のおもしろさを、引き続き楽しみにしていたからです。もちろん、古い道具に対するものの見方や知識が得られたことは、読んだからこそ知ることができたこと、と言えます。
 それにしても、本書に収録された6作品よりも、巻末の杉本博司氏の「解説 骨董の魔性」が格段におもしろく、本を綴じてから変な思いに囚われました。本編よりも解説の方の出来がずっとよかったからです。本書の中では、5番目の「花むすび」だけが気に入りました。しかし、それもこの「解説」のおもしろさには及びません。
 とにかく、興味深い作家なので、第3作に期待しましょう。
 私の読書は、移動する電車の中が多いのです。そのため、文庫本を持ち歩きます。この『ええもんひとつ』も、文庫化されて店頭に並ぶやいなや、昨日すぐに入手し、早速読んだものです。
 次は、第3作である『赤絵そうめん―とびきり屋見立て帖』(山本兼一、文藝春秋、2011年11月)の文庫化を待って読みたいと思っています。そして、解説の出来具合も楽しみにしましょう。

■「夜市の女」
 時は文久三年(1863)。梅田雲浜の漢詩が書かれた扇子と茶碗が150両と高値で競られました。それを落とした女の素性が話題となります。それが、実は倒幕と関係があったというのです。興味深い話です。しかし、物語は道具屋夫婦に引き戻され、盛り上がらないままに終わりました。【1】
 
初出誌:『オール讀物』2008年9月号
 
 
■「ええもんひとつ」
 話題は、香道用の香箱です。坂本龍馬の登場です。龍馬に、道具を買う時の極意を聞かれたゆずは、「一番ええもんひとつだけ買うこと」だと答えます。背後に伽羅の香りがします。しかし、話としては、香をネタにした小話で終わっています。【1】
 
初出誌:『オール讀物』2009年2月号
 
 
■「さきのお礼」
 道具屋の日常生活や、雑談に終始しています。この章をあえてこの本の中に置いた意味が、私にはわかりません。【1】
 
初出誌:『オール讀物』2009年8月号
 
 
■「お金のにおい」
 後半の壺の話はわかりやすいのに、全体としては盛り上がりません。【1】
 
初出誌:『オール讀物』2009年4月号
(「金のにおい」を改題)
 
 
■「花むすび」
 とびきり屋が、桂小五郎の変装と裏の寺へ逃げるための場所として提供されます。そして、預かった書状をめぐり、芹沢鴨の前で息もつかせぬ展開となります。紐をきれいに結ぶ話が、大文字の送り火とともに閉じられます。うまくまとめています。作者は、勝負ごとの話になると、活き活きと筆が冴えてくるようです。この前の4作はどうした、と言いたくなります。【5】
 
初出誌:『オール讀物』2009年11月号
 
 
■「鶴と亀のゆくえ とびきり屋なれそめ噺」
 結婚前のことへと、時が遡ります。狩野永徳の亀図をめぐる話です。
 道具商「からふね屋」の二番番頭だった真之介は、仕えていた店の娘ゆずとの結婚をかけた、命がけの勝負をしかけます。相手は、茶道の東西二つの家元です。鶴亀の字句が問題の品なのです。ただし、その軸が持つ真相を知った真之介は驚愕するのでした。おもしろい話です。しかし、話の内容と登場人物の設定や描写に、言いしれぬ下品さを感じました。話を作ることに必死になり、温かい眼で人を見ることができなかったようです。
 骨董の世界は奥が深いことでしょう。闇もあることでしょう。どうも、この第2冊目に収録された作品には、人の温もりが欠けているようです。【2】
 
初出誌:『オール讀物』2008年6月号
 
 
 

2012年12月18日 (火)

読書雑記(56)山本兼一『千両花嫁 とびきり屋見立て帖』

 『千両花嫁 とびきり屋見立て帖』(山本兼一、文藝春秋、2008年5月、文春文庫、2010年11月)は、今後のシリーズ化が楽しみな作品集です。

■「千両花嫁」
 文久三年(1863)三月。鴨川の枝垂れ桜が八分咲きの春のことです。三条木屋町で道具屋「とびきり屋」を新たに開店した真之介とゆず夫婦は、ほやほやの新婚です。というよりも、拐かしての略奪婚でしたが。
 場所は三条大橋の袂で、東海道の上がりの地点という恵まれた場所です。
 ゆずは、京で3本の指に入る茶道具屋の愛娘です。真之介は、捨て子からその店で育てられた奉公人でした。当然のこと、娘の父は大反対。物語が始まる早々、楽しい仕掛けがなされています。
 ゆずは開き直り、命を賭けてる夫の道具道楽に付き合うつもりです。
 開店早々にやってきたのが壬生浪の面々、近藤勇の登場です。これからの展開にますます期待が持てます。
 芹沢鴨が盗んだ自分たちの結納金三千両を取り戻すくだりは秀逸です。【5】
 
初出誌:『オール讀物』2004年12月号
 
 
■「金蒔絵の蝶」
 高杉晋作と祇園の妓の話です。ゴム鞠が弾むような第一作と違い、これは創意と工夫とエネルギーが文章から感じられないのが惜しいと思いました。話も陳腐です。【1】
 
初出誌:『オール讀物』2005年4月号
 
 
■「皿ねぶり」
 坂本龍馬の登場です。道具屋とは、という話で、今後のつなぎとなる話題が盛られています。勝海舟を家に預かったところ、侍たちに襲撃されます。命拾いをする立ち回りがおもしろい話に仕上がっています。
 ゆずは、眉を抜きお歯黒をして、やっと嫁らしくなりました。【4】
 
初出誌:『オール讀物』2005年10月号
 
 
■「平蜘蛛の釜」
 一つの釜をめぐって、ゆずの魅力が十二分に発揮された話になっています。夫婦の信頼関係と人間が持つ味が出ています。高杉晋作と坂本龍馬は、贅沢にも背景に置かれているだけです。茶道具の目利きになるのには、とにかくいいものを見ることだとか。いろいろと出歩いて見て回るしかないようです。【3】
 
初出誌:『オール讀物』2006年4月号
 
 
■「今宵の虎徹」
 刀をめぐる話です。いろいろと物を見ることの大切さの勉強ができます。ここでは、近藤勇と土方歳三が出てきます。それも、ピエロ役で。二人は、作者にさんざん弄ばれています。
 最後のゆずの母の話は、綴じ目を盛り上げています。おもしろい話に仕上がっています。【4】
 
初出誌:『オール讀物』2006年10月号
 
 
■「猿ヶ辻の鬼」
 坂本龍馬がお店の二階に寝起きしているという設定がおもしろいところです。龍馬から頼まれた、公家の攘夷を諦めさせるための贈り物を探すゆずがおもしろい展開を引き出していきます。対する夫の真之介は、武市瑞山から、龍馬とは逆に開国を諦めさせるための贈り物を頼まれます。さて二人は何を選ぶのか。
 真之介は、日本が愛おしくなるものとして、「源氏物語絵巻」を持参します。しかし、首を振られます。決まったものの一つは、『源氏物語』に関わりのあるものでした。何とも優雅なものをと、思わず日本文化の継承に思いを及ぼしました。話のオチに、人の心は、物ではなくて心で動かすものだとあります。なるほど、と得心しました。【3】
 
初出誌:『オール讀物』2007年1月号
 
 
■「目利き一万両」
 辻が花の裂は、捨てられた真之介が肌身に付けさせられていたものです。それをめぐる出生の話へと展開します。
 近藤勇が率いる壬生の屯所を舞台にして、結成されたばかりの新撰組が背後に動いています。社会の動きを躍動的に語ります。屯所での対応は、芹沢鴨があたっています。ただし、どうも人間が描けていません。話の綴じ目も、安易なハッピーエンドに作りすぎです。【1】
 
初出誌:『オール讀物』2007年12月号
 
 
 

2012年12月17日 (月)

國學院大学草創期の源氏講義について

 先週末に開催された研究会の席上、國學院大學図書館事務課の堀口裕美子さんから貴重な資料を何点かいただきました。その内、私が気になった次の2つの資料について、さらに詳しい情報をいただきましたので、ここに報告します。

(1)「〔資料紹介〕國學院草創期の講義録」(堀口裕美子、『國學院雑誌』、平成24年3月)

(2)「蘭学者の家に生まれた國學院生─第四期生 青地愛作の資料─」(堀口裕美子、『校史 Vol.22』、学術資産センター、平成24年3月)

 『源氏物語』の受容史に関して、ありとあらゆる情報を集めようとしている関係で、一昨日はいただいた資料をその場ですぐに見入ってしまいました。そして休憩時間に、さらなる確認と情報の精査を、堀口さんにお願いしました。その結果が、次のような情報としてもたらされたのです。
 これは、國學院大學の歴史に詳しい益井邦夫先生を通して届いたものです。参考文献は「百年史」と「國學院雑誌」の復刻版だとのことです。


國學院大學は皇典講究所発足当初から「源氏物語」の講義を「万葉集」と共に本居豊頴(もとおり・とよかい)と落合直文が担当しています。
当初、皇典講究所文学部本科(他に作業部)の「文章」(源氏物語・万葉集)は第四年第四級・第三級、第五年第二級・第一級で行われました。予科第一年第四級・第三級、第二年第二級・第一級は「古今集」等でした。「源氏物語」を重視したのは三矢重松の様で、大正10年8月、「源氏物語全講会」を開講、大正12年7月17日に三矢が亡くなると折口信夫が10月に遺族の意向を受けて継承しましたが、これはしばらくして慶応義塾に移しました。「源氏物語」講義はその後、久松潜一・市古貞次・山岸徳平・三谷栄一・守随憲治・藤懸静也・高崎正秀・臼田甚五郎・金子元臣・池田弥三郎・此島正年・倉林正次・関根正直、その他、多くの方々が担当しています。

 早速、追認の調査をしてくださった堀口さんと益井先生のご教示に感謝します。
 機会があれば、さらに私もこの詳細を調べたいと思います。

 なお、三矢重松から折口信夫に受け継がれた「源氏物語全講会」については、拙著『源氏物語受容論序説―別本・古注釈・折口信夫―』(桜楓社、平成2年、1990年)の「第三章 折口信夫と三矢重松の源氏物語観」で、詳細に資料を整理してまとめています。これらについても、さらに追補したいと思っています。

 また、上記『校史』の中で、益井先生が「国文学者 歌人 金子元臣教授」の中で、金子と『源氏物語』のことについて次のように記しておられます。


大正十三年五月、十年計画の「源氏物語全講」を当初、共立女子職業学校(共立女子大学)で始め、次いで櫻蔭高等女学校(桜陰中学校・高等学校)に会場を移して毎週日曜日、二時間講義を基本に講じ、第一回講義には二百名近い参加を見た。「全講」は昭和八年七月にめでたく終了したが、この間に『定本源氏物語新解』上(大正十四年、明治書院)、中(昭和三年)、下(昭和五年)を刊行、これにて全巻五十四帖を完成させている。(15頁)

 金子元臣所蔵の源氏物語については、『定本源氏物語新解』の解説に触れられていることから、かねてより調査を進めていました。しかし、戦災で焼失したということで、その本の内容はまったくわかっていません。この件でも、さらに詳細なことを調査したいと思います。

 以上の情報に関して、補うべきものをお持ちの方、もしくはご存知のことがありましたら、ご教示のほどをよろしくお願いします。

 特に急ぐわけではありません。しかし、池田亀鑑のことを調べてわかったのですが、大正・昭和のことについては、時間ととにも記憶という情報が日々に消えていくようです。その意味では、語って下さる方がいらっしゃる内にお聞きし、残されている資料を1点でも探し出して解読したいと思っています。

 『源氏物語』の受容史を見ていると、大正から昭和という時代は、非常に興味深いことがたくさんあります。少しずつでも掘り起こして、そのありようを記述していくつもりです。
 
 
 

2012年12月16日 (日)

読書雑記(55)鹿島友義『医者が診つめた『源氏物語』』

 『医者が診つめた『源氏物語』』(鹿島友義、燦葉出版社、2010年4月)を読みました。
 筆者は循環器の専門医です。鹿島さんは、鹿児島大学で伊牟田経久先生の「源氏物語を読む」という公開講座に参加されてから、現代語訳に頼らずに原文で読み通す決意をなさいました。そして、ご専門の医者の立場で『源氏物語』に立ち向かわれた成果が、この本になったのです。
 
 
 

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 全体の半分くらいが、『源氏物語』の原文の引用と現代語訳とあらすじです。また、話題が散漫になっているので、すぐに読むことができました。

 ご専門の立場から、『源氏物語』に登場する人物の、健康行動、潜在意識、健康に対する価値観などに注視しておられる点は、参考になるところがありました。

 本書からは、特に引用する箇所がありません。しかし、文学とは異分野の方が、こうした自由な立場で発言なさることはいいことだと思います。ただし、もっと実証的な記述がなされたら、さらに完成度があがったことでしょう。印象批評の域を出ていない点が、非常に残念でした。
 
 
 


2012年12月15日 (土)

本日発表した研究内容のメモ

 霧雨の渋谷を小走りに國學院大學へと急ぎました。「平成24年度 第2回 源氏物語の本文資料に関する共同研究会」に参加し、研究発表をするためです。

 昨日から、発表資料を作成するのに手間取っていました。そのため、あらかじめレジメの印刷をお願いすることができませんでした。自宅のプリンタをフルに稼働させて、何とか16ページの資料を作りました。
 本文について考える時には、自ずと資料が多くなります。わかりやすいように、グラフをカラーにしたため、インクジェットプリンタが直前まで唸っていました。

 会場には、30人ほどの人が集まりました。いつもよりも多かったように思います。

 【研究・報告1】の4人目が私の順番です。

 最初に発表された豊島先生は、「蓬生」巻の16種類の本文異同を丹念に追っていかれました。その中で、本文を三つではなくて二つに分けてもいいのではないか、とおっしゃいました。この発言は、私にとっては心強いものでした。
 まだまだ検証すべき問題ではありますが、少しずつでもこうした指摘がなされることは進展です。

 私は、「ハーバード大学本『源氏物語』の改行意識」と題するものです。
 配布した資料の最初に、「はじめに」として次のように書きました。


 ハーバード大学所蔵の『源氏物語』(須磨・蜻蛉)の2帖は、鎌倉時代中期の書写にかかる貴重な古写本である。
 ここでは、その写本の改行意識を調査した結果を報告する。
 その紙面に記されている物語本文の各行末の文字列を見ていくと、どのような状態で書写されているか興味深い傾向が見て取れる。文節で切れているか、単語で切れているか、語中で切れているかの3つの場合がある。語中で切れるのは、3割ほどであることがわかる。
 古写本における書写者の心理を反映するものとして、以下に例示しながら検討を加えていきたい。
 なお、歴博本「鈴虫」(中山本)は、ハーバード大学本のツレとされている。鎌倉中期の同じ性格の古写本として、その改行意識もあげた。さらに、500文字以上の長大な異文を持つ国冬本「鈴虫」も、同じく鎌倉期の写本として確認した。併せて、院政期の「源氏物語絵巻詞書」の「鈴虫」と、室町時代の大島本「鈴虫」の改行箇所についても参考資料として取り上げている。

 レジメの後半に付した資料を見ながら、今回の意図と結論を説明しました。

 そして、これまでの私見も整理して説明しました。

 その内容は、以下のようなことです。


    一、鎌倉期書写の古写本に対する私見

 まず、これまでに『源氏物語』の古写本の調査をしてきての私見をまとめておく。

(1)『源氏物語』の古写本では、基本的に親本に書かれている通りに書写されている。
  行単位でほぼ同等の文字列として書写される傾向がある。

(2)各丁の末尾(左下)は、語彙レベルで改丁される傾向にある。
  語彙が泣き別れで書写されることは少ない。
  これは、書写ミスを避けるために、自己防衛的な心理が働いての結果ではないか。

(3)異文は、傍記本文の混入によって発生することが多い。
  現在私は、『源氏物語』の諸本に書き写された物語本文を、その内容によって、〈甲類〉と〈乙類〉の二種類に分別する私案を提唱している。
  『源氏物語』においては、本文の系統論は成り立たない。
  〈甲類〉とは、これまでに私が〈河内本群〉と称してきたグル
     ープである。そこにおいては、傍記が本行本文の直前に
     潜り込むことが多い。
  なお、本年度の研究成果として、『和泉式部日記』でも傍記が本行に混入する実態を論証できた。
  そのことも、ここに付け加えておく。

(4)今回の調査は、各丁の各行末における改行意識を明らかにするものである。
  まったくの偶然であるが、「須磨」と「蜻蛉」はほぼ同じ傾向を示した。
  文節意識は5割、単語意識は2割で、合わせて7割の箇所に語彙レベルでの認識に基づく改行意識が確認できた。
  各行末は、語句に対する意識が反映した結果が明らかである。
  特に改丁箇所では、文節意識が強く見られる。
  こうした傾向は、ツレとされる歴博本「鈴虫」においても同じことが確認できる。
  その点では、同じ鎌倉時代の写本の中でも、国冬本と絵巻詞書にはこうした意識が希薄である。
  逆に、大島本は語彙単位の意識が極端なまでに反映した書写態度が見て取れる。


 
 
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 ほぼ、予定通りに、すっきりとまとまった、きれいな論証ができた、と、自分勝手に思っています。
 質問として、行末が語中で泣き別れになっている例について、その理由を尋ねられました。
 親本を慎重に写しとろうとしたことが、その原因の一つである、と答えました。

 問題意識を共有できる方々に自分の考えを語ることは、とにかく楽しいものです。こうした機会を得難いこととして、今後とも、もっと積極的に研究成果を報告し、意見を伺いながらまとめていきたいと思います。
 
 
 

2012年12月14日 (金)

井上靖卒読(152)「ざくろの花」「紅白の餅」「梅」

■「ざくろの花」
 井上靖が幼かった頃を題材にした短編で、よく話題にする伊豆での話です。『あすなろ物語』の舞台裏を語るものでもあります。冒頭で「六十過ぎた老婆」とあります。自分がその年齢を超えたことを思うと、これは多分にショックな表現です。本作では、自分を育ててくれたおせい婆さんへの愛情が、たっぷりと詰め込まれています。ざくろの花は、そのおせい婆さんの象徴でもあります。【3】
 
 
初出誌:オール読物
初出号数:1955年10月号
 
井上靖小説全集6:あすなろ物語・緑の仲間
井上靖全集5:短篇5
 
 
 
■「紅白の餅」
 まったく人のいい男の話です。名前が同じことをいいことに、ズケズケと就職話を持ち込み、さらには強引に仲立ちを頼むという青年の登場は、井上靖の作品によく見られるタイプの人間です。みんな気持ちがいいほどに、あけすけな性格で語られます。ズルズルと情に嵌まっていく様子が、軽妙にテンポよく展開します。人間のすばらしさや明るさが前面に出ています。最後は、さりげなく場面が修善寺に移るあたりは、井上らしいと思いました。時間に追われて仕事をしていた井上の生の心境が、この語り口の合間合間から窺えます。【3】
 
 
初出誌:小説公園
初出号数:1956年1月号
 
井上靖小説全集11:姨捨・蘆
井上靖全集5:短篇5
 
 
 
■「梅」
 時間に追われて仕事を熟していた井上靖が、自分の心境を綴ったと思われる小品です。年末年始の箱根行きは、家族へのサービスなのです。毎年同じ宿で一緒になる一家の存在が、主人公の気持ちを癒します。その一家の主人との一時が、それまでになかった時間であり、梅に目がいくほどの気持ちの余裕を与えてくれるのでした。【2】
 
 
初出紙:読売新聞
初出日:1956年1月3日
 
井上靖小説全集11:姨捨・蘆
井上靖全集5:短篇5
 
 
 
〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/
 
 
 

2012年12月13日 (木)

源氏物語の本文に関する研究会の案内

 今週土曜日の午後、東京渋谷にある國學院大學において、豊島秀範先生の科研に関する研究会が開催されます。
 参加は自由です。当日、直接会場においでいただき、受付で参加したいとお伝えください。

 この研究会は、『源氏物語』の本文に関して、息の長い研究がなされているものです。

 一昨年までの4年間にわたって、研究代表者である豊島先生は、科研費による研究として「源氏物語の本文資料の再検討と新提言のための共同研究」(基盤研究A)を展開し、大きな成果をあげてこられました。
 その科研で取り組んで来られたテーマを継承発展させた形で、新たに平成23年度から「源氏物語の本文関係資料の整理とデータ化及び新提言に向けての再検討」(基盤研究C)という科研費による共同研究を始められました。

 今回の研究会は、その共同研究者の集まりで、第2回目となるものです。

 以下の内容で、この研究に連携して活動している仲間が日頃の研究の成果を発表します。
 渋谷の丘に、一人でも多くの方が参加されることを願っています。
 特に古典文学の本文に関する研究が、さらに広がることを期待して、若い方の参加を望みます。

 本文研究は、目立たず地道な基礎作業が欠かせない分野です。
 しかし、コツコツと調査研究を続けていくうちに、着実に成果が見えてきます。
 努力と成果が正比例する、と言えばいいでしょうか。

 すぐに目に見える成果が求められる現代において、こうした下支えとなる基礎研究があるのです。
 墨で書かれた文字を読むことから始まるので、派手さはありません。しかし、大多数の方が活字で文学を読んですませているところを、古典籍という墨文字で書かれた原典にあたって、一から翻字して考えていきます。
 まだ誰も文字にして来なかった資料や、その周辺の書籍を調査しながら手探り状態で進むので、新しい視点で文学を考えることになります。やりがいはあります。

 手間と時間がかかるので、大学や大学院の授業などでは、ほとんど取り上げてもらえません。
 また、先生方も、成果がでるまでに時間がかかりすぎるので、学生が取り組むテーマとしては推奨されません。
 しかし、手がけると、次から次へと難問が降りかかり、それを解決しながら、資料を読み解きながら前に進むことになります。

 こんな気の長い研究手法が、しかも千年も前の作品を、活字ではなくて原典を尊重して読もうというのです。
 仲間が多いに越したことはありません。
 一度、この研究会に参加してみませんか。
 変な勧誘になりました(妄言多謝)
 
 
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第2回 源氏物語の本文資料に関する共同研究会

◇日時 平成24年12月15日(土)午後1時〜6時
◇場所 國學院大學120周年記念2号館 1階2102教室

研究・報告1(午後1時10分〜)

(1)「平瀬本」本文の特質—蓬生巻を中心に— 豊島秀範(國學院大學)
(2)『源氏物語』正徹本の本文系統(二)—大内家・毛利家・吉川家の文事との関わり— 菅原郁子(専修大学大学院生)
(3)孤立する本文—早蕨巻における— 中村一夫(国士舘大学)
(4)ハーバード大学本『源氏物語』の改行意識 伊藤鉄也(国文学研究資料館)

研究・報告2(午後3時30分〜)

(5)吉見正頼旧蔵本「浮舟」巻別註と木下宗蓮 上原作和(明星大学)
(6)覚勝院抄源氏物語の諸本分類について 上野英子(実践女子大学)
(7)京都大学図書館本『紫明抄』について 田坂憲二(慶應義塾大学)
(8)明融臨模本「若菜上・下」帖の親本の性格について 渋谷栄一(高千穂大学)
 
 
 
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2012年12月12日 (水)

国文研で展示中の『源氏物語』断簡

 今日から、国文学研究資料館の〈通常展示 新収品・新寄託品展〉として、「古筆のたのしみ」が始まりました。期間は、新年11日までです。
 新しく収蔵・寄託された貴重な古典籍の中でも、昨年の物語類を受けて、和歌と古筆資料が公開されています。

 歌集の断簡などが中心です。その中で、『源氏物語』などの物語がいくつかあったので、ここに列記しておきます。

 以下で取り上げているのは、あくまでも私が展示室で見て、興味を持った物語の断簡です。

(1)『源氏物語』「夕顔」断簡 伝民部卿局筆 鎌倉時代(出品目録ナシ、『古筆手鑑』の内)
 
〈参考〉

夕日のなごりなくさし入りてはべりしに、文書くとてゐてはべりし人の顔こそいとよくはべりしか。もの思へるけはひして、ある人々も忍びてうち泣くさまなどなむ、しるく見えはべる」と聞こゆ。君うち笑みたまひて、知らばやと思はしたり。おぼえこそ重かるべき御身のほどなれど、御齢のほど、人のなびきめできこえたるさまなど思ふには、すきたまはざらんも情なく、さうざうしかるべしかし、人のうけひかぬほどにてだに、なほ、さりぬべきあたりのことは好ましうおぼゆるものをと思ひをり。(惟光)「もし見たまへ得ることもやはべると、はかなきついで作り出でて、消息など遣はしたりき。書きなれたる手
(『新編日本古典文学全集』(小学館)143〜144頁)
 
(2)『源氏物語』「真木柱」断簡2葉 九条稙通筆 安土桃山時代(出品目録8頁、『古筆手鑑』の内、ただし今回は見られない)
 
〈参考〉

よと思ふだに胸つぶれて、石山の仏をも、弁のおもとをも、並べて頂かまほしう思へど、女君の深くものしと思し疎みにければ、えまじらはで籠りゐにけり。げに、そこら心苦しげなることどもを、とりどりに見しかど、心浅き人のためにぞ寺の験もあらはれける。大臣も心ゆかず口惜しと思せど、言ふかひなきことにて、誰も誰もかくゆるしそめたまへることなれば、
(『新編日本古典文学全集』(小学館)349〜350頁)
 
〈参考〉
つつ聞こえたまふ。いとをかしげに、面痩せたまへるさまの、見まほしう、らうたいことの添ひたまへるにつけても、よそに見放つもあまりなる心のすさびぞかしと口惜し。(源氏)「おりたちて汲みはみねども渡り川人のせとはた契らざりしを思ひのほかなりや」とて、鼻うちかみたまふけはひ、なつかしうあはれなり。女は顔を隠して、(玉鬘)みつせ川わたらぬさきにいかでなほ涙の
(『新編日本古典文学全集』(小学館)354〜355頁)
 
(3)『源氏物語系図』断簡 伝冷泉為相筆 鎌倉時代(出品目録27頁、寄託資料、一軸)
 
(4)『大和物語』断簡 伝慈円筆 鎌倉時代(出品目録ナシ、『古筆手鑑』の内)
 
(5)『伊勢物語』断簡 鎌倉時代 と 室町時代(出品目録ナシ、『古筆手鑑』の内)
 
(6)『狭衣物語』断簡 伝二条為明筆 鎌倉時代(出品目録6頁、『古筆手鑑』の内)
 
 これらのほとんどは、国文学研究資料館のホームページの中の「電子図書館」に、デジタル画像としてすでに公開されています。
 「所蔵和古書・マイクロ/デジタル目録データベース」にアクセスすると、「館蔵和古書画像一覧」の中の「古筆手鑑」などです。

 一通りインターネットで通覧してから展示をご覧になった方が、より意義深いものになるかと思います。

2012年12月11日 (火)

初雪の朝に期日前投票をして上京

 昨日は、京都に初雪が降りました。
 粉雪やボタン雪が舞い、やがて霙になった朝、選挙の期日前投票に行ってきました。

 なかなか投票の連絡が来ません。京都市の選挙管理委員会に電話で確認したところ、私が住む左京区は、先週金曜日にやっと発送を終えたのだそうです。突然の解散で大変なことだったようです。月曜日には届くでしょう、とのことでした。しかし、今週末には東京で研究発表があるので、京都での投票ができません。

 ハガキがなくても不在者投票ができるそうです。大急ぎで区役所へ自転車を飛ばしました。
 テーブルの上に積み重ねられていた宣誓書さえ書けば、投票できるのです。住所・氏名・性別・生年月日を書くだけです。

 以前この件で本ブログに「【復元】こんな不在者投票でいいのでしょうか?」(2010年6月23日)と題して書いた時と、あまり状況は変わっていませんでした。本人確認は形ばかりの紙に書いた文字列で、あくまでも性善説に立って期日前に投票するシステムなのです。7年前と同じでした。違っていることと言えば、宣誓書だけのような気がします。

 本来の投票日と比べると、期日前投票のチェックはあまりにも杜撰です。昨日の投票直前に、必要があって別のカウンターで住民票を申請しましたが、その時には写真付きの本人確認証を求められました。それが、選挙となると、簡単になりすまして投票ができそうです。宣誓書に拘らなければ、のことだけです……

 こんなに甘い本人確認の手続きになっているのには、何か深い訳があるのでしょう。
 そうでなければ、こんなに見え見えの、誰にでもなりすませる方式を何年もやっているはずがありません。
 ただし、ここではこれ以上の詮索は止めておきます。

 その後、すぐに東大路通りをまっすぐに下り、京大病院へ行きました。
 始めは顔に貼り付いたコーンフレークのような雪片も、百万遍を過ぎる頃には、もう晴れたり時雨れたりでした。
 入院の支度をして、この病院の玄関を入られる方がいらっしゃいました。新年をここで過ごすことになる戸惑いが、その顔にはっきりと見て取れます。

 一昨年の夏の私は、大文字の送り火を病棟から見られることが楽しみでした。しかし、新年の入院はと問われると、近くの平安神宮へ初詣に行くのが楽しみで……、とはなりません。
 自宅で新年を迎えたいものです。病気であれ、その他の事情であれ、どこで年を越すかは人さまざまでしょう。少し贅沢にホテルで、温泉地で、海外で、といろいろ好みはあるでしょう。
 まだ自分の意志で決められる内は、私は当分は自宅で、と答えます。紅白歌合戦を見ながら、ということは、ここ数十年なくなりました。それでも、家族みんなで年越し蕎麦を食べながら、新しい年を迎えたいものです。息子が除夜の鐘を友達と旅先で聞くと言って家を空けた年は、なんとなく櫛の歯が欠けた寂しい思いをしたものです。

 新幹線は、いつものように米原付近で徐行しただけで、15分遅れで東京に着きました。そして、いかに東京が暖かいかを実感しました。京都駅と東京駅の、ホームを吹き渡る風が、その違いを教えてくれたのです。

 宿舎に入っても、しばらくはガスストーブのスイッチを入れるのを忘れていたほどです。

 さて、今週から、本年のラストスパートとなりました。来年3月までの年度末をアタフタと迎えないためにも、ここが踏ん張り所です。風邪と闘いながら、さてさて捻り鉢巻の日々の始まりです。
 
 
 

2012年12月10日 (月)

井上靖卒読(151)『北の海』

 主人公である洪作少年は、作者井上靖の分身です。
 勉強はさておき、スポーツに明け暮れる、旧き良き時代が大らかに語られていく長編小説です。
 トンカツ屋のおかみさんがそうであるように、社会や世間が子どもたちの教育もしていたのです。特にしつけに関しては、子どもの生きざまに口を挟んでいたのです。昭和前半の世相が窺えます。
 洪作は父親に対する接し方がわかりません。台北行きを最後まで拒み、それが金沢に行くことに拘る1つの理由となり、後半では四高において柔道を練習する日々となります。

 台北行きの前に、洪作は生まれ故郷である湯ヶ島に帰ります。
 おぬい婆さんとのことなどは、私自身が本年初夏に湯ヶ島へ行ったこともあり、その生活の様子が手に取るようにわかりました。土蔵の中に入った洪作の回想は、『しろばんば』につながっていきます。おぬい婆さんの声が聞こえてきます。小さな机の話は、印象的です。私自身の机も、実を言うと粗末なミカン箱を横に倒しただけのものだったので、こうした情景がよくわかりました。
 6年前に亡くなったおぬい婆さんとの会話は、井上の死者との対話のパターンとなっています。その墓前でくめさんと交わす、人生で夢中になるものがあるか、という話は実にいいくだりとなってます。

 物語の舞台を知っていると、作品の理解は深まります。特に井上靖の場合は、舞台背景についてあらかじめ知っていると、作中人物の行動や心の動きかがスムースに理解されるように思います。世相と地域が作品に溶け込んでいることが多いからでしょう。

 後半に入り、金沢の四高にある無声堂での柔道に明け暮れる話は、実話を元にしています。それだけに、具体的で活き活きと描かれています。井上靖の面目躍如といえるところです。
 四高の無声堂での対抗試合の場面は、文章がうまいこともあり自然と引き込まれるように読ませられます。簡潔で描写も的確だからです。
 金沢から沼津に帰った洪作が、れい子と手をつないで千本浜を散策するシーンは印象的です。終盤でのれい子の存在は、それまでが男臭い話だっただけに、この作品に明るさと微笑ましさを加えています。

 『しろばんば』と『夏草冬濤』に加えて『北の海』は、井上靖の自伝三部作と言われています。もちろん、この『北の海』の洪作は、粗野でだらしのない、そして物事にこだらわない性格として描かれています。作者そのものではないものの、若者を象徴する存在として、自由奔放に作品の中を動き回っています。

 沼津でも金沢でも、少年から青年にかけて育つ子らが、のびのびと暮らしていた様子が活写されています。青春文学になっています。
 最後の場面で、神戸から台北に行く時も、時間があるというので六甲山で昼寝をし、乗船にやっと間に合うということがありました(659頁)。こんな人間と時代を描けたことも、今となっては収穫と言えるでしょう。【2】

 なお、作品中に、芥川竜之介の上野精養軒の話(新潮文庫30頁)や、谷崎潤一郎の『母を恋うる記』の中の「あんパン、食いたい。」を引いています(265頁)。井上の昭和作家の受容について、1つの資料となるものです。
 
 
初出紙:東京新聞、神戸新聞、中日新聞、西日本新聞、北海道新聞
連載期間:1968年12月9日〜1969年11月17日
連載回数:340回
 
新潮文庫:北の海
新潮文庫:北の海(上・下)
中公文庫:北の海
井上靖全集19:長篇12
 
 
 

2012年12月 9日 (日)

京洛逍遥(242)スマート珈琲と市役所フリマと新福菜館

 朝の賀茂川は水鳥たちで賑やかなことです。出町橋の上手にある鴨川公園の方を臨むと、気ままに泳いだり整列したり飛び回ったりする鳥たちが群れていて、見ていて飽きません。
 
 
 
121209_kamo
 
 
 

 下鴨神社の参道には、まだ紅葉が残っていました。
 
 
 

121209_simogamo
 
 
 

 前から行こうと思いながらも、なかなか果たせていなかった喫茶店に行きました。
 本能寺を少し下った寺町三条にあるスマート珈琲店は、しばらく並んでやっと入れました。ここでモーニングコーヒーを飲む楽しみを、ずっと残していたのです。
 
 
 
121209_smartcoffee
 
 
 

 このお店のことは、「読書雑記(40)永江朗『そうだ、京都に住もう。』」(2011年8月 2日)で紹介しました。京都の家探しをしていた頃に、楽しく読んだ本です。スマート珈琲店は、昭和7年の創業なのです。

 コクがあるのに飲んでいて口に苦みや酸味が残らない、スッキリとしたコーヒーでした。長い年月の中で定着した味なのでしょう。
 特に、クリームを入れると味がまったく変貌し、ふんわりとしてマイルドになるのです。おもしろい変化です。

 順番を待ちながらショーケースを見ていた時、先日買ったハンドミルとまったく同じ物が展示されていることに気づきました。嬉しくなりました。気に入ったので、帰りに豆を買いました。そして、家に帰るやいなや早速手回しのハンドミルでコーヒー豆を挽き、午後は自宅でコーヒータイムとなりました。
 
 
 
121209_coffee
 
 
 

 初めてのコリコリなので、細挽きからスタートです。これから、少しずつ粗さを加減しながら挽き、好みのコーヒーの粉作りを楽しみたいと思います。

 さて、午前中の京洛散歩のことです。
 スマートコーヒー店を出てから、お昼前の京都市役所前では、恒例のフリーマーケットが繰り広げられていました。広場いっぱいにたくさんの出店ということもあり、多くの人でごった返していました。
 次の写真の広場正面のビルは、ホテル本能寺会館です。織田信長がこの光景を見たら、さしずめ、


人垣をかきわけ探せほととぎす

というところでしょうか。
 
 
 
121209_market
 
 
 

 ほとんどが衣類のため、私は何もほしいものが見当たりませんでした。広場は、家庭から出た余り物の山と化していて、私が探し求める文具や茶器や電化製品は、ほとんど見あたらないのです。骨董市とは違い、市民のフリーマーケットなのです。やがて、なんでも10円という声が飛び交っていました。売り手も買い手も、9割9分が女性です。妻は持ちきれないほどの布地を抱えて大喜びです。

 帰り道、京都府立医科大学前にある新福菜館で昼食にしました。
 
 
 
121209_ramen
 
 
 

 ここは、昭和13年からの中華そば屋さんということよりも、ラーメンのスープが黒いことで印象的なお店です。京都へ来てすぐの頃に、廬山寺の節分会の折に立ち寄りました。以来、もう一度と思いながら、血糖値を気にする生活の中でラーメンから遠ざかり、ここに来ることも先延ばしになっていたのです。
 消化を遅らせる薬を飲んだ後、久しぶりのラーメンを美味しくいただきました。
 
 
 

2012年12月 8日 (土)

井上靖卒読(150)「ダムの春」「颱風見舞」「夏の雲」

■「ダムの春」
 おれん婆さんは、「騙されまいぞ」と意地を張って生きています。自分の気持ちに素直なのです。あと1年で村は湖底に沈むことになっています。最初はみんなが反対していたのに、次第にみんなが折れていったことが許せないのです。移転を承知しないのは、120戸の内、おれん婆さんと他2軒です。工事を見るにつけ、昔の静かな村が恋しくなります。そんな時に出会った五平の娘である愛子。この愛子とおれんのやりとりが見物です。そして、ラストシーンも。【2】
 
 
初出誌:オール読物
初出号数:1955年6月号
 
文春文庫:断崖
井上靖小説全集11:姨捨・蘆
井上靖全集5:短篇5
 
 
 
■「颱風見舞」
 颱風が好きだというのはよく理解できます。いつもと違う、異様な状況と時間が迫り来るのは、心を騒がせるからです。被災地や被害者のことを思うと、大声では言えません。しかし、非日常的な気分が強いる緊張感から、その到来を待ち受ける心構えには共感を覚えました。
 舞台は井上靖の生まれた故郷である伊豆です。颱風の夜、一人の女の家へ行ったことは、少年にとって夢の中の小さな物語となっていくのでした。オブラートに包まれたような回想談となっています。【2】
 
 
初出誌:週刊朝日
初出号数:1955年8月爽涼読物号
 
旺文社文庫:滝へ降りる道
井上靖小説全集6:あすなろ物語・緑の仲間
井上靖全集5:短篇5
 
 
 
■「夏の雲」
 戦時中、中国の順徳での野戦生活と戦後を通して語られる回想的な話です。
 中国での11月の青白い月が印象的です。作中で、月は何カ所かに配されています。
 戦死した更級上等兵の手帳に記された日記は、数年前に見つかった井上靖の戦中行軍日記を思い出させます。ここでの記述と較べてみたらおもしろいかもしれません。
 その日記の最後に毎日のように記される、妻と思われる「みさ子」という文字が、遺骨と共にそれを故郷に届ける会津にとっては気になっていました。果たして、妻の名前は「みさ子」ではなくて「つや子」だったのです。「みさ子」とは誰なのか。手渡す遺品の中から、そっとその手帳だけは抜き取ります。
 この更級の故郷である茨城県日立は、やがて会津が妻子を疎開させる地となります。井上自身が鳥取県の日南町に妻子を疎開させたことが、その構想の下地にあるようです。その疎開先で姿を見せた「つや子」の妹の「みさ子」とその夫の話が、興味深く展開します。主人公の想像は、明るく前を見て生きる希望へとつながっていきます。井上靖らしい話のとじめとなっています。【2】
 
 
初出誌:新潮
初出号数:1955年10月号
 
文春文庫:貧血と花と爆弾
井上靖小説全集11:姨捨・蘆
井上靖全集5:短篇5
 
 
 
〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/
 
 
 

2012年12月 7日 (金)

読書雑記(54)水上勉『出町の柳』

 京都の我が家の周辺が舞台となる6編の作品集です。
 見た目にも薄味の京料理を食べた読後感が残りました。
 気楽に京の香りを味わうのにはお薦めの1冊です。
 もう少し寝かせて、心に滲み入る話にしてもらえたらよかったのに、と思っています。

■「出町の柳」
 標題作となっているだけあって、いい話でした。
 北大路の住宅街や出町柳の辺りが舞台となっていて、地元民としては親しみをもって読みました。ただし、登場人物たちは我々が知らない世界を生きる女性です。
 花街の茶屋に生きる女たち一人一人が、次第に輪郭を鮮明にしていきます。作者の女への視線が柔らかなのです。
 クモ膜下出血で障碍を持つようになった菅井が、みごとに描かれていると思います。その菅井をめぐるかつ江も、温かく語られています。父と娘の初めての対面では、父の嬉しさが伝わってきます。
 下鴨神社の南端にある河合橋に佇む菅井が、読み終わっても残像として焼き付いています。【4】
 
 
■「八瀬の片しぐれ」
 義母の死後、北大路の家で夫と二人になっても、何か満たされない、自由になった気がしないてる子でした。義母に限りない親しみを実感するばかりです。
 義母の遺骨を八瀬のお寺に納めた帰り、八瀬に降る小雨が印象的です。
 義母を語るてる子と、その夫の存在が、私には中途半端なままに置かれたように思われました。【2】
 
 
■「片瀬川冬」
 茶屋の女中から木屋町の店をもつようになった麻子には娘の千代子がいました。
 寺町二条にある骨董屋を営む伊佐山は、麻子の夫の死後、千代子の成長を見守ります。そのあたりの話に、もっと人間のつながりを書き込んでもよかったのでは、と思いました。
 丁寧に描ききれたら、雪ももっと効果的に織り込めたのではないでしょうか。軽すぎる出来なので、もう少し、という感が残ります。
 下鴨にいる千代子がワープロを打つところは、マッキントッシュユーザーだった水上の一面が窺えました。【1】
 
 
■「賀茂の蜩」
 賀茂川から高野川を遡って修学院辺りを舞台とします。
 夫の死後すぐに弔問に訪れた女性の素性が、最後まで話を引っ張っていきます。
 陶工だった夫に関して、知子はさまざまな憶測を廻らせます。弔客の女が言ったことが気がかりになり、知子は骨壺を見据え物思いに耽り、亡き夫と会話を交わします。
 夫に対する疑念が、納骨した寺の和尚と語らうことで晴れます。妄想や思い過ごしと決別し、あらためて亡き夫とぼんやり過ごす楽しさの中に身をおきます。
 心の迷いがスッキリするまでを、丁寧に描いています。【4】
 
 
■「たんぽぽ」
 賀茂川にかかる出雲路橋が舞台となっています。
 茶屋の女中と、その娘の父のことが話題になりながら、あまり話はふくらんではいきません。
 世間話の1つとしての物語に留まっています。【1】
 
 
■「高野川桜堤」
 出町柳の三角州が印象的な舞台となっています。
 ここに建つ映画俳優の尾上松之助の銅像が出てきます。何度もそこに私は行っているのに、そんな銅像があることに気付きませんでした。今度確認してみます。
 昭和20、30年代の映画の話は、興味深く読みました。映画が衰退し、テレビが普及しだした頃の話です。
 京都の川沿いには桜がよく似合う、そんな風景が点描されています。【2】
 
 
〈初出誌〉
「出町の柳」(『オール讀物』1987年4月号)
「八瀬の片しぐれ」(『オール讀物』1987年7月号)
「片瀬川冬」(『オール讀物』1988年1月号)
「賀茂の蜩」(『オール讀物』1988年8月号)
「たんぽぽ」(『オール讀物』1989年1月新春号)
「高野川桜堤」(『オール讀物』1989年5月号)
 
〈単行本〉
『出町の柳』(1989年8月、文芸春秋社)

〈文庫本〉
『出町の柳─水上勉作品集─』(1992年8月、文春文庫)
 
 
 

2012年12月 6日 (木)

『源氏物語』を海外の方々へ—《新版・十帖源氏「夕顔」》の資料公開—

 2011年3月9日に、『十帖源氏 夕顔』の翻刻本文と現代語訳の初版を公開しました。

 当初の予定通り第9巻「葵」までを終えた後、もう一度初巻「桐壺」に立ち戻り、現代語訳などの表記や海外の方に向けた表現方法の統一を心がけて見直しを続けています。

 今回公開するのは、第4巻「夕顔」の改訂版です。
 担当者は、淺川槙子さんです。
 
「夕顔」のPDF文書はここをクリックして、ご自由にダウンロードしてご覧ください。
 
 『十帖源氏』の影印画像は、次の2つのサイトで公開されています。

「国文学研究資料館の【マイクロ/デジタル資料・和古書所蔵目録】」
 
「早稲田大学の【古典籍総合データベース】」
 
 
 以下に、これまでに公開した《十帖源氏》を整理して並べておきます。
 よりよいものを目指して補訂を繰り返しているため、改訂や補訂がやこしくてすみません。
 以下のものが、本日、2012年12月6日現在の最新版です。
 また、【凡例(補訂版)】は、「帚木」巻の巻頭に付けてあります。
 ただし、これも現在見直し中のため、ここには再掲載を控えておきます。
 
 
(1)「桐壺」(初版−2010年7月15日)→(新版−2012年2月 2日)→(新版 Ver2−2012年2月16日)
    「《新版・十帖源氏「桐壺」Ver2》の公開」

(2)「帚木」(2010年8月25日)
    「『源氏物語』を海外の方々へ —『十帖源氏 帚木』の資料公開—」

(3)「空蝉」(2010年9月29日)
    「『源氏物語』を海外の方々へ —『十帖源氏 空蝉』の資料公開—」

(4)「夕顔」(初版−2011年3月 9日)→(新版−2012年12月6日)
    本日の情報が「夕顔」の最新です。

(5)「若紫」(2011年3月10日)
    「多言語翻訳のための『十帖源氏 若紫』の資料公開」

(6)「末摘花」(2011年6月12日)
    「多言語翻訳のための『十帖源氏 末摘花』の資料公開」

(7)「紅葉賀」(2011年6月13日)
    「多言語翻訳のための資料公開『十帖源氏 紅葉賀』」

(8)「花宴」(2011年6月14日)
    「多言語翻訳のための『十帖源氏 花宴』」

(9)「葵」(2011年9月 8日)
    「多言語翻訳のための『十帖源氏 葵』」
 

 この「多言語翻訳のための『十帖源氏』」は、現在確認されている『源氏物語』の翻訳言語31種類の翻訳を目指して進めている、一大プロジェクトです。
 ここに公開した資料をもとにして、各国語に翻訳してくださる方々を募っています。
 世界各国の多数の方々の参加・連絡をお待ちしています。
 
 
 

2012年12月 5日 (水)

従兄弟の喪中を知って思うこと

 歳と共に、喪中につき新年の挨拶を失礼する旨のハガキをいただくことが、めっきり多くなりました。
 今年はすでに30通をこえています。ご両親がお亡くなりになった方が多いようです。
 私が出す年賀状は300枚プラス α なので、1割ということになります。

 その中でも、従兄弟の勲さんが亡くなられたことを知り、はたと時間が止まってしまいました。

 私は大阪の高校を卒業するとすぐに、朝日新聞の奨学生として上京しました。大田区の新聞販売店に配属されました。有楽町の駅前の朝日新聞社で手続きをし、すぐに販売店の所長さんと一緒にお店に行き、その日から住み込みで仕事をすることになりました。身元保証人には、吉祥寺にいらっしゃった勲さんが快く引き受けてくださいました。

 勲さんの吉祥寺の家へ挨拶に行った時の朝食で、生まれて初めて、あのネバネバする納豆というものを食べました。大徳寺納豆は知っていました。しかし、話には聞いていた臭い糸を引くものを、我慢して一口食べて遠慮しました。無理をしなくていいよ、と言ってもらいました。

 新聞配達の仕事を始めて10日ほどで、朝食後に突然腹痛がして、這うようにして2階の自分の2畳の部屋に帰ると、しだいに意識が朦朧としました。すぐに部屋を転がり出て所長さんの部屋の戸を叩いたところまでは覚えています。意識を失ったようです。気が付いたときには、すぐ近くにあった総合病院のベッドの上でした。

 看護婦さんの説明では、十二指腸が破れて体内に食べ物が回っているので、大至急手術をするとのことです。家族ですぐに来られる人に連絡を、ということでした。しかし、両親も姉も大阪の八尾市にいます。
 父か母が連絡を取ってくれたのでしょう。勲さんが保証人になるとのことで、妻の典子さんが吉祥寺から大森まで飛んで来てくださいました。保証人としての確認がとれたとのことで、すぐに手術が始まりました。

 それまでに、私は体毛を剃られたり、鼻から管がいれられたりで、見るも無惨な姿をベッドに横たえていました。
 麻酔がよく効いたようで、あのテレビドラマの「ベンケーシー」の冒頭シーンであった、手術用の寝台車から見る天井が目まぐるしく移動する場面は覚えていません。

 4時間の手術でした。胃液が神経の酷使で濃縮され、その出口にある十二指腸が徐々に濃縮された胃酸で溶けて穴が開いたのだそうです。そのために、胃液の分泌量を少なくするために、胃の3分の2と、穴の開いた十二指腸と、小腸を少々ですが切除されたのです。
 私の胃は18歳ということもあり、あまりにきれいなピンク色をしていることと、みごとにまん丸い穴が空いているとのことで、地下の標本室に飾られることになりました。もっとも、私はいまだに自分の胃と面会はしていませんが。

 無事に手術が終わり、病室に帰って意識を取り戻した時、典子さんが私の脚をずっとさすってマッサージをしてくださっていることに気づきました。心地よい刺激がずっと続いていたことを覚えています。

 このマッサージの意味が、一昨年の胃ガンの手術後にわかりました。エコノミークラス症候群のようにならないために、京大病院では空気を送り込む道具で手術後の脚を一晩中マッサージをしてくれていたのです。あの、43年前に典子さんが私の脚をずっとさすってくださったのは、こんな意味があったのです。そして、あらためて感謝の気持ちで一杯になりました。

 43年前に手術をしたとき、私がそろそろ歩いてもいいというタイミングで、典子さんはスリッパをお見舞いとしてくださいました。
 一昨年の胃の全摘出の手術のときは、切った翌日から歩行訓練でした。しかし、当時はそんな対処ではなかったのです。1日も早くベッドから降りて歩きたかったのです。
 そのタイミングを見計らってスリッパを差し入れてくださった典子さんの心遣いに、さりげない優しさを教えていただきました。勲さんは私の手術の成功を見守ると、慌ただしく出張に行かれたと思います。

 勲さんは、石川島播磨にお勤めでした。今、私がいる東京の宿舎は、その基地があった佃島のすぐそばです。散歩でいつもこの辺りを歩いています。

 私が十二指腸潰瘍で胃の3分の2を切除したのは、大阪で万博が開かれた1970年でした。半年後に、体調も復したので、再度上京しました。
 そして、勲さんに2つの相談をしました。1つは、ブラジルに行って新しい仕事をしたいこと、2つ目は、お茶の水のアテネフランセでフランス語を勉強して、バカロレア制度でフランスへ行って勉強をしたいことを。
 勲さんは、今から思えば突拍子もない私の話を、じっくりと聴いてくださいました。反対はされませんでした。しかし、もっとよく考えたらまたおいで、と言ってくださいました。ブラジルの資料を取り寄せたり、アテネフランセへ行ったりして、私なりに調べました。そして、やはり東京の大学に行こうと決心し、その準備に入りました。

 若い時には、こんな風に、脈絡もなく今の自分の環境を変えて、新しい人生を歩もうと思うようです。これも、成長の一過程なのでしょう。そんなことがあったから、今の自分があると思います。いろいろと生き方に迷ったことは、無駄なことではなかったと思います。いろいろな道を模索し、その結果として今があるのですから。

 勲さんは、ブラジルや中国に何年も行っておられました。私も海外に行くようになってから、海外の様子をお話ししに行こうと何度も思いました。しかし、忙しさにかまけて、ついつい行かずじまいでした。

 今にして思えば、若き日のスタートを見守ってもらいながら、本当に失礼なことをしたものです。
 私のことは、風の便りに聞いておられたようです。頑張っているな、と喜んでおられたそうです。なぜ直接話をしに行かなかったのか、今はしきりに悔やんでいます。

 亡くなられた通知をいただき、早速お供えをお送りしました。
 それでは気がすまないので、知多半島に脚を運ぼうと思っています。あらためて地図で確認すると、なんと京都からは1時間ほどで行けるのです。あー、何と不精をしていたことかと、今はおわびの気持ちと、ご冥福を祈るのみです。

 40年以上も挨拶していません。
 年賀状を差し上げるだけでした。
 ご自宅に線香をあげに行きます。
 その時これまでの報告をします。
 本当にありがとうございました。
 世界を飛び回って大変でしたね。
 どうか安らかにお休みください。
 
 
 

2012年12月 4日 (火)

谷崎全集読過(16)「神童」

■「神童」

 瀬川欽三郞の息子春之助は、尋常四年生の頃からその神童ぶりを見せます。
 谷崎自身の自慢話のようであっても、実生活から紡ぎ出される内容に、厭味は感じられません。子供が大人の世界へ背伸びする様子が、一人の少年を通して実に丹念に活写されています。
 中学へ通うために仮住まいする家の壁の色や匂いに、春之助が高雅さを感じたとするあたりに、谷崎の並々ならぬ感覚が窺えます(29頁)。後の『陰翳礼讃』につながるものが、すでにここに片鱗として表出しています。
 話は、少年の自尊心と虚栄心が揺さぶられる話が展開します。実体験に基づくものなのでしょう。克明に語られています。果ては、暴君になる姿まで描いているので、谷崎の性癖が滲み出ているのです。春之助は、自分は天才で世の中は出鱈目だと思い込むに至ります。
 賢愚・貧富・雅俗・尊卑・美醜の好対照が取り上げられます。そして、春之助はその間で思いをめぐらせ、行きつ戻りつします。後の谷崎作品の要素が、この小説の各所に鏤められているのです。その谷崎趣味の萌芽とでも言うべきものが、珠玉のように拾い読みできる作品に仕上がっています。
 才気走り過ぎていて、今では厭味に受け取られかねない行動が目に付きます。まさに、いじめの対象になる子供です。しかし、十四五歳の少年の心中は、巧みな表現の中で活き活きと世の中を渡っていきます。
 美しいものに最高の価値を置く谷崎の眼は、すでにしっかりと対象を見据えていることが確認できます。
 これは、大正4年12月の、谷崎31歳の時の作品です。【3】
 
※初出誌『中央公論』大正5年1月(大正4年12月作)
 
 
 

2012年12月 3日 (月)

池田亀鑑賞の応募期間を延長します

 今年も師走に入ると共に、一年の仕事の整理と新年から年度末までの仕事のとりまとめで、あたふたと走り回る日々となりました。
 特に今年は、私が夏に1ヶ月ほど京大病院に入院していた関係で、何かと仕事が滞っていました。それが、ようやくいつくかが動き出したので、そのことの報告からです。

 まずは池田亀鑑賞について。

 「池田亀鑑賞のホームページ」に、一昨日(11月30日)付けで新しい情報がアップされました。
 内容は、【募集・選定概要】と【選考委員紹介】の更新です。

 更新及び変更された内容は、以下のとおりです。


■募集の変更
・第2回応募締切 平成25年3月末
  平成24年1月1日から平成25年3月末までに出版及び発表した作品
・選考会 平成25年4月中
・結果発表 平成25年5月中
・授賞式 平成25年6月22日(土曜日)午後1時30分〜4時00分
  於:日南町総合文化センター 多目的ホール
  〒689-5212 鳥取県日野郡日南町霞785

■選考委員会の構成員の変更
・会長 伊井春樹(新設)
・委員長 伊藤鉄也(新任)
・委員 池田研二/妹尾好信/小川陽子/原 豊二(新加入)

■選考委員紹介の補正と追補
・原豊二氏の選考委員就任にあたってのことばを掲載

 大幅な変更となったのは、年度末の3月に授賞式を実施することが難しくなったことがあります。
 日南町と池田亀鑑文学碑を守る会のご理解とご協力により、初夏6月で落ち着きました。
 そのため、募集期間を3ヶ月延長することになりました。

 併せて、『もっと知りたい 池田亀鑑と「源氏物語」 第2集』も、来春5月の刊行となります。

 池田亀鑑賞は、コツコツと地道な調査研究を通して産み出された仕事を顕彰するものです。
 みなさんの身近なところでそうした仕事があれば、この機会にご推薦いただければ幸いです。
 池田亀鑑賞が、文学研究の基礎的な土台を支える仕事を掘り起こし、関係者に元気を与えられるものとなれば願ってもないことです。
 ご推薦をお待ちしているとともに、奮って応募いただきたいと思います。
 
 
 

2012年12月 2日 (日)

京洛逍遥(241)源氏の挿絵展を見て回転寿司屋へ

 毎月第1日曜日は、東寺で「がらくた手作り市」があります。たくさんのお店が出るので、掘り出し物探しが楽しめます。しかし、天気がスッキリしないのと、風邪が治りきっていないので、21日の「しまい弘法」に行くことにして、今日は思い留まりました。

 地下鉄丸太町駅に近い京都府庁の南側に、「生活あーと空間 ぱるあーと」という、京町家風のギャラリーがあります。西洞院通丸太町上ルにあるので、人通りは少ない地域です。
 そこで、『源氏物語』の挿絵展が開催されており、今日が最終日だったので、通りがかりに立ち寄りました。
 
 
 

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 これは、日本画家である中村帆蓬さんの、第5回目となる『源氏物語』の絵画展です。
 2007年から描き始めた挿絵シリーズだそうです。
 
 
 

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 今回は、第26巻「常夏」から第33巻「藤裏葉」までの8巻で、各巻3枚づつ、少し小振りの挿絵が額に入れて展示されていました。すべてが目線よりも下に配置されていたので、非常に見やすいと思いました。ただし、奥の和室に置かれた絵は、座って見るようにしたらもっとよかったのでは、という感想を持ちました。

 今回の展覧会の案内を兼ねたポストカードには、真木柱の姫君が柱に文を挟み込む場面が描かれています。
 この巻の絵では、ポートレート風の鬚黒の顔や、灰神楽の中で大騒ぎをする鬚黒と女房たちの表情が、非常に豊かに描かれていました。私は、この第31巻「真木柱」の3枚が、一番印象的でした。

 それぞれの絵には、その内容を示す小見出しが付けられていました。絵の前には、その巻のあらすじを印刷したものが置かれています。もっとも、詳しく内容を書きすぎたせいもあってか、読むのが面倒で省略しました。また、人物関係図が添えてありました。しかし、そこには人物の顔も書き足してあり、それがいかにもアニメ風だったので、これは辞めてほしいと思いました。折角の主たる絵が台無しです。

 これまでに、4回の展覧会をなさっています。
 私はこの方の絵は初めて見ます。ちょうどご本人がギャラリーにいらっしゃったので、少し話ができました。
 毎年1回、この時期に展覧会をしておられるそうです。これまでに描かれた27巻分の挿絵、約90枚ほどを拝見したいものです。そのことについては、いつか画集としてまとめたいそうです。

 登場人物が丁寧に描いてあり、物語の展開に沿って、印象的な場面を取り上げておられます。有職故実や背景もよく勉強されているようで、好感をもって拝見しました。

 小さな展覧会です。しかし、『源氏物語』を絵画化すると量が多くなるので、完成したら大きな作品群となることでしょう。ますますの活躍を期待したいと思います。

 もっと作者の方に話を伺いたかったのですが、天気が怪しいことと、お腹が空いていたこともあり、早々にギャラリーを辞しました。

 血糖値をコントロールするための薬が変わったこともあり、三条の回転寿司屋「むさし」に行きました。
 私はこの店は2階が落ち着くので好きです。階段をあがって、カウンターでいただきました。

 今日は、クリームチーズロールというものを、初めて口にしました。
 
 
 

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 クリームチーズが好きなので、どんなものか楽しみにしました。しかし、サーモンとタマネギとクリームチーズで海苔巻きを作り、それをご飯で巻いて黒胡麻をまぶしたものでした。味は特に印象に残りませんでした。もう一工夫が必要かも知れません
 
 
 


2012年12月 1日 (土)

薬を使った糖尿病対策の試行錯誤

 昨日は京大病院で、糖尿病内科の2ヶ月おきの定期検診を受けました。

 自転車で病院を目指しながら賀茂川の上流を見やると、北山の紅葉が少し靄った彼方に望めます。
 
 
 

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 実は、昨日主治医の診察を受けるにあたっては、薬を使ったカロリー制限食の糖尿病対策ではなくて、昨夏から1年間試みてきた糖質制限食に戻したい、という相談を持ちかける心積もりで、診察室のドアを開けました。しかし、診察前に行った生体検査での血液と尿の検査結果を聞き、急遽判断を変えました。

 ヘモグロビン A1cが退院時より上がっていることから、今後どうするかを先生の方から問われました。
 退院時よりも上がっているのは、体重を増やすことを優先した食事をしてきたためです。その理由はわかっています。ただし、私が個人的に毎月中野のケアプロで測定しているヘモグロビン A1cの数値を加味して見ると、秋の退院後は徐々に下がっているのです。


7.1 → 7.0 → 6.9 → 6.7

 先生からは、2ヶ月後は6.5を目指しましょう、とのことでした。

 これからは糖質制限食にするつもりだ、ということを言いそびれているうちに、先生からはもう少し強い薬を使って様子を見ては、という提案がなされ、それに乗っていました。つまり、今の処方薬であるベイスンは効果の緩いもので、さらに強いものにすればもっと効果が期待できる、とのことです。

 薬を呑むことには抵抗があります。しかし、今処方されているのは、消化を遅らせる薬であり、インスリンの量を調整するものではありません。また、糖質制限食を推奨しておられる江部先生の高雄病院でも、このベイスンに代表される α-グルコシダーゼの働きを阻害する薬は、プチ糖質制限食などにおいては処方されているものです。

「グルコバイ、ベイスン、セイブルと糖質制限食」(2008年08月04日)

 消化を遅らせる薬として、この前、京大病院を退院する時にベイスンをもらいました。しかし、私は炭水化物が高そうな時にだけ呑んでいました。
 今日、先生は、毎日の食事毎に呑んだ方が血糖値は安定する、とおっしゃいました。私は、どれくらいベイスンが効くのかを調べる気持ちで呑んでいました。そこへ、この先生からの、よりよい食生活と身体のためのアドバイスが提示されたのです。

 とにかく、私の身体に薬の効果はあるようです。それなら、さらに強いものはどんな効果があるのか、自分の身体を使っての実験を自認している私は、これもチャレンジしてみたくなりました。そこで今回もらった薬は、セイブルでした。
 これまでのベイスンよりもよく効くとのことなので、この次の2ヶ月後の診察までには可能な限り毎食前に呑んで、その効果の程を確認したいと思います。

 糖質制限食をすれば、確実に血糖値は下がります。そのことは1年間の実験でわかりました。ヘモグロビン A1cの数値も低めに安定します。しかし、やはり食生活は普通ではなくなるのが問題なのです。
 糖質制限食では、外食で食べるメニューが限定されます。何を食べたらいいのか、街を彷徨うことがしばしばでした。また、ご飯などを残す量が増え、精神衛生上よくないのです。残すことがもったいなくて、いつも罪の意識にさいなまれるのです。

 その意味では、この薬を呑めば、これまで通り(?)にみなさんと一緒に食べられます。もちろん、何でもというのではなくて、自制すべきことは依然として残ります。過剰な炭水化物は避けます。それでも、食生活は、禁欲的な糖質制限食よりも豊かになります。食事のメニューにおいて、選択の余地が拡がるのですから。スーパー糖質制限食ではなくて、プチ糖質制限食の感覚で取り組むつもりです。
 何を食べるとどれくらい血糖値が上がるのかは、これまでの我が身を使った人体実験で、身体が覚えています。その感覚を有効に利用しながら、また新たな取り組みに挑戦することにします。

 私の場合は、糖尿病といってもまだ重症ではないので、消化を遅らせる薬の段階での足踏みです。そういう状況に我が身があることがわかったこともあり、先生の提案を受け入れて新しい薬を試すことにしました。

 薬漬けのイメージは、まだ私の意識の中では払拭しきれていません。しかし、無理のない豊かな食生活を考えると、これは、なかなか無難な選択ではないか、と思っています。京大病院の先生が言われることを信用して、またしばらくは我が身を預けることにします。

 気持ちが揺れながらも、試行錯誤はまだまだ続きます。
 さて、来春2月の結果が、今から楽しみです。

 昨日の記事ですでに書いたように、病院から京都市考古資料館に向かいました。
 そして、その帰りには同社大学の北側にある古刹相国寺の境内を過ぎりました。
 比叡山を背景にして、色鮮やかな紅葉が見られます。この境内一画は、清々しさがあって好きな散策コースです。
 東京の都内では、イチョウの黄葉は多く見かけます。しかし、紅葉が少ないので、こうした燃える赤は京都ならではの色彩です。四季折々の色の変化がこうして道々で楽しめるのは、本当に心躍るものです。

 京都散策には、ぜひとも自転車をお薦めします。
 
 
 

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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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